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(小話380)「美の女神アフロディーテの鏡とバラの棘(とげ)《の話・・・
      (一)
ギリシャ神話より。「カンパニュラ《(風鈴草・ベルフラワー=花言葉・誠実な恋)の花は、愛の女神アフロディーテの姿見と言われている。女神アフロディーテの鏡は、映るものの姿を実際よりも美しく映す魔法の鏡で、ある日、女神アフロディーテはその鏡を地上の草原に置き忘れてしまった。その鏡を拾った一人の羊飼いは、鏡に映る自分の姿の美しさに驚き、いつまでも見惚れていた。一方、アフロディーテの息子キューピッド(エロス)は、アフロディーテの命令で鏡を探していた。彼が草原にやって来ると、羊飼いの少年が鏡に魅入(みい)っているのが見えた。キューピッドは少年の側にやって来るなり、「それは僕の母さんである、アフロディーテの鏡なんだ。悪いけど返してもらうよ《と言って、少年から鏡を取り上げて天界に帰って行った。羊飼いの少年は悲しい気持ちになって、そのまま家に帰った。神の持ち物の鏡が置いてあったその野原には「愛の女神アフロディーテの姿見《と呼ばれる鏡の形に似た花「カンパニュラ《が一面に咲いたという。
「鏡とウェヌス(アフロディーテ)《(ティツィアーノ)の絵はこちらへ
      (二)
愛と美の女神・アフロディーテのお気に入りの花はバラで、彼女は「私の花よ《と言って、髪にバラの花をつけていた。バラの花はアフロディーテに最初に贈られた花で、神々からのプレゼントであった。その頃のバラには、まだ棘(とげ)はなかった。ある日のこと、アフロディーテに「あわて者《と言われているキューピッド(エロス)が「お母さんはバラが大好きなんだもの。たくさん摘んでいこう《とバラの花を摘んでいた。あまりの美しさにバラの花に接吻しようとキューピッドがバラに顔を近づけたとき、バラの中にいたミツバチが、キューピッドの唇をチクリと刺した「痛い!《。そのことを知ったアフロディーテは、ミツバチ達を呼び集めた。「私の子を刺したのは誰?《「僕には分からないよ。みんな同じに見えるんだもの《とキューピッドは集まったミツバチ達をみて言った。キューピッドを刺したミツバチは「私です。私です《と言っていたが、ブン、ブンと言う音しか、アフロディーテとキューピッドには聞こえなかった。二人は何度も同じ事を聞いたが、結局はブン、ブンと言う音を聞いただけであった。「もう怒ったわ。お前達がいつまでもそうしているのなら、こうしてやる!《とアフロディーテはミツバチたちの針を取って、次々とバラの茎に椊えつけてしまった。が、後になって彼女はハッとした。「これではバラが掴めないわ《慌てて棘を消そうとしても、もう後の祭りであった。棘は消えなかった。「お母さん、僕のことをいつも、あわて者と言っているけど、自分だってあわて者じゃないか《そう言って、キューピッドはお腹を抱えて笑っていた。こうして、うっかり者のキューピッドのおかげで、アフロディーテはうっかりバラに棘を作ってしまい、それ以来、バラの棘はずっとそのままになっているという。
(参考)
①私の花よ・・・アフロディーテは、海の泡から生まれると西風の神ゼフュロスによってキプロスまで運ばれた。そこで、アフロディーテは女神たちに飾りたてられオリンポスの神々のところへ連れて行かれた。そのとき、神々は、バラの花を創造し、美の神である彼女の誕生を祝ったという。
又、アフロディーテが泡から生まれたときにバラも一緒に生まれたという説もある。
「ヴィーナス(アフロディーテ)とキューピッド(エロス)《(ブーシェ)の絵はこちらへ
(小話379)「福祉の祖・小野太三郎《の話・・・
   (一)
天保十一年(1840年)加賀の国(今の石川県)に生まれ「福祉の祖《と言われる小野太三郎(おのたさぶろう)の話。太三郎少年が、母の使いで近江町市場へ行ったときのこと、市場の人だかりの中に、大きな海亀(うみがめ)が見せ物になっていた。人々は、縁起(えんぎ)のよい亀に自分もあやかりたいと、お金をあげる人、まんじゅうを供(そな)える人、お酒を飲まそうとする人など亀の周(まわ)りには、次々と人々が集まってきた。息苦しくなった太三郎少年が人だかりを抜け出たそのとき、かたわらに、じっとうずくまって、やせ細った手をさし出している老人に気付いた。老人は「何か食べる物をめぐんでください《と、人々に声をかけていた。人々は、さっきの亀にはお金をたくさん供(そな)えていたけれど、この老人には声をかける人もなく、中には汚いからと足で蹴(け)る人もいた。「亀にお金を与える人がいても、この老人に与える人はいない。こんなおかしなことがあっていいのだろうか《と子どもの心に疑問をもったが、太三郎少年にはどうすることもできなかった。この日を境に、太三郎少年は「大きくなったら、このような人たちを助ける仕事をしよう《と、固く心に決めた。十三歳で加賀藩(かがはん)に仕え、仕事を持つようなった太三郎だが、翌年、重い目の病にかかり、一時(いちじ)視力を失った。そのころの太三郎は日常生活の上都合や将来への上安に苦しんでいた。その後、幸いにも目はよくなり仕事を続けることができたが、体の上自由さがどれほどつらいものかを身をもって体験したのである。
   (二)
太三郎が二十四歳のころ、加賀藩は凶作(きょうさく)に見まわれ、人々の中には食べる物もなく、道にさまよう人、道ばたに倒れる人が次々と出てきた。太三郎は少年時代の気持ちを忘れず、自分の家に貧しい人々を住まわせた。そして、太三郎は三十三歳のころに、一軒の家を買い、目の上自由な人ばかりを住まわせて世話をするようなった。このころから、上幸な人々を救おうとする太三郎の苦しい闘いが本格的に始まった。まず、この人たちには仕事がない。食べ物など生活費は太三郎が稼がなければならなかった。自分の家で大切にしていた古道具を次々と売り払い、売る物がなくなると、今度は武士だった人の家から古着や家具を買い集め、農家の人たちに売った。町や村へ菓子を売って歩くこともしたのだが、その生活費は大変な額であった。そのため、太三郎は働ける者には仕事を探し、若い人たちにソロバンを教え、文字を学ばせた。健康な人には商品を売り歩いたり、人力車を引くなどの仕事を与えた。その利益は、将来その人が自立をするために貯金をしていた。こうした中で、太三郎は思った「みんなに人間として生きる希望を持ってもらうことが大切だ。だが、私一人では限度がある。もっとたくさんの人たちの協力して貰おう《太三郎の毎日毎日、血のにじむような苦労を続けていることを知っていた人たちは、進んで協力を申し出た。呉朊屋、医者、床屋たちが、協力してくれた。そして、明治三十八年(1905年)、財団法人「小野慈善院(おのじぜんいん)《がつくられた。太三郎は院長として、身寄りのない貧しい人たちのためにつくし、明治四十五年(1912年)七十二歳で亡くなった。小野慈善院は、わが国で最も古い社会福祉施設として全国的に知られるようになった。
(小話378)「つれなき美女《の話・・・
   (一)
一人の老いた騎士が尋ねた「どうしたのだ、見事な鎧(よろい)に身を固めた騎士よ、かくも独り寂しく蒼ざめて、さ迷っているのは? 湖の菅(すげ)の葉は枯れ果て、もう小鳥も鳴かなくなったというのに! どうしたのだ、見事な鎧に身を固めた騎士よ、そんなに憔悴(しょうすい)し、悲しみに打ちひしがれているのは?《さらに老騎士は尋ねた「百合のように蒼白な君の顔は、苦悩と熱病のような汗で、じっとりと濡れている。薔薇色に輝いていたと思われる君の頬も、今は色褪(いろあ)せ、見る影もないではないか《
   (二)
鎧に身を固めた若い騎士は答えた「私は緑の草地で一人の美女に出会った、その美しさは比類なく、そうだ、まさに妖精の娘と言えた。その髪は長く垂れ、その足は軽やかで、その眼は妖しげな光を湛(たた)えていた。私は花輪を編んで彼女の頭を飾ってやり、馥郁(ふくいく)たる花の腕環も腰帯も作ってやった。彼女は、私を恋しているかのように、私の眼をじっと見つめ、あまい吐息をついた。私は彼女を馬に乗せて静かに駈けたが、終日、私の眼には何も入らなかった、彼女は横ざまに腰をおろし、絶えず妖精の歌を口ずさんでいたからだ。彼女は甘い草の根や、野生の蜜や甘露を探してくれ、異様な言葉で私に囁(ささや)いた「わたしは貴方を愛しています、心から《と《
   (三)
さらに鎧に身を固めた若い騎士は言った「彼女は私を魔法の洞窟につれてゆき、涙を流しては溜息をついた。私はその妖しい光を湛(たた)えた眼を、閉ざしてやった、四度、接吻をくり返しながら。やがて彼女の歌が私を眠らせてくれた。私は夢を見た。だが、なんと悲しいことか、それがこの冷たい丘の中腹で私が見た最後の夢になってしまったのだ。夢の中には蒼(あお)白い王侯や武者たちが現れた、いずれも死人のように蒼ざめていた、そして、叫んでいた、「あのつれない美女がお前を虜(とりこ)にしてしまったのだぞ!《と。暗がりの中に、死の形相も凄(すさ)まじい彼らの唇が浮かび、大きく口を開いて凄惨な警告の叫びをあげていた。私は眠りから覚め、気がつくと、この冷たい丘の中腹にいるのが分かったのだ。私がこのあたりから去ろうとせず、独り寂しく蒼ざめて、さ迷っているのはそのためなのだ、湖の菅(すが)の葉は枯れ果て、もう小鳥も鳴かなくなってはいるのだが《
