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(小話764)「白帯の人」の話・・・
      (一)
呉(ご)の末に、臨海(海の近く)の人が山に入って猟(かり)をしていた。彼は木間(このま)に粗末の小屋を作って、そこに寝泊まりしていると、ある夜ひとりの男がたずねて来た。男は身のたけ一丈(約3.03メートル)もあるらしく、黄衣をきて白い帯を垂れていた。「折り入ってお願いがあって参りました」と、かれは言った。「実はわたくしに敵があって、明日ここで戦わなければなりません。どうぞ加勢をねがいます」「よろしい。その敵は何者です」「それは自然にわかります。ともかくも明日の午(ひる)頃にそこの渓(たに)へ来てください。敵は北から来て、わたくしは南からむかいます。敵は黄の帯を締めています、わたくしは白の帯をしめています」
      (二)
猟師は承知すると、かの男はよろこんで帰った。そこで、あくる日、約束の時刻に行ってみると、果たして渓(たに)の北方から風雨(あらし)のような声がひびいて来て、草も木も皆ざわざわとなびいた。南の方も同様である。やがて北からは黄いろい蛇、南からは白い蛇、いずれも長さ十余丈(じょう)、渓(たに)の中ほどで行き合って、たがいに絡み合い咬み合って戦ったが、白い方の勢いがやや弱いようにみえた。約束はここだと思って、猟師は黄いろい蛇を目がけて矢を放つと、蛇は見ごとに急所を射られて斃(たお)れた。夜になると、咋夜の男が又たずねて来て、彼に厚く礼をのべた。「ここに一年とどまって猟をなされば、きっとたくさんの獲物があります。ただし来年になったらばお帰りなさい。そうして、再びここへ来てはなりません」と、男は堅く念を押して帰った。なるほど其の後は大いなる獲物があって、一年のあいだに彼は莫大の金儲けをすることが出来た。それでいったんは山を降って、無事に五、六年を送ったが、昔の獲物のことを忘れかねて、あるとき再びかの山中へ猟にゆくと、白い帯の男が又あらわれた。「あなたは困ったものです」と、彼は愁(うれ)うるが如くに言った。「再びここへ来てはならないと、わたくしがあれほど戒(いまし)めて置いたのに、それを用いないで又来るとは---。仇の子がもう成長していますから、きっとあなたに復讐するでしょう。それはあなたのみずから求めた禍いで、わたくしの知ったことではありません」言うかと思うと、彼は消えるように立ち去ったので、猟師は俄(にわ)かに怖ろしくなって、早々にここを逃げ去ろうとすると、たちまちに黒い衣(きぬ)をきた者三人、いずれも身のたけ八尺(約2.40メートル)ぐらいで、大きい口をあいて向かって来たので、猟師はその場に仆(たお)れてしまった。
(参考)
岡本綺堂の「捜神記」より。


(小話763)「シメオンと救世主(イエス)」の話・・・
        (一)
ある牧師の話より。「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」 (論語より)。昔、漢文の授業で習った忘れられない一句です。道とは真理、人生の目的、それがわかれば満足するに違いありません。いつ死んでもいいと思えるのかもしれません。エルサレムに住む老人シメオンも同じ思いを持っていました。彼は自分と同胞とを救ってくださる救世主メシヤ(イエス)を待ち望んでいて、それが真理を求めることでした。シメオンはそのメシヤに生きている間にお出会いすることができるかどうかが、残り少ない人生の最大の関心事でした。よく「死んでも死にきれない」ということを申します。それが解決したとき「これで死ねる」と言います。 歳を取ってきますと、「思い残すことなく」「安心して死ねる」ということが最高の願いとなって来ます。
(参考)
@シメオン・・・ ヘブライ語で「神はお聞きになった」。聖書(創世記)登場するヤコブの次男で乱暴者。新約聖書では救世主(イエス)に会うまで死なない運命の人。
        (二)
「おお、この幼子(おさなご)こそ、私が待ち望んでいた救い主です」シメオンは幼子イエスを抱き取り、神をほめたたえて言います。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」(ルカによる福音書2:29-30)と。まさに「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」です。イエスご自身が「わたしは道であり、真理であり、命である」と言っておられます。クリスマスはそのイエス様にお出会いするのですから、真理を求め続けて来て、その真理に出会うことを意味します。朝に道を聞いたので、夕べに死んでもいいのですが、その時までは力一杯生き続ける、死というものに脅(おびや)かされることなく、死から解き放たれ自由に、活き活きと生きることができます。「イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネによる福音書8:31-32)と言われている通りです。


