ドリーム小説
「よくやった、蛍」
「ん、とーぜん」
己の主人からの労いに、蛍丸が屈託なく笑い返す。
釣られるようにして口元を緩め、けれど連理はすぐに表情を引き締め直す。
よほど衝撃的だったのか。呆然と。あるいは悄然と、途方に暮れたような不在本丸男士達の様子に鼻を鳴らして、連理は小型無線機越しに指示を飛ばした。
「総員傾聴! 交渉は決裂だ。手負いとて侮るな。各員、用心して敵の武装解除にあたれ!
結良。お主もいつまで惚けておる気だ。まだ終わりではないぞ」
「……ああ、うん。分かってはいるんだけどね……」
腰を抜かした姿勢のまま、結良が血溜まりの破片から視線を外さずに頷く。
納刀した近侍の江雪左文字が、痛ましげに目を伏せた。そのまま読経でも始めそうな主従を余所に、連理は小型無線機を外してこんのすけを持ち上げる。
「狐よ。勝敗は決したが、人は動かせるか? 大百足がここまで来たら守りきれん。できるなら早々に放り出したい」
本陣にいる審神者は、連隊メンバーを差し引いても千人を超えている。
中にはなんとか正気で踏みとどまっている者もいるとはいえ、大半は自部隊が距離の離れた前線に放置された状態。この本陣警備だった部隊も刀装兵は大半が討ち死に、刀剣男士も中傷重傷だらけな上に疲労が酷いときている。いくら彼等が連隊規模といえど、たかだか五千程度の人員で対処しきれないのは明白だった。
尻尾をぶらつかせながら、こんのすけは淡々とした声音で「難しいですね」と即答する。
「通常とは違って、この演練結界は開くのに内側からの手続きを要します。我々が入れたのも、こちらに様がいらっしゃった事に加え、相模演練場の職員方と鈴様の尽力あってようやくの事でしたから」
「ふん、やはり政府の命でというのは嘘か」
「ご明察です。連隊の方針は存じ上げておりましたので。
今剣様を保護した唯織殿方のご判断です。……しかし、ここまで状況が悪いとは予想外でした」
「我々とて不本意だがな。何か手札は有るか?」
「私ではどうにも。確実にご存じだろう総大将殿にご確認頂くしかありませんね」
こんのすけの言葉に、連理は苦虫を数十匹は噛み潰したような顔をした。
話題の総大将殿はといえば、泣きすぎからくる過呼吸を起こした、と連隊の審神者から報告が上がっているような状態だ。問い質そうにも、まともに回答を得るのに時間がかかるのだけは明白だった。
盛大に舌打ちしながらも次善策に頭を巡らす連理に、「あの!」と加州が意を決したように話しかける。
「あの、馬借してもらえない、かな。主の手助けに行きたいんだ……!」
連理は片眉を跳ね上げた。
今剣がはっとした様子で「ぼくもいきます!」と、勢いよく手を挙げて主張する。
ぎょっと目を見開いて振り返った加州を、今剣が真剣な目で見返した。
いつから話を聞いていたのか。馬を牽いてきたミケが、二人の間にはいはい! と手を挙げながら割り込む。
「おつかい頼まれたし、ボスのとこいくならオレもいくー!」
「ミケ、仕事は終わったのか」
「もっちろん、ちゃーんとこなしたよー! うちの大隊メンバー中傷多いし、烈水に引き継いできたけどいいよね? 早くしないとボスがあのでっかいの倒しちゃう!」
「待ってうちの主なんだと思ってんの!?」
「ボスと同じこと言うんだねー。そのボケ本丸で流行ってる?」
「えっ主と……一緒……?」
緊張感に欠ける会話に、連理は無言でこんのすけを下ろして小型無線機を付け直す。
ようやく意識を切り替えられたらしい結良が、哀惜と脱力感が半分ずつといった顔でへらりと笑った。
「……本当、ミケさんは元気ですねえ……」
「あれは真性だからな。……救えん奴だ」
そうして二人は、今なお戦いの続く戦場を振り仰ぐ。
この距離からでも視認できる、大百足の禍々しい巨躯。連隊全員に会話が筒抜けである手前、口が裂けても言えはしないが、彼等とて疑念や不安と無縁な訳ではない。本当に勝てるのか。あの怪物を、倒す事ができるのか。
