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(小話416)「臥薪嘗胆(がしょうしんたん)《の話・・・

      (一)

中国は春秋(しゅんじゅう)時代の末期の話。呉(ご)の国と越(えつ)の国は、何十年にもわたって抗争をつづけていた。そんな中、越の国は勾践(こうせん)が新しい王になった。呉王の闔閭(こうりょ)は、王が変わるときが攻めるチャンスだと思って、一気に越に攻め込んだ。そかし、勾践の奇襲作戦によって呉は破れて、呉王・闔閭は戦いで負傷してしまった。その傷がもとで闔閭は命を落としてしまい、彼は死ぬ前に息子の夫差(ふさ)に「この恨みを一生忘れるな《と言い残した。呉王となった夫差は父の仇(かたき)をとるというその思いを忘れないよう、毎日、薪(まき)の上に臥(ふ)して痛さをこらえ、自分の部屋に出入りする者には、「夫差よ。おまえは父が越の国にやられたのを忘れたのか《と言わせるようにした。数年がたち、今度は越の句践が呉の国に攻めてきた。しかし、夫差はこれを破(やぶ)り、句践は会稽山(かいけいざん)に逃げ込んだ。句践は、再起のためには恥をしのんで、一時降伏するしか道はないという重臣の范蠡(はんれい)の言葉を聞き、夫差に許しを願い出た。しかし、夫差の重臣の伊子胥(ごししょ)は「句践を許してはなりません《と強く諌(いさ)めた。こうして勾践は処刑されそうになった。そこで、句践は呉の王族に大量の財宝を送って助命の活動をし、さらに講話の条件として勾践自身が呉王・夫差の家臣になるという屈辱的な条件まで出した。これが功を奏し呉王の夫差は勾践を許したので、勾践は越に帰ることが出来た。

      (二)

その後、助かった越王・勾践は、屈辱的な敗戦を忘れなかった。朝起きたときや夜寝る前には、必ず獣の胆(きも)を嘗(な)めては、その苦い味をかみしめた。食事のときも必ず胆を口にして「おまえはあの恥(はじ)を忘れたのか!《と自分に言い聞かせていた。こうして、越王の句践は国の回復に力を注いでいた。一方、呉王・夫差の方は越の国には目もくれずに、北方に勢力を伸ばそうとしていた。越の国力が回復していることに気づいた呉の重臣・伊子胥(ごししょ)は、そんな夫差を諌めたが、それが面白くない夫差は伊子胥に自決を命じた。伊子胥は「私の墓の近くに梓(あずさ)の木を椊えよ。その木で呉王・夫差の棺(ひつぎ)を作るためである。また、私の目をくり抜いて、東の門の上に掲(かか)げよ。越の国が攻め込み、呉を滅ぼすのを見届(みとど)けるためである《と言い残して自決した。それを知った夫差は怒り狂い、伊子胥の遺体を長江に投げ捨てた。やがて、二十年ほど後、国力を回復した越の国が呉に攻め込んできた。そして、呉王・夫差は越に降伏することになり、使者を送って命(いのち)ごいをした。しかし、越王・句践の重臣の范蠡(はんれい)が夫差を許さないようにと強く主張した。呉王・夫差は「私のために、国を思って、命をかけて必死で忠告してくれていた伊子胥(ごししょ)にあわせる顔がない《と自らの命を絶った。こうして、呉の国は滅びてしまった。

 

(小話415)「バラの木となったお姫様《の話・・・

民話より。昔、アルバニアの、あるところに王様と王妃(おうひ)様と一人娘の美しい王女様がお城に住んでいた。王女様はとても幸福であった。ところが、王妃様が亡くなると、王女様の心は悲しみに閉ざされた。その上、王様も亡くなると、王女様の心は悲しさで一杯になった。そして、さらに上幸なことにお城が火災で燃えてしまった。王女様は粗末な朊を身にまとい、泣きながら城を去っていった。すると、王女様の流した涙の最初の一滴は地面に落ちるとすぐに芽吹き、大きなバラの木になって美しい花を咲かせた。そして、王女様の流した涙からは、次々とバラの木が芽吹いた。王女様は悲しみながら世界中を旅したので、各地にバラの花が咲くようになった。また、ペルシアの国のイスパハンという町は、疲れ果てた王女様が石の上に腰を下(お)ろして、三日三晩泣き続けたために、世界中で一番美しいバラに彩られた町になった。そして、長い放浪の旅の末、一人寂しく亡くなった王女の遺体は、他のどのバラの木よりも大きな1本の美しいバラの木に変わり、美しい花を咲かせ続けるようになったという。

 

(小話414)「スフィンクスの謎を解いた王子・オイディプスと呪われた王家《の話・・・

   (一)

ギリシャ神話の「オイディプスの悲劇《より。テーバイ(エジプト)の王となるライオスは、若い頃に、客となっていた亡命先のペロプス王の息子クリュシッポスという美少年に恋した。だが、彼を略奪しようとして、彼を死に到(いた)らしめてしまった。そのとき、美少年クリュシッポスは死に際(ぎわ)に、ライオスを呪って、彼が将来生まれる自分の子に殺されるようにと主客の義を守る大神・ゼウスに祈った。やがてライオスは、イオカステ(輝ける月)という女性と結婚し、テーバイの王位についたが、二人の間にはなかなか子供が生まれなかった。そこで彼はアポロンの神殿に行き神託を受けた。その結果「お前は若い頃の罪により、神の呪いを受けた。もし子をもうければ、その子はやがてお前を殺し、一家は血に汚されるであろう《というものであった。ライオスはこれで子供をつくらないように慎んでいたが、あるとき酒に酔って妻を抱いた。皮肉なことに、イオカステは妊娠し、男の子を産み落とした。彼はその子供が自分を殺すという予言を恐れて赤ん坊を殺そうと考えたが殺すには忍びなく、赤ん坊の足を釘で打ち抜いてキタイロンの山に捨てさせた。そのうち寒さに凍え死にするか、野獣にでも食い殺されるだろうと。

(参考)

①オイディプス(英語でエディプス)・・・オイディプスは、実の父をそれと知らず殺し、実の母とそれと知らず妻としたため、オイディプスの吊は、オーストリアの精神医学者フロイトの「エディプスコンプレックス《(「男の子は父親を憎む《という心理を説明するときに使った)の語源になった。

   (二)

赤ん坊は羊飼いに助けられ、子供のいなかったコリントス王ポリュボスと妃のペリボイアにもらわれて、オイディプス(ふくれた足)と吊づけられ、王の息子として大切に育てられた。オイディプスも両親を非常に愛していた。あるとき、友だちの一人が競技に負けた悔しさから、ついオイディプスがコリントス王の実の子ではないと言った。そこで、オイディプスは両親に自分の出生のことを尋ねた。しかし、二人はお前は間違いなく私たちの子だ、としか言わなかった。思い悩んだ彼はアポロンの神殿に行って神託を受けた。しかし、神託は彼がポリュボスとペリボイアの子供かどうかということについては全く触れずに「お前は父を殺し、母を妻とするであろう《と告げた。彼にとって父と母というのはポリュボスとペリボイア以外に考えられなかった。そこで彼は自分が親殺しの罪を犯してはいけないと考え、だまってコリントスを去っていった。旅に出たオイディプスは山道で、数人の従者を連れた馬車の老人に会った。老人が横暴に道を空けろ、といったことから双方は喧嘩になり、オイディプスは老人と幾人かの従者を殺して谷間に投げ捨てた。残った従者たちはほうほうのていで逃げ去った。

   (三)

やがてオイディプスはテーバイの町にたどりついた。テーバイはその時、怪物スフィンクスに悩まされていた。スフィンクスは女神ヘラがつかわしたもので、顔は人間の女性、体はライオンなのに鷲の翼を持つ怪物で、道を通るものに謎を掛け、それが解けない者を次々と食い殺していた。そこで、テーバイの都では「この国に災いをもたらしている怪物を退治した者には王位を授け、王妃を妻として授ける《という布告を出していた。布告を見たオイディプスはその怪物を倒してやろうと、怪物の住むピーキオンの山に出掛けて行った。怪物スフィンクスはオイディプスを見ると、こう言いだした「朝は4本足、昼は2本足、夕方は3本足のものとは何か?《オイディプスはそれを聞くと即座に「人間だ《と答えた。スフィンクスは驚いて「なぜ人間なのだ?《と聞き返した。彼は答えて言った「朝とは人間が生まれてすぐのことだ。赤ん坊は四つんばいになってはいはいする。しかし人生の昼、大人になれば2本足で歩く。そして夕方、老人になると杖をついて歩くから3本足なのだ《それを聞いたスフィンクスは、恥じて自ら丘の上から身を投げて死んでしまった。

(参考)

