美濃国厚見郡に所属、独立村として「六条村」「清村」「宇佐村」がありました。 |
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<小学校の始め> |
明治4年 岐阜県が定められ学校は明治6年7月「宇佐村」に探古義校、同年8月「六条村」に聞々義校設立されました。
明治6年7月の調べ 「宇佐村」探古校 在籍数 |
男子 28名 |
女子 11名 |
〃 年8月の調べ 「六条村」聞々校 在籍数 |
男子 68名 |
女子 16名 |
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<三里村の誕生> |
明治29年4月 県下郡廃置及び郡界変更法が公布され新しく県下は十八郡になり、翌30年4月1日から実施されました。
当地域は、厚見郡内でしたが厚見郡は各務、方県郡と共に無くなり合併して稲葉郡を新設したので、稲葉郡に含まれることになり、従来の「六条村」「清村」「宇佐村」は連合して組合役場を置いていたのが合併して『三里村』となりました。これは、三つの村里が合併した事を、新しい村名で明らかにしたのであります。
これより三里村三里小学校となる基が確立し、38年続きました。
三里村の岐阜市合併は、昭和10年5月31日でした。
その頃 岐阜市附近の本荘村、日野村(昭和6年合併)長良村(同7年)島村(同9年)等、すでに合併編入し 三里村、鷺山村も廃村され編入、6月1日より施行しました。現在 地名、町名で「三里」と呼称する所はありませんが 施設の名称は、三里小学校、三里公民館、三里保育所、三里南団地・北団地、集会所又民間団体等で三里支店、出張所、診療所等『三里』の呼称を使用しています。 |
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