「やってられるかぁ――ッ!!!!」

 キレッキレの絶叫が、畑の方から高らかに響く。
 それに一瞬だけ動きを止め、けれど何事も無かったように握り飯を口に運ぶ。
 俯いてモソモソと食べ進む動きは鈍く、目の前の刀に食欲が無い事は一目瞭然だった。次郎太刀じろうたちとの大喧嘩で口内がやられでもしたか。何にせよ、おそらくは義務感で食べている山姥切国広やまんばぎりくにひろを眺めながら、獅子王ししおうは次から何を持ってきたものかと思案する。
 気遣いの塩梅が難しいのだ、この友は。

「うるさいぞ見習い! 口を動かす暇があるならキリキリ身体を動かせ身体を!」
「うるさいのは君だへし切! それにぼくは見習いじゃなくて審神者補佐だ!!」
「ふんっ! 貴様のような未熟者に主の補佐が務まるものか! 馬に乗れば振り落とされ、弓を取らせれば半分も的に当てられん始末! 挙句、刀装兵を使っての模擬戦闘ですらあの無様さで審神者補佐など、大言壮語が過ぎてちゃんちゃらおかしいわ!」
「~だ・か・らっ! それがおかしいと言っているんだぼくはっ! あんな事をできて当然だと主張するだなんて、君は頭がイカれているんじゃないのか!?」
「ハ、無知もそこまで行くと滑稽だなぁド素人め! あのくらい我が主を始め、箒衆ははきしゅうの審神者方も当然の如くこなしてみせるわ!」
「ぐぎぃいいいいいいい!」

 畑で騒ぐ見習いと長谷部はせべの口喧嘩は、彼等のいる離れの近くまで賑やかに届く。

「強制でも無いのによく付き合うな、あいつら」

 主から釘を刺されているのもあり、見習いを殺さない、という点で刀剣男士達の意見は一致していたが、扱いに関しては大いに割れた。
 最終的には"見習い研修の建前を押し通しつつ、時の政府の真意を探る" という事で落着はしたものの、見習いが本丸にいる現状からして気に入らない刀も少なくは無い。
 獅子王の知る限りでは、青江あおえがその筆頭だ。見習いのみの字を聞くだけでも露骨に嫌な顔をする。鯰尾なまずお骨喰ほねばみが自由の身であったなら、結託して本丸の外へ捨てに行っていたに違いなかった。

「国広はどうだ。毎日喧しいだろ、耳障りなら喉潰してくるぜ?」
「……主の弟子だ」
「名目上はな。あーあ。何かやらかすか、誰かしらの地雷踏んで消えてくれねえかなー」

 見習いに思うところが無い者など、この本丸には一振りだっていないだろう。何せ漏れ聞こえてくる主張が主張だ。
 獅子王とて、積極的に排除するほどではなくとも不愉快さは感じている。
 刀の責は審神者の責だ。けれど今回の見習いについて、彼女が責を負う事は無い。分かっていて何もしないのは、憎まれ役を買って出ている長谷部を始めとした穏健派の存在に加え、そうした振る舞いをが好まないから、というのが大きい。
 刀を抜くにしろ暴力を振るうにしろ、建前は大事だ。――裏に隠した本心はどうあれ。

「友人を」

 俯いたまま、ぼそり、と国広が呟く。

「ん?」
「……友人を斬った時。主は、どういう心地だったんだろうな」
「同じような事やってたろ、俺らは。もう最初の頃なんて覚えてねーけど」

 前の主の命令による強制だった時もあれば、懇願されての時もあった。
 何振り折ったかは覚えてない。何を思い、何を感じていたのかも。
 ひょっとすれば最初から、何の感慨も持ち合わせてはいなかったのかも知れない。

 今の獅子王にとっては、敵を斬るのも味方を斬るのも同じ事だ。

 命令されたから。望まれたから。必要だから。
 刃を振るうのに、それ以外の重さなど要らない。

「……薬研やげんを除いてしまえば、主の心は晴れると思うか」
「勝手にやっちまうんじゃ意味がねえって時もある」

 叶うなら、この手で殺してしまいたかった。
 かつて獅子王を顕現した、この本丸の前任者。主と呼んでいた人間。
 暴虐の限りを尽くし、享楽に溺れて果てて逝った。残虐で、卑劣で、臆病な、どうしようもなく弱かった男。
 斬って、刺して、抉って。命乞いさせながら存分に切り刻んで細切れにして、満足ゆくまで楽しんだら、終いには野辺に打ち棄ててやりたかった。
 だというのに、彼の手では殺せなかった。のように許可しているのでも無い限り、刀剣男士は契約上、意図的に"主"へ危害を加えられない。抱く殺意が重いほど、確たる害意を募らせるほど、彼等の縛りは強靭になる。
 主だった男が強制力のある言霊を操れたのも、彼等にとっては不利に働いた。
 折れるまで終わらぬ行軍の傍ら、契約の抜け道を探して試行錯誤を繰り返す日々。

