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(小話967)「(ジャータカ物語)星占い」の話・・・
       (一)
昔、ペナレス(バラナシ=初説法の地)でブラフマダッタ王が国を治めていたとき、都会に住んでいた家族が、田舎に住んでいた家族から嫁を迎えることになった。そして、お祝いの日取りも決定して、あとは嫁入りの日を待つばかりとなっていた。当日になってその家の家人は、一家で親しくしていた修行者に星占いを頼んだ。「先生、今日私達の家でお祝いごとがあるのですが、空の星はめでたい配列になっているんでしょうか?将来はどうなるでしょうか?是非占っていただけませんか」と聞いた。普通のやり方は、まず占ってから日にちを決めるのだが、この家人たちは占い師を頼む前に日にちと段取りを先に決めてい。これには、修行者の自尊心が傷ついた。修行者は心の中で「事前にこの私に相談もしないで勝手に日取りを決めてしまい、今頃になって聞きに来おって」と思うと腹が立ってきた。そこで「今日の星の配列は、とても不吉な状態です。今日の祝宴は見合わせたほうがよろしい。もしも強行すれば、大破綻を来すでしょう。」と占った。
      (二)
その一家の人々は修行者の言うことを信用して、その日は出掛けなかった。一方、村の人々は、結婚式の宴の準備をして待っていたのに、誰も現われなかった。田舎に住んでいた家族は都会の人たちが来ないことを知って、仕方なくほかの家に娘を嫁がせてしまった。翌日になると都会に住んでいた家族がやって来て「娘さんをお嫁にください」と頼んだ。すっかり気を悪くしていた田舎の家族は「あなたたち都会の人は礼儀知らずだ。あなた方がしっかり日時まで決めておきながら急に約束を破って来ないものだから、私たちは娘をほかの家に嫁にやってしまった」と言った。都会の人にしても、嫁をもらおうと行ったところで断られると、大変な恥になるので、それで互いに言い訳を言いながら、結局、大喧嘩になってしまった。彼らが言い争っているそのときに、都会に住んでいるある賢い人(釈迦の前生)が、たまたま用事があってこの田舎の村へやって来た。そこで彼は、自分に関係ないこの喧嘩の仲裁をする羽目になった。「修行者の星占いを信じて来なかった」という都会の人々の言い分を聞いて、この賢い人は判決を出した「星の配列にどんな「めでたさが」があるのか。結婚して幸福を得ることが、すなわち「星回りが良くてめでたい」ことなのではないか」と言って、次のような詩句を唱えました。「星の配列で運命を占う愚か者を、幸福が見捨てていく実生活の努力こそが、幸福でめでたいことである。星のならびには何の意味もありません」。都会の家族は、お嫁さんももらわず、大恥をかけられて悔しい思いを抱きながら、田舎の村を立ち去って行った。
(参考)
@「ジャータカ物語」(「本生譚(ほんしょうたん)」などと訳される釈迦(しゃか)が前世で修めた菩薩行を集めた説話)より。


(小話966)「イソップ寓話集20/20(その45)」の話・・・
        (一)「クジャクとユノ」
クジャクが女神ユノに不満を申し立てた。ナイチンゲールは、その歌声で皆を幸せな気分にさせるのに、自分が口を開くと、その途端、皆が笑い出すというのだ。すると女神は慰めて言った。「でも、お前は、美しさや大きさの点で秀でているではないか。首は豪華なエメラルドで輝き、そして色とりどりの立派な尾が広がる」すると、クジャクがこう答えた。「しかし、いくら美しくても、歌声で劣っていては、その美しさも輝きません」すると、女神がこう言ってたしなめた。「よいですか、それぞれには、領分というものがあるのです。ワシには強さ、ナイチンゲールには歌声、ワタリガラスは瑞兆(ずいちょう=めでたい前兆)を知らせ、小ガラスは凶兆(きょうちょう=悪いことの前兆)を知らす。お前には美しさがあるのです。皆は与えられたもので満足しているのですよ」
(参考)
@ユノ・・・ローマ神話の最高の女神。結婚・出産の女神で、女性の守護神。ユピテルの妃。「女王」と称され、ギリシャ神話のヘラと同一視される。
        (二)「タカとナイチンゲール」
ナイチンゲールが、いつものように、カシの高枝にとまって、歌を歌っていると、腹を空かせたタカに急襲されて捕まってしまった。死の迫ったナイチンゲールは、自分は、タカの空腹を満たすには小さすぎるので、どうか逃がしてくれるようにと懇願した。すると、タカは、ナイチンゲールの言葉を遮って言った。「もし、まだ見ぬ獲物を求めて、既に手の内にある獲物を逃がしたとしたら、それは、まったくどうかしているとしか言えないね」
        (三)「イヌとニワトリとキツネ」
イヌとニワトリが大の仲良しになって、一緒に旅に出ることにした。夕方になると、二匹は、太い木を宿に決め、ニワトリは枝に飛び乗り、イヌは木の根本近くの洞を寝床にした。明け方、ニワトリがいつものように大きな声で鳴いた。すると、キツネがその声を聞きつけて、やって来た。そして内心を隠してこんなことを言った。「僕は、君のような素晴らしい声の持ち主と知り合いになりたかったんだよ」ニワトリはキツネの言葉を訝(いぶか)ってこう言った。「それは光栄です。それでは、下の方に洞(ほら)がありますからそこへ行って、私の下男を起こして下さいませんか。そうすれば、彼が扉を開いてあなたを中へ入れてくれますから」キツネは洞へと近づいて行った。と、イヌが跳びかかりキツネを捕まえるとズタズタに引き裂いた。


