何もない時間、ただ待つだけの時間は退屈だ。
それがヒステリー全開な奴をあしらいながらともなれば、それこそ蝸牛の歩みが如しである。
外と連絡を取れるならまだ退屈も紛らわしようがあったんだろうけど、この部屋、通信機器無いんだよな……。そうだね電話とかホラーでよくあるアイテムだもんね。怪異とかと言葉を交わすのも良くないもんね。はしれ時よー風のようにーとか脳内で改造ソング歌ってみたってどうにもならない現実がとても悲しい。あとだるい。ねむい。かえりたい。めんどい。仮眠くらいさせてくれていいとおもうの。めんどい。
「いいか、僕の傍から離れるんじゃない! 朝を迎えるまで、一秒だってここから出るなよ! 二度とだ!!」
「……。」
「返事はどうした!?! お前は! 僕を! 守りに来たんだろうが!!」
「勿論です、榊原様! 我々がいれば怖れるものなど――」
「喧しい! お前はしゃしゃり出るな!!! 僕はこいつに言ってるんだ!!」
「……善処はします」
つーかこのやりとり何度目だよ。ほんとだるい。
確かに榊原ジュニアが事態の渦中だし、ここで網張っとくのが一番効率はいいんだけど、それはそれとしてこの部屋人口密度高すぎだよねっていう。
わりと部屋広いはずなのに、各審神者が刀剣男士連れてきてるせいで圧迫感しかない。
何人かは部屋の外で警備やってるけど、ここに三部隊分弱も男士いらないと思うんだよなぁ……。
「クソックソッ……なんで僕がこんな目に……ッ」
こちらもまた何度目か分からない言葉を繰り返しながら、榊原ジュニアが新しい煙草に火をつける。
灰皿では半分以上が残された吸い殻の山が、火を消される事もなくもうもうと煙を上げていた。わりとキツイ煙草を吸っているようで、短いスパンで取り換える上に吸っていたのを消さないのもあり、室内はうっすらと白く靄がかかっているような有様である。鼻は死んだ! もう利かない!! めっちゃけむい。
休憩フリーな議員さんが羨ましくなってくるのはこういう時だ。
ジュニア曰く、いつも“訪問”があるのは丑三つ時らしいけどさ、時間的にも出入り禁止にした方がいいんじゃなかろうか。あのおっさん、絶対閉じ籠ってる意味分かってないぞ。
まぁ警備で詰めてる術者さん二人が黙認してるから、したっぱ審神者的には何も言えないんだけどね!
はい挨拶してもシカトされたのは私です。くそつら。
「……ばっかみたい。全部自分が悪いんじゃない」
入れ替わり立ち代わりに議員さんの警護を務めて以降、どうにもげっそりした面持ちで黙っている余所様の刀剣男士をなんとはなしに眺めていると、うんざり、といった様子の唯織さんが毒づくのが聞こえた。
しっかり聞こえていたらしい。落とした煙草を苛立たしげに靴で踏み躙りながら、「何だと?」とどす黒く顔を怒りで染めた榊原ジュニアが即座に噛みつく。
一瞬しまった、と言いたげに顔を顰めたものの、唯織さんもいい加減我慢の限界だったらしい。
安定さんが止めに入るより先に、「馬鹿みたい、って言ったのよ!」とケンカ腰でくってかかった。
「黙ってればぴいぴいぎゃあぎゃあみっともない!
そもそもあんたの刀剣男士じゃない! 自分の尻拭い人様にしてもらってる分際で何様のつもり!?」
「そうじゃそうじゃー、もっとゆうてやれー」
「主を煽るなバカ行!!!」
安定さんが陸奥守さんに怒鳴るものの、口から出た言葉が今更戻るはずもなく。
あー……とうとう爆発しちゃったかー……。
「黙れヒステリー女! 大した実績も無い癖に偉そうな口を叩くんじゃない!!
