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(小話160)ある「禅僧と先生たち」の話・・・
明治時代のこと。ある禅僧が大学の先生たちに、禅の教えを説いた。その時に、次のような問題を出して、先生たちに考えさせた。「川に、あなたの母と妻が溺れている。どちらの方を先に助けるべきか?」大学の先生たちはあれこれと議論した。儒教の立場では、何よりもまず「孝」を重んずるから、母を先に助けるべきだ。と主張する先生もいる。いやいや、西洋哲学では家庭の基本原理は夫婦だから妻を助けるべきだ。と言う先生もいる。あれこれとみな議論しているだけで、少しもまとまらなかった。「お前たち、そんなに議論ばかりしていると、二人とも溺れ死にするぞ!早く助けんかい!」禅僧は、そう言って叱った。だが、叱られても、おいそれと結論は出なかった。「和尚さんであれば、どうされますか?」と一人の先生が禅僧に尋ねた。すると、和尚は即座に言った。「わしか。わしであれば、まず近くにいるほうを助ける」
(小話159)ある「まぼろしの王宮」の話・・・
昔、大勢の旅人が隊を組んで砂漠を進んでいた。砂漠の向こうに宝のありかがあるというので、そこに向かって皆が一歩一歩進んで行った。しかし、砂漠はどこまでも続き、みんな疲れ果てて先へ進のがもうイヤになってきた。「宝なんかいらないから帰りたい」と言う者も出てきた。その時に、一行の指導者が不思議な霊力で砂漠の中に幻の王宮を出現させて、「あそこが宝のありかだ。あそこまで行けばいいんだ」と言ってみんなを励まし、引っ張って行った。そして、幻の王宮の中で休憩をとり、皆の疲れが癒えると、「本当の目的地はもっと先にあるんだ」と言って再び出発させた。みんながまた疲れたら、また幻の王宮を現して休ませ、疲れが癒えたらまた出発させた。こうして一行は、無事に目的の宝のありかに到達できたのである。
(参考)
昔の中国でのこと。ある軍隊が行軍の途中、水がなくて、兵士達のノドはすっかり渇いていた。その時、将軍は、先方に梅の林がある、梅は酸っぱいから渇きを癒すことができると兵士達を励ました。すると梅の話を聞いた兵士達の口の中にはすぐつばが出てきて、無事に進軍することができたという(望梅止渇)
(小話158)「皇帝と達磨大師」の話・・・
中国に絶大な権力を持った、ある皇帝がいた。彼は、仏教を保護し自らも教典の講義をするほどの学識あった。ある日、彼は禅宗の始祖である名高い達磨大師を招いて問答をした。「私は、これまで多くの寺院を造り、教典を写し、僧たちに援助してきた。これらの行為には、どんな功徳があるか」と。すると達磨大師は、即座に「功徳など無い」と冷たく答えた。その答えに皇帝は驚いて、あわてて別の質問をした。「最高の真理とは何か?」「最高というものも糞もない」「それでは、お前は一体何者だ?」「知らんね」達磨大師は、取りつく島もない。皇帝は問答をあきらめた。達磨大師はさっさと皇帝の前を立ち去ったという。(達磨大師は、皇帝が多くの寺院を造ったことに執着し、功徳を期待していることにあきれて立ち去ったという)
(小話157)ある「長者の家の嫁になった娘」の話・・・
昔、ある村に金持ちの長者がいた。長者の家は早起きで、三番鶏が「コケコッコー」と鳴くと、家族一同も一斉に起きて仕事をした。ある日、山一つ超えた隣村の美しい娘に、長者が「嫁にきて下され」と言った。両親は、長者の家なら安心だと喜んで娘を嫁にやった。けれども、早起きの事を知らない嫁は、毎日朝までぐっすり眠っていた。我慢できなくなって長者のおかみが、ある日「我が家は、代々早起きしてひと仕事するのがしきたりじゃ。お前のように朝寝坊ばかりしておるようじゃ、嫁として勤まりますまい。里に帰りなさい」と言った。