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(小話782)「二羽の雁(がん)と蛙(かえる)」の話・・・
      (一)
民話より。昔、二羽の雁(がん)と蛙(かえる)が湖のそばで仲良く暮らしていた。ところが湖の水がだんだん干上がってきたので、雁は何処か水のある処に飛んで行きたいと思った。だが、蛙は空を飛べないから其処(そこ)に残らなければならない。雁と蛙は「どうしよう」と相談した。蛙が「いいことがある、お前さんたち二羽で一本の棒の両端をくわえ、俺が棒の真ん中をくわえて一緒に飛び、水のある処(ところ)を探すことにしよう」と言った。雁も「それはいい考えだ」と賛成したので、二羽の雁と蛙はすぐそうして空に飛び上がった。
      (二)
人がこれを見て「あっ、雁が蛙を連れて飛んで行く。うまく考えたなあ」と感心した。これを聞いた蛙は「本当は俺が考えたのだ」と心で思っていた。またしばらく行くと、大勢の人が集まって来て空を見上げ「あっ、雁が蛙を連れて飛んで行く、うまく考えたなあ」と言った。蛙はまたそれを聞くと、もう少しで「これは俺が考えたのだ」と言いそうになった。またしばらく行くと、さっきより、もっと、もっと大勢の人が空を見上げて一斉に「あっ、雁が蛙を連れて飛んで行く、うまく考えたなあ」とはやしたてた。蛙はそれを聞くと、もう我慢できず大声で「本当はこの俺が考えたんだぁ」と叫んでしまった。そのとたん、蛙はくわえていた棒から地面に落ちて死んでしまった。


(小話781)「イソップ寓話集20/20(その22)」の話・・・
      (一)「漁師と小魚」
ある漁師が海で網を投じていたのだが、一日かかって捕まえたのは、小魚一匹だけだった。小魚は、身体をぴちぴち震わせながら、悲鳴を上げてこう言った。「漁師さん。私はまだほんの小魚です。どうか海に帰して下さい。あなたの食材として見合うだけの大きさになったら、その時、改めて捕まえて下さい」。すると、漁夫はこう答えた。「あやふやな希望を当てにして、手の中にある確実な利益を放り出すとするならば、私は、とんでもない間抜けだろうよ」
      (二)「イノシシとキツネ」
あるイノシシが、木の幹で牙を研(と)いでいた。そこへキツネが通りかかり「猟師や猟犬がいるわけでもないのに、なぜ、牙を研いだりしているのか?」と、訊ねた。すると、イノシシはこんな風に答えた。「用心のためだよ。だって、いざ、この武器を使う段になってから、研ごうとしても手遅れだからね」
      (三)「農場にいるライオン」
ライオンが、農場に入り込んだので、農夫は、そいつを捕まえようと門を閉ざした。ライオンは、逃げられないと分かると、ヒツジたちに跳びかかり、そして、牡ウシたちにも襲いかかった。農夫は、このままでは自分もやられてしまうと思い、扉を開いた。ライオンが出て行くと、農夫は、ヒツジや牡ウシの無惨な死体を見て、嘆き悲しんだ。すると、一部始終を見ていた妻がこう言った。「こうなったのも当然よ。だって、うなり声を聞いただけで、震え出すあなたがよ。よりによって自分の農場に、ライオンを閉じこめようなんて、よくそんなこと思いついたものね。呆(あき)れて物が言えないわ」


(小話780)「熊の母」の話・・・
      (一)
東晋(とうしん)の升平(しょうへい)年間に、ある人が山奥へ虎を射に行くと、あやまって一つの穴に堕(お)ちた。穴の底は非常に深く、内には数頭の仔熊(こぐま)が遊んでいた。さては熊の穴へはいったかと思ったが、穴が深いので出ることが出来ない。そのうちに一頭の大きい熊が外から戻って来たので、しょせん助からないと覚悟していると、熊はしまってある果物(くだもの)を取り出してまず仔熊にあたえた。それから又、一人分の果物を出して彼の前に置いた。彼はひどく腹が空いているので、怖ろしいのも忘れてそれを食った。
      (二)
熊は別に害を加えようとする様子もないので、彼もだんだんに安心して来た。熊は仔熊の母であることも判った。親熊は毎日外へ出ると、かならず果物を拾って帰って、仔熊にもあたえ、彼にも分けてくれた。それで彼は幸いに餓死をまぬかれていたが、日数を経るうちに仔熊もおいおい生長したので、親熊は一々にそれを背負って穴の外へ運び出した。自分ひとりが取り残されたら、いよいよ餓死することと観念していると、仔熊を残らず運び終った後に、親熊はまた引っ返して来て、人の前に坐った。彼はその意を覚って、その足に抱きつくと、熊は彼をかかえたままで穴の外へ跳り出した。こうして、彼は無事に生き還ったのである。
(参考)
岡本綺堂の「捜神記」より。


(小話779)「新婦騎驢阿家牽(しんぷきろあこひく)」の話・・・
          (一)
ある禅僧の話より。「新婦騎驢阿家牽(しんぷきろあこひく)」(新婦、驢(ろ)に騎(の)れば阿家(あこ)牽(ひ)く)という言葉は、若嫁が驢馬(ろば)に乗っていけば姑(しゅうとめ)がその手綱を引いて行く、という意味で、あべこべだと言うことである。本来なら姑さんが驢馬に乗り、若嫁が手綱を引いて行かねばならない。それが道徳的な常識の世界である。だが今の世は、この道徳的な世界さへも忘れ去られたいる。
          (二)
ある時、修行僧が首山(しゅざん)和尚に尋ねた「一体どういうものが仏というのですか?」と。修行僧といえども禅宗のお坊さんの質問は怖い。うっかり「あー、それは本堂の本尊さんじゃよ」とでも答えようものなら、住職は失格である。修行僧が質問しているのはそういう上っ面の問題ではない。焼けば焼けるような、叩けば毀(つぶ)れるような人間が作った仏さんとは違う。煮ても、焼いても、け飛ばしても、びくともしない、永遠不滅の仏さんはどういうものですか? と質問しているのである。修行僧にたいして首山和尚は「新婦、驢に騎れば阿家牽く」と見事な答えを示した。あべこべだ、その中にこそ永遠不滅の真理がある、と首山和尚は答えた。又、首山和尚の「喚作竹箆即触不喚作竹箆即背」という言葉がある。竹を削るとは、刃が当たるときを人は削っていると見るのだが、竹に刃を当てるだけでは削れないのだから、当てた刃が離れることもまた削っているのである。二にして一、紙の裏表のようなものである。


