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(小話682)「トロイア陥落後の女王ヘカベの悲劇」の話・・・
           (一)
ギリシャ神話より。トロイア(トロイ)王国は、十年に渡るギリシャとの戦争の末、「トロイの木馬」の奸計で一夜にして陥落した。ギリシャ軍によってトロイアの男はすべて殺され、女はすべて奴隷にされた。それらの女奴隷の中には、トロイア王プリアモスの王妃ヘカベとその娘たちもいた。そして王妃ヘカベは、戦利品としてギリシャ軍の智将オデュッセウスに与えられた。彼女の娘カサンドラはギリシャ軍総大将アガメムノンの妾(めかけ)に、ヘカベの息子ヘクトルの妻アンドロマケは、英雄アキレウスの息子ネオプトレモスのものになった。又、ヘクトルの遺児アステュアナクスは城壁から突き落とされた。こうして王妃ヘカベには、一気に不幸が襲った。そして、さらに不幸は続いた。王妃ヘカベが智将オデュッセウスと共に海を渡ってケルソネソスへと連れてこられたある夜、末息子のポリュドロスが夢に現れ、その悪い夢見に陣屋の外へ出ると、不幸な知らせが舞い込んだ。英雄アキレウスの霊を弔(とむら)うために、娘のポリュクセネが生贄(いけにえ)にされることに決まったという。王妃ヘカベは、オデュッセウスにすがって助けてくれるよう懇願した。王妃ヘカベは言う。オデュッセウスが乞食に身をやつしてトロイア王国に内情をさぐりにきて捕らえられた時、お前はなんといって命乞いしたか、おぼえているか。お前は命(いのち)一つ分の借りがあるはずだ、と。オデュッセウスは、借りがあるから、お前を自分の奴隷にして、保護下に置いたのだ、英雄アキレウスの霊の意思に背いて、娘を助けることは出来ない、と冷たく答えた。オデュッセウスは、王妃ヘカベの助命を受け付けなかった。そうした中ポリュクセネは奴隷に落ちるよりは死を選ぶと、進んで生贄になった。ポリュクセネの死を嘆いている王妃ヘカベには、新たな知らせが舞い込んだ。もしもの時に備えて友人であるトラキアの王ポリュメストルに財産と共に預けていた末息子のポリュドロスが、浜で遺体となって発見されたのであった。
(参考)
@十年に渡るギリシャとの戦争・・・・(小話668)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(1/3)」の話・・・と(小話669)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(2/3)」の話・・・と(小話670)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(3/3)」の話・・・を参照。
Aポリュドロスが浜で遺体・・・ギリシャ軍の勇将、大アイアスはトラキア王にかくまわれていたトロイア王プリアモスの末息子ポリュドロスを捕虜とした。そして、軍事会議によりポリュドロスは戦場で石打ちの刑で処刑されたという説もある。
「ポリュメストルによるポリュドロスの殺害」の挿絵はこちらへ
         (二)
末息子のポリュドロスの霊によって、王妃ヘカベはトラキアのポリュメストル王が財産目当てでポリュドロスを殺害したのだと知った。ヘカベは復讐を決意し、ギリシャ軍の総大将アガメムノンに懇願したが、アガメムノンが渋ったため自ら復讐を決行することを決意し、アガメムノンには復讐を黙認してもらうことにした。トラキアの王ポリュメストルは王妃ヘカベに呼び出されて、彼女のテントにやって来た。ヘカベはトロイアの女たちと共にポリュメストル王の目をつぶし、同行して来たポリュメストルの子供たち二人を殺害した。目をつぶされたポリュメストル王は無人島へ追放となったが、その際、王妃ヘカベとギリシャ軍の総大将アガメムノンに不吉な死の予言を残した。王妃ヘカベには、嵐にあい溺れて死ぬであろう、そして総大将アガメムノンには、妻クリュタイムネストラに、愛人カッサンドラと共に殺害されるであろう、と。王妃ヘカベは、末息子のポリュドロスの復讐を果たした後、オデュッセウスと共に船に乗ってイタケに向かう途中、火のように輝く目の雌犬に変身し、帆柱によじ登って、そのまま海に落ちて溺れて死んだ。
(参考)
@死の予言・・・ポリュメストル王は、ヘカベとアガメムノンの死をトラキアの守護神ディオニュソスより聞き知った。
A雌犬に変身・・・ポリュクセネの不運を嘆いていた王妃へカベの姿が人から犬へと変わっていった。さらに犬になったヘカベは、堅い石へとその姿を変えていく。その光景を目の当たりにしたギリシャ軍の予言者カルカスは兵士に命じ、石の犬となったヘカベを一隻の船に乗せヘレンポントス海峡に流してやったという説もある。
「ポリュメストルの目を潰すヘカベ」(クレスピ)の絵はこちらへ


(小話681)「中国の二十四孝の物語(12/12)(その1)」の話・・・
      (一)「王褒(おうほう)
三国時代、魏の国に一人の孝子がいた。その名を王褒(おうほう)といい、俗名を偉元(いげん)といった。王褒の父、王義(おうぎ)が時の皇帝の怒りに触れて罪も無いのに亡くなった。王褒はこれを恨み、皇帝の居る方角には決して向かないで座った。王褒は父の墓の前で礼拝し、傍らにあった柏の木にすがって泣き続けた為に、柏の木は枯れてしまう程であった。又、母親に仕えて、まことに孝行者であった。その母親が、生前には臆病な人で、そのうち最もこわがったのは空に鳴りわたる雷鳴の轟きであった。王褒がたまたま雷鳴を聞いた時は、急いで帰宅して、母親のそばにいて安心させるのが常であった。その母親の死後、ある日、大風、大雨、雷鳴の時、王褒はその風雨をものともせず、母親のお墓にかけつけ、生前と同様に、私がここにおりますよといって、亡母の恐怖を取り去ることを願ったという。
(参考)
@二十四孝・・・古い中国における幼童のための教訓書であって、昔から孝子として世に聞こえた人を二十四人選んで記したもの。
A王褒(おうほう)・・・皇帝に召されたものの生涯仕えなかった。そして父、王儀の墓の傍に小屋を作り、弟子を教えて一生を終えた。
「静岡浅間神社、二十四考物語」(北斎漫画)の絵はこちらへ
      (二)「子路(しろ=仲由ともいう)」
周朝の頃、子路(しろ)という者がいた。彼の家は貧しかった。そこで子路は、いつも少しばかりの、それも粗末な野菜の弁当を持って遠くまで出かけて仕事をし、賃銀で米を買って背負い、家に帰って両親を養っていた。孔子の弟子となり、長じては、楚王が子路の学識と人品のすぐれていることに敬服し、官吏に登用した。そして、馬車に米を一杯積み込むほどになり、何一つ不自由のないほどになった。しかし子路は、いつもなげいてこう言っていた「粗末な野菜の弁当を持って親を養うために働き、百里の遠い道を米を背負って親孝行をすることはできなくなった」と。
(参考)
@子路・・・中国、春秋時代の人。孔門十哲の一人。魯(ろ)の人。武勇にすぐれ、孔子によく仕えたが、衛の内乱で殺された。
「静岡浅間神社、二十四考物語」(北斎漫画)の絵はこちらへ


(小話680)「イソップ寓話集20/20(その9)」の話・・・
        (一)「イヌとウサギ」
猟犬が、ウサギを追いかけていた。そしてすぐに追いつくと、一度は死ぬ程噛みついた。しかし、次には、他のイヌと戯れるかのように、じゃれついた。するとウサギがこう言った。「いいですか、もっと素直になって本心を見つめて下さい。友達ならば、そんなに強く噛むのはおかしいし、敵ならば、じゃれついたりしないでしょう?」
(一体、何を考えているか分からないような人は、友達ではありません)
        (二)「シカとオオカミとヒツジ」
シカがヒツジに、オオカミを保証人に立てるから小麦を貸してくれと頼んだ。するとヒツジはこう答えた。「オオカミさんは、自分の欲しいものと見れば、襲いかかってとんずらするのがいつもの手だし、あなただって、足が速いので、私などあっという間に置いてけぼり。支払日になって、あなた方をどうやって見つければよいのですか?」
(悪人二人が力を合わせて、善いことなどするはずがない)
        (三)「クジャクとツル」
クジャクはツルに出合うと、きらびやかな尾を広げてこう言った。「私は王様のように、金色や高貴な紫、そして虹の色を全て彩った服を着ています。それにひきかえあなたの羽ときたら、薄汚れた灰色だらけ」するとツルがこう言い返した。「確かにその通りかもしれません。でも、私は、天高く、それこそ天国まで飛翔することができるのです。そして、星の彼方まで、声をとどろかすことができるのです。それにひきかえあなたときたら、あの、下劣なニワトリのように、はいつくばっているだけではないですか」
(馬子にも衣装というけれど、いくら着飾っても馬子は馬子)


(小話679)「夢応の鯉魚(りぎょ)」の話・・・
         (一)
平安時代の中頃、三井寺に、興義(こうぎ)という名の、絵の巧みな僧がいた。興義は絵の名手であったが、仏像、山水、花鳥は少なく、大半は魚の絵ばかりであった。そして、寝ても覚めても魚のことばかり考えていて、ある時、夢で見た鯉を描いて壁に貼り、これを自ら「夢応の鯉魚」と名づけた。興義は花鳥山水の絵は人々の望みどおりに与えたが、この「夢応の鯉魚」だけは異常なまでに惜(お)しみ、手放さなかった。そして、人がこの絵を欲しがるたびに、興義は冗談を言うようにこんなことを言った「生き物を殺し、鮮魚を食べるような凡俗の方々に、僧である私の育てた魚は絶対に差し上げることは出来ませぬ」と。この言葉とともに「夢応の鯉魚」の事は天下で評判となった。このように興義は、寺務の合間に琵琶湖に小舟を浮かべは、漁師から買い取った魚を湖に還(かえ)してやり、その魚の遊ぶさまを描くことを喜びとしていた。
         (二)
こんなことを重ねる内のある年、興義は病気にかかり、七日間わずらった後に息が途絶えた。弟子たちが嘆き悲しんでいると、興義の心臓のあたりがかすかに暖かいことに気付いた。これはもしかしたらまだ生き返るかもしれないと思い、周(まわ)りにすわって見守り続けたところ、三日過ぎたころ興義は夢から覚めたように起き上がった。生き返った興義は次のように語った「この頃、病気に苦しみ、辛(つら)さのあまりに自分が死んだのも知らないで、暑苦しい気分を冷(さ)ますために出かけた。やがて水辺に着いたところで深みに飛び込むと、興義に湖神の使いが現れて言った「湖神がおっしゃるには、あなたは日頃から放生の功徳が多い。いま、魚の遊びを願うなら、金色の鯉の服を授け、水中の楽しみをもっと味わせてあげよう」。一匹の鯉になった僧の興義は、琵琶湖せましと心のままに泳ぎまわった。しかし、お腹が空いて、漁師の釣り餌に喰(く)いついてしまった。漁師は身の丈、1メートルばかりの大きな獲物を役人の邸に持ち込み、料理人がまさに研(と)ぎ澄ました包丁(ほうちょう)で切ろうとした瞬間に、興義は目を醒ました」と。その後、興義は長生きをして天寿をまっとうしたが、亡くなる前に、自分が描いた鯉の絵、数枚を琵琶湖に散らしたところ、鯉は絵を離れて水に泳ぎ入ったという。そのために、興義の描いた鯉の絵は世に伝わっていないと言われる。
(参考)
@放生の功徳・・・放生とは、捕えた生物を放ち逃がすという意味で、放生すれば、その功徳のより家内の繁栄、長寿を保つとされる。各寺にある放生会は、食料などとして日常生活の必要のため、はからずも殺した生き物(動物)に感謝を捧げ、不必要な殺生を戒めながら、その冥福を祈る祭事である。
A「雨月物語」(上田秋成)より。正確な話は、 「夢応の鯉魚」はこちらへ
「刺身にされそうになった興義」(新潮日本古典集成(雨月物語)の絵はこちらへ
 