泣く泣く帰って来た娘は「私は早起きなんて出来ない」と母親に言った。母親は「ごめんよ。お前の朝寝坊は、この母さまの責任じゃ。娘の時にゆっくり寝かせておいた母が悪かった」と娘をなだめて、長者の家に帰した。その夜、嫁は、なかなか眠れなかったが、ついウトウトとし始めた時、「チ〜ン、チ〜ン」と、どこからか美しい鐘の音が聞こえてきた。嫁はハッと目を醒ました。すると、同時に「コケコッコー」と三番鶏が鳴いた。嫁は急いで起き上がり、みなと一緒に仕事についた。次の日も、また次の日も三番鶏が鳴く前に必ず「チ〜ン、チ〜ン」と鐘の音が鳴って目が覚めた。こうして、嫁は、一度も朝寝坊することなく家族と共に目を覚まし、働くことができた。その年の冬、雪の降る凍りつくような寒い朝のこと。「峠で女の人が死んでいるぞ〜」という叫び声が聞こえてきた。嫁は胸騒ぎがして、走っていくと、そこ倒れていたのは、手に打ち鐘をしっかり握った娘の母親であった。「ああっ 母さま」娘は、母親をかき抱いて涙にくれた。
(参考)
鶏は、午前三時に一番鳥が鳴いて、四時になったら二番鳥が鳴いて、五時になったら、三番鳥が鳴くという。
(小話156)ある「俺は主人公」の話・・・
ある和尚が、毎日毎日、歩いていても坐っていても、みずから「主人公」「主人公」と呼んでいた。そししてみずから「ハイ」「ハイ」と答えていた。それから「はっき目をさましておれよ」「ハイ」「油断するなよ」「ハイ」「悪い心をおこすな」「ハイ」こうして自問自答しては「ハイ」「ハイ」と力強く答えて、常に、自分の中の本当の自分を忘れないよう自戒していたという。
(小話155)「もう一度、大石順教尼さん」の話・・・
十七歳の春、思わぬ災難のために両手を失った順教尼さんは、一日生きることは、一日他人の世話にならなければ、生きてゆくことのできない厄介者であった。順教尼さんにとって一日の苦悩は、一日の絶望でしかなかった。その絶望の淵に立たされ、幾度か、死を覚悟した順教尼さんにとって、一つの宗教的転機があった。それは「おまえがもし、ここで死んでしまったら、おまえのあとからつづいて来る不幸な境遇の人達が、やはり同じように死を選ばなければならないであろう」という内なる声であった。自分の不幸を歎くことしか知らなかった順教尼さんにとって、この内なる声は、順教尼さんの一生涯を貫くただ一筋の太い道となったのである。この心の転機を通し、順教尼さんは、自分の苦悩や弱さをそのまま内に抱いて、同じ境遇にある人達のために、自分の人生を捧げる求道者としての道を選んだのであった。
(小話154)「順教尼さんと風呂」の話・・・
       (一)
「先生、お背中をながしましょうか」「ありがとう、おねがいしますよ」浴場の片隅に置かれたタライ湯の中で、順教尼さんは足の不自由な塾生に、背中をながしてもらった。「先生、あの、お尋ねしていいですか」「ああ、いいよ」「どうして先生は、湯舟に入る前にタライの中で入浴されるのですか」「・・・勿体ないと思ってね。こうしてのんびると風呂をつかっていることが、たまらなく勿体ないのだよ」「タライに入りながら、どうしてそんなに勿体ないのですか」「そう、あなたには、まだ話さなかったね」それは十七歳に思わぬ不祥事に遭難した順教尼さんは、無惨にも両手を失い悶々たる日々を送っていた頃のことである。母親に連れられて風呂屋に行くと、物見高い人々の眼が順教尼さんの体に集中したのであった。ある日、風呂屋の主人は、「あんたらの風呂銭はいらないよ」「へえ、またどうしてですか」「あんたらが風呂に来てくれるとね、沢山の人がはいって来るので繁昌するんだ」というのである。順教尼さんの悲しみもさることながら、母親の心はどれほどの辛苦を味わったことであろう。それ以来、母親は季節をとわず、順教尼さんを家の中でタライ湯をつかわしてくれたであった。「私にはその頃の母親の悲しみと、情けの深さが忘れられないのだよ」「だから先生は、そのお母さんの心を忘れないように、タライ湯をつかってから、最後に湯舟に入ることにしているのですか」「皆さんの温かい真心で生かされていることに、もしも馴れるようなことがあったら大変ですからね。こうしてタライの中に身を置いて、つつしみたいと思っているのだよ」
