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(小話477)「十番目のムーサ(詩神)と言われた美しき女流詩人・サッフォー」の話・・・

      (一)

サッフォー(サッポー)は、紀元前612年ごろから紀元前570年ごろに生きた古代ギリシア最大の女流詩人。彼女の時代には、音楽やダンスと共に詩が詠(うた)われるのが一般的であった。サッフォーは、素晴らしいリラ(竪琴)の演奏者で、詩のスタイルは簡明で率直なものであった。彼女は、エーゲ海北東部のレスボス島のエレソスという都市国家で良家の娘として生まれた。だが、政争に巻き込まれて幼少期をシチリアで過ごした。成人すると貿易商のケルキュラスという裕福な男性と結婚し、娘のクレイスを生んだ。サッフォーの夫は富裕で、かつ政治的な活動を好んで行った。そのためサッフォーは夫と共に各地を頻繁に旅行をして回った。また、サッフォーは夫の死後、ある種の宗教的な学校を作り、彼女の名声に引かれてギリシア各地から集まってきた貴族や上流階層の未婚の娘たちを生徒として、文芸を始めとする教育を行った。サッフォーの詩のうち大部分は、その生徒のために書かれたものであった。サッフォーは情熱的で、生徒の少女たちと恋に落ち、それを詩という形で公言し、狂おしいような愛の詩をたくさん残しながら、最後には同郷のファロン(フォオン)という美少年と恋をして、その失恋の悲しみに耐えられず、断崖から身を投げたといわれている。死後、ギリシア最大の女流詩人としてシチリア島のシュラクサイには、その記念として彫像が立てられた。またギリシャの哲学者プラトンはサッフォーの詩を高く評価して、サッフォーを「十番目のムーサ(ミューズ)」とも呼んだという。

(参考)

@ムーサ(ミューズ)・・・ギリシャ神話に出てくる九人の詩歌の女神たち。詩人たちの守護者で、九人の女神は(1)クレイオ---讃える女。歴史の記述(2)エウテルペ---喜ぶ女。笛を吹く(3) タレイア---華やかな女。喜劇 (4)メルポメネ---歌う女。挽歌と悲劇(5)テルプシコラ---踊りを楽しむ女。竪琴 (6)エラト---憧れを呼ぶ女。舞踏(7)ポリュムニア---賛歌を沢山持つ女。物語 (8)ウラニア---天の女。天文学(9)カリオペ---美しい声の女。英雄叙事詩。を言う。

Aサッフォーの詩を高く評価・・・サッフォーは同時代の人々から、ホメロス(紀元前八世紀後半頃のギリシャの詩人=「イリアス」「オデュッセイア」の作者)よりも優れていると言われた。

      (二)

サッフォーの詩は恋愛を扱ったものが多く、相手はたいてい若い乙女にむけられたものであった。

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「女心はいともたわめやすいもの、それはいまのわたしの心に、はるか彼方の地にいるアナクトリアーを想い起こさせる。ああ、あの娘の愛らしい歩き振りやあの顔のはれやかな耀(かがや)きをこの目で見たいもの、リューディア人の戦車や、さては美々しく身を鎧(よろ)うた戦士らなどよりも」

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---金冠をかぶったミューズ」---

「金の冠をかぶったミューズよ

調べを奏でよ

かつてやさしく汝が歌った歌を

キプロスの女神よ、来よ

そして金の器に

喜びの美酒を注げ

汝と汝の僕である「愛」のために

 

麗しき腕の美の女神よ、来よ

美しき声の乙女たちよ、来よ

羽のような軽やかな足で

祭壇の前で踊りを踊れ

滑らかな芽生えたばかりの芝の上で

 

ここにすぐ、女神よ、ここに来よ! 」

(参考)

@サッフォー・・・彼女の生涯についての最大の資料は彼女のつくった叙情詩で、今はその多くが失われている。サッフォーの多くの詩は恋の情熱、それもとくに若い乙女にむけられたもので、感情を赤裸々に歌い上げていた。恋愛詩人としてのサッポーは古代ローマ時代にもよく知られ、オウィディウス(帝政ローマ初期の詩人)は「いまやサッフォーの名はあらゆる国々に知られている」と述べている。彼女の崇拝者は古代世界に多かったが、キリスト教の支配する古代末から中世初期に彼女の業績の多くが失われ、レスボスの女(レスビアン)の悪名が今日まで残った。女性同性愛者を呼ぶ一般的な呼称である「レスビアン」もサッフォーがレスボス島(現在でもエーゲ海にある)出身であることに由来するという。又、薔薇(ばら)を「花の女王」と謳い上げたのは、サッフォーであったという。

A女流詩人・・・サッフォーの作品には五脚からなる四行詩が多く、この形式は「サッフォー(サッポー)詩体」といわれている。古来サッフォーの作としては(1)アフロディテの賛歌(2)私はお前をかつて愛した、アティス、ずっと昔に(3)夕暮れの歌(4)顔と顔を見合わせて、友よ(5)月は沈んだ(6)神々の面のようなあなた(7)夢で私は話した(8)結婚式の歌(9)金冠をかぶったミューズ。等がある。

B失恋の悲しみ・・・サッフォーは、同郷の美少年フォオンへの恋が成就しないのを悲しんで、断崖から海中に身を投じたことになっている。だが、身投げの話は古代の喜劇作家がこしらえた伝説であるという。

「サッフォーの頭部の像」(ローマ国立美術館所蔵)の像はこちらへ

「サッフォー」(ナポリ考古学博物館)のフレスコ画はこちらへ

「サッポー」の絵はこちらへ

「サッポー」の絵はこちらへ

「サッフォーとアルカイオス(紀元前7世紀ギリシャ詩人)」(ローレンス・アルマ=タデマ)の絵はこちらへ

「岩の上のサッフォー」 (モロー)の絵はこちらへ

「岩の上のサッフォー」 (モロー)の絵はこちらへ

「淵に落ちていくサッフォー (モロー)の絵はこちらへ

「サッフォーの死」 (モロー)の絵はこちらへ

「床につくサッフォー」(シャルル・グレール)の絵はこちらへ

「レフカス島のサッフォー」(アントワーヌ=ジャン・グロ)の絵はこちらへ

「レスビア(サッフォー)とスズメ」(エドワード・ジョン・ポインタの絵はこちらへ

「サッフォーとファーオーン(ファロン)」(ダヴィット)の絵はこちらへ

「サッポー」(ゴットワード)の絵はこちらへ

「サッポー」(ゴットワード)の絵はこちらへ

「ミュティレネ園のサッフォーとエリンナ」(シメオン・ソロモン)の絵はこちらへ

「サッフォー(習作)」(Simeon Solomon)の絵はこちらへ

「サッフォー」(マンジャン)の絵はこちらへ

「崖に座るサッフォー」(レウカディアン)の絵はこちらへ

「サッフォー」(シャセリオー)の絵はこちらへ

 

(小話476)「絵姿女房」の話・・・

    (一)

民話より。昔むかし、ある村に権兵衛という男がいた。もう年は三十を過ぎ四十にもなっていたが、誰も嫁にくる者はいなかった。ところがある晩のこと、とてもきれいな女の人が来て「どうか今晩ひと晩泊めてください」と頼んだ。権兵衛は驚いたけれど、喜んで泊めることにした。すると、夜になってからその女の人が「お前さまは一人もんのようだし、わたしも一人もんです。わたしを嫁してください」と頼んだ。権兵衛は喜んでその女の人を嫁にした。ところが、権兵衛はその嫁が気にいって気にいって困ってしまった。草履(ぞうり)を作るにも嫁の顔ばかり見ているものだから、五尺(150センチ)も六尺もあるものを作って履けなくなるし、蓑(みの)を作るにも嫁の顔ばかり見ているもんだから、一丈(約3メートル)も二丈もあるのをこしらえて着られなくなってしまった。そのうち権兵衛は、畑に仕事に行っても、家にいる嫁のことが気になって、一畝(うね)打っては「嫁にあいたいなあ」と、家へ走って嫁の顔を見ては、また畑へ行って一畝(うね)打っては「嫁にあいたいなあ」と、家へ走って行っては嫁の顔を見るといった具合で、仕事も出来なかった。そこで嫁は町へ行って絵かきに自分の絵姿をかいてもらった。そして権兵衛に「これはわたしと同じです。畑の桑の木の枝にでも止めておいて、これを見い見い仕事してください」と、畑へ持たせてやった。権兵衛はそれから毎日、その絵を見て畑仕事をしていたが、ある時、大風が吹いて、その絵姿が天に舞いあがってしまった。

    (二)

権兵衛は泣く泣く家に帰って来て、そのわけを嫁に話した。「そんなことで心配しないで下さい。また描(か)いてもらいますから」と嫁は権兵衛をなぐさめた。嫁の美しい絵姿はひらひら天上に舞い上って、落ちたところが殿さまのお庭であった。殿さまが見るときれいな女の人の絵だったので、嫁にほしくなって、家来たちに「この絵があるからには、この人がいるに違いない。どうしても探しだしてこい」と言いつけた。家来はその絵を持って「これと同じ女は知らないかね」と、そこら中を歩いているうちに、とうとう権兵衛の村へ来た。そして「これと同じ女は知らないかね」と訊くと、村の者が「ああ、それと同じ女の人ならば、権兵衛のところいます」と言うので、家来は権兵衛のところに行ってみた。すると、絵とほんとに同じ女の人がいた。そこで家来たちは「殿様のいいつけだ。この女をつれていく」と、むりやり連れて行こうとした。権兵衛は「かんべんしてくれ、かんべんしてくれ」とあやまったが、とうとう連れて行かれた。権兵衛が切ながって泣くと、嫁も泣く泣く、権兵衛に「あのね、仕方がないから、わたしは行くが、お前さんは歳(とし)の夜(大晦日=おおみそか)になったら殿さまのお城の前に門松を売りに来て下さい。そしたらきっと逢えるようになるから」と言い残して行ってしまった。

    (三)

やがて大晦日の夜がやって来た。権兵衛は元気よく門松をいっぱい持ったり背負(せお)ったりして、お城の前に行った。そして大きな声を出して「門松(かどまつ)やあ、門松やあ」とふれまわった。その声がお城の中に届くと、今までちょっとも笑ったことのない権兵衛の嫁が、にこにこ笑った。殿様は大喜びして「その門松屋を呼んでこい」と家来たちに言いつけた。権兵衛が呼ばれてくると権兵衛の嫁がもっとにこにこ笑ったので、殿様もたいそう嬉しくなった。「そんなに門松屋が好きなら、俺が門松屋になったらどんなに喜ぶだろう」と、権兵衛に自分の殿様の着物を着せ、自分は汚い権兵衛の着物を着て、門松をかついで「門松やあ、門松やあ」とふれてみた。そうすると権兵衛の嫁は今までよりもっと楽しそうに、にこにこと笑った。殿様はますます喜んで門から外に出て「門松や、門松や」と呼びながらまわって歩いた。すると、権兵衛の嫁は家来たちに言いつけて鉄の門をしっかり閉めてしまった。殿様はしばらく経って帰ってみると、城の鉄の門が閉まっているのでびっくりした。「殿様は外にいるぞ、殿様はここにいるぞ」と言って門を叩いたが、誰も門を開けてくれなかった。お城の中では、嫁と権兵衛が沢山の家来を従えて、一生安楽に暮したという。

 

(小話475)「口に出さなかった約束」の話・・・

           *******

中国の「史記」にある話。呉(ご)の季札(きさつ)は、呉の王の末の息子だった。当時、呉は南方の後進国だった。季札は国の代表として、中央の国の晋(しん)に行った。途中、徐(じょ)の国を通過した。徐の国の王は、季札が帯びていた宝剣を見てとても気に入ったが、遠慮して、あえてそれを欲しいとは言わなかった。季札も、徐の王の顔色からその気持ちを察したが、自分はこれから大任を果たすべき身で、これから行く晋は礼儀の国であり、威儀を正すためには手放せなかった。そこで、あえて自分の宝剣を徐の王に献上しなかった。その後、季札は大任を果たして呉に帰国する途中、ふたたび徐の国を通過した。徐の王は、すでに亡くなっていた。季札は徐の王の墓に参詣(さんけい)し、自分の宝剣を墓の前に置いて立ち去った。季札の従者がたずねた「徐の王は、もうお亡くなりです。宝剣をさしあげる必要はないのではないですか」「そうではない。最初、私は自分の心のなかで、任務を果たしたらこの宝剣を徐の王にあげよう、と決めていた。相手が死んでも、私は、自分の心に決めた約束を破りたくはないのだ」

(参考)

「季札挂剣(きさつけいけん)」より。

 

(小話474)「火と鍛冶の神・ヘパイストスの誕生と黄金の椅子」の話・・・

     (一)