(小話678)「ラクダと三人の兄弟」の話・・・
        (一)
昔話より。アラビアでのこと、年老いたアラブ人が死ぬ前に、三人の息子を枕もとに呼び寄せて「わしが死んだらラクダをお前たちにやるが、長男は1/2、二男は1/3、末っ児は1/9だ」と遺言した。ところがラクダの数は十七頭だったので、三人は分配について口論をはじめた。長男は1/2だから8.5頭、二男は1/3だから、約5.7頭。末っ児は1/9なので、約1.8頭ということになるため。そこへ、旅の老人がラクダに乗ってやってきた。そして、兄弟喧嘩の訳を聞いて「そうか、それじゃわしのラクダを一頭、差し上げましょう。これで分けられるだろう」と言った。
        (二)
父の残したラクダに一頭加えると十八頭になったので、長男は九頭、二男は六頭、末っ児は二頭で遺言どおりの比率で分けられた。三人とも大満足だった。旅の老人は「これで仲よく分配できたわけだ。だが、一頭余ったね。これはもともとわしのものだ。じゃ、さようなら」と言って、ラクダに乗ってどこかへ立ち去ったという。こうして、割切れないものを割り切れるようにする知恵でもって、旅の老人は、兄弟喧嘩の元を解消し、自らのラクダにもなんらの被害も与えなかった。


(小話677)「中国の二十四孝の物語(12/12)」の話・・・
           (一)「漢の文帝(劉恒=りゅうこう)」
漢の文帝(ぶんてい)は、漢の高祖の三番目の子で、薄太后(はくたいこう)が母であった。文帝は、名を恒(こ)と言った。母の薄太后に大いに孝行を尽くし、食事の際には自ら毒見をする程であった。兄弟も沢山いたが、文帝ほど慈愛と孝行を実践した皇帝はいなかった。その為、陳平(ちんぺい)・周勃(しゅうぼつ)などの重臣が、皇帝に推挙し、やがて漢の文帝と言われるようになった。孝行は誰もが知っているが、実際に行う事は難しい。だが、皇帝の身分で孝行を行ったことは、神の如き尊い心情であった。このため、文帝の世は豊かになり民衆も住みやすくなった。
(参考)
@二十四孝・・・古い中国における幼童のための教訓書であって、昔から孝子として世に聞こえた人を二十四人選んで記したもの。
「二十四孝図絵馬」(庚申寺)の絵はこちらへ
           (二)「老來子(ろうらいし)」
周朝の頃、老來子という人がいた。小さい頃から両親を養い、大そう親孝行な人であった。老來子自身は、すでに七十歳を過ぎていたが、両親の前では子供である自分が老人になっているという様子は見せなかった。ある時、美しく色鮮やかな着物を着て、幼い子供を真似て老父母に甘え戯れるふりをしている時、桶(おけ)に躓(つまず)き中の水をこぼしてしまった。老來子が、幼い子供のように大声で泣く真似をしたので、老父母は思わず吹き出してしまい、笑いが止まらなかった。老來子がこのような振る舞いをしたのは、両親がこの姿を見て自分たちが年老いたのを悲しまず、いつまでも幼い子を持つ親であるかのように、若々しくあってほしいとの願いをこめてのことであったという。
(参考)
「二十四孝図絵馬」(庚申寺)の絵はこちらへ


(小話676)「己心(こしん)の弥陀(みだ)と刀鍛治(かたなかじ)の男の葬儀」の話・・・
        (一)
江戸時代初期に仙台に損翁宗益(そんのうしゅうえき)という臨済宗の老師がいた。その損翁老師のところへ浄土宗の和尚が参拝に来た。損翁老師は「あんたの宗旨では、念仏を申すと阿弥陀(あみだ)さんが迎えに来てくれるというが、ほんとうか?」と訊ねた。浄土宗の和尚は「それはほんとうのことです」と答えた。「そうすると何かな。一人や二人なら神通力で飛びまわればいいが、九州の果てから奥州の果てまで、流行病でもはやって何百人、何千人という人が一時に死んだら、いくら阿弥陀さんでも忙しくて手がまわらぬだろう。そのときはどうするのか?」と損翁老師が訊ねると「それはわかりません」と浄土宗の和尚が言った。そこで損翁老師は「そこが大事なところだ。阿弥陀さんが飛びまわるのでは、忙しくて仕方がない。空にお月さんがある。このお月さんは、水のあるところならば奥州であろうと九州であろうと、中国であろうと四国であろうと、どこの海にもどこの小便桶にも同じように映る。それを「法界蔵身阿弥陀仏」というて、向こうに阿弥陀さんがおるのではなく、こちらの信心の中に阿弥陀さんが映るから、念仏往生ではなく、念仏を申すところに時空を超えて阿弥陀さんが迎えにみえるのは当然のことではないか」と懇切に説かれたという。
(参考)
@己心(こしん)の弥陀(みだ)・・・阿弥陀仏は、極楽浄土にあるのではなく、自分自身の心にあるということ。唯心(ゆいしん)の弥陀。己身の弥陀。
A阿弥陀(あみだ)・・・西方浄土の教祖。すべての衆生を救おうと48の誓いを立てた仏。浄土宗・浄土真宗では本尊とし、念仏による極楽往生を説く。弥陀、阿弥陀、阿弥陀如来とも言う。
        (二)
泰心院の檀家(だんけ)である刀鍛治の男は、仙台でも金持ちで知られていた。かつて、大年寺の鳳山和尚(ほうさんおしょう)の下で参禅して、もう十分悟りを開いた弟子とまでなるほどの力量が認められていた。その男が没したとき、菩提寺の泰心院にて葬儀を行うことになった。その時のこと、鳳山和尚が使いの僧を遣(つか)わして泰心院の損翁(そんのう)老師に「刀鍛治入道は、私が力量を認めたような者なのだから、普通の俗人向けの葬儀法を使わないで、徳の高い僧侶を送る方法を使って欲しい」とお願いした。すると、損翁老師が使いの僧に答えて言った「鳳山和尚は、未だ生死去来真実人体を知らないようだな。私はこの寺の住職となってから、男女を問わず、葬儀を行う場合には、相手が誰であっても、とにかく「仏祖」(仏の眼から見れば一切の存在は仏である)としての儀式に従って送っている。未(いま)だかつて、一人として迷っている人をあの世に送るような葬式はしたことがない。今の入道もまた、それに例するのみである。帰って、この意旨をもって鳳山和尚に告げるが良い」と。使いの僧は、ただ恥じて礼拝するのみであったという。
(参考)
@普通の俗人向けの葬儀法・・・禅宗の僧侶が使う葬儀法に「亡僧諷経」と「尊宿葬儀法」という2種類があり、前者は、修行半ばにして亡くなった僧侶相手に使うもので、現在の在家の方に対する葬儀法の原型で、後者は、修行が終わって祖師となった者に対する葬儀法。


(小話675)「祖父と父とその子供」の話・・・
       (一)
民話より。ある金持ちの商人に、一人息子がいた。その商人は、息子がたった五歳のときに妻を亡くしたので、息子にとって父と母の両方の存在になり、愛情を込めて世話をし育てた。やがて商人は、息子に良い教育を受けさせ、美しい女性と結婚させた。しかし、その義理の娘は、義理の父である商人をあまり良くは思っていなかった。彼女は義理の父を不快で、自由を妨げるものと見なしていた。彼女は義理の父の財産をなんとかして夫の管理下におかせようと、夫を説得した。夫は言った「そんなことは構わないでいいよ。私は一人息子だ。だから財産の唯一の相続人だよ」。しかし、彼女は黙っていなかった。明けても暮れても、彼女はそのことをせがんだ。ある日、夫は父に言った「お父さん、お父さんはもうお年を召していらっしゃいます。財産の管理をするのは大変でしょう。私に管理を任せてはいかがですか?」。父は習わしをよく知っていた。父はそれに同意し、財産に関するすべての書類と、金庫の鍵も渡した。数カ月後、妻は思った「お義父さんはいつも咳(せき)とくしゃみをしているわ。お義父さんはベランダの正面の部屋に住むべきではないわ」。そこである日、彼女は夫に言った「ねえあなた、私にはもうすぐ子供が産まれます。だから正面の部屋に住みたいわ。裏庭に、お義父さんのための茅葺(かやぶき)き屋根の小屋を建てたらどうかしら」。夫は妻をとても愛しており、妻は大変賢明であると思っていたので、妻の願いを聞き入れた。妻は義理の父に、いつも午後の大変遅い時間に、粗末な土の食器で昼食を出していた。
       (二)
やがて、その夫婦に息子が生まれた。その子は賢く、活発で誠実な子供に育った。その子はいつもおじいさんと一緒にいた。おじいさんのお話や冗談を聞くことが、その子にとって楽しみであり、喜びであった。その子は、愛するおじいさんに対する母の態度に少し腹を立てていた。しかしその子は、母の頑固な性格と、父が母を頼りにしていることを知っていた。ある日、その夫婦は昼食後、一時間以上も探し物をしていた。その子は、おじいさんの膝から立ち上がり、走ってきた。そして両親が探し物をしているのを見つけ、何気なく尋ねた「お父さん、何を探しているの?」「ああ、お前のおじいさんの土のお皿だよ。もう遅くなった。おじいさんに昼食を出さなくては。おまえはそのお皿を見なかったか?」。その五歳の子は、笑顔を浮かべて答えた「うん、ぼくが持っているよ。かばんの中に大切にしまってあるよ」。父が言った「なに。あのお皿をかばんにしまったのか。すぐに持ってきなさい」。その子は答えた「嫌です、お父さん。ぼくはそれを将来のためにとっておきたいんだ。ぼくは、お父さんがおじいさんのように年を取ったときに、昼食をあのお皿で出すんだ。あのお皿はそれまでもたないだろうから」。若い両親は、言葉もなく立ち尽くした。両親は子供の気持ちを理解した。両親は、今までの自分たちの振る舞いを恥じた。その日以来、両親は尊敬と愛情をもっておじいさんのお世話をするようになった。
(参考)
@(小話199)「古い羊の皮」の話・・・を参照。と(小話197)ある「お爺さんと息子と孫」の話・・・を参照。


(小話674)「二つの別れ道」の話・・・
         (一)
江戸時代、ある人が商売に失敗して自殺しようと思い、死場所を求めてさまよった。そして、木賃宿に泊まり「宿賃も今夜限り、明日はどうしても死ななくては」と、せっぱ詰まっていた。ところが、宿の襖の破れたところを隠すために貼られた紙切れに「裸にて、生れてきたに、何不足」と書かれた小林一茶(こばやしいっさ)の句を見て、ハッとわれに返った。「そうだ、裸一貫でやり直せばいいんだ」と発奮して商売を再興して成功を収めた。この人こそ名薬「宝丹(ほうたん)」本舗の初代、守田治兵衛その人だった。
(参考)
@小林一茶・・・江戸後期の俳人。一五歳で江戸に出、俳諧を学び、のち方言・俗語を交え、不幸な境遇を反映して異色な作風を示した。著「おらが春」「父の終焉日記」など。
         (二)
昔、山里の田舎に住む二人の農夫が、江戸に出て一旗揚げようと連れ立って村をあとにした。途中、峠の茶屋で江戸の事情に詳しい人に出会い、いろんな江戸の情報の中に「江戸では水も売ってますよ」という話を聞き、一人は「水も買わねばならんようでは、俺にはとても生活できそうもない」と、村に引返して貧しいもとの生活に戻った。が、いま一人は「水を売っても商売できるか。それならこの俺にもできる」と、勇躍江戸に出て財を成したという。同じ困難にあたって、それぞれ別の道を選んだ二人の生活は遠く離れてしまった。


(小話673)「イソップ寓話集20/20(その8)」の話・・・
         (一)「野ウサギとキツネたち」
野ウサギとワシが戦争をした。そして、野ウサギたちは、キツネに援軍を求めた。すると、キツネたちはこう応えた。「君たちが何者で、誰と闘っているのか知らなければ、喜んで助けに行くけどね」
(態度を明らかにする前に、あらゆる事情を思量せよ)
         (二)「射手とライオン」
弓の名人が、獲物を求めて山へと入って行った。森の動物たちは、彼が近づくと皆、逃げてしまうのだが、ただ、ライオンだけが、男に戦いを挑んだ。男は、すぐさま、一本の矢を打ち込むと、ライオンに言った。「さあ、我が使者(矢)を送ったぞ、汝は、その使者から学んだことであろう。我自身が、汝を責めたらどうなるかをな」。傷ついたライオンは、恐怖に駆られて、急いで逃げた。と、その時、事の次第をつぶさに見ていたキツネが、あなたはとびきりの勇者なのですから、一度の攻撃ぐらいで、逃げたりしないで下さい。と言った。するとライオンはこう答えた。「お前の助言など聞く耳持たぬ。あ奴はあんなに恐ろしい使者を送ってよこしたのだ。あ奴自身の攻撃など、堪えようがあろうか?」
(離れた所から攻撃する術を心得た敵には、用心せよ)
         (三)「ラクダ」
人が初めてラクダを見た時、その余りの大きさに肝を冷やし逃げて行った。その後、その動物が、気性は穏やかで、従順であることに気付くと、彼は、勇気を奮い起こしてその生き物に近づいた。その後すぐに、その動物が全くの馬鹿であることに気付くと、彼は、その動物にクツワをつけ、そして、ついには子供に引かせた。
(恐怖を払拭(ふっしょく)するには慣れるのが一番)


