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(小話300)「男と女と愛染明王(あいぜんみょうおう)」の話・・・
昔、一人の男がいた。この男は長い間、心がさだまらずに、あるときはかりそめの愛に耽(ふけ)り、あるときは巷間(こうかん)の色町をさまよい、我が身の所業を省(かえり)みることもなく、その日その日の興味のままに、移り気で好色な月日を過ごしていた。そのころ、ある女が、いつも参拝している寺の「愛染明王」の像に願(がん)をかけ、かりそめの愛ではなく、共に生きるのにふさわしい伴侶に出会うことを願って、悩みの多い浮ついた日常から抜け出そうとしていた。男は、この女に出会ったとき、それまでと同じように誘いかけて、軽い気持でかりそめの愛をささやこうとした。そのとき、愛染明王は、女の口をかりて男に「人間には生涯、決して手を離してはならない相手、そして、男女には必然の出会いがあることを」悟らせようとした。男は驚き、心から悔悟して女に向かって、以後の人生で、決して離れない生涯の伴侶になってほしいと言った。女は、男の心を疑っていたが、男の心がそれまでとは違う確(たし)かなものであるのを知って、愛染明王に感謝し、男の願いを容(い)れて共に暮らすことにした。男と女は、これ以後、この気持を忘れないために二人で愛染明王霊場を巡拝(じゅんぱい)することによって生涯、幸(しあわ)せになったという。
(参考)
愛染明王・・・女を災厄から守って愛をもたらし、また、男には守るべき愛を教え、誤った道から救い出すという(男女和合 恋愛成就 夫婦和合 良縁成就のご本尊)。愛染明王という仏は、煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断絶つことは出来ないので、この本能そのものを向上心に変えて仏道を歩ませようとする。
(小話299)「琴の名人中の名人」の話・・・
    (一)
昔、中国でのこと。ある男は、勉強が嫌いでいつも山の中をふらふらと歩き回っていた。名山の高峰には琴の名人の僧が住んでいた。そこで男は名を慕って僧を訪ねて弟子入りをした。僧は言った「琴を学ぶのは少しも難しくはない。ただ、心の静けさが必要である」そこで、男は心の静けさを得る方法を尋ねた。僧は「自分の心を静かにするのが、静けさを得る方法だが、こればかりは教えることができないことである」と答えた。男は「わかりました」と言って退室した。それから男は心の雑念を振り払うために、終日、独り座禅を組んだ。師匠の僧は時々そこに来て琴を弾いたが、男には耳を塞(ふさ)がれたように何も聞こえなかった。ある日の夜、男は窓の外で突然大雨が降りだしたのに気がついた。強風と雷の音、動物の怖がりがり泣く声、山の精霊の叫び声が聞こえた。男は、布団から起き上がって窓を開けて外を見ると、意外にも窓の外には風も雲も無く、細(ほそく)く聞こえていたのは師匠が琴を弾(ひく)く音であった。男は急いで外に出て密(ひそか)かにじっと聴き入った。しばらくして、突然こみ上げてきた悲しみに耐えられなくなり「師匠、わたしは出家して仏門に入ります」と叫んで師匠の部屋に入った。そこでは、師匠が琴を弾いていたが、その弦は一本も音をたてていなかった。
    (二)
師匠は弟子に言った「おまえは出家して仏門に入りたいと思った。言うなれば、それは大切なことを学び終えたという意味である。わたしの琴の音は幽(かす)かで細く、ここの僧侶たちには聞くことができないが、お前ひとりのみ聞くことができた。これが心の静けさを持つか、そうでないかの違いで、普通の人は耳で琴を聴くが、静かな心の人は、心で琴を聴くのである。人が聞くことのできない遠く幽かな琴の音でさえも、心でなら聴くことができる。琴を学ぶときでも、学び方が浅い人は指で琴を弾き、静かな心の人は心で琴を弾く。これがわが琴の道である。今、お前の心はすでに静かで、心で弾くことができる。明日からわたしは楽理上、重要な所だけを教えよう。おまえはもう自由に弾くことができるから」男はこの時すでに琴の名人になっていたがさらに、三年で全てを学び終わって故郷に帰った。このとき琴に傾けた気持ちにちなんで、男は号を「琴客」とした。彼は俗人の前では琴を弾かなかった。たとえ弾いたとしても普通の人には聞こえなかった。後に、戦乱が起こり、ある軍隊が彼の住む所にやってきた時、ある名将は彼の家から金鼓(かなだいこ)の音が聞こえてきたので、あわてて撤退を命じた。後で彼が琴を弾いていたのだと知り、兵を伴って彼を捕らえてくると、彼に琴を弾くよう命じた。彼は断ったが、兵士達が刀を抜いて脅(おど)すと、彼はただ弦を撫(な)で琴を弄(もてあそ)んだだけで、その音は凄惨(せいさん)この上なく、聞いた兵士達は恐怖のあまり刀をすてて散(ち)り散(ぢ)りに逃げてしまったという。
(参考)
  金鼓・・・軍隊に指令を与える鐘と太鼓(鐘は前進・太鼓は停止)で、男の家に軍隊が隠れていると思ったのである。
(小話298)「俊源大徳(しゅんげんだいとく)と琵琶(びわ)の滝」の話・・・
民話より。昔、高尾の山奥に、鳴鹿(なるか)の谷と呼ばれる谷があった。そこにはその名の通り、鹿の群れが棲んでいたが、聖地として誰も近づかない場所であった。そして、その奥には洞窟があってそこから清流が湧いていた。その流れが川となって付近の山々を潤していた。ある時、高尾山中輿の祖である俊源大徳(しゅんげんだいとく)が、高尾の山を歩いていると、どこからか琵琶の音色が聞こえてきた。こんな山の中で琵琶とは不思議なことだとあたりを見回してみたが、どこから聞こえてくるのか、まったくわからなっかた。するとそのとき一頭の立派な姿をした鹿が俊源の前に現れ、さあついてきなさいとでも言わんばかりに道案内をし始めた。しばらく、その後をついていくと、前沢の谷を上り、なんと聖地である鳴鹿の洞窟近くにまでやってきた。すると、そこに白髪の老人が大きな岩の上に腰を下ろし、琵琶を弾いていた。本当に清らかな調べで、心が洗われるようであった。俊源は、その美しい調べに思わず深く一礼して「どうぞ悟りの道をお教え下さい」と老人に懇願した。すると大岩の回りに鹿が集まり、そしてその大岩に吸い込まれるかのように鹿の群も老人も消えていった。そしてその跡には琵琶の形をした滝壺が現れた。滝つぼに吸い込まれていく水音、滝の音色は、先ほどの老人が奏(かな)でていた琵琶の調べのように清らかであった。これはありがたい、これこそ悟りの道を開く修行の霊場だと俊源は大喜びした。こうして、今もこの滝は高尾の山でも尊い修行霊場となっており、数多くの信者は、心に響く琵琶の音色のする滝で修行を積んでいるのである。
(小話297)「三人姉妹とカーネーション」の話・・・
イタリアの昔話より。昔、あるところに、ニーナとマリーアとロゼッタという三人姉妹が母親と暮らしていた。父親は早くに亡くなり、母親は洗濯屋をして娘達を養っていた。ある日、一人の立派な紳士が訪れてきて、長女のニーナをお嫁さんにして自分の屋敷に連れて帰った。男はニーナの胸にカーネーションを1本、挿(さ)して、ある部屋の前で鍵の束を渡して言った。「他のどの部屋を見てもかまわないが、この部屋だけは絶対に開けないように」ニーナが夫の留守にそっと部屋を開けると、部屋の中は真っ赤な炎で、大勢の娘達が泣き叫んでいた。そして部屋の炎はニーナのカーネーションを燃やしてしまった。帰って来た男は、カーネーションを見てニーナが炎の部屋を開けたことを知り、ニーナを炎の部屋に放り込んだ。男の正体は悪魔であった。悪魔は次に、また顔と声を変えて、次女のマリーアをお嫁さんにして屋敷に連れて帰った。マリーアも炎の部屋を覗(のぞ)き見て、カーネーションを燃やしてしまった。そのため、悪魔に炎の部屋に放り込まれてしまった。悪魔はまた顔と声を変えて、三女のロゼッタをお嫁さんにして屋敷に連れて帰った。賢いロゼッタはカーネーションをコップに挿(さ)して炎の部屋を覗き見て、姉達を見つけた。ロゼッタは姉達を助け出して箱に入れ、洗濯物で隠した。そして、戻ってきた悪魔に、洗濯物の箱を自分の母親に届けてくれるように頼み、姉達を家に戻すことに成功した。そして、自分も洗濯物の箱に入り、翌日家に運んでもらった。屋敷に帰って来た悪魔は三人の姉妹が逃げ出したことを知ってものすごく悔しがり、あまりの悔しさに地獄の火の中に飛び込んでしまった。その時から、悪魔はいつも地獄にいるようになったという。
