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(小話623)「二十世紀の聖女、マザー・テレサ。その信仰と愛の生涯」の話・・・

         (一)

「愛の反対は憎しみではなく、無関心」「この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。自分が誰からも必要されていないと感じることなのです」こう言った二十世紀の聖女、マザー・テレサ。彼女の本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュで、1910年にオスマン帝国領のコソヴォ、ウシュクブ(現代のマケドニア共和国のスコピエ)でアルバニア人の裕福な家庭の子供に生まれた。父は実業家で、彼女は三人の子供たちの末っ子であった。両親は熱心なカトリック教徒で、アグネスは小さいころから聡明な子であって、十二歳の時には将来、インドで修道女として働きたいという望みを持っていた。1929年、十八歳のとき、アグネスは故郷のスコピエを離れて、女子教育を行う修道会であったアイルランドのロレット修道会に入った。そしてインドのカルカッタ(現コルカタ)に派遣された。1929年5月にアグネスは修道女(シスター)となり、修練生としてヒマラヤ山麓のダージリンで修練を始めた。修道女になったときに選んだ修道名がテレサで、この名前はリジューのテレーズからとったという。アグネスは、1931年(21歳)にカルカッタの聖マリア女学校に赴(おもむ)いて、歴史と地理を教えた。そして、1937年(27歳)には終生誓願(神に一生を捧げる)をたてて、聖マリア教会付属女子高校校長となった。以後、彼女はシスター・テレサとよばれるようになった。

(参考)

@リジューのテレーズ・・・19世紀、フランスのカルメル会修道女。修道名は「幼きイエスのテレーズ」。カトリック教会の聖人にして33人の教会博士の一人。若くして世を去ったが、その著作は今でも世界中で広く読まれている。

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         (二)

テレサはカルカッタにあるロレット修道会経営の聖マリア女学校に赴任して、上流階級の子女の教育にあたり、やがて聖マリア教会付属女子高校の校長に任命されたものの、聖マリア女学校での布教は、慈善施設での布教活動の域を出なかった。そんなテレサの目には、いつも飢えと貧困、そして、路傍で誰に見取られることもなく死んでゆく、多くの貧しい人々の姿が映っていた。そうした中、テレサは聖マリア女学校から出て、貧しい人々の中に飛び込んで行こうと心に決めた。彼女自身の言葉によると1946年(36歳)、毎年恒例の黙想のためにダージリンへ向かう汽車の中でテレサは「病める者に手をさしのべて…、家もなく飢えている者を助けよ。神の手となり愛をもって、貧しい者の中の最も貧しい者を救え」という神の声を聞いたという。そこで、テレサはロレット修道会に院外活動の許可を求めたが、得られた回答は「院外活動をしたいなら一市民に戻れ」という冷たいものであった。だが、テレサはあくまで自分に与えられた使命に基づいて行動しようとした。1948年(38歳)、ようやく教皇ピウス12世から修道院外居住の特別許可を得た。すぐにテレサは修道院を出た。そして、パリで一通りの医療訓練を終えると、彼女はインド女性の着る質素な白いサリーを身にまとい、一人でカルカッタのスラム街の中へ入っていった。その時ポケットには5ルピー(当時、約150円)あるだけであった。だが、予想以上にひどいスラム街の状況に、テレサの体は疲れ果てていった。ある日、テレサは、飢えた母親と子供たちに、持っていたわずかな米を差し出した。ところが、母親はその米を半分に分け、もう半分を裏の家の人に分けるため家を飛び出していった。テレサは、与えようとしている自分が与えられ、慈(いつく)しみを教えられているのに気付いた。想いを新たにテレサは、スラム街の子供たちに読み書きを教える「青空教室」を始めた。孤児やハンセン病の人々の為に救済を行い、次いで、彼女は死に行く人々、誰からも見捨てられた人々の世話を始めたのであった。やがてテレサのもとに一人、また一人と聖マリア女学校時代の教え子たちが集まってきた。

(参考)

@カルカッタのスラム街・・・カルカッタの人々の大半はヒンズー教徒もしくはイスラム教徒のため、貧しい人々に分け隔てなく接した彼女の偉業は、ただキリスト教会のそれに留まるものではなかった。

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         (三)

1950年(40歳)、インドに帰化し、カルカッタで協力者たちと共に精力的な救済活動を行っていたテレサは、ロレット修道会に属しながらの活動に限界を感じて、バチカンに修道会設立の許可を申請した。そして許可されて設立したのが「神の愛の宣教者会」であった。同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことであった。そして、テレサは、この頃からマザー・テレサと呼ばれるようになった。インド政府の協力でヒンドゥー教の廃寺院をゆずりうけたテレサは「死を待つ人の家」というホスピス(死期の近い病人を対象に医療を行う施設)を開設した。最初の「死を待つ人々の家」は彼女を含めた12人のシスターたちによって始まった。カルカッタでの、ある晩のこと、マザーたちは路上で病人を見つけた。その中の一人の女性が特に重症で、彼女の体は、虫や蛆(うじ)に覆われていた。テレサは「私は愛情のすべてを注ぎ、できる限りの世話をしました。そしてベッドに寝かせてあげた時、彼女は私の手を取り、美しく微笑んだのです。こんなに美しい笑顔を、私はそれまでに見たことがありませんでした。「ありがとうございました」彼女はそうひとこと言って、静かに息を引き取ったのです。そんな彼女の死を目の当たりにして、私は自分に問いかけてみました。「私が彼女だったら、どうだろう?」私は正直に答えを出してみました。「人の気をひこうとして、「痛い」とか「お腹が空いた」とか「死にそうだ」とか言ってしまうかもしれない」。彼女は私に愛をくれました。彼女は、私が彼女にしてあげた何倍ものものを、与えてくれたのです。私たちのところにいるのは、こういう人々なのです。この貧しくも美しい人々は、何も私の所にだけいるのではありません。誰の側にも必ずいるはずです。孤独な人はどこにでもいます。あなたはそのことに気づいているでしょうか?」(マザー・テレサの「「愛」という仕事」より)。こうして、マザー・テレサは、ホスピスや児童養護施設を開設していくが、世話する相手の状態や宗派を問わないマザー・テレサたちの活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まった。1960年代までに「神の愛の宣教者会」の活動は全インドに及ぶようになった。さらに、教皇パウロ6世の許可によってインド国外での活動が可能になり、以後、「神の愛の宣教者会」は全世界規模で貧しい人々のために活動するようになった。

(参考)

@「死を待つ人の家」・・・インド社会では、長年、そのことがごく当たり前のこととして捉えられてきた「野垂(のた)れ死」に対して、死にゆく人の名前と宗教を聞き、人間としての尊厳を持って死ねるようにと、最期の見取りを行ない、その人が亡くなった時には、その人の宗教の方式に則(のっと)って弔(とむら)った。

         (四)

マザー・テレサの救済活動はカトリック教会全体に刺激を与え「神の愛の宣教者修道士会」や「神の愛の宣教者信徒会」などが次々に設立されていった。1969年(59歳)、アメリカ人のマルコルム・マッゲリッジが撮ったドキュメンタリー映画「すばらしいことを神様のために」、および同名の書籍によってマザー・テレサの活動はアメリカ合衆国のみならず、全世界で知られるようになった。1971年(61歳)、パウロ6世は自らが設立した「教皇ヨハネ23世平和勲章」の最初の受章者としてマザー・テレサを選んだ。これを皮切りに数多くの賞がマザー・テレサに与えられることになった。そして、1979年(69歳)には、ノーベル平和賞受けた。受賞にあたり「私は受賞者に値しませんが、貧しい人々に代わって、この名誉ある賞をいただきます。私は、社会に望まれず、愛されず、顧みられていない、と感じているすべての人々。社会の負担となってみんなから避けられている人々、お腹をすかせている人々、障害者、盲人、ホームレスなど。こうした人々の名において、ノーベル賞を受けることを、有難く思っています」と語った。又、マザー・テレサは受賞者のための晩餐会の出席は断ったが、賞金6000ドルはカルカッタの貧しい人々のために受け取った。そのときのインタビューの中で「世界平和のために、わたしたちはどんなことをしたらいいですか?」と尋ねられたマザー・テレサの答えはシンプルなものであった「家に帰って家族を大切にしてあげてください」。受賞後も、マザー・テレサは朝4時に起床、シスター達と一緒に、路上生活者やごみ捨て場に捨てられた幼児を施設に連れてくるといった生活をほとんど変えずに行い続けた。

(参考)

@マルコルム・マッゲリッジ・・・「すばらしいことを神様のために」の作品の取材をする中でマッゲリッジはマザー・テレサの姿に強い感銘を受け、後にカトリック教徒になっている。

         (五)

1983年(73歳)、高齢のマザー・テレサはヨハネ・パウロ2世との会見のために訪れたローマで心臓発作に見舞われた。そして1991年(81歳)にはペースメーカーをつけた。この年、優れない健康状態を押して故郷アルバニアに最初の支部を設立した。これはテレサの念願でもあった。また同じ年、マザー・テレサは健康状態を理由に「神の愛の宣教者会」代表の辞任を願い出たため、全会員による無記名投票が行われたが、結局、賛成票を投じたのはマザー・テレサ本人だけで、あとはすべて反対であったため、彼女は代表に留任することを同意した。1997年4月にマザー・テレサは転倒して首の骨にひびが入り、8月にはマラリアに罹患(りかん)した。すでに心臓の状態が悪化していたため、代表職は半年前に退いていた。1997年9月5日、全世界が見守る中、「もう息が出来ないわ」の言葉を残してマザー・テレサは87年の生涯を終えた。死んだ後、彼女が残したものは、二枚の質素な木綿のサリーと着古したカーディガン、そして常に持ち歩いた布袋だけであった。宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたマザー・テレサの葬儀は、インド政府によって国葬として盛大に行われた。インドの大統領や首相以外で国葬されたのは彼女だけであった。彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼した。

(参考)

@マザー・テレサは87年の生涯を終えた・・・2003年10月19日、教皇ヨハネ・パウロ2世はマザー・テレサを「聖人」になる前段階の「福者」であると宣言した。通常は死後「福者」にされるまで50年が必要とされているが、マザー・テレサは、おそらく数年以内に「聖人」に叙せられるのが確実だと噂されている。

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(小話622)「天使」の話・・・

         (一)

糜竺(びじく)は東海のク(く)というところの人で、先祖以来、貨殖(かしょく)の道に長(た)けているので、家には巨万の財をたくわえていた。あるとき彼が洛陽(らくよう)から帰る途中、わが家に至らざる数十里のところで、一人の美しい花嫁ふうの女に出逢った。女はその車へ一緒に載せてくれと頼むので、彼は承知して載せてゆくと、二十里ばかりの後に女は礼をいって別れた。そのときに彼女は、又、こんなことをささやいた「実はわたしは天の使いで、これから東海の糜竺(びじく)の家を焼きに行くのです。ここまで載せて来て下すったお礼に、それだけのことを洩らして置きます」

         (二)

