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(小話935)「アスラ(阿修羅、修羅)とインドラ(帝釈天)の戦い」の話・・・
       (一)
遥(はる)か遠い昔、アスラ(阿修羅、修羅)とインドラ(帝釈天)の二神は、仲良く天界に君臨していた。阿修羅族の王で「正義の神」アスラは、青年の「力の神」インドラを信頼し、好意を持っていたので、いずれ自分の娘をインドラに嫁がせたいと願っていた。「正義の神」の娘と「力の神」が結婚すれば、きっと理想の夫婦になると信じていたのだった。ところが、「力の神」インドラはアスラの美しい娘シャチー(舎脂)を見るなり、生来の傍若無人、直情径行なところから、力でもって彼女を犯し、無理矢理に自分の宮殿に連れ去った。父親のアスラは激怒した。そして武器を取ってインドラに挑んだ。しかしインドラは「力の神」で、「正義の神」であるアスラが勝てるわけがなかった。だが、それでアスラの怒りが収まるはずもなく、怒り烈しく、なおもインドラに戦いを挑んだ。戦いの最中にアスラ(阿修羅)の娘シャチー(舎脂)は、逆にインドラを愛してしまった。そしてインドラと結婚し、正式な夫人となった。このことでアスラは、さらに怒り、争いは天界全部をも巻き込んでしまった。こうして戦いは何度も繰り返えされ、アスラの敗北になったが、にもかかわらず、アスラは復讐に燃える悪鬼となって、自らの正義を貫き通すため、執拗に戦闘を繰り返した。その結果、戦うのが面倒になった「力の神」インドラは、ついに「正義の神」アスラを神々の世界である天界から追放してしまった。そして追放されたアスラは、海の底が彼の棲み家となり「魔類(魔神)」とされた。
(参考)
@娘シャチー(舎脂)・・・アスラ(阿修羅)は正義ではあるが、シャチー(舎脂)がインドラ(帝釈天)の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。
A魔類(魔神)・・・阿修羅は、「魔類」で、本来は正義の神であったが、不正を許さぬあまりにも激しいその正義感の故に、彼はついに魔神にされてしまった。又、阿修羅は、帝釈天と戦争をするが、常に負ける存在で、この戦いの場を「修羅場(しゅらば)」と呼ぶ。その姿は、三面六臂(三つの顔に六つの腕)で描かれることが多い。
B天界から追放・・・アスラ(阿修羅)、もとはインド古来の異教の神で、怒りや争い、戦いなどが好きな鬼神でしたが、お釈迦様に帰依して、五部浄、沙羯羅・鳩槃荼・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩護羅伽という仏教を守る八部衆(興福寺)に入った。六道のうちの阿修羅道(修羅界=阿修羅が住み、常に争いの絶えない世界)の主。須弥山の下の海底に住む。
       (二)
阿修羅族を率いるアスラ(阿修羅)は何度の何度も戦闘を繰り返したが、インドラ(帝釈天)は配下の四天王(持国天=東の門を守る、増長天=南の門を守る、広目天=西の門を守る、多聞天=北の門を守る=毘沙門天ともいう)や三十三将の軍勢をもって応戦した。戦いは常にインドラ側が優勢であったが、ある時、珍しく負け戦で逃げていくインドラの軍勢の行く手に、道の上を何万匹ものアリが這っていた。それを見て、インドラはそのアリを助ける為に軍勢を再び元の逃げてきた道に引き返させた。逃げている軍隊が引き返すのは、自殺行為だったが、それができたのはインドラが力の神であって、弱いものに対する同情心、憐れみの心があるからであった。それを見たアスラは驚いて、インドラが何か奇計を張り巡らせていると考え、勇み立つ自軍を押さえて撤退しという。
(参考)
@何万匹ものアリ・・・仏典にもインドラ(帝釈天)とアスラ(阿修羅)の闘いにおいて、インドラ(帝釈天)軍の侵攻上に金翅鳥(こんじちょう=金色の翼をもつ大鳥)、の巣があり、雛(ひな)を巻き添えにして死なせてしまうのを避けたインドラが軍を引き還らせたお陰でアスラ軍に勝利したという逸話もある。
A仏教ではこの神話に基づいて、敗北者のアスラを「阿修羅」「修羅」と呼んで魔神にし、勝利者のインドラを「帝釈天」と呼んで護法の神とした。なぜなら、暴力でもって凌辱され、帝釈天の女とされた阿修羅の娘は、後に幸福に帝釈天の妃になった。確かに最初の帝釈天の行動はよくないにしても、過去の出来事をいつまでも根にもって、みずからの「正義」にこだわり続けている阿修羅の狭量さのほうがもっと恐ろしい。正義のためには少しぐらいの犠牲はやむをえない、そう考えるのが「正義」の特色で、正義にこだわり、自らの正義ばかりを主張し続けて相手の立場を考えない、そんな阿修羅の正義は魔類の正義といえる。
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「帝釈天半跏像(1)」(東寺=教王護国寺)の絵はこちらへ
「帝釈天半跏像(顔)」(東寺=教王護国寺)の絵はこちらへ
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(小話934)「剣術」の話・・・
         (一)
韋行規(いこうき)という人の話である。韋(い)が若いとき京西(きょうせい)に遊んで、日の暮れる頃にある宿場に着いた。それから更にゆく手を急ごうとすると、駅舎の前にはひとりの老人が桶(おけ)を作っていた。「お客人、夜道の旅はおやめなさい。ここらには賊が多うございます」と、彼は韋(い)にむかって注意した。「賊などは恐れない」と、韋(い)は言った。「わたしも弓矢を取っては覚えがある」。老人に別れを告げて、彼は馬上で夜道を急いでゆくと、もう夜が更(ふ)けたと思う頃に、草むらの奥から一人があらわれて、馬のあとを尾(つ)けて来るらしいので、韋(い)は誰だと咎(とが)めても返事をしない。さてこそ曲者と、彼は馬上から矢をつがえて切って放すと、確かに手堪(てごた)えはありながら、相手は平気で迫って来るので、更に二の矢を射かけた。続いて三発、四発、いずれも手堪(てごた)えはありながら、相手はちっとも怯(ひる)まない。そのうちに、矢種は残らず射尽くしてしまったので、彼も今更おそろしくなって、馬を早めて逃げ出すと、やがて又、激しい風が吹き起り、雷(らい)もすさまじく鳴りはためいて来たので、韋(い)は馬を飛び降りて大樹の下に逃げ込んだ。
         (二)
見れば、空中には電光が飛び違って、さながら鞠(まり)を撃つ杖のようである。それが次第に舞い下がって、大樹の上にひらめきかかると、何物かが木の葉のようにばらばらと降って来た。木の葉ではなく板の札(ふだ)である。それが忽(たちま)ちに地に積もって、韋(い)の膝を埋めるほどに高くなったので、彼はいよいよ驚き恐れた。「どうぞ助けてください」。彼は弓矢をなげ捨てて、空にむかって拝すること数十回に及ぶと、電光はようやく遠ざかって、風も雷もまたやんだ。まずほっとして見まわすと、大樹の枝も幹も折れているばかりか、自分の馬も荷物もどこへか消え失せてしまったのである。こうなると、もう進んでゆく勇気はないので、早々にもと来た道を引っ返したが、今度は徒(かち)あるきであるから捗(はか)どらず、元の宿まで帰り着いた頃には夜が明けて、かの老人は店さきで桶の箍(たが)をはめていた。まさに尋常の人ではないと見て、韋(い)は丁寧に拝して昨夜の無礼を詫びると、老人は笑いながら言った。「弓矢を恃(たの)むのはお止しなさい。弓矢は剣術にかないませんよ」。彼は韋(い)を案内して、宿舎のうしろへ連れてゆくと、そこには荷物を乗せた馬が繋いであった。「これはあなたの馬ですから、遠慮なしに牽(ひ)いておいでなさい。唯(ただ)ちっとばかりあなたを試して見たのです。いや、もう一つお目にかける物がある」。老人はさらに桶の板一枚を出してみせると、ゆうべの矢はことごとくその板の上に立っていた。
(参考)
@岡本綺堂の「捜神記」より。


(小話933)「(ジャータカ物語)ウズラ捕りの若者とウズラ」の話・・・
       (一)
昔、ある村の近くに大きな森があり、数千羽のウズラが住んでいた。そのウズラたちは朝早くからにぎやかに活動していた。村には、ウズラ捕りの名人と言われている若者がいた。彼は、毎日たくさんのウズラをとり、街に出てそのウズラを売って生活をしていた。ある日のこと、その若者が街から帰ってくると、村の人が声を掛けてきた。「今日もたくさん稼いできたのか。いったい、どうやってそんなにたくさんのウズラを取るんだい?」。若者は、自慢げに答えた「簡単さ。ウズラの鳴き真似をして、ウズラを呼び寄せるんだ。あとは、そうっと網を掛けるだけ。それだけだよ」。「ウズラの鳴き真似? そんなことでウズラが集まってくるのかい?」。「ああ、集まってくるよ」そういうと、得意げな様子で若者は家へと戻っていた。村人は、羨(うらや)ましそうにその姿を見ているだけだった。
       (二)
確かに、その若者はウズラの鳴き真似が得意だった。彼が鳴き真似をすれば多くのウズラが集まってきたのだ。しかし、数千羽いるウズラの中には、賢いウズラ(釈迦様の前世)もいた。「どうして毎朝あんなに多くの仲間が捕まっていくのか? 朝のあの鳴き声は、誘惑の罠だということに気がつかないからだ。愚かなことだ。しかし、それをいくら注意しても無駄だ。あの声は巧妙で、仲間の声と聞き違えてしまうのも無理はない。では、捕まらないためにはどうすればいいのか?そうだ、一羽一羽が勝手にもがいていてもだめだ。みんなが力を合わせねば!」。賢いウズラは、森中のウズラを集めていった「いいかいみんな、毎朝やってくるウズラ捕りの網から逃げ出す方法を考えた。これは、一羽だけではできない方法だ。みんなの協力がいる。今からそれを教えるから、しっかり聞いてくれ」。賢いウズラは他のウズラに網から逃げる方法を教えた「まず、網が掛けられたらあわてちゃいけない。暴れると網に絡まってしまうからね。おとなしくするんだ。そして、ゆっくり網の目に頭を突っ込むんだよ。みんな、それぞれが網の目に頭を突っ込むんだ。それで、全員が網に頭を突っ込んだら、誰かの合図で茨(いばら)に向かって一斉に飛び立つんだ。茨(いばら)の森についたら、網を茨に引っ掛けるんだよ。そして、そっと頭を抜いて逃げるんだ。網は茨(いばら)に絡まっているから大丈夫だ。みんなは茨イバラの下のほうを飛んで逃げればいいんだよ」。賢いウズラの提案にみんなは納得し、明日から早速この作戦で行こう、と決めたのだった。
       (三)
翌朝のこと、いつものようにウズラ捕りが、鳴き真似をしてウズラを呼び寄せた。いくら注意しても、多くのウズラがその甘い鳴き声に簡単に誘惑されてしまった。そして、いつものように網に捕まったのだった。しかし、そこからが違った。どのウズラも慌てず、ゆっくり網の目に頭を突っ込み、一斉に茨(いばら)に向かって飛び立ったのだった。作戦は成功した。網に捕らわれたウズラは一羽もいなかった。それは、翌日も、その翌日も続いた。毎朝、ウズラを一羽もとらず帰ってくる若者を見て、その妻が若者をなじった「あなた、毎日毎日手ぶらで帰ってくるけど、本当に森にウズラを捕りに行ってるの? さては、女のところへ遊びに行ってるんでしょ」。「バカなことを言うな。毎日、俺は森に行ってるさ。ウズラの奴が賢くなってな。逃げるようになったのだ」。若者は女房にウズラの様子を語った。「それじゃあ、私たちは生活できないじゃないの。いったいどうするの?」。女房は、若者に愚痴った。「大丈夫さ。これは根競(こんくら)べだ」若者はそういうと、ニヤッと笑ったのだった。
       (四)
ある日のこと、賢いウズラが木の枝から森の様子を眺めていると、喧嘩(けんか)をしているウズラの姿が目にとまった。それは、些細なことから始まった喧嘩だった。そうして眺めてみると、あちこち喧嘩が起っていた。どれもこれも、ほんの小さなことが原因で大きな喧嘩になっていた。やれ頭を踏んだ、足が羽根に当たった、落とした餌を奪った、羽が当たった、くっつくな俺が留まる場所だ、うるさいピーピーわめくな、などなど、あちこちで言い争いやつつき合いをしているのだった。「あぁ、これではだめだな。あんな些細なことで罵りあっていては、今度、網に捕らえられた時、喧嘩するに違いない。その場の状況も忘れて、些細なことで言い争いやつつき合いを始めるに違いない。きっと、再び多くのウズラがとらわれていくだろう。何度言っても愚かな者はその習性を直そうとはしない。この森のウズラたちは救われないな」。賢いウズラの予見通り、翌朝、多くのウズラが捕らえられた。網にかかった時に、同じ網の目に頭を突っ込もうとして争いを始めた者や、羽が当たった、足を踏んだ、頭を蹴られたなどと言って争いを始めた者が多くいたからであった。彼らは、捕まっている状況も忘れ、今何をすべきかということを忘れ、争いを始めたからであった。「やはりな。彼らは私の忠告を忘れてしまった。それぞれが勝手なことばかり言いあって協力しようとしない。これでは、いずれ災難が自分にも降りかかる。この森にはもう住めないな」賢いウズラはそういうと、彼の意見が理解できる仲間のウズラと共にその森を去っていった。一方、若者は再び多くのウズラを捕まえることができるようになり、女房とともに喜びあっていたのだった。
(参考)
@「ジャータカ物語」(「本生譚(ほんしょうたん)」などと訳される釈迦(しゃか)が前世で修めた菩薩行を集めた説話)より。


(小話932)「イソップ寓話集20/20(その40)」の話・・・
        (一)「サルとイルカ」
ある船員が、長い航海の慰めにと、サルをつれて船に乗り込んだ。ところが、船がアテネの岸から離れると、烈しい暴風雨がまきおこり、船は転覆し、全員海に投げ出されてしまった。サルが波と格闘していると、イルカがやってきて、彼を人間だと思い(イルカは人を必ず助けると言われている)無事に岸まで運んでやろうと、サルを背中に乗せてやった。そして、アテネまでほんの僅か、陸地が見えるところまで来ると、イルカはサルに、アテネ人か?と尋ねた。すると、サルは、正しく自分はアテネ人であり、しかも、アテネでも屈指の名家の出であると言った。するとイルカは、ピレウスを知っているかと尋ねた。(これはアテネの有名な港の名前なのだが……)サルは人の名前だと思い、彼のことはよく知っているし、大変懇意にしているとまで言った。この嘘に腹を立てたイルカは、海に潜るとサルを溺死させた。
        (二)「カラスとハト」
カラスは、ハトたちが小屋の中で、たくさん餌をもらっているのを見ると、その餌にありつこうと、身体を白く塗って仲間に加わった。ハトたちは、カラスが黙っていたので、仲間だと思い、彼を小屋に入れてやったのだが、しか、しある日のこと、カラスは迂闊(うかつ)にも、鳴き声を上げてしまった。ハトたちは、カラスの正体を見破ると、嘴(くちばし)でつついてカラスを追い立てた。カラスは、そこで餌にありつけなくなると、自分の仲間の許へと帰っていった。しかし、カラスたちもまた、彼の色が違うので仲間とは認めず、彼を追い払った。このようにカラスは、二つの生活を望んだために、どちらも失うことになった。
