タイトル
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(小話140)ある「王様のわがまま」の話・・・
昔、ある王様が1枚の紙を見て、美しい表が気に入ったが、裏のザラザラが気に入らなくて「わしは裏が大嫌いじゃ、裏を見ると気分が悪くなる。裏を切り取って捨てしまえ」と言った。さっそく家来たちは紙の表と裏を丁寧に切り離して、表の方を王様に差し出した。王様はそれを手にし、美しい表を見てたいそう喜んだ。が、それもつかの間、紙をひっくり返して「どうしたことじゃ、この紙にはまだ汚い裏が残っているではないか、良く見ろ」叱りつけられた家来たちは、またまた慎重に、王様の目の前で表と裏を切りはがした。「王様、これで如何でしょう」王様は納得して、いかにもうれしそうに紙を手に取り、「どれどれ・・・・オヤ、どうしたことじゃ。たしかにわしの目の前で表と裏をはがしておった。不思議じゃやっぱりこの紙には裏がくっついておる」紙にとって表と裏は不離の間がら、いくら裏が気に入らなくともそれは表にくっついたものである。
(小話139)ある「米つき僧」の話・・・
有名な黄檗(おうばく)という禅僧が、自分の後継者を選んだ時の話。 後継者とみられた何人かの候補者たちは、お寺の壁に思い思いの文を書いて、自分の知識や信仰の深さを訴えた。黄檗は、それらを全部読み終えた後、その晩に突然、台所に現われた。そして、台所で二十年間も米つきだけをしている僧に、「ワシの後継者はお前だ」と指名した。米つき僧は、この指名にびっくりし、「頭のいい人たちが、りっぱな文章をたくさん書いているのに、なぜ私をお選びになったのですか?」と聞いた。「いくら立派な文章を書いたって、腹は満たされない。お前のついている米は、天下一品である。お前こそが、わが禅の後継者なのだ。二十年間、一途に米をつき通した。お前の徳こそ、わが禅の道には大事なことなのだ」と言って、彼を後継者に選んだ。この米つき僧が、臨済義玄(りんざいぎげん)という人で、のちの臨済宗の開祖である。
(小話138)ある「罪悪(つみ)の袋」の話・・・
昔、一人のならず者が危険で凶暴なふるまいをして町の中をさまよっていた。誰一人として立ち向かうことができず、町中が家の中に閉じこもり、身を振るわせていた。平和な町は一人のならず者のために地獄になってしまった。そんな町に一人のお坊さんがやってきた。何も知らないお坊さんはならず者の前を通り過ぎようとした。「こら、そこへ行く奴・・・」と、ならず者は刀を振りかざして大声で呼んだ。お坊さんは立ち止まり、ならず者に向かって静かに合掌した。すると不思議なことにならず者は急におとなしくなり、「お前は誰だ、この俺を恐れもしないお前は・・・」「わたしはお前を救うためにここへやってきた」「何、俺を救うだと。俺はこの町で一番、力が強い、みんなが恐れているわ」「いや、お前はこの町で一番、力が弱い。試してやろうか」といって、ならず者の前に一つの袋を置いた。「さあ、その袋を持ち上げて見なさい」「なんだ、こんな袋ぐらい・・・」不思議なことにお坊さんが片手で持ち出した袋を、力任せに持ち上げようとしてもびくともしない。「どうしたことだ。駄目だ・・・あなたには参りました。この袋には何が入っているのですか」「お前にはその袋の中味がわかるか。中身はお前の罪悪(つみ)で一杯なのだ。お前がどんなに罪深い人間であるかわかったであろう」「はい、じゅうぶんわかりました。お許しください」そして、ならず者はその場でお坊さんの弟子になり、町はふたたび平和になったという。
(小話137)有名な「賢者の贈り物」の話・・・
