佐賀城下、町外れ。
政府の調査チーム探しを始めて四日目になるが、今のところ成果は上がっていなかった。
別段、それに悲観は無い。次郎太刀は大太刀だ。索敵に向かないのと同程度に、人探しにも向いていない。探し出そうと思うなら、他の刀剣男士の顔を知らない事や練度の低さを加味したとしても信濃の方がまだ向いている。
が同行する案もあったが、そちらは次郎太刀が却下した。
ごく一部を除いて、大抵の時代において明らかに浮く刀剣男士が大過なく活動できるのは、彼等が人間の認知を誤魔化す術を心得ているからだ。どの時代においても服装や髪型、化粧というものは流行り廃り以外の意味を多分に含んでいるものだが、大量生産の技術が確立されていない時代においてはその傾向が強くなる。それに、完璧に身なりを時代に合わせて整えられたとしても、育ちの違いから来る物慣れなさ、生来の人間では無いが故の異質さは滲み出るものだ。
自分一人くらいならともかく、道行く人間すべてに対しての分まで認知を誤魔化し続けるのは、不可能ではないが払う労に対してあまりに益が少なすぎる。そもそも、彼女に加護を与えている神が神だ。下手をすれば調査チーム探しどころでなくなるのが目に見えていた。
だから、一振りであてどなく探し回る事に不服は無い。他にも手は打ってある。
調査チームを探し出せればそれで良し。本命は、あえて認知を誤魔化さないで人々に自身の印象に残し、向こうに見つけてもらう事の方だ。
問題なのは――。
「ふぁ~あ……よく寝たぁ」
大きく伸びをして、次郎太刀は盛大にはだけた胸元をボリボリと掻く。
街道沿いを避け、城をいくらか離れてしまえばこうして人の目が届かない、無人の場所はいくらでも見つかるものだ。軽く首を回せば、負荷を受けてコキリと骨が鳴った。上半身を起こし、気だるい眼付きで常に携行している酒甕を呷る様は誰が何処からどう見ても、やる気の無い飲んだくれそのものである。
刀剣男士を送り込む為、時の政府がこうした場所に転移先の目印を設定している事はままある。その目印探しも目的の一つではあったが、次郎太刀の本命はそれではなかった。
(これでも乗ってこないか)
警戒とは無縁の表情を保ったまま、次郎太刀は内心だけで舌打ちする。
索敵を不得手としていようと、曲がりなりにも刀剣男士だ。多少どころではなく酒が入っていたとしても、複数の、おそらくは監視であろう視線に気付かないほど鈍くはない。その視線が城にいる時以外、常に付き纏っている事にも気付いている。
だからこうして誘いをかけてみたのだが、あからさまに過ぎたのか、向こうが余程慎重なのか。何にせよ、完全な空振りに終わってしまった事には違いない。こちらの狙いが見え透いていたとしても、襲うならこれ以上なく好機であったはずなのだが。
大いに乱れた襟元を直し、空を見上げる。陽が暮れるにはまだ早いが、今日は距離が距離だ。もう帰った方が良いだろうと判断し、次郎太刀は腰を上げた。
(狙いが分かるまでは、泳がされておくしかないね)
駆け引きやら探り合いやら、そういった細かな事は不得手も不得手であったが仕方ない。
次郎太刀は奉納された御神刀で大太刀だ。現世寄り、と言ってもそれはあくまで兄・太郎太刀と比較してである。どの分霊も酒甕を持って顕現される辺りから容易に伺えるように酒好きで、誰彼構わず酒に誘うくらいには人懐っこく陽気ではあるが、根本の部分で俗事に対する興味が薄い。刀としての性質から来る大雑把さも手伝って、こういった行為への適性は刀剣男士の中でも下から数えた方が早いだろう。
だが、何せ状況が状況だ。多少危険を冒しても、早めに帰還してしまいたかった。――の友人である人間を、次郎太刀は彼女ほど信頼していない。だというのに一人にしておけるのは、薬研がついているからである。
