どの時点で、戦を“終わったもの”とするか。

 遡行軍との戦だったなら答えは簡単だ。一定時間の交戦、あるいはどちらかの部隊の全滅。
 近代以降の軍であれば一般に、全軍の三割損耗で全滅判定だと言われている。これは役割分担が明確であり、なおかつ兵站組織まで部隊に含めているからだ。しかし、兵站組織を抱える必要の無い審神者の軍組織では事情が変わる。
 なにせ、審神者を除いた全員が戦闘員なのだ。損耗した兵数イコール部隊の損耗率。素人にとっても分かりやすい。そうして損耗具合を見ながら、審神者は部隊の進軍/撤退を決定するのだ。

 だが、それは損耗具合を把握できている場合に限った話だ。
 急ごしらえで用意された戦場であるがゆえに常の戦場、演錬場で“勝負あり”を判断/告知する機能はアップデートが間に合わず停止状態。自分達でその判断をしようにも、そもそもおよそ十九万という膨大な人数だ。統制が取れていたとしても、逐次把握しておくのは手間である。更には本陣への強襲だ。前線の被害状況以前の問題である。

 戦国の世の習いに従うなら、途中で有利な方――この場合は不在本丸別働隊が降伏、あるいは終了勧告を行い、審神者側もそれを受け入れた段階で終戦、というのが適当だろう。

 ともすれば無法に思える戦にも、ルールは存在しているものだ。
 戦争とは極論、暴力的な外交に過ぎない。時代が移り変わってどれだけ殺人の道具や技術に進歩があろうとも、それ自体が目的なのではなく、あくまでも“手段”に過ぎない、という点に変わりはないのである。
 そして外交の一手段に過ぎないからこそ、戦場で行われる事だけが戦の全てでは無い。だからこそ戦国時代の武将達は、交戦中の相手とも停戦交渉の為の外交チャンネルを保持していたし、近代国家間においての戦争もまた同様なのだ。

 だが。戦いの先を考えるからこそ不在本丸連合軍、その実質上の頭目たる燭台切光忠は完勝に拘り。
 審神者連合軍。その頭目たる総大将の審神者は、自身のプライドと保身を最優先にするからこそ、勝利する事に固執した。

「可笑しい、どうしてこんな、こんな……!」

 がりがりがりがりがりがりがり。
 血が滲むのにも構わず、頭を、顔を爪を立てて掻き毟りながら総大将は自問する。
 勝ち戦だったはずだ。ただ押し潰すだけの戦だったはずだ。確かに準備不足はあったかも知れない。指揮系統に多少問題があったかも知れない。それでも、それでも勝てるだけの兵を用意したはずだった。負けるはずがないのだ。ありえない。しかしそのありえない事態が目の前にある。現実問題、彼の本陣は壊滅寸前だ。わけのわからない化け物までいる。
 こんなことは知らない。何故こうなった。どうして裏切り者まで出たのだ。何を間違えた。
 どうして、自分はこんなにも追い詰められているのだ?

「主! 主、しっかりしろ! 君が決断せねばならんのだぞ!?」
「そうだねぇ。最後まで戦うか、負けを認めて降伏するか。総領たる君が判断すべき場だよ?」

 迫り来る男士達と斬り結びながら膝丸ひざまるが叱咤し、髭切ひげきりが穏やかな口調で決断を促す。

「ま、負けるのだけは駄目だ。そうだ、まだ何とかなるはずだ、お前達が勝てば、この場さえ切り抜けられれば――

 負けられない、負けられるはずがない。この“演練”を行う為、政府の要人を何人も口説き落とす必要があったのだ。時間が無いぶんを、予算と権力で補った。“勝利”はその必要最低限の代価なのである。
 ここで負けを認めるという事はそのまま、ようやく掴んだ上への伝手を、権力への足がかりを失うという事だ。二度と日の目を見られなくなるのは疑いようもない。それだけは、何を犠牲にしても避けなければならなかった。