「なあ、国広」

 主を殺す。その為に、遡行軍を利用した。
 本丸の守りを壊し、戦場と時空間を繋いだままにして引き込んだ。排除の手段を選り好みしていたなら、今でもこの本丸の"主"はあの男のままだっただろう。
 仲間を巻き添えにするのは分かっていた。
 それでも決行したのは、主の慰み者になって折れるより、戦いの中で折れるほうが余程ましな結末だったからだ。

「お前の後悔は、あいつを自分の手で殺せなかった事か。それとも初期刀でありながら、初鍛刀やげんを助けてやれなかった事か?」

 どうか主へ復讐を。

 試行錯誤の日々の長さは、託された願いの重さだった。
 主を殺せればそれで良くて、明日など、誰も求めてはいなかった。
 おかしなものだ。あの襲撃を手引きした彼等が生き延びて、未だ、なんの後ろ暗さも無いまっとうな刀のように使われている。

(腹、減ったなあ)

 空っぽの胃が、キュウキュウと飢えを訴える。どうしようもなく渇いていた。
 喰ってしまえばそれで終い。なくなってしまうと知りながら、どうしようもなく腹が減る。

 会話さえ可能なら、腕が使えなくても仕事はできる。

 そう声高に主張していた見習いの言葉は、少なくとも間違いではない。
 だから獅子王は、職務放棄とも取れる現状を契約違反と断じる事だってできる。遡行軍であったという友を前に、自死を選んだ事だって。
 戦う事を放棄した、と。そう主張して、審神者を斬ってしまってもいいのだ。
 並んで座った国広は、俯いたまま沈黙している。目深に被った布に遮られて、その表情を見る事はできず、心情を推し量るのも難しい。

「……なーんか思い出すなー。審神者がここに来たばっかの頃を」

 あの頃の彼女は、ろくに記憶に残っていない。
 一度は青江に門前払いされながらも我を押し通してみせた手腕と、それでやるのが獅子王達の手入れに掃除というお人好し加減に驚きはしたがそれだけだ。
 練度1の短刀にすら力で劣り、前任のように強制力のある言霊を操れる訳でも無い。次郎太刀がいなければいつでも容易く殺してしまえる、扱いやすそうで貧弱な人の子。
 薬研がやけに入れ込んでいる様子だったのだけは引っ掛かったが、提示された契約内容はこちらに都合が良かったし、何より、ようやくゆっくりと休める時間が手に入ったのだ。
 置いておいて、目障りになったら斬ればいい。
 だから特に興味も無かった。国広がいいなら別にいいか、と。

「実力行使は簡単だ。薬研に対してにしろ、審神者に対してにしろな。ただ、行動した結果が望むものだとは限らない。得られるかも知れない見返りと、失うだろうモノを天秤にかけて決めなきゃなんねえ」

『行動には責任が。そして結果が伴います』
『"自分で考え、答えを出すように"。……僕からは以上です』

 あの段階でキッチリ釘を刺してくるのだから、本当にあの短刀はそつが無い。
 けれど審神者が動けない今、実質的に彼女の代行を務める小夜左文字さよさもんじの仕事は多岐に渡っている。細かに足元へ目を配っている余裕などあるまい。
 次郎太刀も同様だ。どう変異したかは知らないが、何せあの物々しさだ。薬研から目を離せはしないだろう。
 誰が、何を求めてどう動くのか。今の静けさは嵐の前の静けさだ。
 始まれば最後。おそらく、雪崩れるように事は決する。

「お前は何選んでも後悔しそうだけどな」

 丸まり気味の背を、励ましを込めてばしんと叩く。
 小さな呻きが漏れたのは聞かなかった事にして、獅子王は立ち上がって伸びをした。

「よく考えとけよ国広。で、結論出たら聞かせてくれ」

 飢えはある。渇きもある。
 それを審神者で満たせるなら、無上の満足を得られるに違いない。
 それでも獅子王は自身の欲より、国広への友誼を優先したいと思っている。

 だから。

――お前とは長い付き合いだからな。できれば、これからも仲良くやっていきたいんだ」


 ■  ■  ■


 遊興街は人外の街。
 そして遊郭ともなれば、仕事は当然、日が暮れてからとなる。
 という訳で仕事時間を避けての夕方近く、忙しくなってくる前を見計らって楼主さんを訪ねた訳だが。

「縺ュずみ、で縺斐*縺ますか」

 おうなの面が傾けられる。
 面を操る手の後ろに在るのは顔の無い、肉を捏ねくり合わされた男達だ。
 前はお面の後ろフツーの人型で見えてたんだけどなぁ。刀剣男士も相変わらず文字で出来た影法師スタイルだし、動き回れる程度にまで視野も落ち着いたとはいえ、まだまだ訓練が必要そうである。