ギリシャ神話より。火と鍛冶の神・ヘパイストスは大神・ゼウスと妻ヘラの子供であるが、実際は、夫ゼウスが一人で女神アテナを産んだのに対抗して、ヘラが一人で生んだ子供であった。そのためか、すべて完全で美しい神々の中で、彼だけはあまりにも容姿が醜くく、背も低く足も悪かった。そこで、ヘラは、産み落とした子供をオリンポスの山から海中に投げ捨ててしまった。赤ん坊のヘパイストスは、海の女神ネレイスたちの一人テティスとその娘のエウリュノメに拾われ、その後、九年間を彼女たち(ネレイス)の住む洞窟で過ごすした。この間に鍛冶仕事を習ったヘパイストスは、海の女神ネレイスたちのために、珊瑚(さんご)と真珠の美しい飾りを作ったり、生きた宝石(熱帯魚)を海に泳がせたりした。ある時、ヘパイストスは自分を捨てた母ヘラに復讐しようと思いつき、母親ヘラのために豪華な黄金の椅子(玉座)を造り、贈物として天上に届けた。喜んだヘラが椅子に座ると、鎖が彼女を縛り付けた。どんな神の力でもこの鎖は決して外れず、ヘパイストスが呼ばれることになった。だが、ヘバイストスは来ようとはしなかった。そこで、酒神・ディオニュソスはヘパイストスに酒を飲ませ、酔って気が大きくなったのを見計らって、オリュンポスに帰る決心をさせた。母親ヘラは鍛冶の名人となった息子のヘパイストスに、オリュンポスの山上に鍛冶屋の仕事場を与えた。こうして、火と鍛冶の神・ヘパイストスは、偉大なオリュンポス十二神の一人となった。

(参考)

@ヘパイストス・・・大神・ゼウスと正妻・ヘラの子という説もある。

A夫ゼウスが一人で女神アテナを産んだ・・・ゼウスの頭をヘパイストスがかち割って 愛娘アテナが誕生した((小話487)戦いと知恵の女神・アテナの誕生・・・を参照))には矛盾する。ヘファイストスは足が悪かったが、生まれつきであったという説とゼウスとヘラの夫婦喧嘩の際、彼がヘラの味方をしたため怒ったゼウスが足をつかんで放り投げ、レムノス島に落ちた。そこで、彼はレムノス島の火山やエトナ山を仕事場としたという説がある。

Bテティス・・・ネイレス(海の妖精)の一人。海の女神で、人間の勇士ペレウスと結婚し、勇者アキレウスを生んだ。ある日、ヘラは海の女神テティスのブローチを見ると、誰が作ったものかたずねた。最初は黙っていたテティスだったがつい「あなたが捨てた息子が作った」と言ってしまった。しかし、ヘラは、自分が息子を捨てたことに罪悪感など感じていなかった。息子のヘパイストスに会いに行き、オリュンポス山に連れ戻したという説もある。

C黄金の椅子・・・神々全員に黄金のサンダルを送るとき、ヘラの物にだけ細工をし、それをはいたヘラを転ばせたともいわれている。

D酒神・ディオニュソス・・・酒神・ディオニュソスの前に、ヘラが黄金の椅子に縛りつけられて身動きできなくなったのを見た軍神・アレスは「よし、俺が奴めを引きずってきてこの罠を解かせてやる」と勢い込んで出かけたが、ヘパイストスに猛烈な火炎で迎撃されて這々(ほうほう)の体(てい)で逃げ帰る羽目になったという。

E鍛冶屋の仕事場・・・へパイストスの仕事揚はオリュンポスの山上にあったが、のちの伝説では、アイトナ火山の下にあり、そこで仲間のキュクロプスたちと仕事をしたという。

     (二)

ヘパイストスは火の神、鍛冶の神として、天上の宮殿にある仕事場で、オリュンポスの神々の宮殿を建て、大神ゼウスのためには、支配権の象徴である笏(しゃく)や最強の武器、雷霆(らいてい)、そしてゼウスの盾アイギス(イージスの盾)などを作った。アイギスの盾はのちに、愛娘アテナ女神が身につけるようになった。又、ヘパイストスは、自分の召使として、黄金の少女たちを作った。彼は、仕事のためにいつも真っ黒にすすけた顔をし、片足が悪く、醜いにもかかわらず、世にも美しい女神・アフロディーテを妻に得た。その由来は、ヘラが黄金の椅子に拘束された際、ヘパイストスに鎖を解くよう命じると「私をヘラ様の実の子であると認め、神々の前で紹介してください」と言った。醜さゆえに自分が捨てた子なので認めたくなかったヘラであったが、仕方なく要求に応じた。だが、母を信用しなかったヘパイストスは、ヘラが助かりたい一身から言った言葉と考えて、鎖を解かなかった。そしてさらに「では、私をアフロディーテと結婚させてくれますか?出来ないでしょう」と言った。ところがヘラはあっさりとこれを了承した。驚いたヘパイストスであったが、急いでヘラの鎖を解いて開放した。こうしてヘパイストスは、美と愛の女神・アフロディーテと結婚することになった。

(参考)

@雷霆・・・そのほか海王・ポセイドンには三叉(さんさ)の戟(げき)、冥王・ハデスには姿が消える隠れ兜を作って贈った。そして、人類最初の女性パンドラも作り出した(小話326)「プロメテウスとパンドラ(パンドラの箱)」の話・・・を参照。又、アテナ女神のためにアクロポリスの丘の上に神殿を建てた。それがパルテノン神殿である。

Aヘラを開放した・・・ヘラがアフロディーテと結婚を了承したのは、美しいアフロディーテが醜いヘパイストスとの生活に耐えかねて、浮気する事を見越したヘラの謀略であった。事実、アフロディーテは貞淑な妻ではなかった。(小話283)「美と愛の女神・アフロディーテ(ビーナス)と軍神アレス」の話・・・を参照。

B女神アフロディーテを妻に得た・・・神々の王・ゼウスが、息子のヘパイストスが雷を作ったので、その褒美にアプロディーテを妻に与えたという説もある。

「アイネイアス(ローマ建国の祖)のためにウルカヌス(ヘパイストス)に武器を注文するヴィーナス(アフロディーテ)」(ブーシェ)の絵はこちらへ

「アイネイアスのための武器をヴィーナスに見せるウルカヌス」(ブーシェ)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場のヴィーナス」(ブーシェ)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場のヴィーナスとキューピッド(エロス)」(ルカ)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場のヴィーナスとキューピッド」(ヘームスケルク)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場」(ベラスケス)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場に現れたヴィーナス」(バルトロメウス・スプランヘル)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場を訪れるウェヌス」(ケッセル)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場」の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場」(バッサーノ)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場を訪れたヴィーナ ス」(ダフィットの絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場を訪ねるウェヌス」(ケッセル(1世))の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場」(テントレット)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場」の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場を訪れたアポロン」(ジョルダーノ)の絵はこちらへ

「ウルカヌスの鍛冶場を訪れたヴィーナス」(ダイク)の絵はこちらへ

 

(小話473)「パリスの審判・美と愛の女神・アフロディーテが王子バリスに選んだスパルタの王妃ヘレネ」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。神々の王・ゼウスは、英雄ペレウスと海の精霊テティスの結婚式の時に、争いの神エリスだけをわざと呼ばないでおいた。そのため、エリスは怒ってしまい「最も美しい女神にあたえる」とヘスペリデスの園からとってきた黄金の林檎(りんご)を饗宴の場に投げ入れた。この林檎をめぐって、ゼウスの正妻である女神ヘラと、知恵の女神アテナ、そして愛と美の女神アフロディーテの三人が譲らなかった。そこでゼウスは、この「最も美しい女神」の判定者を、トロイア(トロイ)の王子パリスに委ねた。その頃、少年パリスは、王子という身分でありながら、イデの山で羊飼いをしていた。というのもパリスの母である王妃ヘカベは、パリスを身ごもっているときに、自分が松明(たいまつ)を生んで、それが町中を燃やし尽くす夢を見たからで、夢占い師にこの夢のことを告げると、彼は「生まれてくる子は国を滅ぼす災いのもとになる」として、殺すことを勧めた。そこで、父親のプリアモス王は家来に、パリスを連行して殺すように命じた。家来はパリスを殺すにしのびず、イデ山に捨てた。捨てられた子は、羊飼いに拾われて、彼からパリスと命名されて育った。

(参考)

@ペレウス・・・プティアの王で、英雄アキレウスの父。

Aテティス・・・ネイレス(海の妖精)の一人。海の女神で、人間の勇士ペレウスと結婚し、勇者アキレウスを生んだ。

B黄金の林檎・・・女神ヘラが大神ゼウスのお妃になったとき、大地の女神ガイアがお祝いにヘスペリデスの花園にある「黄金の林檎の木」を贈った。その黄金のリンゴを食べると不死になるという。

「ペレウスとテティスの婚礼」(ハールレム)の絵はこちらへ

      (二)

一方、美を争う三人の女神は、伝令神・ヘルメスに案内され、それぞれ装いを凝らして少年パリスの前に現れた。しかし女神たちは単に自分の美しさばかりでなく、他の贈り物でパリスの審判を自分の有利にようとした。まずゼウスの正妻であるへラは、自分を選んでくれたら「世界の支配権」(広大な領土)を彼に与えると約束した。知恵の女神アテナはあらゆる「戦いにおける勝利」(輝かしい戦勝)とそれにふさわしい叡智を。そして、愛と美の女神アフロディーテは、世界中で「最も美しい女」(人間界における最高の美女)を彼に与えると約束した。そこで年若なパリスは、富や権力や名誉よりも、この美と愛の贈り物を選んだのであった。その世界一の美女というのは、ゼウスとレダの娘であり、スパルタの王妃であったヘレネであった。パリスはアフロディーテの導きによってスパルタへ赴き、王妃ヘレネの心を掴むと、夫であるスパルタの王メネラオスがクレテ島へ出かけていた留守の間に、王妃ヘレネを連れて船で出奔した。この事態に、メネラオス王は激怒して、かつてのヘレネの求婚者であった他のギリシア諸国の王たちと連合し、ヘレネ奪還のための一大遠征軍が編成された。こうしてトロイアとギリシアの戦争は十年にわたって続き、最後はギリシアの勝利とトロイアの滅亡で終止符が打たれた。

(参考)

@この物語を本当の歴史的事件と信じ、見事トロイアの遺跡を発掘したシュリーマンがいなければ、トロイアの戦争は人々が長い歳月をかけて紡ぎあげた美しい伝説で終わっていたはずである。(小話***)「トロイヤ(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そしてトロイヤの木馬」の話・・・を参照。


いろいろな「パリスの審判」の絵等はこちらへ

「ヘレネとパリス」(ダヴィッド)の絵はこちらへ

「ヘレネとパリス」の絵はこちらへ

 

(小話472)「美と愛の女神・アフロディーテとトロイア戦争に参加した英雄プロテシラオスとその妻ラオダメイア」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。トロイア(トロイ)戦争に参加した英雄プロテシラオスの妻はアカストスの娘ラオダメイアであった。テッサリアのピュラケの王プロテシラオスは、結婚早々トロイア遠征に加わり、足の速いのが自慢の彼は我先にとトロイアの砂浜に降り立った瞬間、トロイアの王子ヘクトルの槍に撃たれて死んでしまった。実は最初にトロイアに上陸したものは死ぬと言う予言がなされていた。プロテシラオスは結婚式の際、忙しさのあまりアフロディーテに感謝の供え物を捧げることをすっかり忘れて、そのまま帰らぬ人となってしまった。彼の死が故国に報ぜられたとき、妻ラオダメイアの父はやむを得ぬことと諦めて、娘を再び他の男に嫁がせようとした。しかしラオダメイアは断固として拒絶した。これはアフロディーテの仕掛けた愛の呪いで、彼女は死んだ夫に激しい愛情を抱くように仕向けられたのだった。ラオダメイアは夫とそっくりの木像を造らせ、毎日それに話しかけていた。しかし毎晩、彼女の部屋から話し声が聞こえることに不審に思った召使いが、そっと彼女の部屋を覗いてみた。すると、見知らぬ男の影が見えた。それは夫プロテシラオスの姿をした木像に他ならなかったが、暗い部屋で垣間見た召使からすればラオダメイアが男と逢引しているように見えた。当然その話は父アカストスの耳に入った。憤慨した父親は扉を蹴破って娘の部屋に乱入した。驚いたラオダメイアだったが、それにも増して驚いたのは父アカストスであった。「私の夫プロテシラオスよ。私はこの人がいる限り、他の誰とも連れ添う気はないの」ラオダメイアは夫とそっくりの木像を抱いて、泣きながら自分の想いを父親に訴えた。

(参考)

@王子ヘクトルの槍に撃たれて死んでしまった・・・英雄プロテシラオスは王子ヘクトルの弟パリスの弓で死んだとか、名もない兵士の槍に刺されて死んだとかいう説もある。

      (二)

