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(小話437)「母なる女神・レトを守る狩猟と月の女神・アルテミス。そして、王妃ニオベとその子供たち」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。狩猟と月の女神であり、オリュンポスの十二神の一人である女神・アルテミスは、血を分けた家族(父を除く)と強い絆で結ばれていた。まず彼女は他の誰よりも母なる女神・レトを守って大切にした。それは、自分たち双子が生まれるとき、母の女神・レトがゼウスの妃ヘラに嫉妬のあまりに「太陽が照らしたことのある全世界の土地」にレトの出産の場を与えることを禁じた呪をかけたからであった。そのため女神・レトは一人寂しく世界中をさ迷った。かろうじてデロス島で出産をむかえたが、それも大難産であった。大神・ゼウスの妃ヘラのこうした迫害の凄まじさを甘受するしかなかった母の女神・レトの無力さを彼女はまざまざと知っていたため、母親を守る気持ちが異常なほど強かった。そのため、彼女は、兄の太陽神・アポロンと共に母に仇(あだ)なす者を片っ端からその矢にかけて倒していった。

      (二)

女神・レトは、ゼウスの嫉妬深い妃ヘラの出産をさせまいとする呪いをかいくぐって「今までに生まれたものの中で、誰よりも輝かしい存在になる」という予言通りに、アルテミスとアポロンの双子を無事に産んだ。そのためヘラは、常に復讐の機会をうかがっていた。そこで、オルコメノスの娘エラレとゼウスの息子である、巨人ティテュオスを選んで言葉たくみにけしかけた。ある日、巨人ティテュオスはデルポイのアポロン神殿へ向かう途中の女神・レトを見つけると、飛びかかっていって強引に手籠(てご)めにしようとした。だが、母の悲鳴を聞いて駆けつけたアルテミスに銀の矢で射倒(いたお)された。そして、巨人ティテュオスは、タルタロス(冥府=地獄)に突き落とされた後、裸のまま大地にしばりつけられ、2羽の禿鷹によって再生する肝臓を間断なく食われるいう永遠の罰を与えられた。

(参考)

@アルテミスに銀の矢・・・アポロンに射倒された、またはゼウスの雷に撃たれた(女神を襲うのは、神を冒涜するのは最も大きな罪である)という説もある。

Aタルタロス・・・正確には、冥府よりも下にある、地下の最奥にあるとされた仕置きの地のこと。

      (三)

美しいニオベ(雪のような者)は、リュディア王タンタロスとディオネの間に生まれ、テーバイの王・アムピオンに嫁いだ。そして彼女はアムピオンとの間に、男女七人ずつの子宝に恵まれた。自らの美貌と夫婦ともにゼウスの血を引く家系と、優れた子供たち、広大な領土、王妃ニオベの自慢の種はつきなかった。王妃ニオベの自惚れはとうとう自分を女神にたとえるところまで行った。そしてついに、王妃ニオベは、女神・レトを祝う祭りで「二人しか子供がいない女の祭りなんておやめ。それより、この私を崇拝するのよ。レトはアポロンとアルテミスの二人を産んだだけ。私はゼウス様の子孫を十四人も産んだのよ」と叫んだ。その暴言は当然、レト女神の耳にも入った。テーバイの女予言者マント(盲目の預言者テイレイシアスの娘)が王妃ニオベを諌(いさ)め、謝罪するようにすすめたが、ニオベは断った。「そんな必要ないわよ。だって、レトの子供たちより私の子供のほうが輝いてるのは事実だし、私は七倍の子をもっているのよ」この極めつけの暴言を聞いた温厚な女神・レトも怒り狂った。すぐに太陽神・アポロンと狩猟と月の女神・アルテミスを呼びだした。「よく聞きなさい。テーバイのニオベは私のみならず、あなた達まで侮(あなど)っているわ。神への不敬がどうゆう結末がもたらすか、ニオベに教えてやりなさい」アポロンとアルテミスはテーバイに飛び、情け容赦なくニオベの子供たちを射抜いていった。アポロンはニオベの息子たちを金の矢で射抜き、アルテミスは娘たちを銀の矢で射抜いた。正確に心臓を射抜かれて次々と倒れていく子供たちを見て、さすがの王女ニオベも、最後の一人をかばうように抱きしめ叫んだ。「お願いよ。一番下のこの子だけは助けて」しかし、言い終わらぬうちに、最後の一人もニオベの腕の中で息を引き取った。茫然自失の王妃ニオベ。しかし、すべては遅すぎた。テーバイ王アンピオンは悲しみのあまり自害し、王妃ニオベは絶望のすえ、テーバイを去り故郷のリュディアに戻った。だが、故郷にいても安息は得られず、毎日亡くなった子供たちを思いながら泣いて暮らしていた。やがてその姿を哀れに思った大神・ゼウスがニオベを石に変えた。その石は今日もなお涙を流していると言われている。

(参考)

@男女七人ずつ・・・ヘシオドスは十男十女、ヘロドトスは二男三女、ホメロスは六男六女といろいろな説がある。又、ニオベの子供で、娘たちはクロリスを除いてすべてアルテミスに、またアンピオンを除く息子たちはすべてアポロンに殺されたという説もある。

A石に変えた・・・ニオペは悲しみのあまり動かなくなり、やがて岩になった。その岩からはまるで涙のように水が滴り落ち続けたともいう。又、嘆き悲しんだニオベは、タンタロスの故郷リュディアへ赴き、 シピュロス山上で涙を流し続けて石になったという。

「ニオベ族の最期」(ブローマルト)の絵はこちらへ

「アポロンとアルテミスに殺されるニオベの子供達」(Charles Jombert) の絵はこちらへ

 

(小話436)「人魚になった少女(シレナ)」の話・・・

人魚はポーランド語でシレナという。シレナは、ワルシャワのシンボルで、ヴィスワ川のスィーレナーニ橋のたもとには、人魚像(シレナ像)が立っていて、ワルシャワ市民を守っている。この人魚像は、シレナと言う娘が人魚になったと言うおとぎ話から「シレナ像」と呼ばれている。

    (一)

その昔、まだ未開のワルシャワのヴィスワ川沿いに貧しい漁師が住んでた。当時、この辺りは背の高い植物が繁(しげ)って、魚の格好の住みかだったので、漁師は毎日、漁(りょう)の仕事に精出していたが、ある朝、漁師は網にかかった人魚を生け捕りにした。人魚は、下半身は魚で、上半身は美しい女性であった。驚いた漁師は人魚を家に連れて帰ったが、なんとか川へ帰して欲しいと懇願され、結局は川へ帰してやることになった。それ以後、漁師の家の周(まわ)りにだんだん人が住み着くようになり、魚がよく売れるようになって漁師はだんだん裕福になっていった。その漁師夫婦の名前がワルスとサワで、これがワルシャワの始まりと言われている。

(参考)

@ワルシャワの人魚・・・ワルシャワのシンボルの人魚は、可愛い人魚とは違い、剣と盾を持っている。また、なかには鉤爪(かぎづめ=下向きに曲がった爪)がついた人魚もいる。

「ワルシャワの人魚」の写真はこちらへ

    (二)

グアム島に伝わるシレナという名の人魚伝説。昔々、アガニアの村にシレナという名の少女が住んでいた。彼女は、何よりも泳ぐことが大好きで、母親の用事をそっちのけにして、アガニアの河口で泳ぎに熱中していた。ある朝、母親はシレナに椰子(やし)の実を取ってきてくれるように頼んだ。母親が、シレナに急いで取って来るように言い付けたにもかかわらず、いつもの通りシレナは泳ぎたい誘惑に負けてしまった。待っても待っても帰ってこないシレナに、また泳いでいるに違いないと思って、母親は怒りをつのらせ、つい腹立ちまぎれに「シレナなんか魚にでもなってしまえばいい」と言ってしまった。この母親の言葉を聞いたシレナの祖母は、すぐに母親に、その言葉を取り消すように言った。しかし、母親は腹立ちまぎれに再び「水の中がそんなに楽しいのなら、シレナなんか魚になってしまえばいいんだ」と呟(つぶや)いた。祖母が、今度も母親にその言葉を取り消すように頼んだにもかかわらず、母親はついに3回目には 「魚になってしまえばいい!」 と罵(ののし)った。その時、水の中にいたシレナは、自分の体に変化がおとずれたことを知った。彼女は、岸に泳ぎだそうとしが、体は反対に水面から下へ下へと引っ張られていた。シレナの祖母は、母親が3回目にシレナを罵っている最中に、神の力にすがって「シレナに人間の部分を残したまえ」という言葉をさしはさんでいた。こうしてシレナは、半分が魚で半分が人間の人魚になってしまった。その時以来、誰もシレナを見かけた人はいなかった。しかし、アガニアの河口に立てば、シレナが静かに歌を口ずさんでいるのが聞こえてくるという。

(参考)

@アガニア(ハガニナ)・・・グアムの首都。

 

(小話435)童話「おいしいお粥(かゆ)」の話・・・

      (一)

昔あるところに、貧しくとも信仰心の篤(あつ)い少女が母親と二人で住んでいた。二人は貧乏なので長いこと何も食べていなかった。そこで娘は、森へと行った。すると一人の老婆が現れて、少女が困っていることに気づきくと、少女に小さな鍋をプレゼントした。その鍋は魔法の鍋で「小さな鍋さん、料理を作って」と言うと、とてもおいしいお粥を作り「小さな鍋さん、料理をやめて」というと、料理をやめるという代物であった。娘は母親の待つ家に鍋を持ち帰った。こうして、二人は貧しさから解放され、好きな時においしいお粥を食べられるようになった。

      (二)

ある時、娘が出かけている時に、母親が「小さなお鍋さん、料理を作って」と言った。鍋はおいしいお粥を作り、母親は満腹になるまで食べた。そしてもうたくさんと思ったのだが、母親は鍋に料理をやめさせる言葉を知らなかった。鍋はどんどんお粥を作った。そして鍋からあふれ出した。それでも、まだまだ鍋はお粥を作った。台所がお粥でいっぱいになり、家もお粥でいっぱいになった。そして隣の家も、通りも一杯になり、それはまるで全世界の飢えを満たそうとしているようであった。それからずいぶんと時間がたった。しかし誰一人として、それをとめる方法を知らなかった。とうとう、最後の一軒にまでお粥が押し寄せた時、娘が家に帰って来て「小さなお鍋さん、料理をやめて」と言った。こうして鍋はお粥を作るのをやめた。しかし、町に戻ってこようとする人たちは、みな、お粥を食べながら帰ってこなければならなかった。

(参考)

グリム童話の「おいしいお粥」より。

 

(小話434)「バジルの壺」の話・・・

     (一)

昔、シシリー島にイザベラという美しい娘が住んでいた。イザベラには二人の兄がいて、彼らはイザベラが資産家と結婚して持参金が入るのを期待していた。ところが、イザベラが恋に落ちた相手は、兄たちの店で働くロレンツィオという貧しい青年であった。二人は人目をしのんで会うようになった。ある夜、兄の一人が二人の逢引きを見てしまった。兄は怒って、もう一人の兄に相談した。次の日、二人の兄弟はロレンツィオを呼び出した。そして彼に、フィレンツェへ仕事に行ってくれないか、と頼んだ。二人の兄弟は、ロレンツィオを森へ連れて行って殺し、死体を埋めてしまった。イザベラはロレンツィオが自分のもとに帰って来ないので心配した。イザベラの問いに、兄たちはロレンツィオが、フィレンツェで別の女性に夢中になったのでイザベラのもとへはもう戻って来ないと告げた。兄たちの話を信じたイザベラは一日中、ベッドの中で泣いていた。すると、ロレンツィオの亡霊が現れて、イザベラに真実を告げ、自分が殺されて埋めらた場所を教えた。

     (二)

イザベラが森へ行って、亡霊に教えられた場所を掘ってみると、ロレンツィオの遺体とナイフがあった。イザベラはロレンツィオの側(そば)をかたときも離れたくなくて、しばらくはそこにいたが、彼の遺体を森から持ち出すのはできなかった。そこでイザベラは、ナイフで愛(いと)しい恋人の頭を切り取って家に持ち帰り、彼の頭を壺に入れて土をかけ、その上にバジルの種をまいた。イザベラは毎日、バジルに涙を注いで大切に育てた。バジルはイザベラの涙や朽ちていく頭から養分を吸って青々と育ち、うっとりとした香りを漂わせた。こうして、バジルの壺はイザベラの心の支えとなった。しかし、成長の早すぎるバジルのことが近所の人々の噂にのぼるようになると、兄たちはイザベラを資産家と結婚させるのに邪魔になると思ってバジルの壺を盗んで割ってしまった。そして、鉢の中からロレンツィオの頭が出てきたのを見た兄たちは、自分たちの殺人が知られたことを悟り、町から逃げ出した。恋人ロレンツィオを失い、心の支えだったバジルの壺も無くなってしまったイザベラは、悲しみのあまり、バジルの鉢を求めて歌いながら狂い死んでしまった。