        (三)「ウマとシカ」
昔、ウマは草原で自由に暮らしていた。そこへ、シカがやってきて、ウマの草をぶんどった。ウマは、このよそ者に仕返ししてやろうと、人間に協力を求めた。すると人間は、ウマがくつわをつけて、自分を乗せてくれるなら、シカをやっつける武器を考案してやると言った。ウマは承知して、人間を乗せ、見事シカへの復讐を果たした。しかしその代償として、ウマは人間の奴隷となってしまった。


(小話931)「(ジャータカ物語)婆羅門(ばらもん)と王の布施」の話・・・
         (一)
昔、菩薩(ぼさつ=前世で修行者だった釈迦)が大国の王となっていた。民を治めるのに慈悲をもってした。広やかな心で人々を救った。毎月、国内を巡行し、後ろの車には、いろいろの宝物や衣服・医薬などを、もれなく載せておくようにと命じて出発し、貧しい人々を救い、鰥夫(やもめ=妻のいない男)や寡婦で病気の者には、薬や粥を与えた。そして死者があればこれを葬い、貧しい人を見る時には、つねに自らの咎(とが)として、己れを責めて「王の徳が貧しいので、民が窮するのである。王の徳が豊かであれば、民の家も足るものである。いま民が貧しいのは、却ち私が貧しいのである」と考えた。王の慈(いつくし)みはこのようであった。そのために王の名は十方(じっぽう)に広まった。この王の徳行のために、帝釈天(たいしゃくてん )の第二の位の天の神の座が熱くなってきた。そこでこの天人(天の住人)は心に恐れをいだいて考えた「かの王の徳はひときわ気高く偉大である。必ず私の位を奪うことになろう。私は彼の志しを破壊してやろう。そうしたら彼の行為も終るであろう」と。そこで自分の身を化作(けさ=神仏などが姿を変えてこの世に現れること)して、一人の老婆羅門(ろうばらもん)となった。そして王の所へ行って、王に銀の銭一千を乞い求めた。王はただちにこれを恵んだ。しかし老婆羅門は言った「私は老骨となってしまったので、人がこれを盗むのが心配です。願わくは王よ、これをあずかって下さい」。王は言った「私の国には盗人はいません」。しかし老婆羅門は重ねて言った「王にあずかって頂きたいのです」と。そこで王はそれを受けてあずかった。この天人はまた別の婆羅門に化して、宮門の所へやってきた。近臣が王に取りついだ。そこで王が現われた。婆羅門は王を称讃して言った「大王の功名は八方に流布しています。その徳行は他には見られないものであります。それ故に私は、遠方から来て乞うのであります」。王は言った「はなはだよいことです」。そこで婆羅門は言った「私は宿世の善根が薄かったために、貴族に生れましたが、いまは賎( いや)しい民となっています。そのために尊栄をねがい慕って、この国をいただきたいと思います」。王は言った「大変よいことです」と。
(参考)
@帝釈天(たいしゃくてん )・・・梵天とともに仏法の守護神。十二天の一で東方を守る。利天(とうりてん)の主で、須弥山(しゅみせん)上の喜見城に住むとされる。インドに古くから伝わる、インドラ神の化仏ではないかと言われており、「梵天」と共に二大天と言われていて、四天王を指揮して、仏教を守護している。
         (二)
王はただちに妻子と共に、粗末な車に乗って宮殿を去った。天人はまた身を変えて婆羅門となり、王より車を求めた。王は車を彼に恵んだ。そして妻子と共に道を歩いて、山に野宿した。その時、五つの神通を得ている仙人があった。彼は王の友達であり、常に王の徳行に敬服していた。神通によって王が山に野宿しているのを知り、王が国を失ったことを知った。さらに心を静めて禅定(ぜんじょう=思いを静め、心を明らかにすること)に入ってみて、帝釈天の第二天が王の徳行を嫉妬して、国を奪い、苦しめて、疲弊せしめたことを知った。そこでこの仙人は、神足をもってたちまち王の所に行き、そして言った「汝は何を求めんとして、このように苦労するのですか?」。王は答えて言った「私の志しがどこにあるかは、汝が詳しく知っていることです」。そこで仙人は神力によって、一つの車を作って王に贈った。そして早朝に互いに別れた。天人はまた身を変じて婆羅門となった。そしてその車を求めた。そこで王はまたその車を恵んだ。そして道を進んで行ったが、目的の国に達しないこと数十里の所で、天人はまた婆羅門に姿を変え、王の前に現われた。そしてかねてあずけておいた銀銭を求めた。そこで王は言った「私は国全体をある人に恵みました。その時、汝の銭のことを忘れていました」。婆羅門は言った「三日の間に私の銭を返して下さい」と。
         (三)
そこで王は妻と子とをもって、他家に質として預けて、銀銭一千を得て、それでもって婆羅門に返した。王の妻は質家の下女になった。その家の娘が水浴をするために、身につけていた珠玉や色々の宝を脱いで、衣架(いか)にかけておいた。その時、天人は鷹に姿を変えて、その娘の衣と宝とを持って飛び去った。そこで娘は「下女が盗んだのである」と言って訴え、彼女を獄屋につないでしまった。また王の子は、質家の子と共に寝ていたが、天人は夜中に行って、質屋の子は殺してしまった。そこで子を殺された家では、王の子を獄屋に入れてしまった。このように母子ともに獄(ごく)につながれてしまい、そして飢とひもじさのために、身体の力は抜け、なげきの声をあげても、救う人はなかった。声をあげて泣くこと終日であったが、ついに罪がきまって、市に棄てられた。王は他家の傭人(やといにん)となって、銀銭一千を得た。それをもって、行って妻子を贖(あがな)おうとした。そして市を通って、彼らを見た。そこで十方諸仏を心に念じて、自ら自己の罪を懺悔して言った「私の前世の悪によって、このような結果になったのであります」と。そこで心を安らかにして禅定に入り、神通の知慧によって、これらが天人の所行(しょぎょう)であることを知った。その時、空中から天人の声があった「どうして早く、これらの者を殺さないのであるか」と。王は言った「私が聞くところでは、帝釈天はあまねく衆生を救わんとして、その誠の心は思いやりが深く、衆生をはぐくむに慈母よりも過ぎているということです。衆生で天帝のおかげを蒙(こうむ)らないものはありません。汝はこのようた悪をなして、どうして帝釈天の位をうることができましょう」と。この帝釈の第二天は、重い毒をいだき、悪が熟して、罪がきまり、ついに太山(太山地獄)に入った。他の天人も竜も鬼も、それを喜ばないものはなかった。その土地の王は、その時、妻子の罪を許した。そして二人の王は相まみえ、それぞれの身の経歴を尋ねあい、そのいきさつを述べた。そこで国の人々は話をきいて、涙をおとさない人はなかった。その土地の王は、国を半分に分け、王に譲った。また王の故国の臣民は、王の所在を尋ねて来て、国全体で王を迎えた。二国の王と民とは、かつは悲しみ、かつは喜んだ。こうして語り終わると釈迦は言った「その時の王というのは、私(釈迦)のことである。妻とは耶輸陀羅(やしょだら=釈迦の妻)のことであり、子とは羅喉羅(らごら=釈迦の息子)のことである。天人とは調達(提婆達多=だいばだった=釈迦の弟子の一人で釈迦の従兄弟)のことである。山中の仙人とは舎利弗(しゃりほつ=釈迦の弟子の中「智恵第一」)のことであり、土地の王とは弥勒菩薩(みろくぼさつ=釈迦の次にブッダとなることが約束された菩薩)のことである」と。
(参考)
@ 粗末な車に乗って宮殿を去りました・・・(小話637)「真実を尊ぶハリスチャンドラ王」の話・・・を参照。
A「ジャータカ物語」(「本生譚(ほんしょうたん)」などと訳される釈迦(しゃか)が前世で修めた菩薩行を集めた説話)より。


(小話930-1)「怠け者」の話・・・
       (一)
民話より。若い怠け者がいた。働くことを考えるだけで、もう頭が痛くなり、何時も雨が降って休めればいいと「天の神様、肉饅頭(にくまんじゅう)でも甘い饅頭でも何でも上げますから、どうか早く雨を降らして下さい」と祈った。だがカラリと晴れた天気が続いて雨は降らない。そこで今度は、じっと太陽を睨(にら)み「お日様、なんでこんなに照りつけるんです、俺を焼き焦がそうというのですか?」などとブツブツ文句を言っては仕事をしない。しかし、暑い日が続けば、仕事をしなければならないから若い怠け者は、また考え直し、病気になれば、休めて食べられると気がついて毎日、病気になりたいと思っていた、ところが怠け者は、年は若いし、体も丈夫で病気にならない、そこでまた考えた。
       (二)
怠け者は村の鎮守さまへ行って「天の神様、地の神様、いちばん有り難い村の鎮守さま、どうか俺を死なないように少し病気にして下さい」と祈った。すると「怠け者の恥知らず、願いの通り病気にして死なしてやる」と声がした。これを聞いて怠け者は、村の鎮守(ちんじゅ=各村落などを守護する神)さまが本当に現れたとびっくり仰天し、逃げようとすると襟首を押さえられてしまった、怠け者は慌てて「鎮守さま、鎮守さま、怒らないで下さい、許して下さい」と叫んだ。すると今度は、聞き馴れた声で「わしはお前の怠け癖を払ってやる」と言うので振り返って見ると、村の鎮守さまではなくて、自分の父親であった。


(小話930)「一つの杏(あんず)」の話・・・
       (一)
長白山(ちょうはくざん)の西に夫人の墓というのがある。なんびとの墓であるか判(わか)らない。魏(ぎ)の孝昭帝(こうしょうてい)のときに、令(れい)して汎(ひろ)く天下の才俊を徴(め)すということになった。清河の崔羅什(さいらじゅう)という青年はまだ弱冠(じゃっかん)ながらもかねて才名があったので、これも徴(め)されてゆく途中、日が暮れてこの墓のほとりを過ぎると、たちまちに朱門粉壁(しゅもんふんぺき)の楼台が眼のまえに現われた。一人の侍女らしい女が出て来て、お嬢さまがあなたにお目にかかりたいと言う。崔(さい)は馬を下りて付いてゆくと、二重の門を通りぬけたところに、また一人の女が控えていて、彼を案内した。「何分にも旅姿をしているので、この上に奥深く通るのは余りに失礼でございます」と、崔(さい)は一応、辞退した。「お嬢さまは侍中(じちゅう)の呉質(ごしつ)というかたの娘御(むすめご)で、平陵(へいりょう)の劉府君(りゅうふくん)の奥様ですが、府君はさきにおなくなりになったので、唯今(ただいま)さびしく暮らしておいでになります。決して御遠慮のないように」と、女はしいて崔(さい)を誘い入れた。誘われて通ると、あるじの女は部屋の戸口に立って迎えた。更にふたりの侍女が燭(しょく)をとっていた。崔(さい)はもちろん歓待されて、かの女と膝をまじえて語ると、女はすこぶる才藻(さいそう)に富んでいて、風雅の談の尽くるを知らずという有様である。こんな所にこんな人が住んでいる筈はない、おそらく唯の人間ではあるまいと、崔(さい)は内心疑いながらも、その話がおもしろいのに心を惹(ひ)かされて、さらに漢魏時代の歴史談に移ると、女の言うことは一々史実に符合しているので、崔(さい)はいよいよ驚かされた。「あなたの御主人が劉氏(りゅうし)と仰しゃることは先刻うかがいましたが、失礼ながらお名前はなんと申されました」と、崔(さい)は訊いた。「わたくしの夫は、劉孔才(りゅうこうさい)の次男で、名は瑤(よう)、字(あざな)は仲璋(ちゅうしょう)と申しました」と、女は答えた。「さきごろ罪があって遠方へ流されまして、それぎり戻って参りません」それから又しばらく話した後に、崔(さい)は暇(いとま)を告げて出ると、あるじの女は慇懃(いんぎん)に送って来た。「これから十年の後にまたお目にかかります」
       (二)
崔(さい)は形見として、玳瑁(たいまい)のかんざしを女に贈った。女は玉の指輪を男に贈った。門を出て、ふたたび馬にのってゆくこと数十歩、見かえればかの楼台は跡なく消えて、そこには大きい塚が横たわっているのであった。こんなことになるかも知れないと、うすうす予期していたのではあるが、崔(さい)は今さら心持がよくないので、後に僧をたのんで供養をして貰って、かの指輪を布施物(ふせもつ)にささげた。その後に変ったこともなく、崔(さい)は郡の役人として評判がよかった。天統(てんとう)の末年に、彼は官命によって、河の堤を築くことになったが、その工事中、幕下(ばっか)のものに昔話をして、彼は涙をながした。「ことしは約束の十年目に相当する。どうしたらよかろうか」聴く者も答うるところを知らなかった。工事がとどこおりなく終って、ある日、崔(さい)は自分の園中で杏(あんず)の実を食っている時、俄(にわ)かに思い出したように言った。「奥さん。もし私を嘘つきだと思わないならば、この杏を食わせないで下さい」。彼は一つの杏を食い尽くさないうちに、たちまち倒れて死んだ。
(参考)
@岡本綺堂の「捜神記」より。


(小話929)「イソップ寓話集20/20(その39)」の話・・・
      (一)「オオカミとキツネ」
ある日のこと、あるオオカミの群に、大層、大きくて力のつよいオオカミが生まれた。彼は、強さ・大きさ・速さと、どれをとっても、並外れていたので、みなは、彼を「ライオン」と呼ぶことにした。しかし、このオオカミは、体は大きかったが、その分思慮に欠けていたので、皆が「ライオン」と呼ぶのを真に受けて、仲間から離れて行くと、専らライオンと付き合うようになった。これを見て、年老いて狡知に長けたキツネが言った。「おいおい、狼さんや、一体、どうすりゃお前さんのような馬鹿気たことができるのかね。まったく、その、見栄と虚栄心ときたひにゃ。いいかね、お前さんは、オオカミたちの間では、ライオンのように見えるかもしれないが、しかし、ライオンたちの間じゃ、ただの狼にしか見えないんだよ」
      (二)「クルミの木」
道端に立っていたクルミの木は、たわわに実った自分の実が恨めしかった。と、言うのも、道行く人々が、クルミを採ろうと、石を投げつけたり、棒きれで枝を折ったりするからだった。クルミの木は、哀しげに嘆いた。「ああ、なんてみじめなんだろう。私は、この実でもって、皆に喜びを与えているというのに、その礼が、この苦痛とは」
      (三)「ブヨとライオン」
