相模国城下、拝領屋敷。
「どうした? 乱。ぼんやりして」
現在、遊郭で療養中の主の護衛は交代制だ。
頑強な刀剣男士にも疲労はある。空き時間は休憩が推奨されているが、あくまでも推奨であって強制では無い。
主のこと。薬研のこと。これからのこと。悪い想像というものは、暇な時ほどよく膨らむものだ。
じんわりと精神を削っていく不安に耐え兼ねて。せめて自分に出来ることをしていようと、乱は空き時間を箒衆の業務補助に充てていた。
「んー……」
案じる後藤に生返事で応じ、乱はぺたりと机に額をくっつける。
やる事がある、というのはいいものだ。
目の前の作業に集中していれば、次々と湧き出す不安をその間は忘れていられる。
「弱体化の影響もあるんだろ。疲れてんのなら仮眠してきたらどうだ? 護衛役は俺が代わっといてやるから」
「っいらない! ボク、ちっとも疲れてなんて――……」
けれど、中には目を逸らしようもない問題もある。
主の状態が影響しているのか、本丸と城下町で流れる時間にズレが生じつつある事。
それに、遡行軍のスパイによる暗躍で、極短刀が全体的に弱体化されてしまった一件もある。
致命的なものではない。それでも、手に入れたはずの力を削がれた感覚が、無視し難い違和感として乱の中で尾を引いていた。
「……――そう、なのかな。やっぱり、疲れてるのかなぁ……」
閑散とした休憩室に落ちた声は、自分でも驚くほど途方に暮れて弱々しい。
「……みだ「ぉ゛ア゛ァア゛ア゛ア゛ア――――――!!!!!!」
先程よりも真剣味を帯びた後藤の言葉が、濁音の絶叫に遮られる。
扉の方へと二人が視線を向ければ、ちょうど絶叫の主である審神者が、涙目で飛び込んでくるところだった。
箒衆の審神者の一人、炎である。乱と後藤の姿を見るや地獄に仏とばかり破顔して、「匿ってくれー!!!!」とスライディングして机の下――より具体的には彼等の足元辺りへと滑り込む。乱は無言で椅子の上へと足を引き上げ、後藤は困惑と笑いが半々の表情で机の下を覗き込んだ。
「おいおい、そんな逃げる事ないだろうに」
「イヤーッ! やめてよして近寄らないでッ!! そんなこと言っておれにひどいことするつもりだろ! エロ本みたいに!! エロ本みたいにッッ!!!!」
「愉快な発想するなあ、きみ」
続いて休憩室に入ってきた陵丸が、ギィイイイ!! と机の下から威嚇する炎にケラケラ笑う。
拝領屋敷内で、陵丸は概ね放し飼いにされている。現在の身元引受人である連理が、「敷地から出ようとするか、誰ぞ迷惑を被るようであればその場で斬り捨てて構わん」と箒衆全員に許可を与えているが故の自由である。それで未だに生きているのは、ひとえに彼という刀剣男士の見極めの上手さに因るものか。
「ご期待頂いているところ恐縮だが、きみと共寝をする気は無いぞ? 俺にも好みはあるからな」
「嘘だーッ!! じゃあ何でおれを寝床に連れ込もうとしたのよこのヘンタイッッッ!!!!」
「添い寝相手が欲しかったらしいぞ」
陵丸の背後から、渋面の大包平が顔を出した。
「誘われた時点で普通に断れば終わる話だったろう。騒ぎ過ぎだ、主」
「添い寝って、陵丸さん別に一人で寝れたよな?」
「いやなに、抱き枕と人肌には癒し効果があると小耳に挟んでな」
「で、試してみようと思ったのかあ」
机の下から後藤の背へと移動した炎が、陵丸を疑惑に満ち満ちた目で睨む。
大包平の眉間の皺が深くなった。そこに含まれた悋気を嗅ぎ取り、乱は呆れて眉を寄せる。
箒衆は色々な本丸の審神者と刀が寄り集まった場だ。だから、己の主が他本丸の刀を頼る、なんて事もまま起きる。後藤を羨むのなら陵丸の動向を注視しておくのではなく、主である炎の後を追うべきだった。