(小話778)「五十人の美しい王女たち(ダナイデス)に求婚した五十人の王子たち」の話・・・
         (一)
ギリシャ神話より。エジブト王ベロス(ベーロス)には、ダナオスとアイギュプトスの双子が生まれた。ダナオスは父ベロスの命でリビアに住み、多くの妻から五十人の娘をもうけた。一方、アイギュプトスも父ベーロスの意によりアラビアに住んで、多くの妻より五十人の息子をもうけた。やがて、アイギュプトス王は独自に領地を拡大し始め、領土の利権を獲得するために、彼はリビアの兄、ダナオス王の五十人の娘を自分の息子達と結婚するように要求した。ダナオス王の五十人の王女たち(ダナイデスという)は、叔父アイギュプトスの王子たちの求婚を嫌い、又、父親たちの間で行なわれているエジプトの王座争いを憂いていた。その結果、ダナオス王はリビアの地を立退(たちの)く決意をし、アテナ女神に教えられて作った船に五十人の娘を載せ、アルゴスの国に亡命した。そして、アルゴスの王ゲラノルの譲位を受けて主権を握り、その土地の住民を自分の名によりダナオイと呼ぶことにした。もともとアルゴス地方は乾燥した地域として、昔から知られていた。これは神々の間の領地争いで、神々の女王へラと海王ポセイドンの二神がアルゴスの支配権を争ったとき、アルゴス最初の王イナコスがへラ女神の味方をしたため、海王ポセイドンが怒って自分の管轄する泉や川の水を干上がらせたためという。そのためダナオス王の五十人の王女たちは、いつも泉へ水を汲みにやらされていた。
(参考)
@エジブト王ベロス(ベーロス)・・・海王ポセイドンとリビュエ(エジプト王と結婚したイオの息子エパポスの娘)の間には二人の息子アゲノル(カドモスの父)とベロスが生まれ、ベロスがエジブトの王位を継いでいた。
Aダナオスの王女たちはいつも泉・・・ダナオスの娘の一人であるアミュモネが、水汲みの最中に1頭の鹿を見つけて槍を投げた。すると眠っていた野蛮な山野の精サテュロスにあたり、半人半獣のサテュロスはアミュモネに欲情して襲い掛かった。そこへ助けにきたのが海王ポセイドンで、その時、海王ポセイドンが三叉の戟(げき)で大地を打ったところから泉が湧き出したので、その泉に「アミュモネの泉」という名前が付けられた。それから人々は、そのアミュモネの泉を飲み水としていたが、いつしか現れた毒を吐く怪獣ヒュドラー(沼沢地「レルネーの泉」に棲みついていた)のために「アミュモネの泉」は毒水になってしまった。
         (二)
一方、アイギュプトス王の五十人の王子たちは、なおも執拗に従妹たちへの思慕を忘れず、アルゴスの国に出かけてきて、水を汲んでいる乙女たちに強引に求婚した。ダナオス王は、国外に追放された恨みを忘れることが出来ず、一応、彼らの申し出を容れることとし、ひそかに娘たちに短剣を一振(ひとふり)ずつ与えた。そして、真夜中の、夫が寝しずまった隙をはかって、刺し殺すようにと策を授けた。こうして形ばかりの結婚の祝宴のあとで、満足したアイギュプトス王の五十人の王子たちは、それぞれ引き当てた花嫁を獲(え)たが、眠りの間に自分の生命を失うことになった。ただ一人、リュンケウスだけは(割り当てられた花嫁ヒュペルムネストラに新婚の床を強要しなかった優しい心柄のためといわれる)助けられた。それを知った父のダナオス王と他の王女たち(ダナイデス)は、ヒュペルムネストラが約束に背いたことと嫉妬心から、大いに憤って彼女を幽閉し、厳重な見張りを付けた。四十九人のダナオス王の王女たちは、花婿たちの葬儀を営み、その首をレルネーの沼地に埋めた。しかし、彼女たち(ダナイデス)は、新婚初夜に夫を殺した罪で、冥界で底の抜けた壺で泉の水を汲み続けるという永遠の罰を受けることになった。アテナ女神とヘルメス神がダナオスの娘たちに同情して、娘たちを泉で清めてやろうとしたが、冥府の裁判官がこれを許さなかったという。ダナオス王の長女ヒュベルムネストラは、後に赦(ゆる)されてリュンケウスと夫婦になり、父の後を継いでアルゴスの王位に即いた。その子がアバス(エウポイア島のアバンテス族の名祖)である。
(参考)
@リュンケウス・・・リュンケウスとヒュペルムネストラの間にアパスが生まれ、彼にはアクリシオスとプロイトスという双子を得た。彼らは当初、争っていたが、後に仲直りし、アクリシオスがアルゴスの主になった。彼は男の子が欲しいと思っていたが一女ダナエが生まれ、娘の子に殺されるとの神託を得た。彼はこれを恐れ、ダナエを青銅の部屋に閉じ込めたが、大神ゼウスはそこへ侵入し彼女と交わった。そして、英雄ペルセウスが生まれた。(小話457)「英雄・ペルセウスの冒険(メドゥーサ退治と美女アンドロメダとの結婚)」の話・・・を参照。
Aその首をレルネーの沼地・・・後に、夫の首を埋めたレルネーの沼地より五十の頭を持つ魔物ヒュドラーが生れたという説もある。
「ダイナスの女たち」(ウォーターハウス)の絵はこちらへ
「ダナイデス」(ウォーターハウス)の絵はこちらへ


(小話777)「イソップ寓話集20/20(その22)」の話・・・
       (一)「年老いた猟犬」
若い時分には、森のどんな動物にも決して遅れをとらなかった猟犬が、年老いてから狩りに引っ張り出された。彼はイノシシと出くわすと、ガブリと耳に噛みついた。しかし、歯が弱っていたので、獲物を逃してしまった。彼の主人が後からやって来て、事の顛末(てんまつ)を知ると、落胆して大層、彼を叱った。するとイヌは、主人を見上げてこう言った。「ご主人様、私は、これまでと同じように一生懸命やったのです。しかし、寄る年波に抗(あらが)う術(すべ)はありません。ですから、今の私を叱るよりも、かつての私を褒めるべきなのです」
       (二)「鍛冶屋と彼のイヌ」
ある鍛冶屋が小イヌを飼っていた。彼はその小イヌを大変可愛がり、いつもそばにおいていた。小イヌは、主人が仕事をしている間は寝ているが、主人が、食事を始めると目を覚まし、お相伴(しょうばん)に預かろうと尻尾を振る。ある日の事、鍛冶屋は怒ったふりをして、小イヌにステッキを振り上げながらこう言った。「こら、この怠け者のチビ助め! おまえときたら、儂(わし)が金床にハンマーを振り下ろしている間は、寝ておるくせに、儂が、食事を始めると、目を覚まし、餌をくれよとせがみよる。よいか、働かずしては、何も得られぬのじゃぞ。働かざる者、食うべからずという諺を知らぬのか」
       (三)「ロバと飼い主」
薬売りに飼われていたロバは、ほんの少しの食料で、大変こき使われていたので、今の仕事から解放され別な主人に仕えたいと、ジュピター神にお願いした。ジュピター神は、ロバに、後で悔やむなよ。と警告して、ロバが煉瓦職人のところへ売られて行くように、取りはからってやった。するとすぐに、ロバは、そこでの仕事が以前よりも、重労働であることを思い知らされた。そこでロバは、もう一度、ジュピター神に主人を変えてくれるようにとお願いした。ジュピター神は、これが最後だと言って、ロバが革屋の所へ売られて行くようにしてやった。ロバは、主人の職業を知ってこんな風に嘆いた。「前の主人に仕えて、ひもじい思いや、重労働をしていた方が、まだましだった。今度のご主人は、おいらが死んだ後にも、皮をはいで、こき使うつもりなんだから」
(参考)
@ジュピター神・・・ローマ神話で、最高神ユピテルの英語名。ギリシア神話の最高神ゼウスのこと。天候・社会秩序をつかさどる。父神クロノスを王座から追放し、3代目の支配者となった。


