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(小話60)ある「上司の手紙」の話・・・
        (1)
   ある男は酒ぐせが悪く、ずる休みはする、仕事も手を抜くで月給泥棒とあだ名されていた。ある日、彼に上司から次のような手紙がきた。
「私は今まで君のことを見守り、大抵のことは許してきたつもりだ。しかし、最近になって、それは誤りであることに気づいた。君のいい加減な振舞いをみて、そのまま放っておくことが、君のためにも、会社のためにも、よくないことを知ったからだ。君の今の態度は、自分に忠実に、そして人生に真剣に取り組んでいるとは、思えない。誰もが、色々な悩みや悲しみを心にひめているが、みんなが一生懸命歯を喰いしばって必死に生きているのだ。そうしたきびしい現実に背を向け、君は毎日を自堕落な生活に終始している。人生はそんなに甘いものではない。いつしか君は自分からも、会社の同僚からも、世間からも見放され、あとで取り返しのつかないことになってゆくだろう。やる気がないならないでよい。しかしそれによって自分がどうなっても、決してその自分の不幸を嘆き、人のせいにし、世間を恨むことだけはやめてほしい。人生は、しょせん孤独なもので、自分しか頼りにならないことを肝に銘じておいてほしい。私のいいたいことはこれだけだ。
        (2)
  君にも君なりのいい分があると思う。差し支えなかったら打ち明けてくれないか。いつでもいい、私の家に来るなり、電話してほしい。あと10日間だけ待とう。この間に心をすっかり入れ変えた君なら、私は三顧の礼をもって君を迎えよう。もし、10日たっても君は何とも思わず、返事もくれず、今まで通りの生活を続けてゆくなら、もう私は君を必要としない。さっさと自分の行きたいところへ行き、したいことをやったらよい。私は君の返事を待っている」
この手紙を一読して、彼は男泣きに泣いた。それからというもの、彼はすっかり人が変わったようになった。
(小話59)「ある禅の大家」の話・・・
我々、凡人は「人よりよけいに給料をもらいたい」とか、「いち早く出世したい」とか、「社会で功なり名を遂げたい」と思いながら会社勤めや自営業に精を出す。が、現実には、実力や縁故のある者、又後ろ盾のある者や幸運に恵まれた者にどんどん先を越され、一生うだつもあがらず、成功もせずに終わるのが大半である・・・・・禅の大家、沢木興道師が言っている「おれは、一生成功すまいと思って努力しているんじゃ。人生のしあわせは金持になることではない。金持に生まれても、金の番をしているだけだ。自分がそれを思う存分に使えるわけではない。また、総理大臣になったとしてもたいしたことはないし、陸軍大将になって勲章を胸につけても、そんなものは猫首に下げている鈴のようなものだ。勲章をもらうことが偉いのではない。名誉や金は人生の最終価値ではないのだ。人生でしあわせなことは、人のためになることだ。人のために一生をささげた者は非常に尊い……」と。
(小話58)「起こることは必ず起こる」の話・・・
昔、ある王様にたいへん賢い、美しい娘がいた。王様はある日夢をみて、娘の未来の夫が娘にふさわしくない悪い男だということを予感した。そこで王様は、なんとか娘をこの悪い男に出会わせないようにいろいろ考えた。そこで娘をある離れ島に連れて行き、そこにあるお城に監禁し、まわりには高いへいをめぐらして、番兵をたくさん配置した。そして王様はかぎを持ってそのまま帰った。王様が夢をみた相手の男は、そのころ、どこかの荒れ地を一人さまよっていた。彼は夜寒かったのでライオンの死体の毛皮をとって、その中にもぐり込んで寝ていた。すると大きた鳥がきて、ライオンの毛皮ごと男を持ち上げ、姫が閉じ込められているお城の庭にそれを落とした。彼はそこで姫に出会い、二人は恋に落ちた。恋はあらゆるものにうち勝つし、どんなに遠い離れ島に連れて行って堅固なお城に監禁してもむだであった。
