小話集の書庫にようこそ
(小話61)から(小話80)はこちらへ
(小話101)から(小話120)はこちらへ
(小話100)「明恵上人と信者」の話・・・
ある時、明恵上人のところに、一人の信者が来て「ぜひとも私に御利益が授かるように祈祷をお願いしたい」と頼んだ。すると上人は「私はいつも一切衆生のために朝夕お祈りをしています。その一切衆生の中にはもちろんあなたも含まれています。ですから特別にあなたのために祈祷をすることは許してもらいたい。そもそも仏さまは<一切衆生は我が子なり>と仰せられて慈悲をたれたもうておられる。しかるに、あなたに病気や災難が起こってくるというのは、あなた自身に原因があるはずです。もとより仏の罰ではなく、あなた自身に苦を招く原因があるからです」と諭されたという
小話99)ある「迷いの信心」の話・・・
その昔、その昔の話。親子三人の貧しい家族がおり、かわいい一人息子がたまたま病魔に冒されて苦しんでいた。両親は、その息子に向かって万一病気が治らなかったならば死ぬこともありうることを教え、病気以上の死の苦しさを語った。息子は「ではいったいどうしたら私はその死から救われるのでしょう」と言った。両親は「それには天神さまを祭るのがよいという噂だ。これから祈祷する人のところへ行って救われる道をうかがってみょう」といい、さっそくその住まいを訪れた。祈祷者は訴えを一部始終聞いてから、「あなたの息子の病気は悪魔のたたりじゃ。それを取り除くには羊と奴隷を殺していけにえにささげるがよい」と答えた。この一家は貧しくてとても羊や奴隷を買う金などない。それでも、なけなしの金と借金でそれらを買い求めて祈祷所へ連れて行き、いけにえにした。祈祷者は「これで、あなたの子は救われる」と告げたので両親は小躍りして喜んだ。だが、我が家に帰ってみると、息子はすでに息を引きとり、冷たくなっていた。両親はそれを見て悲嘆にくれ、とうとう息子の後を追って自殺してしまったというo
(小話98)ある「小さな感謝」の話・・・
ある夫婦の家の裏の方に工場があって、ある時、その夜業のため一晩中うるさかった。翌日、妻は夫に愚痴を言った。「うるさくて眠れなかったわ。本当に夜中などに仕事をしないで欲しいわ」。すると、夫が答えて言った。「そうかい。わたしは、少しも苦にならなかったよ。一晩中夜業をしている人もあるのに、私はフトンの中で寝ていられることに感謝したよ」
(小話97)ある「スノーマン(雪ダルマ)」の話・・・
ある女性の子供の時の話。彼女が5,6歳の時、故郷に雪が降り、一面銀世界になった。父親が子供の名を呼んだ。自分の名前を呼ばれて外に出ると、庭に大きなスノーマン(雪ダルマ)がいた。人参の目と、石の鼻と石の口のスノーマン。毛糸の帽子をかぶり、青いマフラーをしてほうきも持っていた。彼女はとても喜んで、その周りを踊りまわった。だが、翌日は暖かい日になった。彼女は、いつもよりもずっと早く起き出し部屋の窓越しに庭を見ると、なんとそこにはもうあのスノーマンはいなかった。代わりに雪の汚れた塊があって、崩れた雪の中に人参や石が散乱し、マフラーは泥水に汚れていた。そして雪のかたまりからはさかんに湯気が立っていた。その激しい蒸気の上昇を見て、彼女はひどく悲しくなって泣き出してしまった。その泣き声を聞いた彼女の父親は娘を呼んだ。彼女が泣きながら外に出てみると、父親が大空を指さして言った。「さあ、見てごらん。青空に大きな雲が浮かんでいるだろう。あの大きな雲がスノーマンだよ」そしてつづけた。「この蒸気が空に昇ってまたスノーマンを造ったんだよ」。彼女はそれを聞くと、悲しみが急に失せて「うんそうだね」と深くうなずいて、父親と一緒に空を見上げた。彼女には、大空と白い雲のスノーマンがとてもまぶしかったという。
(小話96)「ある人の海外旅行中」の話・・・
