「そういや、大将ちゃん聞いたか? 例のアレ」
政府施設廊下、自販機前。
通路の片面がガラス張りになっている為、さんさんそよそよ差し込む春の日差しはお昼寝日和に心地良く。
けれども仕事に追われる社畜の身の上にあっては悲しいかな、まさしく悪魔の誘惑である。
話題を振ってきた元相模演練場主任、現相模国城下警備局長殿に至っては疲れ目に光が痛いらしく、自販機の影へと逃げ込む始末だ。ちょっと動きがミミズっぽいとか言ってはいけない。とてもいけない。
「あーっと。それ、信濃藤四郎の修行先が違うんじゃないかって疑惑が出てた件です?」
ここ数ヶ月、見るたび疲労度ゲージが上限を更新していく警備局長に同情を抱きつつ、紙コップ内の沈殿物を揺らしながら問い返す。
粟田口の短刀、信濃藤四郎の極修行が解禁されたのはほんの数日前の出来事だ。
しかしその解禁から今日に至るまでの数日で、ある審神者が「信濃の修行先がおかしい」と調査を上申。政府が蜂の巣でもひっくり返したような大騒ぎになっているのは、政府施設に出入りする人間なら誰でも知っている事である。
「おぉ、それそれ」
働く社畜のベストフレンド、エナジードリンクをちびちび飲みながら警備局長が頷く。
「その名前が出てこなくってさぁ。トシは取りたくねぇなあ」というぼやきに、それは疲れすぎてて頭働いてないだけなのでは……? とツッコミを入れるより早く、「アレ黒だったらしいぞ」と告げられ思わず真顔になった。
「マジですか」
「マジもマジ、大マジだ。解決まで分霊も全部外出厳禁、要観察措置だってよ」
「わぁ地獄絵図」
「だよなあ……」
あの疑惑が真実だったという事はつまり、信濃藤四郎の極修行に、歴史修正主義者の関与が認められたという事で。歴史修正主義者が関与しているという事は最悪、信濃藤四郎の全ての分霊を刀解するよう命が下る可能性もある訳で。
刀剣男士の本霊は、そうホイホイ使い捨てできる存在ではない。
今回の件はいつの間にか歴史が改変されていた、という問題でもあるだけに、歴史を元に戻す過程でよっぽどのヘマでも踏まない限り、最悪の事態までは至らないだろう。問題は、“刀解の可能性がゼロではない”という点と、“歴史が元に戻るまで、信濃藤四郎の全分霊が外出厳禁かつ観察措置が決定された”という点だ。
政府の下部組織である警備局は言わずがなも。私も城督という立場上、普通より政府と近しい審神者と見做されている訳で。事態解決に至るまで、城下にあるうちの拝領屋敷の方へ、信濃藤四郎を愛する審神者の皆様からの熱いお問い合わせやらご意見やらが直接間接手段は問わずで押し寄せてくるのは想像に難くなかった。おのれ歴史修正主義者め人の仕事増しやがってド畜生。
「……えーと。黒だったんですよね。もう動きが?」
「今日政府の調査チームが現地に飛ぶってよ」
「おっと驚きのスピード感」
いつもならもう何日かはグダグダしてそうなもんだけどな。
思うところが無くもないが、何にせよ対応が早いのはありがたい。後は事態が早々に解決するのを、神に祈って待つのみだ。お供え物は何がいいかな。
今の時期の旬……えーっと今何月だっけ……ダメだ春だって以外が記憶の彼方。
正月いつ過ぎたっけかな、と記憶を辿りつつ、空にした紙コップをゴミ箱へと放り込む。
「じゃ、この件の問い合わせとか来た時用に対応決めて周知しとくだけですね。そっちにはいつ顔出せばいいです?」
「あ゛―……明日の午前……や、今日の夕方以降で早い時間だな。大将ちゃん、いつなら空くよ」
「急ぎ案件は今のとこ抱えてないんで、六時くらいとかどうですかね」
審神者の本分、戦場周回に充てるつもりだった時間だが、早耳な審神者はもう城下の屋敷まで詰めかけている可能性がある。それを思えば、仲間内で先に共有がてら対応の叩き台を作って、それから警備局長とすり合わながら調整していくのが一番効率がいいだろう。分かりやすくウキウキしていた出陣予定部隊の面々に、心の中で詫びを入れつつ提案すれば「んじゃ、それで頼む」と疲労以上に心労が滲む様子で了承が返った。
