城下町の一角、表通りからは少し外れた所にある茶屋“薫風亭”。
般若の形相で塩を撒いていた唯織さんが、開口一番叫んだ。
「遅い!!」
「えっごめんね?」
「とりあえずで謝ってんじゃないわよこのバカ!!」
「どうしろと」
「やあ、さん。丁度いい時に来てくれました」
唯織さんの剣幕に困惑しつつも店員さんからメニュー表を受け取っていると、店先にある野点傘の下から結良さんがひょっこり顔を出した。特徴的なもじゃもじゃ頭に柔和な顔立ち。書生風の服装とのんびりした雰囲気が相俟って、全体的に生活感が薄い男性である。いやー般若を見た直後だといっそう心和む顔だなぁ! 時にそちらで結良さんの近侍と将棋打ってるのって唯織さんちの近侍ですよね。何してんの? 主止めよ?
「こんにちは結良さん。何かあったんですか? めっちゃ唯織さんキレてますけど」
「いやあ、少し困った人達が来ましてね。
それも含めて話をしておきたいんですが……今日は長居していけそうですか?」
「大丈夫ですよ。査問会も終わったし、向こうにはもう顔出さなくて良くなりましたから」
「ああ、そうだったんですか。いやはや、ちょっと顔を合せないとすぐ話について行けなくなりますねえ……」
「私もこないだまで査問会掛かりっきりだったんで、まだ色々把握漏れある感じですけどね。
唯織さーん、塩撒きそこらへんにしてお茶にしませんー? 頼んどくのあんみつパフェでいいですー?」
「良くないわよバカ! 自分で選ぶわよ!!」
足音も荒く寄ってくる唯織さんを横目に、本日の近侍である和泉守さんへメニュー表を手渡す。
「一服して待ってて下さい。多分長くなりますから」
「――ああ、分かった」
店内へと一瞥を投げ、和泉守さんがメニュー片手に店先の床几台の方へと踵を返す。
他の近侍も心得たもので、こちらをちらりと見て目礼すると、そのまま勝負の続きに戻っていった。
審神者は一塊にすっかりお馴染みとなった暖簾をくぐり、揃って指定席と化しているテーブル席を陣取る。机の上は乱雑に積み上げられた書類の束で、既に半分が占拠されていた。わぁいこないだより増えてるやべぇ。
「……あれ、今日は烈水さんいないんです? 結良さんはいるのに珍しい」
「いやいやさん、僕達も常に一緒って訳じゃないんですよ?」
「あの忠犬ハチ公なら、おつかい頼まれて意気揚々と駆けていったわよ」
「あ、いたはいたんですか。結良さんおつかい何頼んだんです?」
「誰が主人なのかに疑問は差し挟まないんですねえ……」
結良さんが項垂れる。その姿は何処となく煤けて見えた。大変だなー。
やってきた店員さんに注文をし、書類束の中から一番上のものを摘み上げて目を滑らせる。
記載されているのはとある不在本丸の状況と残存男士数、あとは訪問時の概要だ。
ふーん、ここの刀剣男士はわりと話が通じる部類かあ。頭数は揃ってる割に練度は軒並み低い……で、現状維持を熱望してる? 審神者はいなさそうだけど、刀解されるつもりはあるか聞いたら激昂して斬りかかられたって、ここ行ってきたのは……烈水さんね、納得。交戦記録は後述――って、続き何処だこれ。
「唯織さん、これ続き知らないです?」
「知らないわよ。この山の何処かじゃないの? ああもう、昨日整理したのにまたぐっちゃぐちゃ!」
「……あー。いい加減、仕分け用に何かファイル用意します?」
「いいわよ、もう紐で綴っちゃうわ。とりあえず日別でいいかしら」
「日別よりは審神者がいそうかどうかで分けて欲しいです。で、そこから更に優先度順で分別、みたいな」
「それなら対応中と、手が回ってない本丸でも分けた方が良いわね。全体の現状把握、あんたもできてないんでしょ?」
「そうなんですよねー……。ちなみに唯織さんが出来てたりは」
「しないわよ。確かに私が事務方窓口状態だけど、上がってくる調査記録全部に目を通せるほど暇してないもの」
「でっすよねー」
むっすり顔でのご返答に、カラ笑いをしながら調査記録書をリリースする。さらば。
唯織さんは盛大に溜息をつくと、店員さんが運んできたクリーム善哉にスプーンを勢いよく突き立てた。
「っていうか私が暇してないの、主にあんたが押し付けてきたお手紙作戦の所為でしょうが」
「……てへっ」
「ヤギさん郵便大作戦、でしたっけね? 今どういう状況になってるんですか、唯織さん」
お団子でメンタルポイントを回復させた結良さんが、やたら可愛らしい仕草で小首を傾げる。
説明しよう! ヤギさん郵便大作戦とは、ぶっちゃけただの文通である!!