ブヨ(蚋=蚊(か)と違い吸血の際は皮膚を噛み切り吸血し、その際に毒素を注入する)がライオンの許へとやって来てこう言った。「俺はお前など、ちっとも怖くない。一体お前の何処が強いのか? まあ、お前の爪や歯は、女が口答えした時に役立つかもしれないが。繰り返し言うが、俺はお前よりも、ずうっと強いんだ。疑うならば、俺と勝負しろ」ブヨはこう言うと、進軍ラッパを吹き鳴らし、ライオンに挑みかかった。そして、鼻の穴など毛の生えていない所を刺しに刺した。ライオンは、ブヨを叩き潰そうと、鋭い爪を振り回したが、しかしその度に、ブヨはさっとよけ、逆に自分自身を引き裂いてしまう。ブヨはこのようにしてライオンを打ち負かした。そして、勝利のラッパを響かせて、飛んでいった。と、突然、ブヨはクモの巣に絡まった。ブヨは嘆き悲しんでこう言った。「ああ、なんて哀れなんだろう! 百獣の王に勝ったこの俺が、こんなちっぽけなクモに命を奪われるとは」


(小話928)「黒犬の復讐」の話・・・
       (一)
民話より。ある町にアブラハムという名前の信仰の篤(あつ)い男がいた。金持で慈善を好み、貧しい者に援助を惜しまなかった。妻は商売をしていた。この男の近所にユダヤ人が住んでいて、よくその店にきた。ところが急に病気になって、寝こみ、医者も助けることはできなかった。ひどい苦しみかたをして死んだ。それから二、三年あと、そのあたりに黒い醜い犬があらわれ、いつもその信仰の篤い男の家のまわりをうろついた。悪魔の化身のようだったので、人々は恐れをなした。棒で追いはらったが、また同じ場所に戻ってきた。毎朝、アブラハムが住居をでて祈りの家に行くと、犬はきまって家の戸口の前にいた。彼は犬を追いはらって、戸にしっかり閂(かんぬき)をかけた。
       (ニ)
ある日、アブラハムは戸に閂をかけるのを忘れた。犬はすばやく戸を押しあけて、家の中に入り、いくつもの部屋を走りぬけて、その妻の寝ている部屋に押し入った。そして、寝床にとびこんで噛みつき、ひどい怪我をさせた。それから、犬は走り去って、もう二度と姿を見せなかった。妻は恐ろしい悲鳴をあげ、その声はラビのイサークの家からも聞こえた。夫のアブラハムはイサークのもとに駆けつけて、どうしたことだろうかと、たずねた。ラビのイサークは答えた「あなたの奥さんは、何年か前に死んだ近所の男に金品を与えたりして、むりやり自分と寝させた。死んでから、その男の魂は黒犬の中に入り、今日その復讐をしたというわけだ。」。女は罪を認めた。
(参考)
@ラビ・・・ユダヤ教の聖職者。律法に精通した霊的指導者の称。歴史的に、すぐれた学者も多い。


(小話927)「ギリシャ随一の英雄ヘラクレス。その数奇な誕生から偉大な十二の難行(冒険)と死んで神になったその生涯(3/3)」の話・・・
          (一)
    12の難行を成し遂げて贖罪(しょくざい)を終えたヘラクレスは、意気揚々とオイカリアへ向かった。この頃、その地の王エウリュトスは、自分と息子たちを弓で敗(やぶ)った者に、褒美(ほうび)として娘イオレを娶(めあ)わせる、と布告していた。妻を亡くしていたヘラクレスは、美しい王女イオレを妻に求め、弓の勝負にでて簡単に彼らを敗(やぶ)った。だが、ヘラクレスが王たちを敗っても、彼らは約束を先延ばしにした。エウリュトス王は、ヘラクレスには狂乱して妻子を殺した前科があるので、娘イオレの前途を危ぶんだのであった。ただ、王子イピトスだけは、約束は約束だ、と進言した。だが結局、約束は反故(ほご)にされてしまった。同じ頃、エウリュトス王の牛が盗まれるという事件が起こった。王たちは、ヘラクレスの腹いせに違いない、と決めてかかったが、やはり王子イピトスだけは、ヘラクレスを弁護し、一緒に牛を捜索しようと誘いに来た。実際のところ、牛を盗んだ犯人は、泥棒の神ヘルメスの子アウトリュコスであった。彼は、盗んだものの姿形(すがたかたち)を変える能力を持つ、盗みと嘘の名人だった。濡れ衣を着せられて憤慨したヘラクレスも、王子イピトスの義侠心に打たれ、神妙に牛を捜すことになった。ところが、王子イピトスが訪れた際、ヘラクレスを憎むヘラ女神が、またもやヘラクレスに狂気を遣(つか)わした。狂気に取り憑(つ)かれた彼は、恩人である王子イピトスを城壁から投げ落として殺してしまった。正気に戻って、再び落ち込んだヘラクレスは、罪を清めるためにピュロス王ネレウスの元を訪れたが、ネレウス王はエウリュトス王の親友だったので、これを断った。次に向かったラケダイモン王ヒッポコオンもまた、ヘラクレスの罪を清めることを断った。仕方なくヘラクレスは再度デルポイに向かった。その途中、ヘラクレスは親友であるテッサリアの地、ペライの王アドメトスの館(やかた)に立ち寄った。この時、ちょうど、アドメトス王の妻アルケスティスが死の病に罹(かか)って悲しんでいるところであった。嘆き悲しむアドメトス王から事情を聞いたヘラクレスは「友人の奥方は俺が守ってやる」とアルケスティスを迎えに来た死神タナトスを待ち伏せて組み付き、怪力にものを言わせて息も絶え絶えになるまで締め上げた。死神タナトスは遂に「アルケスティスを連れていくのは諦めるから放してくれ」と悲鳴を上げた。こうして、大いなる人助けをしてから、ヘラクレスはデルポイへとやって来た。そして、贖罪のための神託を受けた。すると、今度は奴隷として自分を売りに出し、買った主人に3年間仕え、仕度金を息子を殺した贖(あがない)いとしてエウリュトス王に渡すように、と告げられた。こうしてヘラクレスは、自分を奴隷として売りに出した。彼を英雄ヘラクレスと知らずに買い取ったのは、リディアの女王、オンファレだった。
(参考)
@ペライの王アドメトスの館・・・(小話632)「太陽神アポロンとペライの王アドメトス。そして、夫アドメトスの身代わりになった妻アルケスティス」の話・・・を参照。
          (二)
   オンファレは、夫のリディア王トモロスが雄牛の角(つの)で刺殺された後、女王として気丈にリディア国を統治していた。3年間の奉公のあいだ、力自慢のヘラクレスは、例によって盗賊や猛獣、近隣の残虐な王らを倒して、オンファレ女王に仕えた。それらの冒険は、次のようであった。彼は、エペソス近郊で、二人の兄弟ケルコペスに出会った。これは小さな、猿のような小僧で、手癖が悪くて悪戯(いたずら)好きであった。二人の兄弟は以前、母親から、お尻の黒い人には気をつけるよう、戒められていた。兄弟のケルコペスは眠っているヘラクレスに出くわして、その矢筒から矢を盗んだ。だが、眼を醒ましたヘラクレスに見つかって、捕まってしまった。ヘラクレスは二人の足を棒に縛りつけて、逆さまにぶら下げて肩に担いだ。ところが、吊るされたケルコペスは、ライオンの外皮を纏(まと)っただけで、ほとんど裸のヘラクレスの尻をつくづく眺めて、ゲラゲラと笑い出した。何がそんなにおかしいんだ、とヘラクレスが尋ねると、ケルコペスは答えた。あんたのお尻は、毛むくじゃらで真っ黒だ、と。これにはヘラクレスも笑って、彼らを許して放してやった。又、ある時ヘラクレスは、旅人を捕えて、無理にぶどう園を耕させていた海神ポセイドンの息子で、アウリスのシュレウス王を鋤(すき)で打ち殺して、ぶどうの木を根もろとも掘り出してしまった。ヘラクレスは、オムパレの国に再三侵入したイトネ人の町を破壊し、その全住民を奴隷にした。又、その当時、リディアでは、ミダスの息子リテユエルセスが狼籍(ろうぜき)をほしいままにしていた。富裕な王であるが、屋敷のそばを旅で通り過ぎる異国人たちを親切に招待し、食事ののち、むりに外に連れ出し、夜、その首を打ち落とすのであった。ヘラクレスはこの暴君を殺して、マイアンドロス川に投げ込んだ。こうした活躍をしていたある時、ヘラクレスはドリケ島に上陸した。すると、波に打ち寄せられた死体が海岸に横たわっているのが目にとまった。それは、父が作った蝋(ろう)でかためた翼に乗ってクレタ島の迷路からのがれる途中に、太陽に近づきすぎたために海に落ちた、あの不幸なイカロスの死体であった。ヘラクレスはあわれに思って、その死体を埋葬し、彼をしのんでその島を「イカリア島」と名づけた。この親切にたいして、イカロスの父である名工ダイダロスは、本物そっくりのヘラクレスの像をエリスの主都ピサに建てた。あるとき、ヘラクレスがピサに行ったとき、夜の闇にあざむかれて、その像の豪胆なその顔つきが生きた人間のように威嚇(いかく)していたので、石をつかんで、立派なその像を打ち砕いてしまった。ヘラクレスがカリュドンの猪(いのしし)退治に参加したのも、オンファレ女王に奴隷として仕えていた当時のことであった。オンファレ女王はヘラクレスの勇気にほとほと驚嘆し、この奴隷が高名な英雄であることにうすうす感づいた。オンファレ女王は、ヘラクレスが大神ゼウスの息子であることを聞き知ると、自由の身にしたばかりか、すすんでヘラクレスと結婚した。しかし、東洋の淫蕩(いんとう)な生活にはいると、ヘラクレスはかつて少年時代、人生の岐路に立ったとき「徳」の女神から与えられた教訓を忘れて、柔弱な快楽にふけった。そのため、妻のオンファレ女王さえ、夫を侮(あなど)るようになった。オンファレ女王はライオンの毛皮を身にまとい、棍棒を手にしてヘラクレスにリディアの柔らかい婦人服を着るように命令した。そしてあげくのはてには、恋に盲目となったヘラクレスは、妻の足もとにすわって、毛糸を紡(つむ)ぐしまつであった。オンファレ女王の館(やかた)での奉公の期間が過ぎたとき、ヘラクレスはようやく迷夢からさめた。そして嫌悪の念で、女の衣装を投げ捨てると、たちまち決断に富み力にあふれた大神ゼウスの息子にもどった。自由の身になったヘラクレスは、なによりもまず12の難行を成し遂げていた時に、トロイア(トロイ)王ラオメドンとアウゲイアス王が約束を反故(ほご)にしたことへの仕返しをしようと決心した。
(参考)
@兄弟のケルコペス・・・後にケルコペスは、大神ゼウスに悪戯を仕掛け、笑って許してもらえずに、本物の猿に変えられてしまったという。
Aあの不幸なイカロス・・・(小話419)「ミノス王と迷宮ラビュリントスの怪物ミノタウロス。そしてイカロスの翼」の話・・・を参照。
「ヘラクレスとオンファレ」(カヴァリーノ) の絵はこちらへ
いろいろな「ヘラクレスとオンファレ」の絵はこちらへ
          (三)
まず最初にヘラクレスは、王女ヘシオネを助けたら神馬を差し出す約束を反故(ほご)にしたトロイアのラオメドン王を成敗するため、同志を募(つの)ってトロイア攻めを行った。十八艘の船による軍勢の中にはペレウス(英雄アキレウスの父)やテラモン(大アイアスの父)もいた。軍勢は船をおりてトロイアを目指した。トロイア(トロイ)の都イリオスを攻め、ヘラクレスのいない隙に船を襲ったラオメドン王を、逆に待ち伏せて殺してしまった。トロイア陥落後、城壁を破って一番乗りしたのは、友人のテラモンであったが、二番乗りのヘラクレスにはそれが気に入らなくて、テラモンを殺そうとした。それに気づいたテラモンは、機転をきかせて石を集めるふりをした。不思議に思ったヘラクレスがテラモンに尋ねると、テラモンは勝利者ヘラクレスにささげる祭壇を築いているのだ、と答えた。ヘラクレスは喜び、ラオメドン王の娘ヘシオネを褒美として彼に与えた。このとき王女ヘシオネは、一人だけ奴隷として連れて行くことを許され、弟プリアモスを選んだ。プリアモス以外のラオメドン王の子はすべて殺され、プリアモスは、後に有名なトロイア(トロイ)戦争でトロイア最後の王となった。神々とギガントマキア(巨人戦争)との戦いにヘラクレスが加わったのは、この頃であった。
(参考)
@王女ヘシオネを助けたら・・・(小話653)「二人の神(ポセイドンとアポロン)と約束を守らないトロイ王ラオメドン。そして、英雄ヘラクレスと海獣ケトスの闘い」の話・・・を参照。
Aギガントマキア(巨人戦争)・・・(小話396))「ギガントマキア(巨人戦争)と巨大な怪獣テュポン」の話・・・を参照。
          (四)
次に、家畜小屋を掃除できたら牛を差し出す約束を、やはり反故(ほご)にしたアウゲイアス王に報復するため、エリスを攻めた。ヘラクレスは遠征中に病(やまい)を得て休戦したが、休戦の理由を知ったアウゲイアス王は、腰から下はひとつの身体という双子の兄弟エウリュトスとクテアトスに命じてこれを襲い、ヘラクレスは退却を余儀なくされた。その際、多くの兵が倒され、ヘラクレスの異父兄弟イピクレスもこのときの傷がもとで死んだ。しばらくしてイストミア大祭が開かれ、これに双子の兄弟のエウリュトスとクテアトスが参加することを知ったヘラクレスは、二人を待ち伏せして殺し、エリスを陥落させた。そしてヘラクレスは、追放されて北の国の叔母の元に身を寄せていた王子ピュレウスを呼び寄せてエリスの王とした。やがて、ヘラクレスは徐々に暴走しだした。彼はさらに、以前、オイカリアの王子イピトスを殺した際に殺人の穢(けが)れを清めてもらおうとピュロス王ネレウスのもとへ赴いた。だが、ネレウス王は王子イピトスの父エウリュトス王と仲が良かったので、ヘラクレスの頼みを退けた。罪祓(つみばら)いを拒絶された恨みから、ピュロスの地を攻略した。ネレウス王の子ペリクリュメノスは海神ポセイドンからどんな動物や木にも姿を変える術を授かったので、ヘラクレスに立ち向かい、獅子、蛇、蟻、蠅、蜜蜂、鷲と変身して戦ったが、他の兄弟と共に殺された。こうしてヘラクレスは、ネレウス王たちを皆殺しにした。さらに、同じ恨みからスパルタを攻めた。このとき彼はテゲアの地に立ち寄り、王ケフェウスの援軍を得てスパルタ王ヒッポコオンらを皆殺しにした。しかし、この戦いでケフェウス王は戦死した。ヘラクレスは、かつてスパルタ王ヒッポコオンから追放された兄テュンダレオス(後にトロイア戦争の元になった絶世の美女ヘレネらの父)を、スパルタの王に据えた。ヘラクレスはますます暴走した。ついに、再びテゲアに立ち寄った際、アテナ神殿の巫女でもあった美しい王女アウゲ(ケフェウス王の妹)を見初(みそ)め、酒に酔っ払って無理やり犯して子供をはらませてしまった。彼女はさっきまで共に闘ってきたケペウス王の妹だったのだが、ヘラクレスはそんなことはつゆ知らなかった(結果、テレポスが産まれた)。友誼に厚いヘラクレスは、ふと、冥界で英雄メレアグロスと交わした約束を思い出して、カリュドン王オイネウスの王女デイアネイラに求婚するため、カリュドン国に赴いた。だが、絶世の美女デイアネイラには、すでにアケロオスという求婚者がいた。アケロオスはアケロオス川の神で、オケアノス神とテテュス女神の子で、牝牛(めうし)の角(つの)と蛇の尾を持ち、髪と髭(ひげ)をぼうぼうと生やした半人半魚だった。彼もまた、水神たちがあまねく持つとされる変身の能力を持ち、牝牛や大蛇へと自在に姿を変えた。美女デイアネイラをめぐって、ヘラクレスはアケロオスと戦った。アケロオスは牝牛に姿を変えて、勇敢にヘラクレスへと立ち向かったが、角(つの)を一本へし折られて、敢えなく敗北した。こうしてヘラクレスは、美貌のデイアネイラを娶(めと)った。二人の間には息子のヒュロスが生まれた。ある時、ヘラクレスはカリュドンの人々と共に、その敵のテスプロティア族を攻め、テスプロティア王ピュラスの娘アステュオケを貰い受けた(結果、トレポレモスが産まれた)。その後、カリュドン王オイネウスが開いた宴席で、ヘラクレスは誤って給仕の少年に手をぶつけて殺してしまった。少年の親族はヘラクレスを許したが、罪を感じたヘラクレスは法に従い追放されることを望んで、妻デイアネイラと息子ヒュロスを連れてカリュドンを去ることにした。