(小話965)「古代ギリシャの偉大な哲学者で数学者ピタゴラス。数学の祖であり、ピタゴラス教団の教祖でもあり、多様な才能を発揮した、その波乱に富んだ生涯」の話・・・
       (一)「ピタゴラスの生涯@」
古代ギリシャの偉大な哲学者・数学者で「サモスの賢人」「クロトンの哲学者」とも呼ばれたピタゴラスは、今日の数学・音楽・天文学の基本的な体系を作り上げた。彼は有名な「ピタゴラスの定理」によって科学史上に偉大な足跡を残したが、彼の哲学の根底にあったのは「神秘主義的哲学」であった。ピタゴラスは紀元前580年頃にエーゲ海にあるギリシャの植民地サモス島に生まれた。宝石細工師であった両親が神託を受けたところ、生まれたその子は「美と知恵にかけて万人に抜きん出た存在となり、人類に多大な貢献をするだろう」と予言された。ピタゴラスは、当時、最大の学者であったミレトスのタレス(ターレス)の門弟になるために郷里を出た。そして、タレスから数学や天文学など多くの知識を得た後、彼のすすめにしたがってエジプト、バビロニア、インドなどを旅行し、そこでさまざまな神秘思想を学び、「宇宙は数に支配されている(万物の根源は、数である)」と唱え、特に数の神秘を説いた。又、インドではバラモンの高僧から教えを受け、「魂の不滅」を信じ、人が死ぬと魂は肉体を離れて、新しい命(いのち)に入っていくという「輪廻(りんね)説」をもっていた。彼は40歳を過ぎた頃に、南イタリア(当時はギリシアの植民地であった)のクロトンに移り住み、真理を探究する弟子たちとともに小さな集団をつくった。これがピタゴラス教団の始まりであった。ピタゴラスは180センチを越える長身と活力に満ちた完璧な肉体を持ち、威厳に溢れ、当時、彼の魅力は絶大で、彼の講演を聞いた聴衆600人がその場で家族を捨て、教団に走ったという記録もあるほどであった。ピタゴラスは言った「私は人の心の弦を鳴らすことができるのだ」と。
(参考)
@ピタゴラスの定理・・・角 C を直角とする直角三角形 ABC では、AB2=BC2+AC2 が成り立つという定理。すなわち直角三角形の直角に隣り合う二辺の上の正方形の面積の和は、斜辺の上の正方形の面積に等しいという定理。
Aミレトスのタレス(ターレス)・・・ミレトスの人。ギリシャ七賢人の一。イオニア自然哲学の創始者。万物の根源を水とした。また、幾何学・天文学・航海術などに通じ、日食を予言した。(小話793)「古代ギリシャの七賢人(その1)、哲学の祖タレス(ターレス)」の話・・・を参照。
       (二)「ピタゴラスの生涯A」
ピタゴラス教団の正式なメンバーには三段階の位階があった。第一段階は「アテマティコス」(学修者)と呼ばれ、数学と幾何学に熟達することを求められた。第二段階は「テオレティコス」(観照者)で、この学問の現象的な応用を扱った。第三段階は「エレクトゥス」(光輝者)で、完全な啓示の中に進み、その光に同化しうる志願者に対してのみ、この称号が与えられた。ピタゴラスの教えには二つの柱があった。一つは「数によって宇宙、森羅万象を解釈する」ことで、もう一つは「魂の遍歴(輪廻)に基づいた道徳生活の営み」というものであった。ピタゴラス教団は、魂を清めるための方法として音楽を重視し、音の階調を熱心に研究したが、これは同時に数の比例の研究でもあり、更に天体の階調の研究でもあって、音階の比の案出をはじめ、有名なピタゴラスの定理などの幾何学上の諸発見、大地の球形、月の反射といった天文学説などがピタゴラスに帰せられた。教団の三大原則は「沈黙・秘密厳守・無条件の信仰」であり、教団内で最も重要とされたのは、ピタゴラス的生活の実践であった。この生活の中には、湿布薬・音楽による治療、肉食の害、友情の美徳、なども含まれていた。また教団では全てが共有財産とみなされ、男女が平等に扱われていたという。
       (三)「ピタゴラスの生涯B」
ピタゴラスは60歳の時、世界最初の女流数学者といわれる教え子で美人のテアノと結婚し、7人の子供を残した。白い服をまとい、食事の節制に心がけ、食べるものといえば、わずかの蜂蜜とパン、野菜であり、海のものはごく少量であった。態度においても謹み深く、人を嘲笑することもなければ、冗談をいったり、野卑な話をしたり、人に媚(こ)びへつらうことも一切なく、召し使い(奴隷)であれだれであれ、怒りにかられて懲らしめるということはなかった。また、彼の腿(もも)は黄金に輝いていたといわれ、神々しい雰囲気だった。実際、弟子にとってピタゴラスは神そのものであり、弟子たちは師を「神の声を取り次ぐ者」と呼んでいた。ピタゴラスが姿を現すと、人々は畏敬で打ち震え、一言でもほめられようものなら有頂天になった。反面、ちょっと叱られただけでも深く落ち込んでしまい、あるとき、小さな注意を受けたことを苦に自殺してしまった弟子がおり、ピタゴラスはこれを深く悲しんで、それ以後、無愛想な話し方は二度としなかったという。ピタゴラス教団には、だいたい300人ほどの「出家信者」がいたが、その他にも「在家信者」が大勢いて、たとえばピタゴラスの説法が夜におこなわれる日など、はるばる遠方からたくさんの人がつめかけ、その数は600人にも上った。説法の後には、選ばれたわずかの人たちが、ピタゴラスと直接に話す機会が与えられた。選ばれた人は、その幸運と喜びを、親類縁者に手紙で報告したという。ピタゴラスがもっとも優れた美徳として説いたのが「友情」だった。そして人間関係に調和があるとき、そこには友情があると、ピタゴラスは語っていた。