刀の一振りもカンストさせてないお前なんぞ、そもそもお呼びじゃないんだよ!!!」
「なぁんですってえ!? 自分の本丸ほっぽり出して逃げた腰抜けに言われる筋合いは無いわよ、男のクセしてなっさけない! 口だけは達者なんだから、役立たずな首から下はすっぱり落としてあげましょうか!」
「唯織君、さすがにい「点取り虫は引っ込んでなさい!!!!」
金魚の糞、もとい点取り虫さんが沈黙した。
うん。結果はどうあれ、あの勢いに割って入ろうと思った度胸は立派だと思うよ五木さん。
「、あんたもあんたよ!! こいつ甘やかすと付け上がるんだから、ハイハイ適当な返事してないでビシッとなんとか言ってやんなさいよ!!!」
「なんとか」
「あんたばかにしてんのぉおおおおおおおおっ!?!?」
なんということでしょう……ついうっかり口を滑らした結果目の前に般若が……!
自分のところの安定さんに羽交い絞めにされながらも怒髪天をつく唯織さんのキレ具合に、先程まで口論してた榊原ジュニアまでどん引きである。そうだねこわいね。
「馬鹿にしてはいないですけど、体力の無駄だとは思ってますよ。
唯織さんもこの際、気分転換がてら休憩してきた方がいいんじゃありませんか?」
「何よ!! 私がいると邪魔だっていうの!?」
「ふん、それ以外の何が――ヒッ」
復活してきた点取り虫さんが、唯織さんの眼光に速攻で折られた。はえーよ。
「個人的には、唯織さんにはここにいてもらった方が助かるんですけどね。
ただ、ちょっと外の空気吸って冷静になってきてもらいたい、って話なんですが」
「……っ! ……っ!? ……!」
「主、主落ち着いて。さんの言う通り、ちょっと休憩してこようよ。ね?」
唯織さんを羽交い絞めにしたまま、宥めるように安定さんが言い募る。
五木さんがアレだからなー。オール打刀部隊で来た唯織さんと違って、ぶっちゃけ使い勝手二の次感満載なレア刀部隊なんだよなー。なんで室内戦が想定されるところに大太刀と太刀と槍で揃えてきたの? 巻き込み事故起こす予定でもあるの? それとも盾要員にするつもりで連れてきたの? まったくもって理解できない。
ともあれ、私と安定さんの言葉に、少し冷静さを取り戻したらしい。ぎりぎりと榊原ジュニアを睨み付けながらも、唯織さんはぎゅうっと口元を引き結んで。
「あーあー出てけ出てけ! お前みたいなヒステリー、どうせ足を引っ張るに決まってるんだからな!」
「なぁあんですってぇええええええ!!!!!!」
しっしっと追い立てるように手を振りながら、榊原ジュニアが吐き捨てる。
速攻で再噴火する唯織さんにこめかみを押さえた。なんで挑発しやがった……!
「邪魔なのも足手まといなのもあんたでしょ! 威張り散らすしか能が無いクセに!!!
どーせあんたがそんなだから、審神者辞めても小狐丸に付き纏われるほど恨まれてるんじゃないの!?」
「上手くやってたさ、お前みたいな堪え性の無いヒス女よりよっぽどな!!!
