政府公認遊興街、相模遊郭は言ってしまえば人外の街だ。
無論人間も住んではいるが、割合としては少数派になるだろう。遡行軍との戦いの為。兵站や後方支援等、刀の付喪神だけでは補いきれない部分を埋める為に、人ならざるモノ達に対して時の政府が協力の対価に提供した居場所。それが各国に存在する城下町、及びに政府公認遊興街の持つ役割の一つだった。
それ故にだろう。特に相模遊郭は昼間であっても、そこかしこに夜の気配が色濃く漂う。
生と死の境界が、極めて曖昧になりがちな世界。そういう意味では、ここは病院という“端境”として用いられるにも相応しい。病室として提供されている部屋で、司馬は来客に向かって分かりやすく顔を歪めてみせた。
「面会謝絶になってたはずなんだけど」
「近侍と看護師の許諾は受けている。手短に済ませると確約しよう」
淡々とした烈水に、司馬はますます憮然とした。
あからさまに嫌そうなその態度にも構わず、烈水は続ける。
「不在本丸の後始末だが、女史へ一任された。所属刀剣男士の扱いに関しても同様だ。それに合わせ、かねてより構想されていた自警組織が正式に結成される運びとなった。訪ねてきたのは、お前に帰参を促す為だ」
「……さん、やる気出したのか」
あの一件の後始末がかの人に回ってきた事に、さしたる意外性は無い。
元々彼女がやってきた仕事だ。ようやく収まるべきところに収まった、という感じさえする。
それより司馬の気を引いたのは、あの「めんどくさい」が口癖の人が、あれだけのらくら逃げてきた自警組織作りにやる気を出したという点だ。少なくとも司馬の聞いた段階では、あの話はかの人をトップとして組織を構築する事になっていたはずである。作るにしても絶対他人に押しつけると思っていただけに、それは少なくない驚きを司馬にもたらした。
「肯定する。現在、司馬と交戦した“鶴丸国永”が不在本丸取り纏めとして責を負い、名を封じられた上で女史の預かりとなっている。女史は不在本丸との交渉を円滑にする為の調停役として使う予定でいるが、司馬が帰参するのであれば処遇について再考するとの言だ」
「――……」
烈水の言葉は淀みない。
司馬は無言で、唇を引き結んだ。
自分は、彼女達を裏切った。あの大規模演練でも、さしたる働きができたとは思っていない。
家の為に。名誉の為だけに自分は、仲間と呼んだ人達の事を捨てたのだ。だというのに、そこまでしておいてこのていたらく。ぎり、とてのひらを白くなるほど握り締める。ふざけるなよ、と怒鳴りつけてやりたい気分だった。
「忙しさが増すのは自明。人手は多いに越した事はない、と先生もお考えだ」
「……戻るかわりにあの鶴丸、折れって言ってもかよ」
「演練時の約定がある。調停役の不在は問題視する必要性を感じない。司馬が帰参した方が遥かに有意という見解だ。一虎に殴打される可能性は否めないが、あの男の気質を考慮すれば一発で済む」
「だろうな」
前半はともかく、後半は同意だ。吐き捨てるように肯定する。
おそらくは連理からも、嫌みの一つや二つは言われるに違いない。他にも、司馬の帰参に思うところのある協力者は多いはずだ。が許すと決めたから、それを仕方がないと呑み込むだけで。
「……俺は、戻らない」
特徴的な三白眼に反して能面のような印象を受ける烈水の顔を睨み付け、唸るように司馬は告げる。
「返答は猶予期間を設けているが」
「いい。俺の意見は変わらない。俺は、あのひとのところには戻らない」
全てが元通り、とはいかない。
それでもの下に戻れば司馬はもう、一人で戦わなくていいだろう。