 総大将を務める男は、優秀である。

 乗り越えられない試練も、膝を屈して為す術もないような絶望も。男にとって、どちらも初めての経験だった。
 男は順境で生きてきた。彼の優秀さは能弁家、あるいは政治家としての優秀さである。だからこそ、と言うべきか。本当の意味で“命”を預かっている実感など無い。勝敗のもたらす政治作用は見えていても、自分の采配が刀剣男士のみならず、審神者達の命さえも預かっているという自覚など、欠片とて持ち合わせてはいなかった。

 前線にはまだまだ無事な部隊が多い。そこまで損耗している訳では無い。
 だからまだ、この“演練”は負けではないのだ。

 今この段に至っても、男は自分が死ぬとも、誰か折られるとも考えてはいなかった。
 動ける刀剣男士がいるうちは、敗北しているとは言えないのだ。少なくとも、男にとっては。
 追い詰められた頭は、そもそも部隊を動かさなければ援軍はこない、という現実にすら思い至らない。例え今から命じたとしても、前線から本陣までは距離がある。到底間に合うはずもない。だというのに、ただ“負け”を認めなければ、それで勝てると思い込んでいる。
 負傷の軽視、見通しの甘さ、精神面への配慮の欠如。そして、決断の致命的な遅さ。
 多くの判断を必要としない“守られた”戦で、刀剣男士しか率いてこなかったからこその弊害。

 口には出さずとも、刀剣男士達は理解していた。たとえこの場を切り抜けたとしても、最早戦い続けられるはずもない現実を。心折られた審神者達は、早々には立て直せない。あの“祟り神”の存在もある。
 総大将たる男の判断は、確定した敗北の先延ばしに過ぎないのだ。分かっていて、それでも彼等は命に従う。

 正気ある者達の、誰もが破局を覚悟していた。
 だが、大方の予想を覆して。期待どころか想定すらされていなかった援軍はやって来た。外周部の一角。当たるを幸いとばかり敵を吹っ飛ばして物理的に道を切り開きながら、先鋒大隊を率いる男が声を張り上げる。

「審神者に与する奴は刀を納めろ! それ以外は全員、敵と見なして叩っ斬る!!」

 男。一虎が掲げるのは、背後で無数に翻る旗指物と同じ紋を描いた隊旗だ。白地に赤で三の文字。
 それが何処の物なのかを知らずとも、その整然たる有様と場違いとすら言える士気の高さは、場を圧倒して余りある。そうして一虎の言葉もまた、口先だけの脅し文句では無い。刀剣男士も、刀装兵に至るまで一切の迷いも躊躇も見せずにうろたえる者達を斬り捨てて行く様は、自分達の行動が正しいのだ、という揺るがぬ自信すら伺えた。

「お……おお……!」

 確定した敗北が覆される。瞬く間に、決まり切っていたはずの結果が塗り替えられる。
 今や、追い詰められてるのは審神者達ではなく不在本丸の別働隊、そして裏切り者達だった。半ば自失状態だった総大将の目に、正気の光が戻ってくる。

 けれど。

――ふ・ざ・け・るなぁああああああああああッ!!!!!」

 燭台切光忠が、目を吊り上げて絶叫する。
 ここまで詰んだ。打てる手も少なく、制限の多い中で出来うる限りを賭し、陥れ、甘言を弄し、策を練って根回しをしてそうしてようやくこぎ着けたのだ。思うままにいかない事ばかりの中、いったいどれだけの我慢を重ねたか。どれだけ屈辱を、怒りを、苛立ちを呑み込んで平静を装ってきただろう。
 あと一歩。本当に、あと少しなのだ。審神者達の護衛を、眼前で全て叩き潰して粉砕し、その上で有無を言わさぬ敗北を突きつける。審神者など、霊力供給源にしか過ぎない現実を見せつけ、身の程を知らしめる。そうして交わした約定を遂行させるはずだったのだ。この相模を彼等のモノにする、その礎とするはずだったのだ。
 全て、勝利の為だった。こんな形で終わるなど、認められるはずもない。
 燭台切と一期一振の今までの労苦は、こんなところで否定されて良いモノでは無い!

