自分の目が信じられない。
立ったまま夢でも見ているのだろうか。それとも、これは幻覚か。
転移門で転移失敗すると五感に作用する幻覚が見れるとか流石に初耳ですね。いやこれ幻覚? 現実? どっち? 徹夜は次郎さんに阻止されてるから、睡眠時間は足りてるはずなんだけど。
キリちゃん先輩と同じ顔をした誰かとじっと見つめ合いながら、ぐるぐる思考を巡らせる。
えーと。
可能性その一。あれはキリちゃん先輩本人。
可能性その二。単なる他人の空似。世界中に三人はいるっていう同じ顔したそっくりさんのうちの一人。
普通に考えれば可能性その二だ。というか個人的にはそうであって頂きたい。
けれど私の声が聞こえたらしいその人が、私の顔を見て、驚いたように目を見張ったところを見ると――できればそうであってほしくない、可能性その一の確率は高そうである。あっ、でもキリちゃん先輩のそっくりさんが私のそっくりさんとお知り合いって可能性もワンチャン。
「知り合いかい?」
小声で、不審そうに次郎さんが問いかける。
後ろに下がれと促してくる手に、解かれていない警戒に、意外に混乱していたらしい自分に気付いた。
私が冷静さを取り戻したように、キリちゃん先輩のそっくりさんも混乱が醒めて来たらしい。
青褪めて強張った表情でじりじりと後退りして距離を取るその人は、それでも、私から視線が外れる様子が無い。
……うん…………うん………………?
色々受け入れ難い現実の予感を察知しながらも、深呼吸をひとつ。
ぎゅっと目を閉じて腹を括る。目を開いて、真っ直ぐにその人を見据え直す。
推定同年代。ダークブラウンの三つ編みが特徴的な、やわらかな印象の、花のような可憐さのある女性だ。
ほっそりとした身体に纏っているこの時代のものらしい装束は、既視感がそう感じさせるものなのか。どうにも着慣れていないように思えてならない。
見れば見るほどキリちゃん先輩だった。
腹を決めて、自分の背に回れと促してくる次郎さんの手をやんわり押しやり、前へ出る。
「さて! ここでクエスチョンです!」
にっこり笑顔でびしいっ! と人差し指を突き付けて。
意図して明るく取り繕った声音でヤケクソ気味に発した言葉に、「ふぁえ!?」とその人がビクゥ! と肩を跳ねさせて目を丸くする。そんな風にあわあわしながらも、「なんでしょうか!」と叫ぶに等しい声量で返してきたのは、間違いなく反射だろう。まったくもって、既視感しかない生真面目さだ。
湧き上がってくる苦い感情は表に出さないよう努め、あくまでも軽い調子で続ける。
「ホラーと言ったら!」
「っジェイソン!」
「青鬼プレイは!」
「罰ゲーム!」
「友チョコ定番!」
「チョコがけポテトチップス!」
「私にくれたイギリス土産!」
「紅茶缶でした!」
「缶可愛かったし良い匂いだったありがとう! 年末山登りは!」
「えっと、わたしは行っていま、せん! 初日の出はどうでしたか!」
「疲労困憊でそれどころじゃなかったよね! 山舐めてましたもう行かない!」
「はい、知ってました! それではあの、楽しみだってお話ししてくれてましたゲームは何でしょう!」
「ポケットなモンスターのリメイク版! 以上、クエスチョン終了ですお疲れ様でした!」
「はい、お疲れさまでした!」
互いに勢いよく頭を下げ、起こす。
へにゃ、と緊張感と警戒が一気に抜けて安堵した表情に、同じく顔が緩むのを感じた。
うん。状況は何一つとして掴めていないけど、間違いない。
「先輩!」
「――はいっ!」
駆け寄って、ぎゅうぎゅうと力いっぱい抱き締め合う。
あーっ付き合ってくれるこのノリ、間違いなくキリちゃん先輩~! 他人の空似とかでなく100%でご本人~!!!! じんわりと伝わる体温と抱き締め返してくれる腕の強さに、これが現実なのだという実感と再会の喜びと、懐かしさと、意味が分からないほどの安堵がぶわりと胸に押し寄せてくる。やばい、ちょっと泣きそう。
「あー。楽しそうなトコ悪いんだけど。知り合い、って事でいいのかい?」
「っと、ごめん次郎さん」
じんわり滲みかけた涙は、けれど後ろからかけられた次郎さんの言葉で感慨と一緒に引っ込んだ。
そうだわ一番いま意味不明なの次郎さんだわ。置き去りにして申し訳ない。
抱擁を解いて次郎さんを振り返れば、きゅむ、と手を握られる感触があった。顔を戻してみれば、不安ですと顔に書かれたキリちゃん先輩と目が合う。
