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(小話400)「苛政(かせい)は虎(とら)よりも猛(もう)なり」の話・・・

中国、春秋時代の魯(ろ)の思想家で儒教の祖・孔子が泰山(たいざん)の近くを通ったとき、墓の前で一人の婦人が大声で泣いていた。孔子が声をかけると、婦人は答えて、「むかし、わたくしの義父は虎に殺され、夫も虎に殺されました。今度はわたくしの息子までもが虎に殺されてしまったのです」「なぜこの土地を離れないのかね」「苛政(むごい政治)が無いからです」孔子は弟子たちを振り返って言った「弟子たちよ、覚えておきなさい。苛政は人食い虎よりも獰猛(どうもう)である」と。

(参考)

@泰山・・・中国、山東省の中央部に位置する名山。秦代から皇帝が封禅(土を盛り壇を造って天を祀(まつ)り、地をならして山川を祭る)の儀式を行なった所。道教信仰の中心。

A礼記(古代中国の経書)より。

 

(小話399)「哀(かな)しくも美しい夫婦愛(ケユクスとアルキュオネ)」の話・・・

     (一)

ギリシャ神話より。宵の明星(明けの明星)ヘオスポロスの息子、ケユクスは、テッサリアの王で、平和に国を治めていた。妻はアルキュオネで、風の神アイオロスの娘であった。二人は深い愛情で結ばれ、お互いをゼウスとヘラのようね、と言い合って仲睦まじかった。あるときからケユクスの王国では、不吉を告げる予言があり、恐ろしい異変が続いた。ケユクスは、神々が自分に敵意をもっているのではないかと考えて、海を渡って小アジアのクラロスにある名高いアポロンの神託所に行こうとした。危険な船旅に不吉な予感がして、妻のアルキュオネは、自分も一緒に連れて行くように頼んだ。妻を押しとどめてケユクスは言った「別れはつらいが、しかし、空に輝く父にかけて誓う。もし運命が故郷への旅を許してくれたなら、私は、月が二度、丸くなる前にきっと帰ってくるよ」こうして、ケユクスはアポロンの神託を伺うために船で出発した。途中、黒雲が空をおおい、稲妻が閃いた。やがて海は大時化(おおしけ)になり、船は怒涛のような大波をかぶって海の藻屑(もくず)となってしまった。ケユクスは愛する妻の名を何度も呼びながら、海中深く沈んでいった。父の宵の明星ヘオスポロスは、空を離れられないので、息子の死ぬのを見ないように黒雲でその顔を覆った。

(参考)

@アイオロス・・・風の王。あらゆる風神たちを支配し、思いのままに解き放ったり封じたりできる。

A海の藻屑・・・ケユクス夫婦はとても仲が良く、そしてお互いを「ゼウス」と「ヘラ」と呼び合っていた。夫ゼウスの浮気に悩んでいるヘラは、二人の幸福を猛烈に妬(ねた)んで、激しい嵐を起こして船を難破させてしまったという。

     (二)

一方、何も知らないアルキュオネは日夜、ヘラ女神の神殿で夫の無事な帰還を祈っていた。だが、もはや叶えようもない祈りを聞かされ続けたヘラ女神は、哀れな妻に真実を知らせてやるべく、虹の女神イリスを呼んでこう命じた。「眠りの神ヒュプノスのところへ行き、アルキュオネに亡きケユクスの夢を見させて本当のことを告げるように命じておくれ」神々の女王・ヘラの命を受けたイリスはすぐさま眠りの神ヒュプノスの住む洞窟に直行した。冥界の忘却の川であるレーテ川の水音しか聞こえてこない、決して陽(ひ)の射さない暗い洞窟の中で、眠りの神ヒュプノスが黒檀の寝台に身を横たえていた。寝台の周(まわ)りには様々な姿をした夢の神たち(ヒュプノスの息子)が寝転がっており、地面からは薄暗い霧が立ち上って彼らを包んでいた。虹の女神イリスが霧を払いのけると、洞窟内に虹の輝きが照り渡った。その光に目覚めたヒュプノスはヘラからの命令を聞き、息子たちの中から有翼の夢の神モルフェウスを選んでアルキュオネの元に派遣した。モルフェウスはケユクスそっくりに身を変えて彼女の夢枕に立つと、こう告げた「愛(いと)しい妻よ、私はおまえの危惧した通り嵐に遭(あ)って死んでしまった。どうか私の死を嘆き、葬儀を執り行っておくれ。このままではつつがなく死の国に赴くことも出来ない」と。

(参考)

@イリス・・・虹の神。神々の言葉の伝令者。

Aレーテ川・・・冥界を流れる忘却の川。死者がこの水を飲むと地上での生活を忘れるという。

     (三)

あまりのことに涙ながら飛び起きたアルキュオネは、悲しみに狂乱した。そして、自分も入水して夫の後を追おうと浜辺に駆けていった。そこで彼女は、波に揺られて流れ着いた夫の遺体に遭遇した。身も世もあらず悲嘆したアルキュオネはそのまま防波堤から海に飛びこんで、夫の後を追った。大神ゼウスは、ヘラの嫉妬の犠牲になったこの罪も無い夫婦を哀れみ、二人をカワセミに変えた。こうして二人は、誰にも邪魔されずに再び連れ添うようになった。その後、冬がくるごとに風の王アイオロスは風の神たちに七日間吹くことを止めさせ、美しいカワセミとなった娘が海に卵を生めるようにした。その間は、水夫たちも無事な航海ができると伝えられている。後にアルション(カワセミ)は「のどかな日々」(繁栄の日々)のことを指すようになったという。

(参考)

@防波堤から海に飛びこんで・・・アルキュオネの体は宙に浮いて、翼が生え、彼女は美しいカワセミの姿に変った。そして、死んだケユクスもまたカワセミになって生涯、連れ添ったという説もある。

A大神ゼウス・・・二人を哀れんだ神々が二人をカワセミに変えたとか、嘆き悲しむアルキュオネネの姿にヘラが同情し、二人をカワセミに変えたという説もある。

Bカワセミ(翡翠)・・・ブッポウソウ目カワセミ科に分類される鳥。水辺に生息する小鳥で、鮮やかな水色の体色と長いくちばしが特徴である。くちばしは黒いが、メスは下のくちばしが赤いのでオスと区別できる。美しい外見から「渓流の宝石」などと呼ばれる。

「イリスとモルフェウス(夢の神でヒュプノスの息子)=この絵は父と子が混同、本来ならば「イリスとソムヌス(ヒュプノス)」が正しい?」「(ルネ・アントワーヌ・ウアス)の絵はこちらへ

「ハルキュオネ(アルキュオネ)」(ドレイパー)の絵はこちらへ

「夜と眠り」(モ−ガン)の絵はこちらへ

「イリスとモルフェウス(夢の神でヒュプノスの息子)」(ゲラン)の絵はこちらへ

カワセミの写真はこちらへ

 

(小話398)「坑夫スチェバーンと孔雀石(くじゃくいし)の女王」の話・・・

民話より。昔、ロシアで国民の多くが農奴だった時代のこと。ウラル山脈にある小さな村の坑夫たちは、孔雀石(マラカイト)の毒にやられ、目も頬(ほほ)も緑色に染まっていた。石細工師はこの石の粉を吸い込み、肺炎になりながらも、鑿(のみ)をふるった。そして、彼らは孔雀石と共に生き、暮らし、死んでいった。そんな彼らの間には、孔雀石の化身である美しい石の女王の伝説があった。勇敢で働き者の坑夫スチェバーンは、まだ若いのに、その目はもう緑がかっていた。あるとき、目のまえの孔雀石の鉱石のうえに、きれいな娘がすわっていた。おさげの髪は青黒く、背中にぴったりとくっついていた。おさげの先に結んであるリボンは、赤とも緑ともつかぬ不思議な色で、銅箔みたいに鈍く光った。着ているのは、絹のようになめらかな孔雀石のドレスで、スチェバーンは彼女が噂に聞く孔雀石の女王だとすぐわかった。二人は最初からわかり合い、娘は若者の勇気をためし、若者はそれに答えた。二人は愛し合ったけれど、結婚することはできなかった。というのも、スチェバーンには、孤児(みなしご)の婚約者がいたからで、二人が別れるとき、孔雀石の女王は、ポロッと涙の粒をこぼした。涙はエメラルドになり、スチェバーンは死ぬまでこれを握りしめていたという。彼は婚約者のナースチャと結婚したあと、若くして死んでしまった。孔雀石の恋人が忘れられず、何度も鉱山を訪れるうちに足をすべらせてしまったのだ。死体のそばには、美しい緑のトカゲが寄り添っていた。スチェバーンが孔雀石の女王の助けを得て採掘した6本の大きな孔雀石の柱が、ロシア帝国の首都・サンクト・ペテルブルクのいちばん大きな寺院を飾るために送り届けられたという。

 

(小話397)「韓(かん)の昭候(しょうこう)と二人の役人」の話・・・

      (一)

昔、春秋時代のこと。ある日のこと、韓の昭候が酒に酔ってうたた寝をしたことがあった。典冠(冠を司る者)の役人が「今は夏ではございません。お寒うございますぞ。どうか寝所でおやすみになられますよう」と酔いつぶれて寝てしまった昭候にかけよって何度も声をかけたが、昭候は寝息をたてて熟睡してしまっていた。しかたなく典冠の役人は投げ出された昭候の衣を掛けてやり、風邪をひかぬようにとそばについていることにした。「ん・・・寒いのう」。衣一枚が布団代わりではさすがに寒く、酔いも覚めた昭候が目を覚ました。ふと自分に掛けられた衣に目をやり「この衣のおかげでわしは風邪をひかずにすんだようじゃ」臣下の心遣いがうれしくなって、傍(かたわら)の部下にたずねた「誰がこの衣を着せかけてくれたのか?」部下は「典冠でございます」と答えた。「そうか。では、典衣(衣を司る者)と申不害(しんふがい)を呼んでまいれ」

      (二)

