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(小話642)「海をへだてた悲恋。美しい娘ヘロと若者レアンドロス」の話・・・

       (一)

ギリシャ神話より。ヨーロッパとアジアを分けるへレスポントス海峡(ダーダネルス海峡)をはさんで、風の激しい島セストスとこれも風が激しく吹くアビドス島が向かいあっていた。セストス島にある古い塔には、へロという美しい娘が住んでいた。美と愛の女神アフロディーテに仕える巫女(みこ)で、女神の生れかわりといわれるほどの美少女であった。だが、ひたら神に仕えて、他の娘たちと娯楽に加わることもなかった。ある年、アドニスの復活を祝う名高い祭礼の日に、遠方から大勢の若者が娘たちの美しい笑顔を目あてに集まって来た。その中に、アビドス島からやって来たレアンドロスという若者がいた。そして、彼とへロは視線を交わすなり、二人は同時にエロス(恋の神)の矢に射ぬかれてしまった。陽が落ちるのを待ってヘロに近づいた若者は、少女の美しさをたたえ、アフロディーテに仕える者が恋を知らぬままであってはいけない、と訴えて、ついにヘロの愛をかちえた。だが、巫女には結婚が許されていなかったので、二人の恋は、あくまで秘密であった。

(参考)

@アドニス・・・女神アフロディーテに愛された美青年。イノシシの牙(きば)にかかって死んだ彼の血からアネモネの花が生えたという。

       (二)

そのため二人は、人目を忍んで逢うために、レアンドロスは毎夜、ヘレスポントス海峡を泳ぎ渡ってくることを誓った。塔の上からは、へロが目印の灯りをかかげることを約束した。こうして、毎夜、五キロ以上もの暗い海の道を泳ぎ切って、疲れきった恋人の体をへロは抱きとって、海の塩気をぬぐってやった。二人が寄りそって体を温めるまもなく、すぐに朝の光を恐れて恋人同士は別かれなければならなかったが、この僅かの時間も二人には大きな歓びであった。しかしやがて、舟乗りも舟を引き上げる嵐の冬の季節がやって来た。ある夜、へロはずいぶん迷ったが、逢いたい一心にせかされて灯りをともした。それを見るや、レアンドロスもすさまじい音をたてる波間に飛び込んでいった。だが、海と空とが混じりあうような高波にもてあそばれ、そのうえ、塔の灯りも嵐に吹き消されて、目標を失ったレアンドロスは、ついに力尽きて溺れ死んでしまった。海の黒い背をじっと見すえていたヘロにも、やがて白々と夜が明けてきた。そして、浜辺に打ち奇せられたレアンドロスの死体を認めるや、ヘロは胸の衣を引き裂き、高い塔の上から身を躍らせて海に身を投げ、レアンドロスの後を追ったのであった。

(参考)

@ヘレスポントス海峡を泳ぎ渡って・・・詩人バイロン(イギリスの詩人。社会の偽善を痛罵・風刺し、生の倦怠と憧憬をうたいあげ、ロマン派の代表)は、この話は作り話ではないことを証明するために、自らヘレスポントス海峡を泳いで渡ったという。

A泳ぎ渡ってくることを誓った・・・(小話354)「美しい娘と人魚塚」の話・・・を参照。

「レアンドロスのための灯りを持つヘロ」(モーガン)の絵はこちらへ

「ヘロとレアンドロス 」(ドメニコ)の絵はこちらへ

「ヘロとレアンドロス 」(ターナー)の絵はこちらへ

「レアンドロスを見つけたヘロ」(ケラー)の絵はこちらへ

「ヘロとレアンドロス」(ルーベンス)の絵はこちらへ

「ヘロとレアンドロス」(シャセリオー)の絵はこちらへ

 

(小話641)「イソップ寓話集20/20(その4)」の話・・・

      (一)「二匹のカエル」

二匹のカエルが小さな池に棲(す)んでいた。しかし、太陽の日差しで池は干上がってしまった。彼らは池を後にして、新天地を探しに出ていった。道を行くと、偶然に深い井戸に出くわした。見ると井戸は、満々と水を湛(たた)えている。そこで一方のカエルがこう言った。「この井戸を我々の棲家にしよう。ここなら、餌はあるし、身も隠せそうだよ」すると、一方のカエルが、こんな風に忠告した。「でも、こんなに深くちゃ、水がなくなったら、二度と出られなくなるんじゃないのかい?」

(結果を考えずに事にあたってはならない)

      (二)「牝(めす)ジカとライオン」

牝ジカが、猟師たちに激しく追い立てられて、ライオンの棲んでいる洞穴へ逃げ込もうとした。ライオンは、シカがやって来るのを見ると身を隠し、彼女が洞穴に飛び込んだところを、襲いかかって、バラバラに引き裂いた。シカは絶叫した。「ああ、なんてこと! 人間から逃れようと、逃げ込んだ穴が、野獣の口だなんて」

(一つの悪を避ける時には、別な悪の手に落ちぬように注意せよ)

      (三)「マーキュリーの神像と大工」

とても貧しい大工が、マーキュリーの神像を持っていた。男は毎日、神像にお供え物をして、自分を金持ちにしてくれるようにと祈った。しかし、彼の熱心な祈りにも関わらず、彼はどんどん貧しくなって行った。ある日のこと、大工はとうとう神像に腹を立て、神像を台座から引きずり下ろすと、壁に叩きつけた。神像の頭が割れ、さらさらと砂金が流れ出た。大工はそれを拾い集めながらこう言った。「全く、あなたは、理不尽でひねくれ者です。私がお祈りしていた時には、御利益を授けて下さらなかったくせに、こうして、ひどいことをしたら、富をお与えになった」

(悪は拝むよりも殴った方がよい)

@「マーキュリー・・・ギリシア神話でヘルメスのこと。オリュンポス十二神の一。神々の使者を務めるほか、富と幸運の神で、商業・発明・盗人・旅行者などの守護神。

 

(小話640)「香厳(きょうげん)禅師の悟り」の話・・・

      (一)

中国は唐の末期に大いに禅風を興した香厳(きょうげん)禅師という名僧がいた。香厳は幼少の頃から聡明で多くの教典を読み、師匠も舌を巻くほどの博識であった。しかし、禅の修行に関する限り、こうした学問知識は何の役に立たないばかりか、なまじ知識が邪魔になった。師匠は彼の並々ならぬ素質を認めて、何とか心眼を開いてやりたいと考えた。そこで香厳を呼んで 「わたしはお前が経典から学んだことや、今まで積み重ねてきた思索や学問などは一切聞きたくない。お前が生まれる前の自分とは、どのようなものだったか?」と問いた。香厳は茫然として何も答えることが出来なかった。

      (二)

その後、熱心に修行をするが、ついに精根尽き果てた香厳は、師匠の前に出て「何とかご教示頂きたい」と哀願した。しかし 師匠は「もしわたしがお前のために説いてやったとしても、それはわたしの言葉であってお前の見解には何の役に立たない」と言って彼の懇願に全く取り合わなかった。失望落胆した香厳は「画にかいた餅は飢えを満たしはしない」と言って、長年、勉強してきた書物やノートを全部焼き捨ててしまった。そして、修行をあきらめ涙ながらに 師匠の道場を去った。そして昔、慧忠国師という名僧が修行した遺跡を尋ね、そこに止まって掃除僧となって暮らしていた。何年か経ったある日のこと、庭掃除をしていた時、箒(ほうき)に飛ばされた小石が竹にあたり、カチーンと音を発した。香厳禅師は、その竹の音を聞いて仏道を悟った、と伝えられている。

 

(小話639)「シシュポスの岩。又は、神を欺(あざむ)いた男、コリントス王シシュポス) 」の話・・・

        (一)