ある都会の片隅に、若い夫妻が住んでいた。彼らの生活はつつましく貧しかったけれど、二人は愛情にあふれていた。明日はクリスマス。ここ数日間、彼女は愛する夫のために何を買おうかと考えていた。しかし、若い妻には、夫のプレゼントを買うためのお金がなかった。若い妻は美しい褐色の長い髪だった。で、彼女はそれを売ってお金を作ることにした。そのお金で、彼女はある店でプラチナの立派な時計の鎖を見つけた。夫は祖父の代から受け継いだ立派な金時計を持っていたが、それにつける鎖がなかった。彼女はその鎖を買うと、喜々として家に帰った。その夜、夫が家に帰ってきた。そして妻の髪を見ると若い夫は茫然とした。「私髪を切って売ったの。髪なんてすぐにまた伸びるわ。さあ、クリスマスおめでとう。私、あなたに素敵なプレゼントを買ったの」と彼女はプラチナの時計鎖を差し出した。すると、夫もポケットから、包みをとりだして、テーブルの上に置いた。それは妻へのプレゼントで、そこには、彼女が以前から欲しがっていた、宝石をちりばめた髪飾りがあった。「ぼくは君の髪飾りを買うお金を作るために時計を売っちゃったんだ」そして微笑んで言った「もうクリスマスプレゼントはかたずけて、しばらくはしまっておこうよ。すぐに使うのはもったいないからね」
(参考)
正確な話は、オー・ヘンリー作(結城浩訳)の短編「賢者の贈り物」を読んで下さい。
http://www.hyuki.com/trans/magi.html
(小話136)有名な「最後の一枚の葉」の話・・・
重い病の一人の少女がいた。2階の部屋から彼女はいつも窓の外を眺めていた。そこには、秋のわびしい庭が見えるだけで、そこの煉瓦の家の壁には、とても古いツタが這っていた。少女は友だちに言った 「早く散るようになったわ。三日前までは何十枚もあったのよ。でも今は、もう残っているのは僅かだわ。私の命もあの葉と同じで、最後の一枚が散るとき、わたしも一緒に行くのよ」一人の病弱な老画家が一階に住んでいた。少女の友だちが老画家に少女のことを話した。彼女自身がツタの最後の一枚が散ると同時にこの世を去るのではないかと…。 その夜、外は嵐で荒れた。次の朝、少女が目を覚まして外を見ると、ツタの葉が一枚だけ煉瓦の壁に残っていた。「あれが最後の一枚ね」と少女が言った。「昨晩のうちに散ると思っていたけど。でも今日には、あの葉も散る。一緒に、私も死ぬ」昼が過ぎ、夕方になっても、一枚のツタの葉は、壁をはう枝にしがみついていた。やがて、夜が来ると再び北風が吹き、雨が窓を打った。朝が来たが、ツタの一枚の葉は、まだそこにあった。「何かが、あの最後の葉を散らさないようにしているのだわ。私の命の葉は散らない、私の命も消えない、きっと治るのよ。きっと!」少女が再び元気をとりもどした数日後、少女の友だちが言った「窓の外を見てごらんなさい。まだあの壁のところ、最後の一枚のツタの葉があるでしょう。どうして、あの葉、今も散らないのか不思議に思わない? 」それは老画家の描いた絵で、嵐で最後の一枚の葉が散った夜に、命と引き換えに煉瓦の壁に描いた傑作であった。
(参考)
正確な話は、オー・ヘンリー作(結城浩訳)の短編「最後の一枚の葉」を読んで下さい。
http://www.hyuki.com/trans/leaf.html
(小話135)「高僧と三人の王子」の話・・・
昔のこと。東インドの高僧が、ある王の宮殿に賓客として迎えられた。王は、宗教心の篤い人だったので、尊者から、いろいろな教えをうけようと、家族たちを呼ぴあつめて説法を熱心に聞いた。そのとき、王が尊者に、説法のお礼にと、すばらしい宝珠をさしあげた。これを手にして尊者は、王の利口そうな三人の王子に質問をなげかけた。「この宝珠にまさる宝珠があるだろうか、答えてみなさい」第一王子は、即座に答えた「この宝珠にまさる宝珠はありません。尊者さま」尊者はにっこりとうなずいて、同じ質問を第二王子にした「この宝珠にまさる宝珠があるだろうか。答えてみなさい」第二王子も、胸を張って答えた「この宝珠にまさる宝珠はありません。尊者さま」尊者は、またも、にっこりとうなずいた。次に第三王子の方をみて「この宝珠にまさる宝珠があるだろうか。答えてみなさい」第三王子も兄たちと同じ答えだと父王は思っていた。しかし、その答えは違っていた「この宝珠のようなものは、世俗の宝珠にすぎません。その光によって他を照らすことはできますが、自らを照らすことはできないと思います。他を照らし、自らを照らし、外を照らし、内を照らす宝珠があります。一切の迷暗を照破する宝珠があります。それは、人間誰しもが秘蔵しているところの知恵です、知恵こそが最もすばらしい至極の宝珠だと思います」この答えを聞いた尊者は深くうなずいた。この第三王子こそ、のちの達磨(ダルマ)大師であった。