家の為にと、歯を食い縛る必要も無くなる。彼女の指し示してくれる道だけを見て、がむしゃらに駆けていくだけでいい。案じるべきは力及ばず途中で倒れる事だけで、それだって、がきっと何とかしてくれる。力尽きてしまったとしても、あの人は必ず、その無念を晴らしてくれる。背負ってくれる。
そう信じられる人だ。そう信じさせてくれる、頼れる人だ。
今回の戦いだって、結局はそうだ。前線に出た司馬が頼みにしたのは、裏切ってきたはずの人達だった。
知らず、自嘲の笑みが零れる。あの時は、自覚していなかったけれど。
「俺は、俺の道をいく」
確かに戻れば、何も思い煩う必要は無いだろう。
家の為、兄を超える為にどうすればいいか。審神者として、どう在ればいいのか。そんな悩みとは無縁でいられる。彼女についていけば、名誉も結果も、自然と後からついてくる。苦しまなくて済む。
けれど。苦しむ事が分かっていても、司馬は、と対等になりたいのだ。
その為には、彼女の下にはいられない。彼女の後をついていくのでは、永遠に対等にはなれないから。
「了承した」
烈水の返答は、いっそ機械的なまでに淡々としていた。
「時折は顔を見せに来る事を推奨する。ではな、司馬。一日も早い回復を、女史も祈念している」
確約通りの短さで、烈水が退室する。
ひとり取り残された病室。扉を睨む司馬の横顔は、何処までも険しいものだった。
――彼が政府よりブラック本丸の取り締まり役を任じられるのは、この数ヶ月後の事となる。
■ ■ ■
「ひどい人ね。あんな言い方で、司馬の坊やが頷くはずないじゃない。分かってる癖に」
「女史は見通しが甘過ぎる。今後の組織拡大を考慮すれば、不安要素の排除は必須事項だ」
「もう、いじわるなんだから。結良さんだって、足りない分は自分がフォローするからって賛成してたでしょう」
「先生の思慮を必要とする場面は多くなる事が予期されている。今回の戦い同様、分かっていて尚組織の為、相手を追い詰めねばならない可能性は極めて高い。そうである以上、ご自身がどうお考えであろうと、先生の負担は可能な限り減らしておく事が肝要となる」
「……なら、どうして私の邪魔をするのかしら?」
「生かしておいた方が役立つからだ。司馬は視野が狭く考えも浅いが、他の審神者よりはまだ己で考え、全体の為に行動する事ができている。上手く育てば女史の、ひいては先生の仕事を減らすと予想される」
「上手く育たないかも知れないじゃないの」
「あの気質だ。手を下さずとも早死にする公算は高い。何より、まかり間違って貴嬢を失う事があれば、女史の反応が予測困難であるという問題もある。以上を踏まえ、危険を冒す事は推奨しない」
「――……そう。そう、ね。そうよね。お友達に心配をかけちゃうのは、いけない事ね」
「少なくとも、事態の解明に動く事は確定的だ。
貴嬢が秘密を知られたくないと思考するなら、軽率な行為は慎む事を推奨する」
「……もうっ、烈水のいじわる!」
「適正な忠言を述べたまでだ、鈴。訂正を要求する」
■ ■ ■
相談する、というのは存外勇気がいるものだ。
戦場を恐れはせずとも、自身の内心を吐露する行為はまた別種の恐れがある。それをひしひしと実感しながら、加州清光はどう話しかけたものかとぐるぐる必死に考えていた。
「なんか用か、加州」
「っあ、えっと」
しかし話を切り出すより、無言の訴えを読み取った同田貫が動く方が早かった。素振りを止めて、不可解そうに声をかけてきた同田貫に、加州はしばらく視線を彷徨わせ――なんとか、腹を括って口を開く。
「ちょっと、あの。意見を聞かせてもらいたくて。主のこと、なんだけど」