けれどあの大百足と対峙しているも炎も、まだ逃げ出してはいないのだ。
だから、彼等は信じて待つ。自分達が、成すべき仕事を成しながら。
■ ■ ■
トライ&エラーで攻略方法を探っていくのは嫌いじゃない。
ただしそれは、あくまでゲームに限っての話だ。現実である以上は手堅く余裕を持って物事に取り組みたいのが切実な本音なんだけど、時間稼ぎ必須な上に持ち場放棄イコール大損害不可避となれば、諸々呑み込んで踏ん張るしかない。
『あ゛ーっ! あ゛ーっ!! 無理無理無理無理死ぬ死ぬしーぬー!!!』
大百足と対峙して、もうどれほど経っただろうか。
とりあえず叫び通しな炎さんの喉がまだ無事だから、体感ほどは時間経ってないとは思うけど。疾走する馬上であれだけ叫び続けて舌を噛む様子が無いというのも不思議な話だ。
そんな素朴な疑問はさておき。観察に徹した甲斐あって、大百足の行動パターンは大体掴めてきた。
大百足の優先順位も動きも、思った以上に単純明快だ。
ぶっちぎりトップは粟田口の刀。次点で近場にいる審神者。
他の刀剣男士や刀装兵については、ほぼ確定で眼中にもない。
……うん。なんかよく分かんないけど、自主的に加勢してくれた親切な刀剣男士の皆さんがいてね? そうね粟田口も含まれますね。地獄絵図。早々に触角部分を斬り落とせていなかったら、被害はもっと大きかっただろう。まあ無茶通した代償でうちの獅子王さんと山伏さん一回ブチ折れましたが。あってよかったお守り【極】。
良かったといえば、大百足に即時再生能力が無かったのも有り難かった。
なにせこの大百足、肉々しい見た目の癖に速いし固いのだ。
無難なところで本体(?)の脚部を集中的に狙ってもらってはいるけど、動き回ってるから狙いが定まりにくいのに加え、ぼったぼった滴る膿で刃がめちゃくちゃ滑るらしい。
あと動きが速いから、とにかくチェーンソーみたいな感じで何でもぎょりぎょり抉ってゆきます。刀突っ込んだら普通に折れるしまあ斬り合い以前の問題ですね。だから止まってる時狙うしかないんだけど百足型だからやったらめったら脚は多いしそもそも中々止まってくれないっていう。
なんにせよ、無駄に手強い反面思考能力は極端に低い。
至近距離ちょこまか逃げ回って囮になってるだけで連隊メンバーを逃がせたのは、それが理由と見て良さそうだ。
胴体部分が無駄に長いから回避ミスると巻き込み事故で死ぬけど。あと頭突っ込んでくるのも避けるタイミング読み違えると普通に死ぬ。たぶんそれを補うのが一期一振の役割だったんだろうけど、さすがに槍二人相手しながら大百足に指示出すのは難しいらしい。余裕無いはずなのにビシバシ殺気飛ばしてきてるけどさ。
すげーやこちとらずーっと走り回ってんのに一期一振らしき視線、全然外れないでやんの。
ていうか二人掛りで未だに仕留められてないの、ほんとどういう事だよおい。
『姐さん姐さんあーねーさぁあああああん! おれの命がガチでクライマックスっていうか常にクライマックスなんだけどさ! これほんっっとーに! 倒せるもんなのかなああああああ?!?!』
「倒せますよ、たぶん。地道に削る以外の有効打が見つかってないのが難ですけど」
『消耗戦前提とか逃げた方が早いよな!?!』
「残念ながら炎さん、退却にも時間稼ぎは必須です」
『神はいないー!!!!!!』
取り込んだ男士分は回復してるかもだけど、こちらも人数だけはむやみやたらに多いのだ。
固いと言っても完全に歯が立たない訳でも無し、倒せるし殺せるのは間違い無い。だが。このまま削り殺すにしても、編成や疲労度、おおまかな損耗数を鑑みれば最良から程遠い選択なのもまた事実。
『姐さん他にも作戦あったりしない!? さっき言ってたやつ以外!! さっきこんすけと話してたやつ以外で!!! お手軽安全簡単なの!!!!!!!』
「あったら良かったですよね。……一応、他の手も考えてはいますけど」