(小話776)「一人の金持ちと貧しいラザロ」の話・・・
       (一)
ある牧師の話より。聖書においては詳しく、死後や死後の霊界での具体的な生活などは述べていません。しかし、部分的に聖書では、死後について述べられています。「ある金持ちがいた。彼は紫の衣(ころも)や細布(ほそぬの)を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持ちの玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。この貧しい人がついに死に、御使いたちにつれられてアブラハムのふところに送られた。金持ちも死んで葬られた。そして黄泉に着いて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。そこで声をあげて言った「父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火災の中で苦しみもだえています」。アブラハムが言った、「子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪い物を受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない」。そこで金持が言った「父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです」。アブラハムは言った、「彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう」。金持ちが言った「いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう」。アブラハムは言った「もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう」」(ルカによる福音書16:19-31)
(参考)
@アブラハム・・・アブラハム(多くの人々の父の意)は旧約聖書に記されるイスラエルの民の祖。コーランでは、アラブ族の祖。
Aラザロ・・・新約聖書ルカ福音書中のイエスのたとえ話に出てくる貧者の名。金持ちとは対照的に、死後、天国に迎えられたという。
       (二)
ここではラザロと金持ちの死後が描写されています。ここで注目してみたい所は、金持ちの性質であり、彼は生前も死後も反省せず、全く性格が変わっていないという点です。ここから導かれることは生前の性質がそのまま死後に持ち越されると言うことです。つまり、死んでも何も個性が変わらないと言うことがわかるのです。もちろん、この聖書の箇所はたとえですので、死後そのものを映し出そうとする意図はないので、この箇所を根拠として述べることは誤りと言えるかもしれません。


(小話775)「六祖慧能(ろくそえのう)と「應無所住而生其心(おうむしょうじゅうにしょうごしん)」の話・・・
        (一)
昔、中国の禅僧で六祖、慧能(えのう)という人がいて、この人はずっとボウボウの頭だったが、その慧能禅師はお坊さんになる前、字が読めなかったし、書けなかった。でも、ある時、街を歩いていて、金剛経(こんごうきょう)というお経を誰かが読んでいて「應無所住而生其心(おうむしょうじゅうにしょうごしん)」(何も執着する所がないことこそ、その心が生じる)というところを聞いて、悟りを開いという。その意味は「まさに住する所なくして、その心を生ずべし」と云って、どんな事にも心を執着させることなく、自由に心を使いなさいということで、良いことでも、捉(とら)われて目くじらたてたら、回りが見えんようになって、心が不自由になる」である。
(参考)
@六祖、慧能(えのう)・・・中国、唐代の僧。禅宗の第六祖。神秀(じんしゅう)の北宗(ほくしゅう)禅に対し南宗(なんしゅう)禅の開祖となった。
        (二)
金剛般若経の「應無処住而生其心(おうむしょうじゅうにしょうごしん)」とは、こころは生じる場所がないのに、生じている」といっていて、「まさに住する処無くして、その心を生ずべし」と読み「無執着の心を起すべきである」といい「形・声・香り・味・感触など全ての心の対象に執着を起こしてはならない」という意味である。片腕を切り落としてまでその菩提心の強さを達磨大師にわかってもらった二祖、慧可(えか)は、達磨に「自分の心を安心させて下さい」と懇願した。すると達磨は「心を安心させてやるから、ここへ持って来い」と言った。しかし慧可は「ついに心を見つけることができませんでした」と言うしかなかった。
(参考)
@二祖、慧可(えか)中国、南北朝時代の禅僧。初祖の菩提達磨(ぼだいだるま)に師事。禅宗の第二祖とされる。
A片腕を切り落として・・・(小話189)「達磨安心」の話・・・を参照。


(小話774)「髑髏軍(どくろぐん)」の話・・・
        (一)
西晋(せいしん)の永嘉(えいか)五年、張栄(ちょうえい)が高平(こうへい)の巡邏主(じゅんらしゅ=見回って警戒すること役)となっていた時に、曹嶷(そうぎ)という賊が乱を起して、近所の地方をあらし廻るので、張(ちょう)は各村の住民に命じて、一種の自警団を組織し、各所に堡塁(ほうるい)を築いてみずから守らせた。ある夜のことである。山の上に火が起って、烟(けむ)りや火焔(ほのお)が高く舞いあがり、人馬の物音や甲冑(かっちゅう)のひびきが物(もの)騒がしくきこえたので、さては賊軍が押し寄せて来たに相違ないと、いずれも俄(にわ)かに用心した。張(ちょう)はかれらを迎え撃つために、軍士を率いて駈けむかうと、山のあたりに人影はみえず、ただ無数の火の粉が飛んで来て、人の鎧や馬のたてがみに燃えつくので、皆おどろいて逃げ戻った。あくる朝、再び山へ登ってみると、どこにも火を焚(た)いたらしい跡はなく、ただ百人あまりの枯れた髑髏(どくろ)がそこらに散乱しているのみであった。
(参考)
岡本綺堂の「捜神記」より。