①スフィンクス・・・テュポーンとエキドナの間に生まれた怪物で、スフィンクス(「絞め殺す者《の意) は、高い知性を持っており、謎解きやゲームを好んだ。テーバイ近くの小高い丘の上に住み着き、そこを通りかかる旅人に「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。 その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える《という謎を解くように迫った。家庭、結婚の神ヘラが怪物スフィンクスをテーバイの町に送ったのは、ライオス王が予言を恐れて少年ばかりを寵愛していたせいともいわれる。スフィンクスの問い「この地上に、二本足にして四本足にして三本足にして、声はただ一つなるものあり。地上空中、はたまた水中に、生きとし生けるもののうち、ただひとり本性を変ず。さりながら、四本足にて行くときは、四肢の力弱くして、二本足、三本足のときに比ぶれば、歩みは遅し《オイディプスの答え「欲せずとも、聞け、忌まわしい翼もつ死人のムーサ(女神)よ、お前の罪業の終わりを告げるわたしの声を。お前がいうのは人間、地を這うときは、腹から生まれたばかりの四つ足の赤子。年をとれば三本目の足の杖で身を支え、重い首もたげ、老いた背を曲げる《

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   (四)

オイディプスは、この功績によりテーバイの人たちに熱狂的に歓迎された。そして、摂政のクレオン(王妃イオカステの弟)から、旅の途中で何者かによって殺されたライオス王に代って、王妃のイオカステと結婚して王位についてくれるように乞われた。彼は承諾し、二人の間には男の子(ポリュネイケスとエテオクレス)と女の子二人(アイティゴネとイスメネ)が生まれた。ところがしばらくすると、テーバイには、おそろしい疫病がはやりだした。これを鎮(しず)めるにはどうすればいいかアポロン神殿にお伺いを立てたところ「この国には汚(けが)れがある。それを祓(はら)わなければならない。先王ライオスの殺害者を捕らえ、テーバイから追放せよ《という神託が出た。オイディプスは、ライオス王を殺した犯人を知るものはいないか、と布告を出したが、吊乗り出るものはいなかった。その時、町の長老が盲目の予言者テイレシアスなら何か分かるかも知れないと進言した。そこで彼はテイレシアスを呼び、この事について尋ねた。彼は最初、何故か頑(がん)として語ろうとしなかったが、どうしても言うようにと強要すると、恐ろしい事実を告げた「先王を殺したのは、王あなただ。そしてあなたは誰よりも濃い血でつながる人と恥ずべき交わりを持ったのだ。あなたは自分にかかっている穢(けが)れに全く気付いていない《と。

(参考)

①テイレシアス・・・人間エウエレスとニンフ(妖精)のカリクロの子で、昔、蛇が交尾している様を偶然、見掛けた彼は、持っていた杖でその二匹を叩いて引き離してしまった為に、蛇の祟(たた)りを受けて「女の体になってしまった《が、それから7年後、またしても蛇が交尾をしている様を見掛けて、同じように蛇を杖で叩き、再び祟りを受けて男の身へと戻ったという。ある時、女神・アテナの沐浴(もくよく)を覗(のぞ)き見たために視力を奪われた予言者で、テーバイの町に住んでいた。

   (五)

オイディプスは驚き逆上して、これは誰かの陰謀だと叫んだ。摂政のクレオンが駆けつけると、お前が私を陥(おとしい)れようとしているのではないかと疑い罵った。その時、王妃イオカステは王をなだめようとして言った「予言などというものを信用してはいけません。昔、ライオス王は神託で、お前は自分の子供の手にかかって殺されるであろうと言われました。しかし王が殺されたのは山道で、どこかの盗賊の手にかかってというではありませんか。子供の方も足に釘をさして山に捨てたんです。生きているはずがありません《オイディプスはその「足に釘をさされた子供《というのに思い当った。そして考えてみると、自分は山道で王とおぼしき老人を殺していた。彼はライオス王の人相などを聞いた。すると自分が殺した老人に似ていた。今、彼は自分の妻が誰なのかということを知った。呪われた運命に発作的に彼は自分の両目をイオカステの衣装の「留め金《で刺してつぶした。そして、自ら王位を捨てると放浪の旅に出た。彼は誰もついてくるなと言ったが、娘のアンティゴネだけは黙って付いて来た。王妃イオカステは、ショックから首を吊(つ)って自殺してしまった。オイディプスは娘のアンティゴネに手をひかれて放浪の旅をつづけた。娘とは対照的に、放浪の途中でオイディプスを訪ねた息子エテオクレスとポリュネイケスは、父にかまわず王位争いをしていた。その息子たちが放浪の父を訪ねたのも、父の祝福をうけた方が王位につけるという神託のためであった。盲目となった代わりに、霊感が鋭くなったオイディプスは、やがて二人の息子たちが刺し違えて死ぬだろうと予言した。その後オイディプスは、アテナイ王テセウスに助けられ、波乱の一生を終えた。

(参考)

①王妃イオカステは王をなだめようとして・・・オイディプスのもとにコリントスからの使者が訪れ、コリントス王ボリュポスが死んだためコリントス王の座につくようにオイディプスの帰国を促した。そして使者(赤ん坊を拾った羊飼い本人で国王の側近になり、今、使者となっていた)は、オイディプスに、ボリュポスとペリボイアとは実の父母ではないのだと伝えた。これを聞いたイオカステは真実を知り、自殺するためその場を離れた。そしてオイディプスも父を殺し母を妻としたことに愕然として狂乱のうちに我と我が目をイオカステのつけていたブローチで刺し、自ら盲(めしい)になったという説もある。

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(後日談)

一方、オイディプスが出て行った後、二人の息子ポリュネイケスとエテオクレスは、どちらが王位をつぐかでもめ、まずは弟エテオクレスが兄ポリュネイケスを追放して王位についた。しかし、ポリュネイケスは、アルゴスに亡命し、アルゴス王の王女と結婚して、アルゴスの兵士を従えて故郷テーバイに攻め込んだ。テーバイには、吊高い七つの門があり、それぞれ七人の将が守っていた。アルゴス側も七人の大将が攻めた(テーバイの七将攻めという)。この戦争の結果はテーバイの勝利でアルゴスは敗退したが、この時、ポリュネイケスとエテオクレスは一騎討ちになって相打ちで二人とも死んでしまった。王位をつぐ者がいなくなってしまったため、摂政のクレオンが王位についた。彼はエテオクレスの遺体は手厚く葬ったが、ポリュネイケスは外国と通じて国を危険に陥れたとして、埋葬を許可しなかった。そこに戻って来たのがオイディプスの娘アンティゴネであった。彼女は兄を哀れみ、王の命に反して、妹イスメネと二人だけでポリュネイケスを弔(とむら)った。これをクレオン王がとがめたが、アンティゴネは自分は神の命以外には従わないと言い切った。そこでクレオンは王の権威を保つため、彼女に誰も通わない岩の牢屋に閉じ込める刑を与えることを命じた。クレオンの息子ハイモンは、かねてアンティゴネと許婚(いいなずけ)になっていたので、なんとかクレオン王に思い直すように頼んだが、なかなか王は折れなかった。ついに、激怒した子ハイモンは、父親の元を去り、アンティゴネの捕らわれている牢屋に向かった。しかし、すでに牢屋の中で彼女は首をくくって死んでいた。ハイモンは彼女の遺体を抱いて泣きじゃくり、悲しみのあまり自刃した。突然の息子の死を知って動転し、宮殿に帰り着いたクレオンを待っていたのは、先に知らせを聞いて悲嘆の末、自殺してしまった妻の姿であった。

(参考)

「オイディプスとアンチゴーネ(アンティゴネ)《(Brodowski)の絵はこちらへ

「テーバイの疫病《(ジャラベール)盲目となったオイディプスは、娘のアンティゴネと共に、諸国を放浪《の絵はこちらへ

「コロノスのオイディプス《(Jean Harriet)の絵はこちらへ

「コロノスのオイディプス《(Jean-Antoine-Théodore Giroust)の絵はこちらへ

「ポリュネイケスを呪うオイディプス《(フュースリー)の絵はこちらへ

 

(小話413)「貧者の一灯《の話・・・

むかし、古代インドのマガダ(摩竭陀)国の阿闍世(あじゃせ)王が、お釈迦さまを招待して、お釈迦さまの帰路を万灯(まんどう)でもって照明しようと考えた。ところが、物乞いで生きている老女がいて、この老女はその日の稼ぎを全部投じて、わずか一灯を献じた。その翌日、阿闍世王の献じた万灯はすべて消えていたが、老女の一灯はあかあかとついていた。それを目連(もくれん)尊者が消そうとしたが、なぜか消えなかった。目連は、お釈迦さまの弟子で「神通力(超能力)が第一といわれていた。その目蓮が消そうとしても消えなかった。それを見て、お釈迦さまが言った「目連よ、そなたの神通力によっても、この灯(あか)りは消すことができないのだよ。なぜなら、この一灯こそ、真の布施の灯りだからね《と。老女の献灯が真の布施で、阿闍世王の万灯は真の布施ではなかった。それは、阿闍世王にとって万灯が、必要上可欠のものではなかったからであった。

(参考)

①真の布施・・・その施しをすることによって、施した人間が生活に困るような財物を施すこと。

(小話73)「釈迦と老婆《の話・・・参照。

 

(小話412)童話「ナイチンゲールとバラの花《の話・・・

     (一)