「オッサンも頑張ってお偉いさんとのレク終わらせてくるわ……」
「お疲れ様でーす……」
胃の辺りを撫でさすりながら宣言した警備局長に労りを込めて合掌し、護衛の男士へ軽く会釈して場を離れる。
数歩もしない内に、次郎さんが後ろから隣へと並んで口を開いた。
「やあ~っぱ予定入っちゃったねえ」
こうなると思った、という副音声が聞こえたのはたぶん空耳ではないだろう。
次郎さんの口調は軽く、言葉も揶揄するような響きを含んでいたが、それでもなんとなーく責められているような気持ちになるのは自身の良心の為せる技か。不慮の事態ですし対策しないと仲間内にも迷惑かかりますしこれは致し方ない緊急の予定なのでノーカンでは? などと理性が言い訳を並べ立てみるも、じゃあお前ぷわぷわお花飛ばしながらお見送りしてくれた三日月さんと蜂須賀さんの前で開き直れるの? と良心さんに突き付けられては白旗を上げるしかなかった。はい。可哀想な事をしたなぁとは、思っています。います。
「で、どうすんのさ。このまま城下のお屋敷直行かい?」
「あー……いや、いったん予定通り本丸戻るよ。出陣予定組に断わり入れとかないと」
「律儀だねえ。緊急の案件が入らなかったら、って言ってあるんだし、こんのすけに言づてさせりゃいいだろうに」
「まぁ、それはそうなんだけど。六時まではまだ時間に余裕あるし、一応約束した手前、そのくらいの誠意は示しとくべきかなーって」
あの楽しいお出かけ前みたいな空気に水差すのは気が引けるけど、直接謝られるのと人づてに謝られるので、わりと受ける印象も変わってくるからなぁ。
こないだの和泉守さんの件とか虎徹兄弟の件とか、事が起きるまでフラグ全スルーしてた駄目審神者としては多少なりとも好感度を稼……ぐのは無理でも、これ以上下げたくはないところである。
問題ないのかしぶしぶ妥協してくれてるだけなのか、未だによく分かんない男士もいるもんなー……。ある日いきなり首と胴がサヨナラする展開は勘弁して頂きたい。いや本当切実に。
「気にしなくたっていいと思うけどねぇ。ま、アンタがしたいようにすればいいさ」
「うん。ありがと、次郎さん」
軽い調子の、けれど当たり前に返してくれる肯定に、唇を緩めて礼を言う。
しかし、信濃藤四郎が歴史改変の餌食になってたとは。
不在本丸対応や、城下街の見回り業務で何人かの分霊が審神者に連れて来られていたが、その時、特に問題があるようには見えなかった。いつ、どんな風に歴史が変わっていて、何処までその変化が波及しているのかは分からないが、もしそのまま誰も気付かずにいたとすれば――……。
「あ、そっか。あれ、違う刀になってたかも知れないのか」
ぽろりと漏れた呟きに、「アレ?」と不思議そうに次郎さんが反応する。
おっとうっかり。そっと口元を抑えるが、それで出た言葉が戻って来てくれるはずも無く。
じっと視線で先を促してくる次郎さんに、少しばつの悪い気持ちで目を泳がせ、「いや、大した話じゃないんだけどね?」と前置きする。
「私の先ぱ……友達で、お父さんが刀の収集家な人がいるんだけど。
友達が一人暮らしする時に、守り刀をくれたんですーって、見せてもらった事があって。それが確か、信濃藤四郎の贋作だったなー……と」
刀の管理とか全然やった事ないのに、お父さんは勝手です! ってぷりぷり怒ってたなぁ、キリちゃん先輩。
私は私でえっ刀って管理いるんです? 適当にそこらへん置いておけばいいのでは? って首傾げてたし。元気してるかな。……戦争終わって帰る頃には完ッ全疎遠になってる予感しかしないな……菓子折り積み上げて誠心誠意不義理を詫びるか……。住所変わってませんように。
「……次郎さん次郎さん。そんな凝視されたって、これ以上の続きは無いよ? それだけの話だよ?」
ざっくざっくと突き刺さってくる視線の圧がかつてない。
別にそんな面白い話でも無かったはずなんですけどね。何が琴線に触れたんです?