糜(び)はおどろいて、なんとか勘弁してくれるわけには行くまいかとしきりに嘆願すると、女は考えながら言った「何分にもわたしの役目ですから、焼かないというわけには行きません。しかし折角のお頼みですから、わたしは徐(しず)かに行くことにします。あなたは早くお帰りなさい。日中には必ず火が起ります」。彼はあわてて家へ帰って、急に家財を運び出させると、果たして日中に大火が起って、一家たちまち全焼した。

(参考)

岡本綺堂の「捜神記」より。

 

(小話621)「食人鬼となったエジプトの美しい王女ラミア」の話・・・

         (一)

ギリシャ神話より。ラミアは、父親がエジプト王という高貴な生まれで、類(たぐ)い希(まれ)なる美貌を持った王女だった。ある時、美女に目のない大神ゼウスに見初(みそ)められて、その愛人になった。しかしゼウスの本妻ヘラは嫉妬深く、ゼウスとの間にもうけたラミアの子供を全て殺してしまい、今後生まれる子供も全て殺すと告げた。子供を殺されたラミアは、絶望で気が狂ってしまった。そして狂気の果てに、他の母親から幼い子供をさらっては、生きたまま貪(むさぼ)り食うようになった。こうしてラミアは上半身が美しい女性、下半身が大蛇の世にも恐ろしい怪物になってしまった。怪物となったラミアは、洞窟にこもり、さらってきた子供を食べ続けた。さらにラミアは、洞窟の近くを通りかかった旅人を美しい口笛の様な声で誘い、食べてしまうようにもなった。けれどもヘラの嫉妬はこれだけでは収まらず、眠りの神ヒュプノスに、ラミアに睡眠を与えてはいけないと命じた。眠る事さえできず日夜、ラミアは子供たちを求めてさまようようになった。

(参考)

@ラミア・・・彼女の名がギリシャ語の「ラミュロス (貧欲な)」から来ているという説や「レムレス(死霊)」を語源とする説もある。

A父親がエジプト王・・・リビアの女王という説もある。又、ギリシャの英雄ヘラクレスが捕(つか)まえたゲリュオンの牛を逃がしてしまった際、それを追って砂漠まで来たところでラミアと出会い、ヘラクレスとラミアとの間には三人の子供が授けられ、そのうち三番目の子供スキュティスは後のスキタイ族の子孫になったという説もある。

Bラミアの子供を全て殺してしまい、・・・この時、一人だけ娘が生き残り、後のスキュラになったという説もある。

C今後生まれる子供も全て殺す・・・生まれてくる子供を次々に貪り食べた彼女は、我に返って己を呪い、怪物の姿に成り果ててしまったという説もある。

D他の母親から幼い子供をさらって・・・(小話230)「鬼子母神(きしもじん)」の話・・・を参照。

E眠りの神ヒュプノス・・・夜の女神ニクスの子。死の神タナトスと双子の兄弟。人間の額を木の枝で触れるか、角から液を注いで眠りに誘うという。ヒュプノスは、人々を眠りに誘い、労苦から解放してくれる穏やかな神でケシの花と夢に囲まれて、眠っている。そして、死期が近づいた人間をヒュプノスが眠らせ、死神・タナトスが冥界に連れて行くという。

         (二)

食人鬼になって眠りもせずに、さらってきた子供や旅人を食べ続けているラミアをゼウスは哀れに思い、眠る事ができないなら、せめて何も見ないでいられる時間を作ってやろうと、彼女に両目をはずすことができるようにした。こうして、ラミアは怪物と化してしまったが、眼をはずして闇に身をまかせている間は、穏(おだ)やかな表情で笑(え)みを浮かべ、その顔は子供に添い寝する母親のようで、失われた子供達を思い出しているようでもあった。しかし、彼女の手に握られた眼が、再び取り付けられて獲物を見つけると、恐ろしい怪物に変わってしまった。そのため、ラミアが目を外している時は子供たちも安全だが、目を戻してさまよっている時は危険な時間として人々に恐れられた。

(参考)

@子供や旅人を食べ・・・ギリシアでは人を食う女の怪物が多く登場する。ギリシア北部のテッサアに伝わる夜の女神ヘカテ(呪術・妖怪変化・魔女の支配者とされ、地獄の犬の群れを従えて夜間出没した)を信仰する秘境では、老いた女神官達が若い男の肉をむさぼり喰い、その血と肉で若さと美しさを取り戻そうとする儀式が行われていた。またディオニュソスとその女信者(バッカスの巫女)達は、神を讃えるあまり儀式の最中に狂気に駆られるのが常だった。彼女達は神がかりとなって半裸で山野を駆け回り、獣を引き裂き、ときには人を襲って生き血をすすり、生肉をむさぼり喰うこともあった。

A人々に恐れられた・・・ギリシアの母親達は、行儀の悪い子供を叱る時に、ラミアに食べられてしまうぞ、と脅したという。

「ラミア」(ドレイパー)の絵はこちらへ

 

(小話620)「ある役人と教師」の話・・・

       (一)

ある役人が学校で一人の教師の仕事振りを視察していた。役人は単なる話というものを心から軽蔑していた。そこで役人は、その教師に尋ねた「君はいったいどうやって、言葉だけで子供たちの性質を変えることができるにかね?子供たちには行いで示しなさい。話をやめて行動しなさい」。すると教師は、言葉は心に大きな影響を与えることができる、と抗議して反論した。議論はしばらく続いた。とうとう教師は自分の考え方を役人に納得させるために、ある考えを実行することを決意した。

       (二)

教師は、そのクラスのわんぱくな生徒に言った「よし、この役人の首根っこをつかんで教室からたたき出せ!」。その言葉を聞いた役人は烈火のごとく怒って教師を罵り始めた。教師は言った「お役人、私はほんの二言、三言、口にしただけです。誰もあなたを押しも、叩きも、触りもしていません。それは単なる音声でした。しかし、それがあなたをどれほど怒らせたか考えてみてください。お役人、言葉というものは人格や性質を形作る助けとなるのです。言葉にはとてつもない力があるのです」と。

(参考)

@言葉にはとてつもない力・・・(小話280)「地獄と極楽」の話・・・を参照。

 

(小話619)「運命に打ち勝ったジャスワンタ王」の話・・・

        (一)

民話より。昔、インドのグジェラートは賢く優しいジャスワンタという王に治められてた。王は時折 身分を隠して町や村を訪れ、貧しい人や病人を見つけると、進んで援助の手を差し伸べていた。ある時、ジャスワンタ王は都から遠く離れた小さな村で行き暮れてしまい、一軒の貧しいバラモン階級の男、ブラーミンの家に宿を頼んだ。ブラーミンと妻は、粗末な身なりの男を快く家に上げ、出来る限りのもてなしをした。この家には、生まれたばかりの赤ん坊がいた。夕食を済ませると一家はすぐに休んだが、王は目が冴えて、なかなか寝付かれなかった。そうして夜も更けた頃、さらさらと衣擦れの音が聞こえて、見上げれば世にも美しい女が立っているのが見えた。月明かりでよく見ると、女はクムクム・インキ(額に赤い魔除けの模様を描くための花粉)の入った壷と、一本の筆を手にしていた。彼女は王には目もくれずに赤ん坊の寝ている部屋へ行き、揺りかごに近寄ると赤ん坊の手を取って、その小さな手のひらにインキで赤い線を描き始めた。細い線、太い線、交差している線を丁寧に描いた。最後に、生命を表す太い線を描き始めたが、途中で筆がぽっきりと折れ、床に転げ落ちた。女は悲しげな顔で溜め息をつき、折れた筆を拾い上げるとその場を立ち去ろうとした。

        (二)

この一部始終を見ていた王は、女に声をかけた。「あなたは誰です?ここへ何しに来たのですか?」「私は先を急いでいるのだ。そこをどいてもらおう」と女は威厳に満ちた声で言った。王は怯(ひる)まず、重ねて問い質(ただ)した。「もう一度尋ねるが、あなたは一体誰なのです?」「私は運命を司る女神、ヴィダタである。今晩、この男児に運命を授けに来たのだ。だが、筆は折れた。私はすぐにここを立ち去らねばならぬ」「それはどういうことです」「この子は若くして死ぬ、ということだ」「死ぬって、それはいつのことですか」「十八のとき。結婚式で彼と花嫁が護摩(ごま)の火の周りを七回巡るだろう。だが、四巡りしたとき、ライオンが花婿を襲い、殺すであろう」ヴィダタはそう言い終わると、姿を消した。王は呆然と立ち尽くした。私に親切にしてくれた、このブラーミンの一家に降りかかる災厄を見過ごすのは忍びない。何とか力を尽くして運命の女神と戦わねばならぬ、と心に決めた。夜が明けて、ブラーミン夫婦に別れを告げるとき、王は身分を明かして こう言った。「あなたがたは、見も知らぬ私に本当に親切にしてくださった。実を申すと、私はあなた方の王、ジャスワンタだ。私はいつか、あなた方のご厚意に報いたい。だから、あなたの息子さんが結婚するときには、必ず私を招いて欲しい。何か贈り物をしたいのだ」これを聞くと夫婦は驚き「わたくしどものあばら家にようこそお泊まり下さいました。身に余る光栄でございます」と、王の足元にひれ伏し「お言葉に甘えて、息子の結婚式には必ず招待させていただきます」と約束した。

(参考)

@ヴィダタ・・・インドの美しい女神。クムクム・インキ(赤い花粉。これで額に赤い点描き、魔除けまたは化粧とする)の入ったつぼと、真珠で飾られた柄の筆を持ち、赤ん坊の手のひらに運命の線(手相)を描くという。

        (三)

十八年が過ぎた。ブラーミンの息子は立派な若者になり、今日は晴れの結婚式であった。都から王が臨席されるとあって、村中は喜びと興奮で沸き立っていた。朝からお目出度いホラ貝が吹き鳴らされ、太鼓やラッパの音が鳴り響いていた。人々がズラリと沿道に並んで見物する中、薄く化粧を施した白象に乗った王の一行が村に入ってきた。ブラーミンの家の前まで来ると王は象から降り、持参した数々の贈り物を花婿と花嫁に差し出した。家来は王に命じられた通り、村の隅から隅までをぐるりと囲んで弓矢を構えた。結婚式の間にライオンが出たら射殺(いころ)すためであった。王は刀を抜いて火の側に立ち、辺りに目を凝らしていた。結婚式が厳かに始まった。僧侶が経文を唱え、祝福を与えると、二人は手を取り合って、赤々と燃える護摩の火の周りを歩き始めた。一巡り、二巡り、三巡り、そして四巡り目を歩き終わったときに突然、ものすごい吠え声がしたかと思うと、今まで誰も目にしたことがないほどの大きなライオンが飛び出してきて、あっと言う間も無く花婿の喉笛に噛みついた。彼はどうと倒れ、息絶えてしまった。ライオンは、戸口に置いてあった大きな陶器の水差しに彫られてあった模様が抜け出していたのであった。花婿を殺してしまうと、ライオンは再び元の彫り模様に戻った。花嫁も、ブラーミン夫婦も、遺体にしがみついて泣き崩れたが、どうする術(すべ)もなかった。ジャスワンタ王は、万全の策を講じたつもりで、結局はまるで役に立たなかったことを悔んだ。しかし、彼はまだ諦めていなかった。悲しみに打ちひしがれるブラーミン夫婦に、「そう悲しまないでください。私が、なんとしてでも あなたの息子さんを生き返らせてみせる」と言うと、承諾を得て遺体を城に連れ帰り、自ら油と薬草の汁、香料を塗ってやり、腐らないようにして、大理石の台に安置した。それから国中の名医や薬草学者、祈祷師や僧侶などを呼び集めて相談したが、これといって良い方策は見つからなかった。それでもなお王は諦めず、毎日毎日、森や野を歩き回っては薬草を探したり、寺院に行って祈祷したりしていた。