(小話296-1)「魔女・キルケとメディアとスキュラ」の話・・・
   (一)
ギリシャ神話より。イアソンはギリシャ中から勇士を五十人を集め、船大工アルゴスに作らせた大船アルゴー号に乗って出航した。 辛苦を重ねて「金羊毛」のあるコルキスの国にたどり着いたが、コルキスの王アイエテスによって捕らえられてしまった。アイエテス王の王女で魔女メディアは、イアソンに燃えるような恋を抱き、 父を裏切ってイアソンを救った。 さらにメディアは「金羊毛」を盗み出させて、イアソンらと共に急いでアルゴー船に乗り船を漕ぎ出した。イアソンとメディアは弟アプシュルメスを同伴しコルキスの国から逃げ出した。だが、国王は子供たちが誘拐されたと思い追いかけた。王の船がぐんぐん近づいて来て、いよいよ追いつかれそうになった時にメディアは、一緒に連れて来た幼い弟のアプシュルトスを抱き寄せると、 やにわに、父の目の前で、鋭い刀で弟の胸を刺し、さらにその身体を幾つにも切り刻んで海に投げ込んだ。 船の舳先(へさき)に立ってその様子を見ていた父の王は、船を止めさせ息子の亡骸を拾い集めさせた。その間に、イアソンらのアルゴー船は遠くまで進み追手を逃れた。無事に逃亡に成功したアルゴー号であったが、船には呪いがかけられていた。イアソンはアルゴー号の舳先(へさき)に尋ねると、呪いはアプシュルメスを殺したイアソンとメデイアの行為にゼウスが怒っており、二人とも魔女キルケに清(きよ)めてもらう必要があるということであった。そこでイアソンたちは魔女キルケの住むアイエイアの島に向かい、島を訪ねた。キルケは二人を清めてあげたが二人の罪を聞くと、その残酷さに怒り二人を島から追い出した。
(参考)
@ 魔女キルケは、メディアの伯母にあたる。
A 金羊毛・・・ 空飛ぶ黄金の羊の毛皮。金の毛を持つ羊でゼウスへ捧げたのちの羊の毛皮。
B「メディア」 は、愛にも激しく憎しみにも激しい女性で、現在、メディアと云う言葉は 「情報メディア」 の意味に用いられている。
   (二)
美貌の惚れっぽい魔女キルケは、海の神グラコウスに恋をしてしまったのだが、当のグラコウスはスキュラという美しい少女にご執心であった。スキュラは、水浴びの大好きな美しいニンフであった。海の神グラウコスに恋されたが、それに応えなかったために、グラウコスは魔女キルケにほれ薬を頼んだ。キルケは、スキュラに嫉妬して、ほれ薬ではなく毒薬をつくり、スキュラがいつも水浴する場所に毒薬を注ぎ込んだ。何も知らずに泉に腰まで浸かってしまった彼女の下半身は、みるみるうちに6つの首を持つ怪物へと変わって行った。最初、それが水に映る怪物の姿だと思い、慌てて水から上がった彼女は、それが自らの下半身であると知ると絶望のあまり、海岸近くにある洞窟に入り二度と出てくることはなかった。しかし、6つの頭を養うために彼女の下半身の怪物だけは首を伸ばして、辺りにいるモノを手当たり次第に襲うようになった。
(参考)
「グラウコスとスキュラ」(ローザ)の絵はこちらへ
「グラウコスとスキュラ」(ローラン・ド・ラ・イール)の絵はこちらへ
「グラウコスとスキュラ」(スプランヘル)の絵はこちらへ
「グラウコスとスキュラ」(ルーベンス)の絵はこちらへ
(小話296)「魔女・キルケとオデュッセウス」の話・・・
     (一)
ギリシャ神話より。魔女キルケは太陽の戦車を駈(か)る太陽神ヘリオスと女神ペルセイスの娘で、魔法に詳(くわ)しい美しい半神の女神。アイエイア島に住み、その歌声と美しさで男性を虜(とりこ)にした。しかし、キルケはそういった男性たちに飽きると、捨てるのではなく、魔法で、それぞれを狼、ライオン、豚などの姿に変えて暮らしていた。知恵と勇気を持つトロイア戦争の英雄・オデュッセイアら一行は、トロイア戦争の後、故郷に帰る途中で、魔女キルケの島に着いた。キルケはオデュッセウスの乗組員にも、魔法の毒入りのご馳走を振舞った。キルケは魔法の杖を持っていて、その杖で一人ずつ触れると、一同は豚になってしまった。キルケの目的は偉丈夫(いじょうふ=男らしい)なオデュッセウスであった。仲間を救うために、オデュッセウスがやって来た。オデュッセウスは、旅行の神ヘルメスから貰った魔法を打ち消す効力のある薬草を食べていたので、キルケの魔法は効かなかった。オデュッセウスはキルケに仲間をもとの姿に戻すよう命じた。キルケは、自分と愛し合うことを条件に部下たちを人間に戻し、疲弊していた彼らに豊かな暮らしを与えた。オデュッセウスが故郷イタカに帰らなければと思ったときは、すでにキルケの島での暮らしが一年半も経過していた。彼にとってはまだ三日のつもりだったのに。帰ろうとするオデュッセウスにキルケは彼の子供を宿していることを告げ、航路も分からない出発の無謀さを説いた「たとえ海の藻屑(もくず)となり魂(たましい)だけになろうとも愛する妻のいる国に帰る」という彼の意志の強さに負け旅立ちを許した。
(参考)
@魔女キルケは、惚(ほ)れっぽい性格で大勢の男に一目惚れした。オデュッセウスとの間に3人の息子テレゴノス、ラティノス、アグリオスができた。
「キルケ」(ウォーターハウス)絵はこちらへ
「キルケとオデュッセウス」(ヤン・ブリューゲル)の絵はこちらへ
「オデュッセウスとキルケ」(バルトロメウス・スプランヘル)の絵はこちらへ
「オデュッセウスとキルケ」(Jan van Bijlert)の絵はこちらへ
     (二)
オデュッセウスは三年間、キルケと過ごしたのち、キルケと別れ、島を後にした。旅立ちを前にキルは、オデュッセウスに冥界に住む予言者テイレシアスに彼がイタカへの航路を尋ねられるように取り計らってやった。さらに、キルケは忠告して、セイレーンの海域では、海のニンフ(妖精)・セイレーンが、美しい歌声で航海者たちを魅惑し、海に溺れさせるため、魔力のある歌を聴いてはならないこと、その後、二つの岩があり、カリュプディスの渦巻きと怪物スキュラのいずれかを選ばなくてはならないが、キルケはスキュラの岩を通るようにと教えた。キルケの忠告に従い、オデュッセウスは、船員たちに蝋(ろう)で耳栓をし、ただ自分だけは耳栓をせず、あらかじめ身体を帆柱に縛り付けさせてセイレーンの歌を聴いた。歌に魅入られて身をもがき、船を止めろと叫ぶオデュッセウスをよそに、部下たちは一心に漕ぎ続けてセイレーンの海域を無事通過した。次に、二つの岩では、キルケの忠告通りに、全滅するよりはましだと考えて、スキュラの岩に近づいた。スキュラはオデュッセウスの船を襲い、船員6人を食べてしまうが、その間にオデュッセウスたちは岩から逃れることに成功した。オデュッセウスはこうした艱難辛苦の末、イタカ島に帰還を果たすが、年老いて、キルケとの間に生まれた息子テレゴノスに誤って殺されてしまうのである。
(参考)
@セイレーン達は、頭は人の女だが、身体は鳥という怪物だった。しかし彼女達はこの世のものとは思えないほどの美しい声の持ち主だった。岬の岩の上に立って彼女達が歌うと、聞く人間の魂をもとろけさせる様な歌声につられた船乗り達が我を忘れて島に上陸して、その歌声に聞きほれたまま故郷の妻子も忘れて飢え死にしてしまった(オデュッセイアら一行が島から離れてしまうと、自分たちの歌を聞いたはずの人間達が無事なのを見たセイレーン達は、屈辱と怒りとで海に飛び込んでしまったという)
Aセイレーン達はもともと芸術の女神ムーサ達の一人から生まれた美しい乙女だったが、彼女達が愛の歓びを無視したために、怒ったアフロディーテが頭は人に身体は鳥にという怪物の姿に変えてしまった(セイレーンの魅力的な歌声からサイレンという言葉が生まれた)
B一つの岩には、巨大な怪物カリュプディス(吸い込む者)が潜んでいる。カリュプディスは一日に二度ずつ海水を飲んでは吐き出し、怪物が海水を飲み込むと海底の荒々しい岩礁が露になって激しい渦巻きが起こるのだった。
Cもう一つの岩には、岩の中腹は岩屋が黒い口を開いていて、その中には恐ろしいスキュラ(引き裂く女)が住んでいた。スキュラは子犬のような声で吠えるが、身体はとてつもない怪物で、船を襲って多くの船乗りを食った。スキュラは、もとニンフであったが、海神グラウコスに愛されていることを嫉妬したキルケが、魔法でスキュラを6つの犬の頭に12の足を持つ化け物に変えたものといわれる。