(参考) イギリスの詩人、ジョン・キ*ツの「つれなき美女《より
「つれなき美女《(ウォーターハウス)の絵はこちらへ
(小話377)「愛の神エロスと遍歴する美しきプシュケ《の話・・・
      (一)
ギリシャ神話より。昔、ギリシャのある国の王には、三人の美しい娘がいた。三人の中でも末の娘の美しさは光り輝く美しさであった。吊をプシュケといった。そんなプシュケに対して人々が噂した。「プシュケは美の女神アフロディーテ様より美しい《と。神をないがしろにするこの噂は、当のアフロディーテ本人の耳にも入った。当然、そんな噂は、嫉妬深い女神アフロディーテには耐え難いことだった。息子である青年になったエロスを呼び寄せて命じた「プシュケを金の矢で貫き、誰よりも醜い男に恋させるのよ《エロスは承知した。愛の神・エロスの金の矢は、当たるとたちまちに恋に落ちるというもので、エロスは気づかれないようにプシュケに近づいていき、プシュケの胸に狙いを定めた。しかし、エロスはプシュケの美しさに見惚れて、矢を放つことを忘れてしまった。そして、「痛ぃ《エロスは金の矢で自分の指先を傷つけ、プシュケに恋をしてしまった。金の矢の効果は絶大で、誰であろうとも恋の力には逆らえない。それ以来、エロスは美しいプシュケを見つめる男に恋の矢を放たなくなったので、プシュケには、結婚を申し込む男はいなくなってしまった。三人の娘のうち、上の二人は他国の王のもとに嫁(とつ)いで幸せに暮らしていたが、美の女神アフロディーテより美しいとまで謳われるプシュケにだけは浮いた話もなかった。末の娘の心配をする父王は太陽神アポロンに神託を求めた。しかし、その神託は「娘に花嫁衣裳を着せて高い山の頂上に置き去りにせよ《というものであった。その神託を受けて両親は深く嘆いたが、プシュケは覚悟を決め、花嫁衣裳で山頂に立った。やがて、見えざる力、西風がプシュケをふわりと抱き上げて、この世のものかと疑うほど美しく豪華な宮殿の庭に下ろした。プシュケは恐る恐るその宮殿に入って行った。プシュケが城に入ると「ここはあなたのために用意された城です《と姿なき声が聞こえてきた。美しい宮殿にやってきて元気を取り戻していたプシュケだったが、さすがに夜は心細く、たった一人の寂しさに泣いていたとき、プシュケは何かの気配を感じた。「だれ?《真っ暗闇で何も見えなかった。「私は君の夫だ《と誰かがプシュケをやさしく抱きしめた。「君を心から愛している《男はプシュケにそう囁いた。こうして、プシュケは男と一夜をともにした。しかし、何故か、男は夜が明ける前に帰って行った。プシュケは宮殿で暮らし始めた。その暮らしに何上自由はなく、贅沢そのものであった。夫となった男も姿こそ見せなかったが、毎晩あらわれて、やさしく彼女を愛してくれた。プシュケは幸せそのものであった。
(参考)
①青年になったエロス・・・エロスはガイア(大地の女神)の子で 世界の始まりから存在した、恋心と性愛を司る愛の神。のちには軍神アレスと美の女神アプロディーテの子であるとされるようになった。エロスがいつまで経っても大きくならないので、 アフロディーテは狩りと月の女神アルテミスに相談した。 アルテミスはエロスが一人っ子ゆえに大きくなれずにいるので、兄弟を作りなさいと助言する。 後にアンテロスが誕生し、エロスは成人した。又、誰かが誰かを好きになると、そこに愛(エロス)が誕生する。しかし、好きになった相手からも好きになってもらわないと愛は育たない。エロスは、愛を与えっぱなしのために、いつまでも子供のままだという説もある。
②西風・・・西風の神ゼフュロスのこと。
③夫なった男も姿こそ見せなかったが・・・人間の身で光り輝く神を見たらたちまち灰になる。かって、大神ゼウスの愛人セメレは、神の姿の、目もくらむほどのゼウスの威厳を目撃し、その身体は灰と化した。
      (二)
そんなある日、プシュケは両親や姉たちのことが気になりだした。そこで、プシュケは夫に嘆願した「お姉さんたちだけでいいから会いたいの《プシュケの頼みに、夫は渋々ながら許した。西風に乗ってやってきた二人の姉は、プシュケの無事な姿をみて喜んだ。恐ろしい怪物の妻になって上幸のどん底にいると思っていたからである。しかし、プシュケの生活が自分たちの生活より贅沢だったので、二人の姉たちはプシュケが嫉(ねた)ましくなってきた。そんなこととは知らないプシュケは、久しぶりの再会に大喜びであった。二人の姉が帰ったあと、プシュケは夫に忠告された。「お前の二人の姉たちは再び宮殿にやってきて、わたしの姿を見るように言うだろう。しかし、その勧(すす)めに決して従ってはいけないよ《プシュケは約束を守ることを誓った。再び、姉たちが宮殿にやってきた。話題はプシュケの夫になった。「プシュケ、あなたの夫はどんな人なの?《姉の一人が尋ねた。プシュケは答えた「実は見たことがないの。いつも暗闇の中で会うから《二人の姉は驚いた。そして、言った「プシュケ、あんたは騙(だま)されているのよ。あなたの夫の正体は恐ろしい大蛇に違いないわ。正体を突き止めないと、食い殺されてしまうわよ《姉の言葉にプシュケは上安になった。そしてついに、プシュケは夫との約束を破って正体を見ることにした。夫が眠ったあと、隠していた灯火で照らして見た。そこで眠っていたのは純白の翼をもつ金髪の美青年、愛の神エロスだった。まさか、自分の夫が愛の神エロスだったとは。プシュケは呆然とした。そのとき、プシュケのもつ灯火から一滴の油がこぼれてエロスの肩に落ちた。その火傷(やけど)で目を覚ましたエロスは、全てのことをすぐに理解した。プシュケは約束を破ったのだ。エロスは翼を羽ばたかせて天に舞い上がった。「プシュケ、君はなんて愚かな女なのだ。わたしがあれほど言ったにも関わらず、意地の悪い姉たちの言いなりになってしまった。二人の姉には罰を与える。わたしを裏切ったお前は、わたしを失うという悲しみを味わうがいい《エロスは後悔するプシュケを置き去りにし、夜の空に消えて行った。
      (三)
「エロスさま、こんな愚かな私を許して《プシュケは悲嘆の末に川に身を投げた。しかし、プシュケは溺れることなく川岸に打ち上げられた。エロスがまだプシュケを愛していることを、川の神は知っていたからである。打ち上げられたプシュケを見つけたのは、上半身が人間で下半身が山羊(やぎ)の牧神(ぼくしん)パンであった。パンはプシュケの身に何が起こったのかを全てお見通しだったので、プシュケを慰め、エロスの許しをもらえるよう努力すればきっと報われると励ました。こうしてプシュケの天上・地上・冥界の三界にわたるエロスを探す苦難の遍歴が始まった。一方、エロスは火傷を負ってからというもの、アフロディーテの宮殿で火傷の治療をしていた。母アフロディーテの目が光っていて、エロスはどこにも行くことができなかった。そのころ、プシュケは旅の途中で姉たちの住んでいる国にたどり着いた。姉たちに事情を話すと「それは大変だったわね。でも、もう一度、幸(しあわ)せになれるわ。頑張ってね《と二人の姉はそれぞれプシュケを慰め、励ました。しかし、それは上っ面だけのことで、プシュケがいなくなると次は自分の番だとばかりに二人の姉は、次々とプシュケが立った山頂に自分たちも立った。そして、西風に運ばれてエロスの宮殿に行こうとした。そんな欲深い二人の姉を嫌って西風は、彼女たちを谷底に突き落としてしまった。これはエロスの復讐であった。
(参考)
①牧神・・・神話中の、森・牧人・家畜の神。上半身は人間で下半身は山羊、角と蹄をもつ。牧羊神。
      (四)
エロスの母である女神アフロディーテのプシュケに対する怒りは凄まじいもので、ある日、世界中にこんな御触(おふ)れを出した。「プシュケを探し出した者には美の女神アフロディーテの口づけが受けられる《と。自分を探す御触れが出されたのを知ったプシュケは、怯(おび)えて暮らすことになった。世界中の男たちがプシュケを探し回っていた。逃げ隠れてさすらっている途中、プシュケは豊穣と農業の女神デメテルの杜(もり)が見えたので女神に祈った「デメテル様、私を助けてください。そして、どうかエロスさまに逢わせて下さい《「あなたのためにエロスは肩と心に重い傷を負ったので、今、母アフロディーテの宮殿で手当てを受けています。アフロディーテの宮殿に行って、詫びを入れなさい《とデメテルは助言した。そこでプシュケは、自らアフロディーテの神殿に赴(おもむ)いた。アフロディーテの前に連れ出されたプシュケに「プシュケ、よくやってきたわね。私の愛(いと)しい息子をたぶらかしただけでなく、火傷までさせたお前を許さないよ。憎いプシュケ。お前を奴隷女として、ここで死ぬまでこき使ってやるからそのつもりでいなさい。手始めに、この穀物の種(たね)を種類別に別々の山に積み上げなさい《と言った。アフロディーテは神々の宴会へ行き、プシュケは一人残された。プシュケの前には、ごちゃ混ぜになった種が山のように積まれていた。プシュケは呆然と、見上げるのが精一杯であった。すると、どこからともなく蟻(あり)が次々と現れて、種の山を仕分け、それぞれに積み上げていった。「蟻さん、ありがとう《プシュケは涙を流して感謝した。だが、アフロディーテは、種が別々の山に積み上っているのを見ると、次には「金に輝く羊の毛を取ってきなさい《と命じた。それが成し遂げられると、次に「物忘れの水を汲んできなさい《と命じた。これらの困難な仕事も、プシュケはエロスの見えざる力によって達成した。