「友情とは、調和のある平等である」と、ピタゴラスは説いた。あるとき、弟子のひとりが旅行中に病気にかかり、金もなくなってしまった。しかし宿屋の主人は親切に介抱してあげた。弟子は息を引き取る直前、宿屋の扉に秘密めいた図形(調和を象徴する六芒星)を描いてこう言った「安心してください。やがて兄弟がやってきて、借金を払ってくれますよ」。そして彼の死後1年程たったとき、ある旅人が宿屋の前を通りがかったところ、その扉に描かれた図形をみて言った「私はピタゴラス教団の者です。私の兄弟のひとりがここで死んでいるはずです。いくらですか。勘定を払わせてください」と。だが、多くの人たちに支持され、政治にも関わり極めて隆盛を誇ったピタゴラス教団も、教祖のピタゴラスが殺されたのちは、ピタゴラスの妻テアノが教団を引き継いで布教に努めたものの衰退して行った。堅い結束で結ばれた弟子たちも、諸国に散ってピタゴラスの教えを広めようと努めたが、四方八方から迫害されたため、ピタゴラス教団はやがて解体した。
       (四)「ピタゴラスの不思議な能力」
当時、ピタゴラスを有名にしたのは、その不思議な能力(妖精や動物と自由に話ができる)であった。あるとき、ロバが豆の葉を食べているのをみた彼は、ロバの主人に、「ロバに豆を食べさせないようにいいなさい」と注意した。ロバの主人が笑いながら「わしはロバとは話せないよ」というと、ピタゴラスはロバの耳に口を当てて何事かをささやいた。するとロバは、ピタリと豆の葉を食べるのをやめ、以後二度と口にすることはなかったという。また、オリンピックの開催中に、空を飛ぶ鷲を口笛ひとつで急降下させ腕に乗せたとか、一頭の熊が街で大暴れしたときも、ピタゴラスが前に出るとおとなしくなり、自ら去って行ったという。又、あるとき、ピュタゴラスと共に港で船を見ていた弟子が「今、港に入ってくるあの船の積み荷は、わたくしに富をもたらすでしょうか」と尋ねた。すると彼は「無意味なことだ」と答えた。弟子が続けて「自分に役に立たないのなら、子孫のために貯えておきたいと思います」というと、ピタゴラスは「君は遺産に死骸まで加えるのかね」と答えた。後で調べると、その船には国の墓に埋めて欲しいと遺言した市民の死体が積んであったという。あるとき、小犬が叩かれている最中に通りかかったピタゴラスは、哀れを催して、次のような言葉を口にしたという。「よしたまえ、打ってはいけない。これは友人の魂なのだから。泣くのを聞いて、私はそれを知ったのだ」。
(参考)
@豆を食することを堅く禁じていた・・・理由はよくわからないが、消化不良を起こしやすく、健康によくないからだともいわれている。一説によれば、その形が霊界の入り口に似ているから、あるいは宇宙の形に似ているからだとされ、そのため豆を食べることは、その神聖さを汚すことになると信じていたためだともいわれている。
       (五)「ピタゴラスと豆」
ピタゴラスの最期についても色々の説があるがその中の一つ。 ピタゴラス教団は、しだいに大きくなって影響力を持つに至るが、反面で、審査に落ちて入団を拒否された人たちの妬みや反感をもつのらせていった。そしてとうとう、一部の者がデマを流し、大衆を暴動に駆り立てた。そのとき、ピタゴラスと弟子たちは集会中であったが、誰かがその家に放火した。弟子は散らばって逃げ、ピタゴラスも走って逃げたが、その先には運悪く豆畑があった。振り返ると群衆はすぐそこまできていた。そこで彼は、戒律を破って豆畑に進入するよりは殺された方がましだといって逃走をあきらめた。そして、無抵抗のまま追いついた群衆に喉(のど)を切られて殺されてしまった。ピタゴラスが85歳のときだったという。
(ディオゲネス・ラエルティオスの「ギリシア哲学者列伝」より)
(参考)
@豆畑に行き当った・・・紀元前500年ごろ、豆を食べることを罪とする教団の、その開祖はピタゴラスで、ピタゴラス教団の戒律は次のようであった。
1.豆を食べるな。
2.落ちたものは拾うな。
3.白い雄鶏(おんどり)に手を触れるな。
4. パンをちぎらないこと。
5. 鉄製の器具で火を掻き立てないこと。
6. 明かりの傍らで鏡を見ないこと。
さらに、ツバメの巣を目の敵にして見つけしだい壊さねばならないいう戒律もあった。また、ルールとしては男も女も平等な資格でその教団に入団する。財産はすべて共有し、科学や数学での発見も集団の発見とすることが定められていたという。
       (六)「ピタゴラスの最期」
ピタゴラスの最期に関する4つの説。
(1)クロトンの家にいる時に放火されて、逃げ出し、豆畑まで来た時に立ち止まったため、追手に捕らえられて咽喉(のど)を切られて殺された。
(2)メタポンティオンのムゥサの女神たちの神殿に逃げ込み、40日間の断食をした後で死んだ(ディカイアルコスの説)。
(3)メタポンティオンに退き、断食をして死んだ(ヘラクレイトスの説)。
(4)アクラガス人とシュラクサイ人との戦闘に参加し、アクラガス軍の側に味方して戦った。しかし、アクラガス軍が退却したため、豆畑を避けて廻り道をしようとした時に、シュラクサイ軍に捕らえられて殺された(ヘルミッポスの説)
       (七)「ピタゴラスの秘伝「黄金詩篇」(ピタゴラスの信条を詩の形で成文化)」
まず不滅の神に対して汝(なんじ)の勤(つと)めを果たすべし
親御と近親者を敬(うやま)い
徳において第一の者を友となし
彼の話に注意深く耳を傾けるべし
ささいな欠点で友を力に任せて捨てるな