ある人が海外旅行中にベトナムの片田舎の農家に泊まった。主人と意気投合し、次の日、主人と一緒に近くの海へ魚を釣りに出かけた。ポートで海に繰り出し、釣り糸を垂らした。ところ、どうしたことか、魚がおもしろいように釣れ、1,2時間で思わぬ大漁になった。ポートを浜に上げ、旅人と主人は魚を入れたかごをかついで、丘の上にある主人の自宅まで登っていった。主人は途中で知人に出会うと、あいさつを交わし、魚を一匹、二匹と手渡して行った。相手も当然といった感じで受け取って行く。自宅の着くころには、かごはすっかり軽くなっていた。数えてみると、四匹しか残っていない。旅人は主人に「せっかく大漁だったのに、どうしてほとんど人にあげてしまったのか」と尋ねてみたところ「何がそんなに不思議なんだい? 妻、子ども、私、そしてお客さんの君、四匹あれば十分だ。足りなければ、明日もまた釣りにいこう」これには質問をした旅人の方が顔を赤らめてしまった。
(小話95)「詩人李白の少年時代」の話・・・
少年時代、李白は学問に志して都で、勉学に勤(いそ)しんでいたが、あまりの難しさに自信をなくして、故郷に帰ろうと山道を歩いていると、小さな谷へ出た。そこに一人のおばあさんがいて、鉄の棒のようなものを石にこすりつけていた。李白少年は不思議に思っておばあさんにこう尋ねた。「おばあさん、何をしているの?」。おばあさんは答えた。「この鉄の杵(きね)を磨いて針にしようと思っているんだよ」。李白少年は驚いた。「本当?こんな太い鉄の杵(きね)を針にするなんてできっこないよ。一体いつになったら 出来上がるの」。おばあさん笑いながらは答えた。「坊や、毎日毎日丹念に磨いていれば針になるんだよ。どうしてこれが針にならないんだい」李白少年はこれを聞いて愕然とした。そして急いで今来た道をとって返して都に帰ると、改めて学問に励んだという。
(小話94)ある「貧しい村長」の話・・・
ある平和な村の貧しい村長の話。貧しいが心やさしい村長は町の商人から村のためにロパを買った。村人たちは村長が村のためにロバを買ったので、これからは、もっと早く村と町を往復できることを喜んで、川の水でロバを洗い始めた。するとロパの首からダイヤモンドが出てきた。村人たちはこれで村長も、村も豊かになるといって喜んだ。ところが村長は、すぐ町に戻って町の商人にダイヤモンドを戻せと村人に命じた。しかし村人が、「あなたが村ために買ったロパじゃないか」というと、村長は、「私はロパを買った覚えはあるけれども、ダイヤモンドは買った覚えがない」といって、彼は町の商人にダイヤモンドを返した。商人は逆に、「あたたはこのロバを買って、ダイヤモンドはそれについていたのだから、どうして返しに来る必要があるのか」と言った。すると村長は、「我が村の長い伝統では、買ったものしかわれわれはとってはいけない。だからこれはあなたに返す」と答えた。商人は「あなた方の村はすばらしい村に違いない」と言った。
(小話93)ある「不治の病に罹った女性」の話・・・
     (一)
   ある女性は四十半ばで、不治の病に罹り余命わずかと宣告され、日一日とやせ衰ていった。一家は暗澹たる空気に包まれ、ご利益のありそうな神仏に祈願したが、一向に病状は好転しない。とうとう彼女は思いあまって自殺しょうと決心し、「自分はもう駄目だ」といい聞かせていると、どこからともなく、日頃信心しているお地蔵さまの声が聞えてきて「これから私の姿を百万枚写しなさい。そうすれば救われる」という。彼女ははじめ夢かと思って躊躇したが、それ以外に救われる道がないと考え、さっそく翌日からまぷたに浮かんだお地蔵さまの姿を写し始めた。ところが、同じものを五十枚、百枚と写しとるうちに、だんだんとあきがきた。そして二、三週間経つとどうしようもなく嫌になった。今日やめよう明日やめようかと、そればかり考えるようになったが、やめてしまえば元の木阿弥で、救ってもらえない。こと自分の命のことなので我慢に我慢を重ねて毎日書写を続けていった。