(参考)

@バジル・・・ハーブの一種で、古代ギリシアでは王家など貴人の香水や薬に使われたことから、「王様のハーブ」と呼ばれたバジル。日本名はメボウキ(目箒)。

Aイギリスの詩人ジョン・キーツの詩「イザベラ、又はバジルの壺」より。

「イザベラとメボウキの鉢」(ウイリアム・ホルマン・ハント)の絵はこちらへ

「イザベラ」(ジョン・エヴァレット・ミレイ)の絵はこちらへ

「イザベラとメボウキの鉢」(ストラッドウィック)の絵はこちらへ

「イザベラとメボウキの鉢」(ジョン・ホワイト・アレキサンダー)の絵はこちらへ

「イザベラとメボウキの鉢」(ウォーターハウス)の絵はこちらへ

 

(小話433)「お釈迦さまと魚屋」の話・・・

      (一)

お釈迦さまが、教えを広めるために舎衛国(しゃえいこく)のある町を通っている時のこと。そのすぐ前を、年寄りの魚屋が、重い籠(かご)を担(にな)って売り歩きながら、ぶつぶつ文句ばかり言っていた「ああ、こんな老いぼれを残して、罪科(ざいか)もない息子を死なせてしまうなんて、この世に神も仏もあるものか、息子さえ生きていてくれたらわしもこの年で魚を売って働かなくともよかったのに、思っただけでも腹が立つわい」と同じ事を何度も繰り返していた。お釈迦さまは、年寄りのその言葉を聞かれると珍しく声を立てずお笑いになった。いつも、そばに仕えている阿難 (あなん)尊者はそれを見て、日頃、お釈迦さまは「相手の気を悪くしてはいけない」と言って、めったにお笑いになるようなことはなかったので立ち止まって聞いてみた「お釈迦さま、今日はなぜあのお年寄りの魚屋さんを見てお笑いになりましたか?。きっと深い訳があったに違いありません。みんなも不思議に思っているでしょう。どうかその訳をお聞かせ下さい」

(参考)

@舎衛国・・・釈迦の時代、中インド、迦毘羅衛(かびらえ)国(釈迦の出生地)の西北にあった国。波斯匿(はしのく)王が治世にあたっていた。祇園精舎はこの南にある。

Aアナン尊者・・・多聞第一。釈迦の従弟。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の世話をした。第一結集のとき、彼の記憶に基づいて経が編纂された。(注)多聞とはお釈迦さまの説法をもっとも沢山聞いたということ。

      (二)

すると「よしよし、阿難よ、よく尋ねた」とお釈迦さまは上機嫌で「何でも、わからない事を尋ねる事はよいことです」と阿難をほめて答えられた「あの年寄りの魚屋さんは、毎日、漁(りょう)に出かけて沢山(たくさん)の魚のかけがいのない生命を奪いながら、いまだかって憐(あわれ)みの心なく、この尊い魚の生命によって生かされている感謝の心をもった事もなく、愚痴と不足に明け暮れている、その恐ろしい罪が自分の身に災いして、息子が先に死ぬと言うような悲しい目にあったのだよ。それに気がつかないで、神や仏の仕業でもあるかのように恨み叫んでいるのは愚かだと言わねばならない。私が笑ったのは、その愚かなる振る舞いなんだよ」と。阿難尊者と一緒にお話を聞いていた多くの弟子たちも、深く心にうなずいた。それを見ながらお釈迦さまは「愚かなる行いを止め、善き因縁に恵まれて、仏となる道を片時も忘れず、心を緩めずにしっかりと見つけ出すのだよ」と念を押すようにやさしく教えられた。みんなはまた深くうなずいた。

 

(小話432)「美しくも冷たい月と狩猟の女神・アルテミス」の話・・・

        (一)

ギリシャ神話より。アルテミスは、オリュンポスの十二神の一人で、月と狩猟の女神。太陽神アポロンと双子(アポロンの妹)で、大神・ゼウスと女神・レトの娘。異母姉妹である女神・アテナを敬愛し処女神となった。そのためか冷たく、極端に潔癖な面があった。その姿は、銀の帯、銀のサンダル、銀の弓を持つ繊細な女性の姿で、輝くばかりの美しい容貌でありながら、その表情は優しさとは程遠く、冷たく厳しく鋭い。そして女神は、森の奥深くに住み、犬や鹿を連れ、ニンフ(妖精)を従えて狩りを楽み、異性を遠ざけた。アルテミスは、大変に早熟な娘で生後、数分で、彼女は兄を生もうとする母である女神・レトの産婆となった。それは、ゼウスの妻ヘラが、女神・レトから生まれる子供が「今までに生まれた者の中で、誰よりも輝かしい存在になる」という予言があったためと嫉妬からレトの出産を呪ったためである。そのためレトは、世界中を追われ、やっとデロス島で出産をむかえたが、大変な難産に苦しめられた。そのひどい陣痛の原因は兄・アポロンであり、アルテミス自身は母を悩ませることなく安らかに生まれた。それを見た運命の女神モイラたちはすぐさま彼女に出産の女神としての権能を与え、アポロンを生まんとして苦悶する母の助産婦を務めさせたのであった。

(参考)

@アルテミスの誕生・・・は「(小話349)「太陽神・アポロンの誕生」の話・・・」を参照。

A女神・レト・・・コイオスとフォイベに間に生まれたティターン族の女神で、「黒い衣の乙女」とも呼ばれていた。

B女神アテナ・・・ゼウスと知恵の女神・メティスの娘で、すっかり成人して鎧(よろい)かぶとをつけた姿でゼウスの頭から飛び出してきたといわれている。知恵と技芸、戦いの女神。

C女神モイラ・・・複数でモイライ。人間の運命を決定し監視する三女神。掟の女神テミスの娘(クロト(紡ぐ者)・ラケシス(割り当てる者)・アトロポス(不可避の者))この老女神達が下した運命をオリュンポスの神々であろうと覆す事は出来ないが、ただ、ゼウスは女神達が決した運命を、運命の秤で知る事だけは出来た。

        (二)

やがてオリュンポス山に昇って父である大神・ゼウスに目通りをしたとき、可愛い娘だと目を細める父の膝に座ると、小さなアルテミスはこう言った「ねえお父さま、お願い聞いてくださる?」「おお、いいとも、何なりと言うがよい」利発な小さな女神は、一気に言った。「まずは、永遠に乙女の身でいることをお許しになって。次に、兄・アポロンに負けないくらいたくさんの呼び名がほしいの。それから弓と矢をくださいな。それから、わたくしに松明を与えて「光の運び手」にしてちょうだい。あと、オケアノス神の娘たちを六十人ほどとアムニソス河神の娘も二十人ほどくださいな。それから、山という山をすべてわたくしにください。町の方は別にどれでも。これでおしまい」こう言うと、小さなアルテミスは、父に甘えて、そのの髭(ひげ)に触ろうと頑張った。娘の愛くるしさにゼウスは、アルテミスを抱きしめて言った「いいとも、レト女神がこんなに可愛い子をわしに生んでくれた日には、ヘラの怒りなどわしは一向気にはせんぞ。娘よ、おまえが望むものすべてを与えよう」こうして、小さなアルテミスは、クレタ島のアムニソス河神の娘を二十人(妖精)をもらい受け、次いで大洋オケアノスの六十人の愛らしいオケアニデス(オケアノスの娘達=妖精)を貰った。彼女たちは皆、女主人に倣(なら)って生涯、処女を守ることを誓った。最後に、お伴のニンフたちを引き連れて女神は、火と鍛冶の神・ヘパイストスの鍛冶場に行き、そこで働くキュクロプスたちを訪ねた。そして、一つ眼の巨人の職人たちにこう言い放った「ねえキュクロプスたち、わたくしにも銀の弓矢と矢筒を作ってちょうだい。わたくしもアポロン(アポロンは金の弓矢)と同じ、レトの子なんですもの。もちろんタダでとは言わないわ。その弓矢で狩った獲物をあなたたちにあげるから」それを聞いたキュクロプスたちは喜んでそれぞれの品を造った。

(参考)

@オケアノス神・・・海神で、大地の果てにある世界を取り巻く川であり、海も川の泉も、その川、海神オケアノスから流れたものであるという。この神は海、川、河、湖の妖精達の親である。

Aヘパイストス・・・火と鍛治の神。ゼウスが一人でアテナを生んだのに対抗して、ヘラが一人で生んだ子とされている。そのためか、すべて完全で美しい神々の中で、彼だけは醜くびっこだった。キュクロプスらを従え、自分の工房で様々な武器や道具、宝を作っているという。アポロンの金とアルテミスの銀の弓矢なども造った。

Bキュクロプス・・・一つ眼の巨人で、卓越した鍛冶技術を持つ。キュクロプスとは「丸い目」の意味で、額の真ん中に丸い目が一つだけ付いている事に由来する。

        (三)

弓矢を身に帯びた女神・アルテミスは、次に猟犬がほしくなり、アルカディアの牧神パンの住居へ足を運んだ。パンは快く彼女の願いに応じて、とびっきり勇敢で強く、風よりも足の速い犬たちを十三匹選んだ。こうしてアルテミスが、八十人のニンフと十三匹の猟犬という大集団を引き連れてアルカディアの山野を歩いていると、アナウロス川の付近で素晴らしい5頭の鹿が跳ね回っているのに遭遇した。雄牛よりも大きく、燦然と輝く黄金の角を持った鹿で、一目(ひとめ)見て心を奪われたアルテミスは、「あれこそ、アルテミスの最初の獲物と呼ばれるにふさわしいわ」と呟くが早いか、猟犬をその場に留め、自らの俊足を駆って鹿たちを追い回し、見事に五頭のうちの四頭を生け捕って、自分の黄金の戦車を牽(ひ)く聖獣にした。その後、山に登って大きな松の木を切り、父神・ゼウスの雷から火を移して永久に消えない松明を作った。この松明をもって女神は夜の闇を照らし災いを祓(はら)うパイスポリア(光の運び手)となった。これ以後、彼女は母である女神・レトと兄の太陽神・アポロン以外の神々とはあまり深く関わることなく、愛する狩猟に没頭した。アルテミスは、血を分けた家族(父を除く)と強い絆で結ばれていた。まず彼女は他の誰よりも母である女神・レトを守って大切にした。そして、彼女は、兄・アポロンとともに母に仇(あだ)なす者を片っ端からその矢にかけて倒していった。

(参考)

@牧神パン・・・神々の使者ヘルメスとニンフ(妖精)の間に生まれた牧人と牧畜の神。上半身は人間で、下半身は山羊の陽気な神で、酒、踊り、音楽を愛し、ニンフたちの踊りにあわせてアシ笛を巧みに吹き鳴らす音楽家である。又、アポロンに予言の術を教えたといわれ、慌て者で人間に恐慌を起こさせるので、これがパニックの語源となった。

A五頭のうちの四頭・・・逃げた一頭はケリュネイアの丘に棲みついて「黄金の角を持つケリュネイアの鹿」と呼ばれ、後に英雄ヘラクレスによって生け捕られることになる。

B矢にかけて倒していった・・・彼女の放つ矢は人間に疫病そして痛みなしに突然の死をもたらすものであった。野生の動物、ライオン、熊、狼、小鳥などが彼女の聖獣であった。又、アルテミスは、海王・ポセイドンの国に対して神秘的な力を持ち、彼女だけが海の潮をポセイドンから譲られた銀の鎖銀の鎖で操る。(ポセイドンから譲られた銀の鎖を使って潮の満ち引きを思い通りにすることができた。

「ディアナ(アルテミス)の水浴」(ヴァトー)の絵はこちらへ

「狩りから帰るディアナ(アルテミス)」(ブーシェ)の絵はこちらへ

        (四)