あの短刀は“物”である事を選んでおきながら、とんでもなく我が強い。当然だ。物である事を選ぼうと、心までただの器物であった頃と同じようにはならない。かつて励起された心は目覚めたまま。それでいて仮初の肉体をあえて顕現させず、主に道具として使われ続けているのだからいい面の皮をしていると常々思っている。最近では祟り神と化した同属の一部を取り込んだ為だろう、ただでさえ厄介だったのに拍車がかかった。
ともあれ、存在は気に喰わないが余程の事が起きない限り、後れを取る事はあり得ない。
「たっだいまぁー」
「おかえりなさーい」
戻った次郎太刀を迎えて、が顔を上げた。
その身に纏っているのはいつもの巫女服に黒い羽織では無く、この時代の装束である。
彼が顕現されてからというもの、が就寝時を除いて、審神者としての装束以外を身に纏っていた事は一度も無い。次郎太刀にとっては見慣れない姿だったが、いつもの服を元手に、それを見立てたのは己である。正直なところ、気分はいい。
「どう、次郎さん。何か収獲あった?」
「なーんにも。今日も空振りに終わったねえ」
「うーん。あまりにも進展が無い」
眉をハの字にしてがぼやく。
困ったような物言いではあったが、この現状にそれほど危機感を覚えてはいないらしい。むしろ気が抜けているくらいである。次郎太刀としても、拍子抜けの感はあった。何せ、この四日間はあまりにも平和すぎたのだ。
遡行軍らしき視線は感じれども殺気を感じる事もない。何事も起きず、ただ時間だけが過ぎていく。本丸であれ相模の城下町であれ、日々何かと駆けずり回って忙殺され、時に命懸けの修羅場を捌いてきた身としては尚更だ。
「そう言うそっちはどうだったのさ」
「本日もお日柄よく平穏無事変化ナシ。やっぱ信濃さん本霊に突撃してみるべきかなぁ」
「こぉら。下手に首突っ込むもんじゃないって言ったろ」
窘めれば、「そうだけど」とは唇を尖らせた。
本人に自覚は無いのだろう。昔の友人とずっと一緒にいるせいもあり、その表情は気持ちを素直に反映して、普段より数段ポヤポヤと緩い。
「あんまり長居してると、戻った時の時間差ギャップが怖いんだよね。やらなきゃいけない事が色々抜けてそう」
「そーんな心配する事かい? 本丸はともかく、箒衆は自分がいなくても仕事回るようにしてるじゃないか」
「そうなるよう頑張ってはいるけどね? まだまだ人も育ってないし、完全にノータッチで大丈夫、になるまで最低でもあと一年は要るかな。城督の権限あってこそ、って部分もあるし」
「ん~……。質に入れた服が、うまい事どっかで引っ掛かってくれりゃいいんだけどねぇ」
の黒羽織を売り払ったのは資金調達の為だったが、それが政府側の目に留まるように、という狙いもあった。紡績、縫製、染織。どの技術も、未来とこの時代とでは大きな差がある。未来においては何の変哲もないただの服も、この時代においては立派な異物。もっとも、物が物なだけに見過ごされる可能性も高いのが難点ではあるのだが。
「いっそ、遡行軍が出張ってきそうな辺りにでも足伸ばして網張ってみる?」
「それ、危険度で言えば信濃さん本霊に突撃かますのとどっこいでは」
「なーに言ってんのさ、こっちの方が安心じゃないか。外ならアタシも暴れやすいし、何より罠の心配が無い!」
「んんん……まあ一理ある、ような……?」
今一つ腑に落ちない様子で、が首を捻る。
嘘は言っていない。城内に焚かれている病除けの煙による認識阻害、それによる城の人間と遡行軍の誤認を考慮の外としても、雨戸や窓のほとんどを閉め切っていて昼間でも暗い上、城内とあれば大太刀を振り回すにはいささか狭すぎた。一人と一振りしかいない現状で、不利な戦闘を強いられる状況は忌避するべきものである。
の友人である人間を、次郎太刀は彼女ほど信頼していない――けれど、あの人間がに向ける親愛の情に、偽りは無いだろうとも感じていた。
あの人間は、間違いなく何かを知っている。それが何かまでは分からない。だが、信濃の本霊と会う事に過剰なほど否定的だったのを思えば、不用意にを近づける気にはなれなかった。