その頃、プロテシラオスは冥府(黄泉の国)でやはりアフロディーテの呪いにより熱い恋に身をよじっていた。そして愛(い)しい妻のもとへ戻りたいと冥界の女王・ペルセポネに訴えた。情の厚い女王は、一時だけ地上に戻ることを許した。プロテシラオスは、神々の伝令神・ヘルメスの案内により、イオルコス城の奥にあるラオダメイアの部屋に入った。そこには夫の木像を抱いて眠っていたラオダメイアがいた。ふと気配に気づいて目が覚めた彼女の前に、死んだはずの夫が立っていた。「生きていたのね。戦争から帰ってきたのね。これからずっと一緒にいられるのね」と生きて凱旋帰国したものだと喜んだ。しかし時間とはつれないもので、あっという間にプロテシラオスが冥府へ戻る時間がやってきた。その時、ラオダメイアは、初めて夫が死んだものだと気づいた。ヘルメスに連れられて戻っていく夫を追いかけながら、彼女には、もはや現実と幻想の区別ができなくなっていた。そして、ラオダメイアは夫と共にありたいという願望から、躊躇せずに剣を自分の胸の奥深く突き刺したのだった。

(参考)

@自分の胸の奥深く突き刺した・・・父親は、ラオダメイアの悲しみを絶つために夫とそっくりの木像を焼いた。するとラオダメイアは、なんの躊躇もなくその火に身を投じて自害したという説もある。

A死んだはずの夫が立っていた・・・夫がトロイ戦争でヘクトルに殺されたことを知ると妻のラオダメイアは「3時間だけ夫と話をさせてください」と神々に願った。願いは聞き入れられ、伝令神ヘルメスがプロテシラオスを連れ戻してきた。再びプロテシラオスが死んだときには、ラオダメイアもいっしょに死んだという説もある。

 

(小話471)「美と愛の女神・アフロディーテの復讐。太陽神・ヘリオスと美しきレウコトエの悲恋」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。美と愛の女神アフロディーテは軍神アレスと自分の情事を密告した太陽神ヘリオスに復讐することにした。アフロディーテは、太陽神・ヘリオスの胸に一人の乙女に対する熱烈な恋心を吹き込んだ。その相手は、絶世の美女の誉(ほま)れ高いバビュロン王オルカムスと王妃エウリュノメの娘レウコトエであった。ふと見かけた彼女の美しさに夢中になってしまった太陽神ヘリオスは、美しいレウコトエを早く見たいばかりに時間より前に、東の空に昇ってしまったり、レウコトエに見とれていて西の空に沈むのが遅れてしまったこともあった。時には日蝕(にっしょく)をおこして、心の曇りを光であらわし人々をおびえさせたりもした。これらはみんなヘリオスの熱烈な恋のせいだった。そうしたある日、いても立ってもいられなくなった太陽神ヘリオスは、その日の仕事を終えるやいなやすかさずバビュロンの王宮を訪れた。ヘリオスはレウコトエの母エウリュノメの姿になって、レウコトエの部屋に忍び込んだ。そして、神であるヘリオスが正体を現すと、レウコトエは驚いたがヘリオスの愛を受け入れた。

(参考)

@軍神アレスと自分の情事を密告・・・(小話283)「美と愛の女神・アフロディーテ(ビーナス)と軍神アレス」の話・・・を参照。

Aバビュロン王・・・ペルシャ王オルカモスと王妃エウリュノメとの間にはレウコトエとクリュティエという二人の娘がいたという説もある。

      (二)

それまで太陽神ヘリオスに愛されていたのは、水の妖精である恋人のクリュティエであった。だが、太陽神ヘリオスが美しい王女レウコトエに夢中になっていると聞いたクリュティエは、胸も張り裂けんばかりの嫉妬に狂った。そこで、クリュティエは、王女レウコトエの情事をあちこちに言いふらし、彼女の父王にも告げ口をした。厳格で気性の荒い王は、哀願する娘レウコトエを無情にも深い穴に埋め、その上に重い砂の山をかぶせてしまった。そのことを知ったヘリオスは、光で砂に穴をあけたが、既にレウコトエは死んでいた。ヘリオスは嘆き悲しみ、レウコトエの亡骸(なきがら)に神酒を注いだ。すると、レウコトエの身体は溶けて消え失せ、その土から、香り高い乳香樹(にゅうこうじゅ)が生えてきたという。一方、見事に恋敵を葬り去ったクリュティエだったが、すぐに、レウコトエを中傷した犯人であることがヘリオスに知られてしまい、以後、完全に寵愛を失ってしまった。クリュティエは、届かぬ恋の思いにすっかりやつれ、九日間、空の下、夜も昼も地面に座り込んだまま何も食べずに、雨露と自分の流す涙で飢えをいやしていた。やせ細ったクリュティエは、ただ空を仰ぎ、そこを通る太陽神ヘリオスの顔を見つめて、そちらへ自分の顔を向けるだけになってしまった。そして、とうとう最後には、身体が土にくっついて血の失せた草木に変わってしまった。それがヒマワリで、今も、ヒマワリの花が、朝から夕暮れまで太陽を追っているのは、姿を変えたクリュティエの愛が残っているからだという。

(参考)

「アポロ(アポロン)とレウコトエ」(ボワゾ)の絵はこちらへ

アポロンとヘリオスは共に太陽神のため混同?

「ヒマワリに変身するクリュティエ」(ラ・フォス)の絵はこちらへ

「クリュティエ」(レイトン)の絵はこちらへ

 

(小話470)「美と愛の女神・アフロディーテとシシリアの羊飼いダプニス」の話・・・

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ギリシャ神話より。シシリアの羊飼いダプニスは、神々の伝令神・ヘルメスとシチリア島のニンフ(妖精)との間に生まれた美しい青年だった。ニンフや神々からも大変愛されていた。ところが彼は、自分の美貌におごり高ぶり、思いをよせるニンフたちを鼻であしらっていた。そんな彼も、一度は美と愛の女神・アフロディーテの計(はか)らいでニンフの美しいエケナイスを愛したが、もともと傲慢なダプニスは間もなくエケナイスを捨ててしまった。ダプニスの仕打ちに女神アフロディーテは怒って、彼を盲目にしてしまった。盲目にされたダプニスは我が身の不幸を嘆き悲しみ、アナポス河に見を投じた。そんな美しく傲慢だったダプニスだったが、ニンフだけでなく、牧神パンや野山の獣達にも慕われていて、神々、獣や大地までもが彼の死を悲しんだ。そして大地がダプニスの死を惜しんで贈ったのがアザミで、アザミの花には、悲しみのしるしの棘(とげ)がついてしまったという。

(参考)

@盲目にしてしまった・・・あるニンフ(妖精)と永遠の愛を誓いながら約束を破ったので盲目になったとか、美しいメナルカスの愛人だったがあるニンフに想いが伝わらなく失望して崖から身を投げて死亡したとかの説もある。

A牧神パン・・・神々の使者ヘルメスとニンフ(妖精)の間に生まれた牧人と牧畜の神。上半身は人間で、下半身は山羊の陽気な神で、酒、踊り、音楽を愛し、ニンフたちの踊りにあわせてアシ笛を巧みに吹き鳴らす音楽家である。又、アポロンに予言の術を教えたといわれ、慌て者で人間に恐慌を起こさせるので、これがパニックの語源となった。

「笛の演奏を羊飼いダフニスに教えるパンの彫像」(紀元前100年頃。ポンペイにて発見)の彫像はこちらへ

 

(小話469)「美と愛の女神・アフロディーテの誕生とその恋の遍歴」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。女神ガイア(大地の母神)は息子のウラノス(天の神)とまじわって、多くの神々を生んだ。オケアノス(大洋の神)から末っ子のクロノスまで十二神(ティタン族と呼ぶ)である。さらに女神ガイアは、ウラノス(天の神)とまじわって、三人のキュクロプスとあだ名される恐ろしい怪物の息子たちと三人のヘカトンケイルという不気味な姿の息子たちを生んだ。だが、天の神・ウラノスは実の子でありながら、キュクロプスたちとヘカトンケイルたちを最初から憎み、生まれると同時にみな大地の奥底、タルタロス(地獄)に隠してしまった。怒ったのは妻であり母親であるガイア(大地)であった。金剛の大鎌を用意するとウラノスへの復讐を我が子の十二神のティタンたちに訴えた。敢然と一人これに応(こた)えたのが末っ子のクロノスで、大地ガイアはクロノスを待ち伏せの場所に隠して、大鎌を手渡した。そして天の神・ウラノスがガイアとの交わりを求めておおいかぶさってきたとき、息子クロノスは、すばやく父の男根を切り取り背後の海に投げ捨てた。流れる血潮を大地が浴びて生まれたのが、復讐の女神(エリニュスたち)と巨人(ギガス)たちであった。ウラノスの男根は、海を漂(ただよ)っているうちに白い泡(あわ)へと変わり、その中からとても可愛いい女の子が生まれた。波間をゆらゆらと漂いながら女の子は乙女へと成長していき、ついには地中海の東の端のキプロス島に流れ着いた。その瞬間、島は美しい花に覆われ、甘くかぐわしい香りが風に乗った。こうして、後(のち)に偉大なオリュンポス十二神の一人に迎えられる、世にも輝かしい美と愛の女神が誕生した。その名は海の泡から生まれた女神ということで、アフロディーテ(「泡から生まれた」という意味)と呼ばれるようになった。

(参考)

@キュクロプス・・・円い目=額の真ん中に円い目が一つついている巨神たち。

Aヘカトンケイル・・・百の手=肩からは百の腕が伸び、五十の首が生えている巨神たち。

B大地の奥底、タルタロス(地獄)・・・妻の女神ガイア(大地の母神)の腹の中にある。

C復讐の女神・・・三人(アレクト、ティボネ、メガイラ)の復讐の女神。特に、親殺しなどの血縁間の殺人の罪をきびしく追及し、罪人を執拗に追って苦しめ狂気にいたらせる。頭髪は蛇で、翼があり、黒い服を身に纏い、手には鞭(むち)と松明(たいまつ)を持つ。

Dアフロディーテ・・・アフロディーテは、神々の王・ゼウスとティタン神族の娘ディオネの子という説もある。

E美と愛の女神・・・神々は、バラの花を創造し、美の神である彼女の誕生を祝ったという。(小話283)「美と愛の女神・アフロディーテ(ビーナス)と軍神アレス」の話・・・を参照。

「ヴィーナス(アフロディーテ)の誕生」(カバネル)の絵はこちらへ

「ヴィーナス(アフロディーテ)の誕生」(ポッティチェリ)絵はこちらへ

「ヴィーナス(アフロディーテ)の誕生」(ブーグロー)の絵はこちらへ

「ヴィーナス(アフロディーテ)の誕生」(アンリ・ピエール・ピクー)の絵はこちらへ

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「ヴィーナス(アフロディーテ)の誕生」(アングル)の絵はこちらへ

「ヴィーナス(アフロディーテ)の誕生」(アンリ・ピエール・ピクー)の絵はこちらへ

「ヴィーナス(アフロディーテ)の誕生」(デュヴァル)の絵はこちらへ

いろいろなアフロディーテ(ビーナス)の絵等はこちらへ

(1)「ミロのヴィーナス」(メロス島 彫像 大理石)(ルーヴル美術館)はこちらへ***(2)「ビーナスの風呂」(グレーズ)の絵はこちらへ***(3)「眠れるヴィーナス」(ジョルジョーネ)の絵はこちらへ***(4)「海から上がるヴィーナス」(ティツィアーノ)の絵はこちらへ***(5)「海から上がるヴィーナス」(シャセリオー)の絵はこちらへ***(6)「ヴィーナス」(ロレンツォ・ディ・クレーディ)の絵はこちらへ***(7)「ウルビーノのヴィーナス」(ティツィアーノ)の絵はこちらへ***(8)「ヴィーナスとキューピッド」(ヤコポ・カルッチ)の絵はこちらへ***(9)「ヴィーナスとサテュロス、小サテュロス、プットー」(アンニバレ・カラッチ)の絵はこちらへ***(10) 「ヴィーナス、キューピッドと二人のサテュロス」(ペテルザーノ)の絵はこちらへ***(11) 「ヴィーナスとキューピッド」(カラッチ)の絵はこちらへ***(12) 「蜂に刺されたエロスを慰めるヴィーナス」(ベンジャミン・ウエスト)の絵はこちらへ***(13) 「ヴィーナスとマルス」(ボッティチェッリ)の絵はこちらへ***(14)「鏡を見るヴィーナス」(ティツィアーノ)の絵はこちらへ***(15)「鏡を見るヴィーナス」(ルーベンス)の絵はこちらへ***(16)「鏡を見るヴィーナス」(ベラスケス)の絵はこちらへ***(17)「ヴィーナスと三美神に武器を取り上げられるマルス」(ダヴィッド)の絵はこちらへ***(18)「キューピッドの翼を切るヴィーナス」(カミーユ・コロー)の絵はこちらへ***(19)「キューピッドとヴィーナス」(ディアズ)の絵はこちらへ***(20)「ヴィーナスの勝利」(ブロンズィーノ)の絵はこちらへ***(21)「ヴィーナス」(ブグロー)の絵はこちらへ***(22)「ヴィーナス,マルス,キューピッド」(ヴァザーリ)の絵はこちらへ***(23) 「髪を縛るビーナス」( ガドワード)の絵はこちらへ***(24) 「ヴィーナスとオルガン奏者」(ティツィアーノ)の絵はこちらへ***(25) 「ヴィーナスとキューピットとウルカヌス」(ティントレット)の絵はこちらへ***(26) 「ヴィーナスとメルクリウスとキューピッド(愛の学校)」(プーサン)の絵はこちらへ***(27) 「ヴィーナスとキューピッド」(ルーカス・クラナハ)の絵はこちらへ***(28) 「ヴィーナスとキューピッド」(ルーカス・クラナハ)の絵はこちらへ***(29) 「ヴィーナス」(クラナハ)の絵はこちらへ***(30) 「ヴィーナスと蜜を盗むキューピット」(クラナハ)の絵はこちらへ***(31) 「ヴィーナスと蜂の巣をもつキューピッド」(クラナハ)の絵はこちらへ