これほどにも強く母を愛するアルテミスを、母なる女神・レトもまた心底愛し、誇りにした。きらめく矢筒を背負った娘が獲物を追って元気よく山々を駆けめぐり、お伴のニンフたちと快活に遊び戯れる姿を見るのがレトの何よりの楽しみであった。「カリステ(最も美しい女)」や「アリステ(最も優れた女)」と呼ばれることもある美しい女神・アルテミスが大勢のニンフたちの中でも一際みずみずしく光り輝く様をうっとりと眺めながら、レトは幸せの笑みを浮かべるのであった。また双生の兄・アポロンも、彼女と大変に仲がよかった。というより、処女神であるアルテミスの眼中に入る男といえば、父ゼウスの他は兄・アポロンしかいなかった。父ゼウスは神々の王のため、結局、兄・アポロンが彼女の愛情を独占することになった。狩りを終えるとアルテミスは黄金の戦車を駆(か)り、慕(した)わしいアポロンが待つ立派な館へ向かった。そして詩神ムーサたちやカリスらに輪舞をもうけるよう命じると、自らもアポロンの奏(かな)でる竪琴やムーサたちの歌に合わせて軽やかに舞い踊るのであった。このようにアポロンとアルテミスは、仲睦まじい兄妹で、まばゆい美貌の二人が並んでオリュンポスの宴席に着いている姿は、まさに他の神々を圧倒して光り輝いていた。

(参考)

@詩神ムーサたち・・・宴席ではムーサたちは歌を歌い、カリスたちは輪舞を舞う。ムーサたちは音楽の神アポロンの侍女でもある。主なムーサたち。(1)クレイオ---讃える女。(2)エウテルペ---喜ぶ女。(3) タレイア---華やかな女。 (4)メルポメネ---歌う女。(5)テルプシコラ---踊りを楽しむ女。 (6)エラト---憧れを呼ぶ女。(7)ポリュムニア---賛歌を沢山持つ女。 (8)ウラニア---天の女。学(9)カリオペ---美しい声の女。

Aカリス・・・美と優雅を司る女神。

「ディアナの水浴(アルテミス)」(ブーシェ)の絵はこちらへ

「狩りの後で休息するディアナ(アルテミス)と仲間たち」(ブーローニュ)の絵はこちらへ

いろいろなアルテミス(ディアナ)の絵等はこちらへ

(1) 「アルテミス、通称(ギャビーのディアナ)」の像はこちらへ***(2) 「アルテミス女神」の像(ヴェルサイユ宮殿)はこちらへ***(3) 「狩猟の女神アルテミス(ディアナ)」の像(リュクサンブール公園)はこちらへ***(4)「アルテミス」(アレクサンドル・コエサン)の絵はこちらへ***(5) 「狩人ディアナ」(フォンテーヌブロー派)の絵はこちらへ***(6) 「ディアナとニンフたち」(ヨハネス・フェルメール)の絵はこちらへ***(7) 「アルテミス」(コレッジオ)の絵はこちらへ***(8) 「アルテミス」の絵はこちらへ***(9) 「アルテミス」の絵はこちらへ***(10) 「ファウヌス(パーン)に驚かされたディアナ(アルテミス)と彼女のニンフたち」の絵はこちらへ

 

(小話431)「旅僧と梅・松・桜の盆栽」の話・・・

能「鉢木」より。天地の境も定かならぬ大地の上で、すさまじい吹雪の中を衣(ころも)をひるがえしながら笠を着けた一人の旅僧が、大雪に難儀(なんぎ)して、上州佐野の里で一夜の宿を頼んだ。庵(いおり)の主人・佐野源左衛門常世は親族に所領を横領されて貧窮の極にあったので、旅僧に宿を貸すことを断った。だが、すぐそれを悔(く)やんで雪の荒野を彷徨(ほうこう)して旅の僧を呼び戻して庵の内に招き入れた。主人は旅僧に粟の飯を供し、寒夜に暖をとるため、秘蔵の盆栽「梅・松・桜」の三本の木を切って、薪(まき)として火を焚(た)いてもてなした。そして、夜語りに一族の者に領地を横領され、落晩(らくはく)した貧窮の暮らしながら「落ちぶれていても、いざ鎌倉のときは一番に馳(は)せ参ずる覚悟だ」と武士の覚悟を語った。この旅僧は、実は諸国行脚して民情視察をしていた時の幕府の執権・北条時頼であった。やがて鎌倉に帰った時頼が軍勢召集の触れを出すと、果たして佐野源左衛門常世は長刀(ちょうとう)をもち、やせ馬に鞭打ってかけつけた。そこで時頼は「諸国の軍勢の中でもっともみすぼらしい武士を連れてこい」と命じた。呼び出された常世(つねよ)に、時頼は過日の旅僧は自分であったといい、さらに鎌倉に馳せ参じた忠誠をほめ本領安堵(ほんりょうあんど)した上、「火にくべた鉢の木の礼」にと鉢の木に縁のある梅田・桜井・松井田の三ケ庄を与えた。常世は「喜びの眉を開きつつ」喜び勇み立って安堵された本領の佐野へと帰って行った。

(参考)

@北条時頼・・・鎌倉幕府の五代執権・北条時頼は、北条氏の独裁体制を確立するとともに、民政にも意を尽くしたことから、諸国行脚の伝説が生じた。

A本領安堵・・・鎌倉時代から室町時代の初めにかけて、将軍が自分に忠誠を誓った武士に対して父祖伝来の所領の所有権を認め、保証したこと。

B富山地方鉄道、東三日駅の近くにある黒部市民会館の横に「佐野源左衛門常世之遺跡」と書かれた大きな石碑がある。

「時頼」(菱田春草)の絵はこちらへ

 

(小話430)「忠告の難しさ」の話・・・

   (一)

昔、鄭(てい)の武公(ぶこう)は胡(こ)の国を伐(う)とうと思った。そこで、まず娘を胡の君主に嫁がせた。そうすることで胡の君主の心証(言葉や行動から受ける印象)を良くしておいた。そうしておいてから、臣下にこう聞いた「私は兵を起こそうと思うが、どこの国を伐(う)てばよいか」重臣の関其思(かんきし)がこう答えた「胡を伐つのがよろしい」武公はこれを聞くと怒り、即座に関其思を殺してこう言った「胡は兄弟のような国だ。そうであるのに、これを伐てというのは、何事か!」胡の君主は、このことを聞いて、鄭が自分たちに親しいと考え、それからは鄭の侵攻に対する備えをしなくなった。鄭はその隙をついて、胡を攻撃して占領してしまった。

   (二)

宋(そう)の国にある富豪がいた。雨が降って家の土塀がくずれたとき、彼の子供が「早く塀を直さないと、きっと泥棒に入られるよ」と言った。その隣の家の老人もまた同じことを言った。夜になって、そのとおりに泥棒に入られ、多くの財貨が盗まれてしまった。その富豪は、隣の老人と自分の子供が同じことを言って的中したのに、自分の子供をたいへんな知恵者だと誉(ほ)め、隣の老人を怪しいと疑った。真実を知ることが難しいのではなく、知ったことにどう対応するかが難しいのである。

 

(小話429)「おとめ教会博士、聖女シエナのカタリナ」の話・・・

     (一)  

聖女と言われたカタリナ・ベニンカーザは、シエナの町の貧しい染物屋の25人の子どもの下から2番目として生まれた。カタリナは女の双子(ふたご)の一人で、妹は生後すぐに亡くなった。幼いときから修道生活に憧れていたが、両親は反対していた。6歳になった時、母親のお使いで兄と一緒に姉の所へ行き、用事を済ませて坂道を帰る時、カタリナが目を天にあげると、教会の屋根の上に、主イエス・キリストが教皇の盛装で座っているのが見えた。カタリナは恍惚となって立ちどまった。救い主は彼女に微笑みかけ、手を伸ばして祝福を与えた。カタリナは、すでに7歳の時に聖母マリアに祈り誓願していた。「私の唯一の主であるあなたの御子イエス・キリストを私にお与え下さい。私は決してほかの夫を迎えず、いつも純潔で汚れのない身を保つことを、この「御方」とあなたに誓います」彼女はその処女性を神に捧げたのであった。カタリナが12歳の時、救い主はこの願いを聞きいれ、4つの宝石で飾られたみごとな金の指輪を彼女に贈った。「あなたの創造主であり救い主である私は、あなたを「信仰」において娶(めと)る。あなたはこれを、私たちが天において永遠の婚礼を挙行するまで、純潔に守るがよい。娘よ、今は勇気をもって行動し、私の摂理があなたに委託する事業を恐れなく成しとげるがよい。あなたは「信仰」によって武装している。すべての敵に対して勝利を納めるであろう」こう言って救い主は消え、指輪はカタリナの指に残った。そして、18歳のときにようやくドミニコ会の修道院に入ることができた。20歳の時、カタリナは主の啓示を受けた。「あなたの愛を直接私にささげることは出来ませんが、私の代わりに隣人を与えましょう。何も求めずに彼らを愛しなさい」と。当時(14世紀)は、教会内の分裂、ペストの流行、教皇のローマからアヴィニョンへの退去などで世の中は大変混乱していた。カタリナはペスト患者や貧しい人々、刑務所にいる人々のために献身的に働いた。

     (二)

こうして、聖徳の誉れ高くなったカタリナのまわりには多くの人々が集まった。彼女はこれらの人々を「麗(うるわ)しき群れ」(世間では「カタリナの軍隊」と呼ばれた)と名づけた。彼らはドミニコ会の、この若い第三次会員(修道の戒律を守っている俗人信徒)であるカタリナが、彼らが求めている精神生活を生ぜしめ、かつ開花させてくれることを願って、彼女のまわりに引きつけられていたのであった。それに反して当時の教皇は、1309年クレメンス5世が、ローマから追(おわ)われて以来、フランスのアビニヨンに住んでいまた。時の教皇グレゴリウス11世のまわりには、神学者、学者、科学者、知識人、バリ大学の人々がとりかこんでいた。彼らはフランス王の顧問団で、これはフランス王の権威のもとにあることなので、教会にとっては有害なことであった。このような状況のもと、事件がおこった。1375年ごろ、それまで教皇座にもっとも献身的であったフィレンツェ市が反乱をおこし、教皇の地上の権力を否定するようになった。そこで、グレゴリウス11世はフィレンツェの人に対して勅令を発した。フィレンツェが通商をおこなっていたすべての国々の領主たちに、フィレンツェ人のすべての財産を差し押さえさせたのである。この処罰の結果、フィレンツェの人々は、教皇に和平を求めざるを得なくなり、彼らはそれをカタリナに頼むことにした。フィレンツェの主(おも)だった人々は、彼女に対して「アヴィニョンへ行って教皇と交渉してください」と依頼した。

     (三)

カタリナの生涯の目的は、第1にキリスト教団の首長たちの間を調停して平和を築くことで、フィレンツェの人々の願いを聞いたのもそのためであった。第2に教会改革への努力、つまり教皇をアヴィニョンからローマへ連れもどすことであった。彼女は信者の一行と共にアヴィニョンに着くと、すぐに教皇グレゴリウス11世に会って、フィレンツェとの和平とローマ復帰の決心を嘆願した。教皇はカタリナに言った。「私が和平を望んでいることをあなたに証明するために、すべての交渉をあなたの手にゆだねます。ただ教会の名誉を大切にしてください」と。しかし、教皇はローマへの帰還には躊躇(ちゅうちょ)した。前任者のウルバヌス5世が、はやばやとローマからアヴィニョンに逃げ帰った経緯もあったからである。しかし、最終的に1377年1月、教皇はローマへ復帰し、ここに「教皇のバビロン捕囚(ほしゅう)」といわれていたアヴィニョン滞在は、グレゴリウス11世をもって終わった。王族でも貴族でもない、一介の染物屋の娘カタリナの説得が、教皇の心を動かしたのである。カタリナは1380年にローマで、33歳の若さで死去した。

(参考)

@教皇はローマへ復帰・・・1377年1月にローマへ戻る。しかし、帰還に反対するフランス人の勢力も強く、グレゴリウスの死後、教皇が並び立つという教会大分裂(シスマ)の時代を迎えることになる。

A不幸な教会大分裂が終息したのち、1461年、時の教皇ピウス2世はカタリナを聖人として列した。

B聖女カタリナの祝日は4月29日で、1855年にピウス9世は、聖カタリナの遺体をミネルヴァ教会に移葬した。

C1866年には聖カタリナをローマ第2の守護聖人と定めた。カタリナが教皇庁をアヴィニョンからローマに帰還させたからである。

D20世紀に入るとパウロ6世は1970年10月、聖カタリナを「教会博士」と宣言した。

「シエナのカタリナ」(ドメニコ・ベッカフーミ)の絵はこちらへ

 