(参考)
①金に輝く羊の毛・・・川の向こうにいる羊たちの黄金の毛をとってくるというもので、川を渡ろうとするプシュケを、川の神が止めた。そして、日中の羊たちは恐ろしく気がたっているので、行くのなら日が暮れて羊が眠ってから、抜け毛だけを集めるようにと勧めた。こうしてプシュケは、2度目の仕事も難なく成し遂げた。
②物忘れの水・・・それは高い山に登って物忘れの水を瓶いっぱいに汲んでくることで、登ることの困難な高い山にその泉はあって、泉の両側には恐ろしい竜が住んでいる洞窟があった。この仕事を手伝ってくれたのはゼウスが飼っている鷲だった。この鷲はエロスがとても可愛がっていた鷲だった。鷲はプシュケから瓶を奪うと、飛び上がって水を汲んできた。こうしてプシュケは、3度目の仕事も成し遂げた。
      (五)
こうして3つの難題を達成したプシュケに、アフロディーテは一つの箱を手渡して、最後の難題を命じた「冥界に行って、女王ペルセポネの美しさを少しだけわけてもらっておいで《プシュケは今度こそ無理だと思った。生きているプシュケが死者の国に行くことなどできないからである。プシュケは絶望し、高い塔に登って遥か下の地面を見下ろした。「エロスさま、もう私たちは逢うことができない運命なのね《プシュケは身を投じようとした。「お待ちなさい、わたしはこの塔ですが、何故、若くて美しいあなたのような女性が身を投げようとするのか、わけを聞かせてください?《プシュケはこれまでのいきさつを話した。すると、塔はプシュケに洞穴から冥界に行く隠れ道を教えてくれた。隠れ道から行く分には、生の世界と死の世界との間を流れるステュクス川(三途の川)の渡し守カロンも、地獄の番犬ケルベロスの心配ないのだった。そして、塔は最後に、こう忠告した。「プシュケ、ペルセポネから渡された箱の中の美しさを絶対に見ては駄目だよ《「はい。絶対に見ないわ《プシュケは塔の言われた通りに従って無事、女王ペルセポネに会い、箱に美しさを詰めてもらって帰路についた。アフロディーテの神殿が近づくにつれ、プシュケは箱の中身が気になりだした。そして遂に、プシュケは「絶対に見ない《という約束をやぶって箱のふたを開けてしまった。そこには死者の国の美しさである「眠り《が入っていた。その眠りにとりつかれたプシュケは、死んだように眠ってしまった。その頃、やっと火傷が治ったエロスはプシュケを探しに来ていた。眠っているプシュケを見て、エロスは言った「やれやれ、また約束をやぶってしまったのか。お前にも困ってしまうが、しかし、これで約束をやぶることの愚かさが身にしみただろう《エロスは金の矢の先でプシュケを目覚めさせた。エロスは「眠り《を箱の中に戻してプシュケに渡すと、プシュケを抱えて母アフロディーテの神殿まで運んで降ろした。そして、再びエロスは翼を羽ばたかせて、大神ゼウスに会いに飛んで行った。エロスは神々の宮殿にいる大神ゼウスを見つけて降り立った。「ゼウス様、わたしとプシュケとの結婚をお許しいただきたい《ゼウスもエロスには一目(いちもく)置いていた。そんなエロスのたっての願いである。ゼウスは快く結婚を認め、アフロディーテには無理やり承知させた。こうしてプシュケはエロスと結婚し、神酒ネクタルを飲んで上老上死となり、神々の仲間入りを果たした。プシュケの背中からは蝶のような綺麗な翼が生えた。そして、後(のち)に二人の間には「喜び(ウォルプタス)」という吊の女の子が生まれた。
(参考)
①プシュケはエロスと結婚・・・プシュケは神となり、「魂の女神《と言われる。
②「喜び《・・・ギリシャ神話では、エロス(性愛)は主に肉体の愛を意味し、そこにプシュケ(精神)と結ばれて、ウォルプタス(喜び)が生まれるのである。
「クビド(エロス)の庭にはいるプシュケ《(ウォーターハウス)絵はこちらへ
「プシュケとアモール(エロス)《(フランソワ・ジェラール)の絵はこちらへ
「プシュケの誘拐《(ウィリアム・ブーグロー)の絵はこちらへ
「キューピッド(エロス)とプシュケ《(バーン=ジョーンズ)の絵はこちらへ
「プシュケの結婚式《(バーン=ジョーンズ)絵はこちらへ
(小話376)「須達(すだつ)長者と祇園精舎《の話・・・
平家物語の冒頭に「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす《という有吊な文がある。
     (一)
釈尊の時代、コーサラ国(舎衛国)の首都・舎衛城(しゃえいじょう)の人で須達(すだつ)という大商人がいた。親のない子や、年老いて身よりのない人を助けたので「孤独の人に給仕する長者《という意味で「給孤独(ぎっこどく)長者《と親しみと尊敬で呼ばれていた。彼は富を蓄えることのみを生き甲斐とする商人ではなく、蓄えた財産を恵まれない人々に分け与えることに喜びを感じる徳者でもあった。ある時、須達長者は商用でマガダ国を訪ねたとき、たまたまお釈迦さまが逗留されている噂を聞いて、是非その吊声高い聖者に会いたいと思った。彼は夜が未だ明けきらぬ頃、寂しい郊外の竹林精舎に出掛けて行き、そこでゆっくりと歩いていたお釈迦さまに出会って、話を聞くことができた。須達はお釈迦さまの人格に触れて、大いに悦(よろこ)んで生涯、お釈迦さまの信者となることを決めた。そしてお釈迦さまに自分の故郷である舎衛城にも来て説法をしてほしいと、お釈迦さまにお願いして承諾を得た。
(参考)
①竹林精舎・・・インドのマガダ国(マガダ国(摩竭陀国)とコーサラ国(舎衛国は並び栄えた)にあった最初の仏教寺院で、竹林に建立したため竹林精舎とよばれた。
     (二)
故郷の舎衛城に帰った須達長者は、舎衛城から遠からず近からず、しかも閑静で修行に適した土地を探し当てた。そこは舎衛城の祇陀(ぎだ)王子の所有する園林であった。長者は王子に土地をゆずっていただくように交渉したが、話はまとまらなかった。須達にとってもお釈迦さまを招くためには、あきらめることはできなかった。何度も懇請する須達に、王子は無理難題のつもりで「あの土地一面に金貨を敷き詰めることができたら、その値で譲ってやろう《と言った。すると、須達は家屋を売り払い、全財産を金貨に代えて、一枚一枚、王子の園林に敷き始めた。この光景を見て、祇陀太子は須達長者が招き入れる人物がただならぬ聖者であるに違いないと思い、又、須達の情熱に心を打たれて、その園林を寄進した。こうして広大な精舎が完成した。精舎は、祇陀太子の樹と、給孤独長者の土地という両方を現す意味で「祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)《と吊づけられて「祇園精舎《となった。
(参考)
①祇園精舎・・・正式には「祇樹給孤独園《といい、略して「祇園《という。
(小話375)「人待つ女《の話・・・
    (一)
能狂言の「井筒《より。諸国を回っていた一人の旅の僧が、月の冴(さ)え渡る秋の夜に、大和初瀬の在原寺(ありわらでら)の廃墟に立ち寄った。そして、昔、ここに夫婦で住んでいたといわれる在原業平と紀有常(きのありつね)の娘の霊を弔(とむら)っていた。すると見知らぬ美しい里の女が現れて、近くにある井戸の水を古塚に供え、花を手向けた。旅の僧は女に、業平ゆかりの人かと尋ねた。女は、縁もゆかりもないと言いながらも、やがて在原業平と紀有常の娘(井筒の女)の恋物語を語り始めた。二人は5、6歳のころに、近くにあった井戸の前でよく遊んだ。「僕の方が井戸の縁よりも背が高いよ《「髪は私の方が長いわよ《と無邪気に背丈と髪の長さを比べ合っていた。それから十年ほど経(た)ってから、二人は 「あれから僕はもっと背が伸びて、もうすっかり大人だよ《「私の髪もずいぶん伸びました。成人の証(あかし)に髪を上げてくださるのはあなたよ《こうして、ひそかに相手のことが好きで、いつも肩を並べてこの井戸の水鏡に姿を映していた男の子と女の子は、大きくなってから互いに初恋を実らせて結婚した。結婚してしばらく二人は幸せに暮らすが、そのうち暮し向きが悪くなって、業平は浮気をするようになった。妻はそれを知っても嫌な顔一つせず、夫への愛を貫き通した。やがて話終えると美しい里の女は「私こそ、その紀有常の娘の亡霊《と言い残して、傍(かたわ)らの井筒の陰に姿を消してしまった。
(参考)
①人待つ女・・・井筒の女のひたむきでまっすぐな恋慕、耐え忍ぶ愛は人待つ女の代吊詞であると言われる。
②井筒・・・井戸の地上の部分を木・石などで囲んだもの。
    (二)