        (四)

そんなある日のことであった。王が森で薬草を探していると、向こうに火の手が上がっているのが見えた。「助けて! 助けてくれ!」と誰かが叫んでいた。王が駆けつけると、メラメラと燃える炎の中で、大きなコブラがのたうちまわっていた。王は我を忘れて炎の中に飛び込み、コブラを救い出した。「ありがとうございます、王様。これで命拾いしました。あなたが助けてくださらなかったら、私は このまま永遠に火の中で苦しまなければならなかったでしょう。私はナラッド行者様に背いたために、このような呪いを受けていたのです」コブラは厚く礼を述べ、「何かご恩返しをさせてください」と言った。そこで王は、「実は、私はライオンに噛み殺されたブラーミンの息子を生き返らせる方法を探している。あなたは何かいい方法を知ってはいないか?」と尋ねた。コブラは言った。「それでは、私の巣にいらしてください。いいものを差し上げましょう」コブラはシュルシュルと滑って、森の奥深くにある巣に王を案内した。それは石と石との隙間の穴で、中へ潜って入り、コブラは小さなビンをくわえて出てきた。「これを差し上げましょう。中には命の飲料(ネクター)が入っています。私の曽祖父が蛇王から授かったものです。この一滴を、彼の口に含ませなさい。きっと甦るでしょう」コブラはビンを王に渡した。城に帰ると、王は早速、冷たく横たわっているブラーミンの息子の唇へ、ネクターの一滴を落とした。すると、若者は長い眠りから目を覚ましたように起き上がり、辺りを不思議そうに見回しながら「ここはどこ? 僕はどうしたんだろう」と、訊いたた。王は満面に喜びをみなぎらせて、「心配することはない。ここはグジェラートの王城だ。君は死から甦ったのだよ」と言った。その時、サーッと一陣の風が吹き、暗い部屋に光が差し込むと共に美しいヴィダタが現われた。「ジャスワンタ王よ、そなたは運命に打ち勝ったのだ。運命の女神(ヴィダタ)は、そなたの勇気と誠意に感服いたしたぞ。これからも永久(とわ)にこの地を治めるがよい」女神はそう言うと消えた。ブラーミンの息子は村へ帰って、中断した結婚式を挙げなおし、それからは幸せに暮らした。グジェラートの人々はジャスワンタ王の行いを讃えて、今なお、その名を忘れないという。

 

(小話618)「イソップ寓話集20/20(その2)」の話・・・

        (一)「ロバの陰」

ある人が、遠くの町へ行くためにロバと馬方を雇った。その日は、太陽の日差しが強烈で、とても暑かった。旅人は、一休みしようとロバを止め、日差しから逃れるために、ロバの陰にもぐりこもうとした。しかしあいにく、陰は一人分のスペースしかなかった。すると馬方が言った。「あんたに貸したのは、ロバだけで、ロバの陰は貸してない」。すると旅人が答えた。「そんなことはない。ロバと一緒に、ロバの陰も借りたのだ」。口論はいつしか殴り合いの喧嘩へと発展した。と、その隙に、ロバはどこかへ駆けていってしまった。

(陰のことで争っているうちに、実体を失うことはよくあることだ)

       (二)「カシの木とアシたち」

とても大きなカシの木が、風になぎ倒され川に投じられると、アシの生えているところへと流されて行った。カシは、アシにこんなことを言った。

「お前たちは、そんなに細くて弱いくせに、どうして、あんなに強い風を受けても平気でいられるのだ?」。すると、アシたちがこんな風に応えた。「あなたは、風と戦おうとしたのですから、身を滅ぼすのも当然です。私たちは、ほんのそよ風にも頭を垂れます。だから、無事でいられるのです」

(負けるが勝ちよ)

       (三)「猟師と樵(きこり)」

ある猟師が、ライオンの跡を追い掛けていた。彼は、森で樵に出合うと、ライオンの足跡を見なかったか? と訊ねた。すると樵はこう答えた。「よし、今から、ライオンのところへ連れていってやろう」。すると猟師は、真っ青になって、歯をがたがた震わせてこう答えた。「いや、いいんだ。私の探しているのは、ライオンの足跡で、ライオンではない」

(口先だけでは勇者にはなれない)

 

(小話617)「若き日の英雄ヘラクレスと二人の女神」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。ある日、まだ若いヘラクレスが、いつものとおりキタイロンの山中で家畜の番をしていたときのことであった。若いヘラクレスに二人の美しい女神が近寄って来た。一人は粗末だが隙のない品のよいなりをした女神、もう一人は、きらびやかに着飾った派手なかっこうの女神であった。前者の名は「徳」といい、後者は「幸福」という名の女神だった。「徳」の女神と「幸福」の女神はヘラクレスの両脇に立ち、それぞれその手をとりながら、自分の導く道を行けと誘った。「徳」の女神は言った「わたしの道を行きなさい。苦難の多い道ですが、立派な仕事をして、人々のためになるように、その力と知恵の正しい使い方を学ぶのです」。もう一方の「幸福」の女神はこう言った「そっちへいってはだめよ。幸せになるには、わたしの道をいくほうがずっと楽なのよ。あっちは苦しいばっかりで、ほんとに幸せになれるかどうか、怪しいものなのよ」。すると「徳」の女神がまた言った「あっちへ行ってはだめよ。あちらの幸福は、楽に手に入るけれど、つまらないものよ。真実のない栄華は、見栄えばかりで、泡のようにすぐに消えてしまう。そして人は泡のような幸福を争って手に入れようとして、つまらぬ罠に落ちてしまうのよ」。

(参考)

@ヘラクレス・・・ギリシア最大の英雄。大神ゼウスとアルクメネとの子供。ゼウスの妻ヘラの激しい嫉妬(しっと)により、その生涯は難行苦行の連続であったが、ライオン・水蛇・怪鳥退治など、12の功業を解決をし、死後、天上に迎えられて神になったという。

A二人の女性・・・ヘラクレスの前に三人の美しい乙女が現れる。一人は名を「幸福」、一人は「徳」、もう一人は「悪・愚か」であったという説や「美徳」という名の女性と「悪徳」という名の女性という説もある。

      (二)

若いヘラクレスは、「徳」の女神の手をとり「僕はあなたの道をいく。どんなに苦しいことがあっても、もはや途中で引き返すまい」と決意した。すると「徳」の女神は「よくお選びになりました。では、手始めにあちらをごらんなさい」といって谷間の向こうを指差した。見ると、一頭の巨大なライオンが、ヘラクレスの家畜たちを襲おうとしているではないか。ヘラクレスは、急いで山を降りて行った。しかし、ヘラクレスが谷間に着いたときはもうライオンの姿はなく、ライオンに食い殺された家畜の死体が残っているだけだった。ヘラクレスはライオンを倒すためにあちこち探し回り、とうとうライオンの巣穴である洞窟を突き止めた。飛び出して来た、巨大なライオンの毛皮は非常に硬く、刃物も弓も自慢の棍棒も効かなかった。そこでヘラクレスは、武器を捨てて豪腕自慢の素手でライオンに組み付いていった。そして、とうとうライオンを引き倒して絞め殺してしまった。こうして彼は殺したライオンの毛皮をはぐと、戦利品としていつも身に付けることにした。以後ヘラクレスは、このライオンの毛皮を鎧(よろい)としてまとい、ライオンの頭を兜(かぶと)としてかぶるようになった。

(参考)

@ライオンの毛皮をはぐ・・・ヘラクレスはケイロンに武術を師事して、剛勇無双となった。このキタイロンのライオン退治が華々しい活躍をしてギリシャの最大の英雄となるヘラクレスの初仕事であった。

「岐路に立つヘラクレス」(カラッチ)の絵はこちらへ

「悪徳と美徳のはざまに立つヘラクレス」(バトーニ)の絵はこちらへ

「ヘラクレスとヒドラ」(ポライオーロ)の絵はこちらへ

 

(小話616)「寿光侯(じゅこうこう)」の話・・・

        (一)

寿光侯(じゅこうこう)は漢の章帝(しょうてい)の時の人である。彼はあらゆる鬼を祈り伏せて、よくその正体を見あらわした。その郷里のある女が妖魅(ようみ)に取りつかれた時に、寿(じゅ)は何かの法をおこなうと、長さ幾丈の大蛇(だいじゃ)が門前に死んで横たわって、女の病(

やま)いはすぐに平癒(へいゆ)した。また、大樹があって、人がその下に止まると忽ちに死ぬ、鳥が飛び過ぎると忽ちに墜(お)ちるというので、その樹には精(せい)があると伝えられていたが、寿(じゅ)がそれにも法を施すと、盛夏(まなつ)にその葉はことごとく枯れ落ちて、やはり幾丈の大蛇が樹のあいだに懸(かか)って死んでいた。

(参考)

@章帝(しょうてい)・・・中国後漢第3代皇帝。子供の頃から儒学を好んだという章帝は寛大な性格で、儒学の徳目に適った寛容な徳治政治をひいた。

        (二)

章帝がそれを聞き伝えて、彼を召し寄せて事実の有無をたずねると、寿(じゅ)はいかにも覚えがあると答えた。「実は宮中に妖怪があらわれる」と、帝(みかど)は言った。「五、六人の者が紅(あか)い着物をきて、長い髪を振りかぶって、火を持って徘徊(はいかい)する。お前はそれを鎮(しず)めることが出来るか」「それは易(やす)いことでございます」寿(じゅ)は受けあった。そこで、帝は侍臣三人に言いつけて、その通りの扮装をさせて、夜ふけに宮殿の下を往来させると、寿(じゅ)は式(かた)の如くに法をおこなって、たちまちに三人を地に仆(たお)した。かれらは気を失ったのである。「まあ、待ってくれ」と、帝も驚いて言った。「かれらはまことの妖怪ではない。実はおまえを試してみたのだ。殺してくれるな」寿(じゅ)が法を解くと、三人は再び正気に復(かえ)った。

(参考)

岡本綺堂の「捜神記」より。

 

(小話615)「中国の二十四孝の物語(8/12)」の話・・・

        (一)楊香(ようこう)

昔、普(しん)の時代に楊香(ようこう)という女性がいた。年令は十四才であった。ある時、父親と共に田んぼを耕しに行った。すると突然、山の中から一頭の虎が出て来て、父親に喰(く)いつこうとした。折り悪しく二人は刃物も武器も持っていなかったので、大声をあげて救いを求めたが、近くには誰もいなかった。そこで楊香は、わが身の危険をもかえりみず、急いで走り寄り、両手で虎のくびにとりついて、天に向かって一心に父の助命を祈った。虎はくびにとりつかれたので、父親に喰いつこうとしていた口を放した。そして、虎は父親を離してどこかに立ち去った。こうして父親は虎に喰われることなく、助かったという。これも、ひとえに、孝養の心が深いために、このような不思議なことが起こったのにちがいなかった。