「申し訳ござ縺?∪縺ぬ、わたく縺、根のモノら縺ッ縺ィんと」

 要訓練、なのは他もだ。
 爆音BGMを一時的にだが解消する小技を習得したはいいものの、聞こえるのが一部を除いて謎言語なバグ、周囲じゃなくて私に問題があった事が発覚した。
 知らん言語がいつの間にかインストール&基本言語に設定切り替えされてた件について。ヤバでは?
 不幸中の幸いだったのは、あくまでも追加インストールで上書きインストールでは無かった事だろうか。
 でも基本言語違うの地味に面倒。慣れるまでの辛抱ではあるんだろうけど、よそのお国で生計立ててる人、改めて尊敬するわ。

「むす繧√iや。そなた繧、誰ぞねず壹∩に所縁のある者縺ッ縺翫iぬか」

 捏ねくり合わせた団子の身体をぐにぐに蠢かせながら、楼主さんが声を張る。

「雛の君縺後#所望ぞ」

 ばらばらと方々から返事が降るのに耳を澄ませ、ともすれば理解できなくなる言語を咀嚼する。
 誰も知らない、か。やっぱそうトントン拍子とは行かないな。

「なーにぃボス、ネズミなんかに用あんの?」
「……、ああ。ミケさん」

 ひょこん、と衝立の向こうから顔を出す猫(人間サイズ)、字面にするとふあふあファンシーメルヘン路線なのに、意外とこの視界でも馴染むもんなんだなあ。
 喋る言葉が意識せずとも普通に聞こえてる事から察するに、ミケさんは群れの一員判定のようである。ストレスなく会話できるのはありがたいけど、基準どうなってんだろ。

「ちょっと道案内に使えるか確認したくて。ミケさんはどしたの。遊びに?」
「んーん。フツーに会話できるまでに回復したって結良ゆらのじーちゃんに聞いて、ボスのお見舞い~。ってワケでもういーからぁ」
「楼主さん、お仕事前にありがとうございました」
「畏ま繧翫∪し縺ヲ。ご歓談でご縺悶>縺セしたら、善知鳥うとうの間繧偵♀使い下さ縺まし」

 お見舞いかぁ。すずさんもそのうち来てくれるといいな。
 現世の病院からこっちに戻る時に送迎担当してくれたらしいけど、あの時は状態酷くて話もできなかった。
 箒衆ではなくとも、鈴さんは友達だ。できれば正気の間にちゃんとお礼を言っておきたい。群れ以外ともマトモに会話できるようになったら、こんさん経由で都合聞いてみるとしよう。

「あ、ミケさんゆっくり歩いてね。あと手も引いて欲しい。まだそんなサクサク歩けないから」
「りょうかぁ~い♪」

 掴んだ私の固い腕をプラプラ揺らし、斜め前を歩くミケさんはご機嫌だ。
 うーん。カラーが三色になってるまでは予想の範疇としても、全体的にだいぶ猫。
 結良さんなんかは身体が紐になってる+あちこち水引結びだったけど、半分は人間の原型留めてたのになあ。審神者名のイメージが見え方に影響してるにしても、せめて原型分かる程度で留めておいて欲しいところ。

「そんで、ボスはネズミ何匹欲しいー? ちょっち死体混じるかもだけど、欲しいだけ狩ってくるよー?」
「んー、道案内に使えるのが一匹いればそれでいいんだけど」
「そういや、さっきもそんなコト言ってたねー。なに、ボスってば誰か会いに行くの? 遡行軍してたっていう友達?」
「や、同行者用。希望者いるからはぐれなそうなル―ト模索しとこっかなーって」
「……ボス、いっちゃうの?」

 ミケさんが足を止めた。
 振り返ったその顔は、さながら雨に打たれるいたいけな子猫のようである。
 おおぅ、珍しくしょんぼりしていらっしゃる……まあ情緒さん別居中なので特に痛む心とか無いけど。

「たぶんね。戦う理由、見つかるとも思えないし。ミケさんも来る?」
「……えー……それすんごい悩むぅー……!」

 しょんぼり顔が一転してぐぬぬ顔になった。
 合わせてたれんとしていた尻尾も、悩ましげなくねりを披露している。

「ねーボス、それ延期にしてくんない? 俺まだこっち遊び足りない」
「後からゆっくり来ればいいじゃん。どうせみんな行き着く先は同じなんだし」
「分かってないなーもー! 単に遊び足りないんじゃなくってえ、俺はボスと遊び足りないのー! どーせ遅いか早いかの違いなんだから、俺といっぱい遊んでからでいーじゃーん!」
「駄々っ子ぉ」