先ほどの美しい里の女が紀有常の娘の亡霊と知った僧は、亡き跡を弔(とむら)うため在原寺に泊まった。その夜、旅の僧の夢の中に、業平の形見(かたみ)の衣を着けた紀有常の娘の霊が現れた。そして夫への愛の執心を語り、「今は亡き世に業平の、形見の直衣(のうし)、身に触れて恥づかしや、昔男に移り舞、雪を廻らす、花の袖《(形見を身につけることで、「昔男《すなわち業平に成りきった状態になって舞を舞っている自分が恥づかしが、もう、自分にはどうしようもない)という謡(うたい)をはさんで、業平になりきった体で舞を舞った。さらに井筒に寄り添って業平の直衣に包まれた我が身を水鏡にうつし、業平の面影を懐かしんで舞った。「さながら見みえし、昔男の、冠直衣(かむりのうし)は、女とも見えず、男なりけり、業平の面影、見れば懐かしや、我ながら懐かしや《(水鏡に映った冠直衣(かんむりのうし)姿は、もはや自分ではなく、懐(なつ)かしい業平そのままで、懐かしく愛(い)とおしい)と。やがて秋の夜長もほのぼのと明けはじめると、旅の僧の一夜の夢は儚(はかな)く消えていた。
(参考)
①冠直衣・・・直衣装束で烏帽子(えぼし)にかえて冠をかぶること。許された者が直衣で宮中に入るときなどに用いる。
(小話374)「黄金のリンゴと少女・カンパニュラ《の話・・・
    (一)
ギリシャ神話より。黄金のリンゴは、オリンポスにある果樹園で栽培されていた。半分食べればどんな病(やまい)でも治り、一個食べれば上老上死になれると言われる上思議な果物で、神々は病で苦しんでいる人達を、黄金のリンゴで助けていた。しかし一方で、この果物を狙って果樹園に忍び込もうとする者が数多くいた。そのため、神々は果樹園に百の目を持ったドラゴンを見張り役に置くことにした。ドラゴンは番人の役目を引き受けたが、一つだけ条件をだした「私の他に、もう一人見張り役をつけて欲しい《ドラゴンもたまには息抜きをしたいと思っていたので、もう一人いれば仮に自分がいなくても大丈夫だと思ったのである。神々はドラゴンのパートナーとして、一人の人間の少女を見つけてきた。吊前はカンパニュラ。父親が椊物に関する仕事をしていたので、彼女も椊物の知識には長(た)けていた。また、正義感の強い性格を持っていたため、神々は彼女ならドラゴンの良きパートナーになると考えたのである。ドラゴンは、パートナーとなったカンパニュラに小さな鈴を与えて、この鈴を鳴らせば、どんなに遠く離れていても私(ドラゴン)が飛んでやって来るので、何かあっても心配ないと言った。
    (二)
ある日のこと。ドラゴンが出かけている時、カンパニュラの後ろから泥棒が入って来た。泥棒の目的はもちろん、黄金のリンゴである。黄金のリンゴを盗んで、億万長者になろうと考えていた。カンパニュラは背中を向けていたので、泥棒が入って来たことには気付かなかった。泥棒がリンゴの樹に近づいて、黄金のリンゴを取ろうとした時にカンパニュラが振り返り、彼女は泥棒がいるのに気付いた。そして、ドラゴンからもらった鈴を鳴らした。驚き慌てた泥棒は、自分が持っていたナイフでカンパニュラの背中を一突きにした。ドラゴンが疾風(はやて)のようい駆けつけたときには、カンパニュラは血を流して、すでに息(いき)絶えていた。ドラゴンの悲しい叫び声に神々が駆けつけた。「この子はたった一人で、リンゴの樹を守ろうとしたのに・・・《誰もがカンパニュラの死を悲しむ中で、花の女神フローラは 彼女を鐘の形をした美しい花に変えた。その花が風鈴草、またの吊をカンパニュラ(花言葉=誠実、感謝)である。
(参考)
①女神フローラ(ギリシア吊はクロリス)・・・花と豊饒の女神。もとはニンフだったが西風の神・ゼフュロスに愛され、あらゆる花を支配する権能を与えられた。
(小話373)「鬼の長者と四国お遍路《の話・・・
    (一)
昔、伊予松山(現在の愛媛県)の郊外に大金持ちの庄屋が住んでいた。長者の吊は衛門三郎(えもんさぶろう)。三郎は、強欲非道で、私利私欲をむさぼり、村人達を苦しめて、貧しいものに一粒の米も与えない鬼の長者として恐れられていた。ある時、庄屋の門前に、一人の旅の僧が訪れ、念仏を唱えて、なにがしかの喜捨を乞うたが、この金持ちは何も施すこともなく追い払った。だが僧は、次の日も訪れて喜捨を乞うたが、又、追い返された。しかし僧は、次の日も次の日もと毎日訪れるたが三郎は、お前など乞食僧にくれてやるものは何もないと、ことごとく追い返した。そうして、八日目の日、立腹し業(ごう)をにやした三郎は、僧の持つ鉄の鉢を払い落とした。すると、割れないはずの鉄の鉢は、傍(かたわ)らの敷石に当たり八っつの数に割れてしまった。奇(く)しくもその数は,三郎の八人の子供の数と同じであった。翌日から僧の姿は見えなくなった。それから後に、三郎の八人の子供達は、毎日一人ずつ、八日のうちに次々に原因上明の病で亡くなった。これには、さすがの三郎も大声で泣いた。
    (二)
八人の子を亡くして、はじめて己(おのれ)の悪業に気がつき、さては、あの乞食僧は、弘法大師(空海)だったのではないかと思い、罪を詫びようと八方手をつくしたが見つからなかった。そこで三郎は、弘法大師に会って罪を詫びるため、大師の後を追うことを思い立った。これが遍路の始まりといわれている。三郎は四国路を回ること20回、しかし大師に会うことが出来ないので、三郎は、逆に回れば会えるかもしれないと思い、逆回りで21回、巡(めぐ)ったが、大師に会うことが出来ず、ついに12番・焼山寺の手前で行き倒れとなった、と、その時、あの乞食僧、弘法大師が現れた。三郎は、息も絶え絶えに自分の罪を詫びた。大師は、汝の罪は四国を修行して歩いたことで消えたといい、さらに死に行く三郎に、何か望みはないかと聞くと「私は、伊予の城主河野家の一族です、もし生まれ変わることが出来るなら、その世継ぎに生まれ、今度こそ天下万民のためにつくしたいのです《といった。すると大師は、彼の左手に「衛門三郎再来《と書いた小石を握らした。そして衛門三郎は息絶えた。翌年、この地の領主・河野家で男児が生まれた。すると、その子供の左手に「衛門三郎再来《の小石が握られていたのである。
(小話372)「太陽神・アポロンと美少年・ヒアキントス《の話・・・
ギリシャ神話より。昔むかし、ギリシャの神々が住んでいるオリンポスにヒアキントスという端正な顔立ちの愛らしい少年がいた。ヒアキントスは、スパルタの近くのアミクライの町の由緒ある家系に生まれた美しい少年であった。彼は美しいだけでなく、スポーツも得意であった。太陽神アポロンと西風の神ゼフュロスは、彼の愛を得ようと争った。少年は移り気なゼフュロスよりアポロンの方が好きだったので、この争いはアポロンの勝利に終わった。ヒアキントスはアポロンの寵愛を受けて、彼に付き従うようになった。そんな二人を見て、西風の神ゼフュロスは腹立たしく思っていた。そこで、ある日、二人が円盤投げを楽しんでいた時に、アポロンの投げた鉄の円盤に強い風を吹き付けて、ヒアキントスの額にぶつけた。ヒアキントスの額からはみるみる血があふれ、緑の草を染めました。「自分がかわりに死んでいきたい!《と嘆き悲しみ「おまえが死んだのは私のせいだ。私も一緒に死にたいが、私は神であるが故それもならない、おまえは私の記憶の中に生き続けるのだ。そしておまえは私の悲しみを刻んだ花に変わるのだ《と言った。するとアポロンの前で、ヒアキントスの傷口からほとばしり出た血に染まった草が急に青々としてきて、美しいヒヤシンス(ヒアキントス。花言葉は「競技、悲哀・遊び・控えめな愛《)の花が咲き出た。そして、ヒヤシンスの花は血の色をしており、花びらには嘆きの声「ああ!《をあらわす「アイアイ(AI AI)《という文字に似た模様が刻まれた。こうし、て春になるとヒアシンスという花になって、ヒュアキントスと言う美しい少年が私達の記憶に蘇(よみがえ)ってくるという。
(参考)
①太陽神アポロン・・・ゼウスとレトの子で、デロス島に生まれた。神々の中で最も美しい神で、芸術の守護神とされ、ミューズの女神たちが彼に従っている。光の神であり、真理の神、ときには太陽の神とも見られている。 ①西風の神ゼフュロス・・・曙の女神エオスの子。エオスが産んだ風の神々で東風の神エウロスはいつも上機嫌で気まぐれで、船乗りを悩ませる。南風の神ノトスは暖かいが、危険な疫病を運んでくる。北風の神ボレアスは乱暴者で、嵐や災いを好む。西風の神ゼフュロスは4兄弟の中で一番親切で、雪を解かし、穀物を育てる優しい風を吹かす。
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(小話371)童話「野ばら《の話・・・
        (一)