安心させるように目を見て笑って、ぎゅっと手を握り返した。
「大丈夫、キリちゃん先輩。……あ、でも呼び方は合わせて。名乗っちゃダメだよ。OK?」
審神者業界に浸り切っていて危うく忘れるところだったが、本名を名乗らせるのはまずいだろう。
次郎さん相手なら心配いらない気はするけど、用心は大事だ。……愛称で呼んじゃってるのはセーフでいいのか? どうだろ……ダメそうなら後始末まで含めてガッツリ責任取るしかないな……。
一抹の不安はあるものの、私の耳打ちにキリちゃん先輩はハッとしたような顔になって、こくこくと頷いた。うむ、守らねば。
「こちら私の高校時代の先輩で、ズッ友なキリちゃん先輩です。先輩、こっちは私の初期刀の次郎さん」
「初めまして、あの……友人がお世話になっています。キリ、と言います」
「"キリちゃん"ね。りょーかいりょーかい。こっちこそ、アタシの審神者が随分世話になってたみたいだ」
キリちゃん先輩の緊張や恐れを気遣ってか、次郎さんは距離を置いたまま、にっと笑ってひらりと手を振った。
その表情に少しばかりの引っ掛かりは覚えたが、わざわざ追及するほどのものでもない。手を繋いだまま、改めて周囲をぐるりと見回す。
どこかの建物の裏庭、のようだ。
かつて見慣れた現世の街中、というよりは、何処かの本丸の裏庭の光景、と表現した方がよほど近い。
ただ、似ているからと言って何処かの国の本丸だとは思っていなかった。政府施設――現世側と頻繁に往来しているからこそ、あちらとこちらでは空気の質からして違う事は肌感覚として理解している。
だからここは、少なくとも現世側、ではあるのだろう。見える範囲、他に人がいる様子もない。うーん振り出しに戻る。
「紹介も終わったところでキリちゃん先輩。知ってたら教えて欲しいんだけど……ここ、何処?」
「肥前国佐賀藩、佐賀城だよ」
とりあえずで投げかけた問いに答えたのは、聞いた事のある第三者の声だった。
ざり、とわざわざ砂利を踏む音を立てて近付いてくるのは、敵ではないという無言の意思表示だろう。
現れたのは赤い髪の、粟田口派に共通するデザインの黒い戦装束を纏った少年だった。整った、人間らしい欠落のない美貌が次郎さんを通り過ぎ、私とキリちゃん先輩を捉える。ちりり、と首筋の裏をざわつかせる感覚が走った。
「それで、今は寛永十二年の一月」
「……信濃」
キリちゃん先輩が呟いた。ぎゅ、と握られた手に力が籠る。
美しい少年。信濃藤四郎が、呟きに反応してかにこりと綺麗な笑顔を作った。
敵意は見えないけど、好意も無さそうである。警戒されているっぽい点についてはノーコメントだ。視界の端、刀の柄に手を添えたまま出方を伺っている次郎さんを捉えているだけにまあ順当、という気持ちしかない。
「ご親切にありがとうございます。そちらはキリちゃん先輩の刀剣男士……で、良かったですかね?」
「……はい。信濃は私の刀です」
後半は先輩に向けて問えば、躊躇いがちな肯定が返ってきた。
「信濃。こちらはわたしの古い友人で、ぁ、えっと――」
「です。どうぞよろしく」
「。ね。……まあいいや、こちらこそよろしく」
何かを探るように、確かめるように舌先で名を転がしながら、信濃は分かりやすくおざなりな挨拶を返した。
「それよりも」じっとキリちゃん先輩を見詰め、怒りを込めて尖った声で叱咤する。
「大将。どっか行くなら俺に声かけてねって言ったでしょ。どうして黙って出て行くの」
「えっキリちゃん先輩黙って出て来てたんです?」
「その……はい。ごめんなさい、信濃。お城の敷地内ですし、すぐ戻るつもりで、このくらいなら問題ないかと――」
「その少しの間の問題ないかもで、こうやって異常が起きてる訳だけど」
びくりと肩を震わせ、ぼそぼそと弁明するキリちゃん先輩に、信濃が傷付いた顔をした。
それでも、言わずにはいられなかったのだろう。眉を顰め、気のせいでなければ主に私を親の仇のような目で睨みながら、噛み付くように言い募る。
「今回は大将の友達だったけど。お願いだからもう二度と、俺の守れないところにはいかないで」
「……ごめんない」
正論である。怒る気持ちも分からなくはない。
でもその責めるような言い方は良くないと思うぞ? それ萎縮させるだけだぞ?