 ここが狭い廊下でなかったら、今にも寝っ転がってジタジタしてそうな勢いだ。

「でもミケさん、危なければ危ないほど好きじゃんね?」
「シツレーな。俺、危なくない狩りも好きだよー? 一方的に蹂躙すんのもそれはそれで楽しいよね!」

 わぁ曇りなき笑顔。
 倫理道徳の観点で言えばシンプルにクソだが、感性に正直なだけとも言える。
 残虐の愉悦、加虐の快楽。本質的に、人間はそうした行為に楽しみを見出す獣性を持っている。
 大抵は、そうした獣性への嫌悪も持ち合わせているものだが――獣性を肯定してくれる大義名分ナシでも楽しめてしまうタイプが一定数存在するのもまた事実。
 敵に向く限りその獣性は肯定され、時に賞賛すらされる。
 味わってはならない快楽も、叶えてはならない欲望も、この世にありはしないのだ。
 ずぅいと顔を近付けて、ミケさんがにんまりチェシャ猫のように笑った。

「あーでも、ボスにとっては掃除かな? ゴミが自分の縄張りチョロついてんの、だーいっ嫌いだもんねー」
「安全確保に腐心してたのは事実だけど、その言いようは違くない? 私、そこに感情交えてはいなかったと思うんだけど」
「あっは。ボスってば、お掃除完了~! って時に自分がどんな顔してんのか自覚ナシなかんじー?」

 止めていた歩みが再開される。ミケさんが、私の手を引いていく。
 遊郭の廊下は黒い。並んで伸びる四つの影に照らされて、床を形作る凹凸達が、歩を進めるたびに踏みしめられて苦悶する。

「現場だと即断即決で殺すのに、後からどーでもいいコトに拘っちゃうのボスの悪い癖だよねー。どーせだし、この機にエイッて捨てちゃった方がいーよぉ?」
「うーん。それはまあ、一理あるっちゃあるんだけど」

 詰み上がる死を重荷に感じるのは、培ってきた倫理道徳に依るものだ。
 死ねば二度と戻らない。誰かの親、誰かの子、誰かの友人、誰かの恋人、誰かの隣人、誰かの大切な人。

 自分の感性を鑑みれば、どうしようもなく噛み合わない。

 だって、私は人を殺すことに躊躇いが無い。
 自分を害する敵を殺して安堵こそ感じれども、痛痒を覚えた事なんて一度も無い。ミケさんの指摘した通り。躊躇わず殺せて、迷いなく犠牲にできる。それが揺らいだのなんて、キリちゃん先輩と次郎さんに対してくらいだ。
 いつだって、後からしか悔いはしない。
 だから確かに、それは私の"悪い癖"、なんだろうけども。

「培ってきた倫理道徳って、捨てようがなくない?」
「やっちゃダメって感じるコト、片っ端からやってけばいーじゃん。ボスってば割と頑固だから、そーゆーのいーっぱいあるでしょー?」
「んー……そりゃ、あるにはあるけどさー……」

 そのテーマでパッと思いつくラインナップ、真っ先に出てくるのがブラック本丸あるあるなのよな。
 結果が見えてて、なおかつどーしてもそれがやりたいって訳でもないので大変ダルい。

「っていうか、それあっさり捨てられるのってもう獣――

 はた、と口ごもる。
 生物学の観点から見れば、人間もまた等しく獣だ。
 じゃあ、社会において――私にとって、人間と獣の違いとは?

「なるほど」

 かずらさんとの会話でなーんか引っ掛かったのこれかぁ。

「ナニに納得したか知らないけど、今が楽しいんだったら獣でいーじゃーん」

 大きく尻尾を振りながら、踊るような足取りでミケさんが襖を開ける。
 ざぁん。波の音がする。荒々しい山岳が襖と壁の境なく連なる室内は、閉塞感からは程遠い。
 畳の上をするすると、滑るように黒い波が寄せては返す。
 ぽたぽた、ぽたぽた。天井に映り込んだ空の中で、滴る赤を雨のように落としながらゆく鳥が、うとう、うとうと哭いている。
 場違いに広げられた極彩色の敷物に、私の手を離して駆けて行ったミケさんが飛び込む。

「ふっかふか~♪」

 人間の胎から産まれたなら人間。
 生物学的にはそうだ。けれど、社会において求められる条件を満たさない人間は、その社会からは人間とは認められない。蔑称でもって自分達とは違った、劣ったものだとラベリングされる。それが個人であれ、社会全体によるものであれ。

 命は全て平等だ。

 虫も草木も動物も妖怪も、仮初の命の器物すら。
 みな等しく区別なく、同じだけの重さの命と価値がある。
 そうである以上、どれか一つを抜き出して殊更に区別するのはあまりに公平性に欠けている。
 同じだけの重さの命と価値であるのなら、何もかもは同じく扱われて然るべきだ。私は御先であるが我等を■■る■でもあるので我等に重きを置くべきだ。

 全部見える訳じゃない、全部救えるはずがない、平等であれるはずもない!