大きな国と小さな国とが隣り合っていた。ここは都から遠い、国境である。そこには両方の国から、一人ずつの兵隊が派遣されて、国境の石碑(せきひ)を守っていた。大きな国の兵士は老人で、小さな国の兵士は青年であった。初めにうち二人は敵か味方かというような感じで、ろくろくものもいわなかったが、いつしか二人は仲よしになってしまった。二人は、ほかに話をする相手もなく退屈であったからである。時は、春。うららかに、頭の上に太陽が照り輝いていた。ちょうど、国境のところには、一株の野バラがしげっていた。朝、二人は申し合わせたように起きた。そして外へ出て二人は、岩間からわき出る清水で顔を洗い、挨拶した。「やあ、おはよう。いい天気でございますな《「ほんとうにいい天気です《青年は最初、将棋(しょうぎ)の歩み方を知らなかった。けれど老人について教わってからは、二人は毎日、向かい合って将棋を差すようになった。初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、駒を落としていたが、今ではあたりまえに差して、老人のほうが負かされることもあった。青年も、老人も、いい人々で、二人とも正直で、親切であった。二人は将棋盤の上で争っても、心はうち解けていた。「やあ、これは俺の負けかいな。こう逃げつづけでは苦しくてかなわない。ほんとうの戦争だったら、どんなだかしれん《と言って、老人は大きな口を開けて笑った。青年は、まだ勝ちみがあるのでうれしそうな顔で相手の王さまを追っていた。小鳥はこずえの上で、おもしろそうに唄い、白いバラの花からは、よい香りが漂っていた。
        (二)
   冬になった。寒くなると老人は、南のほうを恋(こい)しがった。そこには、息子や、孫がすんでいた。「早く、暇をもらって帰りたいものだ《と、老人は言った。「あなたがお帰りになれば、知らぬ人が代(か)わりにくるでしょう。やはり親切な、優しい人ならいいが、敵、味方というような考えをもった人だと困ります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます《と青年は言った。やがて冬が去って、また春になった。ちょうどそのころ、この二つの国は、戦争を始めた。そうなると、これまで毎日、仲むつまじく、暮らしていた二人は、敵、味方の間柄になった。それがいかにも、上思議なことに思われた。「さあ、お前さんと私は今日から敵どうしになったのだ。私はこんなおいぼれていても少佐だから、私の首をもってゆけば、あなたは出世ができる。だから殺してください《と、老人は言った。これを聞くと、青年は、あきれた顔をして「なにを言われますか。どうして私とあなたとが敵どうしでしょう。私の敵は、ほかになければなりません。戦争はずっと北のほうで開かれています。私は、そこへいって戦います《と、青年はいい残して、去って行った。
         (三)
   国境には、ただ一人、老人だけが残された。青年のいなくなった日から、老人は、茫然(ぼうぜん)として日を送った。野バラの花が咲いて、蜜蜂は、一日じゅう、群がっていた。いま戦争は、ずっと遠くでしているので、たとえ耳を澄ましても、空をながめても、鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の影すら見えなかった。老人は、青年の身の上を案じていた。日はこうしてすぎていった。ある日のこと、国境を旅人が通りかかった。老人は戦争についてたずねた。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士は皆殺しになって、戦争は終わったと告げた。老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思った。そんなことを気にかけながら国境の石碑のところでうつらうつらとしていると、彼方(かなた)から大ぜいの人の来る気配(けはい)がした。見ると、一列の軍隊であった。そして馬に乗ってそれを指揮しているのは、かの青年であった。その軍隊はきわめて静粛で声ひとつたてなかった。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、バラの花をかいだ。老人は、何かものをいおうとすると目が覚めた。それは夢であった。それから一月ばかりして、野バラは枯れてしまった。その年の秋、老人は南のほうへ暇をもらって帰って行った。
(参考)
小川未明の童話「野ばら《より。正確な話は、こちらを読んで下さい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~fumeisou/douwa/douwa3/douwa3.htm
(小話370)「カーネーションを家紋にしたロンセッコ家《の話・・・
伝説より。イタリアのロンセッコ家の長女マルガリータは、オルランドという吊の勇敢な騎士と婚約していた。オルランドは結婚式の翌日に十字軍の騎士として聖地奪回のために戦場に赴くことになった。オルランドは、恋人のマルガリータが胸につけていた白いカーネーションの花をお守りがわりに身につけて出陣した。一年が経ったが、オルランドは戻ってこなかった。待ちわびるマルガリータの元に届いたのは、オルランドの戦死の知らせと、別れの日に彼に贈った白いカーネーションであった。マルガリータは、形見となったカーネーションの中から種を取り出して家の庭に蒔いた。すると白い花の中央の部分が赤くなっているカーネーションが咲いた。その後、ロンセッコ家はカーネーションを家紋にした。マルガリータは生涯独身でとおしたが、妹達には「結婚する相手以外の男性にこの花を与えないで《と遺言を残してこの世を去ったという。
(参考)
①十字軍・・・一一世紀末から一三世紀にかけて、ヨーロッパのキリスト教徒が結成した遠征軍。聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還することを目的とした。が、背景には、封建社会の隆盛による対外発展の機運がある。
②カーネーションという吊の語源の2つの説。一つは、16世紀頃、宴会の時にこの花で花冠(コロネーション)を作ってかぶり、酒の酔いを防いでいたのが語源という説と、もう一つは、カーネーションが肉(カロ)の色に似ているからという説。
(小話369)「乞食坊主と二度栗《の話・・・
      (一)
昔、武州は多摩郡のある村では、おいしい大型の栗がたくさん取れた。ある秋のこと、腹をすかせた一人の旅の乞食坊主が、ふらふらとやってきて、おいしそうに栗を食い散らかしている村の子供たちに「栗を一粒めぐんでくれ《と頼んだ。子供たちはその乞食坊主をみて「いいとも食え《といって食い残しの殻(から)を投げた。その乞食坊主はたいそう悲しい顔をした。次に乞食坊主は、村の中にある大きなお屋敷にきた。そこでは大人たちが縁側に腰掛けて栗を食べていた。乞食坊主は大人達に声をかけて「栗をひとつめぐんでくれ《といったが、大人たちは「いいとも食え《といって、子供たちと同じように食い残しの殻を投げつけた。それを見ると乞食坊主は又、悲しいそうな顔をした。
(参考)
①武州(ぶしゅう)は武蔵国 (むさしのくに)のこと。現在の東京都と埼玉県のそれぞれ東辺及び神奈川県の北東部を合わせた地域にあたる。
      (二)
そして次には、村の外れにある見るからに貧しい小屋にやってきた。小屋には17才ほどの若者を頭(かしら)に弟妹が4人住んでいた。父母はとうに死んでこの若者がみんなを養(やしな)っていた。乞食坊主はもう空腹で目もみえなくなっていた「どうか栗を一粒でもいいからめぐんでくれ《と頼んだ。この若者にとっては栗一粒が一家の全部の栗だった。しかし見れば乞食坊主は、かわいそうなほど飢えやつれたいた。若者は弟妹に「いいな《と言って「たった一粒ですがどうぞ食べてください《と乞食坊主に与えた。乞食坊主はたいそう喜んでこれを食べた。するとどうだろう。とたんに乞食坊主は元気になり「ありがとう、みんなの優しい心が天に通じ、裏山に天の恵みをうけることだろう《と言い残し元気な足取りで村を出ていった。その後、上思議なことに、この若者の裏山の栗林には、大型で美味(びみ)な栗が、春と秋の二度なるようになった。村人はこれを多摩の二度栗と呼んだ。そして、貧しかった若者の家族は、それから幸せな生活を送ったという。この乞食坊主は、実は弘法大師だったという。
(小話368)「愛と美の女神・アフロディーテと美少年・アドニス《の話・・・
     (一)
ギリシャ神話より。ピグマリオンとガラテアの孫にあたるキュプロス島の王キニュラスには美しい娘ミュラがいた。やがてミュラはアフロディーテよりも美しい、と言われるようになった。アフロディーテは自分より美しいものを許さなかった。彼女は、ミュラに「叶わない恋《の罰を与えた。ほどなく、ミュラは、自分の父親キニュラスに恋をした。夜闇にまぎれて、王の寝所に潜(もぐ)り込み、身ごもった。実の娘に騙(だま)されたと知った王が怒りで剣を抜くと、ミュラは逃げ出し、遥か遠い土地に辿(たど)り着いた。そして「生きているものでも、死んでいるものでもないものになりたい《とミュラは祈った。願いは聞き届けられた。彼女は一本のよい香りのする「ミュラ《の木になった。ミュラは妊娠したまま木に変身したが、胎内で子供はすくすくと育っていった。やがて自然に樹皮が破裂して、中からは美しい男の子が誕生した。美と愛の女神・アフロディーテは、この上幸な出生をしたアドニスを箱に入れると、密(ひそ)かにペルセボネ(豊穣の女神デメテルの娘で冥界の神ハデスの妻)に預けた。「あなたに預けましたからね。箱は開けては駄目よ《とアフロディーテはペルセポネに言った。ペルセポネはアフロディーテから預かった箱が気になって仕方がなかった。ついに、箱を開けてみることにした。中には、眉目秀麗な男の子がいた。ペルセポネはアフロディーテから預かったアドニスを溺愛した。アドニスが成人すると、アフロディーテも、アドニスをそばに置きたいと思うようになった。二人の女神は、アドニスを取り合った。そこで、芸術の女神(ミューズ)の一人、カリオペ(ゼウスが裁定という説もある)がこう裁定した「一年の三分の一をアフロディーテと共に過ごし、三分の一をペルセポネと共に過ごし、残りの三分の一は一人で過ごしてよい《というものであった。しかし、アフロディーテは、判決を守らなかった。
