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(小話120)「自らの足で歩むこと」の話・・・
ある日のこと、お釈迦様に日頃から反感をもつ者が次のような意地の悪い質問をした。「あなたの弟子の中には、あなたのすぐれた導きを受けながらも、人格向上への道をひたむきに歩まなくて、落伍していく者がいます。一体どうしてでしょうか」これに対してお釈迦様は静かなロ調で答えられた。「ここに二人の者がいて、あなたに王舎城へ行く道をたずねたとする。あなたは詳しく道を教えてやるだろう。だが、しかし、二人が別々に出発した場合、二人とも無事に目的地に到着できるとはかぎらない。なぜであろうか」「私は道を教えただけです。途中で迷う者がいても、しかたがありません」「それと同じことなのだ。私は人格を完成する道を知っている。しかし、その道は、各自が自分の足で歩まねばならぬ。私は道を教える者であるにすぎない」
(小話119)「高い丘に立っている男」の話・・・
昔のこと。ある男が一人で高い丘の上に立っていた。そこへ五、六人づれの一行が通りがかり、丘の上に立つ男をはるかに望み見て、口々に言った。「あの男は迷った羊か犬を捜しているのだろう」「いや、連れにはぐれたのに違いない」「おれはあそこで涼(すず)んでいるんだと思う」「いやいや、遠くの村か町を見ているのだろう」と皆がそれぞれ意見を異にした。で、彼らは、確かめるためにわざわざ丘の上まで登っていって、次々と質問した。すると、その男はどの質問に対しても「違う」と答えた。「それじゃあ、なんで一人この丘の上に立っているのか」。彼はただひとこと言った「ただ立っているだけなんだ」と。
(小話118)「人それぞれ=ある大工さん」の話・・・
ある有名な大工さん(独身)は、大の競馬ファンで、昼食のラーメンさえもツケで食べねぱならぬほどであった。ズポンや靴に破れ穴があっても、彼は一向に気にしなかった。で、知り合いの年配のある人が気になって、尋ねた。「あなたは月収およそ三十万円ぐらいになるという話ですが、少しは貯金でもしてみたらどうですか……」彼はちょっと考えていたが、ニガ笑いして答えた。「ダメなんですよ。貯金なんかがあると、つい仕事に身がはいらなくて……」「そりゃまた、どういうわけで……」「いやあ、二万なり三万なり、少しでも余分な金があると落ち着かないんです。あの金をあのレースに賭(かけ)ければとか、あの馬なら絶対だとか、仕事しながらでも、どうしてもそっちのほうへ頭がいってしまうんです。この間なんか、お金があったのでついレースのことを考えてしまって、足場の上から落っこちてひどい目にあいましたよ」「なるほど、あたたの場合は、なまじ金があると、命まで危いというわけですか」彼は、黙ってうなずいた。
(小話117)ある「空(から)船について」の話・・・
ある人が老師について尋ねた「我(が)とは何ですか?」と。老師は「二つの船」にたとえて次のように答えた。「一隻の小舟が、河を横ぎろうとしている際に、どこからか空舟が流れてきて、いまにも衝突しそうになった。こんな時は、小舟をあやつっている者がどんなに怒りっぽい癇癪(かんしゃく)もちの男であっても、相手が空舟ではけっして癇癪を起こさないであろう。しかし、流れてくる舟が空舟ではなく、その中に誰かが乗っていたら、小舟上の男は「気をつけろッ!」と怒鳴るに違いない。一度怒鳴っても聞かなければ、二度、三度と怒鳴り、しまいには必ず悪罵の声を発し、ののしりわめくであろう。空船と人の乗った船の違いである。人の乗った船には我が生じるのである」と。
(小話116)ある「釈迦の弟子、ハントク」の話・・・
釈迦の弟子で、鈍感で知能の劣るハントクという年老いた修行者がいた。かれは何年かかって一偈(詩詞)も覚えられなかったので、同僚どころか、町の人々からさえも物笑いの種にされていた。何かにつけて人々が、ハントクの愚鈍さを嘲笑するのを見て、釈尊は、深く彼をあわれみ、ある日、一本の箒(ほうき)を与え、「心のチリを払わん」という言葉を唱えながら掃除にはげむようにと諭された。こんな簡単な言葉さえ中々覚えられなかったハントクではあったが、明けても暮れてもただそのひと言を繰り返し繰り返し掃除にはげんだ。かくして、ハントクは「心のチリを払う」というひとことにひたすら精進し、ついには悟りの境地に達して、お釈迦様の16人の高弟の中の一人になったという。
