“その昔、莊周という男が夢に胡蝶と為った。”
“胡蝶である間、莊周である事などまるで頭に無かった。”
“しかし、目を覚ましてみれば己は莊周以外の何者でもない。”
“ ――さて、莊周である己が夢に胡蝶と為ったのか、胡蝶の見る夢が莊周であるのか。”
荘子「斉物論」(筆者翻訳)より抜粋
■ ■ ■
「けっっっむ」
城に入って真っ先に感じたのは、明らかに何かを燃やしているらしき独特の臭気だった。
臭くはないけど良い匂いとも言えない。田んぼの野焼きを連想させる臭いと共に、何処から流れてきているのやら、うっすらと白い煙が誰もいない廊下でさざ波のように漂っている。火事……では無いっぽいけど。
「ずいぶんと仰々しい真似してるね。何事だいこりゃ」
「ああ。城主の忠直様がご病気なんだけど、それで奉公人が怖がってて。病除けなんだって」
「にしたってやりすぎじゃないですかね……。何の病気なんです?」
病除け、って事は浄香でも焚いているか、そうでなかったらどこかで護摩壇組んで祈祷でもしてるのか。
どちらにせよこんな城内の推定はしっこまで届くレベルでやってるとか、指示した人の正気を疑うところである。私の言葉に、キリちゃん先輩が「それが……その」と言い辛そうに声を潜める。
「天然痘、だそうです」
「うわ……。それならやりすぎにもなるかぁ……」
天然痘。
それは人類が唯一根絶に成功した、高い致死率と高い感染力を持ち合わせたとんでもなくやべーやつである。
そういや時代的にまだまだお元気な頃合いですね。しかも根絶に成功した病なので、私やキリちゃん先輩もワクチン打ってないっていう。万が一かかったら未来でどうにかなるっけかこれ。治療薬あったかどうか記憶に無いな……。
ともあれ、天然痘なら過剰反応するのも納得だ。あれ確か見た目にも症状分かりやすく出るタイプだし。
「ついたよ、ここ。入って」
さして歩かないうちに、立ち止まった信濃さんが襖を開けて促す。
ずいぶんと殺風景な部屋だった。端に畳まれた薄い布団がある以外は何もない。とりあえず促されるまま、キリちゃん先輩と並んで窓寄りの位置に腰を落ち着ける。おおよそ六畳。小柄な短刀と女二人ならまだしも、ガタイのいい大太刀まで入れると圧迫感を感じる広さだ。分かりやすく身を強張らせるキリちゃん先輩に、次郎さんが大太刀を抱えて襖近くであぐらをかく。
襖を閉めた信濃さんが、私の方を見てあからさまに不機嫌顔をした。わぁ素直。
「――情報交換をって話だったけど。あいにく、そんなに話せる事は無いんだ」
その場に腰を落ち着けて、不満です、と言外に主張してくる声色で口火を切った信濃さんの話によれば、二人もつい数日前、この時代に来たらしかった。
しかも悪いことに、キリちゃん先輩は私のような転移事故ではなく現世――2014年の12月。私が審神者になったのと同じ時代で“何か”に襲われ、気が付いたら人型になっていた守り刀とここにいたそうで。
だから信濃さんが分かっているのも、“何か”に襲われたキリちゃん先輩によって刀剣男士として顕現されたという事だけで、どうしてこの時代にやってきたのか。原因も、襲われた理由も、元の時代に戻る方法もいまだに取っ掛かり一つ掴めていない、との事だった。
ええと、それはつまり。
「キリちゃん先輩は職業審神者では、ない……?」
俯きがちに、先輩は小さく首肯した。
やめて……やめて……そういうのほんっっっとマジで無理……友達とか身内とか昔の同僚とか、普通にありふれた日常生活送ってて欲しかった……よりにもよってそんな少年漫画の導入みたいな展開ある……?