昭候は、一部始終を宰相の申不害に語った。「申不害よ、典冠がこのように衣をかけてくれた忠義に応えたいが、衣は典衣の職務である。わが国の法によれば、典衣は職務を怠慢したことになり、典冠は越権行為にあたるのではないのか? 今回は免じてやろうとおもうのだがどうだろう」昭候の温情にたいして宰相の申不害は冷たく言い放った。「なりませぬ、かって私は殿下に私情で法を曲げることのないようにと申し上げました。今、法に従わず私情によって罪を許すと悪い先例を残すことになり、以後、百官はこぞって罪を為(な)しながら法をぬけようとするでしょう」これを聞いた昭候は、典冠と典衣を鞭打ちの刑に処した。典衣(衣服係)の役人を罰したのは、その仕事を怠ったからだが、典冠(冠係)の役人を罰したのは、その職務を超えて余計なことをしたと考えたからだ。賢明な君主は、臣下の言葉と仕事が一致しないのを許さず、職分を超えて業績をあげることを許さない。これを聞いた百官の臣下は職務に忠実であるべしと各々、肝(きも)に銘じたのであった。

 

(小話396(282-4))「ギガントマキア(巨人戦争)と巨大な怪獣テュポン」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。ティタン神族とオリュンポス神族の十年戦争であるタノマキアに勝利を収め、ゼウスをはじめとする神々は、オリュンポス山で日ごと夜ごとに宴会を開いて勝利を祝していた。アポロンの竪琴に合わせて九人のムーサ達が歌った。テーブルには神食(アンブロシア)に神酒(ネクタル)と豪勢な酒宴だった。ところが、ゼウスたちが大地ガイアの息子や娘たちだったティタン神族をタルタロスに幽閉したことに腹を立てた大地ガイアが、我が子であるギガス(巨人)たちをオリュンポスの神々にけしかけて戦いを起こした。この戦いをギガントマキア(巨人戦争)といった。そして、この戦いには、ある神託があった。「戦いはオリュンポスの神々だけでは勝つことが出来ない」というもので「ギガスは不死ではないが、神々の手によって殺されることはない」という運命を背負っていた。この予言を知ったゼウスは、「人間の力を借りることにする」。ゼウスが白羽の矢をたてたのは息子であり、最大の英雄であるヘラクレスであった。それを知った大地ガイアも手を打った。「ギガスたちを、人間によっても殺されないようにしてやる」ガイアは、不死にする薬草を生やした。それを食べるとギガスたちは人間の力でも殺すことが出来ない怪物へと生まれかわるのであった。不死を得る薬草の存在を予言の力を持つ法の女神テミスによって知ったゼウスは、自ら薬草を探しに出かけた。「太陽神ヘリオス、曙の女神エオス、月の女神セレネ。お前たちはわたしがよいと言うまで出てきてはならん」こうして、ゼウスは真っ暗闇の中で、不死を得る薬草を見つけ出しては、全て刈り取ってしまった。これで、ギガスたちを倒すことができるようになった。

(参考)

@ギガス(巨人)・・・ギガスは、二代目の王クロノスが初代の王ウラノスを去勢したとき大地ガイアに滴(したた)ったウラノスの血から生まれた怪物たち。

      (二)

遂に決戦となった。ギガスたちは、生まれた場所であるプレグライの野(「燃える野」又は「炎の土地」)でオリュンポスの神々と対決した。ヘラクレスは巨人アルキュオネウスと対決し、猛毒であるヒュドラの毒を塗った矢で射抜いた。しかし、アルキュオネウスは、彼が生を受けた土地にいる限り不死身であった。それに気づいたヘラクレスはアルキュオネウスを違う土地に引きずり出して射殺した。怪物ポルピュリオンは、美しい女神ヘラに抑えがたい欲情が起こして襲い掛かった。ヘラの衣服が剥ぎ取られ、ヘラはゼウスに助けを求めた。愛する妻の悲鳴を聞いたゼウスはポルピュリオンに雷(いかづち)を投げつけた。そのあと、ヘラクレスが矢で射殺した。巨人エピアルテスは左目をアポロンの金の矢で射抜かれ、右目をヘラクレスの矢で射抜かれて死んだ。巨人エウリュトスは、酒神ディオニュソスに松かさをつけた霊杖テュルソスで殴り倒された後、ヘラクレスに射殺された。巨人クリュティオスは、女神ヘカテの地獄の松明に焼かれた後、ヘラクレスに射殺された。巨人ミマスは、鍛冶の神ヘパイストスに燃え盛る溶鉱(ようこう)を投げつけられ、ヴェスヴィオス火山の下敷きにされた。巨人パラスは、戦いの女神アテナに戦いを挑んだが、負けたあげく、全身の皮を剥ぎ取られて盾に張りつけられてしまった。他の巨人たちも、ゼウスをはじめとするオリュンポスの神々の力によって弱くなったところを、ヘラクレスが最期のとどめをさした。こうして、神と人間が共闘してギガスたちを倒し、ギガントマキア(巨人戦争)は終わった。しかしこれは、次に訪れる危機に比べればはるかに小さなものであった。

(参考)

@ヒュドラの毒・・・ヘラクレスの十二の難行の二番目が「レルネのヒュドラ退治」で、ヒュドラは、九つの頭をもち(そのうちの一つは不死身)、首を切断されてもすぐに切り口から新しい頭が二つ生えてくる。切り口を火でやいて頭が生えてくるのをふせぎ、不死の頭は大石の下にうめた。このときヘラクレスは、矢をヒュドラの血にひたして毒矢をつくった。

A他の巨人たち・・・巨人エンケラドスは逃げ出したところを、戦い女神アテナにシチリア島を投げつけられて下敷きにされた。巨人ポリュボテスは、海神ポセイドンにコス島を投げつけられて下敷きになった。巨人ヒッポリュトスは、冥王ハデスの隠身(かくれみ)の兜をかぶったヘルメスに闇討ちされた後、ヘラクレスによって射殺された。巨人グラティオンは、狩猟の女神アルテミスの矢で撃たれた後、ヘラクレスに射殺された。巨人アグリオスと巨人トオンは、運命の女神モイラたちに青銅の棍棒で殴り倒された後、ヘラクレスに射殺された。

      (三)

ギガントマキアの勝利に沸き立って、ゼウスとオリュンポスの神々は、オリュンポス山を出て、ナイル川のほとりで宴会を開いた。アポロンが竪琴を奏(かな)で、音楽の女神たちが踊りを披露した。陽気な日差しも手伝って、酒宴はいつにない盛り上がりを見せた。ところが、この神々の酒宴の場に稀代の魔物が迫っていた。大地ガイヤが次にオリュンポスの神々に仕向けたは、半人半蛇の雲を突くような巨大な怪獣テュポンで、目から火炎を発し、燃え盛る岩を投げながらゼウス達に迫った来た。それを見ると、酒宴はそっちのけにしてオリュンポスの神々は、動物の姿に変えて、それぞれエジプトへ避難した。ゼウスは鷲に、ヘラは雌牛、アポロンはカラス、ディオニュソスは山羊、アルテミスは猫、アレスは猪に変身した。美の女神アフロディーテとその息子エロスは魚に変身して川に飛び込んだ。ゼウスは逃げる最中に後ろを振り向いた。すると、知恵と戦いの女神アテナだけがただ一人、怪獣テュポンに立ちはだかっていた。「大神ゼウスが娘に遅れをとってはなるものか!」と、ゼウスは舞い戻ると、右手に稲妻、左に金剛の鎌を携え、テュポンの前に立ちはだかった。ゼウスは金剛の鎌を振り、テュポンの接近を許さず、距離を取って稲妻を放った。さしものテュポンも近づく事すら出来ずに後退するばかりであった。ゼウスはテュポンを追い詰めようと、後を追ったが、ゼウスはテュポンを深追いし過ぎて、何時の間にか孤立してしまった。テュポンはゼウスの隙をみて突進すると、ゼウスの左手から金剛の鎌を奪い、手足の腱(けん)を切り取って、身動きが出来なくなくし雷(雷霆)までも奪ってしまった。無力になったゼウスを怪獣テュポンは肩に担いでキリキアへ運び、コリュキオンと呼ばれる洞窟に閉じ込め、監禁してしまった。そして自分と同じく蛇の下半身を持つデルピュネにゼウスの腱を預け、洞窟の見張りをさせた。

(参考)

@怪獣テュポン・・・大地ガイヤが地獄タルタロスと交わって生み出した子供。怪獣テュポンは星にも届く巨体で、その腕は伸ばせば世界の東西の果(は)てにも達する。肩からは百の蛇の頭が生え、火を放つ目をもち、腿から上は人間と同じだが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという。

A美の女神アフロディーテとその息子エロス・・・ナイル川の水の中に二匹の魚になって逃げた二人は、激流の中でもはぐれないように、互いの尾を結んだ。その姿を見たゼウスは、母子の絆の確かさを示すものとして天にあげて「うお座」にしたという。

うお座の絵はこちらへ

      (四)

怪獣テュポンは、ゼウスを捕らえると、ますます猛威を振った。ゼウスが捕らえられているので、他の神々は手の出しようがなかった。オリュンポス神族の最大の危機が訪れたとき、それを救ったのは、神々の伝令神ヘルメスだった。彼は、ティタノマキアで神々を困らせた巨神アトラスの娘マイヤとゼウスの息子であり、オリュンポス一の策士であった。ヘルメスはその敏捷性を生かし、洞窟の見張をしているデルピュネからゼウスの手足の腱を盗むことに成功した。体の自由を取り戻したゼウスは鍛治の神ヘパイストスから、新たな雷(雷霆)を受け取った。ゼウスが閉じ込められた洞窟から抜け出して、新たな雷を手に立ち上がったころ、怪獣テュポンは運命の三女神モイラの策略にかかり「食べるともっと強くなれる果実だ」と偽って力の萎(な)える果実を食べさせられ、強くなるどころか、力が抜けてしまっていた。最後の戦いはトラキアで、ゼウスは猛然とテュポンに立ち向かった。テュポンも負けてはいない。山を持ち上げ、ゼウスに対抗しようとしたが、今まさにという時、ゼウスが稲妻を放った。山を持ち上げていたテュポンはこれを避けきれず、大怪我を負った。テュポンは、シチリア島に逃亡した。ここでやっと決着がついた。ゼウスがエトナ山をテュポンにぶん投げ、下敷きにしてしまった。断末魔のような噴火がエトナ山に起こり、吹きあがる炎とともに、最大の難敵テュポンは最後を遂げた。