(小話115)ある「社長になったセールスマン」の話・・・
アメリカでの話。もうだいぶ以前のことになるが、ある大会社に一人のセールスマンがいた。同僚の間では、彼は本名を呼ばれることはほとんどなく、「一樽四ドル」というあだなで通っていた。ひやかし半分にそう呼ばれていたが、その理由はこうであった。このセールスマンは仕事で出張することが多かったが、彼はホテルに宿泊するたびごとに「***(自分の名前)、一樽四ドル、***(会社名)」と必ず宿泊簿に記入したからである。この話が何かのハズミに社長の耳に入った。「それほどまでに、わが社の仕事に精を出してくれる男にぜひ会ってみたいものだ」ということになり、ある日、社長と「一樽四ドル」の平社員とが食事を共にすることになった。これが機縁となって、彼は社長の絶大な信頼をえて出世街道をまっしぐらに突っ走り、ついには社長の椅子に座ったという。
(小話114)ある「ライオンとツル」の話・・・
ライオンののどに骨がひっかかった。誰でも自分ののどから骨を取り出すことのできたものには大きなほうぴをあげようとライオンがいった。そこへ一羽のツルがやってきて、そのライオンを助けてあげようといい、ライオンに口を大きく開けさせた。ツルは頭をライオンのロの中に突っ込み、長い口ばしを利用して骨をうまく取り出した。そのあと、「さあライオンさん、あなたはどんな大きなほうびを私にくれるのか」といった。ライオンはそのツルのロのきき方に立腹した。ライオンは、「私の口の中に頭を突っ込んで生きて出られたということが、ほうびなのだ。そういう危険な目にあっても生きて帰ったということは自慢できることだし、それ以上のほうびはない」といった。
(小話113)ある「慈善について」の話・・・
あるユダヤ人が「何故、慈善が必要ですか?」と、老司祭に聞いた。老司祭は一つのたとえ話で答えた。「イスラエルにはヨルダン川の近く二つの大きな湖がある。一つは「死海」、もう一つはヘブライ語で「生きた海」と呼ばれる湖である。「死海」にはよそから水は入ってくるけれども、どこにも出ていかない。いっぼう、「生きた海」の方は、水が入ってくる代わに、水が出てく。慈善を施さないものは「死海」であり、お金が入ってくる一方で出ていかない。慈善をするものは「生きた海」で、水が入ってはまた出ていく。我々は「生きた海」にならなければならない」と。
(小話112)ある「無駄について」の話・・・
落語の噺(はなし)から。大きな商店の主人がいた。この人はともかくケチのケチ。百人も雇っているのはいかにも無駄と思い、店の者の半分を首にした。それでも商(あきな)いは十分にやっていけた。何ともったいないことをしていたものだと反省した主人は、さらに店の者を半分にした。これでも十分である。また半分、また半分と繰り返していくうちに、奥さんと自分だけになってしまった。「うーん。まだ無駄だ」と考えたこの男は、奥さんを離縁した。いよいよ自分ひとりになったのだが、それでも店は何とかなるではないか。「私も無駄だ」と思ったこの男は、とうとう、自分も姿を消してしまった。
(小話111)ある「節分の鬼」の話・・・
  狂言での、節分の鬼の話。節分の夜、夫が出雲大社へ出かけて留守居の美しい女房の所に、蓬莱(ほうらい)の島から渡って来た鬼が入り込む。鬼は女房に思いを寄せ、蓬莱の島のはやり歌をつぎつぎに謡って心をひこうとするが、女の心は少しも動かない。ついに鬼は手放しで泣き出してしまう。鬼が女房の気を引こうと謡う、中世の口語歌謡は言葉も旋律も美しく、しみじみとした情緒があった。「しめじめと降る雨も、雨が晴るればやむものを、何とてか我が恋の晴れる方のなきやらん」(偉大な鼻。らんらんと輝く愛きょうのある目。上の歯だけを見せて強くひき結んだ口。武悪(ぶあく)という鬼面をつけ、きらびやかな装東の鬼が謡いながら泣く姿は、恐ろしいというより、愛らしい)。鬼は泣いて踊りながら、やがて蓬莱(ほうらい)の島へ帰って行ったという。
(小話110)ある「歌の力」の話・・・