思わず目元を覆ってうなだれる私の背中を、遠慮がちにキリちゃん先輩の手が撫でる。
こんな受け入れたくない現実、審神者就任時以来である。あまりにもクソ。
「そりゃまた、よく分かんない事になってるねえ。にしても、なんだって城に?」
「俺だけならともかく、大将は人間だからね。衣食住を欠く訳にはいかないでしょ。それにこの時代の俺の本霊、この佐賀城にあるんだ。ここにいれば帰る手がかりも見つかるかなって」
「……信濃さん、先輩を守ってくれててありがとうございます」
心底からの感謝を込め、姿勢を正して深々と頭を下げる。
右も左も分からない審神者(未満)に、顕現ほやほや刀剣男士が一振りだけ。
あまりにも命とか貞操とかいろんなものの危険が危ない案件である。この時代、野盗とか人さらいとか普通にいるしな……。しかも手入れ不可で追加人員鍛刀も不可、管狐サポートも本丸さんバックアップも無しときた。いや元ブラック本丸引継ぎとハードモード具合どっこいでは? リア友がそんな不運ガン積みした死に方するの地雷です。
「あなたにお礼を言われる事じゃないと思うけど」
対する信濃さんの回答は大変ツンケンしていた。うーんツンドラ。
表面上だけでいいので、できればもうちょっとマイルドな対応をお願いしたい。隣のキリちゃん先輩がとてつもなく居心地悪そうにしているので。なお私はノーダメである。妬ましいの隠す気もないの微笑ましいね!
「お礼を言う事ですよ。大切な友達を守っててくれたんですから」
にっこりにこにこ重ねて告げれば、信濃さんは「…………ドウイタシマシテ」と、悔しそうに呻いてプイ、と顔を逸らした。視線の圧から解放されて、隣のキリちゃん先輩がはふ、とか細く安堵の息をつく。
うーんディスコミュ。うまく関係構築できてないっぽいなぁこれ。
どうしよっかな……間を取り持ってもいいけど、キリちゃん先輩には元の時代で平和に暮らしていて欲しいから、それを思えばこの件終わった後で正式に審神者になる理由作りたくないっていうか増やしたくないっていうか。
ああでも、襲われた理由によっては審神者してた方が安全だろうし、そもそも正式な審神者にはせずに元の時代に帰すって可能なのかな。かずらさんか葦名おじさん辺り頼ればどうにかいけるか……?
「それより。そっちは正規の審神者なんでしょ。今の話から分かる事、何かない?」
「んー……? 襲ってきたのは十中八九遡行軍として。キリちゃん先輩がお父さんから貰った刀が、本来なら現世にあるはずのない信濃さんの依り代だったのは……刀剣男士の不法売買が原因、ですかね」
信濃藤四郎の本体はあの時代、美術館の所蔵だったはずだ。
だからこそ、キリちゃん先輩のお父さんは“贋作”と考えたのだろう。まあ実際は刀剣男士の依り代だった訳なんですがね! いやこれ他にも未回収のやつある流れでは? 依り代持ってるせいで襲われた可能性もあるのでは?
「刀剣男士の不法売買……そんな事があるんですか?」
「うん。信濃さんみたいに顕現前の依り代をね。いやー正気を疑うよねー……」
レア刀剣欲しがる気持ちとかマジで理解不能だし、刀剣男士の依り代を審神者業界のみならず現世にまで卸売りする思考回路も理解できない。目先の儲けしか考えてないじゃないですかやだー!
でも前に皆で引っ掛けたとこ、信濃藤四郎実装前だよな潰したのって。
はい。他にもいるフラグですね。今回は結果的にキリちゃん先輩が助かったけど、それはあくまで結果論だ。戻ったら政府へ報告ついでに相模の城下も調べ直してみるかな。殲滅せねば。
「……ねえ。それじゃあ、俺と大将がこの時代に来ちゃった理由は何だと思う?」
「勝手な想像でしかないですけど、現世で遡行軍に襲われた時に何か不測の出来事があって時代を越えた、とかですかね……? あ、もしくはこの時代の“信濃藤四郎”本霊に呼び寄せられたとか。
未来の方で信濃さんに纏わる歴史が一部改変されてるのが発覚して、ちょうど問題になってましたし」
キリちゃん先輩が息を呑んだ。
歴史改変の話題に、私への嫉妬も忘れた様子で信濃さんが身を乗り出す。
「それ詳しく聞かせて欲しい。歴史、未来だとどう変わってたの?」
「あー……ごめんなさい。私この件、そこまで詳しくないんですよね。修行先が、ってこれじゃ分からないか。えーっと、顕現した刀が更に強くなるために、過去の自分の物語を見詰め直す“極修行”っていうのがあるんですけど。行った先が本来行くべき場所じゃなかったらしい? としか」
信濃さんの『こいつ役に立たねぇな』と言わんばかりな視線が痛い。いやだってうちの本丸で顕現してる男士って訳でもないし……捌かないといけないお仕事いっぱいあって忙しかったし……。
「次郎さん覚えてたりしない?」
「ごめーん、アタシも覚えてなーい」
「ですよねー」
うんまぁ予想はしてた。してたけども。
「ロクに覚えてなくて申し訳ないです。でも、信濃さんの本霊ここにいるんですよね?