ギリシャ神話より。コリントス王の息子シシュポスがまだ王になる前のこと。コリントスの近くに神々の伝令神でもあり盗人や詐欺師の神ヘルメスの息子アウトリュコスが住んでいた。アウトリュコスは父ヘルメスと同様に天才的な泥棒で、シシュポスの家畜をたびたび盗んで我が物にしていた。アウトリュコスは、盗んだ家畜の姿を変える力を父ヘルメスから授かっていたので、シシュポスの家畜の角(つの)が生えているものは角をなくし、色の黒いものを白くしたりなどしてしまい、盗みが誰の仕業かわからないようにしていた。自分の牛が減っていく一方でアウトリュコスの牛が増えていく事実に憤慨したシシュポスは、知恵では負けていなかった。そこで、狡猾(こうち)でしたたかなシシュポスは、自分の家畜の蹄(ひづめ)の内側にSSという頭文字を刻み込んでおいた。ある夜、例によってアウトリュコスが盗みを働いた。翌朝、シシュポスは自分の家畜小屋から道沿いに蹄の跡がつづいているのを見つけた。そこで、近くの人々を呼び出して証人とし、アウトリュコスの家畜小屋で家畜の蹄の内側を確認すると、果たしてSSの文字があった。アウトリュコスが変身させた牛は、角の形や体の色は変えていたが、蹄の裏まで頭が回らなかった。これにはアウトリュコスもすっかりシシュポスの狡知に感服して、互いに親友の誓いを交わした。その後、アウトリュコスは自分の娘アンティクレイアをシシュポスに会わせて妊娠させ、イタカ島の王ラエルテスに嫁(とつ)がせた。生まれた子供はあの英知に長けたオデュッセウスで、彼はアウトリュコスとシシュポスの知能を授かったのであった。

(参考)

@ヘルメス・・・大神ゼウスと巨神アトラスの娘マイヤの子。ゼウスの伝令役で、足に羽のはえたサンダルを履き、先に輪のついた杖を持って風のように速く走る。商業と牧畜の神、盗人や詐欺師の神、旅人の保護者で境界の守り手の神、又、死者の魂を冥府へと導く神でもある。

ASSの文字があった・・・空(そら)とぼけるアウトリュコスと証人たちが口論となっている間、シシュポスはアウトリュコスの娘でラエルテスの妻となっていたアンティクレイアと交わってしまったという説もある。

        (二)

コリントス王シシュポスは人間の中で最も狡智にたけた人物であった。シシュポスが王になったある日、彼はアソポス河の神の娘アイギナが大きな鷲にさらわれる所を目撃した「これはまた、ゼウスが悪さをしたに違いない」。アソポス河の神に娘の行方を尋ねられたシシュポスは「コリントスの城砦に水の涸(か)れない泉を湧出(ゆうしゅつ)させてくれたら教えよう」と交換条件を出して、鷲が飛んで行った方角の島を指差して教えた。アソポス河の神は早速その島に娘を探しに行ったが、ゼウスの雷霆(らいてい)で追い払われてしまった。ゼウスはその島を愛人の名前にちなんで、アイギナ島と名付けた。ゼウスとアイギナの間にアイアコスという男の子が生まれた。一方、シシュポスに怒った大神ゼウスは、彼を地獄に落とす事に決め、死の神タナトスを迎えにやった。ところが、シシュポスはタナトスを騙して鎖で縛り付けてしまった。死の神が捕らえられて動けなくなっては、死ぬ者が誰もいなくなってしまう。困ったゼウスは死の神タナトスを救出すると、今度は厳重な見張りを付けて、シシュポスを冥界に送った。シシュポスは妻のメロペに一切の葬礼をせず、死体も埋葬してはならないといい残して冥界へと旅立った。そして、狡猾なシシュポスは冥界でも神を欺いた「私の妻はとんでもない女です。私をちゃんと埋葬してくれないばかりか、私の亡骸を平気で広場の真ん中に放置したままなのです。こんな私でも、死んだ者には礼を尽くして欲しいのです。妻を懲(こ)らしめたいのです」とシシュポスは嘘泣きしながら、冥王ハデスに訴えた。

(参考)

@水の涸れない泉・・・このペイレネの泉は、後にベレロポンが天馬ペガソスを馴らした場所として知られる。(小話53-482)「天馬ペガサスに乗った勇者・ベレロポンの怪獣キマイラ退治」の話・・・を参照。

A死の神タナトス・・・夜の女神ニクスの子。眠りの神ヒュプノスと双子の兄弟。死期が近づいた人間をヒュプノスが眠らせ、死神・タナトスが冥界に連れて行くという。タナトスのその姿は黒い翼を持ち、黒い服を纏い、剣を携えた髭の長い老人だったとされている。その心は鉄のごとく、憐れみの感情はなかった。

Bメロペ・・・巨神アトラスの娘であるプレアデス七姉妹の一人メロペは、姉妹の中で唯一、死すべき人間であるコリントス王シシュポスに嫁いだが、シシュポスの末路を恥じて、夜空に輝く星の姉妹(プレアデス星団)から離れ、姿を隠したという。

      (三)

「なるほど、それは許しがたい事だ。一日だけお前を地上に帰してやろう。存分に妻を懲らしめるが良い。だが、必ず帰ってくるのだぞ」シシュポスの妻に怒りを覚えた冥王ハデスは、シシュポスを一時、生者の国に戻す事にした。しかし、シシュポスに約束などどこ吹く風とばかり何事も無いように地上で暮らして、冥界に戻ってくる気など全くなかった。度重(たびかさ)なる神への冒涜(ぼうとく)に激怒した大神ゼウスはシシュポスを雷で再び殺し、冥界の最も深い所タルタロス(地獄)に落として罰を与えた。それは、巨大な岩を手と頭で転がして、丘の上に運び続けるという仕事で、頂上の一歩手前まで行くと、岩は麓まで転がり落ちてしまうので、また最初からやり直すという仕事であった。全身、汗と泥まみれになりながら、黙々と岩を押し上げ続けるシシュポスには、休む事も許されない苛酷な労働が未来永劫続くことになった。

(参考)

@一日だけ・・三日間だけ甦る許可を得て戻ったが、その後も居座ったため、ヘルメスに冥府へ連行され、罰として、同じ巨岩を何度も何度も山頂に上げる刑を課せられたという説もある。

A黙々と岩を押し上げ続ける・・・シシュポスが山頂に届くというところまで岩を上げたところで、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまうのである。これを「シシュポスの岩」という。

「シシュポス」の絵はこちらへ

「シシフォス(シシュポス)」(シュトゥック)の絵はこちらへ

「石を山の上に持ち上げるシシュフォス(シシュポス)」(ピカール)の絵はこちらへ

 

(小話638)「ジョージ・ワシントンとある陸軍大尉」の話・・・

      (一)

アメリカ独立戦争の頃の話。ジョージ・ワシントンはアメリカ軍総司令官を勤めていた。ある日のこと、ワシントンは陸軍キャンプでみんながきちんとやっているかどうかを点検するために、馬に乗って見回りをしていた。キャンプのすみの方では、新しい建物を建てていた。そこでは陸軍大尉が六人の兵士たちに長くて重い鉄の梁(りょう)を建物の一番てっぺんまで持ち上げるよう命令していた。六人の兵士たちはその命令に従おうと、一生懸命に頑張っていた。けれどもその梁は兵士たちには重すぎた。一方、大尉は兵士たちを助けに行こうとはせずに、離れたところから「もっと頑張れ。持ち上げろ、持ち上げろ」と大きな声で怒鳴っていた。

(参考)

@ジョージ・ワシントン・・・米国の初代大統領。大陸軍総司令官として独立戦争を勝利に導き、独立後は大統領に就任、連邦政府の基礎の確立に努めた。

      (二)

ワシントンはこの様子を黙って見ていることができなかった。しこで、彼は大尉に近づいて尋ねた「あの梁は重いのです。あなたも少しは力を貸してあげてはいかがですか?」。すると、大尉は乱暴に答えた「何だと。あれは兵士の仕事だぞ。君は私が大尉だということがわからんのか?」「なるほど」とワシントンは言った「失礼しました。知らなかったので」。ジョージ・ワシントンは馬から下りると兵士たちのところに行って、梁(りょう)が建物のてっぺんに届くまで兵士たちを手伝った。それから大尉の方を振り向いて言った「大尉殿、次にまたこういう仕事があって兵士の数が足りないときには私を呼んでください。私はアメリカ軍総司令官です。喜んでお手伝いに参ります」。この言葉を聞いて、大尉はショックを受けた。そして、大尉が返事をする前に、ジョージ・ワシントンは馬にまたがると自分のテントに向かって走って行ってしまった。

 

(小話637)「真実を尊ぶハリスチャンドラ王」の話・・・

         (一)