(小話762)「金羊皮を求めてアルゴー船の大冒険。そして、王子イアソン以下五十名の勇士(アルゴナウタイ)の活躍と王女メディア(2/2)」の話・・・
(前編は(小話761)「金羊皮を求めてアルゴー船の大冒険。そして、王子イアソン以下五十名の勇士(アルゴナウタイ)の活躍と王女メディア(1/2)」の話・・・へ)
           (一)
コルキス国の人々は気が荒く、他国の人間が大嫌いであった。「アイエテス王が簡単に金羊皮を渡してくれるはずがない。きっと、ひと騒ぎもふた騒ぎも起こるだろう」と王子イアソンは王宮を眺めながら、これから起こるであろうコルキス王との争(あらそ)いを覚悟した。イアソン一行はアルゴー船を葦(あし)の茂みの中に隠し、翌日、アイエテス王の王宮へ赴(おもむ)いた。「私達はギリシャから来ました。はるばるここまで来たのは他でもありません。もともとイオルコス王家が所持すべき「金羊皮」を貰い受けに来ました」「私が大切にしている「金羊皮」をイオルコスの王が所望されると言われるか?」とアイエテス王は厳しい表情で答えた。「良かろう。差し上げよう。だが、もちろんただではやれん。条件として、ひと仕事やってもらおう。野原に出て、放し飼いの牛をスキ車につなぎ、土地を耕し、そこに種を蒔(ま)いてくれればいい」。しかし、その牛とは、鍛冶の神ヘパイストスがアイエテス王に贈った青銅作りの足を持ち、鼻からは火を吐く、暴れ牛であった。アイエテス王はイアソン達をその難題で追い返そうとした。何も知らないイアソン一行(アルゴナウタイ)はその夜、アイエテス王のもてなしを受けた。その頃、オリュンポスの天上の神々は会議を行っていた。神々はアルゴナウタイ(アルゴーの船員)に対しては好意的であった。特に神々の女王ヘラは、婆さん姿の自分に対して親切にしてくれた王子イアソンをたいそう気に入っていたので、何とかして目的を達成させてやりたいと思っていた。そこで、ヘラ女神は美と愛の女神アフロディーテに命じて、コルキスの美しい王女であるメディアを王子イアソンに一目惚れさせるように仕向けた。女神アフロディーテは息子のエロス神を遣(つか)わして、金の矢を王女メディアに撃ち込ませた。アルゴー船一行を覗き見に行った王女メディアの目を釘付けにしたのは、凛々(りり)しく、美しい青年隊長イアソンであった。王女メディアは一瞬にしてイアソンに心を奪われた。「あの方は何もご存知でないようだが、このままでは、あの方のお命が危うい」と王女メディアは王宮の一室で涙にくれた。彼女は魔法の術に長(た)けていて、人を眠らせたり、殺したり、生き返らせる薬草などを沢山知っていた。「万が一、あの青銅作りの足を持ち、口から火を吐く牛に勝てたとしても、その後で畑に蒔(ま)かれる、竜の歯の種から現われる沢山の兵士達がイアソン様を殺すに違いない」。恋に盲目になった王女メディアは闇夜の中、薬草を取りに出掛けた。それは大神ゼウスの罰で、鷲に肝を突つかれているプロメテウスの血から生えたという薬草で、その薬草の汁を塗れば、あらゆる害から身を守る事が出来た。
(参考)
@エロス・・・エロス(ローマ神話のクピド=キューピッド)はガイア(大地の女神)の子で世界の始まりから存在した、恋心と性愛を司る愛の神。のちには軍神アレスと美の女神アプロディーテの子であるとされるようになった。エロスがいつまで経っても大きくならないので、アフロディーテは狩りと月の女神アルテミスに相談した。アルテミスはエロスが一人っ子ゆえに大きくなれずにいるので、兄弟を作りなさいと助言する。後にアンテロスが誕生し、エロスは成人した。又、誰かが誰かを好きになると、そこに愛(エロス)が誕生する。しかし、好きになった相手からも好きになってもらわないと愛は育たない。エロスは、愛を与えっぱなしのために、いつまでも子供のままだという説もある。
A鍛冶の神ヘパイストス・・・火と鍛冶(かじ)の神。ゼウスとヘラ(またはヘラだけ)の子。醜男で、足が不自由とされる。(小話474)「火と鍛冶の神・ヘパイストスの誕生と黄金の椅子」の話・・・を参照。
Bプロメテウス・・・タイタン(巨人神族)の一人。アトラスやエピメテウスの兄弟。天上の火を盗んで人間に与えた罰として、大神ゼウスの命でカフカス山に鎖でつながれ、毎日、鷲(わし)に肝を食われるが、後に英雄ヘラクレスに救われる。プロメテウスは「先を見る男」(前もって知る者)の意味で弟エピメテウスは「後から考える男」(事が起きてから知る者)の意味。プロメテウスと異なりエピメテウスは愚鈍であった。(小話326)「プロメテウスとパンドラ(パンドラの箱)」の話・・・を参照。
「メーデイア」(サンズ)の絵はこちらへ
「メーデイア」(モーガン)の絵はこちらへ
「イアソン」(モロー)の絵はこちらへ
「イアソンとメデイア」(ウォーターハウス)絵はこちらへ
           (二)
  翌朝、アイエテス王に連れられて野原に行ったイアソン一行(アルゴナウタイ)は、ものすごい火の息を吐きながら、青銅の足で地面を蹴っては火花を散らしている大きな牛を見て驚いた。火の玉のような牛は、こちらから首に縄をかける前に、一行を焼き尽くしてしまうか、青銅の蹄(ひづめ)にかけるか、曲がった角(つの)で投げ上げるかして、殺してしまうようであった。この巨牛を前にしては、さすがの英雄ヘラクレスも手をこまねいていた。思案にくれる王子イアソンの側(そば)に、一人の娘が忍び寄った。「私はこの国の王女メディアです。一目見た時から貴方に心を奪われました。私を連れてギリシャに帰って、妻にして下さい。この難題を果たし、「金羊皮」を手に入れる方法をお教えします」。こうして王子イアソンは、王女メディアの、火にも焼けず、刀に切られても傷つかないという、身を守る薬草を体中に塗った。イアソンは牛を掴(つか)んで角(つの)をへし折り、ついに縄をかける事に成功した。そして、驚き、呆れるアイエテス王を尻目に、イアソンは牛を使って畑を耕した。次に、竜の歯の種を蒔(まい)た。竜の牙の種を蒔くと、たちまち武器を手にした兵士達が芽立ち、王子イアソンに襲いかかって来た。イアソンはメディアに教わった通り、素早く竜の牙を入れた兜(かぶと)を兵士達の真ん中に投げ込んだ。兵士達はそれを奪い合って同士討ちを始め、まもなく、共倒れになった。最後の一人がイアソンに向かって来たが、イアソンは難なく兵士を殴り倒した。すると、大地がひとりでに開き、兵士たちを呑み込んでしまった。苦々(にがにが)しい表情で、これらを見物していたアイエテス王とは裏腹に、アルゴー船の勇士達は難題を成し遂げた喜びで一杯であった。「金羊皮は明日渡す」と腹黒いアイエテス王はそう言いながら、アルゴー船を焼き払い、ギリシャの勇士達を皆殺しにする計画を企(くわだ)てた。それをいち早く察知したのは娘の王女メディアで、その夜、王女メディアはイアソンの元を訪れ、事情を話した。「お父様はあなた方を殺すつもりです。一刻も早く「金羊皮」を奪って、ここから逃げましょう」。
(参考)
@竜の牙・・・女神アテナからもらったという竜の牙は、カドモス王が退治した竜の牙で、これを地面にまくとそこから鎧武者が出てきて、蒔いた者に襲い掛かってくるという。(小話404)「英雄カドモスのドラゴン退治とテーバイ建国」の話・・・を参照。
           (三)
  王女メディアは、王子イアソンと竪琴の名人オルフェウスを連れて、「金羊皮」がある森へと案内した。そこは巨大な木が立ち並んだ、薄暗い不思議な森で、前方がほのかに明るかった。それは、「金羊皮」が放つ光りであった。この時、木の根元から、地の底から響くような低いうなり声がした。赤い火の玉のような目が二つ、それにチョロチョロと燃える舌が闇を通して光っていた。それこそ、「金羊皮」を守る巨大な竜であった。王女メディアはオルフェウスに「眠りの歌」を歌うように頼み、自らも呪文を唱えた。オルフェウスは竪琴を静かに弾きながら、「眠りの歌」を歌った。オルフェウスが歌うにつれ、風はやみ、花々は頭を垂れ、花園までもが眠った。あの怖ろしい巨竜までもが、木の幹からズルズルとずり落ちて眠り込んだ。眠らなかったのは王女メディアと、その魔法で守られた王子イアソンだけで、メディアは眠った巨竜に魔法の水をふりかけながら、叫んだ。「早くこの竜の背中を踏んで木に登りなさい。急いで」。イアソンは巨竜の背中づたいに木に登って、「金羊皮」を取った。二人はオルフェウスをゆり起こし、その森から急いで逃げた。メディアは闇の女神ヘカテの力を借りて月を曇らせていたので、その夜、コルキス国は真っ暗闇であったが、三人は「金羊皮」の放つ光りで道に迷う事はなかった。三人は仲間が待つアルゴー船に乗り込み、急いで出航した。王女メディアは、幼い弟アプシュルトスも一緒に乗せた。アルゴー船の乗組員達は、全力で海へと漕ぎ出した。まもなくすると、メディアの魔法が切れて巨竜が目を覚ました。「金羊皮」がなくなっていたので巨竜は怒り、すざましい唸り声を上げて吠え出した。コルキス国民は全員、眠りから覚めた。「金羊皮」が奪われた事を察知したアイエテス王は、すぐに大軍を乗せて快速船でアルゴー船の後を追った。アルゴー船乗組員(アルゴナウタイ)は全速力で川を漕ぎ下(くだ)ったが、すぐにアイエテス王を乗せたコルキスの快速船が追いついてきた。もはやアルゴー船は逃げられないところまできた。コルキスの大軍相手では、戦ったところで勝ち目はない。とうとうアルゴー船の一行は、王女メデイアを引き渡して交渉しよう、と相談を始めた。これを知ったメデイアは激怒した。そして、王女メディアは、一緒に連れて来ていた弟アプシュルトスを殺して五体をバラバラに切り刻み、海に放り込んだ。それを見ていた父親のアイエテス王は息子の亡骸(なきがら)を拾うため、泣きながら船を止めさせた。その間に、アルゴー船はどんどん進んで水平線の彼方(かなた)に消えて行った。
(参考)
@弟アプシュルトスを殺して・・・アイエテス王に追われたイアソンとメディアは、とある島で停泊し、計略を練って使者をアプシュルトスに送り、一人でやってきたアプシュルトスを、隠れていたアルゴー船乗組員(アルゴナウタイ)たちが捕らえて殺してしまった。そして追ってくるアイエテスの船団に向かってバラバラにしたアプシュルトスの死体を海にばら撒(ま)いた。驚いたアイエテス王は愛しい息子の体を拾い集めようと、その場で立ち往生してしまいました。こうしてアルゴナウタイはアイエテスの追っ手を振り切ることが出来たという説もある。(小話296-1)「魔女・キルケとメディアとスキュラ」の話・・・を参照。
「羊毛皮の番の龍」(ローザ)の絵はこちらへ
「黄金の羊皮を手にとるイアソン」(壷絵)の絵はこちらへ
「ドラゴンを眠らせるイアソン」(マテウス)の挿絵はこちらへ
「黄金の羊毛」(ドレイパー)の絵はこちらへ
           (四)
   この事件はアルゴー船乗員一同(アルゴナウタイ)に、何とも言えない後味の悪さを残した。王子イアソンは悲しみと怖ろしさで顔を上げる事が出来なかった。王女メディアのやった行為はむごたらしい、許し難い事であった。王女メディアの残虐な仕打ちに怒った大神ゼウスは、アルゴー船に呪いをかけた。そのため無事、コルキスから逃れたアルゴー船だったが、船は呪いのため大波に揉まれ、少しも先へ進まなかった。王子イアソンが船の舳先(へさき)に尋ねると(舳先にはドドナの森の神聖な樫の枝が差してあった)イアソンと弟アプシュルトスを殺したメデイアの行為に、大神ゼウスが怒っている、ということだった。そこでアルゴー船乗員一行は、アプシュルトスを殺した罪を浄めてもらうために、メデイアの叔母で、魔術の師である魔女キルケの住むアイエイア島に向かった。魔女キルケは二人を浄(きよ)めてやったが、その罪を聞くと、残酷さに激怒して二人を島から追い出した。アイエイア島を出たアルゴー船は、静かな水面を滑るように進んだ。すると、どこからともなく、天国の音楽のような心地良い歌声が聞こえてきた。前方を見ると、小島の岩の上に、黒く、長い髪を梳(す)きながら立っている三人の美しい女が見えた。美しい音色は高く低く銀の鈴のように、波のない海面を渡ってきた。アルゴー船の勇士達は長い困難な船旅に疲れていたので、船端から身を乗り出すようにして聞き入った。次第にアルゴー船はその島に引き寄せられて行った。この時、王女メディアは王子イアソンに言った。「イアソン様、あれは名高いセイレーンの島です。穏やかそうに見える波の底には魚の歯のように尖った岩が並んでいるといいます。歌声に聞き惚れている間に、船はその尖った岩にぶつかり、乗り手は海に放り出されて、魔女セイレーンに食われてしまうのです」。歌に聞き惚れていた王子イアソンは我にかえり、竪琴(たてごと)の名人オルフェウスを呼んだ。「歌って下さい、オルフェウス殿。セイレーンに負けないように」。オルフェウスは船首に腰掛け、おもむろに竪琴を手にとって歌い始めた。アルゴー船の乗員はこのオルフェウスの歌声で我にかえり、舵(かじ)を取り直してセイレーンの島に背を向けた。やがて、セイレーンの歌声も聞こえなくなった。セイレーン達は、船員達が自分達の歌に耳をかさずに遠ざかって行くのを見ると、恥と怒りで、断崖から身を投げて死んでしまった。次にアルゴー船を待ち受けていたものは、カリュプディス(吸い込む者)とスキュラというの難所であった。メッシナ海峡の北端の岸には、カリュブディスという怪物がいて、海水を吸い込んでは吐き出し、山のような大渦を巻き起こして、船を難破させていた。反対岸にはスキュラという怪物がいて、六つの犬の頭と十二本の足を持っていた。スキュラは、その昔、美しい妖精(ニンフ)だったのだが、魔女キルケの呪いで、こんな怪物の姿に変えられて以来、船が近くを通りかかるたびに襲いかかって、船乗りを六人ずつ食い殺すようになった。カリュブディスの側では船もろとも全滅は必至だが、スキュラの側では犠牲は六人にとどまるので、船は大抵、海峡をスキュラ寄りに通った。だが、ギリシャの英雄たちが怪物に殺されてはならない、という女神ヘラの命令で、海の女神達が大勢、海の中に現われて、みんなで手をつないで渦巻きをとり囲み、アルゴー船を無事に通した。さらにアルゴー船は、パイアケス人の国に到着した。アルゴー船の勇士一行はアルキノオス王とアレテ王妃に歓迎され、王と王妃のもとで、正式にイアソンとメデイアは結婚した。しかし、執念深いアイエテス王は、パイアケスに使者を送って、二人を引き渡すように迫ったが、パイアケス国の王アルキノオスは、この二人の婚礼は神に許されたものとして、引渡しの要求を拒否した。
(参考)
@王アルキノオス・・・後にオデュッセウスを助けた王女ナウシカは、アルキノオス王とアレテ王妃の娘。(小話707)「トロイア陥落後のギリシャ軍の知将オデュッセウス。その波乱に満ちた数奇な大冒険(1/2)」の話・・・と(小話708)「トロイア陥落後のギリシャ軍の知将オデュッセウス。その波乱に満ちた数奇な大冒険(2/2)」の話・・・を参照。
「サイレン(セイレン)」(アーサーラッカム)の絵はこちらへ
           (五)
  パイアケス国と別れを告げてアルゴー船は、クレタ島の海岸近くを通っていた。その海岸には鍛冶の神ヘパイストスがミノス王に与えたという青銅作りの大きな人間がいた。この青銅人間タロスは日に三度、島中をめぐり、船が近づくと大きな石を投げつけた。王女メディアから、この青銅人間の事を聞いた一同は、遠くにかすむクレタ島の影に目をこらした。船が近づくと、見上げるように大きい青銅作りの人間が岩の上に仁王立ちしていた。そして、巨大な石を、肩の上まで持ち上げた。「これ以上近づくな」と王子イアソンはアルゴー船を止めた。このまま進んだら、まともにその石をくらっって、船は沈没するか、航行不能になってしまう。相手が人間なら弱音を吐いたことのない勇士達も、神様の作った怪物となるとそうはいかず、何とかここを切り抜ける策はないかと思案にくれた。すると、王女メディアが「ここは私におまかせ下さい。女の私なら、相手も油断するでしょう」と言い、メディアは船の上から、岩の上にいる青銅人間タロスに向かって叫んだ。「私は魔法使いのメディアです。あなたの人間の血を、不老不死の神様の血と交換するためにやってきました」岩の上の青銅の巨人は、神様同様になれると聞いて喜んだ。そして、美しい女が現われた事で有頂天になって、巨大な石を地に捨てた。船は岩陰に着き、王女メディアを降ろして沖へと離れた。この青銅人間タロスは、神が人間の形を青銅で作り、その中に血を入れた物で、頭からかかとまで、たった一本の血管が通っているだけであった。神は血を入れてから、どこで口をふさぐか考えている内に面倒になって、それぞれの足の踵(かかと)を釘(くぎ)で止めて口を閉じてしまった。王女メディアは甘い言葉で青銅人間に近づき、「神様と同じ不死の血を入れるその前に、人間の血を出さなければなりません。血管を止めている釘はどこですか?」と聞くと、青銅人間タロスはメディアの言葉をすっかり信用し、今まで人に見せた事がない踵(かかと)の釘を教えた。この時、岩陰に隠れていた弓の達人が青銅人間タロスの踵を狙って矢を放った。狙いたがわず二本の矢が踵の釘をはね飛ばすと、青銅人間の血が一度にどっと流れ出た。だまされた事に気づいた青銅人間タロスが怒ってメディアを追いかけようとしたが、血のなくなった青銅人間は人間の形をした入れ物にすぎず、カランコロンと大きな音を出して倒れた。
           (六)
  こうして、数々の危難を伴う長い航海の末に、アルゴー船はようやくギリシャのイオルコスへと帰着した。長い間、苦労と喜び、冒険を共にした勇士達(アルゴナウタイ)は別れを惜しみながら、それぞれの国に帰って行った。王子イアソンは「金羊皮」を高々とかかげて、叔父ペリアスの王宮へ急いだ。町の人々は囁(ささや)いた。「あれが「金羊皮」か。てっきり作り話しと思ってたよ。しかし、あの方は何も知らないようだ。可哀想に」。ペリアス王はアルゴー船がアテナ女神に守られて出航した当初は、王子イアソンが万が一、戻るかも知れないという危惧感を抱いていたが、しかし、一年たち、二年たちする頃は「甥の奴、大口をたたいたが、今頃、海のもずくにでもなっているかもしれんな。私の王座は安泰だ」と安心していた。王子イアソンがペリアス王の前に進み出て言った。「お言葉通り「金羊皮」を取り返してまいりました。叔父上、約束通り、王位を返してもらいましょう」。しかし、叔父のペリアス王は王子イアソンがいない間に、イアソンの両親と、イアソンの弟にあたる、幼い王子を、自分が王位に居座り続ける為に殺してしまっていた。イアソンは家に帰って始めて、両親と幼い弟の無惨な最期を知った。王子イアソンは男泣きに泣いた。そんなイアソンを王女メディアは優しく慰めた。そして、王女メディアは、自分がまだ誰にも顔を知られていない事を利用して、ペリアス王の三人の娘に取り入り、すっかり気に入られた。「イアソンという「金羊皮」を奪って来た男はたいそう強そうですね。町の噂では、あなた方のお父上から王位を奪還するらしいですが、本当でしょうか」。ペリアスの娘達は「それが心配なのよ。お父上はあの通りのお年でしょう。若いイアソンとまともに闘ったら、勝ち目なんかないでしょうから」と口々に言った。「そんな事が心配でしたの。それならわけはございませんわ。若返りの魔法なんて、簡単ですもの」。半信半疑の三人の娘達を前に、メディアは、ヨボヨボの羊を引きずってきた。そしてメディアは、娘達に大きな釜で湯を沸かさせ、自分は台所で羊を殺して細切れにし、骨も皮も全てお湯の中へ放り込んだ。その上、何やら呪文を唱えた。一分経ち、二分経ち、三人の娘達は辛抱強く釜を眺めていた。やがてメディアは、釜のフタを取って見せた。すると、沸きたつお湯の中から可愛い元気な子羊が飛び出して来た。そこで、三人の娘は父ペリアス王を殺して細切れにし、大鍋に投げ込んだ。しかし、メディアが肝心の呪文を教えなかったので、ペリアス王が若返って生き返る事はなかった。愛する夫イアソンのためなら、どんな事でもやってのける王女メディアであったが、このことをイアソンは喜ばなかった。イアソンは自分への愛のためとはいえ、やすやすと人を殺すメディアの性質が許せなかったのだ。イオルコスの国民も、メディアの残酷な仕業を怖(おそ)れた。ことに、異国の魔女を王妃にする事を嫌った人々は、イアソンとメディアの二人を国外に追放した。
(参考)
「ペリアスとその娘たち」(マテウス)の挿絵はこちらへ
「娘たちに殺されるペリアス」(ド・トゥール)の絵はこちらへ
           (七)
国を追われた王子イアソンと王女メディアはコリントスの国に住み、メルメロスとペレスという可愛い二人の子供をもうけた。イアソンは、コリントス国のクレオン王とその娘グラウケに気に入られた。ある日、王クレオンはイアソンに、自分は跡取りがいないので娘グラウケと結婚し、この国の王にならないかと相談した。王位に未練があったのと、妻メデイアの激しい気性に戦慄を感じていたイアソンは、この申し出を受け入れた。さらにクレオン王は、娘に危害が及ぶのを怖れて、メディアをコリントス国から追い出してくれと、イアソンに頼んだ。コリントス国王の国外追放の命令と、夫イアソンからの一方的な離婚の申し渡しに、メディアは自らの境遇を嘆き、部屋に閉じこもってしまった。そこへ、イアソンが国王から渡されたお金を持ってやって来た。「コリントス国王は、そなた達三人がよその国でつつがなく暮らせるようにと、このお金を下された」。イアソンの言葉に、メディアの自尊心は一層傷いた。「私があなたをお救いした事はギリシャ中が知っています。私は父に背(そむ)き、弟を殺し、国を捨てました。ただあなたへの愛のためでした。それなのにあなたは私を捨てるとおっしゃいますか。出て行けといっても、一体どこへ行けばいいんです」そんなメディアを前に、イアソンは言った。「コリントス国王がお前を死刑にするというのを、ただ追放で済むようにしたのは私のはからいなのだ。私のせめてもの心尽くしと思って、この金を受け取って欲しい」。メディアはその金をはねのけた。「私を追放した張本人に物乞いが出来ますか。私は元々、王女です。不実な夫の助けなどいりましょうか」「その傲慢さが我慢出来ないのだ。私は偉い妻よりも、優しい妻が欲しいのだ」イアソンはそう言って家を立ち去った。
           (八)
怒りに狂わんばかりのメディアは乳母の忠告も振り切って、タンスの中から一番美しい、光り輝く薄絹の着物を取り出し、コルキス国で習い覚えた毒草の汁をたっぷり染み込ませた。メディアは二人の子供を呼んで言った。「お父さんの新しいお嫁さんに、この着物を届けてらっしゃい」何も知らない二人の子供は早速その着物を届けた。「まぁ、素敵。こんな美しい着物見たことがあって」グラウケ王女は大喜びで、早速、試着してみた。グラウケ王女が着物を侍女達に見せびらかして歩きまわっているうちに、着物の毒が全身にまわり、彼女は黒こげになって死んでしまった。駆けつけたコリントス国王も、グラウケ王女の体に触っているうちに毒がまわり、娘を追うようにして死んでしまった。悲鳴を聞いて駆けつけたイアソンは、これがメディアの仕業だとすぐにわかった。コリントスの国民の怒りは爆発した。その上、イアソンとメディアを殺すべく暴動を起こした。メディアは、二人の息子の部屋に急いだ。そして自分に言った「わたしの心よ、武装をおし。お前は一生の間、子供たちのために泣いておやり。お前が殺さなければ子供たちは、敵の手にかかって殺されてしまうのだから」。メディアは、イアソンとの間の子メルメロスとペレスを殺して、空から舞い降りた有翼の竜の馬車に飛び乗った。そして、みるみるうちにメディアの馬車は天に昇って消えて行った。その後、メディアはアテナイ王アイゲウス(英雄テセウスの父)の後妻になった。イアソンはまたも、国を追われ、国々をさまよい続けた。年老いたイアソンはたった一人ぼっちで、どこへ行っても落ち着く場所が得られず、最後はあのアルゴー船が岸に引き上げられていたイオルコスの浜辺に辿(たど)り着いた。若い時のアルゴー船の冒険の思い出だけが、父母も妻子も故郷も全て失った彼にとって、ただ一つのなぐさめであった。イアソンは懐かしそうにアルゴー船の船端をなで、曲がった腰を伸ばして船上に乗った。アルゴー船は老人一人の重みにも耐えられなく、左右に船体をゆすった。イアソンはアルゴー船での数々の冒険を思い出していた。この船と共に勝ち得た成功と名誉、金羊皮、巨竜、セイレーン、怪物、青銅人間と、次々と瞼に浮かんでは消えていった。「もうみんな死んでしまったかも知れない」イアソンは深い眠りに落ちた。やがて、アルゴー船の舳先(へさき)が音もなくイアソンの頭上に落ちてきた。そして朽ち果てたアルゴー船の破片に囲まれ、イアソンはその生涯を閉じた。
(おわり)
  (参考)
@国民の怒りは爆発・・・コリントスの国民がメディアとイアソンとの間の子メルメロスとペレスを殺したという説もある。
Aメディアの馬車は天に昇って・・・メディアが去った後で、絶望からイアソンは自ら刃に伏して死んだという説もある。
Bアルゴナウタイのメンバー構成にはさまざまな説があり、例えば、アテナイの英雄テセウスもアルゴナウタイの一人に数えられることがあるが、これには異論がある。神話では、若きテセウスが父に会うためにアテナイに到着し、このとき父アイゲウス王の後妻メデイアに毒殺されそうになるが、罠から逃れてメデイアを追放する。メデイアはアルゴナウタイの冒険時にコルキスの王女であり、アイゲウス王に嫁いだのはその後であるから、さらにその後にアテナイ王となったテセウスがアルゴナウタイに参加したとする話と矛盾する。(小話732)「偉大なる英雄テセウスの波乱に満ちた冒険の生涯。そして、怪物ミノタウロス退治と冥府下りとその最期」の話・・・を参照。
「怒涛のメディア」(ドラクロワ)の絵はこちらへ
「メーデイア(ドラクロワのアレンジ)」(セザンヌ)の絵はこちらへ
「メデイアの悪行」(ブリオ)の挿絵はこちらへ


