夢が現であったのか、現が夢であったのか。
 起きてなお記憶に鮮明な夢は夢って呼んでいいのか迷うよね。
 世の中には夢枕に立つとか予知夢とかがあってだな……霊的存在の基本交流ツールですね。
 私どちら様と会話したんだろうなぁウフフ何となく想像つくわやべぇめっちゃ冷や汗出る。
 尊い御方(推定)相手に素で喋り倒したとか黒歴史確定なんですけども。

 うわぁあああん絶対礼儀のなってない審神者だとか思われた! やだもう恥ずかしい!
 違うんですいつもはもうちょっとマシなんです! 礼儀のれの字くらいは心得ているんです! 夢だからって私の口軽くなりすぎぃ! お願いだから機能してよ私の脳細胞!!
 思い出すと恥ずかしさで死ねる……。なんかいつになく体調いいのにメンタルマッハとはこれ如何に。

「……ごはんたべよ」

 そういや、まともに空腹感覚えるの久しぶりだな……。
 妖精さん達は残念ながらいなくなっていたので、身嗜みを軽く整えて一人で部屋を出る。
 途端、ぬるりと肌を撫でる不快感。
 明確に感じ取る事のできた空気の違いに、自然と眉根が寄った。

 ――……澱んでる、よなぁ……。

 着任当初のような薄気味悪さは無い。這い上るような気味の悪さも無い。
 日差しを受けて落ちる影が、恐怖を呼び起こすような事も無い。

 ただ、奇妙に薄ら寒い。

 本丸さんは分類すれば妖怪だし、扱っているのは“刀剣”男士だ。戦いの場との往来がある以上、神殿の清浄さと比べるべきではない、と分かってはいる。けれどその空気は、一度意識してしまうとどうにも堪え難いものだった。
 かすかに生臭くすらある空気は、食欲をガリガリ削っていく。
 これに気付かなかった辺り、自分の感覚麻痺っぷりがよく分かるな。
 少し迷って、離れの方へと足を向ける。出入り口を清めて“仕切り”直せば、少なくともここよりいくらかマシになるはずだ。刀剣男士の出入りも禁止した方がいいかも知れない。具体的には出入りの多い次郎さんとか。
 となると、こっちに出向く事が多くなるな……必要以外は本邸に出入りしないって約束しちゃったし、どうしたものか。あれ、そういや今の現状ってその辺りセーフなのか。

おっはよーうっ!」
「うひっ!?」

 唐突に背後から覆いかぶさってきた身体に、心臓が跳ね上がった。
 ばくばくする心臓を抑えて見上げれば、予想通り、次郎さんが満面の笑みで見下ろしてくる。

「……おはようございます次郎さん。私、安静にしてて下さいって言いませんでしたっけ」
「あはは、すまないねぇ! じっとしてると落ち着かなくってさぁ」

 次郎さんは悪びれない。畜生どいつもこいつも重傷のくせして自重しやがらない……傷開いて頭抱えるの私なんですけど。泣いていいですかね。テンションだだ下がりな私と反対に、次郎さんは今日も朝からテンションが高い。
 猫の子でも可愛がるようにやんわり抱き締めて頬擦りしてくるのに甘んじながら、床に視線を落とした。離れに戻って何食べよう……なんか作るの面倒になってきた。なんかあったかな。

 ふと、次郎さんの動きが止まる。
 解放されるのかと思いきや、そんな様子も無い。私お腹すいてるんですがね。なんなの。
 上を見上げるよりも、次郎さんが動く方が早かった。無言で私を抱え上げ、近くの部屋に引っ張り込む。
 連れ込まれたのは、どうやら使われていない部屋のようだった。
 頭に顎を乗せた次郎さんが腰に回した腕に力を入れ、更に密着してくる。
 あっけにとられる間もない早業だった。

「次郎さん?」

 苦しくはないが、身動きが取れない。
 抗議を込めて拘束してくる腕を叩けば、片手が絡め取られた。
 硬い指先がやわやわと指先から付け根までをなぞり、手のひらをさすり、ふにふにと押して弄ぶ。
 されるがままになりながら何がしたいのかと考えてみるが、何も思い当たらなかった。