民話より。はるか遠い昔のインドでのこと。ある所にハリスチャンドラという名の立派な王様がいた。彼よりも真実を大切にする人はいないということで、彼は国中に知れ渡っていた。賢者たちや多くの神々が話しあって、ハリスチャンドラが本当にそのような呼び名にふさわしい人物かどうかを自分たちで試そうということになった。ある日、ハリスチャンドラが森で狩りをしていると、突然助けを求める声が聞こえた。彼は弓矢を投げ捨てて声のするほうに走って行った。彼が一軒の小屋に入ると、そこは立派な賢者の住む家で、その中に賢者が座って瞑想をしていた。王様が家に入って来たのに邪魔をされて、賢者は目を開けた。賢者は瞑想の邪魔をされたことに腹を立てて、ハリスチャンドラと彼の王国に呪いをかけた。心の立派な王様は、自分の犯した過ちのために、国民を苦しめないようにと、賢者に手を合わせてお願いした。「何なりとお望みのものを私におっしゃってください。しかし、どうか私の国の国民を罰するようなことだけはしないでください」と王様は訴えた。賢者は怒りに満ちた声で「わしにおまえの王国をそっくり渡せ」と言った。「承知しました」と王様は答えた「ただし、すべての準備を整えるまでに、何日か時間をください」と言って王様は賢者のもとを立ち去った。それから何日も経って、ハリスチャンドラが大臣たちに国をどのように運営していくかについて最後の指示をしていたときに、大広間に大きな声が鳴り響いたた。「ハリスチャンドラよ、王国をもらいに来たぞ」と賢者が大股で宮廷に入ってきた。

         (二)

王様は約束通り彼にすべてを渡し、粗末な服を着てお妃様と王子様を連れて歩いて門の外に出て行った。人々は愛する王様が皆を見捨てて立ち去ったと思って彼を止めようとした。しかし王様は人々の願いを聞き入れなかった。王様は賢者と約束をしてしまったので、その言葉を取り消すことはできなかった。三人が歩き出して間もなく、彼らを呼び止める声が聞こえた。振り返るとそこには例の賢者がいた。彼はハリスチャンドラにまだお金が足りないと言った。王様はもうこの世には何ひとつ彼のものは残っていないことを説明した。「そんなことはわしの知ったことではない」と賢者は叫んだ「その金を作るのに一週間だけ時間をやる」と言っ賢者はその場を立ち去った。王様とお妃様と王子様はいつまでも歩き続けたが、どうしても仕事を見つけることができなかった。三人共やつれて、疲れ果ててしまった。賢者から与えられた一週間は、もうすぐ終わろうとしていた。王様は約束を破るまいと必死であった。彼らはとある小さな町にやって来た。そこには市が立っていた。王様は市場に入って行って自分を売りに出した。みんなは彼を笑った。いったいどこにそんなに弱々しい男を買うような馬鹿なことをする人がいるものか。とうとう最後に一人の太った商人が彼の妻を自分の家で召使いにしてやろうと言い出した。始めのうちは自分の妻を売るという考えは彼には耐えられなかったが、それ以外に方法がないことに気がついてついにそれに同意した。そして商人がお妃様と王子様を連れていってしまった。

         (三)

哀れなハリスチャンドラは、この世のものをすべて失ってしまった。彼は自分の王国を失い、今度は愛する妻と子までも奪われてしまったのだった。しかし彼は約束を破ることはできなかった。その夜、彼は定められた通りに賢者に会いに行き、妻を売って手に入れたお金を渡した。賢者はさらにそのお金を数えて、それでもまだ足りないと言った。彼は足りない分のお金を作るために、一ヶ月だけ待ってやろうと言った。王様はがっかりして市場に戻った。彼は必死になって仕事を探した。どんな仕事でもかまわなかった。とうとう最後に。大変、色の黒い男が王様を買った。彼は焼き場の主人であった。彼はハリスチャンドラを、火葬するために運ばれてきた死体を焼く仕事の責任者にした。彼はハリスチャンドラにこの仕事の代金として、人々からお金か、米か、着物をもらわなければいけないと言った。この仕事は最も卑しい仕事だと言われていたが、王様は賢者にお金を払わなければならないために、この仕事をするほかはなかった。

         (四)

一方、お金持ちの商人の家ではひどいことが起った。お妃様が家の掃除をしている間に、外で遊んでいたかわいい王子様が毒ヘビに噛まれてしまった。そして、間もなく死んでしまった。悲しみに暮れた母親は息子の亡きがらを抱えて焼き場に行った。ハリスチャンドラの顔は煙で真っ黒くなってしまっていたのでお妃様にはそれが王様だとは気がつかなかった。彼女は息子を火葬してくださいと頼んだ。王様はその代金を払うように言った。彼女が自分は何も持っていません、と言ったとき王様は彼女を見てそれが自分の妃であり、死んだ子供は自分の子供に他ならないことに気がついた。しかし彼女は彼に代金を払わなければならなかった。彼女は何も持っていなかったので、王様は彼女の上半身を覆っていた着物を脱がせようとした。そのとき、「やめなさい、ハリスチャンドラよ。もう十分だ」という声がした。彼が見上げると、そこにはあの賢者が優しく笑って立っていた。賢者は今までのことはすべて、王様が本当に自分の言った言葉を守り、想いと言葉と行動が一致しているかどうかを試すための幻の出来事であったことを説明した。死んだはずの王子様は深い眠りから覚めたかのように起きあがり、王様とお妃様は王国に戻った。人々は皆、大変喜んで彼らはいつまでも幸せに暮らした。

(参考)

@19世紀の終わりに、一人のインドの少年がハリスチャンドラという名前の王の劇を見に行き、この劇は少年の心に深く刻み込まれた。彼は成長し、世界で最も偉大な人物のひとりになった。その人の名は、インドの独立の父と言われたマハトマ・ガンジー。

 

(小話636)「虎の難産と蛇蠱(じゃこ)」の話・・・

         (一)「虎の難産」

廬陵(ろりょう)の蘇易(そえき)という婦人は産婦の取り上げをもって世に知られていたが、ある夜外出すると、忽ち虎に啣(くわ)えて行かれた。彼女はすでに死を覚悟していると、行くこと六、七里にして大きい塚穴(つかあな)のような所へ行き着いた。虎はここで彼女を下ろしたので、どうするのかと思ってよく視(み)ると、そこには一頭の牝(めす)の虎が難産に苦しんでいるのである。さてはと覚って手当てをしてやると、虎はつつがなく三頭の子を生み落した。それが済むと、虎は再び彼女を啣(く)えて元の所まで送り還した。その後、幾たびか蘇易(ろりょう)の門内へ野獣の肉を送り込む者があった。

(参考)

岡本綺堂の「捜神記」より。

         (二)「蛇蠱(じゃこ)」

陽(けいよう)郡に廖(りょう)という一家があって、代々一種の蠱術(こじゅつ)をおこなって財産を作りあげた。ある時その家に嫁を貰ったが、蠱術(こじゅつ)のことをいえば怖れ嫌うであろうと思って、その秘密を洩らさなかった。そのうちに、家内の者はみな外出して、嫁ひとりが留守番をしている日があった。家の隅に一つの大きい瓶(かめ)が据えてあるのを、嫁はふと見つけて、こころみにその蓋(ふた)をあけて覗くと、内には大蛇がわだかまっていたので、なんにも知らない嫁はおどろいて、あわてて熱湯をそそぎ込んで殺してしまった。家内の者が帰ってから、嫁はそれを報告すると、いずれも顔の色を変えて驚き憂(うれ)いた。それから暫(しばら)くのうちに、この一家は疫病にかかって殆んど死に絶えた。

(参考)

岡本綺堂の「捜神記」より。

 

(小話635)「ある金持ちの夫とその妻」の話・・・

          (一)

昔、一人の金持ちがいた。彼は米をひく工場を経営していた。彼はある時、腹を空かした人に食物を与えることは神の最も喜びたもう奉仕であるという聖者の説教を聞いた。そこで彼は、村の貧しい人々に食物を施す決心をした。しかし、彼はそのために上等の米を使う気持ちはなかった。どんな米でも、彼らにとっては十分だと考えた。そこで彼は腐りかけの米を倉庫から出してきた。米についた虫を取り除くことさえしなかった。虫のついた腐りかけの米を料理して、貧しい人々に食べさせると、当然のことながら食べた人は病気になってしまった。彼の妻は、数百人に悪い食べ物を与えるよりも、十人でよいから上等の食べ物を与えることのほうがずっと功徳になると、彼に教えた。しかし男は妻の言葉に耳をかそうともしなかった。

          (二)