      (二)
「先生、わかりました。私は両手が使えるのに片足が悪いものだから、つい見かねて荷物などを持ってくれる人があるんですよ。でも甘えたらいけませんね。これから気をつけます」「そう、それはよいところに気がついたね。それでは、このことだけはしっかり覚えておきなさい。私達不自由なものが、人から手や足や眼をお借りすることが出来ても、どうしても借りることの出来ないものが一つあるのですよ」「先生、それは一体何ですか」「それは「心」です。「心」だけは、誰からも借りることは出来ないのだよ。体は不自由であっても「心」はみんな同じです。その心の生き方を見いだすことが、一番大切なことだよ。誰にも借りることの出来ない大切な心を、ただ同情に頼ることだけに使ってしまったら、あんまりみじめではないかい」
(小話153) ある「長者と乞食」の話・・・
昔、一人のなまけものの男がいた。みすぼらしい彼をみた友人の長者は、金貨10枚を与えて仕事を始めるようにすすめた。男は長者に真面目に努力すると誓ったが、遊び好きな性格は変わらず、ついには貰った金貨10枚を使い果たしてしまった。彼がみすぼらしい姿で、再び長者の家をたずねた時、長者は言った。「友よ、門の前に死んだ鯉が捨ててある。もし頭が良くて働き者なら、あの死んだ鯉一匹からでも、自分が生活するぐらいの金は稼ぎ出すのに、金貨10枚があっても、貧乏しているとはなんということです。しかし、そんなことを言っても、仕方がないから、もう一度金貨10枚をあげましょう。今度こそは本当に働きなさいよ」とはげまして言った。その時、一人の乞食が通りがかりに長者のこの話を聞いて思った「そうだ、一匹の死んだ鯉からでもお金を稼ぐことは出来るのだ」そして、帰り道に一匹の鯉を拾い、調味料をもらい集め、鯉に味を付け、焼いて売って銅貨2枚を得た。これをもとにして次々とお金を儲けて、ついには大金持ちになった。一方、なまけものの男は、相変わらず遊んでばかりいて、貰った金貨10枚も使い果たしてしまい、乞食同然の生活をしていた。乞食から大金持ちになった男は、「わたしは乞食であったが、運良くこのようなお金持ちになれたのも、もとはといえばあの長者の教えのとうり生きてきたからである。お礼をしなくてはいけない」と、黄金の鯉をつくり、その中には多くの金貨をつめて長者のところに行き、その訳を語り、心からお礼を言い、贈り物をさしあげた。「あなたは、実に教えがいのあるお方です」と喜んだ長者は、娘を彼に嫁がせ、財産のすべてをゆずったという。
(小話152) ある「目の不自由な男」の話・・・
むかしインドに、一人の目の不自由な男がいた。ある日、男は友人を久しぶりに訪ねて、つもる話に花を咲かせ、ふと気付くと外は真っ暗な夜になっていた。あわてて帰ろうとする男に、友人は、「夜道は危ないから」と提灯を持たせようとした。すると男は、真っ赤になって怒りだした。「目の不自由な私に提灯が要るわけがない。悪い冗談はよしてくれ」「でも、あなたには要らなくても相手の人がぶつかってくると危ない。だから持って行きなさい」という友人の言葉に男は納得し、素直に提灯を持って帰ったという。
(小話151) 有名な「終わりのない仕事」の話・・・