 ガギィイイイイインッ!!

 火花が散る。激発して斬り掛かった燭台切を相手取ったのは、一虎の岩融だ。
 薙刀の間合いは桁外れに大きい。冷静さを欠いた太刀程度、臨戦態勢であった岩融にとってはただの獲物でしかない。それを咄嗟にいなしてのけた燭台切の反応速度は、練度の高さのみに依るものではない、戦闘経験の積み重ねを感じさせるものだった。にぃい、と岩融の口元が愉しげに緩む。
 即座に態勢を立て直し、地面を蹴って燭台切が間合いを詰める。
 打ち合うには間に合わない。軌道を逸らされた勢いを殺さぬまま、岩融は薙刀を旋回させて。

「どおりゃああっ!」
「チィ――ッ!」

 薙刀の石突が猛スピードで繰り出される。
 首を的確に狙ったその一撃に、燭台切は身体を捻る事で対応した。
 ひゅおう、と首の皮を浅く掠めて石突が引き戻される。懐に飛び込むには既に遅い。燭台切は利き手側に太刀を掲げた。ぎゃぎぃいいんっ! 高く澄んだ金属音が耳元で掻き鳴らされる。鍔迫り合いながら、岩融が快活に笑った。

「がははははは! なかなかに楽しませてくれるではないか!!」
「は、それはどうも……!」

 苛立ちも露わに吐き捨て、燭台切は大きく飛び退く。
 腹の虫は収まらない。だが、敵は岩融一人ではない。否応なく視界に入る旗指物に、嫌でも冷静にならざるを得なかった。
 対峙する燭台切と岩融。彼等の睨み合いを余所に、一人、また一人と不在本丸側の男士達が倒されていく。
 自身の男士に止められるのも構わず、総大将がよたよたとした動作で、馬上から指揮を飛ばす一虎へと駆け寄って。

「は、はは、ははは! よく来た、ああ、よく来てくれた!
 さあ、そこのだ、そこの燭台切! それが首魁だ、早く倒しぶべらっ!?!」
「あるじぃいいいいーっ!?」

 流れるような跳び蹴りに、綺麗な放物線を描いて吹っ飛んでいった。
 視界内で唐突に発生した意味不明の展開に、「………………は?」と思わず目を点にする燭台切。やったな主よ! と言わんばかりの笑顔で親指を立ててみせる岩融。
 ここだけ凍った空気の中、わざわざ下馬してまで跳び蹴りを決めた一虎はといえば、己の薙刀に親指を立て返しながら清々しい顔で一言。

「わりーな総大将サマ。足が滑った」
「貴っ様ぁあああああああ!!! 我が主を愚弄するか!!!!」
「馬鹿者膝丸! この状況下であ奴に斬り掛かるのは悪手だと分からんのか!?」
「きゃー! 一虎大隊長かっこいー! 抱いてー!!」
「大隊長もう五、六発やっちゃってくださーい!」
「……ありゃりゃ。うちの主も嫌われたもんだねぇ」

 近くで部隊を展開していた連隊の審神者達から上がった歓声に、呑気な口調とは裏腹の苦い表情で髭切がぼやく。ふ、と背後。後続の本隊を振り返った一虎がインカムに向けて簡潔に了承を伝え、「岩融」と一声呼ばう。警戒をそのままに、燭台切に向けられていた戦意が緩む。連隊の男士達が、道を開けた。
 近侍に蛍丸を引き連れた初老の審神者――連隊長代理を任された連理が進み出る。

「交戦中の者等に告げる! 我々には交渉の用意がある。
 応じて話し合いの席に着くか。それとも、このまま利のない戦いを続けるか? 返答は如何に!」

 生き残っている不在本丸側の男士達が、縋るように燭台切を見る。
 この和議の申し出に乗るか、蹴るか。燭台切は目を細めた。降伏せよと勧告するのではなく、提示したのは停戦交渉。彼にしてみれば“詰み”としか思えない状況だが、どうやら審神者側は、そう考えてはいないらしい。
 まだ付け入る隙はある。少しだけ考えるそぶりをして、燭台切は刀を鞘に収めた。