(小話428)「月と狩猟の女神・アルテミスと鹿になったアクタイオン」の話・・・

        (一)

ギリシャ神話より。狩りが得意な美しい青年アクタイオンは、有名なテーバイ王・カドモスの孫で、養蜂と牧畜の神アリスタイオス(アポロンの子)とアウトノエ(カドモスとハルモニアとの娘)の息子であった。彼は、半人半馬の姿をもつケンタウロス族の賢者ケイロンに弓を学んだ狩りの名人でもあった。彼は、いつもテーバイの山野を猟犬たちを引き連れて駆け回っていた。ある夏の日、いつものようにアクタイオンはキタイロンの山に入って狩りをしていた。従者たちと優秀な猟犬たちを連れていた。アクタイオンは、従者たちや猟犬たちを待たずに一人で奥へ奥へと進んだ。真夏の太陽が狩りをするアクタイオンをじりじりと焼いていった。汗はとめどなく流れてきた。「のどが渇(かわ)いたな。泉でも探そう」とアクタイオンは額の汗をぬぐって、狩りは休憩にして水を探すことにした。しばらく歩くと、辺(あた)りは糸杉が生えた谷になってきた。そして、谷には自然にできた洞穴があり、奥くから賑(にぎ)やかな女たちの声が聞こえてきた。気になって近づいてみると、若い女たちが笑いさざめき合って水浴(みずあ)びをしていた。女たちの真ん中には、ひときわ背の高い美しい女が一人いた。彼女が立ち上がるとその全裸の姿は光り輝く宝石のようで、そのあまりにも美しい光景にアクタイオンは見入ってしまった。そして、身を乗り出すあまり、枝を踏みつけてしまった。その音に「だれ!」と真ん中にいた裸の女が叫んだ。他の女たちも音のしたほうを振り向くと、悲鳴をあげて、裸の女をかばおうと寄り集った。しかしその女の背丈は他の女たちより頭ひとつ以上高く、顔と肩はあらわになったままだった。アクタイオンの目は、背が高くて白い肌を持つ美しい裸の女に向けられたままだった。

(参考)

@賢者ケイロン・・・神々の二代目の王・クロノスとピリュラの子で、大変賢く、音楽、医術、予言の力を手にし、狩りを覚えた。やがて、彼は、テッサリア地方ペリオン山の洞窟に住み、イアソン、ヘラクレス、アキレウス、アスクレピオスなどの多くの英雄を育てた。

        (二)

アクタイオンがたどり着いたこの泉は、狩猟の神でもある処女神・アルテミスに捧げられた泉で、ここにいるのは女神・アルテミスと彼女に付き従うニンフ(妖精)たちであった。女神は狩りを終えると、いつも清らかな川や泉で水浴をしていた。「おまえ、私の裸を見たんだね」アルテミスは羞恥と怒りで真っ赤になり、その声はアクタイオンを威圧するものであった。アクタイオンはアルテミスの一睨(ひとにら)みで金縛(かなしば)りにあったように動けなくなった。「誰にでも言いふらすがいい。それができるならばね」とアルテミスは、我を忘れて見入っているアクタイオンを睨(にら)むと、泉の水を汲(く)んで、思い切り彼の頭上へ投げ放った。水しぶきがかかると突然、彼の頭には2本の角(つの)が生え、耳はとがって毛が生えてきた。そして、手は蹄(ひづめ)のついた獣の前足に変わり、肌は全身毛に覆われてまだら模様になった。アクタイオンは、あっという間に鹿の姿に変えられてしまった。彼は、慌てて泉を逃げ出すと、おそるおそる川面に自分の姿を映(うつ)してみた。やはり川面に映っていたのは、木の枝のような角をつけてこちらを見返していた鹿の姿だった。落胆している彼のもとに、連れてきていた五十匹の猟犬が吠えながら駆け寄ってきた。だが、猟犬たちは主人のアクタイオンに駆け寄ってきたのではなく、獲物の鹿を目指して向かってきたのであった。彼は逃げ回ったが、結局は最後に自分の犬たちに引き裂かれ、かみ殺されてしまった。

(参考)

@アルテミスの裸を見た・・・アルテミスの裸を見たのはアクタイオンの外に、クレタ島のシプロイテスという若者も、彼女の水浴を覗(のぞ)いてしまった。彼は、処女神・アルテミスの呪いを受けて、彼自身が女に変えられてしまったという。

A鹿の姿に変えられてしまって・・・鹿の姿で逃げ出したアクタイオンに向かって、泉から上がった女神・アルテミスは、銀の弓と矢を取ると、渾身(こんしん)の力をふるって弦を引き絞り、一気に矢を放った。矢は狙いどおりに、鹿に変わったアクタイオンの心臓を射抜いたという説もある。

B五十匹の猟犬・・・猟犬は主人の死を悲しんだが、賢者ケイロンが実物そっくりのアクタイオンの銅像を作ったので、猟犬の悲しみもおさまったという。又、アクタイオンをおそった犬の一匹であるメランポスが空に上げられて、こいぬ座(子犬座)になったともいう。

「アクタイオンとディアナ(アルテミス)」(ティチアーノ)の絵はこちらへ

「ディアナとアクタイオン」(ジュゼッペ・チェーザリ)の絵はこちらへ

「ディアナとアクタイオン」(コロー)の絵はこちらへ

「アクタイオンの死」(ティチアーノ)の絵はこちらへ

 

(小話427)「目連(もくれん)尊者とある夫婦」の話・・・

      (一)

目連尊者はマガダ(摩竭陀)国内を托鉢(たくはつ)して歩きまわり、とある家の戸口に着いた。すると、その家では、家の主人が妻と一緒に魚肉をおかずにして食事をしていた。子供を膝に抱いている主人の前に、黒い牝(めす)犬がいたので、犬に魚の骨を投げ与えた。そのとき、家の主人は目連尊者の姿を見て「尊者よ、今、この家には、托鉢に差し上げられるようなものは、何もありません」と言った。尊者は静かに立ち去った。その家の戸口に、町の長老達がいたが、彼らは尊者を見て、非常に驚いた。「なんと不思議なことだ。この方は神通力のある方がたの第一人者で、2大竜王のナンダとウパナンダを征服し、ヴァイジャヤンタ宮殿(帝釈天の宮殿)を左足の親指で振動させて帝釈天を驚かせ、瞬(またた)くあいだに三千世界を歩行するという方に、食物を喜捨することなく、追い払うてしまった」

(参考)

@ナンダ(難陀)、ウパナンダ(跋難陀)・・・仏法を守る八体の竜神で八大竜王の内の二体。摩伽陀(まかだ)国の守護にあたる兄弟竜王(難陀・跋難陀)。

A三千世界・・・三千大千世界とも言う。あらゆる世界または広い世界という意味である。須弥山(しゅみせん)を中心とした小世界を千倍したものを小千世界、それを千倍したものを中千世界、さらにそれを千倍にしたものを三千大千世界という。

      (二)

そこで、目連尊者は彼らを教化(きょうか)するために語った「諸君、何も不思議なことではない」。人々が「何かほかに不思議なことがありましょうか」というと、尊者は言った「あの家の主人は魚の肉をおかずにして食事をしていたが、あの魚はあの家の主人の父親である。あの家の裏に蓮池(はすいけ)があるが、その父親はその池から多量に魚を捕って食べたのだ。彼は死ぬと、その池に魚となって生まれた。彼は何度も捕って食べたので、彼はその池に繰り返し生まれるのだ。それに、あの牝犬はあの家の主人の母親なのだ。彼女は強欲で、何も布施(ふせ)をしなかったし、また戒(いまし)めを守らなかった。家のために全財産を守ったのである。彼女は家に心残りがあったので、死んだのち牝犬に生まれた。死んでは繰り返しこの家に生まれ、そして「いかなる者もこの家に入ってはならぬ」と、夜どうし家の回りをうろつくのである。それに、家の主人が膝に抱いている息子は、彼の妻の情夫だったのだ。彼は妻が間男(まおとこ)していると聞き、ほかの村に行くと偽って、家を出た。女房は情夫と寝ていた。かの家の主人は夜になると帰ってきて、情夫を殺したのである。ところが、その情夫は女房に心残りがあったので、恋慕の鎖につながれて、その女房の胎内に宿って、生まれ変わったのだ。諸君、見てごらん。あの家の主人は父親であった魚の肉を食べ、母親だった牝犬に魚の骨を与えている。かの生死の回転の嫌らしさは、嫌悪すべきものである。この場合、不思議なことがあるとすれば、実にこのことこそ、それなのだ」。そこで偉大なる目連尊者は後に続く世代の人々を教化するために、すべての意義を詩に要約した。「父親の肉を食い、母親には魚の骨を与え、女房の情夫を可愛がる。世間は愚かさの闇に包まれている」と。

 

(小話426)「鴛鴦(えんおう)の契り」の話・・・

   (一)

中国は春秋時代の大国、宋の康王(こうおう) は残虐な暴君として史上に名高い人物であった。この康王の侍従(じじゅう)に韓憑(かんひょう)という者がいた。その妻、何氏(かし)が絶世の美女であることに目を付けた康王は韓憑から何氏(かし)をとりあげて側室にしてしまった。韓憑は王のやりかたを恨んだが、王はかえってそれを怒り韓憑を無実の罪に陥(おとしい)れて、城旦(じょうたん)の刑に処した。何氏は、王の目を盗んでは、こっそり愛する夫だけにわかるような言い回しをつかって手紙を書いたりした。だが、韓憑は絶望のあまり自殺してしまった。これを聞いた妻の何氏は、こっそり腐らせておいた着物を着て、康王と共に城壁の物見櫓に登ったとき、そこから身を投げた。王の側近が慌てて何氏の着物の袖をつかんでとどめようとしたが、着物は腐っており、袖だけが側近の手に残った。彼女は落ちて死んだ。彼女の遺書にはこうあった「王は生きたわたくしの体を自由になさいましたが、わたくしには死んだ我が身を自由にさせてくださいませ。どうか、私の遺骸を夫とともに埋めてくださいますように」。

(参考)

@鴛鴦・・・「鴛」は雄の、「鴦」は雌のオシドリのこと。オシドリがいつも雌雄ともにいることから、夫婦仲のむつまじいことをいう。

A城旦の刑・・・日中は辺境の守りにつき、夜はその防備のための城壁を築くという寝る間も与えない重い刑のこと。

   (二)

だが、怒り狂った康王はこの願いを無視して、わざと韓憑の墓と向い合せに妻の何氏の遺体を埋めさせた「ふん。きさまら夫婦は死んでまで愛し合おうというのか。それなら二つの墓を一つに合わせてみよ。わしもそこまでは邪魔はせんわ」。すると、数日のうちに、二つの墓の端(はし)の所に一本ずつ大きな梓(あずさ)の木がはえてきて、十日もすると一抱え以上になった。そして互いに幹を曲げて寄りかかり、土の中では根がからみあい、地上では枝がからまりあった。樹上には一対(いっつい)の鴛鴦が飛んで来て巣を作り、日夜そこを去らず、頚(くび)を交えながら悲しげに鳴くのだった。宋の国の人々は二人のことを哀(あわ)れに思い、ついにその木を「相思樹(そうしじゅ=花言葉は、秘密の愛)」と名付けた。「相思相愛」と言う言葉もここに由来するといい、黄河の南に住む人たちは、この鳥(鴛鴦)は韓憑夫婦の生まれかわりだと信じているという。

(参考)

@相思樹・・・「紅豆南国に生じ、春来たりなば幾枝を発す、君に願う多く採りて襭せよと、此物最も相思なり」(王維=唐の詩人・画家)

若き日の王維が、美しい乙女と川辺を散策していると、ふと「相思樹」の木にでくわした。木の下には、きらきらと輝く紅色の豆がたくさん落ちていた。さっそく、彼女に「さあこの美しい豆をたくさんひらって袂(たもと)にしまっておいて下さい。私も、沢山採ってしまっておきましょう。これは、昔から「相思相愛」のしるしと言い伝えられてきたのですから」とすすめたとい。

 

(小話425)「瓜姫(うりひめ)物語」の話・・・

      (一)