「添い寝、間違っても大将は誘うなよ?」
「馬鹿を言うな。俺とてあの年頃のおなごを臥所に誘わん分別はある」
困ったように釘を刺した後藤に、陵丸は肩を竦める。
「俺は城督殿を主と仰ぎたいんであって、嫁に欲しい訳ではないからなあ。下らん誤解で馬に蹴られるのは御免だ」
「馬?」
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ――って言うだろ?」
「えっ姐さん彼氏いんの!? マジ!? どこの勇者!?!?!?」
「は? あるじさんにそんなモノいる訳ないでしょ汚らわしい」
「すんませんっしたッッッ!!!!!!」
「軽々に頭を下げるな主ッ!!!!!!」
床に額をめり込ませる勢いで土下座した炎に、大包平が負けず劣らずの声量で怒鳴った。
「謝罪するのは構わん! だが、お前はこの大包平の主だぞ! もっとシャッキリしていられんのか!!!」
「そーゆーのおれのキャラじゃねーんですけどぉ! 無茶振りやめて!?」
「炎さん、反論すんならせめて俺を盾にするの止めようぜ?」
「無理!!!!!!!」
「きみ本当に面白いよなあ」
まあ、愉快な人間ではある。
曲がりなりにも主が作った箒衆、その幹部として遇される審神者だ。
主は優しいが、仕事に私情を差し挟む事を好まない。彼女の期待に応え、結果を出してきたからこそ見合う権限を与えられている。後藤を盾に、涙目かつへっぴり腰でキィキィ叫ぶ姿からはまるで想像できなかったが。
(けっこう場数踏んでるはずなんだけど)
通常の本丸運営とは違い、箒衆では審神者自身ですら、危険に身を晒す事が求められる。
荒事への適性が必要不可欠なのだ。腰抜けには務まらない。
そういう意味では――
「っせぇぞテメェ等! おちおち仮眠もしてられねぇだろうがよ!!」
「サーセンッッ!!!!!!!」
怒鳴り込んできた審神者のような手合いこそ、箒衆の本質を体現していると言えた。
陵丸達とは別の扉を蹴り開けての一喝に、炎がびょいんと跳ね上がる。
「おっと、怖い御仁が来てしまったな。俺は退散するとしよう」
言うが早いか、陵丸が遁走する。
渋面の大包平が少しの躊躇いのあと、律儀に会釈してその後を追った。
大方、陵丸の行動に苦言を申し立てるつもりなのだろう。は顕現していなくとも、彼という刀剣男士が実装されて半年以上経つのだ、箒衆で他の分霊を見ていればおおよその性格は掴める。快活で真っ直ぐな、読みやすい性質の太刀だ。
いいようにあしらわれるのは目に見えていたが、怒鳴り込んできた審神者、一虎にヘッドロックを決められてぎゃあぎゃあ騒いでいる炎はといえば、大包平の行動理由であるにも関わらず、そうした事など頭を掠めもしなさそうだった。
「だっからあの野郎に絡まれたからっていちいち騒ぐなっつってんだろーが。覚えろ? 何回目だと思ってんだ? あ゛?」
「覚えてます覚えてるからごかんべぇでででででっ! ギブギブ一虎おれの頭割れるーっ!!」
「ごめんな一虎さん、寝てるの邪魔しちまって。人が少ないからって騒ぎ過ぎたな」
現在、箒衆は縮小運営中である。
頭目である復帰の見通しがつかない事から、小遣い稼ぎ等の軽い理由で参入していた者達が足抜けしたのがまず一つ。
もう一つは残った者達の間でここしばらく、原因不明の熱病が大流行しているのが理由だった。一虎や炎は症状が短期で軽く済んだクチだが、症状の重い唯織などは、立つこともままならない状態が続いている。
元気な者で最低限の仕事を回してはいるが、人手不足は否めない。だからか、この頃は本丸へ戻らず、拝領屋敷で寝泊まりしている審神者も珍しくは無かった。
「あ? ……あー、いい、いい。このバカタレが特別クソうるせェだけだ」