ギリシア神話より。昔、一人の男がいた。彼は、人間のうちで最も悪賢い男で、死の直前に、彼は妻に命じた。「自分が死んでも葬儀をするな。オレの死骸は、広場の真ん中に打ち捨てておけ」妻は、その通りにした。男は、冥途にいって冥途の王であるハデスに願い出た。「わたしの妻はヒドイ女だ。私の葬儀をせず、死体を広場に打ち捨てている。私は、妻を懲らしめたい。妻に仕返しをするために、ハデスよ、私をもう一度地上に戻らせてくれ」死者の王ハデスも、この男の訴えに共感し、男は許されて地上に帰った。だが、妻を懲らしめたりはしなかった。自分が生き返るためについたウソであったのだ。ハデスからの度重なる召喚命令を無視して、この男は生き続けた。その結果、神々の王ゼウスは、この男を地獄に送り、そこで永遠の刑罰を負わせた。地獄にあって男は、巨大な岩石を山頂へ押し上げる仕事をやらされた。しかし、彼が岩石を山頂へ運んだ瞬間、それは彼の手から滑りだして再びもとの場所まで転がり落ちた。男は山をくだりり、再び岩石を押し上げなければならない。何度やっても同じことだ。岩は山頂に押し上げられた瞬間、再び転がり落ちる。男は、その終わりのない仕事を繰り返さなければならない。未来永劫にわたって………。
(小話150) 「もっとも愛(いとお)しいもの」の話・・・
ある時、インドの大国のある王は最愛の夫人と、高楼に登って雄大な景色を眺めて楽しんでいた。王は、ふと夫人に問うてみた。「そなたは自分自身より、もっと愛(いとお)しいと思われる者があるか」と。王は、相思相愛の夫人の口から、さぞかし、「何よりも、あなたが愛しい」という言葉を期待していた。しかし返ってきた言葉は意外だった。「王よ、わたしには自分よりもっと愛しいと思われるものは考えられません。王も、ご自分よりもっと愛しいと思われるものがあるでしょうか?」と。期待を裏切られた王は、夫人を連れて釈尊を訪れ、この事を申し上げた。釈尊は深く頷ずかれて、次のように説かれた。「人の思いは、どこへでも行くことが出来る。されど、いずこに行こうとも、人は己れより愛(いとお)しいものを見出だすことは出来ない。それと同じように、他の人々も自分はこよなく愛しい。されば、自分自身が愛しい事を知る者は、他のものを害してはならない」と。
(小話149) ある「傷ついた白い小鳥」の話・・・
ある日、森の中で少年と少女たちが遊んでいた。そのとき、どこからか美しい鳥の声が聞こえてきた。だが、急にその声がピタリとやんだ。少女たちがふり向くと、少年たちが、木の下のしげみをかきわけていた。「見つけたよ」と一人の小さい少年が真っ白いものを、両手でそっと持ってこちらへかけてきた。その後から、大声で追ってくる大きい少年がいた。「待て、泥棒。それはぼくのだぞ」小さい少年が持っていたのは白い小鳥で、翼を傷つけられていた。追いついた大きい少年が言った「それ、ぼくのだよ。返してよ」小さい少年は、体を固くして背を向けた。「返せよ、返せったら」力づくで取り返そうとする大きい少年に、年かさの少女が言った「待って、わけを話してちょうだい」大きい少年は、後から来た仲間の少年たちに言った「なあ、みんな、この鳥はぼくのだよな。ぼくが石を投げて落としたんだから」「そうだ、そうだ」「ちがうよ」と小さい少年の仲間が言った「見つけたほうのものだよ。だってあんなにわかりにくい所にいたんだからね。そうだろう」「そうだ、そうだ」白い小鳥は打ち落とした方か、見つけた方か、どちらのものなのか、少年たちは声をはりあげていい争った。「あのね、ちょっと待ってて」と、年かさの少女が、森の中へ走ってゆき、一人の老人をつれて戻ってきた。「話は聞いたよ、みんな、わたしの話を聞いてくれるかね」子どもたちは老人の優しい瞳とおごそかな声の調子に、黙ってうなずいた。「生きものの命は誰のものか。それは命を傷つけようとする人のものではない。命を育(はぐく)もう、いたわろうとする人のものなのだよ」
