状況は最悪だった。
の使った策。それは、馬防柵を用いて大百足の動きを封じる、というもの。
正規の演練場ではなくとも、戦の場には変わりない。そもそも馬防柵は自陣の守りを厚くする為の補助機能だ。敵に迫られた際、少しでも撤退する時間を稼ぐ為の選択肢の一つ。本陣で指揮を取った経験があり、管狐ときちんとコミュニケーションが取れている審神者ならば大抵は聞き及んでいる機能でもある。
間に合わせの戦場である為、馬防柵を出すのに外部からの干渉を必要とはしたが、結果としてその試みは上手くいった。
そう、上手くいったのだ。
地中から出現した馬防柵は、直線に誘導された大百足を拘束するのみならず、その腹へと突き刺さった。
貫き通すには強度が足りなかったものの、元より一発勝負の試みだ、刺さっただけでも上等である。折れた木片が傷口を押し広げ、出血を強いてくれたのは狩る側にとって僥倖ですらあった。
おそらくは大百足によるものだろう暗雲の為、外部からの座標固定が困難であったゆえに御手杵と蜻蛉切のいた尾側がほぼ無傷で残ってしまったが、それでも、頭部に大きなダメージを残すことはできたし、大幅に削る事に成功したのだ。後は地道に、動かなくなるまで削っていくだけ。そう見えたのだ。
馬脚を止め、禍々しさを増しつつある大百足を見上げながら、ミケが感嘆と呆れの入り交じった感想を述べる。
「すっごいねーアレ。第二形態あったんだぁ」
「らしいですね。……失敗でした。まさか一期一振の方が頭とは」
合流した加州の主。が、苦り切った調子でぼやいた。
百足は、前後の判別が難しい生き物である。
尾側にある曳航肢。最終節にあるこの歩行に使用されない尾脚は、触角のように動かして敵を惑わし、頭部を守る役目を担っている。多くの生物にとってそうであるように、百足にとっても頭は急所だ。尾側を頭であると偽るのは、生存戦略上、確かに理にかなってはいる。今まさに敵対している身としては、正直たまったものではないが。
「みなが、のまれて……!」
今剣が息を呑む。揃って見上げる視線の先では、大百足が急速にその質量を増していた。
黒く濁った血と膿が、手近な刀剣男士達を馬防柵の破片ごと津波のように呑み込んで、己の一部に変えていく。
風に乗って臭ってくるのは、強烈な腐臭だ。大百足の足下から地面が爛れ腐っていく様が、加州達の距離からでも見て取れる。馬が健在であった者達はどうにか逃れる事ができているようだが、この状況下ではいつまで無事でいられる事か。
「これは……ここの結界が持たないかも知れないね」
暗さを増した空に眉をひそめ、ミケの石切丸が重々しい口調で唸る。
――ォオオオオン!
肥大を続ける大百足が、天に吼える。
視界のあちこちで、ごぼ、と勢いよく噴出した影が瞬く間に人の姿を形作った。
背の低い、刀らしきものを構えたヒトガタ。それは、ことごとくが粟田口の刀剣男士を連想させるものだ。
笑い声が響く。嬲る意図を隠しもしない、うすら寒い笑い声がヒトガタの群れから流れ出る。
「円陣ー。露払いよっろしくう」
警戒も露わに抜刀する男士達へ、軽い口調でミケが命じた。
げらげらげらげら。ヒトガタが笑う。血と膿で出来たナニカが笑う。化け物が笑う。
斬れるだろうか。加州の頭を、嫌な想像が過ぎる。山姥切国広の言ではないが、加州もまた、化物退治は専門外だ。そもそもこのヒトガタは、刀で斬って本当にどうにかできるものなのだろうか?