まぁ顔突き合せるよりはお手紙の方がお互い冷静に話も進められるし言った言わない揉めない上言質取られる心配もないので。あと何十件と並行して和平交渉が進められます。効率的っていいよね。
でも結良さん、その場のノリでのたまった作戦名まだ覚えてたんですか。忘れて?
「大半が平行線ね。刀解許可だけでもあれば、もうちょっとやりようもあるんだけど」
どうにかしなさいよ、と目線を向けられお手上げのジェスチャー。
「今日も今日とて“検討中”、“善処します”、“そちらでどうにかしてください”のループです。
許可で言えば、連れて行ける刀剣男士も最低二振りにしたいんですよね。今のところ二次遭難は起きてないですけど、正直不在本丸の状況思うといつ発生しても可笑しくはないですから」
「僕と連理さんの方でも、それぞれ許可申請は出しているんですが……お恥ずかしい話、そちらも無しの礫ですね。すみませんね、唯織さんにも苦労をかけます」
「……いーわよ別に。結良さんの責任じゃないでしょ、それ」
ふん、と鼻を鳴らして唯織さんがそっぽを向く。
行方不明の審神者捜索は、依然として暗中模索の難航中だ。
とにかく不在本丸の数が多い。対して、こちらの手数が圧倒的に足りていない。
年末年始の件の箝口令厳守と引き替えに、不在本丸への立ち入り許可が与えられてはいる。だが、結局与えられたのはそれだけだ。連れて行けるのも近侍一口、刀装は“審神者を守る用途に限り”で使用許可。
そして現状、被害にあった審神者救出に動いている気配もまるで無しとくればこの無能! と胸倉掴んで罵りたくなるレベルである。被害者救出する気がないっていうか、既に死人の扱いされてないか行方不明審神者達。
協力を申し出てくれた審神者は片っ端から引っ張り込んでるけど、それでも手が足りないっていう。
「三月、爆発しないかなぁ……」
防衛線拡大に伴う新人の大量加入。
それが三月一日からである事については、既に全審神者の知る所だろう。
大半は新しい戦域に振り当てられるらしいけど、まぁ中にはこっちの空き本丸に振り当てられる新人さんもいる訳で。そうだね空きは不在本丸オンリーですね。昔の自分を見るようで大変心が痛みます。くそつら。
呻きながら机に突っ伏した私の頭を、「バカ言ってないでキリキリ働きなさいよ、言いだしっぺなんだから」と唯織さんが呆れ混じりに小突いた。もじゃもじゃ頭を掻き回しながら、結良さんが「いやはや」とぼやく。
「審神者捜索以外での不在本丸への立ち入り、こちらで制限できればいいんですけどねぇ」
「あんまり深入りするなって忠告はしてますけど、馬耳東風状態な人もいますしね。
泥沼昼ドラになるか火サス案件になるかは考えたくもないです」
「……まがりなりにも刀剣男士相手なのよ? あんた達、心配のしすぎよ」
そう言いながらも声に迷いが出てる辺り、文通を通して唯織さんも感じるものがあるらしい。
まあ、深入りするのも分からなくはないのだ。傷付いてたり縋ってくる相手を、何の罪悪感も無く見捨てて行ける人間は少ない。ましてや、それが日頃から関わっている刀剣男士の同位体ともなれば尚更にだ。そりゃ手入れもしてやりたいしメンタルケアもしてあげたいよね。それですんなり終われば美談なんだけどなぁああ!!