それなら手始めに、ここの本霊から話を聞くっていうのは――」
「っダメです!」
勢い込んだ食い気味の却下に、思わず目を丸くして横を見る。
キリちゃん先輩は真っ青だった。固く強張った声で、「絶対だめです」と頑なに繰り返す。
「大将」
「だめです。だめ。嫌。危ないです。行っちゃダメです。絶対、絶対に行くべきじゃないです」
「って言ってもなぁ……」
事態解明しようと思うと、それ以外に取っ掛かりらしい取っ掛かりもない訳で。
震える手が、私の手をきゅっと掴む。おおぅ断固阻止の構え。
どうしたものかと困っていると、「アタシもどうかーん」と軽い調子で次郎さんが賛同した。
「えっ」
「は?」
「だあって刀がアタシと信濃だけだしねえ。やんなきゃいけないのは、この時代から無事に引き揚げる事。だろ?」
「あ~…………」
にっと笑ってウインクする次郎さんに、言われてみればと思わず額に自由な方の手をあてた。ダメだ、何か巻き込まれたらとりあえず渦中突っ込んでって調べてみる、がデフォルトになってたわ。これは良くない。
「引き揚げって言っても、そっちもここに来たのは事故だったんでしょ。他にアテがあるの?」
「アタシのは正規の審神者だし、過去への遡行径路はぜーんぶ自動で記録されるからね。待ってりゃそのうち迎えが来るさ」
「えー来るかな……来るかなぁ……?」
次郎さんの提案は確かに手堅い。遭難したならむやみに動き回らない、は鉄則である。
ただ、事故って遡行した径路がきちんと記録されてれるかは正直疑わしいし、そもそも政府がちゃんと探してくれるかどうか。運が良ければ速攻で迎えが来そうだけどどうかなー……悪運ならまだしも、幸運の方はちょーっと自信ないかなー……。
噂に聞く特殊な遠征任務みたく、現地から任意で帰還できれば良かったんだけど。
「あ。政府の調査チームと合流して帰る、っていう手も使えるかも」
「調査チーム、ですか?」
「信濃藤四郎の歴史が改変されてたからね。キリちゃん先輩達がここの時間軸……えーと、寛永寛永十二年一月? に時間遡行したのが本霊に何かあっての事なら、この辺りに来てる可能性は高いかなーって」
「そんじゃ、迎えを待ちながら政府の調査チーム探しで決まりだね」
「ですね。そっちもそれでいいです?」
キリちゃん先輩にそう問えば、先輩はおずおずと信濃さんの方を伺い見る。
縋るような目を受けて、予想通りというべきか、折れたのは信濃さんの方だった。深々とした溜息と共に、肩を落としていかにもしぶしぶ、といった様子で頷く。
「……うん、それでいいよ」
「っありがとうございます、信濃!」
ぱああ、とキリちゃん先輩が全開の笑顔になった。つられて私の頬も緩む。
が、それも長くは続かなかった。窓辺に視線を投げかけて、信濃さんが「すっかり日も暮れたね」と誰にともなく呟いて腰を上げる。
「大将。奥方様に二人の滞在許可を貰いに行こう」
「ぁ……そう、ですね。そうでした……」
信濃さんの促しに、キリちゃん先輩は一転してしょんぼり畳に視線を落とした。
いやしょんぼりってレベルじゃないなこれ。わりと洒落にならないくらいどんよりしてる。
うーん……キリちゃん先輩、もしかしなくとも奥方様とやらと相性最悪だったりする……? 空気の重さがパワハラ上司にミス報告しに行かされる事になった新人さん並みである。
鬱手前じゃねーか。眉を顰めて、握られたままの手を握り返す。
「先輩先輩、なんなら一緒に行きましょうか?」
「――」
のろのろと、キリちゃん先輩が顔を上げた。