「でも寛永十二年か……。二年後なら島原の乱があるけど、それ以外はこの時期ちょっと思い当たらないなぁ……」
「ありゃりゃ。それじゃどうしようもないねぇ。ま、こっちに来てまだ日も浅い。逸る必要はないさ」
本丸側ではさしたる時間経過は無くとも、遠征先では何ヶ月単位で時間が経過している事もままある。
次郎太刀としても早く帰還したいのが本音であったが、その為にが危ない橋を渡るようでは本末転倒だ。
「そういやアンタ、友達と仲がいいのは結構だけどさ。手の内全部明かしてないだろうね?」
頭を過ぎった懸念を口に出して問えば、は思いもかけない事を言われた、というように目を丸くした。
きょとん、とした無防備な表情が、見る間に不快の念を滲ませたそれに変わる。眉を顰めたが、かつて、彼女に顕現されて日も浅かった頃を思い出させる冷ややかさで、疑念を滲ませて固く尖った声音で問う。
「……次郎さんひょっとして、キリちゃん先輩のこと疑ってる?」
どう答えたものか。迷ったのはほんの数秒だった。
正式な審神者でないとはいえ、刀剣男士を従えているのだ。信じてはいないが、あえて疑惑を口にするほど強く疑っている訳でもない。
けれど、自分に対する信頼と、あの人間に対する親愛。天秤にかけてみたいという欲に従い、「そりゃあね」と次郎太刀は疑惑を悪びれずに肯定した。瞬間、黒瞳に閃いた苛烈な色に目を奪われながら言葉を重ねる。
「今の状況、一番おかしいのはアンタの友達だ。疑うなって方が無理だろうに」
「ないよ、絶対」
明確な怒りに顔を顰め、は吐き捨てるように断言した。
「先輩は私とは違う。争いごとがまるきり向いてない人だ。遡行軍に加担するなんて絶対ない。脅されて従わされてる可能性ならなくもないけど、それなら私達をここまで自由にしておく理由が無い」
次郎太刀を見据える双眸が、パチパチと奥底で火花を散らす。
常ならば。彼女がここまで明確に否定を示す事は無かっただろう。次郎太刀は御神刀だ。人ならざるモノと縁深い仕事であるからこそ、理屈では説明できなかろうともは決して軽んじたりはしなかった。内心はどうあれ何事も平静に、大抵は面倒くさそうに、事態の解決にあたってきた。
「そもそも次郎さん。先輩に対する疑いに、何か根拠があるの」
それがどうだ。
全てを暴き出そうとでも言うかのような鋭さで、挑みかかるような物言いで質すに、普段の淡泊さは欠片も伺えはしなかった。
「……無いね。ただの勘さ」
次郎太刀は刀剣男士だが、神であり、器物でもある。従属こそを本質とする。
主の言葉には従うものだし、何より、可愛い己の審神者が願ったのであればどのような事でも叶えてやりたい。
「そう。――私の友達を、二度とただの勘で疑わないで」
だが。
「」
「……なに」
己への信頼が友への親愛に負けた事実に、何も感じない訳では無いのだ。
距離が縮まる。険のある眼差しに薄く警戒が混じる。次郎太刀に対して、最近ではめっきり見せなくなった反応だった。身を固くしながら、それでもこちらの出方を伺って視線を逸らさないままでいるの傍に膝をつく。不可解そうにしながらも、身を引こうと腰を浮かせかけた動きを遮って、頬に手を滑らせる。やわい肌を撫でて耳裏をなぞり、衿裏に潜り込んで――
「~~ッ!?」
うなじに触れた指先に、が痙攣めいて掠れた悲鳴を上げた。
すかさずもう片手で腕を引けば、崩れ落ちるようにして次郎太刀の胸へと倒れ込んでくる。反射的にか、縋り付くようにして回された腕が抗議の意を込めて力いっぱい爪を立ててくる。声を出す余裕がないのだろう。
にとって、他人に首へ触れられる事は特大の地雷だ。呼吸は荒く乱れ、触れたままのうなじは早くもじっとりと汗ばんできている。
全身で忌避感を示しながらも、しかし逃げ出そうとあがくのではなく抗議する、という手段を選んだに、次郎太刀はとろりと瞳を蕩かした。
「従うさ。それがアンタの願いならね」