     (二)
ところが日が経つにつれて、あれほど嫌でたまらなかったものが、毎回写すごとに少しずつ上達してゆくのに喜ぴを見出すようになり、次第に苦にならなくなった。こうして「チリもつもれぱ山となる」で、時の経つのも忘れて、いつのまにやら五万枚にも十万枚にもなっていった。「どうせ自分は余命わずかと医師の宜告を受けて以来、すでに死んだも同然の命である。それが、こうして元気に毎日書写して過ごせるのも、まったくみ仏のおかげである。おつりのようなこの生活は一日生き延ぴれば一日得した気持になる。こうして生きていられるだけでも感謝せずにはおられようか」と不治の病である身も忘れ、一身不乱に朝から晩まで書写に打ち込んだ。こうして一日も休まず書写に明け暮れ、とうとうある日、三十数年の長い年月をかけてやっと初期の目的を遂げた。その時、彼女は齢(よわい)、すでに八十を越えていたという。
(小話92)ある「二匹の狐」の話・・・
ある時、家柄の良い狐と、生まれが卑しい狐が道で出会った。いったい、家柄の良い狐と、生まれが卑しい狐などがいるのだろうか、と疑ってはならない。ほんとうは、血筋の良い人間や、血筋の悪い人間だっているはずはないのだから。とにかく、由緒正しい家の狐の息子は、もう一匹の狐に自分の家柄を自慢した。すると、もう一匹の狐のほうが答えた。「きみの家は、きみで終わるが、ぼくの家はぼくで始まる」と。人間にとって、生まれと死にかたは、たいして重要ではない。飾りのようなものだ。どうやって生きているか、そして生きてきたか、その生きかたの内容こそが大切なのである.
(小話91)ある「矢のたとえ話」の話・・・
お釈迦様がある修行者に「世界は時間的に永遠であるのかないのか。人間の霊魂は死後存在するのかしないのか。こうしたことがわからなければ修行する甲斐がないのではないか?」と訊ねられたことがある。すると、お釈迦様は、矢のたとえで次のように答えられたという。
「人が毒矢で射られて負傷した時、その矢を抜かずにいったい、この矢は誰が射たのか、何の毒がぬってあるのか、それらを知りたいなどといっていれぱ、それを詮索しているうちに、毒がまわり死んでしまうだろう。彼にとって、すぐやらねばならないことは、まず毒矢を抜いて傷の手当をすることだ」と。
(小話90)ある「慈愛の心」の話・・・
江戸時代にある名僧が、弟子の指導にあたっていた時のこと。ある時、弟子の中に、家族の手に負えず勘当されて寺にきた一人の悪童がいた。ところがこの悪童は坊主になってからも、依然として朝から晩まで遊び回り、はては寺から物を盗み出しては骨董屋に売っていた。悪い噂はたちまち拡まり、檀家の耳にも伝わった。他の弟子たちは、心配して一堂に会し、師匠に彼を破門してもらおうと懇願すると了承された。だが数日が経っても、師匠はこの悪童を破門しない。弟子たちは、師匠に早く破門するよう重ねて要望した。師匠は、もう一日待ってほしいと告げた。翌日が来たが、まだ破門されない。弟子たちは立腹し、師匠に、もし、この悪童を破門しないのなら「我々が寺を出て行きます」と申し出た。師匠は「君たちがそれほど出て行きたいのなら、そうしなさい」と言った。意外な答えに弟子たちは驚き、「どうしてあの悪童を破門する代りに我々を破門するのですか」と問い返すと、師匠は言った「というのは、君たちはもうすでに一人前でいつ寺を出ても困らない。しかし彼は違う。彼は破門されて寺を出たら、行くところがどこにもないのだ」。この言葉を聞いた弟子たちは、悪童に対する師匠のあたたかい慈悲の心を知り、自分たちの身勝手を詫ぴた。たまたまこの師匠と同僚たちのやりとりを立ち聞きしていた悪童は、それ以後は人が変わったようになったという。
(小話89)ある「葡萄を盗んだ少年」の話・・・