「おう」
頷いて、同田貫が縁側まで戻ってきて腰を下ろす。
内番着の袖で汗を拭いながらこちらを見上げる同田貫に、加州は少し躊躇って、おずおずとその横に腰を下ろした。緊張でじわりと滲んだ汗を、春先の冷たい空気が冷やす。
もつれる舌を動かして、俯いたまま加州は言葉を選びながら告白する。
「……俺、さ。主に酷いこと、言っちゃって」
情けない話だ。あの戦場から帰ってきて、本丸で一息つくまで、加州はそのことに思い至りもしなかった。
自分の気持ちで手一杯で、主の気持ちにまで考えが及ばなかったのだ。
“殺さないで”、なんて。そんな選択肢があったなら、主は当然、それを選んでいたに決まっているのに。
責められるのは当然なのだと、受け入れている顔だった。
そう言われても仕方がないのだと、心から思っている顔だった。
思い出すたび、胸がぎゅうと痛くなる。違う。無茶を言ったのは加州だ。悪いのは、加州なのだ。
あの戦いの中でだって、主の刀として相応しい戦働きができたなんて言えやしない。分かっている、自分がしたのは主を傷付ける事だけだったと。だというのに、一言だって責められなかった。それが、ひどく苦しかった。
傷つけたい訳じゃない。それは本心のはずなのに、自分は、主を傷つけてばかりいる。
「……謝りたいなって、思ってるんだけど……でもさ。主、その時ごめんね、って言ったんだ。だから、悩んでて。どうすればいいかな、って……」
「いいんじゃねえの、あやまんねえで」
「は」
我知らず、間の抜けた声が出た。
何を言われたのか、聞こえたはずなのに飲み込めない。加州はまじまじと同田貫を凝視する。
考えるまでもないとでも言わんばかりの表情で、同田貫は鼻を鳴らした。
「主はごめんっつったんだろ。なら、それで終いだ」
「は、え、えええ? いやだからさ、俺はそれがヤなんだってば。俺が主に無理言ったから、役立たずだったから、主のこと傷つけちゃったの。俺、主のせいじゃないんだって伝えたいの。分かる?」
「じゃあ“ごめん”つってくりゃいいじゃねえか」
「それじゃ足りないと思ったから、こうやって意見聞きにきたんじゃん!」
「んなもん、自分が納得したいだけだろ。
今更グダグダ言ってても仕方ねぇよ。吐いた唾は飲み込めねぇ」
耳の痛い言葉に、加州は唇を噛んで黙り込む。
正論だった。結局のところ、加州は怖いだけなのだ。
主に嫌われたくなくて。失望されたくなくて、愛されなくなる事が怖くて、ずっと向き合えないままでいる。
「悪いと思ってんなら、そのぶん働きゃいいんじゃねえの」
他人事のような調子で、同田貫が告げる。
ふと。本陣へ戻った時に絡んできた、今剣と同じ本丸だった刀の事が頭を過ぎった。
今剣が戻らなかった事に、お前のせいでと突っかかってきた刀剣男士。それがあんまりにも腹立たしくて。今剣の覚悟を、働きを踏みにじるような言葉に、頭に血が上ってしまって。気がついた時には殴っていた。次郎太刀に襟首掴んで止められなかったら、そのまま刀を抜いていたかも知れない。
悔しかった。同じ本丸だった彼等が気付いていれば、もっとマシだったなら。今剣は、あんな無理をする必要なんて無かったんじゃないのかとさえ考えた。
でも。加州だって、あの刀とさして大差無いのだ。
主の気持ちも、考えている事も分からない。前任に対する憎しみだって捨てられない。
そして、前任の時から一緒にいる刀の事さえも――あの男の初期刀だった山姥切国広も。同じ新撰組の刀である和泉守兼定の事すら、分かっているとは言えやしない。
そんな自分に、あの刀の事を責める資格などあるはずも無かった。