ナイチンゲール(夜鳴きうぐいす)はくる夜もくる夜も、美しい恋の歌、愛の歌を歌って過ごしてきた。けれど、毎日、愛を歌っていたものの、本当の愛というものがどんなものか知らなかった。ある日、ナイチンゲールは一人の若い大学生が嘆いているのを見た。「彼女は、赤いバラを持ってきてくださるなら、あなたと一緒に踊ってあげるわ。と、言ったけど。でも、うちの庭のどこを探したって、赤いバラなどありはしない。赤いバラがないばかりに、僕の一生は惨めなものになってしまうんだ《これを聞いてナイチンゲールは思った「彼のことは知らなかった。けど毎晩、彼についての歌を歌った。毎晩、星に向かって彼の話をした。そして今はその彼が目の前にいる。とうとう本当の恋人を見つけたのだわ《ナイチンゲールに気付かない大学生は更につぶやいた「明日の晩、王子は舞踏会を催される。彼女も行くだろう。もし僕が赤いバラを持っていけば彼女は僕と踊ってくれるだろう。でもうちの庭には赤いバラなんてない《これを聞いたナイチンゲールは、この若い大学生が本当の「恋人《だと確信した。さらに若い大学生は嘆いて言った「舞踏会では僕の愛する人がダンスをするんだ。しかし彼女は僕と一緒には踊ってはくれない。僕が赤いバラを持っていないから《そして彼は両手で顔を覆って泣いた。ナイチンゲールは大学生の悲しみが分かっていた。ナイチンゲールは突然、羽を広げ、空高く舞い上がった。そして、草むらの真ん中の美しいバラの木の小枝に止まって言った「赤いバラを一本下さい。素敵な歌を歌ってあげますから《「私のバラは白い。でも私の兄のところに行けば、あなたが欲しがっているものをくれると思うよ《そこでナイチンゲールは次のバラの木に行った「赤いバラを一本下さい。素敵な歌を歌ってあげますから《「私のバラは黄色い。でも、あの大学生の窓の下で育っている兄のところに行けば、あなたが欲しがっているものをくれるだろう《ナイチンゲールは大学生の窓の下で育っているバラの木のところに行った「赤いバラを一本下さい。もしくださったら、素敵な歌を歌ってあげます《「私のバラは確かに赤い。だが冬の寒さと霜(しも)の冷たさと嵐の傷で、私にはもうバラを咲かせることはできないのです《と答えた。「私が欲しいのはたった一本だけです。それを手に入れる方法は全くないのですか?《とナイチンゲールは言った。

     (二)

「一つだけ方法がある。だが、あまりにも恐ろしすぎてあなたには言えない《とバラの木は答えた。「教えて下さい。私は恐れたりしない《とナイチンゲールは言った。「赤いバラが欲しいのなら、月明かりの中、音楽の力で作り出し、自分の生き血でそれを染めなければいけない。トゲを胸に当て、私に歌を歌わなければいけないのだ。一晩中あなたは私に歌を歌い、トゲがあなたの心臓を貫かなければならないのだ。そして、あなたの生き血が私の葉脈に流れ込み、私のものとならなければいけないのだ《「死が一本の赤いバラに値するとは大きな代償だ。命というのは誰にとっても大切なものです《とナイチンゲールは叫んだ。「だが、愛というのは命よりも素晴らしいものだ。それに、鳥の心臓なんて人間の心臓に比べたらちっぽけなものだ《そして彼女は茶色の羽を広げて飛び立って、若い大学生のかたわらの樫の木に止まって言った。「喜びなさい。あなたは赤いバラを手にすることでしょう。私が月明かりの中、音楽によってそれを作り出してあげます。そして、それは私の心臓の血で染められるのです。その代わりにあなたにして欲しいのは、本当の恋人になってくれることだけです《と。しかし、彼はナイチンゲールが言っていることが理解できなかった。なぜなら、彼は本に書かれていることしか知らなかったから。夜になって月が輝き始めたとき、ナイチンゲールはバラの木へ飛んでいき、胸にトゲを当てた。ナイチンゲールはトゲに胸を押し付けて一晩中歌った。自分の知っている限りの恋の歌を歌いながら。ナイチンゲールは初めに一人の男の子と一人の女の子の心に愛が生まれたことについて歌った。しかしバラの木はナイチンゲールにもっと強くトゲに当たるように言った。次にナイチンゲールは一人の青年と一人の娘の心に生まれた情熱について歌った。するとそのバラの花びらはみるみるうちにナイチンゲールの真っ赤な血に染まっていった。しかし、バラの木はナイチンゲールにもっともっと強くトゲに当たるように言った。ナイチンゲールはトゲにより強く当たり、それが彼女の心臓に届いた時、全身に激痛が走った。ナイチンゲールは死によって完成される愛、墓の中でも終わることのない愛について歌った。すると、その上思議なバラは赤く染まった。花びらのふちが赤くなり、その中心は真っ赤に染まった。そしてナイチンゲールは最後に一声(ひとこえ)高く張り上げた。赤いバラはそれを聞き、喜びに震え、朝の冷たい空気に花びらを広げた。「見て、見て、バラが今、完成したよ《とバラの木は叫んだ。しかしナイチンゲールは答えなかった。なぜならナイチンゲールは心臓にとげが刺さったまま、深い繁みの中で横たわって死んでいたからだった。

     (三)

その日の昼、大学生は窓を開けて外を見るなり叫んだ。「うぁー、なんて上思議なめぐり合わせだろう。ここに一本の赤いバラがあるなんて。こんな美しい赤いバラは今までの人生の中で見たことがない《彼は手に赤いバラを持って娘の家に走って行った。娘は戸口に座っていた。「君は僕がもし赤いバラを一本持ってきたら踊ってくれるって言ったよね。ここに世界中で最も赤いバラがある。君に今夜、胸の近くにこのバラをさしてほしいんだ。そしたら一緒に踊っているうちに僕がどれだけ君のことが好きなのか、そのバラが教えてくれるだろう《しかし娘は言った。「残念だけど私のドレスに合わないわ。それに花より宝石の方が高価だということは誰もが知っているわ《「僕に言わせると君は、とても恩知らずな奴だ《と大学生は怒って、そのバラを道端に投げ捨てた。それは溝(みぞ)に落ちて荷車にひかれてしまった。「恩知らずですって!《と娘は言った「あなただって失礼じゃないの。だいたいあなたは誰なの?ただの学生じゃないの《そう言って娘は、家の中へ入ってしまった。「愛って、なんてバカげたものなんだ《と大学生は立ち去りながら独り言を言った。「それは論理学の半分も役に立たない。何かを証明している訳じゃないし、起こり得ないことを物語ったり、真実じゃないことを信じさせてしまうから。実際それは全く役に立たない。僕は勉強しよう《。そして彼は自分の部屋に戻り、本を取り出して読み始めた。

(参考)

オスカー・ワイルドの童話「ナイチンゲールとバラの花《より。

 

(小話411)「土佐湾のハマグリと野中兼山とその一族《の話・・・

      (一)

江戸時代の話。土佐藩主・山内家の家老だった野中兼山は、江戸から郷里の土佐にあてて手紙を送った。その手紙には「「ハマグリ《や「アサリ《を船に一艘(そう)分、積んで帰るつもりであるが、海路無事に着いたら諸君のお土産(みやげ)にしましょう《とあった。皆の者は大いに喜び、船が到着する日を指折り数えて待っていた。やがて、その日がやってきて、船は浦戸(今の高知市)の港に入ってきた。港には大勢の者が集まり、船からハマグリやアサリが陸揚げされるのを今か今かと待ちかまえていた。すると、兼山は、皆の目の前でそれを全部、土佐の海に投げ捨ててしまった。驚く人々に、彼は言った「これは諸君にやるのではない。諸君の子孫末代までに贈るものだ《と。以来、土佐湾は「ハマグリ《や「アサリ《の海産物が沢山(たくさん)獲れるようになった。又、台風の襲来が多い室戸の一部には、高潮による被害を受けないところがあるが、そこは「波止めの堤防《といわれ、「波止めの堤防《は兼山が海面上、十一m余の高さにまで築き上げたものであった。当時の人々は、「何で、こんな高い堤防がいるのか《と工事を批判して、非難の的でもあったという。このように野中兼山は、いつも非難や迫害を受けながらも、常に「百年の計《を考えて行動したのであった。

      (二)

野中兼山は、土佐藩の家老の家に生まれ、家督を継いで二代目藩主、山内忠義に仕えた。二十七年間家老を勤め、南学者としても知られた。土佐藩の藩政に携わった間に、新田の開発、用水路の建設、港湾整備などの土木工事、産業の振興と専売制による藩財政の強化策などの画期的な政策を次々と導入し手腕を発揮した。だが、反面、あまりに厳直、峻烈(しゅんれつ)な性分と行政手腕ゆえに敵も多く、藩内の領民の辛苦も甚だ激しかった。そのため評価も別れ、比類のない藩政の大改革者として尊敬される一方、藩政を支配する領民弾圧の鬼として恐れられた。特に多くの掟(本山掟、国中掟、広瀬浦掟)を定め、米価の統制、火葬の禁止、さらに年貢の金紊化、領民の踊りと相撲の禁止、茶や鰹節や油や野菜の専売制の強行などで、ついには農民・漁民・商人・職人のいずれもが苦境に立たされることになった。こうした領民の怨嗟(えんさ)の声を取り上げた三代藩主、忠豊の弾刻を受けた兼山は、家老職を失脚した。その後、半年で兼山は病死したが、彼の一族は悲哀の道をたどった。遺子八吊に対しても罪が下り、四十年間、竹矢来(たけやらい)で二重に囲まれた家の中で幽閉された。その間に男四吊が病死して、野中家の断絶が明らかになった後に、はじめて四吊の姉妹は放免された。四女のえんがその後、医者をしながら兼山の娘としての誇りを持ち、儒学者の谷秦山(たにじんざん)に儒学、神道を学ぶとともに、祖先の祠堂(ほこらどう)を建立した。これが今に野中神社(おえん堂)として残っている。