昔、一人の子供が葡萄園にしのぴ込んで葡萄をつみとっていた。そこを持主に見とがめられ、子供は葡萄をあわてて洋服の中に隠した。持主が子供に「お前はうちの葡萄を盗んだろう」と詰問すると「いえ、盗みません」と嘘をついた。ところが、かくした葡萄の中には折悪く毒蛇がとぐろをまいていて子供のお腹にかみついた。子供はその痛さに耐えかねて白状しそうになったが、葡萄を盗まないと主張した手前、放り出すわけにもいかず、とうとう最後まで強情をいいはって死んでしまったという。
(小話88)ある「修行者と美しい女主人」の話・・・
今は昔のこと、比叡山の若い僧がある日、京都まで托鉢に出かけた。その帰途、いつのまにか日が暮れてしまって、とある家に一夜の宿をお願いした。家には、美しい女主人が一人で住んでいた。若い僧は、その夜まんじりともせず、とうとう女主人の寝室にしのぴ、誘惑しようとした。女主人は「尊い僧侶と思えばこそ一夜の宿をさし上げたのです。悔しうございます」と拒んだので、僧はガッカリしてうなだれた。すると女は「あなたは法華経をそらで読めますか、それならば立派な僧であるから一緒になってもよろしいけど」というではないか。若い僧は正直に、まだ読めないことを告白すると、「それならば寺に戻り、読めるようになってからいらっしゃい。その時にはあなた一緒になりましょう」と約束した。僧は翌朝急いで寺に帰り、一心不乱で法華経をおぽえた。そして女の家を訪れると、女は「せっかくの御縁なので、ひとから後ろ指をさされないような立派な僧と一緒になりとうございます。三年間、山に籠って修行したらあなたの自由になりましょう」という。僧もなるほどと思い再び修行に励んだ。修行のすえ欲望を断ち切ったこの若い僧は世にも立派な僧になったという。
(小話87)ある「船と人生」の話・・・
港に荷物を満載した船が二隻浮かんでいた。一つは出港しようとしており、一つはちょうど入港したところだった。人々は多くの場合、船が出て行くときには盛大に見送るが、入ってくるときにはあまり歓迎しない。これは非常におろかしい習慣である。出て行く船の未来はわからない。嵐にあって船は沈むかもしれない。それをなぜ盛大に見送るのだろうか。、長い航海を終えて船が無事にもどってきたときにこそ、大きな喜ぴがあるものだ。人生についても同じことがいえる。子供が生まれたときにはみんなが祝福する。これは子供がちょうど人生という大海に船出したようなもので、その未来に何があるかわからない。病気で死ぬかもしれないし、その子がおそろしい殺人犯人になるかもしれない。しかし人が永遠の眠りにつくとき、その人生で何をやってきたかということが、みんなにわかっているのだから、このときにこそ人々は祝福すべきなのである
(小話86)ある「12の強いものの」の話・・・
世界には、12の強いものがある。まず石である。しかし石は鉄によって削られる。鉄は火に溶けてしまう。火は水で消えてしまう。水は雲の中に吸収される。その雲は風で吹き飛ばされる。ところが風は人間を吹き飛ばすことはめったにできない。その人間も恐怖によってみじんに打ちくだかれる。恐怖は酒で取り除かれる。酒は睡眠によって忘れられる。その睡眠も死ほどに強くはない。だが、その死さえ愛情には勝てないのである。
(小話85)ある「修行者と遊女」の話・・・
釈迦の弟子たちの一人が、ある日、町に托鉢に出て、娼家の家にも立ち寄ったことがある。その家の遊女は喜んで修行者を招き入れ、ご馳走をつくって供養した。彼は味をしめてその後も幾度かこの家を訪れた。そのうちご馳走だけでなく遊女の美しさに魅せられ、欲望を制することができず、身心ともに参ってしまった。修行者がとうとう「あなたのような美しい方と一緒になりたい」といいだした時、遊女は彼の願いを聞いて「ほんとうに私を愛するのなら、おいしい飲み物やかおり高い香(こう)や、美しい花や立派な衣服を持ってきなさい。そうしたなら、あなたのものになりましょう」と答えた。修行者は「私には財産もない、ご覧のとおりの無一文です。あなたに差し上げられるものはこの私の身体くらいなものです」といった。すると遊女は腹を立てて「このいくじなしめ。お前のような恥知らずはとっとと出て行け」と口ぎたなくののしった。この修行者はほうほうの態で逃げ出したという。