後藤に謝られて、一虎が気まずそうにトーンダウンする。
短気で粗暴な審神者ではあるが、こういうところは嫌いではない。乱は席を立って茶器の用意をした。
「一虎さん、何か食べる? お菓子ならあるけど」
「いや、いい。目ェ冴えちまったからな。持ち込みの案件片付けがてらメシ食ってくらぁ」
「マジ? 一虎行くんならおれも行こっかな」
「てめえは呪具のアレあんだろーが、警備局行け警備局」
「おげぇ」
顔をくちゃくちゃにした炎が呻くのを横目に、一虎に冷えた茶を差し出す。
初めて聞く話だった。後藤も把握していなかったようで、不思議そうな顔をしている。
「呪具でなんかあったのか? あれ、噂ほどヤバいモンはそうそう出回らないだろ」
何かと取り沙汰される事が多いが、そもそも呪具とは書いて字のごとく呪いの道具だ。
道具の性能をどれだけ引き出せるかは、使用者の力量に依存する。
どういう使い方を想定していて、どういうリスクがあって、どういうところに注意しなければいけないのか。ありがちで単純な物に見えても、作り手がどんなアレンジを加えているか知れたものではない上に説明書も存在していない危険な道具を使おうとするのは、欲にかられた無知な人間か、さもなければ酔狂な命知らずである。
「それがさあ、ちょっとやべーのが出回ってんだよ。刀剣男士に効くやつ」
「ボクたちに?」
「自制心のタガが外れて思考が単純になる……要はてめえに素直になる、ってシロモンらしいぞ。ンな騒ぐほどやべえってモンでもねえと思うがな」
「聞いた話だと、思考と一緒に主従契約の呪もゆっるゆるになるらしいぜ? 下手すりゃその隙に主の強制変更ができかねないってんで騒いでんの。鈴曰く、そこまで出来る術者は政府でもごく少数らしいけどな」
乱と後藤は顔を見合わせた。
主の強制変更がされかねないというのは無論だが、自分に素直になってしまう、というのは――随分と、問題だ。
「ま、仮にも警備局サマ直々の協力要請だ。
箒衆らしく功績上げて、舐めてくんのは泣いて詫び入れるまでぶちのめせ」
「警備局で舐めてくんのはなくね? あそこ実質姐さんの飛び地だろ」
「飛び地っつっても上下はあんだよバカタレ。
建前上は時の政府の下部組織だからなァ、放っとくとすーぐつけ上がりやがる」
不機嫌に歯を剥き出す一虎の形相は、審神者名の通りに虎の威嚇を連想させた。
情けない顔をした炎が、「おれそーゆーの苦手なんすけどぉ」と表情通りの情けないトーンでぼやく。
「でも炎さん、そう言いながらもキッチリやるだろ」
悪戯っぽくひやかす後藤に、炎がへらりと笑う。
「後藤くんさあ、本丸が帰る場所だって言い切れちゃうタイプ?」
「? おう、そりゃあな」
「だろーなあ。――そうやって言い切れちゃう奴には、分かんねえよ」
後藤が虚を突かれた顔をする。
乱も同じ気持ちだった。思わず、まじまじと炎の顔を見る。
「茶ァごっそさん」
ゴトン、と一虎が机に茶器を置いた。
「んじゃ、ひと仕事行ってくらぁ」
「おれも警備局行くかー。乱ちゃんも姐さんの護衛、そろそろ交代の時間じゃね?」
「あ。……うん」
「姐さんによろしくなあ。後藤くんもありがとなー」
何でもない顔をした審神者達が、揃って休憩室を出ていくのを見送る。
たぶん。大した話では、なかったのだろう。……少なくとも、一虎と炎にとってみれば。
引き留めるように伸ばされかけた後藤の手が、戸惑いと共に下ろされる。
(帰る、場所)
かつて。前任が主だった頃、乱にとって本丸は戦場だった。
同じ刀剣男士ですら、短刀以外は仲間だなんて思う事もできなかった。
今日は生きてた。今日は無事だった。じゃあ、明日は。その次は? その次の次は?
