刀剣男士と審神者達で、常に賑わいを見せる城下町。
 その出入口となる場所の景色は独特だ。大通りへと繋がる、見上げるように巨大な大鳥居の向こう側。風にさざめく竹林を仕切りに、何本にも枝分かれした通り道には小さな鳥居が密集しながらも乱立して立ち並んでいる。

 そんな小鳥居のうちの一つ。
 他に比べて明らかに人の往来の少ない道の片隅に佇む三人の姿に、歩を早めながら声をかけた。

「すみません、お待たせしちゃいましたか?」
「そんなことないわ、待ち合わせの十分前だもの。ちょっと早く来すぎちゃった」

 こちらへと顔を向けた鈴さんが、表情を柔らかく緩めてうふふと笑う。
 明らかにイライラしている様子の唯織さんが、不機嫌そのものな面持ちで舌打ちした。

「悠長にお喋りしてる場合? 揃ったんだし早く行きましょ」
「ごめん。うちの主、ちょっと気が立ってて……」
「気にしてませんよ」

 だから青江さんその目ほんとやめてたげて。やめて。
 一緒にこれから調査いくんだよ味方だよまったく気にしてないですいや本当。
 ……唯織さん、行方の知れない審神者探しに熱心だからなあ。今回の調査についても話振ったらすごい勢いで喰い付いてきたし。丸投げした方の審神者探しが難航してるらしいから、それで苛ついてるのもあるんだろう。
 しかしこの入れ込みよう、ひょっとして知り合い誰か行方不明になってたりするのかね。

「それじゃあ、行きましょうか。鈴さん、お願いします」
「ええ」

 鈴さんが頷いて、封書から一枚の紙を取り出す。
 掲げられた紙に呼応するように、小鳥居の内部に光が灯った。
 ざぁ、と。一面に文字が広がる。光の中を泳ぐ、崩し字の文字群。達筆すぎて何かの模様にしか見えないそれらが、まるで意志ある生き物のように回遊しながら、くるりと大きな円を描いた。

「不在本丸、識別番号イチイチ本丸――開門」


 りぃん、

 高く澄んだ音色が響いた。
 描かれた円の中央に、【 開門 】の文字が浮かび上がる。ぱちん。光が弾けた。
 乾き切って草の一本も無い、石の転がる地面。その向こうにそびえるのは、見慣れた本丸の大門だ。
 しかしその扉も汚れてぼろぼろになっており、辛うじて扉の役目を務めているような有様である。わぁい入口から既に漂う廃墟感。

「……こうやって余所に繋ぐんですねぇ」

 主がいないとはいえ、他人の本丸に足を踏み入れるのはこれが初めてだ。
 自分のとこは何か手続きとかしなくても、小鳥居くぐればそこが本丸だもんな……何で判別してるんだろ。霊力?
 なんにせよファンタジー感はんぱないな。しかし行き先は夢の国とかじゃなくて元ブラック本丸跡地である。ちょっと世知辛すぎやしませんかおい。
 ぽろっと零した呟きに、鈴さんが掲げた紙を仕舞いながら苦笑する。

「手順を間違うと変なところに繋がっちゃったりするし、色々問題も多かったりするのだけれどね」
「あー。ひょっとしてこれ、その筋の専門でもわりとややこしい手続きだったりします?」
「そうねぇ。本丸が多いのもあるけど、敵の侵入対策や契約内容が本丸毎で違ってたりするから。
 心得のある審神者だったりすると更に術式をいじって自分用に調整したりって事もあるんだけど、いまのところ政府への申請義務は無いのよね」
「うへぁ」

 困り顔な鈴さんの言葉に、思わずげんなりした声が漏れた。
 本丸間での往来が難しいのって、ひょっとしてそのせいだったりしますかね。

「あれ。でもそれなら、見習い制度どうやってるんです?」
「……刀剣男士を伴ってる訳でもない“お客様”一人くらいなら、そこまで手間でもないのよ?」
「…………お疲れ様でーす」

 ほんのり虚ろな鈴さんの目が、現況を雄弁に物語りすぎてて涙がちょちょぎれそうである。とてもつらい。
 なんだろう……見習い制度だって少しでもリスクを減らそうっていう思いから出たものなはずなのに、なんでこうもかなしみの連鎖が産まれてるんだろう……それもこれも全部歴史修正主義者のせいですねしってる。畜生爆ぜろ。

