北と南、両ゲートの破棄は予想通りに手間取った。
 当然だろう。ゲートはそんな大きいものではないが、敵勢力が絶えず湧き出し続けているのである。両兵力が接触する接点が狭いからこそ防衛する上では有利に働いているが、ゲートにより近いのは遡行軍側だ。死をも厭わぬ挺身で以って、遡行軍は自分達が侵入する経路を確保し続けていた。

「ジリ貧だなぁ……」

 練度高いのを二、三部隊ほどあっち側に突っ込ませて押し返せば、簡単に解決する問題ではあるけれど――それを承服させられるか、というのが最大にして唯一の難点だ。演練場にいるのは訓練された軍人ではない。指揮しているのが烏合の衆である、というのを忘れてはならない。刀剣男士が戦いに特化しているからこそ何とかなっているだけだ。部隊毎の統制は取れていても、現在構築してある指揮系統ですら場当たり的なものだ。
 指揮する側と指揮される側に信頼関係も、ましてや事前情報すらない。よくやってくれている、と思う。
 特に東ゲートは見ていて危なげない。即席で、よく他の審神者達をああも見事に纏められるものだと感心すらする。北ゲートは猪突気味だが勢いがある。多分、あそこを任せたどちらかの審神者が、煽るのが上手いのだろう。我も我もと前に出ようとする部隊全体の手綱を引き絞る手腕も絶妙で、曲芸でも見ている気分になってくる。
 南ゲートは隊を分けたようだ。ゲート左右で陣を割り、両側から挟撃する形で殲滅して行っている。現場指揮官が二人いる状況のようだ。前々からの知り合いかな。互いに兵を動かすタイミングの合わせ方がすごく上手い。
 西ゲートは人海戦術のゴリ押しでどうにか保たせているのが現状だが、最も敵が殺到しているあのゲートで戦線を崩壊させていない、というだけで賞賛に値する。
 というか、いくらそこまで数いないって言っても、あの状況下で部隊編成ができるって時点でどいつもこいつもハイスペック極まり無いですよねっていう。無茶振りしたの私だけど。

 誰もかれもが必死に足掻いている。力を合せて。
 ……今この状況で、士気を下げるような命は出せないな。良くて聞こえないフリ、最悪、この後の指揮に響く可能性がある。一時的にでも敵の動きを止めないと破壊できない訳だけど、心理的にまだ承服しやすい命令で動かす必要がある訳で。もういっそこのまま堅持させるか? でもあれ、あのままにしとくと撤退時の難易度跳ね上がるんだよなー……どっちか一方でもいいから破壊できればいいんだけども。……仕方ないな。

「北ゲート及び南ゲートに通達。
 遠戦刀装の使用を許可。運用は各々に一任する――繰り返す。両ゲートを破棄せよ。以上」

 敵を抑え込むのに使うも良し、或いは遠距離からゲートを狙うも良し。
 選択肢が増えれば戦術の幅も広がる。
 その過程で犠牲が出ても、これなら玉砕特攻を命じられるよりは心理的にも受け入れやすい事だろう。
 モニターの向こう側で、ゲートの一つが明滅する。禍々しい光が薄れ、見慣れた色彩へと変化する。動揺する遡行軍の殲滅をノータイムで選択するとか、東ゲート組ほんと有能ですね!

ちゃん! 東ゲート、復旧したわ!」

 歓声が上がる。手を取り合い、抱き合って喜ぶ職員さん達。
 うわ、このタイミングかよ。厳しいな。生き残る芽があるのは良い事だ。
 が、まだゲートの破棄が完了していないこの状況で、我が身可愛さで一部隊でも抜ければ、後は雪崩を打つように統率が崩れるだろう。素直に後退させてくれるとも思えない。
 特に西ゲートとか難物ですよね超めんどい。

「分かりました。主任さん、データの破棄はどうなってます?」
「大丈夫だ! 全消去するだけの余裕はねぇが、漏れて不味いのは全部終わらせてある!」
「ありがとうございます。愛染さん、厚さん、五虎退さん。
 鳴狐さんと宗三さんと一緒に、東ゲートまで職員の方達を護送してください。その後は誘導をお願いします」
「待てよ。じゃあ、審神者はどうすんだ」
「ギリギリまでここに残ります」

 戦争において、戦況情報の把握と命令の伝達は早さが命だ。
 撤退戦の指揮を取るならモニターで逐一戦況を把握でき、すぐに指示を出せるこの場所以上に適任な場所は無い。引き際見誤ると孤立しかねないけどな。

「ねぇちゃんよ……あんた、正気か」
「正気ですよ。西ゲート付近を通る以上、安全性は高い方がいいでしょう。
 言い争っている暇はありません。皆さんは撤収を。
 宗三さん、鳴狐さん。聞こえていたと思いますが政府の方々の警護を任せます」
「嫌だ。――と言ったらどうします」

 ……。

 …………?