自分が大丈夫でも、仲間の誰かは大丈夫じゃないかも知れない。ある意味で"特別なお気に入り"だった薬研に庇われるばかりで、でも、その薬研だってあんな扱いをされていて、いつまで正気でいられるかなんて定かじゃなくて。
今の主が主になって。刀剣男士としてまっとうに、大切に愛されて。地獄だったはずの世界は極楽になって。
(……あるじさんにとって、本丸は――)
優しい人だ。穏やかで、寛容で、彼等の言葉によくよく耳を傾けてくれる。
空恐ろしくなるほどに甘く、夢みたいに都合の良い赦しをくれる。けれど、自分の事をあまり話さないひと。負の感情を、彼等に見せてはくれないひと。
それが今更、どうしようもなく悲しく思えて。乱は唇を噛んで俯いた。
■ ■ ■
とぷとぷ、とぷとぷ。
呪いは勝手に注がれる。充ちよ、充ちよと奉られる。
高く高く高く高く高く高く。地の底から始まって、天上にまで至れるよう。
心が動かないからそれを辛くも苦しくも感じないが、こっちの都合なんぞ考えもしないでどっぱどっぱ流れ込んでくるのでまあ割とウザくはある。
憎め、怨め、呪え――
死 ん で し ま え 、 呪 わ れ ろ 。
集約すればそこに行き着く思念の群れも、一つ一つを拾い上げてみれば存外温度差があるもので。
全部全部あいつのせいだ不幸になれ、もっと生きたかったなんでなんでなんでどうして、殺す殺す絶対殺す苦しめて殺す、■■ばっかり良い目を見てきた許せるものか、足りない欲しいもっともっともっともっと、守りたかった守れなかった何もできなかったもう嫌だ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、強欲な嘘つきどもにどうか報いを、嫌だ怖い助けて誰か、お前らばっかりキラキラしててずるい憎い堕ちてこい、奪うな離せ消えろ俺のだこっちに寄越せ、かえせかえせかえせかえせ、etcetc。
新しいものから古いものまで、鮮明なものから曖昧なものまで。
霊力操作でどうにかなるとは言われたが、今のところ耳元で垂れ流されてた爆音BGMが同じ室内で垂れ流されてる爆音BGMにランクダウンした程度の変化度である。
シャットアウト、どうも心と思考が繋がってないと無理っぽいんだよな……。
とりあえず頑張ればどうにかなるのは立証されたので、目標は夏場お庭で鳴いてるセミさんレベルへのランクダウンだ。みんみん。
「いーち、にーぃ、さんまのしっぽ、ごりらのろっこつ、なっぱ、ぱらぱっ、ぱっぱらぱ~♪」
「ただいま、。……何してるの?」
「おかえり小夜。刀装兵さん強化チャレンジだよー」
要するに暇潰しである。
多少はマシになってきたとはいえ、目にも耳にもガッツリ支障がある+腕が使えない状態だからできる事が少なくて暇なのだ。
でも霊力操作の試行錯誤してるだけは超だるい。焦点絞ってBGM聞くのも、こればっかだと飽きるし。
そこで刀装兵さんだ。
籠められた兵数以下にさえならなければ何度でも蘇るとはいえ、特上だろうと刀剣男士の強度には遠く及ばない。
一人一人の強さレベルが人間と同程度だもんなあ。弱い、脆い、命の価値が一山いくら。主として遇されてない審神者っぽさあって大変に親近感が沸くと別居中の情緒さんが申していたような気がしたりしなかったり。
そんな、弱くて脆くて自我がオブラート並みに薄い消耗品の刀装兵さん。
しぶといガッツで居残りしてるけど、確固たる器では無いので不安定なカラス。
合体! ってさせたら強くなりそう感あるよね。試す一択に決まってる。
情緒さんとは別居中ですが好奇心さんとは同居してるので。何気に原初本能の趣きあるな。
「これ、強化じゃなくて変異だよね……?」
「そうとも言う」
難があるとすれば、七人編成の刀装兵さんじゃないと安定しない事か。
八だと多くて六だと足りない。
「戦闘で一でも削られたらばらけちゃうかな……削った相手で補填する? なるなる、それなら自動で強化もされてくね」
「……それは器を乗り換えていくのと同義だよ。"刀装兵の強化"っていう観点からみると失敗なんじゃないかな」
「おおぅ」
小夜の指摘に、畏まって平伏している刀装兵さん(改)を見る。
言われてみれば同一性、だいぶ怪しくなるな……? 順当に行くと遡行軍で置き換わるし。これは運用にも難ありだわ。
カラス達へと視線を移せば、ざざっと一斉に目を逸らされた。中には口笛吹いて誤魔化す奴までいる始末。気付いてて黙ってたなこいつら。
「どうしよっかな。分離はでき――あっ」
霊力操作で元に戻そうとした途端、刀装兵さん(改)は粉々に四散した。
マジか……ちょーっと魂を分割し直そうとしただけなのに……加減が難しいな……。
刀装兵さん(改)がいた場所を見て、ひとつまみも無い黒い灰になった核を見て、まだまだ手付かずで転がる刀装を見る。
「……惜しかった?」
「いや別に」
刀装兵さん(改)はコンセプトから考えれば失敗だったが、作ろうと思えばいくらでも作れる。霊力操作の特訓にも良さそうだし、また気が向いたら解体チャレンジに再挑戦するとしよう。
にしても合体、いい案だと思ったんだけどなあ。
あとパッと思いつくのだと、昔いけるのでは? って考えついた見立てセックス案か。
あれもなー。刀装を種と見立てて産み直し強化するにしたって、胎使うとなれば確実に十月十日コース。一点モノ作るならともかく量産は無理だ。暇潰しに試すにしても期間長すぎて萎える。
「丸いしな……卵に見立てて抱卵でもしてみるか……」
熱を与える代わりに霊力を注ぐ。アリでは?