困惑しながら高い位置にある顔を見上げれば、そこにあったのはいつも見慣れた、酔っ払いらしいあっけらかんとした陽気さでは無かった。
「ああ、悪い悪い」
端正で華やかな美貌を、気恥ずかしさを含んだ喜びに緩ませて。
おざなりに謝罪しながらも、見下ろしてくる金の双眸は逸れる様子もなく、向けられたままで。
「アンタがそうやって現世の話してくれるの、初めてだなって思ったらつい、ね」
「――」
やわらかな甘さを伴って弾んだ声音に、そんなことは、と反射で浮かんだ常套句が霧散する。
無言でそっと視線を通路の先へと引き戻す。はいはいが軽率でしたねごめんなさいもうしません不用意でしたああああああああなんであそこで見上げちゃったのかな私!! 学んで!? 何をどうすればいいのかは正直よく分からんですが!!! 頼むから!!!!! 学べ!!!!!!!
とてつもなく居たたまれない空気感に急き立てられ、緩んでいた歩調が速くなる。
悠々と横を歩く次郎さんが、上機嫌に笑いを噛み殺すのが聞こえてくるのだから余計にだ。
何か適当にお茶を濁すイイ感じの単語が出てきてくれれば良かったのだが、喉が母音を発する事すら全面拒否の構えなので何をどうしようもない。おお声帯よ何故持ち主を裏切りやがりましたのか。
ちょっと窓とかブチ破って歴史修正主義者出て来てくれないカナー、などという危険思想がうっかり頭を過ぎってしまったレベルである。いや実際にいつぞやの年末年始リターンズはご勘弁頂きたいが。今度こそ死ぬ自信しかない。
無言の競歩で現代社会らしい画一的かつ無個性な廊下と階段を行き過ぎ、転移門のある一角へとたどり着く。
それなりの広さを取られたその場所は、それまでの殺風景な無個性から一転、荘厳な美術館を見る者に連想させる。いかにもオカルト、といった感のある本丸や城下町の転移門とはまったく違う。光源を絞った青白い光が、幾何学模様の天井と壁を透過して床へと複雑な影を描く。
光と影を受け止める床へは円形に敷き詰められた色とりどりのタイルや文字が並んでおり、その中央では、歯車を組み上げて作った円柱状の時計が、それ自体が何かしらの芸術作品のようにそびえている。
等間隔で描かれた円形と円柱状の時計が整然と居並ぶ光景の美しさは、たぶん、製作サイドの意図したものではないだろう。それでも、この空間の美しさはここを通る時のささやかな心の慰めだった。政府施設に来る系の御用、大体人の忍耐力とかメンタルごりっごりに削りにかかってくるからね!
満足いくまで眺めてるって訳にはいかなくとも、美しいものは癒しなのです。ただし刀剣男士は除く。
特に横の初期刀。主に横の大太刀。
一番近くの円へと近付けば、即座に中空へ電子的なタッチパネルが浮かび上がった。
通行許可証を読み込ませ、誰かが転移した後らしいキラキラとした光の残滓を散らしながら、円の中央へ立つ。
転移先の座標を本丸に設定。足元からせり上がる光の奔流に身を任せながら、予定が入った事を何て言って謝ろうか、とようやくクールダウンしてきた思考を切り替えて。
そんな風に、考え事をしていたせいだろうか。
それとも、しばらく会えていない友達の事を思い出したせいだったのか。
「 」
光の向こう。
誰かが聞き覚えのある声で――私の名前を、呼んだから。
「はぁー、い……?」
「ッ!」
いや誰だ今の、と我に返ったのは、生返事で振り返った後だった。
光が捩じれる。歪む。ぞわ、と内臓が裏返るような違和感が走る。皮膚が粟立つ。次郎さんが私を抱き寄せるのに、腕を回してしがみつく。足元が崩れる。ぐん、と身体を四方八方から引きずり倒そうとするような引力。青と黒がきらきらと、固く閉じた目蓋を透過して尾を引いて――
刺すように冷たい風が、肌を撫でた。
足裏からは固い人工の床ではなく、整地されていない地面の、デコボコした感触が伝わってくる。
目の奥でまだ光が瞬いているような違和感があった。何処かに転移したのは間違いないが、抱き寄せられたままでは状況確認もままならない。
ひとまず離して欲しいという意を込めて、軽く次郎さんの背中を叩く。
「刀剣男士……!?」
背後。数メートル先で、強張った女の声が響いた。
警戒するようなその声音に、いや何処転移したんだ私ら、と眉を潜めながらも、声のした方を振り返る。
驚きと、困惑と、恐怖と。そんなものをない交ぜにして、こちらを呆然と見ている人は――。
「――キリちゃん、先輩……?」
現世にいるはずの友達と、まったく同じ顔をしていた。
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