(参考)

@テュポンは最後を遂げた・・・テュポンは不死の怪獣であった為、ゼウスも封印するしかなかった。以来、テュポンがエトナ山の重圧を逃れんとしてもがく度に噴火が起こるのだという。

「ジュピター(ゼウス)とテティス」(アングル)の絵はこちらへ

「アポロ(アポロン)と9人のミューズたち」(モロー)の絵はこちらへ

「アポロとミューズたち(パルナッソス)」(ニコラ・プッサン)の絵はこちらへ

 

(小話395(282-3))「ティタノマキア(ティタン神族とオリュンポス神族の10年戦争)」の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。神々の二代目の王・クロノスが率(ひき)いるティタン神族(巨神族)と、クロノスの息子・ゼウスが率いるオリュンポス神族は血族でありながら世界の覇権を争い、十年に渡って激しい戦闘を繰り広げた。その戦いをティタノマキアという。天の神・クロノスは、自分の王座を我が子に奪われるという予言を恐れて、生まれた子供たちを次々に丸飲みにして自分の腹に幽閉してしまった。クロノスの妻・レアは怒り狂った。そして、六人目の子であるゼウスを身籠もったとき、ついに夫を裏切ることに決意した。彼女は、生まれたゼウスを洞窟の奥深くに隠し、クロノスにはおむつにくるんだ石を子供と偽って飲ませた。やがて成人したゼウスは、父に催吐薬を飲ませて五人の兄姉を救出した。そして、みんなで父を倒すべくオリュンポス山に立てこもった。ゼウス側のオリュンポス神族は兄弟姉妹の六名であった。しかし意外な助っ人が加わった。ティタン神族だが中立を唱えた大洋の神オケアノスとテテュスの長女で、冥府を流れる河のステュクス女神であった。その女神の子供で権力の神クラトス、腕力の女神ビア、競争心の神ゼロス、そして勝利の女神ニケが参戦した。さらに「もう暴力による支配がまかり通る時代は終わった」と言って、これもティタン神族の法の女神のテミスが、息子のプロメテウスとその弟エピメテウスを連れてゼウスの陣営に加わった。一方、予言がいよいよ現実のものとなりつつあることを知った二代目の王・クロノス側も、息子たちを叩き潰そうとティタン神族を結集し、オトリュス山に陣取った。クロノス側のティタン神族は兄弟姉妹合わせて十二名。だがレアは弟にして夫であるクロノスを捨てて子供たちの陣営に加わり、またオケアノスとテテュスは中立で、テミスはオリュンポス神族に助勢した。こうして骨肉相食む壮絶な戦いの幕が切って落とされたが、実力は伯仲、十年戦っても決着は付かなかった。

(参考)

@神々の二代目の王・クロノス・・・(小話282-1)「天地創造と神々の誕生」の話・・・と(小話282-2)「父・クロノスと子・ゼウスの闘い」の話・・・を参照。

A生まれた子供を次々に丸飲み・・・クロノスは妻レアの懇願も顧みず子供たちを頭から丸飲みにしてしまった。不死の神である子供たちを殺すことはできないから、自分の腹の中に永遠に幽閉することにしたのであった。

B父に催吐薬・・・オケアノスの娘メティスの作った秘薬を混ぜた神々の飲み物ネクタルをクロノスに飲ませた。

       (二)

やがて、オリュンポス側に付いたゼウスの祖母である大地の女神ガイアの「かって天空神ウラノスが地下のタルタロス(地獄)に幽閉した三人の一眼巨人(キュクロプス)たちと三人の百腕巨人(ヘカトンケイル)たちを解放して味方にせよ」という助言にゼウスが従ったことで戦況は一変した。タルタロス(地獄)から開放された一眼巨人キュクロプスたちは、鍛冶の匠(たくみ)であったのでゼウスに雷(雷霆)、ポセイドンに三叉(さんさ)の戟(げき)、ハデスに姿が消える隠れ兜を作って贈った。そこで、長男ハデスが姿を隠してクロノスに近づいてクロノスの武器を奪った。次に、次男ポセイドンが三叉の戟を振るってクロノスの注意を引きつけ、その隙に、全身全霊の力を込めて放たれた末っ男ゼウスの雷がクロノスを捉えた。さすがのクロノスもこれをくらってはひとたまりもなかった。一方、百腕巨人ヘカントケイルは残りのティタン神族たちの相手をしていた。一人で百本、三人で三百本もある手を使って、大きな岩をどんどんと投げつけたため、ティタン神族たちはなすすべなく岩の下敷きになってしまった。こうしてティタン神族たちは降伏した。戦いはオリュンポス側の圧勝的な勝利に終わった。ゼウスは父のクロノスと共に、降伏したティタン神族たちをタルタロスに幽閉し、ポセイドンに青銅の門と壁をつくらせて逃げられないようにすると、三人のヘカントケイルに門番を命じた。ただ、巨神・アトラスだけは別で、彼の怪力と勇猛さに煮え湯を飲まされてきたゼウスは、彼にもっとも厳しい罰を与えた。それは、世界の西の果てに立って天空を支え続けるというものであった。こうして、ゼウスは十年も続いたティタノマキアを終わらせた。そして、公平を期してくじ引きで、ゼウスは天、ポセイドンは海、ハデスは冥界を支配することになった。

(参考)

@三人の一眼巨人(キュクロプス)・・・雷鳴のブロンテス、稲妻のステロペス、閃光のアルゲス。

A三人の百腕巨人(ヘカトンケイル)・・・コットス、プリアレオス、ギュゲス。

「我が子を食うサトゥルヌス(クロノス)」(ルーベンス)の絵はこちらへ

「我が子を食うサトゥルヌス(クロノス)」(フランシスコ・デ・ゴヤ)の絵はこちらへ

「ユピテル(ゼウス)の養育=1」(プッサン)の絵はこちらへ

「ユピテル(ゼウス)の養育=2」(プッサン)の絵はこちらへ

「幼児ユピテルを育てるアマルテイア(ニンフ)」(ヨルダーンス)の絵はこちらへ

 

(小話394)「豊穣の女神・デメテルと眠りの神・ヒュプノス」の話・・・

    (一)

ギリシャ神話より。豊穣の女神デメテルは、娘のペルセポネを捜して世界中を放浪した。本来の仕事も忘れて、可愛い娘を捜して歩き回った。仕事ばかりか、眠る事さえも忘れて。ある時、デメテルは洞穴を見つけた。洞穴の中は真っ暗で、ペルセポネとハデスがいる冥界を思わせた。「ひょっとしたら、ここから冥界に行けるのかもしれない」そう思ったデメテルは、洞穴の中に入って行った。が、そこは厚い雲と深い霧に覆(おお)われ、冥界の忘却の川であるレーテ川の水音しか聞こえてこない場所で、太陽神が訪れたことは一度もなかった。宮殿の周りにはケシの花が咲き乱れ、薬草も生えていた。眠りの神ヒュプノスはケシの花や薬草を摘んで汁を集めて、夜になると夜の女神ニクスがケシの花や薬草の汁から眠りを集めて地上に撒き散らしていた。すると地上では全ての生き物達が眠りについた。黒檀(こくたん)の寝椅子で眠る眠りの神・ヒュプノスの周りには、いろいろな形をしたたくさんの夢たちが並んでいた。眠りの神のヒュプノスは、女神・デメテルに気付くと、こう言った。「恵みの神デメテルよ、あなたは眠らなければならない。あなたが元気を失ってしまうと、植物達も枯れてゆきます」。デメテルは本当に元気がなかった。娘ペルセポネを捜しに来てから一睡もしていなかったので、すっかりやせ衰えて、その美しい顔もまるで死人のように青白くなっていた。「私も眠りたいと思うわ。でも眠れないの。ペルセポネの事が心配で、眠気も吹き飛んでしまうのよ」とデメテルは悲しげに言った。するとヒュノプスはデメテルの手のひらに、小さくて不思議な植物の実を置いた。「それはケシと言う、先ほどあなたが見てきた花達の実です。これを口にすれば、全く眠れないと言うあなたも眠りに付く事ができます。どうぞお試しあれ」ヒュプノスはそう言うと、又、眠り込んでしまった。デメテルは言われた通りに、その実を口にした。すると、彼女は深い眠りに落ちていった。

(参考)

@娘のペルセポネを捜して・・・娘のペルセポネが冥界の王・ハデスにさらわれて、突然、姿を消したため。((小話389)「冥界の王・ハデスと美しきペルセポネ」の話・・・参照)

Aレーテ川・・・冥界を流れる忘却の川。死者がこの水を飲むと地上での生活を忘れるという。

Bヒュプノス・・・眠りの神。夜の女神ニクスの子。死の神タナトスと双子の兄弟。人間の額を木の枝で触れるか、角から液を注いで眠りに誘うという。ヒュプノスは、人々を眠りに誘い、労苦から解放してくれる穏やかな神でケシの花と夢に囲まれて、眠っている。そして、死期が近づいた人間をヒュプノスが眠らせ、死神・タナトスが冥界に連れて行くという。

    (二)