(参考)
@美しい王女アウゲ・・・(小話826)「英雄ヘラクレスと美しい巫女アウゲ。そしてその息子テレポス」の話・・・を参照。
Aアケロオスは牝牛に姿を変えて・・・角を折られた際に流れた血から、海の妖魔セイレーンたちが生まれたという。又、王女デイアネイラをヘラクレスに横取りされて以来、川神アケロオスは春になると、そのときのことを思い出し、怒り狂って洪水を起こすのだという。
「ヘラクレスとペリクリュメノス」(イザーク・ブリオ)の挿絵はこちらへ
「息子テレポスを抱くヘラクレス」の彫像の絵はこちらへ
「デイアネイラ」(ド・モーガン)の絵はこちらへ
「河神アケロオス(蛇に変身)とヘラクレスの格闘」のブロンズ像の絵はこちらへ
          (五)
ヘラクレスは妻デイアネイラと息子ヒュロスを連れて、カリュドンからトラキスの友人ケユクス王の元に旅立った。その途中、エウエノス川に差しかかった。この川は深く、加えて嵐のために水嵩(みずかさ)を増していた。そこへネッソスという一人のケンタウロス(半人半馬)が現われ、 ヘラクレスらを乗せて川向こうまで送ってやろうと申し出た。ヘラクレスは自分で渡れると断わり息子ヒュロスを担いだが、急流なので、妻のデイアネイラをネッソスに任せた。ネッソスはデイアイラを乗せ、急流を難なく渡って向こう岸に着いた。ところが、これはネッソスの謀(はか)りごとで、岸に上がるやいなや、ネッソスは発情期に入り欲望に身をたぎらせて、美貌のデイアネイラに襲いかかった。それを見たヘラクレスは、ヒュドラの猛毒を塗った矢を射ってネッソスを殺した。死に瀕(ひん)したネッソスは謝罪し、デイアネイラに自分の着物を渡して「自分の血がついた着物にはヘラクレスの心変わりを防ぐ力がある」と言い残して息絶えた。デイアネイラは当然、ヘラクレスの不実を不安に感じていた矢先で、念のため、この布を大切にしまっておいた。やがてヘラクレスは、トラキスに定住すると、かって王女イオレを娶(めあ)わせるという約束を反故(ほご)にした、オイカリアの地のエウリュトス王への復讐に出た。彼はオイカリアを攻略し、エウリュトス王らを皆殺しにして、王女イオレを捕虜とした。だが、ヘラクレスは王女イオレに恋をしてしまった。それに嫉妬した妻のデイアネイラは、ヘラクレスの愛情を引き留めたい一心で、かつて半人半馬(ケンタウロス族)のネッソスが渡した、心変わりを防ぐ力あるという血を思い出し、その血に塗れた布をヘラクレスの衣装に縫い込んだ。何も知らないヘラクレスは、いそいそとその衣装に着替えた。だが、ネッソスの血に混ざったヒュドラの毒は、彼の体温で徐々に肌を浸し、やがて肌は焼け爛れ始めた。彼が力ずくで衣装を剥ぎ取ろうとしたが、そのあいだにも身体中が腐っていった。夫の悲惨な姿を見た妻のデイアネイラは、ようやくネッソスに騙(だま)されたと気づき、自分の犯した罪に愕然となって、首を吊って死んでしまった。ヘラクレスは観念して瀕死の状態で、息子ヒュロスには、王女イオレと結婚するように言い、それから、自分をオイテの山上に運ばせ、薪を積み上げさせて火葬壇を築き、その上に横たわった。棍棒を枕にし、ライオンの毛皮で身体を覆(おお)って。そして、火をつけるように命じた。しかし、まだ少年になったばかりの息子のヒュロスは泣いているばかりで、火をつける勇気がなかった。ヘラクレスは、そのとき偶然、通りかかったピロクテテスに頼んで、火をつけてもらった。ヘラクレスは、感謝の印(しるし)として、彼に自分の弓を与えた。この弓が、後にピロクテテスがトロイア(トロイ)戦争に持参したヘラクレスの弓であった。こうしてヘラクレスは火炎に包まれて、焼き尽くされた。それを見たオリュンポスの神々は、ギリシャ第一の英雄の末路としては、あまりに惨めすぎると悲しみに暮れた。しかし、大神ゼウスは神々に言った「滅びてしまうのは、彼が母親のアルクメネから貰った部分だけなのだ。私が彼に与えてやった神としての性質は不滅だ。人間としての部分が滅び、神としての部分が残った今こそ、ヘラクレスをオリュンポスへ迎えて我々の一員としよう」。雷鳴とともに、黒雲が空から舞い降り、肉体を取り除かれたヘラクレスを連れて天界へと去って行った。ヘラクレスは天上でオリュンポスの神々の一人として迎え入れられ、ヘラ女神とも和解して、ヘラ女神の娘である青春の女神ヘベを妻として与えられた。こうしてギリシャ最大の英雄ヘラクレス、ついに死して永遠の神となった。
(参考)
@ヘラクレスはデイアネイラを連れて・・・あるとき、ヘラクレスは息子ヒュロスを連れずに妻デイアネイラと二人で旅立った。途中、エウエノス川に差しかかったとき、ケンタウロスのネッソスがデイアネイラを担ぐと申し出たので頼んだという説もある。
Aネッソス・・・(小話629)「半人半馬の怪物ケンタウロスたち。その中の人間好きのポロスと賢者ケイロンと好色なネッソス」の話・・・を参照。
B息子のヒュロス・・・(小話***)「ヘラクレスの後裔(ヘラクレイダイ)。英雄ヘラクレスの息子ヒュロスとエウリュステウス王の戦い」の話・・・を参照。
「デイアネイラとケンタウロスのネッソス」(レーニ)の絵はこちらへ
「ネッソスとデイアネイラとヘラクレス」(ドローネー)の絵はこちらへ
「ヘラクレスとイオレ」(カラッチ)の絵はこちらへ
「ケンタウロスのネッソスの長衣に焼かれるヘラクレス」(スルバラン)の絵はこちらへ
「ヘラクレスの神格化」(フィレンス)の挿絵はこちらへ
(おわり)


(小話926)「ギリシャ随一の英雄ヘラクレス。その数奇な誕生から偉大な十二の難行(冒険)と死んで神になったその生涯(2/3)」の話・・・
          (一)「ネメアのライオン(又は、獅子(しし))退治」
エウリュステウス王が最初に命じたのは、ネメアに住むライオン退治であった。ネメアのライオンは、双頭の猛犬オルトロスと上半身は女性で下半身は蛇という怪物エキドナの間に生まれた。その名のとおり、ミュケナイ(ミケーネ)の宮殿からほんの少し行ったところの、ネメアという谷に住み着いて、家畜や人間を襲って多大な被害をもたらしていた。ヘラクレスはネメアの森にライオンを探しに行ったが、この人食いライオンの皮膚は鉄よりも硬く、退治に向かった若者は皆ライオンに食べられてしまって、ライオンのことを知る人に出会うことが出来なかった。ヘラクレスは、20日以上もネメアの森をさ迷った。ある日、ヘラクレスはクレオナイの日雇い人モロルコスの客となった。モロルコスは自分の子供をライオンに食べられた貧乏人であったが、彼はヘラクレスを歓迎して、一頭しかいないメスの羊を殺して接待しようとした。そのとき、ヘラクレスはそれを止めてこう言った「30日の間にネメアのライオンを退治できたら、この羊は大神ゼウスに捧げて下さい。もし30日たって私が帰らなかったら、死者(ヘーロース=半神)として私に供えて下さい」。こうしてヘラクレスは、さらにライオンを探しにネメアの森にはいり、ついにライオンを見つけた。ヘラクレスは、ライオンに向って矢を放ったが2本とも跳ね返ってしまい、3本目を射(い)ようとしたとき、ライオンは猛然と襲い掛かって来た。ヘラクレスは棍棒で人食いライオンに殴り掛かかったが、棍棒は真っ二つに折れてしまった。しかし、ライオンは堪らず2つ穴のある洞穴に逃げ込んだ。そこでヘラクレスは、片方の穴をふさぎ、もう一方の穴から入り無双の腕力で3日3晩、ライオンの首を絞めて、ようやく息の根を止めた。一方、モロルコスは30日経ってもヘラクレスが戻らないので、ライオンに殺されてしまったとあきらめて、死んだヘラクレスに羊のささげ物をする準備をはじめていた。丁度、そこにヘラクレスが帰ってきて、ライオンを退治したことをモロルコスに告げ、羊は大神ゼウスに捧げられた。ヘラクレスは、この後(あと)、このライオンの爪を使い、剣をも通さない毛皮を剥(は)いで肩にかけ、棍棒を作り直し一生、肌身はなさず持ち歩いた。ネメアのライオンを退治し、そのライオンの皮で身を覆(おお)ったヘラクレスを、ミュケナイ(ミケーネ)の市民は歓喜の声で向かえた。ヘラクレスがライオンを退治してきたことを聞いたエウリュステウス王は、ヘラクレスの恐ろしい力を知り、殺されてはたまらないと、鍛冶屋に命じて頑丈な青銅の壷(王の壷)を作り、ヘラクレスがやってくるとその中に逃げ込み、ヘラクレスを王宮に入れることを許さなかった。そして、以後の命令は、使者を通じて言い渡すようになった。使者を通じてのエウリュステウス王の次の命令は「レルネーにすむ恐ろしい怪獣ヒュドラを殺すことだ」であった。
(参考)
@ライオンの爪を使い、剣をも通さない毛皮・・・ヘラクレスは十八歳の時、50日にわたる狩りのすえ、キタイロン山のライオンを退治し、その皮を剥いで身にまとった。だが、ヘラクレスが肩にかけているライオンの毛皮は、先のキタイロンのものではなく、ネメアのライオンのものだともいう。ネメアのライオンの皮を、一生肌身はなさず持ち歩き、自らを火葬したときもこの棍棒を枕にし、ライオンの皮で身を覆ったという。
Aネメアのライオンを退治・・・ヘラクレスを憎むゼウスの妻ヘラは、ヘラクレスを苦しめてくれたと、このライオンを星座(獅子座)にした。又は大神ゼウスが息子の功績を讃えるために、天の星座(獅子座)に記念としてライオンを加えたという。
「ヘラクレスとネメアのライオン」(スルバラン)の絵はこちらへ
「ヘラクレスとネメアのライオン」(壷絵)の絵はこちらへ
          (二)「レルネーの怪獣ヒュドラ退治」
水蛇ヒュドラ(ヒドラ)は多頭の蛇の化物で、9つもの頭を持っていた。この怪物はアミュモネの泉のほとりにあるレルネーの沼に住み着き、毒を撒き散らしてアルゴスの民を苦しめていた。ヘラクレスは従者のイオラオス(双子の兄弟イピクレスの子)という若者を連れて、この怪物を退治しに行った。ヘラクレスとその従者が沼に近づいていくと、怪獣ヒュドラが毒を撒き散らしながら襲い掛かってきた。ヘラクレスは恐れもせずに剣を抜くと、襲ってきた怪獣ヒュドラの頭の一つを切り落とした。しかし、切り落とされた頭からは、新たに二つの頭が生えてきた。これにはさすがのヘラクレスも、困ってしまった。切り落とせば、切り落とすほど頭が増えてしまうのだから、退治のしようがない。窮地に追い詰められたヘラクレスだったが、ふといいことを思いついた。切り落とした頭の傷口を焼いてしまえば、そこから首が生えてくることもあるまいと。果たして、そのとおりであった。ヘラクレスは次々と首を切り落とし、一方、従者のイオラオスはその切り口をたいまつの火で焼き払った。怪獣ヒュドラの頭はどんどん少なくなって、ついに一本となってしまったが、この残りの一本の頭は不死なので、決して殺すことは出来なかった。やむなくヘラクレスは大岩を抱(かか)えあげると、残った一本の首をその岩の下敷きにして封じ込めてしまった。この戦いで、ヘラ女神が怪獣ヒュドラに加勢させるために送り込んだ、巨大な化け蟹カルキノスを、ヘラクレスはあっさり踏みつぶしてしまった。ヘラクレスは怪獣ヒュドラを退治した後、その毒を自分の矢に塗りつけた。こうして、ヘラクレスの弓矢に射られたものは誰一人として生きてはいられなくなった。無事、ミュケナイへと帰還したヘラクレスだったが、エウリュステウス王は、甥(おい)に手伝ってもらったから数に数(かぞ)えないと宣言した。そして次に王は、ヘラクレスに「アルテミス女神の聖なる鹿をつかまえること」の命令をだした。エウリュステウス王は心の中で「鹿はアルテミス女神の聖獣じゃ、アルテミス女神の神罰が下されるに違いない」とほくそえんだ。
(参考)
@アミュモネの泉・・・ある時、リビュアのダナオス王の娘の一人であるアミュモネが、水汲みの最中に、半人半獣のサテュロスが欲情して襲い掛かった。そこへ助けにきたのが海王ポセイドンで、その時、海王ポセイドンが三叉の戟(げき)で大地を打ったところから泉が湧き出したので、その泉に「アミュモネの泉」という名前が付けられた。それから人々は、そのアミュモネの泉を飲み水としていたが、いつしか現われた毒を吐く怪獣ヒュドラ(沼沢地「レルネーの泉」に棲みついていた)のために「アミュモネの泉」は毒水になってしまった。
A化け蟹カルキノス・・・ヘラは化け蟹カルキノスをあわれんで天空にあげて「蟹座」とした。また、怪獣ヒュドラも星座として「うみへび座」となった。
「ヘラクレスとヒュドラ」(ポッライウォーロ)の絵はこちらへ防具のライオン皮着込んでヒュドラ退治
「ヘラクレスとヒュドラ」(モロー)の絵はこちらへ
「ヘラクレスとヒュドラ」(スルバラン)の絵はこちらへ
          (三)「ケリュネイアの牝鹿(めすじか)の生け捕り」
このケリュネイアの牝鹿は狩猟の女神アルテミスの聖獣で、黄金の角(つの)と青銅の蹄(ひづめ)を持っていた。4頭の兄弟がおり、アルテミス女神に生け捕られ、彼女の戦車を引いていたが、この5頭目の牝鹿は、矢よりも素早く動いたので狩猟の女神をもってしても捕らえる事ができなかった。アルテミス女神から傷つけることを禁じられたため、ヘラクレスは1年間、ギリシア、トラキア、イストリアなどを通って徒歩で牝鹿を追い回した末、川を渡ろうとした隙を狙って、傷つけないように脚に普通の矢を射って、身動できないようにしておいて捕まえた。そして、ヘラクレスが牝鹿を肩に担いで、ミュケナイに連れて帰ろうとしたところに、兄アポロン神を連れたアルテミス女神に遭遇した。二人の神は鹿が殺されていると思い込み、激怒したが、ヘラクレスが難行の一つとして鹿を捕らえねばならなかったこと、まだ鹿が生きていることを説明し、アルテミス女神に鹿を絶対返すことを約束するとアルテミス女神の怒りは静まった。ヘラクレスは、牝鹿をミュケナイのエウリュステウス王のもとへ連れて帰ると、すぐ鹿をアルテミス女神に献上した。こうして牝鹿はアルテミス女神の車を引く引く5頭目の鹿となった。そして、エウリュステウス王の次の命令は「エリュマントス山の猪を生け捕りにすること」であった。
(参考) @脚に普通の矢・・・鹿が眠っている間に大きな網で生け捕りにしたという説もある。
「ヘラクレスとケリュネイアの牝鹿(めすじか)」(アドルフ・シュミット)の絵はこちらへ
「ヘラクレスとケリュネイアの牝鹿(めすじか)」(壷絵)の絵はこちらへ
          (四)「エリュマントス山の猪を生け捕り」