怒り、怠惰、贅沢(ぜいたく)は避けよ
邪悪なものを慎(つつし)め
しかし己を最も恐れるべし

肝に命じよ、人は皆死ぬべく定められている
富はそれを得た時と同じように速やかに失われる

苦しみは、神のおぼし召しによってもたらされるので、喜んで受けよ
だが、一切の気苦労を除くように努め
正しい者がいつも最高の利益を得るとは限らないことを思え

人の甘い言葉に惑わされるな
荒々しい脅迫に恐れをなして正しい覚悟を捨てるな
もし何かをしようとするなら、まずよく考えよ
後で悔やむようなことはしてはならぬ
まず自分に向いている事を学ぶようにせよ

運動と食事に節制を心掛け
平静な落ち着きの中に己を保つべし
虚栄心がもたらす浪費を戒め
浅ましくなってもいけない
何事も中庸が最善である

自省の日記を3回繰り返すまでは
夜、目を閉じて休んではならない
どんな過ちを犯したか、何をしたか、何をしていないか
このように初めから終わりまで総括を行い
悪行のためには悲しみ、善行を喜べ

恐れることはない、人はもともと天上の種族である
神聖な自然により何を抱擁すべきかを教えられ
それを追求すれば、魂を肉体の汚れから守ることになる

控えよ、理性を用いて心のたづなを引け
そうすれば天上へと昇り、肉体からは自由になる
そなたは死を免れた聖人であり、もはや滅びることはない
       (八)「ピタゴラスの名言」
(1)万事に先立って汝自身を尊敬せよ。
(2)怒りは無謀をもって始り、後悔をもって終る。
(3)沈黙することを学びなさい。静まった心に耳をすませ、吸収させなさい。
(4)人は必要に迫られるとすぐに実力を発揮する。
(5)自制することのできない人間を自由の人と呼ぶことはできない。
(6)必要性とは、可能性の隣人である。
(7)期待できないことに希望をつなぐな。
(8)わたしは、知恵を愛する者である。
(9)万物の根源は、数である。
(10)弦の響きには幾何学があり、天空の配置には音楽がある。
(11)多くの言葉で少しを語るのではなく、少しの言葉で多くを語りなさい。
(12)絶えず力を新たにして新しい道を求める事、これこそが、いつの世にも進歩の秘訣だ。
(13)人間の心は三つの部門、すなわち知力・理性・情熱に分けられる。
知力と情熱は他の動物にも具備するも、理性は人間のみ具わる
利欲は飽きることを知らず
(14)われわれは当然、身体から病気を、魂から無知を、腹から好色を、都市から反乱を、家族から不和を、万物から過度を回避するよう極力努力し、火、剣、その他、一切の手段を使ってそれらを切り捨てるべきである
(15)腹が立っているときは何もいうな。
(16)重荷を上げている男を助けよ。重荷を降ろしている男を助けてはならぬ。
(17)知恵を求めるものは、それを孤独のうちに探求しなければならない。
(18)7は3と4に分けられる。3は神(三位一体)を表し、4は四方世界(東西南北)を表す。この3と4を合わせた7という数字は、神と世界を同時に示すものであって、宇宙全体はこの7という数字の中に完全に収まっている(世界は整数に支配されている)。
(19)理性が1で、女は2で男は3、4は正義や真理、5が結婚、6は愛情と霊魂、7は幸福、8は本質と愛、10は神聖な数(世の中は整数でできている)。
*1+2=3:女性に理性を加えると男性。
*2+3=5:男性と女性を足すと結婚。
*2+5=7:女性は結婚をすると幸せ。
*2×3=6:で愛情。
(参考)
「ピタゴラスの石像」の絵はこちらへ
「ピタゴラス」の絵はこちらへ
「アテナイの学堂」(ラファエロ)の絵はこちらへ中央の、プラトンが指を天に向けているのに対し、アリストテレスは手のひらで地を示している。
「アテナイの学堂(ピタゴラスの拡大)」堂」(ラファエロ)の絵はこちらへ
「ピタゴラス」(不明)の絵はこちらへ


(小話964)「九尾狐」の話・・・
       (一)
むかしの説に、野狐(のぎつね)の名は紫狐(しこ)といい、夜陰(やいん)に尾を撃(う)つと、火を発する。怪しい事をしようとする前には、かならず髑髏(どくろ)をかしらに戴いて北斗星を拝し、その髑髏が墜(お)ちなければ、化けて人となると言い伝えられている。劉元鼎(りゅうげんてい)が蔡州(さいしゅう)を治めているとき、新破(しんぱ)の倉場(そうじょう)に狐があばれて困るので、劉(りゅう)は捕吏(ほり)をつかわして狐を生け捕らせ、毎日それを毬場(まりば)へ放して、犬に逐(お)わせるのを楽しみとしていた。こうして年を経るうちに、百数頭を捕殺した。
       (二)
後に一頭の疥(かさ)のある狐を捕えて、例のごとく五、六頭の犬を放したが、犬はあえて追い迫らない。狐も平気で逃げようともしない。不思議に思って大将の家の猟狗(かりいぬ)を連れて来た。監軍(かんぐん)もまた自慢の巨犬を牽(ひ)いて来たが、どの犬も耳を垂れて唯その狐を取り巻いているばかりである。暫くすると、狐は跳(おど)って役所の建物に入り、さらに脱け出して城の墻(かき)に登って、その姿は見えなくなった。劉(りゅう)はその以来、狐を捕らせない事にした。道士の術のうちに天狐(てんこ)の法というのがある。天狐は九尾で金色で、日月宮に使役(しえき)されているのであるという。
(参考)
@天狐・・・狐が1000年生きると天狐になれる。千里の先の事を見通す。尾の数は九本とも。下に存在する、野狐、気狐のように悪さをすることはない。さらに生きて、3000歳を超えると空狐となる。 A岡本綺堂の「捜神記」より。