デメテルの夢の中には、冥王・ハデスと、その妃になった娘のペルセポネがいた。彼女は太陽のように明るかったのに、今は冥界の王妃らしく、おこぞかな雰囲気をたたえて、彼の隣に座っていた。夢の中のペルセポネは、デメテルに話し掛けてきた。「お母さん、私は謝らなければならないことがあります。冥界のザクロの実を、いくつか食べてしまったのです。本当ならずっと冥界にいるはずなのですけれど、半年の間は地上にいてもっよくなったのです。ハデスは厳しくて、恐ろしい神ですけれど、私のことを愛して下さいます。彼はお母さんが元気がないことを、そして植物達の元気がないことを、ずっと気にかけていたのです」デメテルはペルセポネが元気そうなのを見て、すっかり安心した。「ペルセポネ、あなたは半年の間、ずっと地上にいられるのね」「そうよお母さん。だから、地上に戻って、植物達を元気にしてあげて下さい」デメテルの夢は終わった。夢から覚めたデメテルは、すっかり元気になっていた。青白さもなくなり、美しい肌も前のようにつやつやしていた。デメテルはヒュプノスに言った。「ありがとうヒュプノス。私、地上に戻って頑張るわ」ヒュノプスはデメテルに微笑んだ。そして、デメテルは地上に戻り、ペルセポネが帰ってくるのを待ったという。

(参考)

「蒼い翼」(片方だけの翼を頭に生やした像が眠りの神ヒュプノスで、後ろの麗人はヒュプノスが見ている夢の中に現われた幻)(クノップフ)の絵はこちらへ

 

(小話393)「騎士と娘と忘れな草」の話・・・

伝説より。中世ドイツでのこと、若き騎士ルドルフは、数々の闘いで武勲を立てて故郷に帰ってきた。そして、金髪の美しい許嫁(いいなずけ)ベルタと一緒にドナウ川のほとりを散歩していた。ベルタは、川の中州に咲いていた可憐な青い花を見つけて、ルドルフに取って来てほしいと頼んだ。ルドルフは、恋人ベルタにその花を贈るために、気軽に靴を脱ぎ、すぐに川に入った。そして、花を一束(ひとたば)手にしたあと、引き返そうと再び川に入ったのだが、急流に体の自由をうばわれ、深みはまって流れに巻き込まれてしまった。ルドルフは岸に上がろうと必死にもがきながら、手にした花束をベルタに投げて「僕のことを忘れないで!」と叫ぶと、力尽きて、ドナウ川の底に沈んでいった。ベルタの悲鳴を聞いて数人が駆けつけた。そして、二人の若者が川に飛び込んでルドルフを助け上げたが、すでに時遅くルドルフは息たえていた。悲しみに打ちひしがれたベルタは、ルドルフが埋葬された墓にその花を植え、彼の最期の言葉を花の名(忘れな草)にして、生涯、ルドルフのことを忘れなかったという。

 

(小話392)「もう一つの馬頭琴の誕生(フフー・ナムジル。又は、大草原をかける翼ある馬の物語)」の話・・・

    (一)

民話より。昔むかし、モンゴルの大草原にナムジルという子供がいた。フフー・ナムジルは、村人から「青いナムジル」と呼ばれていた。ナムジルの生まれた日が、いつもの青い草原の空がいっそう青く、果てしなく澄んでいたからであった。ナムジルは、内気な子供であったが、馬や羊とは、兄弟のようになかよくできた。大きくなると、ナムジルは、すばらしい羊飼いになった。ナムジルは、羊飼いをしながら気分がいい時は、その美しい声で歌を歌った。「大空の、果てなき青き草原を、馬よ駈けろ、果てを探して、馬よ駈けろ、風より速く」と。羊たちが眠るとき、ナムジルも星の下で眠った。そのころ、村では、若い男はみな、一度は兵士になって、遠い西の果ての地を守りにいくのが決まりであった。とうとう、ナムジルの番がやってきた。ナムジルは、馬や羊たちと別れるのがつらく、また、年老いた両親のことも心配であった。だが、ナムジルは、兵士になるために、遠い西の果ての地へと旅立った。軍隊に着くと兵士となったが、やがて、馬が好きで、歌の上手なナムジルは、馬や駱駝の世話をする馬番になった。そして上官は言った「おまえは歌がうまい。馬の世話をするだけではなく、時々は、兵士たちに歌を歌ってやってくれ」と。

    (二)

ある日、ナムジルはいつものように馬を湖に連れて行った。気の荒い馬たちも、ナムジルが歌うと、すなおに水を飲んだ。そのとき、どこからか歌声がきこえてきた。そして、湖の木陰から、馬を連れた美しい娘が出てきた。草原の馬飼いの娘であった。二人は見つめあい、そして、恋に落ちた。毎夜、ふたりは湖で会った。二人のことを知っている兵士もいたが、いつもやさしい歌声で心をなぐさめてくれるナムジルのことを上官にいいつけるような人は、一人もいなかった。やがて、いくつかの春が過ぎ、新しい春がめぐってきた。「ナムジル、おまえの勤めはもう終わりだ。故郷へもどるがいい」ナムジルは、うれしくもあったが、心配でもあった。娘が、いっしょに故郷にきてくれるだろうか。ナムジルは、娘に湖のほとりで言った「わたしは故郷へもどります。どうか、わたしといっしょに来てください。そして、わたしの妻になってください」娘は答えた「それはできません。わたしには、年老いた父と母がいます。両親を残して、ここを離れることはできません。あなたこそ、わたしの夫になって、ここで暮らしてはくれませんか」ナムジルは、胸が張り裂けそうになりながら答えた。「わたしにも、故郷でわたしを待つ年老いた父と母がいるのです」娘は、泣きながら言った「それでは、どうか、月に一度でいいですから、わたしに会いに来てください」「わたしの国は、大地の東の果て。とてもここまでは来られません」「では、わたしの馬のなかで、いちばん足の速い馬をさしあげましょう。この馬なら、きっとあなたを一晩で、わたしのもとへ運んでくれることでしょう」娘は、一頭の黒い馬を差しだした。美しく強い馬であった。その馬でさえ、大地の東の果てから西の果てへと旅するのに、ひと月はかかるのを、娘もナムジルもよく知っていた。「馬の名は、ジョノン・ハルといいます」ナムジルは、娘をきつく抱きしめ、別れを告げて馬に乗った。馬は、黒い風のように草原を駈けて行った。その後ろ姿を、娘はいつまでも見送っていた。

(参考)

@馬を連れた美しい娘・・・ナムジルは湖のほとりで美しい女性と出会い、やがて恋に落ち結ばれた。ところが、ナムジルには、故郷に妻があり、その家族にも会いたいと願った。新しい妻は、ナムジルに一日で千里も駆ける特別な馬を貸し与えた。ただし、故郷の家につくまえに、必ず馬を休ませるようにといいつけて。それからの三年間というもの、ナムジルは二つの家を毎日行き来した。しかし、ある日、ナムジルは、馬を休ませることを忘れてしまった。馬の荒い息づかいに気づいた故郷の妻は、たちまちすべてを知ってしまい、怒りにかられて馬を殺してしまった。ナムジルは、愛した馬の死を嘆き、馬の頭の彫刻をつけた楽器、モリン・ホールを作り、この馬に捧げる歌をうたいつづけたという説もある。

    (三)

ナムジルが無事もどってきて、両親は大喜びであった。ナムジルも、元気な両親の顔を見て、ほっとした。けれども、心が晴れなかった。羊を追っていても、馬に乗って草原を走っていても、もう以前のように、楽しくもうれしくもなかった。心にあるのは、西の果ての娘のことばかりであった。ある星の夜のこと、ナムジルは、もうどうにもがまんがならず、あてどなく、馬を西に向かって走らせた。だが、草原はどこまでも果てしなく広かった。「娘よ、おまえに会いたくて、会いたくて、ならないのだ」すると、不思議なことに、馬の背に翼が生えてきた。それは月の光に銀色に輝き、ゆっくりとはばたいた。そして、馬の体が宙に浮き、風よりも速く、草原の上を滑るように駈けて行った。娘はナムジルと別れた湖のほとりで、涙にくれながら歌っていた。「ナムジル。 あなたに会いたくて、会いたくて、なりません。 ああ、やさしい風のようなナムジル。わたしのジョノン・ハル、わたしの愛する男をのせて、わたしのもとに運んでおくれ、大地の東の果てから、西の果てへ」すると、地平線の夜明けの光のなかから、黒い風のように、一頭の馬が走って来た。ナムジルを乗せたジョノン・ハルであった。馬は、たったひと晩で、ナムジルを大地の東の果てから西の果てへ運んだ。こうして、二人はたびたび会うことができるようになった。

    (四)

ナムジルは、ますます立派な青年になった。羊飼いとしても、並ぶ者がないほどの腕前で、評判が高まり、たくさんの娘たちが、ナムジルのお嫁さんになりたいと思った。けれども、ナムジルはどんな娘にも、目もくれなかった。ある日、村いちばんのお金持ちの旦那がやってきて、ナムジルに、娘の夫になってほしいと言った。その娘は、太陽よりも光り輝いているというほど評判の、美しい娘であった。「わたしには、愛する人がいます」とナムジルは娘に言った。「どこにいるのですか」と娘はたずねた。「大地の西の果てです」「そんな遠くの人を愛して、どうなります。どうか、わたしを愛してください」それでも、ナムジルの心は動かなかった。金持ちの娘は、くやしくてならなかった。一体、だれがナムジルの心を捕らえて離さないのだろうと、ナムジルをそっと見張った。すると、ある月夜の晩、ナムジルはジョノン・ハルに乗って、草原を西へと駈けて行った。そして、ジョノン・ハルの背中に、銀色の翼が生えるのも、娘はしっかり見届けた。

    (五)