そこで妻は、あることを思いついた。毎日、彼女は夫の皿に、腐って虫のついた食べ物をのせておいた。怒った夫が妻をとがめると、彼女はこう答えた「人はみな、自分が他人に与えた害を、自分自身で苦しまねばならないとお坊さまは言われました。ですからあなたは、この次、生まれてくるときには、虫のいっぱいついた腐った食べ物を食べなくてはならないのです。私はあなたが今からそれに慣れるように、腐った食べ物を食べさせているのです」。それを聞いた夫は自分が悪かったことに気づき、自分の過ちを詫(わ)び、貧しい人に奉仕するよりよいやり方を学んだ。

 

(小話634)「大神ゼウスと河神アソポスの美しい娘アイギナ。そして、その子で孤独な王アイアコス」の話・・・

         (一)

ギリシャ神話より。ボイオティアを東へ流れるアソポス河の神アソポスと河神ラドンの娘である妻メトペとの間には、二十人の愛らしい娘があったが、そのうちで特に美しい娘はアイギナであった。あるとき、大神ゼウスは、いとも優美なこのアイギナを見ると、はげしい恋心に捕らわれた。そこで、ゼウスは鷲に姿を変えて舞いおりると、美しいアイギナを空にさらって、オイノネ島に連れていった。河神アソポスは、娘をさがしまわったあげくに、コリントスにやって来た。するとコリントス王アイオロスの息子である狡猾なシシュポスが「コリントスの城砦に水の涸(か)れない泉を湧出(ゆうしゅつ)させてくれたら教えよう」と交換条件を出して、誘拐したのは大神ゼウスだと河神アソボスに告げた。アソポスは怒り狂い、ゼウスを追いかけた。しかし、大神ゼウスにとってみればアソポスはただの河神で「お前には他にもたくさん娘がいるんだから、一人くらいいいだろう」と言わんばかりに雷霆(らいてい)をアソポスに打ちつけた。なんせ河神アソポスは水の塊(かたまり)なので、雷を放(は)なたれたら体中電気を帯びてたまらない。河神アソポスは、黒焦げになってすごすごと戻って娘を諦めるしかなかった。それ以来、アソポス河の川底からは黒い塊の石炭が出るようになったという。

(参考)

@シシュポス・・・シシュポスはゼウスによって地獄タルタロスで、手と頭で岩を転がして坂の頂上まで運び上げるという、永遠の刑罰を課(か)せられた。(小話639)「シシュポスの岩。又は、神を欺(あざむ)いた男、コリントス王シシュポス) 」の話・・・

         (二)

こうして邪魔者のいなくなった大神ゼウスは、美しいアイギナとオイノネ島で、ゼウスの妃ヘラ女神から隠れながらせっせと子作りに励(はげ)んだ。そして、できた子供がアイアコスであった。その後、大神ゼウスはオイノネ島をアイギナ島と名を改めて、アイギナとアイアコスをこの島に住まわせた。アイアコスは、神々の寵児で、彼のように神を敬(うやま)う、賢明公平な男はいなかった。アイアコスは、温良な慈悲ぷかい王としてアイギナ島を支配し、すべての人から尊敬され、愛された。あるとき、ギリシアの国が大早魅(だいかんばつ)に見舞われた。ギリシア全土の穀物は枯れ、川も湖もからからに干(ひ)上がってしまい、人間や動物が死んでいった。人々はせっぱつまって、デルポイの神託所に伺いをたてた。すると巫女(みこ)は、もし人間のなかで最も立派な人間のアイアコスが、大神ゼウスの神に代願すれぱ、早魅はおさまるであろう、と告げた。ギリシアの国々は、こぞってアイギナ島の王アイアコスに使者を送って、代願してくれるようにと頼んだ。そこで、アイアコス王は島でもっとも高い山に登ると、父であるゼウスの神に、渇している人民に慈悲をたれたまえと祈願した。その祈願が終わるか終わらないうちに、黒雲が空をおおって、多くの雨が地に降りそそいだ。

         (三)

こうして、大神ゼウスの息子アイアコスは偉大な神官として、また王として、人々からは尊敬され、神々からは可愛いがられて日を送った。アイアコス王はスケイロンの娘エンデイスと結婚し、エンデイスは二人の息子ペレウスとテラモンを生んだ。三番めの息子は、海の妖精プサマテとのあいだに生まれたポコスであった。人々はアイアコスが、あらゆる人間の中でもっとも秀(ひい)でた人物であるのみならず、もっとも幸福な人と認めた。けれども厳格で嫉妬深い女神ヘラは、恋がたきの名(アイギナ)を持つ国を憎んで、この島に恐ろしい疫病をおくった。疫病は犬、牛や羊、鳥や野獣にその猛威をふるっていたが、やがて人間をもとらえて、町のなかに侵入して来た。いたるところに、ごろごろと死体がころがり、埋葬されずに腐っていった。息子たちと、ようやく生き残った気高いアイアコス王は、人民がことごとく恐ろしい死に奪い去られて行くさまを、手をつかねて眺めていなけれぱならなかった。孤独な王なった彼は慟哭しながら、天のゼウスに嘆願した「おお、ゼウスよ、偉大なる父よ。もし私が本当にあなたの息子であり、不肖の子でないなら、どうぞ私の家来を返してください。さもなければ、私も死なせてください」。するとたちまち、稲妻がひらめき、静かな空に雷鳴がとどろきわたった。アイアコス王のそぱには、多くの枝を張った柏(かしわ)の木があったが、王の視線がふと、この柏の木の幹に落ちた。すると数知れぬ蟻(あり)が、幾万匹となく樹皮や、根のまわりをはっているのが目にはいった「人のいなくなった町をうめるために」とアイアコスは叫んだ「どうか、あそこにうごめいている勤勉な蟻の数ほどの家来を、私しにください」

(参考)

@ペレウス・・・ペレウスは、アルゴ船の冒険、カリュドンの猪狩りに参加、様々な不幸に合うが、彼は勇敢に戦った。やがて、彼は神々の目に止まる存在となり、女神テティスと結婚。二人の間にアキレウスが生まれた。ペレウスは死後、テティスによって不死の身にされ、一緒に過ごしたという。

Aテラモン・・・国を追われてサラミス島の王となった。アルゴ船の冒険やカリュドンの猪狩りに参加し、ヘラクレスを助けてトロイア攻略やアマゾン族との戦いに加わった。妻エリボイアとの間にアイアスをもうけた。

Bポコス・・・ポコスは運動神経が抜群であり、彼の運動神経に嫉妬した二人の兄のテラモンとペレウスに円盤投げにかこつけて、頭に円盤をぶつけられて殺された。

         (四) 

夜になって、アイアコス王は希望と不安を胸にいだきながら眠りについた。そして、王は不思議な夢を見た。柏の木がふたたぴ目の前に立っていて、蟻が穀粒をあちらこちらに運んでいた。そのとき、この小さな動物が生長し、ぐんぐんと大きくなり、まっすぐに立ち、足の数も少なくなって、その体が次第に人間の姿になるように思われた。しかし、そこでアイアコスは目がさめ、夢にあざむかれたことを知って、ため息をついた。そのとき、扉がさっと開いて息子のテラモンが駆けこんできて叫んだ「お父上、さあいらっしゃい、ぴっくりすることがあるから。前代未聞のできごとです。大神ゼウスがあなたの望んだ以上のことをしてくださったのです」。アイアコスは、飛ぷように急いで外へ出ると、涙しながらその奇跡をながめた。夢で見たとまったく同じように、おおぜいの男たちが目の前にいた。男たちは近くへ歩み寄り、アイアコスを王と呼んで挨拶をした。アイアコス王は歓声をあげて叫んだ「お前たちは蟻(ミュルミドン)であった。だから蟻から生まれた人と呼ぷことにしよう」。こうして、勇敢なミュルミドン人が生まれた。敬虔なアイアコス王が、高齢に達して死んだとき、神々はミノスやラダマンティスと共に、冥府の裁判官に任じて、死後においてもなお、その穏健な思慮と、濁(にご)りなき正義心に敬意を表した。アイアコスの息子や孫たちは、かつて地上に生きたもっとも偉大な英雄たちとなった。息子ペレウスの子は神々に等しいアキレウスで、そして、もう一人の息子テラモンの子は偉大な大アイアスであった。

(参考)

@冥府の裁判官・・・冥界の裁判はミノス(クレタ島の王。ゼウスとエウロペの子。法を制定し、善政をしき、死後冥府の判官となった)、アイアコス、ラダマンティス(ミノスの弟)の3人で通常行われている。