民話より。昔、大和の国に貧しいお爺さんとお婆さんがいた。二人には子供もなかったので、嘆き悲しんでいた。そんなある日、お爺さんは作っている瓜畑に行って、世にも美しい瓜を一つ見つけた。それを取って帰ってお婆さんに見せ「この瓜の美しいことといったら、どうだ。これくらい可愛い子供を持っていたら、どんなに嬉しいだろうな」と冗談めかし「この瓜を取っておいて、天の落とし子ということにしよう。あんまり綺麗だから」と言うと、お婆さんはそれを漆塗りの桶(おけ)に大事に入れておいた。そんなある日、お爺さんがまた瓜畑に行って、熟れた柔らかい瓜を一つ食べようとした時「そういえば、いつか取ってしまっておいたあの瓜は、どうなっただろう」と思い出して、桶から取り出してみると、みめ麗しい姫君に変わっていた。これは神仏が報)むくい)てくださっていたんだと大喜びして、姫君を大事に大事に育てた。こうして、この姫君は月日を重ねるほどに、日ごとに愛らしさが増していった。十四、五歳の年頃になると、たいへん美しくなった。姿(すがた)形(かたち)だけでなく立ち居振舞いも気高く可憐であった。まるで天女のごとくであった。

      (二)

そのころ国の守護代の若者が、ふさわしい妻を探していた。天女のように上品な美しい姫君の噂を聞きつけて、お爺さんに手紙を送ってきた。お爺さんは「けっして、そのようなことはございません」と何度も断り続けていたのだが、世間の噂になり、結局、この申し出を受けることにした。その頃、昔から、すべてのことを妨害し災いをなす天邪鬼(あまのじゃく)という悪者がいて、この話を聞くと「嬉しいな。この姫君をなんとかして騙(だま)して誘い出し、私が入れ替わって嫁入りして、チヤホヤしてもらおう」と思っていた。姫君は嫁入りの予定が定まり、その日が近づいてきた。ある日、お爺さんとお婆さんは町に買い物に出かける際に、姫君に「すまないけれど、私たちが帰るまでは、人が何か言ったとしても この引き戸を開けてはいけませんよ」と言って出かけた。その日の昼頃に「姫君はおられますか、ここを開けてください」と言って、引き戸を叩く者があった。姫君が戸の陰から覗(のぞ)いてみると、天邪鬼が美しい花の枝を折って「これを差し上げましょう」と言った。花に心引かれた姫君が、少し細めに戸を開けると「私の手が入るくらい開けてください」と言ったので、また少し開けた。するとバッと戸を引き開けて天邪鬼は内に入り、姫を抱きかかえて、林の中の遥(はる)かに高い木の上に縛り付けて、自分は姫君の部屋に入って、美しい衣装を着て、物にもたれて横になっていた。

(参考)

天邪鬼・・・人の思っている事の反対の事をしては人々を困らせる鬼で、天邪鬼には、人の心を読みとる能力があり、その力を使って悪さをする。小鬼や悪鬼の上位の鬼とされ、額に角を生やしている。

      (三)

このように天邪鬼と姫君がすり替わったとは、お爺さんとお婆さんは露知らず、姫君の嫁入りの日が来た。守護代のもとから御輿(みこし)が迎えに来て、お供の人々が大勢派遣されてきた。御輿に乗るとき、花嫁が「必ず必ず、輿を担(かつ)いでいく時、直進の道を行ってください。林に近い辺りは通らないで下さい。そうでなくても夜道はぞっとします」と言った。御輿は出発したが、進むうちに暗さは増し、まっすぐ行こうと思ったものの道を間違え、林の木の下の道を通った。すると美しく優美な声が聞こえてきた。この世にも素敵なさえずりを聞いて人々が立ち止まると、輿の中から「春の鳥の声はなんとでも聞こえるもの。早くこの木の下を通り抜けなさい」と花嫁が急(せ)かしたが、佇(たたず)んで聞いているうちに、その声は、人の声に聞こえてきた「瓜稚児(うりちご)を 迎えとるべき手車(たぐるま)に天邪鬼こそ乗りて行きけれ・・・」こう言うので怪しく思って、松明(たいまつ)をかかげて見上げると、世にも美しい姫君が木の上に縛り付けられていた。「あらあら、何と残酷な残酷な。これはどうしたことか」と、急いで木から降ろして、輿の内を見ると、恐ろしい表情をした年老いた天邪鬼が乗っていた。急いで輿から引きずり出して捕えると、代わりに姫君を輿に乗せた。捕らえた天邪鬼は川辺に連れていって、手足を引き裂いて投げ捨てると、ススキやカヤの根元を転げまわり、ついに死んでしまった。それ以来、天邪鬼は粉々(こなごな)になって、世の中は平和になった。この天邪鬼の血に染まって、ススキの根は赤く、花の出始めも赤くなったのだという。

 

(小話424)「音楽の神・アポロンに挑んだオーボエの名手・マルシュアス」の話・・・

     (一)

ギリシャ神話より。戦いの女神・アテナは太陽神・アポロンに次ぐ万能の神で、技芸の司(つかさ)でもあった彼女は、さまざまな器具を作った。その中には喇叭(らっぱ)や竪笛(たてぶえ)があった。特にオーボエは、美しい音色を奏(かな)でたので、アテナ女神はすっかり気に入り、いつもこれを携えていた。ある日、アテナ女神がアテナイの郊外の野でオーボエを吹いていると、狩りの女神・アルテミスと美と愛の女神・アフロディーテがやってきてアテナ女神を馬鹿にした。「アテナのオーボエを吹く姿は頬が醜く膨(ふく)らんでおかしいわ」これを聞いたアテナ女神は激しく怒った。そして「こんなオーボエはもういらない」と、その自慢のオーボエを捨ててしまった。それを偶然に拾ったのが、サテュロスという半人半獣の自然の精霊の一人のマルシュアスであった。マルシュアスは、生まれつき剽軽(ひょうきん)者ですばしこく、その上、小器用であったので、すぐにオーボエを吹きこなすようになった。野山や町に、オーボエの音色が響き渡り、人々は風に乗ってやってくるその演奏に聞き惚れ、獰猛な獣(けもの)ですら静かに聞き入いるほどであった。マルシュアスの周囲には、彼の演奏に引き寄せられた人、獣、小鳥、妖精(ニンフ)で賑(にぎ)わった。「マルシュアス、もしかしてお前の腕前はアポロン様より上じゃあないのか」聴衆の中からはそんな声も聞こえだした。その噂はアポロン神本人の耳にも入った。「なんと、そのような噂が流れているとはな。音楽の神である、このアポロンもなめられたものだ」とアポロン神は苦々(にがにが)しく思っていた。そんなこととは知らず、マルシュアスはオーボエの演奏にいろいろと工夫をこらした。そして、ついには大変な天狗になり、腕自慢のはてには「アポロン様にもおさおさ負けは取るまい」などと言って歩くようになった。

(参考)

@竪笛・・・縦にして吹く笛。尺八・クラリネット・オーボエなど。

Aサテュロス・・・上半身は人間で下半身は山羊、小さな角と長くとがった耳と長い尻尾を持っていた。彼等は悪戯好きだったが、同時に小心者でもあり、破壊的で危険であり、また恥ずかしがりやで臆病だった。そして酒と踊りを愛し、情欲に満ちていた。

「ニンフとサテュロス」(ブーグロ)絵はこちらへ

     (二)

こうして図に乗ったマルシュアスは、高慢にもついにアポロン神に音楽の競技を申し込んだ。アポロン神は竪琴を弾き、マルシュアスがオーボエを吹いた。ムーサ(芸術の女神たち)たちが判定にまわった。勝負の前に、腹を立てていたアポロン神はこんな条件を出した「この勝負、勝った者が負けたものを好きにできるというのはどうだ?」。自分の腕に溺れていたマルシュアスは応じた「いいでしょう、わかりました」。たくさんの観客が集まった中で勝負は始まった。神とサテュロスの戦いであった。しかし、アポロン神は音楽の神なので、勝負にはならなかった。マルシュアスがいかに巧(たく)みとはいえ、アポロン神の足元にも及ばなかった。「さて、約束を果たしてもらうぞ。お前を好きにさせてもらう」。マルシュアスは「許して下さい。笛でこんな目に遭わすのはあんまりです」と泣いて哀願したが、アポロン神はマルシュアスを逆さに吊り、生きたまま生皮を剥ぐという残虐な罰を与えた。マルシュアスは長い苦しみの中で息絶えた。その姿を見た牧人や仲間のサテュロスたち、また森や川の妖精たちはひとしく涙を流し、その量があまりにも多すぎて川が出来上がった。その川はマルシュアス川と呼ばれ、その流れる川音(かわおと)は美しい音色(ねいろ)を奏でるという。

(参考)

@アポロン神は、マルシュアスに果し合い・・・アポロン神と森の神・パンの音楽の腕比べは、(小話423)「黄金好きのミダス王とあし笛になった妖精シュリンクス。そしてロバの耳」の話・・・を参照。

A九人のムーサ(芸術の女神たち)たち・・・詩歌の女神たち。詩人たちの守護者で、主なる九人の芸術の神(ムーサ又はミューズ)は(1)クレイオ---讃える女。歴史の記述(2)エウテルペ---喜ぶ女。笛を吹く(3) タレイア---華やかな女。喜劇 (4)メルポメネ---歌う女。挽歌と悲劇(5)テルプシコラ---踊りを楽しむ女。竪琴 (6)エラト---憧れを呼ぶ女。舞踏(7)ポリュムニア---賛歌を沢山持つ女。物語 (8)ウラニア---天の女。天文学(9)カリオペ---美しい声の女。英雄叙事詩。

「アポロンとマルシュアス」(リベラ)の絵はこちらへ

「アポロンとマルシュアス」(ペルジーノ)の絵はこちらへ

「アポロンとマルシュアス」(Bartolomeo Manfredi)の絵はこちらへ

「アポロンとマルシュアス」(richard willenbrink)の絵はこちらへ

「アポロンとマルシュアスの音楽合戦」(プーレンブルフ)の絵はこちらへ

 

(小話423)「黄金好きのミダス王とあし笛になった妖精シュリンクス。そしてロバの耳」の話・・・

       (一)

ギリシャ神話より。大神・ゼウスの子である酒の神・ディオニュソス(バッカス)が、養父であるシレノス(野山の神)と旅をしていた時のことである。シレノスが仲間からはぐれて、プリュギアの王の所有するブドウ畑に入って酔っ払っていた。それを見つけた百姓達が、王の所へ連れて行った。時のプリュギアの王・ミダスは、この地方で最大の富をたくわえていた。さらに彼は、財貨に貪欲で、金庫にあふれるほどの金を持っているにもかかわらず、新たに財宝を求めるほど強欲であった。ミダス王は自分の前に引き出された老人がシレノスで、大変な知能の持ち主であることを知っていた。そこで、ミダス王は、その知恵を少しでも得ようとシレノスを大いに歓待した。そして、十日後にディオニュソス神の元にシレノスを送り届けた。すると、幾日も世話になったことをディオニュソス神は大変に喜んで、礼に何でも願いを叶えてやろう、と言った。喜んだ強欲なミダス王は「私が触れたもの全てを黄金にしてしまうような力をください」と願った。ディオニュソス神は、王の願いを叶(かな)えた。ディオニュソスと別れたミダス王は、帰る途中で、願いが叶ったかどうか、試すべく道の木の枝を折ってみた。すると小枝が黄金に変った。落ちている石ころを拾い上げると、それも黄金に変わった。

(参考)

@シレノス・・・ディオニュソスの養父、先生にして酒飲のみ仲間のイポタネス(上半身は人間で、下半身は山羊の自然の精)で、他のイポタヌスと違う点は、通常、禿げた肥満体で、薄い唇とずんぐりした鼻をしていることである。脚も人間のそれであった。

「ミダス王とバッカス」(プッサン)の絵はこちらへ

「泥酔したシレノス」(ルーベンス)の絵はこちらへ

       (二)

ミダス王は上機嫌で王城に到着した。そして、空腹を満たすべく、召使いに食事の用意させた。ミダスは、パンを一つまみちぎろうとした。すると、パンは黄金に変わった。手にした肉も同じように黄金に変わった。酒を飲もうとしたが、酒も彼の唇に触れると黄金に変わった。そこへ駆け寄って来た幼い娘を抱き上げたところ、娘も黄金に変わってしまった。あまりのことに、ミダス王は再びディオニュソス神に願った。「おお、ディオニュソス神よ。私は、もうこのような力はいりません。どうか、どうか私からこの力を消してくださいますよう」すると、ディオニュソス神は言った。「パクトロス河に行って、全身を清めれば、すぐにその呪いの力は取れる」と。ミダスがその通りに実行すると、一瞬、パクトロス川は金色に化したが、すぐに清(す)んだ色に戻り、ミダス王の魔力も消えていた。このとき以来、パクトロス河の川底では砂金が取れるようになったという。