(小話761)「金羊皮を求めてアルゴー船の大冒険。そして、王子イアソン以下五十名の勇士(アルゴナウタイ)の活躍と王女メディア(1/2)」の話・・・
           (一)
ギリシャ神話より。ギリシャ中から集まった五十名の若い勇士たち(アルゴナウタイ)を乗せた大きなアルゴー船が旅立った。その指揮を執るのは凛々(りり)しい若者、イオルコスの王子イアソンであった。アルゴー船の行き先は遥か彼方のコルキスの地。そして求めるのは、空飛ぶ「金羊皮(黄金の羊の毛皮)」であった。ギリシャはアテネの北にあるテッサリア地方を治めていたアタマス王にはネフェレという妻がいた。ところがアタマス王は、妻ネフェレとの間にプリクソス王子とヘレ王女をもうけていたにもかかわらず、他国の王女イノ(セメレの妹)に恋をした。そしてネフェレを捨てて、イノを後妻に迎えた。後妻のイノは最初こそ王子プリクソスと王女ヘレを可愛がっていたが、自分の子供が生まれると先妻の子がだんだん疎(うと)ましくなり、しまいには殺したいほど憎むようになった。そして、とうとう王子プリクソスと王女ヘレを殺す陰謀を企(くわだ)て、国中の麦の種を種まきの前日に火であぶり、農民に配給した。当然、種子をあぶられた麦は、発芽の季節が来ても芽を出さなかった。国中は大混乱した。そこでアタマス王は、神官に神からのお告げを聞くように命じた。王妃イノの命令を受けていた神官は「神の怒りを鎮(しず)めたもうは、プリクソス王子とヘレ王女を生け贄(にえ)に捧げなければならない」と告げた。アタマス王は悩んだ挙げ句、我が子を生け贄にすることを承諾した。実の母親ネフェレは悲しみに暮れて、ただ神に祈りを捧げるばかりであった。そうしている間に、とうとう儀式の日がやってきた。祭壇に横たわる二人の子供に、神官の剣が振り下ろされようとしたその時、どこからともなくキラキラ輝く大きな黄金の羊が飛んできた。驚く群衆の前で生け贄の二人を背中に乗せると、呆然と立ちつくす神官をよそに驚くべき速さで空の彼方(かなた)へと飛び去って行った。母親ネフェレの必死の祈りを大神ゼウスが聞き届け、息子であるヘルメス神に命じて金色に輝く毛皮を持った雄羊を生け贄にされる兄妹の元に遣(つか)わしたのだった。九死に一生を得た王子プリクソスと王女ヘレを乗せた黄金の羊は、ギリシャから黒海に向けてもの凄い速さで飛び続けたが、あまりに速かったために途中で王女ヘレが海に落ちてしまった。プリクソスはその悲しみを振り切って黒海を横切り、ひとりコルキスの国に辿(たど)り着いた。コルキスの王アイエテスは、プリクソスを暖かく迎え、自分の娘カルキオペの娘婿とした。その後、黄金の雄羊はコルキスで神のお告げ通り神々の王ゼウスに捧げられ、その黄金の毛皮は、コルキスの王アイエテスに贈られてコルキスの国宝となった。アイエテス王はその毛皮を軍神アレスを祀(ま)ってある深い森の中の樫の木の枝にかけ、巨竜に番をさせた。プリクソス王子はコルキス国でその生涯を終えたが、ただひとつ、生まれ故郷を見たいという願いを持ち続けていた。プリクソスはギリシャの若い勇士達の夢に度々(たびたび)現われては「幼少の頃、遥か青い海の彼方から連れて来られ、私は一日たりとも故郷を思わない日はない。ギリシャの英雄達よ、早くコルキスまで来て、せめて金の羊の皮だけでも祖国に持ち帰ってくれ。さもないと、私の魂は永久に静まる事は出来ないのだ」と悲しげに訴えた。そのため、「黄金の羊の皮(金羊皮)」は名誉を求める大勢のギリシャの若者達の血を湧かせ、次々とコルキスへと旅立たせた。しかし、コルキスはおろか、黒海の入り口まで行くのさえ困難であった。それに、例(たと)えコルキスまで辿り着けたとしても、黄金の羊の皮を不眠で守っている巨竜に一人で立ち向かえる者などいなかった。
(参考)
@黄金の羊が飛んできた・・・そして黄金の羊はこの功績を称えられ星座(牡羊座)として永遠にその名をとどめることになった。
A王女イノ(セメレの妹)・・・イノは、酒神ディオニュソスの母セメレの姉で幼少のディオニュソスを保育した。後にアタマス王は後妻イノの策略を知って怒り、イノとの間に出来た王子メリケルテスを殺した上で、イノも殺そうとしたが、イノは大神ゼウスを少年時代に世話をしたこともあって、大神ゼウスは、イノと王子メリケルテスを海神に変えたという説もある。又、このアタマス王家の悲劇は実はヘラ女神が後ろで糸を引いていたという説もあり、それはイノがセメレの妹である為で、セメレはヘラ女神に隠れて大神ゼウスとの間にディオニュソスを身篭(みごも)ったが、ヘラ女神の策謀で殺されてしまった。そこで大神ゼウスはまだ生まれていなかったディオニュソスを自分の体、自らの太腿(ふともも)の中に入れて育て、生まれさせたが、ヘラ女神の怒り自体はセメレを殺しただけでは納まらず、妹のイノとその夫アタマスにまで向けられたのだという説もある。(小話502)「酒神・ディオニュソス(バッカス)の誕生」の話・・・を参照。
「アタマスとイノ」(ミカエル)の挿絵はこちらへ
           (二)
テッサリアのすぐそばにイオルコスという国があり、イアソンはイオルコス国の王アイソンの息子であった。しかし、王位を狙う叔父のペリアスの目を逃れるため、母アルキメデが、幼少のイアソンをペリオン山に住む半人半馬のケンタウロス族の賢者ケイロンに預けた。賢者ケイロンのもとで育てられたイアソンは、音楽や弓術、医術など多くの技(わざ)を身につけ、そして多くの勇士達との親交を深めていた。その間に叔父ペリアスは望み通りイオルコスの国王になっていたが、ペリアス王には一つ気がかりな事があった。それは「お前は片足だけのサンダルの男のために命を落とすだろう」という神託であった。やがて、立派な若者に成長したイアソンはケイロンに礼を言い「イオルコスに帰り父のものである王位をペリアスから譲り受けよ」という神託に従って、祖国イオルコスに向かって旅立った。その途中、アナウロス川の岸辺で不思議な老婆と出会った。「ちょっと、あんた。私をおぶって向こう岸まで川を渡してくれないか?」そう頼まれた心根の優しいイアソンは、その老婆をおぶって、川を渡り始めた。その川は意外と深く流れは急で、イアソンはどうにか、向こう岸まで辿り着けたものの、片方のサンダルを無くしてしまった。老婆を下ろした時、イアソンは驚いて膝まづいた。目の前の老婆は光り輝く女神に変わっていた。「私は天界の女王ヘラです。イアソンよ、お前が立派な人間である事がよくわかりました。さぁ、今のままの気持ちで前に進んで行くのです。お前はきっと、ギリシャでも名高い英雄の一人になります」。こうして、イアソンは勇気づけられ、その日のうちに祖国イオルコスに着いた。 叔父ペリアス王は広間で宴会を催していたが、イアソンが生きて帰って来たばかりか、片方だけのサンダルをはいる姿を見て、顔色を変えた。だが、ペリアス王は素知らぬ顔で言った。「イアソン、よく帰ってきてくれた。わしはお前に王位を渡そう。だが、そのかわりに一つ願いを聞いて欲しい。それはお前のように勇気ある若者にふさわしい仕事で、わしのような老人にはもうできないことだ。ずっと以前から、わしの従兄プリクソスの亡霊がわしの夢枕にあらわれて、コルキスのアイエテス王のところから、「金羊皮」を持ち帰ってくれとしきりにいうのだ。わしはこの名誉ある仕事をお前にあたえることにする」「よろしい。その代わり、「金羊皮」を持って帰ってきたら、神託通り王位は返してもらいます」。黒海を越え、コルキスまで行けるはずもないと、ペリアス王は腹の中で笑っていた。
(参考)
@賢者ケイロン・・・神々の二代目の王・クロノスとピリュラの子。半人半馬(ケンタウルス)族で大変に賢く、音楽、医術、予言の能力に優れ、狩りの名人でもある。やがて、彼は、テッサリア地方ペリオン山の洞窟に住み、イアソン、ヘラクレス、アキレウス、アスクレピオスなどの多くの英雄を育てた。
           (三)
王子イアソンはギリシア一の船大工アルゴスに頼んで、五十人乗りの大船を作らせた。イアソンはその船に大工の名にちなんでアルゴー号と名付け、使いを送って、ギリシア中に勇士を募(つの)った。アテナ女神はドドナの森の神聖な樫(かし)の枝を取って、船の舳先(へさき)に差した。この枝には未来を予言したり、いざという時の知恵を貸してくれる霊力があった。王子イアソンの人柄を慕って、ギリシャ中から五十人の名高い勇士が集まった。ギリシア随一の英雄ヘラクレスにアテナイの英雄テセウス、ラピテス族の王ペイリトオス、竪琴(たてごと)の名人オルフェウス、英雄アキレスの父ペレウス、スパルタからは馬術と戦術に優れたカストルと剣術と拳闘(ボクシング)の名手ポリュデウケス兄弟。北風の神ボレアスの双子の子供ゼテスとカライス、アルテミス女神のお供の女狩人アタランタ、不思議な生い立ちのメレアグロスなどで、全員をアルゴナウタイ(アルゴーの船員)と言った。勇士達はテッサリアのパガサイの港に集まると、オルフェウスの竪琴のしらべに乗って進水し、大海へと乗り出した。舵取りはテピュスという船乗りがとった。アルゴー船は三日目にレムノス島に到着した。この島はヒュプシピュレという女王が治める女ばかりの島であった。以前この島の女たちが愛と美の女神アフロディーテに生け贄を供えなかったので、怒った女神により男たちの愛情を全てトラキアの女奴隷に移してしまった。そのため彼女たちは男たちに憤怒し、一夜にして皆殺しにしてしまったのであった。アルゴー船乗員(アルゴナウタイ)が上陸すると、女王をはじめ土地の女たちは勇士たちを歓迎した。たちまち女王ヒュプシピュレと王子イアソンが深い仲になった。そして、レムノスの女たちの歓待に勇士達が月日が経つのも忘れていると、英雄ヘラクレスが故郷の妻を忘れ、なおかつ自分たちの使命をないがしろにしたままでよいのかと問いただした。勇士達はヘラクレスに返す言葉もなく、一斉(いっせい)に出発の準備をはじめた。これを知った女たちは、勇士達に最後のもてなしをし、女王は涙を流しながらイアソンを送り出した。次にアルゴー船は、キュジコス王の島に辿り着き、歓迎を受けた。その島から船を出すと、ひどい嵐に襲われ、真っ暗闇の中、流されて見知らぬ浜辺に打ち上げられた。すると、そこの島民達はイアソン達を海賊と思い込み、攻撃を仕掛けてきた。イアソン達は身を守るためにやむなく応戦して、勝利を収めた。ところが、夜が明けてみると、そこは自分達を歓迎してくれたキュジコス王の島で、イアソン達は知らずにキュジコス王を殺してしまっていた。アルゴー船一行(アルゴナウタイ)がキュジコス王の不幸な死を悼みながら船を進めると、トロイの近くのミュシアという所に着いた。そこで、ヘラクレスのお供をしていたヒュラスという少年が水を求めに上陸したが、そこの泉の妖精(ニンフ)に水中に引っ張り込まれた。ヘラクレスが一晩中、その少年を探しに行っている最中、アルゴー船は再び嵐に見舞われ、英雄ヘラクレスを置いたまま、港から遠ざかってしまった。
(参考)
@竪琴(たてごと)の名人オルフェウス・・・詩人・音楽家で竪琴(たてごと)の名手。死んだ妻エウリュディケを連れ戻そうと冥界(めいかい)に下ったが、冥王ハデスとの約束に反して、後ろを振り向いて妻を見たため、望みを果たせなかった。その死後、竪琴は天に昇って星座となったという。(小話332)「竪琴(たてごと)の名手オルフェウスとその妻」の話・・・を参照。
A英雄ヘラクレスを置いたまま・・・ヘラクレスはそのまま一行とはぐれてしまったという説と、陸路を歩いて行き、コルキスで合流したという説がある。
「造船」(フリント)の絵はこちらへ
「ヒュラスとニンフたち」(ウォーターハウス)絵はこちらへ
           (四)
やがてアルゴー船は、ビテュニアの岸にたどり着いた。この国は海王ポセイドンの息子で、力自慢のアミュコス王が治めていた。ここでは全ての旅人が、このアミュコス王と拳闘の試合をしなければならならなかった。試合には一行の中でも剣術と拳闘の名手ポリュデウケスが受けてたち、アミュコス王をあっさりと打ち負かした。アルゴー船での双子(ふたご)の兄弟カストルとポリュデウケスの存在は、なくてはならないものであった。船がおそろしい嵐に出会った時のこと、竪琴をかき鳴らすオルフェウスを先頭に乗組員たちがそろって神に「嵐がおさまりますように」と祈りを始めると決まってカストルとポリュデウケスの兄弟の頭に青い光がともるのであった。そのあとは、嘘のように嵐は静まるので「この二人は船の守り神だ」と勇士一同(アルゴナウタイ)は叫んだ。さらにアルゴー船は進んで、ヘレスポントの西岸のトラキヤに到着した。ここのピネウス王は、太陽神アポロンから与えられた予言の力を乱用したために、大神ゼウスに罰として両目を潰されたが、賢者として名を知られていた。王子イアソンはコルキスまでに待ち受ける危険や、道のりを尋ねることにした。ピネウス王は言った「もし、君らがパーピィ(ハルピュイア)を退治してくれたら、教えてやろう」。パーピィというのは、顔は綺麗な女の形をしていて、怖ろしい爪を持った二匹の怪鳥であった。ピネウス王は大神ゼウスの怒りで罰として盲目にされたが、さらに、食事をとろうとする度(たび)に、怪鳥パーピィに邪魔され、飢えと渇きに苦しめられていた。ピネウス王が食事をとろうとすると、どこからともなく、怪鳥パーピィが矢のように舞い降りて、皿という皿をつつき、大きい醜い足跡と泥で汚した。ピネウス王はここ数年、一粒の穀物も、一滴の水も口に出来ずにいたので、骨と皮になっていた。イアソンはピネウス王に食事の支度をさせた。並べられたご馳走を前に、ピネウス王は喜んだが、喜びはつかの間、奇声をあげながら飛んできた怪鳥パーピィがご馳走を早速、滅茶苦茶にした。そこで、背中に羽の生えた、北風の神ボレアスの子、ゼテスとカライスが剣を持って宙(ちゅう)に舞い、怪鳥パーピィを追い払った。そして、二人はどこまでも怪鳥パーピィを追った。すると虹の女神イーリスが現われ「北風のボレアスの息子たちよ。大神ゼウスの使者であるパーピィを切ってはなりません。神々にかけて彼らはもうピネウスを悩ませることはないでしょう」。ゼテスとカライスはピネウス王の館に戻り、もう二度と怪鳥ハーピィがピネウス王を悩ませることはないと報告した。ピネウス王はお礼に、これから先に待ち受ける「うち合わせ岩(シュンプレガデス)」と、その回避法を教えた。翌朝、アルゴー船の一行(アルゴナウタイ)は、ピネウス王に別れを告げて出港した。アルゴー船が北に向かって進むと、まもなく黒海の入り口にさしかかった。見ると、ピネウス王が教えたように、両側にすざまじい岩山が迫っていて、とても間をすり抜けられそうにもなかった。この岩は、船だろうが、何であろうが、間(あいだ)を通ろうとする物があると、両の岩が合わさって、粉々にしてしまうのであった。これに挟まれたら、どんな巨大な船でもひとたまりもなかった。イアソンはピネウス王から教わったように、まず鳩を飛ばし、鳩が通り過ぎた一瞬を見計らって全力で櫓(ろ)を漕ぎ、どうにか船尾を少し傷つけただけで「うち合わせ岩」の難所を突破した。アルゴー船はその後、女人(アマゾン族)の国にたち寄ったりしながら旅を続け、いよいよ黒海に入った。その南岸に沿って進み、ようやくコルキス国に着いた。
(つづく)
(後編は(小話762)「金羊皮を求めてアルゴー船の大冒険。そして、王子イアソン以下五十名の勇士(アルゴナウタイ)の活躍と王女メディア(2/2)」の話・・・へ)
(参考)
@怪鳥パーピィ(ハルピュイア)・・・顔と胸までが人間の女性で、あとは巨大な鳥の姿をした怪物。女面鳥獣。パーピィは「かすめとる者」「むしりとる者」という意。いつもお腹を空かせており、食べ物めあてに人間を襲ったり、また腐った肉や屍肉を食らうともいわれている。パーピィは、虹の女神イーリスと姉妹関係にある。
「ハルピュイアイ(パーピィ)」(不明)の挿絵はこちらへ
「ハーピー(パーピィ)を追うボレアスの息子たち」(フィアミンゴ)の絵はこちらへ