アレがああなったのは僕のせいじゃない! なにもかも引き継ぎが無能だったせいだ!!!」
そのまま再開したエンドレス罵倒合戦に、乱さんが「……あの。あるじさん、アレ……黙らせよっか?」と純度百パーセントの心配と気遣いが籠った眼差しで申し出てきた。
手段は物理なんでしょ知ってる。ひとは……どうしてあらそうのかな……。
遠い目をしながら乱さんの申し出をお断りする。うん、ほんとう。お気持ちだけで結構ですマジで。
溜息をつく。二人の激しい罵り合いが息継ぎで途切れるのと、ドアが開いたのは同時だった。
戻ってきた議員さんの姿に、イライラ最高潮な榊原ジュニアの視線が舌打ちと共に突き刺さる。
「ッお前は! いったい何度休憩する気だ!? あの無能を引き継ぎに推薦した詫びをしたいと言うから、特別にいさせてやってるんだぞ!! お前、本当にやる気はあるのか!!!」
即座に飛んだ怒鳴り声に、「はい、申し訳ございません」とへこへこ頭を下げる議員さん。
先程まで怒り心頭だった唯織さんはと言えば、気分悪そうに口元を押さえてうつむいている。
「主、また吐きそうなの? 横になる?」とその背中を擦っている安定さんのところへ、心配そうに唯織さんの刀剣男士達が口々に気遣う言葉を掛けながら集まっていく。
「榊原さん、質問いいですか?」
「何だ!!!!!」
「訪ねてきてる“三日月宗近”の話って、有名だったりします?」
「……は?」
何を言い出すんだお前、と言わんばかりの表情で、榊原ジュニアが顔を顰める。
やれやれと大仰に肩を竦めて口を挟んだのは、唯織さんにべっきべきにされた五木さんだった。
「何を馬鹿な事を。訪ねてきているのは小狐丸でしょう?」
安定さんに視線を向ければ、不思議そうに「僕らもそう聞いてるけど……」と答えてくれた。
再度、榊原ジュニアに視線を向ける。しかめっ面から一転、こちらも不可解そうだ。
「……出入りする人間は、口の固いのを厳選している。
お抱え術者持ちは珍しくも無いからな。呪ったり呪われたりもある界隈だ、引き籠り程度、さして話題にもならん。付き纏われてる事まで知ってるのは限られた人間と、お前や、こいつみたいな詮索好きくらいだ」
「詳細は、話してないんですね?」
「ああ。こいつにもこいつらにも、僕からは何も話してない」
榊原ジュニアが頷いた。
ああ、成程。なら、確定で良さそうだ。
何故か顔色の悪い議員にひたり、と視線を据えて指差して。
「取り押さえて」
ひゅん、と室内に風が舞う。
瞬きの間に、議員は床に這い蹲っていた。
首筋に押し当てられているのは、乱さんの刀身だ。
……そこまでやれとは……まぁいいか。
「議員、詰めが甘かったですね」
「何を!?」と叫び、駆け寄ろうとした五木さんを手で制す。
短く悲鳴を上げて議員から離れる榊原ジュニア、議員から主を遠ざける唯織さんちの刀剣男士達。当の議員はと言えば、くぐもった呻き声を上げている。
「五木さんと唯織さんに、訪ねてきてる相手を“小狐丸”だって教えたそうですけど。
あの小狐丸、“三日月宗近”の姿に化けてるんですよね」
私も、手傷を負わせていなければ知る事は無かっただろう。
まぁ普通、刀剣男士が別の男士の姿してるとか思わないしそもそも化けれるもんだったの? って話だし。
乱さんが、無言で議員の頭を上げさせる。じっと見下ろす議員の顔色は、いっそ面白いほど青い。
「あ、いや、その――ああそうだ! 警備! 警備の者から話を聞いたんだ……聞いたんですっ!」
「私、“誰が”って話は政府の誰にもしてないんですよね。榊原さんからお話ししました?」
「……いや。僕も、してない」
化けている以上本性はどうあれ、外面は“三日月宗近”のものである。
だからこそ私はこの案件を他人に話す際、小狐丸の名前は一言も出していない。
榊原ジュニアの顔は、今や完全に強張っていた。
しん、と耳の痛いほど静まり返った室内で、議員は蒼白になってガクガクと震えている。
自然、口元が笑みに緩んだ。
何はともあれ、こうして収穫があったのは喜ばしい。
「聞きたい事は山ほどありますし。じっくりお話を伺いましょうか? 内通者さん」
「う゛、あ゛――……」
「ッあるじさん、下がって!!」
乱さんが叫び、ドアの方へと議員を蹴り飛ばす。
叩き付けられた議員が呻き――違う。その腹が、背が、内側から押し上げられたようにぼこぼこと不自然に蠢く。穴という穴から血が溢れ出す。不明瞭な絶叫に、背後からの悲鳴が重なった。
「――許す、斬れ!」
白刃が閃く。血の噴水が室内を汚す。
産まれた端から斬り捨てられた遡行軍の短刀が、産声とも断末魔ともつかぬ音波で空気を震わす。
裂けた腹から溢れ出した靄が、まるで意志のある不定形の生き物のようにのたのたと、床を這いながら色を増す。ぐんにゃりと、周囲の景色が歪んだ。視界の端で、無言で棒立ちしていた警備の術者二人が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。一瞬の目眩。背後で、鉄の擦れ合う――剣戟の音が弾ける。
室内の様相は一変していた。
いやに広い、畳敷きの薄暗い和室。刀傷だらけの襖が四方を取り囲み、饐えた血と鉄の臭いが色濃く漂う。
外観としては、池田屋のものに近いだろうか。澱みきった陰影が身体に重く伸し掛かるような、いやになまぬるい癖に背筋を寒くさせる独特の空気が、この場所が普段の戦場とは違う事を否応無く実感させる。
……って待った、さっき後ろからも悲鳴上がってたけどまさか……!