(参考)
「漁師とサイレン(セイレーン)」(エクウォール)の絵はこちらへ
「漁師とサイレン(セイレーン)」(レイトン)の絵はこちらへ
(小話295)有名な「縁起(えんぎ)でない話」の話・・・
江戸時代の話。ある人が仙崖(せんがいおしょう)和尚に、何かめでたい言葉を書いてください、と揮毫(きごう)を頼んだ。和尚は筆をとると「祖死、父死、子死、孫死」と書いた。相手が「縁起でもない」とビックリすると、和尚は静かに言った。「祖父が死んだあと父が死に、父が死んだあと子が死に、子が死んだあと孫が死ぬ。これは、家族の誰も若死にすることがないということだ。めでたいではないか」(世の中で、逆縁(子が親よりも先に死ぬこと)ほど悲しいことはない)。
(小話294)「儒者嫌いの皇帝」の話・・・
    (一)
前漢・宣帝(せんてい)の時代、宮廷のものものしい礼儀作法については、宣帝は「そんなもので飯が食えるか」と冷笑した。宣帝は、祖父(劉拠)の代より民間に追放されたまま、民間で育てられたため、飢えの恐怖におののきながら、額に汗して働く庶民の気持ちがわかっていたので、何遍、頭を下げ、膝をどこまで屈めるとか、左手を上にするとか、吉拝と凶拝とはどう違うかといったことは、ばかばかしくてならなかった。ある時、儒者が宣帝に進言した「昔は骨つきの肉は必ず左に、切り肉は必ず右に置いたものです。ところが、いまの配膳法はその秩序を失っております。なにとぞ古法を復活しとう存じます」「なぜ古法を復活しなければならんのだ?」「それは、つまり、古法でございますから・・・・・」「なんでも昔のほうがよいと申すのじゃな?」「はい、さようでございます」儒者にとって、いにしえは理想の時代で、それに復帰するのが善であることは、あたりまえのことだった。宣帝は言った「それでは、もっと昔に戻そうではないか。太古、人間は手づかみで物を食べておったという。どうじゃな、宮廷の宴会でも、皿や箸をやめにしては」「そ、それは・・・・・」「できぬであろう。ならば、古法に復することは、二度と口にするな!」宣帝はきっぱりと言い放った。
    (二)
又、宣帝があることを下問するため、能力はあるが身分の低い役人を召し出そうとしたときも、一人の儒者が反対した「ものには秩序がございまして、人間にも序列というものがございます」と。「わかった」と宣帝は言った「では、その序列をつくり直そう。役に立つか立たぬか、朕のつくる新しい序列はそれに従う」宣帝は序列のことを言った儒者を、昇殿の許されない低い地位におとし、下問したいと思っていた下役人を、高い地位に任じた。同じころ、渤海(ぼっかい)の地が凶作で盗賊がはびこった。遂(すい)という人物を長官に任じた。宣帝は遂を呼んで「どうやって盗賊を取り締まるか」と尋ねた。長官は「渤海は辺境の地で、人民が飢えても役人が救おうとしない。陛下は私に討伐をさせるのですか、民を安心させるつもりですか」「もちろん彼等を安心させたい」「それなら私を細かい法規で縛る事なくやらせて下さい」と言って現地に着くと、盗賊の捕縛を中止させ「今後、農具を持つ者は農民、武器を持つ者は盗賊と見なす」と布令を出した。それでも武器を持つ者を見ると剣や刀を売って牛を買わせ、長官自身で領内を見回って働くことを勧めたので郡の中が良く治まった。
(参考)
下問・・・目下の者や部下にものごとを尋ねること。
(小話293)「エジソンの連鎖」の話・・・
1879年、白熱電球を発明したエジソンは、ニューヨーク市で派手なデモンストレーションをやった。暗くなったマンハッタンの市街の中心で数百の電球がいっせいに輝いたとき、ニューヨークのみならず、世界中がその明るさに驚いた。明るくて、強くて、安くて、使いやすい電球が完成した。エジソンは、何とかしてアメリカ中の家庭にこの素晴らしい電球を普及させようと考えた。だが、誰も買わなかった。当時の個人の家庭には電力がなかったからである。そこでエジソンはまず発電機を完成させた。だが、発電機は高価すぎた。そこで、彼は安い電力を供給するために、水力発電、つまりダムを考えた。そのために彼は、強化セメントを作り出した。だが、ダムの工事のためには、数万の労働者を収容する小屋が必要である。そこで、彼は、ベニヤ板を考案した。ダムで電力ができても送電するためには、銅線を絶縁する絶縁体が必要になる。その当時、米国には絶縁体としてのゴムは知られていなかった。彼は、ブラジルから輸入したゴムを用いて絶縁体を作り出した。ダムが完成し、送電線が広がり、各家庭に電力が行き渡った結果、電球は、記録的な売れ行きを見せた。そこで余ったのがセメントである。アメリカ経済は急成長中であった。エジソンは、セメントを活用して高速道路網の構築することを提案した。こうして、電球の発明が、発電機、セメント、ベニヤ板、絶縁体、そして高速道路を連鎖的に生み出したのである。
(小話292)「薤露行(かいろこう)又は「シャロットの女」」の話・・・
    (一)
時はアーサー王の時代。アーサー王の妻・ギニヴィアと円卓の騎士の一人である「湖の騎士」とも呼ばれた勇士・ランスロットの二人は恋仲であった。貴婦人に対する愛は騎士の名誉の一つとはいえ、ランスロットのギニヴィアに対する愛は、不義であり、ギニヴィアは夫・アーサー王を裏切っていた。二人は罪深い恋におびえながらも逢瀬を重ねていた。そんな時、「北の方(かた)」で騎士たちが腕を競い合う試合が開かれることになった。先にアーサー王は円卓の騎士と共に「北の方」へ旅立った。病(やまい)を口実に後に残ったランスロットは王妃・ギニヴィアと逢瀬を楽しんでいた。だが、数多くの闘技で負けを知らない歴戦の勇士の心は奮い立った。「さらば行こう。後(おく)ればせに、勇士たちが集(つど)う北の方へ行こう」ランスロットはギニヴィアとの短い逢瀬の後、「北の方(かた)」の試合に参加するために、鋼(はがね)の鎧(よろい)と白い兜(かぶと)に身を固めて、槍(やり)を片手に黒い愛馬にまたがってアーサー王の宮廷から出発した。
    (二)
その道中に不可思議なことがランスロットの身に起った。それも、人知れず、彼自身さえもそれと気づかぬ内に、その奇妙な出来事は起きた。シャロットの地には、一人の美しい女が住んでいた。彼女はただ一人「高き台(うてな)」の中に閉じこもって暮らしていた。彼女は決してこの塔から外には出なかった。そして、じかに外の世界を見ることもなかった「ありのままなる世は、罪に濁(にご)ると聞く」。彼女が外の世界を見るのは、彼女の部屋にかけられた鏡を通してだけであった。この鏡は「黒鉄の黒きを磨いて本来の白きに帰す魔術師マーリン」の手になる魔法の鏡であった。シャロットの女は幾年月の久しき間、朝夕、鏡をながめては暮らしていた。彼女が外の世界を見るのは、この鏡を通してのみであった。シャロットの野に麦を刈る男や麦を打つ女の歌声も、また、谷や川を渡る、幽(かす)かなる水音も鏡を通じてのみであった。シャロットの道を行く人も、またことごとくシャロットの女の鏡に写った。女は、時には外の世界に憧れて思わず窓際に駆けよろうと思い立つこともあった。だが、魔術師マーリンの魔法は、シャロットの女が窓に眼を放つときは、シャロットの女に呪いのかかる時であった。シャロットの女は鏡の傍(かたわ)らに座って、夜ごと日ごとの潤iはた=タペストリー)を織(お)った。ある時は明るい潤iはた)を織り、ある時は暗き潤iはた)を織った。彼女の投げる梭(かび=糸を通す用具)の音は、静かなるシャロットの地に「あの世の音」のように洩れ聞こえていた。
(参考)
タペストリー・・・色とりどりの糸で風景・人物像などを織り出したつづれ織り。あるいは、その壁掛けなどのこと。
    (三)