戦後、満州から復員された先生の話。「戦争に敗れ、私たち日本人は押し寄せてくるロシア兵から逃れるように南下した。ある母子も必死で逃げたが、そのうち離ればなれになるかもしれないと思い、母はわが子のポケットに一冊の民謡集を持たせてやった。やがて、ロシア兵に追われて私たちの仲間は次々と捕まり、その小さな子も捕まってしまった。ロシア兵はすぐに、その子が持っていた民謡集を見つけ、周りを囲んでロシアの民謡を歌いだし、やがてそれは合唱になった。小さな子も私たちも、敵味方を忘れ、次々と合唱の輪に加わり、この小さな民謡集のおかげでロシア兵たちと私たちの心は一つになれた・・・」と。
(小話109)ある「危険なボート」の話・・・
ある男が小さなボートを持っていた。彼は夏になると、家族を乗せて湖にボートをこぎ出し、魚を釣ったりして遊んでいた。ある夏が終わって、彼は船をしまおうとして陸にあげたとき、船の底に小さな穴があいているのに気がついた。しかしそれは非常に小さな穴だったので、彼はどうせ冬の間は陸にあげておくのだから、来年の夏、ポートを使うときに直せばいいと考えて、そのままにしておいた。次の年、春は非常に早く訪れた。彼の二人の子供はさっそくポートで湖水にこぎ出したいと思った。彼は船に穴のあいていたことをすっかり忘れて、子供たちに船を湖に出すことを許した。二時間後、彼は船に穴があいていたのをフッと思い出した。だが後の祭りだった。子供たちはそんなに泳ぎはうまくなかった。二人の子供は帰ってこなかった。
(小話108)ある「短気というもの」の話・・・
江戸時代の有名な禅師はある時、一人の男から「私は生まれつき短気で怒りっぼくて困っています」と相談を受けた。すると禅師は「ほう、あなたは、おもしろいものを持って生まれてきましたね、今もここに短気がありますか。あれば、すぐここに出し下さい、治してあげましょう」といった。「ただ今はありません。何かした時に、ひょいと短気が出ます」「ならば短気は生まれつきではありません。何かした時の縁によって、ひょいとあなたが出すのです。何かした時も我(が)を出さなければ、どこにも短気はありません、あなたが身のひいきゆえに、相手のものにとりあって、自分の思わくを立てたがって、あなたが出しておいて、それを生まれつきというのは、難題を親にいいかかる大不孝の人というものです」とたしなめたという。
(小話107)「二つの生命」の話・・・
あるユダヤ人の母親が非常な難産のため危篤の状態におちいり、ユダヤ教の司祭が夫に呼ばれて真夜中病院に着いた。母親はひどく苦しんでいた。医者が来て母親の命は助からないだろうといった。そこで司祭は、赤ん坊の状況を聞いた。医者はよくわからないといった。結局最後には、子を救うか、母親を救うかということになった。母親は自分が死んでも子供を助けたいといった。いろいろ相談した結果、司祭に決定がまかせられた。司祭はまず、私の決定は、ユダヤ人の伝統が下す決定なのだから、必ずそれに従うかと聞いた。すると夫婦は、どんな決定でも受け入れるといった。そこで司祭は、母親の命を助け、子供を犠牲にすることを決定した。ユダヤ教の伝統に従えば、子供は生まれてしまうまでは生命がないと考えられている。胎児は母親の一部であるにすぎない。そこにカトリックの神父がいて、神父は子供を助けて母親が死ぬべきだといった。カトリックでは懐胎したときにすでに新しい生命ができたと考えるから、カトリックの考え方に従えば、母親はすでに洗礼が授けられ救われているけれども、子供はまだ洗礼が授けられていない。夫婦は司祭の決定に従って、母親は命をとりとめた。
(小話106)「口で唱える念仏」の話・・・
かつて、一人の無学なお婆さんが一生懸命「大麦小豆二升五升(おおむぎ、しようず、にしよう、ごしよう)」と唱えてお経の功徳に浸っていたところ、偉(えら)い学僧がやってきて、「婆さん、婆さん。お前さんの唱えごとは間違っている。それは「金剛経」の中の一句で「応無所住而生其心(おうむしょ、じゆうに、しようごしん)」と唱えるのが正しいのだ」と教えた。この婆さんが「はい、左様ですか」と感心し、それからは舌をかみそうになりながら正しい読み方で唱えようと努力したがお経につかえ、ついには読経をやめてしまったという。
(小話105)ある「三つのたとえ話」の・・・
     (一)
大勢の人が船に乗って航海をしていた。ある男が自分のすわっている船底に鑿(のみ)で穴をあけていた。人々が驚いて叫ぴ声をあげたとき、彼は「ここは私の席だから、私が何をしようとかまわない」と平然といった。しばらくして、全員が沈んでしまった。      (二)