「」
「なぁに小夜」
「が本丸に戻りたくないのは、刀剣男士がいるから?」
「……藪から棒だね」
しっかしズバッと切り込んできたな。
それ君ら的にわりとセンシティブな話題なんじゃないかと思うんだけど。
視線を向ければ、そこにあるのは文字の群れで構成された小柄な影法師。文字はどれも黒なのに、どうしてだか全体的に青っぽく見えるのが小夜の特徴だ。刀剣男士、見え方はどの刀も同じなのにサイズ以外でもそういう個性? あるの不思議だね。
「そうでもないよ。……今のあなたになら、この問いも負担にならないだろうと思って」
「あー」
確かに、情緒さん別居前だったら負担になってそう感あるわ。
森羅万象に己の非を見出して傷つき自責するめんどくささEXの繊細ハート。論理破綻にも程があるんだよな。そういうのが許されるの思春期まででは?
「そだね。ざっくり言っちゃうとそんなとこ」
「……は、刀剣男士が嫌い?」
「ん、んんー……。嫌いっていうより、たぶん、苦手?」
ちょっと情緒さんと別居中なので自信ない。
「君らの善良さも、主に対しての忠実さも知ってはいるけど、同じくらいには暴力に対する抵抗の無さとか、脅しが普通に会話の選択肢に入ってるとことかもよく知ってるし。扱い次第じゃ自分が痛い目見るのは身に染みてるからね。普通の審神者みたいには、無条件に好きだとは言えない」
初期刀組は最初から割と友好的なのばっかだし、短刀もご同様である。
環境の変化というのはストレスだ。安全な現世ですらそうなのだから、審神者なりたては言うに及ばず。
そんな不安で心細いところに、人ではなかろうと顔がいい連中が好意的に接してきてくれて一緒に苦楽を共にしつつ試行錯誤。まあ普通に好感持つわな。
チュートリアル出陣とやらで植えつけられる罪悪感と失敗に対する許容も鑑みれば、ちょっとやそっとで揺るがぬ好意と信愛を抱くようにもなろうというものだ。
つまるところ最初が肝心。なるほどね!
「でも、ここまで一緒にやってきたしね。小夜達のことはそれなりに好き」
たぶんきっとおそらくは。情緒さんと別居中なので以下略。
愛憎両方あるのに憎悪を直視しようとしなかったから、飲み込んだモノで水面下だーいぶドロドロしてたっぽいけど。
「けれど、戻ろうとはしなかった」
「間違ってるのを分かってて自死を選んだんだよ? どのツラ下げて、って感じじゃん。見限られるのは仕方ないけど、それを突き付けられるのは死ぬより嫌だったんじゃない?」
次郎さんあそこまでキレさすの、人生二度目だからなー。
情緒さん別居中の今ですら、次郎さんと顔合わすのやーだなっ! って思う。感情。
「……じゃあ、今のあなたが戻ろうとしないのはどうして?」
「戦争やる気ない。誰が消えてどう死のうがクソどうでもいいです。そういう人間のいる場所ではないでしょ、本丸は」
どんな命も、産まれたからにはいつか死ぬ。
種の命題は繋ぐことだ。個々がどう生きたかなんて、しょせんは泡沫の些末事。
歴史が改変されようとも、種が存続するという結果が同じならば中身を論じる意味は無い。
そうして繋ぎに繋ぎ、長く、遠くへ至った種であろうとも、いつか、どこかで終わりは来るのだ。
何もかもは無為で無価値。現実も夢も変わりない。
歴史改変ですべて泡沫と消えるの、どんな死に方よりも優しい終わりなのでは? 恐怖を感じる間も無さそうなとことかポイント高いですね。
本当に時の政府が守れって言ってくるのがありのままの正しい歴史なんですかぁ? 疑惑を棚上げするにしたって、戦争勝ったところで種としての人間がそう長続きするとも思えない。
ゴキブリパイセンの足元にも及ばぬ程度の強度。
っぱ宇宙空間でも生存可能なクマムシこそが絶対王者よ。