(小話773)「美しい妖精ガラティア(ガラテア)とキュクロプス(額に目が一つある巨人族)のポリュペモス」の話・・・
         (一)
ギリシャ神話より。「海の老人」と呼ばれる海神ネレウスは変身と予言の力を持ち、オケアノス神とテテュス女神の娘ドリスとの間に五十人の美しい女神ネレイスたちをもうけ、海底の洞窟で暮らしていた。海の女神ネレイスたちは、いずれもその美貌を謳(うた)われた。中でも一際(ひときわ)抜きん出た美女と讃(たた)えられたのがアンピトリテ(海王ポセイドンの妻)、テティス(人間の勇士ペレウスと結婚し、英雄アキレウスを生んだ)、そしてガラティア(ガラテア)の三人であった。波の白泡のごときミルク色の肌を持つガラティアは、多くの男を魅了したが、彼女の心を見事に射止めたのはアキスという若者ただ一人であった。アキスは牧神パンの息子で、シチリアの美しい羊飼いの少年であった。すっかりお互いに夢中の二人は、エトナの山裾(やますそ)で毎日、身を寄せ合い、甘い睦言を飽きることなく囁き合っては幸せな時を過ごしていた。しかし、ある時、美しいガラティアに横恋慕した男が現われた。その男は、キュクロプス族の一つ眼の巨人、ポリュペモスであった。だがポリュペモスは、海王ポセイドンの息子である高貴な神の血を享(う)けているとは思えない野蛮で凶暴な男であった。額に大きな一つ目をぎょろつかせ、ごわついた髭やムダ毛を身体中にもさもさと生やした姿は野獣そのものであった。このポリュペモスが、海界屈指の美女と出会うと熱狂的な恋に陥った。ポリュペモスは昼も夜もガラティアを想って身悶えし、仕事も何もかもうっちゃって浜辺で一人、切ない唸り声を上げていた。本当ならばガラティアを追い求めて、海へ泳ぎ出したいところなのに、彼は根っから海は苦手で、ガラティアの方から陸へ上がってきてくれなければ会うことも出来なかった。しかしガラティアは、ポリュペモスがいくら優しく呼びかけても、彼の恐ろしい姿を見るなり飛んで逃げていく始末であった。こうした中、恋はますますポリュペモスを駆り立て、遂には葦笛(あしぶえ)を手にして海に向かい愛の歌を歌いだした。
(参考)
@オケアノス神とテテュス女神・・・大洋を支配する夫婦神。オケアノス神は海神で、大地の果てにある世界を取り巻く川であり、海も川の泉も、その川、海神オケアノスから流れたものであるという。子供は全世界の河神たち3000人、水の女神オケアニスたち3000人ともいわれる。
Aキュクロプス族・・・一つ眼の巨人で、卓越した鍛冶技術を持つ。キュクロプスとは「丸い目」の意味で、額の真ん中に丸い目が一つだけ付いている事に由来する。
「アキスとガラテアのいる風景」(ロラン)の絵はこちらへ
「キュクロプス(ポリュフェモスとガラテア)」(ルドン)の絵はこちらへ
         (二)
「ああ、麗(うるわ)しき海の妖精ガラティア(ガラテア)……雪より白く、しなやかな樹よりもすっくりと立ち、花よりもかぐわしく、水晶よりも輝かしく、子どもらよりもあどけなく、海辺の波に洗われた真珠色の貝殻よりもなめらかな、俺のいとしいガラティア。冬の日だまりよりも暖かで、夏の木陰よりも涼(すず)やかで、高きこずえの林檎(りんご)の実よりも高らかで、すっかり熟した葡萄の実よりも甘やかで、晴れた空よりいっそう明るく、透明な氷よりも澄みわたり、白鳥の羽根よりも、生クリームよりも柔らかな、俺のいとしいガラティア。ああ、あんたは、俺を愛してくれるだろうか、清らかな小川の流れる緑の野よりも美しき、俺のいとしいガラティア」「ああ、あんたは、俺を悩ませる。野生の獣(けもの)よりも容赦なく、古い樫の木よりも堅く、海の波のように気まぐれで、折れない柳、丈夫なぶどうのつるよりかたくなで、うずまく急流よりも激しくこばみ、とがった岩よりも鋭く拒絶し、孔雀(くじゃく)よりも高慢で、焼き尽くす火よりも残酷な、俺のいとしいガラティア。棘(いばら)よりもとげとげしく、海よりも冷たく、仔熊を守る母熊よりも恐ろしく、蛇よりも冷血な、俺のいとしいガラティア。猟犬から逃げる鹿よりすばやく、俺から逃げてしまうのだ。俺を見るや、風より速く走り去る。ほかは何でも我慢(がまん)するけど、見るだけで逃げるだなんて、つらすぎる。ああ、俺のこころをあんたに見せたい、この気持ちが伝わりさえすれば、あんたは逃げたりしなかろうに」(オウィディウスの「変身物語」より)。
         (三)
こうして悲しげに歌い終わると、巨人の怪物ポリュペモスは立ち上がり「こんちくしょう」とつぶやくと、めくらめっぽう歩き始めた、いても立ってもいられないというふうであった。岩影では、美しいガラティアが若い少年アキスの胸にもたれて、ポリュペモスの姿をそっと見ていた。だが、運命のいたずらで、巨人は二人の姿を見つけた。怪物ポリュペモスは、憎い恋敵がガラティアと一緒にいるところを見ると嫉妬に狂って怒鳴(どな)った「そうかい、そうかい、分かったよ。だが、これでおしまいだ」。怪物ポリュペモスの恐ろしく大きな声がエトナの山にこだました。あまりの怖さにガラティアは動転した。そして、思わず海に飛び込んだ。取り残されたアキスは、海神ではないため彼女の後に続くこともできず叫んだ「待って、ガラテア。ああ神よ。ぼくを助けて。怪物に殺されてもいい、だけど最期の一瞬までずっとそばにいたいんです、死ぬのなら、彼女のそばで死なせてください」 。怪物ポリュペモスは、怒り狂って岩を引き裂き、もぎ取って投げつけた。ガラティアが急いでアキスを助けようとしたが、そのときにはもう、美しい少年は土砂と岩の下敷きとなって息絶えていた。恋人を見捨てて逃げた形になってしまったガラティアの悲嘆しながらポリュペモスが去った後、すぐさまアキスを押し潰した岩塊の側に駆け寄った。ガラティアは、岩の下から流れ出る赤い血を見ると涙ながらに神々に祈った「天の神々よ、今ここに息絶えたシュマイトス河神の孫アキスを、どうか祖父と同じ河の神にしてください。私のために失われてしまった生命を、どうかもう一度、息づかせてください」。ガラティアの願いは聞き届けられ、地面に流れていた赤い血が次第に澄んだ水に変わりはじめた。それに気付いたガラティアが岩に触れると勢いよく水が迸(ほとばし)りはじめ、見る見るうちに永遠に流れる一筋の川となった。シチリアのアキス川は、ガラティアが愛した少年の生まれ変わった姿であり、アキス川のせせらぎは、二人の永遠の愛を奏でているという。
(参考)
@怪物ポリュペモス・・・後にポリュペモスはオデュッセウスに目をつぶされてしまう。
Aアキス川・・・アキス川の河辺に立っていたガラティアは次第に「葦(あし=よし)」になったという説もある。
Bガラティア(ガラテア)・・・ガラテアというと、妖精ガラテアと彫刻の名人ピグマリオンの創り上げたガラテアがいる。(小話771)「美と愛の女神アフロディーテと彫刻の名人ピグマリオン(ピュグマリオン)。そして、ガラティア(ガラテア)の誕生」の話・・・を参照。
「ガラティア(ガラテア)」(モロー)の絵はこちらへ
「ガラティア(ガラテア)」(モロー)の絵はこちらへ
「ガラティア(ガラテア)」(モロー)の絵はこちらへ
「アキスとガラテイア」(プッサン)の絵はこちらへ美しい海の女神ガラテイアへの恋に身を灼く一眼巨人のポリュペモスは今日も海に向かって葦笛を奏でる。彼の想い人であるガラテイア本人も、すぐ側の岩陰で恋人アキスと熱い抱擁を交わしている真っ最中。その後ろでは2人の小天使が真紅の帳を掲げ、睦み合う恋人たちの姿がポリュペモスに見つからぬよう隠している。
「ガラテアの凱旋」(ラファエロ) の絵はこちらへポリュペモスは、左側に描かれている
「ガラテアの勝利」(ロー)の絵はこちらへポリュペモスが、樹木の上で葦笛を吹いている