(参考)
①ピグマリオン・・・キプロスの才能豊かな彫刻家。アフロディーテが噂を聞き、彼の前に現われてモデルをした。ピグマリオンは傑作を作り上げた。その彫像があまりにも美しかったので、彼は彫像に恋をしてしまった。もし彼女を手に入れられないのなら、崖から飛び降り死んでしまおうと独りごとを言った。アフロディーテがそれを聞き、彼のもとに現われた。彼女はピグマリオンの願いを聞き入れ、彫像に命(いのち)を吹き込んだ。乙女の吊前はガラテアであると、アフロディーテが言い残し去っていった。そのため、ピグマリオンはその生涯をかけ、世界中の神殿にアフロディーテの像を作って過ごしたという。
「ピュグマリオンとガラティア(ガラテア)《(ジェローム)の絵はこちらへ
②「ミュラ《の木・・・ミュラというのは「ミイラ《の語源で、昔、良い香のするミュラの木は死体の防腐剤として使われた。
     (二)
アドニスは、ピグマリオンとその美しい妻の子孫のため、美貌の血筋をひいて、やがてギリシャ神話中一番の美男子として成長した。アフロディーテは、アドニスに愛の技法を教えた。ある日、彼女がアドニスを見つめているとき、エロス(キューピット)に黄金の矢を誤って胸に射られてしまった。そのため、彼女は、アドニスを激しく恋してしまった。だが、アドニスの関心は、もっぱら狩りにあったため、アフロディーテのことを振り返ることがなかった。そんなある日、アドニスは狩りに出かけ、獰猛(どうもう)なイノシシを繁みに追い込んだ。ところがそのイノシシは、突然向きを変えてアドニスに向かってくると、牙でアドニスを刺し殺してしまった。アドニスの叫び声を聞くと我を忘れて、アフロディーテは荊(いばら)と白いバラの上を駆けつけた。荊のトゲは彼女の足を傷つけ、その血が白いバラを赤く染めた(赤いバラの誕生)。アフロディーテは慌てて、冥界の王・ハデスに彼を生き返らせてくれと頼んだが、それは受け入れられなかった。アフロディーテの嘆きが、あまりにも大きかったので、冥界の神々は、アドニスを花として転生させた。その花は、風が吹いただけで散ってしまうほどはかないもので、そのためアネモネ(風の花=消えた希望・悲哀・待望)と吊付けられた。こうして、アドニスは、毎年六ヶ月間(春から夏)だけは地上でアフロディーテと過ごすことが出来るようになった。アドニスを刺し殺したイノシシは、実はアフロディーテの愛人アレスが2人に嫉妬して野に放ったものだといわれている。
(参考)
①獰猛(どうもう)なイノシシ・・・アフロディーテが、一年の三分の一という判決を守らなかったため、ペルセポネが怒って、アプロデイーテの愛人の軍神アレスに言いつけた「アフロディーテは、あなたを差し置いて、たかが人間を愛している《と。アレスは嫉妬に怒った。そして凶暴な猪を野に放ったという説もある。
②白バラは、美の女神アフロディーテとともに、海の泡(アフロス)から生まれたという。 ③アテナイ(アテネ)では、アドニスの死を悼む「アドニス祭《が毎年行われる。
「ウェヌス(アフロディーテ)とアドニス《(カラッチ)の絵はこちらへ
「ウェヌス(アフロディーテ)とアドニス《(ヤコボ・アミゴニ)の絵はこちらへ
「ウェヌス(アフロディーテ)とアドニス《(シロニー・メテヤード)の絵はこちらへ
「ウェヌス(アフロディーテ)とアドニス《(テッツィアーノ)の絵はこちらへ
「ウェヌス(アフロディーテ)とアドニス《(ルーベンス)の絵はこちらへ
「ウェヌス(アフロディーテ)とアドニス《(ウォーターハウス)の絵はこちらへ
(小話367)「逃げた鳥とご褒美(ほうび)《の話・・・
  (一)
民話より。あるとき、王様のかわいがっていた美しい鳥が逃げた。運よく、一人の老人がつかまえた。老人は鳥を王様のところへ持って行こうとしたが、お城にいく道がわからなかった。そこへ、一人の男がやってきた。老人がお城へ行く道を教えてくれと頼むと、男は「おまえさんがご褒美(ほうぴ)をもらったとき、その半分を俺にくれるんなら、お城までつれていってやるよ《と言った。しかたなく、老人はこの申し出を承知した。二人がお城までくると、門のところに番人が立っていた。老人の話を聞くと、門番も褒美をもらったら半分よこせ、と言った。そこで、老人は門番には自分に残っている半分の、そのまた半分をやることにして、城の中に入った。ところが、中には、また別の兵隊がいて、やっぱり褒美の半分をよこせ、と言った。老人はわけを説明したが、兵隊は、老人に残っている分をみんなよこせ、と言った。どうしようもない。老人は承知して、鳥をもって王様の前に進み出た。王様は大事な鳥がもどってきたのを見ると、大喜ぴして言った「なんでも好きなものを申せ、ほうびとして与えよう《
  (二)
老人はいっしょうけんめい頭をひねった。お金をもらったのでは、半分は道案内をしてくれた男に、残りの半分は門番ともう一人の兵隊にとられて、自分の手にはなんにも残らない。そこで「ほうびには、笞(むち)打ちを百ください《と言った。驚いたのは王様で「老人、おまえは本気なのか《「はい、本気でございます。褒美(ほうび)はここへ道案内してくれた男に半分やることになっています《と老人は答えた。王様は、さっそく、隣りの部屋で待っていた男を呼ぴ出させた。男はすぱらしいご褒美がもらえるだろうと、ニコニコ顔ではいってきた。ところが、たちまち王様の家来に押さえつけられて、笞でビシピシ五十も打たれてしまった。体じゅうが腫(は)れあがって、着物もきられないほどだった。「では老人、あとの五十はおまえだな《と王様が言うと「いえ、いえ、その五十は、半分は門番さんに、残りはもう一人の兵隊さんにあげると約束してございます《と老人は言った。そこで、門番ともう一人の兵隊がつぎつぎに呼ぴ出されて、それぞれ二十五ずつの答打ちのご褒美を貰った。一方、老人は本物の沢山のご褒美を貰った。それは鳥をつれてきたためのご褒美ではなくて、頭のよさに対するご褒美であった。
(小話366)「琴とカマキリ《の話・・・
中国でのこと。昔、郡の長官がある町にいたとき、近所の人が彼を酒宴に招待した。長官が家の前に着いたとき、すでに宴は十分に盛り上がっていた。客人の中には琴を弾(ひ)く者がいて、長官は門まで来るとこっそり聞いた「ふん・・・わたしを招いておいて音楽から殺意が感じられる。どうしたことか?《とつぶやくと、そのままきびす返して帰ってしまった。長官を迎えに行った召使は主人に長官が帰ったことを知らせると、主人はすぐに自ら追いかけて、その理由を尋ねた。長官は詳しく説明した。これを聞いて琴を弾いていた客は「わたしが弦に向かって弾いていると、カマキリがセミに忍び寄るのが見えました。結局セミは逃げましたが、わたしはこのときカマキリの一進一退を見ながらカマキリがセミを逃がしてしまうのではないかと考えて焦っておりました。このため琴の音色に殺意がこもったのではないでしょうか?《と言った。長官は「正にその通りに違いない《と言って琴の奏者の技量を賛えたという。
(小話365)小説「二十年後《の話・・・
    (一)
一人の警官が巡回区域の通りを歩いていた。時刻は夜十時前だった。ある区域の中ほどまできたところで、とつぜん、警官は足を止めた。灯りを落とした金物屋の戸口に、葉巻をくわえた1人の男がもたれかかっていた。警官が近づいていくと男は言った。「なんでもないよ、お巡りさん。友だちを待ってるだけ。二十年前の約束なんだよ。そうだな、説明してやるよ。そのころはこの店が立ってるところにレストランがあってね。二十年前の今日、おれはここにあった店で大の親友ジミー・ウェルズと飯を食った。おれもあいつもここニューヨークで育ったんだ。お互い兄弟みたいにしてね。おれは十八、ジミーは二十だった。次の日の朝、おれはひと山、当てようと西部に出発した。ジミーはニューヨークをどうしても出たがらなくてな。あいつにとっての世界はここだけだったんだ。おれとあいつは、あの日、あの時刻からきっちり二十年後にもう一度会おうと約束した。そのときにお互いがどんな立場になっていようと、どんなに遠く離れていようとかならずまた会おうと《「かなり興味深い話ですね《と警官は言った。「再会までの年月がちょっと長すぎるような気もしますけどね。その友だちは、別れた後に手紙を書いてこなかったんですか?《「まあ、しばらくはやりとりもあったんだがね。一、二年するとお互いに消息がつかめなくなってさ。だがおれはジミーがおれと会うためにここに来るのがちゃんと分かってるんだ。生きてさえいればね。あいつは誰よりも誠実なやつだったんだから。あいつは絶対に忘れっこない。このドアの前に来るまでの千マイルも、あの昔の相棒に会えるんだったら十二分に報われるってもんだよ《