「……できる、かな。俺に」
「知らね」
「……同田貫ぃぃ……」
ばっさりあっさり言い切られ、加州は恨みがましい目で同田貫を睨む。
加州のじっとりした視線にも涼しい顔で、同田貫は欠伸を噛み殺しながら伸びをする。
「やるのは加州だろーが。背中押して欲しいんなら山伏にでも頼んで来い」
「山伏、国広さんのことでわりと手一杯じゃん。これ以上負担かけるのは俺も流石にちょっと……」
それに。話をしていると心の奥底まで見透かされるようで、加州はどうにも山伏が苦手だった。
どうでも良さそうに、同田貫が「ま、アレだ」とため息をつく。
「こうやって言えるようになっただけ、前よりマシになったんじゃねえの」
「……う、ん。……その。…………ありがと」
釈然としないものはある。
加州の問いに、答えがもらえた訳じゃない。
ただ分かったのは、自分が何一つ分かっていないというだけの事実。
かつて、がまだ主でなかった頃。加州は彼女に向かって言った。あんた達は身勝手だ、と。そう責めた。
けれど。刀だって、同じくらいに勝手なのだ。
今剣だって、身勝手だ。勝手に託して、残して逝って。
でも。加州は思う。動かなければ、変わらない。
動かなければ、スタートラインで蹲っているままでは、何も変わりはしないのだ。
間違えても、辛くても。行動しなければ始まれない。
(できる、かな)
また間違えるかも知れない。
また、主を傷つけるかも知れない。
恐れはある。身勝手な自分に、呆れたくなる気持ちもある。
間違えない自信なんて、これぽっちも無いけれど。
視線を落とす。てのひらを握り込む。自然、目に飛び込んでくるのは主の色をした爪紅だ。
似合っていない自覚はある。実際、乱には面と向かってそう指摘された。それでも、これだけは変えたくなかった。諦められなかった。
「同田貫。また、話聞いてもらっていいかな」
「おー、いいぜ別に」
当然だと言わんばかりに了承を返し、同田貫が刀を担いで立ち上がった。
休憩は終了らしい。何処までもざっくばらんな同田貫の態度に、加州は思わず苦笑する。
主の、の刀剣男士として、相応しいと思える自分になれるように。
あの誇り高い、今剣のように在れるように。
羨むだけでは始まらない。
過去を無かった事にしたい気持ちもあるけれど、そんなことをしたって、間違えない自分になれる訳じゃない。変わらないままの自分では、何度だって、同じ間違いをしてしまうに決まっているから。
だから、前に進んでみよう。可愛くなくてもいい。見苦しくてもいい。間違いながらでも、足掻いてみよう。
今からだって、きっと。遅くはないのだと信じて。
■ ■ ■
戦争の後始末、というのは面倒なものだ。
前回、というか去年のはまだ敗者の取扱いについて悩む必要なかったぶん仕事量マシな方だったんだなぁ、というのが正直な感想である。そうねボロ負けしてたもんね。捕虜とか発生しようもありませんでしたね。
私より上の立場の審神者は何人もいたはずなのに、メンタルマッハで使い物にならなくなっちゃったしなぁ……。
総大将は撤退時には復活してたような記憶があるんだけど、結局あれ以来姿見ないし。なんか責任取ってどうこうみたいな話は小耳に挟んだけど、犠牲出た本丸にお詫び行脚でもするのかな。
何にせよ、不在本丸の後始末が私に丸投げられた事には変わりない。
まあね、うん。端的に言って調停地獄、みたいな。実務処理統括する身としては政府から予算とか権限とか色々貰えたのは助かったけど、城督とかよく分からん肩書きは要らなかったですはい。首輪付きじゃないですかやだー!