――アンタはさぁ……アタシの審神者、だよねぇ?」

 抑揚の無い、普段よりも低い声音の囁き。
 不機嫌だと言外に主張する次郎さんの発言内容に、ひやりとしたものが背筋を撫でた。
 他の刀剣男士と違って、次郎さんだけは引き継ぎじゃあない。私が鍛刀したのも顕現させたのも次郎さんだけだし、現在の主、という意味でも、私は次郎さんの審神者で間違いない。
 無いが――次郎さんの言葉は、それ以外のニュアンスを含んでいるように感じられた。

 肯定を、返してはいけない。

 根拠はない。直感だ。

「……返事は」

 耳元に、吐息がかかる。
 先程よりも不機嫌の度合いが増した次郎さんの声音に、顔が強張るのが分かった。
 やばい。なんかよく分かんないけどこれはやばい。
 ていうかこの体勢って逃げられないじゃないですかー逃げようがないじゃないですかやだー超やだー……。
 腰を拘束する腕に、更に力が込められる。これはお返事待ったなし。
 ……仕方ないな。腹くくるか。
 片手を弄ぶ次郎さんの手を引き寄せて、指先に軽くキスをする。

「次郎さんは、私の初期刀――ですよね?」

 あー自分の行動が痛いわークソ恥ずかしいわー……こういうのが許されるのはせいぜい二次元までだよね!
 でもこれ以上のインパクトがある行動とか思い付かないという罠。

 沈黙が流れる。

――ま、いいだろ。今はそれで納得してやるさ」

 機嫌は直ったらしい。笑みを含んだ囁きと共に、頬でリップ音が響いた。
 なんでこう次郎さんはスキンシップが好きかな……。
 完全に犬猫可愛がる時みたいなノリだからこそ、気にせず受け流せるんだけどもね。
 一応私これでも成人女性だからね。それはそれで微妙な気分になるよね。
 短刀と身長さして変わらないからって子供じゃないんだぞ。私の方がちょっと大きいんだぞ。どいつもこいつも見下ろしやがって。背の高いやつはみんな身長削れればいい。

「……それで、なんで私はまた運ばれるんですかね」
「ん? 朝飯作ってもらおうと思ってね!」

 それかよ。


 ■  ■  ■


 腹が立ったので絶対にお酒に合わない(偏見)メニューにしてみた。
 ふははは、さすがの次郎さんでもうどんはツマミになるまい!
 めちゃくちゃうどんの替え玉茹でた。ちょっとスッキリ。
 お腹を満たして一息つき、睨めっこするのは端末に表示される資材在庫と任務一覧である。

「演練で五回以上の勝利……は、頭数もいるけど練度もいるから厳しいか……。やっぱり遠征……でもそっちも検非違使出ないとは限らないし……全然情報回ってこないのが痛いなぁ……おのれ政府め」

 本丸は一応安全だけど、こちとら仮にも前線だぞ。なんだ現時点ではお伝えしかねますって。
 不確定でもいいから分かった情報から回そうよ……こっちは負傷者増やさないように頭痛めてるっていうのに。なんなの政府は馬鹿なの死ぬの? 歴史改変させたいの?
 現世は完全な安全圏のはずだというのに、各本丸への臨時資材配給すら遅滞が酷い。
 補給と情報は戦争では重要な生命線だ。情報の精度は時に戦局をも左右するが、これだけ情報が少なく、現場での采配が審神者に一任されている以上、穴熊を決め込む者は一定数以上存在するだろう。誰だって自分の身は可愛い。強制的に連れてこられたのなら、尚更だ。
 ほぼ寝ながら契約書にサインした私が言うのもアレだが、あの勧誘だって詐欺同然だった。
 正直、あれ以上に悪辣な手も使っているんじゃないかと疑っている。
 国家権力が背後にあるなら冤罪捏造でも社会的抹殺でも、大抵の手段は使い放題だ。
 何処の国にも暗部はある。この国だって例外ではないし、清廉潔白では政治は回らない事すら理解できない程、純粋無垢でも幼くもない。正論と正義が勝つとは限らないのが世の常だ。
 被害をこうむる側としてはたまったものではないが、悪態をつき、死にそうになりながらも向き合える程度の問題にしか遭遇していない分、私はまだマシな境遇なんだろう。