Aミュルミドン人・・・のちのちにミュルミドン人はアキレウスに率いられてトロイア戦争に参加した。

Bアキレウス・・・ギリシャ神話の英雄。英雄ペレウスと海の女神テティスの子。トロイア(トロイ)戦争におけるギリシャ軍の勇将。不死身であったが、敵将ヘクトルを討った後、トロイア王子パリスに唯一の弱点であるかかと(アキレス腱)を射られて死んだ。

Cアイアス(大アイアス)・・・ギリシャ神話の英雄。テラモンの子。トロイア(トロイ)戦争に出征。アキレウスの死後、オデュッセウスと争って敗れ、復讐しようとしたが発狂、自害した。

「ミュルミドン」(ブリオ)の挿絵はこちらへ

 

(小話633)「一休さんと仏像。そして、泣いた和尚」の話・・・

      (一)

とても寒い冬のある夜、一休禅師はある寺に泊まっていた。その寺の住職は真夜中、突然の物音で目が覚め、更に炎を目にして驚いて跳んできた。「何事だ」。見ると一休禅師がそこに坐り、なんとその寺の木の仏像を燃やしていたのだ。住職はびっくり仰天してこう言った。「気でも狂ったか? 何てことする。寺の仏を燃やしてしまうとは」。すると一休さんは、今度は棒っ切れを持ち出してきて、灰の中をつつきだした。住職は言った。「今度はなんだ、なにをしようとしているのだ?」。それに答えて一休さんは「仏舎利(仏の骨)を見つけようと思ってな」「狂ってる。木の仏から骨など見つかるわけがない」すると一休禅師は笑いながら「夜は長いし、今夜はとても寒い。仏像はたくさんあるだろう。もう少し持ってきてくれないか?そうすればあんたも暖まる」

      (二)

中国の有名な和尚の話。その和尚は、すでに悟った人で、国中でも有名な禅師であった。そのお師匠もまた、悟りを開いた禅師だったが、その和尚は本当にお師匠を敬愛していた。あるとき、そのお師匠が亡くなった。その葬式の席で、あろうことかその和尚は、お師匠の亡骸にすがってわんわん泣き始めた。列席の方々は国中の著名な人ばかりで「悟りを開いた立派な和尚だと聞いていたんだが、なにかね、あれは」と言って眉をひそめる者、苦笑する者、席を立つ者もいた。見るに見かねて弟子の一人が「和尚、あなたは国中で悟った禅師として知られる人です。そこをもう少しお考え下さい」と忠告すると、和尚は 「何、おれはものすごく悲しいんじゃ! 悲しいときに泣いて何が悪い!」と言って、もっと大きな声で泣き続けたという。

 

(小話632)「暗中模索」の話・・・

     (一)

唐の国に、許敬宗(きょけいそう)という人物がいた。彼は狡猾(こうかつ)で冷酷非情、傲岸不遜(ごうがんふそん)な性格で女性の武則天(則天武后)を擁立し、宰相(さいしょう=総理大臣)まで登りつめたが、政治をおこなう時には、皇帝のご機嫌をとっていることが多かった。又、公式の歴史書を書くときには、自分に都合がいいように史実をねじ曲げて嘘を書いたりしたので、他の人々から嫌われていた。さらに、物忘れもひどくて、人と会っても名前を覚えていないことが多かった。

(参考)

@武則天(則天武后)・・・中国、唐の第三代皇帝、高宗の皇后。高宗の死後、690年、国号を周(中宗が再び即位して国号も唐に戻された)と改め帝位につく。独裁政治を行なったが、人材を登用し治政に努めた、中国史上最初で最後の女帝。

     (二)

そんな許敬宗に対して、ある人が皮肉って聞いた「あんたはどうしてそんなに物覚えが悪いのか?」。すると許敬宗は「あんたのことなんかどうでもいいから憶(おぼ)えられそうにないね。それでも何晏(かあん)、劉驕iりゅうてい)、沈約(しんやく)、謝霊運(しゃれいうん)といった一流の文人に会ったなら、たとえ暗闇の中でも相手が誰だかわかるだろうよ」と答えたという。

(参考)

@物覚えが悪いのか・・・ある人が忠告した「あなたは物覚えが悪すぎるようですね。ぜひ一度、曹植(そうしょく)、謝霊運、何晏、劉驍ニいう有名人に会ってみてごらんなさい。たとえ暗闇の中でも彼らを模索(もさく=探す)したくなるぐらいとても印象的な人たちですよ。いくら忘れっぽいあなたでも 決して彼らを忘れることはできないでしょう」という説もある。

A暗闇の中でも(暗中模索)・・・真っ暗闇の何も見えない中で、手探りで何かを探そうとする様子をいう。中国の唐の時代の話「随唐桂話」に出てきた言葉。

 

(小話631)「二人の男」の話・・・   

       (一)

ある村に二人の男が住んでいた。一人はどこに行くにも馬を使って旅をしていた。もう一人の男は、どこに行くにもいつも枕を手に持って歩いて行った。ある日、二人は同じ時間に同じ村に向かって旅に出なければならなくなった。その際、枕を持った男が歩いて道案内をした。馬に乗った男は、その男の後について行った。途中に小さな村があって、二人はそこを通って行った。村人たちは枕を抱えて歩いている男を見て、彼は書類の束を運んでいるのだと思った。村人たちはその男が書類を抱えている小使いで、後から来る馬に乗った主人を先導しているのだと思った。昔の役人たちは皆、馬で旅をしていた。

       (二)

二人が目的地に着くと、枕を抱えた男はまっすぐに宿屋に入り、気持ち良さそうに悠然と枕の上に頭を横たえ、体を休めた。もう一人の男は馬をつなぐ場所を探して歩き回った。その村の人々は二人を見て、枕を持った男が役人で、馬をつなごうとしていた男が小使いだと考えた。こうして、ある村で役人と見られた男が、別な村では小使いと見られた。又、前の村では小使いと見られた男が、後の村では役人だと見られた。だが二人は、単なる村の友人同士であった。

 

(小話630)「イソップ寓話集20/20(その3)」の話・・・

       (一)「ライオンとネズミとキツネ」

夏のある日、ライオンは、暑さにやられて、穴蔵で、眠りほうけていた。すると、一匹のネズミがたてがみや、耳を駆けのぼり、彼の眠りを妨げた。ライオンは、起きあがると怒りで身を震わせ、そして、ネズミを見つけようと、穴の隅々を探しまわった。それを見ていたキツネが言った。「あなたのような立派な方が、ネズミ一匹を恐れるとは」するとライオンがこう答えた。「私は、ネズミを恐れたのではない。奴の、不作法な振る舞に腹が立ったのだ!」

(ちょっとした不作法が、相手には、大変な不快と感じられることがある)

       (二)「漁師と網」

腕のよい漁師が上手に網を投じて、魚を一網打尽にした。そして、熟練した網さばきで、大きな魚を残らず岸壁まで曳き上げた。しかし、さしもの漁師も、小魚が、網の目をすり抜けるのは如何(いかん)ともし難かった。

(危機に際しては小物の方が安全である)

       (三)「鳥匠とシャコとニワトリ」

鳥匠がハーブ料理を食べようとしていると、不意に友人がやって来た。しかし、鳥匠は、鳥の一羽も捕まえておらず、鳥の罠は空だった。そこで、デコイとして飼い慣らしていた、まだらのシャコを絞めなければならなくなった。シャコはどうにか命ばかりは助けてもらおうと、こんな風に懇願した。「次に網を張るときに、私がいなくとも平気なのですか? 結束の堅い鳥の群を呼び寄せているのは誰なのです? あなたが寝るときに、子守歌を歌っているのは誰なのですか?」これを聞くと、鳥匠は、シャコを絞めるのをやめにした。そこで今度は、鶏冠が生えたばかりの、若い元気なオンドリを絞めることにした。すると、止まり木のオンドリは、哀れな声でこんな風に言った。「私を殺してしまったら、誰が夜明けを知らせるのですか? 日々の仕事のために起こしたり、朝、鳥の罠を見回る時間を知らせているのは誰なのですか?」すると鳥匠はこう応えた。「おまえの言うことは正しい。おまえは、時間を教えてくれるから大切な鳥だ。でも、友人と私は、夕食を食べなければならない」

(背に腹はかえられない)

(参考)

@デコイ・・・木製の水鳥の置物のことを「デコイ」というが、もともとは英語で「囮(おとり)」という意味である。

 