(参考)

@両手で虎のくびにとりついた・・・虎に出あったとき、楊香は天の慈悲を頼み「どうぞお願いですから、私の命を虎に与え、父を助けてください」と深く心をこめて祈ったところ、今まで、猛々しいようすで父親を取って食おうとしていた虎はにわかに尾をすぼめて逃げ去ったという説もある。

「二十四孝図絵馬」(庚申寺)の絵はこちらへ

        (二)唐夫人(とうふじん)

唐朝の時代の唐夫人は、姑(しゅうとめ)の長孫夫人(唐の太宗の后)が年老い、食べ物が歯で噛(か)めないので、日ごろから乳を飲ませたり、あるいは、毎朝、髪をとかしたりして、よく仕えて数年の間、姑を養った。ある時、長孫夫人が病気にかかって、今度は死ぬだろうと覚悟し、一族の人々を集めて「私が唐夫人の数年に及ぶ恩を返さないで、いま死んでしまうことはまことに心残りなことです。私の子孫が、唐夫人の孝養を尽くし義理を守るのをまねているならば、かならず行く末も富み栄えるにちがいありません」と言った。このように姑に孝行な人は昔から今までめったにないというので、誰もがこれをほめたたえた。そのために、唐夫人の子孫が富み栄えることは、間違いないことであったといわれている。

(参考)

@一族の人々を集めて・・・「私は嫁のおかげを受けました。この恩に報いることなく今死んでしまうことは誠に心残りなことですが、子々孫々に至るまで、親や先祖を大切にしてくれる心優しい嫁が来ると良いと思います」と言ったという説もある。

「二十四孝図絵馬」(庚申寺)の絵はこちらへ

 

(小話614)「リディア国の最後の王クロイソスと二人の息子」の話・・・

       (一)

リディア国の最後の王クロイソスは、大軍を所有し、多くの銀、金を蓄えており「この世で一番幸せな人間」と自負していた。そのクロイソス王には、二人の息子がいた。だが、その一人は、口のきけない障がい者の息子だったので、もっぱらもう一人の息子アテュスのほうに愛情を注いでいた。ところが、ある夜、クロイソス王は、息子アテュスの体に槍が刺さって命を落とす不吉な夢を見た。当時の人たちは、夢のお告げを神託と同じように、未来を言い当てる力があると信じていた。クロイソス王は、息子アテュスを死なせまいと思いつく限りの手だてを尽くした。クロイソス王はまず息子に嫁を取らせた。そして、息子に二度とリディア人を率(ひき)いて戦場に行かせないことにした。さらに、壁に掛けた槍や剣が万が一、息子の上に落ちてはいけないと、武器のたぐいは全て男たちの部屋から女たちの部屋に移してしまった。そんなある日のこと、親交のある隣国フルギアの王子アドラストスと名乗る一人の青年が、嘆願者の証であるオリーブの枝を持ってクロイソス王の前に現れた。誤って兄弟を手にかけてしまい、殺人者として祖国からも、父からも追われる身だという彼を、クロイソス王は温かく迎え入れ、その穢(けが)れを祓(はら)いたいという青年の求めるままに願いを叶えた。

       (二)

しばらくして、リディアの属国の一つのミュシアからクロイソス王のもとに援助を求めて使節がやってきた。ミュシアに巨大な猪(いのしし)が現れて国中を荒し回っているが、自分たちだけではとても手に負えない。ご子息を代表とする部隊を派遣して欲しい、というのであった。しかし先の夢のお告げを恐れていたクロイソス王は、息子の派遣をきっぱりと断った。しかし、この話を聞いた息子アテュスは自分が行けないことに納得できず、王の前に姿を現して言った「父上、これまでわたしは狩りや戦いの場で、手柄を立てることを何よりも名誉なことだと思っていました。ところが父上は、その両方ともわたしから取り上げてしまわれました。その訳をわたしに聞かせて下さい」。この息子の問いかけに対して、クロイソスはこう答えた「実はわたしは夢を見たのだ。槍がお前の体に突き刺さってお前が死ぬ夢をな。お前の結婚を急がせたのも、今回の狩りにお前を行かせないことにしたのも、みなこの夢のためなのだ。わたしは自分が生きている間は、お前の命を守るためならどんなことでもするつもりだ。お前の弟は障害があって将来を当てにできない以上、お前はわたしの一人息子も同然なのだから」「そんな夢をごらんになったのなら、用心したくなるのも不思議ではありません。でも父上は先ほど、わたしの体に槍が刺さってわたしが命を落とす夢を見たとおっしゃいました。しかし、今回の相手は猪です。猪が槍を使うわけがありません。わたしが猪の牙に刺さって命を落とすというならともかく、夢ではわたしは槍で死ぬ事になっているのでしょう。それなら、今回は大丈夫です。父上、わたしをこの狩りに行かせて下さい」「息子よ、どうやらわたしの負けだな。言われてみれば、なるほどその通りだ。あの夢の意味はお前の方がよく解っているようだ。よろしい、今回の狩りに行くのを認めるとしよう」

       (三)

しかし、クロイソス王は、もしや息子が旅の道中で追い剥(は)ぎにでも会って命を落とすのではないか、と心配であった。そこで、息子に護衛を付けることにした。その仕事を屋敷に泊めていたあの隣国の王子アドラストスに頼んだ。これがこの男の名誉回復の一助にでもなればという思いもあった。こうして、アテュスとアドラストスはミュシアに着いた。そして、狩りが始まり目的の猪が見つかると、全員でそのまわりを取り囲んだ。一斉にみんなで猪めがけて槍を投げた。ところが、人殺しの浄(きよ)めを受けたばかりのアドラストスの投げた槍は、猪をはずれたばかりか、クロイソスの息子のアテュスに当たってしまった。こうして、クロイソス王の見た夢は現実のものになった。クロイソス王は大きな衝撃を受けた。息子を殺した男が、自分がわざわざ罪を清めてやり、そのうえ屋敷に泊めてやり、しかも息子の護衛に付けた男だったからである。クロイソス王が良かれと思ってしたことは全て裏目に出て、息子の死につながってしまったのであった。しかし、クロイソス王は息子を殺したアドラストスを責めたりはしなかった。これは神々の仕業であることを知っていたからである。一方、またもや過って人を殺してしまったアドラストスは、自分で自分の運命を呪った。そして、クロイソスの息子の埋葬が終わると、その墓の上で自害をして果てた。

       (四)

息子の死から立ち直ったクロイソス王は、新興の隣国ペルシャを征服しようと企(たくら)んだ。しかし、人間の力には限りがあり、どれほど周到に計画してもどこかに見落としがあり、最後は必ず運命に左右されることをよく知っていたクロイソス王は、自分の運命を何とか知ろうと奔走した。そこで、クロイソスは数多くある神々の中で、デルポイ(デルフィ)の神託所ともう一つの神託所に考えうる限りの犠牲を捧げて、できる限りの豪華な寄進をした。そして、この二箇所の神に尋ねた「自分はペルシャと戦争をすべきかどうか。また、自分はどこかの国と同盟を結ぶべきであるか」。得られた答えは二つとも同じで「おまえがペルシャを攻撃すれば大国を滅亡させることになろう。またギリシャの中で最も強い国と同盟するがよい」この答えを聞いたクロイソスは躍(おど)り上がって喜んだ。ペルシャの征服を神に約束されたと思ったからであった。そこで、クロイソス王は使節をスパルタに派遣して同盟を結んだ。そして「ペルシャを攻撃すれば大国を滅亡させることだろう」という神託を当てにして、勇んでペルシャ征服に出発した。しかし、征服は思うようにはいかなかった。そこでクロイソス王はつぎの遠征の準備をするために、いったんサルディスに引き上げて軍隊を解散してしまった。ところが、その間げきをついたペルシャ王のキュロスによって、首都サルディスが包囲されてしまい、リディア王国は滅亡の時を迎えた。

(参考)

@大国を滅亡させる・・・神託が言ったクロイソスが滅亡させる大国とは、実はリディア王国のことだった。

       (五)

かって息子アテュスを失ったとき、クロイソ王は、口のきけない息子を何とかしゃべれるようにするために、神託にうかがいを立てたところ、こんな答えが返ってきた「愚かなクロイソスよ、息子の声が聞けないことを幸せに思うがよい。その子が初めて口をきくときは汝の悲しみの日であるものを」。この予言が実現したのは、リディアの都市の城壁が破れて、ペルシャの軍勢が首都サルディスの王宮になだれ込んできたときのことであった。ペルシャの兵士たちはクロイソス王を「生け捕り」にせよという命令を受けていた。だが、クロイソス王の顔を知らない一人の兵士がクロイソス王めがけて切りかかってきた。万事休すと悟ったクロイソス王はこの兵士に対して何の抵抗もしなかった。しかし、その時そばにいた口のきけない息子が、恐怖に駆られて大声をあげた「こら! クロイソス様に手を出すではない 」。これが、この息子がしゃべった初めての言葉であった。こうしてクロイソス王の命が救われると共に、この息子は口がきけるようになった。

(参考)

@悲しみの日・・・リディアの滅亡の日のこと

       (六)

生け捕りにされたクロイソス王は、高く積み上げられた薪(まき)の山の上に足を縛られて立された。彼は今更ながら賢者ソロンの言った「幸福のうちに人生を終えた人こそ幸せ者と呼ぶことができる」という言葉を思い出した。クロイソスは、大きなため息をつくと、絞り出すようにして三度ソロンの名を呼んだ。その声を聞いたキュロス王は、ソロンとは誰のことかをクロイソスに尋ねた。クロイソスは答えて、アテネから来た賢者ソロンがクロイソス王の財宝を見ても驚かずに「幸福のうちに人生を終えた人こそ幸せ者と呼ぶことができる」と言った話をして、すべてはソロンの言うとおりだったこと、これは自分だけではなくあらゆる人間に、特に自分が幸福であると思いこんでいる人たちに当てはまると言った。クロイソスの話を聞いて心を打たれたキュロス王は、人間の身でありながら、同じ人間を生きたまま火あぶりにすることの間違いに気づいた。そして、すぐに火を消すように命じた。こうして命を救われたクロイソス王は、キュロス王によってペルシャの宮廷で暮らすことになった。しかし、クロイソス王は、神託が勝利を約束したからペルシャの攻撃を決行したのに、敗れてしまったのは自分が神様にだまされたと思っていた。そこで、クロイソスは確かめるためデルポイに使者を送った。そして、自分はあれほどたくさん寄進をしたのに、ギリシャの神はそのお返しにこんな仕打ちをするのかと非難した。それに対する神の返事は次のようなものであった「わたしはお前に「ペルシャを攻撃すれば大国を滅亡させるだろう」とは言ったが、その大国がどこの国かは言わなかった。そもそも、神といえども人の運命を変えることはできない。お前の四代前の祖先のギュゲスは主人殺しという大罪を犯した。その罪の償いをお前がすることになったのだ。予言をしたときは、ギュゲスにお前の子供の代が償いをすると言ったが、運命はお前を選んだのだ。ただ、わたしもお前の寄進をよく覚えている。だから、サルディスの陥落を少し遅らせてやったし、お前の命も救ってやったではないか」この答えを聞いたクロイソス王はすっかり観念して、自分の失敗の責任は、全て自分自身にあることを認めて、二度と神を責めたりはしなかった。