『ああああひょっとしてさっき弓兵刀装頼んでたのってそれ絡みー!?!』
「あれは確証無いからオマケ程度です。
最善策は一度撤退して、大百足専用に準備整え直してのリトライなんですが」
『が!?!?!?』
撤退ちゃんとできるかなぁ、というのが正直なところだ。前線本隊と本陣の分断状態だけでも厄介なのに、ゲートの開き方知ってる総大将が会話できなくなってるらしいし。
「ま、出来る限りやるっきゃないでしょう。上手く行ったら先帰らせてあげますから、それまでは付き合って下さいな」
『姐さんそれフラグぅううううう!!!!!』
炎さんの泣き言を右から左にスルーさせ、顔を袖で拭いがてら髪を掻き上げる。
攻撃は避けられても、滴る膿は避けようもない。酸や毒が滴ってくるよりはマシだが、悪臭がする蛆の沸いた膿はどうしようもなく集中力と心を削ぐ。潰れる蛆の感触が、酷く不快だった。
『殿、こんのすけです。
先程の件ですが鈴様曰く、その一帯のみ観測困難となっているそうで』
「あー……仕方ないか、位置の調整はこっちで何とかします。アレ出すのに掛かる時間は?」
『十分あれば、と』
「分かった。合図出したらカウントお願い。
それじゃあ炎さん、手筈通りにお願いします。囮は私が。タイミングはお任せします」
『ひぃいいん了解でっすゲロ吐きそぉおおおお!!!』
大百足の尾の先端は、常に一期一振の影と接している。一期一振が御手杵さんと蜻蛉切さんにかかりきりな現状、片側の位置は固定されているようなものだ。頭は……西北に誘導すれば直線にできるな。
これであの大百足を仕留められれば理想的。ノーダメージの完全無駄骨、も覚悟はしとくか。
「次郎さん、部隊外にも伝達を。大百足から距離取らせて下さい。仕掛けます」
声を飛ばせば、次郎さんから即座に諾と返る。
自部隊以外にも、同じように声を飛ばせればいいのだが――何処の本丸所属なのかも分からない部隊がこれだけ入り乱れていると、どうにも伝令一つで時間を喰うのが手痛いロスだ。
「「「「「■■■■ァ■■■■■aaあA■■■ィ■■■■■■!!!!」」」」」
馬が駆ける。王庭が疾駆する。
至近距離。手を伸ばせば届くところで、大百足の巨体がのたうつ。
だというのに王庭は恐慌に陥る事もなく忠実に、未熟な乗り手であるはずの、私の指示に従って駆けてくれている。本来、馬は臆病な生き物だと聞く。あの叫喚に脅えて逃げ出したって可笑しくはない。
彼等軍馬さえも、刀剣男士と同じく。嫌になるくらい勇敢で、優秀だった。
ばきばき、ぼきぼき。ぐじゃり。ぶぢゅん。
大百足は止まらない。刀装が砕ける。馬が潰れる。刀が折れる。
取り零した命が消える。貪欲に、無尽蔵に。命を消費する音が響く。立ち止まれば自分も死ぬ。手を差し伸べる余裕は無い。だから、前と敵だけを見る。目の前の事だけに集中する。感情ごと、雑念から目を逸らす。
『――ぉしッ! こんすけ頼む!』
『お任せを』
直線で駆けてはいけない、捕まってしまうから。
蛇行して駆けるだけでもいけない、追いつかれてしまうから。
適度にフェイントを交え、囮になれる程度の距離を保ち、突っ込んでくる頭を避け、そうして鼻先をうろついて挑発し、また逃げる。複数人で代わる代わる囮を勤めていた先程までと違って、今は一人での囮だ。作戦伝達の都合上仕方ない事とはいえ、愉快なはずもない。
心臓がうるさい。脳裏で鳴りっぱなしの警告音と背後から響く焦れたような絶叫に、頭がどうにかなりそうだった。
背後を振り返って動きを見ているような間は無い。圧迫感、突き刺さる悪意、音の大きさ、直感、ここまで観察しての動き方予想、王庭の本能、その他諸々全ての要素を拾い集めて、ただ西北を指針に駆ける。
『あと九分!』
食い縛った口の中が気持ち悪くてたまらない。