(小話672)「無鬼論」の話・・・
         (一)
阮瞻(げんせん)は字(あざな)を千里(せんり)といい、平素から無鬼論を主張して、鬼などという物があるべき筈がないと言っていたが、誰も正面から議論をこころみて、彼に勝ち得る者はなかった。阮(げん)もみずからそれを誇って、この理(ことわり)をもって推(お)すときは、世に幽と明と二つの界(さかい)があるように伝えるのは誤りであると唱えていた。ある日、ひとりの見識らぬ客が阮(げん)をたずねて来て、式(かた)のごとく時候の挨拶が終った後に、話は鬼の問題に移ると、その客も大いに才弁のある人物で、この世に鬼ありと言う。
         (二)
阮(げん)は例の無鬼論を主張し、たがいに激論を闘わしたが、客の方が遂に言い負かされてしまった。と思うと、彼は怒りの色をあらわした。「鬼神のことは古今の聖人賢者(けんじゃ)もみな言い伝えているのに、貴公ひとりが無いと言い張ることが出来るものか。論より証拠、わたしが即ち鬼である」。彼はたちまち異形(いぎょう)の者に変じて消え失せたので、阮(げん)はなんとも言うことが出来なくなった。彼はそれから心持が悪くなって、一年あまりの後に病死した。
(参考)
岡本綺堂の「捜神記」より。


(小話671)「大岡忠相(おおおかただすけ)とある若殿」の話・・・
       (一)
江戸の名奉行として名高い大岡忠相(又は大岡越前守)が伊勢の山田奉行所時代のこと。ある殺生禁断の場所に、夜、一人の少年が現(あらわ)れ、網を打って魚を捕っているという噂が流れた。捕り手が張り込んで咎(とが)めると、その少年、いきなり提灯を突きつけ「この紋所が眼にはいらぬか。無礼をはたらくとそのままには捨て置かぬぞ」と怒鳴った。なるほどよく見ると徳川家の葵(あおい)の紋所である。したがってこの少年は紀州家の若殿にきまっており、捕り手はどうすることもできず、引き下がるしかなかった。この報告を聞いた忠相は「それはけしからん」といい、その翌晩、少年が来ているというしらせを受けるや、すぐに三人の捕り手を連れて自ら現場に駆けつけ、いきなり怒鳴りつけた。
(参考)
@大岡忠相・・・8代将軍徳川吉宗に認められ、江戸町奉行となる。公正な判断を下す名奉行として有名。越前守(えちぜんのかみ)と称した。
       (二)
「殺生禁断の場所もはばからず網をいれるとは不届千万。何者じゃ」。少年は落ち着き払って例のごとく「この紋所が眼にはいらぬか」と怒鳴った。しかし忠相(ただすけ)は少しも驚かず「何をこやつ。ご紋をたばかる不届者め。それっ引っ立てろ」と少年を一晩留め置き、翌朝、早々に白州へ呼び出し「殺生禁断の場所へ網を入れたばかりか、ご紋をたばかった罪は許し難いが、まだ少年の身であるゆえ、特別のはからいをもって今回限り差し許す。しかし、今後再びかようなことがあれば容赦なく処罰するぞ」と叱りつけ放免した。又、同じく、大岡忠相が伊勢の山田奉行所時代のことで、当時、伊勢神宮領は宮川を境に紀州領と接していたため、その境界をめぐってたびたび争いが起こっていた。代々の奉行は、徳川御三家に遠慮して明確な判定を下せなかったが、奉行に着任した忠相は、自ら検分し、紀州領内に入り込んだ場所に杭(くい)を打ち、これを境界とした。このように権威に屈することなく公正な判定をしたことが、紀州藩主、徳川吉宗に好感を持たれることになったという。
(参考)
@少年・・・この巧みな忠相の処置に感じた少年こそ、忠相を江戸町奉行に抜擢したのちの八代将軍吉宗だった。