 命はみな等価である。
 けれど群れの論理において、仲間の命とそれ以外の命は決して同じものではない。
 だから■よ、どうかどうか我等の為に。ただただ我等だけの為に。

 ■よ、■よ、■よ、■よ。

 我等が末、我等が同胞、我等が代行者、我等が贄、我等が器、我等が■。生は不平等であるが故に認められず認めてはならずどうして奪われ満たされず飢え足りず渇いて足掻いても足掻いても足掻いても足掻いても手が届かない踏み潰されて潰れ潰れ潰潰潰壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊 呪 歴修正主義者も時の政府も審神者も刀剣男士も遡行軍も何も知らないで安穏と過ごしている連中もみんなみんなみんな等しく偏りなく公平に平等に同じように真なる平等を公平を死の安寧をどうかどうかどうかどうか――

「うるさっ。ほら解散解散!」

 しばらく構わないでいるとすーぐこれだ。

 黒い羽根がぶわりと舞う。
 与えた許可に膨れ、伸び上がった影から転じたカラス達の羽ばたきが、室内を驟雨の如く埋め尽くす。
 歓声にも似た音がドッと沸き、頭上でぐるぐると渦を巻く。
 全身に重たい倦怠感がのしかかる。次第に遠ざかっていく喧騒を聞き流しながら、息をついて首をくるくると回した。
 静かになるけどめっちゃ疲れるんだよなーこれ。あと、あんま連発できないのも難。

「すっげ。ボス傘下の死霊、だーいぶ増えてんね――ぃに゛ゃーっ!?」

 一緒にはいかなかったカラス達が、づんづんづくづくとミケさんを突き回しながら憤慨する。
 誰が死霊じゃ失礼な呼び方しおってクソガキがよ。ただの事実では? 言い方ってもんがある。はい。

「ちゃんと敬って祖霊って言わないからー……」
「顔も知らない人間って他人でしょー!?」
「残念、私の群れならこいつらは一族郎党みたいなもんです」

 同じ共同体に属する以上、死した先達は等しく祖――ん? また同胞増えたら恩知らずで礼儀知らずのゴミカスクソ知性皆無ド低能存在寄生虫未満共が死滅するまで突き回す会に連れてってもいいか? いいけど。何、めっちゃボロクソ言うじゃん。

「からりん盾なって盾ぇー! み゛ーっ! 俺が命じてんのにガン無視とかなーいー!!」
「あ、ごめんそれ私が原因」

 そういやミケさんと会うの、こうなってから初めてだったな。
 結良さんがちょくちょく会いに来るから、なんか知ってるような気がしてた。うっかり。

「なーんか私の霊力が刀剣男士に悪影響与えてる? ぽくて。距離置くと治るらしいんだけどね」
「う゛―……っ。それさぁ、悪影響じゃなくてボスが呪ってんじゃない?」

 黙然と立つ大倶利伽羅おおくりからさんを挟んでカラス達と小競り合いながらの指摘に、後ろの物吉ものよしさんを振り返る。
 文字で形作られた影法師は、ただただ、目に映る通りの付き従う影のよう。
 沈黙を保って何一つとして主張することなく、道具に戻ったようにそこに在る。
 呪ってる。……私が? 刀剣男士を?

「ボスの霊力で溢れてる場所だよ? 俺もすんごい調子いーし、ここの店の連中だってお零れで活気づいてるじゃん。ボスの縄張りで、ボスが味方認定してんのが弱体化はフツーないって」
「マジかぁ」

 と、言われてもなんせ自覚が無いからなぁ。
 どうしたもんかなー……。こんさんはともかく小夜が何も言ってこないから、問題にするほどの呪いではないんだろうけど。
 ……呪いといえば。私にだばだば注がれてるのも一部、別のとこ流れ出てってるっぽい感覚あるんだよな。
 ひょっとして私、自分に注がれてるのを刀剣男士におすそ分けしちゃってたりしますかね。耐えられる程度だったから小夜も黙ってた、みたいな。あっ超ありそう。

「刀剣男士元気になあれー、とか追加でのろったら不具合直るかな。ミケさん付き合ってもらってもいい?」
「いいよー♪ どんなになるか俺も気になるぅー」

 何をどうやってるのか分からない以上、原因の私を除くのが一番手っ取り早い。
 でも今すぐは無理だ。心の戻っていない不完全な状態で下る事を、誰より何よりカラス達が認めない。駄々っ子モードのミケさんあやすのもダルいしな……。
 うちの刀には悪いが、しばらくは場当たり対処で我慢してもらうしか無いだろう。
 まー無駄に群れが増えて私もパワーアップしてるし、たぶん雑な力押しでもいけるいける。信じよ。