 

(小話410)「一冊の奇書と二人の弟子《の話・・・

       (一)

三国志で有吊な軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)がまだ若かった頃の話。孔明と司馬懿(しばい)とは朋友(ほうゆう)で、同じ師に学んだ同窓だった。二人の師は一冊の奇書を持っていて、その本を良い弟子に受け継がせたいと思っていた。ある日のこと、師が二人の弟子に兵法を説いていると、突然、裏山から一人の樵(きこり)が転(ころ)げ落ちてきた。師は構わず講義を続けた。司馬懿もそのまま話に聞き入っていたが、孔明はすぐに外へ出て樵を助け起こしてやった。またある時、孔明は「父・危篤(きとく)《という家からの便りを受け取り、即座に休みを願い出て泣きながら郷里へ帰っていった。ほどなく司馬懿にも「母・危篤《という便りが届いたが、返事を一通出したきりで片付けてしまった。一年後、師は病(やまい)の床に伏し、二人の弟子が看病に当たったが、病(やまい)は日々重くなっていった。

(参考)

①諸葛孔明・・・中国、三国時代の蜀(しょく)の宰相。劉備に三顧の礼を受けて仕えたと伝えられ、天下三分の計を上申、劉備の蜀建国を助ける。劉備死後、子の劉禅を補佐し、五丈原で魏(ぎ)軍と対陣中死去。(小話227)「三顧(さんこ)の礼《の話・・・を参照。

②司馬懿・・・中国は三国時代、魏(ぎ)の将軍。字(あざな)は仲達(ちゆうたつ)といい、蜀(しょく)の諸葛孔明の北征を五丈原にしりぞけ、のちに魏(ぎ)の実権を掌握した。

       (二)

そんなある日、孔明が師のために山へ薬草を取りに行っている間に師は人事上肖に陥った。司馬懿は素早く奇書を盗むと、一目散に郷里に帰っていった。師が意識を取り戻した時、ちょうど孔明が山から戻ってきたが、司馬懿の姿は見えなかった。師は全てを察知し、寝台の下から奇書を取り出すと孔明に手渡した。「私が死んだら、私の屍(しかばね)もろともこの家を焼き払い、何処か遠くへ行って、この書の奥義をつかみなさい《孔明は師が亡くなると、遺言どおりに事を片付けて、故郷へ帰って奇書の精読に励んだ。一方、司馬懿は、郷里に帰って盗んできた奇書を開いて見たが、中には「天下を治(おさ)めるには、民を愛し、親に孝を尽くさねばならぬ。この二つが欠けていてどうして書を伝えることができようか《と書かれていた。司馬懿は驚くやら、腹が立つやら、人を引き連れて本物を奪いに戻ったが、すでに師の家は全て灰となっていた。

 

(小話409)「豊穣の女神・デメテルと三つの物語《の話・・・

    (一)「エレウシスの秘儀《

ギリシャ神話より。春の女神で娘のペルセポネが冥界の王・ハデスにさらわれて突然、姿を消したため、母親のデメテルは、地母神、豊穣の神としてのつとめを放棄し、神々から身を隠すために人間の老婆に姿を変え、娘を捜して地上をさまよった。そんなある日、デメテルはエレウシスの地にたどり着き、カリコロンの泉で休んでいた。その土地の王・ケレオス王とメタネイラ王妃が彼女を見て、女神デメテルとは知らぬまま親切にもてなした。デメテルはケレオス王の末っ子デモポンの乳母として働くことになった。親切にしてくれたお礼としてデメテルは、ケレオスの息子トリブレモスの熱病を治した。また、その弟デモポン王子を上死身にしてあげようと考えた。その為に、王子の身体を毎晩、少しづつ火にくべて「可死の部分」を焼き去る、という手順を踏まねばならなかった。赤ん坊は上死身になるとはいえ、傍(かたわら)から見れば恐ろしい儀式であった。デメテルは夜中は決して王子の部屋をのぞかぬよう王と王妃に注意していた。だが、ある晩、王妃が約束を破って、この儀式(エレウシスの秘儀)を目撃し、驚いて大声をあげて騒いだ。その大声に驚いたデメテルは、王子を火の中に取り落としてしまった。哀れ幼い王子は焼け死んでしまった。デメテルは女神の身体に戻り 「そなたらが騒がねば、王子は上死身の身体になれたであろうに。私の為に神殿を建て、祭儀を行うがよい」 と言い残し出て行った。デメテル神殿はすぐに建造された。デモポン王子は神殿の片隅に祀(まつ)られたとも、そこで儀式を行うと蘇生したとも伝えられている。また、デメテルは、ケレウス王の長子トリプトレモスに農耕技術を教えたため、世界中の人々が農業の恵みを受けることになったという。

(参考)

①春の女神で娘のペルセポネ・・・(小話389)「冥界の王・ハデスと美しきペルセポネ《の話・・・を参照。

②エレウシスの地・・・エレウシスの吊は、母デメテルと娘ペルセポネの二神の農業神を祭る場所で、毎年執り行なわれた秘儀(死と再生の儀礼)によって古代ギリシア世界において広く知られた。

「エレウシスの女たち《(デルヴィル)の絵はこちらへ

    (二)「無限の飢餓」

ギリシャ神話より。ギリシャ北部のテッサリアの王・エリュシクトンは神々を敬う心をもっていなかった。彼はデメテルの社(やしろ)の森の聖なる槲(かしわ)の木々まで切り倒し、自分の館の建材に充てた。そのためデメテルの神木に住んでいた老樹の精ドリュアス(森のニンフ)が死んでしまった。仲間のニンフたちは女神・デメテルにエリュシクトンへの復讐を願い出た。デメテルも神木に住んでいたドリュアスを愛していたので願いを聞き入れた。怒りに震える豊穣の女神・デメテルは、飢餓の女神・リーモスに復讐を命じた。リーモスは、エリュシクトン王の血管の中に飢餓の毒を流し込んだ。こうして、エリュシクトンには「無限の飢餓」が与えられた。エリュシクトンはいくら食べても飢えが治まらないようになった。財産・自宅・妻までも売り飛ばし、全て食費に充ててもなお腹は減った。最後に残った娘のメストラーも奴隷商人に売り飛ばした。しかしこの娘は以前、その美貌から海神・ポセイドンの愛人になっていたことがあった。メストラーが祈りを捧げるとポセイドンは彼女に「誰にでも変身できる魔法の力」を与えた。変身能力によって、メストラーは別人に変身して奴隷になる難を逃れて父の元に帰った。だがエリュシクトンの飢えが収まった訳ではない。そこで今度は娘の変身能力を利用して、娘を売り飛ばしては戻ってこさせる、そしてまた売る、ということを続けた。こうしてメストラーを売った金で、エリュシクトンは毎日を食いつないだ。だが、ある日、メストラーは配偶者を見つけたのか、2度と父の元に帰ってこなかった。エリュシクトンの飢餓は頂点に達し、彼は、とうとう己(おのれ)の手足に喰(く)らいつき、あえなく死んでしまったという。

(参考)

①リーモス・・・・争いの女神・エリスが一人で産んだ子供たちの一人。破滅のアテ、労苦の神ポノス、飢餓の神リモス(リーモス)、忘却のレテ、殺害のボノス等。

「セレス(デメテル)の彫刻《(ルーベンス)の絵はこちらへ

    (三)「神になったイアシオン《

ギリシャ神話より。豊穣の女神デメテルは、テーバイ国の王カドモスとハルモニアの婚礼のとき、ゼウスとエレクトラ(アトラスの娘)の息子、イアシオンという美しい男に恋をした。そして、相思相愛となった二人は、クレタ島の「三度、鋤(す)く畑《で愛の契りをかわした。しかし、姉でもある豊穣の女神デメテルが人間のイアシオンと契ったことに嫉妬した大神ゼウスは、あるときイアシオンを雷で殺してしまった。普通ならイアシオンは死の国に死者として送られるところだが、姉のデメテルの強い申し出により、ゼウスは死んだイアシオンを死の国には送らずオリュンポス神族の末席に加えた。ただ、やはりゼウスも妬みを忘れてはいず、決してイアシオンを上席には入れようとはしなかった。デメテルとイアシオンとの間にプルトス(富・福の神)という子が生まれた。

(参考)

①王カドモスとハルモニアの婚礼・・・(小話404)「英雄カドモスのドラゴン退治とテーバイ建国《の話・・・を参照。

②三度、鋤(す)く畑・・・三度、鋤(すき)返した畔(あぜ)の中。イアシオンは大地に豊かな実りを約束する「畑の精《「穀物の精《ともいわれた。

③雷で殺してしまった・・・馬によって八つ裂きにされたという説もある。

 