 真っ先に前へ進み出た唯織さんが、無言で扉を押す。
 ぎぃいいい、と軋んだ悲鳴を上げながら、ゆっくりと本丸の扉が開いた。
 扉が開ききるのを待つ事も無く、ずんずか入っていく唯織さんを「待ってよ主!」と慌てた様子で安定さんが追って行く。青江さんと目線を交わす。ひとつ頷いて、青江さんがその後に続いた。

 小鳥居の先。扉の先の空気は、元ブラック本丸跡地と聞いていた割には清々しいものだった。
 血の臭いも、生臭さも、あの、水が腐ったような独特の腐臭も何もない。
 埃と砂と。人の気配の途絶えて久しいその空気は、かつての私の本丸に満ちていたそれとはまるで違うのに――不思議と、就任したばかりの当時を思い出させた。うすらと雲のかかった空模様のせいだろう、朽ちた有様の本丸に落ちる影が、廃墟めいた雰囲気を際立たせている。ひくり、と鼻を鳴らして鈴さんが首を傾げた。

「……随分綺麗ね」
「あの“三日月宗近”、ここの刀剣でしたよね?」
「調べた限りでは、そのはずだけれど」

 別に第六感に秀でてるとかそういう事は全然無いはずなんだけど、ここにあの化け狐様がおいでになる気がまったくしない。
 あの一人発狂放送ラジオだぞ。あんなん作った本丸がこんなさっぱり何にもございません❤ みたいな空気感なの絶対おかしいって。うちの本丸だってもっと分かりやすく空気悪かったぞ。
 入る前から周囲を警戒していた青江さんも、少し困惑気味である。やっぱおかしいよなぁ、ここ。
 安定さんが「聞いてたのと、ずいぶん違うね」と不可解そうに首を傾げた。

「ちょっと、何グズグズしてるのよ! 先に行くわよ!!」
「主、一人は危ないってば!」

 唯織さんここわりと危険なとこだと思うんですが。
 なんであんなずんずん一人で行こうとしちゃうの? 安定さんさえ置き去りにする勢いですよね? なんなのなんでああまで無謀な行動できるのか全然理解できない……あんなんで大丈夫なのか……あれが正しい審神者の有り方だとでも言うの……? いやあれは性格かな。うわ唯織さんつよい。

「……とりあえず、日の高いうちにちゃちゃっと家探し終わらせましょうか」
「ええ、そうね。私はあっちについて行くわ。……あの子、ちょっと無謀すぎて心配になるもの」
「そうですね、お願いします」

 あの勢いだと腐った床とか踏み抜きかねないしな。
 それに、何か痕跡があったとしても「人」以外眼中にないっぽい唯織さんが気付けるかどうか不安だし。
 ……人手が欲しくて誘ったのは私だけど、もしやしない方が良かったか? これ。

「……めんどい」

 鈴さんを見送りながら、がっくり肩を落とした。
 いやほんと、なんで私こんなとこでこんな事してんだろうなぁ……。


 ■  ■  ■


 面倒でも帰りたくっても、言いだしっぺが真っ先に回れ右する訳にもいかず。
 ほんと世の中クソだな。休暇寄越せ下さいまとまったやつ。実家帰るのは無理でもせめて本丸でぐーたらしてたい。本丸さんのご飯食べてこんさんもふって布団でごろごろしながら本読んでゲームやってたいですぽっくら平和に畑耕して作物育てる系のやつ。ゲームでも斬り合いとかおなかいっぱいなんで。たたかいはなにもうまないね。
 何も考えずただひたすらに癒されていたい。

「埃っぽ……」

 唯織さん達が本丸へ突っ込んでいったので、私達は離れや道場を先に回っていく事にした。
 しっかしものの見事な廃墟っぷりだ。足を乗せる度に悲鳴を上げる床板、倒壊した屋根瓦と吹き抜けになった壁。あちこちに広がる黒い染みが、就任当初の記憶を刺激して余りある。戦いの痕跡はないのに血痕は大量にあるって時点でお察しですね! 部屋の隅っことか人型に畳抉れてたりするのね、ほんと勘弁して欲しいよね。
 埃と砂がたっぷりと降り積もった廊下は、歩くだけで足跡を残す。