自警団の方もやらなきゃだし、責任ばっか増えてくとかほんと世の中おかしいね。
ぶっちゃけ無茶しすぎて筋肉痛やばいし手の皮膚ずるぐちゃになってたし、あと大百足に受けた腹パンの名残でいまだに時々おなか痛いです。せめて回復するまででいいから休みが欲しかった。とてもつらい。
救いがあるとすれば、行方不明審神者達の一部は救出が間に合った、という事くらいだ。
「小夜。しばらく人払いをお願いしていい? 一時間くらい」
離れの縁側。夜警で詰めていた小夜に声をかければ、即座に「分かった」と了承が返る。
……理由を聞かないでくれる、というのは本当に有り難い。
夜陰に溶けるようにして消える姿を見送り、次郎さんの隣に腰を下ろした。
「珍しいね? アンタが人払いするなんて」
「んー。……あんまり、聞かせたくない話もあるから」
小夜は口が固いから、気にしなくていいのは分かってる。
どちらかと言えば、これはプライドの問題だ。ただでさえ普段から情けなさEXな自分を露呈し続けている身ではあるけど、それだって限度というものがある。彼等の主として、最低限の見栄くらいは張っていたいのだ。
これ以上恥の上塗りはしたくないです。己の低スペックが憎い。
「その前に。ありがとね、次郎さん。部隊指揮の他にも色々押しつけちゃったのに聞いてくれて」
正直、連隊の皆もだけど次郎さんの助けが無かったら対大百足戦で死んでいただろう。
観察にのめり込むほど死角は広がる。大百足の動きだけに集中しての観察と思考あってこそ、あの場で策を打ち出す事ができたのだ。次郎さんが部隊指揮を請け負い、なおかつ私の無茶振りにも応えきってくれなければ何処かで破綻していたのは間違いない。まあそれを加味しても棺桶に首から下まで突っ込んではいたんだけど。
「なぁに、可愛いアンタの頼みだ。あれくらいはお安いご用さ。――蜻蛉切は、残念だった」
「……ん」
刀装兵は大半を喪った。けれど連隊で、折れた男士は蜻蛉切さんだけだった。
喜ぶべき、事なのだろう。最悪の更に下を行くあの戦いで、私は自分の担った連隊の多くを生かして帰せた。かつて、演練場で指揮を担った時よりはマシな結果を出すことができた。軍全体にまでは手が届かなくとも、少なくとも、最低限の目標は達成できたのだ。無傷とはいかなかったけど、それは最初から予想していた事だった。生き残る事を最優先課題に、体力のある太刀以上で連隊を纏めた判断は間違っていなかった。
零れ落ちたものはただ、私の手に収まりきらなかった。それだけの話だ。
「動くと決めたんだろ? 本丸の事は心配しなくていいさ。アタシ等でどうにかする。
アンタは何にも気にせずに、目の前の仕事にだけ集中してりゃあいい」
「……ごめんね、負担ばっかりかけて」
多くのものは救えない。そんな事は百も承知だ。
私の手は、目に届く範囲のものすべてを取り零さないでいるにはあまりにも小さい。
欲張ったって意味は無い。特段優れた人間でも無いのだ。私は、ヒーローにはなれない。手に収まるぶんだけで、満足していなければいけない。
でも、それでも。
引き継ぎで磨り潰される、審神者の苦しみを知っている。
自分がした訳でもない罪で、ただ同じ審神者だからというだけで責められる辛さを知っている。
引き継ぎがうまくいかず、死んでしまった審神者達は“自殺”としてしか処理されないのを知っている。
知った時は愕然とした、最高にクソッタレな事実。
刀剣男士は、刀だから。公式上、道具に過ぎないから。どんな惨たらしい死に様であって、どんな酷い扱いの果てに死んだとしても、審神者の死はそれだけで片付けられてしまうのだ。
まったくもって胸糞悪い。
でも。元ブラック本丸の刀剣男士だからって、全員がそこまで堕ちる訳じゃない。
いろんな元ブラック本丸のなれの果てを見てきた。審神者を憎む刀剣男士ばかりじゃない。なんとか立ち上がろうとしている男士だっているし、辛い目に合わされた事に悪態をつきながらも、信じようとしてくれる男士だっている。誰かが間に入りさえすれば、新しい審神者と上手くやれそうな本丸はたくさんあった。
私一人だけでは、手が届かないかも知れない。
だけど。同じ審神者達の力を借りることができれば手が届くことを、もう、私は知っている。