(小話629)「半人半馬の怪物ケンタウロスたち。その中の人間好きのポロスと賢者ケイロンと好色なネッソス」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。テッサリア王イクシオンが神々の女王ヘラに似た雲のネペレと交わって産んだのがケンタウロスで、ケンタウロスは頭から腰までが人間で、その下は馬の胴体を持つ、半人半馬の怪物であった。肉食で、野蛮にして粗暴、神を敬(うやま)うことを知らないケンタウロスは、やがてテッサリアのペーリオン山に本拠を移し、多くの牝馬(めすうま)と交わって、その数を増やし、好色、酒好きの半人半馬のケンタウロス族と呼ばれる種族を構成するまでになった。彼らはほとんどの連中が、生まれながらのすぐれた戦士であり、弓矢を自在に操って周辺各国を荒らし回った。だが、増えるのも早かったが減るのも早かった。他の怪物達と異なり、人間とも交流を持っていたケンタウロス達は、ある時、テッサリアに住むラピタイ族の王ペイリトオスとヒッポダメイアとの結婚式に招待された。ところが、慣れない酒に酔っぱらったケンタウロス達は、花嫁や女達に乱暴をはたらこうとした。これが原因で、この両者の間に大々的な戦いが起こり、ペイリトオス王の親友で同じく結婚式に招かれていた英雄テセウスの活躍もあって、ケンタウロス達は敗退した。そして、ケンタウロス達は多くの仲間を失った上に、住んでいた地テッサリアを追われてしまった。その後、彼らはアルカディアの西方、ポロエの山あいに住むようになった。

(参考)

@テッサリア王イクシオン・・・(小話625)「神々の女王ヘラに横恋慕したテッサリア王イクシオンとケンタウロスの誕生」の話・・・を参照。

A英雄テセウス・・・クレタ島の迷宮にひそむ怪物ミノタウロスを討ったほか、アマゾン征伐、冥府下りなどの数々の冒険がある。

「ラピタイ族の戦い」(マテウス)の挿絵はこちらへ

      (二)

こんな野蛮で、下品で、好色で、闘争好きのケンタウロス達の中でも、二人だけは素晴らしい素質と性格を持っていた。一人はポロスで、ポロスは、酒の神ディオニュソス(バッカス)の育ての親であるシレノスと、とねりこの精メリアスの間に生まれた、神の血を引く者で、彼はアルカディア山中のポロエ近くに住んでいた。もう一人は、賢者といわれたケイロンであった。ケイロンはゼウスの父クロノスとオケアノスの娘ピリュラの間に生まれた、ゼウスの従兄弟でもあった。ピリュラが牝馬の姿で受胎したため、ケイロンは半馬の姿で生まれたのだった。神の子であるケイロンは不死であり、母親と一緒にペリオンの洞窟に住んでいた。ケイロンは、知性にあふれ、アポロンから音楽、医学、予言の技を、アルテミスから狩猟を学んだ。こうして医術や武術に優れていたケイロンは、みずからの学校を作り、多くの英雄を育て上げた。その中にはギリシャの英雄アキレウス、医術の天才アスクレピオス、アルゴー船遠征隊の王子イアソン、英雄ヘラクレスなどがいた。

(参考)

「ケンタウロス」(コシモ)の絵はこちらへ

「ケイロンの背に乗ったアキレウス」(ドラクロワ)の絵はこちらへ

「ケンタウロスのケイロンから音楽を教わるアキレウス」(ベルナール)の絵はこちらへ

      (三)

このケンタウロス達の中の優れた二人、ケイロンとポロスの最期は、奇(く)しくも時を同じくした。ある日、英雄ヘラクレスは、十二の功業の、その第四番目の仕事に行く途中、ポロエにてポロスと出会い、歓迎された。ポロスは宴でヘラクレスには焼肉を勧めたが、自分は生肉(なまにく)を食べた。ヘラクレスは酒が欲しくなり、ポロスの所有していたディオニュソス神から授かったという酒甕(さけがめ)をポロスが止めるのも聞かず、勝手に飲んでしまった。この酒はケンタウロス族の共有物となっていたため、酒の匂いに気づいたケンタウロス達は、ヘラクレスから酒を取り返そうと襲いかかって来た。たが、ヘラクレスの放つ猛毒の矢で次々と返り討ちになった。ケンタウロス達はクモの子を散らすように逃げ出した。ヘラクレスは、その中の三人のケンタウロスたちを追いかけて、マレア半島までやって来た。三人のケンタウロスたちは、ケンタウロス族の中の賢者ケイロンの家に逃げ込んだ。それを見たヘラクレスは、後先(あとさき)考えずに弓を引き絞り、矢を放った。矢は扉を打ち破り、一人のケンタウロスの腕を貫いて、この家の主人であるケイロンの膝に突き刺さった。家の中に飛び込んだヘラクレスは、この光景を見て真っ青になった。恩師を射てしまい、我に返ったヘラクレスは ケイロンのもとへ駆け寄ったが、矢にはヒュドラの毒が塗ってあり、どんな怪物でも矢がかすっただけで死んでしまうという猛毒であったため手の施しようがなかった。その上、ケイロンは神の子、不死身だったので、苦しむだけ苦しんでも死ねなかった。ヘラクレスは、ケイロンのもがき苦しむ姿を見かねて、神々の王ゼウスに祈り、ケイロンの不死身を解いてもらった。ケイロンは苦しみから解放され、天に昇って射手座になったという。一方、ポロスは小さな矢が大きなケンタウロス達を倒したことに驚き、死体から矢を抜いて眺めていたところ、誤って落としてしまい、矢が足に刺さって死んでしまった。こうして多くのケンタウロス達は殺され、残ったケンタウロス達はちりぢりになって各地へ消えていった。

(参考)

@その第4番目の仕事・・・英雄ヘラクレスは、狂気によって自分の妻子を殺してしまった。その罪を償うため、12の功業をせねばならなくなり、その第4番目の仕事としては、エリュマントスの野猪を生け捕りにすることであった。

Aヒュドラの毒・・・ヘラクレスの十二の功業の二番目が「レルネのヒュドラ退治」で、ヒュドラは、九つの頭をもち(そのうちの一つは不死身)、首を切断されてもすぐに切り口から新しい頭が二つ生えてくる。切り口を火でやいて頭が生えてくるのをふせぎ、不死の頭は大石の下にうめた。このときヘラクレスは、矢をヒュドラの血にひたして毒矢をつくった。

B天に昇って・・・ケイロンはいて座、ポロスはケンタウロス座になった。

「アキレウスとケンタウロス(ケイロン)」(バトーニ)の絵はこちらへ

      (四)

ギリシャ一の英雄となったヘラクレスが十二の功業を成し終えた後、彼は妻デイアネイラを連れてエウエノス川を渡ろうとした。でも川は深くて流れも速く、とても渡れそうになかった。その時、ネッソスという一人のケンタウロスが現れ、 二人を乗せて川向こうまで送ってやろうと申し出た。ヘラクレスがこの申し出を受けると、ネッソスはまず妻のデイアイラを乗せ、急流を難なく渡って向こう岸に着いた。ところが、これはネッソスの謀(はか)りごとで、岸に上がるやいなや、ネッソスはで発情期に入り欲望に身をたぎらせて、デイアネイラに襲いかかった。それを見たヘラクレスは、ヒュドラの猛毒を塗った矢を射ってネッソスを殺した。死に瀕(ひん)したネッソスは、デイアネイラに自分の着物を渡して「自分の血がついた着物にはヘラクレスの心変わりを防ぐ力がある」と言い残して息絶えた。のちのちになってヘラクレスは、オイカリアを征服して王エウリュトスを殺し、王女イオレを捕虜とした。だが、ヘラクレスは王女イオレに恋をしてしまった。それに嫉妬したデイアネイラはネッソスの言葉を思い出して、ヘラクレスにネッソスの着物を贈った。ヘラクレスは、そんなこととはつゆ知らずにその着物を着ると、たちまち着物についた血から毒がヘラクレスの体を蝕(むしば)んでいった。ヒュドラの毒に犯されたネッソスの血にも、ヒュドラの毒がまわっていたのであった。いかにヘラクレスといえどヒドラの猛毒には勝てなかった。悶(もだ)え苦しむヘラクレスは自分を生きながら火葬するよう従者に命じ、火が放たれた。この後、大神ゼウスによりヘラクレスは火の中からオリュンポス山にあげられて、そして神となった。
(参考)

