小話集の書庫にようこそ
(小話41)から(小話60)はこちらへ
(小話81)から(小話100)はこちらへ
(小話80)「常不軽菩薩」の話・・・
かって仏教の修行者の中に常不軽という名の求道者がいた。彼は人に会うとどこでも、手を合わせて「私は心からあなたを敬(うやま)います。なぜならば、あなたはやがて真実の幸福をうる尊い身であるからです」といって拝んだ。これを聞いた人ぴとは自分がからかわれたと誤解して怒り、真面目に礼拝する常不軽をののしり、あざけって悪口をあびせた。彼は決して腹を立てず、さらに拝んだために人びとの中には石や瓦を投げつけた者もあった。しかし、それにもひるまず「私は心からあなたを敬(うやま)います」といい続けて一生涯変わるることがなかった。そして、ついには彼は身心ともに清らかになり、常不軽菩薩という仏になったという。
(小話79)ある「剣の極意(三)」の話・・・
かって江戸時代に反町無格という剣客がいたが、彼がまだ諸国を武者修行中の頃、ある日、渓流に沿った山路に入り、対岸に渡る難所にさしかかった。そこには一本の丸木橋がかかり、下をのぞくと千尋の谷で、さすがの武芸の達人も足がすくんで、どうしても渡ることができなかった。たまたまそこを通りかかった一人の盲人は少しもためらうことなく、杖で拍子をとりながら無雑作に丸木橋を渡ってしまった。それをじっと見送っていた無格は、「わしはなまじ眼があるから恐ろしいのだ。よし、眼をふさげばきっと平気で渡れるに違いない!」と、盲人のしたように眼を閉じ一気に渡ると、何なく谷を越してしまった。この時、彼は「目あって眼なく、眼なくし目あり」という極意を得た。そして、自らの流儀を無眼流と名づけたという。
(小話78)ある「釈迦と弟子」の話・・・
釈迦が弟子たちとある町に滞在していた時、釈迦に恨みを抱く者が、町の人ぴとを買収して、さかんに悪口をふりまかせていた。弟子の一人は釈迦に「この町にいても良いことはないようですから、他の町に移ったらいかがでしょうか」と訊ねた。釈迦は弟子に「次の町でも、このようであったらどうするか」というので、「そうしたら、また、他の町へ移るまでです」と答えた。釈迦は「それではどこまでいってもきりがない。私はそしりを受けた時は、じっと耐え、やむのを待って他へ移るのがよいと思う。心ある者は、利害、毀誉褒貶、苦楽などによって動揺されることはない。こうしたことは、まもなく過ぎ去るものだからだ」と戒めたという。
(小話77)ある「剣の極意(二)」の話・・・
剣の名人、上泉信綱の話。彼が弟子をつれて旅をしていた時、ある村で、村人たちが大騒ぎをしていた。「どうしたのだ?」「浪人者が暴れて、村人を一人斬り殺して、赤ん坊を人質に、あの家の中に逃げこんだのです。わしらが家に近づけば、赤ん坊を殺すといいますので、どうしょうもありません」信綱は深くうなずきながら聞いていたが、たまたま近くにいた僧侶に「その衣と袈裟を貸してくれまいか、ついでに、わしの頭も丸めてもらえないだろうか」これを聞いて、弟子は驚いた。「先生、なにもマゲまでそり落とさなくとも……」「子どもの生命にかかわることだ。髪の毛などはすぐに生える。万が一にでも、やりそんじのないようにせねぱならぬ」かくして、僧侶になりすました信綱が、握り飯を二つもって、無法者のいる家の戸口に進んだとき、「近寄るなッ!それ以上、一歩でも近寄ってみろッ、このガキを殺すぞ!」「まあ、話を聞いてくれ。その子のために、握り飯をもってきたのだ。食べさせてやってくれ」と信綱は握り飯を一つ投げ与えた。「お前も一つどうだ ? 仏の慈悲と思って、食ぺてみないか」といって、ひょいと投げた。思わず、相手が刀にかけていた手を握り飯のほうへのばしたその瞬間、信綱は飛鳥のようにとびかかって、無法者の手をとって引き倒した。こうして無事に赤ん坊を奪いかえした。