皆を纏める事も、彼等の前に立って先導していく事も。どちらも、上手くやれるとは思っていない。感情に流されて、間違えてしまうかも知れない。皆を巻き込んで、取り返しが付かないような大失敗をするかも知れない。
それでも、叶うなら欲張りたい。ひとつだって、取り零したくなんてない。今回の戦いだって、なりふり構わず皆の手を借りて欲張れば、始まらせない事だってできたかも知れないのだ。
分かっている。これは、ただの我が儘だ。私のエゴだ。
茨の道なのは分かりきっている。面倒なんて、そんなレベルじゃない苦労もするだろう。
自分の本丸、自分の刀剣男士にすら手を焼いている人間が、大それた望みを抱くべきじゃない。
だというのに、私についていく、と言ってくれる人達がいる。共に戦ってくれる人達がいる。私なんかを御輿にすえて、やっていこうという物好き達が大勢いるのだ。なら。いつまでも、逃げ回ってもいられない。
「アタシはアンタの初期刀だからね。この程度のおねだり、軽いもんさ」
次郎さんが快活に笑う。
くそ、不覚にも見惚れてしまった。さすが刀剣男士顔がいい。
ともすれば赤くなりそうな頬を両手で覆い隠して、じとり、と次郎さんを睨む。
「…………次郎さんさ、ちょっと私に甘過ぎない? 文句の一つも言っていいと思うんだけど」
「なに言ってんだい。アンタは無茶するからね、一人で抱え込まれるよりよっぽどマシだ」
「好きでは抱え込んでないんだけどなぁ……」
「知ってるよ。……どうしても辛くなったら言いな。アンタを浚ってやるくらいは、わけないからさ」
柔らかに、次郎さんの目尻が緩む。夜であっても美しい黄玉の双眸は、私を包み込むように優しい。
囁くような言葉は、思わず頷いてしまいたくなるほどに魅惑的だ。
本当に。……次郎さんは、私に甘い。
「ねえ、次郎さん」
思い返すのは、あの一期一振と大百足。
そして、不在本丸を取り纏めていたという、折れてしまった燭台切光忠のこと。
後から記録を見て気付いた。私は一度、彼等の本丸を訪ねた事がある。どうにもキナ臭いと判断して、早々に立ち去った本丸だった。他にもあからさまにヤバい本丸がいくつもあったから、そこまで記憶にも残っていなかったのだが――あそこで、何かに気付けていれば。ひょっとしたら、もっと被害は少なく済んだのかも知れなかった。
「私のこれからする事は、きっと、たくさんの人に苦労をかける。
それに見合う数だけ助けられればいいけど、上手くいくばっかりじゃないだろうし、理想通りにはいきっこない。人にも刀にも、誹られる判断をする必要だってあると思う。それでも。一緒に、いてくれる?」
もう、どうしようもない事だ。
過去は変えられない。変えるべきではない。そんな事をすれば、歴史修正主義者と同じになってしまう。
私は、そうはなりたくない。自分達のエゴの為に、こんな戦争を始めて。審神者として生きることを受け入れられず、壊れてしまった人々を生み出したような。刀剣男士まで巻き込んで、平穏に生きていけたはずの多くの存在を不幸にし続ける、あんな連中のようには――絶対に、なりたくない。
「勿論さ、アタシの審神者」
次郎さんの返答には、躊躇いも、迷いも無かった。
それこそ当然だと言わんばかりに明快で、だからこそ、複雑な気持ちになってしまう。
「……今ならまだ、手を離してあげられるって言っても?」
私は審神者だ。頼る事はあっても、寄りかかって、甘えてしまうべきじゃない。
辛くても、苦しくても。私は自分で選んだのだから、背筋を伸ばして一人、立って然るべきなのだ。積み上げた犠牲に値する審神者にならなければいけないのだ。たとえ一人になったとしても、途中で投げ出してはいけないのだ。
なのに。突き放される事を。躊躇ってくれる事を望んでいた癖に、そうされなかった事に安堵している自分もいる。
馬鹿だなあ、と思う。担い手を求める刀の性を分かっていて、きっと、頷いてくれると知っていながら、問うべきでなかった事を問いかけたのだから。
ぐい、と腕を引かれた。誘われるまま、次郎さんの腕の中に収まる。
苦しくはない。けれどその腕に込められた力は、私が逃れる事を許してくれそうには無かった。大人しくされるがままにしていれば、耳朶に、熱い息が吹き込まれる。拗ねたような、怒ったような声音で、次郎さんが囁いた。
