ここ最近、その一期一振は常に上機嫌であった。

 顕現した刀剣男士達は、同じ刀派のものを身内と称し、兄弟と称する。
 彼は現在実装されている男士達の中でも最大派閥となる“粟田口派”、その長兄だ。打刀である叔父一振りは除くとしても、脇差、そして短刀の大多数は彼の弟。そして一期一振は個体差こそあれど、大抵、例外なく弟達に親愛の情を抱いていた。その一期一振もまた同様に、弟達に深い、深い愛情を抱いている。
 彼等と共に在る事。彼等が幸せである事。彼等が大切にされる事。彼等が戦場で勝利する事。時折わがままを言って困らせられる事すら、彼にとっては楽しい出来事に他ならない。

「……ふふ」

 遊び疲れての無邪気な寝顔。
 それを眺めながら、一期一振は溢れる愛おしさに相好を崩した。
 環境は大事だ。一ヶ月という短い期間ではあったが、あちこち駆け回って弟達の為にあれこれ試行錯誤してきたからこそ、しみじみとそれを実感する。やはり、主がいるというのは良いものだ。
 主がいる。それだけで煩わしい制限の多くが取り払われ、自由に動ける。
 特に今の主などは大当たりだ。なにせ、他の本丸に出入りできる権限を持っているのだから。
 まあ、それ故に彼も、同胞たる燭台切も目の回るような忙しさとなった訳だが――おかげで他所にいた彼の愛しい弟達を保護してやれる運びとなったのだから、せいぜい長持ちさせてやらねばなるまい。
 幸福を噛み締めながらそんな事を考えていれば、ひょこり、と燭台切が障子の向こうから顔を覗かせた。

「ああ、やっぱり此処にいた。どうだい? 君の弟くん達は」
「燭台切殿。ふふ、今はよく眠っておりますよ。
 新しく迎えた厚が、ずいぶんやんちゃでしたからな。歓迎も兼ねて少し、はしゃぎ過ぎてしまったようです」
「成程、それで表がああなってた訳だ。うん、元気なのは良い事だよね」
「全くです」

 微笑ましげな燭台切に、一期一振もまた、柔らかく笑う。

 そう。例え違う本丸の出身だろうと、審神者からどんな悪影響を受けていたとしても。
 一期一振にとって弟達はただひとつの例外も無く、誰しもが可愛い。
 その成長も同様だ。とても喜ばしく思う。彼は弟達をただ可愛がるだけ、守るだけの兄ではないのだ。
 だって、それでは奪われる。彼の腕は二本しかない。彼の手は、遠くまで届きはしない。守り抜くには足りなさ過ぎる。それを理解し、受け入れているからこそ、一期一振は弟達が強くなる事に肯定的だった。彼等の健やかな成長を促し、力添えをし、寿いでやる事もまた、彼にとって喜ばしくも心愉しい出来事である。

「こちらの調略は滞りなく。燭台切殿の方は如何ですかな」
「ああ、こっちも順調さ。審神者を何人も確保しておいた甲斐があったよ」
「それは重畳。となれば後は、何処まで巻き込めるか……ですな」
「やれやれ。下調べや根回しにあんまり時間が使えなかったのがどうにも痛いなあ」
「ええ。せめていま一月は猶予の欲しい所ですが、あまり時間を掛けすぎても勘付かれましょう」
「そうなんだけど、ね。……政宗公みたいに上手くやれるといいんだけど」
「なあに、できる限りの手は尽くしたのです。後は天に任せるしかありますまい?」

 不安げに表情を曇らせる燭台切に、殊更に明るく一期一振は言ってのける。
 そう。詰めるだけは詰んだ。時間が許す限り、必要な布石は可能な限り打ったと、胸を張って良いだろう。自分達の状況を知り、審神者達の事を知り、現在の趨勢を知り、本丸にただ蹲っているだけでは知る事のできない多くを知った。知って。そうして彼等は、彼等にとっての最善を尽くした。
 力強い同胞の励まし。そして、いつの間に目を覚ましたのか。彼の弟達もまた、燭台切と兄の事を見つめていた。
 そう。彼等もまた、待っているのだ。この策謀の。彼等の努力の結実を。騒乱を。