振り返ったその先で、五木さんの身体が四分割されて畳に転がる。
壁に黙然と居並んでいるのは、先程まで五木さんの刀剣男士“だったもの”。丸太みたいな大太刀の足が、五木さんの成れの果てを無造作に踏み潰した。やっぱ入れ替わってますよねー!!
一筋縄でいくとは思ってなかったけど、さすがにこうも手回しがいいと私じゃどうしようもない。
だれか。誰か救助呼んで。なんか偉いお坊さんとか陰陽師とかそんなん呼んで。
「あ゛っ――あ゛、ああああ……!」
腰が抜けたらしい、榊原ジュニアがへたり込む。
その視線の先。無残に転がる議員の遺体を、まるで絨毯のように踏み締めて――それは、いた。
血色に赤い、艶やかに濡れた形の良い唇。
青褪めた白磁の肌、しっとりと艶めく黒檀の髪。
一寸の狂いも無く整いきった目鼻立ち。薄闇の中に在っても尚美しい、しらじらと輝く月の麗貌。
人を惑わす為に産まれたような、美しさだった。人を、堕落させる美しさだった。
茫洋と灯りを点す真っ赤な双眸をやわらかに撓ませて、浮かべた微笑みは咲き初めの薔薇のよう。
艶麗、という言葉が相応しい妖美に、喉が鳴る。なんてきれい。姿形は三日月宗近そのものであるはずなのに目が離せない。ああ、なんて、なんてあかい、あかいあかいあかいアカあかあかアかあk――
視界を、白い布が覆い隠した。
国広さんが囁く。
「……あれの目は見るな。呑まれるぞ」
「――…………ありがとう、ござい、ます……」
どっと、全身から冷や汗が噴き出す。無意識に息を止めていたらしい。心臓が、ひどく煩い。
頭から被せられた布から顔を出してみれば、榊原ジュニアも先程までの私と同じ状態のようだった。
へたり込み、呆然と口を開いて瞬きもしない。その視線は、“三日月宗近”に釘付けだ。
嗚呼、と。恍惚の滲む声音が、滴る色気を含んで響く。
さして大きくも無いはずのそれは、剣戟の最中にあってすら奇妙な程によく通った。
“三日月宗近”の手が、かつての主へと差し伸べられる。
「むかえにまいりました、ぬしさま」
短刀。脇差。打刀。
黒い靄が凝り、遡行軍がまろびでる。
ひどく無邪気な表情で。人喰いのばけものが、微笑んだ。
■ ■ ■
昼を迎えて未だ空は暗く陰り、垂れ込めた雲は光の一筋も通さない。
あまねく地上を照らす陽光が差し込まぬのは偶然か、はたまた視認できるほどに色濃く立ち込める瘴気こそが原因であるのか。瘴気が原因であるとは、あまり考えたくないものだ。マヨヒガによって隔離された異空間と違い、この現世にてこうも影響を及ぼせるなど、それこそ日本史にその名を残す大怨霊と相違無い実力を備えているという事になってしまう。政府の要地であるが故に張られていた結界が、檻として作用しているからこその天候であるのかも知れないが――そこは、使い走りの管狐風情が知り得る事では無い。
例え知る事ができたとしても、それは全てが終わって以降の事である。生きていれば、の話だが。
「こんのすけぇ! 使えるようにしとけ!!」
和泉守の怒声が耳に届くより先に、受け身も取れずに日本号が彼の横を転がっていく。
その全身は傷だらけで、足は有るべきでない方向に捻じ曲がっているような有様である。簡易結界内部で作業していた警備の術者が、うっかりその有様を見てしまったようでひぃ、と引き攣った声を漏らした。
言葉を返す事はしない。戦場の喧騒の中では、身体の小さな管狐の声など掻き消されてしまうだけだ。彼に求められているのは、こうして乱暴に後列へ押し込まれた刀剣男士に処置を施す事だけである。不必要なお喋りなど、誰にも求められてはいない。