滲んだ涙が風圧で乾く。視界が霞む。だらだら流れ落ちる汗を、拭っている暇なんてない。膿とその他諸々で頭から爪先までぐっちゃぐちゃ、ついでに蛆のオプション付き。はたから見ればきっと、これ以上なく無様な姿だ。
失敗したら、確実に人型すら留めない死に様なのはある意味救いか。
『あと八分!』
まだ終わらない。まだ遠い。
一秒一秒が、まるで永遠に続いていくような錯覚。
真後ろに迫る音がする。背後から呼ぶ声がする。無数の誰かが呼んでいる。
不協和音の叫びは幾多と重なる刀剣男士、そのなれの果てが招く声だ。
おいでおいでおいでおいで遊ぼうおいでおいでおいでおいでおいで遊んでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいで振り返っておいでおいでおいでおいでおいで来ておいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいで一緒においでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいで構っておいでこっちへおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいで――
――あるじ、
――右だ。
従ったのは、反射の域での判断だった。
地面が抉れ飛ぶ。服の端が裂ける。先程まで走っていた場所を、巨大な頭が掠めて通る。
『あと六分!』
叫んでいる。呼んでいる。招いている。
欲しい欲しい与えておくれと縋ってくる声の渦へと耳を澄ませる。神経を研ぎ澄ます。
語りかけてくる音の中から、馴染みのあるそれを峻別する。
慣れたものだ――お互いに。
ほとんど思念に等しい、感情の入り混ざった声。
普通の、顕現された刀剣男士であれば使い慣れようもない意志の伝え方。何度となく警告を与え、警戒を促し、自身の振るい方を教授してくれた声。影ながら、私を助けてくれた声。この一年。ずっと、共にあった存在。
聞き間違えるはずがない。
聞き間違えようもない。
私の懐刀。
私の、薬研藤四郎。
『あと――』
こんさんの声が遠のく。
薬研さんの声がクリアになる。
今度は、失敗しない。
真っ直ぐに、前だけを見据えて手綱を繰る。
王庭が加速する。耳を傾けるのは、薬研さんの言葉だけでいい。
おいでおいでとまとわる声は、不思議と、さっきまでより気にならなかった。
駆ける。
駆ける。
薬研さんの言葉に従って、ただひたすらに馬を駆る。
そうして、駆けて、駆けて、駆け続けて。
「「「「「「「あ゛、あ゛ァぁaAァあ゛ア゛ァぁaAaァaあ゛aaa――――!!!!!!」」」」」」」」
私の背後。
ひときわ大きな苦鳴が、轟いた。
■ ■ ■
異常だ。
一期一振を相手取り続け、彼等が抱いた感想はその一言に尽きる。
能力値だけでいえば、通常の個体とさしたる違いは無い。練度上限というだけなら、同じ分霊と交えた事など何度もある。違ってくるのは往々にして、積み上げた経験・思考の差異からくる戦闘の癖。咄嗟の判断、事の運び方。そういった部分だ。その程度なら、異常と称する程でもない。
「何故だ薬研、どうして分かってくれないんだ。ああお前達もそう思うかい? だがしかし、最近審神者は交換したばかりじゃないか。どれも一緒だろう。なにもあの女でなくとも良いだろう。あんな忌わしい女でなくとも、そうだあの薄汚い泥棒猫、審神者風情がいったいお前にどのような甘言を弄して、そうだなその通りだ、待ちなさい骨喰いまは薬研と話を、食べてしまうのは、そう、その女は挽き潰し、こら待ちなさいそれはいけないと言ったろう、四肢をもぐのは良い案だが、ああでも今の主は使え、だからその審神者を許してはいけないと、その女、その阿婆擦れだけは――」
焦点の曖昧な目で、“何か”との会話を垂れ流す一期一振。
蜻蛉切と御手杵を眼中に入れていないのは、傍目にも明らかだ。そのはずなのに、そう見えるのに動きにも太刀筋にも、何一つとして影響してはいないのだからタチが悪い。視線を読めないぶん、戦い辛くさえある。