 成すは国獲り、狙うは相模。
 この戦いはその第一歩。躓く気も、負ける気も無い。

――それじゃ、せっかくの晴れ舞台だ。格好良く行こう!」

 全面戦争が、始まろうとしていた。


 ■  ■  ■


 申し訳程度にも丘陵のない、見渡す限りのだだっ広い平原。
 それが過去に類を見ない規模の合同演練において、政府が用意した舞台だった。鈴さん経由で聞いた話によれば、新人審神者達の為、三月に予定されている戦力拡充計画用の場を流用して間に合わせたらしい。

 今回、めでたくもなく開催に至ってしまった大規模演練。
 複数の本丸で連合し、不在本丸を相手取っての大掛かりな模擬戦闘を行う、というのが大枠。
 名目は各本丸の連携強化に、昨年夏の演練時のような歴史修正主義者の襲撃が起きた時を考えての演習。そしてメインは、不在本丸で長らく審神者を欠いた刀剣男士達を、戦を通して鼓舞し奮起させる――という世迷い言である。そうだね雑な建前だね。こんな言い分をまるっと信じ込んでしまうとしたら、その審神者はよっぽど噂に疎いか、さもなければ相当騙されやすいタイプに違いない。
 どんな美辞麗句で修飾してみせたところで、実質的にはこの大規模演練、内乱鎮圧に他ならないのだから。しかもわざわざ内乱レベルにまで規模でかくしやがったのが審神者と政府側っていうね。交渉の余地ガン無視とかばかなのしぬの? 積極的に禍根を残していきたい系なの?
 政府上層部か審神者、功を焦ってるのが複数名いるだろこれ。まったくもって一緒にされたくなさすぎて震えるクソさ加減ですどうもありがとうございます。あらゆる角で足の小指連続強打し続けろド畜生。

 心底帰りたい気分で眺める地平線の先では、徴集された審神者連合軍がもたつきながらも総大将の指揮通り、なんとか布陣を固めつつある。その数、およそ十九万。
 刀装兵まで含めての数ではあるが、日本史上の合戦でも中々お目にかかれない規模の総軍である。
 なおこの審神者連合軍、動員しているのは各本丸一部隊のみ。審神者の数だけならせいぜい千五百名といったところだ。まぁ相模一国の審神者全体からしてみれば、この程度わずか数パーセントに過ぎないんだけどね!
 こんだけ頭数揃ってて未だに殲滅できてない以前におかわり尽きる気配もないとか、歴史修正主義者も大概規模おかしいな……?

「うーん。このカンジなら半日に甲州金五朱ー」
「そうかぁ? ンなにかからねぇだろ。四時間弱に甲州金十」
「ああ、それじゃあ僕は二時間で甲州金を六朱ほど」
「ではこの烈水、先生同様二時間に甲州金百」
「おいこら、なんで気楽な賭けをガチのにしようとしてやがる」
「えー結良センセ二時間賭けかー……」

「…………あのぅ。あれ、放っといていいんですかね」

 平原の一角、最前線からはほど遠い位置の野戦陣所。もといピクニック現場にて。
 双眼鏡片手にきゃぴきゃぴ賭け事をたしなむ不良審神者達の方をチラ見しながら、同部隊に配属された審神者の一人がおずおずと問いかけてきた。会話に水を差される形となった連理さんが、片眉を跳ね上げてその審神者をじろりと睨む。

「下らん事を問いに来るな。待機すら満足にできんのか」
「ひぅ……っ! も、申し訳ありません!」
「連理さん連理さん、その言い方は萎縮させちゃいますって。
 ……今はまだ休憩タイムですからね。まあ、あのくらいの賭博行為は見逃してあげて下さいな」
「え、あ、いやその……」
「あ、あの。そっちじゃなくって、もう交戦してるのに、こんなのんびりしてていいのかなって……!」

 まごつく仲間を見かねた様子で、少し離れた場所で一塊になっていた審神者の一人が助け船を出した。
 現場慣れしすぎた感のある不良審神者達の更にその向こうでは成る程、両軍の先鋒が既に衝突している様がこの距離からでも“視”て取れた。うむ、さすが平原見通しがいい。大軍だからこその鈍重さで、布陣の固まり切らない内から殴り掛かられて早くも押され気味なのがとっても分かりやすいですね。
 改めて顔を上げて見回せば、差はあれども不安そうな顔をしている審神者がそこかしこに見て取れた。思わず首を傾げて、連理さんと並んで話に混じっていた審神者達や、刀剣男士達に混じってのんびりしている審神者達を順繰りに眺める。
 あれっ不安そうなの知らない顔ばっか……? ……あ。うん。分かった。そういえば普通の審神者は本陣にすら赴きませんね。実質初陣みたいなもんだってのに、ちょっと心のケアが足りなかったな。年末年始のノリではいけない。説明大事。オッケーオッケー。