  恋の糸と誠の糸を横縦に梭(かい)くぐらせば、手を肩に組み合わせて天を仰(あお)げるマリヤの姿となる。そのように、シャロットの女の眼(まなこ)は深く澄み、額は広く、唇は薄からず引き締まっていた。夏の日はのぼり、時刻を刻む砂時計は九度落ち尽して、今は昼過ぎであった。窓の外は眩(まば)ゆいほど明かるいのに、室(へや)の中は、夏を知らぬ洞窟(どうくつ)のように暗かった。梭の音がはたとやんで、女の瞼(まぶた)は黒い睫(まつげ)と共にかすかにふるえた。「凶事か!」と叫んで女は、鏡の前に駆け寄ったが、鏡の曇りはすぐに晴れて、川も柳も人影も元のように現(あら)れた。梭は再び動き出した。女は、やがて世にも悲しき声で歌いだした。「うつせみの世を、うつつに住めば、住みうからまし、むかしも今も。うつくしき恋、うつす鏡に、色やうつろう、朝な夕なに」こうして、永遠に続くかと思われた彼女の生活は、突如、破られた。鏡の中の柳の枝が風になびいて動いていたかと思うと、たちまち白銀(しろがね)の光がさして、遠くに砂ぼこりが立ち上がった。白銀の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近付いて来た。女は、瞬(またた)きもせずに鏡を見詰めた。やがて柳の木立ちを風の如くに駈け抜けたものを見ると、それは日光を浴びて輝く、黒馬に跨がり、鋼(はがね)の鎧(よろい)に身をまとった凛々しい騎士・ランスロットであった。
    (四)
  ランスロットは、真正面にシャロットの女の見つめている鏡にむかって進んで来た。そして彼が鏡を突き破って通り抜けるような勢(いきおい)で、いよいよ目の前に近づいた時、シャロットの女は思わず梭を抛(な)げて、鏡に向って声高く「ランスロット!」と叫んだ。一瞬、騎士の目とシャロットの女の目が鏡の中で出会った。さらに、シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、一気に窓の傍に駆け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出した。しかし、すでに騎士と馬とは、高き台(うてな)の下を、遠きに去る地震の如くに駆け抜けていた。こうしてシャロットの女は禁じられた行為を犯してしまった。やがて、ぴちりと音がして晧晧(こうこう)たる鏡はたちまち真二つに割れた。割れたる面は再び、ぴちぴちと氷が砕けるように粉微塵(こなみじん)になって室の中に飛んだ。七巻八巻織りかけたる絹はふつふつと切れて、鉄片と共に舞い上がり、紅の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸は、ほつれ、千切(ちぎ)れ、解け、もつれて土蜘蛛の張る網のようにシャロットの女の顔に、手に、袖に、長き髪にまつわった。「シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期(まつご)の呪を負(お)うて北の方(かた)へ走れ」とシャロットの女は両手を高く天に挙げて、五色の糸と氷とみまごう鏡の破片の乱れた中に倒れた。
    (五)
  その日の夜、宿を借りたある古城において、ランスロットは「運命的な出会い」をした。彼の前にエレーンという名の可憐な乙女が現れた。彼女はこの城の城主の娘であった。彼女は凛々しいランスロットの姿を一目見るや恋に落ちてしまった。エレーンは激しい恋の思いに駆られて、貞淑な乙女には許されない、大胆な行為にでた。その日の深夜、彼女は、ひそかにランスロットの寝室を訪れた「この深き夜を。迷えるか」と騎士は驚いて言った。「知らぬ路(みち)にこそ迷え。年(とし)古(ふる)く住みなせる家のうちを鼠(ねずみ)だに迷わじ」と女は微(かす)かなる声で答えた。しかしギニヴィアとの愛の泥沼に全霊を奪われているランスロットには、目の前のエレーンの存在が「運命の人」だとは気づかなかった。彼は惹(ひ)かれるものを感じつつもエレーンを突き放した。エレーンは自分の袖(そで)を試合の時につけてくれるよう頼んだ。そして試合の帰りには再びここに立ち寄ることも。ランスロットは承諾した。しかし、そのころ、先に帰っていたアーサー王と円卓の騎士の間では、王妃・ギニヴィアとランスロットの不義が露見し、告発されようとしていた。ランスロットも試合では、二十余人の敵と渡り合い勝ち進んでいたものの、何人かの槍(やり)を受け損じた傷が重なって深手になり、一時、死の淵(ふち)をさ迷ったが、まもなく回復した。だが、彼はまだ傷も癒(い)えないうちに「罪はわれを追い、われは罪を追う」という言葉を壁に残して、狂ったようにギニヴィアのもとへ帰って行った。エレーンのもとへは二度と戻ることはなかった。取り残されたエレーンは愁(うれ)いに沈み、彼女の脳裏に「死」の文字が去来した。
    (六)
  「死ぬ事の恐ろしきにあらず、死したる後にランスロットに逢いがたきを恐るる。去(さ)れどこの世にての逢いがたきに比ぶれば、未来に逢うのかえって易(やす)きかとも思う。芥子(けし)散るを憂(う)しとのみ眺むべからず、散ればこそまた咲く夏もあり」エレーンは食を断った。エレーンはやせ細ってゆき、やがて「天(あめ)が下に慕(した)える人は君ひとりなり。君一人のために死ぬるわれを憐れと思え」というランスロットへの遺言を残して死んだ。家族は遺言どおりに少女の亡骸(なきがら)を舟に乗せて川に流した。櫂(かい)を操(あやつ)るのは白髪の老人であった。エレーンを乗せた舟は、川を流れ下ってゆき、シャロットの地を過ぎるときには、いずくともなく悲しき声が聞こえてきた。「うつせみの世を、うつつに住めば・・・うつす鏡に・・・朝な夕なに」聞くのは死せるエレーンと白髪の老人。老人はただ長い櫂(かい)をこぐだけであった。やがて、舟はアーサー王の宮廷の前まで流れ着いた。アーサー王もギニヴィアも、城中の男女ことごとくが、この流れ着いてきた舟の周(まわ)りに集まった。エレーンの屍(しかばね)は凡(すべ)ての屍のうちにて最も美しかった。涼しい顔を、雲と乱るる黄金の髪に埋めて、笑っているように横たわていた。肉に付着するあらゆる肉の不浄を拭(ぬぐ)い去って、霊その物の面影を口鼻(こうび)の間に示して清らかであった。苦しみも、憂いも、恨みも、憤りも世の忌(いま)わしきものの痕(あと)もなければ土に帰る人とも見えなかった。アーサー王の宮廷を救ったかもしれない美しい乙女が、皮肉にも亡骸となって宮廷の前に横たわっていた。このようにしてシャロットの女の呪いは成就されたのであった。
(参考)
@薤露行・・・葬式の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)きながらうたう挽歌。人の死を哀しみ悼む歌。特に王侯貴人を送る時に歌う。
A魔術師マーリンの予言のもと、アーサーがブリテンの王となり、そこに各地から選りすぐりの騎士たちが集まり、「円卓の騎士」となる。ランスロットは円卓の騎士中、最も優れた騎士と言われた。
B「運命の人」「シャロットの女の呪いは成就」・・・ランスロットが「運命の人」エレーンとの愛を成就して結婚すれば、王妃との不義の恋が清算されて平和なアーサー王の時代がつづいたのだが、エレーンの死によってランスロットの破滅は避けられなくなった。(後日談・・・やがてアーサー王の妻・ギニヴィアとランスロットの不倫が露見し公け沙汰になることによって、アーサー王とランスロットの間に悲劇的な内戦が起き、これを契機にして、アーサー王と彼の輝かしい円卓の騎士たちは次々と命を落としていって全滅してしまう)
C正確な話は、夏目漱石の短編「薤露行(かいろこう)」を読んで下さい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/769_14939.html
「薤露行(かいろこう)」の表紙はこちらへ
「シャロット姫」(ウォーターハウス)の絵はこちらへ
「シャロットの女」(ウォーターハウス)の絵はこちらへ
「シャロットの女」(ウォーターハウス)の絵はこちらへ
「シャロットの女」(アーサー・ヒューズ)の絵はこちらへ
「シャロットの女」(ウィリアム・ホルマン・ハント)の絵はこちらへ
(小話291)「キツネの仕返し」の話・・・