(小話772)「イソップ寓話集20/20(その21)」の話・・・
         (一)「オオカミとヒツジ飼いたち」
ヒツジ飼いたちが詰め所で、ヒツジの肉を食べていた。するとそこにオオカミが通りかかった。オオカミは彼らを見てこう言った。「俺がそんな真似をしたら、あんたらは、もう、大変な騒ぎをするだろうにね」
         (二)「イルカとクジラと小魚」
イルカとクジラが、激しい戦争を繰り広げていた。戦いが佳境に入った時、一匹の小魚が波間から頭を出して、「吾が輩が調停役を引き受ける」と、言い出した。すると、一匹のイルカが言った。「君に干渉されるくらいなら、戦って死んだ方がましだ」
         (三)「年老いたライオン」
老いさばらえて、病気になりすっかり力を失ったライオンが、今にも死にそうになって、地面にうずくまっていた。すると、一匹のイノシシがライオンに突進し、牙で突き、積年の恨みを晴らした。それからすぐに、牡ウシがやってきて、角(つの)でライオンを突いた。それを見ていたロバは、ライオンがなんの反撃もできないのを見て取ると、蹄(ひづめ)でライオンの額(ひたい)を蹴飛ばした。ライオンは、死に際にこう言った。「力のある者からの辱(はずかし)めは、なんとか堪えることができた。しかし、汝のような者から辱められるとは、不名誉の極(きわ)み、これほどの苦しみはない」


(小話771)「美と愛の女神アフロディーテと彫刻の名人ピグマリオン(ピュグマリオン)。そして、ガラティア(ガラテア)の誕生」の話・・・
           (一)
ギリシャ神話より(その1)。ギリシャはキュプロスの島に、天才的な技量で評判の高い彫刻家が住んでいた。その名はピグマリオン(ピュグマリオン)といい、彼の技量についての評判は人間界だけでなく、とうとう神々が住むオリュンポスにまで届くようになった。ある日、いつものように仕事に励むピグマリオンの工房(仕事場)に一人の美しい女性が訪ねてきた。彼女は仕事中のピグマリオンに、是非、自分をモデルにして彫像をひとつ作ってほしいと言った。ピグマリオンに仕事を依頼しに来たのは、愛と美の女神アフロディーテだった。彫刻家は驚いたが、最初の衝撃が去ると、アフロディーテ女神の依頼に応えることを告げた。そして、早速、女神から受けた依頼にとりかかった。彫像のモデルを務(つと)めたアフロディーテ女神から美の霊感を受けたピグマリオンは、やがて、アフロディーテ女神の見守る中で、モデルのアフロディーテ女神も、彫像を作ったピグマリオン本人も感嘆するほどに素晴らしい乙女の彫像を作り上げた。アフロディーテ女神は満足してオリュンポスの山に帰っていった。その後、見事な乙女の彫像はピグマリオンの心をすっかりとらえて離さなくなってしまった。天才的な彫刻家と謳(うた)われ、自らの仕事に誇りをもって取り組んでいたピグマリオンは、いつしか仕事も上(うわ)の空になり、暇さえあれば、美しい乙女の彫像のもとに行くようになった。だが、人間が彫像にいくら心をよせたとしても、相手が応えてくれるはずもなかった。ピグマリオンもそのことは充分に承知していたが、彼の恋心は、彼の力では消すこともできなかった。その後もピグマリオンは仕事どころか、眠ることも食べることも忘れて彫像の乙女に心を寄せ続けていた。このままでは彼の彫刻家としての評判どころか、生命さえも危(あや)ぶなくなった。そのうちにアフロディーテ女神の祭りの日が近付いてきた。キュプロスの島で盛大に祝う祭りであった。アフロディーテ女神に生贄(いけにえ)が捧げられ、祭壇には香が焚(た)かれ、その香の匂いがあたり一面に広がった。ピグマリオンは祭礼での自分の務めを果たし終えると、祭壇の前に立って言った「神々さま、あなたがたがどんなことでも叶えて下さいますなら、どうかお願いです、私にお授け下さい、私の妻として、私の象牙(ぞうげ)の乙女に似た女性を」と。やがて、ピグマリオンが家に帰ると、あの日のように、女神アフロディーテがピグマリオンの前に立っていた。アフロディーテ女神は、叶わぬ恋にすっかりやつれ果ててしまったピグマリオンに、人間の娘にするのと同じように彫像の手をとるように言った。ピグマリオンが乙女の彫像の手をとると、その手は人間の娘のような感触を持ち、大理石の肌は人間の乙女のしなやかな肌に変わった。ピグマリオンがとった手から流れ込んだ生命は、やがて乙女の全身をめぐり、唇は薔薇色に、頬にも赤みがさしてきた。アフロディーテ女神の力とピグマリオンの愛で生命を得た彫像の乙女は、足が動くようになると自分で台座を降りて、ピグマリオンの傍らに立った。「あなたには、ガラテイア(ガラテア)という名を与えましょう。あなたたち二人の未来が幸福であるように」とアフロディーテ女神は自分とそっくりな娘に名を与え、二人を祝福した。その後、人間の娘となったガラテイアはピグマリオンの求婚に応えた。そして、一時は生命さえも危(あや)ぶまれるほどに愛した乙女を妻としたピグマリオンは、以前にもまして精力的に仕事に打ち込むようになった。二人の間にはパポスが生まれ、パポスは、キュプロス島のパポスという町の名の由来となった。アフロディーテ女神のおかげでガラテイアを妻とすることが叶ったピグマリオンは、その後は女神に感謝を捧げるために、世界各地にある神殿にアフロディーテ女神の彫像を作って納めたという。
           (二)
(その2)愛と美の女神アフロディーテは海に漂(ただよ)う泡から生まれると、まず最初に、キュプロス島に辿(たど)り着いた。その後、このキュプロス島の守護神として祭られた。キュプロス島には、ピグマリオンという王がいて、彫刻の名手といわれるほど素晴らしい腕を持っていた。しかし彼には「ピグマリオン様は自分の作品(象牙で作った裸像)を抱いて毎晩、眠るみたいよ」と言うよからぬ噂があった。ピグマリオン王は妻を娶(めと)ろうとはせずに、彫刻ばかりに専念していたので、このような噂が立ってしまった。しかし、ピグマリオン王は芸術家として、完璧な美を求めていた。そして、彼が恋をしてしまった相手は、愛と美の女神アフロディーテだった。生身の女性には欠点が目につくので、彼は自分で彫り上げた彫刻の中に理想を求めた。ピュグマリオン王は、毎夜、女神アフロディーテにそっくりの乙女像を抱いては、冷たい象牙(又は大理石)の体を愛撫していた。そして、この最高傑作の乙女像のように美しい女性を妻に迎えたいと、愛と美の女神アフロディーテに祈っていた。この思いが、オリュンポスにいる女神アフロディーテに伝わった。アフロディーテ女神はピグマリオン王の願いを快く叶え、彫像に生命を与えた。ピグマリオン王が象牙の裸像に唇を重ねると、かすかに心臓の鼓動が聞こえてきた。やがて、美しい瞳が開くと、彼に微笑みかけた。その後、ピグマリオン王はこの象牙から生まれた女性と結婚した。彼女の名はガラティア(ガラテア)といい、ピグマリオン王との間にパポスという息子をもうけた。パポスの子、キニュラスは王位を継いだ。そして、結婚して娘もできたが、その娘ミュラから恋され、あやまって交わってしまった。ミュラはのち、樹に変身し、愛と美の女神アフロディーテに愛される美少年アドニスを生んだ。
(参考)
@ピュグマリオンという王・・・キュプロス島の王ピグマリオン(ピュグマリオン)は愛と美の女神アフロディーテを恋したが、女神がどうしても彼と共に寝ようとはしなかったので、彼は象牙で女神の像をつくり、それを寝床のなかにおいて、ひたすら女神のあわれみを願った。そこでアフロディーテ女神はその像の中にはいり、ガラテイアとしてよみがえらせた。ガラテイアは、ビグマリオンと交わってパポスとメタルメを生んだ。ビグマリオンのあとを継いだパポスはキニュラスの父となったが、このキニュラスはキュプロス島にパポス市を創建し、ここに有名なアフロディーテ女神の神殿を築いたという説やキュプロス島の王ビグマリオンはパポス市のアフロディーテ女神につかえる巫女をめとった。そして、ピグマリオンは、キュプロスの王位を保つ手段として、寝床のなかに象牙の白いアフロディーテ女神の像を横たえておいたという説もある。(小話469)「美と愛の女神・アフロディーテの誕生とその恋の遍歴」の話・・・を参照のこと。
Aガラティア(ガラテア)・・・ガラテアというと、妖精ガラテアと彫刻の名人ピグマリオンの創り上げたガラテアがいる。(小話773)「美しい妖精ガラテイア(ガラテア)とキュクロプス(一眼巨人)のポリュペモス」の話・・・を参照。
B美少年アドニス・・・(小話368)「愛と美の女神・アフロディーテと美少年・アドニス」の話・・・を参照。
Cピュグマリオン・・・ピグマリオン効果とかピグマリオンコンプレックスという言葉がある。ピグマリオン効果とは、教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上する事をいう。なお、教師が期待しない事によって学習者の成績が下がる事はゴーレム効果と呼ばれる。ピグマリオン効果は、別名、「教師期待効果(きょうしきたいこうか)」、「ローゼンタール効果」、「実験者効果(じっけんしゃこうか)」などとも呼ばれている。ピグマリオンコンプレックスとは人形偏愛症を意味する用語である。
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(小話770)「白亀」の話・・・
      (一)
東晋(とうしん)の咸康(かんこう)年中に、予(よ)州の刺史毛宝(ししもうほう)が*(しゅ)の城を守っていると、その部下の或る軍士が武昌(ぶしょう)の市(いち)へ行って、一頭の白い亀を売っているのを見た。亀は長さ四、五寸(ごすん=約15センチ)、雪のように真っ白で頗(すこぶ)る可愛らしいので、彼はそれを買って帰って甕(かめ)のなかに養って置くと、日を経るにしたがって大きくなって、やがて一尺(約30センチ)ほどにもなったので、軍士はそれを憐れんで江(大きな川)の中へ放してやった。
      (二)
それから幾年の後である。*(しゅ)の城は石季龍(せききりゅう)の軍に囲まれて破られ、毛宝(もうほう)は予州を捨てて走った。その落城の際に、城中の者の多数は江(大きな川)に飛び込んで死んだ。かの軍士も鎧(よろい)を着て、刀を持ったままで江に飛び込むと、なにか大きい石の上に堕(お)ちたように感じられて、水はその腰のあたりまでしか達(とど)かなかった。やがて中流まで運び出されてよく視ると、それはさきに放してやった白い亀で、その甲が六、七尺(約2メートル)に生長していた。亀はむかしの恩人を載せて、むこうの岸まで送りとどけ、その無事に上陸するのを見て泳ぎ去ったが、中流まで来たときに再び振り返ってその人を見て、しずかに水の底に沈んだ。
(参考)
@岡本綺堂の「捜神記」より。
A晋の毛宝が年十二の時、江口(こうこう=大きな川のほとり)で遊んでいた。すると漁師が一匹の白亀を釣りあげるのを見た。毛宝はかわいそうに思い、なにがしかの銭を払って亀の身がらを引き取り、川の中に放ってやった。二十余年後、毛宝はチュウ城を守備していた。そこに石虎将軍が沢山の兵をつれて攻め寄せて来たので交戦となったが、城を守れず敗れてしまった。身を川に投げて自殺をはかったが、脚は石を踏んだようだった。それは亀の背であり、亀は毛宝を岸に渡してくれたので死なずにすんだ。首をめぐらして見ると、それは昔、自分が放してやった白亀であった。亀の体長は四尺余になっていて、向きを変えて中流までいくと首をひねって毛宝を見ていた。毛宝は捨て去るのに忍び難い気持ちになったのである。