「んー……。私達、今回は“連合”軍なんですよ。あっちで交戦してる組は前線先鋒担当。対してこっちは予備兵力名目な最後尾の後詰組。組織行動である以上、指示があるまで勝手に持ち場を動いてはいけないですし、各々が自己判断で動くなんてもっての外。要するに現状、ここでピクニックを続ける以外の選択肢は無いって訳です」
「好き勝手動く手足なぞ、切り捨てられても文句は言えん。それすら理解しておらんとは、随分と血の巡りの悪いことだ」
「……っ」
「はいはい連理さん苛めない苛めない。緊張すると判断力鈍りますし、思わぬポカやらかしちゃったりしますからね。不安なら自分のとこの部隊とお喋りでもしながら、肩の力抜いておくのをお勧めしますよー」

 仏頂面で鼻を鳴らす連理さんを横目に、殊更に軽い口調で告げてにっこり笑う。
 不安そうな様子ながらも素直に自分の男士達の方へぞろぞろ歩いていくのを見送りながら、心の中だけで懺悔を述べる。うん。まぁその、初陣はね。わりとね。ごめん。全員セーフである事をお祈り申し上げます。主に膀胱的な意味で。

 審神者連合軍第三十八連隊。

 審神者三十七名を核とする、約五千名規模の軍事集団。
 それを居場所として確保した事こそが、主に結良さんと烈水さんによる根回しの成果だった。
 別名ハブられお払い箱部隊とも言う。なにせこの部隊、百パーセント今回の総大将とかその取り巻きから目障り認定喰らってる審神者で構成されているのである。三十七人もいて三分の二が見知った顔とか超ウケる。
 まぁ、そんなもう纏めて欠席で良かったのでは? 感溢れる構成員事情はともかくとして、だ。
 根回しで私達がもっとも重要視したのは基本中の基本、戦力の集中だった。
 バラバラではなく一纏めで運用されるように。または、バラバラであったとしてもなるべく近隣に話の通じる審神者達が配置されるように。外にも色々細々と準備はしたけど、一番はこれだろう。
 ちなみに指揮権は気が付いたら回ってきてた。はいはい目障り筆頭目障り筆頭。
 一虎さんを初めとして何人かは腹を立てているようだったが、後詰名目でハブられるのは予想の範囲内だったので私としてはさしたる感慨も感想も無い。気に入らない奴らが成果上げるのってむかつくもんね!

 仕入れた情報によれば、不在本丸は刀装兵まで含めても総勢三万弱程度。
 圧倒的な物量差はまさに大人と子ども、巨象と子ウサギ。
 負けが頭を掠める事もない。その気になれば、それこそ一方的に蹂躙して終われるような状況だ。

 ――まともに統制された集団であったら、の話でしかないが。

 審神者連合軍の問題点。
 まず、そもそも各本丸間の連携が取れていない。上司部下で振り分けはされたが、それすら数日前に通知された事。総勢十九万からなる大人数を動かすからには意思伝達が隅々まで徹底されている事と、上位者への命令服従が骨髄まで叩き込まれている事が大前提となってくるのにそこから躓いていやがるのだ、この連合。
 確かに私も、その場の急造で指揮系統を作って対応した事はある。
 けれど、あれは目前に迫る命の危機と誰にとっても明確な敵、そして何より優秀な現場指揮官あっての事。視野狭窄の頭に上位者の命令だと錯覚させて、多大な幸運に助けられながら綱渡りを走り抜けられたあの時とは何もかもが違うのだ。
 散々な前情報は何処まで広まっているか分からないものの、やたら高圧的でヘイトを煽るあの召集令状に、ちょっと何言ってるかよく分かんないですね! と言いたくなる大規模演練の愉快な名目、とどめに対峙するのはどう見ても元気いっぱい支援ばっちりとは言い難い様子が見て取れてしまう刀剣男士。
 いくら“演練”だろうとも、これで審神者達の士気が高いはずも無かった。弱い者苛め感はんぱない。

 だがしかし。何より頭が痛いのは、敵味方の識別が困難であるという点に尽きるだろう。

 通常の対遡行軍戦であれば、区別するまでもなく敵味方の判別ができる。
 そして通常の演練なら、両者共に規模はせいぜい中隊程度。たとえそっくり同じ部隊同士の戦いになろうとも、敵を見誤る事はない。そりゃ自本丸と他本丸の見分けくらいはつくもんね! だが、この大規模演練。敵も複数本丸なら、こちらの軍勢も複数本丸。刀剣男士同士、顔見知りなら本丸が違おうと何処の男士か一目で分かるらしいけど、今回は見知らぬ本丸の寄り合い所帯な混成複合部隊。いつまでまともに敵味方の識別がしていられるかは疑わしい。旗指物についての指示も無かったよね。確かに普段は使わない。使わないけどさぁあああ!