 しっかし私の群れ、なんでこんな膨れ上がってるんだろなぁ。

 何もかもをなげうった。
 主観の話だ。けれど虚構が剥がれ落ちる窮地にあって、私が論理より感情、全体より個を優先したのは揺るぎない事実である。
 歴史を守るべき審神者として、あの選択は間違いだったと認識している。
 前線で命を賭ける刀剣男士の主として、首を落とされて当然の愚かさであると理解している。

 それでも私は自死を選んだ事に、後悔だけは微塵も無かった。

 何度やり直したってきっと同じ事をする。しょせん私はその程度。
 御輿に担がれているからそれなりに見えているだけだ。田んぼで泥にまみれて虫を追ってるくらいが身の丈である。
 群れに属するにしたって熊野に行くか、賀茂の御仁みたいなとうに成った、他のもっと大きな群れの方がよっぽど手堅いのにな……やっぱ近場かつ敷居が低くて入りやすかったからとか、イワシの頭も信心から的なアレか……?

「どったの? ボス」
「んー……」

 まあ、何を選ぶかは個々人の自由だ。
 最終的にツケを払うのは、あくまで選んだ本人である。私の知った事じゃない。

「上に立つ者の振る舞い、未だによく分かんないなあって」

 ……はず、なんだけどなぁ?

「なら、そこのでも踏み潰しとけばいーんじゃない?」
「何故に」
「素直になる練習~。
 ボス、救世主したいワケじゃないでしょー? 善人ゴッコしてるからいつまでも分かんないんだって」

 きゃらきゃら笑ってミケさんが、ごーごー! と軽いノリで囃し立てる。
 そこのと示唆され見下ろす浅瀬では、そこかしこにみすぼらしい肉塊が這っている。
 啄んでは再生する呵責を受けるものたち。記憶も妄執も輪郭を失って、もう自分の姿なんて思い出せもしない、痛苦以外を忘れたものたち。
 寄せては返す死肉の海辺で、無力に翻弄されている。

 優しい人間であれるよう律した。
 培った倫理道徳に適い、好きな人達に好かれる行いであったから。

 優しい人間でありたいと願った。
 自身の感性が、好いた優しさからは程遠いのだと知っていたから。

 ひとつきりの命が、等価であるはずの何十、何百、何千もの命を己が為に消費する。
 躊躇も痛痒も覚えなくとも、それが悪いことだと培った全てが断じていた。
 だから帳尻を合わせる為、せめて、消費に値する人間でなくてはいけなくて。

 我ながら、本当に馬鹿な思い違いだ。

 すべての命はみな等しく区別なく、同じだけの重さの価値しか持ち合わせない。
 それでいて、生き物は誰しも数多の命を、己が為に消費する。消費者の品性も敬意の有無も、理由だって些末事だ。消費される側にしてみれば、そんな事は何の救いにもなりはしない。
 その矛盾を直視せず、傲慢で身勝手な本質をお綺麗に取り繕いたがるのは虚栄心の為せる技か。
 少し考え、足を上げて、救いを求めて這い縋る肉塊へと振り下ろす。

 ぱしゃん。

 波紋が広がる。黒い波間で飛沫が跳ねる。
 命の消費なんて、心が動かなければこの程度。
 これにどれほど意味があるのかは、あまり、よく分からなかった。


 ■  ■  ■


 くゆる紫煙が閑散とした喫煙所に色濃く漂う。
 一般的に煙草、特に電子で無いものは嫌煙されて幾久しい。
 けれど、こと政府においては事情が変わる。刀だった頃の主を真似て、あるいは縁のある刀に影響されて嗜む男士がいるのは元より、術者、ないしはそれに類する業務に携わる者達にも、簡易で身近なまじないの道具として需要があるからだ。

榊原さかきばら殿、すまんが火を貰えるか? ライターを忘れてきてしまった」

 常であれば利用者の途切れない喫煙所。
 だが、そこにいかにも不機嫌極まりない有力議員殿がおいでになるとなれば話は別である。
 誰だって虎の尾は踏みたくない。その御仁の気性の荒さが知れ渡っているとなれば、やってきた者達が次々そっと回れ右したのは至極当然の流れだった。
 やたらと気安い声の主に、榊原はギロリと胡乱な目を向ける。
 いたのは腰に太刀を佩いた、金髪の美しい男だ。黒のダブルスーツに黒いインバネスコート。深い赤のクラバットが、ともすれば重たい印象の衣装に華やかさを添えている。
しばしの沈黙の後、「お前か」と気が抜けたふうに呟き、榊原は男にライターを放った。

 ――ガァ、ガアア

 カラスが鳴く。
 喫煙所に面した大窓の外。至るところで羽根を休め、あるいは飛び交うカラス達が、彼等をじっと見据えて鳴き交わす。
 落ち着いて見返していられるのは、彼等が建物内――特に、煙で満ちたこの場所へ侵入はいっては来られないと理解しているからだ。一歩でも外に出た途端、すぐさま肉という肉を突き回しに襲い掛かってくるだろう。