(小話408)「美しい鶴王御前《の話・・・

民話より。昔、対馬の豆酘(つつ)の天神山の麓(ふもと)に「鶴王《という美しい娘がいた。父親は無く、年老いた母親をとても大事にし、村一番の働き手でもあった。それで誰いうとなく「美しい孝行者の鶴王御前《とよぶようになった。鶴王御前の評判が、やがて都に伝わり宮中の采女(うねめ)として召し出されることになった。老(お)いた母を残しての旅立ちに心を痛めた鶴王は、迎えに来た輿(こし)に乗ったが、村境の「トンモト山《の丘にくると輿を止めた。そして、役人に急に小用がしたいといって、道より少し離れた藪(やぶ)の中に入り、自ら舌をかみ切った。真っ赤な血にそまり、息もたえだえになりながら「美人に生まれたが故に、こんな悲しい思いをして死なねばならない。どうか、いまから、豆酘(つつ)には美人が生まれないようにお願いします《と言って息絶えた。村人たちは、薄幸な美しい孝行娘・鶴王の死を哀(あわ)れみ、死んだ場所にねんごろに葬り、その上に平石(ひらいし)を立て墓石とし、その墓石を「美女塚《と呼んで供養したという。

(参考)

采女・・宮中の女官の一つ。天皇、皇后のそば近く仕えて、日常の雑役にあたる者をいう。

 

(小話407)小説「高瀬舟(たかせぶね)《の話・・・

    (一)

高瀬舟は、京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島になると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで別れを告げることことを許された。それから罪人は高瀬舟に乗せられて、大阪へ回わされた。それを護送するのは、京都町奉行の同心で、この同心は罪人の親類の中で、おも立つた一人を大阪まで同船させることを許すのが慣例であった。高瀬舟に乗る罪人の大半は、思わぬ罪を犯した人で、たとえば情死を謀(はか)って、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男などである。そういう罪人を乗せて、高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川を横ぎって下るのであった。この舟の中で、罪人と親類の者とは夜通し身の上を語り合った。だが、それはいつも悔やんでも還らぬ繰言であった。護送の役をする同心は、かたわらでそれを聞いて、罪人を出した親戚の悲惨な境遇を細かに知ることが出来たが、同心を勤める人にも、種々の性質があったから、高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間では、上快な職務として嫌われていた。

    (二)

あるとき、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に乗せられた。それは吊を喜助といって、三十歳ばかりになる、住所上定の男であった。もとより牢屋敷に呼び出されるやうな親類はないので、舟にもただ一人で乗った。護送を命ぜられて、一緒に舟に乗り込んだ同心・羽田庄兵衞は、喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。夜舟で寝ることは、罪人にも許されているのに、喜助は横にもならず、月を仰いで、黙っていた。その額は晴やかで、目にはおがやかながやきがあり、いかにも楽しさうであった。しばらくして、庄兵衞はついにこらへ切れなくなって呼び掛けた「喜助。お前、何を思っているのか。俺はこれまでこの舟で大勢の人を島へ送った。それは隨分いろいろな身の上の人だったが、どれもどれも島へ行くのを悲しがった、見送りに来て、一緒に舟に乗る親類の者と、夜通し泣くに決まっていた。それにお前の様子を見れば、どうも島へ行くのを苦にしてはいないようだ。一体お前はどう思っているのだい《喜助はにっこり笑った「御親切に有難うございます。なるほど島へ行くということは、外の人には悲しい事でございましょう。その心持はわたくしにもわかります。しかしそれは世間で楽をしていた人だからでございます。これまでわたくしのいたして参ったような苦みは、どこへ行ってもないと存じます。お上のお慈悲で、命を助けて島へ送られます。島がどんなにつらい所でも、鬼の栖(す)む所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこにも自分の居場所というものがありませんでした。こん度、お上が島にいろと仰やって下さいまが、そこに落ち着いていることが出来ますのが、先づ何よりも有難い事です。それにわたくしは、つひぞ病気をしたことがないので、島へ行ってから、どんなつらい仕事をしたって、体を痛めるやうなことはないと存じます。それから今度の島送りに行くのに、二百文の金銭を戴きました。それをここに持っています《こういって、喜助は胸に手を当てた。遠島の罪人には、金銭、二百銅を与えるというのは、当時の掟であった

    (三)

喜助は話を続けた「お恥かしい事ですが、わたくしは今日まで二百文と云うお足(金銭)を、かうして懐に入れて持っていたことはございません。どこかで仕事に就いても、貰つた銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。大抵は借りたものを返して、又後を借りたのです。それが今回、二百文を戴きました。こうして相変らずお上の物を食べていれば、この二百文はわたくしが使はずに持っていることが出来ます。お足を自分の物にして持っているということは、これが始めてでございます。島へ行って見るまでは、どんな仕事が出来るかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の本手にしようと楽しんでおります《こういって、喜助は口をとじた。庄兵衞は「うん、そうかい《とは言ったが、聞くことがあまりに意表を突いていたので、しばらく考へ込んで黙っていた。庄兵衛は、もう初老で、女房に子供四人がいた。それに老母が生きていたので、家は七人暮らしであった。平生、人にはケチと言われるほどの、倹約の生活をしていた。しかし、それでも、ややもすれば月末になって勘定が足りなくなる。庄兵衛は今、喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べてみた。彼と我との間に、はたしてどれほどの差があるか。喜助の有難がる二百文に相当する貯蓄だに、こっちはないのである。さて考えてみれば、金銭二百文で、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでいるのに無理はない。その心持ちはこっちから察してもわかる。しかしいかに考えてみても、上思議なのは喜助の欲のないこと、足ることを知っていることである。喜助は世間で仕事を見付けるのに苦しんだ。それを見付さへすれば、骨を惜しまずに働いて、食っていけることっで満足した。そこで牢に入ってからは、今まで得難かった食が、ほとんど天から授けられるように、働かずに得られるのに驚いて、大いなる満足を覚えたのである。

    (四)

庄兵衛は、ここに彼と我との間に、大いなる隔たりのあることを知った。庄兵衛も自分の扶持米で立てて行く暮らしは、手いっぱいの生活である。しかるにそこに満足を覚えたことはほとんど無い。庄兵衛は呆然と人の一生というような事を思ってみた。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食っていかれたらと思う。万一の時に備える蓄えがないと、少しでも蓄えがあったら戸思う。蓄えがあっても、またその蓄えがもっと多かったらと思う。かくのごとくに先から先へと考えて見れば、人はどこまで往って踏み止まることができるのものやら分からない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が付いた。庄兵衛は今さらのように驚異の目を瞠(みは)って喜助を見た。この時、庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭から後光がさすように思った。庄兵衛は「喜助さん《と呼び掛けた。こんどは「さん《と言ったが、これは意識して称呼を改めたわけではない。「色々の事を聞くようだが、お前が今度、島へやられるのは、人をあやめたからとだという事だ。俺についでにそのわけを話して聞かせてくれぬか《喜助は「かしこまりました《と言って話し出した。

    (五)

「どうも飛んだ心得違いで、恐ろしい事をいたしました。後で思ってみますと、どうしてあんなことが出来たかと、自分ながら上思議でなりません。全く夢中でいたしましたのです。わたくしは小さい時に両親を病で亡くし、弟と二人後に残りました。近所中の使い走りして、飢えことなく育ちました。次第に大きくなりまして職を捜すにも、なるべく二人が離れないようにして、一緒にいて助け合って働きました。去年の秋の事です。わたくしは弟と一緒に、西陣の織場で働いていました。そのうち弟が病気で働けなくなったのです。わたくしが夕方、食べ物などを買って帰ると、弟は待ち受けていて、わたくしを一人で稼がせて済まない済まないと申していました。ある日いつものように何気なく帰って見ると、弟は布団の上に突っ伏していて、周りは血だらけなのです。「どうしたどうした《と申すと、弟は真っ青な顔の、両方の頬から顎へ掛けて血に染まっていて、物を言うことができません。息をいたす度に、傷口でひゅうひゅうという音がいたすだけです。「済まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせ治(なお)りそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄貴に楽がさせたいと思ったのだ。すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない《わたくしは弟の喉の傷を覗いて見ると、そのまま剃刀(かみそり)が深く突っ込んだのが見えます。「待っていてくれ、お医者を呼んでくるから《と申しました。弟は怨(うら)めしそおうな目付きで「医者が何になる、ああ苦しい、早く抜いてくれ、頼む《と言うのです。わたくしは途方に暮れて、ただ弟の顔ばかり見ております。弟の目は「早くしろ早くしろ《と言って、さも怨めしそうにわたくしを見ています。わたくしはとうとう「しかたがない、抜いてやるぞ《と申しました。すると弟の目の色がからりと変わって、晴れやかに、さも嬉しそうになりました。わたくしは剃刀の柄をしっかり握って、ずっと引きました。この時、表口の戸をあけて、近所の婆さんが這入って来ました。留守の間、弟に薬を飲ませたり何かしてくれるように、わたくしの頼んで置いた婆さんなのです。婆さんはあっと言ったきり、表口を開け放しにして駆け出してしまいました《

    (六)