 扉の方へと視線を向ける。
 開け放たれた扉の前で、宗三さんが憮然とした表情で抜身の刀をぶら下げていた。
 わぁい返り血塗れ。どれだけ敵が来てたんだろうね!

「嫌、ですか」
「ええ。そう言ったら、どうなさるおつもりですか?」

 思わず眉根を寄せた。室内を見回すが、誰一人として宗三さんを嗜めようとはしなかった。
 次郎さんに至っては顔すら見せないとかどういう事だ。初期刀ェ……。
 嫌。嫌、ねぇ……どうするって言われましても、どうしようもないよねっていう。
 職員さん達だけで東ゲートまで駆け抜けさせるとか? やだ鬼畜。
 それ死ねって言うのとあんま変わらないよね! 

「……困りますね、とても。理由をお聞きしても?」
「気に食わないからですよ。貴女――自分が総大将なのだと、本当に理解しているんですか」

 首を傾げて問えば、宗三さんは不機嫌も露わにそう吐き捨てた。
 やだー宗三さん激おこじゃないですか超やだめんどいー。それ後じゃダメな話?

「まぁ、それは一応」
「それで理解しているつもりとは、とんだお笑い草ですね。
 どう思っているか知りませんが、総大将は替えの利くモノではないんですよ」
「……いや、いなければいないで、現場で代理立ててどうにかすると思いますけど」

 成り行きで総大将してるだけですしおすし。
 まぁ多少は混乱するだろうけど、私がいなくても誰か纏めるんじゃないですかね。
 一応指揮系統作ったし、各々リーダー任せた審神者さん達が何とかするんじゃないかな。
 むしろ全部あの人らに丸投げたいのが本音なんですが。
 っていうかこの話いつまで付き合わないといけないの? 一分一秒を争う状況なんですけど。
 いいからさっさと職員さん撤収させようぜ……今こうしている間にも現場は動いてるんだよ? 西ゲート戦線とか、今にも崩壊しそうで地味にハラハラしてるんですが。

「……大将、分かってねぇんだなぁ……」
「うわ、ないわー……」
「まさかのマジレスだよこの人」
「主どの……」

 何故方々から駄目出しを食らわねばならんのか。解せぬ。
 宗三さんがこれ見よがしに鼻を鳴らす。

「分かったら行きますよ。次郎、貴方もそれで異存ありませんね?」
「ああ、構わないさ」

 ひょい、と扉の向こうから顔を覗かせて、次郎さんが軽い調子で同意した。

「ちょ、次郎さんまで!?」
「悪いねぇ。アンタの我侭なら幾らでも聞いてあげたいところだけど、“最後まで”責任持つ気はあるんだろ? なら、一緒にここを撤収するのが賢いやり方さ」

 ブルータスよ、お前もか。

「納得いかないんですがね!?」

 責任持つ気があるからこそ、ギリギリまで残る選択をしたんじゃん!
 確かに危険度は高いだろうけど、自分の命惜しんで何十人と死なせるくらいならここで最後まで指揮を取るっつの! 成り行き総大将程度、欠けても大勢には影響無いだろうに何故我侭扱いをされねばならんのか!



 次郎さんが、輝くような笑みを浮かべた。
 途端に背筋を駆け抜けた寒気に、顔が引き攣る。やべぇ次郎さん目が笑ってない。

「担いで行かれるのと自分で歩いて行くの、どっちがお好みだい?」
「実質一択だよねそれ……!
 ああああもう……分かったよ、一緒に撤収するよ……だから担ぐのは勘弁して下さいほんとお願いします」
「分かった分かった」

 軽い返事に、深々と溜息をついて肩を落とした。
 ……あー……撤退戦の指揮、難易度上がるなぁ……。
 っていうか総大将がこんないかにも十把一絡げな小娘って分かったら、思いっきり士気下がるんじゃなかろうか。
 こんな奴に従ってられるか! 俺は一人でも戦うぞ! 的な展開とか超ありそうだよね。
 一人で戦ってどうにかならんから人手がいるんだよ……ここで総崩れになったら今までの苦労水の泡じゃないですかやだー超やだー。なんで審神者すぐ死亡フラグ立ってしまうん?