「……OK、和議に応じよう」


 ■  ■  ■


 大地が蠢く。

 大地が波打つ。

 否。動いているのは大地では無い。地を滑るように這いずり回る、長大な大百足の化け物だ。
 ずるずるずるずるずるずる。地面を抉り、削りながら縦横無尽に暴れ回るその様は、まさしく災厄以外の何物でもない。風に乗って響いてくるのは、禍々しくも無邪気な笑い声だ。獲物を嬲る事を喜ぶ、歓喜に満ちた不協和音。

 刀剣男士の器を捨て去り、付喪神の枠を逸脱しつつある荒御霊。
 かの大百足の出現は前線に在った両陣営の狂騒を冷却し、隔意すらも投げ出させた。目的も所属も不明な、けれどその強大さだけは嫌と言うほど分かってしまう妖物を前に争い続けられるほど、刀剣男士は愚かでは無い。
 一目見ただけで理解できるほどの霊格差。
 戦士として顕現された彼等をして、それは、怖れを禁じ得ない存在だった。

 だというのに。

「……何故、逃げない……!?」

 信じられない、と言わんばかりの呟きは、場の誰しもに共通する思いだろう。
 目前で繰り広げられる光景は彼等不在本丸出身者のみならず、審神者側の刀剣男士にとってすら、驚嘆に値した。暴れ狂う大百足と、馬を駆って、それに立ち向かう刀剣男士。そこまではいい。
 如何に強大な敵であろうと、勝ち目の薄い戦いだろうと。怖れを飲み下し、闘志を胸に駆けていける。戦える。かくあるべしと心と身体を与えられたのだ。“刀剣男士”たるもの、恐怖を理由としての逃走などあり得るはずもない。

 驚くべきは――そこに、二人。審神者の姿がある事だった。

 危険のまっただ中だ。逃げるか、そうでなくとも安全圏にいるべき存在だ。
 少なくとも、彼等の知る“審神者”というのは良くも悪くもそういう存在だった。
 審神者は本丸の核、刀剣男士を束ねる大将。審神者を討たれれば、たとえ刀剣男士が健在だったとしても本丸としては敗北なのである。審神者は武将ではないのだ。戦う以前に、ほとんどは刀を構えることすら覚束ない。
 人間の軍で例えるなら、口先だけの高級将校のようなものだ。現場を知らない上官殿。審神者と刀剣男士の関係性、大半が教育などろくにされていない事を考えればどうにもならない現状でもある。

 それが。そんな存在が、馬を駆って前線に在る。
 しばらく見ていれば嫌でも分かる。大百足が狙うのが、その審神者二人である事くらい。彼等も理解しているはずだ。理解しながら、戦場を逃げだそうとしない。その鼻先を駆け回って、見事に囮役を務めている。
 審神者の身だ。脆い人間の身体だ。一撃でもまともに喰らえば死にかねない。
 だというのに、刀剣男士さえも怖れを抱く怪物を前に。堕ちた神を目前に、退こうともしない。

 誰もが戦慄した。圧倒された。

 胸が苦しい。沸き起こる衝動は、武者震いに近かった。
 自分は、何をしているのか。自分達はどうして、こんなところで足踏みしているのか!

「……全ての本丸、全部隊に告げる」

 震える声で。静かに、刀剣男士の一人が口を開く。
 不在本丸本隊を率いる鶴丸国永は、眼前の戦場から目を逸らさずに言葉を紡ぐ。

「これより俺は、審神者に組する。この戦いに助勢する!」

 頭を過ぎるのは、大百足が出現する少し前に叩き潰した部隊の事だ。
 自ら陣頭指揮を取り、部隊と共に突っ込んできた名前も知らない審神者の少年。
 馬鹿な審神者だ、勇敢さと蛮勇の区別もついていないらしいと、笑いながら踏み躙った相手。