娘は、裁ちばさみを持って厩(うまや)にひそみ、ナムジルの帰りを待ちぶせた。夜明けになると、ナムジルが馬で戻ってきた。たった一晩で、草原を東から西へ、西から東へと駈けた馬は、さすがに疲れはて翼もたたまず、滝のように汗をかいていた。馬からおりたナムジルが、馬に水を汲みにいっているすきに、娘は持っていた裁ちばさみで、馬の翼を断ちきってしまった。馬は、鋭い叫び声をあげた。ナムジルがその声をききつけて戻ってきたときには、馬は、おびただしい血の海のなかで、もがいていた。そばには、宝石で飾られた裁ちばさみが落ちていた。ナムジルは、それを見て、すべてを知った。「かわいそうに、ジョノン・ハル。苦しいだろう、痛いだろう」ナムジルは、馬の首を胸に抱えた。馬は、ナムジルの腕のなかで息絶えた。ナムジルの涙が、流れる川のように、ジョノン・ハルに降り注いだ。すると、ふしぎなことが起こった。ジョノン・ハルの頭は木の彫り物に、首は棹(さお)に、胴体は皮を張った箱になり、その美しく長い尾は、楽器に張られた弦と、しなやかな弓になった。ナムジルは、その楽器をいだき、鳴らした。その音色は、草原のやわらかな風のようで、ジョノン・ハルのいななきや、軽やかな足取り、その名を呼んだときのうれしそうな姿を思い起こさせた。ナムジルは涙にくれながら、いつまでもいつまでも、その楽器を弾いていた。翼ある馬を失ったナムジルは、もう西の果ての娘に会いに行くことは出来なくなった。娘は、いつまでも湖のほとりでナムジルを待ち続けた。ナムジルも、いつまでも娘を思いながら、楽器を奏でていた。娘は時折、風になかに、ナムジルの声をきいたように思った。ナムジルも時折、風になかに、娘の花の香りをかいだように思った。そして、二人とも年老いて、いつしか草原の土になった。

(参考)

@日本では「スーホーの白い馬」が知られているが、モンゴル本国では「フフー・ナムジル」が広く語り継がれているという。

 

(小話391)「馬頭琴の誕生(スーホと子馬)」の話・・・

     (一)

民話より。中国の北、モンゴルという国の話。見わたすかぎりに広がる草原。この国に住む人々は、羊や牛を飼(か)って暮らしていた。その昔、スーホという貧(まず)しい羊飼いの少年が、年とったお婆さんと二人きりで住んでいた。ある日、羊を追って草原に行ったスーホは、生まれたばかりの一頭の白い子馬を連れて帰ってきた。「まあ、スーホ。いったいどうしたの」「地面に倒れてもがいていたんだよ。ほうっておいたら、狼(おおかみ)たちに食べられるかもしれない。それで、連れてきたんだよ」スーホは、心をこめて世話をしたので、子馬はどんどん大きくなり、やがて、雪のように真っ白な、立派な馬になった。スーホと白馬は、まるで、兄弟のように、いつも一緒(いっしょ)で楽しい毎日を過ごしていた。ある日、村に、モンゴルの王さまが、若者たちを集めて競馬大会を開くという知らせが伝わった。優勝した者には、王女と結婚させるというのであった。「スーホ、行ってこいよ。おまえならきっと、優勝できるよ」村人たちは、口ぐちにすすめた。そこで、スーホは白馬にまたがり、友だちと町へ向かった。いよいよ競馬大会の日。合図と同時に、国中から自慢の馬に乗った、逞(たくま)しい若者たちが、いっせいに飛び出した。飛ぶように走る馬たち。そして、先頭をいくのは、白い馬であった。スーホの乗った、白い馬が一等になった。「優勝した若者と白い馬を、ここへ呼んでこい」ところが、王さまは、自分の前にやってきた貧しい羊飼いを見ると、王女と結婚させるのが嫌(いや)になった。「お前には黄金を三枚やろう。そのかわり、白い馬をおいていけ」スーホは、怒りで体がふるえた。「わたしは、馬を売りにきたのではありません」「なんだと。貧しい羊飼いめ。お前には、鞭(むち)をくれてやる」白馬を取りあげられ鞭でうたれたスーホは、友だちに助けられて、やっと家に帰ってきた。お婆さんのつきっきりの看病(かんびょう)のおかげで傷もなおったが、白馬を取りあげられたスーホの心の傷は、いつまでも消えなかった。

     (二)

ある夜、スーホが寝ようとした時、ふいに外で物音がした。「なんだろう?」様子を見に外へ出たお婆さんが叫(さけ)び声をあげた。「白馬だよ。もどってきたよ」本当に白馬が戻ってきたのである。しかし、何としたことか、白い体には矢が何本も突(つ)きささり、ひどい傷を受けていた。白馬は大好きなスーホに会いたいために、王さまを振り落とし、家来を地面にたたきつけて、王の宮殿(きゅうでん)から逃げ出してきたのであった。「つかまえろ、つかまらなければ射殺(いころ)してしまえ」王の命令で、兵隊たちは弓を構えた。飛んできた矢は、次つぎと白馬の体に突き刺(さ)さった。でも馬は、走りつづけた。「ぼくの白馬。死なないで」白馬は弱りはてていた。じっとスーホを見つめる大きな目もだんだんと光を失い、次の日、白馬は死んでしまった。悲しさと悔(くや)しさで、スーホは幾晩(いくばん)も眠(ねむ)れなかた。やっと、ウトウトと眠りこんだ時、夢を見た。白馬の夢であった。白馬は、スーホに、やわらかい鼻づらを押し付けると言った。「そんなに悲しまないでください。元気を出して、そして、わたしの尾や筋(すじ)を使って楽器をつくって下さい。そうすれぱスーホが歌をうたう時は、私も一緒に歌えますし、スーホが休む時は、あなたのそぱにいられます」スーホは教えてもらった通りに、馬の体を使って楽器を作った。できあがった楽器は「馬頭琴」と呼ばれ、スーホはどこへ行くときも持っていった。馬頭琴を弾(ひ)くたびに、馬がそばにいるような気がするのであった。その音色は美しく、悲しげで聞く者の心を揺(ゆ)り動かし、モンゴルの広い草原にひびき渡った。

(参考)  

@馬頭琴・・・中国の北部・内モンゴルからモンゴル国地方を代表する楽器で、日常の生活で遊牧を営むモンゴルの人々にとって「馬」は欠くことのできない必需品であり、民族の象徴である。その馬の頭部を古くより最も親しんできた二弦の擦弦楽器「モリンホール」(モリン=馬)と呼んだ。モンゴル民族の音楽は、もともと大自然の中の生活に密接しており、内容的には、宗教あるいは呪術的な要素を取り入れたものが多かった。

馬頭琴の写真はこちらへ

 

(小話390)「五十歩百歩」の話・・・

     (一)

(りょう)の恵王(けいおう)が孟子(もうし)に言った「私が国を治めるにあたっては、とにかく民衆に心を尽くすようにしている。河内地方が凶作のときは、そこの民衆を河東地方に移し、河東地方の穀物を河内地方に移す。河東地方が凶作のときもまた同様にする。隣国の政治をよく観察してみても、私が民衆を気遣ってやっているようなことをしている者はいない。それなのに隣国の人口が減らず、私の国の人口が増えないのは、なぜですか?」孟子は、答えた「王は戦いを好んでおられます。どうか戦いで諭(さと)させてください。太鼓が打ち鳴らされ、既に武器は火花を散らしています。恐怖に襲われた兵士たちが、鎧(よろい)を捨て、武器を引きずって敗走します。あるものは百歩逃げてからその場に止まり、あるものは五十歩逃げてからそこに止まりました。五十歩逃げたことで、百歩逃げたものを嘲笑したとしたら、これはどうですか」恵王は答えた「よくない。ただ百歩でないだけだ。この者もまた逃げたことに変わりはない」

      (二) 

孟子は言った「王の言われる国民のためのよい政治も、隣の国とあまり変わりがないのです。王がもしこのことが本当にお分かりになるのなら、人口が隣国より多いことを望んではなりません。農作業の時期を違(たが)えないように民衆を使役すれば、穀物は食べても食べきれないほど多く取れるようになるでしょう。目の細かい網をもって沼や池に入らないようにすれば、魚やすっぽんは食べても食べきれないほど多く取れるようになるでしょう。木を切る時は、その適した時期に切るようにすれば、材木は使っても使い切れないほど多く手に入るようになるでしょう。穀物や魚、すっぽんが食べても食べきれないほど多く取れ、材木が使っても使い切れないほど多く取れれば、民衆は家族を養い、死者を厚く弔(とむら)って心残りがないようになります。家族を養い、死者を厚く弔って心残りがないようにするのは、王道の第一歩です」

 

(小話389)「冥界の王・ハデスと美しきペルセポネ」の話・・・

   (一)

ギリシャ神話では、神が支配する領域が3つある。それは大神・ゼウスが支配する天上、ポセイドンが支配する海、そしてハデスが支配する地下(冥界=黄泉)の国である。ゼウスの妻・ヘラの妹の豊穣の女神・デメテルは、娘の女神・ペルセポネに魔法の絵の具を与えた。ペルセポネは魔法の絵の具で、春の花に彩色をした。ある春の日のこと、彼女が花の咲き乱れる森の中で花々と戯れていると、地の奥底深くからごろごろという無気味な物音が響いてきた。そしてあっと思う間もなく大地は裂け、背の高い黒衣の男に御(ぎょ)された四頭の黒馬のひく黄金の馬車が飛び出した来た。冥府の支配者・ハデス(ゼウス・ポセイドン・ハデス3兄弟の長男)である。ペルセポネに魅(ひ)かれた冥王・ハデスは、彼女を花嫁として迎え 冥府の女王として自らの隣に座らせようと、以前から妹のデメテルに「ペルセポネを私の嫁にして頂きたい」と言っていた。しかし、デメテルは、地上で輝く太陽のように、明るく元気に過ごしていた可愛い娘を、死後の世界の暗くて陰気な冥界に行かせたくないので、ハデスの願いを聞き入れなかった。そのため、ついに冥王・ハデスは、ペルセポネを地上に奪いに来たのであった。助けを求めて叫ぶ暇もないうちにペルセポネは馬車の中へ引き上げられ、そして馬車はまたたくまに地中へと戻って行った。ぱっくりと大地に開いた穴もすぐさま閉じられ、森は何事もなかったかのような静寂を取り戻した。遠い土地を巡回中、かすかに娘の悲鳴を聞きつけたデメテルは地上を駆けめぐり、娘の行方を探した。しかし最初は、娘の身に何が起こったのか全く見当もつかなかった。そんなデメテルの もとに、一部始終を見ていた太陽神・ヘリオスが現われて、ペルセポネが冥王・ハデスの妃となるべく連れ去られた経緯(けいい)を話した。