「主様……!」
「ヒヤヒヤさせる総大将殿ですね……」
「……まったく、手間のかかるお人ですこと」

 どんよりムードな私とは対照的に、やれやれムードな刀剣男士と職員さん達。
 君らなんでそんな仲良さげなんです? 審神者苛めて楽しいか畜生。

――全審神者に通達。これより本陣を中央ブロックへ移動。以降、伝令を通じて指揮を行う。以上!」

 さーてたのしい撤退戦、はっじまーるよぉー……。


 ■  ■  ■


 モニター越しでも把握していた事だが、中央ブロックは半ば野戦病院と化していた。
 手当ての為の物資すらロクにないような状態だ。そこに審神者と男士の区分は無い。凄惨な光景に、政府の職員たちは一様に顔色を悪くしていた。うん頑張れ。

「総指揮官殿ですな。お待ちしておりました」

 声をかけられ振り返れば、そこにいたのは恰幅の良い、着流し姿の男審神者だった。
 年の頃は五、六十代辺りだろう。射抜くような眼光に厳つい強面の顔立ちも相まって、前歴がヤの付く自由業だったと言われれば素直に納得できてしまう容貌の持ち主である。
 その横には近侍だろう、少年姿の刀剣男士が控えている。蛍丸ほたるまるだったか。
 ……あー。現場指揮任せた審神者さんの一人だな、この人。

「はい。突然の指名にも関わらず応えて頂き、ありがとうございます」
「なに、生きて帰るためには必要な労苦でしょう」

 深々と頭を下げれば愉快そうに顎を撫で擦りながら、強面審神者さんはあっけらかんと返答した。
 少し離れた場所で目を丸くして私と強面さんを交互に見ていた同年代くらいのスポーツマンっぽい男審神者さんが、おそるおそる、といた様子で私を指差して強面さんに問う。

「なぁじーさん……そいつが総指揮官って、マジで……?」
「言葉に気を付けろ、若いの。アナウンスの声で性別、年齢、体格はおおよそ予想は付く。
 それに、今の状況で無傷の男士を率いて他から来るのは総指揮官殿くらいだろう」
「へー。こんなちまっこい女が、なぁ……」

 おっかなびっくり寄ってきて、しげしげと見下ろしてくる男審神者さん。
 いや、確かに身長百八十センチ代(推定)からすれば小さいだろうけどそうもミニマムじゃないから。
 刀剣男士含む周囲がことごとくデカいからそう見えるだけだから。すまんね威厳とかなくて。
 微妙な気分で見返せば、不機嫌顔の愛染さんが私と見下ろす男審神者さんの間に割り込み、あからさまに面倒そうな顔をした男審神者の刀剣男士が、気怠げに主人の襟首を掴んで引き戻した。
 えーっと。確か、最近顕現されるようになった……誰だっけ。駄目だ、思い出せん。

「主ぃ……自分が言うのもアレやけど、ちびっと口慎んだ方がええと思いますで」
「分かってんじゃねえか国行くにゆき。きっちり躾けとけよ」

 舌打ちせんばかりの表情でメンチを切る愛染さん。何故そうもケンカ腰なのかね。
 なんかしたっけ? と顔にでかでか書いてある男審神者さんに、苦笑いして肩を竦める。
 悪気とか全く無しに地雷踏んで行きそうな人だなぁ……。

「気楽にして頂いて構いませんよ、指揮にさえ従って頂けるなら。
 ――総指揮を務めております、イチマルハチ本丸です。皆さんの本丸番号を伺っても?」
「これは失礼。東ゲートを任されました、サンナナ本丸です。
 総指揮官殿がこちらへおいでになるとの事でしたのでな、勝手ながら馳せ参じた次第。
 それと、火急の時だからこそ礼儀というのは重要ですよ――ほら、さっさと挨拶をせんか」
「ニイロク本丸、です。……ああっと。よろしく頼む、な?」

 頬を掻きながらおざなりに頭を下げる男審神者さん。
 その横からぴょこんと手が伸び、ピースサインと共にひょこりと痛んだ茶金色の頭が飛び出す。
 その後ろからついてきた近侍だろう大倶利伽羅おおくりからが、こちらの視線に気付いて黙礼した。