       (三)

こんな事があってから、ミダス王はすっかり黄金や華美を嫌うようになった。豪華な宮殿を出て森の中で、上半身は人間で、下半身は山羊の森の神・パンと語り合ったりして暮らすようになった。このパンがアポロン(医療・芸術・予言・太陽の神)と音楽の腕比べをすることになった。森の神・パンは、かってアルテミス女神のお伴の1人であるニンフ(妖精)の美しいシュリンクスをとても気に入って、求愛して追いかけまわしていた。シュリンクスは、醜いパンが嫌いだったので、自分を葦(あし)に変えてくれるように神に祈って、川に身を投げて死んでしまった。こうしてシュリンクスは葦になった。パンは嘆き悲しんで、その葦を切って笛を作った。パンは美しかった彼女を偲(しの)んで、毎夜のようにあし笛(シュリンクス)を吹いていたので、やがて彼はあし笛の名手になった。今回の音楽の腕比べもパンの方から言い出した競技であった。審査員にミダス王、山の神トモロス、そしてゼウスの娘である九人のムーサ(芸術の女神たち)たち。パンの吹くあし笛(シュリンクス)はとても素朴で牧歌的な音色であり、一方、音楽の神でもあるアポロンの奏(かな)でる竪琴は、華やかで洗練された調べであった。この勝負、アポロンの勝ちだった。だが、ミダス王は一人、これに異議を申し立てた。ミダス王には、アポロンの音楽は派手すぎたのである。パンの演奏の方がどうしても優れていると言い張る頑固なミダス王の定に、アポロンは腹を立てて「おまえのような音楽の分からない者が人の耳を持つものではない」と言って、ミダス王の耳をロバの耳に変えてしまった。

(参考)

@森の神パン・・・神々の使者ヘルメスとニンフ(妖精)の間に生まれた牧人と牧畜の神。上半身は人間で、下半身は山羊の陽気な神で、酒、踊り、音楽を愛し、ニンフたちの踊りにあわせてアシ笛を巧みに吹き鳴らす音楽家である。又、アポロンに予言の術を教えたといわれ、慌て者で人間に恐慌を起こさせるので、これが「パニック」の語源となった。

A音楽の腕比べ・・・アポロン神とオーボエの名手・マルシュアスの音楽の腕比べは(小話424)「音楽の神・アポロンに挑んだオーボエの名手・マルシュアス」の話・・・を参照。

「プシュケとパン」(バーン=ジョーンズ)の絵はこちらへ

「シュリンクス」(アーサー・ハッカー)の絵はこちらへ

       (四)

ミダス王は、ロバの耳が恥ずかしいので、いつも耳の隠れるプリュギア帽を被(かぶ)っていた。そのため、国民は誰も王の耳がロバの耳だという事は知らなかった。だが、ある日、髪が伸びて床屋に行った時、床屋の主人にばれてしまった。ミダス王は、床屋の主人にロバの耳の事は口外しないように申し渡したが、床屋の主人はこんな面白い事は自分の胸の中にしまっておけなく、話したくて話したくてたまらなかった。しかし王の怒りが恐ろしいので、床屋の主人は地面に穴を掘り底に向かって語り始めた「王様の耳はロバの耳! ミダス王の耳はロバの耳」。そして、その上に土をかけたところ、そこから葦が生えて、その葦が南風に向かって1日中「王様の耳はロバの耳。ミダス王の耳はロバの耳」と囁(ささや)くようになってしまった。そのため、ロバの耳の秘密はばれてしまった。ミダス王は床屋の主人を処刑しようとしたが、アポロン神が自分を殺すぐらいの理由があったのに殺さなかったことを思い出し、床屋の主人を許してやった。それを見てアポロン神は「床屋の主人を、よく許してやった」と言い、ミダス王の耳を元の人間の耳に戻した。

(参考)

@床屋に行って・・・ミダス王は髪を切る召使いを呼んで、髪を切ったが、召使いがロバの耳を見て驚いたため、王はこのことを口外するなと召使いに言い聞かせた。しかし、その召使いは、王の耳のことを黙っていることができなくなって、井戸の中に向かって、「王様の耳はロバの耳。ミダス王の耳はロバの耳」と叫んだ。その声は井戸の中を通り、町中の井戸から出てきた。おかげで、その秘密は町中の人に知られてしまったという説もある。

A「イソップ寓話」より。

      (一)「王様の耳はロバの耳」

ロバの耳をしている王様は、耳のことを皆に秘密にしていたが、いつも髪を刈りにくる床屋だけは、王様はロバの耳であることを知っていて口止めされていた。しかし床屋は黙っている事ができず、井戸の奥に向かって「王様の耳はロバの耳」と大声を出して叫んだ。その声は井戸の中を伝わり、町中のあらゆる井戸から「王様の耳はロバの耳」と聞こえ、皆にロバの耳であることを知られてしまった。だが、王様はその床屋を怒らず、皆に「これは皆の意見をよく聞けるようにロバの耳になっている」と打ち明けた。

      (二)「触れると黄金になる話」

神は王様に願い事をかなえてやると言ったので、王様は「触れるものを何でも金にしてくれ」と頼んだ。その願いが叶い、王様はいろんなものを金に変えた。しかし、王様が娘に触ったら、娘は金に変わってしまった。食べ物を食べようとすると食べ物も金に変わってしまい、触れるものが何でも金になる願いを取り消して欲しいと嘆いたそうだ。

 

(小話422)「名僧の説法と禅寺の湧き水」の話・・・

       (一)

名僧・仰山(ぎょうざん)禅師の逸話。ある夜、夢の中で禅師が弥勒菩薩の居るところで、三番目の位置に座っていた。そうして菩薩の弟子の一人から「第三座(三番目)、今日はあなたが説法をする番です」と告げられた。そこで禅師は「摩詞衍(まかえん)の法は四句(しく)を離れ百非(ひゃくぴ)を絶している。さあ聴きたまえ、聴きたまえ」(世の道理、真理は文字、言語を以って表現しつくすことはできぬ)と言って座を下りたという。

       (二)

これはある禅僧の話。ある時、寺の大行事で、多くの水を使うことなった。寺は山の中腹にあり、水道はなかった。それため今までの水源である、山からの湧水を使うことになった。それは昔から竜王水という名が付いた清水(しみず)の湧(わ)くところであった。だが、この場所に立って禅僧は頭を抱えてしまった。湧き水の貯水場は、水が淀(よど)み、濁っていて、とても飲料にはならない状態だった。直ちに業者を呼んで整備を始めた。汚泥を取り除き、しっかりした石積みで貯水槽を二つ造り、濾過(ろか)装置も設置した。そして、何度か、汚れた水を汲み出すと、日増しに透明度の高い、それも直接、口にできるような綺麗な水が滾々(こんこん)と湧いてきたのだ。それを見て思わず禅僧は合掌した。そして禅僧は、ふと考えた。何故、以前の水は濁っていて、今の水は澄んでいるのか、と。それは以前も今も、湧き出る水自体は、全く美しく安全で透明な清水なのだ。長い間の放置で、貯水槽に土砂が流入し、枯れ葉や枯れ木が埋もれ、湧いた水が直(す)ぐに汚されていただけなのだ。元の水が悪いのではない。それを貯めていた環境が悪いということだ。それは人の心にもいえることで、周りの環境を変えるだけでは駄目で、この清例な清水(本来の心)に土砂が流入し、枯れ葉や枯れ木が埋もれて泥となり汚水となっていることの自覚をもつことである。そして、もとは美しい清水でも、すぐに汚水(悪水)になることを知るべきである、と。

 

(小話421)「ダモクレスの剣」の話・・・

紀元前に権勢を極めたシラクサの国王ディオニュシオスと家臣ダモクレスの話。ディオニュシオス王の家来であったダモクレスは王の権力や栄華を羨(うらや)んで「王様は何でも自分の好きな事が出来る。羨ましい。自分も王様のような身分になりたい」と思っていた。その上、ダモクレスは大変なおべっか使いで、皆にディオニュシオス王が世界で最も幸福な王であると言いふらしていた。それを知った王が、「そんなに望むなら、一度、私の幸福感を分けてやろう」と考えた。そこで、王は酒宴の席を設け、ダモクレスを招いて王座に座らせた。喜んでダモクレスを王座に座った。だが、ふっとダモクレスは自分の頭の上を見た。すると、その頭上には、何とキラリと光る剣が一本の髪の毛(馬の尻尾とも)で吊るされていた。細い髪の毛が、いつ切れるかは分からない。切れれば、その剣は王座に座っている者の頭にズブリと突き刺さる。これは王位というものが、いつも不安定で危険(死と隣り合わせ)なものであるかを示していた。こうして、ダモクレスは二度と王を羨むことはなくなったという。

(参考)

@ダモクレスの剣・・・「幸福、栄華の中に潜む危険」「常に危険と隣り合わせの状態」「いつ起こるかも知れない望ましくないこと」等の意味で用いられる。又、「ダモクレスの剣」とは戦々恐々として精神を緊張せしむることの比喩として用いられる。

Aディオニュシオス王・・・紀元前4世紀ころは、王を生贄とする習慣があった。自分が生贄となるときが近づくと、王はダモクレス(「征服する栄光」「血の栄光」の意)という家臣を自分の身代わりとした。ダモクレスは王権の持つさまざまな特権をうらやましく思っていたので、みずからすすんで王の身代わりとなって王座に座ったという話もある。

B「ダモクレスの剣」の話は、本来、伝説で、ギリシア神話に出てくるディオニュソス神とディオニュシオスが混同してギリシア神話と思われるようになったらしい。

「ダモクレスの剣」(リチャード・ウェストール)の絵はこちらへ

「ダモクレスの剣」(オーヴレイ)の絵はこちらへ

 

(小話421)童話「ガチョウ番の娘」の話・・・

      (一)

ある国に年老いた王妃がいた。夫である王はだいぶ前に亡くなり、王妃の手元には美しい姫が、残されただけであった。王妃は慈(いつく)しみ深い女性で、娘のことをそれはそれは大事に育てていた。しかし年頃になっても姫は、一向に縁談に興味を示さなかった。そんなある日。突然、姫に縁談話が舞いこみ、トントン拍子に進み婚約にまで話しが進んだ。相手は遠く離れた国の王子だった。遠い他国に嫁(とつ)ぐ姫に王妃は充分すぎるほどの準備をした。王妃は一人の侍女を呼んだ。そして、王子の国に行きつくまでの間、姫に付き添って身の回りの面倒を見るように言い含めた。また、王妃は姫と侍女に馬を一頭づつ用意した。姫に与えられた馬はファラダという人の言葉を理解し、しゃべれる馬だった。輿入(こしい)れの日に王妃は、自分の寝室へ行き、小さなナイフを取り出して、指を傷つけて血を流した。そして白い小さなハンカチに血を三滴たらし、そのハンカチを娘に渡して言った。「いとしい娘よ、これを大事にしまっておくんですよ。旅の途中で必要な時がきますからね」

(参考)

血を三滴・・・血には霊力が宿るといわれる。又、「三滴の血の染み込んだハンカチ」は、「由緒正しい血統」の意味もある。で、ハンカチを失った時、姫は血統も母の魔的な後ろ盾も失ってしまい、ただの弱い娘になってしまう。

      (二)

こうして姫と侍女は馬に乗り王子の国へ出発した。最初の草原を越えて、川に出た時だった。姫は馬上から付き添いの侍女を振り返って、「喉が渇いたわ。おまえ、ちょっと馬を降りて盃で小川の水を汲んできて欲しいのだけど」。しかし、侍女は馬から降りず、姫に向かって「水が飲みたいならご自分でどうぞ。岸に腹這いになれば飲めますわ」と、言い放った。姫はこんな言われようは生まれて初めてだった。仕方なく自分で馬を降り、侍女の言う通り岸に腹這いになって水を飲んだ。「ああ、なさけない!」するとハンカチの血のしずくが返事をした。「もしあなたのお母様がこのことをお知りになったら、胸が張り裂けてしまうでしょうに!」そして水を飲んでいるうちに、血のしずくの付いたハンカチを、水に流してしまった。姫は、そのことに気がつかなかった。けれど侍女はその様子を見ていて、これで姫を言いなりにできる、と思って喜んだ。「ファラダには私が乗る。あんたはこのぼろ馬に乗りなさい」もう姫は、自分で考える力も失いあとは侍女のいいなりだった。侍女はさらに姫の衣装と自分の服を取り替えるように言った。姫は従うよりほかなかった。侍女は姫に言い放った。「今まではお姫様だったかもしれないけどね、王子様と結婚するのはあたしよ。このことは人と名のつくものには毛ほども話しませんって誓いなさいよ」拒(こば)めば殺されるかもしれない。姫は仕方なく青空の下で誓いをたてた。かたわらにいたファラダは黙って、二人の光景を見つめていた。