      (二)

神々の世界で、一番の美女アフロディーテは、神々の内で一番の醜男ヘパイストスと結婚した。全知全能の神々の王・ゼウスは、背が低く、足も悪く、とても醜いが、温和な発明の大天才、火と鍛治の神・ヘパイストスに雷霆(らいてい)を始め数々の発明品の褒美(ほうび)として、美と愛の女神・アプロディテを妻に与えた。そして、その結婚祝いに、大神ゼウスは誰でも虜(とりこ)にしてしまう魔法の腰帯を花嫁アフロディーテに贈った。しかし、アフロディーテは恋と愛欲の神だったため、たくさんの神や人間と恋をした。彼女の仕事は欲望をかきたてることで、恋が職業であった。その上、彼女は、愛の神・エロス(軍神アレスとの間の息子)を引き連れて、エロスに神々や人間たちに対して目に見えない金の矢(恋心を抱かせる)や鉛の矢(嫌悪の心を抱かせる)を射させて多くの悲喜劇を生んだ。こうした多情で奔放な美と愛の女神である妻のアフロディーテを、火と鍛治の神である温和な夫ヘパイストスはいつも黙って許していた。

(参考)

@魔法の腰帯・・・神々と人間の心を支配する腰帯で、アフロディーテは、愛と美の女神として崇拝されたが、その美しい魅力の源は腰帯にあった。ヘラ女神でさえ、夫ゼウスを魅惑するために、この腰帯を借りたという。

「ウルカヌス(ヘパイストス)の鍛冶場のウェヌス(アフロディーテ)」(スプランゲル)の絵はこちらへ

      (三)

結婚はしたものの愛と美の女神アフロディーテは、軍神・アレスの美しく野性的な外見とその粗暴さに魅力を感じた。そこで、アフロディーテは、結婚祝にゼウスに貰った魔法の帯をちらつかせて、彼を虜にし深い仲になった。妻を寝取られているとは知らない夫ヘパイストスに太陽神・ヘリオスが、アプロディテの浮気をこっそりと教えた。妻を愛していた温和なヘパイストスも、このときばかりは怒った。何しろアレスは、実の弟である。そこで透明で頑丈な網を作り、それを寝室にしかけておいた。アフロディーテは夫が出かけると、すぐにアレスを呼び寄せた。そして、二人がベットに倒れこんだとき透明な網が絡(から)みついた。もがけばもがくほど網は体を締め付け、アレスとアフロディーテは裸のまま身動きが取れなくなった。ヘパイストスは他の神々を呼び集め、密通した二人をさらし者にした。その後、海王・ポセイドンと神々の伝令神・ヘルメスがへパイトスに取りなし、二人は解放されたが、一時、恥ずかしさのあまりアフロディーテはキュプロス島へ、アレスはトラキアへと逃げ去っていたという。

(参考)

@王・ポセイドンと神々の伝令神・ヘルメス・・・後に、アフロディーテはこの二人とも深い仲になり、何人もの子供を産んだ。

      (四)

小アジアに住むダルダニア人の王アンキセスは、このうえない美男であった。ある日、アンキセスが羊の小屋で昼寝をしていると、愛と美の女神アフロディーテがプリュギアの王女の姿になって、アンキセスに近づいた。こうして二人は、その夜に結ばれた。翌朝、アフロディーテが素性を明かし、一夜を共にしたことを他人に言わないよう約束させた。しかし、その数日後、アンキセスは友人と酒を飲んでいる時に、うっかり愛と美の女神アフロディーテとの一夜を自慢してしまった。それを聞いた大神・ゼウスは、神との約束を破るとは何事かと怒って、アンキセスに雷を放った。アンキセスは、アフロディーテの助けで一命は取りとめたものの、その姿をいちじるしく損ねたので、アフロディーテの気持ちもすっかり醒(さ)めてしまった。二人の間の子はアイネイアスで、彼はトロイヤ(トロイ)戦争でトロイヤ側の一番の英雄ヘクトルに次ぐ活躍を見せ、ローマ建国の祖となった。

(参考)

@アンキセスに雷を放った・・・このときアフロディーテは、アンキセスをかばおうと、魔法の腰帯で稲妻を包み込んだので、アンキセスは一命をとり止めた。が、魔法の腰帯がゼウスの稲妻と共に燃えてしまったために、二人の思いもすっかり冷めてしまったという説もある。

「アエネーアース(アイネイアス)とウェヌス(狩人姿=アフロディーテ)」(コルトーナ)の絵はこちらへ

      (五)

ピグマリオンは、キプロスの才能豊かな彫刻家。アフロディーテが噂を聞き、彼の前に現われてモデルをした。ピグマリオンは傑作を作り上げた。その彫像があまりにも美しかったので、彼は彫像に恋をしてしまった。もし彼女を手に入れられないのなら、崖から飛び降り死んでしまおうと独りごとを言った。アフロディーテがそれを聞き、彼のもとに現われた。彼女はピグマリオンの願いを聞き入れ、彫像に命(いのち)を吹き込んだ。乙女の名前はガラテアであると、アフロディーテが言い残し去っていった。そのため、ピグマリオンはその生涯をかけ、世界中の神殿にアフロディーテの像を作って過ごしたという。アフロディーテは、あるとき、そのピグマリオンの子孫である美しい王子アドニスに恋をした。そして、王子の生命にかかわる不吉な予感から、王子に狩りに出ないように頼んだ。しかし、アドニスは女神の言葉を聞きいれずに、狩りに出かけ、猪に突き殺された。これはアフロディーテの愛人である軍神・アレスが嫉妬して、猪をけしかけたのである。アフロディーテはアドニスの遺骸を探しもとめて森をさまよううちに、茂みの荊(いばら)の棘(とげ)で手を傷つけた。彼女の、地面にしたたる血から、薔薇(ぱら)が生えた。又、アフロディーテ女神は死んだアドニスの血のあとからアネモネの花を咲かせ、その苦悩を大神・ゼウスに訴えて、アドニスは一年のうちのある期間だけ冥界にとどまり、それ以外のときは、天界でアフロディーテの愛を受けられるようにしてもらった。

(参考)

@王子アドニス・・・(小話368)「愛と美の女神・アフロディーテと美少年・アドニス」の話・・・を参照。

「命を与える女神(アフロディーテ)」(バーン=ジョーンズ)絵はこちらへ

「ピグマリオンとイメージ」(バーン=ジョーンズ)絵はこちらへ

「ピグマリオンとガラティア(ガラテア)」(ジェローム)の絵はこちらへ

「ヴィーナスとアドニス」(ルカ・カンビアーゾ)の絵はこちらへ

「ヴィーナスとアドーニス」(ティツィアーノ)の絵はこちらへ

「アドニスの誕生の描かれた楕円皿」(ジャン・ド・クール)の絵はこちらへ

 

(小話468)「滝になった白蛇」の話・・・

     (一)      

伝説より。昔、高尾山中輿の祖である俊源大徳(しゅんげんだいとく)が、修行の出来るような滝はないかと高尾の山々を歩き回っていた頃の話。俊源が北水沢の小さな谷の流れのところに来てみると、地元の猟師が数人で、白蛇を踏みつけて今にも刀で斬り殺そうとしていた。俊源は、その姿を哀(あわ)れに思い「殺生(せっしょう)はいけません。なぜ、そんなことをするのですか」と猟師を止めた。すると一人の猟師が「この白蛇は、俺がこの山で大きな鹿を見つけたので矢を放とうとしたところ、俺の足に噛みついたのさ。おかげで逃してしまった。まったくしゃくにさわる」と答えた。するともう一人の猟師も「俺もこの間、立派な猪(いのしし)を見つけ矢を準備しようとしたところ、いきなり俺の足にからまりついて、おかげで逃してしまった」「俺は雉(きじ)を射ようとしたら、この白蛇が突然、木の枝から飛びかかってきて邪魔をしたのさ」猟師たちは口々に言った「毎回、俺達の猟(りやう)の邪魔をしていたが、やっと捕まえたのでこれから俺達の邪魔が出来ぬように殺してしまうのさ」。

     (二)

これを聞いた俊源は「これはお前様方に殺生をさせまいとしていたのだよ。私は修行の身であり、持ち合わせがこれだけしかないが、全部あげるので助けてくれ」と頼んだ。猟師達は、俊源が差し出したなけなしの金を受け取ると山を下(お)りていった。俊源が助けた白蛇を放してやると、白蛇はたいそう喜び「お礼に私に出来ることをおっしゃってください」と話してきた。びっくりした俊源は「今、修行の霊場となる滝を探しているのです。どこかいい場所は知りませんか」と尋ねた。すると白蛇は「ではどうぞこちらに」と北水沢の谷を上っていった。ついていくと切り立った崖までやってきた。そして、白蛇は俊源を見つめるとあっという間にその崖を上(あが)っていった。岩場を上っていく白蛇はしだいに大きくなって崖の頂上にたどり着いた頃にはその姿が消え、代わりに流れおちる滝となっていた。この滝は「蛇滝」と呼ばれ、高尾の霊場の一つとして、今も熱心な行者達の修業の場所となっているという。

 

(小話467)「海王・ポセイドンと美しい豊穣の女神・デメテル」の話・・・

      (一)    

ギリシャ神話より。ポセイドンは、海の支配者であり、神々の王・ゼウスの兄。大地を揺すぶる者、地下水の支配者、泉の所有者でもあった。海王・ポセイドンの威力の象徴は三叉(さんさ)の戟(ほこ)である。気分屋で、闘争好きな反面、愛情豊かで、親切でもあった。船乗りや漁師たちに恩恵を与える一方で、気が変わると、嵐を起こし、船を難破させたりした。いろいろな生き物を創る才能があり、タコ、フグ、イソギンチャクなどは、海のニンフ(妖精)を喜ばせるために創った。ポセイドンは、海の底に珊瑚と宝石で飾られている素晴らしい宮殿を持っており、そこに美しい妻のアムピトリテと住んでいた。

(参考)

@三叉の戟・・・隻眼の巨人キュクロプスは、大地の母ガイアと天空の神ウラノスの子供たちで、シチリアに住み、鍛冶に長けていて色々な武器を造った。ティタン戦争((小話395)「ティタノマキア(ティタン神族とオリュンポス神族の10年戦争)」の話・・・)の際にゼウスに救われ、その礼としてゼウスには雷(雷霆)、ポセイドンには三叉の戟、ハデスには姿が消える隠れ兜を贈った。

      (二)  

海王・ポセイドンは、以前から、姉であるデメテル女神に思いを寄せていた。姉であるデメテルは、この弟が苦手であった。気分屋の上、強引でしつこい求愛に、デメテルはほとほと困惑した。そこで「贈り物を下さい。陸の生物を作ってください。美しいものじゃないと嫌ですよ」と言ってデメテルは遠まわしに、ポセイドンを遠ざけようとした。ポセイドンがこれまでに作ったものは、海のニンフを驚かせるための、イソギンチャクやイカやタコ。変なものばかりだった。そのためポセイドンには、このデメテルの言葉はきつかった。そこで、ポセイドンはデメテルに、陸の生物として馬を作った。ポセイドンは馬を作るにあたって一週間以上も試行錯誤した。馬が出来るまで、ラクダやロバやキリン、カバなどの失敗作が世に出ることになった。だが、今度の馬はすばらしい出来だった。見事に美しい馬を贈られて、デメテルはとても喜んだ。そして、ポセイドンの愛を受け入れた。こうして、二人の間に翼の有る名馬アリオン(アレイオン)とニンフ(妖精)のレスポイナが生まれた。以後、馬がポセイドンの聖獣となった。

(参考) 

@名馬アリオンとニンフ(妖精)のレスポイナ・・・豊穣の女神・デメテルが、冥王・ハデスに攫(さら)われて行方不明になった娘ペルセポネを探し回っていたとき、思いを寄せていたポセイドンは、その弱々しい女神の姿に思わずよろめいた。デメテルは追いかけてくるポセイドンに気付いて、馬に変身し、付近に放牧されている群れに隠れた。しかし、ポセイドンはデメテルの変身をたちまち見抜き、自分も馬に変身すると、あっというまに後ろから襲い掛かった。こうして産まれたのが、名馬アリオン(アレイオン)とニンフのレスポイナだという説もある。