「キュウイチハチ本丸ー。北ゲート、破棄完了済みでーす」
「……早いですね」
「撤退するなら、無理してもぶっこんだ方がいいでしょー?
 あ、心配しなくても俺以外は西ゲートにちゃーんと行ってるよー」
「そうですか、助かりました」

 へらりと笑ってみせる茶金頭の審神者にしみじみと頷く。
 これで残る敵側のゲートは二つ、か。三方向からの敵に警戒しながら撤退戦するよりかはマシな状況になったな。どのくらい無理したのかはちょっと考えたくないけど。あちこちから痛いくらいに見られているのを感じながら、三人を見返す。ニイロク本丸の審神者さんはともかく、茶金さんと強面さんがすごいこっちを品定めしてる感半端ない。
 まぁ、威厳とか欠片もないしな私。でも誰もしなかったから私が取り仕切った訳でして。
 仕方なく引いた貧乏クジだというのに、何故にそれで品定めされなきゃならんのか。
 ……よし。文句言ってきたらそいつに総指揮官職丸投げよう。

「では、これより撤退を開始します。
 ニイロク本丸は負傷者と練度の低い者、政府職員を引き連れて東ゲートまで後退を。
 各本丸にいちいち繋ぐ時間が惜しい。とにかく手近な本丸へ収容できるだけ収容させて」
――応、すぐに取り掛かる。行くぞ明石あかし
「はいはい。ま、肩の力抜いていきましょか」

 主人と対照的にやる気のない様子で嘆息し、目礼して男審神者さんの後を追って行く。
 それを横目に見やりながら、この状況下ですらゆるい雰囲気な茶金さんへと問う。

「キュウイチハチ本丸。現在の西ゲートの兵力配置は?」
「んー。中央がニイヨン、右翼ロクロクで左翼が北ゲート組かなー。
 イチイチがマジ足手まといでさぁー、ニイヨンが必死で持たせてるけどマジやべーよ?
 隊列グズグズで前衛中衛ぐっちゃぐちゃ。とりま左右から支えてるけど、押し込まれて鶴翼になってるー」

 うげ、マジか。適正ガン無視な任命の弊害がモロに出たな。
 まぁ全員使えなくて体制立て直せず総崩れ、よりは万倍マシなんだけど。
 しかし中央、どうするかな……このまま堅持、も難しそうだし。南ゲートみたく左右から挟撃させて下がらせるか? 茶金さんが、「でもさー」とのんびりした口調で続けてこてん、と首を傾ける。あっ嫌な予感。

「左翼俺が抜けてるから、今頃雁行になってるかも」
「今すぐ戻ってマルゴ本丸の手綱締め上げろ!」

 猪突する奴を残すなよ!? っていうかあの曲芸調教してたのお前か!
 「はーい、もどりまぁーす」とチェシャ猫のような笑みを浮かべて、キュウイチハチ本丸は近侍を引き連れて西ゲートの方へと楽しそうに戻って行った。やだもうあいつ何なの。
 クツクツと喉の奥で笑いを噛み殺しながら、強面さんが問う。

「それで総指揮官殿。己は如何様に致しましょうかな?」
「……戦える者を率いて西ゲートへ急行。
 左右から挟撃させてる間にイチイチとニイヨンを下がらせますので、前線の指揮を引き継いで下さい。
 完了次第、陣形を方陣へ。後詰めの撤退が終了し次第、戦線を下げます」
「敵の目前で部隊を再編せよ、と。無茶を申されますなぁ」
「承知の上です。――ご不満ですか?」

 だが、中央を突破されれば撤退の難易度は馬鹿みたいに跳ね上がる。
 戦線崩壊のリスクを思えば、まだ統率がとれている今のうちに、無理やりにでも中央を入れ替えた方がマシだ。強面さんの事だ、その辺りは言わずとも理解しているだろう。
 小首を傾げてそう返せば、強面さんは大げさに肩を竦めてみせた。

「まさか。しかし、無茶を仰せ付かるのですからもう一声頂きたいところですな」
「……何を言えと」

 困惑しながら呟けば、後ろでぶはっと次郎さんが噴き出すのが聞こえた。
 顔だけ振り返ってジト目で睨む。おい、今どこに笑う要素があったよ。
 鳴狐さん今ボソッと「鈍い……」って呟いたのしっかり聞こえてるからな? 意味が分からん。
 宗三さんが、呆れた様子で額を抑える。