(小話57)ある「禅師と金持ち」の話・・・
           (1)
ある高名な禅師に大金持の家から使いがきて、「明日は亡父の一周忌にあたる故、禅師さまにお越しを願いたい」といってきた。禅師はこの金持ちが財産を鼻にかけているのを心よく思っていなかったが「よしよし、行って進ぜよう」と、すぐさま乞食坊主の風体でその玄関先に現われ「当家の主人にお目にかかりたい」と言った。すると、家の者は禅師を乞食と勘違いしてか「無礼者の乞食め、出て行け」とどなった。しかし仲々出て行かないので、その声を聞き、主人も「強情な乞食め。この男をたたき出せ」と下男にいいつけて追い出してしまった。
           (2)
その翌日、禅師は、今度は2人の侍者をつれ緋の衣に茶金襴の袈裟をつけて金持ちの家の門をくぐると、金持ちの主人が手をとらんばかりに出迎え、中に招き入れようとした。しかし禅師は「御主人、拙僧はここでたくさんでござる」と断った。「いや、禅師さま、どうぞ仏間へ」と願うと、「御主人、実は咋日お伺いしたが、追い出されてしまったのじゃ」「何故でござりますか」「何をかくそう、咋日の乞食坊主は私でござるよ」「えっ、あの乞食が」「みすぼらしい姿で来れば下男に叩かれ、金襴の袈裟をまとえばこの通り、下へもおかぬもてなしじゃ。そんなに金ぴかの袈裟法衣がお好きなら、この法衣にお布施をつかわしてくだされ。乞食坊主よりはるかに功徳がござろう」と、着ていた法衣を脱ぎすて禅師は後も見ずに引き返してしまった。
(小話56)「放し飼い鹿」の話・・・
ある日、近くの公園の放し飼いの鹿がお寺の庭の草をしきりに食ぺていた。それに気がついてお寺の和尚が、「鹿よ、あっちへいけ、しっ!しっ!」と追い払った。日頃から、この和尚を非難していた男が、これはよい光景をみたとぱかりに、「和尚ともあろう人が、鹿が庭の草を食べたぐらいで、門弟と一緒になって追いはらわなくてもよいのに……。どうも本心は慈悲心が欠けているのではないか」と、会う人ごとに、和尚の悪口をふれてまわった。これを知って、檀家の人が心配し、この和尚のところへやってきた。和尚は言った。「そうではないのだ。もし、私が庭の草を食べる鹿どもを追いはらわなければ、いつの間にか人に近づいてくるようになるであろう。人に慣れた鹿が、万が一にも悪い人に近づいて殺されてしまっては、可哀相だと思って追いはらっていたのだ。ちょっと見ては慈悲のない仕打ちだと思われようが、内心は慈悲深い行為なのだ・・・」と。
(小話55)ある「寛容について」の話・・・
ある教授が広い会場で多くの聴衆を相手に「寛容の必要について」の話をしていた。聴衆は教授の話に熱狂して「そうだ、そうだ、寛容こそ人間の最大の美徳である」と、その話しに魅せられて賛成していた。ところが、その中の聴衆の一人がすっと立ち上がって、「私はその説に反対です。時と場合によっては不寛容だって必要じゃないですか」と異説を唱えた。すると、いままで「そうだ、そうだ」と言って教授の寛容説に熱狂的に賛成していた聴衆が、「この野郎、何をぬかすか」というわけで、みんなしてその反対した男を袋だたきにして、場外にほうり出してしまった。そして会場に残ったのは、熱狂的に賛成する聴衆だけになってしまった。
(小話54)ある「ヒバリ」の話・・・
ある農家の麦畑に親子のヒバリがすんでいた。ある日、自分の畑を見まわりにきた農夫が、麦が実っているのを見て「仲間に頼んで刈りとってもらおう」と独りごとを言った。それを聞いて子ヒパリは驚き騒いで親ヒバリに言った「さあ、もう逃げようよ」と。すると、親ヒバリは落ち着きはらって「お百姓さんが人に頼っている間はまだ当分、逃げなくてもいいよ」と子ヒパリに言った。しかし、数日後にまた農夫がやってきて、今度は本気で麦を刈りとる用意をし始めたので、親ヒバリはあわてて子ヒバリに「さあ、さあ、もうどこかへ逃げなければならない。お百姓さんが仲間をあてにしないで自分で刈るといいだしたから」といった。こうして親子のヒバリは安全な別の麦畑に移って行った。