(小話76)「無信心の男と神父」の話・・・
ある高慢な無信心の男が、多くの人に慕われている高名な神父を困らせたやろうと、近寄ってきて「あなた方は神さまの話ばかりしているけれども神はどこにいるのか教えてくれ」といい「どこにいるのか教えてくれたら、私もその神を信仰しょう」と言った。神父はもちろん男の意地悪い質問を喜ばなかった。神父は男を外に連れ出し、太陽を指さして、「この太陽をみつめなさい」といった。男は、初めチラッと太陽を見て、「そんなバカたことを言うな。太陽を直視できるはずがないじゃないか」と叫んだ。すると、神父は、「もしあなたが神のつくり給うた多くのものの中の一つである太陽すら見ることができないのなら、どうして偉大な神を一目でも見ることができるだろうか」といった。
(小話75)「群盲象を撫(な)ず」の話・・・
昔、インドの王様が家臣に命じて国中の盲人たちを一ヵ所に集めさせ、一頭の巨象に手を触れさせてみた。盲人たちはそれぞれその巨象の頭、耳、牙、鼻、胴体、脚、背、尾、尾の先端などにさわり、そこから受けた感じを聞かれると「象とは、水がめのようです」「私には箕(ミノ)に似たものだと思われます」「それはツルリとした鋤(すき)の柄のようなものです」「いや、太い柱のようなものです。間違いありません」等々、めいめいが勝手な意見を主張してゆずろうとしなかった。彼らのいい争う様子をながめて家臣たちが嘲笑したとき、王様は次のようにさとした。「笑ってはなるまいぞ。ここに集まっている盲人たちと同じく、世間の人々はみな、自分の思うことが最も正しいと自己主張し、他人の意見には耳を傾けようとはしないものだ。お前たちもけっして例外ではない。いま、ああだ、こうだといい争っている盲人たちと少しも変わりはせん」
(小話74)「警官と不審な男」の話・・・
これはある国で起った実際の話である。ある日、一人の警察官が不審な男を見つけた。オドオドして、何か不安気な目つきと、そのぎごちないふるまいがどうにも異常に見えた。早速、警察官は近寄っていき、尋問をした。「どこから来たのか?」男はひとことも言わず警察官を見ていた。「何をしているのか?」と言ってもロをきこうとしない。いよいよ不審に思った警察官は矢継ぎぱやにいろいろと問いただしてみた。男は口をもごもご動かすだけで、問いに答えない。これはあやしいと思ったとたん、くだんの男は上着の中に手を突っこんだ。身の危険を感じて、警察官は身をかわし、持っていたビストルで相手を撃った。一瞬の出来事で、男は手を胸のポケットに突っこんだまま、崩れるようにその場に倒れて、息を引き取った。突っこんだ手を引きだしてみて、警察官はアッと驚いた。手に持っていたのは力ードで、こう書いてあった。「私は口が不自由なので話ができません。お願いします」これは言語障害をふびんに思った彼の母親が彼に書いて持たせたものであった。
(小話73)「釈迦と老婆」の話・・・
昔、一人の老婆はお釈迦様に何か供養したいと願っていたが、貧しい身の上で何もできなかった。ある日、燈火の供養を思い立って油屋へ行くと、そこの主人は「あなたはたいへん貧乏のようだが、なぜ油を買うお金で食物を買わないのかね」と訊ねた。老婆は「この世に生まれながら、今まで一度も貧しくて仏様に供養ができませんでした。せめて残り少ない生涯に一度だけでもしたいと思い立って油を買いに来たのです」と語った。老婆は油をもってお釈迦様のもとに行き、燈火をささげた。その夜、城下には強風が吹きまくり、他の燈火はことごとく消え去ったが、老婆の燈火だけは煌々と燃え続けたという。
(小話72)有名な「月と兎」の話・・・