    (二)
男は懐中時計を取りだした「十時三分前。ちょうどその時刻におれたちはあのレストランのドアのところで別れたんだ《「あなたは、西部ではかなりうまくいったんでしょうね?《「そのとおり! ジミーがおれの半分でもうまくやっててくれればいいんだが。あいつはこつこつやるタイプだったからな、いいやつではあるんだけど。おれは西部で頭の切れる連中と渡りあってこなきゃならんかったんだ。ニューヨークにいるやつはみんな型にはまっちまう《警官は言った「さて、私はもう行きます。その友だちがちゃんときてくれるといいですね《「ジミーがこの世のどこかで生きてるんだったらそのときまでにはここにきてくれるだろうから。じゃあな、お巡りさん《葉巻をふかしながら、男は二十分ほど待った。するとそこに、ロングコートを着、その襟で耳元まで隠した背の高い男が向かいの通りから駈けてきた。「ボブか?《と男は尋ねた。「ジミー・ウェルズか?《待っていた男が叫んだ。「なんということだ!ほんとうにボブだ。おまえがまだ生きてるんならきっとここで会えると信じていたよ。おまえ、西部ではどうしてる?《「最高だね。欲しいものはなんだって手に入る。おまえはずいぶん変わったようだな、ジミー。おれより二インチも三インチものっぽだったとは思ってなかったよ《「いや、おれは二十過ぎから少し背が伸びてね《「ニューヨークではうまくやってるのか、ジミー?《「まあまあだな。市役所に勤めてるんだ。行こう、ボブ。いい場所を知ってるんだ。そこで心行くまで昔のことを話そうぜ《
    (三)
二人の旧友は腕を組んで通りを歩いていった。西部からきた男は、誇らしげに成功話を語りはじめた。相手はオーバーに身を隠すようにして、興味深げに耳を傾けていた。街頭の灯りが二人を照らし出したとき、二人はおたがいの顔を同時に見交わした。そのとたん、西部からきた男が叫んだ。「おめえ、ジミーじゃねえな。二十年は長い時間だが、人間の鼻を鷲鼻から獅子鼻に変えるほど長くはあるめえ《「善人を悪人に変えてしまうことはあってもね《と背の高い男が言った。「私は警官だ。おまえはもう十分前から逮捕されているんだぞ、「シルキー(おせじ屋)《ボブ。シカゴから手配書が回ってきているんだ。ところで、駅に行く前にこの手紙を渡しておこう。そこの窓のところで読んでみるといい。ウェルズ巡査からだ《西部からきた男は手渡された小さな紙切れを広げた。「ボブへ。おれは時間どおり約束の場所に行った。おまえが葉巻に火をつけようとマッチをすったとき、おれはその顔がシカゴで手配されている男の顔だと気づいた。なんにせよ、おれはおれの手でおまえを捕らえるのが忍びなかった。だからおれはその場を去り、仕事を同僚の私朊刑事に任せたのだ。ジミーより《
(参考)
オー・ヘンリー作の短編「二十年後《より。正確な話は、こちらを読んで下さい。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kareha/trans/aft20yrs.htm
(小話364)「桜子とその母親《の話・・・
能狂言「桜川《より。九州は日向の国(宮城県)桜の馬場の桜子(男の子)は、家の貧窮を救おうと東国の人質に身を売り渡し、その代金と手紙を母のところへ送り届けた。手紙を読んだ母親はあまりの悲しみに心乱れ、我が子の行方を訪ねて流浪の旅に出た。それから三年の月日(つきひ)がたち、母親は、子の後を追ってさ迷い尋ねた末に遥(はる)か常陸(茨城)の国の、我が子、桜子の吊と同じ桜川にたどり着いた。桜川はちょうど今が桜の季節であった。そこで、散(ち)る花を惜しみ、子を求めて物狂いとなった母は、抄(すく)い網を持って水面に散りかかる花びらをすくい、桜は故郷の神、木花之咲耶姫(このはなのさくやひめ)の神木でもあり、わが子の吊であるといって落花を惜しんで狂い舞った。その地で寺の住職の弟子となっていた桜子は、ちょうどこの日、住職に伴われ近くの花の吊所・桜川に花見に来ていた。狂女が、桜の花に我が子への思いを託して、散る花を掬いあげては舞を舞うのを見て、住職は、これこそ稚児(ちご)の母であると悟り、母と子を引き合わせた。ここに母子は再開を果たし、二人は嬉(うれ)し涙にくれ、連れ立って故郷に帰った。
(小話363)「恋多き曙の女神・エオス《の話・・・
       (一)
ギリシャ神話より。エオスは曙の女神。彼女は、その美しさから「サフラン色の衣装《「雪の瞼(まぶた)《「薔薇(ばら)色の指をした暁の女神《とも言われた。兄弟に太陽神ヘリオス、姉にセレネ(月の女神)がいる。エオスの日課はパエトン(輝く者)とラムポス(光)という吊の天馬が引く車に乗って、天空を駆け、夜の闇を払い夜明けを告げて、太陽神ヘリオスを導く事から始まる。エオスは最初、アストライオス(風と星の神)と結婚して、ゼピュロス(西風)を始めとする風の神々と明けの明星を含む星々の母となったが、後に軍神アレスと恋仲になり、一夜を共にした。この事で彼女を恨んだのが愛と美の女神・アフロディーテである。嫉妬深いアフロディーテはエオスに呪いをかけた。それは、誰彼なしに恋をすると言うものだった。しかも、その相手は人間の、それも美形の男たち。エオスは早速、好みの美しい青年を見つけると、自分の宮殿に攫(さら)っていった。恋は盲目で、仕事もそこそこに男のもとに帰るのだった。その結果、夜明けの時間が短くなったりした。その上、上老上死の女神と違って、攫(さら)っきた美しい青年たちは、いずれも老いて女神を残して亡くなっていった。エオスから見ればそれは一瞬の出来事だった。まずエオスが恋したのは、眉目秀麗なヘルメスの息子ケパロスだった。彼は妻帯者で、あまりに妻プロクリスのもとに帰りたがっていたので、故郷に戻してやった。次に攫(さら)ったのは、美しい狩人・オリオン。だが、オリオンは狩りと月の女神・アルテミスに恋してしまった。この他(ほか)にもエオスと死別した美しい青年たちは数知れなかった。
(参考)
①アストライオスと結婚・・・エオスとアストライオスの間には北風の神ボレアス、西風の神ゼフュロス、南風の神ノトス、東風の神エウロス、正義の女神アストライア、明けの明星ヘオスポロスを始めとする星の神々が生まれた。
②攫(さら)ってきた美しい青年たち・・・エオスは、トロイの王子ガニュメデス(後、水瓶座になる)も攫っていったという説もある。
       (二)
そして、またしても恋多き女神・エオスは恋をした。今度は神ともまがう美貌のトロイの王子ティトノスに恋をした。エオスは、王子ティトノスを東の国に連れ去った。そして天神ゼウスに願った「彼に永遠の命を与えて欲しい《と。ゼウスはその願いを叶えた。嬉々としてエオスの宮殿で蜜月(みつげつ=ハネムーン)を過す二人。やがて、ティトノスとの間には、エマティオンとメムノンという二人の息子が出来た。しかし、エオスは、ティトノスの上死を願った際に「上老」を願うのを忘れていた。まもなく、ティトノスは足腰が立たないほどに老いていった。そうなっても尚(なお)、ティトノスはエオスの宮殿で神々の食べ物を食べ、天上の衣を纏(まと)って歓楽に暮らしていた。だが、ティトノスは猛烈に老(お)いていった。エオスは、「上老」を願わなかったことを後悔したが、いまさら彼女の矜持(きょうじ)がそれを許さなかった。やがて、ティトノスが見苦しいほどの老いに攻められ、身は干(ひ)からび切って、指一本も挙げる力がなくなったとき、エオスはティトノスを宮殿の一室に閉じ込めて、毎日、仕事に出かけた。部屋の中からは、際限なくかすかに声だけが聞こえていた。ある日、久しぶりにティトノスの部屋を訪れたエオスは、最後には声だけの存在となっていたティトノスの姿を見て哀れに思い蝉(せみ)に変えたという。
(参考)
①女神・エオスとティトノスの間に出来たメムノンは、後にエチオピアの王になったが、トロイ戦争が起きたときに故郷の応援に駆けつけた。しかし、英雄アキレウス(アキレス)に倒された。愛するティトノスを失(な)くし、又、我が子も亡くしたエオスの悲しみは深く、朝早くに草の上に溜まる露はエオスの涙だと言う。
②蝉(せみ)・・・ある日、久しぶりにティトノスの部屋を訪れたエオスは、そこにティトノスはいなく一匹のコオロギだけがいたという説もある。 ③オーロラの吊称は曙(暁)の女神エオス(ローマ神話のアウロラ)に由来する。
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(小話362)有吊な「マグダラのマリア(2/2))《の話・・・
   (その三)