信濃藤四郎の分霊を私は顕現していないが、仲間内で顕現している審神者はたくさんいる。何度か言葉を交わした事もある。他人の懐に入るのが上手い、人付き合いが器用なタイプだと思っていたのだが、その評価は改めた方が良さそうだ。しょんぼり萎れた花のようになっているキリちゃん先輩を信濃の圧しかない視線から庇いながら、自由な方の手を挙げる。
「ところでなんですが私と次郎さん、今さっきここに来たばっかりでして。
先輩と信濃さんがいつからここにいるのかは分かんないですけど、何処か落ち着ける場所で情報交換とか。どうでしょう」
先程の回答を鑑みれば、過去に時間遡行した事は明白だ。
刀剣男士のみならず審神者までもが時間遡行しているのは、色々な意味で状況的に宜しくない。同じ境遇同士、協力しない手はないだろう。まあ信濃さんはとんでもなく不本意極まりないって顔してるけどね!
「情報と手札が多いに越した事は無い。ですよね?」
「……そうだね」
繋がれたままの手を見て、そうして次郎さんに視線を向けて。
そうして深々とため息を落とすと、信濃さんは踵を返した。
「ついてきて。俺たちの部屋で話をしよう」
■ ■ ■
「「「「行方不明!?」」」」
相模国城下町の一角。
の仲間である審神者達の仕事場兼集会所である拝領屋敷に入った一報は、概ね驚きをもって迎えられた。
「あんっっのバカ! 今度は何に首突っ込んだのよ!!」
「まーまーまー唯織そうキレるなってば、な! 姐さんだって悪気あってじゃないだろうしさ!?」
「ボスってばひっどい! オレのこと誘ってくれなかったなんてー!」
「行方不明つってたろーがミケ。なんでボスが面白い事やってる前提なんだよ」
「だぁーってボスが首突っ込んでる事で、おもしろ楽しくないことなんてなかったじゃーん!」
ぎゃあぎゃあと口々に騒ぐ仲間のある意味冷淡な反応を、先に一報を受け取り、動いていた審神者達が窘める事は無い。なにせ大小問わず、共に潜った修羅場が修羅場だ。大抵の危険はどうにかしてみせるだろう、という信頼は実績で十二分に裏打ちされている。
問題なのは、残された側の方だった。
「最後に姿が確認されたのは政府施設。警備局長が北館二階通路の特務課第六室側自動販売機前で十三分程度の情報交換の下、六時面談の約束をしたとの証言を得た。面談の用件は信濃藤四郎の処遇についての苦情、並び陳情申し立てへの対応についてとの事だ。女史の思考であれば、面談前にこちらの屋敷へ来る予定を入れていたであろう所までの推察は可能だが」
「問題は行方不明になったのが政府施設でか、相模の城下に来てからかですねぇ……。小夜さん。当日のさんの護衛と、持っていた刀装兵を伺っても?」
「護衛は次郎太刀が。刀装兵は弓と軽騎を一つずつです。……予想だけれど、何かあったのは相模の城下では無いと思います」
直立不動で調査結果を報告する烈水に、結良は鳥の巣のような頭を掻き回す。
同室で騒ぐ審神者四人が来たのはほんの数分前だが、ここへ小夜達が訪れたのは三十分前の出来事だ。
三十分前の時点で既に二人はここにいたのだが、それを加味しても素早すぎるほどに素早い仕事ぶりである。調べて参ります、と政府へ向かったこんのすけが戻るよりも早い報告には頭が下がる思いだった。
投げかけられた問いに淀みなく答えて自身の所見を付け加えれば、「おや。じゃあ、何か心当たりが?」と穏やかな声が問う。この審神者の爪の垢を煎じて飲ませたら、多少なりとも穏やかさが伝染してくれはしないだろうか。
益体もない思考を浮かんだ何振りかの顔ぶれと共に追い払い、小夜は首肯する。
「昼の時点では政府施設に寄った後、帰ってきて周回をする予定になっていましたから」