ある時、きつねと猿と兎が遊んでいるところに、おなかがすいた旅人が通りかかった。三匹ともかわいそうに思って旅人の食物を探しに出かけ、きつねと猿はたくさんの食物を持ち帰ったけれども兎は手ぷらで帰ってきた。そこで兎はたき火の中に身を投げて、旅人に体をささげた。仏様の姿にかえった旅人は、兎のやさしい心をほめたたえて月の世界へ送り、これから月に兎がすむという伝説が生まれたという。
(小話71)「自慢する小鳥」の話・・・
昔、智恵の象徴といわれたソロモン王が王城にいたとき、二羽の小鳥がさえずり交わしているのを聞いた。ソロモン王は鳥の言葉が分かったから、二羽が何を話しているかを知った。雄が雌に言った。「あなたがやれって言うなら、王さまが住んでいるこの城だってめちゃめちゃに壊してみせるよ」ソロモン王はそれを聞いて、小鳥にそんなことができるのだろうかと、不思議に思った。そこで、小鳥を呼んで訊ねた。「おまえはその弱い体で、どうやって私のいるこの城をつぶすつもりなんだね」小鳥は答えた。「賢いソロモン王よ、それがあなたの知恵ですか。男は、女の歓心を得るためには、できもしないことを誇張して話すものだっていうことを、ご存知ないんですか。私だって、あの大好きな子をびっくりさせて、私に夢中にさせてみようとしただけですよ」
(小話70)「交わるものに染まる」の話・・・
かつて釈迦が弟子と共に遊行していた時、魚屋の前でふと足をとめて、「あの落ちている縄きれを拾ってくるように」と命じたことがある。しばらくして、釈迦は弟子にその縄を捨てさせ、にぎった手の嗅いをかぐように命じた。「生臭い嗅いがします」と答えると「そうだ。生臭い魚をゆわえれば、その嗅いは縄に移り、その縄をつかめば手まで生臭くなってしまう。同様に、交わるものや人によって、そこから受ける影響ははかり知れず、それが当人を良くもすれぱ悪くもする。だから私たちも交わるものによく注意しなければならない」と諭した。
(小話69)「釈迦と修行者」の話・・・
         (1)
その昔、釈迦の弟子に仲間の存在がわずらわしく一人孤独を愛する修行者がいた。釈迦は、彼の孤独を求めて修行する姿が偽りであることを見抜いて、彼に「この山の後ろにある鬼神の棲むという谷の樹下で瞑想するように」といった。彼は「はい、承知しました」と勇んで山へ入って行った。目的の場所に着き、樹下で瞑想にふけった。しかし半日もすると、恐ろしさと淋しさに襲われて耐えきれなくなった。「ああ、だれか話し相手がいないものか。淋しくてやりきれない」と、孤独のあまり自分がここで瞑想を承知したことを悔やんだ。心の中では「何んで俺はこんな修行者の道を選んだのだ。もうこんな修行をやめて帰りたい」と思った。彼が瞑想を断念し、帰り仕度をしているところへ、釈迦がやってきて訊ねた。「お前は、この谷にやってきて恐ろしくも淋しくもなかったかね」「はい、実は恐ろしくて、淋しくてもうこんなところにはいられません。一刻も早く家に帰りたい」と正直に答えた。
         (2)
その時、一匹の野象が近づいて来て、樹の下に横たわり、すやすやと眠りはじめた。釈迦はそれを見て「この安らかに眠る象の心中がわかるか」と訊ねた。「いいえ」と答えると、釈迦は「この象は大小5百余頭の中の一頭だが、今その群れと離れてこうして一頭でも平気でやってきて安眠できるのは、群れのわずらわしさを知っているからに違いない。すなわち畜生でさえも一頭になりたい欲求をもっている。それにもかかわらず、おおぜいの人に囲まれていた時にはそのわずらわしさをきらって出家した者が、今になってどうして孤独をきらうのだ。修行には連れを必要としないものだ」と言った。
(小話68)ある「一人の少年」の話・・・