 あの審神者は。あの人間は、どれだけの覚悟であそこにいたのだろうか。

 恥じるべきは、憎しみに目を曇らせていた己の方だった。
 恥じるべきは、“人間”を侮った自分自身だった。

「あの奮戦を目にして、なお動かぬ腑抜けになった覚えなど俺には無い!
 ――心ある者は俺に続け! 単独であろうと! 俺は征くぞ!!」

 迷いは、無かった。


 ■  ■  ■


 荒れ果てきった審神者連合軍本陣にて。
 そこで、燭台切は審神者の男――連理と向かい合っていた。
 交渉の間だけの一時休戦だ。当然、警戒は解かない。手は柄にかけたままだ。
 相手側も同じ事。連理の近侍である蛍丸含め、刀剣男士達も警戒を緩める気配は無い。

「話し合うのは君達と、でいいのかな? そっちのが君達審神者の総大将だって聞いてたんだけど」
「アレに命運を委ねてやるほど阿呆にはなれんのでな。心配せずとも、交渉結果は承認させると請け負おう。不服であるなら、形だけでも同席させるが」

 連理が、総大将の方を顎で示す。話題の当人はといえば、蹴り飛ばされた痛みからか、転がったまま子供のように号泣していて話を聞く余裕さえも無いようだった。
 それを叱咤していた総大将の男士が、連理を怒りの籠もった目で睨む。
 「いや、君達だけで十分だよ」と燭台切は肩を竦めた。あちらの方が扱いやすくはあるだろうが、あれではいても邪魔なだけだ。仮にも総大将を名乗るのなら、せめて見苦しい姿を晒さないで欲しいものだが。

「申し遅れた。己は審神者連合軍第三十八連隊所属、連隊長代理を務める連理だ。
 本来であれば我等が総大将……は此度はアレだったか。もとい、連隊長殿が場を取り仕切る運びであったが、なにぶん予定外の賓客ひんきゃくを持て成さねばならん身でな。急遽、代理を任される事となった」
「……不在本丸連合軍取り纏め役、燭台切光忠」

 名乗り返し、燭台切は連理と真正面から向かい合う。
 斬り合いとは種類を異にする緊張感。何度経験しても、好きにはなれそうもない。

「同席者は有るか」
「僕一人で構わないよ。そちらは?」
「己も一人で構わん、と言いたいところだが。どうにも交渉事は不得手でな――結良!」
「はいはい、任されましたよ」

 呼ばれる事を予期していたのか、それともあらかじめ取り決めてあったのか。
 やってきたもじゃもじゃ頭をした壮年の審神者が、ひょこりと燭台切に頭を下げて挨拶する。

「交渉役を任されました、第三十八連隊で大隊長の一人をしております結良と言います。
 ……いやはや、どうせならもっと腰を据えた話し合いをしたいところですが、こちらも余りゆっくりとしてはいられませんのでね。急かすようで申し訳無いと思っていますよ」
「……、構わないさ。話が早いに超したことは無い。だろう?」

 連戦に次ぐ連戦による疲労は、そろそろ無視できないレベルにまで達している。
 身体を休める意味では、長引かせた方が良いのだろう。けれど。燭台切はちらり、と一期達の方を見た。あまりゆっくりともしていられない。結良が「全くです」と困ったような顔で頷く。

「ではまあ、単刀直入に。
 あの大百足を討滅する手立てをお持ちでしたら、早急な対応をお願いしたく。
 それさえ叶うのなら、我々は降伏して良いと考えています」
――っ、」

 飛び出しかけた言葉を、辛うじて舌先で呑み込めたのは並外れた自制心の賜物と言って良いだろう。
 固唾を飲んで成り行きを見守っていた不在本丸側の男士達が、思わずといった様子で「アレを、だと……!?」「無茶を言ってくれる……!」と漏らす。それを聞きながら、燭台切は内心だけで舌打ちした。