「貴女は……。一言頼む、と仰ればいいんですよ」
「総大将に頼みにされるってのはさ、将にとっちゃあ誉れだぜ?」

 愛染さんが呆れ顔で補足する。
 あー……まぁ、確かに貴方しかいない! って任せられた方がやる気は出るな。
 なんとなく分かる気はする。で、次郎さんいつまで笑ってる気だこの野郎。
 半眼の厚さんに小突かれる次郎さんを横目に、強面さんに向き直った。
 何故少年のように無垢に煌めく眼差しで見ていらっしゃいますのかこの御仁は。
 溜息をついて、強面さんと視線を交わす。

「貴方にしかお任せできない事です。……任されて頂けますね?」
「ふ、過分な言葉を頂きましたな。仰せの通り、老骨に鞭打つと致しましょう。なぁ蛍」
「はぁーい、張り切っちゃいまーす」


 ■  ■  ■


 現代でさえ、避難活動というのは手間暇のかかるものだ。
 ここが演練場で実質身一つな状況とは言え、それでも、どうしたって混乱はある。
 とにかく今も時間との勝負だ。東ゲートとかガラ空きだしな! ニイロク本丸いるっちゃいるけど、南ゲートの情勢も徐々に悪くなってきているから正直不安。ともあれ、中央の入れ替えと再編は無事に終わったようだ。惚れ惚れするほど見事な采配である。強面さんのチート臭半端ない。あの人前歴絶対一般職じゃないだろ。

「もう一回出してくれ。オレはまだまだいける……!」

 ぎらついた目をした高校生くらいの少年が、荒い息で開口一番、唸るように嘆願する。
 両脇に佇むのは真っ赤に染まった鶴丸国永つるまるくにながと、満身創痍ながらもポーカーフェイスな小狐丸こぎつねまる
 鶴丸の方は何故か、審神者らしい男の襟首を掴んで遠慮なく引き摺っている。
 たぶんあれイチイチ本丸、だよなぁ……噂の西ゲート組のズタボロ具合に頭が痛い。
 思わず天を仰げば、ゲートから吹き込む風にはためく馬印代わりの私の長羽織が目に入った。
 とりま適当な棒に括りつけただけですがね。うふふ、あれよく目立つわぁー……。

――ニイヨン本丸。部隊を再編しながら後退しなさい。
 重傷者、及び損害の多い本丸は撤退。以降は南ゲートへの警戒に当たるように」
「なぁ、聞いてるだろ!? オレをもう一回出してくれよ! あいつら、全員殺してやる……!」

 厚さんが動こうとするのを目線で制して、胸倉を掴む少年の手を優しく握る。
 ……誰か折れたか、目の前で死んだか。

「心配せずとも、その機会はいくらでもありますよ。
 いったん下がるだけです。部隊を再編しないまま突っ込めば、こちらの犠牲が増えるだけだ」

 理屈は分かっていても、感情的には承服しがたいのだろう。
 血が滲むほど唇を噛み締める少年の頬に手を添え、顔を覗き込んで冷徹に告げる。

「もう一度だけ言います。ニイヨン本丸は部隊を再編しながら後退。
 東ゲートにて南ゲートへの警戒に当たれ。――犬死させていい兵なんて、一人もいないんだよ」
「……っ」
「今、手の空いている将はお前と、そこで呑気に転がってるのだけだ。
 お前が使えないならそこのを叩き起こして働かせる」
「……あんたが指揮すりゃいいんじゃないのかよ」
「それができれば世話は無い」

 部隊再編と後退と撤退と同時進行しながら全体把握して指揮取れってか。
 そんなアクロバット曲芸できるの強面さんくらいなもんだろねーよ普通に破綻するわボケ。
 こっちも手一杯だっつの。第一そんなコロコロ本陣動かせるか。情報の伝達速度一つで命に関わる局面だってのに、余計な手間増やすとかマジで無い。

「それで、どうする? 一人で自隊を率いてでも突っ込むか」
「……いい。指揮に戻る」
「ん。いい子――お願いね」

 安堵に口元が緩む。少年の頬から手を離してぽん、と肩を叩いて告げる。
 推定無能を働かせるより、まだやる気と実績のあるこっちの子の方が頼れるからなぁ。
 人材不足が深刻過ぎる。ひょっとしたら誰か埋もれた名将とかいるのかも知れないけど、そんなもん悠長に発掘してる暇無いし。っていうか右翼の薄さも心配なんですが。西ゲート戦線だいぶ伸びてるしあそこの連中練度他より低いし、ロクロク本丸だけで仕切ってるからな……。