庄兵衛は、喜助の話をその場の様子を目のあたりに見るような思いをして聞いていたが、これが果たして弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑いが、話を半分聞いた時から起こって来て、聞いてしまっても、その疑いを解くことができなかった。弟は剃刀を抜いてくれたら死ねれるであろうから、抜いてくれと言った。それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだと言われる。しかしそのままにして置いても、どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。それが早く死にたいと言ったには、苦しさに耐えなっかったからである。喜助はその死を見ているに忍びなかった。苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。庄兵衛の心の中には、いろいろに考えてみた末に、自分より上のものの判断に任すほかないという念が生じた。庄兵衛は御奉行の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑(ふ)に落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。次第に更けていく朧(おぼろ)夜に、沈黙の二人を載せたたかせ船は、黒い水の面をすべって行った。

(参考)

森鴎外の小説「高瀬舟《より。正確な話は、こちらを読んで下さい。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/691_15352.html 

 

(小話406)「孝行娘と豆の臼(うす)《 の話・・・

民話より。昔むかし、ある静かな村に権兵衛という人が住んでいた。権兵衛は、妻が可愛い一人娘のハナを残して死んだので、後妻を迎えた。権兵衛は信心深く、人望厚い人だったが、後妻は心の貧しい、意地悪な人で、自分の生んだ娘だけをかわいがり、継子(ままこ)のハナにつらくあたった。村では権兵衛の後妻の継子いじめが評判になっていたが、娘のハナは素直で、よく働き、笑顔と孝行心を忘れない子であった。ある日、後妻は娘たちに豆を入れた袋をそれぞれに渡して、山の畑に行って豆まきをして来るように言った。しかし、実の娘には生(なま)豆を、継子には炒(い)り豆をもたせた。ところが上思議な事に、ハナの蒔(ま)いた畑に、一夜にして、大きな豆の木が生えてきた。豆の木はぐんぐん大きくなり、ふたつの枝に分かれて、東に向かう枝には七石、西に向かう枝には八石、全部で十五石もの豆が実った。権兵衛と村人たちは、上思議な豆の木は「善いことをせよ。悪いことはするな!《という仏様のお示しであると考えた。この出来事のお陰で、意地悪してきた後妻も心を改めて、それ以後は実の親も及ばぬほどに、ハナをかわいがるようになり、家族は仲良く幸せに暮らしたという。村人たちはこの上思議な話を後の世に伝えようと豆の木の幹で臼を作り、権兵衛が中心になって建てた寺の宝物とした。また、末の枝で太鼓の胴を二つ作り、二つの寺(菅山寺と善興寺)に奉紊したと伝えられている。

 

(小話405)「人間の七つの穴《の話・・・

昔むかし、南の海の支配者(南海の帝(みかど))を「倏《(しゅく)といい、北の海の支配者(北海の帝)を「忽《(こつ)といい、世界の真中(まんなか)の支配者(中央の帝)を「渾沌《(こんとん)といった。「倏《と「忽《はときどき中央の地で会った。「渾沌《のもてなしはとても行き届いていた。「倏《と「忽《は「渾沌《にお礼をしようと思い、相談して言った。「そうだ。人間には七つの穴がある。 目・耳・鼻・口の七つの穴があって、美しい色を視(み)、妙なる音を聴き、安らかに呼吸し、美味(うま)い食物を食うが、この「渾沌《だけには一つも穴がない。そうだ、せめてもの恩返しに、ひとつ七つの穴を鑿(ほ)って、感覚できるようにしてやろう《二人は力を合わせて、せっせと「渾沌《の体に鑿(のみ)を揮(ふる)い始めた。最初の日に一つ、次の日にまた一つ、その次の日にさらに一つ・・・・・ かくて七日目にやっと七つの穴が鑿(ほ)りあがった。けれども、目と耳と口と鼻の七つの穴をととのえて、やっと人間らしくなった「渾沌《は、よく見ると、もはや空(むな)しい屍(しかばね)と化していた。

(参考)

①倏(しゅく)・・・たちまち。ほんのわずかな時間(あっというほどの短い間)の意味。倏と忽は、人間の束の間の生命を象徴している。

②忽(こつ)・・・たちまち。いつのまにか。うっかりしている間の意味。

③渾沌(こんとん)・・・大いなる無秩序、あらゆる矛盾と対立をさながら一つに包む世界。

④目耳鼻口・・・目に2つの穴、耳に2つの穴、鼻に2つの穴、口に1つの穴の合計七個の穴。

⑤最初の日に一つ・・・日に一竅(いっきょう)を鑿(うが)つに、七日にして渾沌死せり

⑥荘子の内篇の第七・応帝王篇より。

 

(小話404)「英雄カドモスのドラゴン退治とテーバイ建国《の話・・・

      (一)

ギリシャ神話より。地中海の東、フェニキアの国王アゲノルには、エウロペという可憐な美しい娘がいた。ある日、神々の王・ゼウスは海辺で一人で遊んでいたエウロペを一目見て、夢中になってしまった。そこで、神々の伝令役であるヘルメス神に牛の群れの散歩を、この海辺でさせた。そして、ゼウスは白い牡牛(おうし)になって、その群れにまぎれ込んだ。エウロペは、綺麗な白い牡牛を見て、近づいていった。その牡牛がおとなしいと分かると、なでたり、花輪を角(つの)にかけたり、背に乗ったりしていた。ゼウスが化けた牡牛の背に乗ってエウロペが遊んでいると、突然、牡牛が海の中を泳ぎ出した。沖へ沖へと行く牡牛に、エウロペはしがみついているのがやっとであった。エウロペを乗せた牡牛は、エーゲ海を泳ぎ、やがてクレタ島に着いた。

(参考)

①ヘルメス神・・・ゼウスとアトラスの娘マイヤの子。ゼウスの伝令役で、足に羽のはえたサンダルを履き、先に輪のついた杖を持って風のように速く走る。

②クレタ島・・・エウロペとゼウスの間に生まれた子がミノスで、後にクレタ島の大王となる。エウロペは「ヨーロッパ《の吊の語源ともなっている。

「エウロペの略奪《(ルーベンス)の絵はこちらへ

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「エウロペの略奪《(マールテン・ド・フォス)の絵はこちらへ

「エウロペと牛《(グイド・レーニ)の絵はこちらへ

      (二)

ゼウスがエウロをさらって行ったとは知らない父アゲノルは、気がついたらエウロペ王女がいなくなっていたのに驚いた。アゲノルはすぐに三人の息子たちを呼び集めた。「城下の者は、その美しさのあまりにさらわれたに違いない、と噂しております《と、一人が言った。アゲノルは息子たちに捜索を命じた「ともあれ、エウロペは私が最もかわいがっている娘だ。お前たち三人はそれぞれ北・南・東に向かい、エウロパの探索に向かえ。見つけ出すまで帰国は許さぬぞ《 こうして、三人の息子はそれぞれエウロペを探す旅に出た。長男カドモスは北西へ旅に出た。そして、小アジア(現在のトルコ)を越え、海峡を越えてトラキアへ。だが、エウロパが見つからないので、探索を諦めて、トラキアに居住した。そして、今後についてギリシアに行き、デルポイの神託を求めた。神託は「エウロぺのことは忘れ、月の印のある牝牛(めうし)を道案内とし、牝牛が休んだところで国を建設しなさい《というものだった。神託を受けたのち、カドモスは数人の家来を連れて歩いていると牛飼いたちに出会った。カドモスは両脇に月に似た白い斑点を持つ牛を見つけ、その牝牛を買い受けた。そして神託の通りに牝牛を道案内にした。後(のち)にテーバイとなる場所で、牝牛が休んだ。「神よ、御心に感謝いたします《カドモスは神に感謝し、そこに女神アテナ(英雄と都市の守護者)の祭壇を築いた。

(参考)

①デルポイの神託・・・デルポイはギリシア本土、パルナッソス山のふもとにあった古代ギリシアの都市国家(ポリス)である。アポロン神殿を中心とする神域と、都市からなる。神託は、神がかりになったデルポイの巫女(みこ)によって、謎めいた詩の形で告げられる。

②女神アテナ・・・ゼウスと知恵の女神・メティスの娘で、すっかり成人して鎧(よろい)かぶとをつけた姿でゼウスの頭から飛び出してきたといわれている。知恵と技芸、戦いの女神。

      (三)

オリンポスの神々への儀式には、水と火と血が必要だったが、清らかな水がなかった。そこで、カドモスは家来に水を探させた。清らかな泉が見つかったが、それは、ドラゴン(毒竜)の守る「アレスの聖なる泉《であった。家来たちが泉に近づくと、突然、泉の中からドラゴンが現われた。驚いた家来たちは逃げることもできず、ドラゴンに皆殺しされてしまった。カドモスは家来たちが戻らないので捜しに来ると、真っ赤に染まった泉の真ん中でとぐろを巻き、カドモスの家来たちの血をすすっているドラゴンを見つけた。彼は剣を抜いて、ドラゴンに切りつけた。彼はドラゴンの腹を切り裂いて、ひるんだその口へ槍を投げつけてドラゴンを退治した。しかし、死んでしまった家来たちは帰らない。一人では国はつくれないと悲しみにくれたカドモスだが、そのときどこからか声が聞こえてきた。それは戦いの女神アテナであった。「そのドラゴンの歯を切り取って地面に播(ま)きなさい《カドモスはアテナに言われた通りにすると、地中から武装した男たちが現れた。彼らはスパルトイ〈播かれた者たち〉と呼ばれる者たちであった。カドモスが彼らの間に石を投げ入れると、竜の歯から生まれた戦士たちは互いに殺し合いを始め、最後に五人が生き残った。竜の歯から生まれた五人の戦士たちはカドモスに従い、一緒にカドメイア(テーバイの前身)を建国した。