「加州さんは此処に。守りを抜けてくるようなら対処して下さい」
「っりょーかい!」
の言葉に、加州はその考えを強引に追い払う。
今、この場にいる彼女の刀は自分一人。迷っている暇などあるはずもない。
「ミケさん、弓兵下さい。おつかい品」
「はいはぁーい。でもソレ、どうすんの? 今更役に立つとも思えないけど」
「そうでもないですよ、推論さえ外れてなければ。
今剣さん。しばらく王庭を任せたいんですが、頼まれてくれますか?」
「はい! おまかせください!」
会話を横で聞きながら、加州は心の中だけで胸を撫で下ろす。
今剣にはもう、戦うだけの力は残っていない。主無しに、霊力の枯渇した身体で無理をしていたからだろう。
良くて一戦、戦い抜けるかどうか。どちらにせよ、戦えば、今剣は確実に折れる。
それを知っていて、加州は今剣を連れてきた。
置いてくるべきだと分かっていた。
それでも。今剣の覚悟を否定する事が、加州清光にはどうしてもできなかったのだ。
影が動く。
ヒトガタが動く。
審神者二人を守るように、円陣を組んだ白刃隊と斬り結ぶ。
型を模した短刀同様、その動きは素早い。――が。
「足元がお留守だぜ!」
「そこや」
「これでも実戦向きでね!」
鍛え抜かれた短刀の鋭さをよく知る身にとって、それらはあっけないほどに脆かった。
顕現したてにも等しい脆さで、斬られたヒトガタがぱちゅん、と弾けて。
「おいおい、マジかよ」
「これは……なかなかに骨が折れそうだな」
――くすくすくす。
――げらげらげら。
斬られ、地面に広がった黒い液体から、何本もの手が生えてくる。
ずる、ずるり。ばしゃん。彼等の視線の先で、新たなヒトガタが生まれ出る。
――きゃはははは。笑い声が響く。ヒトガタが嘲笑う。赤黒い刃が、ぬらりと輝いた。
(……守り切れる、かな)
追い払ったはずの不安が、ふたたび頭をもたげる。
ちらり、と横目に主達を確認して、加州は思わず苦笑した。
おかしなものだ。守られる立場であるはずの審神者達の方が、彼等刀剣男士より、よほど落ち着き払っている。
そんな加州の心など素知らぬ様子で、今剣に馬を預けたが、大百足に向き直った。
「……さて、皆様お立ち会い。これより騙るはかの英雄、俵藤太の化物退治――」
囁くように、謡うように。
の手の中で、刀装が小弓に変じる。
照準は大百足に。そうして、きりりと弦を引き絞って。
「――南無八幡大菩薩……!」
空気が震える。実体のない霊気の矢が、白い軌跡を描いて走る。
ばじゅん! と。いっそ軽快ですらある音を立てて、大百足の頭が半分、弾け飛ぶ。
続けざまに空気が震えた。放たれた二の矢が、もう半分を抉り取る。
「やった!?」
「……いえ、まだです!」
思わず声を上げた加州に、今剣が鋭く否を返す。
ぶびゅん。ぐじゃ、ぶくり。弾けた傷口から膨れ上がった赤黒い泡が、瞬く間に欠けた部分を形作った。
蛇のように鎌首をもたげた大百足の頭が、ぐりゅん、と加州達の方を向く。
「「「「「「さぁああぁぁあああにぃいいいいいいいいぃいいわああぁあああぁああああ!!!」」」」」」
憎悪に塗れた声で、大百足が絶叫する。
背筋の粟立つ不協和音。それは、一期一振の声によく似ていた。
大百足を鋭く睨み据えたまま、が舌打ちする。
「鳴弦じゃあ削り切れないか……!」
「んー。ひょっとしてアレ、一撃で吹っ飛ばさないと死なないんじゃね?」
「嫌な分析をありがとうミケさん! ああクソ、あと一手、補強材料が足りさえすれば……!」
「では、さにわ。ぼくが“や”になりましょう」
一瞬。今剣が、何を言ったのか理解できなかった。思わず、加州は今剣を振り返る。
そんな加州の反応など視界に入っていないようで、だけを見返して、今剣が続ける。
「もとよりわれらはひとならざるもの。かたちをかえることもできます。
うつわをつくりなおし、このみを“や”としたならば、きっとかちめもありましょう」
「……そーゆーもん?」
ミケの問いに、は答えなかった。