でも忠告はできても強制はできない。あと付け加えるなら、不在本丸で使用している資材は大抵が自本丸からの持ち込みだ。丁寧に筋道立てて説明したって分かんない人は分かんないし、納得しない人は納得しないというこの悲しい現実よ。そうだね、不在本丸は資材の自然回復しないもんね……遠征も出陣も、そこの審神者がいないとできないもんね……そこまで面倒見たらもう引き返せやしないよね……いやもうほんとこれどうしろと。
「割り当てる本丸数増やせば、入れ込む余裕の方を無くせるんでしょうけど……資材がなぁ……」
「……うーん。何にせよ一度、全体を整理してきちんと組織化すべきですね。
あれこれ抱え込んで人数も増えた分だけ、どうにも意思統一や方針が曖昧になり気味ですから」
「あ゛ー……仕事だけが増える……」
げんなりした気分で、せめてもの癒しに杏仁豆腐を口に運ぶ。
ほんのりとしたミルクの風味に優しい甘さが、食欲が失せつつある胃にも大層優しい。現実も杏仁豆腐くらい優しく甘くなってくれないものかな。無理ですね知ってる。超だるい。
「そういえば」と眉間に大渓谷を刻んで、唯織さんがぴし、とスプーンで私を指した。
「あんた、人手引っ張り込むのはいいけどもっとちゃんと選びなさいよ。
今日来た連中とか、ほんっとありえなかったんだけど」
「? ひょっとしてそれ、塩撒いてた理由ですか。誰か何かやらかしたんです?」
「やらかしたわよ! 何したかったんだか知らないけど、調査記録や手紙勝手に引っ掻き回すわ持って行こうとするわ、こっちに気付いても挨拶すら無し! 店に来たってのに注文ひとつしようとしない癖に、居丈高に店が貧乏くさいだとか狭っ苦しいだとかわざわざ周りに聞こえる声で文句並べ立てるし!!」
「……は?」
自然、声がワントーン低くなる。
待ってここの茶屋半拠点状態にできてるの店主さんのご好意あってこそなんだぞ。なのにンな失礼千万なやらかしたとか、一体全体何処の馬で鹿な礼儀知らずさんでいらっしゃいますかねクソッタレ。
「唯織さんがきちんとその場で謝罪させていましたからね、気にはしなくていいと思いますが……」
「それもよ! ちょっとキツめに叱っただけで大の男共がべそかきながらごにょごにょぐちぐち言い訳がましい! ちゃんと“ごめんなさい”させるだけで一時間よ!? っていうか言い訳するくらいなら最初っからするなっての! あんたも! せめて最低限のマナーと礼儀くらいは心得てる奴使いなさい!!」
「……ごめん、手間かけました。ありがとうございます」
後で店主さんにも謝っとかないと駄目だなこれ。で、人員整理か。
ほんっと仕事ばっか増えるなぁ……でも教育し直してる時間も余裕も無いから仕方ないか。こういう部分で配慮ができない審神者を協力者として使っていても、ただでさえ地雷の多い不在本丸対応では問題を増やすだけの結果にしかならない。トラブルにトラブルを積んでくのは政府だけでおなかいっぱいだよ!