ヘラクレスは、エリュマントス山に住む、人食いの怪物である大猪(おおいのしし)を生け捕るために出かけた。アルカディアの西方、ポロエの山地には、人間のラピタイ族との争いに負けた、半人半馬のケンタウロス一族が集まっていた。ヘラクレスは旅の途中に、ケンタウルス族のポロス(酒神ディオニュソスの育ての親シレノスの息子)に出会ってもてなされた。その時、大勢のケンタウロスたちが酒の匂いを嗅ぎつけて、ポロスの洞窟へと押しかけてきた。だが、酒甕(さけがめ)はすでに空っぽであった。血の気の多いケンタウロスたちは怒り出し、武装して襲撃してきた。ヘラクレスも、もともと短気な上に酔っ払っていたものだから、ついにヒュドラの毒矢で応戦しだした。一転、ヘラクレスは逃げるケンタウロスたちをマレア半島まで追いかけた。このマレア半島にはヘラクレスの師ともいえる賢者ケイロンが住んでいた。ヘラクレスの毒矢はケイロンの膝に刺さってしまった。ヘラクレスは、ケイロンのもがき苦しむ姿を見かねて、大神ゼウスに祈り、ケイロンの不死身を解いてもらった。一方、ポロスは、ヘラクレスの小さな矢じりの威力に驚いて、それを手に取り、しきりに眺めていた。だが、手が滑って取り落としてしまった。矢は足に刺さり、毒がまわってポロスはそのまま死んでしまった。ヘラクレスは半人半馬のケイロンとポロスを丁寧に葬った後、再びエリュマントスに向かった。巨大な大猪は、エリュマントス山から降りてきて人里を荒らしていたのだが、ヘラクレスは深い雪のなかに猪を追い込んで、へとへとになった猪を縄で捕らえ、生け捕りにしてミュケナイへと戻った。エウリュステウス王は、まだ生きている怪物を見て、恐ろしさに気が遠くなり、青銅の壷(王の壷)中に逃げ込んでしまった。この後(あと)、ヘルクレスはアルゴー船で「金羊皮(黄金の羊の毛皮)」を求めて旅立つイオルコスの王子イアソンの呼びかけに応じて、その一員(アルゴナウタイ=アルゴーの船員)になった。しかし、船旅が始った直後、トロイの近くのミュシアという所に着いた時、ヘラクレスのお供をしていた少年ヒュラスが水を求めに上陸したが、そこの泉の妖精(ニンフ)に水中に引っ張り込まれてしまった。ヘラクレスが一晩中、その少年を探しに行っている最中、アルゴー船は嵐に見舞われたので、ヘラクレスをおいてきぼりにして、港から遠ざかってしまった。長い漂泊のから戻ると、ヘラクレスの次の難行は「アウゲイアス王の家畜小屋を一人で、しかも一日で掃除する」ことであった。
(参考)
@ケンタウロス一族・・・(小話629)「半人半馬の怪物ケンタウロスたち。その中の人間好きのポロスと賢者ケイロンと好色なネッソス」の話・・・を参照。
Aケイロンの不死身・・・ケイロンは「いて座」、ポロスは「ケンタウロス座」になった。
Bイオルコスの王子イアソン・・・(小話761)「金羊皮を求めてアルゴー船の大冒険。そして、王子イアソン以下五十名の勇士(アルゴナウタイ)の活躍と王女メディア」の話・・・を参照。
「ヘラクレスとエリュマントスの猪」(ルイス・トゥアイロン)の銅像の絵はこちらへ
「ヘラクレスとエリュマントスの野猪」(壷絵)の絵はこちらへヘラクレスのもとには、常に戦いの女神アテナが付き添っていた
          (五)「アウゲイアス王の家畜小屋掃除」
エリスの王アウゲイアスの家畜小屋には、3千頭もの牛が飼われていたが、その途方もない牛糞は30年間、掃除されたことがなく、石よりも硬くなって手のつけようがなかった。ヘラクレスは王を訪ね、エウリュステウス王の命令は内緒にして「1日で家畜小屋の掃除をしたら、牛の10分の1をもらう」という条件を持ちかけた。アウゲイアス王はそんなことは不可能だと考えてこれを受けた。この取り決めを双方が誓い合い、アウゲイアス王の王子ピュレウスが証人となった。ヘラクレスは、早速、家畜小屋の近くを流れるアルペイオスとペネイオスの両川の水を強引に引いてきて、家畜小屋の一方から他方へ、大穴を開けて流し込み、水流に任せて怖るべき牛糞の山をいっぺんに洗い流してしまった。こうして、ヘラクレスは英雄にふさわしからぬ行為に身を汚すことなしに、不名誉きわまるこの仕事を成し遂げた。流れの狂ったこれらの川は、以来、洪水ばかり引き起こすようになった。このヘラクレスの大掃除には、アウゲイアス王も、開いた口が塞(ふさ)がらなかった。しかし、これがエウリュステウス王からの命令だったことを知ったアウゲイアス王は、家畜を分けることを拒否し、さらにそんな取り決めはそもそもなかったと言い張った。憤慨したヘラクレスは、証人として王子ピュレウスを引っ張り出した。信義を重んじたピュレウスが誓約の事実を認めると、アウゲイアス王は見当違いの怒りを爆発させて、ヘラクレスと王子ピュレウスをエリスの国から追放してしまった。王子ピュレウスは、北の国の叔母の元に身を寄せた。ヘラクレスは復讐を宣言し、先を急ぐので、ひとまずおとなしくエリスを去った。エリスからの帰途、ヘラクレスがオレノスの王デクサメノスの館に立ち寄った。この時、館ではちょうど、王女ムネシマケを花嫁として送り出すところだった。それは乱暴なケンタウロス族の一人、エウリュティオンが、王女ムネシマケに激しく恋慕し、是非、妻にくれと脅迫したためだった。生贄(いけにえ)同然の花嫁を前に、ヘラクレスは断固、義侠心を発揮して、早速、ケンタウロスを待ち伏せて、花嫁を受け取りに来たところを殺してしまった。エウリュステウス王は、ヘラクレスが家畜小屋掃除に、川(河)神の力を借りたためと報酬目当てにしたのだから、難行の数には入れないと言った。そして次に「ステュムパリデスの森の怪鳥退治」の命令を出した。
(参考)
@ヘラクレスは復讐を宣言・・・このことを恨んだヘラクレスは、トロイア(イリオス)攻略ののち、アルカディア人の軍勢を集めてエリスの国を攻撃した。
「ヘラクレスとアウゲイアス王の家畜小屋」の絵はこちらへヘラクレスのもとには、常に戦いの女神アテナが付き添っていた
「ヘラクレスとアウゲイアス王の家畜小屋掃除」の絵はこちらへ
          (六)「ステュムパリデスの森の怪鳥を退治」
ステュムパリデスのそばの湖は、鬱蒼たる森に覆われていて、そこに青銅の翼、爪、嘴(くちばし)をした無数の怪鳥たちが住み着いていた。軍神アレスが育てたこの怪鳥たちはとてつもない騒々しさで人々を脅かし、穀物を荒らしまわるばかりか、鋭い羽や嘴で人々を傷つけ、人畜まで喰らった。しかも、怪鳥たちは無数にいて、いつもうっそうと茂った森の中に隠れているので、退治しょうにも退治できなかった。そこでヘラクレスは、この恐るべき怪鳥どもを驚かせて飛び立たせるため、戦いの女神アテナから鍛冶の神ヘパイストスが作った、とてつもなく大きな音を立てる青銅の銅鑼(どら)を二つ借り受けた。そして湖の近くの丘に登り、銅鑼(どら)を打ち鳴らした。その凄(すさ)まじい音に驚いた何百という怪鳥たちが、わめき声をあげながら空へ舞いあがった。ヘラクレスは怪獣ヒュドラの毒を塗った矢を放ってそれらを射落とし、どれくらいの数を射たかは知らないが、とにかくそれ以降、怪鳥たちは森を出て行ってしまった。次のエウリュステウス王は、ヘラクレスをペロポネソス半島の外へ向かわせるために、次のような命令を出した「クレタ島の牡牛をとらえること」。
(参考)
ヘラクレスとステュムパリデスの鳥たち」(モロー)の絵はこちらへ
「ステュンファーリデス(ステュムパリデス)の怪鳥退治」(壷絵)の絵はこちらへ
          (七)「クレタ島の牡牛をとらえること」
クレタ島のミノス王はたくさんの牛を持っていたが、海神ポセイドンが犠牲を捧げるよう言い渡したところ、自分の牛が惜しくて、神に捧げても恥ずかしくない牛は、残念ながら一頭もない、と断った。そこで、海神ポセイドンは、海に現われる牛を捧げるように、と言った。すると海より美しい白い牡牛(おうし)が現れた。喜んだミノス王だったが、王はその白い牡牛を渡すのが惜しくなり、別の牡牛を海神ポセイドンに捧げた。海神ポセイドンはミノス王の不敬に憤って、牡牛を発狂させた。牡牛は、手のつけようのない凶暴な牛となり、クレタ島中を荒らしまわっていた。ヘラクレスはクレタ島に渡り、ミノス王に協力を求めた。だが、王は持ち主の私にも手に負えないので、捕らえることができるのなら、勝手に捕らえてどこにでも持っていってよいと言った。そこで、ヘラクレスは独力で狂った白い牡牛を捕らえた。この牡牛は、なぜか彼の前ではおとなしくなり、彼は従順な牛の背に乗ってミュケナイに向かった。ヘラクレスが牛を生きて連れて帰ったので、またもやエウリュステウス王はおどろいたが、次のエウリュステウス王の命令は「ディオメデスの人喰い馬を退治すること」であった。ヘラクレスがエウリュステウス王に渡した白い牡牛は、エウリュステウス王がヘラ女神に献上しようとしたところが拒絶されたため、無責任にも野に放してしまった。そのため、凶暴な牡牛は、スパルタやアルカディアを初め、散々にあちこちを荒らしまわってうろついた後、アッティカ地方のマラトンの野に住み着いた(後に英雄テセウスに退治されることになる)。
(参考)
@牡牛を発狂させた・・・牡牛を発狂させると同時に、海神ポセイドンは、ミノス王の妻パシパエに美しい白い牡牛への恋心を吹き込んだ。そして怪物ミノタウロスが誕生する。(小話419)「ミノス王と迷宮ラビュリントスの怪物ミノタウロス。そしてイカロスの翼」の話・・・を参照。
「ヘラクレスとクレタの牡牛」(不明)の絵はこちらへ
「ヘラクレスとクレタの牡牛」の壷絵はこちらへ
          (八)「ディオメデスの人喰い馬の退治」
ディオメデスの人喰い馬を退治する難行のため、ヘラクレスはトラキアに向かった。トラキアの野蛮で好戦的なディオメデス王は、軍神アレスの息子で、とてつもなく凶暴な牝馬(めすうま)を、捕まえた旅人の人肉を餌に養っていた。真っ正直なヘラクレスは、この凶悪な王には相当、腹を立てた。そこでヘラクレスはトラキアに着くなり、馬小屋の見張りの者たちを殺し、ディオメデス王が近づいてきたときには、牝馬を連れていこうとしていたところだった。ディオメデス王はヘラクレスに飛びかかり、彼の腰をつかんで馬に投げ与えようとした。ヘラクレスは、こん棒をふり上げ、デイオメディス王を激しく打ち、気絶させた。そして彼は、ディオメデス王を馬に投げ与え、牝馬は自分の主人をむさぼり食った。王を喰らうと牝馬は急におとなしくなり、ヘラクレスは楽々と手綱を引いて海岸へと向かった。がが、まもなく、ディオメデス王を殺された手下の蛮族どもが追いかけて来た。ヘラクレスは同行の少年アブデロス(ヘラクレスは美少年が大好きで、旅に連れていた)に牝馬の番をさせて、自分は一人、蛮族をやっつけた。ところが、敵を片づけて戻ってみると、衝撃的なことに、少年は獰猛な牝馬に喰い殺されていた。泣く泣くヘラクレスは、少年を葬(ほうむ)って、一人ミュケナイへと戻った。人喰い馬はエウリュステウス王のところまで連れてこられたが、王はやはり手に余って、この牝馬を野に放置した。牝馬はオリュンポス山へと逃れ、野獣に食い殺されたという。次の難行は、エウリュステウス王の娘アドメテが欲しがった「アマゾンの女王ヒッポリュテの帯を奪う」ことであった。
(参考)
@少年アブデロス・・・ヘラクレスは少年を記念して墓を築き、その傍らに市を建設した。これが彼の名を負うアブデラ市の始まりという。
「自分の馬にむさぼり喰われるディオメデス」(モロー)の絵はこちらへ
「ヘラクレスとディオメデス」(グロ)の絵はこちらへ
          (九)「アマゾンの女王ヒッポリュテの帯を奪う」
アマゾン族は戦争の神(軍神アレスとハルモニアを祖とする部族)の娘たちで、馬を飼い慣らし、弓術を得意とする狩猟民族で、狩猟の女神アルテミスを信仰していた。アマゾン族は、弓などの武器を使う時に右の乳房が邪魔になることから切り落としたため、別名「乳なし族」とも呼ばれていた。ヘラクレスはアマゾン族とは激しい戦いになると考え、親友のテセウス王らの勇士を集めて船で敵地に乗り込んだ。だが、交渉したところ、アマゾン女王ヒッポリュテは強靭な肉体のヘラクレス達を見て、自分達との間に丈夫な子を作ることを条件に軍神アレスから女王の証(あかし)として贈られた黄金の腰帯を渡すことを承諾した。しかしこれを知ったヘラ女神は腹をたてて、自らアマゾン女族の一人に姿を変えて、来航したギリシャの男が女王をさらおうとしていると煽動した。血の気の多いアマゾン族たちはカンカンに怒って、女王を取り返さんと武装して港へ押し寄せて来た。襲撃してくる女軍を眼にしたヘラクレスも、女王にすっかり騙されたと思い込んで、必死に弁明する女王ヒッポリュテを殴り殺して黄金の腰帯を奪い、船を出して逃走した。(後になってヘラクレスは、ヒッポリュテの言い分も聞かずに彼女を殺してしまったことを後悔したという)。アマゾンからの帰途、ヘラクレスは黒海を航行して、トロイア(トロイ)に寄港した。折しもトロイアでは、海神ポセイドンと太陽神アポロン両神の呪いに悩んでいた。トロイアの城壁を築く際、人間に姿を変えた両神が手伝った。ところがラオメドン王は彼らに約束の報酬を払おうとしなかった。そこで、両神は憤慨し、太陽神アポロンは疫病を、海神ポセイドンは洪水を送ってトロイアを荒らした。弱った王が神託を伺うと、王女ヘシオネを、海神ポセイドンが遣わす海の怪物に生贄(いけにえ)に献げよ、という返答であった。ヘラクレスは、美しい娘が大岩に縛り付けられているのを見た。事情を知ったヘラクレスは、ラオメドン王に「不死身の神馬」をくれるなら、怪物を倒して王女ヘシオネを救おうと申し出た。ラオメドン王が請合ったので、ヘラクレスは怪物を倒して王女ヘシオネを救った。だが、ヘラクレスが報酬の馬を貰おうとすると、ラオメドン王は拒絶した。怒ったヘラクレスは、いずれトロイア(イリオス)を攻め落としに来るぞ、と捨て台詞(せりふ)を残して去っていった。ヘラクレスはアマゾン女王ヒッポリュテの黄金の腰帯を、エウリュステウス王の足もとに置いたが、王は休む間も与えず、すぐに又、「巨人ゲリュオンの赤い牛を奪うこと」の命令した。
(参考) @折しもトロイアでは・・・(小話653)「二人の神(ポセイドンとアポロン)と約束を守らないトロイ王ラオメドン。そして、英雄ヘラクレスと海獣ケトスの闘い」の話・・・を参照。
Aトロイア(イリオス)を攻め落・・・後に、英雄ヘラクレスは参加者を募(つの)ってトロイア攻めを行った。
「アマゾン族討伐」の絵は壷はこちらへ
「ヘラクレスとヘシオネ」(不明)の絵はこちらへ
          (十)「巨人ゲリュオンの赤い牛を奪う」