ひやりと冷たいその横顔は、感情を欠片も伺わせない。
加州にとっては見慣れた、戦場の采配者としての。命を代価に勝利を購う、ひとでなしの顔。
「放たれた矢は戻らない。――承知の上ですね?」
数秒の沈黙の後。温度の無い声で、主が問う。
今剣が、真剣な表情で口を開く。
(だめだ)
「ま、待って、待って主。それ、俺がやる。やらせて!」
二人の会話を遮って、加州は必死で懇願する。
だって。だって今剣は、“正しい”刀剣男士なのだ。
かつて、加州清光は間違えた。
前任と同じ審神者だからというだけの理由で、に酷い事をした。
人となりもよく知らなかった癖に。何の罪もなかったを、たくさん、たくさん傷つけた。
そんな加州を、主は許してくれた。愛してくれた。加州清光の分霊程度いくらだって手に入れられるのに、は他でもない“彼”を、いまだに使い続けてくれている。
そして加州は、責められないのをいいことに、自分の過ちに気付こうともしなかったのだ。
なんという無神経さだろう。なんという能天気さだろう。我ながら、吐き気のするような醜悪さだった。
今更だ。今更、どうすればこの愚かしさを償えるのか、加州には見当も付かない。
そう、分かっている。“自分”という加州清光は、主の愛に値しない。
けれど、今剣は違う。
似たような境遇にありながら、彼は間違えたりしなかった。
審神者の助けになるのだ、と。間違えてしまった仲間のぶんまで咎を背負って、その身を削ってここまで来た。
彼は、生きるべきだ。生き残るべきだ。間違えた自分ではなく、間違えなかった今剣が喪われるなんて。そんな、理不尽な道理がまかり通るべきではない。そんなことが、あっていいはずがないのだ。
「ねえ、主、お願い。俺にして。
おれがやる。おれがやるから、だから、――今剣を、殺さないで……!」
懇願は、ほとんど悲鳴に近かった。
ゆるく伏せられていた闇夜の瞳が、加州を見返す。
諦めたように、寂しそうに。主の顔で、が静謐に囁く。
「……ごめんね」
「加州」と。今剣が、穏やかな声で呼ぶ。
「ぼくは、できなかったけれど。
……きみは、どうか。さいごまで、あるじをささえてあげてくださいね」
幼い容姿には不釣り合いな、ひどく大人びた顔で今剣が笑う。
やるべき事を迷いなく見据えた、目が眩むほどに輝かしい、強い眼差し。
息が苦しい。何かを、言わなければいけない気がした。なんでもない事のように託された願いが、加州の胸を重く塞ぐ。目頭が熱い。喉が引き攣れる。言葉にすれば、何もかもが陳腐で、嘘くさくなりそうで。言葉の覚束ない幼子のように何度も何度も、加州は今剣に頷いてみせる。
それだけしか、加州は今剣に返せない。
加州清光は、この誇り高い刀に――そんなものしか、手向けられない。
「……ボスの刀から、あーゆーセリフ聞くとは思わなかったなー」
「いい子でしょう」
「うーん、オレそういうのわっかんなーい!
にしても待っててくれるなんて、あの大百足ってば意外と律儀?」
「消化不良で動けないだけですよ、あれ。……まったく。助けられるばかりで、不甲斐なくて嫌になる」
「ふふ。そんなもの、かたなとておなじことです。
さにわどの。いたらぬみに、すぎたほまれをあたえてくれること。あらためて、おれいをもうしあげます」
「お礼を言うのはこちらですよ。ありがとう、何処のとも知れない今剣。――……さようなら」
「さようなら、さにわどの。ごぶうんをいのっております」
風が舞う。
桜が舞う。
白い光が、桜と共に瞬き舞う。
今剣の姿が消え。差し出されたの手に、一本の矢が顕現する。
赤い鏃に口付けて。が、大百足に向かって弓をつがえた。
「南無八幡大菩薩。祓戸の大神等に奉る――」
大百足が、気違いのように吼え狂う。
審神者の非道を理由に、手を差し伸べてくれた審神者達まで、恨んでしまった愚か者。
ただ一人への不信を理由に、その他多くも同じようなものだと決めつけてかかった、救いがたい大馬鹿者。
間違い続けてきてしまって。誰にも救われなかった、刀剣男士。