(小話148) 「若い王と三つの難題」の話・・・
        (一)
昔、インドのある国で若い王が位についた。王は老人がきらいだったので、七十歳を過ぎた者は遠い山へ捨てよ、という法律を作った。大臣たちは王に言った「老人はこの国を長い間ささえてきた人々です。この国では今まで老人は大切にされてきました。無理に法律を守らせれば、人々の心は王さまから離れてゆきます」王は頑(がん)として聞き入れません。まもなく隣国と戦争が始まった。王は苦戦を続け、ついにはお妃(きさき)を人質(ひとじち)にして、十日間の休戦になった。次の日、相手の国から使者がきた。「わが王はお妃をことのほか気に入って、正式にお迎えしたいと望んでいます。美しいお妃を卑怯な方法で得たくはありません。失礼ながら武力では、わが軍が勝(まさ)っている。そこで知恵くらべで勝敗を決めるのはいかがでしょう」王は承知するほかありませんでした。
        (二)
最初の問題は「うりふたつの二匹のヘビの雄雌(おすめす)を見分けること」で、これを知っている人を国中さがしたが誰に知らない。困りはてた王に一人の大臣が言った「やわらかい敷物の上に二匹のヘビを置いて、激しく身をくねらせる方が雄、じっと動かないのが雌です」確かめると、そのとおりであった。次の問題が届いた。「四角い大きな木材のどちらが根元か見分ける方法」国中、誰も知らなかった。例の大臣が答えた。「水にうかべて、下になった方が根元です」確かめると、そのとおりであった。三番目の問題が来た。「ひと口の水は大海(たいかい)のすべての水よりも偉大である。これを説明せよ」王は例の大臣に答えを求めた。次の日、大臣は答えた。「砂漠を旅する人、熱にあえぐ人、息を引きとろうとしている人にとって、ひと口の水に勝るものはありません」王はそのまま伝えた。まもなく使者がお妃を連れてやってきた「知恵ある人々がいる国はすばらしい。もう戦いをやめて親しく交流しましょう。お妃はお返しいたします」王はお妃の無事な姿を見ることができ、その国と友好が結ばれたので、国中が喜んだ。そして三つの難題を解いた大臣が呼ばれた。だが、 そこに現われたのは粗末な罪人の服を着た大臣で、王をはじめ人々は眼を疑った。「王さま、私は法律を破りました。老いた両親を捨てることができず、地下室にかくまいました。難題を解いたのは両親です。いかようにもお裁(さば)きを・・」王を先頭に、急ぎ足の行列が老人たちを捨てた遠い山をめざして出発したのはその日のうちであった。
(小話147)「おシャカさまと人の嫌う仕事」の話・・・
          (一)
昔、ある一人の男がいた。彼の仕事は、人の嫌がる便所の掃除だった。それで着ているものばかりでなく、体にまでにおいがしみついていた。仕事中はもちろん、そうでないときでも、人々は彼をさけて通った。彼はさびしく思い、友だちが欲しくなった。「そうだ、においのしみていない服を作ればいい」彼は自分で新しい服を作って、町へ出かけた。だが、人々は彼を見ただけで顔をしかめ、誰も相手にしてくれなかった。彼はいっそうさびしくなり「僕がくさいのは誰のせいだ。誰のおかげで毎日用が足(た)せるんだ!」町はずれの広い原っぱを、彼は大声でわめきながら走った。そして草原に大の字になって、空を見つめていると、どこからか声がした。「どうしたんだい。今日は機嫌が悪いようだね」彼はびっくりして起き上がった。だれもいないと思っていた近くに眼のみえない、やせた老人が杖にすがって立っていた。「わしはここで虫や鳥と同じように生きている。お前さんはいつも重い肥(こ)えをここまで捨てにきているんだね。ご苦労な仕事だ。わしはこのとおり貧乏ぐらしだが、何も不満はない。ただ一つだけ、おまえさんがうらやましいんだ」「えっ、僕がうらやましいだって?」「そうだよ。人の役に立つ仕事ができることだ」彼は驚いた。僕のことをそんなふうに見ていてくれる人がいたのだ。それだけで彼の心はすっかり晴れた。次の日から彼はまた仕事に精を出した。すれ違う人が顔をそむけても、ちっとも気にならなくなった。