ゲリュオンは、おそろしく巨大で、三つの胴体、三つの頭、六本の腕と六本の足を持っ怪物で、世界の果て、はるか西のかなたのエリュテイア島に住み、赤褐色の美しい牛の群れを飼い、それらを牛飼いの巨人エウリュティオンと、双頭の番犬オルトロスとに番をさせていた。ゲリュオンの父クリュサオルは、イベリア(スペインとポルトガル)全土の王であり、ゲリュオンのほかになお三人の勇敢な息子がいた。ヘラクレスは、この厄介な仕事にどんな準備が必要かを、よく知っていた。そこで、軍勢をクレタ島に集め、まずリビアに上陸した。リビアでは、大地の母ガイアの息子の巨人アンタイオスと戦った。巨人アンタイオスはその母大地に触れると、そのつど新しい力がよみがえるのであった。しかし、ヘラクレスはたくましいその腕で巨人を抱き、高々と持ちあげて、これを絞め殺した。それからまた、リビアを通り、水のない地方の長い旅ののち、ヘラクレスはようやくいくつかの川が流れる肥沃な土地に着いたが、そこに巨大な町を建てヘカトムピユロス(百の門の町)と名づけた。それから、ヘラクレスはヨーロッパとリビアに、向かい合わせて「ヘラクレスの柱」と呼ばれる巨大な岩柱を建てた。さらに進んで行く途中、大陽がじりじりと焼けるように照りつけ、我慢ができなくなったので、ヘラクレスは天をにらんで、弓を高くあげ、太陽神を射落とすぞと威嚇した。太陽神ヘリオスはその勇気に驚嘆し、日没から日の出まで自分が乗って行く黄金の杯(はい)を貸し与えた。ヘラクレスはこの杯に乗ると、そばを進む船隊とともに、イベリアに向かった。そこには、三つの大軍を率いるクリュサオル王の三人の息子がいたが、ヘラクレスはその三人の息子をすべて格闘のすえに殺した。それから、巨人ゲリュオンがその赤い牛の群れと共に住んでいるエリュテイア島におもむいた。双頭の番犬オルトロスはヘラクレスの到来に気づくと、猛然と襲いかかってきた。しかし、ヘラクレスは棍棒をかまえて、番犬とその加勢にやって来た牛番の巨人とを打ち殺した。そして急いで牛の群れを連れて、そこから立ち去ろうとすると、巨人ゲリュオンが追いかけてきた。三つの体を持つ怪物が近づいてくるのを見て、ヘラクレスは弓に矢をつがえて、ねらいを定めた。矢はあまりに強く標的に向かって飛んでいったので、ゲリオンが逃げようと横を向いたとき、三つの体を全部つらぬいた。巨人ゲリオンが死んだので、ヘラクレスは赤い牛の群れを追って帰路についた。途中、海神ポセイドン息子でエリュモイの王エリュクスの平原に来たとき、赤い牛は 王エリュクスの持つ牛の群れに紛れ込んだ。そこで、ヘラクレスは牛を捜索(そうさく)して見つけたが、エリュクス王は自分と格闘技をして勝たないと返さないというので、3回負かして牛を取り戻し、イオニア海へとやってきた。そしてティベリス川付近で野営した時、ふと見ると牛の数が減っていた。不審に思ったヘラクレスが近くを探索すると、丘の上に洞窟があり、固く閉ざされた岩戸の奥から牛の鳴き声が聞こえた。そこでヘラクレスは渾身(こんしん)の力で岩戸を破壊すると、中から頭が三つあり、三つの口から火を噴く巨人カクスが現われた。三頭の巨人カクスは、夜になると洞窟から出てきて、人でも家畜でも捕まえて洞窟へと連れ帰り、その肉を貪り食らうという怪物であった。三頭の巨人カクスはヘラクレスに向かって炎を吐いたが、ヘラクレスはその攻撃に耐え、炎を吐くカクスの三つの首を結んで絞め殺して、赤い牛を一頭残らず取り戻した。ヘラクレスが赤い牛を連れてミケナイヘに着くと、エウリュステウス王は、この牛をヘラ女神に捧げた。こうして、ヘラクレスは10の仕事を成し遂げた。しかし、エウリュステウス王はそのうちの2つを承認しなかった(「レルネーのヒュドラ退治」と「アウゲイアス王の家畜小屋掃除」)ので、ヘラクレスはさらに2つの仕事を果たさなければならなかった。そして次のエウリュステウス王の命令は「ヘスペリデスの園の金の林檎を取ってくること」であった。
(参考)
@太陽神ヘリオス・・・太陽神で4頭立ての馬車に乗って、東の居城から西のはてのオケアノスまで天空を駆けるという。
「ヘラクレスとアンタイオス」(ポッライウォーロ)の絵はこちらへ
「巨人ゲリュオンと戦うヘラクレス」の壷絵はこちらへ
「ヘラクレスのカクス退治」(不明)の絵はこちらへ
          (十一)「ヘスペリデスの園の林檎を取ってくる」
へスペリデス(へスペリスたち)の園とは、オケアノスの西の果てにあるという花園であった。そこには、大地の母神ガイアが神々の王ゼウスとヘラ女神との結婚の祝いに贈ったという、「黄金の林檎」の実のなる樹が植わっていて、黄昏の女神(アイグレ(輝き)、エリュテイ(赤)、ヘスペレ(黄昏)の3姉妹)と呼ばれたへスペリデスがそれを預かっていた。そして、火を噴く百頭の巨竜ラドン(怪獣テュポンと怪物エキドナの子)が林檎の樹の番をしていた。この黄金の林檎の樹に到る道を知る者はなく、ヘラクレスは見当もつかずに、相変わらず道々、盗賊や怪物を退治しながら、放浪を続けた。まず最初に出くわしたのは、巨人キュクノスであった。この巨人は軍神アレスの子で、パガサイの野に父神の社(やしろ)を建てようと、通行人を待ち伏せてその首を刎(は)ねていた。そのため、デルポイへ行く参拝者が激減してしまった。これに怒った太陽神アポロンは、英雄ヘラクレスに命じて巨人キュクノスを退治させた。父親のアレス神は怒ってヘラクレスに決闘を挑んだが、大神ゼウスが落雷で割って入り、引き分けに終わった。その後、ついにエリダノス川で、大神ゼウスとテミス女神の娘にあたるニンフ(妖精)たちから「海の老神ネレウスに尋ねなさい。眠っているところを襲って縛りあげれば、へスペリデスの園への道を教えてくれるでしょう」との助言を得た。方々(ほうぼう)を捜してようやく海神ネレウスを見つけ出したヘラクレスは、海神ネレウスが海岸で眠っているところを捕まえた。ネレウスは逃げようとして、得意の変身で、いろいろなものに姿を変えた。だが、ヘラクレスがなんとしても放そうとしないので、とうとう海神ネレウスも根負けし、へスペリデスの園へ行く道を教えた。ヘラクレスは海の海神ネレウスの言葉に従い、リビアからエジプトまでやって来た。ナイル川のほとりでヘラクレスが眠っていたとき、何やらチクチクするので眼を醒ますと、ピュグマイオイ(ピグミー=背丈が35センチほどしかない小人族)たちが、針のような剣で突き刺していた。ヘラクレスはネメアのライオンの毛皮を脱いで、その毛皮の中にピュグマイオイたちを包んで縫い込んでしまった。この頃、エジプトでは、9年間続いた凶作に悩んでいた。そこで、エジプト王ブシリスは、ちょうどこの地に来ていたキプロス(キュプロス)の予言者プラシオスに尋ねたところ、プラシオスは、異邦人を毎年ゼウス神の生贄に捧げれば凶作は免れる、と占った。ブシリス王は早速、予言者プラシオスを殺して大神ゼウスの祭壇に捧げた。野蛮な王はこの慣例がだんだんと楽しくなり、エジプトにやって来たすべての異邦人を殺すようになった。そんなわけで、ヘラクレスも捕えられて、ゼウス神の祭壇に引いて行かれた。しかし、ヘラクレスは縛られていた縄をずたずたに引きちぎり、ブシリス王とその息子を打ち殺した。「黄金の林檎」を求めるヘラクレスの旅は、リビアからようやく外海に出、再び太陽神ヘリオスから黄金の杯(はい)を借り受けて、海を渡った。そして、ヘラクレスは北方の寒冷(かんれい)な岩山、カフカス山へとたどり着いた。その山頂には、大神ゼウスに叛(そむ)いて人間に火をもたらした罪で磔(はりつけ)にされたプロメテウスがいた。不死である彼は、生きながらにして毎日、繰り返し大鷲に肝臓をついばまれるという罰を受けていた。ヘラクレスがカフカス山へとやって来たとき、プロメテウスがゼウスに縛められてから、実に3万年という長い年月が経っていた。ヘラクレスはプロメテウスの鎖を解き、ヒュドラの毒矢で大鷲を射落とした。解放されたプロメテウスは、返礼にヘラクレスに予言を与えた。いずれ巨人族がオリュンポスの神々を攻め寄せるが、そのときお前は、巨人族と戦う英雄となるだろう。また「黄金の林檎」だが、この林檎は神しかとることができないのでヘスペリデスの父である巨神アトラスに取りに行かせるがいい、巨神アトラスはヘスペリデスの園で天球を担(かつ)いでいるのだから。こうして「黄金の林檎」を手に入れる秘策を得たヘラクレスは、はるか西の果てにあるヘスペリデスの園へと向かった。ヘラクレスは、ようやくヘスペリデスの園にたどり着いた。そこにはなるほど、天球を背負う巨神アトラス(アトラスはプロメテウスの兄)の姿があった。ヘラクレスはプロメテウスの助言どおり「黄金の林檎」の話を巨神アトラスに持ち出した。巨神アトラスは「その林檎は私の娘ヘスペリデス姉妹の園にある。それを取ってくるのはたやすいことなので、取りに行っている間、代わりに天球をかついでいてくれないか」と言ったので、ヘラクレスは引き受けて天球をかついだ。しばらくすると、巨神アトラスは3つの林檎を取って戻ってきたが、再び天球を背負うのは嫌だったで「ついでだから、俺がミュケナイまで林檎を届けてやろう」と言い出した。ヘラクレスも天球をかつがされていてはたまらないので、担いでいる間に肩当てがずれてきて、痛くて痛くてたまらないので、肩当ての位置を直す間、ちょっとだけ代わってくれないかと頼み、巨神アトラスはヘラクレスの策略にはまって、再び天球をかつぐことになった。こうしてヘラクレスは、「黄金の林檎」を持って帰還し、エウリュステウス王に渡した。後(のち)に林檎は、アテナ女神によってヘスペリスの花園へと戻されたという。いよいよヘラクレスは、最後の難業へと挑むことになった。
(参考)
@巨神アトラス・・・(小話459)「天空を支える巨神アトラスとその娘(ヘスペリス)たち」の話・・・を参照。
Aプロメテウス・・・(小話326)「プロメテウスとパンドラ(パンドラの箱)」の話・・・を参照。
Bヘスペリデス姉妹の園・・・ヘラクレスは、ヘスペリデスの園へと出掛けて行き、林檎の木に巻きついているラドンの急所の喉めがけて矢を放ち、見事に刺し貫いたという説もある。
Cピュグマイオイ(ピグミー)たち・・・ピュグマイオイは背丈が35センチほどしかない小人族。エチオピアやスキタイ、インドなどの山中に、卵の殻と羽毛を混ぜ合わせた泥で小屋を作って住むという。彼らはコウノトリ(あるいは鶴)と非常に仲が悪い。その昔、ピュグマイオイがただの人間の娘を崇拝したため、嫉妬したヘラ女神が、娘をコウノトリに変えて彼らを襲わせた。以来、一年の4分の1を、彼らはコウノトリと戦っているという。そこで、このときもまたピュグマイオイは、ヘラクレスをヘラ女神と勘違いして襲撃してきたという。
D百頭竜のラドン・・・後(のち)に百頭竜のラドンは「りゅう(竜)座」になったという。
「ヘラクレスとピグミー(ピュグマイオイ)族」(ドッソ・ドッシ)の絵はこちらへ
「プロメテウス」(モロー)の絵はこちらへ
「プロメテウスを解放するヘラクレス」(グリーペンケル)の絵はこちらへ
「花園とヘスペリデス」(レイトン)の絵はこちらへ
「ヘラクレスと花園のヘスペリデス」(ペッレグリーニ )の絵はこちらへ
          (十二)「冥界タルタロスの番犬ケルベロスの捕獲」
ケルベロスとは冥界タルタロスの番犬で、一度死んだ者が再びこの世に蘇(よみがえ)らないように厳しく見張っている怪物犬であった。三つの頭を持つ上に、体毛の一本一本が蛇で出来ており、おまけに尻尾は龍でできていた。これにはさすがのヘラクレスも困ってしまった。まず、どうやって冥界タルタロスに行っていいのかわからない。ヘラクレスが途方にくれているのを見た父の大神ゼウスは、伝令神ヘルメスと戦いの女神アテナにヘラクレスを冥界に案内してやるように命じた。ヘラクレスは伝令神ヘルメスと戦いの女神アテナに案内されて、冥界タルタロスへと通じる洞窟へと向かった。真っ暗な穴をどんどん下に向かっていくと、とうとう冥界タルタロスを囲む「ステュクスの河」の岸へ出た。戦いの女神アテナはこの川岸で待っていることになり、伝令神ヘルメスがヘラクレスを冥界タルタロスへ案内してやることになった。この川岸ではカロンという老人の渡し守がいて、死者の魂を渡し賃(1オボロス=1000円)を取って向こう岸へ渡してやる役目を負(お)っていた(当時のギリシャ人は、死者が無事にあの世へいけるように、貨幣を死者と共に埋めたという)。渡し守カロンはヘラクレスを見て「なんだ、お前はまだ死んでないじゃないか。お前を向こう岸へ渡すわけにはいかんぞ」と言い張った。しかしヘラクレスが恐ろしい目付きでにらんだので、さすがの渡し守カロンも恐ろしくなって、彼を向こう岸まで渡すことを了承した。ステュクス河の向こう岸は死者の国であった。ヘラクレスと伝令神ヘルメスは、この世ならぬ亡霊たちに数多く出会った。亡霊たちはヘラクレスの姿を見て、驚いて逃げ出したが、ただ怪物ゴルゴン三姉妹の一人メドゥーサだけは逃げなかった。ヘラクレスが剣を抜くと、伝令神ヘルメスは、それはただの影だ、と教えた。次にヘラクレスは、英雄メレアグロスの亡霊と遭遇した。亡霊はヘラクレスに、妹デイアネイラと結婚するよう頼み、ヘラクレスは結婚を約束した。こうして伝令神ヘルメスとヘラクレスはどんどん進んでいき、とうとう冥界の王ハデスが住む宮殿へと辿り着いた。冥界の王ハデスとその妃ペルセポネはヘラクレスと伝令神ヘルメスを宮殿に迎えた。ヘラクレスは冥王ハデスに、番犬ケルベロスを連れ帰るのを許してもらいたい、と申し出た。冥王ハデスはケルベロスを傷つけずに、素手で降参させたなら、地上へ連れ出すことを認めよう、と答えた。ヘラクレスと伝令神ヘルメスはこの言葉を受けて、ステュクス河まで引き返した。すると、さっそく冥界の番犬ケルベロスが襲い掛かってきた。この番犬は死者がステュクス河から冥界に渡るときにはおとなしくしているが、逆に冥界からステュクス河を越えて現世に戻ろうとすると襲い掛かってくるのであった。ヘラクレスと番犬ケルベロスの取っ組み合いが始まった。ヘラクレスはあらん限りの力を振り絞って、番犬ケルベロスを締め付けた。番犬ケルベロスの三つの頭や体毛の蛇はヘラクレスに噛み付いたが、彼がまとっているライオンの皮が硬すぎるので歯が立たなかった。これにはさすがの番犬ケルベロスも参ってしまい、おとなしくヘラクレスの言うことを聞くようになった。ヘラクレスは冥界から番犬ケルベロスを連れれ返る際、冥界の女王ペルセポネを略奪しようとして「忘却の椅子」に捕らわれていた、かって共に戦った親友、テセウス王とペイリトオス王を見つけた。ヘラクレスがテセウス王の手を取って引き上げると、テセウス王は甦った。続いてペイリトオス王の手を取ったとき、大地が突然振動し、ヘラクレスは手を離してしまったので、ペイリトオス王は下に落ち、そのまま冥界にとどまることになった。こうして、ヘラクレスは地獄の番犬ケルベロスを捕まえてエウリュステウス王のところへ持ち帰ることが出来た。エウリュステウス王は冥府の番犬ケルベロスを見ると震え上がり、すぐに番犬ケルベロスを再び冥府へと連れ帰るよう、ヘラクレスに頼んだ。「おまえはもう自由の身だ」と、エウリュステウス王は言った「もう私には、おまえに仕事をいいつけることはできない」。こうしてヘラクレスは、12の仕事を終えて旅立って行った。
(参考)
@テセウス王とペイリトオス王・・・(小話732)「偉大なる英雄テセウスの波乱に満ちた冒険の生涯。そして、怪物ミノタウロス退治と冥府下りとその最期」の話・・・を参照。