(小話84)ある「底知れぬ恨み心」の話・・・
その昔、一人の男がある人に恨み心を抱いて、一日として心の休まることがなく、日増しにやせ衰えるばかりであった。そこで、友人が「君はどしてそんなにやつれているのか」と訊ねたところ「実はある人が私の悪口を言い、その仕返しをすることができず、こうして悩んでいるのです」と答えた。そこで友人は「相手に恨みを晴らす良い方法がある。それは復讐の鬼の呪いをかけることで、相手に確実に仕返しすることができる」と。男は「その呪いをどうしたらかけられるのか教えて下さい」と言った。友人は答えた「教えてあげてもよいが、それを相手にかける前に自分が死んでしまう。それでもよいか」。男は答えた「たとえ自分が死んでもよいから、どうしても相手に仕返しをしたいのです」。世の中にはこうして怒りや恨み心を抱きつづけたためにかえって自他とも共倒れしていく人がいるという。
(小話83)「揚子江上の船」の話・・・
ある時、中国の皇帝が金山寺というお寺に行幸したことがある。お寺は山の中腹にあり楼上に登ると揚子江が一望に見渡せれた。皇帝は眼下の揚子江上を行き交う船を眺めて、その寺の住持に「あのたくさんな船の数はいかほどあろうか」と訊ねたところ、住持は言下に「二隻です」と返事した。皇帝がその意味を問うと住持は「一つは名聞の船、二つはこれ利養の船です」と答えた。あんなに無数の船が行き交っていても、結局はすぺて名誉か利益のために動いているというのである。皇帝は深くうなずいて、感心したという。
(小話82)ある「高名な学者」の話・・・
有名な学者は、ある町から指導者になるよう招かれた。彼は町に着いて、ホテルに入ると、部屋にとじこもって数時間でてこなかった。歓迎会の時間がせまり、その打ち合わせもあるので、町の代表者が心配してホテルの部屋へいった。ドアの前に立つと、学者が部屋のなかを歩きまわり、何か声高く唱えている様子がうかがえた。よく聞くと、「わたしはすばらしい!」「わたしは天才だ!」「わたしはみなの生涯の指導者だ!」と、自分に向かってつぶやいていた。 10分ほど聞いてから、町の代表者は部屋に入った。そして、学者にどうしてこんな奇妙な行動をとっているのか、たずねた。学者は答えた。「私は自分がお世辞や、賛辞に弱いことを知っている。今夜は、みなが最大級の言葉を使って、私をほめそやすだろう。だから、慣れようとしているのだ。それに誰でも、自分で自分をほめることの滑稽さはわかるものだ。だから、今いっているようなことを、私が今晩また聞けば、真面目に受け取らないですむだろう」と。
(小話81)ある「インドの王子」の話・・・
昔、インドに一人の王がいたが、隣国の王との戦いに敗れ、まさに戦場で息絶えんとした時、その子に「長く見てはならない(恨みをいつまでも抱くな)。短く急いではならない(短気をおこすな)。恨みは恨みなきによって静まる」と言い残して死んだ。王子は九死に一生をえて釈放され、その後、何とか父の復讐をしようと姿を変えて隣国の王につかえてその信任をえた。ある日、王が家来を引き連れて猟に出かけた折、山野をかけめぐり疲れはて、この青年のひざを枕にまどろんだ。いまこそ父の無念を晴らそうと王子は刀を抜いて復讐を果たそうとしたが、父の臨終の言葉を想い出して躊躇したすきに王が目を覚ました。王子は、今までの一部始終を告白した。隣国の王はかってのインドの王の臨終の言葉を聞いて大い感動し、今までの罪をわびただけでなく、王子にもとの国を返して和解したという。