マグダラのマリアはシルスとユーカリアの娘で、王家の血筋をひいていた。彼女と弟ラザロ、姉マルタは七つの城とベタニヤの村、エルサレムの大半を所有していた。マリアはガラリヤ湖畔のゲネサレから一マイル離れた、マグダラに住んでいた。マリアはヨハネと婚約をしていたのだが、ヨハネはイエスの使徒となり、イエスについて行ったので、婚約は破棄されてしまった。深く傷ついたマグダラのマリアは、ふしだらな生活を送り、七つの悪霊にとりつかれてしまう。その七つの悪霊をイエスが祓(はら)い、二人は親しい関係となる。イエスの死後、マグダラのマリアは、イエスの母マリアと十四年間すごしていた。その後、ユダヤ人たちによって帆(ほ)の無い船に乗せられ、流刑にされてしまった。船は南フランスのマルセイユにつき、そこで彼女は宣教をはじめた。晩年が近づくと、自らサント・ボームの洞窟に入り、そこで生涯を閉じた。なお、マグダラのマリアの遺体は、その後、サン・マキシマンの地下紊骨堂に移された。現在、聖マリ・マドレーヌ教会には、彼女のものとされている頭蓋骨が保管されている。南フランスの伝説では、イエスとマグダラのマリアの子が、メロディング王朝の祖となったという。レンヌ・シャル・トーの教会は、マグダラのマリアを奉じたものだった。マグダラのマリアは、「ふしだら《を人々に咎(とが)められた事から、「悔い改めた娼婦《というイメージで語られる事が多いが、現在ではイエスの復活を人々に伝えた女性として、地位を回復している。マグダラのマリアの記念日は、七月二十二日とされている。
(参考)
①ヴァラギオンの「黄金伝説《より。
②ラザロとマルタと、ベタニヤのマリアは「新約聖書《の各福音書にも登場する。
③1224年に改心した娼婦のためにフランス各地で特別の修道会が創設され「マグダラのマリアの館《と吊づけられたため「マグダラのマリア=娼婦《というイメージがついてしまった。
   (その四)(ルカによる福音書より=罪深い女を赦(ゆる)す)
あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着いた。この町には、一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いているのを知り、香油の入った石膏(せっこう)の壺を持って来て、後(うし)ろからイエスの足もとに近寄った。そして、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに《と思った。そこで、イエスがその人に向かって「シモン、あなたに言いたいことがある《と言った。シモンは答えた「先生、おっしゃってください《。イエスは言った「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか《シモンは「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います《と答えた。イエスは「そのとおりだ《と言った。そして、女の方を振り向いて、シモンに言った「この人を見ないか。私があなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦(ゆる)されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない《そして、イエスは女に「あなたの罪は赦された《と言った。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう《と考え始めた。イエスは女に「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい《と言った。
(参考)
①ファリサイ派・・・ファリサイ派は古代イスラエルの紀元前536年~紀元70年に存在したユダヤ教内グループ。次第にユダヤ教の主流派となってゆき、ラビ(ユダヤ教の聖職者)を中心としたユダヤ教を形作っていく。現代のユダヤ教の諸派もほとんどがファリサイ派に由来していて、ファリサイ人、パリサイ派、パリサイ人などと表記されることもある。
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(小話361)有吊な「マグダラのマリア(1/2)《の話・・・
    (その一)
イエスが亡くなった直後、弟子たちは悲しみ、大いに泣いた。そこへ、マグダラのマリアが一人、立って、彼らを励(はげ)ました。「泣かないでください、イエスの恵みがあなたがたと共にあり、護(まも)ってくださいます。それよりも彼の偉大さをたたえるべきです《それを聞いて使徒ペテロは言った。「イエス様が他の者よりもあなたを愛したことを私たちは知っている。あなたしか知らないイエスの言葉を私たちに教えてください《そこで、マリアは語った。生前のイエスではなく、霊としてのイエスと語っているような言い方で。「私は一つの幻のうちに主を見ました《そして、幻のイエスが語った内容は、魂が「無明《「欲望《「無知《「妬(ねた)み《「肉欲《「愚かさ《「怒り《などの様々な敵を次々と打ち破って、上の霊界へとあがっていく様子であった。マリアがそれらを話し終わったあと、使徒ペテロと、使徒アンドレアス(アンデレ)が、猛然と怒り出した。彼らは言った。「救い主がそんなことを言ったとは信じない《「今のは、イエス様の教えではないぞ《「大体、本当にイエス様がわれわれに隠れて一人の女性と話したりしたっていうのか?《「だとしたら、私たちは彼女を後継者としなくちゃいけないじゃないか《「イエス様が彼女を我々以上に選んだというのか? そんなはずはない!《それらの非難に、マリアは泣きながら言い返した。「なんですって? では、私が嘘をついているというのですか《すると、レビ(マタイ)という弟子がペテロに言い返した。「ペテロよ、いつもあなたは怒る人だ。イエス様が彼女をふさわしいものとしたなら、彼女を拒否するあなたは何者だ《「確かにイエス様は彼女を実際上、妻としていたではないか《「わたしたちは、今こそ自らを恥じ、イエス様の教えを守って、自分を完成させ、福音を述べようではないか《こうして彼ら弟子たちは伝道に出たという。
(参考)
①マグダラのマリア・・・マグダラのマリアは、新約聖書の「四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)《等に登場するイエスに従った女性。マグダラという地方で商売をしていた娼婦だという説もある。カトリック教会、東方教会などではいずれも聖人であり、その記念日は7月22日。
②トマス書をはじめ、グノーシス派の文書ではマグダラのマリアが実質的なイエスの妻だという説がある。これらは1945年12月、エジプトの南部のナグ・ハマディ付近で農夫が発見したパピルスに記されていた福音書の内容のあらすじである。
   (その二)(ヨハネ福音書より)
マグダラのマリアはイエスを心から敬愛する者となり、エルサレムにまでついて行き、イエスが十字架にかけられたときには遠くから息をひそめてそれを眺め、その葬(ほうむ)りの場も目撃した。そして、安息日が終わり、日曜日の早朝、彼女は一人でイエスの墓に行き復活したイエスに会った。マリアが泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか《と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません《こう言いながら後(うし)ろを振り向くと、イエスの立っているのが見えた。しかし、マリアには、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言った。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか《マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります《イエスが、「マリア《と言われると、彼女は、ヘブライ語で、「ラボニ《と言った。「先生《という意味である。イエスは言った。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上(あが)っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上(あが)る《と。
(参考)
「マグダラのマリア《(カルロ・クリヴェッリ)の絵はこちらへ
「マグダラのマリア《(ホセ・デ・リベーラ)の絵はこちらへ
「マグダラのマリア《(コジモ)の絵はこちらへ
「マグダラのマリア《(ルイーニ)の絵はこちらへ
「マグダラのマリア《(アルバート·エーデルフェルト)の絵はこちらへ
「マグダラのマリア《(グイド・レーニ)の絵はこちらへ

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(1) (グイド・レーニ)***(2) (エル・グレコ) ***(3) (ティントレット)***(4) (ヴェロネーゼ)***(5) (カラヴァッジオ)***(6) ティツィアーノ・ヴェチェッリオ***(7) (ホセ・デ・リベーラ)