 兵力差があるからの驕りか、それとも不慣れで時間も足りなかったからこそなのか。
 何にせよ、要点すら押さえていないガバガバっぷりから伺える通り、こちら陣営の脇は甘い。
 それに対して、相手方。不在本丸の刀剣男士達に後は無い。
 この戦い、こちら側の総大将に言わせてみれば“ただの規模がでかい演練”でしかなくとも、彼らにとっては自分達の今後を賭けた決戦だ。どんな謳い文句でこの場に彼等を誘い出したのか、分かっていない点も不安を煽る。
 孫子に曰く、兵は詭道なり。手段を選べる立場でもない。使える手は全部使ってくるだろう。

 しっかし。

「……ひょっとしなくても今回の総大将と取り巻き組、頭でっかちタイプばっか?」
「彼等が無能であるという結論、既に確定事項として共通認識であると考えていたが」

 げんなり気分でそう呟けば、いつの間にこちらへやって来ていたのか。呆れを滲ませた様子で、烈水さんがズバリと突っ込んできた。耳の痛い言葉に眉尻が下がる。

「いやー、思ってた以上に仕事できてなさすぎて」

 刀装もだけど、男士の刀種すら指定してこなかった時点で嫌な予感はしていた。していたけど、まさかここまで想定を下回ってこられるとか思ってもみなかったよね。
 だいじょうぶ? 数で圧倒してるからいけるやーとか雑な考えしてない?
 制限多かっただろうに元ブラック組、統制しっかりできてやがるんですけど。あれは頭きっちり据えてきてる。連理さんと結良さんも同意見だから間違いない。トップ次第じゃ十倍差の相手だろうとブチ殺せるのは織田の殿様が証明してるってのに、審神者ナシだからって刀剣男士舐め過ぎでは?

女史があれ等の能力値について、知見を得る機会は無かったと記憶している。他人から聞き及んだ曖昧かつ具体性の無い評価のみを参照に、見知りもしない相手の能力値を規定付ける行為を人は妄想と呼ぶ」
「でも、探り入れるなって言ったの烈水さんですよね?」
「それを良い事に先生にさえ問いもしなかったのは女史の落ち度だ。これを教訓に怠惰を慎むよう推奨する」

 唇を尖らせて文句を言うも、返事は辛辣極まりない。
 自然、眉間に皺が寄る。確かに、分かってて手を抜いた部分はあるけども。

「高く見積もり過ぎだと思うんですけどねー……」

 できない事まで“しないだけ”だと思われてるような気がする。
 やればできるとかね。ああいう言説適用してくるの、ほんと勘弁して欲しい。
 できない事はできない。やればできる、なんて大抵は無責任な過大評価と期待の押しつけでしかないのだ。自分だけではスタートラインに立てない時点で、実力以前に意志の程度がお察しである。成果を上げる以前に続きすらしねーぞ。
 苦い気分でそうぼやけば、烈水さんは当然のような顔で「好きにすると良い。我々は勝手について行く」などとのたまった。畜生、逃げ場がねぇ。

「……他にもっといい御輿があると思うんですよね?」

 ね、と同意を求めて連理さん達の方を見やる。えっ待ってなんでそこ目を逸らすの。そっちはなんでそんな生暖かい笑みでこっち見てんの。やめて。こわいやめて。
 連理さんは連理さんで、あごを撫でさすりながら「ふむ」と呟くと悪戯っぽく片頬を歪めて。

「他の御輿なぞ、知ったことではありませんなァ」
「同意する。先生が向いておられない以上、議題に上げる価値も無い」
「なんでこうなる……!」
「因果は巡るものだ、女史。ざまを見ろ」
「ちくしょうぜったい道連れにしてやる」