民話より。昔のこと、ある村に山伏が住んでいた。ある日、行(ぎょう)に出かけた時に、お寺の境内でキツネが昼寝をしているところに出会った。山伏は、いたずらしてしてやろうと、キツネの耳にほら貝をあてて思い切りブァッーと吹いてみた。するとキツネはびっくり仰天して逃げていってしまった。遠くに逃げてから、キツネはなんとかして山伏に仕返ししてやろうと考えた。それで、キツネは池に行って水に影をうつし、山伏に化(ば)けるところを田んぼで働いている人たちにわざと見せつけて、急いで遠くに行ってしまった。しばらくすると、本物の山伏がその働いている人のところを通りかかった。すると人びとは「この化けギツネめ。またずうずうしく来やがったな。なぐり倒してやれ」と言って、棒やげんこつでなぐりつけた。山伏はわけがわからず、傷ができるやら、こぶができるやら、泣きっつらでやっと家に帰ったという。
(小話290)「合掌する老婦人」の話・・・
  (一)
あるお年寄りの話。彼が昭和50年頃、地方の家庭裁判所の調査官として勤務していたときのことである。仕事の関係で時々帰宅が夜更けになることがあった。ある夜、彼が家に向かって川の橋のたもとまで来たとき、堤防に向かって合掌をする1人の老婦人に気づいた。初めは気にとめなかったが、それからは月に一度は出会うようになったので、不思議に思っていた。ある日、彼は思い切って、何をしているのですか、と聞いてみた。すると、その老婦人は次のような話をした「戦後、私は3人の男の子を抱えて戦争未亡人になりました。空襲で焼け出され、掘っ立て小屋に住み、和裁仕立てで細々(ほそぼそ)と生活していましたが、食べ盛りの子どもを抱えて、着ることはもちろん、食べることにも行き詰まり、一家心中を考えて昭和21年2月14日の寒い夜、母子4人、空腹に耐えつつ川端にしゃがんでいました。そのとき、一人の行きずり農家の青年が声をかけてくれました。生きる望みを失った私たちの様子を知って、その方は、妹さんの嫁ぎ先に持参する途中の、貴重な米1升(しょう)を差し出し「妹にはまたやる機会がある。今生の見おさめに3人の子に腹いっぱい食べさせてやってくれ」と言い残すと、今来た方角の堤防に、名も告げずに去っていかれました。時計はなかったものの、11時ごろかと思われました。死出(しで)の旅路で巡り会った見も知らぬ人の情けが身にしみ、帰って1升の米を全部炊き、20個余りのおむすびをつくって子どもたちに食べさせようとしました。すると子どもたちが「明日のためにおかゆで我慢する。今いっぺんにおむすびを食べてはもったいない」と言いました。そこで初めて「明日」ということにハッと気づき、おむすび4個をおかゆにして母子4人で食べました。そのとき、死神につかれていた心に光が走り、生きるんだ!と思いました」
  (二)
「そう思うと同時に1つの知恵が浮かびました。このおむすびをおかゆにしても1週間ともつまい、結局は死ぬしかない、それよりこれを元手に増やすことだ、と。そして、あくる日の朝、駅前のヤミ市におむすびをもっていくと、またたく間に高値で売れました。そのお金をもって田舎でお米を仕入れ、またおむすびをつくって売るということを繰り返しました。そうするうちに3人の子どもにもなんとか食べさせる余裕ができてきました。ほかにもいろいろなものを町と農村に行商してお金を得ました。やがて遺族年金ももらえるようになり、十数年後には子どもを全部大学にやり、家も新築しました。今では子どもたちも東京と大阪で立派に暮らしています。この幸せは、ただ一度しか会わなかった、闇でよく顔も分からぬ、名も知らぬ人のおかげです。その恩を忘れぬために、30年近く、毎月14日の晩11時ごろにこの場所にきて、今も印象だけは鮮明に残っているその後ろ姿が消えた跡に、感謝の祈りをささげているのです」
(小話289-1)「釈迦の十大弟子 (じゅうだいでし)」の話・・・
       (一)
釈迦の10人の主要な弟子のことを十大弟子 という。
(1)舎利弗 (しゃりほつ)・・・智慧第一。「般若心経」では仏の説法の相手として登場する。
(2)目連 (もくれん)・・・神通第一。舎利弗とともに仏弟子となった。目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が「盂蘭盆会 」(うらぼんえ)の起源になった。(注)神通とは普通では見たり、聞いたり、感じたり出来ないことを感じ取る超人的な能力のこと。
(3)摩訶迦葉 (まかかしょう)・・・頭陀(ずだ) 第一。釈迦の死後その教団を統率し、500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集し、教えの奥義を直伝する第一祖となった。(注)頭陀とは衣・食・住にとらわれず、清浄に仏道を修行すること。
(4)須菩提 (しゅぼだい)・・・解空第一。空を説く大乗経典にしばしば登場する。(注)解空とは空を良く理解していること。「色即是空、空即是色」の空で、物事にとらわれない、執着しないという教え。
        (二)
(5)富楼那(ふるな)・・・説法第一。弁舌さわやかで、解りやすいお説教をすることで有名。60種類の言語に通じていた。
(6)迦旃延(かせんねん)・・・論議第一。子供の頃から聡明で、一度聞いた講義の内容は忘れず良く理解したと言われる。
(7)阿那律 (あなりつ)・・・天眼第一。釈迦の従弟で阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼を得た。(注)天眼とは何でも見通す真理を見る眼=天眼通のこと。
(8)優波離(うぱり) ・・・持律第一。もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。第一結集においては、彼の記憶に基づいて戒律が編纂された。
(9)羅喉羅(らごら)・・・密行第一。釈迦の息子。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧)となる。(注)密行とは緻密(ちみつ)で、手抜かりのないこと
(10)阿難 (あなん)・・・多聞第一。釈迦の従弟。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の世話をした。第一結集のとき、彼の記憶に基づいて経が編纂された。(注)多聞とはお釈迦さまの説法をもっとも沢山聞いたということ。
(小話289)「維摩居士(ゆいまこじ)と仏陀の弟子」の話・・・
   (一)
「維摩経」は、大金持ちの俗人・維摩居士が仏陀の十大弟子達を次々に論破する物語で、弟子達は、厳しい修行を積み重ねて仏陀の教えを理解しているつもりだったのが、維摩居士の何気ない質問によって、弟子達の理解の浅いところが浮き上がってくる。弟子達は、実は世間から離れて修行をしていたため、俗人がどのような考えで、どのような暮らしをしているのかを理解していない。資産あるものには貧民の苦しみがわからないし、賭博をしたことがなければ賭博に溺(おぼ)れる者の気持ちもわからない。異性に惑(まど)う者、酒に負ける者等、自ら体験しなければ思いやることはできない。維摩はそのために俗人達と交わっているのである。仏陀の十大弟子達は当然そのような体験はないので、高みから説法を説いているだけであり、俗人の気持ちはつかめないのである。
   (二)
舎利弗(しゃりほつ)は仏陀の一番弟子だが、維摩居士に次のように言われる。「煩悩多きものは、欲を遠ざけ、坐禅をして修行をしますが、いつまでもそのような形にとらわれていてはいけません。体へのこだわりも捨てなければなりません。あなたは、欲を恐れてはいませんか。無心であれば、欲にとらわれることはありません。心が清く、迷いがなければ、寝転がっていても解脱できるのではありませんか。メシを食いながらでも、悟りは得られるでしょう。仏陀第一の弟子のあなたが、そのような形にこだわっていてはいけません」などと言われ、舎利弗は返す言葉もなかった。
   (三)
仏陀の二番弟子の弟子・目連(もくれん)も維摩居士から次のように言われる。「あなたは、十二縁起などといった、いかにも深遠な言葉を使って、高みから人を見下すように教えを説いていませんか。あなたの言葉は、妖術使いの虚妄の世界の言葉と同様に空しいものです。真理は、言葉にできない言葉なのです。真理と一体にならないと、真理はあなたのものにはなりません」と。
   (四)
また、ある弟子は運ばれた豪華な料理を口にしようとしなかった。それを見て、維摩居士は「あなたは、食欲に負けることを恐れている。食欲も空であるから、食欲にとらわれることはないでしょう」と言う。 このように維摩居士は世間の欲のなかにあって、欲にとらわれない術を心得ていたのである。