「ふふ。これで奮起せねば男が廃りますなぁ、ぬしさま?」
「うるせえ駄狐」
「はっはは! 君らは本当に仲が良いな! では総大将殿? 大船に乗ったつもりで任せておけ」

 鼻歌でも歌いそうな上機嫌で一礼して、鶴丸が意気揚々と少年審神者と小狐丸の後を追う。
 ……モチベーション高くて何よりだけど、引き摺られてるイチイチ審神者大丈夫かあれ。

 ■  ■  ■


 永遠に戦線を硬直させておく事は不可能だ。
 負傷者は撤退させているし、刀装兵の消耗なんて一番容赦無い。そして、兵が減れば戦線は当然維持できない。戦列を後退させるよりも敵が進行する速度が速かったという事だ。
 くそ、ここに来て互いの兵力差がダイレクトにキたな。全体の疲労もそろそろ無視できない。

「ご報告いたします! 西ゲート右翼、突破されました!」
「南ゲート、敵の増援を確認! 東ゲート方面へ押し込まれています!」
「西ゲート右翼、一部分断されました! 現在孤立しています!」

 悲鳴染みた伝令が次から次へと入ってくる。
 バットニュースばかりですね。わぁい大体予想通りの展開!

「東ゲートの撤退状況は」
「終了まであと三割ってとこだ」

 心得ているとばかりに、愛染さんから答えが返る。
 くっそまだ終わってないのかよ泣ける。
 だが、もう悠長に待っているだけの時間は無い。このまま放置しておけば乱戦に持ち込まれるのが目に見えている。そうなれば後は狩り放題だ。いくら刀剣男士が精強でも、数の暴力の前ではどうにもならない。

「西ゲートに伝令。東ゲートまで戦線を下げろ。
 南ゲートは西ゲート右翼にタイミングを合わせて同様に後退。急げ!」
「恐れながら申し上げます。孤立した者達はどのようにすれば――

 無言で戦線を睨み付ける。
 西ゲート右翼は半壊状態だ。あれでは再編するだけで手一杯だろう。
 中央のサンナナ本丸が総崩れにならないように援護してはいるけど、あそこはあそこで目の前の敵を捌くのに忙しい。二重戦線となりつつある現状、後衛をからっけつにして何とか手助けしている状態と見た。歯噛みする。
 あれを助け出すとなれば、右翼の壊滅と引き替えになるだろう。そうなれば中央まで崩れる。
 躊躇っている余裕はなかった。ほんの一秒、刹那の時間が、今は命の重みを持つ。

「助けに入る余力は無い。……ロクロク本丸へ伝達。孤立した者は見捨てろ。
 これ以上の損害は出せない。南ゲートの隊と合流して戦線を立て直せ。――行け」
「……はっ」

 伝令が走るのを見届けて、深々と溜息をつく。
 予定通りに事が進めば、このまま東ゲートで防衛線構築しての撤退戦な訳だが。

「……死闘だな……」

 東ゲートは最重要地点だ、落とされるわけにはいかない。何人死のうとも。
 右翼が南ゲート組と合流できればまだ持つか? いや、崩れるのを覚悟しておくべきか。
 思ったよりも戦線を後退させる速度も早い。押し込まれているのもあるだろうが、中央が右翼と正面に気を取られている間に、左翼がやや下がりすぎているのが気になる。

「伝令。左翼へ他隊と足並みを揃えろと伝えろ。穴を作るな」
「はっ!」

 演練場の放棄は確定。これはどうあっても覆す気はない。
 政府の命令に従うとなれば、場の全兵を磨り潰す以外の選択肢が見えない。
 演練場襲撃の狙いはおそらく、各本丸襲撃のための足掛かり。押し込まれた戦線の向こう側、敵陣の馬印がはためく。のし、と頭の上に重みがかかる。

「おや、敵大将のお出ましかい」

 次郎さんの言葉に舌打ちが零れた。
 各本丸を個別に相手取るより、ここで審神者を一人でも多く始末しておこうという腹か。
 数を揃えるのは戦争の基本である。局面は圧倒的に遡行軍が有利。大将が直接指揮を取るだけの価値はあるという事か。目に見えて敵の士気が上がったのが分かる。