「……しかし、戦争だと考えるとおかしな話だな……敵の本拠地が分かってないせい?
 確かにあの敵じゃあ情報も吐かせようがないけど、これじゃあイタチごっこだ。
 いつまでも終わりようがない……補給と手数が尽きるまで潰し合わせるのが狙い?
 別に何か目的がある?……内偵でもさせてるか、時間稼ぎが狙いなのか……」

 駄目だな。全体の戦況を推察できるほど、私の手元に情報が無い。
 まぁ、ぺーぺーの新人にそんな重要な情報は回ってこないだろうからそれについては諦めよう。兵士は、極論してしまえば替えの利く消耗品だ。平時の非道も戦場では合法。審神者の扱いも、多分だけどそれに準じる。審神者の場合、特殊な環境下だから比較的自由が許されていて、命の危険も薄いので露見しにくいだけだろう。
 ただ、味方側の組織構造さえ分からないのが、この戦いへの不安感を助長する。
 慢性的な戦争状態に陥る事を、政府は肯定している? 無いか。長引けばそれだけ国力を落とすのは素人でも分かる。侵略戦争ならまだ得るものもあるが、防衛戦は消耗戦と同義語だ。
 眉間のしわが自然と深くなっていくのが分かる。

「武力行使もする警察の方が近い? ……の、割には人権が軽いか。
 秘密警察気取るにしても洗脳教育とかされてないしな……せめて戦術と戦略くらい教育しておいて良さそうなものだけど」

 私の頭じゃこれが限界だな……それでも漂う審神者の使い捨て感。審神者業界まじブラック。
 何を考えるにしても情報が足りない。そもそも、本丸を問題なく運営できているとも言い難い。
 うわぁい結局目先の問題に思考が戻るよ! やったね資材不足!

「資材……資材、資材ー……確か鳥羽・伏見は十分で遠征終われるっけ。
 推奨練度も低いし撤退も楽だし、あそこで回数稼ぐ?
 負傷者は増やしたくないから、機動と偵察が高いひとが適任かな。
 と、なると短刀か脇差……私が頼んで行ってくれそうなの、誰かいたかな……」

 無事な短刀は――あっ考えるまでもなく無理だわ。
 シカトされるか露骨に嫌な顔されるのがリアルに想像つく。
 脇差……鯰尾さんと骨喰さんは絶対個別行動しないだろうから、頼むにしてもセットか。どっちかに何かあったら私の首が物理でトぶコンビですね分かります。なんという選択肢の狭さ。いや積極的に刀剣折ろうとは思いませんがね……万屋に何かいいアイテムないかな。ちょっと覗いてみるか。

「……悩み事か」
「っ――あ、国広さんでしたか……」

 いつの間に来たのか、国広さんがじっと私を見下ろしていた。
 ばつの悪い気分で、口元に手を当てる。
 ……いかん、独り言結構言ってたぞ私……聞かれてまずい事漏らしてないよな。
 国広さんの視線が手元の端末を捉え、納得したように頷く。

「遠征か。俺はどこへ行けばいい」
「えっと……その、まだ決まっていませんので……」
「……資材がいるんだろ。何も心配せず、あんたは俺に命令すればいい。
 あんたの欲しいものは、俺がみんな揃えてくる」
「お気持ちは嬉しいんですけど、検非違使の件もありますから……ごめんなさい。
 もうしばらく、考える時間が欲しいんです」
「……あんたは優しすぎるな」

 陰鬱に、国広さんがため息をついた。

「誰がなんと言おうと、ここはあんたの本丸で、あんたが主だ。
 食事もそうだが……たかが道具に、あんたがそこまで心を砕く必要はない」
「……ご不快でしたか?」

 刀剣だもんな……感性が違うのは何となく分かってはいたけど、ひょっとして私の接し方って間違ってましたかね。和平協定は遵守してるし、誰も余計なお世話だとかは言わないから、さして問題ないと思ってたんだけど。
 前任みたいなやり方も駄目、今のやり方も駄目。
 でも自我持って動いてる相手を普通に道具扱いって難しいよね。どうしろと。
 困惑を込めて見上げれば、国広さんは唇をぎゅっと引き結んで目を伏せた。
 いつも被っている布で顔を覆いながら、ぎこちなく首を振って否定する。

「……いや。あんたはよくやってる。俺なんかの賛辞は不要だろうが……」
「いえ、ありがとうございます。
 ……何かと至らない審神者ですので、ご不満があれば仰っていただけると嬉しいです」
「あんたに不満なんてあるはずない!」