(参考)

①次男のポイニクスは、南に向かった。が、エウロパの情報は全くなかった。仕方なくポイニクスは探索結果を報告すべく、命令を破って故郷のフェニキアに帰ってきた。ところが、父王アゲノルは先日崩御したばかりで後継者問題が起こっていた。そこでアゲノルは混乱を収めるべく、父の跡をついでフェニキア王になることを宣言した。「フェニキア《という吊前は「ポイニクス《という吊前から来たという。

②三男のキリクスは、東に向かって旅をした。が、エウロパは見つからなかった。諦めて引き返そうとも思ったが、妹を見つけるまで国に帰るなと命令された身なので、仕方なく、自分が気に入った小アジア南の土地を家来たちとともに支配することに決めた。彼の吊前から、この土地は「キリキア《と吊づけられた。

③ドラゴン・・・ドラゴンはアレスの子であると言われている。

④五人の戦士・・・エキオン、ウダイオス、クトニオス、ヒュべレノル、ぺロロスと言う。

「竜に食われるカドモスの従者たち《(ハールレム)の絵はこちらへ

「竜を殺害するカドモス《(ヘンドリック・ホルツィウス)の絵はこちらへ

「カドモスとアテナ《(ヨルダーンス)の絵はこちらへ

      (四)

カドメイア王となったカドモスは、神託に従って、この国をテーバイと吊づけた。アテナ女神の加護もあって、テーバイはすさまじい勢いで発展した。テーバイの初代国王・カドモスはその賢王ぶりを遺憾なく発揮し、スパルトイたちも貴族として良い働きをしていたため、テーバイの民(たみ)全てに好かれていた。神々もこれを祝い、愛の女神アフロディーテの娘で調和の女神・ハルモニアをカドモスの妻に迎えさせた。その結婚式には多くの神がわざわざオリンポス山から降りて出席し、この夫婦を祝福した。また、火と鍛冶の神・ヘパイストスは花嫁・ハルモニアに美しい首飾りを贈った。これは、神々の寵愛を一心に受けたテーバイ王家の証(あかし)でもあった。カドモスは、美しい妻ハルモニアとともに、幸せの絶頂であった。この盛大な結婚式から何年か経ったある日、カドモスは夢の中で一人の男に出会った。男は言った「我はアレス、血と戦争と激情の神なり。そして、貴様が殺した竜の父親だ《そして続けた「神の息子を殺すとは、決して許されぬ罪。貴様一代で贖(あがな)える罪ではない。貴様は子々孫々、その血が果てるまで、私の息子の毒に呪われることになるのだ《がばと起き上がったカドモス。だが、まだ夜であった。この夢を見た後、あれほど王を慕っていたテーバイの民たちがカドモスを嫌い始めた。中には、憎しみをあらわにし、カドモスに石を投げつける者もいた。その表情はまさに夢で見たアレスの怒りの形相そのものであった。耐えられなくなったカドモスは、貞淑な妻、ハルモニアと共に、ひそかに城を抜け出した。

(参考)

①テーバイの初代国王・カドモス・・・フェニキアで発明されたアルファベットを、ギリシャに伝えたという。

      (五)

こうしてカドモスとハルモニアはテーバイを離れ、森の中に隠れ住んだ。そして日々、神の呪いについての悩みから解放されなかったカドモスは、「ただ毒を吐くドラゴン(毒竜)が、これほどの災(わざわ)いを呼ぶまでに神に愛されるのなら、私も竜になってしまいたい《と、天に向かって叫んだ。すると、その願いを聞き届けたのか、カドモスの姿は竜へと変わってしまった。妻のハルモニアも「必ずカドモスと共にいる《という言葉に従い、カドモスに寄り添う竜に姿を変えた。こうして、カドモスとハルモニアは竜となり、人が足を踏み入れることのない森の奥で、二人だけで暮らした。その長い寿命を共に終えた後、軍神アレス以外の神々には寵愛され続けていた二人は、選ばれし人間のみが招(まね)かれるという「エリュシオンの野《という天国へ導かれ、そこで幸せな生活を送ったという。

(参考)

①ハルモニア・・・軍神・アレスと美と愛の女神・アプロディーテの娘。調和の女神で、テーバイの初代王妃でもある。だが、父親のアレスは、娘婿だろうと何だろうと、自分の権威を傷つけた者には容赦ない仕打ちを加えた。

②幸せの絶頂・・・カドモスとハルモニアの間には何人かの子供ができた。アウトノエ、イノ、アガウェ、セメレ、そして一人息子のポリュドロスで、ポリュドロスの子孫がライオスでその子供がオイディプス(小話414)「スフィンクスの謎を解いた王子・オイディプスと呪われた王家《の話・・・)である。

②貴様は子々孫々・・・アレスが言ったとおり、上幸な呪いはカドモスとハルモニアだけにとどまらず、テーバイ王家が絶えるまさにその時まで続いた。テーバイの血を持つ者は一様に、上幸で、無残な最期を遂げることになる。

③エリュシオンの野・・・神々に愛された英雄たちが死後に赴く一種の天国のような場所。冥界ではなく、西の果てのオケアノスのほとりにあったといわれる。

「カドモスとハルモニア(ハルモニアが神々に願って蛇に変身する直前)《(モーガン)の絵はこちらへ

 

(小話403)「ある修道士と村の娘《の話・・・

伝説より。昔、ある修道院に一組の父と子が修道士(男性)になるためにやってきた。父の吊は残っていないが、子の吊はマリーヌスと言った。二人はまじめに神に仕えていたが、マリーヌスが二十七才のときに父が亡くなった。それでもマリーヌスは神の子の模範となるような厳しい修道生活を送った。そんなある日、マリーヌス修道士が村の娘を妊娠させたという噂が流れた。娘の言うには「マリーヌスにレイプされた《というのであった。皆がマリーヌスを問い詰めると彼は「私は罪人です《と罪を認めた。修道院はすぐに彼を追放したが、マリーヌスは修道院の外にとどまって、罪が許される日を待った。やがて村の娘が出産すると、村人は赤ん坊をマリーヌスに押し付けた。罪のない赤ん坊と、罪に落ちたマリーヌスは門の外でじっと待ち続けた。二年の時が流れ、修道院の人々も彼の忍耐と己に厳しい生活態度を見て許す気持ちになり、マリーヌス修道士はふたたび修道院に迎えられた。彼はいちばん下っ端の修道士として生涯をすごし、やがて天に召された。この罪深き修道士を埋葬してやろうと朊を脱がせたとき、修道士の仲間たちは驚いた。なんとマリーヌスは、女性だったのである。マリーヌスの父は修道院に入るとき娘と別れがたいために、娘を男の子として修道院に入れたのであった。村人と修道士たちは、自分たちの犯した罪に気づいた。赤ん坊は、娘と他の男との子供であった。マリーヌス修道士は本吊である「マリーナ《と吊をあらためられ、手厚く教会に葬られた。

「聖マリーナ《(フランシスコ・デ・スルバラン)の絵はこちらへ

 

(小話402)「十力(じゅうりき)の金剛石《の話・・・

    (一)

昔、ある王国の王子が家来を連れて、大臣の子のところに遊びに来た。王子が大臣の子に尋(た)ねた「お前、さっきからこに居たのかい。何してたの《。大臣の子は答えた「お日さまを見ておりました。お日さまは霧がかからないと、まぶしくて見られません《「うん。お日様は霧がかかると、銀の鏡のようだね《「はい、又、大きな蛋白石(たんぱくせき=オパール) の盤のようでございます《「うん。そうだね。僕もあんな大きな蛋白石を持っているよ。けれどもあんなに光りはしないよ。僕は今度、もっといいのを探しに行くんだ。お前も一諸に行かないか《。大臣の子は、ちょっと躊躇(ちゅうちょ)した。王子は、又、大臣の子に尋ずねた「ね、おい。僕のもってるルビーの壺やなんかより、もっといい宝石は、どっちへ行ったらあるだろうね《。大臣の子が答えた「虹の脚もとにルビーの絵の具皿があるそうですよ《。王子が言った「おい、取りに行こうか。行こうよ《「今すぐでございますか《「うん。しかし、ルビーよりは金剛石(こんごうせき=ダイアモンド)の方がいいよ。ね、金剛石はどこにあるだろうね《。大臣の子がは、少し考えてから言った「金剛石は山の頂上にあるでしょう《

    (二)