@火葬するよう従者に命じ・・・なかなか死ねないでいたヘラクレスが自分を焼くための薪の床に横たわっていたとき、誰も火を付けてくれなかったのを、たまたま通りかかったピロクテテュスが哀れんで火を放ってやったという説もある。

「ケンタウロスにさらわれるデイアネイラ」(レーニ)の絵はこちらへ

「ネッソスを射るヘラクレス」(不明)の挿絵はこちらへ

 

(小話628)「中国の二十四孝の物語(9/12)」の話・・・

      (一)「黄香(おうこう)」

漢朝(かんちょう)の頃、江夏(こうか)の人で黄香(おうこう)という者がいた。黄香が九才の時、母親が亡くなった。母親の死後、黄香が日夜、亡き母を恋い慕う姿に近所の人々は感動した。そして、近所の人々は、皆、黄香こそ孝子だとほめたたえた。黄香は父親にも大そう孝養にはげみ、いつも夏の日には、枕や敷物をあおいで涼しくしたり、冬の日には夜具の冷たいことを悲しんで、先ず父親の蒲団に自分のからだを入れて暖めておいたという。このように孝行であるというので、郡の長官の劉讙(りゅうかん)といった人が札を立てて、彼の孝行をほめたたえた。そのため、黄香の孝子としての名声がますますあがったという。

(参考)

@二十四孝・・・古い中国における幼童のための教訓書であって、昔から孝子として世に聞こえた人を二十四人選んで記したもの。

「二十四孝図絵馬」(庚申寺)の絵はこちらへ

      (二)「孟宗(もうそう)」

三国時代に、孟宗という者がいた。幼い時に父に死に別れ、年老いた、それも病気がちの母親と一緒に暮らしていた。そして、母親のその病気は、もはや先が見えているといった状態であった。その時は、丁度、真冬の時期であったが、母親は病気のために、食物の味覚も変わり、筍(たけのこ)の鱠(なます)を食べたいと言い出した。筍は春先に生えるもので、真冬では探しても無理であったが、それでも親孝行の孟宗は雪まじりの風の吹く月夜に、一人で竹林の中に筍を探しに入って行った。いまどき筍などあろう筈がないことはわかり切っていたが、しかし母親に筍を食べさせてあげたかった。そこで孟宗は、竹林の竹に抱きつき、大声をあげて、筍がほしいといって泣いた。これには、天もさすがに感動して、孟宗の目の前で地面がぱっくりと割れ、そこに真新しい筍がいくつも生えてきた。母親はこの筍を煮てつくった鱠(なます)を食べて、たちまち病(やまい)も癒(いえ)えて天寿を全うしたという。

(参考)

@鱠(なます)・・・古くは、魚・貝・獣などの生肉を細かく刻んだもの。のちに、魚・貝や野菜などを刻んで生のまま調味酢であえた料理をいう

「二十四孝図絵馬」(庚申寺)の絵はこちらへ

 

(小話627)「一休さんの肉食と屏風(びょうぶ)」の話・・・

       (一)

ある時、時の権力者である前将軍、足利義満は、安国寺の一休がかなり優秀な僧になりそうだということを知って、一休を師匠とともに自分の邸宅に招いた。そして、場合によってはそのまま闇に葬(ほうむ)ろうと考えた。この時、出された食事の中に魚が入っていたので師匠はそれを食べなかったが、一休は平気で食べてしまった。すると義満は「僧が魚を食べるとは何事?」と詰問した。それに対して一休は「喉(のど)は単なる道路です。八百屋でも魚屋でも何でも通します」と言ってケロリとしていた。それにムッとした義満は刀を抜いて、一休の眼前に突き出し「ならば、この侍も通して見よ」と言った。ところが一休は「道路には関所がございます。それがこの口です。うむ。怪しい奴。通ることまかりならぬ」と言って平然としていた。

(参考)

@闇に葬ろうと・・・一休は後小松天皇の御落胤だが、当時はその南北朝の分裂が、やっと解決した頃で、まだ南朝側の残党が残る時代であった。一休の母は藤原一族の出身で、南朝側と通じていることを疑われ、里に下がっての寂しい出産であった。しかも、天皇の血を引く者として、彼の周囲は常に何者かによって監視されていた。その身を保護し、欲がないことを示すためにも、彼は幼いうちに寺に入り仏門に励むことが必要で、6歳で安国寺に入ったという。

       (二)

やはり、こいつはただ者ではない、と義満は考えて何とかやりこめて破綻(はたん)させてやろうと「一休よ。そこの屏風(びょうぶ)の絵の虎が毎晩抜け出して往生(おうじょう)しているのだ。その虎を縛ってはくれないか?」と言った。すると一休は、またも平気な顔で縄を乞い、その縄を持って屏風の前に立つと「今から虎を捕らえます。どなたか、屏風の後ろに回って虎を外に追い出して下さい」と叫んだ。これにはさすがの義満も苦笑した。こうして、この強烈な個性の持ち主である一休を抹殺する気も失せて、義満は引き続き監視だけ続けていくことに決めたという。

(参考)

@強烈な個性・・・このような一種の機転というのは、禅僧には必須のもので、しばしば「禅は瞬発力である」ともいわれる。

 

(小話626)「ガンジーの服装と弘法大師とボタ餅」の話・・・

       (一)

インド独立の父といわれたマハトマ・ガンジーは、人間の価値は服装で決められるものではないことを身をもって証明した。彼は自分が貧しいインドの大衆の仲間であることを示すために、いつも腰布しか身につけていなかった。ある時、彼はイギリス総督主催のパーティーに招かれて、いつもの身なりで出掛けた。彼が中に入ろうとすると、入り口にいた案内係がそれを阻止した。ガンジーは家に帰ると、使いの者に総督あての小包を持たせてやった。その中にはスーツが入っていた。総督はすぐにガンジーを訪れて、その意味を尋ねた。ガンジーは答えた「私はあなたのパーティーに招かれましたが、この身なりのために中に入るのを断られてしまいました。ですから、私の代わりにこのスーツに行ってもらったのです」。総督はもちろん謝罪して、彼の出席を改めて懇請した。又、ガンジーはロンドンでも腰布だけで女王陛下の前に出た。彼は服装による人間の格付けを超越していた。ガンジーには果たすべき使命があってその身なりも彼の役割の一部なのであった。

(参考)

@ガンジー・・・インド独立運動の指導者。ロンドンに学び、南アフリカで人種差別反対運動を指導したのち帰国。国民会議派を率いて民族解放・独立のための「自主独立」「国産品愛用」「非暴力・不服従運動」を展開。ヒンズー・イスラム両教徒の融和に献身したが、狂信的ヒンズー教徒に暗殺された。マハトマ(偉大な魂)の名でよばれた。

       (二)

ある日、弘法大師は、お腹がすいたので喜捨(施し)を乞うために一軒の門口(かどぐち)に立った。そのときの大師の格好は、ボロボロの衣で、とてもみすぼらしい姿だった。家の中からでてきた人はそれを見るなり、お前のような乞食僧に何も与えるもはないと断わった。次の日、大師は、今度は金襴(きんらん)の袈裟(けさ)をきて、同じ家の門口に立った。すると今度は、すばらしい姿の僧を見て、どうぞどうぞお上がり下さいと、奥に通し、ボタ餅をすすめた。大師は、ボタ餅を一つ一つ取っては、口には入れず金襴の衣になすりつけはじめた。それを見た家人は驚いて「ボタ餅を食べないのも惜しいが、立派な衣を汚すのはもっと惜しいのではないですか?」と言った。すると弘法大師は笑いながら「私が昨日、来たときは、何一つの施しも受けなかった。だが、今日は立派な袈裟を着ているというだけで、もてなしを受ける。ということは、今日のボタ餅は私にくれたのではなく、着ている衣にくれたことになる。だから、ボタ餅は衣に食べさせいるのだよ」といい笑いながら立ち去った。

(参考)

@弘法大師・・・空海。平安初期の僧。真言宗の開祖。天皇家からの依頼で国家安泰の修法を勤めた一方、諸国を巡って人々の苦悩を解決し、灌漑用溜池などを修築し、文化の恩恵を受けない大衆のために寺院の建立し民衆教化を進めた。高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を建立し、東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

Aすばらしい姿の僧・・・(小話57)ある「禅師と金持ち」の話・・・を参照。

 