 国広さんが声を荒げて叫んだ。
布がずり落ちて、物語の王子様みたいなきらきらしい容貌が露わになる。
 勢いよく掴まれた肩が痛いが、まさかの国広さんの怒声だった。呆然としながら目を丸くして固まる私とは対照的に、国広さんは感情的にまくし立てる。

「こんな俺でも平等に扱ってくれて、労わってくれる!
 俺達の都合を考えて、思いやって! 平気で命令違反をするような連中でさえ許してるあんたに、どんな不満を抱けっていうんだ! 殺されかけたのに、なんで、そこまで許せる……!」

 ……いや。許してるっていうより、面倒だし言っても仕方ないから諦めてるだけですがね?
 いちいち審神者嫌いな連中諌めてたら私の心が折れるわ。前任のしてた事も知ってるし、嫌なら拒否していいよって言った手前、反抗的な態度だからって注意もしにくい。あとぶっちゃけそこまで思いやってる覚えとかないです。

「俺に、あんたに気遣われるような価値はないんだ……。
 何でもする。あんたが望むのならどこでも行く。いくつでも戦果を上げてくる! だから、頼むから……頼むから、俺を道具らしく使い潰してくれ……せめて、あんたにとっての消耗品でいさせてくれ……!」

 国広さんの震える手が、背中に回る。
 壊れ物を扱うような、縋るような、尊いものに触れかねているような、そんな抱き締め方だった。
 初めて聞く、感情も露わな国広さんの言葉。
 このひとは、道具でいたいんだろうか。……道具に、なりたいんだろうか。
 前任者はサディストだった。性的対象になっていたのは短刀と、にっかりさんを除いた脇差。
 それ以上はノルマの達成と、ただ彼等を苛むために、ひたすらに出陣をさせていた。
 負傷者を直さず、放置する事もよくあった。
 私の知っている前任者は、全部全部、報告書の上でだけだ。
 私は刀剣達に、一度だって前任者の話を聞いた事は無い。
 だから、通り一辺倒の、報告書でしか知りはしない。

「……国広さんは、折れたいんですか?」

 至近距離で見上げた顔は、泣き出す寸前の迷子のようだった。
 手を伸ばして、頬を包み込む。
 覗き込んだ瞳の奥には、呑み込まれそうな、青いあおい、底無しの奈落が広がっている。
 そこで渦巻いているのは――自己嫌悪、自責。己自身に対しての憎しみ。
 このひとは、審神者じゃくて自分を嫌っている。

「折れたい……あんたの道具に相応しくないのは分かってる。
 山姥切の偽物にすらなれない俺は、あんたの道具になんてなれっこないんだ……」
「……山姥切はよく分かりませんが、私は国広さんに助けられていますよ?」
「っあんたは、なんでそう――!」

 国広さんの腕が、再度、背中に回った。
 苦しいくらいにきつく抱き締められて、一瞬、息が止まる。
 少し迷って、腕をそっと国広さんの背中に回した。ぽん、ぽん、とあやすように一定のリズムで叩けば、ますます拘束が強くなったのが感じられて。哀れだと思った。不器用で、哀れで。……可哀想なくらいに、馬鹿だ。

「私は、国広さんがいて良かったと思います。
 貴方は、間違いなく私の刀剣男士ですよ。……私は、貴方に折れて欲しくないです」

 前任者と何があって、どうしてその結論に至ったのかは知らない。
 でも、たぶんそれは迂闊に触れてはいけない傷だ。慰める言葉は通り一遍で、白々しさが鼻につく。
 反吐が出そうな偽善者ぶりだな、と心の中だけで自嘲する。

 『私の』刀剣男士、なんて。

 その意味の、なんて軽さだろう。

 彼等の所有者であった事なんて一度もない。友人でも仲間でも、ましてや主人でもない。
 霊力の供給者と受給者。上司と部下。ただの隣人。内実なんてそんなものだ。
 言葉は便利でいい。いくらでも誤魔化しが効く。
 国広さんからの答えはなかった。泣かないそのひとを抱き締めて、誰もかれもが物言わぬ道具だったなら、こんな面倒もなかったのにな、と――そんな事を考えた。




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