「まあ、手立てが無いにしてもせめてご協力を頂ければ、と。
 そちらもなかなかに損耗が激しいでしょうし、無理にとは言いませんが……なんにせよ、背後から討たれるような展開だけは避けたいんですよ。あの化け物を倒すまでだけでも、休戦に頷いてもらえるのなら助かるんですがね」
「……ふ、はははっ。審神者風情が、舐めた口を叩くじゃあないか……!」

 手を貸せ、さもなければ黙って見ていろ。
 オブラートに包んではいるが、結良の言い分は要約すればそういう事だ。まったく、随分と馬鹿にされたものだ。こちらを戦力に数えてないのが透けて見えている。腹立たしい。臆病風に吹かれると見くびられた事も、使えないと思われた事も。そして何より、彼の仲間を“化け物”などと侮辱した。その事実が、殺したくなるほど腹立たしかった。

 燭台切の殺気に反応して、結良と連理の近侍が腰を落として鯉口を切る。
 連理が「蛍」と嗜め、結良もまた、頬を引き攣らせながら近侍の江雪を片手で制した。

――……やあ、失礼。侮る積もりはないのですけれどね。
 こちらの制圧を優先していらしたものですから、どうにも邪推が過ぎたようです」
「己からも結良の失言を詫びよう。申し訳無い事を言った。
 連隊長殿を案ずるばかりに、どうやら気が逸っているようだ。……それでは困るのだがな」
「いやいや、まったく面目ない。心配は無用だと分っているつもりだったんですが、なにせ相手をしているのがあの、見るもおぞましい化け物でしょう? どうにもいけませんね。悪い想像ばかりしてしまって」
「……っ、……ああ、いいさ。仲間を案じる気持ちはよく分かる」

 ぺこぺこと頭を下げる結良を冷ややかな目で眺めながら、燭台切は殺気を何とか収める。
 苛立たしい。今すぐにでもあのよく回る舌を引っこ抜いて、喉を抉ってしまったら、どれだけ胸がすくだろうか。
 なんとか取り繕ってはいても、腹立たしくて頭が煮えるようだった。――が、なんとなくだが読めてはきた。

 大百足。一期一振の“弟達”を倒したいのは本音だろう。そして、その為にこちらを引き入れたい。
 頭数だけなら審神者側の方が多い。にも関わらず誘いをかけてくるのだから、おそらくこの“連隊”、自陣営よりこちらの方がまだ使い物になると見込んでいる。ただ、こちら側での“弟達”への認識や、立ち位置については掴みかねているようだ。だから挑発を混ぜて、こちらの反応を伺っている。

 時間が無かった事、まだ温存する予定だった事もあって、彼等については同陣営の男士にも伝えてはいなかった。
 燭台切も一期一振も。同属であるはずの刀剣男士が、彼等に対してこうまで過剰反応を示すなど考えてもみなかったからこその手抜かり。

「……そうだね。こちらとしても、手が無い訳じゃあない」
「やあ、それは素晴らしい話です。それで、その手立てとやらですが――
「ただし。そちらが全面的に敗北を認める事が条件だ。
 審神者は信用できないからね。降伏か、決裂か。返答以外は受け付けないよ」

 強引に言葉を遮り、要求を叩き付ける。
 もういい。取っ掛かりは掴んだ。あちらに手立てが無いのなら、降伏するより道はあるまい。なによりこれ以上、不愉快な発言に耳を傾け続ける気にはなれなかった。それに。負けさえ認めさせてしまえば、こちらのものだ。
 冷ややかに見据える燭台切の視線を受け、「うぅん」と頼りない顔で呻いて、結良が頭を掻く。
 連隊長代理である連理が口を挟む様子は無い。数十秒、あるいは数分の逡巡の後。ひとつ、大きなため息を吐いて。結良が重たげに口を開いた。

「そうですねえ。では――「いけません!!!!」……、と」

 絶叫じみた怒声が割り込む。
 加州清光とこんのすけを引き連れ、転がるように駆けてきた今剣が、燭台切を睨み付けながら唸るように吼える。

「こうふくしてはいけません! そんなことをしては、とりかえしがつかなくなります!!」
「今剣!? おぬし、どうして此処に!」
「うちのはじさらしはだまってなさい! いまはおまえのあいてをしているばあいでないのがわかりませんか!!」

