ほんとうの強さとは

 いくら困っている人を助けたいと思っても、自分が弱ければその人を助けることはできません。強くなるためには、体を鍛えると共に、どんな困難にもひるまずくじけない、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を養う必要があります。「ほんとうの強さ」とは、よりどころとなる自分をつくることです。
 
たとえ相手の力に一時的に負けたとしても、生きている限り、そして負けたと思わなければ、本当の「負け」ではないのです。生きてゆく中では失敗することもあります。しかし、人の価値は失敗したかどうかではなく、その失敗から起きあがれるかどうかによって決まります。自分はダメな人間と思ったとき、ほんとうに負けてしまうのです。自分の人生を強く生き抜くために、うぬぼれではない「自信」をつけることが大切なのです。
                         
−『少林寺拳法読本』6〜7頁より抜粋


【開祖の言葉】

 
生の闘いの中で負けないためには、自分で壁を破っていくよりしようがないのだ。これはどこの世界でもいっしょです。だから、やる気があってやるというのがいちばん大切。いやいやではなく、一生懸命やろうということだ。自分が本当にやりたいと思ったらやる。そうすれば道は開ける――と、私はいつもそう思う。(1969年、本部武専の法話)
                       −『会報少林寺拳法』第22巻5号(2002年8月1日発行)30頁より抜粋


 
んな困難にぶち当たっても、「七転び八起き」じゃなくて、中国では「九転び十起き」といっている。数字に意味を持たしている。
「九」というのは、最終、数字の終わりなんだ。次がない。またゼロに返る。「七転び八起き」なんていうのは、これはチョロこい。絶対に死ぬまでは負けたんではないというのが、私の信念である。生きてる間は大丈夫。生きてる間は負けたんじゃない。命さえあれば、どんなことがあったって、いつかは立ち直れるんだ。 
1980年3月 大学指講(「あらはん」1986年2月号掲載)

 
識と関係なくったって、生き返ることも死ぬことだってある。死にたい、死にたいと言うて、思ったって死ねない。首をくくるとか、チョン切ってもらうとかせなんだら死ねない。体を殺さなんだら死なないので、細胞が死ぬまでは生きてる。
 ぼくはそういう経験の上でこんなことを言ってる。生きてる間は負けたんじゃない。死んだんでもない、と。いや、わかっているようで、本当はわかってないんだよ。自信を持てよ。自殺なんかするなよ。
 1980年3月 大学指講(「あらはん」1986年2月号掲載)
                       −『少林寺拳法副読本』186頁〜187頁より抜粋


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