ニューヨークの寒い寒い冬の夜だった。身も凍るような街角で、一人の少年が新聞を売っていた。新聞を買ってくれる人もなく、スタンドの前をみんなはスイスイと通りすぎていく。たまたまそこを通りかかった一人の牧師が、やさしく彼に問いかけた。「君、寒くないかい?」少年は牧師のやさしいまなざしをしばらく見つめていたが、おもむろに答えた。「今までは、とても寒かったんですが、今はとて暖かいです。どうしてって、あなたが私に暖かいかいことぱをかけてくださったから。おじさんありがとう」「そうか、よかったね。じゃあ気をつけてね、さようなら」「ありがとう、おじさん。さようなら」 牧師はだんだん小さくなっていった。少年は牧師の後姿が消え去るまで見送っていた。
(小話67)ある「剣の極意(一)」の話・・・
あるとき、修行中の侍が武蔵に訊ねた。「先生、剣道の修行に最も大切なことは何でございましょうか」「円明(えんみょう)」武蔵はこう答えると、畳のへりを指して「まず、そのへりを渡ってみられよ」といった。いわれたとおり、その武士がへりを渡り終えると、今度は武蔵が次々と質問をした。「一間(約ニメートル)の高さでも、そのへりが渡れますかな」「そんなに高くなっては、むずかしかろうと思われます」「では、幅が三尺(約一メートル)もあればどうであろう…」「幅が三尺(約一メートル)もあれぱ、たとえ高さが倍になっても、渡れると思います」「しからば、姫路城の天守閣の屋根から増位山の頂へ、およそ一里の長さに、三尺幅の手すりなしの橋をかけた場合は、いかがかな」「とうてい渡りえないと思います」武蔵は言った「剣道の修行にも、同じことがいえる。『円明』とは絶対の信念じゃ。この信念を目ざして全力をあげて鍛練することである」
(小話66)「釈迦と農夫」の話・・・
釈迦がある時、托鉢をしていると、一人の農夫が歩み寄ってきて「わたしどもはこうして田を耕し、種を蒔いて食を得ている。あなたもまた、みずから耕しみずから種を蒔いて、食を得たならぱどうであろうか」と詰問したことがある。釈迦はそれに対して「その通りである。私もまた耕す。耕し、種を蒔き、そして収穫して食を得ている」とさらりと答えた。農夫はこの答えの意味がわからず「だが、私はあなたが田を耕し、種を蒔いたりする姿を見たことがない。あなたの鋤きはどこにあるのか。あなたの牛はどこにあり、どんな種を蒔くのか」と訊ねた。そこで釈迦は次のように詩文で補足した。「智慧はわが耕す鋤にして、信はわが蒔く種子である。身ロ意において悪業をのぞくは、わが田における草とりである。精進はわがひく牛にして、そは行ないて退くことなく、行ないて悲しむことなく、われを安らげき境地に運ぶ。かくのごときわが耕田にして、その収穫を甘露の果となす。人はかかる耕田を行ないて一切の苦を解脱する」
(小話65)ある「禅師と男」の話・・・
高名な禅師にある男が「あなたのような悟った偉い禅僧でも、煩悩というものはおきるものですか」と訊ねたことがある。禅師は言下に「おきる!」と答えた。するとその男はさらに「では、あなたのような方でも地獄に堕ちますか」とくい下がった。禅師は「ああ、真っ先に堕ちるよ」と言った。男は不審に思ってさらに訊ねた「それはまたどうしてですか」。禅師は「おれが先に堕ちてなきゃ、お前さんが堕ちた時に困るだろう」といったという。
(小話64)ある「最初の人間」の話・・・