「ずっと一緒だって言ったろ、反故になんてしないよ。……折れたって、アンタを離しゃしないさ」
不思議と、身体から力が抜けた。
やばいんじゃないか、と焦る自分も確かにいるのに。それを、嬉しく思う自分もいる。
「怖いかい」
普段より低い、それでも優しい声が問う。
「ううん。……次郎さんなら、いいよ」
一緒に死んで、と。昔、私は次郎さんにそう望んだ。
次郎さんは、その我が儘を受け入れてくれた。私の指揮で、私の為に、私の下で死んでくれる刀達。あの約束も、審神者と刀の関係あってこそなんだろうと思っている。けれど私は、確かにそれに救われたのだ。
だから。……それに見合うと思えるだけのものくらい、この初期刀に返したっていいだろう。
「ありがとう、次郎さん」
懸念は多い。
自分の身体の事でさえ、本当は不安でたまらない。
気にしないようにはしていても、髪や爪の伸び具合を見ていれば、時間の流れ方が可笑しい事なんて明らかだ。
錯覚だと思いたいけど、生理的欲求も、以前に比べていくらか鈍ったような気がしている。変わらないのは、睡眠欲くらいなものだろう。
現世に戻れば、元に戻るかも知れない。戦争の終わりを見積もるとして。たぶん、勝敗が決するのは遅くとも五年か十年は先になる。成長の著しい年齢でもない。そのくらいなら、多少若く見える程度で収まる。
この、特殊な世界にいるからだと思っていたい。――そうではないかも知れないなんて、思いたくない。
考えたって真実は分からない。未来がどうなるかなんて、分かりはしない。
だから生き残る事だけを考えよう。少しでも多くの仲間達が、生きて帰れるように立ち働こう。
少なくとも次郎さんは、私を一人にしないでいてくれる。
この戦争が終わるその日まで。私と、共に歩んでくれるのだから。
■ ■ ■
だいぶ疲労が溜まっていたのだろう。
抱え込まれたまま寝落ちしたのつむじへ、次郎太刀は上機嫌に唇を寄せた。
戻ってきた小夜が、それを見咎めて「次郎」と険の強い口調で嗜める。
「寝込みを襲うのは感心しないよ」
「うらやましいかい?」
「そうだね、その距離を許されている事が嫉ましい。
……けれど。そうやって、これ見よがしに煽るのはどうかと思う」
今の行動だけではない。
この大太刀は、それこそ見せ付けるようにしてに触れ、戯れる。
彼女に顕現された者達は問題なさそうだが、特に前任から引き継いだ刀達に関しては、程度の差こそあれ、反発を隠しきれない者もいる。非難の籠もった小夜の言葉に、次郎太刀は肩を竦めた。
「とは言ってもねぇ。突いてガス抜きしてやんなきゃ、ため込む連中ばっかだろ?」
「自滅するならそれでいい。……あなたは、少し手を貸しすぎる」
「あいつ等ものモノだろうに。そうである限りは、アンタも目零ししてやんな」
「僕は、が呑み込んだ黒い澱みであると決めた。の復讐の刃になるのだと、顕現された時にそう定めた。彼女の為にならない限りは、鞘に収まっている積もりでいるけど――それでも、手を貸す気はないよ」
「の、割には宗三や歌仙とは仲良くやってるじゃないか」
「個人的な感情と、信念はまた別物だよ」
次郎太刀の揶揄に溜息混じりでそう返し、部屋から掛け毛布を引っ張り出す。
眠る主にそれをかけてやりながら、小夜は密やかな声で言った。
「加州、持ち直したみたいだね」
「ああ。ま、いいんじゃないかい。
も、そう余裕がある訳じゃあないからね。……あんまり喪わせたくはない」
「和泉守はどうする? だいぶ、危ういように思えるけれど」
来歴や、元の主の影響か。それとも気質に依るものか。
加州清光しかり、山姥切国広しかり。それぞれに抱える問題は違うが、が引き継いで一年過ぎた今でも、切り替えがうまくできていない刀はいる。次郎太刀は、首を傾げながら常に下げている酒甕を煽った。
「長曽祢虎徹、だったかい? 浦島の呼びたがってた新撰組の刀ってのは」
「……そうだね。それで行こう」
納得した様子で、小夜が頷く。そう。優先順位は必ずしも一致しない。
と、彼女の刀剣男士達もまた同じこと。眠る審神者を見下ろして、次郎太刀はうっそりと微笑んだ。
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審神者業界の闇が沼い。底無しかな?