影が揺れる。畳の上に伸びた影が、音もなく崩れる。
ずるずるずるずる。異形の下肢を引きずって、主の影に纏わりつくようにしてまろび出た長躯の影絵が、殺意を乗せて平面の向こうから次郎太刀を忌々し気にねめつけた。影が凝る。濃度を増し。密度を増して触手のような形状を模したそれ等が、平面から立体になって次郎太刀へと襲いかかる。
角度的に見えてないとはいえ、仮にも主の前だ。嫌がらせ程度に威力を抑えられてはいたが、生憎まともに受けてやる義理はなかった。地味な嫌がらせを仕掛けてくる薬研を片手間にあしらいながら鼻で笑う。
「でも、何かあったら必ずアタシを呼びな」
うなじに触れたままの指先に霊力を込める。呼ばれれば即座に駆け付けられるように、己の紋を丁寧に丁寧に刻んでいく。強張った身体が跳ねる。爪を立て、必死に声を噛み殺しながらも身を預けている様に溜飲が下がる心持ちだった。
薬研がついているのだ。わざわざこんな保険をかける必要は無いし、紋だって身体の何処にでも刻める。
分かっていて、次郎太刀はそれを止めようとはしなかった。薬研との抗議を黙殺しながら、うなじへ綺麗に刻み込んだ紋に、満足して目を細める。
「いいね?」
ほとんど痙攣のような動きで、が小さく首肯した。
承諾の意に、描いた紋が一瞬だけ強く煌めき、皮膚の下へと沈み込む。
最後にうなじをひと撫でして手を離せば、途端にどっと全身を弛緩させた。身を預けたまま、無言で呼吸を整えるその背をさする。のたのたと緩慢な動きで、が顔を上げた。視界の端で薬研が慌てて影に引っ込む。
潤んだ、しかし据わった目で次郎太刀を見据えてにっこりと笑い。
「はをくいしばれ」
次郎太刀は潔く、振り抜かれた拳に甘んじた。
■ ■ ■
2014年に限らず、戊辰戦争以降の時代への干渉は困難を極める。
これは歴史修正主義者、時の政府どちらの陣営においても共通だ。原因は複数挙げられるが、中でも実働部隊を務めるのが、両陣営ともに刀剣を本性とする付喪神である事がもっとも大きい。故に維新の時代以降。2200年代に至るまでの“過去”を対象としての、時の政府の警戒度は低い。例え干渉できたとしても、満足に活動できない事が分かっているからだ。
雨宮 霧恵の顕現した“信濃藤四郎”も例外ではない。
その場に己の本体があり、審神者の力を備えた主が在ろうとも。未来から来たでも過去から来たでもなく、間違いなく彼という付喪神が、その時代の存在であろうとも。時間への干渉が困難であるという事実に、いささかの揺るぎもなかった。
時間にしてわずか五分。
遡行軍として与えられた力。現に干渉する為の仮初の肉体に、主から注がれる霊力の大半。励起された心以外、ありとあらゆる余剰を削り落としてすべて注ぎ込んで尚、2014年において巻き戻しを可能としたのは、ほんのそれだけの時間だった。
彼の主が助かる為の条件は至って単純。殺される前に殺せばいい。
五分で事足りるはずだった。彼は最早ただの守り刀、物言えぬ道具では無い。男女の力の差、生まれついての覆しようのない性能差があろうとも、生来戦うモノである刀の付喪神がついているのだ。非力な主であろうとも、必ずや未来を勝ち取れるはずだった。
それが楽観に過ぎなかったと理解するのに、長くはかからなかったけれど。
死ぬ。やり直し。
死ぬ。やり直し。
死ぬ。やり直し。
死ぬ。やり直し。
死ぬ。やり直し。
死ぬ。やり直し。
死ぬ。やり直し。
死ぬ。やり直し。
結論から言えば。雨宮 霧恵は死に続けた。
どれだけ繰り返そうと、どれだけ機会を与えられようとも、できない事というのはあるものだ。
殺す事、暴力を振るう事への忌避感。殺された事に起因する、刻み込まれた相手への恐怖。刀にとって無縁のそれらは、けれど大抵の人間にとってしてみればあまりに厚く、重い壁だ。
技術の巧拙を問う以前。資質の段階において彼の主は文字通り致命的に、人殺しの資質に欠けていた。