この世の一番最初の人間であるアダムは、パンを食ぺるために、どれだけのことをしなければならなかったか?。まず畑を耕して、種をまき、それを育て、刈り入れ、ひいて粉にしたり、こねたり、焼いたり、15段階の過程を辿らなければならなかった。今はお金さえ出せば、パン屋に行ってでき上がったパソを買ってくることができる。昔は一人でやらなければならなかった15段階の仕事を、多くの人がやってくれているのだから、パンを食べるときには、多くの人に感謝の気持ちを忘れてはいけない。又、一番初めのたった一人の人間は、自分の身にまとう服をつくるのに、たいへんな手数をかけた。羊をつかまえ、大きくし、毛を刈り、織って、縫って着るまでには、ずいぶん苦労があった。今はお金さえ出せば、洋服屋で好きな服を買うことができる。昔は一人でやらなければならなかった仕事を多くの他人がやってくれているのだから、服を着るときには、多くの人に感謝の気持ちを忘れてはいけない。
(小話63)「雪山童子と鬼(羅刹)」の話・・・
昔、雪山(ヒマラヤ)にひとりの苦行者がいた。雪山童子と呼ばれた。ある時、雪山童子が修行のため山の中を歩いていると、人を喰うという鬼(羅刹)が現れ、「諸行無常、是生滅法」と大きな声で唱えていた。童子は世の中のありさまをうたったこの言葉に感心し、次の句を待っていたがいつまでたってもいわないので羅刹に「白分の体をあなたにささげるからあとの言葉を是非聞かせてほしい」と申し出た。すると羅刹は「生滅滅己、寂滅為楽」と唱えたので、童子はこれを後世の人ぴとが自分の修行のよすがにするようにと願い、かたわらの樹に書き刻んで「約束どおり、私の体をさしあげます」といって崖の上から羅刹めがけて飛びこんだ。すると五色の雲がたなびいて童子の体を受けとめた羅刹は帝釈天の姿に変わって消えたという。 (参考) 諸行無常(あらゆるものに常はなし) 是生滅法(生れ滅ぷは世のならい) 生滅滅己(生る滅ぶを滅ぼして) 寂滅為楽(静かに休め極楽の里)
(小話62)ある有名な「泣きぱあさん」の話・・・
京都のあるお寺の門のところに泣きばあさんという人が住んでた。雨が降ると泣き、天気がよくなると泣く。まったく始末におえないくらい、いつも泣いていた。寺の住職が不思議に思って、「どうしておぱあさん、そんなに毎日泣いているの」とたずねた。すると、おぱあさんは、「子供がいましてね、兄のほうは五条で履物屋をやっています。弟は三条で傘屋をやっています。雨が降ると兄のセッタ(昔の草履)が売れないと思うと不欄でね。天気になると弟の傘が売れないと思うと可哀そうで、ついつい泣けてくるです」と言った。坊さんは、「そうだったのか」と思ったので、おぱあさんに言った。「おばあさん、それは反対じゃないか。雨が降ったら弟の傘がよく売れる。天気になったら兄貴の商売が繁昌する、とね」。すると、おぱあさんは「なるほど」と思ってニッコリ笑った。それ以来、泣きぱあさんはニコニコ婆さんになった。
(小話61)ある「沈黙の難しさ」の話・・・
ある山寺で坊さんたちが無言の行をやることになった。しかし、結果的に参加したのは僅か4人で、修行中の坊さん、その上のランクの坊さん、そしてその上の人、最後の一人はこの寺でいちぱん偉い人、という人々であった。修行中の坊さんはいつも灯りの当番をしていたので、無言の行のときも灯りを準備し、4名の僧は灯りをかこんで座禅を組んだ。長い時間がたったが、無言の行のため静かな時問が続いた。そのうちに灯りの芯が燃えつきて、油のところまできた。いつも灯りの面倒をみている一番下の若い坊さんは、気が気でない。そのとき、一陣の風が吹いてきて、炎がゆれて火が消えそうになった。あわてた若い坊さんは、「ああ、危ない。消える」と叫んだ。するとその上の僧もつい、「静かに! いま無言の行中ですぞ」と言った。これを聞いて第三の僧も、思わず言った。「お前こそ口をきいているじゃないか」と。いちぱん偉い人は何ごともないような涼しい顔をして、無心に坐禅を続けていたが、しぱらくしてから、威厳のある顔つきでみんなを見まわしてから、「口をきかないのはわしだけじゃのう」とひとこと、ぽつりと言った。