(小話963)「(ジャータカ物語)鷓鴣(しゃこ)と猿と象」の話・・・
           (一)
昔、ヒマラヤの山中にニグローダの大木があった。その木の下には鷓鴣(しゃこ=釈迦の前世)という名の小さな鳥と、猿と象が住んでいた。象は大きなものを運んだり、木をゆすって実を落としたりした。猿は木に登り、木の実を採ってきた。鷓鴣(しゃこ)も木から木へ飛び移り、木の実を落としたりして、生活をしてた。初めは仲のよかった三匹だったのだが、そのうちにお互いに不平不満を持つようになった。象は「俺は重いものを持ったり、生活に邪魔な倒木をどけたり、木に体当たりをして木の実を沢山落としたりしている。こんなに働いているのに、猿の奴はただ木から木へ飛び移っているだけだ。あれは遊んでいるに違いない」。一方、猿は猿でこう考えていた「象の奴は楽でいい。あのでかい身体を木にぶつければいいんだから。力も強いから重いものを持っても平気だし。それに比べると俺は危険ばかりだ。木から木へ飛び移るとき、落ちるかもしれないからね。危なくって仕方がない。まったく、俺のほうが年長で働きものなのに、俺のほうが賢くて気がきくのに、尊敬すらしない。年長者や賢い者を敬うべきなのだ。そうだ、あの象の奴に言ってやろう。誰が一番偉いのかってことをな」。
         (二)
ある日のこと、猿と象はお互いの鬱憤をぶつけあった。「おい象、お前、誰にものを言っているんだ。象ってのは、年上の者を敬わない生き物なのか?」「なんだと猿、お前のほうが年下だろう。しかも、お前は愚かものだ。俺のほうが年長で賢いに決まっているだろ。俺を敬うのが筋ってものだろ」。こうして二匹は言い争いを始めたのだった。そして象が言った「だいたいな、俺はあのニグローダの大木がこんな小さなころから知っているんだ。確か、あのてっぺんの枝が俺が小さかった時、へその位置にあったよ。お前なんて、あの大木の小さなころなんて知らないだろ。だから、俺のほうが年長さ」。「何言ってるんだ。俺なんて子ザルの時、あの木がすごく小さくて、木のてっぺんの芽を食べていたんだ。子ザルの時だぞ、だからすごく小さかったさ。そんな小さなニグローダの木を見たことないだろ」。「俺が小象のときだって、小さかったんだ。あのニグローダが芽を出してきたばかりのころのことなんだよ」。
         (三)
鷓鴣(しゃこ)は、この二匹の言い争いを木の枝から眺めていた。やがて、二匹の言い争いの矛先は鷓鴣(しゃこ)に向かった。「おい鷓鴣(しゃこ)、そんな上から眺めているが、お前はどうなんだ。まあ、どうせお前が一番若いのだろうけどな」。象と猿は鷓鴣(しゃこ)を笑ったのだった。鷓鴣(しゃこ)は「二人とも、このニグローダの木の小さい時を知っているんだね」「ああ、そうさ。よく知っている。だから俺たちはお前よりも年長さ」「なるほど。私が雛(ひな)だったころ、ここには大きなニグローダが立っていた」「ほらみろ。お前が雛のころには、この巨木はあったんだ。お前は一番若いな」。鷓鴣(しゃこ)は二匹が話を続けた「でもね、私が一人で飛び発てるようになったころ、その大きなニグローダは枯れてしまった。私は落ちていたニグローダの実を食べていた。で、そこで糞(ふん)をしたら、その糞に種が混じっていたんだろうね。いつの間にか芽が出てそれがこんなにも大きな木になったんだよ。このニグローダは2代目なんだよ」。その話を聞いた象と猿は、驚いて顔を合わせた。その様子を見ていた鷓鴣(しゃこ)は大きな声で笑った「もっとも賢いのは私だったね」と。自分たちの愚かさに気がついた猿と象は、黙ってそれぞれの仕事を始めた。その後は、言い争うことなく、鷓鴣(しゃこ)に従った。
(参考)
@「ジャータカ物語」(「本生譚(ほんしょうたん)」などと訳される釈迦(しゃか)が前世で修めた菩薩行を集めた説話)より。


(小話962)「イソップ寓話集20/20(その44)」の話・・・
       (一)「サルたちと二人の旅人」
片やいつも真実を語り、片や嘘しか言わないという二人が、一緒に旅をしていて、サルの国へと迷い込んでしまった。王様の位にまで登りつめていたサルは、自分が、人間たちにどのように映(うつ)るのか知りたいと思って、二人を捕まえて連れてくるようにと命じた。と、同時に、他のサルたち全員には、人間の宮廷のように、左右に長い列を作り、玉座(ぎょくざ)を用意するようにと命令した。準備が整うと、彼は、二人を自分の前に連れてくるように命じ、次のような挨拶で、彼らを迎えた。「異国の者たちよ、そちたちには、朕がいかなる王に見えるかな?」嘘つきの男はこう答えた。「私には大変、偉大な王に見えます」「それでは、朕の周りにいる者たちは、そなたには何とみえる?」「彼らですか……」男はこう答えた。「彼らは、大使や将軍たちに違いありますまい。王様に相応しいお仲間とお見受け致します」サルの王様と、廷臣たちは、すっかりその嘘に気をよくして、この、太鼓持ちに、素晴らしい褒美(ほうび)を使わすようにと命じた。これを見て、正直者は、こんな風に考えた。「嘘でこんなに凄い褒美が貰えるのだから、いつものように、本当の事を言えば、どんな褒美が貰えるかしれない」すると、サルの王様が言った。「そなたにはどのようにみえるかな?」すると正直な男はこう答えた。「あなたは、とても優秀なサルです。そしてあなたの範(はん)に従うお友達もとても優秀なサルです」サルの王様は、本当の事を言われて、怒りに震えると、男を仲間の歯と爪に委ねた。
       (二)「キツネとブドウ」
ブドウ棚に、よく熟れたブドウがぶら下がっていた。それを見つけた腹ペコ狐は、あらゆる手段を講じて、ブドウをとろうとした。しかし、全て徒労(とろう)に終わった。どうしてもブドウの房に届かなかったのだ。とうとう彼女は諦めて、悔し紛(まぎ)れにこう言った。「あのブドウは酸っぱい。熟してないのよ」
       (三)「オオカミとキツネとサル」
オオカミがキツネを盗みの罪で告訴した。しかし、キツネは全く身に覚えがないと、その罪を否認した。そこでサルが、この訴訟を請け負うことになった。オオカミとキツネが互いに自分の立場を主張すると、サルは次のような判決を下した。「オオカミ君、本官には、君が、何か取られたとは思えない。そして、キツネ君、君がどんなに否定しようとも、それを盗んだに違いない」
(嘘つきは、たとえ本当のことを言っても信用されない)