(小話134)有名な「蜘蛛(クモ)の糸」の話・・・
昔、インドにどうしようもない一人のならず者がいた。この男は、悪行非道の限りをつくしていたので、死んでから地獄に堕ちた。お釈迦様が、地獄が見える蓮(ハス)の池のほとりを通りかかると、地獄の底でならず者の大男が苦しんでいる姿が見えた。可愛そうに助けることは出来ないだろうかと、お釈迦様が調べてみると、たった一度だけよいことをしていた。それは、ある日、山道で踏み殺そうとした蜘蛛を助けたことである。たとえ一匹の蜘蛛であっても、いのちを助けたということは、尊い慈悲の心である。ひとつ救ってあげようと、蓮の花に巻きついていた蜘蛛の糸を、静かに地獄の底におろした。眼の前におりてきた蜘蛛の糸を見たならず者は、これこそ救いの糸とばかり、必死にすがりついて登りはじめた。ところが、もうだいぷ登ったのではなかろうかと、ふと下を見ると、幾十人もの亡者達が、細い細い一本の蜘蛛の糸にひしめき合って、後からよじ登ってくるではないか。これは大変なことになったと、思わず「こら! これは、おれの一人の糸だ!」と怒鳴ったとたん、蜘蛛の糸はプツンと切れて、ならず者はもとの地獄に堕ちていった。
(参考)
正確な話は、芥川龍之介の短編「蜘蛛(クモ)の糸」を読んで下さい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html
(小話133)「大石順教さんとある少女」の話・・・
両手のない尼僧の大石順教さんとある少女の話。ある時、片足の悪い少女に順教さんが言った「あんたね、片足が悪いだけでよく転ぷなあ!」少女は言った「先生、悲しいです」「そうかい、じゃあ、転ぱなくても歩ける方法を教えてあげよう。それはね、悪い足をかくさないことだよ」「先生、そんな、悪い足をさらけ出すなんて」「あんたの気持はよくわかるよ。でも、そのかくそうとする思いが「心の障害」ということなんだよ。身体の障害は仕方ないことで、片足が悪いことに心をうばわれてはいけないのだよ」と。
(小話132)「婆子焼庵(ばししょうあん)」の話・・・
昔、中国に大金持ちのお婆さんがいた。ある日、街で托鉢をしている若い雲水(修行僧)を見かけた。ああ、これはなかなか見どころがある雲水だと思い「お前さん、私が供養をさせていただくから、一つ、私のところへ来てくれないか」と言って、自分の屋敷の中に庵(いおり)をつくり、その雲水を招いて修行をさせた。二十年間供養をし、お世話をした。もうだいぷ修行が出来たであろうと、ある日、お婆さんは給仕をしていた娘に「今日、お給仕がすんだら、あのお坊さんに抱きついてみなさい。そして、こんな時にはどんな気持がしますか、と聞いてごらん」といった。娘は、言われた通り、朝のお給仕が済むと、坊さんに抱きついて尋ねた「お坊さん、こんな時にはどのようなお気持がいたしますか」。ところが、お坊さんは「古木寒巌に倚って三冬暖気なし」(あなたは、燃えたぎる温かい体で私に抱きついたとお思いでしょう。そして、私を若い一人の男性と思われたかもしれません。けれども、私は寒中の冷たい巌(いわお)のようなもので、あなたを枯木としか思いません。私の心は少しも動じません)と答えた。さっそく娘は、お婆さんに、「私は枯木で、お坊さんは冷たい巌だそうで、何にも感じませんと答えられました」と報告した。すると、お婆さんは烈火のごとく怒って、「二十年もこんな馬鹿坊主にただめしを食わしたのか」と、坊さんを叩き出し、けがらわしいといって、その庵を焼きはらってしまったという。