(小話769)「恐ろしい計算(その3)。ハノイの塔とねずみ算」の話・・・
        (一)
  ハノイの塔の伝説の話。今から5000年まえ、インドのガンジス河の畔のベナレスという町に大寺院があり、そこには世界の中心といわれるドームがあった。その中には台が作られていて、その上にはダイヤモンドでできた棒が3本立っていた。インドの神ブラーマは、世界が始まるときに、この棒に黄金で出来た円盤を64枚さしておいた。この円盤は下が大きく、上に行くほど小さくできていて、ピラミッド状に積み上げられていた。そして、ブラーマは僧侶たちに次のような修行を与えた。積み上げられた円盤を、すべて他の棒に移すこと。その際に、1回に1枚しか動かしてはならない。また、小さな円盤の上にそれより大きな円盤を乗せてはならない。すべてこの3本の棒を使って移すこと。棒以外のところに円盤を置いてはならない。 ブラーマは、この円盤がすっかり他の棒に移った瞬間に、世界は消滅してしまうと予言した。5000年たった今でも,寺院ではこの修行が続けられているという。(解答)1枚を動かすのに1秒かかったとして、64枚を動かすのに、不眠不休でやっても5800億年かかってしまうという。
(参考)
@ハノイの塔は、1883年にフランスのE.リュカ教授が考案したパズル(ハノイの塔の伝説はリュカの作り話)。
A神ブラーマ・・・インド神話、ヒンドゥー教の神。三神一体論では、三最高神(シワ神(シヴァ)、ブラーマ神(ブラフマー)、ウィスヌ神 )の一人で、世界の創造と次の破壊の後の再創造を担当している。ヒンドゥー教の教典にのっとって苦行を行ったものにはブラーマが恩恵を与える。
B円盤を1回移動するごとに1秒かかるとすると、円盤7枚なら2分7秒で移し換えられますが、円盤32枚だと不眠不休で動かし続けても約136年かかる。円盤7枚の玩具(ハノイの塔(虹のバージョン))がある。
        (二)
正月にねずみの夫婦が現われて、子を12匹(雄雌6匹)生んだ。親と共に14匹になる。2月になると、子どもも成長して親となり、一対で12匹の子(72匹)を生む。親もまた12匹生むので、親、子、孫の合計は98匹(親2+12、子12+72)になる。このようにして、月に一度、親も子も孫もひ孫もやしゃ孫も12匹ずつ子を生み続けたとすると、1年(12月まで)の間に何匹になるだろうか。(解答)なんと276億8257万4402匹になるという。
(参考)
@江戸時代の「塵劫記」より。 Aねずみ講とは、金銭配当のみを目的としており、先に加入した者(先順位者)が、後から加入した者(後順位者)からの配当により、先順位者が最初に負担した金銭等を上回る利益が得られるというもので、その際、新たに加入する者は2以上の倍率をもって増え続けていくことになるが、よく考えればわかるように、加入者がねずみ算的に増えていくので、毎日、2人ずつ勧誘(最初1人は2名。次に2人がそれぞれ2名。次も4人がそれぞれ2名と倍々計算)した場合には、28日目で日本の総人口を超えて、134、217、728人になってしまう。