(小話670)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(3/3)」の話・・・
(前編は(小話668)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(1/3)」の話・・・へ)
(中篇は(小話669)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(2/3)」の話・・・へ)
          (一)
トロイア軍の総大将ヘクトルの死は、トロイアの人々を嘆き悲しませた。ヘクトルは人々から愛され、信頼され、尊敬されていた。ヘクトルという指導者がいたから、この無意味な戦争で、それに巻きこまれて九年もの長い歳月を絶えてこられた。ヘクトルが戦場から帰って来るたびに、肉親の安否を気づかう女達が周囲に集まってきた。そんな女達にヘクトルは、励ましたり慰めたりしてきた。又、ヘクトルは家庭では良き夫であり、優しい父親であった。美しい新妻のアンドロマケと幼い一人息子アステュアナクスを心から愛していた。その上、弟パリスに戦場において、スパルタ王メネラオスとの一騎打ちを約束させたのもヘクトルであった。同時に彼は、肩身の狭い思いに沈みがちな美女ヘレネの唯一の理解者でもあった。ヘクトルがアキレウスに討たれたとき、アンドロマケは夫の帰りを待って湯浴みの湯を沸かしていた。そこに人々の嘆き悲しむ声が聞こえてきた。彼女は不吉な予感に襲われ、表に飛び出し城壁に駆けのぼった。すると、夫の亡きがらが敵陣へ引かれていくところだった。彼女は声もなくその場にくずおれ、気を失ってしまった。
(参考)
ヘクトルの死を嘆くアンドロマケ(ダヴィッド)の絵はこちらへ
          (二)
アキレウスは陣地に戻ると、十二人のトロイア人の捕虜を犠牲に捧げて、戦死した親友パトロクロスの埋葬と葬礼競技を催した。しかし、彼の気分は一向に晴れる事はなかった。そこで彼は毎日、ヘクトルの死体を荒野で引き摺(ず)り回しては憂さを晴らしていた。この狂態には、さすがの大神ゼウスも眉をひそめ、ヘクトルの父親プリアモスへ虹の女神イリスを使いにやって、プリアモス王自身がアキレウスに会いに行くようにと命じた。プリアモス王の乗る馬車には、ヘクトルと同じ重さの黄金が積まれてあった。アキレウスは驚きと戸惑いの中で、老王を丁重に出迎えた。アキレウスは、老王に故郷で待ちわびる老いた自分の父親を重ねていた。アキレウスは素直に同意し、部下にヘクトルの死体を洗い清めさせた。そして息子の遺体を前にして嘆き悲しむ老王に言った。「偉大なる王プリアモス。そんなに嘆かないでください。こういう私も遠からず死に行く身です。すべては神々の定めた運命なのです」。老王と、アキレウスは互いの手を取りあい、互いの不幸に涙を流した。夜が明けるころ、プリアモス王は息子の遺体と共に城に帰りついた。ヘクトルの母ヘカベ、妻のアンドロマケ、そしてヘレネが深い哀しみの中で、彼らを迎えた。その日、トロイア中の人々の流す涙に見送られて、ヘクトルの葬礼が盛大に行なわれた。総大将ヘクトルを失ったトロイアは、それでも、多くの援軍のため、すぐには滅亡することはなかった。トロイア軍の援軍として、そのころ北方に住む女だけの種族アマゾンの女王ペンテシレイアが、かつてプリアモス王に一方(ひとかた)ならぬ世話を受けたことがあり、勇壮な部下を率いて駆けつけた。彼女は戦場でも勇敢で、何度もギリシャ軍を退却させたほどだった。しかし、ついにアキレウスの剣によって最後を遂げた。又、プリアモス王の甥であるエチオピアの王メムノンも援軍に来た。彼は曙の女神エオスとプリアモスの兄弟ティトノスとの間に産まれた子で、黒豹のように精悍で身のこなしも優雅な美男子だった。戦場でメムノンが老将ネストルの息子アンティロコスを討ち取ってしまった。それを見ていたアキレウスは、アンティロコスの親友だったので、メムノンに一騎打ちを挑んだ。アキレウスもメムノンも共に女神を母にもち、鍛冶の神ヘパイストスが鍛えた武具をつけていた。闘いの決着はなかなかつかなかった。二人の母、女神テテュスと女神エオスは、大神ゼウスに左右からすがって互いの息子の命乞いをした。困り果てた大神ゼウスは、ヘクトルと同じように、二人の運命を黄金の天秤にかけた。秤(はかり)のメムノンの皿が冥府に向かって傾いていった。アキレウスの槍にメムノンの身体が貫かれると、女神エオスは深く悲しんだ。大神ゼウスはエオス女神に、息子を不死にして、神々の列に加えると約束した。曙の女神エオスは息子の遺体をエチオピアに運び火葬にした。
(参考)
@アマゾンの女王ペンテシレイア・・・(小話557)「ギリシャの英雄アキレウスとアマゾン族の美貌の女王ペンテシレイアの闘い」の話・・・を参照。
Aメムノン・・・(小話363)「恋多き曙の女神・エオス」の話・・・を参照。
「ヘクトルの亡骸を返すようアキレスに懇願するプリアモス」(イワノフ)の絵はこちらへ
          (三)
勇猛なエチオピア王メムノンが討たれると、トロイア軍は城内に逃げ込もうとした。アキレウスは、屍(しかばね)の山を築きながら城門に迫った。そのとき、太陽神アポロンは王子パリスに勇気を吹き込み、彼の弓をアキレウスに向けさせた。王子パリスの矢はアキレウスの唯一の急所である踵(かかと)を貫いた。アキレスは苦痛の叫びをあげ、戦車から転がり落ちて、偉大な英雄はあっけなく死を迎えた。英雄アキレウスの武具を剥ぎ取ろうと、トロイアの兵士達が群がってきたが、大アイアスは、たった一人で英雄の屍(しかばね)を守っていた。やがて、遅れて駆け付けたオデュッセウスが、トロイア軍を防いでいる隙に、大アイアスはアキレウスを肩に担いで味方の陣に辿り着くことができた。こうして、アキレウスは定められた運命どおりに、若いうちに栄光に包まれて死んだ。ギリシャ軍は盛大な葬礼競技を催して、偉大な英雄の死を悼(いた)んだ。アキレウスの残した武具を受け継ぐ資格があるのは、武勇で群を抜く大アイアスと、知謀に優れたオデュッセウスの二人だった。総大将アガメムノンは主だった将軍達の評決で継承者を決定することにした。ところが、知恵の女神アテナは、以前からオデュッセウスを特別に加護にしていた。そこで、アガメムノンに入れ知恵して、評決の際オデュッセウスに有利な演説をさせた。そして評決が下され、狙いどおりアキレウスの武具はオデュッセウスが継承した。大アイアスは不当な決定と、屈辱感で怒りのあまり席をたった。そして彼は、夜になると自らをおとしめた者たちに復讐することを誓った。しかし女神アテナがそのことを許すはずがなかった。女神アテナは大アイアスの心を狂わせて、彼を囲いの中の羊の群れの中へ導いた。彼は羊たちを総大将アガメムノンや知将オデュッセウス、彼等に味方する兵士達と錯覚して、ことごとく斬り殺していった。しばらくして、彼は正気に戻った。大アイアスは、かつて一騎打ちの際、敵将のヘクトルから贈られた長柄の剣を、切っ先を上に地面に突き立てた。そして彼は、その切っ先に自らの身体を倒れ伏し自殺した。
(参考)
「アキレスの死」(ルーベンス)の絵はこちらへ
「アキレウスの死体を運ぶ」(壷絵)の絵はこちらへ
「アキレウスの武具をめぐる争い」(エッチング)の絵はこちらへ
「オデュッセウス、アキレウスの武具を受け取る」(壷絵)の絵はこちらへ
「大アイアスの自害 」(挿絵)の絵はこちらへ
          (四)
こうした中でトロイア軍は戦術を転換し、徹底的な籠城(ろうじょう)策をとった、戦局は、またも長期化の様相を見せ始めた。そんな時ギリシャ軍は、占いに長じたトロイアの予言者であるヘレノス(プリアモス王の娘カサンドラと双子)が世を捨てて隠遁生活を送っているという情報をつかんだ。オデュッセウスはヘレノスを捕らえ、命と引き換えにトロイアの攻略法を占わせた。ヘレノスはこう答えた「次の三つのものを手に入れなければなりません。一つ目は大英雄ヘラクレスの弓、二つ目はアキレウスの息子ネオプトレモスの参戦、最後にトロイア城内に祭られている武装姿のアテナ像パラディオン、これが揃わなければ城を落とすことは難しい」。ヘラクレスの弓は彼の死に際にピロクテテュスに贈られたものだが、ピロクテテュスはトロイアに遠征してくる途中に、毒蛇に噛まれたのでエーゲ海のレムノス島に置去りにされたままだった。オデュッセウスとアキレウスの息子ネオプトレモスが使者になった。だが、ピロクテテュスとの交渉は難航した。そこに、死んで神になったヘラクレスが現れた。ヘラクレスは「ピロクテテュス、とにかくお前は弓を持ってトロイアへ行くのだ」。ヘラクレスの言葉に従って、その地で傷を癒(いや)すと、ピロクテテュスは直ちにトロイアの王子パリスに対し、弓の一騎打ちに挑んだ。そして、王子パリスに深手を負わせた。ピロクテテュスの矢には、ヒュドラの毒が塗ってあった。医師達が手を尽くして治療していたが、パリスの苦しみを消すことはできなかった。そこで、神託を仰ぐとパリスの傷を癒すことができるのは、かって彼と同棲していたニンフ(妖精)のオイノネただ一人であるということだった。パリスは、自らがヘレネの為に捨てたオイノネの下(もと)に行き、治療してくれと頼んだ。しかしオイノネは昔の恋人を目の前にすると、改めてヘレネに対する激しい嫉妬と捨てられた恨みがよみがえり、彼女だけができる秘密の治療を拒んでしまった。こうして、王子パリスはトロイアに帰る道すがら、苦痛にうめきながら息絶えた。
(参考)
@ピロクテテュス・・・ピロクテテュスとヘラクレスとは、彼の死に際に劇的な出会いをしていた。なかなか死ねないでいたヘラクレスが自分を焼くための薪の床に横たわっていたとき、誰も火を付けてくれなかったのを、たまたま通りかかったピロクテテュスが哀れんで火を放ってやった。
Aパラディオン・・・このアテナのパラディオンは、プリアモス王の先祖が天幕の前で見つけたものだった。それはゼウスがこの場所に都を建造して良いという印に投げ与えたもので、パラディオンはアテナ女神の幼馴染バラスにそっくりの像で、左手に竿を持ち、右手に槍を持っていた。神像が落ちた地は、アテナ女神の守護のもとにあることを示し、これが敵の手に落ちるということはトロイアが陥落することを意味していた。(小話494)「戦いの女神・アテナと幼馴染の美しい娘パラス。そして、アテナイの守護神」の話・・・を参照。
          (五)
王子パリスが死ぬと、絶世の美女である妻ヘレネの立場はきわめて弱いものになった。彼女の頼れる人は誰もいなくなってしまった。わずかに舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)のプリアモス王とヘカベ王妃は彼女に理解をしめしていたが、ヘレネという美しい兄嫁を巡って、今度は老王の息子達の間で争いが起こり始めた。結局、ヘレネは義理の弟デイポポスの妻になった。彼女の心は急速に、後悔とギリシャへの望郷の念が抑えがたくなった。そのころアキレウスの遺児ネオプトレモスは、ギリシャ軍に請われて参戦し、アキレウスの再来と言われるほどで、父の名に恥じない頭角をあらわしていた。オデュッセウスは継承したアキレウスの武具を、ネオプトレモスに譲った。さらにオデュッセウスは軍神アレスさえ退けた勇猛なディオメデスと共に、闇にまぎれてかねて狙いをつけた場所から城壁を乗り越え城内に忍び込んだ。二人は望郷の念を抑えがたいヘレネの手引きでアテナの神殿に侵入し、安置されていた聖像パラディオンを盗みだすことに成功した。こうして、ギリシャ軍は三つのもの得て、トロイア攻略の必要な条件はすべて揃った。さらに知恵の女神アテナは、加護しているオデュッセウスに一層の手柄を立てさせるため名案を授けた。それは、女神の指示どおりにイデ山中から、樅(もみ)の巨木を切り出し名工エペイスオスに、巨大な木馬を建造させることだった。その木馬には、五十人の兵士が隠れることができた。木馬が完成するとオデュッセウスはアガメムノンに進言して、夜のうちにギリシャ軍の全陣地に火を放ち、全軍を船に引き上げさせ沖合で待機させた。そして、自分はスパルタ王メネラオス、アキレウスの息子ネオプトレモスなどよりすぐりの戦士と共に木馬に入り込んだ。ただ一人、勇気あるシノンという男に指示を与え、木馬のそばに残しておいた。
(参考)
@アキレウスの遺児ネオプトレモス・・・当初、ネオプトレモスはピュロス(赤毛の子)という名であったが、後にネオプトレモス(後から従軍した者)と呼ばれるようになった。
いろいろな「トロイの木馬」の絵等はこちらへ
          (六)
翌朝、トロイアの人々はぽつんと置かれた巨大な木馬が置き去りにされている光景を目にした。人々は木馬の周囲に集まった。そこへ、兵士達がシノンを捕らえて引き立ててきた。シノンは問い詰められて「この長き戦いに終止符を打つため、我が軍は退去した。この木馬はアテナ女神への捧げ物である。受け取ってもらいたい」と告白した。トロイアの人々は喜び勇んで木馬を城内に運び込むことにした。その時、プリアモス王の王女カサンドラと、アポロンの神官ラオコンが進み出てこう進言した「ギリシャ人の言うことは嘘ばかりだから、木馬を決して城内にいれてはならない。すぐさま焼く払うように」と強く主張した。カサンドラは予言の持ち主で、彼女の予言は常に正確だった。それにもかかわらず、彼女の言葉は誰にも信じてもらえないという宿命を負っていた。この時も人々は「ああ、また始まったか」と思うだけで、まじめに取り上げようとはしなかった。カサンドラの予言は無視するとしても、神官ラオコンの言葉にはさすがに真実味があった。人々は迷った。折しも、それまでは穏やかだった海上の沖合が突然、波立ち、巨大な二匹の海蛇が姿をあらわし、みるみる内に波を蹴立てて上陸してきた。そして、二匹は神官ラオコンと彼の二人の息子に巻き付き、彼らを絞め殺し、それから城内に侵入して女神アテナの像の下でとぐろを捲いた。この光景を見ていたトロイアの人々は、神官ラオコンの主張は誤りであると判断した。そして、今度は力を合わせて木馬を城内に入れる作業に取り掛かった。その夜、トロイアの城内は沸き立っていた。十年もの長い年月に渡って続いた戦争が勝利に近い形で終結したのだから、人々が言い知れぬ歓喜と解放感に満たされるのも当然だった。饗宴が催され人々は酔いつぶれ、それでもなお酒宴は深夜まで続いた。
(参考)
@海蛇・・・女神アテナ自身が送ったと言われるが、ラオコンはアポロンの神官でありながら、独身の誓いを破って結婚したばかりか、アポロンの神像の面前で交わり、二人も子供を作ったことに対してアポロン神が罰として遣わしたという説もある。
          (七)
ようやく人々が疲れ果て、死んだように眠りについた頃、シノンは岬の高台に駆けのぼって烽火(のろし)をあげた。合図によって暗夜の海上に待機するギリシャの大船団は引き返して来た。同じころ、城内の広場に置かれた木馬の横腹が音もなく開いた。オデュッセウスと武装した戦士達が黒い影となり飛び出してきた。彼らは、いくつかの隊にわかれると、寝静まった家々に押し入り、人々の咽喉を切り裂いた。そして、目ぼしいものは略奪し、家々に火を放った。老王プリアモスは、妻のヘカベや娘達と中庭のゼウスの祭壇のほとりにある古い月桂樹の下にいた。そこへ、アキレウスの息子ネオプトレオスが現れた。プリアモス王はこの若者を見ると彼がアキレウスの遺児であることをすぐに認めた。老王は恐れることなく、この苦悩から早く開放してくれと死を望んだ。ネオプトレモスはその刃でプリアモス王の首を切り落とし、老王の死体を父の墓まで引き摺っていった。一方、スパルタの王メネラオスは、かっての妻ヘレネのことしか考えていなかった。彼はオデュッセウスと共にデイポポスの館に押し入り、激しい斬り合いの末にデイポポスを殺してヘレネを捕らえた。彼は当然報復のためヘレネを殺すつもりだった。剣を構えてヘレネを刺そうとしたが、彼女の美貌の前に彼は剣を投げ捨て、ヘレネを胸に抱いた。城内のアテナ神殿では、ようやく逃げ延びてきた王女カサンドラが、女神の神像にすがり祈っていた。追ってきた小アイアスは、彼女を神像から引き剥がし、その場で彼女を犯した。もはや、トロイアはギリシャ軍に蹂躙されるままだった。ギリシャ軍に情けという心は微塵もなかった。年端もいかぬ子ども達でさえ虐殺の対象であり、トロイアの男達は老若を問わず、見つかり次第に情け容赦なく殺され、女たちは欲望の餌食と成り果てた。こうした中でただ、女神アフロディーテの息子であるアイネイアスだけは、母神に助けられて、家族とわずかな郎党と共に、炎上するトロイアから脱出することに成功した。燃え盛る炎はトロイア中を焼き付くし、何日も消えることが無かった。
(参考)
@老王の死体・・・このときのネオプトレモスが大神ゼウスの祭壇を血で汚したという涜神(とくしん)行為により、後に早死にする。
A小アイアス・・・彼もまた、神域を汚したので、アテナ女神は、後日、海神ポセイドンと謀って帰国途中の小アイアスを溺死させた。
B王女カサンドラ・・・(小話595)「トロイヤの美貌の王女カサンドラ。予言者となった、その悲劇の一生」の話・・・を参照。
Cアイネイアス・・・アイネイアスは、トロイヤの最後の戦いの時に、炎上するトロイヤから逃げ延びることのできた数少ない一人で、後のローマ帝国の礎を築いた。
「トロイの炎」(Keuninck)の絵はこちらへ
アイネイアスの脱出(バロッチ)の絵はこちらへ
          (八)
一夜で陥落し、廃虚となったトロイアでは、ギリシャの将軍達は会議を開き、戦後処理と戦利品の分配を協議した。戦利品の中には捕虜となったトロイアの王女も含まれていた。総大将のアガメムノンは美しい王女カサンドラを希望した。トロイアの王妃ヘカベはオデュッセウスに与えられた。カサンドラの妹で、美しいポリュクセネは生前のアキレウスが想いを寄せていたという理由で、アキレウスの墓の上で犠牲として捧げられた。ヘクトルの妻のアンドロマケは、アキレウスの息子ネオプトレモスのものになった。アンドロマケとヘクトルとの間にできた一粒種の幼い息子アステュアナクスは、城壁から投げ落とされた。栄華を誇ったトロイア王国のプリアモス王と王妃ヘカベの九人の子供たちは、大半がギリシャ人に殺され、数人が他国へ落ち延びて行った。かくしてトロイア戦争は、双方に多大な犠牲を払いながらも、ギリシア軍の勝利で終わった。この戦争の原因となった絶世の美女ヘレネは、夫のスパルタ王メネラオスと共に、八年間エジプトなど地中海の各地を漂流した。その後は、無事スパルタに帰り着いき、平穏に長寿を全うしたという。美女ヘレネは、トロイア戦争の責任を問われることもないまま、世界一の美女としてその名声をますます高めた。こうして、神々の王ゼウスが企てた世にも名高い十年に及ぶトロイア戦争は、戦争によって人間減らしをすると共に、大神ゼウスの娘ヘレネの名を不滅のものにし、アキレウス、オデュッセウス、ヘクトルを始め、多くの英雄たちが後世に名を残して幕を閉じたのであった。
(参考)
@プリアモス王と王妃ヘカベの九人の子供たち・・・六人の息子---(1)ヘクトルはアキレウスとの一騎打ちで敗れる。(2)トロイロスもアキレウスに敗れる。(3)パリスはトロイア戦争の発端。(4)デイポボスはパリスの死後ヘレネを妻にするがメネラオスに殺される。(5)ヘレノス(予言能力を持つカサンドラと双子だった)はギリシア側に寝返り「木馬の計略」を指示 。(6)ポリュドロスはトラキア王に殺される(又は戦場で殺された)。三人の娘---(1)イリオネはトラキアへ逃げる。(2)カサンドラはアガメムノンの愛妾となり、後に殺される。(3)ポリュクセネはアキレウスの霊を慰めるためその墓前で犠牲として殺された。
アンドロマケとアステュアナクス(プリュードン)の絵はこちらへ
「囚われのアンドロマケ」(レイトン)の絵はこちらへ
「ポリュクセネーの犠牲 」(ピットーニ)の絵はこちらへ
(おわり)