(小話961)「テーバイ攻防の七将の後裔たち(エピゴノイ)。二度目のテーバイ攻略と、その指揮官アルクマイオン(七将の一人で予言者アムピアラオスの息子)の波乱な生涯」の話・・・
         (一)
ギリシャ神話より。テーバイ攻防の十年の後(のち)、テーバイで戦死した英雄の息子たちは(七英雄の子孫=エピゴノイ、または「後継者」と呼ばれた)、テーバイの町にふたたび遠征して、父たちの復讐をしようと決心した。予言者アムピアラオスの息子「@アルクマイオン」と「Aアムピロコス」、アルゴスのアドラストス王の息子「Bアイギアレウス」、カリュドンのテユデウスの息子「Cディオメデス」、アルカディア出身のパルテノバイオスの息子「Dプロマコス」、アドラストス王の甥カパネウスの息子「Eステネロス」、テーバイのポリュネイケスの息子「Fテルサンドロス」、アルゴス出身のヒッポメドンの息子「Gエウリュピュロス」の八人がそれであった。さきの戦いで一人だけ生き残った老王アドラストスも、仲間に加わったが、指揮官を引き受けず、もっと若い元気のよい英雄にその役目を譲りたいと言った。そこで一同は、指揮官をだれに選んだらよいかを、アポロンの神託にうかがった。神託は、「アルクマイオン(予言者のアムピアラオスの息子)が指揮をとれば勝利を得る」と告げた。しかしアルクマイオンは、父の復讐(かって父は、彼らが成人の暁には、不実な母エリピュレを殺して、テーバイに遠征するように命じていた)をとげないうちに、指揮官の役を引き受けてもよいものかどうか、決心がつかなかったので、出かけて行って神託を乞うた。アポロンの神託は、「その両方ともやりとげよ」と答えた。しかしアルクマイオンはまだ、この戦いに気乗り薄で、このため弟のアムピロコスと激しい口論となった。二人は、結論を母親のエリピュレの裁定に委ねることにした。この事態を見て取ったテルサンドロスは、父ポリュネイケスがかつてそうしたように、アプロディーテの贈物、長衣(婚礼衣装)を工リピュレに贈って、彼女を籠絡(ろうらく)し、テーバイ出征に参加するように、息子のアルクマイオンを説得させた。こうして神託の言葉に従って、アルクマイオンは指揮官の役を引き受け、父の復讐は帰国の日まで延ばすことにした。そして、アルゴスの町でかなりの軍勢を召集したばかりか、近隣の町からも多くの勇敢な戦士が集まったので、指揮官アルクマイオンは大軍を率いて、テーバイの城門に向かった。テーバイでは、十年前に彼らの父が戦ったと同じように、激しい戦いが繰りかえされた。
(参考)
@ディオメデス・・・父は彼が4歳の時にテーバイ攻めに失敗、戦死し、葬式で彼は七将の息子達と復讐を誓い、 「エピゴノイ(後継者達)」と呼ばれるようになった。10年後手勢を集めた彼らは、テーバイ側よりも 寡兵であるにも関わらずこれを破り、都市を奪い、略奪した。尚ディオメデスはこの時15歳であったが、エピゴノイ中最強の戦士は彼だった。
         (二)
しかし、息子たちは父親たちよりも幸運で、勝利はアルゴスの大将アルクマイオンの手に帰した。この激戦で七英雄の子孫(エピゴノイ)のうち戦死したのは、かつての七将のうちただ一人生還したアドラストス王の息子アイギアレウスだけであった。テーバイ人の指揮者、かってのテーバイ王エテオクレスの息子ラオダマスの手にかかって殺されたのであった。しかし、ラオダマスも七英雄の子孫の指揮官アルクマイオンに打ち殺された。指揮者と多くの市民を失ったテーバイ人は、戦場を捨てて、城内に逃げ帰った。そして盲目の予言者テイレシアスに意見をもとめた。テイレシアスは、いまはもう百歳にもなっていたが、相変わらずテーバイに住んでいた。老予言者は、かっての七将のひとりが生き残っているうちはテーバイは持ちこたえるが、その生き残りであるアドラストス王も息子アイギアレウスの死によって、死期が迫っていること、そうなればテーバイは略奪されるであろうと予言した。彼はテーバイの民に対し、アルゴス勢に和議を申し出ておいて、夜のうちに家族を連れて脱出するよう助言した。一同はこの提案に同意し、使者を敵陣に送り、この使者が談判をしているあいだに、テーバイ人は子供と女たちを車に乗せて、町から逃げ出した。彼らは夜陰に乗じて、ボイオティアのティルプシオンという町にたどりついた。いっしょに逃げてきた盲目のテイレシアスは、町のそばを流れているテルプサの泉まで逃れたが、泉の水を飲んだところで彼の長い寿命が尽きた。この賢い予言者は、冥府においても優遇された。気高い心と予言の才能とが、そのまま残されていたからである。息子アイギアレウスの死を聞かされたアドラストス王は悲しみのあまり息が絶えた。同じ日、もぬけの殻となったテーバイに七英雄の後裔たち(エピゴノイ)は乗り込み、略奪の上、城壁を壊した。予言者テイレシアスの娘マントは父といっしょに逃げないで、テーバイに残っていたのので、敵の手に捕えられた。侵入者たちは、テーバイの町でのいちばんよい略奪物をアポロン神にささげることを誓っていたが、その父からすぐれた予言の才能を受け継いだマントが、略奪物のうちでもっとも神の気にいるだろうと考えた。そこで、七英雄の子孫たちはマントをデルポイに連れて行き、巫女(みこ)として神にささげた。予言者テイレシアスの娘マントはここで、予言の術や知恵をますますみがいて、まもなくその当時のもっとも有名な予言者になった。
         (三)
テーバイの戦いに勝利した後、ポリュネイケスの息子テルサンドロスはアルゴス勢の勝利はエリピュレを買収した自分の功績であると自慢した。これを聞いて指揮官アルクマイオンは、母エリピュレの虚栄心が七将の一人であった父アムピアラオスを死地においやり、また自分も同様の危険にさらされていたことを知った。アルクマイオンはテーバイから帰ると、神託の第二の部分を果たすため、父を殺した母に復讐しようと決心した。館(やかた)にもどり、これ以上、母をいたわる必要はないと信じたので、剣をもって襲い、母を殺した。死ぬ間際にエリピュレは息子を呪った。アルクマイオンは首飾りと長衣を奪って、いとわしき両親の館を立ち去った。この復讐は神託によって命じられたものではあったが、それでも母親殺しは天の道理にもとる犯罪なので、神々は罰しないわけにはゆかなかった。そこで、アルクマイオンを追求するために、復讐の女神が送られ、狂気によって罰せられた。狂気のまま、アルクマイオンは、まずアルカディアのオイクレス王(アルクマイオンの祖父)のところにおもむいた。しかし、復讐の女神(エリニュス)はここでも心の休まる暇をあたえなかったので、流浪をつづけなければならなかった。
(参考)
@テーバイの戦いに勝利した後・・・生き残ったエピゴノイは、その後勃発したトロイア戦争に遠征軍として加わった。
A予言者テイレシアスの娘マント・・・彼女のところに、ひとりの老人がよく出入りして、彼女に数々の楽しい歌を教わっていたが、やがてこれらの歌は、ギリシア全土で歌われるようになった。この老人こそ、マイオニアの大詩人ホメロスなのである。