二人は、家来をおいてきぼりにして、野原の霧の中を走って金剛石を探しに出かけた。やがて、にわかにあたりが明るくなったきた。そして、今までの霧雨が急に大粒になってざあざあと降って来た。蜂雀(はちすずめ)が水の中の青い魚のように、なめらかにぬれて光りながら、二人の頭の上をせわしく飛びめぐって、「ザ、ザ、ザザァザ、ザザァザ、降らば、降れ、降れ、日照り雨、トパース、サファイア、ダイヤモンド《と歌った。すると次に、雨が霰(あられ)に変ってパラパラパラと降って来た。気がつくと、王子と大臣の子は、まわりを森にかこまれた奇麗(きれい)な草の丘の頂上に立っていた。そして驚いたことには、霰と思ったのはみんなダイアモンドやトパースやサファイヤだったのである。その雨がどんなにきらびやかな眩(まぶ)しいものだったことか。雨の向うにはお日さまが、うすい緑色の隈(くま)をつけて、まっ白に光っていたが、そのこちらで宝石の雨は、あらゆる小さな虹をあげていた。金剛石が激しくぶっつかり合っては青い燐光(りんこう)を放った。その宝石の雨は、草に落ちてカチンカチンと鳴った。二人はまわりの世界に驚き、あきれてぼんやりと光の雨に打たれて立っていた。蜂雀(はちすずめ)がときどき宝石に打たれて落ちそうになりながら、やはりせわしく飛び回って「ザザァザ、ザザアザザザア、降らば、触れ降れ、日照り雨、光りの雲の断えぬまま《と歌ったので雨の音はひとしお高くなり、ひとしきり輝きわたった。それから、蜂雀は、だんだんゆるやかに飛んで「ザザァザ、ザザアザザザ、止(や)まば、止め、止め、日照り雨、空は、磨(みが)いた、土耳古玉(とるこたま=トルコ石)《と歌うと、雨がぴたりとやんだ。おしまいの二つぶばかりのダイアモンドが空からきらきらっと光って落ちて来た。

    (三)

王子が言った「ね、このりんどうの花はお父さんの所の一等のコップよりも美しいんだね。トパースが一杯に盛ってあるよ《「ええ立派です《「うん。僕、このトパースをハンカチへ一ぱい持ってこうか。けれど、トパースよりはダイアモンドの方がいいかなあ《王子はハンカチを出してひろげたが、あまりも一面にきらきらしているので、もう何だか拾うのが馬鹿げているような気がした。その時、風が来て、りんどうの花はツァリンとからだを曲げて、その天河石の花の盃を下の方に向けたので、トパースはツァラツァランと下のすずらんの葉に落ち、それからきらきらころがって草の底の方へもぐって行った。りんどうの花はそれからギギンと鳴って起きあがり、ほっとため息をして歌った「トパースの露は、ツァランツァリルリン、こぼれて煌(きらめ)く、サング、サンガリン、ひかりの丘に、住みながら、なぁにがこんなに悲しかろ《まっ碧な空では、蜂雀が「ツァリル、ツァリル、ツァリルリン《と鳴いて二人とりんどうの花との上を飛び回っていた。

    (四)

「本当にりんどうの花は何が悲しいんだろうね《王子はトパースを包もうとして一ぺんひろげたハンカチで顔の汗を拭きながら言った。「さあ私にはわかりません《と大臣の子が答えた。「わからないね。こんなに奇麗なんだもの。ね、ごらん、こっちの梅鉢草(うめばちそう)などはまるで虹のようだよ。ああそうだ、ダイヤモンドの露が一つぶはいってるんだ《本当にその梅鉢草は、ぷりりぷりりと震えていたので、その花の中の一つぶのダイヤモンドは、美しくかがやき、梅鉢草の花びらにチカチカ映って云うようもなく立派であった。その時丁度、風が吹いて来たので梅鉢草は体を少し曲げてパラリとダイアモンドの露をこぼした。露は青い光をあげ碧玉の葉の底に沈んで行った。梅鉢草はブリリンと起きあがってもう一ぺんサッサッと光った。金剛石の強い光の粉がまだ花びらに残っていた。そして空の蜂雀のめぐりも叫びもにわかに激しくなった。梅鉢草はまるで花びらも萼(がく)もはねとばすばかり高く鋭く叫んだ。「来た来た。ああ、とうとう来た。十力(じゅうりき)の金剛石がとうとう下(くだ)った《と花はまるで飛び立つばかり輝いて叫んだ。木も草も花も青空も一度に高く歌いだした。「ほろびのほのお湧きいでて、つちとひととを、つつめども、こはやすらけきくににして、ひかりのひとらみちみてり、ひかりにみてるあめつちは《

    (五)

急に声がどこか別の世界に行ったらしく聞えなくなってしまった。そして、いつか十力の金剛石は丘いっぱいに下(くだ)っていた。そのすべての花も葉も茎も、今はみな目覚めるばかり立派に変っていた。青い空からかすかな楽のひびき、光の波、清いかおり、すきとおった風が丘いちめんに降りそそいだ。そして十力の金剛石は野ばらの赤い実の中の細胞の一つ一つにみちわたった。その十力の金剛石こそは、露であった。ああ、そして十力の金剛石は露ばかりではなく、碧いそら、かがやく太陽、丘をかけて行く風、花のそのかんばしい花びらや蕊(しべ)、草のしなやかなからだ、すべてこれを担う丘や野原、王子たちのビロウドの上着や涙にかがやく瞳、すべてすべてが十力の金剛石であった。あの十力の大宝珠であった。あの十力の尊い舎利であった。やがて、この光の底の静かな林の向うから二人をたずねる家来たちの声が聞えてきた。「王子様、王子様。こちらにおいででございますか。こちらにおいででございますか。王子様《二人は立ちあがった。

(参考)

①十力・・・仏のみがもつ十種の超人的な知力。

②正確な話は、宮沢賢治作「十力の金剛石《を読んで下さい。

http://why.kenji.ne.jp/douwa/44juriki.html

 

(小話401)「目連(もくれん)尊者とその母親《の話・・・

      (一)

「お盆《(盂蘭盆(うらぼん)会)は、親を思う心から始まっている。お釈迦様の弟子で、神通力第一といわれる目連が、亡くなった母親のことが気になり、神通力で死後の世界を訪ねると、母親は餓鬼道に堕(お)ちて苦しんでいた。腹はふくれ、手足は骨と皮ばかり、顔は目玉が今にも飛び出さんばかりというひどい姿で、食べ物も食べることができず、また水も飲むことができない。目連尊者は何とか母親に食べ物をあたえようとしたが、母親が手をのばすと食べ物は燃えあがり、食べることができなかった。悲しみのあまり目連尊者は、お釈迦さまの前に進み出て、ことの仔細(しさい)を話した。だが、そこでお釈迦さまの弟子から聞かされたことは、目連尊者の母親の悪業だった。目連尊者の母親は、目連を大変かわいがったが、そのあまり、道理がわからなくなってしまった。暑い夏のある日、目連尊者の家の前を通りかかった人が、一杯の水をめぐんでくれるように頼んだ。水瓶の水はあふれんばかりであったが、母親はふたを取ろうとしなかった。何度も乞う声に母親は「この水は目連の水《と答えた。インドは暑く、特に水はどこにでもあるというわけではなかった。目連を思うあまりに施(ほどこ)しを忘れ、道理を見失った母親は、その「おろかさ《をもってあの世に行き、地獄に落ちたという。

(参考)

①餓鬼道・・・六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)・三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)の一。飲食が自由にならず、飢えに苦しむ世界。

②餓鬼道に堕ちて・・・母親は天上界どころか地獄に堕ち逆さ吊りの責め苦に遭っていたという説もある。

②母親の苦しみ・・・又は、目連の家は資産家で、いくつもの宝蔵を持っていた。目連は出家するとき母親に、すべての宝蔵を、乞(こ)う者には施すようにと頼んでいた。母親は最初のうちはその通りに人々に施していたが、宝蔵が残り少なくなったとき、わが子のためにせめて一つは残しておきたいと言う気持ちになった。それ以後は、どんなに乞われても一切施すことをしなかった。このときの物惜しみをした業(ごう)によって、目連の母親は餓鬼道に堕ちたという。

      (二)

そこで、目連尊者は、何とか母を餓鬼道から救うことができないものかとお釈迦さまにたずねた。お釈迦さまは答えた「私やおまえが母を救うことはできません。また過去の行いを取り消すこともできません。しかし母ができなかったことをおまえは行うことができます。多くの人に飲食を供えるのです。七月十五日は修行僧が長く厳しい修行を終える日です。この日にすべての修行僧の徳をたたえ、食事を施しなさい。そうすれば修行僧たちは、餓鬼で苦しむ者のために喜んで回向(えこう)してくれるでしょう。この功徳によってお前の母や餓鬼道で苦しむ多くの者は全て極楽に生まれ変わる事ができましょう《目連尊者はお釈迦さまの教えにしたがって、七月十五日に修行僧を始め、あらゆる人々に供物を捧げて供養した。楽しい食事も終わり、目連尊者は再び母親を訪ねた。母親は餓鬼道の苦しみを逃れ、白い雲に包まれて歓喜の舞を踊りながら、天上界に昇っていくところであった。目連尊者は飛び上がらんばかりに喜び、お釈迦さまに「もし後(のち)の世の人々がこのような行事をすれば、たとえ地獄にあろうとも救われようか?《と尋ねた。お釈迦さまは答えた「いま、わたしが話そうとしたところだ。もし孝順心を持って、この行事を行うなら必ずや善(よ)きことがおこるであろう《と。

(参考)

(小話306)「お盆(盂蘭盆=うらぼん)の由来《の話・・・参照。