――――

 目を伏せる。このまま当初の予定通りに撤退を指揮する?
 敵の士気は恐ろしく高い。勢いのままに追撃を受けるのは考えるまでも無い。
 ……西ゲートに余力は無い。南はあそこだけで手一杯。東は動かせない。

「伝令。各本丸に通達。私が討ち取られたらサンナナ本丸の指揮下に入り撤退せよ、と」
「はっ!」

 一刻の猶予も無い。
 唯一狙える、起死回生の一手。

「愛染さん、厚さんは先鋒を。
 鳴狐さんと宗三さんは左右を固めて下さい。五虎退さん、背後を任せます。
 敵大将の首を獲る――折れても道を切り拓け」

 総大将からの一騎打ちの申し込み。
 この状況下で応えなければ、臆病者とのそしりは免れまい。
 こちらはどのみち急拵えの軍だ。失敗しても全体に与える損害は少ないだろう。
 士気に影響は出るだろうが、サンナナ本丸ならそれを立て直して撤退を続けられるはずだ。
 敵の目的は審神者の始末と演練場の奪取。戦争というのは陣取りゲームである。そして現在、陣取りを進めている盤面はここだけではない。敵大将を落とせば士気は下がる。こちらの撤退を黙認させる程度の戦果が必要だ。
 振れば兵士が出てくる魔法の小槌がある訳でなし。消耗を躊躇させれれば、これ以上の戦いは無益だと思わせられれば上等だろう。優先順位が高いのは演練場の確保。そのために投入された軍勢のはずだ。そうである以上、こちらの戦力を削ぐのはあくまでもついでである。
 刀剣男士達から応、と声が上がる。隠しきれない喜色を滲ませる声音が、戦いに浮き立つ内心を雄弁に語っていた。腕を叩いて促せば、無言で次郎さんが身体をどかす。

「次郎さん。命を預けます。……一緒に、死んでくれるんでしょ?」
「……ああ、喜んで預かろう。アタシの審神者」

 するり、と大きな手が私の右手を捉える。
 見せ付ける様にして、次郎さんが唇の手首へと寄せた。恭しく静脈の真上に触れる感触は柔らかだ。
 ふ、と口元が緩む。戦意に煌めく黄玉の眼差しが、この上なく頼もしい。

 次郎さんに抱えられて馬上に収まった。
 馬印が掲げられる。翻る黒い長羽織が、まるで羽ばたく鴉のようだった。

――突撃!」

 顕現した刀装兵と男士達が、演練場中を震わせるような鬨の声を上げる。
 腰に佩いた、薬研さんの鞘に触れて胸の中で呟いた。――さあ。正念場だ。


 ■  ■  ■


 こうなってみて改めて思い知らされる。遡行軍の強さ。刀剣男士の強さ。
 成程、彼等は確かに兵卒としてこの上なく有能だ。負傷を恐れず、殺す事を躊躇わない。

「組み付いちまえば――オレのもんだっ!」
「どおりゃあっ!」

 厚さんと愛染さんが突破口を抉じ開ける。
 触れるが早いか斬り捨て、怯んだ隙に蹴倒してその上を駆け抜けていく。雑魚に関わり合っている暇はない。幾重にも折り重なった敵の隊列を、目の前だけを睨み付けて駆け抜ける。悠然と翻る馬印が見える。

「僕に触れられると思いましたか?」

 嬉々と笑み崩れるような、嘲りを帯びた宗三さんの声。血が跳ねる。何もかもが赤く染まっていく。ごろりと首が落ちる。仲間の血を浴びて怯んだその隙間を騎兵が踏み抜いて道を作る。
 負傷の程度を把握している余裕なんてとうに無い。次郎さんが大太刀を一閃する。

――そぅら!」

 振り抜かれた刃を受けて眼前が開ける。押し出されるようにして次の隊列。
 焦ったような狐さんの声が響く。鳴狐が傷を負ったようだった。

「鳴狐? 鳴狐大丈夫ですか!?」
「……っ」

 がくん、と一気に進軍速度が落ちた鳴狐を置き去りに突き進む。
 一瞬だけ、後ろを振り返った。視線が交差する。
 行け、と。それだけを、強烈に訴えかける強い眼差しが、鳴狐とお供の姿が、遡行軍に呑まれて消える。