(小話53)ある「強欲な男」の話・・・
昔、ロシアでのこと。ある強欲な男が、広い土地を所有する部族のところへ行き、土地を買うことになった。部族の長が、男に告げた。その日のうちに歩き始めて日没までに歩き始めた地点に戻れぱ、それだけの土地を安く売るというのである。男は欲ばってどんどん歩いてゆき、途中からは駆け出し、もう少し、もう少しとできるだけ遠くの方まで行き、日の沈む頃になってようやく、大急ぎで折り返してきたが、起点に帰りついた時には、あまりに息せき切って激しく駆け回りすぎたため息が絶えてしまった。そして、死んだ男は頭から足の先まですっぽり入る2メートルほどの小さな土地に埋葬された。
(小話52)「四人の妻」の話・・・
その昔、四人の妻をめとった男がいたが、寿命がつきてあの世に旅立つ時に、そのうちの一人を連れて行きたいといった。そこで、日ごろ一番愛していた第一の妻を呼ぴ寄せ話したところ、彼女は「私はイヤです」と冷たく断わった。そこで、第二の妻を呼んで頼んだところ、やはり「私は御免です」という返事であった。第三の妻も「お墓参りくらいならいたしますが、あの世までは行けません」という。男は仕方なく第四の妻に頼むと、第四の妻は「喜んで参りましょう。たとえ、そこが無間地獄の火の中であろうとも、終世離れることなくお伴しましょう」と承知してくれたという。 第一の妻とは、われわれの肉体をたとえたもので、第二の妻とは財産、地位、名誉のことで、第三の妻とは実際の妻であり、第四の妻とはわれわれが日夜作りだしている善業や悪業のことである。
(小話51)「ある旅人」の話・・・
昔、ある一人の男が旅行していた。ロバと犬と小さたラソプを持っていた。夜のとばりがおりて、男は村はずれの一軒の納屋を見つけ、そこで寝ることにした。しかしまだ寝るには早い時間だったので、彼はラソプをつけて本を読みはじめた。すると一陣の風が吹いてきてランプが消えた。彼はしかたなしに寝ることにした。夜になると、狐とライオンがあいついであらわれ連れていた犬とロバを殺してしまった。朝になると彼はラソプを持って一人でとぼとぼと村に近づいた。村には、人影が全くなく、彼は前の晩、盗賊がやってきて村を破壊し、村民を皆殺しにしたことを知った。もしランプが風で消えていなければ彼も盗賊に発見されたはずだ。犬が生きていたら犬がほえて、盗賊に見つかったかもしれない。ロバもやはり騒いだにちがいない。すぺてを失っていたおかげで、彼は盗賊に発見されなかった。
(小話50)ある「一人と二人の違い」の話・・・
ある国の王様は非常においしい実のなる果物の木を持っていた。それを見張るために二人の男を雇った。一人は目の不自由な男で、もう一人は足の不自由な男だった。ところが二人は悪だくみをはじめ、一緒になって果物の実をとることを相談した。目の不自由な男が足の不自由な男を肩車にのせて、足の不自由な男が目の不自由な男に方角を教え、思う存分おいしい果物を盗んで食べた。王様がたいへん怒って二人を詰問すると、目の不自由な男は私は見えないからとれるはずがないというし、足の不自由な男は私はあんな高いものに届くはずがないといった。王様は、二人の言い訳はもっともだと思ったが、二人が果物を盗んで食べたのは確信していた。そして王様は、何事であれ二つの力は一つよりもるかにすぐれており、よくも悪くも二人が力を合わせれば不可能なことも可能になることを理解したのである。
(小話49)有名な「姥捨山(うぱすてやま)」の話・・・