(参考)

「ネプチューン(ポセイドン)王」(クレーン)の絵はこちらへ

 

(小話466)童話「ごんぎつね」の話・・・

     (一)

むかし、ある村の山の中に「ごんぎつね」というきつねがいた。ごんは、ひとりぼっちの子ぎつねで、森の中に、穴をほって住んでいた。そして、夜、昼、あたりの村へ出てきては、いたずらばかりしていた。畑のイモを掘ったり、干(ほ)してある菜種(なたね)柄(がら)に火をつけたり、百姓屋の裏につるしてあるトンガラシをむしりとったりしていた。ある秋のこと。二、三日雨がふりつづいた。雨があがると、ごんは、穴からはい出した。そして、村の小川の堤(つつみ)まで出てきた。川は水が増していた。ごんは川しもの方へと、歩いていった。ふと見ると、川の中に人がいて、なにかやっていた。ごんは、そうっと草の深いところへ歩みよって、そこからのぞいてみた。「兵十だな」と、ごんは思った。兵十は、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる「はりきり」という網(あみ)をゆすぶっていた。しばらくすると兵十は「はりきり」網を水の中から持ちあげた。その中には、根っこや、草の葉や、木ぎれなどと共に太いウナギや、大きなフナがはいっていた。兵十は魚篭(びく)の中へ、そのウナギやフナを入れた。そして、兵十は、魚篭をもって川からあがると、魚篭を土手に置いて、川かみの方へかけて行った。兵十がいなくなると、ごんは、草の中からとび出して、魚篭のそばにかけよった。ちょいと、いたずらがしたくなった。ごんは、魚篭の中の魚をつかみ出しては、川の中をめがけて、ぽんぽん投げ込んだ。最後に太いウナギを食(く)わえようとしたところ、ウナギはごんの首に巻き付いた。そこへ、兵十が、むこうから、「うわあ、ぬすっとぎつねめ」と、怒鳴(どな)った。ごんは、びっくりして飛び上がり、そのまま逃げて行った。

     (二)

十日ほどたって、ごんが、兵十の家の前を通ると、小さな兵十の家には、おおぜいの人が集まっていた。「ああ葬式だ!」と、ごんは思った。「兵十の家のだれが死んだんだろう?」お昼がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵さんのかげにかくれた。すると、村のほうから、葬列がやってくるのが見えた。葬列は墓地へはいって行った。ごんは伸びあがって見た。兵十が、白い裃(かみしも)をつけて、位牌(いはい)を捧(ささ)げていた。いつもは、元気のいい顔が、今日はなんだか萎(しお)れていた。「ははん、死んだのは兵十のおっかあだ」ごんはそう思いながら、頭をひっこめた。その晩、ごんは、洞穴の中で考えた。「兵十のおっかあは、床についていて、ウナギが食べたいといったにちがいない。ところが、おれがいたずらをして、ウナギをとってきてしまった。おっかあは、ああ、ウナギがたべたい、ウナギがたべたいと思いながら、死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらをしなければよかった」。

     (三)

二、三日後、ごんは兵十を見に行った。兵十は今まで、おっかあと二人きりで、貧しい暮らしをしていたので、おっかあが死んでしまっては、もう一人ぼっちであった。「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か」とごんは、兵十を物置のうしろから見て思った。そのとき、ごんは、どこかで、イワシ売りの声を聞いた。ごんは、その声のするほうへ走って行った。そして、イワシ売りの隙(すき)をみて、イワシの入った籠(かご)の中から五、六ぴきのイワシをつかみ出して、もときた方へ駆け出した。そして兵十の家の裏口から家の中へイワシを投げ込んでだ。こうして、ごんは、ウナギの償(つぐな)いに、まずひとつ、いいことをしたと思った。次の日には、ごんは山で、クリをどっさりひろって、兵十の家へ行った。裏口からのぞいてみると、兵十の頬(ほ)っぺたに、かすり傷がついていた。兵十がひとりごとを言った。「いったい、だれが、イワシなんか、おれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人(ぬすっと)と思われて、イワシ屋のやつに、ぶん殴(なぐ)られた」ごんは、これはしまったと思った。そこで、ごんは悪いことをしたと思いながら、そっと物置のほうへまわって、入口に、クリを置いて帰った。次の日も、その次の日も、ごんは、クリをひろっては、兵十の家へ持って行った。その次の日には、クリばかりでなく、マツタケも二、三本、持って行った。

     (四)

月のいい晩だった。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけた。途中、ほそい道のむこうから、誰かくるようで、話し声が聞こえてきた。ごんは、道のかたがわに隠れた。話し声がだんだん近くなった。それは、兵十と加助であった。「そうそう、なあ、加助」と、兵十が言った。「おれあ、このごろ、とても不思議なことがあるんだ」「なにが?」「おっかあが死んでからは、誰だか知らんが、おれに、クリやマツタケなんかを、毎日、毎日、くれるんだよ」「ふうん、だれが?」「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、置いていくんだ」ごんは、二人のあとをつけて行った。「本当かい?」「本当だとも、嘘と思うなら、明日(あした)見にこいよ。そのクリを見せてやるよ」「へえ、変なこともあるもんだなあ」。やがて、加助が言い出した。「きっと、そりゃあ、神さまの仕業(しわざ)だ」「えっ!」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見た。「おれは、考えたんだが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ。神さまが、おまえがたった一人になったのを、あわれに思わっしゃって、いろんなものを恵(めぐ)んでくださるんだよ」「そうかなあ」「そうだとも。だから、毎日、神さまにお礼をいうがいいよ」「うん」。ごんは「へえ、こいつはつまらないな」と、思った。「おれが、クリやマツタケを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃ、おれは、ひきあわないなあ」

     (五)

その次の日も、ごんは、クリを持って兵十の家へ出かけた。兵十は物置で縄(なわ)をなっていた。それで、ごんは、家の裏口から、こっそり中へはいた。そのとき兵十は、ふと顔をあげ、きつねが家の中へはいったのを見つけた。「こないだ、ウナギをぬすみやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしにきたな。ようし」兵十は立ちあがって、納屋にかけてある火なわ銃をとって、火薬をつめた。そして、足音を忍(しの)ばせて近よると、いま戸口を出ようとするごんを、ドンと、撃った。ごんは、ぱたりと倒れた。兵十は駆け寄ってきた。家の中を見ると、土間にクリがかためて置いてあるのが、目についた。「おや」と、兵十は、びっくりして叫んだ「ごん、おまえだったのか、いつも、クリをくれたのは!」ごんは、ぐったり目をつぶったまま、うなずいた。兵十は火なわ銃を、ばたりと、取り落とした。

(参考)

@童話作家、新美南吉の代表作「ごんぎつね」より(1932年の「赤い鳥」一月号に掲載された新美南吉18才のときの作)

A正確な話は、新美南吉作「ごんぎつね」を読んで下さい。

「ごんぎつね」はこちらへhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/628_14895.html

 

(小話465)「管鮑(かんぽう)の交わり」の話・・・

     (一)  

中国・春秋時代の斉(せい)という国での話。菅仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく=鮑叔牙)の二人は、幼い頃から共に学業を学び、武芸に励(はげ)んだ。互いに英才で優劣がつけがたいほどであったが、鮑叔は管仲の着眼と先見の明を尊敬していた。時が経て、鮑叔は斉の君主・襄公(じょうこう)の弟・小白(しょうはく)に仕え、菅仲は小白の兄にあたる襄公の弟・糾(きゅう)に仕えるようになった。斉の君主・襄公はかねてから暴君で、むやみに人を殺した。そのため、襄公の弟の糾と小白は後難を恐れた。そのため、管仲の主人の糾は母の実家である魯(ろ)の国へ亡命し、鮑叔の主人の小白は母の実家が衛(えい)であったが、将来を期して斉に近い所に亡命した。管仲と鮑叔の二人もそれぞれの主人について行った。ほどなく、斉に謀反が起こり、襄公は公孫無知(こうそんむち)に暗殺され、代わって公孫無知が斉の君主になった。だが、公孫無知も、すぐに彼に恨みを持つ男に暗殺された。斉の重臣たちは次の君主に誰を立てるかを議論した結果、襄公の弟・小白を呼び寄せ、即位させることにした。しかし魯国も公孫無知の死を聞くと、兵を出して小白の兄・糾を斉に送った。

(参考)

@管鮑の交わり・・・唐代の詩人・杜甫 ( とほ ) の詩に「君見ずや管鮑貧時の交わり」が有名である。

     (二)  

これを知った管仲は、別動隊を率いて小白が斉に向かうのを阻(はば)んだ。弓の名人であった管仲は小白の戦車(戦争用の馬車)を見かけるや、彼に向かって矢を放った。矢は的(まと)を外れて小白の帯留めに当たったが、小白はとっさに倒れこんで死んだように見せかけた。管仲はそれを見て仕留(しと)めたと思いこみ、意気揚揚と引き上げた。糾と魯の軍は、管仲から小白が死んだことを聞くと安心して、ゆっくりと斉に向かった。一方、小白は霊柩車に乗って引き続き死んだふりを続け、斉に急行した。そして糾が斉に着いた頃には、小白は斉の君主として即位していた。彼こそが有名な斉の桓公 (かんこう)である。桓公の軍は、糾を連れた魯の軍を追い返した。その年の秋、斉軍は魯軍と乾事(かんじ)の地で戦い、魯軍を打ち破った。そして、まだ魯に匿(かくま)われている糾の処刑と、その守り役である管仲と召忽(しょうこつ)の二人の身柄の引渡しを求めた。魯は思い悩んだ結果、糾を処刑した。召忽は生き恥をさらすぐらいならと自殺したが、管仲はこの斉の要求に、敢(あ)えて捕虜として斉に引き渡されることを望んだ。管仲の予測通り、鮑叔は主君に彼を補佐役として推薦しようとしていたのであった。桓公は仇(かたき)に等しい管仲を用(もち)いることを嫌がったが、結局は「殿が、斉の国主であるだけでご満足なら、私でもお役に立つでしょう。しかし、天下の覇者となるおつもりなら、管仲を宰相にしなければなりません」という鮑叔の説得におれ、彼を丁重に迎え入れ、大夫(だゆう)に取りたてて国政を委ねることにした。はたして管仲は大政治家たる手腕を発揮して「礼・義・廉・恥は国の四維(しい=大綱)、四維張らざれば国すなわち滅亡せん」「倉廩(そうりん)実つれば礼節を知り、衣食足れば即ち栄辱を知る」(経済的に生活が安定してはじめて、礼儀や節度をわきまえる心を知る)という言葉にうかがわれる、国民経済の安定に立脚した善政を敷き、ついに桓公を春秋随一の覇者(はしゃ)にした。

(参考)

@糾の処刑・・・大勝を収めた桓公は、魯に書簡を送った「糾は私の兄弟だから自分で殺すに忍びないので、そちらで処分してもらいたい。だが召忽と管仲は仇であるから、こちらで存分に処分したいので、身柄を引き渡して欲しい。もしこれが聞き入られなかったら魯の都を包囲する」と。

A管仲を宰相にしなければ・・・鮑叔は管仲を推挙して、自らはその部下になった。天下の人々は管仲の賢さを賞賛するよりも、鮑叔の人を見る目を賞賛したという。

     (三) 

管仲は後年、鮑叔について次のように述懐している「私がまだ若かったころに鮑君といっしょに商売をしたことがあるが、私はいつも分け前を彼より多く取った。しかし彼は私を欲張りだとは言わなかった。私が貧乏なのを知っていたからだ。また、彼のためを思ってやったことが失敗し、かえって彼を窮地に陥(おとしい)れてしまったこともあったが、彼は私を愚か者だとは言わなかった。事には当たり外れがあるのを知っていたからだ」「私はかつて多くの君主に使えたが、そのたびにクビになったが、彼は、私を無能だとは言わなかった。まだ運が向いてこないだけだと知っていたからだ」「戦いのとき、かつて三戦して三度とも逃げたことがある。だが、彼はそれを卑怯だとは言わなかった。私に年老いた母親がいるのを知っていたからだ。また、糾さまが敗れ召忽が自殺し、私だけが縄目の恥を受けたが、それを恥知らずだとは言わなかった。私が小事にこだわらず、未(いま)だ天下にその名の顕(あら)われないことだけを恥じているのを知っていたからだ」「私を生んでくれたのは父母だが、私を育ててくれたのは鮑君だ」と。

(参考)

@友と友の間の親密な交わりを示す言葉・・・「水魚の交わり」「刎頸(ふんけい)の交わり」「断金の交わり」「金石の交わり」「膠漆(こうしつ)の交わり」「金襴きんらん)の契り」「管鮑の交わり」「莫逆(ばくげき)の交わり」等々。((小話281)有名な「刎頚(ふんけい)の友」の話・・・を参照)

 