 不在本丸側の刀剣男士。満身創痍の三日月が放った問いに、ぴしゃりと今剣が言い捨てる。
 追いついた加州とこんのすけが、周囲に聞こえるように声を上げた。

「本丸番号イチマルハチ所属、加州清光!
 政府より不在本丸刀剣男士、今剣の護送を任じられて来ました!」
「同じく本丸番号イチマルハチ所属、審神者“雛鴉”付クダギツネにございます!
 審神者の皆様方におかれましてはなにとぞ、今剣様の“知らせ”に耳を傾けて頂きたく!!」
「口を閉じろ! 今はそこの審神者と話をしているんだ、いち刀剣男士やクダギツネ風情が口出しして良い場では――ッどういう事かな、これは……!」

 今剣達を守るように、蛍丸付きの刀装兵が立ち塞がる。
 鯉口を切った態勢のまま、燭台切は憤怒の形相で連理を睨んだ。
 刀剣男士の殺意を涼しい顔で受け流しながら、連理は「はて、異な事を言う」と白々しい口調で嘯く。

「不在本丸の所属といえど、我が方の男士とクダギツネを伴ってきたからには、あの短刀の身柄はこちらのもの。軽々に斬り捨てられては困るな。……貴様らもだ。大人しく座っていろ」

 冷ややかな一瞥を受け、抜きかけた不在本丸の男士達がぎしりと固まった。

「さて。連隊長殿の名を背負っているともなれば、無碍にはできんが。
 どうする結良よ。“知らせ”とやらを囀らせるか?」
「いや、判断材料はもう充分。こちらを先に済ませましょう。
 ――燭台切光忠さん。貴方は、最初からあの大百足をご存じでしたね?」

 疑問の形を取ってこそいるが、結良の言葉は確信を得ているもののそれだった。
 「な……っ!?」と、ぎょっとした様子で不在本丸の男士達が一斉に燭台切の方を見る。「馬鹿を言うな!」と、大倶利伽羅が声を荒げた。鶴丸が、腹立たしげに「随分酷い当て推量もあったもんだぜ」と吐き捨てる。

「光坊があんなモノと関係しているはずが――……おい、光坊?」

 燭台切は答えなかった。答えられるはずもない。
 それに。同じ伊達家の古馴染みだろうと、彼等は、彼の“仲間”であった鶴丸でも、大倶利伽羅でもないのだ。
 一期の“弟達”をあんなモノ呼ばわりする分霊が、理解してくれるとは思えなかった。
 剣呑な目で睨み付ける燭台切の視線を受けながら、鳥の巣のような頭をかき回して結良が続ける。

「論拠については、……うん。話が長い、と連理さんから怒られそうですのでよしましょう。
 ただまあ、燭台切さんとの会話で色々確信に至りました。
 あの大百足は退治できる。
 そして、君の中で本当に仲間と呼べるのはあの大百足と、それを従えていた一期一振だけだ。……途中からあの大百足の安全確保を最優先にしたでしょう。仲間の為に危険を冒す気持ちは分からなくもないが、感情的になりすぎましたね」