信濃の手助けも、握る主人に躊躇いが消し切れないのでは意味が無い。恐怖を乗り越えられないのでは意味が無い。向かい来る敵にどれだけ斬り込む隙があり、どうやれば殺せるのかを懇切丁寧に教えられながら――自分の命を奪う相手ですら、彼女はどれだけ繰り返しても殺せなかった。殺す為に、短刀を振るう事ができなかったのである。
「なんでッ――どうして!!」
ほんの僅かな時間であろうと、多少上手くいかなかろうと。繰り続けていれば、何度もあきらめずに挑戦し続けていれば、未来を勝ち取れるはずだった。そう信じた。誰だって死にたくはない。だから殺す。殺せばいい。殺すべきだ。殺せるはずだ。
あまりにも徒労。あまりにも愚か。
時間遡行の為に持ち得るほとんどすべてを注ぐ信濃に、直接的な手助けはできない。主の代わりに、主に仇なす男を殺してやる事が出来ない。だからどうしても、主に決心して貰わなければならなかった。
宥め、すかし、怒り、責め立て、泣き喚き、叱咤し、哀願した。およそ出来得る限りを尽くし、けれど全てが徒労に終わった。どれだけ言葉を費やしても、信濃藤四郎は、雨宮 霧恵に人を殺すという行為を受け入れさせることが叶わなかった。
「だめだ……これじゃダメだ、このままじゃダメだ……! 何か、何か……!」
何度となく失敗し、何度となく主を喪い。それでも、信濃は諦められなかった。もういい、とは思えなかった。
例え死に至るだけの結末であろうと、五分間を延々と繰り返し続ける事はできる。だが、そこまでだ。無い袖は振れず、足りないものはどう誤魔化そうと足りはしない。
消える直前のろうそくの火が一際大きく輝くように。雨宮 霧恵は、死の淵において命を――霊力の燈火を、一際大きく燃え上がらせた。ろうそく同様、それ自体は燃え尽きる寸前の最後の瞬きに過ぎなかったものの、その霊力が偶然にも、父から貰った守り刀を顕現可能するだけの必要量に満ちたのだ。
……魂は、死を潜り抜ける事で位階を上げる。要するに、死にかければ霊力が上がる。
あらゆる宗教において、死と隣り合わせの荒行が存在するのはそれ故にだ。死にほど近いところへ降りて行き、そして上る。道行きが過酷であればあるほど、魂は研ぎ澄まされ、霊力は強くなる。短期的な生死の往復であろうともそれは変わらない。問題があるとすれば、瞬くような時間で行われる往復業、それも繰り返す時間の輪の中での出来事では得られる霊力の増大もさして大きくはない、という点だろう。
何百回、何千回、何万回。死に続けるだけであろうとそれだけの数繰り返せば、時間を巻き戻しながらでも、仮初の肉体を維持できるだけの霊力量に至る時は来るだろう。けれど、そんなもの待っていられるはずがない。
人間の心は、何度も死に続けられるほどには強くないのだ――主の心が壊れるのが先か、はたまた歪な生死の往復に、魂が肉体ごと変質し切ってしまう方が早いか。
「そうだ」
そうして、何度目かの失敗の時。
「俺が、付喪神としてもっと強くなればいいんだ……!」
それは信濃にとって、天啓といっていい閃きだった。
強くなれば。確固たる物語、それも多くの人間に認知されたそれを手に入れれば、時間の巻き戻しと仮初の肉体の維持を両立できるようになるかも知れない。
2014年に限らず、戊辰戦争以降の時代への干渉は困難を極める。
つまり、それ以前の時代であれば時間遡行は容易である――この時代、この時間軸においては全力を注ぎ込んでも五分を繰り返すのが精一杯な今の信濃にとってもだ。当然、それは時の政府にとっても同じ。歴史修正に対する警戒度は、2014年とは比べるべくもない。それでも、彼はその天啓に飛びついた。この姿で顕現したのは、きっとこの為だったのだと。そう信じ、一縷の望みに賭けて。
くるくるくるくる、時計の針を逆戻す。
遡る。時は昔、寛永十二年一月 佐賀藩へ。
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