(参考)

@ゼウスが支配する天上・・・ハデス・ポセイドン・ゼウス3兄弟はくじ引きにより、それぞれの支配する世界を決めたという。

Aペルセポネに魅(ひ)かれた・・・ある日、冥王・ハデスが黒い馬車を駆って、地上へと出てきたとき、それを見つけた美と愛の女神アフロディーテは、愛の使者エロスに「私たちの愛の力を、地下の冥府にも、もたらしましょう」と、ハデスの誘惑を命じた。そしてエロスの恋の矢が放たれ、ハデスはたちまち、美しいペルセポネの虜になってしまったという説もある。

B太陽神・ヘリオス・・・東の館に住み、朝になると4頭立の炎の戦車に乗り天に駈けあがる。月の女神セレネ、曙の女神エオスの長兄で、ヘリオス神は天上から全てを見て、全てを聞くという。

   (二)

そうと知ったデメテルはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、すぐに気を取り直すと、天馬が引く二輪車を駆(か)ってペルセポネの父親でもある天上の大神・ゼウスのもとへ嘆願に向かった。娘を冥王のもとから取り戻してほしいという豊穣の女神・デメテルの訴えに対して、大神・ゼウスは答えた「ペルセポネが、冥府で供応された食物を何一つとして口にしていなければ、彼女を取り戻すこともできよう。もし汝の娘が冥府で供された食物を少しでも受けていたならば、彼女を取り戻すことはかなわぬ。古き法の定めるところにより、供応された食物を受け入れた者は、その地に客として滞在するということを了承したことになるゆえ、汝の娘は冥王の花嫁として冥府に留まらねばならぬのだ」と。一方、力づくで冥府へとさらわれた美しい女神・ペルセポネは、しかし気丈であった。ペルセポネは食事はもとより、ハデス が彼女の気を引こうとして贈った金銀財宝も何ひとつとして受け取ろうとせず、またハデスに対して口をきくことさえ 頑(がん)として拒んでいた。しかし、その抵抗により彼女は餓えと渇きに襲われていた。そんな折り、狡猾な冥王・ハデスによりペルセポネの目の前に差し出されたのは、半分に割ったみずみずしい石榴(ざくろ)であった。苦しんでいた彼女は、思わずその石榴に手を伸ばすと、またたく間に四粒 (三粒又は六粒)を口に含んでしまった。「ペルセポネは冥府の石榴の実を食べたのであるから、古き法により、我が正当なる花嫁である」と冥王ハデスは、大神・ゼウスに向かって主張した。これに対して、デメテルは「私の娘が死の王の花嫁となるならば、私は大地に実りを与えることを拒否する。穀物は実らず、大地は渇き、荒涼たる不毛の土地が広がるばかりとなるであろう」と宣言した。

(参考)

@ペルセポネの父親・・・ペルセポネは、豊穣の女神・デメテルと大神・ゼウスとの間の子供である。

   (三)

困り果てた大神・ゼウスは、両者の妥協案として、次のような決定を下した。すなわち、四粒 (三粒、六粒)のざくろを食べてしまったペルセポネは一年のうち四ヶ月 (又は六ヶ月) を冥府で過ごさなければならないが、残りの期間は地上で暮らすことを許された。こうして、ペルセポネは一年のうち四ヶ月だけ冥界のハデスとともで過ごし、残る八ヶ月は母デメテルと過ごすことになった。しかし、デメテルは、娘が冥府にいるあいだは悲しみに打ち沈み、大地の世話を一切しないようになった。この間、木々は枯れ大地は凍(い)てつき、地上は冬に閉ざされた。そして、春の女神・ペルセポネが地上に帰ってくると野には春が訪れ、花々はほころび木々は新緑に芽吹くのであった。こうして、一年の中に季節というものができたのだといわれている。

(参考)

@乙女座(四季のを感じさせる乙女座は、春から夏、秋と夜空にその姿を見せるが、冬の夜だけは地平線からその姿を現すことがない)は豊穣、農業の女神デメテルの姿で、農業の神様の象徴として左手には麦を持ち、一方、右手には正義の象徴とする羽毛を持っている。

「プロセルピナ(ペルセポネ)」(ロセッティ)の絵はこちらへ

「ペルセポネの帰り」(レイトン)の絵はこちらへ

「プロセルピナ(ペルセポネ)=やさしい春」(フレデリック・サンズ)の絵はこちらへ

「プロセルピナ(ペルセポネ) の略奪」(ベルニーニ)の彫像はの絵はこちらへ

「プロセルピナの略奪」(ヤン・ブリューゲル)の絵はこちらへ

「プロセルピナの略奪」(Rembrandt)の絵はこちらへ

 

(小話388)「5番目のえんどう豆」の話・・・

    (一)

童話より。一つの莢(さや)の中に、緑色のえんどう豆が5つぶ並んでいた。だんだん大きくなって、5つぶのえんどう豆たちは、莢の中にいるのが窮屈になった。何週間もたって、莢も豆たちも黄色になった。やがて、パチッと莢が割れると、5つの豆はそろって、莢から飛びだしてコロコロと転がり出た。すると一人の小さな男の子が豆つぶを見て言った「豆鉄砲にちょうどいい豆だぞ」小さな男の子はみんなを豆鉄砲で打ち始めた。1番目の豆は「広い世界に飛んでいくぞ。できるもんならつかまえてみろ」2番目と3番目の豆は「僕らは、どこへついても、その場所で寝るとしよう」4番目の豆は「僕は太陽のところまでいくぞ。あそこが僕には一番ぴったりだ」。それぞれのいろんな思いをのせてえんどう豆たちは遠くに飛んでいった。最後の5番目の豆は「なるようになるさ」と飛ばされて、病気の女の子が寝ている小さな屋根裏部屋の、窓の下の柔らかい土の上に落ちた。

    (二)

やがて春になった。5番目のえんどう豆は、窓の下で少しずつ成長した。ある日、病気の女の子は窓のそばで小さな緑色のものに気がついた「あの風に揺れているのはなにかしら?」「まぁこれは、小さなえんどう豆じゃないの。かわいらしいお庭ができてよかったわね」とお母さんは言って、娘のベットをえんどう豆がよく見えるように窓のそばに移した。それからというもの、女の子は窓の外をのぞくのがとても楽しみになった。毎日少しずつ、えんどう豆の葉っぱが大きくなっていくのを見ると、自分の病気も良くなるような気がした。一週間もたつと、娘は長いこと立ってえんどう豆の葉を眺めるまでになった。やがて、えんどう豆が美しいピンクの花を咲かせた頃には、女の子は歩けるまで元気になった「まぁ、歩けるようになったのね」お母さんと女の子は嬉しそうにほほえんだ。こうして、娘の病気はすっかりよくなって、健康になった。他のえんどう豆たちのうち、広い世界にあこがれていた1番目の豆は、屋根の樋(とい)の中に落ちて、それから鳩のお腹におさまった。なまけものの2番目と3番目の豆たちも鳩に食べられてしまった。そして太陽のところにいくといばっていた4番目の豆は、溝(どぶ)の中に落ちて水を吸い込んでぶくぶくにふくれてしまった。それでも「どんなえんどう豆だって、こんなに大きくはなれやしないぞ。僕は兄弟の中で一番偉くなったんだ」とあいかわらずいばっていた。

(参考)

アンデルセンの童話「一つの莢から出た5人兄弟」より。

 

(小話387)「鬼になった女」の話・・・

    (一)

能狂言「鉄輪(かなわ)」より。嵯峨天皇の時代、草木も眠る丑三つ(うしみつ=午前二時)時、貴船(きぶね)神社で嫉妬に燃える公卿(くげ)の女房が呪いの五寸釘をワラ人形に打ち込んでいた。一方、公卿の屋敷の几帳(きちょう)の中では、男女が熱い抱擁を交わしていた。公卿の女房の夫と愛人の若い女である。突然、若い女が身もだえしてのけぞった。打ち込む五寸釘が呪いをかけてくるのであった。呪いをかける公卿(くげ)の女房は、心変わりした夫と、夫の愛人を呪(のろ)い殺そうと、貴船の神に七日間、籠(こも)って祈願し「赤い衣を着、顔に朱(しゅ)を塗り、頭に鉄輪を着け、怒りの心をもつならば、鬼神になろう」との神のお告げにより、宇治の川瀬に二十一日間、潔斎(けっさい)して、生きながらの鬼となったのである。やがて、かつての美しい公卿(くげ)の女房は、黒髪が逆(さか)さまに立つほどすさまじい形相となり、恨みの鬼となって男に思ひ知らせんと、寝ている男と女の枕元に立って、憎くも懐かしくもある夫の命を奪おうとした。その姿は、長い髪を五つに分け、五つの角に結い上げ、顔には朱をさし、身には丹(に)を塗り、頭には鉄輪(五徳)を戴(いただ)き、その三つの足には松明(たいまつ)をともし、火を吹く松明を口にくわえるという、まさに生きながらの鬼の姿であった。

    (二)