          (二)
そのころ、町へおシャカさまがおいでになり、人々はお話を聴(き)きにいった。彼もいきたいと思ったが、やめた。においが失礼なるからである。ある日、彼が肥(こ)えをかついで町の路地を歩いていると、おシャカ様の一行(いっこう)に出会った。「何という尊いお姿だろう」と彼は心をうたれたが、我に帰って急いで横道へ折れた。だが、あわてた彼はあやまってころび、肥(こ)えをこぼしてしまった。「どうしよう、おシャカさまの通る道が汚(よご)れた」困りはてている彼の肩に、おシャカさまは静かに手をおいて「避けることはないのだよ。あなたはわたしたちと同じ衣(ころも)を着ているではないか。人の嫌(きら)う仕事にいそしむ心。それがあなたの本当の香りなのです」彼は喜びにふるえる手をあわせると、おシャカさまの姿に野原の老人が重なって見えた。
(小話146)ある「幕末の三人の男」の話・・・
有名な江戸城開城のときの話。勝海舟のところへ幕臣の山岡鉄舟がきて、将軍徳川慶喜の恭順の意を官軍総督府の西郷隆盛へ伝える使者の役をするという。勝は山岡に聞いた「貴殿はどういう手立てをもって官軍の陣営中に行くのか」と。山岡は「官軍の陣営に行けば、斬るか縛るかの外はないはずです。そのときは両方の刀を渡して、縛るのであれば縛られ、斬ろうとするならば、自分の思いを一言、大総督宮へ言上する積りです。もし私のいうことが悪ければ、じきに首を斬ればよい。もし言うことがよければ、この処置を自分に任せて頂きたいと言うだけである。是非を問わずに、ただ空しく人を殺すという理(ことわり)はない。何の難しいことがありましょうか」と言い切った。この微動だにしない山岡鉄舟の決意に、勝は彼にすべてを任せた。後日、勝海舟と西郷隆盛が会ったとき、西郷が言った「さすがは徳川公だけあって、偉い宝をお持ちだ」。勝がどんな宝かと問うと、「山岡さんのことです。いやあの人は、どうのこうのと言葉では言えぬが、何ぶんにも驚いた人でござる」と言うから、勝が、どんな風にと問うと、「いや生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬといったような始末に困る人ですが、しかしあんな始末に困る人ならでは、お互いに腹を開けて、共に天下の大事を誓い合わざるを得ません。本当に無我無私の忠胆なる人とは、山岡さんの如き人でしょう」。そう言って西郷隆盛は大いに感嘆したという。
(小話145)ある「ウサギの知恵」の話・・・
ある童話から。鋭い爪もなく、強靭な身体もなく、素早い足もなく、ほとんど無防備である弱いウサギが、荒野の中で身を守って生き延びていくために、お母さんウサギは、赤ちゃんができると、一匹(一羽)一匹(一羽)の赤ちゃんウサギにいろいろと綿密な注意を与える。その中でも、子ウサギが、ピョンビョンとひとりで飛ぴ回るようになった頃に、特にお母さんウサギが大事に教えたのは「凍れ」という練習であった。その、「凍る」ということは、こちらが敵を発見した場合には、逃げまようのではなく、動かずにそのままの姿勢を保ち、じっとして、木の像のように化けることなのである。すると、森の色と同じ色をしている野性の兎の体は、誰にも発見されず、敵の危険からものがれることが出来るという、生存するための大切な知恵なのであった。
(小話144) ある「三人の子供」の話・・・