「えいっ!」
「くそ……これからが本番だってのに……!」

 前を往っていた愛染さんが膝を折る。その横をすり抜ける。
 赤色の髪が見えなくなる。

 ――気付けば、敵本陣はすぐそこにあった。

 そこだけぽっかりと開けた西ゲートの手前で、仁王立ちして佇む、烏帽子を被った細身の鬼。
 姿形は周囲の異形と変わらぬはずだというのに、その身に纏う雰囲気が、そいつが周囲と一線を画す存在なのだと伝えてくる。馬印がはためく。ゆっくりと、こちらを炯々と赤く輝く眼光が射抜いた。その姿を遮って、両側から遡行軍が襲い掛かってくる。馬が嘶く。厚さんが舌打ちと共に刀身を受け流す。
 あと少しだってのに……!
 次郎さんに抱えられ、馬から転げ落ちる。赤く染まった袈裟が翻る。

――これが、皆を狂わす魔王の刻印です……!」

 敵が崩れ落ちる。視界が開ける。
 後ろから押し出されるようにして、敵大将の前へと転がり出た。
 横から飛び出した敵短刀を一刀の下に斬り捨てて、次郎さんが不遜に笑う。

「おいおい、まだまだ終わりにするにゃあ早すぎないかい……!」
「一騎打ちを申し入れるっ! ――私が総大将だ! この首、賭けるに不足は無いだろう!!」
――――

 ゆるり、と緩慢な動作で敵大将を務める太刀の鬼が首肯する。
 にぃいいい、と裂けるほどに吊り上った口元。からん、と音を立てて鞘が捨てられた。
 心臓が痛いくらいにバクバクと騒いでいる。血が沸騰しそうだった。

 敵大将と、次郎太刀。

 二人が向き合う。

 静かに、刃が突き合わされる。言葉を交わす、その代わりのように。
 ここに至るまでに、次郎さんも傷を負っている。交えられて一合か、二合程度。
 それで討ち取れなければ、それで、おしまい。
 喧騒が遠のく。誰しもが、遡行軍さえもが固唾を呑んで見守る中で二人が間合いを取る。
 無意識のうちに片手が、薬研さんの柄を這う。

 ――影が走る。

 敵太刀が次郎さんの懐へと飛び込む。
 大太刀は、えして間合いは広いが動きが遅い。それを理解しての動きだろう。
 踏み込みは浅い。避けられない太刀筋では無かった。次郎さんは動かない。脇腹を、深々と敵の太刀が抉っていく。肉を斬らせて、次郎さんが笑う。獲物を前にした獣のように。

「ったく、酔いが醒めちゃったじゃないか…このツケは高くつくよ!」

 高々と掲げられた白刃が煌めく。致命傷には至っていない。
 誘い込まれたのだ、と。そう理解した敵太刀が間合いを取ろうとする――もう遅い。
 突っ込んで行ったのは、落ちる寸前のギロチンの真下なのだから。

 風が啼く。


――アタシが暴れりゃ、嵐みたいなもんさぁ!」


 一閃。


 敵太刀の身体に亀裂が入る。左右に両断されてゆらりと傾く。
 柄が震える。眼前に影が躍り出る。複脚の脇差が吼える。吼えて、私へと踊りかかる。

 その真上へと、影が差した。

「こ、こんなのもあります、一応……!」

 敵へと踊りかかった五虎退さんの刀身が、その首を撥ね飛ばす。
 血飛沫が白い髪を、肌を彩って染め上げる。
 生温かい血の感触を感じながら、ふ、と唇を綻ばせた。

「いい子」
「は、いっ……!」

 不安げだった表情が、ぱぁっと華やいだ。
 薔薇色に頬を染め上げ、目を潤ませて微笑む五虎退さんを尻目に、薬研さんを鞘に収める。
 次郎さんに視線を向ければ、心得たように頷いた。

「敵大将ぉ、討ち取ったりぃいいいいいい――ッ!!」

 上げられる勝鬨に、場の空気が変わる。
 西ゲートで戦線を維持していた味方には、当然ながら聞こえていただろう。
 賭けに勝った事を確信しながら、この後の趨勢に思いを馳せる。

「詰み、かな」

 安堵とも、憂鬱ともつかない溜息が零れる。
 潰走は防いだ。壊滅も免れた。残されたのは、敗北の二文字だ。

 長かった一日が、終わりを迎えようとしていた。




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