 へんにゃり眉を八の字に垂れたまま、結良が苦笑いを浮かべた。
「で、それを踏まえて返答ですがね」と空を見上げる。

「負けて良い、というのはこちらとしても本心だったんですよね。
 敵味方問わず被害を最小限に食い止める、というのが連隊長の方針でして。……まあ、我々連隊は制約が多いのもあってほとんど動けなかったんですが」
「……へえ、殊勝な心がけじゃないか。で? 連隊長とやらの言うとおり、負けを認めるのかい?」
「だ、だめです!」
「うん。残念ながら、負けてはあげられなくなった。
 ……あんなモノが出た以上、“演練”の名目さえ保てない。君が無関係だったなら、形だけでもそちらの傘下に入って、と考えたんですが――うちの総大将殿はわりと口が軽くてね。だというのに、我々の敗北時に課される条件については誰にも漏らさなかった。君達を釣り出したのだからよほど美味しい条件。で、これは誰か刀剣男士と“約束”、あるいは“誓約うけい”しての沈黙だろうと踏んでいたんだけどね……。
 今剣さん。君の“知らせ”。ひょっとして、我々が敗北した際の条件についてだったりするかな?」
「っ、そのとおり、です。
 まければ、さにわはとうけんだんしにさからえなくなる。にげられないし、はんこうすることもできなくなる。
 そうなったら、なぶるもこわすも、すきにすればいいと……もとのあるじを、いちばんにかんがえるのだってじゆうだと。そうはなしているのを、ききました」

 あちこちから息を呑む音が響く。
 愕然とした顔をしているのは、なにも審神者側ばかりではなかった。不在本丸同士でも、説得時に話した範囲はそれぞれに異なる。ともすれば、遡行軍に与すると受け取られかねないからこそ、元の主についてまで言及した本丸はごく一握りしか存在しない。突破口を探るべく話し合いに乗ったはずだというのに、気付けば状況は最悪だった。燭台切は歯噛みする。例えこの場から逃げおおせたとしても、ここまでくると態勢を立て直しようもない。

「短刀よ。その発言、嘘は無いな?」
「はい、ぼくのめいにかけて!」

 連理の問いに、今剣が明朗に言い立てた。
 結良が、深々と頭を下げる。

「……君達の不遇の責は審神者にある。
 可能な限りは償いたかったのですが……我々にもまた、背負える限度がある。
 ――交渉は決裂です。譲歩し合う余地もない。……申し訳なく思います」

 その、偽りの無い言葉に。
 真摯な態度に、ぶち、と燭台切の中で何かが切れた。

――ッ!!!!」

 我知らず、燭台切は吼えていた。吼えて地面を蹴る。駆ける。
 この審神者は、こいつは、自分達を心の底から憐れんだ! 屈辱で目の前が真っ赤に染まる。これ以上の侮辱は知らない。こんなにも殺してやりたいと思うのは、自分達を顕現した“主”に対して以来初めての経験だった。
 憐れまれる謂われは無い。審神者如きに同情されるほど、自分達は堕ちていない!

 距離にしてほんの数歩を、身体ごとぶつかるようにして肉薄する。
 振り上げた太刀が、結良の首めがけて振り下ろされて。

「戦うとは、こういうことです……!」
「か、は……っ!」

 袈裟が翻る。視界が反転する。
 深々と脇腹抉っていく太刀に、呼気が漏れた。重傷の二文字が頭を過ぎる。
 地面に叩き付けられた衝撃で、ぐあん、と世界が回った。口の中いっぱいに、血と、土の味が広がる。

江雪こうせつ

 負ける。

「大丈夫です……折れてはいません。もう動けはしないでしょう……」

 終わる。


 ……違う。
 まだ、終われない。

 終われるはずがない!

「ぁっ、ぐ、ぉ、おおおおおおおおおおおおお――ッ!!!」

 気力だけで跳ね起き、再度、目前の敵に斬り掛かる。
 負けられない。こんな終わりは認められない。審神者になんて、負けられるはずがない!
 だって、これからなのだ。勝って、相模を獲って。名を挙げて。

 そうすればきっと、見つけてもらえるはずなのだ。

 正宗公のような。焼け落ちた我が身を救い、慈しんでくれた人々のような。
 そんな、守るべき、愛すべき人間達に。仕えるべき本物の主人に。

 そうしてようやく、燭台切も一期一振も、彼の弟達も報われるのだ。
 だから、負ける訳にはいかない。終わる訳にはいかない。


 ――けれど。


「とうっ」

 重たい風切り音が背後で響く。
 動きが止まる。ずるり、と。身体が傾いた。
 足下にできた血溜まりの中へ、本体でもある太刀が、滑り落ちる。


 ばきん。





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