(小話131)ある「二匹の蛙」の話・・・
昔、京都に住む蛙が、大阪見物をしたいと思って、西街道を山崎に出て天王山へ登りかかった。一方、大阪には京都見物をしたがる蛙がいて、これも西街道を通って同じく天王山へ登りかかり、両者が山の頂上でパッタリと出会った。互いに仲間同士だから気は合う、たちまち打ちとけて語り合った。「ずいぷんと苦労して歩いてきたが、まだようやく中ほどにしかきておらん。これからたがいに京都、大阪まで行くのには、足も腰もたまるまい」「ここが有名な天王山の頂上だ。京都も大阪も一望に見渡すことができる。つま先立ちして、背のぴして見物すれぱ、足の痛さも忘れられよう」と2匹の蛙は話し合って両者が立ち上がり、つま先立ちで前方を見渡していたが、やがて京都の蛙が言った。「音に聞こえた大阪の名所も、こうして見渡してみると、京都と少しも変わりはない。苦労して旅を続けるよりも、ここから引き返すことにしょう」大阪の蛙も目をパチパチさせながら、「京都は花の都だといわれてはいるが、大阪とまったく変わりはせんではないか。私もここから帰ることにきめたぞ」といって、両者はそれぞれ帰途についたという。目の玉が背中についている蛙がつま先立ちで立ち上がれば、京都から出てきた蛙は、大阪を見ているつもりでも、実は京都のほうを見ることになり、大阪から出てきた蛙も同じことである。向こうを見渡したつもりでいながら、うしろを振り返っているにすぎなかった。
(小話130)ある「一番きれいなおかみさん」の話・・・
昔むかし、一人の鍛冶屋がいた。ある日曜日のこと。鍛冶屋は隣りの町の人たちと一緒に、教会の入り口のそぱに立っていた。みんなでおしゃぺりしているうちに、鍛冶屋は、「いまに奥さんたちが教会から出てきたら、おいらは、その中で一番きれいな人のところへ飛んで行って、キスをするのよ」と言った。ほかの人たちは鼻さきで笑って、「そんなこと、できるもんか」と言った。「ようし、そんなら賭けてもいい」と鍛冶屋は、むきになって言いかえした。こうして、賭けになった。礼拝がすんで、人びとが教会から出てきた。鍛冶屋は奥さんたちの方に進んでいき、みんなが、どうするかと見ていると、自分のおかみさんに近づいてキスをした。賭けをした人たちは、「しかしあれじゃ、鍛冶屋の勝とは言えないぞ」と叫んだ。それもそのはず、鍛冶屋のおかみさんはお世辞にも一番きれいだとは言えなかったから。でも、鍛冶屋は言った。「おいらのかみさんが一番きれいじゃないってことぐらい、ちゃんと知ってるさ。だけど、誰だって自分のかみさんが一番きれいだと思うもんさ」
(小話129)「レオナルド・ダ・ヴィンチと荒馬」の話・・・
レオナルド・ダ・ヴィンチがある大公に仕えるようになってから数年後のことである。「雄大でいかめしく、見る人を恐れさせるような、わしの父親の騎馬像をつくってくれ」と大公に頼まれて、レオナルドは毎日、町に出かけていっては馬を熱心に観察した。ところがある日のこと、突然、人々の間にざわめきが起こり、路上の人々が左右に散った。一頭の荒馬がたてがみを風にみだして疾走してくるのだ。レオナルドは胸をおどらせた。「これだ!馬は前に向かってけりはしないのだ」彼は道の中央に立ちふさがって、チョークで疾走してくる荒馬の姿を素早く画帳に描いた。その恐れを知らない態度に気おされたのか、暴れ馬は彼の前までくると、ピタリと立ちどまってしまったという。
(小話128)「アプラゼミとアリ」の話・・・
ファープルの少年期の話。大きなアプラゼミが、夏の太陽を背中一杯に受けて鴫いている。そこにアリが一匹はいよってきた。いや、一匹だけではない。習性に従って、行列をつくってアブラゼミの腹の下にもぐりこんでいく。ファープル少年はその様子を食い入るように見つめた。もうとっくにセミは嶋きやんでいた。木の幹に突きさしていた針のようなロも抜いてしまっている。セミはブルブルッとからだをふるわせた次の瞬間、せっかく見つけたいい場所をアリにゆずって飛び去った。アリが数を頼んで、アブラゼミからその場所を強奪してしまったのである。かれらはアブラゼミが苦労して木の皮を突き破ってつくった穴を横取りして、木の蜜をむさぽり食ぺている。少年は愕然とした。アリは働き者ではなく、強奪者の集団だったのだ。