(小話464)「海王・ポセイドンとその美しい妻・アンピトリテ」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。海の王・ポセイドンは、天の神・クロノスとレアの息子で、大神・ゼウスと冥王・ハデスの兄弟の次男。弟のゼウスが父・クロノスから政権を奪ったとき、長男のハデスと共に世界を天上・海・地下(冥界)と三等分し、海の領域を治める事になった。海王・ポセイドンは、別名「海のゼウス」で、その姿は、緑の衣、真珠の冠をかぶり、青銅の蹄(ひづめ)に黄金のたてがみの馬が引く戦車に三叉(さんさ)の戟(げき)を手にして乗り、長い髭(ひげ)をふるって嵐を起こし、人々に恐れられた。ティタン神族には、大洋の神オケアノスやネレウスという海の老神がいた。自然の恩恵そのままに、ネレウスには五十人とも百人とも言われる娘たちがいて、彼女たちを海のニンフ(妖精)「ネレイス」と言った。ネレイスの中の一人がアンピトリテだった。アンピトリテは陽気な性格で、青い海で波と戯れ、引き潮になると姉妹で岸に出て踊るのを楽しみにしていた。ある日、アンピトリテはナクソス島で踊っていた。そんな美しいアンピトリテを見初(みそ)めて妻にしようとしたのが、海王・ポセイドンであった。ポセイドンは、その性格通りに荒々しくアンピトリテを追い掛け回した。その猛々(たけだけ)しい様子に恐れをなしたアンピトリテは当然逃げ回った。

(参考)

@ゼウスが支配する天上・・・ハデス・ポセイドン・ゼウス3兄弟はくじ引きにより、それぞれの支配する世界を決めたという。

      (二)

そこで、海の王・ポセイドンは何とかして誠意を見せようとした。海で取れた真珠や珊瑚(さんご)を美しいアンピトリテに次々と贈ったが、彼女は首を縦に振らなかった。最後にポセイドンが作り出したのは、歌って踊る可愛い海の生き物だった。その生き物はすぐさまアンピトリテの元に向かい、創造主である海の王ポセイドンがどれだけ優しくて、彼女を愛しているか朗々と伝えた。動物好きのアンピトリテはこの生き物、デルピノス(イルカ)を気に入り、それまで嫌っていたポセイドンと結婚する事になった。しかし、結婚しても彼女は、ポセイドンを気に入ることができず、とうとう隙を見て逃げ出してしまった。ポセイドンは世界中を探し回ったが、アンピトリテの居場所はわからなかった。アンピトリテは、この世の西の果ての海神オケアノスのもとに逃げ込んで、オケアノスの宮殿に身を潜めていた。海王・ポセイドンの命令一下、無数の海の生き物たちが捜索隊として世界中に放たれたが、彼女の隠れ場所を突き止めたのは、ポセイドンの使いである一匹のイルカであった。イルカは、ポセイドンが彼女をどれほど愛しているかを雄弁に語った。こうして、ポセイドンはやっとのことで彼女とよりを戻したのであった。イルカは彼女のお気に入りになり、彼女の水晶の戦車を引く名誉を担った。又、イルカはアンピトリテを探した功績を称えられ、ポセイドンによって星座(イルカ座)の一つに加えられた。海王・ポセイドンとアンピトリテの間にはトリトンという子供が生まれた。トリトンは下半身がイルカであるとも魚であるとも伝えられる。

(参考)

@トリトン・・・半人半魚の海神。父ポセイドンの従者をつとめ、海のラッパ手という名を持ち、難破しそうな船を見つけると、ホラ貝の笛で嵐を静めたり、凪(なぎ)をもたらしたりするという。

「ネプチューン(ポセイドン)の馬」(クレーン)の絵はこちらへ

「ポセイドンとアンピトリテの凱旋」(フランケン2世)の絵はこちらへ

「ネプトゥヌス(ポセイドン)とアンフィトリテ(アンピトリテ)の凱旋」(ブーローニュ)の絵はこちらへ

「嵐の中のネプトゥヌスとアンフィトリテ」(ヨルダーンス)の絵はこちらへ

「ネプトゥヌスとアンフィトリテの勝利」(プッサン)の絵はこちらへ

「大地と水の結合」(ルーベンス)の絵はこちらへ

 

(小話463)「運命の女神たちとロウソク」の話・・・

      (一) 

伝説より。昔、ある村にひとりの若者が住んでいた。父親は既に無く、母親と二人暮しだったが、その母親も死を迎えるときが来た。死の床で母親は息子を招き、燃えさしのロウソクを渡して言った。「よくお聞き、お前の命はこのロウソクにかかっている。これが燃え尽きると、すぐにお前の命も終わるのだよ」若者はロウソクを懐に隠し、仕事をするときでも常に大事に持ち歩いた。やがて彼は結婚し、子供を持ち、孫も出来、曾(ひ)孫も玄孫(げんそん=やしゃご)も生まれた。彼は家族に囲まれて幸せに暮らしていた。しかし、そのうち子孫は次々死んでいき、けれども彼だけは死ななかった。彼のロウソクがまだ燃え尽きていなかったからだ。彼の家族で生き残っているのは二人の玄孫だけになり、ついにはそのうちの一人さえ死んだ。彼は絶望し、ロウソクに火をつけたが、ロウソクが溶け始めたとき、もう一人の玄孫の声が聞こえた。「あぁ、このたった一人残された幼い玄孫を守らなければならない」と彼はロウソクの火を消した。ところが、この玄孫は性格が悪く、老人をひどく虐待した。青年になった玄孫と結婚した妻も同様の性質で、老人に食事を与えなかった。後には、夫婦の子供たちさえもが老人を罵った。しまいには村中の人々が老人を気味悪がり、憎み、付き合いを避けた。「あの爺さんは孫たちみんなの葬式を出して、自分はまだのうのうと生きているんだぞ!」その時、老人は二百五十才になっていた。老人は世間を憎み、ある洞穴に引きこもって、野草と木の実で暮らした。五十年の後、村に戻ってみた老人は、自分の最後の子孫が死んだことを話に聞いた。村人たちは憎しみをもって老人の目を覗き見た。「あんたの子孫はみんな死んだのに、どうしてあんただけは生きているんだ?」老人は生きるのがほとほと嫌になり、洞穴に戻るとロウソクに火をつけた。ロウソクがすっかり溶けた時、老人は息を引き取った。そのあと大きな嵐が村を襲い、雷鳴が轟いた。その時以来、人々はこう噂しあった。「見ろ、見ろ。やっばり三百歳の男は魔法使いだったんだ!」と。

      (二)

伝説より。英雄・ノルゲナスト(運命の客)が生まれたとき、三人のヴェルヴァと呼ばれる巫女たちがやって来て、生まれた子供の運命を予言した。二人の巫女は「とても大きな幸せが与えられる」「全て上手くいく」と言ったが、一番年少の巫女は二人の巫女が自分に相談無く予言をしたので、ないがしろにされたと思い、しかも群集に突き飛ばされたので、恨んで「この子の側に灯(とも)っているロウソクが燃え尽きる日を、この子の生命が尽きる日と決めよう」と叫んだ。それを聞くなり、一番年老いた巫女がロウソクを取って火を消し、ノルゲナストの母親に「息子さんの最後の日が来るまで大切に保管し、決して火を灯してはならない」と言って渡した。ノルゲナストが成長すると、母親はこの話をしてロウソクを渡し、「大事にするように」と言った。ノルゲナストはその後三百年生きて勇名を轟かせ、最後に自らロウソクに火をつけて死んだという。

 

(小話462)「詩神・ムーサたちに挑んだ音楽家タミュリスと九人姉妹のピエリスたち」の話・・・

        (一)

ギリシャ神話より。「ムーサ」たちとは九人姉妹の詩歌・芸術の女神で、彼女たちは人間の心を神的な霊感で満たす「霊感の源泉」の存在でもある。ムーサたちの父親は大神・ゼウスで、母親はティタン神族の記憶の女神ムネモシュネであった。大神・ゼウスは女神・ムネモシュネとの婚礼のとき、集まった神々に向かい「まだ足りないものはないか」と訊ねた。神々は「讃える女たち」と答えた。そこで、ゼウスは女神・ムネモシュネと九夜の間、床を共にして、九人の娘を生んだ。このためムーサたちは「記憶の娘御たち」とも呼ばれている。九人姉妹のうちカリオペ(美しい声の女。英雄叙事詩)が長女で、残りの八人の生まれ順は不明で、妹たちの名前はそれぞれ、(1)クレイオ---讃える女。歴史の記述(2)エウテルペ---喜ぶ女。笛を吹く(3) タレイア---華やかな女。喜劇 (4)メルポメネ---歌う女。挽歌と悲劇(5)テルプシコラ---踊りを楽しむ女。竪琴 (6)エラト---憧れを呼ぶ女。舞踏(7)ポリュムニア---賛歌を沢山持つ女。物語 (8)ウラニア---天の女。天文学。であった。

(参考)

@ムーサ・・・「ムーサ」はギリシア読みで、「ミューズ」が英語読み。

@九人姉妹・・・三人説は(1)アオイデ(歌)(2)ムネメ(記憶)(3)メレテ(実践)と伝えられている。

「エラト。別称(音楽の寓意)」(フィリッピーノ・リッピ)の絵はこちらへ

「アポロ(アポロン)と9人のミューズ(ムーサ)たち」(モロー)の絵はこちらへ

        (二)

ムーサ(ミューズ)たちは、神々の山オリュンポスにほど近いピエリアの山中にある、舞踏場付きの立派な館に住んでいた。近くには優雅の女神・カリスたちの館もあり、オリュンポス山で神々の宴が催されたときには一緒に出かけていた。宴席でムーサたちは、歌を歌い、カリスたちは輪舞を舞(ま)って列席者の神々を楽しませた。ピエリア以外では、ボイオティア地方のヘリコン山とポキス地方のパルナッソス山がムーサたちの聖地で、パルナッソス山はムーサたちの主人である音楽・予言・太陽(光明)の神・アポロンの神殿があるデルポイに近い場所であった。普段、ムーサたちはこの三つの聖地(ピエリア、ヘリコン山、パルナッソス山)のいずれかで姉妹揃って歌を歌いながら静かな時を過ごしていた。ある時、竪琴と歌の名手である音楽家のタミュリスは、デルポイで開催された音楽の競技会で優勝した。そのため彼は傲(おご)り高ぶり、気でも違ったのかムーサたちに向かって「俺と歌で勝負しろ。もし俺が勝ったらおまえたち九人全員と寝る。その代わりもし俺が負けたら、何なりと好きなものを奪っていい」と、とんでもないことを言い出した。しかし、ムーサたちは、何といっても彼に才能を与えた張本人なのだから負けるはずはなかった。音楽家タミュリスの、あまりの身の程知らぬ高慢さに怒ったムーサ女神たちは「神の身で人間と競うなど恥ずかしいことだけれど、挑まれた勝負を避けるのはもっと恥ずかしい」と受けて立ち、自信満々のタミュリスを音楽の競技で簡単に打ち負かした。そして、詩神ムーサたちは、罰としてタミュリスから「視力」と「音楽の技」を奪い死後、彼を傲慢な者たちの一人としてタルタロス(地獄)に放り込んだ。

(参考)

@女神・カリスたち・・・優雅の女神たち 通称「三美神」(アグライア=輝き。エウプロシュネ=喜び。タレイア=栄え)といわれ、美と愛の女神・アプロディーテの侍女。女主人の世話以外に、オリュンポスの宮殿で神々の宴会が催された際に舞姫となり、アポロンの竪琴やムーサたちの歌に合わせて優美な輪舞を披露して列席する神々の心を楽しませた。

「春」(ポッティチェリ)の中の「三美神」絵はこちらへ

        (三)

一方、ピエリア王ピエロスには、ピエリスたち(ピエリデス)という九人の娘がいた。傲慢な父親は、娘たちにムーサたちと同じ名前をつけた。ピエリスたちは、歌が得意であったことに慢心し、又、ムーサと同じ九人姉妹で、同じピエリアに住むがゆえに「ピエリスたち」と呼ばれることで得意になっていた。そしてついには、不遜にもムーサ女神たちと張り合おうとし、歌の勝負を挑んだ。ピエリスたちは「私たちが勝ったらヘリコン山にあるヒッポクレネの泉とアガニッペの泉をください。もし私たちが負けたらマケドニアの地を差し上げます」と言った。ピエリスたちが欲しがった泉はどちらも詩神・ムーサたちの聖泉であった。芸術の女神たるムーサたちがこんな人間の傲慢な態度を許すはずがなかった。ムーサたちは歌の競技を行い、そこで徹底的にピエリスたちに実力の差を見せつけた。そのため、詩神・ムーサたちの罰を受けたピエリスたちは「口ばかり達者な小娘ども」ということで、姦(かしま)しい鳥カササギに姿を変えられてしまったという。

 

(小話461)「一粒の麦・筒井村の農民、作兵衛(さくべい)」の話・・・

   (一)