(小話288)「役に立たない木とガチョウ」の話・・・
中国の戦国時代の思想家・荘子(そうし)が儒者の弟子と山を歩いていると、葉が生い茂った大きな木が何本も立っていた。一本の木の前にいた木こりが「役に立たないからこんなに大きくなってしまったのだ」と言った。山を降りて荘子が友だちの家に訪れた時、友達は、酒のつまみとしてガチョウをご馳走すると言う。ガチョウは二匹おり、一匹は鳴き、もう一匹は鳴かない役立たずだった。すると、鳴かないガチョウが料理された。帰り道で弟子は荘子に「一方は役に立たない木が長生きして、一方は役に立たないガチョウが殺されてしまった。同じ役立たずなのに、どうしてなのですか?」と尋ねると荘子は「世の中の道徳は相対的なもので、有用も無用も固定したのもではない。一番いいのは変化に身をゆだねて有用にも無用にもこだわらないのさ。つまり、自然の道の上を浮遊すればわずらいから逃れることができる」と言った。
(小話287)「石の花」の話・・・
   (一)
孤児のダニーロは、やせっぽっちな哀れな少年だった。いつも虫や植物に見とれて、自分のすることをすっかり忘れてしまい、どこにいっても仕事が勤まらなかった。あるとき、孔雀石(くじゃくいし)職人の弟子見習になって、ダニーロはその仕事にすっかり魅せられてしまった。親方はダニーロが自然の美の本質を見抜く卓越した目を持っていることにすぐに気が付き、ダニーロを養子にして彼に石職人の仕事の全てを教えた。ダニーロは、すぐに誰よりも孔雀石を美しく彫り上げて、花びんや飾り皿などの装飾品を作る立派な職人となった。皆がダニーロに感嘆の声を上げた。だが、ダニーロはどんなにみごとな作品をつくっても、満足することができなかった。養父も仲間も婚約者も、領主の望みどおりのものができればよいという。しかしダニ−ロは、孔雀石の魅力をもっと生き生きと表現したいのだ。石に命(いのち)をふきこみたいのである。ある日、不思議な話を聞いた。山の女王(孔雀石の女王)の宮殿に咲く「石の花」をひとめ見ると、本当の美しさとはどういうものか、わかるのだと。だが、この「石の花」をひとたび見たものは、この世の中がつまらなくなってしまい、もう元の世界へは戻れなくなるという。「石の花」という誰もみたことがない伝説の花の話を聞いたダローニは、それ以来そのことが頭から離れなくなり、ある日とうとう、年老いた父親がわりの親方と婚約者カ−チャを置いてきぼりにして、山の女王に会いに出かけた。
(参考)
孔雀石(マラカイト)・・・美しい緑色をしている柔らかいガラス光沢の鉱物で、彫刻や顔料の材料に使用される。縞模様が孔雀の羽の模様に似ていることから孔雀石と呼ばれる。
   (二)
山の女王は、ダニーロの熱意に打たれて、彼を宮殿へといざなった。その庭園はすばらしい眺めだった。みごとな大理石の森、繊細な美しさの蛇紋石の林が続いて、野原にはルビーやサファイアの花が咲き、蝶々の羽根は虹色のオパールが煌(きらめ)いていた。ダニーロがきらびやかな石の世界にうっとりしていると、やがて大広間へ通された。そこに咲いていたのは巨大な「石の花」であった。厳そかでもあり、激しく輝き、美しすぎて不気味なほどであったが、しかし見れば見るほど清らかであった。ダニーロの魂はしびれていった。ふっと気がつくと「石の花」の周囲には、「石の花」の魔力に取り付かれてしまった、数多くの石細工師たちが一心不乱に鑿(のみ)をふるっていた。一方、結婚式の前夜に姿を消してしまったダニーロを待ちつづけるカーチャは、みんなから「死人の花嫁」として笑いものになり、家族からも縁を切られてしまった。女一人で生きていかなくてはならないため、カーチャは自分一人で孔雀石の飾り台をつくりだした。やがてカーチャは、一人前として人々に認めてもらえるようになった。だが、どうしてもダニーロのことが忘れられなかった。ある日、カーチャは意を決して、山の女王のもとにダニーロを連れ戻しに行った。ダニーロは、山の石細工師たちの親方になっていたものの、ひとときも村のことも、カーチャのことも忘れることができなかった。カーチャと出会ったダニーロは「石の花」のことは忘れてしまってもいいから、村へ帰りたいと山の女王に言った。山の女王は二人の愛の深さを喜んで、ダニーロから「石の花」の記憶を消し去った。そして、二人は村に帰り、誰も敵(かな)わないような素晴らしい孔雀石の装飾品を作りながら幸せに暮らしたという。
(参考)
ロシアの作家パーヴェル・ぺトロービッチ・バジョーフの「石の花」(佐野朝子訳)より。
(小話286)「龍を好んだ金持ち」の話・・・
中国のある金持ちの主人は、とくに龍を好んだ。鈎(かぎ)や鑿(のみ)などの小道具に龍を描き、部屋の中のあらゆるところに龍の文様を刻み込んだ又、掛け軸も龍なら、すべての襖(ふすま)も龍の絵にしていた。天上の本物の龍はこれを聞いて喜び、金持ちの主人ところにおりてきた。金持ちの広い屋敷に近づくと、龍は頭をニューッと出して窓から中をのぞき込んだ。龍の尾は広い屋敷の外に揺れているというほど大きかった。金持ちの主人はこれを見ると恐怖にかられて逃げ出した。身も心も消し飛んでしまうほどであった。金持ち主人は、本物の龍を好んでいたわけではなかった。彼が好んだのは、実は、本物ではなくまがいものの龍なのであった。
(参考)
龍(竜)・・・中国では、古来、龍は地上の水(海、湖、池、川)の支配者であり、また、地上に雨となって降る天の水、雲や風、稲妻や雷の支配者であるとされていた。龍は千年ごとに成長すると言われ、最初は「蟠」(ばん=最下位の龍で、天にも昇れない)→「蛟」(みずち=鮫龍・水霊とも書く。大蛇のこと)→「虹」(にじ=古代、虹は龍の一種で恐ろしいものと考えられていた)→「蜃」(しん=蜃龍は気を吐いて蜃気楼を見せる龍)→「龍」(最高位ですべての特性を持つ)になるという。
(小話285)「アンナ・ジャーヴィスと「母の日」」の話・・・
    (一)
アンナ・ジャーヴィスは、1864年にグラフトンで生まれた。彼女は大人になってからはペンシルバニア州フィラデルフィアに住んでいたが、小さい頃から慣れ親しんだ田舎の生活を懐かしみ、いつもホームシック状態であった。その中心には彼女の母親の思い出があった。母親クララ・ジャーヴィスは、生きていく為に大学進学の夢を諦(あきら)めて、かなり年上の男性と結婚した。彼女は、恵まれない境遇に加えて、早くに夫を失い、残された11人の子供のうち7人までを亡くすという不幸に見舞われた。しかし、神への信仰を持ち続け、ウェブスターの教会で26年間も教会学校教師をしていた。母親クララは、1905年の5月に過労から病気で亡くなった。その尊敬する母親に対して自分が出来たことは、立派なお葬式を出してあげられたことだけだと、アンナはいつも後悔していた。そこで、母の命日に彼女の追悼式を開き、その式で母親が好きだったという白いカーネーションを捧げ、式の参加者に母を偲(しの)んで一輪ずつ手渡した。アンナ・ジャービスの追悼会の模様が噂となり、米国初の百貨店経営者として知られた実業家であったジョン・ワナメーカーもこの話を知った。そして、「母の日」の主旨に賛同したワナメーカーは翌1908年に、早速自分の経営するシアトルの百貨店で「母の日」の催しを行った。
    (二)
一方、この頃アンナは所属する教会のオルガン奏者であり、日曜学校の先生もしていた。当時は6月の第二日曜日が「子供の日」として教会で様々な催しをする日であり、それに携わっていた彼女は「母に感謝する日を祝日にすること」が出来ないものかと思い立ち、政治家、新聞社、教会のリーダー達などに手紙を送り、「母の日」を祝日として認めてもらうよう運動を始めた。彼女が5月末のメモリアルデー(戦没者を偲ぶ日)に近い日にちに「母の日」を決めたかったのは、戦争で子供を亡くした母親の犠牲がどんなに大きかったかを同時に考えてもらいたいと思ったからでもある。「母の日」として最初に会合が開かれたのは1908年の5月であった。以後、「母の日」の運動は全米へと広がっていき、1914年には当時の大統領であったウッドロー・ウィルソン(牧師の家庭に生まれ育った敬虔な信者であった)が認可し、1920年代には既にアメリカでもっとも身近な祝日になっていた。そして、アンナ・ジャービスの提案で、母の存命する者は赤いカーネーションを、母を亡くしたものは白いカーネーションを胸に付けるようになったといい、これが慣習化して今の「母の日」まで受け継がれている。