「なるほど。ひょっとして、さんは誰かと約束していましたか」
「三日月と。緊急の予定が入らなければ、という条件付きではありましたけど」
「律儀な人ですからねぇ。確かに、それなら城下に戻る前に、一度詫びを入れに本丸に戻っていそうだ」
「はい。本丸に戻っていれば、間違いなく誰かが気付きます。けれどの戻りを誰も確認していないので、何かあったとすれば政府施設でしょう」
「でしょうねえ。烈水さん、頼めますか」
「ご用命承った、先生。警備局長並びに鈴へ再度連絡を取り、万事恙なく対応を行おう」
「お願いしますよ。……さて。問題は、我々がどうするかですが……」
心なしか頼られて嬉しそうな烈水が、踵を鳴らして意気揚々と退室する。
水を向けられた連理が、腕組みしたまま鼻を鳴らした。
「どうもこうもあるまい、いつも通りだ。
この程度で任された仕事を投げ出すようでは、総大将殿はさぞや失望されようよ」
「分かりました。なら、加州と陵丸以外にも何振りかこちらへ寄越します。希望はありますか」
「おいおい待ってくれお小夜。清坊はともかく、俺もこっちに常駐か?」
物珍し気に室内を歩き回って物色していた陵丸が、驚いたように目を見開く。
その後ろを監視よろしくついて回っていた加州が「あったりまえじゃん」と鼻を鳴らして半眼になった。
「主のいない今の本丸に、お前を置いとく方が問題だってーの」
なにせ主のみならず、次郎太刀までもがいないのである。
行方が知れないと分かった瞬間の本丸の混沌具合といったら、まったくもって思い出したくもない――それを面白半分で引っ掻き回しかねないこの刀を、あちらに置いておくなどできるはずも無い。
そういう意味では加州の言った事は、半分だけ正解だ。そして、小夜は陵丸が驚いた理由も理解している。
彼は預かりの囚人だ。いかに主と初期刀が不在で問題行動を起こしかねないからといって、多くの審神者が出入りするような場所に置いておくなどと、本気かと言いたくもなるだろう。
なので小夜は、加州の言葉に足りなかった残り半分を付け足した。
「が不在の間は、連理さんが貴方の身元引受人になるという取り決めがされていますから。……それに、陵丸は書類仕事が得意なので」
「それは重畳。有難くこき使わせて頂くとしよう」
「嘘だろう!?」
本気の悲鳴が上がったが、小夜と連理は当然のようにそれを右から左へ流した。
がいない。一言でいえばそれだけの話だが、生憎と彼女は普通の審神者ではなく、相模国不在本丸を統括する城督で、相模警備局の相談役でもあるのだ。その担ってきた仕事内容は“いないなら仕方ない”で塩漬けにしておける代物ばかりではないのである。
使える人手を遊ばせておくなど論外だった。
「希望としては小夜殿を、と言いたい所だが、初期刀不在だというのにそこまではねだれんな。そうさな……では歌仙殿と後藤殿、三日月殿、御手杵殿をお願いしたい」
「分かりました。僕も、なるべく顔を出すようにします」
「痛み入る」
しかめつらしい顔をわずかに綻ばせた連理に、小夜はゆるりと首を振って目を伏せる。
に顕現された身だ。彼女の刀剣男士として、仮初の肉体を得ている身だ。霊力の繋がりが途切れれば必ず分かる。生きている事は分かっていた。
そうである以上、彼女の刀剣男士は諦めない。どれだけ時間がかかろうと、どこにいようとも探し出して、きっと連れ戻して見せる。生きているのに諦められるほど、彼女の刀剣男士達の、彼女へ向ける執着は決して軽くない。
だから問題は――。小夜はひそりと、その懸念を胸底に落とす。
問題は、その不在にどこまで耐えていられるか。それに尽きた。
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