 しん、と静まり返った本丸。
 往時はきっと、賑やかな場所だったのだろう。それがどんな形であれ。
 クス、笑みを零して、前を行く青江さんが皮肉っぽく呟く。

「見捨てられた本丸、か。
 ……置物以下に成り下がるなんて、ぞっとしない話だねぇ」

 返答を求めない呟きだった。
 皮肉と、わずかに込められた哀切の響きに目を伏せる。

 青江さんも、感じるものがあるのだろう。
 この本丸の有様は、彼にとってもあり得た未来の、一つの形だ。
 戦いの為に呼ばれて、人の形を与えられて。そうして、その心と身体を蹂躙された。
 傷付いただろう。苦しかったろう。辛かったろう。人間の理不尽な行いを、憎悪した事だろう。
 人を愛し、人に愛され大切にされて付喪神に至ったものたち。
 その純真を踏み躙り、裏切る行為に抱いた失望は、果たしてどれほどのものか。

「後悔、してますか」
「……何をだい?」
「人間に、力を貸した事を」

 問いは、自然と口から零れていた。青江さんが足を止める。
 ただの物で、在れたなら。薬研さんはそう願った。願って、今も私と共にある。
 人の姿を持ったとしても、彼等の本質はきっと“刀”のままなのだ。
 薬研さんの柄に、指を滑らせる。反応は無い。当然だ。物は、自分で動いたりしない。ただ使われるだけだ。

 青江さんが振り返る。
 いつも通りの、薄い微笑みを少しも崩さないままで。

「そうだねぇ……僕も、分霊としてはだいぶ外れてしまったと思っているけど」

 私を見返す、穏やかな眼差し。
 そこにほんの一瞬、底の無い、昏い影が差す。
 愛しているから。愛していたから、裏切りが憎い。殺したいほど。同じだけの傷で以って、報いたいと願うほど。
 察することはできても、きっと、私に彼等の思いを理解する事はできない。
 人間である私に、彼等の愛憎の深さは推し量れない。考えを同じくする事もできない。主となった今もなお。

 人間の私と、刀剣男士の彼等と。
 姿形は同じであっても、寄り添い合う事はできても。本当の意味で理解できるなんて思えない。
 だって、人間同士ですら理解し合えないのだ。同じ種族ですら相争う。時には、血を分けた親兄弟ですら。

 青江さんの笑みが深まる。慈しみを込めて。
 つめたくて綺麗な、人間味の感じられない整った面差し。
 私を見据えてゆるゆると細まった色違いの双眸は、旅人を惑わす鬼火のよう。

――最期は、君の命令で折れたいと願っているよ」

 優美に腰を折って、まるで、尊いものにするかのように。
 青江さんの唇が恭しく、羽織の裾へと落とされる。
 厳かな、誓いめいた所作だった。この場には到底そぐわない。まるでお伽話の騎士様だ。現実感の欠片も無い。当事者であるはずなのに、その感情を向けられているのが自分なのだと思えない――思いたく、ない。


 あつしさん。

 愛染あいぜんさん。

 鳴狐なきぎつねさん。


 かつて。かつて私の命令で、私の指揮で折れて逝った、私の刀剣男士達。
 最善を尽くした。できる限り、その時思い付く限りの手を打った。
 彼等の死を、悔いた事は一度も無い。

「……無為に、死なせる気はありませんけどね」

 けれど、いつか。

 いつか、この先の戦いで。私はきっとまた、青江さんや、私の刀剣男士達に死を命じなければいけないのだろう。勝つために。より多くを生かす為に。戦えと。死ね、と。
 そうでなければいけない。そうでなければ死んでいった者達にも、折れていった者達にも顔向けできない。
 死なないで、なんて喚いている暇があるなら、生かす為の手段を模索しなければいけないのだ。
 まったくもって、矛盾している。生かす為に死なすのだから。

「そうだろうね。……でも、覚えておいてくれ。僕は、君の命令で折れたいんだって事」

 青江さんが笑う。ひどく無垢な、それでいて恍惚の滲む笑みだった。
 直視できず、目線を逸らす。足元から這い上がるような冷たさに、飲み下す唾すら固い。
 元より器物、付喪神。人外である彼等を、過たず扱いこなせるなんて思っていない。

 私の背負ったものだった。担うと決めたものだった。
 だけど――それでも、尚。時折。彼等を、刀剣男士を従える事がひどく怖ろしくなる。



 ――   ッ!