(小話760)「ある無実の僧侶」の話・・・
        (一)
南宋の名臣、向敏中(しょうびんちゅう)に関する話。ある僧侶が、夕暮れ、とある村を通りかかって一夜の宿を乞うたが、その家の主人に断わられた。僧侶は、門外の箱車の中に寝させてもらったが、その夜、賊(ぞく)がその家に忍び込んで、女を連れ出し、衣類の包みを持って逃げた。その次第を見た僧侶は、きっと自分に疑いをかけられ、役所に突き出されるに違いない、と考えて逃げ出したが、草むらで古井戸に落ちた。その井戸の中には、賊に連れ出された女が殺されて落ちていた。その血が僧侶の衣についた。跡をつけてきた主人は、僧侶を捕まえて、役所へ突き出した。
        (二)
僧侶は拷問に耐え切れず、無実の罪を自供した。「女を犯して一緒に逃げたが、露見をおそれて殺し、死体を井戸へ投げ込んだところ、足を踏み外して一緒に落ちた。盗んだ品物と刀は井戸の傍らに置いたが、誰かが持って行ったのだろう」と。取調官は、皆その自白を信じた。ところが、敏中(びんちゅう)だけは、盗品も刀も発見されないのを不審に思って何度も僧侶に問いただした。僧侶は、頑(がん)として自白を翻(ひるがえ)さなかったが、敏中(びんちゅう)があくまで問いただすと、ついに本当のことを言った。そこで、敏中(びんちゅう)は、真犯人を探させるために、ひそかに役人を村へやった。その役人は、村の飯屋(めしや)で、そこの老婆から、坊さんの裁判はどうなったかと聞かれ、すでに処刑されたと嘘を言った。老婆から真犯人が見つかったらどうなるかと聞かれた役人は、本当の犯人が見つかっても今更、罪にするわけにはいかない、と答えた。すると、老婆は、あの女は、実はこの村の何某という若い者に殺されたのである、と言って、その家を教えた。役人は、その家に行って、その男を捕らえ、盗品も発見した。僧侶は釈放された。この話について、南宋の学者、鄭克は「裁(さば)きをなす者は、あくまでもその無実を疑うべきである。罪人が無実を訴えなくても、急いで判決をくだしてはならない」と言ったという。
(参考)
@中国の「棠陰比事(とういんひじ)」(桂万栄)より。


(小話759)「イソップ寓話集20/20(その19)」の話・・・
        (一)「片目のシカ」
片目のシカは、身を守ろうと、海に突き出た岸壁に居(きょ)を構えた。そして、猟師や猟犬が近づいてくるのをいち早く察知しようと、見える方の目を陸地に向け、怪我をした方の目は、危険のない海の方へ向けていた。しかし、船がそこを通りかかりシカを見つけると、狙いを定めて銛(もり)を放った。シカは、息絶える時、喘ぎ悲しんでこんなことを言った。「ああ、なんて不幸なんだ。安全な場所を求めて遙々(はるばる)森からやってきたのに、そこがもっと危険な場所だったとは---」
        (二)「ヒツジ飼いと海」
海の近くで、ヒツジの世話をしていたヒツジ飼いが、とても穏やかで平らかなる海を見て、船で交易をして一旗揚げようと思い立った。彼は、ヒツジの群を全部売り飛ばし、ナツメ椰子(やし)をいっぱいに詰め込んで、船出していった。ところが、海に乗り出した途端、嵐が巻き起こった。彼は、積み荷を全て海へ放り出し、船を空(から)にして、かろうじて沈没を免(まぬが)れた。それから間もなくして、ある男が穏やかで静かな海を見ていた。するとヒツジ飼いがこんな風に彼に言った。「騙(だま)されてはいけないよ。そいつは、また、ナツメ椰子が欲しくなったのさ---」
        (三)「ネズミの会議」
ネズミたちは、ネコの害から身を守るにはどうすればよいかと、会議を開いた。口角(こうかく)泡(あわ)を飛ばし、百出する案の中で、最も支持を得たのは、ネコの首に鈴をつけるというものだった。ネコが近づけば、鈴の音が警告を発し、皆、穴の中へ逃げ込むことができる。ところが、「誰がネコの首に鈴をつけるのか?」 という話になった途端、議場は静まり返り、誰も発言する者はいなくなった。


(小話758)「修道生活の誓願(「純潔」「清貧」「従順」)」の話・・・
         (一)
キリスト教の修道生活をする人は、誓願をたてて、はじめて修道士、修道女となる。この制度をつくったのは聖マルチノで、彼は西暦(紀元)316年頃、ハンガリーの西部地方の異教徒の家に生まれた。成長してローマの兵士になったが、洗礼を受けてから、兵役を辞退し、フランスのリグジュ近郊で修道生活に入った。その後、聖ヒラリオの指導を受け、司祭に叙階されて、多くの修道院を創った。このためヨーロッパの修道院、修道生活の基礎を作った人と言われている。誓願の中でも、代表的なのが「純潔(独身)」「清貧(無一物)」「従順(長上への)」の三つで、「純潔」の誓願は、一生涯、独身生活を守り、身も心もすべて神の国の建設のために捧げるということである。イエスは「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」(マタイ福音書19:12)と言われていて「天の国のために結婚しない者」とは、純潔の誓願を神への大切な贈り物としたという意味であった。自分の時間も、身も心も、神の国のために精一杯捧げることであれば、「純潔」の誓願は、非常にすばらしい力である。二十世紀の聖女マザー・テレサは「貧しい人の中で働いている独身のシスターの姿は、神さまの光の一光線だ」と言った。マザー・テレサのシスターたちは、若く、美しく、いつも笑顔で、死に行く人のそばに付き添い、また捨てられた子供を抱き、神の姿そのものである。そのシスターたちは、愛することを拒むのではなく、愛をより深く、人間の愛を神の愛にまで高めることができているのである。「純潔」の誓願を立てた人は、心の中にすばらしい宝物を持っているので、見えない神の姿を、この世に見せているのである。
(参考)
@修道士、修道女・・・修道士とはキリスト教で「清貧」「純潔」「服従」の三つの修道誓願を立てた男子、女子を云い、修行が苦しくて止めた者を還俗と称し、俗人に戻った修道士(修道女)(還俗修道士、還俗修道女)のことである。
A紀元・・・現在、日本で単に「紀元」と言った場合には、キリスト生誕の年を元年とするキリスト紀元(西暦)を意味することが多い。
B独身生活を守り・・・世間の人が、独身の請願をたてる修道士や修道女のことを、世の中から逃げて、女性(又は男性)がいないところ、誘惑のないところ、安全なところに隠れるためだ、と。そのような見方であれば、「純潔」の誓願を立てた人は、みじめなもので、神を裏切り、人を裏切り、自分を裏切り、非常に不幸なものになってしまう。
Cローマの兵士・・・ローマの兵士だった三三八年のある寒い冬の日、マルチノが馬に乗ってアミアノ郊外に出たところ、一人の乞食がうずくまって吹雪にこごえているのを見た。情け深いマルチノもあいにくこの日は何も持ち合わせがなかった。とっさの思いつきでマントを脱ぐと軍刀で真っ二つに切り裂き、その半分を乞食に与えた。ところがその夜、例のマントの切れはしをまとったイエスが天使たちにかこまれてマルチノの夢に現われ「マルチノよ、おまえがマントを切って着せたのは、私だったのだよ」と仰せられたという。
Dマザー・テレサ・・・カトリックの修道女。マケドニアの生まれ。「神の愛の宣教者会」を設立し、病人や瀕死の人々の保護・救癩(きゅうらい)・孤児救済の施設を、カルカッタをはじめ世界各地に設立した。79年ノーベル平和賞受賞。(小話623)「二十世紀の聖女、マザー・テレサ。その信仰と愛の生涯」の話・・・を参照。
         (二)
「清貧」の誓願で一番、有名な人物は、イタリアはアッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)である。彼は、清貧を「いと高き宝」、「聖なる清貧」と「清貧」の徳を讃えている。「清貧」の誓願によって、修道士、修道女は全ての所有権を放棄し、毎日の必要な糧(かて)は、労働と祈りと托鉢(たくはつ)で得るという生活を営む。聖フランチェスコは、労働によって報酬をもらうなら感謝して頂き、もらえない時も感謝して、主(しゅ=イエス)の食卓に食べ物をとりに行きなさいといっている。主の食卓とは、托鉢のことである。所有権を放棄するということの中には、家を持たないということも含む。イエスは言われた「狐(きつね)には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(ルカによる福音書9:58)。このイエスの言葉に倣(なら)って、聖フランチェスコは、決まった住まい、修道院を持たず、あちらの町、こちらの町と、牛や馬と一緒に寝ながら旅をし、神の国の喜びを伝えていた。しかし弟子が増えてきて、そういう生活が不便になってきたのを見兼ねたローマ法王が住むところを提供した。今でもフランシスコ会の修道院は、聖フランチェスコの意志を継いで、ローマ法王から借りているのである。「清貧」については「イエスは彼に言った、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」(マタイによる福音書19:21)。「それから、イエスは弟子たちに言われた。だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏(からす)のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏(からす)を養ってくださる。あなたがたは、鳥(とり)よりもどれほど価値があることか」(ルカによる福音書12:22〜24)又、「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡(つむ)ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」(ルカによる福音書12:27-31)。聖フランチェスコも、これに倣って、自分の持っているものを全て貧しい人に施し、自分の着ていた服さえも脱いで父に返し、司教の前で裸になって「今、完全な神の子になった」と言った。司教は、彼のために古い服を調達し、背中に十字架のしるしをつけ、世界中の人々に平和を告げなさいと言って、彼を送り出した。
(参考)
@フランチェスコ(フランシスコ)・・・カトリック教会の聖人。フランチェスコ修道会の創設者。イタリアのアッシジの生まれ。キリストにならい清貧・貞潔・奉仕の生活を守り、「小さき兄弟修道会」(のちのフランチェスコ修道会)を創立、愛と祈りの一生を送った。花や小鳥に至るまで、すべての小さきものへの純粋な愛によって、「キリストに最も近い聖者」として知られる。(小話737)「中世イタリアの最も偉大な聖人フランチェスコ(フランシスコ)。その清貧と宣教の生涯」の話・・・を参照。
A托鉢(たくはつ)・・・修行のため、祈りを唱えながら各戸の前に立ち、食物や金銭を鉢に受けて回ること。
         (三)
三つの誓願の中で、一番、難しいのが、「従順」の誓願である。従うということで、修道士、修道女は、院長の命令に従わなければならない。院長の命令は、神の命令です、と信仰上、教えらる。「一人の人の不従順によって、多くの人が罪人とされたように、一人の人の従順によって、多くの人が義なる者(正しい者)とされるのです」(ローマ書5:19)。ここでいう一人の人の不従順とは、最初の人間、アダムのことで、彼は神の信頼を裏切った(アダムは「善悪を知る木の実を食べてはならない」という神の命令を聴いていたにもかかわらず、その命令に違反した)。一人の従順とは、イエスのことで、イエスは、ゲッセマネの園で、やがて十字架にかけられることを予想し、血の汗を流して、神の前に祈りを捧げた。「そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい。そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、御心(みこころ)のままになさって下さい」(マタイによる福音書26:38-39)と祈り、最期まで「従順」を貫いた。神は人間を通して望みを伝える。従うということは、謙虚な気持ちが必要で、この「従順」の精神を、聖フランチェスコ(フランシスコ)は、次の言葉で説明している。「幸せになりたかったら、あなたは屍(しかばね)のようになりなさい」。死体を王様の椅子に座らせても、頭を下げていて、威張らないし、人を軽蔑もしないし、顔の色も変わらない。また王様の椅子から下ろして床に座らせても、文句も言わないし、顔の色も変わらない。つまり「従順」になって、自分の我を捨てて、自分を完全に神にゆだねなさいと聖フランチェスコは言っている。修道士、修道女が「私」という思いを捨てて、神にまかせるなら、院長の命令によって苦しんだり、腹を立てたりはしないのである。信仰を実現するためには、「従順」の誓願を実践しなければならない。
(参考)
@ゲッセマネの園・・・神の前に祈りを捧げたのがゲッセマネの園で、弟子たちが眠りこけ、弟子の一人のユダの裏切りによってイエスキリストが捕らえられたと言われる場所がゲッセマネの岩屋である。


(小話757)「李(りこう)の先見の明」の話・・・
        (一)
中国は真宗皇帝の代に、宰相となった李(りこう)は好んで「論語」を読んだ。あるとき「私は宰相をおおせつかっているが「論語」にある「財政規模を不当に拡大して、人民に負担をかけてはならない。労役を課すのは農閑期に限る」というこれだけのことですら、まだ完全に実行できない。それにつけても、聖人の言葉は、生涯、肝に銘じておきたいものだ」と語った。また、李(りこう)は、各地の水害、旱魃(かんばつ)、盗賊に関する情報を、毎日、欠かさず真宗皇帝に報告した。副宰相の王旦(おうたん)が、「かかるささいな事件など、陛下のお耳に入れるまでもありますまい」と批判したところ、李(りこう)はこう答えた。
(参考)
@真宗皇帝・・・北宋の第三代皇帝。在位25年。先代、太宗の方針を受け継ぎ文治主義を推進したが、その結果として軍事力弱体化を招いた。宮殿造営を行うなどの国威発揚を目的とする各事業を行ったが、国費を消耗させた事が後世の非難の対象となっった。
        (二)
「いやいや、なにぶんにも天子は幼少であるから、世の中の苦しみを知っていただかなければならぬ。われらがしっかりと教育しておかなければ、血気盛んな壮年に及んで、音楽や女色、あるいはまた良犬、駿馬にうつつを抜かすか、さもなければ、土木、戦争、祭祀といったことをおはじめになろう。わたしはもはや年老いたので、それをこの目で見ることもあるまいが、若いそなたにとっては、後日の心配のたねになるであろう」。李(りこう)の予言通り、年号が大中祥府にあらたまるや、封禅(ほうぜん=中国古代に天子の行った天と地の祭り)、祭祀(さいし=神や祖先を祭ること)、土木事業が一時に起こった。やがて、宰相になった王旦(おうたん)はつくづく嘆息した「李(りこう)どのは、まことにえらいお人だった」。
(参考) @「十八史略」より。