すでに働く力を失った老母を背負って、山に捨てに行った息子が途中の道すがら、背中でときどき枝を手折る音を聞いた。「さては母親はきっと捨てられたあとで、自分がそっと山を降りるための目印に枝を折っているのに違いない」と考え、さらに曲がりくねった山の奥に踏み入り、やっとのことで目的地にたどりついた。老母を地上におろして「これで、お別れします」といった時に、老母は息子に「いま山を登ってくる時に、お前が帰るのに道を迷ってはいけないから、枝を折って目印をつけておいたから、それを頼りに降りるのだよ」と言った。息子は、我が身を捨てる子の無情を恨まずに、その子のために道しるぺをする限りない慈愛の心に胸打たれて、親不孝の罪をわぴた。そして、ふたたび老母を背負って家に帰り、それからは孝養をつくしたという。
(小話48)「ある夫婦」の話・・・
昔のこと。仲のいい夫婦が住んでいた。ある日、夫が「瓶(かめ)から、酒をくんできてくれ」と妻にいいつけた。さっそく妻が酒瓶のふたをあけると、そこには美しい女の姿があった。嫉妬のあまり夫に対して「あなたは、美しい女をかくまっている」となじると、「いやそんなことはない」と今度は夫が酒瓶をのぞくと、そこには若い男の姿がみえた。「おまえこそ若い男をかこっている」と激しくののしり、とうとう二人は喧嘩になってしまった。この騒ぎを知って、たまたま通りかかった一人の老人が争いのわけを聞き、「それでは、私がその男女をつかみ出してあげよう」といい、酒瓶を見るや叩き割ってしまった。そして老人は言った「酒がめに映った男女の姿はあなたたちである。早く、迷いの夢からさめなさい」と。
(小話47)ある「悪魔の贈り物」の話・・・
この世で最初の人間がぶどうの種を植えていた。そこへ悪魔がやってきて、「何をしているのか」と聞いた。人間は、「私はすばらしい植物を植えている」というと悪魔が、「こんな植物は見たことがない」といった。そこで人間は悪魔に対して、「これは非常に甘くておいしい実がなって、その汁を飲むと人間は、非常に幸福になるのだ」といった。悪魔はそれでは自分もぜひ仲間に入れてくれといったが、人間は「これは人間しか飲まない」と断った。そこで、悪魔は夜こっそりと忍んで来て、羊とライオソと豚と猿の4匹を殺し、その血を肥料に流し込んだ。こうしてワイソができた。人間はワインを飲むと、まず飲みはじめは羊のようにおとなしく、ちょっと飲むとライオソのように強くなり、さらに飲むと豚みたいにいじきたなくなる。そしてあまり飲みすぎると猿のように踊ったり、歌ったり、ゲロを吐いたりしだす。こうして悪魔は人間に復讐したのである。
(小話46)「良寛と青年」の話・・・
良寛の実家に甥にあたる青年がいたが、両親も手にあまる放蕩者で、良寛に「どうか実家に逗留して意見をしてくれ」と懇願した。良寛は実家に来たが、別に青年をいさめるでもなし、毎日ぶらぶらしていた。両親夫婦は良寛の態度に業を煮やし、良寛も居づらくなって帰ることにした。出立の朝、青年に庵まで送ってもらうことにし、良寛は玄関先で青年に「ちょっとすまぬが、わしのわらじの紐を結んでくだされ」と声をかけた。青年は良寛の足許にしゃがみ、わらじの紐を結んでやっていると、なにやら暖かいものが自分の首筋に落ちてくる。何だろうと振り仰いでみれば、それは良寛の眼から落ちた一滴の涙であった。これを知った青年はハッとしたが、何くわぬ顔で良寛の庵へ急いだ。その道すがら良寛は青年に「お前も淋しいのだろうな。わしもお前の年頃は淋しくてやりきれなかったんだよ。どうだ、歌でもやる気はないか。わしがなおしてあげるから」とぽつりと言った。それからというもの、この青年は良寛のところへよく遊びにくるようになり、すっかり人が変わってしまったという。
(小話45)「兎と亀の物語」の話・・・