(小話669)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(2/3)」の話・・・
(前編(小話668)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(1/3)」の話・・・へ)
          (一)
トロイヤ戦争は、両軍の英雄、勇者の華々しい活躍があって一進一退を繰り返し、膠着(こうちゃく)状態まま九年の歳月が流れた。九年という歳月は両軍の兵士の間に、厭戦気分が満ち始めた。トロイアでは、九年前にあれほど熱狂的に迎えた王子パリスと美女ヘレネだったのに、無意味な戦争に引きずり込んだ元凶だとして、今は非難し始めた。一方、ギリシャ軍は始めの大義など忘れて、トロイア周辺の町々を強奪しては、憂さばらしをしていた。ギリシャ軍内部にも亀裂が生じ、総大将アガメムノンと英雄アキレスとの間の対立が表に出てきた。あるときギリシャ軍はトロイア近くの港町を攻略した。アガメムノンはアポロン神官の娘クリュセイスを捕らえ、戦功の褒美(ほうび)として自分のものにした。父親の神官は、そのことをアポロン神に訴えた。アポロン神は、ギリシャ軍に対して恐ろしい疫病を蔓延(まんえん)させた。九日間で多くの兵士は疫病に倒れ、その疫病が総大将アガメムノンによってもたらされたことを知ったアキレウスは、アガメムノンに神官の娘クリュセイスを父親に返すべきだと忠告した。アガメムノンはその通りにしたが、気持ちはおさまらなかった。と言うのは、アキレウスも戦功の褒美として美女ブリセイスを自身のものにしていたからであった。そこでアガメムノンは、美女ブリセイスをアキレウスから取り上げた。これに怒ったアキレウスは剣を抜こうとした。その時、女神アテナが天より現れてアキレウス一人に姿を見せ、こう言った「私は貴方の怒りを静めてもらう為に来た。私の頼みを聞いてくれまいか」。アキレウスも女神の言葉には逆らわず剣を納めた。だが、アキレウスはアガメムノンを許さず、勇敢なミュルドン人と共に自分の陣地に引きこもってしまった。
(参考)
@九年の歳月が流れた・・・トロイア戦争は第二年目以降の数年間のことは伝説には何も詳しく語られてない。九年目までは、ギリシャ軍はトロイア周辺の征服に集中した。アキレウスは十二の町を次々と征服した。又、大アイアスはトラキア王にかくまわれていたトロイア王プリアモスの末息子ポリュドロスを捕虜とした。そして、軍事会議によりポリュドロスは石打ちの刑で処刑された(ポリュドロスはトラキア王に殺されたという説もある)。
A美女ブリセイス・・・トロイ近郊リュネッソスに住むブリセウスの娘でミュネス王の妻。アキレウスは彼女の父と夫を殺して彼女を愛人として連れ帰った。
「ブリセイスを引き渡すアキレウス」(ポンペイ壁画)の絵はこちらへ
「アガメムノンの元へ連れ去られるブリセイス」(ティエポロ)の絵はこちらへ
「アキレスの怒り」(ダヴィッド)の絵はこちらへ
「アキレウスの怒り」(ティエポロ)の絵はこちらへ
          (二)
アキレウスの怒りと、彼が退陣したという話しはギリシャ軍の間に瞬(またた)く間に伝わった。軍の士気は低下し、不吉な予感が全軍を覆(おお)った。アキレウスの母、テテュス女神は息子へのこの不当な扱いを大神ゼウスに訴えた。ゼウスは言った「望みどおりこれからギリシャ軍は苦境に陥って、息子の名誉は回復されるだろう」。トロイア軍は盛り返してきた。ギリシャ軍の総大将アガメムノンは、トロイア軍から申し出があった休戦協定を受け入れた。その上で、トロイアの王子パリスとスパルタ王メネラオスがヘレネと財宝を賭けての一騎打ちにも同意した。パリスは先に、メネラオスと対決した際、妻ヘレネを奪われて怒りに燃えたメネラオスの形相を見ると、恐れおののきトロイア軍の間に隠れてしまった。そこで総大将ヘクトルは、弟パリスを激しくののしり、メネラオスとの一騎打ちを覚悟させたのだった。一騎打ちが始まった。数回攻防を重ねた後、メネラオスはパリスの兜(かぶと)をつかみギリシャの陣に引きずり入れようとした。パリスが危うくなると「黄金の林檎」を捧げてもらって以来パリスを加護していたアフロディーテ女神は霧で彼を包みこみ、城内にいるヘレネの元へ連れていってしまった。このまま、両軍が休戦に入ったのでは何にもならない。そこで、アテナ女神は、トロイア軍の弓の名手パンダロスをそそのかし、協定を破ってスパルタ王メネラオスを弓で狙撃させた。闘いが再び始まった。今度の戦闘には、オリュンポスの神々も二派に別れて争うものになった。トロイアの王子パリスによって「最も美しい女神」となった美と愛の女神アフロディーテ、太陽神アポロン、月と狩猟の女神アルテミス、レト女神(アポロンとアルテミスの母)、軍神アレスはトロイ側に味方し、神々の女王ヘラ、戦いと知恵のアテナ女神、海王ポセイドン、伝令神ヘルメス、鍛冶の神ヘパイストスはギリシャ側についた。こうして、まずアテナ女神の加護を受けてギリシャ軍のディオメデスは多くの将軍を打ち倒し、勇将アイネイアスに手傷を負わせた。アイネイアスの母、アフロディーテ女神が息子を助けに現れると、ディオメデスは、アフロディーテ女神にまで槍で攻撃し、神の血を流させた。そこで、アポロン神が女神アフロディーテとアイネイアスを救ったが、アテナ女神の後ろ盾のあるディオメデスの勢いはまだおさまらなかった。軍神アレスはトロイアの味方をしたが、そのアレス神までディオメデスによって傷を受けた。軍神アレスは大声で泣き叫び、天上に逃げ帰った。
(参考)
@ディオメデス・・・父はテーバイを攻めた七人の武将のうちの一人テュデウス。トロイア戦争に参戦した中で、アキレウスの次に強い武将。大アイアスと互角。
Aアイネイアス・・・愛と美の女神アフロディーテとトロイア分家の王子アンキセスの息子。アンキセスの祖父とトロイアの王プリアモスの祖父は兄弟。
「パリスをさとすヘクトル」(フランソア Delrome)の絵はこちらへ
「メネラオスに敗北した後のヘレンとパリスの和解」(ウェストール)の絵はこちらへ
「アイネイアスのためにウルカヌスに武器を注文するヴィーナス(アフロディーテ)」(ブーシェ)の絵はこちらへ
「アイネイアスの前に現れるヴィーナス(アフロディーテ)」(コルトーナ)の絵はこちらへ
          (三)
戦場では、トロイアの総大将ヘクトルが両軍の間に立ち、ギリシャ軍の誰でもよいから自分と一騎打ちしてみよと挑戦したが、誰も剛勇を誇るヘクトルを恐れて名乗り出なかった。痺(しび)れを切らしたスパルタ王メネラオスが、自らが名乗り出たが兄の総大将アガメムノンに無謀な戦いはするなと押し止められた。すると老将ネストルが立ち上がり「自分が若ければ一騎打ちを受けるのに、ギリシャの武将にはその気概が無い」と叱咤すると、九人の武将が立ち上がった。老将ネストルがくじ引きで代表を決めることを提案し、くじに当たったのは大アイアスだった。ヘクトルと大アイアスは槍を投げあい、剣で切りあったが闘いは互角で、夜に入っても決着がつかなかった。そこで、闘いをやめ、互いに贈り物をしてそれぞれの陣営に帰っていった。こうして、ギリシャ軍の大アイアスやディオメデスの奮闘にもかかわらず、戦況はトロイア軍に有利だった。トロイア軍は城から撃って出て、ギリシャ軍の陣地を囲む形で陣を張り、ギリシャ軍陣地に突入して艦船に火をかけようとした。このころになって、総大将アガメムノンも自分の非を認めざるを得なかった。彼はオデュッセウス、大アイアス、老ポイニクスを使者に立てて、アキレウスの元に送った。三人はアキレウスに、莫大な財宝と手付かずのままの美女ブリセイスを返すから戦線に復帰して欲しいと説得に努めた。しかし、アキレウスの怒りは解けることはなかった。翌日、トロイア軍は総攻撃を開始した。ギリシャ軍は壊滅状態に陥り、多くの武将が負傷した。大神ゼウスは、神々にギリシャ軍に味方することを禁じていた。しかし、正妻ヘラは巧みに、誰でも望む相手を誘惑できる「魔法の腰帯」を美と愛の女神アフロディーテから借り受け、甘いささやきでゼウスを寝室に誘った。その隙に海王ポセイドンがギリシャ軍に味方して形成を逆転させた。トロイアの総大将ヘクトルは大アイアスに大岩を投げつけられ、危うく命を落とすところだった。だが、だまされたと気づいた大神ゼウスがヘクトルを助け、ポセイドン神を大声で叱りつけて手を引かせた。アキレウスは遠くから味方の陣で、火の手が上がるのを複雑な思いで見ていた。アキレウスの無二の親友パトロクロスは味方の惨状をこれ以上、傍観していられなかった。そこで彼は、アキレウスの元に行き涙を浮かべながら訴えた。アキレウスが、出陣をしないのなら、自分にその甲冑(かっちゅう)を貸してくれと。アキレウスはパトロクロスの願いを聞き入れた。
(参考)
@老ポイニクス・・・ドロプス王。母の指示で父の妾を寝取ったと誤解され盲目にされるが、ペレウスがケンタウロス族の賢者ケイロンに治させた。後にプティア王ペレウスに歓待され、ドロプス人の王となる。アキレウスに武術を教えた。アキレウスにとっては父の様な存在。トロイア戦争にも参加。
A魔法の腰帯・・・神々と人間の心を支配する腰帯で、アフロディーテ女神は、愛と美の女神として崇拝されたが、その美しい魅力の源は腰帯にあったという。
          (四)
こうして、アキレウスのきらめく甲冑をまとったパトロクロスが戦場に現れると、トロイア軍は浮足立った。アキレウスがやってきたと思って大混乱に陥ったのだ。パトロクロスは、トロイア軍を追って城壁に迫った。そこで太陽神アポロンの助けを受けたトロイア軍の総大将ヘクトルが、戦車でパトロクロスに襲いかかった。パトロクロスは大岩を投げつけてヘクトルの駆者を殺し、二人は獅子のように組み合った。最後にアポロン神が濃い霧に身を隠してパトロクロスの背後を襲い、肩甲骨(けんこうこつ)の間を打った。その隙に、ヘクトルが槍でパトロクロスの下腹を突き刺して言った「パトロクロス、お前の愚かな野望は打ち砕かれた。アキレスの甲冑はお前の助けにはならなかったな」。パトロクロスは喘ぎながら言った「私はお前に負けて殺されたのではない、アポロン神のためだ。お前も私と同じ運命をたどる。アキレウスの手にかかって」こう言ってパトロクロスは息絶えた。パトロクロスの亡きがらを巡って両軍は争った。大アイアスとメネラオスが辛(かろ)うじて、遺骸だけを守り通した。大アイアスが遺体を担(にな)いで、アキレウスの陣まで辿り着いた。アキレスは号泣した。その哀しみはヘクトルに対する復讐へと向けられた。母の女神テテュスは思い止まらせようとした。アキレウスが戦場に戻れば、命を落とすことが運命付けられていたからだ。だが、息子の決意を覆(くつがえ)すことができないと知った女神テテュスは、鍛冶の神ヘパイストスに頼んで新しい武具を作ってもらった。その頃、神々の間でも、二派の神々が激突していた。軍神アレス(トロイア側)がアテナ女神(ギリシャ側)に悪態を吐いて槍で突くが、アテナ女神はこれをかわし大石を投げつけると、アレス神のあごの辺りに当たって軍神はその場に倒れ伏した。アテナ女神は勝ち誇って高笑いをし、アレス神を罵っていたが、その隙をついてアフロディーテ女神(トロイア側)がアレス神の手を取り連れ去ろうとした。それにいち早く気づいたヘラ女神(ギリシャ側)がアテナ女神にその事を教えると、アテナ女神はすぐさま後を追いかけて、アフロディーテ女神の胸の辺りを一撃すると、アフロディーテ女神は軍神アレスと共にその場に倒れた。又、海王ポセイドン(ギリシャ側)は太陽神アポロン(トロイア側)に向かって挑発していた。それに対しアポロン神は父神ゼウスの兄と戦うことを由(よし)とせず、自らの身を引いて立ち去った。アルテミス女神(トロイア側)には、気性の激しいヘラ女神(ギリシャ側)が憤り、アルテミス女神の弓矢を奪うと、それで彼女の頬を打ち続けた。アルテミス女神はやっとの思いでオリュンポスに逃げ帰った。ヘルメス神(ギリシャ側)はレト女神(トロイア側)に向かって「貴方と戦う気などありません」と言うと、レト女神は娘のアルテミス女神が落として行った弓矢を拾い集めて立ち去った。その頃、アポロン神はトロイアの城壁が打ち破られるのではないかと気がかりで、オリュンポスへ帰らずトロイアに忍び込んでいた。
(参考)
「パトロクロスの死を嘆くアキレス」(ゲイ)の絵はこちらへ
「パトロクロスの埋葬 」(デヴィッド) の絵はこちらへ
「パトロクロスの死の復讐に出かけるアキレウス」(エティエンヌ)の絵はこちらへ
          (五)
一方、総大将アガメムノンも、それまでの無礼を詫びて美女ブリセイスをアキレウスに返した。これで二人の間には和解が成立した。アキレウスの名誉が回復されたのを見て、大神ゼウスは神々の戦場への参加を許した。アキレウスが二頭の不死の馬クサントスとバリオスに戦車を引かせて戦場に現れると、トロイア軍に恐怖が蔓延(まんえん)した。アキレウスの前にトロイア軍は敗走した。生き残った者たちは我先に城内に逃げ帰った。そして、戦場に残ったのは総大将ヘクトル一人になってしまった。城壁の上にはヘクトルの両親プリアモス王とヘカベ王妃が見守っていた。老王プリアモスは平原の向こうから、アキレウスが軍を率(ひき)いて近づいてくるのを見た。それはまるで、人間に災いをもたらす「狩人オリオンの犬星、シリウス」のように冷たく耀(かがや)いていた。老父母はヘクトルに城内に戻るように叫んだ。人々のそうした願いも、総大将ヘクトルには通じなかった。怒りに燃えるアキレウスの気迫はヘクトルを圧倒した。城壁に沿って逃げるヘクトルをアキレウスが追った。だが、アポロン神に守られたヘクトルには、さすがに足の速いアキレウスも追い付けずにいた。大神ゼウスはこの様子を見ていた。そして、アキレウスとヘクトルの運命を黄金の天秤(てんびん)にかけていた。ヘクトルの皿が冥府に向かって下がり、ヘクトルの死は決定された。アキレウスとヘクトルが城壁を三周位したとき、大神ゼウスの決定をアポロン神は知らされた。そして、心を残しながらアポロン神は退いた。代わってアテナ女神がヘクトルの弟デイポポスに姿を変え、ヘクトルを励まして勇気を吹き込み、アキレウスに立ち向かうように仕向けた。ヘクトルとアキレウスは対決した。ヘクトルの投げた槍がアキレウスの頬をかすめた。しまったと思った瞬間、ヘクトルは、アキレウスの青銅の槍の穂先を胸に受けていた。彼は虫の息で懇願した「アキレウス、最後の願いを聞いてくれ。私の屍(しかばね)が埋葬できるように、トロイアに返してくれ。そうすれば父母はあなたに莫大な身代金を払うだろう」。アキレウスは氷の冷たさで答えた「私の親友、あの気高いパトロクロスを手にかけておいて、虫のいい話しだ。プリアモスがいくら黄金を山と積もうとそれはできぬ」。ヘクトルはわずかに残る命でこう言った「やはり鉄のような心だ。しかし気をつけるがいい、アキレウス。神々の怒りはやがてお前自身に降り掛かる。アポロン神とパリスがお前を倒すだろう」彼はこう告げると息絶えた。
(参考)
「アキレスに戻されたブリセイス」(ルーベンス)の絵はこちらへ
「ヘクトルのアンドロマケへの告別」(ティッシュバイン)の絵はこちらへ
「ヘクトルとアンドロマケの別れ」(ビヤン)の絵はこちらへ
「ヘクトルとアンドロマケー」(レストウ)の絵はこちらへ
「アキレスとヘクトル」(ルーベンス)の絵はこちらへ
(つづく)
(小話670)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(3/3)」の話・・・へ。