(小話127)「リンカーンとある青年」の話・・・
ある日のこと、リンカーンのところに、一人の青年がいわゆる「えらい人」の紹介状をもって就職の依頼にきた。彼はいかにも得意気にその紹介状を見せて、自分の家柄や経歴がどんなに輝かしいものであるかを長々と説明した。リンカーンは、黙って彼の話を最後まで聞いていたが、「あなたのそういう家柄や経歴は、けっして就職の邪魔にはなりません」(邪魔にはならないが、役にはたたない)と答えたという。
(小話126)「福沢諭吉とある百姓」の話・・・
明治の初年の頃の話。福沢諭吉が鎌倉の七里ヶ浜を歩いていたとき、向こうから百姓が馬に乗ってやってきた。その百姓は、侍(サムライ)姿の諭吉に気づくと、あわてて馬からおりてしまった。「どうして、馬からおりたのだ……」と諭吉が聞くと、百姓は悪いことでもしたかのようにしきりに詫びる。諭吉は困って、「いや、わしはお前が馬に乗っていたのをけしからんといっているのではない。これはお前の馬だろう」「へい、さようで……」「お前の馬に、お前が乗るのに、なぜ遠慮するのだ。さあ、乗れ。いまの法律では、百姓も町人も乗馬勝手次第だ。だれが乗って、だれに会おうと、かまわん。さあ、乗っていけ」こう言って、その百姓を馬に乗せたが、諭吉は「昔からの習慣は恐ろしいものだ」と、重い心になったという。
(小話125)ある「鬱(うつ)病から回復した男性」の話・・・
重い鬱(うつ)病から回復したある男性が医者に話した。「もしも神様がいるならば、今度のこと(うつ病)は、神様がイエローカードを出してくれたのではないかと考えています。「おまえの生き方には無理があるよ」と教えてもらった気がするのです。仕事も大事だけれど、家族以上に大事なことなんてあるのでしょうか。自殺まで思いつめるほど必死になってしなければならない仕事ってあるのでしょうか。これからは自分の身の丈にあった仕事をコツコツこなしていこうと考えています。あと何年生きるかわかりませんが、人生の最後の時に、家族とよりも、職場で過ごした時間のほうが多かったなんて後悔したくありませんから」
(小話124)「人それぞれ=マッサージのおばちゃん」の話・・・
五十歳に近いマッサージのおばちゃんの話である。彼女は結婚して三年めに、生後まもない男の子を抱いて婚家先を飛ぴ出した。原因は、姑の嫁いぴりと亭主の意気地なさであった。その後、彼女は子どもを姉に預けて、喫茶店のウェイトレスとして働くようになった。ほどなく彼女は、広告会社に勤める妻子ある男性と恋に落ちた。その男は、彼女といい仲になるや、「仕事の関係上、交際費が多くいる」を理由に、彼女にどんどんみつがせるようになった。で、彼女はみずから進んでパーのホステスになった。それでもまだ足りない。次には旅館の住み込み女中になった。そして、十数年間にわたって月々、多額の金を彼にみつぎ続けたのである。そのかいあってか、彼は会社の取締役になった。が、次に彼は市会議員に立候補した。彼女がいると具合が悪いから別れてくれっていわれたので彼とは別れたという。そして彼女は言った。「私にとっては、彼が生き甲斐だったんだから。そして心底惚れてたし、あの人がいなかったら、私はこれまで張りつめて生きてこれなかったでしょうよ。彼の奥さんにしたって、ずっと病弱で寝こみがちだったんだから、私のおかげで、助かったんじゃあないかしら」。そして今、彼女は明日を夢みて言った。「姉のところに預けてある息子がもう卒業するの。それでね、このあいだ、私、結婚相談所にいって登録してきたのよ。来年には結婚しようと思ってね。もうひと花咲かせなくっちゃ」その最後のひと言には、ほんとうに明るい、浮き浮きした響きがこめられていた。
