寺院名 | 寿徳山安祥院 |
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宗派 | 浄土宗西山禅林寺派 |
所在地 | 岐阜市西荘3-7-16 |
創建 | 1419年 |
開山上人 | 大空俊英和尚 |
現住職 | 顕空彰光和尚 第33世 |
立政寺
中本山、立政寺です。古くは中部地方の浄土宗中心寺院であり、また織田信長、足利義昭会見の地としても知られ、徳川家康、山内一豊にもゆかりがある寺院です。
安祥院は立政寺の塔頭寺院として開山されました。
正岡子規、河東碧梧桐らに師事し自由律俳句を先導した文化人。また、種田山頭火を資金面でも支援する経済人としても活躍した。
「わが骨埋むも遠からず大地ここいらの芽」
美濃の美女が足利義昭の側女となるも野武士に殺められたようです。足利義昭は織田信長と会見するまで本寺立政寺に逗留していました。
本堂の左右、ご本尊の脇に西国三十三箇所の観音様が並んでおります。現在巡礼旅行は休止しておりますが、本堂での法要時にはミニ西国巡礼としてお参りし、その功徳を振り向けることができます。
西国三十三観音下の襖には故、塩谷先生が描かれた油絵があります。東側に岐阜の金華山を模した朝の景色。西に伊吹山方面の夕景。長良川の堤防から見た360度の景色を亡くなられる数年前に描かれました。岐阜市から見ると伊吹山の向こうに西方浄土が思い浮かぶようです。塩谷先生から始まった写仏の会も、20年近く続いています。
おりんの寺院用、馨子(けいす)も丈六ご本尊に合わせて直径70p程もあります。大きいので音は鐘の音のように深い音です。
木魚も通常木魚の10倍程の70p四方あります。となりの木魚と比べても大きさが測れると思います。ただ、バチの方もかなり大きく重いので片手で叩こうとすれば肩を痛めるかもしれません・・