Bエリニュス(エリーニュース)・・・エリニュスは複数形で三人(アレクト、ティボネ、メガイラ)の復讐の女神のこと。特に、親殺しなどの血縁間の殺人の罪をきびしく追及し、罪人を執拗に追って苦しめ狂気にいたらせる。頭髪は蛇で、翼があり、黒い服を身に纏い、手には鞭(むち)と松明(たいまつ)を持つ。
         (四)
最後に、アルクマイオンはアルカディアのプソピスの地で、ペゲウス王のもとに隠れ家を見出し、王に罪を清めてもらった。そして、王の娘アルシノエと結婚し、不吉な贈物、首飾りと長衣とは妻の所有に移った。アルクマイオンの狂気もすでになおってはいたが、呪詛がすべて除かれたわけではなかった。アルクマイオンがいるために、舅のプソピスの国は、ひどい飢饉に悩まされていた。アルクマイオンは神託をうかがった。しかし、神託は慰めにならぬ託宣で彼を帰らせた。神託は「母を殺害したときに、まだなかった土地におもむけば、おまえは安息を見出すだろう」というのであった。そのわけは、母エリピュレが死のまぎわに、息子を呪って母親殺しを迎えるようなすべての土地をのろったからであった。アルクマイオンは絶望して、妻アルシノエと幼い息子クリュティオスとを捨てて、広い世界に出かけた。長い漂泊ののち、ついに神託が約束した土地を見出した。アケロオス河畔に来たとき、つい近ごろできたばかりの島が、そこにあった。アルクマイオンはそこに住みついて、その心労からまぬかれることができた。しかし、呪誼から救われたことと、新しい幸福とに心がおごって、以前の妻アルシノエのことも、幼い息子のことも忘れて、河神アケロオスの美しい娘カリロエ(美しい流れ)とふたたび結婚し、まもなく二人の息子アカルナンとアムポテロスが相次いで生まれた。ところが、アルクマイオンが貴重な宝物を持っているという噂が、いたるところについて回っていたので、若い妻のカリロエもやがてすばらしい首飾りと長衣(婚礼衣装)のことをたずねた。しかしこの二つは、先妻アルシノエの元をひそかに去ったときに、妻の手に残してきていた。だが、アルクマイオンは新妻カリロエには、前の結婚のことについては、なにも知られたくなかったので、あの宝物はある遠いところにしまってあると、嘘をつき、取ってきて贈物にしようと約束した。旅に出たアルクマイオンはプソピスの地にもどり、舅(しゅうと)のペゲウス王と捨てた妻アルシノエの前にふたたび出ると、狂気の発作で国を飛び出し、今もまだそれにつきまとわれているのだ、と言い訳をした。「呪誼から救われて、もう一度ここに帰るためには」と、不実なアルクマイオンは言った「神託によると、その方法はたった一つしかない。それは、そなたに贈った首飾りと長衣とをデルポイに持って行って、神に献納することなのだ」。ペゲウス王とアルシノエは、この嘘にまんまとひっかかって、首飾りと長衣とを渡した。アルクマイオンは宝物をもって、喜び勇んで立ち去ったが、この不吉な贈物が、結局は自分に破滅をもたらすことになろうとは、夢にも気がつかなかった。というのは、この秘密を知っていた家来の一人が、アルクマイオンには二度めの妻がいること、宝物を持ち去ったのは、その妻に与えるためであることを、ペゲウス王にもらしたからであった。そこで、捨てられた妻アルシノエの兄弟たち、プロノオスとアゲノルは旅に出て待ち伏せ、なにも知らずにやって来たアルクマイオンを刺し殺し、首飾りと長衣とを姉のところに持ち帰って、姉のための復讐を自慢した。けれども、アルシノエは不実なアルクマイオンをまだ愛していたので、彼が殺されたと聞くと、兄弟をのろった。このとき、恐ろしいその贈物がアルシノエの身にその力をあらわした。憤激した兄弟は、姉の忘恩をどんなにきびしく罰してもあきたらぬと考え、アルシノエを捕えて箱に詰めると、アルシノエがアルクマイオンを殺したといつわって、テゲアの地のアガペノル王のところに持って行った。アルシノエは、こうして哀れな最期をとげた。
(参考)
@ 捨てられた妻アルシノエ・・・夫アルクマイオンが兄弟プロノオスとアゲノルに殺されたアルシノエは、これを非難したところ夫殺しの罪を着せられてテゲアのアガペノル王に奴隷として売られてしまったという説もある。
         (五)
一方、新しい妻カリロエは、夫アルクマイオンが悲惨な最期をとげたことを知ると、倒れ伏して、神が奇跡をおこなって、幼い息子のアカルナンとアムポテロスをすぐ大人(おとな)にして、二人の父を殺したものを罰することができるようにしてください、とゼウス神に切願をした。カリロエにはなんの罪過もなかったので、大神ゼウスはその願いを聞きとどけた。そして、まだ幼児で寝床に眠っていた息子たちは、急に成長して、勇気と復讐心に満ちた有髭の大人になった。二人は館あとにして、まずテゲアの地におむもいた。テゲアに着いたとき、ちょうどペゲウス王の息子プロノオスとアゲノルが、不幸な死を遂げた姉のアルシノエを詰めた箱をもって到着し、愛と美の女神アプロディーテの恐ろしい首飾りと長衣をアポロンの神殿に奉納するために、デルポイに出発しようとしているところであった。ペゲウス王の息子プロノオスとアゲノルは、髭のある二人の若者が襲いかかってきたとき、それが誰であるかわからなかった。しかし、そのわけを尋ねるまもなく、若者たちに打ち殺された。アルクマイオンの二人の息子アカルナンとアムポテロスは、アガペノル王のもとで、自分たちが正当であることの申し開きをし、一部始終を物語った。それから、アルカディアのプソピスの地におもむき、王の館に踏み込んで、ベゲウス王とその妻とを殺した。二人は迫手をのがれて、母親に復讐をとげたことを報告すると、デルポイに行き、祖父アケロオス河神の忠告に従って、首飾りと長衣とをアポロンの神殿に献納した。献納がすむと、アルゴスのアムピアラオス王家にかかっていた呪誼が消えたので、その孫アカルナンとアムポテロスとは、移民たちをエベイロスに集めて、アカルナニア国を築いた。アルクマイオンとその妻アルシノエの息子クリュティオスは、父が殺害されたのち、母方の親戚をきらって立ち去り、エリスの地にのがれた。
(参考)
@息子たちは、急に成長して・・・「幼い子供を急成長させて青年にする」という恩恵をたまわったのは、カリロエで、彼女は、夫アルクマイオンが悲惨な最期をとげたことを知ると、大神ゼウスに対して「子供たちに父の仇を討たせたいのです。まだ幼いこの子たちを今すぐ大人にしてください」と願った。この願いを大神ゼウスは聞き入れ、青春の女神ヘベに命じて子供たちを一気に成長させて父の仇を討たせた。又、「老人をきょう一日だけ、ふたたび青年にする」この素晴らしい恩恵を得たのはヘラクレスの甥イオラオスで、老人となったイオラオスは、敬愛するヘラクレスの死後、その老母アルクメネと幼い遺児たちを卑劣なエウリュステウス王の魔手から守って、エウリュステウス王と全面戦争になるというとき、自らの老いを嘆き、大神ゼウスと青春の女神ヘベに「今日1日だけで構いませんから、どうかこの身にあの若き日の力を!」と祈った。そして、血気盛りの青年に戻ったイオラオスは、甦った武勇を存分に発揮して獅子奮迅の大活躍。戦いは彼らの大勝利に終わった。