ある両親に三人の子供がいた。三人兄妹の真ん中の子は知恵遅れだった。ある日、訪ねてきたお客さんに、子供にと、二つのケーキを貰った。それで、母親はお客が帰ってから三人の子供に二つのケーキ分けた。真ん中の子に一つのケーキをあげて、兄と妹には一つのケーキを半分にして与えた。 ところが、その真ん中の子はケーキを食べようとしなかった。ものも言えない子供であるので、母親は不思議がった。しかし、その時、母親はハッと気が付いた。そして、母親はその子のケーキを半分にして、自分が半分を食べた。 すると、その子は喜んでその半分のケーキを食べ始めた。母親は言った「普通の子は、僕のケーキが小さい、大きい方が欲しいと考えます。でも、この子は、お兄ちゃんや妹が半分しかケーキを食べられない時、自分だけが一個を食べられない子なんです。世間の人は、この子を知恵遅れと呼びますが、この子の知恵は遅れていません。この子には、知恵がないのでなく、知識が遅れているだけなのです……」と。
(小話143)「ある老婆の不安」の話・・・
病院に一人の老婆がいた。その人は八十代後半で、ガンのため余命数力月と診断されていた。二人の子供とその孫たちが、交代して看護していた。ある時、長女が五時に帰ると約束し、次女に後を託して買い物に出かけた。四時四十五分ごろから老婆は落ち着きをなくし、不安げに長女の名前を呼ぴながら、まだ帰らないの、どこへ行ったの、と子供のように何回も呼んだ。次女が、五時に帰るから心配しないで、と言っても納得しません。老齢とガンの末期のため少しポケちゃったのだと思ったが、ふっと次女は、自分たちが小さいころ時間通りに帰らないと母はすごく心配して、あちこちに電話したことを思い出した。老婆の不安の原因はポケなのではなく、幼少のころのつらい体験に根ざしていたのである。老婆は幼いときに、奉公にだされ、以後再ぴ両親と一緒に暮らすことはなかった。奉公先に預けられる時、両親は偽りと知りつつも迎えに来る日を告げた。だが、その日が来ても、何事もなく過ぎていった。もちろん、親も身を切られるほどつらかっが、貧しい時代にはよくあった出来事である。それ以後、老婆には、約束した時間に肉親が会うということに、常に不安を覚えるようになったのである。
(小話142)ある「少年の弁当」の話・・・
ひと昔前、まだ小学生が弁当を持参していた頃のこと。ある日、小学生の少年が泣きべそをかいて学校から帰ってきた。どうしたのかとお祖父さんが聞いてみると、「お前の弁当箱は、大きい弁当箱だな!」といって、昼の食事の時にみんなにからかわれ、つい悲しくなって泣き出してしまったというのである。友達が笑うのも無理もない、小学生には余りにも大きな昔風の土方(どかた)弁当だったのである。小さな弁当箱に代えてあげればそれまでのことであるが、お祖父さんは、「そうか、それならいいことを教えてやろう。明日、昼の時、みんなが「お前の弁当箱は大きいな−」とからかったら「僕の弁当箱は大きいな−」と言ってごらん」と言いきかせたのである。次の日、学校から帰ってきた少年は「僕の弁当箱は大きいなあ−」とみんなと一緒に大きな声を出してみたら、何か体の中がすうっとしてしまったと、明るい顔でお祖父さんに報告したというのである。
(小話141)「ガンジーと新聞記者」の話・・・
インドの独立の父といわれたガンジーの話。非暴力、無抵抗という、かつて人類のなしとげ得なかった精神運動によって、インドの独立を成し遂げた指導者ガンジーに対し、ある新聞記者が、人間愛などという精神性など、はじめから無視して、近代の科学戦争による大量殺戮の前には、無抵抗主義という精神運動が、どれだけの意味があるかという、皮肉な質問をした。「もしも、今、あなたの頭上に、原子爆弾を積んだ飛行機が襲ってきたとしたら、どうなさいますか?」ところが、ガンジーは微笑みを浮かべながら、「飛行機に向かって手を上げ、善意のあることを示そう」と答えたという。