◎おまけ小ネタ&追悼リスト
>(雛鴉)
大百足戦の時に丸腰&警護無しで戦場をうろついてた件についてはドサマギで説教を免れきったし今後とも絶対言わないでおこうと思っている。とりあえず二度とやりたくない。
>薬研さん
帰り際、一番近くにいた次郎さんに連れてけやオラァ! とダイレクトアタックをかました。
ちなみに薬研さんが警告してなかったら、ぶっちゃけごと大百足にモグムシャァされてた。ナイスガード。
>次郎さん
メイン裏方。薬研さんのダイレクトアタックでちょっと生存削れたしだいぶ本気でこいつブチ折ったろかと思った。
>どこかの本丸の今剣
とある元ブラック本丸のチュートリアル短刀。
自本丸のダメっ子共を残していく点についてだけは遺憾の意。
>加州さん
悩めるお年頃系男士。更正に向かって一歩前進。
実はラスト手前まで折る気でいた。生き残れたのは主に運と流れと今剣パイセンのおかげ。
>ラスボス系燭台切みったや
格好良い伊達男はラスボスも格好良く務まるけど務めさせてはいけなかった。
だいたい顕現した審神者のせい。飛び抜けて自主性のある個体がラスボス堕ちキメた結果として元ブラック本丸としては二時創作史上最多の被害記録を叩き出した(ぐれぇ調べ)。有能な奴を怒らせた結果がこれだよ!!!!!
こんなんなっても人間は大好き。ただし審神者、テメーは駄目だ。“刀”としての正式登録おめでとうございます。
>モンペ兄ちゃん一期一振
モンスターペアレンツ兄貴(物理)。
納得のSAN値0。弟の為ならえんやこら。だいたい顕現した審神者のせい。
弟の為なら気に入らない審神者を飼う事も辞さないよ! ところで彼等が訪ねていった元ブラック本丸には、審神者憎しで弟の手入れすら拒否する一期一振が何振りかいたそうですよ。まったくもって信じ難い話ですな。お察し。
>弟達
粟田口全員集合大百足ちゃん。うぞうぞ。
彼等の集合体があの形になったのは地中を走る鉄や金の鉱脈が、百足に例えられる事から。“弟達”といいながら実は鳴狐おいちゃんもいたりするよ! 仲間外れはよくないからね!! こんなんなっても人間は好き。すき(意味深)。
>蜻蛉切さん
最後までよく頑張ったで賞。かつての恩義に報いた。
>司馬さん
わりといいとこ出の、悩めるお年頃系審神者。少年よ大志を抱け。
生かすか殺すかでだいぶ悩んだ。安否についてコメント貰わなかったらちょっと手が滑ってた可能性は否めない。今後はもっと苦労する模様。
>総大将
ドン☆マイ
>審神者連合軍の皆様
心身にえげつねぇトラウマを刻まれ何人かが棺桶入りし、一部の男士はぺきぽきスナック感覚で叩き折られたりした。かわいそう。