ところが寝ている夫の枕元に寄り添ひ、過ぎた日の恨みと哀(かな)しみを綿々(めんめん)とかきくどきながら、いざ我が手に掛けて殺そうとした瞬間、鬼女は夫の白雪のごとく消えなんとする命に、いたはし(ふびん、かわいそう)と、とめどなく涙を流した。鬼女に成り果てた女の中に、不意に甦(よみがえ)ってきた人間の血の温かさが、どうして夫を殺すことが出来なかった。そのうち、貴船の神に与えられた生殺与奪の自在の力を、自ら投げ捨てた鬼女は、陰陽師・安倍清明が祀(まつ)る守護の神たちに追われて「足弱車(あしよわぐるま=牛がひく車)の廻り逢ふべき。時節を待つべしや。まずこの度(たび)は帰るべし」と、恨めしくも恋しくもある夫に未練を残しながら、不気味な声と共に消え去った。こうして、公卿(くげ)の女房は、愛の恨みゆえに自ら鬼に変貌したものの、夫への変わらぬ愛着(あいちゃく)で鬼にもなれず、人に戻ることもかなわず、人と鬼との狭間(はざま)に生きなければならなくなった。毎夜、吹きすさぶ荒野で、頭に鉄輪を着け、顔には朱を塗り、口は裂け、釣り上った目の鬼女が嫉妬の焔を燃して呪いをかけつづけるのであった。

(参考)

@几帳・・・昔の室内調度の一つ。帳(とばり)を室内に立てて間仕切りとし、また座のわきに立てて隔(へだ)てとした。

A貴船神社・・・京都の貴船町にある神社。昔は「丑の刻参り」というといって縁切りの呪を掛ける神社であった。呪の藁人形も多くある。

B潔斎・・・神仏に仕えるため、酒肉を避けけがれた物に触れず、心身を清らかにしておくこと。

 

(小話386)「大きな竜と賢い靴屋」の話・・・

      (一)

民話より。昔むかし、ポーランドでの話。ワルシャワの南にクラクフという土地があった。そのクラクフのヴァベル城の地下に、どこからともなく大きな竜が住み着いてしまった。そして竜は毎年、一人づつ若い娘を食べてしまうのだった。町の娘は減り続け、そしてついに、若い娘はヴァベル城のお姫様だけになってしまった。王様はどうにかして姫を助けようと、苦心の末「ヴァベルの竜を退治した者は、姫の婿にする」というおふれを出した。これを見た勇敢な騎士たちは、我こそはと竜の洞穴へ乗り込んでいったのだが、誰ひとり帰ってくる者はいなかった。そんなある日、ひとりの靴屋が王様に進言した「私にやらせてください」と。

      (二)

靴屋は羊の皮を買って来て羊の形に縫い上げると、その中にタールを流し込んだ。そして、その夜、靴屋はまるまる太(ふと)ったその羊のぬいぐるみを、竜の洞穴の入り口に置いた。次の日の朝、竜はまるまるふとった羊を見つけると、さっそくかぶりついた。でも、なんだか普通と違ったが、竜はかまわず一気に飲み込んでしまった。するといきなり竜の腹が痛みだし、喉も渇いてきた。竜は近くを流れるヴィスワ川の水をごくごくと飲み始めた。しかし、どんなに飲んでも喉が渇いて仕方がなかった。あっと言う間に竜は、川の水を全部飲み干してしまった。さて洞穴に戻ろうとしたが、水で膨らんだ腹がつかえて穴に入れない。竜がむりやりそれを押し込んだとたん、ぼおぉんと竜の腹は破裂してしまった。こうして靴屋の機転で、竜は死んでしまった。そして賢い靴屋はお姫様と結婚し、幸せに暮らしたという。

 

(小話385)「君主の逆鱗(げきりん)」の話・・・

      (一)

中国は周代の諸国の一つ、衛(えい)国でのこと。昔、衛(えい)の国の寵姫(ちょうき)の美女、弥子瑕(びしか)は衛(えい)の君主の寵愛を一身に受けていた。衛の国の法律では、許しを得ずに勝手に君主の車に乗った者は、足斬りの刑にあうと定められていた。ところが、弥子瑕の母親が急病となり、知らせを受けた弥子瑕は、君命だと偽(いつわ)って君主の車に乗って出かけた。衛の君主はその話を聞くと弥子瑕に目がくらんでいたため「親孝行なやつだ。母の病気の看病をするために、足斬りの刑にあうのも忘れたのだ」と言って、何の処罰もしなかった。また別の日に、弥子瑕は君主といっしょに果樹園で遊んだ。食べた桃があまりに美味しかったので、食べ残しの半分を君主に差し上げた。君主は喜んで「私をそこまで愛しているのか。美味(おいし)いのを我慢してわざわざ食べさせてくれた」と言った。

      (二)

ところが、やがて弥子瑕の容色が衰えてきて君主の寵愛が薄れると、弥子瑕は咎(とが)めを受けることになった。君主は言った「こいつは以前に君命だと偽って、私の車に勝手に乗った。また、食べ残しの桃を私に食べさせたことがある」。弥子瑕の行動は、前には誉(ほ)められたのに、後には咎(とが)めを受けるまでになった。君主の愛情が変わったからである。そもそも竜という動物は、それを飼いならして始めて乗ることもできる。しかし、その喉の下に直径一尺ほどの逆(さか)さの鱗(うろこ)があって、それに触れると死んでしまうという。君主にもやはりこの逆さの鱗がある。君主を相手にする場合は、その逆鱗(げきりん)に触れてはならないのである。

(参考)

逆鱗・・・竜のあごの下にある一枚の逆さに生えたうろこに人が触れると竜が大いに怒るという伝説から、天子の怒りや目上の人の激しい怒りをいう(「韓非子」より)

 

(小話384)「狩人・ケパロスとその美しい妻・プロクリス」の話・・・

     (一)

ギリシャ神話より。神々の伝令役ヘルメスとヘルセの息子のケパロスは、眉目秀麗(びもくしゅうれい)な若者だった。ケパロスは、エレクテウス王の娘で、月の女神アルテミスの侍女である大変美しいプロクリスと結婚していた。そして、二人はとても愛し合っていた。ところが、ケパロスの美しすぎる容貌に横恋慕した女神がいた。曙の女神エオスで、エオスは嫌(いや)がる新婚まもないケパロスを無理矢理さらって恋人として、子供(バエトン)をもうけた。しかし、ケパロスがいつまでも妻のことを口にするので、とうとうあきらめて故郷に帰すことにした。ケパロスを帰す際、エオスは「仕方ない、お前をプロクリスに返してやるが、プロクリスは、あんなに美しいのだから、お前のいない間に浮気しているにちがいない」と言った。妻の美しさを誰よりもよく知っているケパロスは、エオスの言葉に大いに不安をかき立てられた。そこでケパロスは、妻が心変わりしていないかどうかを確かめるため、女神エオスの力を借りて別の男に姿を変えると、旅人を装(よそお)って、プロクリスのもとを訪ねた。ケパロスは、言葉巧みにプロクリスを誘惑した。そして金銀財宝の贈り物を見せた。はじめは夫に操(みさを)をたてていたプロクリスではあったが、男の執拗な口説きについに折れ、まったく別人になったケパロスの求婚を受けてしまった。その瞬間に、ケパロスの変身は解け、元の姿に戻ったケパロスは激怒し、彼女の不実を責めた。

(参考)

@ヘルメスとヘルセの息子・・・または、ポーキス王デイオンとディオメデの息子とも言われる。

Aバエトン・・・太陽神ヘリオスとクリメネの子バエトンとは別人で、年若い内に、愛の女神アフロディーテがさらっていって神殿の夜の間(ま)の守り役にしたという。

 

     (二)

プロクリスは恥ずかしさと怒りで、そのまま家を飛びだしていった。プロクリスはその後、クレタ島にたどり着き、ミノス王の愛人となった。だがプロクリスは、ミノス王の妻パシパエ(太陽神ヘリオスの娘)の嫉妬を恐れ、王と別れてクレタ島を離れた。ミノス王はかって妻パシパエが、自分が浮気をすると相手の女性が死んでしまう魔法をかけられていた。その呪いの魔法をプロクリスが魔女・キルケからもらった薬草の根で解いてくれていたので、ミノス王は別れる際には、その礼も兼ねて、プロクリスに「何者をも逃がさない犬と槍」、つまり「駿足の犬ライラプス」と投げれば必ず当たる「投げ槍」を贈り物として与えた。これらは、もとはゼウスがエウロベに与えられたものであった。プリクロスは、やがてケパロスと再会し、和解のしるしに夫に駿足の犬ライラプスと槍を渡した。ケパロスはその後、猟犬ライラプスと槍を持って、テーバイの国中を荒らしている狐を退治に出かけた。しかし、この狐は追いかけても決して捕らえられないという特性を持っていたので、猟犬ライラプスと狐の追いかけっこは、まったく終わらなかった。業(ごう)を煮やしたケパロスが槍を投げつけようとしたとき、この素晴らしい狐と犬が傷つくことを恐れた大神ゼウスが、犬も狐も戦っている姿のまま石にしてしまった。その後、ゼウスは猟犬ライラプスを天に上げ、「おおいぬ座」にしたという。

(参考)

@家を飛びだしていった・・・プロクリスは、遠く離れたクレタ島の山中を狩りと月の女神アルテミスのお供をして暮らしていた。しかし、昔のケバロスの愛情を思い出し「投げ槍」と「駿足の犬ライラプス」を女神アルテミスから贈り物として貰ったという説もある。

Aミノス王・・・大神ゼウスが白い雄牛に姿を変えて、野原の遊ぶ美しいエウロベを背中に乗せ、海を泳いでクレタ島にさらっていって産ませた子である。

B魔女・キルケ・・・太陽の戦車を駈(か)る太陽神ヘリオスと女神ペルセイスの娘で、魔法に詳(くわ)しい美しい半神の女神。アイエイア島に住み、その歌声と美しさで男性を虜(とりこ)にし、その隙に魔法で動物に変えてしまう魔女。((小話296)「魔女・キルケとオデュッセウス」の話・・・を参照)

     (三)