「私の戦う理由は執着だった。生への執着、残してきた人たちへの執着、故郷への執着。……愛って言った方が耳触りはいいかな? そういうのが壊れた私はあのザマで、今の私に戦う理由は見い出せない。繋ぎ直したところで小夜たちが期待するように、復讐を戦う理由にはできないと思うよ」
復讐するだけの動機はまあ、結構ある。
感情は理屈じゃない。逆恨みも立派な恨みで、どれだけ自分勝手なものであろうと憎しみは憎しみだ。
それでも、カラス達が「復讐は義務 ^^」してきた時点で私の核がそこで無いのは知れていた。じゃあ感情の核どこよ? って聞かれると自分でも首を傾げるしかないんだけど。情緒さん別居中だからちょっとよく分かんないですね……。
カラス達からブーイングが飛ぶ。
文句つけたところで都合良くは曲がらんので諦めろ。
「いいよ、別に」
「おや」
これは想定外のあっさり具合。
「僕はあなたのものだ。
あなたの心に添うのなら、それがどれだけ愚かな間違いでも肯定しよう」
「そこは否定しなよ刀剣男士。せっかく心持ってるんだから自主性もっと強めにいこ?」
「持ってるから肯定するんだよ。僕らと一緒に堕ちてくれると言ったのはあなただ」
「それ覚えてたかぁ……」
鍛刀前の記憶、ゴミ箱にボッシュートしておいて然るべきでは? 遺憾の意。
にしたって分かんないなー。覚えてるんなら尚更、大変だった前の分までハッピーお気楽に刃生過ごした方がお得だと思うんだけど。付いてきたって献身に見合うだけのリターンとかご用意されてないぞ。
「小夜は事務能力高いし目端も利く。"小夜左文字"の分霊の中でも優秀な部類でしょ。もっと価値の分かる、大事にしてくれる主に鞍替えした方が報われるよ?」
不在本丸対応の中で、別本丸への引き取り案件は何度か処理している。
腕が動かないから書類作るの面倒だけど、小夜の為ならそのくらいはしてもいい。伝手を使えば政府勤務もギリいけるかな。
「じゅうぶん報われてるよ。
目障りだったのが自滅してくれたから、欲しいものも手に入りそうだし」
「ふぅん」
まあ、価値観は人それぞれか。
本人が納得しているのなら強要すべきではないし、理解はできなくても尊重はできる。
復帰の見込み皆無なヒモニートせっせと介護しに通ってんの、刃生棒に振ってる感はんぱないけど。
「でも、。他の主への鞍替えを勧めるのはこれきりにして」
「? いいけど、何かまずかった?」
「良かれと思ってだとは分かっていても、不要だと言われたみたいで悲しくなる」
…………。
小夜でこの反応なら、他の刀にも勧めない方が良さそうだな……。
小夜以外の刀が謎言語なバグまっただ中で助かったわ。修羅場になって殺されるのは別にいいけど、後任にヤバめな事後処理を残していきたくはない。
耳と目がまっとうになったら、面倒でも一度は戻らなきゃなあ。本丸さんに退去の挨拶しなきゃだし、ちゃんと後始末はしておかねば。引継ぎ、苦労は少なめであれ。
「僕の帰る場所はあなただ。……絶対、置いて行かれてはあげないから」
「えーと……なんかごめんね? おいで小夜」
腕を広げて呼べば、寄ってきた小夜が促されるまま腕の間に収まった。
動きにたどたどしさがあるのは、この手のスキンシップをしてこなかったが故だろう。腕が動かないから抱き締めにくいな……。
昔、妹達としていたように。少しだけ空いたままの距離を埋めて、頬をすり寄せる。
「先の見通しが立たないから、約束はできないけど。いいよ、好きに付いてくるといい」
「――……うん」
小夜の手が私の背に回る。
そういや、烈水さんも見捨てていくなって言ってたっけ。
砕けてサクッと下るつもりでいたけど、次郎さん以外の同行者も連れて下れるルート模索しておくか。根住みならワンチャン知ってそう。
もうちょっと真面目に霊力操作頑張って、楼主さん辺りにでも相談してみるかー。