(小話668)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(1/3)」の話・・・
          (一)
ギリシャ神話より。十年にも及ぶトロイア戦争の発端は、女神テティスと人間のプティア王ペレウスの結婚に始まった。その源(みなもと)には、大神ゼウスが繁栄を享受している人間達を苦々しく思い、人間の数を減らすと同時に、自分の娘であるヘレネの名を高めることで神々の威厳、威光をさらに高めようとした思惑があった。ある時、大神ゼウスと海王ポセイドンは美しい海の女神テティスに恋をした。しかし、正義の女神テミスの「彼女(テティス)から生まれてくる子供は、父親よりも偉大な者となるであろう」という予言に恐れを抱いて、お互いに手を引いた。そして、大神ゼウスは女神テティスを人間のペレウスに嫁がせることにした。女神テティスとペレウスの結婚は、神々に祝福された盛大なものであった。オリュンポスのすべての神々が招待されたのだが、唯一、不和と諍(いさか)いの神エリスだけが招待されなかった。そこでエリスは、腹いせに諍いの種を蒔(ま)いた。エリスは宴席の中に、「ヘスペリデスの園」から持ってきた一個の「黄金の林檎(りんご)」を投げ入れた。その林檎には「最も美しい女神にあたえる」と刻まれてあった。居並ぶ美しい女神達の中から、大神ゼウスの正妻ヘラ、知恵と戦争の女神アテナ、愛と美の女神アフロディーテが、それぞれに自分のものだと名乗りをあげた。三人はゼウスを責め立て、誰が一番美しいか決めて欲しいと迫った。ゼウスは自らが判定を行う事は避け、三人の女神をイデ山で妖精(ニンフ)オイノネと暮らしている、まだ少年のトロイア王子パリスに判定を委ねた。
(参考)
@女神テミス・・・女神テミスの息子プロメテウスが「テティスに子供が産まれれば、その子は父親を凌ぐだろう」と予言したという説もある。(小話641)「アイギナ島の王アイアコスの三人の息子(テラモンとペレウスとポコス)。そして、ペレウスと女神テティスの結婚」の話・・・を参照。
A王子パリス・・・その頃、少年パリスは、トロイア(トロイ)の王子という身分でありながら、イデの山で羊飼いをしていた。(小話473)「パリスの審判・美と愛の女神・アフロディーテが王子バリスに選んだスパルタの王妃ヘレネ」の話・・・を参照。
「ペレウスとテティスの結婚式」(ハールレム)の絵はこちらへ
「ペレウスとテティスの結婚式」(ウィテウァール)の絵はこちらへ
「オイノーネー(オイノネ)とパリス」(ウィット)の絵はこちらへ
「パリスとオイノーネー(オイノネ)」(ラストマン)の絵はこちらへ
          (二)
美を争う三人の女神は、トロイアの王子パリスの前に現れた。そして女神たちは自分の美しさばかりでなく、それぞれの贈り物でパリスの審判を自分の有利にしようとした。まず大神ゼウスの正妻へラは、自分を選んでくれたら「世界の支配権」(広大な領土)を彼に与えると約束した。知恵の女神アテナはあらゆる「戦いにおける勝利」(輝かしい戦勝)とそれにふさわしい叡智を。そして、愛と美の女神アフロディーテは、世界中で「最も美しい女」(人間界における最高の美女)を彼に与えると約束した。少年パリスは「黄金の林檎」をアフロディーテ女神の手にのせた。だが、この判定(パリスの審判)に不満を持ったヘラ女神とアテナ女神は、後(のち)にトロイア戦争が勃発した際、ギリシャ側の味方をした。こうして、トロイアの王子パリスは、富と権力、名声と名誉を捨てて、美と愛を選んだ。その世界一の美女というのは、大神ゼウスとレダの娘であり、スパルタの王妃ヘレネであった。そこで、トロイアの王子パリスは「世界一の美女」を得るために、アフロディーテ女神の導きによってスパルタに赴(おもむ)いた。その際、パリスの姉で予言者のカサンドラは「もしパリスがスパルタを訪れるならば、彼はトロイアに災いをもたらすだろう」とパリスを引き止めようとしたが、パリスは聞く耳持たなかった。ヘレネは、スパルタ王メネラオスの妃で、その美貌をギリシャ中に鳴り響かせていた。王子パリスは、メネラオス王の表敬に訪れてヘレネと出会い、愛と美の女神アフロディーテ(エロス神がヘレネに黄金の矢を射た)の手助けもあって、ヘレネの心は美しい王子パリス傾いていった。そんなとき、メネラオス王は祖父の葬儀に参列するために、ヘレネを一人残してスパルタを留守にしたため、二人の情熱は一気に燃え上がった。ヘレネはまだ幼い娘のヘルミオネに心を残しながらも、金銀財宝を船に山積みにして、王子パレスと共にスパルタを旅だった。途中、ヘラ女神の起こした大暴風雨にあって航海は難儀の連続だったが、無事にトロイアに帰り着くことが出来た。トロイア(イリアス)王国のプリアモス王やパリスの兄ヘクトル、そしてトロイアの人々は、始めのうちこそパリスを非難していたが、ヘレネの美しさと気品に接して、トロイアに受け入れることを同意した。こうして、未来に待ち受ける悲惨な結末を知る術(すべ)もなく、二人の婚礼をトロイアの人々は盛大に祝った。
(参考)
@予言者のカサンドラ・・・(小話595)「トロイヤの美貌の王女カサンドラ。予言者となった、その悲劇の一生」の話・・・を参照。
Aヘレネ・・・へレネはスパル夕王テュンダレオスの妻レダと白鳥の姿に変身したゼウスが交わり、卵から生まれるという不思議な出生の仕方をした。神の娘であるためか、その姿はアフロディーテ女神に恐ろしいほどよく似ていた。(小話604)「白鳥に変身した大神ゼウスとスパルタの美しい王妃レダ。そして、その子供で双子の兄弟(カストルとポリュデウケス)と絶世の美女ヘレネ」の話・・・を参照。
いろいろな「パリスの審判」の絵等はこちらへ
いろいろな「ヘレネ」の絵等はこちらへ
          (三)
スパルタ王メネラオスは、トロイアの王子パリスとヘレネのとの報(しら)せを受けて、兄のミュケナイ王アガメムノンに相談した。彼らはトロイアに使者を送り、ヘレネと持ち去った財宝を返すよう要求したが、断られてしまった。ギリシャ一番の大国ミュケナイ王の仲介を無視したことで、アガメムノン王は激怒し、ギリシャ全土に号令を発して、トロイアへの大遠征軍を組織した。招集の呼び掛けに応じた中には、知将オデュッセウスと英雄アキレウスがいた。その他にも、かってヘレナの求婚者だった、テラモンの息子で巨大な体を持つ勇士、大アイアスとオイレウスの息子で足速き勇士、小アイアスがいた。知将オデュッセウスと英雄アキレウスは当初、参戦を渋っていた。オデュッセウスは最愛の妻ペネロペイアと息子テレマコスとの平穏な生活に満足していた。それに、この戦いに応ずると二十年は帰って来れないという神託を告げられていた。彼はこの招集から逃れようと、気が狂った振りをしたが、人を見抜く眼力を持つパラメデス(アガメムノンの従兄弟)に見抜かれて参戦に応じた。アキレスも参戦を渋った一人であった。アキレウスの母の女神テテュスは、アキレウスがトロイアからは生きて帰れないことを知っていた。そこで、彼に女装させて人目を欺いていた。だが、ギリシャ軍の予言者カルカスが「トロイアはアキレウスなしには落ちない」と予言したので、総大将アガメムノンはオデュッセウスに頼んでアキレウスを探させて、アキレウスも遠征軍に参戦することが決まった。
(参考)
@大遠征軍を組織・・・へレネの父テュンダレオス王はオデュッセウスの意見に従い、へレネの求婚者たちに、誰が婚約者に決まっても残りの者はみんなでその者の生命と権利を守るように誓わせた(「テュンダレオスの掟」という)。そして、へレネはスパル夕王メネラオスの妻になることが決まった。
Aパラメデス・・・オデュッセウスを味方に引き入れるとき、オデュッセウスの息子テレマコスを剣で刺し殺すように見せて、オデュッセウスの偽の狂気を見破った。
B英雄アキレウス・・・テティスとペレウスの結婚式から2年半後にトロイア戦争は始まった。そして、そのときアキレウスは15歳になっていた。女神の産んだアキレウスは最初の1年で15歳に成長したという。(小話646)「トロイア戦争の英雄アキレウスの誕生」の話・・・を参照。
「テティスとアキレウスとエロス」(セニュレ)の絵はこちらへ
「アガメムノンの使者たちを迎えるアキレウス」(アングル)の絵はこちらへ
          (四)
ヘレネが出奔してから二年が過ぎたころ、ギリシャ軍の総大将アガメムノン王の率(ひき)いるギリシャの大軍団がアウリス港に集結した。ところが不運にも大暴風雨に遭って、各船団は散り散りになって、それぞれがギリシャに引き上げてしまった。それから八年後、ギリシャ軍は再度アウリスに集結した。今度こそはとギリシャ軍の士気は盛り上がった。だが、今度は逆風ばかり吹いて出港できず、何日も何日も過ぎていった。これは、アガメムノン王が狩の神アルテミスを些細なことから怒らせてしまったことが原因であった。ギリシャ軍の予言者カルカスは、女神アルテミスに犠牲を捧げなければならないと告げた。その犠牲となったのは、アガメムノンの娘イピゲネイアであった。イピゲネイアの犠牲によって、ギリシャの大船団がトロイアに向けて続々と港から出て行った。エーゲ海を渡った遠征軍は、トロイアの城壁を遥(はるか)に望む沖合に集結した。いよいよ上陸作戦を決行させようとしたが、そこには行く手を阻む予言「最初にトロイアの土を踏むものは死ぬであろう」があった。指揮官プロテシラオスは、この予言を恐れて誰も進んで上陸しないことに業(ごう)をにやして自らが先陣を切って上陸した。そして、予言どおり名もない兵士の槍に貫かれ戦死した。二番目に地上に降り立ったのは、アキレウスだった。彼は待ち構えていたトロイア勢を撃退し、味方の上陸を助けた。こうして、ギリシャの兵士の士気はあがり、トロイア城を攻略しようと激しい戦闘が開始された。トロイア軍の中にひときわ美しい将軍がいた。海神ポセイドンの息子でキュクノス(白鳥)と呼ばれていた。彼は勇敢で次々とギリシャの兵士を打ち倒していった。そして、アキレウスとキュクノスとの一騎打ちが始まった。アキレウスは幾度も幾度もキュクノスを槍でつき、太刀で斬り付けたが、彼の肌は少しも傷つくことはなかった。しかし最後には、アキレウスがキュクノスに馬乗りになり、彼の兜(かぶと)の紐で絞め殺した。キュクノスの死でトロイア軍は浮足立って退却を始めた。
(参考)
@イピゲネイアの犠牲・・・ギリシャ軍総大将アガメムノンは、月と狩りの女神アルテミスのお気に入りの鹿を殺し、さらに「俺はアルテミスよりも狩りうまい」と自慢したことで女神アルテミスを怒らせた。その為、航海に必要な順風が吹かなかった。ギリシャ軍の予言者カルカスは女神アルテミスに犠牲を捧げなければならないと告げた。アガメムノンは、ギリシャ一の英雄アキレウスと結婚させるという名目で、娘イピゲネイアをアウリスまで連れてこさせた。イピゲネイアを待っていたのは、結婚でなく死であった(イピゲネイアが生贄に捧げられる寸前に、彼女を哀れに思った女神アルテミスが彼女を雌鹿とすり替え、自分の巫女として連れ去ったとも言われる)。
A再度アウリスに集結した・・・再度の出航の際、予言者カルカスが神々に生贄を捧げた時、その近くに立つ木に血の色をした1匹の大蛇が登っていった。木の上には雀の巣があり母雀と8匹の雛がいた。それを大蛇はすべて飲み込むと石になってしまった。それを見たカルカスは「この遠征は9年かかり、そしてやっと10年目にトロイアの城を落とす事が出来るだろう」と予言した。
Bキュクノス・・・海王ポセイドンの子で白鳥に育てられた。槍に突かれても、剣で切られても不死身な身体を父から与えられていた。戦場に横たわるキュクノスをポセイドン神は嘆き悲しんだ。海王ポセイドンはキュクノスを白鳥に変えた。白鳥になったキュクノスは、トロイアの上空を何度も何度も旋回してから紺碧の空の彼方へ去っていったという。
C指揮官プロテシラオス・・・総大将ヘクトルの槍に撃たれて死んでしまったとか、ヘクトルの弟パリスの弓で死んだとかいう説もある。(小話472)「美と愛の女神・アフロディーテとトロイア戦争に参加した英雄プロテシラオスとその妻ラオダメイア」の話・・・
「イフィゲーネイア(イピゲネイア)」(ポンペイ壁画)の絵はこちらへ
「アウリスのイフィゲーネイア(イピゲネイア)」(テイエポロ)の絵はこちらへ
「アキレウス、アガメムノン、アテーネー(アテナ)」(不明)の絵はこちらへ
「白鳥に変身したキュクノス」の挿絵はこちらへ
          (五)
ギリシャ軍は陣地の確保に成功したが、トロイア軍の勇敢な抵抗にあってトロイアの攻略を出来ずにいた。そのころ、オデュッセウスはトロイアへの参戦の時、自身の偽の狂気を見破るために幼い息子を危険な目に遭わせたパラメデスの仕打ちを忘れていなかった。そこである日、オデュッセウスは総大将アガメムノンの所へ出向きこう言った「我が軍がトロイアごときを攻略できないでいるのをおかしいと思いませんか。実は、昨夜、夢の中でお告げがあったのです。我々の中に敵と通じている者がいるのです」。知将オデュッセウスに一目(いちもく)おいている総大将アガメムノンは彼の言葉を信じ、各将軍の陣屋を調べることにした。オデュッセウスにぬかりはなかった。パラメデスの密書をトロイア人の捕虜に持たせ、パラメデスの陣屋の側(そば)で殺した。翌朝早くオデュッセウスは、殺された捕虜を発見してアガメムノンに報告した。軍法会議にかけられたパラメデスは、石打ちの刑で殺された。
(つづく)
(小話669)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬(2/3)」の話・・・へ