「この一矢を以てかの禍事、罪穢」
多勢に無勢。鍛え抜かれた刀剣男士達の守りさえ、無限に増え続ける妖物は次から次へとすり抜ける。
こみ上げる衝動を押し殺し、歯を食い縛って加州は打刀を握り直した。ミケには目もくれず、主目指して突っ込んでくるヒトガタ達を、その手が及ぶ前に斬り捨てていく。
が謳う。周囲の戦いなど目もくれず、弓を引き絞って、高らかに鴉の雛は乞い願う。
「諸共に祓い清め給え……!」
矢が放たれる。
夜と見紛う闇を裂いて、白い矢羽根が軌跡を描く。
そうして今剣であった矢は、大百足の額を違わず射貫いて。
――ばき、ん
澄んだ音色が戦場に響く。
清らかで、物悲しい破壊音。刀の折れる音。
「「「「「「――■、■■aA■――……a――ァる、じ―――」」」」」」
ヒトガタ達が霧散する。大百足が崩れていく。
赤黒い膿と奇形の肉塊が、白い花びらになって乱れ散る。花嵐が、空に向かって吹き荒れる。取り込まれていた刀達が、次々解放されていく。
ひび割れ、今にも崩落しそうな青空を見上げ。加州清光は顕現して以来、初めて声を上げて泣いた。
■ ■ ■
生き残った者がいる。逝ってしまった者がいる。
刀装兵は言うに及ばず。雛鴉の白刃隊も、犠牲は出た。
薬研藤四郎は渋面の次郎太刀に拾われて戻ってきたが、蜻蛉切は、破片ひとつ戻らなかった。
「あいつは、最期まで勇敢だった」
刀剣破壊寸前の重傷で、それでも戻った御手杵が言う。
雛鴉は、静かに目を伏せて頷いた。
「……良い槍でした」
「ああ」
やるべき事は山ほどある。
大百足から解放された刀剣男士は、誰も彼もが刀に戻ってしまっていた。
人型を保っていたのはその場にいた審神者三人の刀と、辛くも最期まで生き残った刀剣男士が十数人程度。
顕現していない状態でどれが何処の男士だったのかなど、少なくともその場にいた審神者の中で、判別できる者は誰一人としていなかった。そして、刀のほとんどは無傷ではなく、錆び付いていたり、中には折れてしまっているもの多数含まれている。回収と整理だけでも、うんざりするほど時間がかかることは明白だった。
本陣もまた、脅威が去ったとはいえど、動けない多数の審神者を抱えた状態で動くこともままならない。
停戦勧告とその場の取り仕切りを比較的元気なミケ達に任せ、雛鴉と炎は自隊を率いて、いったん本陣へと帰還する事になった。
「お戻りになりましたか、総大将殿。ご無事で何より」
「連理さん達も、つつがなく事が運んだようで何よりです。……ところで連理さん、いい加減その呼び方止めません?」
「ふむ。では総大将殿も、火急の時に指揮を丸投げして先陣切るのは止めて頂きませんとな。
己が駆けるのではなく部下に割り振り動かすのが、指揮官として成すべき務めかと」
「あー……それはそうなんですが、やばい時に思い付く案って完全に博打なんですよね。
指揮は連理さんの方が手堅いですし、そういう時は大抵、細々説明してられる状況でもないし。
それに。部下を無為に死なせないのは、上に立つ者の義務でしょう?」
「率先規範を示す姿勢は総大将殿の美点ではありましょうが、些か軽々に過ぎる。自重なされよ」
「つっても連理の旦那よお、ボスのそういうとこに惚れ込んでんだろ?」
腕組みして重々しく雛鴉を嗜める連理に、横から一虎がにやにや笑いで茶々を入れる。
苦虫を噛み潰したような顔になって、「やかましい、貴様も似たようなものだろうが」と連理は乱雑に一虎を押し返した。烈水が呆れたような雰囲気で、鼻を鳴らして釘をさす。
「部下に死ねと命じるのも、上に立つ者の義務だ。安易な逃げは許されない」
「……分かってはいるんですが、ね」
「無駄死にさせなければ、指揮官としては上等でしょう。
呑み込まれよ。我々は守られるのではなく戦う為に、貴方と共に在るのです」
「…………はい」
小言がその程度で済んだ事だけは、雛鴉にとって幸運だったと言えるだろう。