(参考)

@ソロン・・・アテネの政治家・詩人。ギリシア七賢の一人。諸改革を行い、ギリシアの民主政の基礎を作った。(小話603)「リディア王クロイソスと賢者ソロン」の話・・・を参照。

Aギュゲス・・・(小話596)「王妃(おうひ)の裸を見た男ギュゲス」の話・・・を参照。

Bヘロドトス著「歴史」より。

 

(小話613)「アダムの最初の妻リリス」の話・・・

      (一)

聖書「創世記」では、[神(ヤハウェ=エホバ)は六日間で世界を創った。第六日目に、「地(大地)は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這(は)うもの、地の獣(けもの)をそれぞれに産み出せ」と。さらに神は言った「我々にかたどり、我々に似(に)せて、人(人間)を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」と。そして、男と女を創造した。さらに神は祝福して言った「産めよ、増えよ、地(大地)に満ちて地(大地)を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」](創世記第1章(01から28))。こうして六日目に赤い土からアダムと共に生まれたリリスは、アダムの最初の妻としてエデンの園に住んで、アダムと共に全ての地の支配を神より命じられた。

(参考)

@我々に似(に)せて、人(人間)を造ろう・・・聖書の創世記では神は6日目の最後に男女の人間を作って世界創造を終了した。この時作られたのがアダムとイブと思われているが、聖書は男女の人間の創造を描いたのが第一章で、第二章で神は最初に造った人(アダム)の肋骨を取って、そこから女(イブ)を作ったとある。ということで、最初に「男女を作った」時の女はリリスといわれる。又、別の解釈では、最初、神が造った人間は男女両性を供えていたという。そして、「肋骨を取って女を作った」というのは、男の部分と女の部分を 切り離して、別々にしたため人間は元の完全な自分に戻りたくて、男と女で惹かれ合うという。

「創世記の男女の誕生」=旧約聖書(創世記第二章)を参照

Aリリス・・・リリスは聖書外典などにも登場し、その書などには「アダムの最初の妻」とある。又、アダムと共に土から作られた最初の女性としてユダヤ経典「タルムード」にも登場する。

      (二)

アダムが作られたとき、彼と共に神の手により、最初の女性として土からリリスは創られた。共に同じ土で神に創られた二人は、当然のこととして、あらゆる点で対等であった。ところが、アダムはリリスを支配しようとしたため、彼女は反発した。そして、彼女の言葉にまったく耳を貸さないアダムに業を煮やして、リリスはついに彼の元を去ってエデンの園を出て行くことになった。このとき、彼女は「悪魔と姦淫を重ね」て多くの悪魔を生み出した。そのリリスの子供たち「リリム=リリン」は「悪魔の使い」となった。アダムは妻リリスの家出を神に訴えた。神はこれを聞き入れて、三人の天使を遣わしてリリスの説得にあたった。三人の天使は紅海でリリスを見つけるが、彼女は説得に応じなかった。そこで、神はアダムのもとに戻らなければ、リリスの大勢の子供たちを「毎日300人殺す」と脅した。 子供たちの命と、自分の運命をはかなんだリリスは、紅海に身を投げてみずからの命を絶ってしまった。リリスの死後、[神は言った「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」そこで神は、彼に深い眠りを与えた。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。 こうして神は、人(彼=アダム)から取ったあばら骨を、ひとりの女(エバ=イブ)に造り上げ、その女を人のところに連れて来た。すると人は言った「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから」](創世記第2章(18〜23))。神はアダムの体の一部をとって「イブ」を創った。こうしてイブは、生まれながらに男性に従属する女性、または「男性とすべてを分け合う者」となった。

(参考)

@エデンの園を出て・・・エデンを出奔した後にリリスはその後、死ぬことなく悪魔達に魂と身体を委ね、様々な悪魔を生み続けたという。そしてリリスは復讐心からアダムの妻となったイブをそそのかし、結局、神から未来永劫を這うものになれと蛇になって罰を受けたという説もある。

A彼女は説得に応じなかった・・・アダムのもとに戻らなかった罰に、彼女は毎日無数の子供たちを生むことが義務づけられ、しかもその子供たちは毎日百人ずつ死んでいくという運命を背負わされてしまい、そのことに絶望した彼女は紅海に身を投げたという説もある。。

「リリス」(コリア)の絵はこちらへ

 

(小話612)「ヘラ女神と双子(ふたご)の兄弟クレオビスとビトン。そして、ジギタリスの花」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。アルゴス平野の小高い丘にヘラを祀(ま)ったヘライオン(聖域)があった。そのヘラ神殿の巫女(みこ)には、二人の双子の息子がいた。クレオビスとビトンであった。ある日、巫女が儀式に使う白い牛が予定の時刻が来ても牧場から到着しなかった。その白い牛は聖なる車を運ぶためにどうしても必要だった。そこで巫女の二人の息子は、母親のために聖なる車を身体に縛り付けて神殿まで運んだ。母親は二人の息子たちの優しさを大変喜んで、ヘラ女神に祈った「親孝行な二人のために、この世で最高の贈り物を下さい」。ヘラ女神はこの願いを聞き入れ、叶(かな)えた。二人の兄弟は祭儀が済むと疲れ果てて、満足して神殿で眠りこけた。そしてそのまま寝たように死んでいった。若いうちに眠りながら死ぬことが最高の贈り物だとヘラ女神は判断したのであった。

(参考)

@聖なる車・・・巫女である母親をヘラ神殿まで連れて行ったという説もある。

A死ぬこと・・・古代ギリシャ人にとって、最高の栄華の中で英雄の死を遂げること以上の名誉はなかっとたという。(小話602)「リディア王クロイソスと賢者ソロン」の話・・・を参照。

「クレオビスとビトン」の像はこちらへ

      (二)

ギリシャ神話より。ある日へラ女神は女王の座に着いて、日課のひとつである人間の礼拝を受けていた。山海の珍味や畑の作物がいつものように沢山、供(そな)えられ香(こう)が焚(たか)かれていた。その日は、香の煙がむせるほど激しく、たまりかねたヘラ女神は部屋に戻り、サイコロで遊んでいた。突然、サイコロは転がって地上に落ちてしまった。ヘラ女神は夫の大神ゼウスを呼んで取って来るよう頼んだが、大神ゼウスは暇さえあればサイコロ遊びをするヘラ女神に少し怒りをおぼえていた、又、神々の中には「女神ともあろう者が、サイコロ遊びとは」との陰口を言う者がいることも知っていた。そこで大神ゼウスは、地上に落ちたヘラ女神のサイコロをジギタリスの花に変えてしまった。

(参考)

@ジギタリスの花・・・大神ゼウスの妻ヘラがいつも遊んでいたサイコロを、夫婦喧嘩で怒ったゼウスが地上に投げ捨てたところ、落ちた場所にジギタリスが生えてきたという説もある。花言葉は、誠意がない、不誠実、虚偽。 

 

(小話611)「イソップ寓話集20/20(その1)」の話・・・

      (一)「ミツバチとジュピター神」

ある女王バチが、ジュピター(ゼウス)神に、ハチミツをプレゼントしようと、オリュンポスへと昇って行った。ハチミツを痛く気に入ったジュピター神は、彼女の望むものなら何でも与えると約束した。そこで、彼女はこんな事をジュピター神に乞うた。「偉大なるジュピター様。私は蜜(ミツ)を盗みに来る人間を殺せるように、針が欲しいのです」ジュピター神は、人間を愛していたので、その願いを大変不快に思ったが、約束は約束なので、彼女の望みを断ることができなかった。そこで、ジュピター神は、彼女にこんな風に応えた。「おまえの望みは叶えてやる。だが、もし、おまえが、その針を使うならば、おまえ自身の命も危ういものになるだろう。おまえの刺した針は、傷口から抜けることはない。そして、その針を失う時、おまえは死ぬ」

(人を呪わば穴二つ)

      (二)「乳搾(ちちしぼ)りの女と彼女の桶」

ある農家の娘が、楽し気なことを空想しながら、牛乳桶を頭に乗せて運んでいた。「このミルクを売ったお金で、少なくとも300個の卵が買えるわ。そして、どんなに悪くても卵から200の雛(ひな)が孵(かえ)るわね。そして、50羽は、親鶏に成長するわ。ちょうどその頃は、鶏肉が一番高値で取引される時期だわ。すると、年の瀬までには、新しいドレスが買えるわね。そのドレスを着てクリスマスパーティーに出かけるのよ。若い殿方は、みな私にプロポーズしてくるわ。でもあたしは、つれなく頭をつんともたげて、皆の申し出を断るのよ」と、彼女は夢中になって頭を揺らした瞬間、牛乳桶が地面に落ちてしまった。そして、彼女の壮大な計画は、一瞬にして費(つい)えてしまった。

(捕らぬ狸の皮算用)

      (三)「海辺を歩いている旅人」

海辺を歩いていた旅人たちが、高い断崖に登り海を見渡した。すると彼方に大きな船が見えた。旅人たちは、船が入港するのを一目見ようと待つことにした。しかし、船が風に流され、岸に近づくに従い、それは、単なる小舟であることが分かった。それどころか、小舟が浜に漂着した時には、木の束となっていた。

(希望的観測は裏切られるものと、相場が決まっている)

 

(小話610)「大きな人(長人)」の話・・・

        (一)

民話より。ある人が友人の家に行ったところ、家人が出てきて応対し、友人は病気で寝込んでいて、かなり重篤なのであるという。面会できないのでしかたなく屋敷内をうろうろしていたところ、広間にひとりの大きな人(長人)が座っていて、広間の正面にかかっている題字を見ていたのであった。「これは人間ではあるまい」と思って、そうっと腰帯を解いて後ろから近づき、その両足首を縛ってしまった。大きなひとは驚いて振り返った。「なにするか」「おまえはどこから来たのか」と問うと「わしは先ほどからこの広間に来て、この家を治めている神に話しをしていたところ。この家の主人を明日のお昼に連れて行かねばならんのでな」「やや、それはまたなんということか」と、その人は、友人であるその家の主人には老母があり、しかるに彼がまだ娶(めと)らず子供もいないことを訴えて猶予してくれるように頼んだのである。しかし、大きな人は、「なるほどのう、それはお気の毒じゃが、わしも命令で来ているだけじゃし、お迎えはわし一人でするのでなく後五人もくるのじゃから、どうしようもない」と取り合わぬ。なおも臥して頼むと、「そうじゃ、一つだけ方法がある」と言って教えてくれたのが、お迎えの役のものどもはみなハラを空かせているので、食べ物を出せばそちらに夢中になってお迎えの時間を過ぎてしまう可能性がある。それを過ごしてしまうと、また一紀(十二年)命が延びることになる、という方法であった。