(小話667)「白い狗(いぬ)の頭になった嫁」の話・・・
      (一)
今は昔、震旦(しんたん=古代中国のこと)の隋は大業の代に、河南というところに住んでいた人の嫁が、姑(しゅうとめ)の世話をしていたが、これをひどく憎んでいた。その姑は両目が見えなかった。この嫁は、ひどく姑を憎んでいたので、蚯蚓(みみず)を切って吸い物にし、姑に食わせた。姑これを食(しょく)し、その味を怪(あや)しんでこっそりその肉を隠し置いた。息子が戻るとそれを見せ「これはおまえの妻が私に食べさせたものだけど」と云う。息子はこれを見て「や、蚯蚓(みみず)を吸い物にしている」と知って、即座に妻と離縁した。妻を実家に送り返す途次(とじ)のこと、未(いま)だその郷里に辿り着かぬうちに、俄(にわか)に雷鳴がとどろいた。
      (二)
その時に、連れていた妻が不意にいなくなった。夫がこれを不思議に思っていると、暫(しばら)くして空から落ちてくる者があった。見れば着ているのはもともと妻の着ていたもの、身体もまた元通り妻のものだった。けれど頭は変わって白い狗(いぬ)の頭になっていた。言葉も狗のものに他ならない。夫がこれを見てわけを訊ねると、妻の答えることには「私は姑(しゅうとめ)に不孝をして、蚯蚓(みみず)の吸い物を食べさせたため、覿面(てきめん)に天神が罰せられたのです」と。このことを聞き終えてのち、妻を実家に送って行った。妻の実家の者ども「奇異なり」と思ってそのわけを訊ねた。夫は事情を話した。その後は、妻は市に出て物乞いをして生きていた。そのうちに行方(ゆくえ)知れずになった。このことから思うに、女というのは愚かなもので、このような悪事をしてしまうことがある。その結果、現世で報いを受けることはここ述べたとおりだ。たとえ現世での罰がないとしても、天神が憎みなさることと知って、悪の心を止めて善を修めるべしと、この話は語り伝えている。
(参考)
@覿面(てきめん)・・・天の下(くだ)す罰がたちどころに加わること。
A「今昔物語集」より。

(小話666)「インドの初代首相ジャワハル・ネールとある召使い」の話・・・
       (一)
インドの初代首相ジャワハル・ネールのところに、ラーサナという名前のとても忠実で、永年、ネールに仕えている召使いがいた。ある日、召使いのラーサナは部屋の掃除を命じられた。ネールは、マハトマ・ガンジーから贈られたペンを本の間に挟んでいたので、ラーサナがテーブルを拭いている時、その本が床に落ちペン先が折れてしまった。ラーサナはうろたえたが主人に正直に話し、失敗を許してくれるようお願いした。しかし折れたペンはガンジーからの非常に価値ある贈り物だったのでこれを聞いたネールは激しく怒って召使いを怒鳴りつけ「出ていけ。もう二度と顔を見せるな」と命じた。その時、召使いは「ご主人さまの下でなくては生きていけません」と嘆願して許しを求めた。しかしネールはその言葉を聞く気もなく「二度と私の前に現れるな」と命令してその場を去った。
(参考)
@ジャワハル・ネール・・・インドの政治家。反英独立運動に参加。1947年インド独立後は初代首相。非同盟外交政策を展開。著「自叙伝」「インドの発見」など。
Aマハトマ・ガンジー・・・インド独立運動の指導者。ロンドンに学び、南アフリカで人種差別反対運動を指導したのち帰国。国民会議派を率いて民族解放・独立のための「自主独立」「国産品愛用」「非暴力・不服従運動」を展開。ヒンズー・イスラム両教徒の融和に献身したが、狂信的ヒンズー教徒に暗殺された。マハトマ(偉大な魂)の名でよばれた。
       (二)
しかし、ネールは召使いを追い出したことが脳裏から離れず、一晩中眠れなかった。翌朝、起床の時、いつもなら召使いのラーサナが出してくれるモーニングコーヒーが無くて寂しくなった。自らの振る舞いを反省し、些細な過ちであれほど忠実な召使いを追い出したことを悔んだ。ペンをきちんと安全な場所に置かず、うっかり本の間に挟んでいたのは自分の過ちであった。そこで、ラーサナに手紙を書いて戻ってもらい、許しを求めてこう言った。「ラーサナ、君は良い人だ。ペンを本の間に挟んでいたのは私の過ちだった。だから、私の分別のない行動を是非許してくれ」とネールはラーサナに一生仕えてくれるように頼んだ。


(小話665)「中国の二十四孝の物語(11/12)」の話・・・
         (一)「王祥(おうしょう)」
普朝の頃、王祥は幼いうちに母を失い、父は再び妻をめとった。後妻の朱氏(しゅし)は、継母(ままはは)の常で、父子の間を悪いように言い立て、父に子を憎ませたが、子の王祥は恨みに思わないで、継母にもよく孝行を尽くした。ある時に、それも厳寒の頃に、わがままな継母は、いきのいい魚を食べたいと言い出した。そこで王祥は、川へ魚を捜しにいった。しかし、川は氷が張って魚が見えないので、着物を脱いで裸になり、何とかして魚を獲らしてくださいと天に祈った。そして、彼は、氷を溶かそうとしてその上に伏したところ、氷がすこし溶けて、魚が二匹はね出てきた。王祥は大そう喜んで天に感謝し、それを家に持ち帰り継母に煮て食べさせたという。これも、ひとえに孝行のためであって、その場所には、毎年、人の伏しているかたちが、氷の上にできるということである。
(参考)
「二十四孝図絵馬」(庚申寺)の絵はこちらへ
         (二)「郭巨(かくきょ)」
漢朝の郭巨は河内(かだい)という所の人であった。家は貧しくその中で母を養っていた。妻は一人の子を産んで、その子が三歳になった。郭巨の老母は、その孫をかわいがり、自分の食事を分け与えた。ある時に、郭巨は妻に「我が家は貧しく、母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」といった。妻は夫の言うことにそむかず、その三歳の子を引き連れて埋めにいった。その時に郭巨は涙を押さえて、少し掘ったところが、黄金の釜(かま)を掘り出した。その釜に不思議な文字が書いてあった。その文には「天、孝子郭巨に賜う、奪うことを得ず、民、取るを得ず」とあり、この意味は天から、郭巨に下さるのであるから、他の人は取ってはならないよいうことであった。そこで、郭巨はその釜を手にして喜び、子を埋めずに帰り、母にいよいよ孝養を尽くしたということであった。
(参考)
@ この子を埋めて母を養おう・・・母親は以前から病気がちで、ちょうどその頃、病気が悪化した。しかし、お金がないので、医者にも診てもらうことも出来なかった。そこで、生まれた子どもを他人に売って、それでお金を手に入れようかと思案しながら、裏庭に行って、母親に効く薬草でもないかと思い、草の根を掘っていた。これには天も感動して、その親孝行をとげさせたいと、地中から天の授けた黄金が出てきたという説もある。
「二十四孝図絵馬」(庚申寺)の絵はこちらへ