大百足が最後に使役したヒトガタ達。その手は、この本陣にまで及んでいた。連隊の大半がこちらに駐留していた為、なんとか守り切れはしたものの、それでも恐慌状態の審神者と心が折れてしまった刀剣男士を複数抱えての戦いだ。程度の差はあれど、審神者にも負傷者は多い。秩序立って行動できるのが第三十八連隊しか残らなかった事もあり、雛鴉を筆頭として、彼等は治療や休息もそこそこに忙殺される羽目になった。
「何故こうなるのか」
総大将以下上役が全員行動不能に陥った結果、お鉢の回ってきてしまった両陣営の撤退作業及び後始末を取り仕切りながら、雛鴉は死んだ目でぼやく。
外部との連絡と秘書役、記録担当とを一手に担う彼女のこんのすけが、「加州清光様の件ですが」と切り出した。
「名目はどうあれ、殿の刀剣男士を独断で動かした事は事実です。責めは如何様にも」
「……あれ、こんさんだけの判断なんです?」
「誓って」
「なら、いいです。結果として助けられたのは事実ですし」
どういう経緯で、本丸にいたはずの加州が来たのか。その報告は、既に雛鴉も聞いている。
今剣に当初期待された働きは、交渉カードの一つとしてのものである。そして交渉というものは、格や面子がかなり大きな比重を占める。だからこそ演錬から除外された、唯織の刀剣男士では駄目だった。仲間内、辿れる限りの伝手の中では一番格が高かった、雛鴉の刀剣男士である必要があった。彼に、発言権を持たせる為に。
「一ヶ月おあげ抜き。それで今回は、不問にします」
「……はい。申し訳ございませんでした、殿」
頭を下げるこんのすけから視線を外し、雛鴉は大百足のいた方角を見詰める。
「面倒がってもいられない、か」
ため息混じりに呟いて、彼女は感傷を追い払う。
誰もが選んだ。誰もがこの戦端が開かれるのを、止められなかった。これが、その結果だ。
肯定的だったか否定的だったか、積極的だったか消極的だったかの違いなんて、そんな事は今更、何の意味も持ちはしない。それがどれほど重荷に感じられようと、投げ出す事ができない以上は背負っていくより他ないのだ。
それが、刀剣男士の反逆を叩き潰した者として。
勝者としての、審神者の責務なのだから。
■ ■ ■
高コストの割に何の成果も上がらなかったプロジェクトというのは、誰からも評判が悪いものだ。
何も得られなかった、という訳ではない。しかし相模における不在本丸対策は、コストに見合う成果が上がったなどとは口が裂けても言えない顛末だった。
改めて突きつけられた、刀剣男士という“道具”の秘めたる危険性。
PTSDで、もはや戦力としては使い物にならなくなった何百人ものエリート審神者達。
彼等は期待されていた。だからこそ予算も権限も、潤沢に与えられたのである。それが最終的に事態を何とかしてみせたのは、申し訳程度の添え物扱いで演練に召集されていた厄介者のネームドに、彼女に率いられた一般出の審神者達。
彼女達の存在が無ければ、確実にこのプロジェクトは大失敗で終わっていただろう。否。それどころの話ではなく、相模全域に多大な災厄と被害を撒き散らしていた事は予想に難くなかった。
ただでさえ対遡行軍情勢、戦局が悪いというのに内部粛正でこのていたらく。
プロジェクトに参加した審神者数は相模国全体から見れば約2%に過ぎないとはいえ、その2%は“これまで問題なく戦果を上げてきた”“練度上限の刀を多く抱える本丸”の“選りすぐられたエリート”だったのだ。
真面目に戦っている本丸ばかりではない。ブラック本丸、元ブラック本丸問題の他にも、審神者業を手抜きし倒して遊び呆ける連中だっているし、刀剣男士を可愛がるあまり出陣をほとんどしない、過剰なホワイト本丸もある。審神者の精神状態、体質、霊力等の問題で日課をきちんとこなせない本丸だってある。問題なく稼働している本丸ばかりでは無いのだ。これまで使い潰されてきた、ぺーぺーの新人審神者とは訳が違う。
責任問題、トカゲの尻尾切りで切り抜けられるレベルの話ではない。時の政府で吹き荒れる粛正の大嵐、それに伴う大規模な人員入れ替えで大幅に人口密度の減った室内を上機嫌に眺めやり、ひょろりと長い初老の男性。葦名は、「ふくく」と独特の、籠もったような声で笑う。