A番犬ケルベロスを捕まえて・・・地上に引きずり出されたケルベロスは太陽の光を浴びた時、狂乱して涎を垂らした。その涎から毒草のトリカブトが生まれたという。
「ヘラクレスと番犬ケルベロス」(スルバラン) の絵はこちらへ
「ヘラクレスの冥界犬ケルベロス捕獲(驚愕するエウリュステウス)」の壷絵はこちらへ
(つづく)


(小話925)「ギリシャ随一の英雄ヘラクレス。その数奇な誕生から偉大な十二の難行(冒険)と死んで神になったその生涯(1/3)」の話・・・
          (一)
ギリシャ神話より。ギリシャ最高の英雄ヘラクレスは、父である大神ゼウスに溺愛されたが故に、波乱に満ちた生涯を歩むことになった。英雄ペルセウスの子で、アルゴリア地方のミュケナイ(ミケーネ)国王エレクトリオン(ペルセウスの子)には、アルクメネという美しい一人娘がいた。エレクトリオン王はかねてから、甥のアムピトリオン(ペルセウスの孫)に娘をやる事を約束していた。ところが、エレクトリオン王統治下のミュケナイ王国に戦争が起こった。それはタポス国のプテレラオス王との戦争だった。プテレラオス王の子らは、その血筋から自分たちがミュケナイの領地を継ぐ権利を持っていることを主張して、エレクトリュオン王の財産である家畜の牝牛たちを奪い去ろうとした。これを阻止しようとエレクトリオン王の子供たちは武器を取って対決し、彼らは戦いを挑み、互いに殺しあった。そしてタポス国の軍隊は敗走して、川辺に待機していて独り生き残ったプテレラオス王の子のエウエレスは、エレクトリオン王の牝牛(めうし)たちをエーリス国に売り払ってタポス国に引き上げていった。エレクトリオン王の甥のアムピトリオンは、早速エーリス国に出向いて牝牛たちを買い戻してきた。一方、エレクトリオン王はタポス国へと軍勢を進め、途中で牝牛たちを買い戻して帰路に就いていた甥のアムピトリオンに行き会った。その時、牛の群から一頭の牛が列を乱して飛び出したため、アムピトリオンは牛を押さえようとして棒を投げつけた。その棒は、牛の角(つの)に当たって跳ね返り、エレクトリオン王の頭に直撃した。エレクトリオン王は事故とはいえ、未来の娘婿によってその命を絶たれたのだった。そのため、次のミュケナイ王となった叔父ステネロスによって、アムピトリオンはミュケナイを追われ、テーバイ国に逃げた。そんなアムピトリオンの後を追って、アルクメネは言った「あなたが私の父を殺したのは、あなたの罪ではありませんから、私はやっぱりあなたと結婚します。でも、まずは私の兄弟を殺した泥棒どもを罰して下さい」。
(参考)
@アルゴリア地方・・・ティリンスとアルゴスはミュケナイと並んで、アルゴリア地方を代表する伝説と神話の地で、都市国家アルゴスの王ペルセウスは都市国家ティリンスとミュケナイを建国した。ペルセウスには7人の子供がいたが、ミュケナイとティリンスを受け継いだのがエレクトリオンであった。(小話40-457)「英雄・ペルセウスの冒険(メドゥーサ退治と美女アンドロメダとの結婚)」の話・・・を参照。
Aミュケナイ国王エレクトリオン・・・初代国王=ペルセウス。二代国王=エレクトリュオン。ベルセウス国王には多くの子女がいた。そして彼の死後、その王国はティリンス国はアルカイオスが、ミデア国はステネロスが、そしてミュケナイ国はエレクトリオンと、三人の息子がそれぞれ分割統治することになった。三代国王=ステネロス。ステネロス王はペルセウスの子であり、父の死後はミデア国を相続して治めていたが、かねてより富裕の国であったミュケナイを狙っていた。兄弟のエレクトリオン王が甥のアムピトリオンの過失により殺されたとき、これを口実にアムピトリオンをアルゴス全土から追放した。四代国王=エウリュステウス。ステネロス王の嫡子。彼の生涯はその出生から死に至るまで英雄ヘラクレスとの確執に彩られており、ヘラクレスに12の難行(冒険)を行わせた。
          (二)
アムピトリオンとアルクメネが故国を逃れてテーバイ国に着くと、そこではある問題が起こっていた。狼のような凄まじい狐が現われ、子供をさらって行った。その足は素早く、捕まえようにも、誰も追いつけなかった。アルテミス女神の助力を得たアムピトリオンは見事に、この狐を退治してみせた。テーバイ国のクレオン王は非常に喜び、アムピトリオンの行うタポス国のプテレラオス討伐に協力してくれた。アムピトリオンはプテレラオス王を討ちに出かけ、アルクメネはテーバイ国でその帰りを待つことになった。そんなアルクメネの美貌に、神々の王ゼウスが目をつけた。アルクメネは美と愛の女神アフロディーテ顔負けの美人で、しかも賢い女性であった。そんなアルクメネをすっかり気に入った大神ゼウスは、貞操堅固な彼女に近づく手段を思いめぐらせた。その頃、アムピトリオンは見事、プテレラオス王を討ち滅ぼし、テーバイに帰ろうとしている途中であった。そこで大神ゼウスは急いでオリュンポスを下り、アムピトリオンの姿に身を変え、アルクメネの前に現われた。アルクメネはそれが偽者とは知らずに喜んで彼を迎え、その夜、結ばれた。その夜は、この世、始まって以来の長い夜であった。それは大神ゼウスが、太陽神ヘリオスに太陽の馬車を出さないように、また、月の女神セレネにも月の船をゆっくり進ませるよう命令していたからであった。眠りの神ヒュプノスも、大神ゼウスを助けて人々に楽しい夢を送ったので、誰ひとり、この夜が三夜分の長さを持っていた事に気づかなかった。そのためアムピトリオンはテーバイ国のすぐそばまで来ていたにも関わらず、夜が明けるまで、いつまでも家に辿り着けずにいた。やっと夜が明け、本物のアムピトリオンが帰って来た。「あなた、どうなさったのです? 昨日お帰りになったばかりではありませんか。そんな汚い鎧はさっさと脱ぎ捨ててで下さいな」とアルクメネは言った。そんなアルクメネの言葉に仰天するアムピトリオンであった。賢明なアルクメネはようやく、大神ゼウスにだまされた事に気づいた。しかしアルクメネは、自分の兄弟たちの仇(かたき)であるタポス国のプテレラオス王を討ち果たしたアムピトリオンと結婚し、夜を共にし一夜のうちに「神(ゼウス)の子ヘラクレス」と「人(アムピトリオン)の子イピクレス」の双子(ふたご)を身ごもった。
(参考)
@アムピトリオンの姿に身を変え・・・アルクメネは遠征に行っているはずのアムピトリオンが突然現われたことに驚いた。そこでアムピトリオンの姿に変身した大神ゼウスは、アルクメネの疑惑を解くために戦場の様子を話して聞かせ、証拠として戦利品の「ポセイドンがタポスの初代王に贈った黄金の盃」を見せ、かってエウロペに贈ったのと同じ首飾りを手にしてアルクメネの寝所に入ったという説がある。又、本物のアムピトリオンが戻ってきたので、彼女は驚き、訳を知ろうと盲目の予言者テイレシアスを尋ね、その夜の偽者のアムピトリオンが大神ゼウスであることを知ったという説もある。
「ジュピター(ゼウス)とアルクメネ」(不明)の挿絵はこちらへ
          (三)
大神ゼウスは、美しいアルクメネが自分の子を生んでくれるのが嬉しかったので、オリュンポスに神々が集まったとき、皆にこう話した「今日、ペルセウスの子孫に一人の子供が生まれるが、この子はやがて全アルゴス(ティリンスやアルゴスやミュケナイなど)の王となるであろう」。嫉(ねた)み深い妻のヘラ女神はこれを聞いて怒り、口をはさんだ「アルゴスは私が守っている国です。アルクメネの子なんか王にするもんですか!」。ヘラ女神は貞淑な妻であったから、度重なる夫の浮気は絶対に許さなかった。愛人はもちろん、その生んだ子にまで呪いをかけるという執念深さであった。一方、アムピトリオンとアルクメネを追放したミュケナイのステネロス王にも子供が産まれようとしていた。ステネロス王の妃ニキッペはアルクメネよりも三ヶ月遅れての出産予定であった。そこで、ヘラ女神は自分の娘である出産の女神エイレイテュイアに命令し、ヘラクレスの誕生を一日遅らせ、まだ七ヶ月の胎児だったステネロス王の子、エウリュステウスを先に生まれさせた。ヘラ女神はすぐさまオリュンポスに戻ると声(こえ)高々に「大神ゼウスの誓いの通り、たった今、ミュケナイを支配する男の子が生まれました。その子の名はステネロスの息子エウリュステウスです」と叫んだ。こうして、ヘラクレスとエウリュステウスの運命はすり変えられた。(のちに臆病者であったエウリュステウスがミュケナイ王となり、ヘラクレスはその奴隷になる)。出産を遅らせていた女神エイレイテュイアに気づいた侍女ガランティアスは、機転を利かせ「大神ゼウスの御心により無事、男児が出産しました」と叫んだ。
(参考)
@男児が出産しました・・・アルクメネの侍女のガリンティアスの嘘にだまされたと知ったエイレイテュイア女神は、ガリンティアスを金髪のガランティスの毛色をそのままに「いたち」に変えてしまったという。
「アルクメナのお産」(不明)の挿絵はこちらへ
「ヘラクレスの誕生」(不明)の絵はこちらへ
          (四)
こうして一日遅れでアルクメネは「ゼウスの子ヘラクレス」と「アムピトリオンの子イピクレス」の双子を出産した。生まれたばかりのヘラクレスに、ヘラ女神の乳を飲ませなければ不死身にすることができない。そこで大神ゼウスはヘラ女神を眠り薬で眠らせ、ヘラクレスに飲ませようとしたが、赤ん坊があまりに強く乳を吸い痛かったので、夢うつつの中でヘラ女神は赤ん坊を払いのけた。こうしてヘラクレスは女神ヘラの乳を二口(ふたくち)、三口(みくち)吸った事により不死になった。アムピトリオンの子イピクレスは弱虫であったが、神の子であるヘラクレスは赤ん坊の時からどこか違っていた。夏のある夜、アルクメネが子供たちを揺りかごに寝かせておいた時、赤ん坊のヘラクレスを殺すために、ヘラ女神が放った2匹の毒蛇が毒気を吐きながら忍びよってきた。イピクレスは泣きわめくだけであったが、一方のヘラクレスは蛇の頭をアベコベに掴んで絞め殺し、駆けつけたアムピトリオンとアルクメネをよそに、蛇を振り回しながら喜んでいた。このヘラクレスの赤ん坊らしからぬ豪胆さに驚いてしまった両親は、高名な盲目の予言者テイレシアスのもとを訪ねて、ヘラクレスの運命を占ってもらうことにした。すると、予言者テイレシアスはこう答えた「アルクメネよ、喜びなさい。あなたの息子はやがて怪物どもを退治して、ギリシャ隋一の英雄となり、末永く詩や物語で称えられるであろう。プロメテウスが予言した「神々の王ゼウスと人間の女との間に生まれる英雄」というのは、あなたの息子の事なのです。様々な苦難が彼を襲い、ヘラ女神の憎しみもつきまとうが、最後には神々の国に迎えられるだろう」。ヘラクレスはそれからすくすくと成長していった。ヘラクレスが自分の子ではないとわかっていたアンピトリオンではあったが、それでも一生懸命教育した。まだ少年のヘラクレスにかなう者など誰もいなかった。ヘラクレスが神の子である事は一目でわかった。他のどんな人間よりも背が高く、肩幅は広く、堂々としていて、目の輝きは火を吹くようにギラギラしていた。父親アンピトリオンは、子供の教育で評判の高かった「音楽家リノス(竪琴の名手オルフェウスの弟)」の所で、ヘラクレスに読み書きと竪琴の基本的な教育を受けさせる事にした。ある日、先生のリノスがヘラクレスの竪琴の弾き方を叱った時、ヘラクレスは先生を竪琴で殴って、死なせてしまった。
  (参考)
@ヘラ女神は手で払い除けた・・・この時、ヘラ女神の乳首からほとばしり出た乳が天に昇り「天の川」に、地に落ちた乳が白いユリの花になったといわれている。白いユリの意はヘラ女神の栄光。
A盲目の予言者テイレシアス・・・テーバイの予言者。大神ゼウスと妻ヘラが性交時の快楽について争ったとき判定に招かれ、男女の快楽は一対九で女が勝ると大神ゼウスの説に賛成したため、怒ったヘラ女神に盲目とされ、大神ゼウスはその代償として予言の力を与えたという。(小話414)「スフィンクスの謎を解いた王子・オイディプスと呪われた王家」の話・・・を参照。
Bプロメテウスが予言した・・・ティタン神族の一人。アトラスの兄弟。先に考える者の意。粘土から人間を創ったとされる。天上の火を人間のために盗み与えたことで、ゼウスの怒りをかい、カフカス山の岩に鎖で縛られ、鷲に肝臓をついばまれるという責め苦にあうがヘラクレスに救われる。
「天の川の起源(ヘラの乳を飲むとヘラクレス)」(ティントレット)の絵はこちらへ
「蛇を絞め殺す幼いヘラクレス」(レノルズ)の絵はこちらへ
「ヘビを絞め殺ヘラクレス」(不明)の絵はこちらへ蛇を絞め殺すヘラクレスと驚く母アルクメネと父アムピトリオン。そして鷲は大神ゼウス
「ヘラクレスと二匹の蛇の像」(ローマ・カピトリーノ美術館)の絵はこちらへ
          (五)
  父親アムピトリオンはそのような不幸が二度と起こらぬようにと、ヘラクレスをテーバイ国から遠ざけ、キタイロンの山中で家畜の番をさせながら育てた。ヘラクレスはキタイロンの山中に住んでいた、ケンタウロス族の賢者ケイロンに武術を師事して、剛勇無双となった。そんなある日、家畜の番をしていたヘラクレスの前に二人の美しい乙女が現われた。一人は名を「幸福」、もう一人は「悪・愚か(悪徳)」と呼ばれるものであった。二人はそれぞれ、ヘラクレスに誰に従うが良いかと誘惑してきたが、ヘラクレスは「徳」を選んだ。「僕はあなたの道を選びます。この先、どんなに苦しい事があろうと、途中で引き返したりはしないぞ!」「よくお選びになりました。では手始めに、あれをご覧下さい」。ヘラクレスが言われて見たものは、家畜たちを襲うライオンの姿であった。このキタイロンのライオン退治がヘラクレスの初仕事であった。十八歳の、すっかり逞しい若者に成長したヘラクレス、そして、力を持て余していた彼は、キタイロン山麓に出没して家畜を荒らしまわっていたライオンを退治することになった。ヘラクレスは50日間、毎日ライオン狩りに出かけては、ライオンを追いかけまわしていた。このときヘラクレスは、テスピアイの王テスピオスに招かれて、王の館に世話になり、毎晩、ライオン狩りから帰ると、王の娘と共寝した。ヘラクレスは自分の相手は同一の娘だと思っていたが、彼が寝ていたのは実は50人の異なる娘たちであった。ヘラクレスの孫を欲しがったテスピオス王が、自分の50人の娘たちを、代わる代わる彼のベッドに送り込んでいた。狩りから帰るとヘラクレスは、大酒を飲んで、娘の顔もろくに見ないで寝台に倒れ込み、王の娘たちと共寝した。その結果、テスピオス王には思惑どおり50人の孫が産まれた。やがてヘラクレスは、オリーブの木を根こそぎ引っこ抜いて棍棒を作り、これを武器にして50日目に到って、ようやくライオンを退治した。
(参考)
@ライオンを退治・・・ヘラクレスがライオンの毛皮を身に纏い、手には棍棒を携えるようになったが、その身に纏った毛皮は、このキタイロンのライオンのでなく、最初の難行(冒険)で退治したネメアのライオンの毛皮であるという。