兵糧丸を日本号の口へと押し込む。連隊戦の為に特別に開発されたそれは、瞬く間に身体中の傷を癒し、全身に活力を満たす。口元に残る血の痕を乱暴に拭い、日本号が跳ね起きた。
「わりぃ、助かった」
「お気になさらず」
管狐の返答はおよそ温度というものに欠けていたが、日本号は気に留めなかった。そも、刀剣男士に対して常に業務的な狐である。審神者にするような情感豊かな反応が返ってくる方が薄気味悪い。
「行くぞ、お前ら!」
日本号が吼える。顕現した重歩兵達が、揃って応、と応えて駆ける。
手傷を負う前の持ち場へ勇んで駆け戻る後姿を見送る事無く、管狐は簡易結界の中、慌ただしく右往左往を繰り返す警備の術者達の会話へと耳を傾ける。
「――だから、応援の要請を――」
「結界を逆手に取られて――これでは干渉しようが――」
「駄目だ、この状況じゃ繋がるのは――」
「――内部から湧いてくる遡行軍への対処を優先すべきでは――」
「指示を仰ぎに行った式紙の戻りを待った方が――」
てんでばらばらな有様だった。
場を仕切れる人間がいない事が裏目に出ている。
ここに審神者がいれば違っただろう。刀剣男士という兵力を有する以上、遡行軍が溢れ返るこの場においては、何をするにしても審神者の意見こそが優先される。しかし、ここにいるのは審神者を欠いた刀剣男士達と、叩き込まれた連携もほっぽり出して、異常事態に右往左往する警備の術者達のみである。
足並みがまるで揃わない状況の中、それでも術者達が生きているのは刀剣男士達が彼等を守ろうと動いているからに過ぎない。そうでもなければ、この遡行軍無限湧きな状況下で張った簡易結界なぞ、とうに破られているだろう。霊力のある“人間”とは、鬼にとって馳走であるからして。
「近寄らせはせん!」
「ぬおおおおお!」
「――首を、差し出せッ!」
刀剣男士達の声が、戦の喧騒に華やぎを添える。
ぶつかり合う鋼の音、斬り捨てられて肉塊になったモノが倒れ伏す重低音、遡行軍のものだろう、金属が擦れ合うような耳障りな威嚇音、地面を踏み鳴らす音、時折混じる怒鳴り声、その他諸々の何もかも。
予想通りに遡行軍が現れ、早一昼夜が経過した。
今のところ、折れる男士は出ていない。出てはいないが、それも時間の問題だろうとこんのすけは思う。
事前に与えられたお守りは、こんのすけの把握しているだけでも既に半分が消費されている。兵糧丸が無ければ今頃、一振り二振りは折れてしまっていただろう。
だが、それも致し方あるまい。遡行軍の出現と同時に、の霊力が感知できなくなったのだから。
内通者の可能性は示唆されていた。最悪、背後からの奇襲も有り得る――その情報を周知されていて尚、立て直しに時間がかかったのはそれ故にである。主従契約を結んだ刀剣男士の身であるからこそ、の生死は感知できる。彼女が生きている事は全員が理解している。
それでも動揺が収まらなかったのは、それが五体満足である事を意味してはいないからだ。
行方が分からないようでは、馳せ参じる事もできない。
審神者の安否が分からないが故の、精神的な不均衡。
そして――かつて堕ちかけた経験がある者ほど、血に、穢れに酔いやすいという性質。
の刀剣男士達。
特に、前任の時代からいる者達は、“死なない事”に長けている。