     (三)

侍女がファラダに乗り、姫が駄馬に乗って、ようやく二人は王子の城に着いた。出迎えの歓迎の群集をかき分けかき分けして、王子が小走りにやってきた。王子は偽の花嫁の侍女に挨拶すると、早速、城の中を案内しようと階段を登っていった。姫は一人階段の下に取り残された。この光景を国王が窓から眺めていた。、国王は王子の花嫁に尋(たず)ねた。「姫、あなたと一緒に来たあの娘はどのような者だ?」姫のことを忘れていた侍女は慌てて答えた。「あれは道中、私の相手をするために連れてきた者ですわ。仕事があれば、何なりと申し付けてくださいませ」とりあえず国王は、娘にガチョウ番をしているキュルト小僧の手伝いをするよう命じた。城に来てしばらく経ったある日、偽の花嫁が王子に言った。「お願いがありますの。かわはぎ職人を呼んで、自分が御嫁入りした時に乗っていた馬の首を切って欲しいのです。ここに来る途中、あの馬ったら、そりゃあ癪に触ることばかりだったのよ」そう言って、自分と姫の秘密を知っているファラダを始末した。それを知った姫は悲嘆にくれ、かわはぎ職人に頼んだ。「お願いです。あの馬の首を、トンネルアーチの門の内壁に打ち付けて頂きたいのです」その門は街中にあり、昼でも中は真っ暗だった。姫は朝と夕、必ずがちょうを追ってその門を通った。打ちつけられたファラダの首に、姫は通るたびに声をかけた。「ファラダや、お前はそこにいるの?」首だけのファラダが答えた。「姫様、そこに御通りですね。もしあなたのお母様がこのことをお知りになったら、胸が張り裂けてしまうでしょうに!」ファラダと交わす言葉は毎日それきりだった。そして、姫はキュルト小僧と街の外に出て一緒にガチョウを追い立てた。姫は草原で髪をほどいたとき、キュルト小僧は髪の毛が輝いているのを見て、二、三本抜き取ろうとした。すると姫が言った。「吹け! 吹け! 風よ。キュルド小僧の帽子を吹き飛ばせ。そして帽子を追いかけさせよ。わたしが髪を編んで、むすんで、結い上げるまで」するととても強い風が吹いてきて、キュルド小僧の帽子ははるか遠くまで吹き飛ばした。ある日、キュルト小僧は国王に申し出た。「あの娘とガチョウ番をするのはもうごめんです」「なぜだ?」「なぜって」キュルト小僧は、街中の暗い門を通るたびに、壁に打ちつけられた馬の首が娘と言葉を交わすので気味が悪い事や帽子っを風で遠くに飛ばされることを訴えた。死んだ馬の首がしゃべる。しかも人間の言葉を。国王には信じられなかった。

(参考)

吹け! 吹け! 風よ・・・古代、女性には天候を操る魔力があるとされたという。女が口笛を吹くと嵐になるという俗信がある。

      (四)

次の日、国王は暗い門の裏に耳を寄せた。そして、姫と馬の会話を聞いた。ファラダの「姫様」という言葉が暗い門に低く反響した時、国王は「これはわけありだな」と考えた。夕方、国王はガチョウ番から帰って来た娘を呼び、お前のしている事は何事か、と尋ねた。「王様、そればかりは申し上げられません。だって青空の下で誓ったんですもの」国王が何度説得しても、姫は一向に話しを打ち明けない。ほとほと困り果てた国王は、「そんなにわしに話すのが嫌なら、そこにある鉄のストーブにでも話すが良い」そう言い置いて部屋を出て行った。残された姫は言われた通り、火の気の落ちたストーブの中に入り込んだ。暗いストーブの中にいると、日ごろ抑えていた物が一気にこみ上げてきた。姫は泣き始めると、洗いざらいをぶちまけた。「今でこそ天にも地にも見放された私だけど、これでも王家の姫なんだわ。人前ではいいように振舞っているけれど、あの侍女に身ぐるみはがされて、あの人は花嫁、私はがちょう番。こんな生活をしている事がお母様に知れて、もしお母様の心臓が破裂してしまったら、ああ私、一体どうしたら良いの」部屋の外に突き出ているストーブの煙突に耳を当て、国王は姫の嘆きの一部始終を聞いていた。そして部屋に戻り、姫にストーブから出るように声をかけた。

      (五)

国王は今、彼女こそが王子の花嫁になる者なのだと悟った。国王から事情を聞いて王子も驚いた。やがて、国王と王子の提案で大広間で盛大な宴が催された。城中の者が集り、王家の友人、知人も全て招待された。もちろん、例の侍女も王子の隣の席に座った。そして反対側の王子の隣の席には、ガチョウ番をしていた姫が座っていた。宴が始まった。宴が中ほどになったとき、国王が王子の花嫁を装っている侍女に言った。「姫や、こんな話しがあるんだかね」と国王は力ずくで身分を取り替え、高貴な姫にガチョウ番をさせた性悪(しょうわる)侍女の話しを聞かせた。全て話し終えると国王は、「こんな人間はどう処分するのが良かろうね?」と、侍女に聞いた。侍女は得意げに答えた。「王様、そんな女は着物をみんな剥ぎ取って真っ裸にして、内側にとがった釘の打ちつけてある樽に放り込むのがいいですわ。それを2頭の白馬に引かせて、死ぬまで通りを引きずりまわせばいいでしょう」すると、間髪を入れず国王が言った。「それはお前だ。自分で罰を見つけたのじゃ。その通りにしてつかわそう」侍女は一瞬にして事態を悟った。そして「ファラダは死んだはず。あいつがしゃべったんだね」と侍女は恐ろしい形相で、王子の反対側に座っている姫に掴みかかろうとした。だが兵隊に押さえつけられた。そして、樽の中に入れられた。樽が石畳の上を転がり、中からは侍女の断末魔の悲鳴が聞こえてきた。こうして姫と王子は結婚し、何不自由ない暮らしが始まった。王子はとても優しかった。姫は、苦労して昔の姫ではなかった。今では「妻を間違える王子様なんて、世界中であなたぐらいなものですわ」と憎まれ口をたたくほどの睦(むつ)まじさを見せていた。「お母様、私、一人で立派にやっていける。お母様みたいに。もし将来、このあわてん坊の王子様が死んでしまったとしてもね」クスリと悪戯(いたずら)っぽく笑って、姫は隣に座っている王子を見た。

(参考)

グリム童話の「がちょう番の娘」より

 

(小話420)「大きな竜と大きな鏡」の話・・・

伝説より。昔むかし、ポーランドの首都ワルシャワの真ん中は広場になっていて、それを囲むようにいろんな店が立ち並んでいた。広場には、いつも物売りが集まり大変にぎわっていた。ところがある日、どこからか翼を持った竜がやって来て、その広場に降り立ち、その辺り一帯を破壊してしまった。人が何人も殺され、ワルシャワの人達は恐怖で家から出ることもできなかった。たまに誰かに会っても、恐ろしい竜の話ばかりであった。人々はみな言っていた。「あの竜の何が一番恐ろしいかって、そいつは目だよ。目を合わせたら最後どんな奴でも死んじまうんだとさぁ」それを聞いていた一人の若い靴屋は家へ飛んで帰り、家にあった一番大きな鏡を両手で抱えると、また慌てて家を飛び出した。「さあ、日が暮れないうちに竜を探さなくては」と靴屋は、狭い路地や、壊れた家の中も一つ残らず見て回った。日もだいぶ傾いてきたそのとき、突然、地面を引き裂くような凄まじいうめき声が、ワルシャワ中に轟(とどろ)いた。若い靴屋は抱えた鏡の端から恐る恐る顔を出した。そこには、ピクリとも動かなくなって死んでいる大きな竜の姿があった。竜は鏡に映った自分の目を見てしまったのである。みんなはたいへん喜んで、さっそく次の日から広場に新しい店を開いた。店は大変繁盛し、みんなはどんどんお金持ちになっていったという。

 

(小話419)「ミノス王と迷宮ラビュリントスの怪物ミノタウロス。そしてイカロスの翼」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。クレタ島の支配者アステリオスは、大神・ゼウスが去ったあと島に残った美しいエウロペと結婚した。だが、子が無かったのでエウロペの子が王位を継ぐことになった。ゼウスとエウロペの三人の子の内で、王位を継いだのは長男のミノスであった。彼は、海神ポセイドンに犠牲を捧げ、立派な牛が現れることを願い、現れたその牛をポセイドン神に捧げることを約束した。すると海より美しい白い牡牛(おうし)が現れた。喜んだミノス王だったが、王はその牛を渡すのが惜しくなり、別の牛を奉納してしまった。そのことを知って怒ったポセイドンは、ミノス王の妻パシパエに美しい白い牡牛への恋心を吹き込んだ。王妃は、この恋を成就させようと、建築家であり発明家のダイダロスに相談した。ダイダロスは、彼女が中に入れるような牝牛(めうし)の模型を作ってやった。パシパエはこれにはいって、ついにポセイドンの牡牛と交わった。こうして産まれてきたのがミノタウロスで、牡牛の頭に人間の身体をもつ怪物であった。ミノタウロスは、島民を追い回し、食らい、島中を恐怖のどん底につきおとした。困りはてたミノス王は、ミノタウロスを殺すには惜しく、しかし人前に出せないため、ダイダロスに命じてクノッソス宮殿の地下に巨大な迷宮(ラビュリントス=ラビュリンス)を作った。迷宮に幽閉されたミノタウロスには、生贄(いけにえ)として、毎年、アテナイ(アテネ)から送られてくる七人の若者と、七人の乙女を迷宮に閉じこめて、怪物ミノタウロスのエサとして与えたのであった。

(参考)

@エウロペ・・・(小話404)「英雄カドモスのドラゴン(毒竜)退治とテーバイ建国」の話・・・の (一)を参照。

Aダイダロス・・・ダイダロスは名高い名工だがうぬぼれが強く、ねたみ深かった。かって、ダイダロスの甥(おい)にタロスという男がいたが、 タロスは多才であり、ある時、蛇の顎(あご)骨を見て鋸(のこぎり)を発明した。 それを見たダイダロスは驚愕し、もしかすると将来自分を陵駕(りょうが)するのではないかと思い、アテナイの城から突き落して殺してしまった。 その為、ダイダロスはアテナイから逃れて、ミノス王の元で名工として尊敬されていた。

@生贄(いけにえ)として、毎年・・・九年に一度、ギリシャから若い未婚の男女7名が送り込まれていたという説もある。

      (二)

この頃、ミノス王はギリシャと戦争をして勝利を収めていたが、ある年の生贄(いけにえ)の中に、ミノタウロスを倒そうとしたアテナイの王の息子、テセウスが紛(まぎ)れ込んでいた。冒険の旅に出ていた若きテセウスはアテナイの船と出会った時、船中に少年と少女が七人ずつ居るのを不審に思って訳を聞いた。この少年らがクレタ島の怪物ミノタウロスの犠牲の為に連れて行かれる事を知った彼は、その中の一人と入れ替わって乗り込むことにした。クレタ島に着くと、すぐに生贄の少年少女達は牢獄に閉じ込められた。ミノタウロスを退治した後どうやって迷宮ラビュリントスから抜け出そうか考えていたとき、ミノス王の娘アリアドネが、牢獄にいる美しい青年テセウスに一目惚れした。そして「アテナイに妻として連れて行ってくれるなら迷宮(ラビュリントス)から抜け出す方法を教える」という条件でテセウスを助ける約束をした。そして、アリアドネはテセウスを助ける策をダイダロスに相談した。ダイダロスは、名案を思いついた。それはテセウスに銀の糸玉をもって迷宮に入り、彼は、これをほどきながらすすみ、怪物ミノタウロスを退治する。その後、糸をたどり、帰還するというものであった。これが「アリアドネの糸」である。こうして、テセウスはいわれた通りに入り口に糸を結び、他の少年らと先へと進んだ。怪物ミノタウロスと出会ったテセウスは愛用の青銅の太刀(たち)で退治し、糸を手繰って無事に迷宮を脱することが出来た。そしてテセウスは、アリアドネを連れてクレタ島を脱出した。ところが、テセウスは約束を破り、途中で立ち寄ったナクソス島にアリアドネを残したままアテナイに帰ってしまった。