(小話123)ある「継子(ままこ)と継母(ままはは)」の話・・・
古代アテネのことである。一人の女性が憎しみの発作に駆られて、継子(ままこ)を毒殺しょうとした。その企みはたちまち発覚してしまい、今度は継子のほうが継母(ままはは)を毒殺しようとした。その計画を耳にした司祭は、かねがね顔見知りのその青年を呼んできぴしくいい聞かせた。「そんなことをしてはいけません」「しかし、あの女は私を殺そうとしたんですよ。あんまりひどいではありませんか」「たしかに、ひどい話です。が、相手がどんなにひどくても、あなたがしようとしていることは正しいとはいえません」「それでは、私を殺そうとした者を見逃しておけというのですか。これからも、あの女は何を企むかもしれませんよ」青年はいらだって反抗的な態度を示した。これに対して司祭は、静かに言った。「女というものは、あなたもすでに知るとおり、いつも継子を憎むものです。その女があなたを殺したがるのは、きわめてあたりまえのことではありませんか」司祭のこの「あたりまえ」の一言で、青年は残虐な企てを中止したという。
(小話122)「夏目漱石と弟子」の話・・・
あるとき、夏目漱石に弟子の一人が「たがいの弱点を知り合いつつそれを許し合うようでなければ、真の友情は生まれないと思います」と言ったことがある。一見、いかにも「人間らしい」発言のように思われた。これに対して漱石は、「それは泥棒のつきあいだ。おれは昔から、もののわかったおじさんというものが嫌いだ。そういうおじさんは、自分が道楽をした覚えがあるから、相手の道楽も許す。相手を許すと同時に自分自身をも許しているのだ。けっして自他を改善する道ではない」と語ったという。
(小話121-1)「杯中の蛇影」の話・・・
中国は後漢の頃の話。一人の部下が高官である上役の屋敷に暑中見舞いに行った。上役から酒の接待を受け、杯になみなみとつがれた酒を飲もうとして口に近づけた一瞬、その部下は慄然とした。杯の中で小さな蛇がゆらゆらと動きまわっているのだ。が、上役がついでくれた酒をこばむわけにはいかない。部下は眼をつぷって一気に飲みほした。自宅に帰りつくや、たちまちはげしい腹痛におそわれ、以後は何も食べられなり、寝こんでしまった。薬もいっこうにききめがない。今度は上役がその部下の家に病気見舞いに出かけていった。病気の原因を尋ねてみると「先日、お酒といっしょに小さな蛇をのみこんでしまって以来のことです」という。上役は「そんなパカな……」とは思ったが、口には出さず、帰宅した。上役は、自宅に帰っていろいろと考えているうちに、ふと、壁にかけてある弓に気がついた。「あれだ。あの弓が病気の原因になったにちがいない」彼はただちに使用人に命じて、部下を迎えにいかせた。部下が籠で座敷内に運ばれてくると、上役は彼を先日とまったく同じ場所に座らせ、やはり同じ杯にこの前と同様になみなみと酒をついでやった。「その杯の中をしっかり見るがよい。今日もまた蛇が泳ぎまわっておろう。だが、それは蛇ではない。あの壁にかけてある弓が杯中に映じているにすぎんぞ」そのとたんに、部下の病気はケロリとなおってしまったという。
(小話121)「本居宣長と賀茂真淵」の話・・・
今からおよそ二百年前のこと。伊勢の国、松阪の宿屋の一室で、本居宣長(三十四歳)は、当時の国学の第一人者、賀茂真淵に初めて面接した。宣長は「私は一生かかっても、何とかして、「古事記」を研究したいと思います」と言った。「私もそう思っていたが、間に合わなかった。ことぱの勉強をしているうちに、年をとりすぎてしまったのだ」。「先生、「古事記」を研究するのには、最初に何をなすべきでしょうか」。「万葉集」の研究だ。古いことばの研究には、「万葉集」が一番役に立つ。ものには順序というものがある。まず、土台をしっかりかためてかかることだ」。このときから三十五年の後、本居宣長の心血を注いだ「古事記伝」全四十四巻が見事に完成した。