(小話625)「神々の女王ヘラに横恋慕したテッサリア王イクシオンとケンタウロスの誕生」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。テッサリアの地にイクシオンという王がいた。イクシオンがディオネウスの娘ディアに求婚する際、彼女の父親に多くの贈り物を献上するという条件で結婚許可を得た。しかし、結婚する際、花嫁の父親に結納金(ゆいのうきん)を払うのが惜しさに、その父親を炭火(すみび)の穴へ突き落として焼き殺してしまった。義父を殺した彼のあまりの非道さに、国民は王を見捨てて、誰もその罪を清めてやろうという者はいなかった。ただ一人、大神ゼウスが自らも父クロノスを追い落として神々の王座についた経験から、彼を哀れんで、天界に招き、ご馳走までして、その罪を清めてやった。だが、イクシオンはどこまでも卑劣な男だった。ゼウスへの恩も忘れ、イクシオンはなんとゼウスの妻である神々の女王ヘラに横恋慕した。イクシオンは、大神ゼウスが妻ヘラをしばしば裏切ってきたことから、その恨みを晴らす機会を得ればヘラ女神は喜んで応じるだろうと考えたのだった。そこで、イクシオンは「大神ゼウスの妻ヘラは、私を一番愛しているのだ。 ゼウスが私の罪を清めたのも、ヘラが私のために懇願したに違いない。さあヘラ女神よ、いつでも私の胸に飛び込んでこい」と吹聴して回った。結婚と家庭生活の守護神であるヘラ女神は、ゼウスがどんなにヘラに対して不実だろうと、自らが不倫をすることは無い。イクシオンの恥知らずな傲慢さには、大神ゼウスもヘラ女神も大変腹を立てた。そこで、ゼウスは雲でヘラに似た姿を作り、それにネペレ(雲)と名付けて生命を与えた。

(参考)

@父クロノス・・・神々の二代目の王。ティタノマキア(ティタン神族とオリュンポス神族の10年戦争)でゼウスが父クロノスに勝利した。

Aイクシオン・・・軍神アレスの子とか、テッサリア王プレギュアスの子いう説もある。

B焼き殺してしまった・・・このためイクシオンは血縁の人間を殺した最初の者ともいわれる。

      (二)

そんなこととは露知らないイクシオンは、目の前にいるヘラを見て有頂天になり「やはりヘラはゼウスよりも俺様の方がいいのだ」とネペレをヘラと勘違いして、彼女に迫って子を産ませた。この時、生まれたのがケンタウロスだった。ケンタウロスは、上半身は人間だが、下半身は馬だった。彼は野蛮で、下品で、好色で、その上、神に対しても礼儀をわきまえなかった。そんなケンタウロスは多くの牝馬(めすうま)と交わって、好色、酒好きの半人半馬のケンタウロス族の祖となった。雲とは言え、ヘラに迫った神をも恐れぬイクシオンに大神ゼウスは怒った。伝令神ヘルメスに命じてイクシオンを鞭打(むちう)たせた。そして、ゼウスは長兄の冥王ハデスが治める、冥界の一番奥深いタルタロス(無間地獄=むけんじごく)へ送りつけた。そこで、イクシオンは燃えながら回転する巨大な車輪に縛られて、永遠に鞭打たれる罰を受けた。

(参考)

@ケンタウロス族・・・(小話629)「半人半馬の怪物ケンタウロスたち。その中の人間好きのポロスと賢者ケイロンと好色なネッソス」の話・・・を参照。

Aヘルメスに命じてイクシオンを鞭打たせた・・・ゼウスはイクシオンを雷で焼き殺し、兄弟のハデスが治める冥界へと突き落としたという説もある。

Bイクシオンは燃えながら・・・神罰を受けて、火焔車に縛りつけられて永遠に回転するのを「イクシオンの車輪」という。

「イクシオーン」(ルーベンス)の絵はこちらへ

「火焔車のイクシオーン」の絵はこちらへ

「ケンタウロスに運ばれる死せる詩人」(モロー)の絵はこちらへ

 

(小話624)「一休さんと髑髏(どくろ)の旗」の話・・・

       (一)

「京都には、一休禅師というえらい坊さんがいるそうな」 「だけど、ちょっと変わっているそうだ」 こう噂された一休禅師は、壊(こわ)れそうな小屋に住み、汚(きたな)い格好(かっこう)をしてなりふりかまわず、町や、村人達に悪い考えや、間違ったことをしている人達の心の病をなおして歩いていた。やがて、一休禅師のその徳は天皇にも認めらて立派なお坊さんになった。そんな一休禅師が、 「あけましておめでとうございます」 「今年もどうぞよろしくお願いします。」と人びとが、新年の挨拶をかわしている正月の朝のこと。初詣(はつもうで)でにぎあう町通りを、きたない身なで、一休さんがやって来た。そして、長い竹ざお一本、高(たか)だかとかついでいた。その先っぽに、なにか白いものがくっついていた。「なんだい、あれは」よくよく見ると、それは髑髏(どくろ=人間の顔の骨)であった。人々は、気味悪い髑髏を見上げて、びっくりしたり、いやな顔をして、「ちぇつ、お正月そうそう、なんと悪ふざけをする坊主だ」 「一休さんは頭でもおかしくなったのかな」と口々にさわぎたてた。何といわれようと、一休さんは気にせず、すました顔で、髑髏をかついで歩いていた。物好きな人達は、一休さんの後(うし)ろから、わいわいついて来た。

(参考)

@一休禅師・・・室町中期の禅僧。一休宗純。後小松天皇の落胤(らくいん)といわれる。京都大徳寺住持となるが、禅宗の腐敗を痛罵(つうば)して自由な禅のあり方を主張した。詩・狂歌・書画に長じ、また数々の奇行や一休頓智(とんち)話で有名。著に詩集「狂雲集」。

       (二)

やがて一休さんは、町一番の金持の金屋久衛さんの立派な屋敷の前に立つと、大声で 「たのもう、たのもう、一休が正月の挨拶(あいさつ)にまいりました」 と言った。家の中から人が出て見ると、きたない身なりの一休さんが、 気味の悪い髑髏をつけた竹ざおをつきたてているので、腰をぬかさんばかりに、驚いた。そして、大あわてで主人に知らせた。いつも敬(うやま)っている一休さんが、わざわざ挨拶にやって来たと聞き、主人は、かしこまって門のところまで、いそいそと出て来た。「やあ、これはこれは、久衛さん、あけましておめでとう」 「はいはい、一休さん。これはどうもごていねいに、今年もどうぞ宜しく」と挨拶をして久衛さんは、ひょいと竹ざおの先の髑髏を見たとたん、「あっ」といったまま、真っ青になった。 「も、もし、一休さん、これはいったいどうしたことですか。正月そうそう、髑髏を持って来るなんて、ほんとに縁起(えんぎ)が悪い、いったいどういうことです」と久衛さんは怒ったように言った。

       (三)

しかし一休さんはまるっきり無頓着で「わつはっはっは・・・・」とお腹をゆすって笑うと「まあまあ、久衛さんや、正月そうそう驚かせてすまん。これにはわけがあるのじゃ」「どんなわけですか」 「うむ、その前に、わしがつくった歌を聞いてほしいがのう」 と一休さんは、そう言うと声高らかに歌をよみ上げた 「正月は、冥土(めいど)の旅の、一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」 「めでたくもあり、めでたくもなし。一休さん、これはどういうことでしょうか」 と大金持の主人は尋ねた。 「誰でも、正月がくると、一つずつ年をとる。ということは正月が来るたびに、それだけ冥土へ近づく、つまり死に近ずくわけになる。だから正月がきたといって、めでたがってもいられない。それで、めでたくもあり、めでたくもなしもなしじゃよ」 「ははあ、なるほど」 「どんな人でも、必ずいつかは死ぬ。そして、このような髑髏になりはてる。こういうわたしだって、あと何回正月を迎えられるかわからん。あんたもおなじじやよ」 「は、はい」 「久衛さんや、生きているうちに、たんといいことをしなされや。そううすりゃ、極楽へ行かれるからの」 「は、はい」 「あんたは大金持ち。あまっているお金は、困っている人たちにあげなされ。 冥土まで、お金はもっていけませんじゃろ。はい、さいなら」 。こうして、お金持ちの久衛さんをはじめ、大勢の金持が、この一休さんの教えを守って、貧(まず)しい人びとを助けたという。また、一休さんに、お寺を建ててください」とお金をもってきても、一休さんは一文も受取らなかったという。