(小話284)「ドッド夫人と「父の日」」の話・・・
「父の日」を提唱したソナラ・ドッド(ジョン・ブルース・ドッド夫人)はアメリカ北西部開拓者一家の少女で、彼女は、ゆったりと波打つ大草原に6人兄弟(男5人、女1人)の中で育った。ソナラ・ドッドの父親は北軍の軍曹で、南北戦争の英雄・ウイリアム・ジャクソン・スマートであった。ソナラ・ドッドの母親は、夫のウイリアムが北軍に召集されて南軍と戦っている間、女手一つで働きながら一家を支えてきた。そのため母親はすっかり体をこわしてしまい、戦争が終わって父親の復員後、間もなく亡くなってしまった。それ以後、父親は男手一つで6人の子どもたちを立派に育てあげた。父親は再婚もせず、6人の子供たちを立派に成人させた後に、病を経て天に召された。6人の子供たちは、この父親を心から愛し、尊敬していた。父親が6月生まれだったため、結婚してドット夫人となっていた、ソナラ・ドッドは自分が通う教会の牧師に頼み、6月に「父の日」を祝う礼拝をしてもらった。それが1909年6月19日の第3日曜日であった。そしてさらに、ドット夫人は「父親を尊敬し祝う日」をアメリカ合衆国として設けるよう「聖職者同盟」に嘆願した。前年(1908年)に「母の日」が制定されたばかりだったので、彼女は当然「父の日」もあるべきと思ったのである。これがもとで、ワシントン州では6月の第3日曜日が「父の日」となった。それから、幾人かの大統領によって「父の日」に関する声明などが出されたが、実際に国民の祝日として定められたのは、1972年のことであった。「父の日」は「家族を幸福にするために、自己犠牲を厭(いと)わない父に対する感謝を表す日」で、「ウイリアム・ジャクソン・スマート氏」の墓前には「父の日」になると白いバラの花をブルーのリボンでつつんで供えられた。
(小話283)「美と愛の女神・アフロディーテ(ビーナス)と軍神アレス」の話・・・
    (一)
ギリシャ神話より。母・大地ガイアのために、クロノスが神々の王で父でもある天の神・ウラノスを倒したときに、クロノスはウラノスの男根を大鎌で切り飛ばした。その男根が海を漂っているうちに白い泡へと変わり、その中からとても可愛いい女の子が生まれた。波間をゆらゆらと漂(ただよ)いながら女の子は乙女へと成長していき、ついには地中海の東の端のキプロス島に流れ着いた。その瞬間、島は美しい花に覆われ、甘くかぐわしい香りが風に乗った。こうして、美と愛の女神アフロディーテが誕生した。「あら、何と言う美しい娘。私たちがきれいに着飾って世界一美しい女神にしてあげるわ」生まれたままの一糸まとわぬ姿のままだった彼女は、季節の女神ホラたちに着飾られて、オリンポスの神々のところへ案内された。その美しい女神を最初に見つけたのは愛の神エロスで、彼はこのときからアフロディーテに従うようになった。アフロディーテが神々の前に現れると、男神たちは一目で彼女の虜(とりこ)となった。誰もが結婚を申し込みたいと本気で考えた。それほどまでに、彼女は美しさと魅力に溢(あふ)れていた。しかし、アフロディーテは恋の女神。彼女の仕事は、欲望をかきたてる恋が職業であった。驚いたことにアフロディーテは、老人で、背が低く足が不自由で神々の中では一番醜(みにく)い火と鍛冶の神・ヘパイストスと結婚した。しかしそれは、神々の王・ゼウスが、息子のヘパイストスが雷を作ったので、その褒美にアフロディーテを妻に与えたからである。
    (二)
結婚をしたものの美と愛の女神・アフロディーテは恋の神であるから、多くの浮気をした。それは夫・ヘパイストスの醜さを嫌ってのことでもあった。多くの浮気の相手(神ヘルメス、海神ポセイドン等)のうち軍神アレスがいた。アレスはゼウスとヘラの息子だが、その残虐な性格から神々や人間に嫌われていた。それでもアフロディーテが浮気相手に選んだのは、彼がたぐいまれなる美男子だったからである。一方、ヘパイストスはそんなことに全く気付かなかった。老人で実直な彼は妻を疑うことをしなかった。それを見かねた太陽神ヘリオスが彼に告げ口をした。「君の妻、アフロディーテは、どうやらアレスと浮気をしているようなんだ」それを聞いたヘパイストスは力なくうな垂れた。妻の姦通を知ったヘパイストスは、怒りにたぎり立つ胸をおさえて、鍛冶場へ行き、細い、透(す)き通った糸で魔法の網をこしらえて、それを寝室にそっと仕掛けておいた。罠を掛けれられているとも知らずに、アフロディーテとアレスは寝室に入った。アレスは彼女を抱き上げてベッドに運び、そのまま二人でもつれ込んだ。すると二人の上から蜘蛛の巣のような網がかぶさって二人を「目に見えない網」が捕らえた。もがいたところでその網が破れるわけではなく、むしろ一層、絡(から)まっていった。二人は裸で抱き合ったまま動けなくなってしまい、神々一同の笑いものになった。しかし、アフロディーテとアレスとの間には、多くの子供が生まれた。
(参考)
(1)キューピッド(又は、エロス=可愛らしい愛の神。父はアレス)
(2)アンテロス(愛に対して愛を報いる神。父はアレス)
(3)デイモス(恐怖の神。父はアレス)
(4)フォボス(不安・逃走の神。父はアレス)
(5)ハルモニア(調和の女神。父はアレス)
その他にも、
(6)ヘルマプロディトス(両性具有の神。父はヘルメス)
(7)アイネイアス(ローマの祖神。父はアンキセス)
※デイモスとフォボスは、火星(アレス)のまわりを回る二個の衛星の名前として今に残っている。
「ヘパイストスに驚かされるアフロディ ーテとアレス=アレスはベットの下で、赤ん坊はエロス(キューピット)」(ティントレット)の絵はこちらへ
(小話282-2)「父・クロノスと子・ゼウスの闘い」の話・・・
   (一)
ギリシャ神話より。神々の王となったクロノスは、父ウラノスの「やがてお前も自分の息子に王位を退けられる」という予言に悩まされた。クロノスは姉のレイアを妻としたが「神々の王座は譲らない」とするクロノスは、妻・レイアとの間にできた子供五人を次々と自分の腹に飲み込んでしまった。この五人の名は、ヘスチア、デメテル、ヘラ、ハデス、ポセイドンであった。六人目を宿したレイアは母の大地・ガイアに相談した。「お母様、何かいい知恵を授けてください。私はこの子が成長した姿を見たいのです」「いい考えがあります。耳をお貸しなさい」知恵を授けられたレイアは、陣痛が始まると夫に隠れてクレタ島に行き、男の子を無事に出産した。これが、後の神々の王・ゼウスである。レイアは、そのまま赤ん坊をガイアに預けて、夫のもとに一目散に帰った。そして赤ん坊の代わりに大きな石を産着(うぶぎ)にくるんでクロノスに渡した。クロノスは何の疑いもせず、一気にそれを飲み込んだ。こうして、神々の王・クロノスの傲慢と横暴振りはますます激しくなり、兄弟の巨神族(ティタン族)達と世界を荒らし回った。
   (二)
一方、クロノスの手から逃れた赤ん坊のゼウスは、洞窟でニンフ(妖精)達に養われた。精霊クレタスはゼウスの泣き声が天界に届かないように槍で盾(たて)を打ち鳴らして守護した。山羊の乳と蜜蜂の密を沢山与えられた赤ん坊は、やがて逞しい男の神に成長した。ゼウスは、飲み込まれた兄弟達を助けようと大地ガイアに教えを仰いだ。するとガイアは吐き薬をゼウスに渡して言った「クロノスを騙(だま)して、これを飲ませなさい」ゼウスはクロノスを騙して吐き薬を飲ませた。強烈な吐き気をもよおしたクロノスはたまらずに腹の中のものを次々と吐き出した。まず、ゼウスの代わりに飲み込まれた大きな石、次に後の海の神となるポセイドン、冥界の王ハデス、ゼウスの妻となるヘラ、豊穣の女神デメテル、竈(かまど)の女神ヘスチアと、母レイアから生まれた順番とは逆の順番で吐き出された。そのために、末っ子のゼウスが長兄として敬(うやま)われるようになった。こうして助け出された兄弟達はゼウスと共にオリュンポス山に立てこもり、クロノスに対抗した。クロノスも兄弟である巨神族達と共にオトリュス山に立てこもり、ここに十年の歳月かけた闘いが始まった。
(参考)