(小話756)戯曲「夜叉ヶ池」の話・・・
      (一)
少し前の日本。越前(えちぜん=福井)は三国ヶ岳(みくにだけ)の麓(ふもと)、琴弾谷(ことひきだに)には、夜叉ヶ池という大池があった。昔、この地域で竜神が暴れ、人々が大水で苦しめられていた時、越(えつ=越前)の大徳泰澄(だいとくたいちょう)という徳の高い僧が行力(ぎょうりき)によって、竜神を夜叉ヶ池に封じ込めた。時は移り、激しい旱魃(かんばつ)に襲われたある夏、本願寺派の僧侶で、京都の大学で教授をしている山沢学円(やまざわがくえん)が、夏期休暇の帰途に、「夜叉ヶ池」の話を聞いて興味を持ち、琴弾谷村を訪れた。鐘楼(しょうろう)の近くの小川で米を研(と)いでいた女に梨(なし)と茶をご馳走になり、学円が代価を払おうとすると、女は各地を旅して見聞した面白い話を金子(きんす)の代わりにして欲しいと頼んだ。学円は、三年前に不思議な物語を集める旅に出て行方不明となった友人の話をした。女は狼狽し、態度を変えて、学円を追い返すかのように急(いそ)かしたが、家の奥からはその友人、萩原晃(はぎわらあきら)が飛び出してきた。晃(あきら)は学円との再会を喜び、妻の百合(ゆり)を紹介した。そして学円は晃(あきら)から、夜叉ヶ池の伝説を聞かされた。池に封じ込められた竜神は、人間と約束を結んだ。村の外れに鐘楼(しょうろう)を造り、そこで日(明六つ、暮六つ、丑満(うしみつ))に三度、鐘(かね)をついて、竜神に約束を思い出させること。人間が鐘をつくうちは、自らも大水を出さないという誓いであった。竜神は本来、池に暮らすような神ではなく、春分になると竜巻(たつまき)となって天に昇り、天上で暮らし、秋分になるとまた竜巻となって海に下り、海中で暮らすという雄大な神で、池に封じ込められていることには常に不満を持っていた。人間との約束の村外れの鐘さえなければ、いつでも好きなところに飛んでいくことが出来るので、その威力で鐘を壊すことなど、実はいともたやすいことであった。しかし、そのような強大な力を、人間は信仰と約束によって鎮(しず)め続け、竜神は長い間、本望を果たせずにいた。晃(あきら)は三年前、「夜叉ヶ池」伝説に興味を持ち琴弾谷の村を訪れた時、村でただ一人、竜神との約束を守り、五十年間、鐘をつき続けて来て、今も毎日毎晩欠かさず鐘をつく鐘楼守(しょうろうまもり)の老人、弥太兵衛に一夜の宿を借りた。そして。計(はか)らずもその臨終の場に立ち会った。老人の遺言でもある鐘の約束を村人が誰も引き受けないことに憤慨し、一度は村を出て行こうとした晃(あきら)であった。だが、鎮守(ちんじゅ)の元神主の一人娘、世にも美しい百合に心惹かれ、その身を案じ、村に留まって鐘楼守になること決めたのであった。今では迷信とさえ言われる鐘の約束を信じ、村人のため、百合のため、伯爵という身分も棄て、鐘楼守となった晃(あきら)に、学円は強く心を打たれた。学円は、晃(あきら)に、細君を連れて東京に帰るように勧めたが、そのいきさつを聞いて「もう何にも言わん。奥方の人を離れた美しさを見るにつけても、天がこの村のために、お百合さんを造り置いて、鐘楼守を、ここに据えられたものかも知れん。君たち二人は二柱(ふたはしら)の村の神じゃ。就中(なかんずく)、お百合さんは女神じゃな」。そして、夜が更けていたが学円は一層、夜叉ヶ池を見ておきたいと思うようになった。晃(あきら)は、百合に丑三つの鐘を頼んで、路(みち)にある熊笹を切るための鎌を手に持つと学円と二人で池に向かった。
(参考)
@明六つ、暮六つ、丑満(うしみつ)・・・明六つ(午前六時ごろ)、暮六つ(午後六時ごろ)、丑満(午前二時ごろ)。
      (二)
夜も更(ふ)けて、夜叉ヶ池の眷属(けんぞく)の鯉(こい)や蟹(かに)が村近くの小川を警護していると、白山剣ヶ峯、千蛇ヶ池から公達(きんだち=若君)の恋文を携えて、鯰(なまず)がやってきた。現在、夜叉ヶ池の当主である白雪姫に届けるためであった。二人は許婚(いいなずけ)であったが、白雪姫が夜叉ヶ池の当主となってからは、先祖以来の人間との堅い約束に縛られて、自由に逢うことも出来ないでいた。鯉と蟹が鯰を唆(そそのか)し、文箱を開いて恋文を盗み読もうとした、まさにその時、白雪姫が姥(うば)や腰元を伴って里に下りてきた。白雪姫は公達からの恋文を読み、さらに想いを募らせるが姥が引き留めた。白雪姫が池を離れると、夜叉ヶ池の水は溢(あふ)れ、村里一帯は洪水に飲まれてしまうからであった。日に三度、鐘がつかれ、約束が守られている内は、白雪姫は千蛇ヶ池に行くことも出来ず、また、公達も同様に千蛇ヶ池を離れることが出来なかった。白雪姫は眷属たちを集め、鐘を壊させようとするが、誰もが約束を破るのを恐れ、鐘に近づこうともしなかった。とうとう白雪姫自身が鐘楼に駆け上り、鉄槌(てっつい)でその鐘を打ち砕こうとした時、百合の子守唄が聞こえてきた。晃(あきら)の留守の寂しさに、人形を抱いて唄(うた)を歌っているのであった。晃(あきら)と百合が鐘を守っているうちは、許婚に会うことも出来ないため、白雪姫にとって二人は恋の仇であった。だが、村で唯一竜神を信仰し、鐘の約束を守り続ける、この仲睦まじい二人の姿に、白雪姫の荒々しい気持ちも自然と穏やかになっていった。
(参考)
@千蛇ヶ池・・・白山を開いたとされる泰澄大師が悪さをしていた千匹の蛇を閉じ込めたという伝説がある池。
      (三)
長年の干ばつに苦しむ村人たちには「夜叉ヶ池」伝説もすっかり風化して、代々の鐘楼守は、変わり者のように思われていた。その上、竜神の怒りで嵐が起こる事を逆に歓迎していて、鐘楼守の存在が邪魔でならなかった。夜も更(ふ)けて真夜中ころ、ついに日照りに苦しむ村人たちには、村一番の美女である百合を雨乞いの生け贄として、竜神に差し出そうとした。捕らえられた百合は黒牛の背に縛られ、夜叉ヶ池のほとりに連れて行かれそうになった。出発しようとした村人一行の前に、胸騒ぎを覚えて途中で引き返してきた晃(あきら)と学円が現われた。晃(あきら)は村人に、かつて雨乞いの儀式の際、生け贄となった乙女が、恥ずかしさ、悔しさから恨みを抱き、黒牛の背に薪を集めて火を放ち、村を火の海へと変え、自らは池に身を投げたという話を語った。その乙女こそ、白雪姫だった。その過ちを繰り返してはいけないと説いた。学円も説得を試みたが、何一つ村人は受け付なかった。そして、今夜、何としても雨乞いを断行するという村人たちの横暴に見切りをつけた晃(あきら)は、百合を連れ、学円とともに村を出る決心をした。村を出て行こうとする三人に、百合の叔父の神主が、百合は村の者だから置いていけと難癖をつけた。百合を守ろうと戦った晃(あきら)であったが、多勢に無勢、村人たちに三人は村はずれの鐘楼の近くまで追い詰められた。そして、「皆さん、私が死にます、言分(いいぶん)はござんすまい」と百合は晃(あきら)の取り落とした鎌で胸を掻き切って、晃(あきら)の無事を祈りつつ息絶えた。おりしも時は丑三つ時、晃(あきら)は鐘楼に登り撞木(しゅもく)の綱を切り、自らの首に鎌をあてて「一人は遣(や)らん。茨(いばら)の道は負(おぶ)って通る。冥土(めいど)で待てよ」と叫び、百合の後を追った。人間が竜神との約束を破ったその時、鐘楼守を失った鐘が崩れ落ちた。激しい雷鳴、あふれ出る水。夜叉ヶ池の辺りから恐ろしい黒雲が湧き上がり、大水が村を襲いかかった。村と村人は全て水底に沈み、学円だけが奇跡的に助かった。白雪姫は新しい淵(ふち)となった村を新たに竜神となった萩原夫婦の住居(すまい)にし、眷属を引き連れて、千蛇ヶ池の恋人の元へと立ち昇っていった。やがて、月光がさす水底には、安らかに微笑んでいる晃(あきら)と百合の幸せそうな姿が見え、学円は静かに合掌した。
(参考)
正確な話は、泉鏡花作「夜叉ヶ池」を読んで下さい。
@「夜叉ヶ池」伝説より。その昔、美濃(岐阜県)の国、神戸(ごうど)に郡司、安八太夫(あんぱちだゆう)という長者がいて、たくさんの田んぼをもっていた。ある年、大変な日照りがつづき、安八太夫をはじめ多くの村人たちは途方に暮れていた。信心のあつい太夫はこれを救おうと毎日お宮にお参りして願いをかけていたところ、ある日、乾(かわ)ききった田んぼで小さな蛇(へび)に出あった。太夫はこの蛇にむかって「お前が雨を降らせてくれたなら、どんな願いもかなえよう」と一人ごとを言って家へ帰った。太夫が家に帰ると、不思議に待ちに待った雨が降りだした。雨は、一日中降りつづき、田んぼにたっぷりと水がたまり、農作物はみんな生き返った。村人たちは小おどりして喜びあった。その喜びも束の間、雨の翌日、蛇は山伏姿になって現れ、太夫の三人娘のうち中の娘を嫁にとつれて、揖斐川をのぼっていった。泣きながらつけた紅、おしろい、水鏡にうつった不びんな夜叉姫の面影を太夫は忘れることができなかった。その後、安八太夫は、たびたび夜叉ヶ池を尋ね、龍神となった夜叉姫の姿をしのぶのであった。こうしたことがあってから、日照りが続くと村人たちは、紅、おしろいを土産に、龍の池、夜叉ヶ池にささげるならわしとなった。
(小話755)「雷(らい)を罵(ののし)る」の話・・・
          (一)
呉興(ごこう)の章苟(しょうこう)という男が五月の頃に田を耕しに出た。かれは真菰(まこも)に餅をつつんで来て、毎夕の食い物にしていたが、それがしばしば紛失するので、あるときそっと窺(うかが)っていると、一匹の大きい蛇が忍び寄って偸(ぬす)み食らうのであった。彼は大いに怒って、長柄の鎌をもって切り付けると、蛇は傷ついて走った。彼はなおも追ってゆくと、ある坂の下に穴があって、蛇はそこへ逃げ込んだ。おのれどうしてくれようかと思案していると、穴のなかでは泣き声がきこえた。「あいつがおれを切りゃあがった」「あいつどうしてやろう」「かみなりに頼んで撃ち殺させようか」
          (二)
そんな相談をしているかと思うと、たちまちに空が暗くなって、彼の頭の上に雷(らい)の音が近づいて来た。しかも彼は頑強の男であるので、跳(おど)りあがって大いに罵(ののし)った。「天がおれを貧乏な人間にこしらえたから、よんどころなしに毎日あくせくと働いているのだ。その命(いのち)の綱の食い物をぬすむような奴を、切ったのがどうしたのだ。おれが悪いか、蛇が悪いか、考えてみても知れたことだ。そのくらいの理屈が分からねえで、おれに天罰をくだそうというなら、かみなりでも何でも来て見ろ。おのれ唯(ただ)は置かねえから覚悟しろ」彼は得物(えもの)を取り直して、天を睨(にら)んで突っ立っていると、その勢いに辟易(へきえき)したのか、あるいは道理に服したのか、雷は次第に遠退いて、かえって蛇の穴の上に落ちた。天が晴れてから見ると、そこには大小数十匹の蛇が重なり合って死んでいた。
(参考)
岡本綺堂の「捜神記」より。
(小話754)「中華食堂の主人」の話・・・
(一)
ある禅僧の話より。修行道場での大切な修行に托鉢(たくはつ)がある。三、四人を一組として指定された地域へ出掛けるのであるが、遠い組に当たれば、朝の明けない暗いうちに出発して十キロ、二十キロとひたすら目的地まで歩く。厳しくて窮屈な道場から外に出るということ自体、少なからぬ解放感を感じるが、なんといっても托鉢の楽しみは、点心(てんじん)にある。道場でいう点心(てんじん)とは、雲水(修行僧)のために、信者さんたちが出してくれるお昼ご飯のことである。久留米の梅林僧堂で修行していたとき、河合さんという中華食堂の御主人も雲水を可愛がり、雲水が点心をお願いに行くと、中華丼でも何でも店にあるメニューの中から好きなだけ、とにかく腹一杯食べてくれ、と言って、熱心に勧めてくれる。雲水は、いつも腹が空(す)いているから、丼物の五杯や六杯は平気で食べてしまう。そういう雲水の食べている姿を見て、御主人は眼を細めて嬉しそうに見ていてくれた。
(二)
ある時、私は聞いた「ご商売ものをこんなに頂いて、申し訳ありません。あとのお客さんに差しつかえありませんか」「いやいや、雲水さんに食べていただくのが私の罪滅ぼしなんですよ」と言って、河合さんはこれまでのいきさつや、身の上話を聞かせてくれた。私は話を聞きながら、思わず襟(えり)を正した。河合さんの話によれば、五年ほど前までは、梅林寺から托鉢に廻ってくる雲水の声が聞こえてくると、いつもじっと奥さんと二人で部屋のかげに隠れて手を合わせ、家を通り過ぎるのを待っていた。その頃は貧しくて、托鉢僧に差し出す小銭さえなく、いつも心の中で申し訳ない、と思っていたのである。それが中華食堂を始めて、やっと生活に余裕が出来て「私たちも雲水さんにお昼ご飯の一杯でも、出せるようになった」と二人で喜び、また、人並みに御先祖の供養も出来るようになったからと、梅林寺の墓地を求め、毎朝五時には、きまってお墓参りにも行けるようになった、と。この話を伺(うかが)って一年も経たないうちに、あの河合さんが癌のために亡くなられ、中華食堂は閉められた。私はショックを受けた。なぜ、どうしてあの人が死ななければならないのか、これからやっと普通の生活ができるという時に。あまりに非情ではないか、神も仏もないものだ。河合さんは信仰して一体何を得たのか。もう、あの時から二十年経った今、禅語の「不風流処也風流(ふふうりゅうじょやふうりゅう) 」(風流ならざる処も、也(ま)た風流)という、一語を河合さんに贈りたい。精一杯生きた河合さん自身が風流三昧の一生であった。
(小話753)「なぜソロモンは、シバの女王とたった一度しか会わなかったか?」の話・・・
       (一)
ソロモンは生涯にたった一度シバの女王に会っただけだった。それは何もシバの女王が遠い国にいたためではなかった。タルシシの船や、ヒラムの船は三年に一度、金銀や象牙(ぞうげ)や猿や孔雀(くじゃく)を運んで来た。が、ソロモンの使者の駱駝(らくだ)は、エルサレムを囲んだ丘陵や沙漠(さばく)を一度もシバの国へ向ったことはなかった。ソロモンはきょうも宮殿の奥にたった一人坐(すわ)っていた。ソロモンの心は寂しかった。モアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等(とう)の妃(きさき)たちも、彼の心を慰めなかった。彼は生涯に一度会ったシバの女王のことを考えていた。シバの女王は美人ではなかった。のみならず彼よりも年をとっていた。しかし珍しい才女だった。ソロモンはかの女と問答をするたびに、彼の心の飛躍するのを感じた。それはどういう魔術師と星占いの秘密を論じ合う時でも感じたことのない喜びだった。彼は二度でも三度でも、或は一生の間でもあの威厳のあるシバの女王と話していたいのに違いなかった。けれどもソロモンは同時に又シバの女王を恐れていた。それはかの女に会っている間は彼の智慧(ちえ)を失うからだった。少くとも彼の誇っていたものは彼の智慧か、かの女の智慧か見分けのつかなくなるためだった。ソロモンはモアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等の妃たちを蓄えていた。が、彼女等は何といっても彼の精神的奴隷だった。ソロモンは彼女等を愛撫(あいぶ)する時でも、ひそかに彼女等を軽蔑(けいべつ)していた。しかしシバの女王だけは時には反って彼自身を彼女の奴隷にしかねなかった。ソロモンは彼女の奴隷になることを恐れていたのに違いなかった。しかし又一面には喜んでいたのにも違いなかった。この矛盾はいつもソロモンには名状の出来ぬ苦痛だった。
(参考)
@ソロモン王・・・イスラエル王国第3代の王。ダビデ王の子。通商を振興して経済を発展させ、エルサレムに神殿や宮殿を建設、いわゆる「ソロモンの栄華」を現出したが、国民は重税に苦しみ、死後、国土は分裂した。知者・詩人として知られ、しばしば「ソロモンの知恵」「ソロモンの箴言(しんげん)」として言及される。(小話177)「英知の王といわれたソロモン王」の話・・・と(小話747)「イスラエルの偉大なる王ソロモン。その比類なき栄華と大いなる知恵」の話・・・を参考。
       (二)
或日の暮、ソロモンは宮殿の露台にのぼり、はるかに西の方を眺めやった。シバの女王の住んでいる国はもちろん見えないのに違いなかった。それは何かソロモンに安心に近い心もちを与えた。しかし又、同時にその心もちは悲しみに近いものも与えたのだった。すると突然、幻は誰(たれ)も見たことのない獣を一匹、入り日の光の中に現じ出した。獣は獅子に似て翼を拡(ひろ)げ、頭を二つ具(そな)えていた。しかもその頭の一つはシバの女王の頭であり、もう一つは彼自身の頭だった。頭は二つとも噛(か)み合いながら、不思議にも涙を流していた。幻は暫(しばら)く漂っていた後、大風の吹き渡る音と一しょに忽(たちま)ち又空中へ消えてしまった。そのあとには唯(ただ)かがやかしい、銀の鎖に似た雲が一列、斜めにたなびいているだけだった。ソロモンは幻の消えた後もじっと露台に佇(たたず)んでいた。幻の意味は明かだった。たといそれはソロモン以外の誰にもわからないものだったにもせよ。エルサレムの夜も更けた後、まだ年の若いソロモンは大勢の妃たちや家来たちと一しょに葡萄の酒を飲み交していた。彼の用いる杯や皿はいずれも純金を用いたものだった。しかしソロモンはふだんのように笑ったり話したりする気はなかった。「番紅花(サフラン)の紅(くれない)なるを咎(とが)むる勿(なか)れ。桂枝(けいし)の匂(にほ)へるを咎むる勿れ。されど我は悲しいかな。番紅花(サフラン)は余りに紅(くれない)なり。桂枝(けいし)は余りに匂ひ高し」ソロモンはこう歌いながら、大きい竪琴(たてこと)を掻(か)き鳴(な)らした。のみならず絶えず涙を流した。彼の歌は彼に似げない激越の調べを漲(みなぎ)らせていた。妃たちや家来たちはいずれも顔を見合せたりした。が、誰もソロモンにこの歌の意味を尋ねるものはなかった。ソロモンはやっと歌い終ると、王冠を頂いた頭を垂れ、暫(しばら)くはじっと目を閉じていた。それから、それから急に笑顔を挙げ、妃たちや家来たちとふだんのように話し出した。タルシシの船やヒラムの船は三年に一度、金銀や象牙や猿や孔雀を運んで来た。が、ソロモンの使者の駱駝は、エルサレムを囲んだ丘陵や沙漠を一度もシバの国へ向ったことはなかった。
(参考)
芥川龍之介「三つのなぜ」より。


