一里塚(いちりづか)

一里塚跡の石碑 中仙道には1里ごとに土を盛った塚があって「一里塚」と呼ばれていました。
中仙道をはさんで北側は、本庄村の古瀬和、南側は、清村に築かれており、その塚の上に共に松が育っていました。
清村の松は、明治37年頃落雷のため枯れ、その後昭和の始めに崩されました。
現在、1里塚の跡には、石標が立てられています。(菊地神社西北200m)
尚、一里塚の松で作った餅臼1基が三里公民館に残っております。
三里公民館展示の「一里塚」の松から作った餅臼


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