        (二)

ということで、そのとおりしましたところ、その家の主人は助かったのですが、一ヶ月ぐらいしてから、夜、またこの「大きなひと」が現れた。彼は、霊界の秘密を漏らしてしまったので、ムチ打ちの刑を受けてえらい目にあっているとのこと。しかも余、もと鬼にあらず。「実はわしは本来、霊的なものでもなんでもない。峡石鎮の劉先という荷物運び人足なのです。冥界に雇われてお迎えの仕事もしていたのです。しかし、生身の方は鞭(むち)打ちのせいで体を壊してしまい、仕事ができなくなっている。恩義に感じているなら生きていくための資金を与えてはくれまいか」というのである。早速そのひとと、一命をとりとめて元気になった友人とで、船を雇って峡石鎮という村に行くと、確かに劉先という男がいて、一ヶ月ほど前から意識不明になっているのだという。二人はその男の横たわるベッドの下に土下座して、家族に黄金を贈って帰ってきたのであった。

 

(小話609)「神々の美しい女王で結婚の守護女神ヘラ。その誕生と夫ゼウスの愛人騒動、そして家出」の話・・・

        (一)

ギリシャ神話より。オリュンポス十二神の一人であり、神々の王ゼウスの正妻にして、神々の女王であるヘラ女神は、神々の二代目の王クロノスとレアの娘であった。神々の最初の王ウラノスを倒して、神々の二代目の王となったクロノスは、父ウラノスの「やがてお前も自分の息子に王位を退(しりぞ)けられる」という予言に悩まされた。クロノスは姉のレイアを妻としたが「神々の王座は譲らない」と決意して、妻レイアとの間にできた子供五人を次々と自分の腹の中に飲み込んでしまった。こうして、娘のヘラも、父クロノスの腹の中に飲み込まれた。その腹の中には先に呑(の)み込まれていた2人の姉ヘスチアとデメテルがいた。さらに後から二人の弟ハデスとポセイドンも呑み込まれてきた。ヘラはこれら4人の姉弟たちと共に忌まわしい腹の牢獄で数年を過ごした。ある日、何か大きなものがクロノスの喉を通って、五人の前に落ちてきた。それは、おむつにくるまれた赤ん坊くらいの大きさの石であった。それからまたしばらく経(た)ったある日、今度は何やらあやしげな液体がどっと胃の腑(ふ)に流れ込んできた。父クロノスの胃の腑が激しく波打ち、凄まじい逆流が起こって、中にいた五人は外の世界へ放り出された。先日落ちてきたばかりの石を先頭にして、呑み込まれたのとは逆の順で吐き出された。久々に仰いだ太陽の光、その中でヘラが見たものは、四つん這いになって苦しむ父と、逞しく凛々(りり)しい姿をした若い男の神であった。若い男の神はあっという間に駆け寄ってくると、苦悶するクロノスを尻目に五人を連れ去ってしまった。これこそ例の石を身代わりとして父の魔手から逃れ得た彼らの末弟ゼウスであった。秘密裡に育てられて、無事成人したゼウスは、兄姉たちが父の腹中に囚(とら)われているという話を聞き、策を弄して父に催吐薬を飲ませ、五人を救出したのであった。こうして、若きゼウスを中心に兄弟姉妹たち(オリュンポス神族)はオリュンポス山に立てこもり、来(きた)るべき父クロノスからの攻撃に備えた。時をおかずクロノスも自らの兄姉ティタン神族を召集してオトリュス山に陣取り、我が子らに戦いを仕掛けた。こうしてティタノマキアが勃発したのであった。

(参考)

@ヘラ女神・・・ヘラという名前は「ヒーロー=英雄」の語源と言われている。又、ギリシャ第一の英雄ヘラクレスという名前も「ヘラの栄光」を意味する。ヘラの聖獣は孔雀、牝牛。聖地はアルゴス、スパルタ、ミュケナイ。

A神々の二代目の王クロノス・・・(小話282-2)「父・クロノスと子・ゼウスの闘い」の話・・・を参照。

Bティタノマキアが勃発・・・(小話395)「ティタノマキア(ティタン神族とオリュンポス神族の10年戦争)」の話・・・を参照。

        (二)

しかしこの戦争中、ヘラだけは彼女を保護しようとした母親レアによって中立を守る大洋神オケアノスとテテュス夫妻のもとへ預けられた。世界の果てにある館で養われたヘラは、光り輝くばかりの美少女に成長した。その美しさは世界に並ぶ者もなく、いずれ劣らぬ器量自慢の女神たちでさえその前では顔色を失うほどであった。ティタノマキアに勝利してオリュンポスに帰還した神々の三代目の王となった弟のゼウスが、このたぐいまれな乙女に目を付けた。久しぶりに見た自分の姉である絶世の美女、ヘラ女神に一目惚れしたゼウスは、熱烈な求愛を開始した。しかし、美しいだけに気位も高く、身持ちも堅いヘラはそう簡単にはなびかなかった。ゼウスには既にテミス女神という妻がいたため、たとえ生命の恩人であり、今や神々の王ともなったゼウスといえども、ヘラ女神はその愛を受け入れることはできなかった。何しろヘラは結婚の女神としての名誉ある役割を担(にな)っている身であるため、その結婚の女神が不義を働き、ゼウスの妾(めかけ)になるなどできなかった。彼女は断固として主張した「それならわたくしを正式な妃(きさき)にしてください。でなければお断わりです」。ヘラ女神の意志は固く、苛立ったゼウスが彼女の愛鳥、郭公(かっこう)に化けて近づき、油断させた上で力ずくで犯そうとしたときにも「妃にしてくださらないのなら絶対嫌です」と拒(こば)み通した。やがて、大神ゼウスの二度目の妻、予言と正義の女神テミスが正妻の座をヘラに譲った。こうして、ヘラは遂にゼウスの正妻の座を勝ち取ることに成功したのだった。

(参考)

@大神・ゼウスの二度目の妻・・・最初の正妻はメティスで、メティスが身籠(みごも)ったとき、ゼウスは、予言の力を持つ大地の女神・ガイアから「今度の子は、とても賢い女の子でおまえを助けてくれるけれど、メティスが次に生む男の子は、おまえを王座から追い払うだろう」と聞かされたので、娘(戦いと知恵の女神・アテナ)ごとメティスを自分の腹中に飲み込んでしまった。

A 愛鳥、郭公・・・ゼウスがヘラを口説くとき、郭公に化けていた。そうとは知らないヘラは、寒さに身を震わし地面を這いずる郭公を胸に抱き上げ温めようとした。ここでゼウスは変身を解いて、ヘラを我が物にしたという説や、アルゴスに近い森の中を歩いていたヘラをゼウスが見始め、ゼウスは嵐を起こし自分の姿を郭公に変えてヘラの衣にくるまれ、その後、本来の姿に戻り求婚をして結ばれたとする説や、エウボイアの地でヘラを見始めたゼウスがキタイロン山までヘラを追いかけ、洞窟の中で結婚をしたという説などがある。

        (三)

神々の王ゼウスが姉のヘラ女神を自らの正妻、神々の女王に定めたという噂は、あっという間に世界に広まった。そして、盛大に祝われた二人の結婚式(聖なる婚姻)には、あらゆる神々が贈り物を持ってやってきた。中でもとりわけ花嫁を喜ばせたのが、祖母である大地の女神ガイアから贈られた「黄金の林檎(りんご)の木」で、その燦然たる輝きに感動したヘラは、これを世界の西の果てにある楽園に植え、そこに住む巨神アトラスの娘ヘスペリスたちと火を噴く百頭竜、ラドンに守護を命じた。しかしながら、その宝の樹よりももっと美しかったのが、神々の王を夫に得て世界中の祝福を一身に集めた当の花嫁自身であった。この世で最も美しい女神と称えられるヘラは、この日は太陽よりもまぶしく揺るぎない幸福に輝いていた。しかし、結婚後のヘラには、悩みが尽きない日々が訪れた。典型的な浮気者である神々の王ゼウスは、美しい女性には目がなく、手当たり次第に我が物としていた。最初にヘラの心を悩ませたのは、彼女とほぼ同時期にゼウスの寵愛を受けていた愛人のレト女神であった。結婚後、ヘラは男二人女二人、計四人の子供を生んでいたが、息子の一人ヘパイストスはひどく醜い姿をしていたため、恥じたヘラは彼を下界へ投げ捨ててしまった。もう一人の息子アレスは大変な美男であたが、頭の中はからっぽの粗暴な荒くれ者の神であった。娘の青春の女神ヘベと出産の女神エイレイテュイアは女神としては、特別に輝くところがなく普通の女神であった。誇り高いヘラ女神には、自慢の種になるような輝くほどの優れた子供を授からなかった。

(参考)

@四人の子供・・・争いの女神エリスは軍神アレスと双子という説もある。

A黄金の林檎の木・・・これが結婚式の起源という。古代ギリシャは男尊女卑が激しく、男女の愛は非常に不確かだった。そのため、結婚を制度化することによって、女の生活が守られた。ヘラの英語名はジュノー。6月の語源で、6月の花嫁は幸せだと言われるのは、ヘラに由来する。(小話42-459)「天空を支える巨神アトラスとその娘(ヘスペリス)たち」の話・・・

Bヘパイストス・・・鍛冶の神ヘパイストスもヘラの息子だが、彼のことはヘラが一人で産んだという説がある。(小話51-474)「火と鍛冶の神・ヘパイストスの誕生と黄金の椅子」の話・・・

C女神ヘベ・・・彼女は神々の宴会の際、給仕の仕事が与えられた。そして昇天して神となった英雄ヘラクレスと結婚した。(小話7---331)「星(水瓶座)になった美しい王子・ガニュメデス」の話・・・

        (四)

こうした中、ヘラ女神の耳にとんでもない話が飛び込んできた。ゼウスの愛を受けた「レト女神が生む双子(ふたご)は、神々の中でも最も輝かしい神となる」という衝撃的な予言であった。ゼウスの正妻である自分の子よりも愛人の子の方が優秀だとは、ヘラの女王としての面目は丸つぶれであった。ヘラは嫉妬から怒った。ヘラは、世界中に次のような命令を下した「今まで一度でも太陽が照らしたことのある全世界の土地は、レト女神に出産の場を提供してはなりません」。そして、娘である出産の女神エイレイテュイアにレトの出産のことを知らせず、自分の手元に引き留めて、産気づいたレトを九日九晩放っておいた。しかし、虹の女神イリスが出産の女神エイレイテュイアをヘラに気づかれないよに連れてきて、レトは、何とかアポロンとアルテミスを生み落とすことができた。これを皮切りにヘラ女神は、夫ゼウスが次々にこしらえる愛人とその子供に過激に反応して迫害を加え行った(リビアの女王ラミア、テーバイの王女セメレ、ペルセウスの孫娘アルクメネ、アルカディアの王女カリスト、アルゴスの王女イオ、等々)。しかし、ヘラ女神は嫉妬で夫ゼウスの愛人とその子供に執念深く復讐するのであったが、一方では、ゼウスがどんなに浮気しても結婚と家庭生活の守護神である彼女は、夫ゼウスを愛する貞節一途の妻であった。