(小話752)「聖十字架」の話・・・
    (一)
伝説より。最初の人間であるアダムとイヴ(またはエバ)は犯した罪(原罪)によって、エデンの園を追放された後、アダムは老いて病(やまい)に罹(かか)り「死」が訪れようとしていた。アダムは息子のセツをエデンの園の大天使ミカエルのもとに遣(つか)わし、病を癒(いや)す「憐れみの木の油」を求めさせた。アダムの息子セツはエデンの園に赴(おもむ)き、大天使ミカエルから一本の木の枝を与えられ「この小枝が実をつければ、あなたの父は、健康な体にもどるでしょう」と告げられた。セツは急いで持ち帰って父を救おうとしたが、時すでに遅く、アダムは息を引き取った後であった。セツはエデンの園から持ち帰った木の枝を、その墓に植えた。その木の枝は立派に成長し、ソロモン王の時代になって神殿(神殿に付属の「レバノンの森の家(武器庫)」)の建設用の木材として使われることになった。だが、どうしても寸法が合わず、木はエルサレムの川に橋(シアロムの池にかかる小橋の建材)として架けられた。
(参考)
@犯した罪(原罪)・・・アダムとイブがエデンの園で犯した罪(知恵の樹 (ちえのき=善悪の知識の木ともいう)を食べた不服従の罪)。神は言った「見よ。人は我々の一人のようになり、善悪を知るようになった。今、人が、手を伸ばし、いのちの木から取って食べ、永遠に生きないようになった」。アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。アダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。(エデンの園を追放されたアダムとイブ(エバ)にやがてカインとアベルという二人の息子が与えられた。アダムの息子たちは成長し兄は農夫、弟は羊飼いとなりました。兄カインが弟アベルを殺害し遺体を放棄した。カインは追放。こうして、二人の息子を失ったイブ(エバ)はその後、新たに子供を身ごもった。セツの誕生である)
A大天使ミカエル・・・カトリック教会における大天使の一。教会・信徒の守護者。ユダヤ教ではイスラエル民族の守護者。
「アダムの死」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
    (二)
ソロモン王の知恵を噂に聞いたシバ(シェバ)の女王は、エルサレムを訪れる途中、この橋の前にさしかかった。ところが、彼女はその橋に足をかけることを断固として拒否した。その橋、つまり「聖木」の将来の用途に胸騒ぎがしたからであった。その木は、後に十字架となり救い主(イエス・キリスト)がこの木に磔(はりつけ)にされることを予知し、シバの女王は跪(つまづ)いて礼拝した。そしてソロモン王に忠告したのであった。シバの女王の忠告を聞いたソロモン王は、ユダヤ人の王国に終末をもたらすかもしれないと、その橋を取り除かせ、地中深く埋めさせた。やげて、「聖木」のことは人々の記憶から忘れ去られてしまった。数世紀後、聖母マリアは天使から救世主(イエス)を身ごもったことを告げられた。イエスが誕生した後、ちょうど「聖木」を埋めた場所に、神殿に捧げる生け贄(にえ)の獣を洗う池が掘られることになった。池を掘っていると、水が吹き上げてきて、それが万病に効く霊水だということがわかった。そして、キリストの受難が近づいたころ、その「聖木」がひとりでに浮かび上がってきた。こうして、シバの女王の予言通り、その「聖木」で十字架が作られ、キリストの受難の道具(キリストが磔(はりつけ)られる十字架)となった。
(参考)
@ソロモン王・・・イスラエル王国第3代の王。ダビデ王の子。通商を振興して経済を発展させ、エルサレムに神殿や宮殿を建設、いわゆる「ソロモンの栄華」を現出したが、国民は重税に苦しみ、死後、国土は分裂した。知者・詩人として知られ、しばしば「ソロモンの知恵」「ソロモンの箴言(しんげん)」として言及される。(小話177)「英知の王といわれたソロモン王」の話・・・と(小話747)「イスラエルの偉大なる王ソロモン。その比類なき栄華と大いなる知恵」の話・・・を参照。
Aシバ(シェバ)の女王・・・紀元前1000年ごろの伝説上の人物で、旧約聖書やコーランによると、エルサレムにソロモン王を訪ねた、という。
Bキリストの受難・・・キリストの死と、死からの復活によって、人間の救済が約束されることになった。
「聖木の礼拝とソロモン王とシバの女王の会見」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
「聖木の埋葬」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
「受胎告知」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
    (三)
キリストの受難からも、すでに3世紀もの時が流れた。エルサレムは二度のユダヤ戦争によって破壊され、135年ごろにはローマ風の都市へと再開発された。このため、イエス・キリストの磔刑(たっけい)のゴルゴタの位置は分からなくなっていた。そして4世紀の初め、ローマ帝国の統治権をめぐってコンスタンティヌスが、マクセンティウスと雌雄を決するために「ミルヴィオ橋」の戦いに臨んだ。決戦前夜、コンスタンティヌスは夢に現れた天使から「十字架の印(しるし)を戦陣に掲(かか)げよ」という神のお告げを受けた。そこで、天使からの夢のお告げ通りに、コンスタンティヌスは軍旗の代りに「十字架」の印を旗を掲げて進軍した。すると、相手のマクセンティウスは自分でかけた罠にはまり、溺死してしまった。奇跡的な勝利をおさめたコンスタンティヌスは、晴れてローマ帝国の新皇帝となった。新皇帝となったコンスタンティヌスはキリスト教を公認した。熱心なキリスト教徒であったコンスタンティヌス皇帝の母ヘレナ(聖女ヘレナ)は、「聖十字架」を探すためにエルサレムに巡礼した。「聖十字架」の隠された場所を知っていたのはユダ(ユダ・クィリアクス)という男であった。しかし、ユダは隠し場所を明らかにすることを拒んだので、涸れ井戸の中に吊されて拷問を受け、七日目についに白状した。それによるとヴェヌス(ヴィーナス)神殿に、キリストが磔にされたゴルゴダの丘の三本の十字架が隠されている、ということであった。ユダの白状通り、ゴルゴダの丘のヴェヌスの神殿を壊し地中を掘ると、三本の十字架が発見された。だが、キリストと一緒に二人の罪人が十字架に架けられていたので、どれが実際にキリストが磔にされた十字架なのかわかなかった。ちょうどその時、死んだ若者の葬列が通りかかったので、掘り出された三本の十字架を順番に死者の上にかざしてみた。一番目、二番目では何も起こらなかったが、三番目の十字架をかざすと死者はたちまちよみがえり、ヘレナは真の十字架を判別できた。
(参考)
@聖女ヘレナ・・・ローマ皇帝コンスタンティヌス帝の母。貧しい家に生まれ苦労しながら息子をローマ皇帝(コンスタンティヌス大帝)にし、自らはその後もずっと質素な暮らしを続け、貧しい人を助け教会を寄進した。コンスタンティヌス帝の代からキリスト教が正式な宗教としてローマ帝国の中で認められた事実の背景には、母親ヘレナの功績が大きかった。
Aヴェヌス(ヴィーナス)の神殿を壊し・・・これを取り壊し、建てられたのが現在の聖墳墓教会である。
「コンスタンティヌスの夢」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
「コンスタンティヌス帝とマクセンティウス帝の戦い」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
「ユダの拷問」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
「十字架の発見と十字架の検証」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
    (四)
再び3世紀ほどの歳月が流れた614年のこと、ササン朝のペルシア王ホスロー2世がエルサレムを攻めた。そして、エルサレムの聖墳墓教会に置かれていた「聖十字架」の一部が異教徒の手に奪われてしまった。ホスロー2世は、見せかけだけ立派な神殿に鎮座(ちんざ)し、キリストの十字架を自分の横に置き、臣下の者たちに自分を神と呼ぶように命じた。628年、東ローマ帝国皇帝ヘラクリウスは大軍を率(ひき)いて進撃し、最後にホスロー2世の息子と一騎打ちをして勝利を収め、「聖十字架」を奪還した。皇帝ヘラクリウスはホスロー2世に「洗礼を受けてキリスト教に改宗するなら、命だけは助ける」という条件を出したが、ホスロー2世が応じなかったので、剣で彼の首をはねた。「聖十字架」を奪還した皇帝ヘラクリウスは、「聖十字架」をエルサレムに返そうと、飾り立てた愛馬に乗って意気揚々とエルサレムに入城しようとした。すると、突然に城門の石が崩れ、行く手を阻(はば)んだ。戸惑(とまど)う皇帝ヘラクリウスの上に天使が現れて「主イエスが、かってこの門を通ってご受難の場所におもむかれたときは、つつましくロバに乗っておられ、きらびやかな盛衣などお召しになっていませんでした」と告げた。この天使の言葉を聞いた皇帝は、豪華に飾り立てた愛馬から下りて靴を脱ぎ、肌着以外の栄華を示すものをいっさい脱ぎ捨てた。そして、謙虚に「聖十字架」を掲げると、城門は元に戻って開かれ、エルサレム市民は歓呼の声で皇帝一行を迎えた。
(参考)
@ペルシア王ホスロー2世・・・ペルシャ王コスロエスという説もある。
A「聖十字架伝説」とは、キリストが磔刑に処せられた十字架の木にまつわる伝説で、旧約聖書のエデンの園から始まり、7世紀の東ローマ皇帝ヘラクリウスの時代にまで及ぶ、壮大な歴史的長編ドラマで、13世紀にジェノヴァの大司教であったヤコポ・ダ・ヴァラジネが集大成した中世の聖人伝「黄金伝説」に収められている。早い時期から「聖十字架」は分割され、あちこちに置かれたらしい。又、「聖十字架」の破片であると主張される木片は多いが、総計すると十字架数十本分に当たり、ゆえにほとんどがまがい物であるという。
「ヘラクリウスとコスロエスの戦い」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
「聖十字架の賞揚」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会の壁画」の絵はこちらへ


(小話751)「イソップ寓話集20/20(その18)」の話・・・
      (一)「ワシと矢」
そびえ立つ岩の上から、ワシがウサギを狙っていた。しかし、岩影から射手がそのワシを狙っていた。放った矢は正鵠(せいこく)を射た。ワシは、胸を貫いた矢を一瞥(いちべつ)して絶叫した。「なんと言うことだ。この矢羽は、私の羽だ。ああ、私は自分の羽に殺される。私にとってこれほどの苦しみが他にあろうか」
      (二)「ライオンとイルカ」
ライオンが浜辺をうろついていると、イルカが波間から頭を出しているのを見つけた。そこでライオンは、互いに同盟を結ぼうとイルカに言った。と、言うのも、一方は、地上の王であり、一方は、海の王として君臨しているからだ。イルカは、ライオンの申し出を快く受け入れた。それからすぐに、ライオンは野牛と戦争することになり、イルカに加勢を求めた。イルカは、勇んで、ライオンに加勢しようとした。しかし、出来なかった。と、言うのも、どうにもこうにも地上へ行けなかったからだ。ライオンは、イルカを裏切り者と罵った。するとイルカはこう答えた。「それじゃあ、あなた、泳いで来て私を陸へ連れていって下さいな」
      (三)「ライオンとイノシシ」
ある夏の大変暑い日の事、イノシシが喉(のど)の渇きを癒(いや)そうと井戸へとやってくると、時を同じくして、ライオンもやって来た。彼らは敵意をむき出しにして、どちらが先に井戸水を飲むかと言い争い、そしてすぐに、生死を賭けた戦いが始まった。彼らは、いよいよ激しくぶつかり合おうと、息を止めて睨み合った。と、その時、二匹は、禿(はげ)タカどもが少し離れたところから、こちらを伺っているのに気が付いた。すると、どちらからともなくこう言った。「喧嘩はヤメだ。ヤメ! さあ、仲良く水を飲もう」


