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寿徳山 安祥院 岐阜 浄土宗西山禅林寺派

住職閑話ブログ
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京都国立博物館

京都国立博物館にて特別展「法然と極楽浄土」が開催されております。
立教開宗850年を機として数々の名品が展示されております。国宝「阿弥陀如来来迎図」国宝「法然上人絵伝」国宝「大麻曼荼羅」数々・・・
永観堂からも国宝「山越阿弥陀如来」や「大麻曼荼羅」が拝見できるようになっております。
詳しくは国立博物館HP等でご確認ください。是非の機会だと思います。
写真が撮れるのは「立体涅槃像」だけでした。


江南市 曼荼羅寺

浄土宗西山派は西山三派といわれているように、安祥院の本山でもある禅林寺派、誓願寺派、そして、西山浄土宗光明寺派があります。この光明寺派の檀林(凖本山格)に愛知県江南市、曼荼羅寺があります。この寺院も立政寺と同じく中部地方浄土宗の中心寺院でした。

後醍醐天皇勅願の寺院であり、蜂須賀家政によって再興された歴史ある大寺院です。写真では分かりにくいですが檜皮葺きの本堂は気品があり重要文化財になっています。
 また、藤の曼荼羅寺としても有名で、大勢の人が集まります。今回は研修会の為に参詣させていただきましたが、花の時期はまた美しいのでしょうね・・・花の時期に自家用車では困難でしょうが、一度は訪れたい風格ある寺院です。


咲くのに数十年かかる花


毎月伺う檀家様のご自宅門前にある大きなアロエみたいな植物?30年以上あるそうですが先月、急に茎が伸びてきました。その高さ電柱と同じくらい、10メートルくらいでしょうか。
「リュウゼツラン」というらしく、数十年から100年くらいに一度咲いて枯れてしまうらしいです。

ちょうど電線の手前で止まっており、黄色い蕾らしきものが見えていました。6月に見た時もそうでしたので、ひと月たてばもう咲き終わってしまったかと思っていましたが、まだ待ってくれているようです。
さすが、数十年かかる花は慌てたりしないようです。慌ただしい世の中ですが、長い目で見せてくれるこんなお花に感心させられています。

紫色の胡蝶蘭


 先日檀家様より胡蝶蘭を頂きました。一度咲いたら二度目がない胡蝶蘭ですが、この方は何度も咲かせることができるようです。これにはマメな手入れと知識が必要なことだと思います。
 胡蝶蘭の花言葉は色によって少し違うようですが紫は「幸せを運んでくる」といった意味があるそうです。紫は高貴で上品な色ですが、この花を見ていると、本当にそんな蝶が飛んでいるかようです。
 この方は写仏も描いておられますが、お花の好きな方はやはり、センスに長けた部分がありますね。

 お寺の桜も今年は綺麗に咲きましたので写真だけですが



皆様にも幸運が飛んでいきますように

岐阜市役所前のトラフズク


 お参りの途中で珍しい鳥がいるという事で写真を撮りました。テレビなどでも紹介されたらしく、常に6,7人の方々が立派なカメラを構えておられます。こんな近くで落ち着いて寝ていて驚きます。眉毛のような耳が特徴的で岐阜県でも珍しいミミズクらしいです。それに可愛らしい。
 そういえば、ミミズクとフクロウの違いは何だろうと疑問に思いましたが、耳があるのがミミズク、丸い頭がフクロウの認識で良いようです。ただし実のところはどちらもフクロウ科のようですね。
ここ岐阜市にも不苦労の御利益がありますように。

永観堂のプロジェクションマッピング

本山、永観堂では来年の慶讃法要への行事として様々な催しがあります。
10月7日より永観堂、方丈池にてプロジェクションマッピング「ピュアランド ライツ浄土の光」が行われました。浄土を顕した光と舞台により幻想的な舞台です。
残念ながら舞台期間は短く、終了していますが、これから紅葉の時期で秋の浄土風景が見られると思います。
京都新聞様の動画がありましたので、リンクを貼らせていただきます。

「ピュアランド ライツ浄土の光」

まもなく春の彼岸

温暖化の影響か年々、桜の開花が早くなっているような気がします。檀林立政寺の彼岸桜は2月末には咲いておりました。安祥院の桜は二本、しだれとサクランボのなる桜。

こちらはソメイヨシノよりも早く、すでに残り桜です。移植後、新しいので20個くらいしか実らないですが・・・
秋は彼岸花が咲いて彼岸もわかりやすいですが、温暖化の春は何かいい目印になるお花はないでしょうかね・・・



久しぶりの岐阜市の雪


今冬、初めて雪が積もりました。15p程のようです。
年々、雪は少なくなっているような気がしますが、久しぶりに積もると何かと大変です。お地蔵様にも雪が積もり、よだれかけ(前掛け)にも雪がついています。この前掛けを作っていただける方がいらっしゃるのですが、お地蔵様の前掛けには子どもたちを救おうとするお地蔵様の力になっているといわれています。
また、赤色には魔除けの意味もあり、あたり一面雪で白くなると赤い色が映えています。