一本の葦はすぐ折れるけれども、百本の葦をたばねると非常に丈夫である。犬の群れは犬だけ置いておくとお互いにけんかするが、狼があらわれるとお互いのけんかをやめる。     (三)
賢人として名高いソロモン王の前に、ある日、二人の女が一人の子供を連れてきてお互いにこれは自分の子供だと言い争って、王の裁きを求めた。ソロモン王はいろい事実関係を調べたあげく、結局どっちの子供かわからなかった。持ち物がどちらに属するかわからないときは、公平に二つに分けるのが国のならわしであった。そこで、ソロモン王はこの赤ん坊を刀で二つにさくことを命じた。すると一人の母親は、突然、狂気のようになって、そんたことをするなら、その子供を向こうの女にやってくれと泣き叫んだ。その光景をみてソロモソ王は、「おまえこそほんとうの母親だ」といって、子供を渡した。
(小話104)「悪事について」の話・・・
これもアラブでの昔の話。ある時、学者である老人が、弟子からこういう質間を受けた。「神に敬虔な者が、神に祈り、正しい行いをするように、まわりの人に強く誘いかけないのはどうしてですか?」学者である老人は言った「しかし、私たちはいつも良いことを行うように、正しく生きるように、人々にすすめているではないか」と。すると、弟子がさらに言った「しかし、悪者が人ぴとを悪事に誘うほうがずっと強い力をもっていますし、また、人を悪いことに誘い入れて仲間をふやそうとするときには、私たちよりももっと熱心にやっています」そこで、学者である老人はつぎのように答えた。「正しいことを行っている者は、一人で歩むことをおそれない。しかし、悪いことをしている者は、一人で歩むことをおそれるからである」
(小話103)「鍵について」の話・・・
これも昔のアラブでの話。一人の男が老人に尋ねた。「家を留守にするとき、扉に鍵をかけるのは、なぜだろうか?」と。すると、老人が答えた。「これは正直者がなかに入らかいようにするためである。というのは、悪人が、もしその家のなかに入って物を盗もうとすれぱ、鍵がかかっていようが、いなかろうが、どっちみち入ってしまうのだ。しかし、正直者でも、もしドアがあいていたら誘惑されて入ってしまうかもしれない。だから、私たちが家を留守にするとき、あるいは車をおりるときに鍵をかけるのは、正直者に悪いことをさせないためである。われわれは、人を誘惑してはならない。誘惑しないためには、鍵をかける必要がある」と。
(小話102)「評判について」の話・・・
昔、アラブでのこと。ある日、一人の男が、一人の老人にたずねた。「どうしてパビロニアの学者は、あんなに豪華な衣服をまとっているのでしょうか?」老人は答えた。「それは彼らが大した学者ではないからだ。彼らは、せめてりっぱな衣服で人を威圧しようとしているのだ」すると、近くにいたもう一人の老人が、それを聞いて言った。「あなたがたは問違っている。彼らがあれほど良い身なりをしているのは、彼らがよその国からきた移民だからだ。町では、評判によって人ははかられるが、外にでると、衣服によってはかられるものだ」
(小話101)ある「恐ろしい古井戸」の話・・・
ある日、お釈迦様が、人間の運命を次のように、旅人にたとえて話された。 一人の旅人が、猛獣に追いかけられて広い野原を逃げて行った。古井戸が見つかったので、そこに垂れさがっていた藤づるをつたって旅人はその井戸にかくれた。やっと安心してしぱらくすると、頭の上から、おいしい蜂みつがポトリポトリと落ちて来たので旅人は、その蜂みつを一生けんめいなめていて、この古井戸がどんなにこわい所なのかも知らずに日をおくった。この井戸のまわりの石垣には四匹の毒へびがいて旅人の体が近ずいたら、かみつこうとしていた。井戸の底には大蛇が大きなロをあけて待っていた。旅人の命のつなである藤づるは、白と黒のねずみがかわるがわるかじりつづけていた。そのうち、蜜蜂が襲いかかり旅人の全身を刺してまわり、その痛みに耐えかねていると、いつのまにか野火が広がってきて掴まっている藤づるを焼き焦がしだした。旅人の運命は風前の灯となった。
(参考)
猛獣(無常の風)/広い野原(この世)/蜂みつ(快楽)/四匹の毒へび(物体を構成する地水火風の四大元素)/大蛇(死)/白(昼)と黒(夜)/蜜蜂(誤った考え)/野火(病気、老衰)