「! 今の――
「悲鳴だね」

 母屋から上がった唯織さんの悲鳴に、視線を交わして走り出す。
 音を頼りに渡り廊下から庭へと飛び降り、庭を突っ切っていけばだんだん大きくなっていく騒音。鳴り響くのは最早聞き慣れた、鋼の擦れ合う剣戟の音だ。首の後ろがざわつくような感覚は、嫌になるほどお馴染みのそれ。
 だん、と地面が踏み鳴らされ、前を走っていた青江さんの姿が更に遠ざかる。

 本邸、審神者の部屋に面した庭先。
 草木の枯れた寒々しい庭で、荒く息を零しながら安定さんが遡行軍と切り結んでいた。
 あああそりゃ馴染んだ感じがするよね毎日顔合わせてるもんねぇええええ!
 多勢に無勢だけど鈴さんと唯織さんは!? よしまだ生きてるっぽい!
 短刀と脇差が、近付いてくる私達に気付いた。こちらへ向かって迫り来る姿に、ぱん、と柏手を打ち鳴らす。
 おあいにくさま、連れてるの青江さんだけじゃないんだなぁこれが! ざ、と顕現した銃兵達が銃口を構えた。

――撃てッ!」

 銃声が鳴り響く。
 脇差が、腕から先を吹き飛ばされて絶叫する。
 銃弾を追うようにして、青江さんが跳んだ。


「笑いなよ、にっかりと!」


 繰り出された一閃が、遡行軍の短刀を両断する。
 続けざまの斬撃で脇差を切り飛ばし、そのまま安定さんの下へ走っていく青江さん。
 それを横目に、鈴さんと唯織さんに駆け寄った。
 良かったとりあえず五体満足! でも唯織さんめっちゃ顔色悪いぞ平気かこれ!!

「二人とも、怪我は!?」
「ええ、大和守さんのおかげで何とか。唯織さんも、ちょっとあてられちゃってるだけよ」

 ああ、めっちゃ吐きそうな顔してるのはそういう。
 洗面器かビニール袋……は流石に無いな。胃の内容物全部出しちゃうと案外楽になれるんだけど。
 なんにせよ、無事なようで何よりだ。ほっと息をつけば、その横を安定さんの落とした生首がぼとりと転がり、黒い煙と共に蒸発するようにして消えていった。あっ唯織さん決壊した。
 全力リバースする唯織さんの背中を鈴さんと撫で擦りながら、周囲を改めて見回す。

 正面、縁側を上がった先には崩壊しきった審神者部屋。
 写真らしきものが至る所に散乱したその部屋が、明らかに刀持って大暴れした後っぽい荒れ方してるのはまぁ予想の範囲内っちゃ範囲内だ。それより、水の干上がった池の大穴からどう考えても人骨っぽい骨がコンニチハはしている事の方が重大である。おいあれ確実に一名様って感じじゃないぞ。複数人分だぞ。

「鈴さん、あれって……」
「……行方不明の審神者達、でしょうね。
 みんな綺麗にしゃぶり尽くされてたから、供給されていない霊力を人喰いで補っているんじゃないかしら」
「人喰いで、か。……食べた当人には会いました?」
「いいえ、遡行軍だけよ。……回って見て確信したわ。ちゃんの会った“ナニカ”は、もうここにはいないわ。からっぽなの、清められたものじゃあない……多分、ソレは此処を引き払ったんじゃないかしら」

 難しい顔で鈴さんが告げた言葉に、眉を顰める。
 歴史修正主義者が、この件に関与しているのは最早疑いようもない。
 しかし目的が見えない。手を貸す意味が分からない。

 けれど、一つだけ確かな事がある。

 人間を“喰らう”、付喪神。
 それは最早、退治されるべき“妖かし”だ。

「狙いが元主、っていうのは間違い無いと思うんですけど……」
「そうね。……どうも欠かさず通ってるみたいだけど、彼、政府の施設に籠りっきりなのよね。
 あそこは結界があるから、付け入る隙を狙ってるんじゃないかしら」

――百夜通い」

 囁くような声で、青江さんが呟いた。

「……情熱的だねぇ。彼はいったい、あと何夜通うんだろうね?」

 ぞわ、と背筋を冷たい汗が伝う。
 百夜通い。お百度参り。百度、通い続ければ願いが叶う。
 人を喰らい、契約の切れたはずの主の下へ、通い続けて望むもの。
 深草少将は、小野小町の心を望んだ。なら、あれはかつての主に何を望む。
 “三日月宗近”を模した、その顔に異様な執着を見せた――

――止めないと」

 鈴さんも同じ結論に至ったらしい。見返す顔は、深刻そのものだ。
 きっと、被害はかつての彼の主だけでは終わらない。
 だから止めなければいけない。破壊してでも。殺してでも。

 満願成就の夜が来る。
 全てが手遅れになる、その前に。




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