(参考)

@愛人とその子供・・・ヘラ女神はゼウスの正妻ゆえにプライドが高い。夫の浮気に絶えず目を光らせていたが、神々の王である最高神を罰することができないため、代わりにゼウスの浮気を食い止めようと、いつも浮気相手の女や子供に罰を与えた。

Aテーバイの王女セメレ・・・(小話60-502)「酒神・ディオニュソス(バッカス)の誕生」の話・・・

Bアルカディアの王女カリスト・・・(小話68-541)「大神ゼウスと美しきニンフ(妖精)カリスト。そして、その子供アルカス=大熊座と小熊座の誕生」の話・・・

        (五)

貞節一途のヘラ女神も、夫ゼウスの浮気にいい加減、堪忍袋の緒が切れることがあった。あるとき、度重なる裏切りにほとほと愛想が尽きたヘラは、オリュンポスのゼウスの宮殿を飛び出し、自分の所有地であるエウボイア島に引き籠(こ)もってしまった。驚いたゼウスはエウボイア島の目と鼻の先のキタイロン山麓にあるプラタイアイの町の知恵者に相談すると、彼はこう言った「ではまず、大きな女性の木像をお造りなさい。そして、それに綺麗な衣裳を着せてヴェールをかぶせ、馬車に乗せて町中を練り歩くのですよ。こう言いながらね。ヘラ様に去られてお独り身のゼウス様が新しいお妃をお迎えになった。この方が新しい天界の女王だぞ」。この騒ぎが、エウボイア島にいたヘラ女神の耳に入った。新しいゼウスの妃、という言葉に、激しい嫉妬にかられて我を忘れたヘラは、プラタイアイの町に駆けつけた。こうして、自分を連れ戻すために夫が仕掛けた小細工に、まんまと釣られたことを知ってヘラは、ゼウスと共にオリュンポスへ帰ったのであった。又、ヘラ女神は毎年春になると、自分の支配するアルゴリス地方にあるカナトスの泉で沐浴(もくよく)し、苛立ちも疲れも老いもすべて洗い流して、乙女の頃のような若さと美しさを取り戻すのであった。それを見た夫の大神ゼウスの胸にも結婚当初の激しい憧れが甦(よみがえ)り、このときだけは他の女に目もくれず熱烈に彼女の愛を求めるのであった。こうしてヘラは再びゼウスと和解し、やがてまた不実に怒り、嘆くのだった。結局、神々の女王ヘラは、どんなに浮気に悩まされても夫ゼウスから離れられず、又、神々の王ゼウスは、どんなに嫉妬に手を焼いても妻ヘラを手放せなかったのであった。

(参考)

@カナトスの泉・・・年に1度、黄金の雲に身を投じて、1年の汚れを落とすことでさらに美しくなるという説もある。

Aプラタイアイの町に駆けつけた・・・ヘラとゼウスの和解を記念して、六年毎にプラタイアイ市は、大ダイダラという祭を行い、塀の木で作った二神の像をキタイロン山中に運び、儀式の後で焚くのが例であったという。

「イダ山のジュピター(ゼウス)とジュノー(ヘラ)」(ジェームス)の絵はこちらへ

「プシュケとアモール(エロス)の結婚」(ブーシェ)の絵はこちらへ

中央に花嫁プシュケの手を取った青年姿のエロスが立ち、婚礼の松明を掲げたヘラに向かって永遠の愛を宣誓している。

「ユノー(ヘラ)」(レンブラント)の絵はこちらへ

「ヴェネツィアへ贈り物を捧げるユノ(ヘラ)」(ヴェロネーゼ)の絵はこちらへ

 

(小話608)「賢者ビアスの忠告」の話・・・

       (一)

リディア王アリュアッテスの死後、その子クロイソスが三十五歳で王位を継いだ。クロイソスは王座につくと、様々な口実をつけて小アジアのギリシャ人の都市を次々と征服していった。そして、陸地にはもう征服する町がなくなってしまうと、今度はエーゲ海に浮かぶ島々の、海の民族と言われるギリシャ人の都市に目を付けた。そのために彼は船の建造にとりかかった。 当時、リディアの都サルディスにいたギリシャ人の賢者ビアスは、この話を聞いてクロイソス王に面会を求めた。彼はクロイソス王に会うと、次のように話しかけた「王様、ギリシャの島々では、一万頭の馬を集めてサルディスに攻め込もうと企んでいるという話でございます」。これを聞いたクロイソス王は「海の民族がわれわれ陸の民族に対して馬で戦いを挑んでくれるとは、これは有り難い。是非ともそう願いたいものだ」と喜んだ。

(参考)

@賢者ビアス・・・ギリシア七賢の一人。時に7賢人の筆頭として名前を挙げられるほどの俊英であった。プラトンが「プロタゴラス」の中で挙げたギリシアの七賢人(1)アテナイのソロン(2)ミレトスのタレス (3)スパルタのキロン (4)プリエネのビアス (5)リンドスのクレオブロス (6)ミテュレネのピタコス (7)コリントのペリアンデロス

       (二)

そこですかさずビアスは、次のように言った「そうでございましょう、王様のお喜びは当然でございます。ところで、王様は船を仕立てて島々のギリシャ人に戦いを仕掛けようとされているそうでございますが、彼らがこの話を聞けば、王に征服された小アジアのギリシャ人たちの敵討(かたきう)ちをする絶好の機会が訪れると、さぞかし大喜びすることでございましょう」。クロイソス王はこの言葉にいたく感心した。そしてクロイソス王は、陸の民族が海の民族に海戦を仕掛けることの愚さを悟ると、すぐさま船の建造をとり止め、島のギリシャ人たちと友好関係を結ぶことにした。このようにして賢者ビアスは、エーゲ海に浮かぶ島々のギリシャ人たちを戦争の災禍から救った。

(参考)

@ヘロドトスの著「歴史」より。

 

(小話607)「イソップ寓話集20/20」の話・・・

      (一)「男と彼のイヌ」

ある男が、田舎の別荘に滞在している時に、嵐にあって足止めをくった。彼は、家族の食卓のために、まず最初に、ヒツジを殺し、次にヤギを殺した。嵐はそれでもおさまらず、つないであった牡ウシも殺すことになった。これを見ていたイヌたちは、みなで会議を開き、そしてこんな風に語り合った。「ここから出て行く時が来たようだ。ご主人様ときたら、大切なウシさへ食べてしまうのだから、我々も無事ですむはずがない」

(身内を粗末にする者は信用されない)

      (二)「神像を運ぶロバ」

あるロバが、有名な神像をお寺に納めるために、町の通りを運んで行った。ロバは、自分が通る道々で、人々がひれ伏すので、鼻高々、有頂天、毛を逆立てると歩くのを拒(こば)んだ。すると馬方は、ロバの背中に嫌というほど鞭を入れてこう言った。「この間抜(まぬけ)め。ロバを拝みに来る者がいるとでも思っているのか」

(他人の名声を自分のものと考えるのは愚かなことだ)

      (三)「二人の旅人と斧」

二人の男が一緒に旅をしていた。一人が道ばたに落ちていた斧(おの)を拾ってこんなことを言った。「この斧は、僕が見つけたんだよ」するともう一方がこう言った。「違うだろ、「僕」ではなく、「僕たち」が見つけたんだろう」 それから、そう行かぬ内に、斧の持ち主が二人を追いかけて来るのが見えた。すると、斧を見つけた方がこう言った。「僕たちは、失った」するとすかさず、もう一方がこんな風に答えた。「違うだろう! 「僕たち」ではなく、「僕」が失った。だろう。最初に君が言ったことに基づくならね」

(危険を共有したのなら、褒美(ほうび)も共有すべきである)

 

(小話606)「見山是山、見水是水」の話・・・

        (一)

老僧三十年前いまだ参禅せざるの時、「見山是山、見水是水」(山を見れば是(こ)れ山なり、水を見れば是れ水なり)。後来に至るに及んで、親しく知識に見(まみ)え、この入処有り、「見山不是山、見水不是水」(山を見れば是れ山ならず、水を見れば是れ水ならず)。而今(じこん)この休歇処を得て、前に依り「見山只是山、見水只是水」(山を見ればただ是れ山なり、水を見ればただ是れ水なり)

        (二)

三十年前、わしがまだ禅をはじめる前は、わしは「山を見れば山だと思い、川を見れば川だ、と思った」。それからしばらくして、すぐれた先輩たち(知識)に親しく教えを受け、少し禅の道に入りこんで、そのころは、「山を見ても山ではないと思い、川を見ても川ではない、と思った」。さて、今に到って、少し境地が進み、この休憩所(休んでお茶を飲むところ)までやってきたところで、ずっと昔と同じように「山を見ればただ山だ、とだけ思い、川を見てはただ川だ、とだけ思うようになったのじゃ」。

(参考)

@見山是山、見水是水(道を求める前、山は山であり、川は川であった)。見山不是山、見水不是水(道に入ると、山は山でなくなり、川は川でなくなった)。見山祇是山、見水祇是水(道を得ると、山はやはり山であり、川はやはり川であった)。 

 

(小話605)「いくつかの運命の女神」の話・・・

        (一) 

民話より。スウェーデンはエスターラントに一人の領主がいた。彼は大金持ちだったが、息子がいなかった。やがて念願の息子が生まれたので、領主はあらゆる予言者を招いて息子の人生を占わせた。予言者たちは領主に言った「お子さんは成人する日に、雷に打たれて死ぬでしょう」。領主は驚き、たとえ雷が落ちようとも打ち砕かれないほど頑丈な地下室を作らせた。息子が成人した日、巨大な雷雲が空に湧き起こった。領主は息子に翌日まで地下室に入っているように命じた。しかし息子は「死ぬように定められているなら、この場所で死にたい」と言って、地下室に入らなかった。突如として雷雨になり、雷が地下室に落ちて全てを打ち壊した。だが、地下室に入らなかった息子は無傷だった。このように、神に守られている者は決して被害を受けないのであった。

        (二)

民話より。運命の女神たちがマルチンという名の男の子の運命をこう定めた「この子は十二歳になると、すぐに縛り首になるだろう」。十年後に父親は息子を世間に送り出し、決して誰とも付き合うなと忠告した。悪い友達が息子を絞首台に送り出すかもしれないと思ったからである。けれども、少年は少し行ったところで乞食に名を呼ばれ、友達になった。二人は一緒にある町に行き、そこの有力者に自分たちは優れた画家だと吹聴した。「お前たちがそれほど優れた画家だというならば、私が夢に見た素晴らしい光景を絵に描くがよい。それが出来れば報酬は弾むぞ」。少年は困り果てたが、乞食は本当に素晴らしい絵を描いて沢山の報酬を得た。そうこうするうち、少年の十二歳の誕生日が近づいた。乞食は少年を教会に連れて行くと、祈るようにと命じた。その時、突然三人の魔女が絞首台を持って現れた。乞食は少年の身代わりに縛り首になった。魔女が去ると、死んだ乞食は打ち明けた「マルチンよ、実は私はお前の守護天使なのだ。今、悪い運命は成就され、お前は助かった。さぁ、両親の家に帰りなさい」。乞食は姿を消し、マルチンは故郷に帰って自分の体験を人々に語った。