今にも泣き出す寸前のような、苦いものを無理矢理飲み込もうとしている時のような顔だった。握った手に力が入る。強がり以外の何物でもない不格好な笑みを浮かべて、キリちゃん先輩は小さく首を横に振った。
「だいじょうぶ、です。……必ず、いられるようにしてみせますから」
「うん……無理なら無理でいいからね……?」
いやマジで。私の事は気にせず自分を大事にして欲しい。
野宿でどうにかするには季節的にも時間的にも辛いっちゃ辛いけど、どうにか凌げる自信はあるので。
私の言葉に少しだけ目を和ませて、キリちゃん先輩は信濃さんと部屋を出て行った。
大丈夫かな……。
■ ■ ■
鈍色の雲が薄暗く、重苦しく空を塞ぐ。
夜の暗さには程遠いが、さりとて昼の明るさにも及ばない。息苦しくなるような曇天の下、金と銀、特徴的な二つの色彩が、異形の群れを縫って流星のように。あるいは稲妻のように、軌跡を残して駆け走る。
「こうだな」
寛永十二年一月、加賀藩。
時代にはそぐわない洋装を纏う男達の大立ち回りは、筋立ての決まった演武のように危なげない。
一つ。二つ。三つ。
瞬きの度。金と銀が走る度。がしゃり、がしゃりと硬質な音を立てて、地に堕ちるのは異形の武者達だ。倒れ、砕け、瓦解し、輪郭を喪って消え失せる。最初から存在してなどいなかったかのように。
「そら」
がしゃり、がしゃり、……がしゃん。
人型をした最後の異形が、袈裟懸けに斬られてぐらりと傾ぎ、崩れ落ちる。
キン、とタイミングをずらして小さく響いた納刀の音が、痕跡を残さない殺戮劇に幕を落とす。
異形の武者達は狩り尽され、二つの色だけが、無人となったその場所に取り残された。残党を警戒してか、油断なく周囲に目を配りながら男達……二振りの刀剣男士はどちらともなく口を開く。
「随分と統率のなっていない襲撃だったな」
「そうさなぁ。まるで、何かを焦っているような動きだ」
銀髪の青年が柳眉を寄せ、金髪の男が思案顔で応じる。
信濃藤四郎に纏わる歴史改変問題。彼等はその調査の為、政府によって過去へ送られた調査チームの一員だ。
現時点で改変が判明しているのは、信濃藤四郎が本来伝来すべきだった家の相違。即ち、寛永十二年時点の所有者である事が確認された加賀藩主、前田光高の次。出羽庄内藩酒井家が、若狭小浜藩酒井家へすり替わっていた問題である。
未来の文献を信じるなら、信濃藤四郎が酒井家へ渡るのは寛永十三年九月。
なのでその近辺の時間軸に網を張っていたところ、こうして目出度くアタリを引けた訳だが――。
「信濃藤四郎が酒井家へ行く前に破壊するつもり、か?」
言いながらも、銀髪の青年は腑に落ちていない様子だった。
遡行軍に遭遇し、敵の目的がこの時代の信濃藤四郎の破壊である所までは看破した。そこまではいい。襲ってくるなら斬り捨てるのみだ。しかし、奇妙なのは未来との齟齬である。
彼等がこの時代へ遣わされた理由は、“信濃藤四郎に纏わる歴史改変の阻止、及び原因解明”。過去で破壊の危機にある信濃藤四郎を護る事では無かったはずなのだ。
「何にせよ、今のは単なる物見だろうな。
この後に本隊が来るとなると、僕とお前さんだけで守り切るのはちとキツいぞ」
「増援を要請するべきだろうな」
「だな。しかし解せん。この歴史を改変したとて、連中に何の利がある?」
この事態を引き起こした黒幕に、何かしらの心変わりがあったとしか思えない変化。
けれど、それが何に拠るのかが分からない。未来でも推論を重ねている問題ではあったが、信濃藤四郎の修行先以外、未来に何の齟齬も起きていないのである。