■ ■ ■
障子戸を通って、白い月明かりが室内へ差し込んでいる。
貪欲にも慈悲深く、何もかもを黒い暗幕の下へ覆い隠す闇も、光を浴びれば一目散。
肩透かしな枯れ尾花も、目を背けたくなる凄惨も、どちらも同じと区別なく、平しく光は曝け出す。
「気に入りの石があるとするだろ」
あるべき人間、部屋の主人が不在の部屋で。
ぞろりと長い長躯で、狭い室内を我が物顔に占拠して。百足の下肢をした少年が言う。
「磨いてる途中で割れたとする」
刀剣男士だった頃と同じ声、同じ顔。
薄幸の、という形容詞が似合う白皙の面差しは、けれど陶器の如くにひび割れ、半分以上が剥離している。
人間を模した美しい肌の下にあるのは黒だ。ザリザリと目の粗い、穴ぼこだらけの玉鋼。
欠けているのは顔ばかりではない。その身体も含め、今や室内の何もかもは灼け欠け壊れて散乱し、惨憺たる有様であった。
箪笥だった残骸の上で、あちこち裂けた丸くて青いぬいぐるみの、千切れかけたボタンの片目がぷらぷらと物言いたげに揺れている。
「気に入ってるから金で継いで、元の形にしたとしてだ」
ぬいぐるみと同様に、部屋に転がる人影が二つ。
内と外、薬研に施された二重の封。その内側の維持・監視を担っていた、脇差二振りである。
折れてはいない。否。正しくは、すぐに折れる事は無いと言うべきか。主の似姿を取って、内側の封の要を務めていた骨喰も――その補佐として傍にいた、鯰尾も。
「石は、割れる前と同じだと思うか」
類感呪術。
類似は類似を生み、結果は原因に似る。
今の主は呪いの渦中にある。その似姿を写し取って、無事でいられるはずもない。
骨喰のみならず鯰尾にまで呪いの余波が及んだのは、時の政府が彼と骨喰を対となるよう“刀剣男士”として形作ったからか。同じ粟田口派というのみならず、彼等は何かと似通った部分が多い。類似したモノは相互に影響し合う。呪いの感染が起きるにも、条件は充分過ぎた。
「ああ。流れの中にある以上、揉まれ、削られ続けるのはどうにもならん。……だが、そうだなぁ。余計なモンを継ぎ足されんのは、話が違う。だろ?」
御神刀は呪いに強い。大太刀となれば耐久力は言うに及ばず。
そうした性能差を考えたとしても、刀剣男士は“戦士”である。霊刀ならぬ脇差であろうと、刀剣男士であるのだから流入する呪いにも耐え切れるに決まっている――自負した通りに二振りは、のたうち、呻き、血反吐を吐き散らしながらも呪いのもたらす痛苦に耐え抜いた。
魂の寸断。
その筆舌に尽くし難い激痛を除いては、だが。
ぎぢ、と鉄が軋む音がする。
白い肌に、更なる亀裂が走る。ぱらぱらと破片が零れる。
歪む形相は、正しく人に非ざる本性に似付かわしい。
「主は誰かのモノじゃない。そうであっちゃあいけねえ。相手が誰だろうが、好き勝手させてたまるものかよ……!」
怒り、してやられた屈辱に打ち震え、それでも薬研が激情を抑え込もうと努めているのは、自由になった事を悟られる訳にはいかないからだ。
御神刀達が念入りに施した二重の封のうち、外側は今も生きている。
それが保たれている間は、ここで起きている出来事が外へ漏れる心配は無い。
油断だった。主従契約の呪を利用する事で、今の薬研は魂の緒より遥かに強固に、主の魂を肉体と繋げている。そうである限り、多少の傷――腹を切っただとか、喉を掻っ捌いただとか――で彼女は死なない。
誰より傍で主を見てきた。誰より主と共にいた。
もう、連れ歩いてはくれないだろう。当然のように佩いて、使ってくれはしないだろう。
それでもきっと、折りはしない。刀解もだ。厳重に部屋へ仕舞い込んで、二度と日の目を見る事は無い。
それでいいと思っていた。死なないでいてくれるなら、それで構わない、と。
だから彼を封じようとする次郎太刀にも抵抗はしなかった。