 心底楽しそうな雰囲気でせせら笑ってくる烈水さんを、恨みがましい気分で睨む。気まずげに目線を交わす他の審神者達はともかく、烈水さんと連理さんはやっぱりさして堪えた様子も見せなかった。
 ……何を期待されているのか。それすら分からないくらい鈍ければ、と思わなくもない。けれど、結局のところ。この大規模演練の結果如何に関わらず、私に逃げ場なんて存在しやしないのである。泣いていいかな。

「あ゛ー……ほんっとめんどくさ……」

 新・総大将殿が一応の上司である以上、大義名分なしに逆らえるはずもなく。
 それでいてやらかすだろう失態の程度によっては、この演練の後始末にすら使えない可能性もある。
 まったく、世の中というのはままならないものだ。
 他人の尻ぬぐいばっかしてるなあ私……。とてもつらい。


 ■  ■  ■


 男は挫折を知らなかった。
 容姿に優れ、運動神経に長け、頭脳は明晰。彼の為なら労苦を厭わない、良き友人達にも恵まれてきた。
 特に弁舌にかけては天稟を持ち合わせる彼にとって、他人より抜きん出る事は息をするより遙かに容易く、自分の思うとおりに事を運ぶのも、さして難しい作業では無かった。彼の人生に、壁と呼べる障害が存在した事は一度とて無かった。

「第十三中隊全滅! 嘘、なんで止まらないの!?」
「ふざけるなよ、いつまであんなところに俺の部隊放置させる気だ! 全員重傷なんだぞ!」
「うわぁあああああああああああっ!」
「馬鹿野郎どこ行く気だ! おい誰か手を貸せ!!」
「んな暇ねーよ! なんで隣の隊はボサッとつったってんだ!? 誰だ三十中隊の審神者!!」
「トイレっつってさっき抜けたアホだよ!!」
「誰ですか部隊突っ込ませてきたのは!」
「煩いな、もたついてんのが悪いんだろ!?」
「え、あれ、えっ」
「げっ待て今のひょっとして味方か!」

 審神者連合軍本陣。当然ながら前線よりもっとも離れた位置に張られた陣幕の中では、この“演練”に参加している大多数の審神者達が各連隊毎、各師団毎で纏まり、彼の手足として刀剣男士を動かす手はずになっていた。
 指揮系統は整えた。人も集めた。上からの承認も、追加予算も勝ち取った。聞き分けの悪い不在本丸連中相手に、条件付きとはいえ参加を承認させもした。
 この“演練”開催自体が随分余裕の無いスケジュールの中での決定であった為、満足に準備が行き届いていなかった事は男も認めるところである。しかし、いくら規模が大きかろうとも所詮は演練でしかない。
 それに相手は審神者を欠き、手入れのあても、ましてや刀装を用意する目途すらつかない連中だ。召集する審神者とて、一定以上のレベルにあるものを選んである。いかに準備不足であろうとも、勝つことは容易いはずだった。

「取り乱すな! 所詮は寡兵の相手だ! 各連隊長、状況報告はどうした!」

 声を張り上げて叱咤する。戦況は、早くも彼の手を離れつつあった。
 男は優秀な人間だった。少なくとも無能ではない。これまでの戦場で一振りの刀も失った事は無く、刀剣男士達からも善き主と慕われ、認められている。男士に采配を丸投げする審神者もいる中で、彼は自身の采配でここまで戦ってきた。

 戦況は刻々と変化する。
 最善の対応をと考え指示を飛ばす。審神者達が指示を汲んで各部隊へと命令を伝える。各部隊、各本丸の隊長からの指揮で、男士達が動き出す。そうして生まれたタイムラグで、その対応が最善から最悪へと変化する。男は優秀な人間だった。自分はこれまで本丸の主として、立派に采配を取ってきたという自負もあった。だからこそ理解できない。その自負こそが足枷となっている現実に、未だ気付く事ができない。

 刀剣男士は精鋭であり、戦闘のプロである。
 戦を知らない夢見がちな指揮官を戴いてさえ、勝利できる程に優秀な。
 だからこそ、多くは錯覚するのだ。己がいっぱしの指揮官であるのだと。その思い違いは、何も彼一人のものでもない。“審神者としての戦い”の中では、それで間違ってはいない。
 ただ。千五百人近い指揮官達を御すには、彼には準備も才幹も、何もかもが足りなかった。
 当然だろう。“戦争”が現場を知らない素人集団でどうにかなる仕事なら、軍学校や士官教育が存在したりしない。
 連隊戦ですら途中交代はあっても、同時に複数部隊を運用して戦闘を行う事はない。それはつまり、素人指揮官と男士達で対処できるのはそこが上限であるのだと、政府が見定めたその証左であった。