@吐き薬を飲ませた・・・オケアノスの娘メティスの作った秘薬を混ぜた神々の飲み物ネクタルをクロノスに飲ませたという説もある。
   (三)
全ての母である大地ガイアは、クロノスの傲慢と横暴に見かねていたので、ゼウス達に大地の底に閉じこめられた巨人、ヘカトンケイルとキュクロプスのことを教えて彼らを助け出すことを勧めた。こうして、ゼウス達は新たに強力な味方を得た。三人のヘカトンケイルは百本の手で大岩を投げ、三人のキュクロプスは大地の底から持ってきた雷と稲妻をゼウスに与えた。大きな戦力を得たゼウス達は遂(つい)にクロノス達を破り、彼らを闇の世界タルタロス(地獄)に閉じこめた。タルタロスの城門には大きな鉄の扉をはめ込み、ヘカトンケイルを見張り役にした。ゼウスは世界を二人の兄(ポセイドンとハデス)と分かち合い、自分は天を、ポセイドンは海を、ハデスは地下の世界を治めることとし、大地は他の神々の物とした。こうして、世界を荒らし回ったクロノスの時代は終わり、オリュンポスの神々の時代となった。
「クロノスとゼウスの闘い」の絵はこちらへ
(小話282-1)有名な「天地創造と神々の誕生」の話・・・
     (一)
ギリシヤ神話より。この世の最初に生まれたのがカオス(混沌)で、カオスは何もかも、全てのものがごちゃ混ぜになって存在しているものであった。そこから大地ガイアが生まれ、女神である彼女は眠りながら一人で四人の子を産んだ。天の神ウラノス、海の神ポントス、暗黒の神エレボス、愛の神エロスである。彼女はこの世のあらゆるものを創造し、いまのこの世界を作った女神でもある。やがて彼女は、子であるエロスの働きにより、自分の息子である天の神ウラノスと交わり、十二人の子を生んだ。これらの神々が巨神族(ティタン族)といわれる古い神々で、六人の男の神と六人の女の神がいる。大地ガイアと天の神ウラノスの二人は、地上に木、花、鳥、獣を生み出した。さらに、天の神ウラノスは雨を降らせ、川や湖や海ができた。しかし、大地ガイアが次に生んだ子供は醜いものばかりだったので、神々の王である夫のウラノスはこれを嫌った。額の真ん中に丸い目をもつ一つ目の巨人キュクロプスが三人、頭が五十で手が百本ある怪人ヘカトンケイルが三人で、天の神ウラノスは大地の奥底、タルタロス(地獄)、つまり、妻の大地ガイアの腹の中に六人のわが子を閉じ込めてしまった。この仕打ちにたまりかねた妻のガイアは夫・ウラノスへの復讐を心に決めた。
(参考)
@六人の男の神・・・ヒュペリオン、オケアノス、コイオス、クレイオス、イアペトス、クロノス
A六人の女の神・・テイア、テテュス、フオイベ、テミス、レイア、ムネモシュネ
     (二)
大地ガイアはアマダスという硬い金属で岩をも切り裂く大鎌をつくって、十二人の男神と女神の子供たちに言った。「誰かこの大鎌を使って天の神・ウラノスを殺せるものはいないのか?」子供たちにとって、ウラノスは天の神であり、神々の王であり、自分たちの父親である。誰も前に進み出ようとはしなかった。大地ガイアが諦めかけたそのときに「私がウラノスを討ちましょう」と名乗り出たのは巨神族(ティタン族)の末っ子のクロノスであった。クロノスはみなの中で誰よりも若いものの、知恵、腕力、勇気では一番優れていた。「できるのか?」「はい、母上」。そして、夜になって何も知らない天の神・ウラノスが星のマントをまとって天から降りてきた。いつもどおりに大地ガイアの上に覆いかぶさった。暗闇に身をひそめていたクロノスは、その瞬間に飛び出して、大鎌を大きく振りかぶってウラノスの男根を切り飛ばした。すぐさまクロノスはそれを海に投げ捨てた。天の神・ウラノスは叫んだ「クロノス……この父を裏切ったな」クロノスは答えた「母上の意思です」「いいことを教えてやろう、未来の神々の王よ。お前もまた、わが子に神々の王の座を奪われるだろう」そう予言して、ウラノスは男根の切り口から血を流して死んでいった。このとき、海に投げ捨てられた男根は海の泡と消え去り、その泡からは、美と愛の神・アフロディーテ(ビーナス)が誕生した。そして、流れた出たドス黒い血は大地に染み、そこからは恐ろしい復讐の女神・エリニュスたちが生まれた。
「初期の神々の系図」はこちらへ
「ガイア(大地の女神)」(アラ・パチス博物館)の絵はこちらへ
「クロノス(時の神)とウーラノス(天空)」(ジョルジョ・ヴァザーリ)の絵はこちらへ
(小話281)有名な「刎頚(ふんけい)の友」の話・・・
    (一)
  秦(しん)と趙(ちょう)の間に戦争が起こり、秦は趙に勝っていたが、あるとき秦のほうから和解しようと申し出があり、会合を開く事になった。趙王には藺相如(りんしょうじょ)がついていくことになった。秦王は盛大な宴会を開いて趙王たちをもてなした。そして、宴会が盛り上がってきたところで秦王が趙王に言った。「趙王は音楽が好きだと聞いているが、ひとつ琴でも弾いてくださらないか」しかたなく趙王が琴を弾くと、秦王は記録係に「秦王、趙王に命じて琴を弾かせる」と記録させた。すると、藺相如が進み出て秦王に言った「秦王は秦の音楽に堪能だと伺っております。ひとつこの瓦盆(かわらぼん=瓦の器)を打って宴会を盛り上げてください」しかし、秦王は嫌がって断った。そこで藺相如は言った「我が趙王は余興として琴を弾きました。秦王にもやっていただきます」藺相如の気迫におされて、秦王は仕方なく瓦盆を打った。そこで藺相如は記録係に「秦王、趙王のために瓦盆を打つ」と記録させた。次に、秦の高官が進み出て趙王に言った「趙王様、我が秦王の長寿を祝って趙の国の15の城を献上されてはいかがでしょうか」すると、藺相如はすぐに答えた「それよりも、秦の都の咸陽(かんよう)を献上して趙王の長寿を祝ってはいかがでしょうか」こうして藺相如のおかげで趙は秦と対等の立場を保つことが出来た。そして、この功績により藺相如は上卿(じょうけい)という位についた。
    (二)
  さて、趙の国にはやはり上卿の位に廉頗(れんぱ)という将軍がいたが、藺相如は同じ上卿でも廉頗将軍より位が高くなってしまった。そこで、廉頗は怒って言った「私は趙の総大将として数々の功績をあげてきた。しかし、藺相如は口先だけでの働きでしかない。しかも身分もわからぬ食客だった男だ。そんな男の下にいる事は我慢できない。今度会ったら辱(はずかし)めてやる」この話は藺相如の耳にも入り、それ以来、廉頗と顔を会わせることの無いよう病気と偽り外出をしないようにした。そんなある日、藺相如は家の者に外出をすすめられ、馬車で出かけることにした。すると、向こうから廉頗が馬車でやってくるのが見えた。あわてて藺相如は自分の馬車を陰に隠して通りすぎるのを待った。これを見た家臣たちは藺相如に言った「私たちがあなた様にお仕えしているのは、あなた様の高潔な人柄を慕っているからです。今あなた様は廉頗将軍と同じ身分になられました。しかし、廉頗将軍を恐れて逃げ隠れをされております。今日の出来事は匹夫(ひっぷ=身分の低い人)でも恥ずかしいと思う事でしょう。しかし、あなた様はそれを恥ずかしいとも思われていないご様子。もう私たちはこれ以上お仕えする事は出来ません。どうかおひまを下さい」
    (三)
  すると藺相如は言った「おまえたちは、廉頗将軍と秦とではどちらが恐ろしいと思うか」「それは秦です」「私はその秦と二度にわたって堂々とわたりあって来た。その私がなぜ廉頗将軍を恐れるものか。あれほど強大な秦の国がなぜこの趙を攻めないのかというと、それは私と廉頗将軍がいるからである。今二人の間がうまくいかなくなってしまったら秦の思う壺である。私が廉頗将軍を避けているのは個人の争いよりも国家の争いの方が大切だからである」家臣たちは、これを聞いて自分たちの主人の偉大さにあらためて感心した。そして、この話は宮中にも伝わり、廉頗の耳にも入った。廉頗はもろ肌を脱ぎ、荊(いばら)の鞭(むち)を背負って藺相如の家に行ってこう言った「私は藺相如様の心も知らず愚かな態度をとりました。どうかこの荊の鞭で私を打ってください。どれだけ打たれようともあなた様の今までの苦しみをつぐなえるとは思いませんが、私は穴があったら入りたいほど恥ずかしい気持ちです」藺相如は廉頗に着物を着せ、それから2人は酒を飲みながら、お互い相手の為に頚(くび)を刎(は)ねられても悔いはないと言い合い、とても親しくなった。