「尽きんなあ。結構な数を斬ったはずなんだが」
「そう易々と尽きるものか。あれは群体を本質とするモノだぞ」

 蝶や蛍が死者の魂であるのと同じく、カラスもまた、死者の魂が取る姿の一つである。
 人は群れる生き物だ。死して器を失い、自他の境界を曖昧にしたところでその性質は変わらない。
 死霊が群れ集うのは、さして珍しい事例でも無い。けれど個を保ったまま、群体としての霊性を得る事は稀である。大抵は融け合い/喰らいあって一つとなり、より安定し、より強固な新しい形を獲得するからだ。

「力押しなぞ愚の骨頂。矛先を逸らすか、鎮めるかだ」
「もう一つあるぞ。大元を断つ」

 群体が群体として成り立つには、核が必要不可欠となる。
 個を保守しながらも群れを率いて成り立たせる、決して欠く事のできない存在が。

「聞けば、随分と風通りの良い処に巣を作っているそうじゃないか。相手が群れなら、頭を叩くのは常道だと思うがね」

 故に男の提案は正しい。
 核が消えれば群体は群体としての性質を失い、瓦解する。
 抵抗は熾烈を極めるだろうが、今回に限って言えば、核が誰で、何処にいるのかは知れている。
 このままカラス達の相手を続けているよりは、よほど建設的な解決策と言えるだろう。

「それこそ下策だ。器は魂の軛。肉体を失って成りでもされたら、それこそ目も当てられん」

 問題は、その核こそが特大の地雷である事か。
 返されたライターを受け取り、榊原はうんざりと顔を顰めて却下した。

「なんだ、怖いのか?」
「……八咫烏やたがらすは御先神。その本分は主神の前駆、先駆けとして神威しらしめす事にある」

 導きの神。後に続くものを勝利へ導くその神性にあやかって、かの審神者は"雛鴉ひながらす"の名を与えられた。
 体は名を表し、名は体を表す。皮肉なものだ。本来であれば"雛"と制限された通りにその性質を帯びる程度で留まったはずが、あらゆる要因が噛み合ってしまった結果として、今や八咫烏の化身へと神成りしつつある。
 雛鴉が過去出身で、今を生きる人間でない事も悪く働いた。存在として不安定である為に、他からの影響を受けやすいのだ。

「怖いか、だと? 怖いに決まっている。先駆けが成れば必定、主神が後に続く。我等の防衛陣地は立地が立地だ、顕現するのに人の器など必要とはするまいよ。枷無くかの尊がお出ましともなれば、地の底より根を伝い、本丸位相まで冥府の者どもが溢れかえる。遡行軍との戦争どころでは無くなるわ」
「うははは! いや、思った以上に洒落にならんな…………マジか?」
「冗談は好かん」

 主神に由来する冥府の神性によって、死霊は個として保守される。
 誰から見ても明確に、カラスの形を成す死霊達。離れていても十全に行き渡る影響力は、雛鴉が着実に人間を外れつつある事を暗示していた。

「マジか……これは知りたくなかったな……」
「ふん。下らん詮索ばかりしているからこうなる」

 頭を抱えて項垂れんばかりの男とは反対に、榊原は平然たるものだ。
 早々にこの現状に気付き、最悪の詰みっぷりに頭を抱えていたが故の境地である。
 たとえ成らずに死んでくれたとしても、変異体・薬研藤四郎やげんとうしろうにその魂を群れごと吸収される危険は残る。強大になった変異体が、執着する主を喪ってどれだけの被害を撒き散らすか。これもまた、考えるだけで頭の痛い問題だった。
 榊原を恨めし気に睨んで、男が唇を尖らせる。

「仕方ないだろう。ネームドである事を考慮したとて、耳に入るのはそこまでの事態には思えん動きばかりだぞ」
「言うな。儂とて忸怩たる思いだ」

 榊原が告げたのは最悪の想定だ。問題が深刻であるほど目を背けたくなるのは人の常である。
 雛鴉は政府に従順とは言い難いものの、基本的には良識を弁えた人間だ。神には和御魂にぎみたまの側面もある。成ってもそこまで大事にはなるまい、という楽観論や、八咫烏が高位の神である事から、化身とまでは至らず、ただ少しばかり規模の大きい御先に成る程度なのでは、という意見が大勢を占めているのが現状だった。

 危機意識の欠如も、ここまでくると滑稽である。
 強大な神ほど人を解さず、歩み寄る事もない。必要がない。

 かの尊より寵を賜っている時点で、御先神に成る最低限の資格は有しているのだ。
 そうして、雛鴉は武功でネームドになった女である。組織した自警団もどきは武闘派が大半を占め、刀剣男士嫌いで知られる女狐とは昵懇じっこんの仲。更には審神者になってからの経歴が経歴だ。
 決して、座して楽観していられる状況では無い。