しかし、引っ張り込んだ審神者にそんな問題あるのがいたとか、自分の目の節穴っぷりに本気でへこむ。
結良さんが「何事も失敗は付き物ですよ」と言ってくれるが、今はその優しさが心に痛い。まだ叱り飛ばされた方が気が楽だなぁと思ってそろりと唯織さんを伺うも、ふい、とそっぽを向かれて終わった。切ない。
「…………。ねえ、そういえば烈水に何頼んだの?」
「え? ああいや、そう大層な事ではないんですがね、ちょっと気になった事がありまして――」
結良さん達の会話に耳を傾けながら、憂鬱な気分で窓の外へと視線を投げる。
あーめんどいなぁ……誰でも……良くはないけど、誰か全部押し付けられてくれたりしないかなー……。
人間の営みも、ましてや人外の営みも一切知らぬ存ぜぬとばかりに清々しい青空が、なんだかやけに目に沁みた。
■ ■ ■
濁った苦痛の絶叫が鼓膜を揺らし、不快に一期一振は眉宇を寄せた。
鶏を絞め殺す様な、とでも形容するのが似合いの濁声は、お世辞にも彼好みの声とは呼べない。今叫んでいる審神者のひとつ前。ついひと月前まで居た審神者は大層耳に快い声をしていただけに、一層その差異が際立つ。
「燭台切殿。漸くの新しい“主”にはしゃぐお気持ちも分かりますが、あまりやり過ぎませぬよう。
今度は出来る限り長持ちさせるのだと、皆で決めたばかりではありませんか」
開け放たれた障子戸の向こう側。
こちらに背を向けてしゃがみ込んでいる同胞を、一期一振は溜息交じりに窘める。
声をかけられ、ようやく彼の存在に気付いたらしい。振り返った燭台切が、ぱちり、と目を瞬かせて「ああ、ごめんごめん」と苦笑しながら立ち上がった。顔を掴む手から解放され、どさり、と審神者が倒れ込む。
白目を剥き、顔面の穴と言う穴から体液を垂れ流して痙攣するその様は、素人目にも健常とは言い難い。しかし、仮にも主である人間の異常など些末事だと言うかのように、彼等二人は頓着する様子を欠片も見せなかった。
「勝手に部屋を出ようとするものだからつい、さ。格好悪いところを見られちゃったなぁ」
「ふふ。では、今の出来事は二人だけの秘密としておきましょう。
ですが本当に気を付けて下され、審神者はとかく壊れやすいのですから」
「前の主で加減は学んだ積もりだったんだけどね。……うん、もうちょっと気を付けて扱うようにするよ」
ほんの一ヶ月にも満たぬ間、主であった前の審神者を思う。
やって来た時点で既に半分壊れていた事を加味しても、臆病で脆い人間だった。対応をもうすこぅしばかり優しいものにしておけば、ひょっとしたらまだ生きていたかも知れない。
あれは失敗だったなぁ、と燭台切は唇を尖らせた。前の主は聞き分けが良く大人しい、とても扱い易い審神者だったのだ。いくら替えが利く霊力供給源とは言えど、早々交換できるものでもない。どうせ主として据えておくなら、手の掛からない審神者であるに越した事は無かった。
「しかし、我等の主は男審神者が続きますなあ。
どうせならこの間訪ねてきたような、若い女審神者を主に戴いてみたいものです」
「うーん、僕は審神者の性別とかどっちでもいいんだけど……」
大仰に嘆いてみせる一期一振に、燭台切は眉尻を下げて肩を竦める。
審神者など、こちらにとって都合が良ければ誰でもいい。そう考える燭台切にしてみれば、一期一振のこだわりポイントはどうにも理解し難いものであった。
(ああ、でも)
燭台切の頭を、ついこの間の出来事が過ぎる。
今の主がやってくるほんの数日前に、この本丸を訪ねてきた女審神者とその近侍。
捕獲するつもりで騙しにかかったのに、いともあっさり逃げられたのは未だ記憶に新しい。
「……でも、そうだね。
主くんのおかげで演練や城下町に出入りできるようになったし、次の主は女審神者を見繕うとしようか」
「おや、それは嬉しい事ですな。弟達にもどんな審神者が良いか、聞いてみると致しましょう」
「いいね、それ。皆の希望に添う主が見つかるといいなぁ」
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