歴史修正主義者達の今までの行動を鑑みれば、あまりにも今回の変化はささやか過ぎた。
だからこそ、事が発覚するまで遡行軍の蠢動が見過ごされてしまったのだが。
「さてね。それを調べるのも俺達の仕事だ」
「だとしても、取っ掛かりくらいは欲しいんだがなぁ」
刀から持ち替えた扇子を顎に押し当てて、金髪の男が嘆くように天を仰ぐ。
ふ、と視線を落として、銀髪の青年が小さくかぶりを振った。
「……せめて、彼女達が見つかっていれば良かったんだが」
「捜索の要請があった城督殿とその近侍か」
相模国不在本丸城督、審神者名“雛鴉”。
政府より名を賜った“ネームド”として色々な意味で名を馳せているかの審神者が、転移門の事故によって近侍を務めていた初期刀共々、何処とも知れぬ時代に飛ばされた一件は追加の捜索任務として彼等の耳にも入っている。
かの審神者は最後に残った記録映像で、『誰か』に返事をして振り返る姿が確認されていた。加えて正確な時代や場所こそ特定できていないものの、直前の使用履歴に影響を受けてか、おおよそ彼等調査チームがいる辺りの時代にいる、という所までは判明している。
何かしらの縁があったか、はたまた遡行軍の罠か。
どちらにせよ、遅々として調べの進まないこの一件の渦中にいる可能性が高いと判断した政府によって、現地で発見・無事を確認し次第、調査チームと共同で事件解決に当たらせるようにという指令も下っている辺り、かの審神者に対する政府の評価が窺い知れる。
「お前さん、あの審神者の作った自警団に人間のふりをして潜り込んでいたんだったか」
「地獄耳だな……。随分なお喋りがいるようだ」
「人の口に戸は立てられんものだ」
不機嫌に口角を下げた青年に、シレッとした顔で男がのたまう。「で、どうなんだ」と続けたその眼差しは、先程までと異なり下世話な好奇心で――もとい、純真な少年のようにキラキラと眩いばかりに輝いている。
にまにま、という形容詞以外が思いつかない笑顔で見てくる同僚に、青年は今度こそ、露骨に嫌そうな顔をした。
「何がかな」
「城督殿だ。噂に聞く限りでは冷血無情、お上も手を焼く野心家のたいそうな女傑だそうだが。惚れたか?」
「それはない。魅力的な人ではあったけどね」
本人が耳にすれば誰の話だと首を傾げるだろう風聞に、青年は嫌そうな顔のままで即答した。しかし発言内容の方は表情に反し、リップサービスとも思えぬ肯定的なものである。点の辛い同僚にしては意外にも高評価であるらしいと察し、男は目を見開いて「ほぉ」と素直な感嘆を漏らす。
「我ら政府の刀を率いるに相応しい程にか」
「……本っ当に地獄耳だな。一体どこから仕入れてくるんだ」
「うはははは! それは秘密だ」
少しばかりの感心と、それを上回って余りある胡散臭いなという感想を率直に伝える眼差しに、男は茶目っ気たっぷりのウインクを返す。ともすれば大事故間違いなしの仕草であるが、刀剣男士の整った顔貌に男の雰囲気も相まって、色男と言って差し支えないほど様になっていた。
惜しむらくは受け取る側も、系統は違えど同レベルの美貌を持ち合わせる刀剣男士だった事だろう。白けた目で数歩距離を空けて肩を竦める。
「あくまで噂だ、実現はしないだろう。――何より、本人がやりたがらない」
「……成程。脈ナシでは諦めるより他ないな」
最後に覗かせた表情に広げた扇子の奥で微苦笑を零し、男は話題を切り替えた。
「ともあれ遡行軍の狙いがこちらなら、佐賀藩側は外れだな」
「そうだな。増援依頼ついでだ、あちらに行った仲間の呼び戻しを進言しておこう」
BACK / TOP / NEXT