A二人の美しい乙女・・・三人の美しい乙女が現われ、一人は名を「幸福」、一人は「徳」、もう一人は「悪・愚か」と呼ばれるものであったという説もある。又、「ヘラクレスの選択」といえば、敢えて苦難の道を歩んでいくことをいう。(小話617)「若き日の英雄ヘラクレスと二人の女神」の話・・・を参照。
「美徳と悪徳のあいだのヘラクレス」(ベナー)の絵はこちらへ
「岐路に立つヘラクレス」(カラッチ)の絵はこちらへ右手で高みを指差すのが「美徳」。本を広げるてる男性は知識の象徴。薄絹を纏った女性は「快楽」
「悪徳と美徳のはざまに立つヘラクレス」(バトーニ)の絵はこちらへ
          (六)
  キタイロン山のライオンを退治した帰途、ヘラクレスはボイオティア、オルコメノスの王エルギノスの使者たちに出会った。その頃テーバイ国は、敗戦の結果、年100頭の牡牛をエルギノス王に貢納していた。ヘラクレスは、ばったり出会った使者たちの耳と鼻をそぎ落として、それを首にぶら下げさせて追い返した。エルギノス王は大いに激怒して、テーバイ国に攻め寄せて来たが、アテナ女神から武具を得たヘラクレスはテーバイ軍を率いて迎え撃ち、勝利を収めた。だが、ヘラクレスの父親アムピトリオンはこのとき戦死した。その後、ヘラクレスは敵に攻められて苦戦していたテーバイ国王クレオンを助けて、その娘メガラと結婚した。そして二人の間には、三人の子供も生まれ、幸福に暮らしていた。ところが、ヘラ女神の呪いがヘラクレスを発狂させてしまい、戦争ごっこに夢中な三人の子供たちを見て、今度はミュケナイが敵として攻めて来たと妄想し、気が付くと子供たち全員を射(い)殺していた。絶望した妻メガラは子の後を追った。その時、あまりの惨状を見かねた女神アテナは、ヘラクレスの頭に石をぶつけて彼を正気に戻してやった。正気に戻った彼は、目の前の惨状に愕然とした。罪の意識に昼も夜も苛(さいな)まれたヘラクレスは、それまでにも自分でも突然わけがわからなくなって、殺人を犯したことがあったのを思い出した。こうした罪の穢(けが)れを清(きよ)めるために、デルポイに行きアポロンの神託を求めることにした。二度と帰らぬつもりでテーバイ国を後にしたヘラクレスは、デルポイの神託所で伺いをたてた。神託は「ヘラクレスよ、お前の名を世に残す時がついに来たのだ。ミュケナイ国王エウリュステウスの元に行って、奴隷として仕え、10(エウリュステウス王は2つの難行を数に数えなかったので、実際は12)の難行を果たすのだ」。ヘラクレスにとって代わり、ミュケナイ国王となっていた従兄弟のエウリュステウスは、ヘラクレスと反対に狡猾な臆病者であったが、ティンリスの地で、キュクロプス(一眼巨人)たちに作らせた素晴らしい城に住んで威張りくさっていた。ヘラクレスが来て、アポロンの神託を話した。臆病なエウリュステウス王は、ヘラクレスがあまりに強く、有名なので、彼を憎んでいたのと、血統から言えば自分よりもミケナイ王に相応しい血筋であることから、ヘラクレスが自分の王位を脅かす者であると感じた。そのため神託通りにエウリュステウス王はヘラクレスを奴隷にして、命の危険が伴う怪物退治から、果ては地獄の番犬ケルベロスを捕らえて来ることまで、次から次と難しい仕事をおしつけた。こうして彼が成し遂げたのが有名な12の難行(冒険)であった。
(参考)
@子供たち全員を射殺していた・・・ヘラクレスは我が子を炎に投げ込んで殺してしまい、これを悲しんだ妻メガラも自殺したという説もある。
Aデルポイに行きアポロンの神託・・・デルポイはギリシア本土、パルナッソス山のふもとにあった古代ギリシアの都市国家(ポリス)である。アポロン神殿を中心とする神域と、都市からなる。神託は、神がかりになったデルポイの巫女(みこ)によって、謎めいた詩の形で告げられる。
B12の難行(冒険)・・・この12の難行を遂行しる際には、ヘラ女神が度々横槍を入れるが、それとは裏腹に、ヘラクレスは難行を次々と達成し、名声を高めていく。ヘラクレスとは「ヘラの栄光」という意味もある。
(つづく)
 

(小話924)「菜の切れ端しと修行者」の話・・・
        (一)
中国は大唐の時代。綺羅(きら)星の如く、仏教界に天才、傑物が現われ、政事(まつりごと)や民衆の心の中に禅の精神が生き生きと働いていた頃であった。ある道場に一人の修行者が、入門しようとして長い参道を上っていた。この道場は巷間(ちまた)にも宗門にも名刹、古道場として名はを馳せていた。名師を求めて行脚(あんぎゃ)を続けていたこの僧は、道場の老師の妥協を許さぬ峻厳さに期待をしていた。長い階段の参道の脇には、境内を抜けた用水が、急峻な小川となって流れていた。清洌(せいれつ)で透明な水が里まで下(くだ)る。何気なく、その川面を眺めつつ、階段を上っていると、緑色の何物かがこの僧の眼に入った。凝視してそれを追うと、明らかに菜の切れ端しであった。道場の食事係の者が、菜を洗って調理するのであろう。その切れ端しが手を逃れて用水を経回(へめぐ)って、この小川を下ってきたのだ。瞬間、この僧、何を思ったのか、踵(きびす)を返して階段を下(くだ)り始めた。彼の顔に落胆の色が濃い。禿頭(とくとう)を左右に振る姿に侮蔑の風さえ漂った。
        (ニ)
しかし暫(しばら)く下ると、上方から誰かが駆け下りてきた。その雲水は、あっという間もなくこの僧を追い越し、かなり先まで、走り降りて行った。そうして、ある場所に降り立ち、川を跨(また)いで上方を見、水に手を入れて、何ものかを掬(すく)い上げた。彼の手の中には、あの菜の切れ端しが入っていた。それから、彼は何事もなかったかのように、階段を上り始めた。一部始終を見届けたこの僧、にっこりとほほえんで頷き、再び身を転じて、しっかりとした足取りでこの参道を上りだした。無論、その脇を件(くだん)の雲水、軽く会釈して通り過ぎ、駆け上っていった。一葉の菜に、修行の可否が分かれた。例え、菜半枚といえども、物の生命である。それを疎略、粗末に扱う道場に仏法はないと、見限ったこの修行僧、実に手厳しい批判者である。だが、そんなこととは露知らず、只(ただ)一心に菜葉を追い、それを拾い上げて帰る雲水が居て、批難は一転、賞讃に変わった。しかも、そこに一言の遣(や)り取りもなかった。


(小話923)「(ジャータカ物語)鳥の王と欲張りな雌(めす)の鳥」の話・・・
         (一)
昔むかしのこと。ペナレス(バラナシ=初説法の地)の都の近くに、大きな森があった。森の中ほどに泉があって、いつも清らかな水をたたえていた。森の動物たちは、皆、泉にやって来て水を飲んだり、水浴びをしたりした。岸辺には、一年中、草花が咲き乱れていた。ある時、この森に一羽の鳥が生まれた。幼いころから聰明で、鳥の仲間から慕われ、成鳥になるころにはいつしか鳥の王に選ばれていた。この王のもとで、鳥たちは何不自由なく平和に暮らしていた。しかし、生き物とは不思議なもので、不自由のない平和な暮らしは、やりきれない退屈さを呼ぶものらしい。鳥たちは、新しい世界、もっとおいしい食べ物、もっと美しい森を求めて旅をしたいと言い出した。鳥の王は仕方がなく、数千羽の鳥たちを引き連れ、旅立った。深々と雪をかぶったヒマラヤの近くまでやって来た時、鳥たちは口々に言った。「なんと美しい景色だろう」「あの白く輝く雪を一口でも食べることができたら、わたしたちの寿命は数倍延びるに違いない」「ふもとには町もある。きっと、人間たちの食べる珍しい食べ物にもありつけるだろう」。そこで、鳥たちはしばらくの間、羽を休めることにした。鳥たちは思い思いに、近くの山や森や川へ食べ物を探しに出かけた。群れの中に、一羽の欲張りな雌(めす)の鳥がいた。雌の鳥はただ一羽、人間たちの住む町の方へ出かけていった。町の中をあちこち飛び回っていると、ある広い道路の上に、米や豆や果物などのごちそうが落ちているのを見つけた。道路の上をひっきりなしに、象や馬や牛に引かせた荷車が走っていた。ごちそうは、どうやらその荷車が落としているらしかった。雌の鳥は目を輝かせ、ごちそうをついばんだ。おなかがいっぱいになると、雌の鳥は考えた。こんなにいいごちそうのありかを、仲間に知らせてやることはない。自分だけの秘密にすることにしよう。しかし、もし気づかれたら、「この場所は、恐ろしい象や馬に引かせた車が走っている。急に飛び上がることなど到底できるものではない。危険だからあそこへは近寄らないほうがいい」と言うことにしよう。
(参考)
@ペナレス・・・インド北東部、ガンジス川中流域の都市。ヒンズー教の聖地。バラナシ。
         (ニ)
雌(めす)の鳥は群れのいる方へ飛んでいった。夕方、あちこち飛び回っていた鳥たちが帰ってくると、みんなは今日の出来事を話し合った。珍しい食べ物、初めて見る草花や動物など、それぞれが自慢げに話した。雌の鳥も自分の番が回ってくると、あのごちそうの話をしないわけにはいかなくなった。話をした後、雌の鳥はつけ加えて言った。「でも、あそこへは決して行ってはいけない。あそこへ行くことは、自分の命を落としにいくようなものだ」みんなも雌の鳥の言葉に深くうなずいた。「そのとおりだ。いくらおいしいごちそうでも、命を落としてしまってはどうしようもない」。そして、いい警告をしてくれたというので、みんなは尊敬の気持ちを込めて、雌の鳥に警告者という名前をつけた。ところがその翌日のこと、雌の鳥が群れから離れ、町の道路へ出かけてごちそうをついばんでいると、勢いよく走ってきた荷車に、あっという間もなくひき殺されてしまった。目の前のおいしいごちそうに惑(まど)わされ、まだ大丈夫、まだ大丈夫と思っているうちに、飛び上がる機会を失ってしまったのだった。夕方、鳥の王は群れの数を調べてみると、どうしても一羽足りない。みんなで手分けして捜していると、町の道路で無残に死んでいる一羽の鳥を見つけた。鳥の王が近寄ってみると、夕べ、仲間から警告者と名前をつけられたばかりのあの雌の鳥だった。王は雌鳥(めすどり)を近くの森に運ぶと、手厚く葬り、群れに向かって言った。「雌の鳥は、ほかの鳥には禁じていながら、自分でそこへ出かけていって車にひき殺されてしまった。雌鳥(めすどり)は自分の欲に殺されたのだ」。
(参考)
@「海と雌鳥(めすどり)の話」
鳥の産卵の季節がやってきて、雌鳥が、波に卵がさらわれては大変だから、別の場所に行こうとしきりに言うのに、雄鳥(おすどり)は「海なんか何でもない。わたしの子を脅かそうなんてとんでもない。心配しないでここで子供を産みなさい」という。海が好奇心から、本当に卵をさらってみた。雄鳥は鳥の王たるカルダ鳥(インド神話上の巨鳥。ヴィシュヌ神の乗り物)に訴え、カルダ鳥は「神(ヴィシュヌ=インド神話でヒンズー教の最高神)の憩いの場であることに慢心した海が、わたしの家来の卵を奪って、わたしに侮辱を与えました」と訴え、神の威嚇で海は卵を返したという。
A「ジャータカ物語」(「本生譚(ほんしょうたん)」などと訳される釈迦(しゃか)が前世で修めた菩薩行を集めた説話)より。


(小話922)「仲人(なこうど)をした商人たち」の話・・・
       (一)
民話より。あるラビは家で少年を使っていた。外では雪が降っていて、ひどぐ寒い冬のある日、ラビは少年に言った「この家から出ていけ。もうおまえの顔は見たくもない」。少年は泣いて「こんなときにどこへ行ったらいいでしょう」と言った。いつもラビのそばにいる男たちも、少年のためにとりなした。しかしラビは、頑(がん)として聞かなかった。「私の家から、この町から出ていくのだ。ここはおまえのいるところではない。おまえのすることが私の気に入らない以上、ここにいてもむだだ」。そうなっては、少年は師の家を出ていくよりしかたがなかった。日の暮れるころ、ある旅籠についた。女将(おかみ)に一晩だけ泊めてください、あすの朝は出ていきますから、と頼んだ。女将はかわいそうに思って、中に入れた。少年は暖炉の上にあがってすぐに眠りこんだ。
(参考)
@ラビ・・・ユダヤ教の聖職者。律法に精通した霊的指導者の称。歴史的に、すぐれた学者も多い。
       (ニ)
その夜、この村に何人かの商人がきて、同じ旅籠に投宿した。彼らは女将(おかみ)をたたき起こして、食事の用意をさせ、大いに飲んで、陽気になった。みんな金持で、お金をたくさんもっていた。陽気になると立ち上がつて、なにかおもしろいものはないかと、旅籠の中を隅から隅まで探した。彼らは暖炉の上に少年が寝ているのを見つけると、たたき起こして、いっしょに食事をさせた。旅籠の女将は、めずらしく客があったことを喜んだ。それから客たちは、息子さんか娘さんはいないのか、と女将に聞いた。女将は、娘が一人おります、と答えて、みんなに紹介した。すると商人たちは、少年を指さして、この若者を婿にする気はないか、もしよけれぱ、すぐに式を挙げることにしよう、と娘に聞いた。娘はなんのことか分からなかったが、母親は、客がすこしでも長く泊まってくれたらと思って、ほんの冗談だから式を挙げることにしたらどうか、と娘に勧めた。こうして、商人たちの思いどおりになった。式は本式に挙げられ、ラビに仕えていた少年は律法と慣習に従って娘を祝福した。もちろん女将はみな冗談だと思っていた。それが終わると、商人たちはすべての費用を払って、遠い目的地に向けて出立した。
       (三)
それから数時間すると、主人が旅から戻ってきた。女将(おかみ)はいそいで、貧しい少年を泊めてやったこと、おかしな客がたくさん泊まったこと、みんなふざけて娘と少年の結婚式を挙げたことを報告した。それを聞くと、主人はかんかんに怒った。冗談にしろ、式は式で、のっぴきならないことになりはしないかと、心配した。彼は少年を呼んで、どこから来たのか、何をしているのか、なぜここに来たのか、と聞いた。少年は近隣のラビとのこと、忠実に仕えていたつもりなのに、追いだされたことを話した。あくる朝、旅籠の主人は馬車の用意をして、少年をつれてラビの住む町に出かけた。二人が家の敷居(しきい)をまたぐやいなや、おめでとう、おめでとう、と言いながらラビが出てきた、そして話した「私は、あなたの娘がこの若者の嫁になることは、生まれたときから決まっていることを、知っていた。しかし、それがどんなふうに実現するものが、分からなかった。あなたは気位の高い男だから、娘をそう簡単にこの貧乏な男に与えるとは思わなかったからだ。そこで私はこの若者を外にだした、そして事はうまく運んだ、この男はいまはあなたの婿だ。あなたは悲しむことはすこしもない、主(しゅ)がそうお定めになったことだし、そのみ心に逆らうことのできる者は、だれもいないのだ。ここまで言えば、結婚の式をあげてくれたあの商人がだれだったか、あなたにもよく分かることだろう」。



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