(小話768)「恐ろしい計算(その2)。倍々計算(米粒)」の話・・・
        (一)
豊臣秀吉と曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)の話。ある日、秀吉が側近の一人の曽呂利新左衛門に褒美(ほうび)をとらせようとして「お礼に何でも与えるから、望みを言ってみよ」と言ったところ、曽呂利新左衛門は「ではこうしてください。ここは百畳ある大広間ですが、初めの畳に米一粒を。次の畳に2倍の2粒を、3枚目の畳にはさらにその倍の米4粒を、というように倍々と増やして、この畳全部分のお米を頂戴したいと思います」すると秀吉は、「畳一枚に米1俵ではないのだな。よろしい。まあ1粒からはじめればせいぜい米俵数俵であろう。曽呂利新左衛門は欲がないのう」と言って笑った。そして秀吉はさっそく役人に米がどれほどになるか計算を命じた。しかし、役人が持ってきた計算書を見ていた秀吉は、みるみるうちに顔色が変わり、すぐに曽呂利新左衛門を呼び出し「いやー。わしがわるかった。この約束はないことにしてくれ、別の褒美をつかわす」と謝った。1畳目1粒、2畳目2粒・・・と10畳目ではまだ512粒で、ゆっくり増えていくように見えるが、23畳目ではおよそ400万粒。もう1俵(250万粒で1俵)以上になっている。30畳では400俵以上になる。こうして100畳になると途方もない数になってしまう。
(参考)
@曽呂利新左衛門・・・豊臣秀吉の寵臣。堺の人。和歌・狂歌・茶の湯に通じ、頓知に富んだ。本業は鞘(さや)師。鞘に刀が「そろり」と合ったのでこの異名があるという。実在の人物か否は不明。
        (二)
彦一と殿様の話。頓知で有名な彦一が、八代の殿様から手柄のほうびをもらうことになった。「彦一、何でもよい、おまえの好きなものをほうびに与えるから、好きなものを申せ」。そこで、彦一は言った「殿様は、将棋が好きですね。将棋盤の最初の「ます目」に米を1粒置いてください。2番目の「ます目」には2粒、3番目には4粒、4番目には8粒------というふうに、将棋盤の最後の「ます目」まで米粒を置いていき、将棋盤全体に置く米粒をもらいたいです。良いですか?」「何だ、その位か。彦一は欲がないのう。持ってけ、持ってけ」「そんなら証文ば書いて下さい」。殿様は「将棋盤の各ますに、次々と倍々にして置いていく米粒を彦一に与える」という約束を、文書にして渡した。将棋盤のますの目は、81(=9×9)であるから、彦一がもらおうとした米粒の量は日本全国で生産される米(約1000万トン)の「50億年」分ということなるという。