        (三)

民話より。一人娘を持つギリシアの王妃に息子が生まれた。生後三日目の夜、三人の運命の女神が現れた。一人娘の姉は近くに横になっていて、女神たちの話を聞いた。一人の女神が言う「この子は三歳で火に焼かれるだろう」。もう一人は言う「この子は七歳で岩から落ちるだろう」。ところが三番目の女神は言う「いや!この子は焼かれたり岩から落ちたりせず、二十二歳で結婚して若い妻と初夜の床に就いたとき、小屋根から落ちてきた蛇に噛まれるだろう」。姉はこの予言をちゃんと覚えていて、常に注意を払っていたので、三つの定め全てから弟を守り通すことが出来た。

        (四)

民話より。あるジプシーの老婆が、子供の誕生三日目に、三人の運命の女神の予言を聞いた。一人の女神は言う「この子は十歳まで生きて窒息(ちっそく)死するだろう」。二人目の女神は言う「この子は十五歳まで生きて自殺するだろう」。すると三番目の女神が言う「この子は二十歳になると、遠い国の娘と結婚するだろう。花嫁を故郷に連れて帰る途中、青年は休憩して長靴を脱ぐだろう。すると長靴の中に蛇が入り込み、再び靴を履いた途端に蛇に噛まれて死ぬだろう」。老婆は若者の側にいて、定められた時が来ると蛇を捕らえ、家に持ち帰って焼き殺した。こうして花婿を死の定めから救ったのだ。

(参考)

@三番目の女神・・・三人の運命の女神の予言では、大抵は最初の二つの予言は無効になるものであるという。

 

(小話604)「白鳥に変身した大神ゼウスとスパルタの美しい王妃レダ。そして、その子供で双子の兄弟(カストルとポリュデウケス)と絶世の美女ヘレネ」の話・・・

       (一)

ギリシャ神話より。スパルタ王テュンダレオスの妃(きさき)であるレダは非常に美しい女性であった。ある時、神々の王ゼウスの心は、この美しい女性に魅せられた。そこでゼウスは考えた「何とかしてレダと抱き合いたい」と。王妃レダの趣味は沐浴(もくよく)であった。これが大神ゼウスにとっては好都合であった。いつものように夏の暑い昼下がりに、緑の深い森の泉でレダは衣服をすべて脱ぎ去り、沐浴していた。そして、近くには白鳥が何匹も静かに泳いでいた。その中でひときわレダの心を引いた一匹の気品のある美しい白鳥がいた「素敵な白鳥ね。さあ、こちらにいらっしゃい」。レダは思わず自分の元にその白鳥を招いた。白鳥は喜んで近寄ってきた。そして、レダはその白鳥と口づけをした。また白鳥の羽は優しく、レダの豊満な胸や背中、そして、脚、首筋を愛撫した。サラサラ、サラサラと小さな羽音だけが辺りに広がった。レダは白鳥を静かに抱いた。羽音とともにレダの喘ぎ声も小さく洩れ始めた。レダには静かに官能が押し寄せた。そして、ふと気が付いたときには、レダはその白鳥と交わっていた。この白鳥はゼウスであった。大神ゼウスは白鳥に変身して、王妃レダが沐浴(もくよく)する泉で待っていたのだった。こうして、白鳥に変身した大神ゼウスと交わった美しい王妃レダは、ゼウスの子種を宿したとは知らず、その夜、夫のテュンダレオス王と交わった。そのためレダは十月十日後に二つの白鳥の卵を生んだ。産み落とした大きな卵は、薄青い色をしていて、その卵の一つからは、馬術の達人カストル(父はテュンダレオス王)と拳闘の名手で不死身のポリュデウケス(父は大神ゼウス)という双子の兄弟、もう一つの卵からは、トロイヤ戦争で、ギリシア側の総大将を努めたアガメムノンの妻となるクリュタイムネストラ(父はテュンダレオス王)とトロイア戦争の原因を作った絶世の美女ヘレネ(父は大神ゼウス)という双子の姉妹が生まれた。

(参考)

@王妃レダ・・・レダはテュンダレオス王の子である娘ティマンドラ、ポイベ、ピュロノエを産んでいる。

Aレダの趣味は沐浴(もくよく)・・・鷹から逃れるために、白鳥の姿のゼウスはレダの腕の中に隠れたという説もある。

B二つの白鳥の卵・・・神々の王ゼウスは「憤りと罪」の女神ネメシスを一目で気に入って、ネメシスと交わろうとしたが、ネメシスはいろいろに姿を変えて逃げた。ネメシスがガチョウに変じたところゼウスは白鳥となってついに交わり、ネメシスは卵を生んだ。この卵を羊飼いが見つけてスパルタの王妃レダに与えたという説もある。

「レダと白鳥」(ティントレット)の絵はこちらへ

いろいろな「レダと白鳥等」の絵等はこちらへ

       (二)

馬術と戦術に優れたカストルと剣術と拳闘(ボクシング)の名手で不死身のポリュデウケスという双子の兄弟は、いつも一緒に戦場を駆けめぐり、大変手柄を立てていた。有名なイオルコスの王子イアソンの金色の羊の毛皮を取りにいった「アルゴー船遠征隊」にも加わり、大嵐で船が転覆しそうになった時に音楽の名人オルフェウスが船べりに立って竪琴を奏で神々に祈ったところ、カストルとポリュデウケスの頭上に大きな星が一つずつ輝き出し、嵐を静める力が与えられた。又、アルゴー船がとある島に停泊したとき、島の傲慢な王アミュコスが拳闘の勝負をしないうちは島から一歩も出てはならぬという命令を出した。そこで、ポリュデウケスは、アミュコス王とボクシングの試合の果て、一撃のもとに殴り倒した。そのほかにも、カリュドンを荒らした猪(いのしし)退治にも参加したし、妹ヘレネがアテナイの王テセウスとその親友ペイリトオスに誘拐されたときも、敵地に乗り込んで救出した。その後、二人は、同じような双子の従兄弟(いとこ)、海神ポセイドンの血を引く怪力の巨人イダスと人間の血を引く千里眼を持つリュンケウスたちと一緒にアルカディアからたくさんの牛を略奪してきた。しかし、その分配のやり方で争いが起こり、4人は入り乱れて戦うことになった。そして、リュンケウスはカストルに殺され、カストルはイダスに殺され、イダスはポリュデウケスに殺されて、ポリュデウケスだけが一人生き残った。兄カストルの死骸を抱いたポリュデウケスは、大神ゼウスに訴えた「兄カストルとは、いつも二人で仲良く戦場におもむきました。生まれた時も一緒なのですから、死ぬ時も一緒にしてもらいたかった。しかし、私は不死身の体で死ぬことが出来ません。何とかして私の不死身の体を解いて貰えないでしょうか」ポリュデウケスの願いは叶えられ、二人は仲良く天に上げられ星座(双子座)になった。

(参考)

@猪(いのしし)退治・・・(小話484)「勇者・メレアグロスの巨大イノシシ退治とその最期」の話・・・を参照。

A「アルゴー船遠征隊」・・・イオルコスの王子イアソンはアルゴー船で、ギリシャ中の名の知れた勇者50余人を乗せて、金羊毛を一緒に取りに行く大冒険物語。

B嵐を静める力・・・その時、二人の頭上に星が現れたので、漁師や航海者達の守護神として 崇められるようになった。

C従兄弟(いとこ)のイダスとリュンケウス・・・二人は叔父の娘たち、ポイベとヒラエイラに一目惚れし、結婚を望んだ。しかし、彼女たちには既にイダス、リュンケウスという夫がいて、幸せに暮らしていた。そんな事はお構いなしにと、二人は彼女たちをスパルタに連れ去ってしまったため争いが生じたという説もある。

Dカストルはイダスに殺され・・・ポリュデウケスはイダスに石を投げられて頭に当たって気絶していたところ、ゼウスは天に救い上げたのち、我が子を傷つけたイダスを稲妻で撃ち殺したという説もある。

E大神ゼウスに訴えた・・・カストルがもう死んでしまうという時、ポリュデウケスはゼウスに祈って自分の不死の命をカストルに半分分け与えてもらった。そこで二人は生きてそれ以降、1日、冥界で過ごしたら1日、地上で暮らすという生活をするようになったという説もある。なお、この二人のことを、「ディオスクロイ(ゼウスの子の意)」とも呼ぶ。

F天に上げられ・・・そして今でも、冬から春にかけて、双子座として仲良くならんで輝いている姿を見ることができる。この近くに母のレダは白鳥座になっている。

       (三)

絶世の美女へレネは、大神ゼウスの娘であるためか、その姿は美と愛の女神アプロディーテに恐ろしいほどよく似ていた。その美しさのために、彼女は少女の頃から多くの男たちを悩ました。彼女が十二歳のときに、アテナイ王テセウスが自分の妻にする目的で彼女を誘拐した。このときは、彼女の兄弟のカストルとポリュデウケスが彼女を救助したので、幸い大きな問題にはならなかった。しかしさらに成長すると、絶世の美女へレネのところにはギリシア中の立派な若者たちが求婚に訪れるようになった。父テュンダレオスの城には、そんな若者たちであふれかえった。その数があまりに多いので、テュンダレオス王は、婚約者に選ばれなかった者たちが争いを起こすのではないかと心配し、なかなか娘の婚約者を決定することができなかった。このとき、へレネの求婚者の中に混じっていた若いオデュッセウスが名案を出した。テュンダレオス王はその意見に従い、へレネの求婚者たちに、誰が婚約者に決まっても残りの者はみんなでその者の生命と権利を守るように誓わせた。そして、へレネはスパル夕王メネラオスの妻になることが決まった。ところが、へレネがスパル夕に移って数年後、そこにトロイア王家の王子パリスがやってきた。彼は女神アプロディーテの援助を受けて、世界一の美女へレネを誘拐しにきたのであった。

(参考)

@アフロディーテ・・・美と愛の女神で、海の泡から生まれたという。又、アフロディーテは、神々の王・ゼウスとティタン神族の娘ディオネの子という説もある。(小話469)「美と愛の女神・アフロディーテの誕生とその恋の遍歴」の話・・・

Aアテナイ王テセウス・・・テセウスとその親友ペイリトオスは2人でお互いにゼウスの娘と結婚する協定を結び、50歳になったテセウスは12歳のスパルタのヘレネを、ペイリトオスは冥府の女王ペルセポネを選んだ。ヘレネは首尾よく誘拐に成功したのだが、冥府に訪れた2人はまんまと冥王ハデスに捕まってしまう。テセウスが冥府で捕まっている間に、ヘレネの兄カストルとポリュデウケスがアテナイを征服してヘレネを無事奪回した。

Bオデュッセウス・・・後にトロイア戦争で知勇兼備の名将として活躍し、木馬の奇計によりギリシア軍を勝利に導いてギリシアの英雄となった。

C美女へレネを誘拐・・・こうしてトロイア戦争の原因を作ることになった。

「ヘレン」(ラトゥール)の絵はこちらへ