それからしばらくの間、ケパロスと妻プロクリスは平穏に暮らしていた。ケパロスは狩りをしたあと、汗をかいた身体を冷やそうといつも「アウラ(微風)よ、我が胸の火照(ほて)りを鎮(しず)めておくれ」と口にするのが常となっていた。これを耳にしたプロクリスは、アウラを女性の名前と勘違いし、せっかく取り戻した夫をまた他の女に横取りされるのではないかと心配して、こっそりと狩りをするケパロスの跡(あと)をつけた。ところが藪(やぶ)の中に隠れてケパロスの様子をうかがっていたプロクリスを、ケパロスは獲物と間違えて槍を投げつけ、殺してしまった。過ちに気づいて駆けつけた夫に、プロクリスは「どうかアウラという女を私の代わりににはしないでほしい」と言った。ケパロスはこのとき初めて、誤解のもとが名前(アウラ)にあったことを知って、真実を妻に告げた。妻の顔は晴れやかになり、安心して死んだ。ケパロスはこの後、妻を殺した罪により、終身追放を言い渡された。ケパロスは、各地を流浪して、ギリシャの北西部のイオニア海に浮かぶ「エプタニシア(七つの島)」のうち最大の島にたどりついた。それ以後、その島の名はケファロニア(ケファロス=ケパロス)島になったという。

(参考)

「アウロラ(エオス)とケファロス(ケバロス)」(プッサン)の絵はこちらへ

「アウロラ(エオス)とケファロス(ケバロス)」(ナルシス・ゲラン)の絵はこちらへ

「アウロラ(エオス)とケファロス(ケバロス)」(フランソワ・ブーシェ)の絵はこちらへ

 

(小話383)「恋人岬の伝説」の話・・・

    (一)

スペインがグアム島を統治していた頃の話。グアム島の首都ハガニナに、ある誇り高い家族が住んでいた。父はスペインの貴族の出で、母は偉大なるチャモロ族の首長の娘であった。一家は広大な土地を所有し、チャモロとスペイン人のどちらからも厚く尊敬されていた。その娘は、名だたる美しさで、また正直で慎み深く、そして天性の愛らしさを持っていたため、あらゆる人々が娘を称賛していた。一家はその美しい娘をとても誇りに思っていた。ある日、娘の父親は、スペイン人の有力な船長を娘の婿に迎え入れようとした。それを知ると娘はひどく取り乱し、町から逃げ出してグアム北部の人目につかない静かな海岸にたどりついた。月の輝くその美しい浜辺で、娘はチャモロ族の若い兵士と出会い、そして恋に落ちた。娘は日が沈むと何度も隠れるようにして逢い、恋人たちは愛を育(はぐく)んだ。

(参考)

@チャモロ族・・・グアム島の先住民族。

Aスペイン人の有力な船長・・・又は、スペインの総監が彼女を気に入り、彼女の父親に婚姻の約束を頼み込みこんだ説もある。

    (二)

しかし、ついに恋人たちは隠れて逢引(あいび)きしている所を発見されてしまった。二人は逃げ出したが、娘の父親と、船長、スペインの兵士たちに追われて、タモン湾にそびえる崖の上まで追いつめられた。恋人たちは、近づいてくる兵士たちと切り立った崖の間に取り残されてしまった。もはや逃れられないことを知った二人は、兵士たちに自分たちにそれ以上近づかないように警告した。二人は互いの長い黒髪を固く一つに結び合い、お互いの目を深く深く見つめあい、最後のくちづけを交わした。そして、二人は髪を結びあわせたまま、険(けわ)しい崖の上から、轟々(ごうごう)とうなりをあげる海へ向かって飛び込んだ。娘の父親と残された者たちはあわてて崖に駆け寄ったが、嘆きとともに深く暗い海の底をただ見つめるだけであった。それ以来、チャモロ族の人たちはタモン湾にそびえるその突き出た崖を、畏敬の念を持って見上げるようになった。その恋人達は、今でも真実の愛(生きているときも、死んでしまってからも、永遠に固く結ばれた2つの魂が育(はぐく)む愛)の証(あかし)とされている。それ以後、その崖の頂上は「恋人岬」として知られるようになった。

 

(小話382)「聖女マルガリタとドラゴン」の話・・・

      (一)

聖女マルガリタは、2世紀末にアンティオキアで生まれた。マルガリタの父親はローマ神殿の祭司であったが、彼女はキリスト教徒の乳母の影響により、成人すると同時に洗礼を受けた。そのため神官の父から嫌われて、家から追い出された。彼女は、こうして羊の番をしながら一人で暮らすようになった。ある日のこと、ローマの長官が羊の番をしているマルガリタの美しい姿に目をとめて、彼女が由緒(ゆいしょ)ある家柄の娘なら妻に迎え、いやしい身分ならば側女(そばめ)にしようと考えた。長官は彼女を呼びとめ、その素性と名前、そして信仰についてたずねた。「わたしは由緒ある家柄の娘で、名前はマルガリタ(真珠を意味する)と申します。そしてキリストの信徒です」マルガリタの答えに長官は納得した。しかし信仰については、彼女がキリスト教にはふさわしくないと思った。そこで長官は、彼女にキリスト教を捨てて自分の妻になるように強要した。マルガリタはその申し出をきっぱりと断った。その無礼な態度に長官は怒りのために蒼白った。ただちにマルガリタは逮捕され、牢に入れられた。それからさまざまな手段で彼女に棄教(ききょう)を迫ったが、マルガリタの信仰はゆるがなかった。やむなく長官は彼女を拷間にかけた。周囲の人々は、見るに見かねて泣き叫んだ。「マルガリタ、このままでは死んでしまいます。どうか信仰を棄てなさい」しかし、マルガリタはにっこり微笑みながら拒絶したのであった。

      (二)

再び牢に入れられたマルガリタは主に祈った「わたしの戦うべき敵を、目に見える姿でお示しください」。彼女は、自分に信仰を棄てさせるのは悪魔の所業にほかならず、おそらくは長官の心を悪魔が乗っ取り、これほどの拷間をしているのだろうと考えた。すると突如、彼女の前に巨天なドラゴンが出現した。悪魔の変身した姿であるドラゴンは、マルガリタ目がけて負欲な口を天きく広げ、たちまちのうちに彼女をひと呑みにしてしまった。しかし、ドラゴンの体内に入ったマルガリタは、持っていた十字架を強く握りしめると十字架はぐんぐんと大きくなった。そして、ドラゴンの身体を真っ二つに切り裂いたのであった。彼女は傷ひとつ負わず、ドラゴンの身体から抜け出した。こうして悪魔は退散した。しかし、長官は彼女を諦めきれずに手を変え品を変え、彼女を責めたてた。ところが、彼女が拷間に耐え抜くたびにその噂は広まり、キリスト教に帰依する者が増えていった。これでは逆効果である。長官は、ついにマルガリタに魔女の嫌疑をかけて斬首の刑に処した。処刑の直前、彼女は自分がドラゴンの体内から無傷で出られたことを感謝し、つぎのように祈った「陣痛に苦しむ人は、わたしの名前を呼びなさい。元気な子供を授かれるよう、わたしから主にお願いいたします」こうして聖マルガリタは殉教した。以来、聖マルガリタは安産の守護天使として、尊敬されるようになった。

(参考)

@聖マルガリタは、イタリアでは、聖マリーナとして親しまれ、聖画は女性の羊飼いの姿で、竜とともに描かれている

A西洋では安産祈願に、妊婦が安産のために腹部に巻く帯はマルガリタ帯と呼ばれる。

B聖マルガリタは聖カタリナ(アレクサンドラの)と聖バルバラと一緒に絵画に描かれることも多く、彼女たちを総称して「聖三処女」と呼ぶこともある。

「聖マルガリタ」(スルバラン)の絵はこちらへ

「聖マルガリタ」(カラッチ)の絵はこちらへ

「聖マルガリタ(右手がアンティオキアノの聖マルガリータ)」(ファン・デル・ウェイデン)の絵はこちらへ

「聖マルガリタ」(ラファエロ)の絵はこちらへ

「聖マルガリタ」(ルーカス・クラナッハ)の絵はこちらへ

いろいろな「アンティオキアの聖マルガリタ」の絵はこちらへ

(1)「アンティオキアの聖マルガリタ」の絵はこちらへ***(2) 「アンティオキアの聖マルガリタ」の絵はこちらへ***(3) 「アンティオキアの聖マルガリタ」の絵はこちらへ

 

(小話381)「三人の天使」の話・・・

人間世界において悪事をなし、死んで地獄に墮ちた罪人に閻魔(えんま)大王が尋ねた。「汝は人間の世界にあった時、三人の天使に会わなかったのか?」「大王よ、私はそのような方に会いません」「しからば汝は年老いて腰を曲げ、杖にすがってよぼよぼしている人を見なかったか?」「大王よ、そういう老人ならいくらも見ました」「汝はその天使に会いながら、自分も老いて行くものであり、急いで善をなさねばならぬと思わず、今日の報いを受けるようになったのだ」閻魔大王は更に尋ねた。「次にまた、汝は第2の天使を見なかったのか?」「大王よ、私はそういう方にお目に掛かりません」「汝は病(やまい)に悩み、独りで寝起きも出来ず、見るも哀れにやつれた人を見なかったか?」「大王よ、そういう病人ならいくらでも見ました」「汝はその天使に会いながら、自分も病(や)まねばならぬものであることを思わず、あまりにおろそかにして、この地獄へ来ることになったのだ」更に閻魔大王は尋ねた。「次ぎに汝は、第3の天使に会わなかったか?」「大王よ、私はそういう天使に会った覚えがありません」「汝は、汝の周囲に死を見なかったのか、人々の悲しむ死に会わなかったか?」「大王よ、死人ならば私はいくらも見て参りました」「汝は死をいましめ告げる天使に会いながら、死を思わず善をなすことを怠って、煩悩のおこるまま好き勝手に生きたので、この地獄で報いを受けることになったのだ、汝自身のしたことは汝自身、その報いを受けなければならぬ」と閻魔大王は言った。

(参考)

@閻魔大王・・・閻魔天のことで、最初の死者となったゆえに死者の国の王となり、死者の罪悪を裁く神となった。閻魔天は地獄と浄土を行き来できるとされる。閻魔王庁には、「浄玻璃鏡」(じょうはりのかがみ)というものがあり、死者の生前の行いをつぶさに映(うつ)し出すという。