戦後、訪ソ団の一人がソ連の保育所を視察して回った。あるところで、可愛い子供たちから、「日本の話をしてほしい」とせがまれた。彼がふっと頭に浮んだのは、「兎と亀の物語」で、この話はとても日本的な物語だと思ったのだ。彼はみんなの前に立ち、子供たちの期待に答えようと、ジェスチャーをまじえて、面白おかしく話したのだが、日本の子供たちとは違って、みな怪訝な顔をしている。最初は言葉のせいかとも思い「兎さんのように眠ってしまったら、のろい亀さんからも追い越されますよ。なまけては競争に打ち勝つことはできません」と、最後にはこの話の特徴である努力の奨励で終わった。それでも、まだピーンとこないような顔をしている子供がたくさんいた。しぱらくしてから、一人の子が、「先生」と手をあげた。「なんですか」と問いかけると、「その亀さんはどうして、兎さんを起さなかったのですか」と質問された。彼はハタと困ってしまった。
(小話44)有名な「釈迦と婦人」の話・・・
ある婦人の一人っ子がまだよちよち歩きをはじめた頃、病気にかかり死んでしまった。婦人は悲嘆にくれ、何とかしてわが子を再びいき返えらせようとその屍を胸に抱き、生きかえる薬を求めて町をたずね歩いた。が、誰もそんな薬は知らなかった。そんな時、一人の賢者が「奥さん、都の南、祇園精舎に釈迦という方がいらっしゃるから、たずねて行きなさい」と教えてくれた。そこでさっそく、釈迦のところへ行って一部始終を打ちあけた。釈迦は「あなたの子供を生きかえらせる薬は白い芥子(けし)です。それを町へ行ってもらい、子供の口にいれたならば息をふきかえすでしょう。ただしその芥子はいままで誰一人として死人を出していない家からもらってきなさい」と教えられた。婦人は町に出かけ、一軒一軒、死人を出したことのない家を求めてたずね歩いた。ところが、そんな家などひとつもなく、疲れ果てて再び釈迦のもとに帰り、「あなたのおっしゃるような芥子を探し求めましたが、どこにも見あたりませんでした」と告げた。すると釈迦は答えた「そうであろう。生まれたものは必ず死ぬのであって、この道理に反するものはこの世に一人もいないのである」と。
(小話43)ある「弓の名人」の話・・・
昔、趙の都に一人の男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立て、師と頼むべき人物に弟子入りした。「まばたきをしない」修練を二年間。「じっと見る」修練を三年間。肌着の縫い目からシラミを一匹探し出して髪の毛につなぎ、それを窓にかけて終日にらむという目の基礎訓練に五年間。修練の甲斐があって彼の上達は驚くほど早く、すぐ百発百中の腕前になった。 さらに彼は、師を求めて旅に出た。出会った老師は、無形の弓に無形の矢をつがえて、天空高く舞っていたトビを射落としたという評判の名人だった。この師の下でさらに九年間の修練を積んで帰京した。都に帰った後、彼の名人としての名声は高まる一方だったが、四十年間絶えて弓を手に取らなかった。最後には、彼は、それを見ても何の道具か思い出せなくて、弓自体を忘れ去って亡くなったという。
(小話42)ある「落ち葉」の話・・・
京都東福寺のある禅師の逸話。ある日、禅師が弟子を連れて庭を散歩していた。すると折から一陣の風に吹かれて5〜6枚の葉がこぼれ落ちた。禅師は歩きながら一枚一枚落ち葉を拾って袂(たもと)に入れた。これをみていた弟子があわてて言った「和尚、おやめなさい。私が後で掃きますから」。これを聞いた禅師は、弟子を叱りつけた「馬鹿者!後で掃きますで美しくなるか。今、一枚拾えば一枚だけ美しくなる」と。
(小話41)ある「戦時中の演習」の話・・・
戦時中のこと、軍隊で部下をひきつれて敵前渡河の演習中に船が横波をうけて転覆した。全員ずぶ濡れで岸にはい上がったところを上官は「何をぽやぽやしている」と怒鳴り、言い訳しようとした数人を殴った。上官は言った「弁解なんぞするな。第一、これを演習だと思ってやっているのか。これは実戦だ。実戦の最中に舟が沈めば貴様ら全員死ぬ。貴様らもう死んでいるんだ。死んだ奴がものをいうか!」そして上官さらに言った「貴様ら、絶対に死んではならんのだ。失敗したら死ぬ。だから絶対に失敗してはならんのだ」と。