「あの人が総大将だったなら、こんな事には……」

 荒れる前線担当審神者達とは対照的に、後方組に仕事と呼べる仕事は無く。
 後手に回っているのが丸わかりな上、明らかに対応しきれてない目の前の混乱ぶりに、審神者の一人が小さく毒づいた。
 その声が聞こえていたのだろう。師団長を任せた側近の一人が、さっと顔色を変えて「やかましい! 下らん事を言っていないで何とかしろ、無能共め!!」と怒鳴りつける。総大将を務める男の心境を慮っての行動だった。思いやり深い側近の行動を微笑みで労いながらも、しかし男の胸を支配するのは屈辱感だ。

 思い返すのは戦いの前、訓辞終了後の出来事。
 慇懃に「我々には我々のやり方がありますので」などとのたまった女は、側近達の反論を冷笑混じりに交わして堂々と、自身の率いる連隊の審神者達と共に本陣を去っていった。同様に出て行った審神者も数人いるにはいるが、そちらについて思うところはない。率いられていった審神者達にも。その行動を鷹揚に許したのは、何もできやしまいという楽観も確かにあったが何よりも、矜持が許さなかったからに他ならない。

 負けたくなかった。負けていると、思いたくもなかった。
 男は優秀だった。血統もよく、自分の男士達からも慕われ、友人の審神者達からも頼られている。本丸運営だって難なくこなしてきた。だと言うのに。ただ運が良かっただけの、どこの馬の骨とも知れない女の方が、そこらの凡百共とさして大差なくすら思える女が評価で彼の風上に立つ。審神者同士に明確な上下の区分はなくとも、刀剣男士の数に練度、戦績にと、自他を比較する材料には事欠かない。これが他の分野であったなら、気にもかけなかっただろう。むしろよくやってくれたものだと笑いすらできたかも知れない。
 しかし、女が名を挙げたのは“戦闘指揮”。審神者達にとって、大層馴染み深い分野においてだった。
 許せるはずがない。見過ごしておけるはずもない。あんな三流審神者にできる事が、自分にできないはずがない!

「閣下! 閣下お願いです、撤退を!」
「総大将っ俺からもお願いします! あいつら重傷なのに、あそこにまだいるんです!」
「こらっお前達なにをしている! 持ち場に戻らんか!」
「うるせえ! あんたはいいよな、自分の男士が本陣警備なんだからよ!」
「おねがいします、せめて負傷者の回収を! 後列の連中とか暇してるじゃないですか!」

 審神者の一人が悲痛な声で訴えたのを皮切りに、同意の声が次々と上がる。
 その様子に自然、失望のため息が零れた。もう少し男が感情的であれば、そんな暇があるかと怒鳴りつけているところだ。刀剣男士が傷を負った事実は痛ましくとも、数時間程度の放置など彼等にとってはどうという事もない。
 最優先事項は戦線の立て直し。幸いにも補充戦力は多い、立て直しさえできればどうにかなる。負傷男士の回収は、それこそ演練終了後でも支障あるまい。理性的とはほど遠い同僚兼部下達の醜態に憫然たる思いを抱きながら、男は側近の一人に向かって慈悲深く告げる。

「可哀想に、錯乱しているようだ。少し休ませてあげなさい」
「はっ!」

 側近の一人が威勢良く応じ、その命を受けて刀剣男士達が機敏に動く。
 抵抗する間も無く、審神者数人が白目をむいて地に転がった。――男の側近、師団長達の方が。
 数秒か、数十秒か。先程までの喧噪が嘘のように静まりかえる。取りすがっていた審神者達さえ、ぽかん、と大口を開けて馬鹿面をさらしている。同じ本陣での出来事が脳へ浸透するまでのタイムロス。

「……これは、どういう趣向かね」

 蹂躙されるままの前線。ころころ転がり回る戦況に、優先順位すら解さない部下達。
 それに加えてこの暴挙だ。紳士然とした仮面を保っているだけの余裕も消え失せ、男は怒気を孕んだ声で誰何する。しかし側近だったはずの相手はといえば、いっそ清々しくさえある表情で。

――すべて、正義の為です」

 純粋な。あるいは偏執的なその言葉を合図に、複数部隊が本陣へと雪崩れ込んだ。




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