(小話767)「恐ろしい計算(その1)。倍々計算(金貨)」の話・・・
        (一)
大昔の話。とても頓知(とんち)に優れている少年がいた。頓知好きの王様の難問題を見事に解いて、王様より褒美として、金貨を100枚貰うことになった。王様の家来が大きなお盆に金貨を100枚乗せて持って来た。その金貨を見て少年は王様に言った。「王様、今日、金貨を100枚持って帰るのは重たくてたまりません。今日は銅貨を1枚だけ持って帰ります。そして、明日、銅貨を2枚もらいます。そして、その次の日は4枚銅貨をもらいます。そして、その次の日は銅貨を8枚もらいます。毎日、前日の2倍の枚数を貰います。そのようにして毎日少しずつ銅貨を貰って行きます。それでいいでしょうか?」。王様は大笑いした。銅貨は100枚でやっと金貨1枚である。100枚の金貨を上げるというのに、銅貨1枚でいいと言う少年に王様は大笑いした。見ていた大臣や役人も大笑いした。王様は銅貨1枚などと言わず、金貨を100枚、いや200枚持って行けと言った。しかし、少年は金貨100枚は重いので銅貨1枚でいいと言った。その次の日も少年は銅貨をもらった。約束どおり2枚だった。3日目は4枚だった。4日目は8枚だった。宮殿の役人や大臣は少年の事を金貨と貨幣の価値が分からない馬鹿な少年だと笑った。5日目も少年は宮殿に行き銅貨を16枚もらった。毎日毎日少年は宮殿に行き銅貨をもらった。
        (二)
10日目になった。少年は銅貨を512枚貰った。そこで、少年は役人に銅貨を金貨5枚と銅貨12枚にしてもらった。王様がやって来て言った。「まだ銅貨を貰っているのか。早く金貨を100枚貰った方がいいではないか。そんな事を10年間続けても同じだぞ」宮殿にいる役人も笑った。
   ∫      ∫ 
15日目には銅貨16384枚となり金貨163枚と銅貨84枚を貰った。役人は「15日もかかってやっと金貨100枚を超えたな。最初の日に100枚貰っていれば14日も余分に来る事はなかったのに」と言った。そこへやって来た王様は「そうだ。そうだ。無駄な14日だ」と大声で笑った。
16日目、32768枚となった。金貨327枚と銅貨68枚になった。「えっ」係の役人は驚いた。何かの間違いではないかと計算をした。だが、間違ってはいなかった。少年が帰ったあと王様は係から報告を受けて「なに?なに?」と不思議そうな顔をした。
17日目には、65536枚となり金貨が655枚必要となった。王様は「おお、600枚を超えたぞ」と驚いた。
18日目、銅貨は131072枚になった。少年は金貨1310枚ですと係の役人に言った。少年が帰ったあと王様は計算係の役人に「明日は何枚になるのか?」と心配そうに聞いた。「明日はおそらく、1500枚ぐらいかと・・・」役人はすぐには答えが出ないので適当に答えた。「1500枚も?」王様はびっくりした。
        (三)
19日目、少年は昼頃来た。「今日は1500枚ぐらいかな?。ずいぶん増えたな」と王様は言った。たしか、最初は銅貨がたったの1枚だったのに、何故こういった事になるのか不思議であった。すると少年は「王様は、今日は金貨2621枚です」と言った「ちょっと待ってくれ」役人はほかの役人たちを呼んで数人で計算した。「そうだ、2621枚で合っている」山盛りの金貨を持って帰る少年を見て王様も王妃も気を失いそうになった。
20日目になった。少年は「今日は金貨5242枚です」と言った。
21日目、少年が宮殿の入り口に来ると役人が待っていた。「ところで今日は金貨5500枚ほどだな?」と聞いた。「今日は、銅貨で1048576枚、金貨で1万枚と485枚で銅貨は76枚ですね」と返事した。役人はその答えを聞いて、あわてて宮殿の広間に走って行った。広間では王様が待っていた。「今日は、何、何枚だ?」王様は額から汗を流しながら聞いた。「今日は金貨、1万枚と485枚です」「い、い、1万枚と・・・」王様は絶句した。1万485枚の金貨と銅貨76枚を荷車に乗せて帰る少年を見送っていた王様は役人に聞いた。「金庫に金貨はあと何枚有るのか?」「金庫は空っぽです」。王様は返事を聞いてそのまま倒れてしまった。続いて隣の金庫大臣も倒れてしまった。さらに隣の計算大臣も倒れてしまった。計算係の役人たちも全員気絶しそうでしたが、ぐっと我慢していた。自分たちまで倒れたら明日、少年が来た時に、少年に金貨を渡す人がいなくなってしまう。約束の金貨を渡せないと国中、いや世界中の笑いものになってしまう。
        (四)
少年が宿に帰り着いてしばらくして近所の人たちがたくさん来た。「大変だ。王様と大臣たちが全員倒れてしまった。何か大変な病気らしい」。翌日、少年は大きな荷車をひきながら宮殿に行った。広間につくと王様や王妃、大臣たちがだれもいなかった。計算係の役人が「困った事になった。王様が病気だ。王妃も。大臣も。大変困っている」と言った。「病気ですか?それは大変です。病気の話は昨日の昼過ぎ町で聞きました。僕は大変心配しました。それで王様に元気になってもらおうとお見舞いを持って来ました」そう言って少年は荷車にかけてあった大きな布を取った。布の下から沢山の金貨が出てきた。「あ、」「おお」役人たちは驚いた。やって来た王様に少年は金貨を渡して言った。「王様、病気で大変ですね。お見舞いです。早く良くなって下さい」「おお、こんなに沢山の金貨をどうしたのか?」「この21日間で王様から頂いた金貨です。お返しします」。そして、少年は最初の日に1枚でも前の日の2倍の枚数を貰っていく方法は、最初のうちはいいが15日を過ぎる頃から大変な数となると説明した。最初の日が銅貨1枚でも15日目には銅貨16000枚、金貨160枚を超え、さらに、18日には、銅貨13万枚、金貨1300枚を超えてしまい、さらに、21日には銅貨100万枚を超え、金貨で1万485枚となると説明した。「このまま行くと28日には、金貨100万枚を超えます」とさらに説明を続けた。「この計算は恐ろしい計算ですから、やはり、金貨は100枚だけ頂いて残りは王様にお返しします」。
(参考)
@日本の倍々計算の話。殿様から執拗に褒美を受け取るよう請われた聡明な男が「それほどまでにおっしゃるならば、今日は米を一粒いただきとうございます」と答えた。そして、さらに男は言った「今日いただくのは一粒ですが、明日は倍の2粒、あさってはさらに倍の4粒、その次の日は8粒、というように毎日倍々の米粒をいただきたいのです。毎日受け取りにくるのは大変ですから、ひと月後にまとめて持ち帰ることにします」と。ほとほと欲のない申し出にあきれたのか、軽々しく承諾した殿様が一ヶ月後に後悔したのは言うまでもなかった。1ヶ月後を30日後とすると、1、073、741、824粒になるという。


(小話766)「忠犬「黒竜」」の話・・・
         (一)
呉の孫権(そんけん)の時代に、李(き)信純という人があった。襄陽郡紀南県(湖北省)の人である。家に黒竜という犬を飼っていたが、ことのほか可愛がって、いつもそばにおき、食事のときには何でも分けてやるほどであった。ある日、信純は城外で酒を飲み、すっかり酔ってしまった。家までも帰り着けずに草の中で寝こんでいると、そこへ太守の鄭瑕が猟に出ていて、田の草が茂っているのを見たから、従者に命じて火をつけさせた。信純の寝ていたところは、ちょうど風下にあたっていた。犬は火が燃えて来るのを見て、信純の着物を咥(くわ)えながら引っぱったが、信純の体はびくともしない。寝ている場所のそばに谷川があって、四、五十歩へだたっていたのだが、犬はそこへ走って行くと水の中へとびこみ、ぬれたからだで主人の寝ているところへ馳せもどると、そのまわりで身ぶるいをし、水をまいて歩いた。こうして主人の大難を救うことができたのだが、犬のほうは水運びに疲れはてて、主人のわきに倒れたまま死んでしまったのである。
         (二)
やがて信純が目をさまして見れば、犬はもう死んでいるし、体中の毛が水びたしになっている。どうした訳かと不思議でならなかったが、火の燃えたあとを見て事情をさとり、声をあげて泣いた。このことが太守の耳にはいったから、太守も哀(あわ)れに思って「犬の報恩は、人間よりも立派である。恩を知らぬ人間は、犬にも劣るであろうぞ」と、ただちに命令をくだして棺や帷子をそろえさせ、この犬を葬ってやった。いまでも紀南県には高さ十丈あまりの「義犬の墓」がある。
  (参考)
「捜神記」(干宝)より。


(小話765)「イソップ寓話集20/20(その20)」の話・・・
       (一)「オオカミとイヌ」
あるオオカミが、まるまると肥えたマスチフ種のイヌと出合った。そして、イヌの首輪を見ると「誰が、そんなに太らせ、そして誰がそんなに重い首輪をするようにと命じたのか?」と、尋ねた。「ご主人様だよ」イヌが答えると、狼がこう言った。「俺の知り合いには、そんな哀れな身の上の奴はいないよ。鎖の重さで、食欲などふっとんじまうだろうからな」
(参考)
@マスチフ種のイヌ・・・チベットの原産で、英国で改良。大形で体はたくましく、耳は垂れる。毛は短く、淡黄褐色や虎毛で、鼻先などが黒い。古くから護身犬・猟犬や闘犬に用いられる。
       (二)「川と海」
川たちは、皆で一緒になって、海に対して不平を言った。「あなたの潮(うしお)へと流れ込むまでは、我々は、甘くて飲み水に適しているのに、どうしてあなたは、我々を塩辛く変えてしまうのですか?」海は、川たちが、自分を卑しめようとしていることに気づき、こう答えた。「私の所へ流れ込まないように祈りなさい。そうすれば、塩辛くならずにすむ」
       (三)「陽気なロバ」 あるロバが、建物の屋根に登って跳ね回り屋根を壊した。主人は、すぐに屋根に登って行くと、ロバを引きずり下ろし、太いこん棒で何回も打ち据えた。するとロバがこう言った。「昨日、サルが同じことをしたときには、ご主人様は、始終笑ってとても楽しげだったのに---」


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