百姓の作兵衛は、江戸時代の元禄元年(1688)、松山藩筒井村(現在の愛媛県松前町筒井)の農家に生まれた。作兵衛の家は、祖先からの借金がたくさんあつたので、その日その日の暮(く)らしも楽ではなかった。だが、勤勉で働き者の作兵衛の努力で、貧しい一家の暮らしはしだいに好転していった。十五歳の時に、作兵衛の母は病気でなくなった。その後、作兵衛は朝夕食事の世話をし、昼は父と一緒に田畑を耕(たがや)した。又、夜おそくまで草鞋(ぞうり)を作り、それを軒下につり下げて置いて、往来の人に売っていた。その草鞋の丈夫なのと、はき工合のよいのが評判になって、いつもすぐに売切れた。作兵衛は、こうして昼夜一心に働いたので、村の人は皆、若い者の手本だといって、ほめ讃(たた)えていた。二十三歳のときに妻を迎え、そして、一男二女の誕生によって貧しいながら希望のある暮らしをしていた。骨身惜しまず働くうちに一家の暮らしも次第に楽になり、長い間の借金も残らず返してしまった。その上に少しばかりの田地(でんち)を買うことが出来た。その時の作兵衛一家の喜はたとえようがなかった。作兵衛は勇んで村役人のところへ行き、買った田畑を自分の持ち物とするための手続きをした。村役人は作兵衛の買った田畑がやせた土地なので、収穫は少ないだろうと考え、税を納めさせるのは気の毒に思った。しかし、作兵衛は「どんな土地でも一生懸命に耕せば、必ずよい田畑となって、多くの米を収穫することができるはずです」と言って、前にも増して農作業に精を出した。そしてその言葉どおり、見事に数年で多くの収穫があがる田畑にしてしまった。その上、他にもたくさんの田畑を買うことができるようになった。

   (二)

作兵衛は、四十三歳のときに苦楽を共にしてきた妻を亡くした。悲嘆に暮れた作兵衛だが、悲しみを乗り越えて再び農業に精を出した。ところが、翌年の享保十七年(1732)、世に言う「享保(きょうほ)の大飢饉」が襲来した。五月から長雨が続き洪水が起こったことに加えて、六月になるとウンカという害虫が異常発生した。被害は西日本に集中し、特に松山藩の被害ははなはだしく、中でも松前地区の損害は言語に絶するほどであった。特にウンカの勢いはすさまじく、稲を始め雑草まですべて食い荒らすありさまで、米の収穫はほとんどなかった。農民たちはわずかに蓄えていた雑穀(ざっこく)やくず根、糠(ぬか)などを食べて飢えをしのいでいたが、とうとう野に青草一本もなし、と言うありさまになり、飢えて死ぬ者も数多く出てきた。筒井村の餓死者も八百人に及んだ。そうした中、作兵衛一家も年老いた父親が、次いで長男が十八歳で餓死した。悲しみと飢えの中で作兵衛は気力を振り絞って野良に出ていたが、九月になると、とうとう倒れてしまい隣人に助けられて家に運ばれた。そのとき家には、一斗(約18リットル)の種麦(たねむぎ)が残されていた。人々は驚き「この種麦を食べて生き延びよ」とすすめた。しかし、作兵衛は「農は国の基、種子は農の本。一粒の種子が来年には百粒も千粒にもなる。僅かの日、生きる自分がこの種麦を食してしまったら、来年の種麦をどこから得ることができるであろうか。私の身はたとえ、ここに餓死すとも、この種麦によって幾万人かの生命を救うことになれば、もとより私の願うところである」そう言って作兵衛は、種麦一粒食することなく後世に残して餓死した。享年45歳。やがて残された二人の女の子も父を追うように相次いで餓死し、作兵衛一家は死に絶えてしまった。しかし、残された種麦は、作兵衛の遺言どおり村人の手によって祈りを込めながら畑に蒔(ま)かれ、翌春、一粒万倍(いちりゅうまんばい)の実りとなって多くの人々の命を救った。この話を伝え聞いた松山藩は、年貢(ねんぐ)を免除(めんじょ)し、村人は飢饉(ききん)の苦しみから抜け出すことができた。

(参考)

@享保の大飢饉・・・亨保の飢饉では、道路上に行き倒れて死んだ者が数多くいたが、その中に、立派な身なりのまま餓死していた男がいた。男の首には百両もの大金が入った袋が懸(か)けられていたという。つまり、この男は、大金を持っていながら、一粒の米さえ買うことが出来ずに餓死したのである。

Aウンカ・・・トビイロウンカ。イネの最も重要な害虫で、古くはこの虫の大発生によって飢饉がもたらされたと言われている。その名が示すように鳶色、すなわち茶褐色をした小さな虫である。又、秋ウンカとも呼ばれ、夏の終わりから秋に被害をもたらす。

B筒井村の餓死者は八百人・・・時の藩主は松平定英(まつだいらさだひで)で「享保の大飢饉」で松山藩領民は飢えに苦しみ、死者は3、500人を数えた。その中には、筒井村の農民、作兵衛も含まれていた。しかし、逆に藩士には1人の死者も出ず領民への苛政を咎められ、藩主・松平定英は、幕府より謹慎処分を受けた。

@享年45歳・・・死後、彼は義農作兵衛(ぎのうさくべい)と讃えられ、安永6年、藩主松平定静は碑を建立、明治14年には義農神社、そして明治45年には頌徳碑が建立された。

 

(小話460)「二人の姉妹と金の牛」の話・・・

     (一)

中国の民話より。昔、金牛山という山の麓に薪(まき)拾いで暮している姉妹がいた。ある日、いつものように薪を拾って集めていると、銀のラッパが落ちていた。誰のかと話をしていると、そこへ一人の老人が現れて言いった「これは心の優しいお前達への贈り物です」そしてさらに言った「真夜中にこの洞窟に向かって一度だけ吹くと、洞窟の岩が開くので、中にある百頭の金でできた牛の像を持ってお行きなさい。ただし、ラッパを二度吹いてしまうと、金の牛は普通の牛になってしまうから、ラッパを吹くのは必ず一度だけにしなさい。それに、夜が開けると洞窟の岩が閉じてしまうので、夜が明ける前に洞窟から出るようにしなさい」と。姉妹は、自分たちの住む村人のみんなにとっては、役にたたない金の牛よりも、実際に田畑を耕す牛の方が役にたつと思い、村の人達に真夜中になったら牛の鼻輪を持って山の洞窟まで来るように伝えた。そして、自分達は先に山に登って夜を待った。

     (二)

真夜中になって妹が銀のラッパを吹くと、老人の言った通り洞窟の岩が静かに開いた。中には金の牛の像がズラリと並んでいた。妹が二度目のラッパを吹くと、金の牛は生きている牛に変わった。洞窟の岩の入り口は牛一頭がやっと通れるくらいの幅しかなかったので、姉妹は一頭ずつ牛を押し出し、村人達は鼻輪をつけて牛を引っ張った。ところが、最後の百頭目の牛を押し出したところで夜が明けてしまった。そのため、姉妹は洞窟の中に閉じ込められてしまった。やがて、洞窟の外に置いてあった銀のラッパは、ラッパの形をした鮮やかな色のアサガオの花に変わった。そして、そのラッパの形をしたアサガオの花は毎朝、陽の光を受けて咲くようになった。村人達は姉妹を偲んでこの花を「牛を牽(ひ)く花」、牽牛花(けんぎゅうか)と呼んで大切にしたという。

(参考)

@アサガオ(朝顔)の別称を、牽牛花(けんぎゅうか)という。

A牽牛花の名前の由来は、昔、アサガオを牛車いっぱいに積みこんで売り歩いたためとか、アサガオの種は薬用として下剤に用いることが多かったが、種は収穫量が少なく、貴重品だったため、わずかな種を得るために牛と交換したためという。

 

(小話459)「天空を支える巨神アトラスとその娘(ヘスペリス)たち」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。双肩(そうけん)に大きな天球を担(かつ)ぎ上げ、膝を曲げた苦しげな姿勢でその重みに耐える男。それはたった一人で広大な天空を支え続ける哀れな巨神アトラスである。彼はティタン神族の一人イアペトスの息子で、ティタノマキアの際には天空の神・クロノスの陣営の戦力として大いに活躍した。その筋骨隆々たる巨躯(きょく)と恐るべき怪力を武器に戦場で鬼神のごとく荒れ狂うアトラスに、ゼウスを中心とするオリュンポス陣営は大層手を焼いた。しかし、結局のところ戦いはゼウスのオリュンポス軍の勝利で終った。こうなると、人一倍暴れ回って自分の力を見せつけたアトラスの立場は他のティタン神族たちよりずっと具合の悪いものであった。案の定、たっぷりとゼウスたちの恨みを買っていた彼には特別な罰が言い渡された。「今までよくもやってくれおったな、アトラスよ。おまえは他の者どものようにタルタロス(地獄)に放り込んで監禁するというわけにはいかん。よく聞け、おまえは未来永劫この世界の果てで天空を担いで立っておるのじゃ」

(参考)

@巨神アトラス・・・「耐え忍ぶ者」が名前の由来。アトラスはティタン神族の指揮をとってオリュンポス神族の神々をおおいに苦しめた。その罰としてアトラスは永久に天を背負わされる運命となり、巨神アトラスの腰には雲がたなびき、足にはコケが生えていたという。

Aティタノマキア・・・(小話395(282-3))「ティタノマキア(ティタン神族とオリュンポス神族の10年戦争)」の話・・・を参照。

A天空を担いで・・・一見、アトラスは惑星(地球)を支えてるように見えるが、神話上は天空を支えてることになっている。古代ギリシア人が「空はなぜ落ちてこないのか」を考えたとき、遠くに見える高い山がつっかえ棒になってるに違いないと考え、それにアトラスの神話がつけられた。

      (二)

こうしてアトラスは、ゼウスを中心とするオリュンポスの神々に逆らった見せしめ刑を与えられた。以後、アトラスは世界の西の果てに立ち、中腰で命令通りに課せられた重荷を支え続けた。黙々と苦行に耐えるアトラスに追い討ちをかける大事件が起こった。ある日、太陽神ヘリオスの息子パエトンが「自分ひとりで太陽の馬車を走らせてみたい」と父に懇願して、人間の分際で神の仕事である太陽の馬車を走らせて、通るべき軌道を外れて暴走し、世界を火の海にした。本来、太陽の馬車は天と地のちょうど中間を走るように定められていた。上昇しすぎればその激しい炎熱で天を燃やし、下降しすぎれば地を焼いてしまうためであった。その上、太陽の車を牽(ひ)く馬たちは大変気の荒い悍馬(かんば)ばかりなので、太陽神・ヘリオスといえども悍馬を抑えて軌道を守らせるのは楽な仕事ではなかった。まして人間の少年で、力も弱ければ体重も軽いパエトンが相手では、悍馬たちにとっては御者不在も同然で、たちまち傍若無人に暴走を始め、星を、雲を、山を燃やし、河や泉を干上がらせ、木々を焼き尽くして、肥沃だった大地を灼熱の砂漠へと変えていった。突如降りかかった未曾有の災厄にアトラスは仰天した。何しろ肩に担った天球が端からごうごうと燃え始めたのだから、その熱いことといったら凄(すさ)まじかった。しかも、重圧に耐えるために踏みしめている地面までもがいたるところで火を噴き、到底足裏をつけていられないほどの高熱を発していた。他の神々が大慌てで地底や海底へと避難していく中、アトラスだけは天を投げ出して逃げることもできず、ひたすら我慢して事態の収拾を待つしかなかった。やがて大神ゼウスが雷でパエトンごと馬車を撃ち砕いて暴走を止め、枯渇した泉や河、焼き尽くされた草木などを甦らせて世界を本来の姿に戻した。それでも火は少なくともまる一日以上燃え続けていたので、アトラスの苦痛もすぐには消え去らなかった。

(参考)

@太陽神ヘリオスの息子パエトン・・・(小話353)「太陽神・ヘリオスとその一人の息子・パエトン」の話・・・を参照。

      (三)