護美小僧


 ゴミを護美とするのは当て字ではあると思いますがいい言葉だと思います。
 物が豊富にあり、何かと捨てるものも増えていくことが多い昨今ですが、自分が見えている場所だけでなく、自分が見えていない所の美しさを護っていく気持ちを忘れないでいたいと思います。

仏様の眼

仏像の目には玉眼という様式があり水晶やガラスを使い本物の眼のように見せる技術があります。

博物館に展示してありました。

顔の中で眼を押さえてあるのが解ると思います。青い和紙や白い和紙を使い、後ろから木の杭で止めてあります。
丁寧に造られている仏像にはこうした眼を持った仏様があり、見ていただいているような感覚があるかと思います。常に仏さまに見ていただいている事を意識し、時には自らを戒め、また、時には感謝したいものです。

お釈迦様のきのこ


いつもお世話になっている檀家様のお家でこんなキノコが出てきたそうです。名前を「コガネキヌカラカサタケ(黄金絹唐傘茸)」と言うらしい・・・可愛らしい形で一日で枯れてしまう可憐なキノコです。傘を広げる前の形が金色に輝くお釈迦様のようだから「お釈迦様のキノコ」ということでしょうか。確かに気品を漂わせて、幸運も訪れそうですね。
朝に紅顔、夕べに白骨。いう文がありますが一日二日でしぼんでしまうこのキノコに無常というお釈迦様の真理を教えられているようです。訪れた幸運を逃すことなく感謝し、今を大切に生きていくこと忘れずに過ごしたいですね。

2023お盆


旧暦でいうと2023年のお盆は8月28日〜8月30日らしいです。随分遅いお盆で夏休みも終わってしまいそうな時期ですが、明治時代以前はこれが当たり前だったでしょうか。
岐阜市では7月のお盆と8月のお盆がありますが、特に旧岐阜市内では7月が主流で、郊外の農村地域では8月が主流になってます。一説には農作業のある地域では、新暦に切り替わった際、適応できずに月を遅らせて8月になったといわれています。どちらにしても、ご先祖様を敬う気持ちに変わりがありませんが、先日こんな話を聞きました。
7月盆の家が7月にお墓参りをして、8月はお墓に行かなかったところ、親戚から「お盆くらいお墓に行ったらどうだ」と、嫌味を言われたそうです。「昔から7月がお盆だったけど・・・」「2回もお盆をするのは大変だ」と笑い話のように言っておられました。混在していると、このようなこともあるのですね。東京でも7月が主流だといわれますが、その家その人によって柔軟にできる行事があってもいいと思います。
ただ、岐阜市でも7月のお盆は減りつつあると感じます。

若い 太陽の塔


私は世代ではないのですが太陽の塔というと大阪万博を思い浮かべます。未来への希望を抱いていた成長期のエネルギッシュな時代の象徴のような存在ではないでしょうか。写真はもう一つの「太陽の塔」
安祥院から自動車で一時間ほどの愛知県犬山市にあります。吹田の目立つ本家と違い、遊園地(モンキーパーク)の中でもあまり人の来ない場所にひっそりとそびえています。
岡本太郎の父、岡本一平は日本初の有名な漫画家として岐阜県美濃加茂市で晩年創作を続けたそうです。その地域性の縁もあって太郎はこの地にもう一つの太陽の塔を寄贈したと云われています。ただし、この作品は「太陽の塔」ではなく「若い太陽の塔」
どこからか沸き起こるエネルギーが感じられるという点で、私は以前行ったネパールのスワヤンブナート(目玉寺院)を思い出します。瞬く間に流れていくような人生の中で,時々はエネルギッシュな気持ちを思い返す時間があってもいいと思います。

ちょっと似てると思われませんか?
(写真は20年位前のものです)

大仏様


コロナ禍の前、坂東三十三箇所巡礼中、茨城県の牛久大仏に寄った時の写真です。高さ120m、日本一大きな大仏です。これ以上の大きな像は他にはないだろうと思って調べたらありました。

インドの「統一の像」
なんと高さ182m。台座を含めて240m。大きすぎる!
人物なのもすごい!
しかし、私が理想とする大仏はこちら。

永観堂禅林寺「山越阿弥陀図」(国宝)
山を越えていますが、大きさは30mくらいに見えます・・・(想像)しかし、お迎えの時、自分のような者を迎えに来ていただいた有難さで、手を合わせて拝みたい気持ちになると思います。
こちらを再現するには100mくらいの山としても、150mくらいの大仏が必要でしょうか・・・
こういった想像力を現実に顕していく人間もすごいですね。


不東


岐阜で有名な味噌カツ屋さんに西安出身のスタッフがいるのですが、先日お参りに行きましたら西安の地図を見せていただきました。西安には三蔵法師が命をかけて持ち帰った経典を収めてある塔寺院があります。北京から飛行機でも2時間はかかる昔の長安に最澄や空海が徒歩で行かれた苦労を思うと、先人たちの「不東」の気概が感じられます。不東とはインドから経典を持って帰らなければ東の長安には帰らないという三蔵法師の想いです。西安まで飛行機で半日ほどで行ける現在でも、かなりの気概が必要ですが、いつか行きたいなぁ・・・と、思うだけ思ってます。