(小話750)「蛍(ほたる)と老婆」の話・・・
       (一)
ある禅僧の話より。お寺の近くに、蛍(ほたる)が群棲(ぐんせい)しているところがある。じっと立っていると体中に蛍がとまって、さながら人間ネオンになる。ある婆さんはお爺さんと一緒に蛍(ほたる)のいる場所に出かけた。その地域は蛍の名所として売り出そうとしているから捕(つか)まえて持ってくるわけにはいかない。お婆さんはそれでもそっと六、七匹の蛍を両手に忍ばせて持ち帰ろうとした。「あっ!ちょっとちょっと。おばあちゃん、蛍を持ってったらあかんやないの」「堪忍して。たった一つっきりやから堪忍して」「しょーがないな。本当は持ってったらあかんのやよ」。お婆さんは家に帰ったら早速、大事に蛍篭(ほたるかご)に入れ、中の草に丁寧に霧吹きをして更に、薄い布を被せて、それにも霧吹きをして段ボールに入れ、翌朝、宅配便で東京の孫に送った。
       (二)
東京の孫は大喜びして、お婆さんにお礼の電話をした。「お婆ちゃん、有難う!蛍はとっても奇麗(きれい)で、すっごく嬉しかったよ。生まれて初めて見たんだけど、ほんとに、ほんとに光ってるのって不思議だね」「そうか、そうか。喜んでくれてお婆ちゃんも嬉しいよ。だけどね中のお手紙もちゃんと読んで頂戴よ」「うん。わかってるよ。お婆ちゃんの言う通りにするよ。じゃあね、ありがとう」。孫への手紙は「昨日、お婆ちゃんは蛍を見に行ってきました。何百、何千という蛍が飛んでいて見事でした。見ているうちに、お前たちのことを思いだし、どうしても蛍を見て欲しくなり、捕(つか)まえてきました。しっかり見てください。でもね、蛍も生きています。篭(かご)の中では死にたくないでしょうね。だから、一日だけ見たら、近くの、なるべく奇麗な水のある公園に逃がしてください。お願いします」(お婆ちゃんより)
       (三)
「大学」という書物に、「心誠求之 雖不中不遠矣」(心、誠(まこと)に之を求むれば中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず)という言葉がある。人間まごころをこめて、事に当たれば、たとえ完全とはいかないまでも、まずはよい結果が得られる。この言葉は、まごころを尽くすことの大切さを説く。世間では、躾(しつ)け、躾(しつ)けとやかましく言う方もいるが、愛情のない躾(しつ)けは見破られ、却って人間関係を損なう。殊更(ことさら)に口に出さずとも愛情のある行いは、自然に人を感化し、道からもそうそう外れるものではない。お婆さんは信仰に支えられ、有言、不言の中に子から孫へ、人として大切なものを伝えていっているような気がする。


(小話749)「子供と二人の母親。日本(大岡裁き)とアラビアと中国」の話・・・
        (一)
         江戸時代のこと。一人の子供をめぐり、「私が実の母親だ」と主張する二人の女が町奉行所に訴えた。これに対して、町奉行の大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)は真偽(しんぎ)を見極めるために、女たちに、子供の腕を両側から引っ張り、引き勝ったほうが、子供の親とすると言い渡した。二人の女は、何としてもその子を手離したくないという一心で、両側から必死に腕を引っ張った。子供は痛みに耐えかねて、とうとう泣き出してしまった。それを見た片方の女は、泣きじゃくる子供の姿に耐え切れずに、子供の手を放してしまった。子供を奪い取った女は、自分が勝ったと喜んだが、大岡越前守忠相は、手を放した女こそ真の母親であると裁定を下(くだ)した。真実の親だからこそ、泣く子を哀れに思い、手を放したのだと、判断したのであった。
(参考)
@二人の女・・・(小話748)「ソロモンの知恵(二人の遊女)」の話・・・を参照。
A民話より。嫁と姑(しゅうとめ)が同時に子を産んだが、産婆が赤ん坊を産湯につからせている間に、どの子がどちらの子かわからなくなってしまった。赤ん坊は男の子と女の子だったので、嫁も姑も「男の子が自分の子」と言ってゆずらなかった。そこで名奉行と名高い大岡越前のところへ訴え出た。大岡越前は言った「訴えを申し述べよ」。役人は答えた「この者たちは嫁と姑でございます。同じ日に男女の赤子を生みおとしましたが、産婆の手違いでどちらの子かわからなくなってしまいました。互いに男の子を我が子と言ってゆずりませぬ。どうかお裁きを」「あいわかった。なれば同じ形の椀(わん)を二つ持て。嫁姑ともどもこの椀に乳汁を絞り出すがよい。これを秤(はか)りくらべて重いほうを男の子の母とせよ」(男の子を産めば濃い乳がたくさん出るものである)。
        (二)
  アラビアでのこと。アラビアは一夫多妻の国で、二人の妻を同じ部屋に住まわせていた男がいた。二人の妻が同じ時期に子を産み、一人の子供が死亡した。時の裁判官が二人の母乳の重さを量り、重いほうに子供を与えた。だが、もう一人の女が承知しなかった。そこで裁判官は子供を引っ張り二つに引き裂いて、それぞれを与えようと言った。これを聞いた乳重き女は、子供をもう一人の女に生きたまま与えてほしいと懇願した。二人の女の反応を見ていた裁判官は、子供を殺さないでと懇願した女こそ本当の母親である、と裁きを下したのであった。
(参考)
@「アラビア夜話(アラビアンナイト)」より
        (三)
中国でのこと。ある兄弟が同じ家に住んでいた。兄の嫁と弟の嫁は同時に懐妊し、兄嫁の子は腹の中で死んでしまった。けれど兄嫁はこのことを黙っていて、まもなく生まれた弟の嫁の子を奪いとって自分のものにしようとした(跡継ぎがいないと、その家の財産を自分のものにできないため)。一人の子供をめぐって三年の間、言い争いが続き、ついに役所に訴え出て裁(さば)きをうけることになった。裁判官は、女房たちに子供を奪いあわせて、勝ち取ったほうが本物の母親と言った。そこで子争いがはじまったが、兄嫁は子供の足が折れるほど激しく奪い取ろうとしたが、弟の嫁は子供がかわいそうで力を込められなかった。それを見て裁判官は、子供は弟の嫁のものとして、兄嫁を処罰した。
(参考)
@中国の「棠陰比事(とういんひじ)」より。


(小話748)「ソロモンの知恵(二人の遊女)」の話・・・
        (一)
ある時、偉大なソロモン王の前に、二人の遊女が訴え出た。しかし、二人の遊女の証言がくい違っていた。二人の遊女は同じ家に住み、同じ頃に出産したが、ある朝、一人の子が死んでいた。そして、生きている子供を、自分の子だと両人が主張した。夜中におきた事件で、目撃者はいなかった。「二人の遊女が王のところに来て、その前に立った。一人の女が言った「わが君。私とこの女とは同じ家に住んでおります。私はこの女といっしょに家にいるとき子どもを産みました。ところが、私が子どもを産んで三日たつと、この女も子どもを産みました。家には私たちのほか、だれもいっしょにいた者はなく、家にはただ私たち二人だけでした。ところが、夜の間に、この女の産んだ子が死にました。この女が自分の子の上に伏したからです。この女は夜中に起きて、はしためが眠っている間に、私のそばから私の子を取って、自分のふところに抱いて寝かせ、自分の死んだ子を私のふところに寝かせたのです。朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きてみると、どうでしょう、子どもは死んでいるではありませんか。朝、その子をよく見てみると、まあ、その子は私が産んだ子ではないのです」。すると、もう一人の女が言った「いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子です」。先の女は言った「いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です」こうして、女たちはソロモン王の前で言い合った。
(参考)
@ソロモン王・・・イスラエル王国第3代の王。ダビデ王の子。通商を振興して経済を発展させ、エルサレムに神殿や宮殿を建設、いわゆる「ソロモンの栄華」を現出したが、国民は重税に苦しみ、死後、国土は分裂した。知者・詩人として知られ、しばしば「ソロモンの知恵」「ソロモンの箴言(しんげん)」として言及される。(小話177)「英知の王といわれたソロモン王」の話・・・と(小話747)「イスラエルの偉大なる王ソロモン。その比類なき栄華と大いなる知恵」の話・・・を参考。
        (二)
そこでソロモン王は言った「一人は「生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子だ」と言い、また、もう一人は「いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ」と言う」。そして、王は「剣をここに持って来なさい」と命じた。剣が王の前に持って来られると、王は言った「生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい」。すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った「わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください」。しかし、もう一人の女は「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断(た)ち切ってください」と言った。 そこで王は宣告を下して言った「生きている子どもを初めの女に与えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ」(旧約聖書-列王記上第3章)。イスラエル人はみな、ソロモン王が下したさばきを聞いて、ソロモン王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、裁きをするのを見たからである。こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となった。
(参考)
@(小話105)ある「三つのたとえ話」の話・・・と(小話749)「子供と二人の母親。日本(大岡裁き)とアラビアと中国」の話・・・を参照。
「ソロモンの審判」(ブーローニュ)の絵はこちらへ
「ソロモンの審判」(ニコライ・ゲイ)の絵はこちらへ
(小話747)「イスラエルの偉大なる王ソロモン。その比類なき栄華と大いなる知恵」の話・・・
         (一)
古代(紀元前1千年)に、空前の栄華を極め、神のごとき知恵を有したソロモン王は、イスラエル王国の第三代の王であった。ソロモン(「平和な」という意味)は、先代の偉大な王ダビデとその数多い妻の内、家臣の妻バテ・シェバとの間に出来た四番目の息子であった。年老いたダビデ王(ほぼ70歳)は、病に倒れた。そして、ダビデ王は、夢の中で神がソロモンに王位を継がせよと語られたと話し、ソロモン(ほぼ20歳)に王位を継がせた。「知恵と富・栄光」を神より受けたソロモンは、兄のアドニヤ(アドニヤの謀反)が、ダビデ王の腹心の将軍ヨアブと祭司たちの支持を受けて反乱を起こして王位につこうとしたので、これを粛清(しゅくせい)した。王位に就(つ)いたソロモンはエジプトに朝貢(ちょうこう=貢物を差し出すこと)し、臣従することでイスラエルを安定させようとした。エジプトのファラオ(国王のこと)の娘をめとり、ギブオンで盛大な捧げ物をした。る夜、夢の中に神が出てきてソロモンに語りかけた「あなたに何を与えようか。願え」と問いかける神に対して、ソロモン王は「善悪を判断して、あなたの民を裁くために聞き分ける心を僕(しもべ)に与えてください」と願った。ソロモン王の願いは聞き届けられ、神は答えた「自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたの後(あと)に、あなたのような者も起こらない。その上、あなたの願わなかったもの、富と誉(ほま)れとをあなたに与える。あなたの生きている限り、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟(おきて)と命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう」(旧約聖書-列王記上第3章)ソロモン王の願いは、神の御心(みこころ)に適(かな)い大いに祝福され、ソロモン王が治める民(たみ)は富み、イスラエル王国は繁栄をきわめた。
(参考)
@ダビデ・・・古代イスラエル王国第2代の王。南方のユダと北方のイスラエルを統合してエルサレムに首都を定め、イスラエル史上最大の繁栄をもたらし、後世理想の王とたたえられた。ソロモン王の父。
「ソロモン王」(不明)の絵はこちらへ
         (二)
ソロモン王は王国を12の行政区に整理することから始め、12名の知事を各区域に配置した。首都エルサレムには、ソロモン王と9名の側近たちがいて全国を統治した。ダビデ王の側近には軍人が多く、知事は軍事の際の守備隊長をも兼ねていた。これに対し、ソロモン王の行政官には祭司が含まれていて、課税と宗教政策が行政の重要な目的であった。ソロモン王は各地区に砦を築いて軍隊を配備することも忘れなかった。彼は軍よりも文の王であっもが、周辺諸国に対して軍隊の配備も忘れなかった。だが、彼の基本政策は、軍事力による征服ではなく、交易を目的とする「知恵」による平和外交にあった。こうして、ソロモン王は税制と軍隊の配備と同時に、中央の大祭司たちを頂点として、各行政区に対する宗教的な教化政策を推し進めた。又、神殿建築は、ソロモン王の時代を象徴する国家的事業であった。しかも彼の神殿建築は、父ダビデの遺志でもあった。ソロモン王の神殿は、その様式から内装、備品に至るまで、古代からのカナン文化に彩られていた。にもかかわらず、この神殿は、紛れもなく「ヤハウェ(神)の栄光を示す神殿」であった。さらにソロモン王の知恵は、次のようであった「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。それで、彼の名声は周辺のすべての国々に広がった。彼は三千の箴言(しんげん)を語り、彼の歌は一千五首もあった。彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥や這(は)うものや魚についても語った。ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た」(旧約聖書-列王記上第5章)
(参考)
@カナン文化・・・イスラエル土着のカナン人の農耕文化=カナン文化。カナンに住んでいたいくつかの先住民族が、土地に根ざした高い文明と専従の軍隊を有していた。(カナンの地に入植したヘブライ人は、いつしか農耕を営むことになった。そして、農耕をすることは天候神バールを信じ、そのことは当然唯一の神ヤハウェへの信仰を捨てた。やがて、モーゼ率いるユダヤの民がエジプトを脱出し、カナンの地に棲んでいたバールの神を信じる異教徒の農耕の民を、神のお告げに従って虐殺した)
         (三)
ソロモン王の知恵のうわさは遠く、アラビア半島南西端の国にまで届いた。シェバの女王が、ソロモン王の名声を伝え聞き、難問をもって彼をためそうとしてやって来た。彼女は、非常に大ぜいの有力者たちを率(ひき)い、駱駝(らくだ)にバルサム油と、非常に多くの金および宝石を載(の)せて、エルサレムにやって来た。彼女はあらかじめ考えておいたすべての質問を浴びせたが、ソロモン王はそのすべてに解答を与えた。王に分からない事、答えられない事は何一つなかった。シェバの女王は、王に言った「私が国であなたの事績と、あなたの知恵とについて聞き及んでおりましたことは本当でした。 実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私には、その半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていた噂(うわさ)よりはるかにまさっています。なんとしあわせなことでしょう、あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう、いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできる家来たちは。あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたを着かせられたあなたの神、主はほむべきかな。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義とを行なわせられるのです」。彼女は百二十タラントの金と、非常にたくさんのバルサム油と宝石とを王に贈った。シェバの女王がソロモン王に贈ったほどに多くのバルサム油は、二度とはいって来なかった。オフィルから金を積んで来たヒラムの船団も、非常に多くのびゃくだんの木材と宝石とをオフィルから運んで来た。王はこのびゃくだんの木材で、主の宮と王宮の柱を造り、歌うたいたちのために、立琴と十弦の琴を作った。今日まで、このようなびゃくだんの木材がはいって来たこともなく、だれもこのようなものを見たこともなかった。ソロモン王は、その豊かさに相応したものをシェバの女王に与えたが、それ以外にも、彼女が求めた物は何でも、その望みのままに与えた。彼女は、家来たちを連れて、自分の国へ戻って行った。(旧約聖書-列王記上第10章)
(参考)
@シェバの女王・・・シェバの国が、どこにあったのかは、様々な説が考え出されてきた。シェバの国は、南サウジアラビアのイエメン地方にあったとするもの、北アフリカのエチオピア地方にあったと主張するもの、または、中東のペルシア地方だとするもの、中には、シェバの国は、コモロ諸島(マダガスカル島の西に位置する)にあったとする説まである。もともと、シェバの女王など、実在せず、聖書の中の架空の人物で、多神教の女神の化身だという説まであるという。
A質問を浴びせた・・・シェバの女王は「地から湧(わ)くのでも天から降るのでもない水は何でしょう?」と、第一番目の謎を出した。ソロモン王は答えた「それは、馬の汗だ。今一度、尋ねるがよい」。次に、女王はこう謎をかけた「その頭を嵐が駆け抜け、それは、身も世もなく泣きわめく。自由な者はそれを褒め、貧しき者はそれを恥じ、死せる者はそれを尊ぶ。鳥は喜び、魚は嘆く」ソロモン王は、その問いにも難なく答えた「それは、亜麻(あま)だ」。女王は、最後の謎を出した「女が息子にこう言います。お前の父は、私の父、お前の祖父は私の父です。お前は私の息子で、私はお前の姉です」「それは、ロトと二人の娘だ」と答えたという説もある。(ロトと二人の娘だ・・・、神ヤハウェがソドムとゴモラを滅ぼすことを決定したことをロトに伝えた。夜が明ける前に、ロトは妻と二人の娘を伴ってソドムを脱出し、逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」となった。その後、彼らは山中の洞窟に移り住んだが、ここでロトの二人の娘は父を酔わせ、父によって男子一人ずつを生んだ)
「シバの女王」(不明)の絵はこちらへ
「ソロモン王とシバの女王」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
「ソロモンとシバの女王」(ヴィッツ)の絵はこちらへ
「ソロモン王とシェバの女王」(不明)の絵はこちらへ
「ソロモン王とシバの女王の謁見」(フランチェスカ)の絵はこちらへ
         (四)
ソロモン王は神殿(ソロモンの神殿)と王宮を建てた他にも、数々の町々、城壁、その他の建築物を建てるなどの事業(ソロモンの栄華)を行なった。又、船団を設け貿易をして、莫大な富を得た。シェバの女王をはじめ、全世界の者がその知恵を聞こうとして謁見を求めて贈り物を持ってやって来た。「銀はソロモン王の時代には、価値あるものとはみなされていなかった」というほどの富が集中した。ところが、神に認められ、知恵と富と権力と偉大さにおいて、古今に比類ないとされるほどの人物であったソロモン王も、晩年には神の道から外れてしまい、自分の欲望や快楽に溺れて罪を犯していった。ソロモン王はファラオの娘のほかにもモアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。そして「七百人の王妃としての妻と三百人の側室(そばめ)」(旧約聖書-列王記上第11章)を得た。ほしいと思うものは何でも手に入れることができた。やりたいと思うことはなんでもすることができた。能力もあったし、権力も、富もあった。そして、年老いたソロモン王は彼女たちが慕う偶像の神々を拒否することがなかったばかりか、その神々に従い、高き所を築くことまでしてしまった。事ここにいたって神の怒りが下った。神はソロモン王に「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じた、わたしの契約と掟(おきて)とを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕(しもべ)ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える」(旧約聖書-列王記上第11章) と告げた。こうして王国は分裂の道を辿ることになった。
(参考)
@外国の女・・・ソロモン王の犯した誤りの第1は、巨大な栄華と異国の多くの女性を妻(この妻たちが彼の心をまよわせた)としたことによって、富の奢りと不敬(偶像礼拝)と己の知恵への驕(おご)りに陥った。そして、ソロモン王の犯した誤りの第2に、その過酷な賦役と重税であった。
         (五)
偉大なソロモン王にも、老化と死が近づいて来た。老化現象と死をソロモン王は、次のように述べている「その日になると、家を守る者(腕や手や指など)は震え、力ある人(背骨や脚)はかがみ、ひきこなす女(歯)は少ないために休み、窓からのぞく者の目はかすみ、町の門(耳)は閉ざされる。その時ひきこなす音(咀嚼)は低くなり、人は鳥の声(早起き)によって起きあがり、歌の娘(歌声)たちは皆、低くされる。彼らはまた高いもの(高所恐怖)を恐れる。恐ろしいものが道(つまづき)にあり、あめんどう(アーモンド)は花咲(白髪)き、いなご(男性自身)はその身をひきずり歩き、その欲望(媚薬)は衰え、人が永遠の家(死)に行こうとするので、泣く人(葬儀)が、ちまたを歩きまわる。その後、銀のひも(霊魂と肉体とを結ぶ霊)は切れ、金の皿(脳)は砕け、水がめ(肺)は泉のかたわらで破れ、車(心臓)は井戸のかたわらで砕ける。塵(ちり)は、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」そして「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ」(伝道の書-第12章)ソロモン王がエルサレムで全イスラエルを治めたのは四十年であった。ソロモン王(ほぼ60歳)は先祖と共に眠りにつき、父ダビデの町に葬られ、その子レハブアムがソロモンに代わって王となった。
(参考)
@伝道の書・・・「伝道の書」は旧約聖書の一つで知恵文学に属する。著者はダビデの子コヘレト(ソロモン)を名乗っている。
Aソロモンの知恵の黄金時代以降、王国はふたつに分裂し、預言者たちによる弾劾が厳しさを増す。やがて捕囚体験を経て帰還したユダヤ民族が、再びかつての王権を確立することはなかった。しかし、ソロモン時代の知恵は、それ以降も受け継がれ、箴言、ヨブ記、コヘレト(ソロモン)の言葉、知恵の書、シラ書、ダニエル書、ソロモンの詩編などの知恵文学を産み、これがイエスの時代へと受け継がれることになる。(小話177)「英知の王といわれたソロモン王」の話・・・を参考。
B「ソロモンの箴言」(抜粋)
(1)「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」
(2)「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」
(3)「自分の口と舌(言葉)とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない」
(4)「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる」
(5)「あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く」
(6)「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」
(7)「良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく」
(8)「なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ」
(9)「愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる」
(10)「憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう」
「ソロモン王の偶像崇拝」(不明)の絵はこちらへ
「ソロモンの偶像崇拝」(フランケンU世)の絵はこちらへ
さらに詳細な話は、「箴言」を読んで下さい。 「旧約聖書-箴言」はこちらへ