適度に戦い、深追いしがちな馬鹿は首根っこを掴んで引きずり戻す。その小器用さと判断力は、元ブラック本丸出身者であるが故のものと言える。当然と言えば当然だ。彼等は審神者による指揮も、手入れすら満足に無い地獄を生き残ってきたのだから。通常から考えれば、十分に彼等は異端である。
確かに指揮を刀剣男士に丸投げする審神者もいなくはないが、彼等は基本、死に対する忌避感が薄い。
だからこそ一戦毎の部隊の確認、大まかな陣形の指揮は審神者が担わされているのだ。
現場の個々人で判断するような軍隊、烏合の衆と変わりない。
いくら個人が並外れて強くとも、それだけで勝利できるほど、この戦は甘くないのである。
「こっの野郎……! ぶっ殺してやる!!」
「実戦刀の頑丈さ、舐めんなァ!」
首が落ちる。両断された上半身が傾いで落ちる。斬り捨てられて地面にべちゃりと模様を描く。
遡行軍を斬り捨て、振り向き様に向かってきた短刀の頭蓋を腕一本を犠牲に拳で叩き割ってみせた獅子王が、ぎらぎらと肉食獣さながらの目を喜悦に歪めて、高らかに天に向かって吼える。
彼同様に響いてくる哄笑は、果たしてどの男士のものか。この場にがいれば、頭を抱える事必至の状況であった。今のところ連携を取るだけの頭は残っているようだが、それも何時まで保つやら。
がしゃり、と。半ばから折れた遡行軍の槍だったものが、乱暴に眼前へと投げ捨てられる。どくどくと鮮血を滴らせる脇腹もそのままに、血と土に塗れた次郎太刀が、潰れた眼球と黄玉の双眸で管狐を見下ろす。
「寄越しな」
「どうぞ。一端、兵糧丸の補充に抜けたいのですが」
「……仕方ないね、入れ替わりで加州を寄越すよ。一人で足りるかい」
「十分です」
ただ、政府にある在庫分はこれで終いとなるだろう。
万屋から仕入れれば数の心配などしなくて済むのだが、現状、そういう訳にもいかない。
そもそもこの兵糧丸とて、こんのすけから今回の件について報告を受けた飯綱使いの主人が、必要になるかも知れないと私的に購入しておいたものである。十全な量を用意できているはずもない。
人間であれば疲労がある。人間であれば、次々死んでいく同胞の姿に心が折れる。
しかし遡行軍は人間では無い。恐怖の無い死兵達は、いっそ恐怖を覚えるほどに淡々と、何かの作業めいた調子で刀剣男士達を絶え間なく襲い続けている。いつ終わりが来るかも分からない、主の安否も分からない状況で、彼等が未だ統率を保っている事はこんのすけにとって少しばかり意外であった。
兵糧丸を酒で流し込む次郎太刀を見上げて、何とはなしに問いかける。
「殿の下へ向かわなくて、宜しいのですか?」
「んー……ぷはぁっ。何言ってんだい、第一部隊の連中がついてるじゃないか。
それに、から指揮任されてるからねぇ。アタシが行っても追い返されるだけさ」
首に手をやり、小気味良く鳴らして癒えた身体の具合を確かめながら、次郎太刀が言葉を返す。
彼女の行方は知れず、果たすべき義務もある。だが、それでもこの初期刀は、の下へ行こうとするのではないかと思っていたのだが。
今一つ考えの読めない男に思わず首を傾げれば、次郎太刀はふいに眼差しを和らげてみせた。
皮肉るように、嘲るように。豪快なこの大太刀にしては珍しい表情で、喉を鳴らして踵を返す。
「アンタには、分からない話さ」
奇しくも、仕える審神者同様。
彼という管狐にとってもまた、刀剣男士は理解し難い。
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