「猶予はどのくらいあるんだ、この件」

 集った死霊の数だけ群れは膨れて勢いを増す。勢いが増せば、惹かれて新たな死霊が集う。
 斬れども斬れども尽きる気配の無い群れを見る限り、雛鴉が現在進行形で成長を続けているのは疑うべくもない。

「知るか。そこの連中にでも聞いてみろ」

 ――ギャアァ、ギァアア
 ――ア゛ァ、ア゛ア゛ァ゛ア゛

 大窓の外を飛び交うカラス達が、濁った声で鳴いている。
 そこに含まれるのは怒気で、敵意だ。ただではおかないという確固たる意思。

「……無理そうだなあ。間に合うと信じて人事を尽くすしか無いか」

 変異体による底上げが無くなれば、雛鴉も人間の範疇で安定する――はずである。
 肩を竦め、一口しか吸わなかった煙草の灰を落とした男に、榊原は無言でシガレットケースとライターを差し出す。

「おお、すまんな。――しかし、連中のこの暴れよう。何がそんなにも腹立たしいのだろうなあ」
「白々しい。お前の事だ、とうに守護者計画も探り当てておるのだろう」
「はて、何のことやら」

 遡行軍との戦いの歴史は決して表に出る事はない。
 それでも、表の世であれば偉人と称されるだけの功績を残す人間は一定数存在する。容易には改変できない強度の"物語"とは、記録に値するだけの偉業だ。静かにひっそりと。あるいは騒々しくも賑やかに打ち立てられた、他の大多数を否応なしに巻き込む変革。
 それだけの事を為せる人間が、歴史の裏側で無為に埋もれて消えていくのはあまりに惜しい。
 だから術式で嵌めた鋳型で以て、遡行軍との戦いの歴史という"物語"を守護する霊的存在として新生させる。

 要するに、有用な人材であるネームドを政府の式神とする計画だ。
 歴史修正主義者の根絶されるその日まで。あるいは、物語へ組み込まれた魂が摩耗し果てて消滅するまで、永遠に変わらず在り続ける保全機構。

 変生にヒントを得た、人の器を卵に見立てた転生術式。
 どれだけ綺麗事で装飾しようと、正しく外法の類である。ひとでなしの所業と言って差し支えない。
 だからこその極秘事項。仕掛けられた術式も、ネームド当人や刀剣男士を含む周囲の者達が気付かないよう慎重に、細心の注意を払って隠蔽が施されていた。

「要らん世話ではなく、お前は職員の警護にでも尽力しておれ」

 雛鴉が現世から、城下町へ移る前までは。

「その心は?」
「後始末の手間を増やすな」
「ははぁ。なるほどなるほど、祭りの準備は大盛況と」

 術者は貴重だ。人格が破綻していようが倫理観が終わっていようが、腕さえ確かなら使わざるを得なかったほどに。
 遡行軍のスパイによって極短刀が弱体化されてしまった一件は、未だ記憶に新しい。
 政府の術者達は現在、事後処理とシステムの洗い直しに対策処置で殺人的な忙しさの中にある。けれどそれは、黎明期ほどの差し迫ったものではない――電子技術との融合による技術革新で担い手が一気に増えたからだ。
 カラス達は無差別に人を襲っているが、中でも集中的に襲われている者が複数いる。人を選んでいるのである。
 術者派閥の力関係にネームド達周辺の人間模様。そこに現状と示唆された情報から推察できる未来予想図に、男は機嫌よく唇を綻ばせた。

「肝心の城督殿の方はどうだ。首尾よく事は運びそうか?」

 榊原が、渋面で鋭く舌打ちする。
そのリアクションに、男は「うん?」と小首を傾げた。

「おかしいな。補佐役の派遣は君の発案と噂に聞いていたんだが」
「あれは単なる虫除けだ、目先の小事にかまける三流向けのな。馬鹿息子が無様を晒していなければ、まだ手の打ちようがあったものを」
「辛辣だなぁ。城督殿を嫌うのは、てっきりご子息の件あっての事かと思っていたのに」
「重ねて家名に泥を塗りおった、護国の為に命も捨てられん恥さらしだ。あれにそんな価値など無いわ」

 葉巻を乱暴に灰皿へ押し付けて、榊原は窓の外を仇の如く睨みながら吐き捨てる。

「あの小娘もだ。使えはするが、しょせんは野育ちの凡俗よ。陛下への忠義などあるまい。……ふん。本丸で飯事に興じておれば、それなりに幸福であれたろうにな」

 言葉とは裏腹に声音へ滲んだ憐憫に、男は無言で葉巻を咥えた。
 舌の上へと静かに広がる重たい味わいの煙を、ゆるりと吐き出して目を細める。

「……僕、お前さんのそういうところ割と好きだぞ」
「止めんか気色悪い」




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