「いやいや、こうして君達にお招き頂けるとは嬉しい限りだ。
やはり苦難の時こそ、派閥の違いを乗り越えて協力し合えなければならないからねぇ」
「ふん。全ては護国の為、ひいては今上陛下の御為だ。そうでなければ、誰が貴様等軍部のハイエナ共など使うものか」
「くふふふっ。君達術者出の忠心にはまったくもって恐れ入るよ、榊原議員?」
不機嫌極まりない形相で、榊原と呼ばれた髭面の男は葉巻を折り捨てた。
剣呑な空気を漂わせる二人に、もっとも年嵩の老婆がうんざりした顔を隠しもせずに溜息をつく。
遡行軍との、歴史を守る為の戦い。
これまでその中核を担ってきたのは、防衛省ではなく内務省だった。
人間同士の戦ならばともかく、事は人ならざるモノ達との戦いだ。主戦力が人ならざる“刀剣男士”、そしてシステム”刀剣”の黎明期を支えた審神者資質持ちが内務省神社局の管轄であった経緯。更には戦端が開かれた当初の失態もあって、防衛省は蚊帳の外に置かれてきた。
新旧ルールの混在する最新の戦場に、現代の戦争ルールで頭の凝り固まった人材は不要どころか有害ですらある。実態と是非はどうあれ、それが黎明期において、時の政府の公式見解だった。
これまでの積み重ねがある。隔意は簡単に捨てられるものではないのだ、仲が良いはずも無かった。
「じゃれ合うなら外でしやれ。ただでさえ頭が痛いというに、これ以上婆を煩わせるでないわ」
「飯綱の御前もこう仰っていますし、議題に入らせて頂きます。相模不在本丸の後始末ですが、人選はどのように致しましょうか。こちらは急務となりますが、あれだけの出来事の後です。慎重を期すべきかと」
「あらあらあらあら。わざわざあの男の後任を議論する意味なんてあるのかしら。
雛鳥ちゃんが適任なのは分かりきった事ではなくって?」
飯綱の御前と呼ばれた老婆の背後に控えていた美女が、その発言を鼻で笑う。
あの男。そう呼ばれたのは、言わずがなも大規模演練において総大将を務めた審神者の事である。
成果を上げられなかったどころか、相模国全体を危険に晒したのだ。本人がどれだけ汚名返上の機会を熱望していようとも、このまま続投、という選択肢だけはあり得ない。彼には、分かりやすい形で責任を取ってもらわねばならないのだ――今回の件で心身に傷を負った多くの審神者達に対しての、時の政府からの誠意の証として。
「後任候補は……ああ、成程。黎明期からの審神者で、浄化・浄霊に長けたメンバーを選出した訳ですか。率いる男士の練度も高い。彼等なら手堅くはありますね」
緊張感に欠ける垂れ目の男が、資料に目を通しながら頷く。
新しく出した葉巻をくゆらせながら、榊原が「馬鹿を言え」と吐き捨てた。
「あれ等なら確かに手堅いだろう。しかし、あの連中は怪奇事案で既に手一杯なのが実情だぞ? ただでさえ新たな防衛陣地の掃除が追いついておらんのに、この上仕事を増やしてみろ。また何人か呪殺されかねんわ」
「ネームドの名もいくつか上がっておるな。……ふぅむ。こやつ等なら務まりはするであろうが、雛鴉めとの接触が避けられぬか。あまり関わらせたくはないの。何を起こすか予測がつかぬ」
現在稼働している防衛陣地は十一。
全ての本丸が埋まっている訳ではないが、それでもおよそ百万人が審神者の任に就いている。
しかし。審神者は数多あれど、真に将器を備える審神者は少ない。
刀剣男士を顕現するのが審神者だ。男士に戦場での采を任せるのも適材適所、己の領分を弁えた行為と呼べるだろう。事実、戦場であるなら男士は有用だ。が、そこが限界である。形勢を読み、情勢を読み。不利を知りつつも兵を動かし人を殺す。男士は、勇猛な戦士であるがゆえに真の意味で将とはなり得ない。
博多藤四郎などは来歴ゆえに商いの采をも担えるが、元が物であったがゆえにこそ、彼らの視座には限界がある。それらを統括する審神者こそが将兵と成らねば、歴史を守る防人としては不十分。