(小話960)「人面瘡(じんめんそう)」の話・・・
       (一)
数十年前のことである。江東(こうとう)の或る商人(あきんど)の左の二の腕に不思議の腫物(しゅもつ=はれもの)が出来た。その腫物は人の面(かお)の通りであるが、別になんの苦痛もなかった。ある時たわむれに、その腫物の口中へ酒をそそぎ入れると、残らずそれを吸い込んで、腫物の面(かお)は、酔ったように赤くなった。食い物をあたえると、大抵の物はみな食った。あまりに食い過ぎたときには、二の腕の肉が腹のようにふくれた。なんにも食わせない時には、その臂(ひじ)がしびれて働かなかった。
       (二)
「試みにあらゆる薬や金石草木のたぐいを食わせてみろ」と、ある名医が彼に教えた。商人はその教えの通りに、あらゆる物を与えると、唯(ただ)ひとつ貝母(ばいぼ)という草に出逢ったときに、かの腫物は眉をよせ、口を閉じて、それを食おうとしなかった。「占めた。これが適薬だ」。彼は小さい葦(よし)の管(くだ)で、腫物の口をこじ明けて、その管から貝母の搾(しぼ)り汁をそそぎ込むと、数日の後に腫物は痂(か=かさぶた)せて癒(なお)った。
(参考)
@岡本綺堂の「捜神記」より。