(小話664)「イソップ寓話集20/20(その7)」の話・・・
       (一)「小カラスと渡りカラス」
ある小カラスが、渡りカラスを羨(うらや)んだ。というのも、渡りカラスは、瑞鳥(ずいちょう)と目されており、人々は、渡りカラスを見て、吉凶を占うからだった。数人の旅人が近づいてくるのを見た小カラスは、木に飛んで行き、枝にとまると、あらん限りの声で、カァーと鳴いた。旅人たちは、何かの予兆かと耳をそばだてた。その時、仲間の一人がこう言った。「さあ、旅を続けよう。あれは、小カラスの鳴き声だ。ほらあそこに居るだろう。君たちも知っているだろう、あれには、予兆などない」。
(自分に備わってもいない物を、あたかもあるように装うのは、滑稽なだけだ)
(参考)
@瑞鳥(ずいちょう)・・・めでたいことの起こる前兆とされる鳥。鶴(つる)・鳳凰(ほうおう)など。
       (二)「カニとキツネ」
あるカニが、浜辺を見捨て、近くの緑の草原を餌場に選んだ。そこへ腹ぺこのキツネがやって来て、カニを平らげた。カニは、食われようとするその時にこう言った。「ああ、こうなったのも当然だ。一体私は、陸で何をするつもりだったのだ? 私の本性は、海だけにしか適していないものを」
(自分の持っているもので満足できるということは、幸福なことである)
       (三)「ロバと年老いたヒツジ飼い」
ヒツジ飼いは、草原でロバの番をしていたのだが、突然の敵の叫び声に慄然とした。ヒツジ飼いは、捕まるといけないので、一緒に逃げようとロバに言った。しかし、ロバはめんどくさそうにこう答えた。「なぜ私が逃げなければならないのです? 敵が私を捕まえたら、倍の荷を担がせるのですか?」「いや、そんなことはないとおもうが」「それじゃあ、誰に仕えようが構いませんよ。荷物を運ぶのには代わりがないのですからね」
(貧しい者は、政府が転覆しても、仕える主人が変わるだけで、他は、何も変わらない)


(小話663)「トロイア戦争の英雄アキレウスの誕生」の話・・・
      (一)
ギリシャ神話より。女神テティスとプティア王ペレウスは結婚し、やがて二人の間に子供リギュロン(後のアキレウス)が生まれた。女神テティスは、息子に定められた運命を知っていた。そこで彼女は、生まれたばかりのリギュロンを不死にするために、夫のペレウスには内緒で夜ひそかに子供の踵(かかと)を握って、その体を火中に投じてペレウスから受け継いだ死すべき部分を焼き除(のぞ)こうとした。夜は火の中で人間の父から受けついだ死ぬ部分を破壊し、昼はアムブロシア(神酒)を塗ったり、冥界のスティクス川に浸したりした。しかし、ペレウスは妻の怪しい素振りが気になり、夜中にそっと部屋を覗(のぞ)いた。そして、火中でもがいている子供を見て思わずテティスを突き飛ばして、ちいさな息子を火中から引っ張り出し、水に漬けて熱をさまそうとした。ペレウスは大声をあげて妻を咎(とが)めた「何をするのだ。お前は、あらゆる善き精たちから見放されたか」。それに対して、女神テティスは答えた「あなたこそ、わたしが何をしていたか、ご存じないくせに。なんてことをしたのです」「わが子を焼こうとしていたではないか」「焼こうとしていたのではないわ。不死身にしてやっていたのよ。あなたとはもう、一緒にいられません」。腹をたてた女神テティスは、赤ん坊を残して父ネレウスの元へ帰ってしまった。赤ん坊を捨てて逃げられたペレウスは、子育てが出来ないので、仕方なく半人半馬のケンタウロス族の賢者ケイロンの元へ転がり込んで、養育を託すことにした。こうして、リギュロンはライオン、猪などの内臓、熊の髄で育てられた。六歳からケイロンに狩りを教わり、また医術、竪琴も学んだ。容姿は、金髪、碧眼、薄い唇の美しい少年で、剣、槍、弓矢の腕にも優れ、さらに素手(すで)であっても、どんな敵にも勝(まさ)った。又、「足の速い」少年とも呼ばれ、父から譲り受けた不死の神馬、バリオスとクサントスを除いて、どんな馬よりも速く走れた。その上、海の女神テティスの子であるので、川の神スカマンドロスに洪水で襲われた時も、溺れることがなかった。このように神々の守護を受けていたペレウスの子は、母親の乳で育っておらず、乳房に唇をつけたことがなかったのでリギュロンと呼ばれていた。のちケイロンに預けられて、母の乳房に口をつける代わりに、動物の内蔵や髄で育てられたため「唇」を意味する「キレウス」に、否定の接頭辞「ア」をつけて新たに「アキレウス」と名づけられた。
(参考)
@子供を火中に投じて・・・この不死身の体製造方法は、デメテルがデモポンに行った方法と同じであった。(小話28-409)「豊穣の女神・デメテルと三つの物語」の話・・・を参照。
A賢者ケイロン・・・神々の二代目の王・クロノスとピリュラの子で、大変賢く、音楽、医術、予言の力を手にし、狩りを覚えた。やがて、彼は、テッサリア地方ペリオン山の洞窟に住み、イアソン、ヘラクレス、アキレウス、アスクレピオスなどの多くの英雄を育てた。
B赤ん坊・・・英雄アキレウスは唯一、踵(かかと=アキレス腱)が弱点であった。踵が弱点である理由として、女神の母テティスが不死身の体にする最中にペレウスに邪魔されて、手に持っていた踵(かかと)だけが不死身にならなかった説と、冥府にあるステュクスの川に体をつけると不死身になるのだが、テティスはアキレウスの踵を持って逆さづり状態で川につけたため、そこだけが川の水に触れることがなかったためだとか言われている。
「アキレウスをステュクスの流れに浸けるテティス」(ルーベンス)の絵はこちらへ
「アキレウスの行水(ステュクスに浸かるアキレウス)」(クレティ)の絵はこちらへ
「アキレウスとケンタウロス(ケイロン)」(バトーニ)の絵はこちらへ
      (二)
アキレウスが九歳になった時、遠いアジアのトロイア(トロイ)ではギリシア軍とトロイアが戦端を開こうとしていた。そして、ギリシャ軍の予言者カルカスが「トロイアはアキレウスなくしては攻め落とせない」と予言した。この予言は深い海を通ってアキレウスの母親テティスの耳にもはいった。テティスはトロイヤ遠征が息子の死をもたらすことを知っていたので、アキレウスを女装させてスキュロス島の王リュコメデスの所に預け、王の娘たちと一緒に娘として育ててもらった。やがて、アキレウスは、リュコメデスの娘、デイダメイアと結婚し、息子ピュロス(後のネオプトレモス)が生まれた。その頃のアキレウスは、毎年冬場の六か月間は女装してスキュロス島で過ごしていた。一方、トロイヤの征服のために、どうしても神々の息子アキレウスが必要となったギリシャ軍は、智将オデュッセウスにアキレウスを探すように命じた。オデュッセウスは、アキレウスがひそんでいる場所を探し回わり、ほどなくアキレウスがひそんでいる場所をつきとめた。アキレウスが隠(かく)れているという噂のあるスキュロス島から彼をつれだすために、オデュッセウスと剛勇のディオメデスがでかけた。二人はリュコメデス王に「われらの任務は急を要するものです。あなたの婿、アキレウス殿の行方を捜しております」と告げた。リュコメデス王はアキレウスは、どこかへ出かけてここにはいないと答えた。そこで、二人は計略をめぐらし、帰るふりをしてリュコメデス王の娘たちのために持参した、多くの贈り物をもちだして広間にひろげた。美しい宝石や衣装、装飾類のなかに、剣、槍、楯なども紛れ込んでいた。王の娘たちはその贈り物に大喜びであった。娘たちに混じってリネンの衣をまとって大人(おとな)しくしていたアキレウスだったが、とつぜん宮殿の外で急を知らせるかん高い悲鳴があがり、喇叭(らっぱ)が鳴り響くと、思わず身にまとったリネンの衣を剥ぎとり、広間の装飾類のなかから楯と槍を手に取ると、すっくと背筋を伸ばした。こうして、正体を現してしまったアキレウスは「世にも偉大な英雄になり、そのため早死にするか、あるいは、何ごともなく平々凡々と一生を送り、天寿をまっとうする」という予言に対して、世にも偉大な英雄になる方を選択し、トロイヤ戦争に加わることになった。時にアキレウス十五歳(二十歳とも)であった。そして、この時アキレウスに同行したのは恩師ポイニクスと幼い頃から兄弟のように育ったパトロクロスであった。さらにアキレウスは勇敢なミュルミドン人たちを乗せて50隻の船を率いてトロイア戦争に参加した。
(参考)
@オデュッセウス・・・イタカ王。トロイ戦争で活躍した英雄。有名なトロイアの木馬を発案し、トロイアの陥落を導いた。
Aディオメデス・・・ティリンスの王。トロイア戦争にギリシャ勢として参加し、しばしばオデュッセウスと組み、アテナ女神の加護を受けて活躍した。
Bポイニクス・・・ドロプス王。母の指示で父の妾を寝取ったと誤解され盲目にされるが、ペレウスがケンタウロス族の賢者ケイロンに治させた。 後にプティア王ペレウスに歓待され、ドロプス人の王となる。アキレウスに武術を教えた。アキレウスにとっては父の様な存在。トロイア戦争にも参加。
Cアキレウス15歳・・・花嫁テティスの生んだ子供アキレウスは女神の子供だから、明らかにとても成長が早い(特に幼児期は)。女神テティスと人間の英雄ペレウスの結婚式から2年半後にトロイ戦争は始まった。そして、そのときアキレウスは15歳(20歳)になっていた。女神の産んだアキレウスは最初の1年で約15歳に成長した。神々の伝令神ヘルメスも生後すぐに歩き出し、遠く離れた太陽神・アポロンの牧場から牛を盗んできている。(小話479)「神々の伝令神・ヘルメスの誕生と腹違いの兄、太陽神・アポロン」の話・・・を参照。
「リョコメデスの宮廷のアキレウス(女装したアキレウス)」(バトーニ)の絵はこちらへ
 

(小話662)「ハエとクモ」の話・・・
         (一)
民話より。昔、西洋のある国の皇太子は、ハエとクモが大嫌いだった。ある時、隣国との戦いに敗れて逃げ回っているうち、大樹の根元に腰を下ろした途端、どっと疲れが出て睡魔に襲われ、深い眠りに陥ってしまった。そのため、敵の近づいているのも知らなかった。その時、一匹のハエが皇太子の顔の上を飛び回った。皇太子は無意識に手を払うのだがハエは逃げないどころか、皇太子の鼻の穴に入り込んだ。これでは眼を醒(さ)まさざるを得ず、ハッと気付くと敵の足音が聞こえた。皇太子は、危機一髪のところで逃げのびることができた。
       (二)
その後、皇太子は、またも戦いに負け、ただ一人になって生き延びて、とある洞穴に入り、グッスリ眠ってしまった。そこへ敵兵がやって来て「この洞穴には皇太子がいるかもしれん。入ってみよう」と一人の兵士が言うと、その洞穴の入り口にクモが巣をかけているのを見て、他の兵士が「クモの巣がかかっているからいないよ」といって敵兵は立ち去った。そのため、皇太子はまた命拾いをした。こうして皇太子は、皮肉にも日頃嫌がっていたハエとクモに助けられた。