けれど。
「人間のままじゃ逃げ切れねえな。前田の案も悪くねぇが、移し替えは定着するかどうかが怪しいか。……削られたのが痛いぜ」
多少の傷で死なない程度では足りない。
それでは駄目だ。主の魂を捕まえていた片腕ごと、文字通りにこの身を裂いた痛みと共に分からせられた。
どう足掻いても覆しようのない、絶対的な力の差。あまりにも神としての格が違い過ぎる。主が加護を与えられている事は感じ取っていたものの、あれほどの大物にあそこまで気に入られているなど想定外もいいところだった。
作り変えてやらねばならない。
何者からも逃げられるように。縛られないように。いいようにされてしまわないように。
相手が誰であろうと、膝を屈する必要なんて無いように。
「顕現してない刀を? そりゃ有難いが、あれっぽっちじゃどのみち足りん。かといって、流石に仲間を食うのはな……おいおい、俺の都合で主のモノを折りはしないさ。射掛けられんのはもうこりごりだ」
だが、しばらくは裏方に徹する必要がある。
自由になった事を悟られれば面倒なのもあるが、それ以上に主の魂が不安定だからだ。
薬研の腕と共に裂かれた魂は、継がれ、ひとまずは元通りに治されている。――けれど彼女の魂をかろうじて捕まえている、残った指がその危うさを感覚として伝えてくるのだ。万が一にでも指が離れたが最後、継いだ部分からまた裂けかねない。
今の薬研は主の目釘同然である。業腹ではあったが、継がれた魂が安定するまでの準備期間と割り切るしかなかった。
ざくり、ざくり。
辛うじて残った鋼の脚が、畳を刺しながら緩慢に蠢く。
ぞりり、ぞりり。
ところどころ剥げ欠け抉れた百足の下肢が、畳の上を緩慢に這う。
「刀もいいが、今の俺にはこっちだな」
ぱかりと開いた真っ赤な口から、小さな百足がチロリと覗いた。
それをわし掴んで引きずり出し、仲良く転がる脇差達を見下ろして微笑む。
「安心しな兄弟、ちょいと呪いを頂くだけだ。むしろ楽になるんじゃねえか?」
答えは返らない。
鯰尾は目の焦点が合っておらず、骨喰は意識を失ったきりだ。
分かっている癖に話しかけずにいられないのは、物らしくしてきた事の反動か。
口が無くとも、心を持てば好悪が芽生える。意思を持つ。知りたくなって、知って欲しくなる。己の言葉に耳を傾け、尊重してくれる誰かがいたとなれば尚更だ。分かってもらえる喜びを、分かち合う楽しさを知ってしまっているのだから。
心を持ってしまった物は、もう、ただの“物”であった頃には戻れない。
刀剣男士も、迷い家も。
目覚め、育まれた心が在る限り。元に戻れなどしないのだ。
「同じ主に仕える仲間だ。前の主からの付き合いだしな――できるだけ優しくするが。ま、なんせハジメテなもんでな。下手糞でも勘弁してくれや」
ぽとり、ぽとり。小百足が、脇差達の顔の上へと落とされる。
耳の穴から、半開きの口から、命じられるままにその体内と潜り込んでいく。
変化は劇的だった。激しく、それこそ陸に打ち上げられた魚のように痙攣しだした二振りを見下ろしながら、薬研は顔のひび割れを撫でつける。
黒から白へ。人に非ざる肌は、人の如き肌へ。露呈した本性を、丁寧に、丹念に。刀剣男士であった頃と同じに取り繕う。
「まずは、前田に繋ぎを取ってもらっていいか? 後は獅子王の旦那に。あれでも古刀だ、いい知恵出してくれるだろ。心配すんな。口説き落とす自信はある」
そうして、薬研藤四郎であったモノは宣言する。
以前と変わりない声で。断固たる意志と、不退転の決意で以て。
「主の帰る場所はここだけでいい。頼りにしてるぜ、本丸さん」
ひらり、桜の花びらが舞った。賛同。
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