(参考)

@冒険の旅に出ていたテセウス・・・別の説では、テセウスは最初からミノタウロスを退治する目的でいけにえの少年少女たちの一人となった。そして、テセウスはアテナイを出発するとき、怪物退治に成功したら白旗を、失敗したら黒旗をかかげて帰還すると父王に約束していた。しかし、テセウスはその約束を忘れ、黒旗をかかげたまま帰還したため、父王は、それを見て海に身を投げてしまった。それ以後、この海はアテナイ王アイゲウスの名を取り、エーゲ海とよばれるようになったという。

Aアリアドネを残した・・・テセウスは戦いの女神アテナの「アリアドネを置いてすぐに島を出よ」という神託を受けたので、彼女が寝ている隙に、一人旅立ってしまった。彼女はその後、酒神ディオニュソスに見初められ、二人は結婚し、彼女の頭には金の冠がのせられた。彼女の冠は、ディオニュソスによって天に上げられ「北冠座」(きたのかんむりざ)になったという。

「迷宮の中のテセウス」(バーン・ジョーンズ)の絵はこちらへ

「アリアドネ」(ウォーターハウス)絵はこちらへ

      (三)

怪物ミノタウロスを殺されて、怒ったのはミノス王である。そして、この事件の手引きをしたのは、迷宮を作ったダイダロスに違いない、とダイダロスとその息子イカロスを迷宮に幽閉してしまった。いくら迷宮を作ったダイダロスといえども、地図もなければ脱出は不可能であった。この国は島国。たとえ迷宮を抜け出せたとしても、周囲の海を越えねば逃げきれない。ダイダロスは自分の閉じ込められた地下牢をぐるっと見て回った。深い竪穴の底。遥か高い天井から漏れる日の光。そして、時折、天窓から落ちてくる鳥の羽根が数本。絶望の中で、若いイカロスは言った「あの鳥みたいに飛んで逃げようよ。父ちゃんなら、翼を作るなんて簡単でしょう」。名工ダイダロスに、不可能の文字はない。彼は鳥の羽を拾い集めて、地下の迷宮を照らすキャンドルの火と蝋(ろう)を利用して、大きい羽は糸でとめ、小さい羽は蝋で固めると、巨大な人間用の翼を完成させた。そして、両腕に翼を装着して、脱出することになった。その時、ダイダロスはイカロスに言い聞かせた「いいか、空の中ほどを飛ぶんだ。あんまり低いと水しぶきがかかって、翼が重くなってしまう。反対に高すぎると、太陽の熱で、羽を固めている蝋(ろう)が熔けてしまうからな」。二人は天窓から天に向かい飛び立った。しかし、空を飛ぶことに心躍るイカロスは、初めのうちこそ、父の後(うし)ろを必死で追いかけていたものの、すぐに慣れると、言いつけを忘れて、夢中になって上へ上へと舞い上がって行ってしまった。やがて太陽の熱で溶けだす蝋。翼はそのまま空中分解し、イカロスは真っ逆さまに海へと落ちていった。

(参考)

@イカロスは真っ逆さまに海へ・・・イカロスは海に墜落した。そこは「イカロスの海(又はイカリア海)」と呼ばれ、別の説には、ある島に落ちて「イカロス島」の名を残したといわれる。

      (四)

一方、ダイダロスは海岸まで無事に飛んでたどりついたが、息子イカロスの姿が見えず、波間に残骸の翼を発見した。我れと我が技術を呪い、遺骸を墓に葬った後、ミノス王の捜索を逃れて、シシリア王のもとに身を寄せた。ミノス王はダイダロスがシシリアに潜んでいると睨(にら)むと、「トリトン(巻き貝)に糸を通した者には、莫大な賞金を与える」と布告した。こんなことの出来る知恵者はダイダロスしかいないとの読みからである。やがて、ダイダロスの助言を受けて、名乗りを上げたのはシシリア王コカロス。コカロスは貝殻の先端に穴を開けて、蜂蜜を塗り、クモの糸を付けた蟻(あり)を通すことで成功した。ミノス王はシシリア王にダイダロスの引き渡しを迫ったが、ダイダロスは国にとって重要な恩人であり、 賞金と引替えに殺すことは出来ないと断った。そして、ミノス王を恐れたシシリア王コカロスは、ミノス王の入浴中にダイダロスが配管したパイプから熱湯を吹き出させてミノス王を殺害した。ダイダロスは老年まで生きてシシリア島で死に、そこに葬られた。

(参考)

「ダイダロスとイカロス」(レイトン)の絵はこちらへ

「ダイダロスとイカロス」(Pieter Pauwel)の絵はこちらへ

「ダイダロスとイカロス」の絵はこちらへ

「ダイダロスとイカロス」(レイトン)の絵はこちらへ

「ダイダロス、イカロスに羽根をつける」(ソコロフ)の絵はこちらへ

「イカロス」(Sidney Meteyard)の絵はこちらへ

「イカロスのための悲しみ」(ドレイパー)の絵はこちらへ

「イカロスの失墜」(ブリューゲル)の絵はこちらへ

 

(小話418)「釈迦と父・浄飯王」の話・・・

釈迦は、悟りを開いて各地に教えを伝えていた。数年経ったある時、釈迦の父親である中インド(現在のネパール)の迦毘羅衛(かびらえ)国の王である浄飯王(じょうぼんのう)よりの依頼があり、釈迦は自分の国に説法のために出向いた。国王である父・浄飯王はたいへん喜んだ。自分の子が仏陀(ぶつだ=悟りを開いた覚者)に成ったからである。当時のインドにおいては、仏陀とは宗教者の最上の名称であった。釈迦は弟子をたくさん連れて、故郷に帰った。そして、その時の服装はたくさんの弟子と同じ黄色い衣(ころも)を着ていた。浄飯王は言った「おお、皆、同じ姿で、誰が釈尊であるか、遠くからでは見分けがつかない」やっと、我が子・釈迦と再会した父・浄飯王は釈尊の着ている衣のことについて次ぎのように尋ねた。「釈尊よ、私はおまえが、もっと立派な身なりで帰ってくると思っていたのに・・・弟子たちと同じではないか?」この父・浄飯王の問いに対して、釈迦は「私は自分の心をみがいてまいりました。美しい着物も城もやがては汚(けが)れてしまいます。でも、仏陀の心は汚れることがないのです。心さえ立派ならば、それが本当の幸せです」と答えた。

(参考)

@釈迦・・・釈迦の父・浄飯王は、中インド(今のネパール)迦毘羅衛(かびらえ)国の王。迦毘羅衛国は小さな共和制の国で、当時の二大強国マガタ(摩竭陀)国とコーサラ(舎衛)国の間にはさまれた国であった。釈迦は、浄飯王を父とし、隣国の同じ釈迦族の娘摩耶夫人(まやぶにん)を母として生まれ、ゴータマ・シッダールタと名づけられた。ゴータマは「最上の牛」を意味する言葉で、シッダールタは「目的を達したもの」という意味である。ゴータマは母親がお産のために実家へ里帰りする途中、ルンビニの花園で休んだ時に誕生したと言われ、生後一週間で母の摩耶は亡くなり、その後は母の妹、摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)によって育てられた。

 

(小話417)「バビロンの悲恋・ピュラモスとティスベ」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。アッシリア王ニヌスに寵愛されたセミラミス女王が高い煉瓦(れんが)の城壁で囲んだという、バビロンの都での話。バビロンにすむ幼なじみのピュラモスと隣家の娘ティスベは、お互いに愛し合っていたが、両家の親達は非常に仲が悪く、二人の結婚を許さなかった。愛する二人には、なかに立ってくれるような腹心の友もなく、うなずきと目くばせが、語らいのすべてであった。二人は、両家の境界の石壁の割れ目から密(ひそ)かに思いをささやきあっていた。恋人たちにとっては、壁の細い裂け目だけが恋心を満たす全てであった。ピュラモスはつぶやいた「嫉妬ぶかい壁よ、どうして恋人たちの邪魔をするのだ。わたしたちに、体ごと抱きあうことを許せないというのなら、せめて口づけを交わせるほどの場所をあけてくれたとしても、それがどれほどのことだというのだろう。もっとも、わたしたちも感謝はしている。愛する耳もとへの言葉を送ることができるのも、おまえのおかげだとは認めている」離れた場所から、熱く語りあいながら、日暮れが近づくと二人は「さようなら」と、それぞれが自分の側の壁に口づけを与えていた。

(参考)

@セミラミス女王・・・アッシリア帝国の伝説上の女王で、「バビロンの空中庭園」を造らせたといわれる。

      (二)

あくる朝、ピュラモスとティスベは、人目を避けていつもの場所に寄って来た。そして、ピュラモスとティスベは駆け落ちすることにした。夜のしじまが訪れたら、見張りの目をかわして、門の外へ抜け出し、そのまま町はずれのニノス王の墓の冷たい泉のそばの桑の木の下で待ち合わせることにした。夜になると、門の蝶番(ちょうつがい)をはずしたティスベは、家の者に気づかれないように外へ出た。ヴェールで顔を隠して、墓までやって来ると、桑の木の下に坐った。恋が彼女を大胆にしていた。その時、一頭の雌獅子がこちらへやって来た。牛を食い殺したばかりで、ロを血だらけにして、近くの泉で喉の乾きをしずめようとしていた。遠くから、月の光でその姿を認めたティスベは、急いで暗い洞穴に逃げ込んだ。逃げながら、背から落としたヴェールを、そこへ置き去りにした。獰猛な獅子は、泉の水で渇きをいやし、森へ帰ってゆく途中、置き去りにされていたヴェールを見つけて、血だらけの口でそれを引き裂いた。遅れて家を出たピュラモスは、積もった砂ぼこりのうえに、獣(けもの)の足跡を認めて、顔が真っ青になった。そのうえ、無残に引き裂かれた血まみれのヴェールを見つけた。おもわず彼は、こう叫んだ「この同じ一夜に、恋人ふたりが死んでゆく。二人のなかでは、彼女のほうこそ、生きながらえるのにふさわしかったのに。悪いのは僕だ。かわいそうに、僕がおまえを死なせたのだ」ティスベのヴェールを取りあげ、そのヴェールに涙をそそぎ、口づけして言った「今こそ、さあ、ぼくの血潮も吸ってくれるのだ」。そして、腰につけていた剣を、わき腹に突きたて自殺した。白い桑の花はピュラモスの血に染まった。

      (三)

このとき、いまだに恐怖を捨てきれないでいるものの、恋人にはぐれてもいけないと思ったティスベがもどって来た。血まなこで、懸命に恋人を探した。そして、ティスベは、約束の場所でピュラモスが血まみれのヴェールを抱いて死んでいるのを見つけた。彼女は、嘆き悲しみ、髪を引きむしり、愛しい恋人の体を抱いて、冷たい顔に口づけしながら「ピュラモス!」と叫んだ「何という不運が、あなたをわたしから奪ったのでしょう。ピュラモス、答えてちょうだい。あなたの最愛のティスベが、あなたの名を呼んでいるのよ。聞いてちょうだい。うなだれた顔を起こして」ピュラモスはすでに事切れていた。ティスベは、白分のヴェールと、中身が空(から)の象牙の剣鞘を見ると「あなたの手と、そして愛が、あなたの生命を奪ったのね、不幸せな方。でも、わたしにも、その同じことをするための雄々しい手と、愛がありますわ。その愛が、みずからを傷つけるだけのカを与えてくれるのよ。あの世へお供をいたしましょう。死によってのみ、わたしから引き離されることのできたあなたが、もう、死によってさえも引き離されることはできないのです」こういって、ティスベはピュラモスの剣をとり、ピュラモスの後を追って自殺した。

(参考)

@ピュラモスの後を追って自殺した・・・桑の木は、恋人たちの死を悼(いた)んで、それ以後、暗赤色の実をつけるようになったという。

Aこの「ピュラモスとティスベ」は、シェークスピアの喜劇「夏の夜の夢」の中で演じられる劇中劇(「ピラマスとシスビ」)としても有名である。

「ピュラモスとティスベ」(マックス・クリンガー )の絵はこちらへ

「ピュラモスとティスベ」(Pierre_Gautherot)の絵はこちらへ

「ピュラモスとティスベ」(Andreas Nesselthaler)の絵はこちらへ

「ピュラモスとティスベ」(Charles Alphonse Dufresnoy )の絵はこちらへ