(小話746)「離魂病(りこんびょう=夢遊病のこと)」の話・・・
         (一)
宋(そう)のとき、なにがしという男がその妻と共に眠った。夜があけて、妻が起きて出た後に、夫もまた起きて出た。やがて妻が戻って来ると、夫は衾(よぎ)のうちに眠っているのであった。自分の出たあとに夫の出たことを知らないので、妻は別に怪(あや)しみもせずにいると、やがて奴僕(しもべ)が来て、旦那様が鏡をくれと仰(おっ)しゃりますと言った。「ふざけてはいけない。旦那はここに寝ているではないか」と、妻は笑った。「いえ、旦那様はあちらにおいでになります」
         (二)
奴僕も不思議そうに覗(のぞ)いてみると、主人はたしかに衾(よぎ)を被(き)て寝ているので、彼は顔色をかえて駈け出した。その報告に、夫も怪しんで来てみると、果たして寝床の上には自分と寸分違わない男が安らかに眠っているのであった。「騒いではならない。静かにしろ」夫は近寄って手をさしのべ、衾(よぎ)の上からしずかにかの男を撫(な)でていると、その形は次第に薄く且(か)つ消えてしまった。夫婦も奴僕(しもべ)も言い知れない恐怖に囚(とら)われていると、それから間もなく、その夫は一種の病いにかかって、物の理屈も判らないようなぼんやりした人間になった。
(参考)
岡本綺堂の「捜神記」より。


(小話745)「シバ(シェバ)の女王マケダ」の話・・・
         (一)
伝説より。昔、エチオピアはアクスムの町全体を、恐怖のどん底に落とし込んでいた一匹の巨大な大蛇がいたという。人々は、毎日、数えきれないほどの家畜を生け贄に捧げていた。そんな時、マケダという一人の美しく勇敢な娘が、あらわれ、平然と大蛇に近づくと、たちまちその首を切り落としてしまったということだ。住民は、熱狂して彼女を自分たちの王に戴いた。ここに至り、マケダはシバ(シェバ)の女王となったのである。女王は、まもなく、エルサレムに旅をした。そして、当時、世界にその名を轟かせていたソロモン王と知力において、互角に渡り合った。やがて、女王とソロモン王との間には男の子が生まれた。
(参考)
@シバ(シェバ)の女王マケダ・・・エチオピア説によればその名をマケダと呼び、イエメン説によればビルキスと呼ぶ。
Aソロモン王・・・イスラエル王国第3代の王。ダビデ王の子。通商を振興して経済を発展させ、エルサレムに神殿や宮殿を建設、いわゆる「ソロモンの栄華」を現出したが、国民は重税に苦しみ、死後、国土は分裂した。知者・詩人として知られ、しばしば「ソロモンの知恵」「ソロモンの箴言(しんげん)」として言及される。(小話747)「イスラエルの偉大なる王ソロモン。その比類なき栄華と大いなる知恵」の話・・・を参考。
         (二)
男の子は成人するとメネリクと名乗り、再びエルサレムに行き、父でもあったソロモン王と対面したのであるが、その時、メネリクは、神と共謀して、エルサレム神殿に安置されていた「契約の箱(聖櫃=アーク)」を盗み出してしまったのである。ソロモン王は、大変、悲嘆に暮れて、後を追ったが、盗み出したのが自分の息子でもあったので、泣く泣くエルサレムに引き返さざるを得なかった。一方、「契約の箱」を持ち帰ったメネリクは、シバの女王と住民すべてに祝福されたのだった。この日を堺にして、神はエルサレムを見捨てエチオピアに移っていった。こういうわけで、アクスムは聖都と呼ばれるようになった。そして、古代エチオピア帝国は、メネリク1世によって建国されたのであった。
(参考)
@契約の箱・・・「契約の箱(けいやくのはこ)」とは、「旧約聖書」に記されている、十戒が刻まれた石板を収めた箱のことである。証の箱(あかしのはこ)、掟の箱(おきてのはこ)、聖櫃(Ark:せいひつ)とも呼ばれる。ソロモン王の時代以降はエルサレム神殿の至聖所に安置される。
Aその後、エチオピアのアクスムは現在までも、11月下旬になると、この日を祝う行事が行われているという。又、エチオピアはアフリカではただ1か国、ヨーロッパの植民地にならなかったのみならず、「3000年の歴史」を持つ国であるという。
「契約の箱(聖櫃=アーク)」の絵はこちらへ智天使(ちてんし、ケルブ )。旧約聖書の創世記にはエデンの園の入り口を炎の剣を持って守っているとされる。また、「契約の箱」の上にはこの天使を模した金細工が乗せられている。神の姿を見ることができることから「智天使」の名で呼ばれる。


(小話744)「復活と結婚と天国」の話・・・
       (一)
ある牧師の話より。復活ということはないと言い張っていたサドカイ人のある者たちが、イエスに近寄ってきて質問した。「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています「もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない」。ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、七人とも同様に、子をもうけずに死にました。のちに、その女も死にました。さて、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである」(ルカによる福音書20:27-36)。これは復活ということはないと言い張っていたサドカイ派の人間がイエス様を困らせようと思って言ったことへのイエス様のお答えです。
       (二)
ここでイエス様は天国での人間のありようを説明されて、「かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもある」と言っておられます。天国での人は「天使に等しいものであり」また「神の子でもある」から、嫁(とつ)いだり、娶(めと)ったりしないというのです。最初、私はこの記事を読んで、天国はなんて水くさいところなんだろうと思いました。結婚することを俗に「二世を契(ちぎ)る」と申します。つまり、この世だけでなく、あの世へまでも愛し合って行こうというのです。日本の歌舞伎の世話物に多い男女の心中の物語は、あの世でこそ添い遂げようという切実なお芝居です。それだのに、あちらでは嫁いだり、娶ったりしないというのですから、冷水を浴びせかけられたようなものです。
       (三)
冷水を浴びたついでに、もう一杯氷水を浴びてみましょう。「あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイによる福音書5:43-48)。「自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか」と言われるのです。主イエスが十字架につけられる前の夜、お祈りになった言葉です。「わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります」(ヨハネによる福音書17:20−26)
       (四)
繰り返し繰り返し言われる「一つとなるため」「彼らが完全に一つとなるため」とは何でしょうか。カール・バルトは、「(天国では)愛する人だけでなく、他の人々とも再会します」と言いました。そして、高野勝夫先生は「他の人々というのは、もちろん私たちが会いたくない人々である。天国の門は我々の好きでない憎んでいる人にも開かれている」。イエス様はこのような人々をも含めて「一つとなるため」と言われ、「(神様が)彼らをお愛しになった」「あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおる」とおっしゃるのです。その「一つとなる」ということは「めとったり、とついだりすることはない」ということの、同じことの裏表なのです。この世の人間でなく、あの世の人間の関係です。イエス様が言われる「天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもある」という者同志の愛し合う関係が成立するのです。まさに、敵も憎む者も赦し合い一つとなり「あなた(すなわち神様が)がわたし(イエス・キリスト)を愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおる」というような関係の成り立つところが天国なのです。パウロは言います。「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう」(コリント人への第一の手紙13:12)。ここで私は、あのカール・バルトと一婦人との会話を作り変えたいと思います。「先生、お教えください。私たちが天国で、愛する人々みんなと再会できるというのは本当に確かなのでしょうか。」バルトはこの婦人を見据えながら、おもむろに、しかし力をこめて、答えます。「確かです。そして、以前は愛していなかったが今は愛する他の人々とも再会します」
(参考)
@カール・バルト・・・スイスの神学者。弁証法神学の創唱者の一人。神の啓示を神学の中心問題とし、聖書的福音主義を唱え現代神学に大きな影響を与えた。


(小話743)「ソロモン王とその栄華(現実と永遠への想い)」の話・・・
        (一)
わたし(ソロモン王)は自分の心に言った「さあ、快楽をもって、おまえを試(こころ)みよう。おまえは愉快に過ごすがよい」と。しかし、これもまた空(くう)であった。わたしは笑いについて言った「これは狂気である」と。また快楽について言った「これは何をするのか」と。わたしの心は知恵を持ってわたしを導いているが、わたしは酒をもって自分の肉体を元気づけようと試みた。また、人の子は天(あま)が下でその短い一生の間、どんな事をしたら良いかを見きわめるまでは、愚かな事をしようと試みた。わたしは大きな事業をした。わたしは自分のために家を建て、ふどう畑を設け、園と庭をつくり、またすべての実のなる木をそこに植え、池をつくって、木のおい茂る林にそこから水を注がせた。
(参考)
@ソロモン王・・・イスラエル王国第3代の王。ダビデ王の子。通商を振興して経済を発展させ、エルサレムに神殿や宮殿を建設、いわゆる「ソロモンの栄華」を現出したが、国民は重税に苦しみ、死後、国土は分裂した。知者・詩人として知られ、しばしば「ソロモンの知恵」「ソロモンの箴言(しんげん)」として言及される。(小話177)「英知の王といわれたソロモン王」の話・・・と(小話747)「イスラエルの偉大なる王ソロモン。その比類なき栄華と大いなる知恵」の話・・・を参考。
        (二)
わたしは男女の奴隷を買った。また、わたしの家で生まれた奴隷を持っていた。わたしはまた、わたしより先にエルサレムにいた、だれよりも多くの牛や羊の財産を持っていた。わたしはまた、銀と金を集め、王たちと国々の財宝を集めた。また、わたしは歌うたう男、歌うたう女を得た。また、人の子の楽しみとする側女(そばめ)を多く得た。こうして、わたしは大いなる者となり、わたしより先にエルサレムにいたすべての者よりも、大いなる者となった。わたしの知恵もまた、わたしを離れなかった。何でもわたしの目の好むものは遠慮せず、わたしの心の喜ぶものは拒まなかった。わたしの心がわたしのすべての労苦によって、快楽を得たからである。そして、これはわたしのすべての労苦によって得た報いであった。そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧(かえり)みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下に益となるものはないのである。
(参考)
「伝道の書(旧約聖書の一つで知恵文学に属する。「空の空、空の空なるかな、すべて空なり」で始まり、現実の不条理と永遠への想いを語る)」(2章1〜11節)より。著者はダビデの子コヘレト(ソロモン)を名乗っている。