差し手に至らない審神者は、使われる側にしかなれないのだ。
教育の行き届かぬ現状、将として使えるのは前職絡みで仕込みをされている者か、さもなくば天性の資質を備えた審神者のみ。それでも、道行きは修羅に相違ない。広大に過ぎる歴史の筋道。それを那由多と蠢く遡行軍から余さず守り通さねばならないのだから。
人はいくらいても良い。それが将たり得る審神者なら尚更に、だ。
ネームドは取り扱い危険物であるが、将たり得る存在でもある。方向性、得意分野に差異こそあれど彼等は大きく人を動かし、流れを作る。何より、彼等は大切な“卵”だ。現状二十人にも満たないネームド達だからこそ、その接触は可能な限り、政府の監視下、コントロールできる範囲内で行われる事が望ましい。
特に雛鴉は、ネームドの中でも突出して武に才幹を示している。管理が慎重であるに超したことは無いのだ。
「雛鴉。……“孵化”はとうに終えている、と見て良いものでしょうかね」
「さぁな。我等只人には、その判別は到底叶わん。斎王様ならお分かりにもなるだろうが」
垂れ目の男がぽつりと呟き、榊原が紫煙を吐き出す。
ぷっくりと蠱惑的な唇を舐めて、「それじゃ、雛鳥ちゃんで決まりね」と女が婀娜っぽく笑う。
「……かずら様が雛鴉贔屓であるとは存じ上げませんでした」
「あたくし達、こんちゃんを通じて個人的にやりとりする仲なの」
ソファの背に肘を預けて、かずらと呼ばれた女は意味ありげに葦名へ視線を投げかけた。
葦名はにこやかなものだ。しかし笑っているのは口元だけで、その目は微塵も笑っていない。飯綱の御前が、しわくちゃの顔を更に歪ませて「かずら、婆を煩わせるなと言ったであろう」と叱り付けた。
「あらあらあらあら、ごめんなさいねぇ? お祖母様」
「祖母と呼ぶでないわ不良娘。まったく。他に優秀な飯綱使いさえおれば、ぬしに任せずとも済むものを」
「ふん。下賤極まりない憑き物筋など、そうそう増えてもらっては困る」
「ほほほほほ。由緒正しい陰陽師一族の落ちこぼれ風情が、よくも吠えるものだこと」
ただでさえ寒々しい室内の温度が更に下がる。
不運にも同席しなければならない秘書達の顔色は、お世辞にも良いとは呼べなかった。そのうち一人が、脅えながらも「次の議題ですが」と躊躇いがちに切り出す。
「保留となっているランキング制の導入については如何致しましょう。
審神者のモチベーション向上、並びに競争導入による討伐数増加が期待できると見込まれておりますが」
「ああ、あれですか。……やめておいた方がいいでしょうね」
「そうだな。導入するとしても、当面は後回しにすべきだろう」
政府内部には、遡行軍のネズミが相当数紛れ込んでいる。
見える範囲だけではあるが、それらを風通しを良くするついでに叩き潰したばかりなのだ。それでもネズミ駆除が完全に終わったとは言い難く、壁に穴が多いことは否めない。できた空席を、早々に裏の取れた人材で埋めておかなければならないのである。そんな現状でのランキング制度導入は、遡行軍に「この本丸が狙い目ですよ」と教えるに等しい行為だ。
それに他にも、幼い審神者向けのバックアップ体制作りに不在本丸対応のマニュアル構築、同時並行で現在進行形でのブラック本丸対策は外せない。審神者関連法案の成立も急がれる。やるべき課題は山積みなのだ。ランキング制度の優先順位は、それこそ下から数えた方が早い。
榊原の言う通り、導入するには時期尚早に過ぎた。
「かしこまりました。では、次の議題に関してですが――……」
それぞれに立場は違えども、歴史を守るという目的だけは一致している。
だから彼等は協力し合う。味方の足を引くだけの無能など、時の政府には必要ないのだ。目先の利益しか見えていない愚か者もまた然り。
審神者達のはるか頭上。政府内部での戦いもまた、静かに激しさを増していた。
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