いつものように天空を支えていたある日、アトラスは人跡(じんせき)稀(まれ)なるリビア砂漠を一人の男がのしのしと踏破してくるのを目撃した。手に棍棒を握りしめ、背に巨大な弓矢を背負い、頭から獅子の毛皮をかぶった、およそ人間とも思えぬ巨躯の持ち主であった。アトラスの近くまでやって来ると、その男は額の汗を拭いながら顔を上げた。体力を根こそぎ奪う砂漠を越えてきたというのに、双眸(そうぼう)は火を噴かんばかりに輝いており、並の者でないことは一目瞭然であった。彼は周囲に轟(とどろ)く大音声でアトラスに呼びかけた。「アトラス殿とお見受けした。俺は大神ゼウスとアルクメネの息子ヘラクレスだ。ミュケナイ王エウリュステウスの命令で、ヘスペリスたちの守護する黄金の林檎を少し分けてもらいに来たのだ。そこで相談なんだが、ヘスペリスたちはあんたの娘御だということだから、あんたに林檎を取ってきてもらうわけにはいかないか。もちろんその間、天空は俺が代わりに支えておく。どうだ」これを聞いたアトラスは大喜びであった。この肩の重荷を束の間でも降ろせるというのだから。二つ返事で了承した。「娘からりんごをもらうのは簡単だが、あそこには百頭竜のラドンがいる」「俺が始末しよう」ヘラクレスは、ヘスペリデスの園へと出掛けて行き、林檎の木に巻きついているラドンの急所の喉めがけて矢を放ち、見事に刺し貫いた。ラドンは矢の先に塗ったヒュドラの毒で、あっさりと絶命してしまった。こうして、約束通りヘラクレスが天空を支えることになった。しかし、果たして人間に、この天空を支えることなどできるのだろうか。心配は杞憂(きゆう)に終わった。食い込みを和らげるため肩に当て物をさせ、恐る恐る天球を移してみたところ、ヘラクレスは見事に踏ん張ってその重みに耐えた。喜んだアトラスは久々の身軽を満喫しながらヘスペリデスの園へと出掛けていき、娘たちから林檎を数個もらい受けて帰ってきた。巨神の手に燦然と輝く果実を見たヘラクレスは喜んで礼を言い、天球を返そうとしたが、アトラスは少し離れたところに立ったまま、こう言った。「ついでだからこの林檎、わしがエウリュステウス王に届けてきてやろう。悪いが戻ってくるまで、そのまま天を支えておいてくれんか」。アトラスにしてみれば、せっかく自由を掴み取ったというのに、みすみす元の生活に戻るなど愚の骨頂であった。良い後任もできたことだから、そろそろつらい務めは彼に譲って無罪放免といきたいと思った。ヘラクレスは一瞬驚いた表情をしたが、すぐに笑顔で頷いた。「よし、わかった。あんたがミュケナイに行って帰ってくるまで、天は引き受けた。だがちょっと待ってくれ。実は担いでいる間に肩当てがずれてきて、痛くて痛くてたまらないんだ。肩当ての位置を直すから、ちょっとだけ代わってくれないか」「おお、いいとも」すっかり浮かれていたアトラスは、林檎を地面に置いて天球を受け取り、肩に担いだ。するとヘラクレスは肩当てを放り出して林檎を拾った。そしてヘラクレスは「悪いが、林檎はやっぱり自分で届けるよ。じゃあな」と言って言葉も出ないアトラスを残して、すたすたと砂埃(すなぼこり)の彼方(かなた)へと消えて行った。

(参考)

@黄金の林檎・・・女神ヘラが大神ゼウスのお妃になったとき、大地の女神ガイアがお祝いにヘスペリデスの花園にある「黄金の林檎の木」を贈った。その黄金のリンゴを食べると不死になるという。

Aヘラクレス・・・ヘラクレス十二の難行の十一番目は、太陽が沈む西の方向、アフリカを通って西の果てにあるというヘスペリデスの園の黄金の林檎を取ってくることであった。

Bヘラクレスは言葉も出ないアトラス・・・こうして唯一の解放のチャンスを失った巨神アトラスは、今でも世界の果てで天空を支え続けているといわれる。それ以外に、アフリカ西北部にそびえるアトラス山脈になったという説(以下)もある。

「ヘスペリデスの園」(レイトン)の絵はこちらへ

「ヘスペリデスの園」(エドワード・バーン=ジョーンズ)の絵はこちらへ

「ヘスペリデスの園」(エドワード・バーン=ジョーンズ)の絵はこちらへ

「ヘスペリデスの園」(Albert Herter)の絵はこちらへ

      (四)

巨神アトラスは世界の極西とされる場所、すなわちギリシア人が「ヘラクレスの柱」と呼んだジブラルタル海峡のアフリカ側で天空を支えていた。その傍(かたわ)らには、アトラスの娘である黄昏の女神である三人のヘスペリスたちが火を吐く百頭竜ラドンとともにヘラ女神の宝である黄金の林檎の木を守って暮らす「ヘスペリデスの園」があった。つらい労苦に苛(さいな)まれているアトラスにとって、この愛(いと)しい娘たちの存在は何よりも大きな慰めであった。ところがある日、ゼウスの妻の一人である予言と法の女神・テミスが彼のもとにやってきて、こんな予言を言った。「アトラスよ、覚えておきなさい。おまえが大切に思っているあの黄金の林檎は、いつか必ず奪い去られる日が来ます。偉大なゼウスの息子である、ある英雄にね」これは一大事であった。黄金の林檎の守護はヘスペリスたちに授けられた重大な使命であった。林檎を奪おうとする輩(やから)は、我が娘たちに仇なす者で、断じて許すわけにはいかなかった。万一そんな奴が来たらきっと撃退してくれようと警戒を強めていた矢先、アトラスは空飛ぶサンダルを履いて宙を駆けてくる一人の若者に出会った。見事な宝剣を腰に帯び、大きな袋(キビシスの袋)を下げた、とても凛々しい青年で、彼は堂々と巨神に近づいてきてこう言った。「アトラスよ、ご機嫌よう。私は大神ゼウスとアルゴスの姫ダナエの息子で、ペルセウスと申す者。神々のご加護を受けて魔物メドゥーサを討ち取った帰りなのだが、もうすぐ日も落ちる。どうかこのあたりで一夜の宿をお許し願いたい」旅人としてはもっともな願いであり、また礼を尽くした頼み方であったが、アトラスの表情は一気に険しくなった。「何っ、ゼウスの息子だと。帰れ帰れ。この盗人めが、とっとと去らねば痛い目に遭わせてくれるぞ」「盗人とは解(げ)せぬ申されよう。私はただ一休みする場所を」「うるさい。失せろごろつき」完全にペルセウスを林檎泥棒と思い込んだアトラスは、重ねての嘆願にも耳を貸さずに拒絶した。予想外の無礼に腹を立てたペルセウスは静かに腰の袋に手かけた。「これは大したもてなしだ。これが私にふさわしい扱いだというのなら、私もそれに見合った返礼をしよう。これでも食らえ」そう言って袋から引き出されたのは、見る者を石に変える、死してなお魔力を保つメドゥーサの首。それを眼前に突きつけられて、アトラスは一語を発する間もなく巨大な石の塊と化してしまった。これがアフリカ西北部にそびえるアトラス山脈であるという。ペルセウスはメドゥーサの首を元通りにしまうと、憤然として東の方へと飛び去って行った。

(参考)

@巨大な石の塊と化して・・・ペルセウスがアトラスにゴルゴンの居所を尋ねるとアトラスはすぐに居所を教えてくれたがペルセウスに、その身支度ではだめだと忠告した。ゴルゴン退治には、姿が見えなくなるバデスの兜が必要だという。アトラスは、冥王ハデスのもとにニンフを送ってその兜を取ってきてやるからその代わりに、魔物ゴルゴンの首が取れたら

それを自分にみせて、石に変えてくれっと言った。世界を支えるのに疲れたという。ペルセウスはこの条件を飲んで、兜を手に入れゴルゴンのもとへ向かったという説もある。(小話457)「英雄・ペルセウスの冒険(メドゥーサ退治と美女アンドロメダとの結婚)」の話・・・を参照。

@地図帳をアトラスと呼ぶのは、16世紀(1595年)にレモルト・メルカトルが地図帳の表紙としてこのアトラスを描いたことに由来する。

「アトラス」の絵はこちらへ

「アトラス」の像はこちらへ

「アトラス」(グェルチーノ)の絵はこちらへ

 

(小話458)「知恵と技芸の女神・アテナに挑戦して蜘蛛(くも)となったアラクネ」の話・・・

       (一)

ギリシャ神話より。地中海に臨(のぞ)むリュディアの地に、アラクネという、身分の低い娘が住んでいた。父親は染物師で、母親は早く死んでいた。だが、アラクネの名はリュディアの国々では有名であった。というのは、アテクネはその技と勤勉によって、織女(しょくじょ)としては、他のどんな女よりもすぐれていたからであった。その評判は、山野のニンフ(妖精)たちですら、アラクネのみすぼらしい小屋に来て、その織物に驚きの目を見張った。アラクネのあまりにも見事な腕前に、ニンフ(妖精)の一人が言った「あなたは織物が上手ね。アテナさまに教わったの? まるで女神アテナさまから教えをうけたように思えるわ」しかし、アラクネはその言葉に、腹をたてて「いいえ、これは生まれつきの技よ。私はアテナさまに教わってはいないわ。アテナさまはわたしと、腕くらべをしに来ればいいんだわ。もしアテナさまが勝ったら、どんな罰だって我慢してうけますよ」この会話を女神アテナの使い鳥である梟(ふくろう)が聞いていた。そして、アテナのもとへ飛んで行った。アテナ女神は、アラクネの高言を聞くと、不機嫌になった。そこで老婆に姿を変えて、アラクネの小屋に行って言った。「どうか、年寄りの忠告を聞きなさい。。亀の甲より年の功と言いますからね。あんたは、どんな人間よりも、上手(じょうず)に織物を織ることができるという評判ですが、それで満足することですよ。そして、あの高慢ちきな言葉を許してくれるように、アテナさまにお願いしなさい。そうすれぱ、女神も喜んで許してくれますからね」。だが、それを聞くとアラクネは、怒りにふるえながら言った。「おばあさん、お説教ならあんたの娘にしておやり。わたしには、あんたの忠告なんかいらない。でも、何んだって、アテナさまは自分でやって来ないんだろう。何んだってわたしとの腕くらべを避けるんだろう?」

(参考)

@女神アテナ・・・戦いの女神でもあり、大神・ゼウスの娘で、すっかり成人して鎧(よろい)かぶとをつけた姿でゼウスの頭から飛び出してきたといわれている。

       (二)

こうなっては、女神もついに堪忍袋の緒を切らした。「アテナはもう来ているよ」女神はこう叫ぷと、とつぜん、神の姿となってそこに立った。その場に居合わせた妖精やリュディアの女たちは、うやうやしく女神の足もとにひれ伏した。が、アラクネだけは恐れなかった。反抗的なその顔がさっと赤くなったが、自分の決心をひるがえそうとはしなかった。アテナ女神は、アラクネの挑戦に応じた。二人は別々の場所に機(はた)をすえると、心を打ちこんで熟棟した手を動かしはじめた。そして人の目を眩惑させるような、紫だの、その他あらゆる色を巧みに織っていった。やがて、驚嘆すべき織物(タペストリー)ができあがって、見ている人々の目を見張らせた。アテナ女神は、織物の中央には、アテナイの国土の所有をめぐっての自分と海神ポセイドンとの争いを絵に織りあげた。十二人の神々が、ゼウスを中央にして、厳粛な神々しい顔でひかえ、海神ポセイドンが立って、巨大な三又の矛(ほこ)で岩を突くと、塩辛い海水が吹きだす。そこヘアテネ女神がメドゥーサの首をはめ込んだ楯(イージス(アイギス)の盾)と槍で身をかため、冑(かぶと)をかぷってあらわれ、槍の先端で大地をつくと、不毛の土地からオリーヴの木が芽を出す。こうして、アテナは自分の勝利を織物に織りあげた。そしてその織物の四隅には、神々の復讐によって悲惨な結末をとげた人間の驕慢な四つの実例が織られていた。アテナはこれらの絵を織物に織り、オリーヴの葉でそれらを飾った。

(参考)

@タペストリー(タピストリー)・・・色とりどりの糸で風景・人物像などを織り出したつづれ織り(織物)。あるいは、その壁掛け。

       (三)

アラクネはそれに反して、神々を、ことに大神ゼウスを嘲笑しようという意図で、さまざまな絵を織りあげた。ゼウスがあるときは雄牛に、あるときは鷲や白鳥に、またあるときは、好色な森の神サテュロスや燃える火、黄金の雨に身を変じて、人間の娘たちを汚すのである。これらの絵は、花で飾り、つたの葉でからませてあった。この織物ができあがったとき、アテナ女神ですら、アラクネのみごとな手ぎわには非のうちどころがなく感嘆した。しかし、これらの絵からアラクネの神への冒(ぼう)とくの心を読みとると、火のように怒った。そして、怒りのあまりに、神を汚(けが)す絵をずたずたに引き裂くと、機の杼(ひ)で矯慢な娘の額を三度打った。その屈辱に耐え切れなかったアラクネは気が狂って、自分の首に綱を巻きつけた。そして宙にぷらさがって痙攣(けいれん)していると、アテナが、首を絞めつけている綱からアラクネを助けおろして言った。「不遜(ふそん)なる女よ、命ばかりは助けてあげよう。おまえの一族はすべて、子々孫々の代まで罰せられるがよい。お前のような、神々たちをないがしろにする者たちは、みな同じ運命をうけるのだよ」そう言いながら、アテナ女神はふしぎな薬草のしずくを、アラクネの顔にふりかけて立ち去った。アラクネの髪と鼻と耳がなくなり、縮まって、小さい醜い虫、蜘蛛(くも)に変わってしまった。こうして彼女は、朝ごとに細い糸を口から吐いて、奇麗な露の模様を織り出すことになった。

(参考)

「織り女たち(アラクネの寓意)」(ベラスケス)の絵はこちらへ

「アラクネもしくは弁証法」(ヴェロネーゼ)の絵はこちらへ