最初はこうではなかった。対峙し、何度も倒すたび、一期一振は目に見えて様子がおかしくなっていったのだ。
一期一振の異常性。
それは、その回復能力だった。
お守りによるものではない。あれは一度限りしか使えない。
本来ならば折れているべき手傷。演練結界による回復とも違う。そもそも本当に回復なのか、という疑問もある。
最初はまだ良かった。例え折った次の瞬間には無傷になっていようと、少なくとも傷を負いはしたのだ。御手杵と蜻蛉切は日頃から行動を共にする事が多い故に、連携も上手い。槍特有の間合いの広さ、二対一という数的有利も手伝って、優位に立つことができていた。
だが。今では傷すら負わない。
正確には、手応えはあるのに傷が残らないのだ。動きにも影響していない。刀装兵までは復活しない事だけは救いだが、残念ながら二人とも、絡繰りを見抜くには至っていない。なんにせよ、厄介には違いなかった。
このままではジリ貧だ。けれど――撤退という選択肢も、無い。
主の命は一期一振を倒す事。
そうでなくても、可能な限り足を止め続ける事。
例え命に替えてでも。彼等が任せられたのはそういう仕事だ。そういう任務だ。
蜻蛉切も、御手杵も。主からもらったお守りは、既に使い切っていた。
与えられた刀装兵はとうに全員が討ち果たされ、騎馬も失った。
このままでは負けるだろう。それでも彼等は戦い続ける。
部隊長である次郎太刀から命じられたから、というだけでなく。
主の。この場を任せる、と言ってくれたの信頼に、応える為に。
「ふッ――!」
一合、二合、三合。
詰められた太刀の間合い。そこから繰り出される連撃を、御手杵は柄の部分でいなし、流す。
一撃一撃が、まるで疲労を知らぬかの如き重さだった。受け損ねた刃が皮膚を裂いていく。ぱたた、と落ちた血が服を汚す。浅い傷も、積み重なれば命取りになる。加えられ続ける衝撃の強さに、御手杵が大きく態勢を崩した。
刃が閃く。一期一振の太刀が、がら空きになった脇腹目掛けて振り抜かれる。
「近寄らせはせん!」
だが、それを許す蜻蛉切では無い。
刺しても効果が無い事は分かり切っている。なにも刺すばかりが槍の戦い方ではない。
横合いから割り込んだ槍が、掬い上げるようにして太刀ごと腕を弾き上げる。御手杵が地面を転がって距離を取り直すのを横目に、蜻蛉切は槍を旋回させる。軌道を変えた切っ先が、一期一振の腹へと叩き付けられる。ぐじゃ、と槍の穂先が肉に埋まり、抉っていく確かな手応え。対して一期一振の表情は、寒気がするほど平静たるものだ。
それでも後方に跳んで威力を削ごうとする動きに合せ、力を加えて強引に槍を振り抜く。
御手杵が跳ね起きるのと、地面が大きく揺れたのはほぼ同時だった。
「「「「「「「あ゛、あ゛ァぁaAァあ゛ア゛ァぁaAaァaあ゛aaa――――!!!!!!」」」」」」」」
それまでとは明らかに種類の違う絶叫が、大気をびりびりと揺るがす。
鼓膜にこびりつく不協和音。蜻蛉切目指し、距離を詰めようと前傾姿勢を取った一期一振の動きが、不自然に止まる。過ぎる疑問。けれど晒された隙に、疲労で鈍った頭よりも身体が先に反応していた。
「! 待っ――」
「――触れれば切れるぞ!」
何かに気付いた様子で御手杵が静止しようとするも、遅い。
地面を蹴り、目にも止まらぬ速度で繰り出された槍が的確に一期一振の首を貫通する。
ばじゅん、
人型が融ける。一期一振の輪郭が崩れる。
ぞわ、と二人の背を強烈な悪寒が駆け抜ける。判断は刹那だった。
駆け寄ろうとしていた御手杵を、蜻蛉切が自身の槍を放り出して突き飛ばして。
一期一振のカタチを装っていた大百足の頭が。地面ごと、纏めて二人を薙ぎ払った。
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