「審神者とは何だったのか……」

 ぽむぽむと打粉を刀身に滑らせながらの呟きに、妖精さんが仕草だけはラブリーに首を傾げてみせた。でも癒されない。前回の教育的指導の痕、がっつり残ったからな……痣になりましたからな……まぁ一晩まるまる集中してたおかげで、霊力操作? 的なのなんとなく覚えたけど。
 おかげさまで今日は前回より指導(物理)が入る率格段に下がったけど。
 ちょっとずつお手入れの資材配分が未だによく分からない。
 あとなんで打粉ぽんぽんしてるだけで資材が消えるのかもよく分からない。
 いや修理で資材が必要になるのは理屈ではよく分かるんだけどね。工程がね。
 注いでる霊力にでも資材溶け込んでるのかな。でもどうやって溶けてるんだろ。
 そういや本丸さんの資材フォローも不思議だよね。本丸さんだからなんでもできる気はしてるんだけど、そもそも支給される資材もあれ実体あるだけで本当は資材という名称の別の何かなんじゃなかろうか。なるほど分からん。
 刀身を拭い、傷の状態を検分する。このくらいにした方がいいかなぁ。
 妖精さんに視線で問えば、肯定が返ってきた。
 頷いて、傷に響かないよう慎重にはばきをかけて柄の中に中心を入れていく。

「ふぃー……この作業が一番神経使う……」

 鞘に収めた打刀を処置済みの机に置いて、安堵の息をつく。
 まだ傷が大きいからなぁ。正直うっかり折りそうでヒヤヒヤしっぱなしです。
 手伝い札欲しい……でもあれ使うと一気に全快しちゃうからなぁ……。
 肩を軽く回してほぐし、次の打刀を手に取る。

「え、なに。続き? 今してるでしょ? ……違う? さっきの話の続き?」

 思わず手を止めて首を傾げれば、こっくり頷きながら手を止めるなのジェスチャー。
 仕事しながら喋れってか。いいけど刀身だけにするまで待ってくれないかな、ほんと折りそうで怖いんだから。
 まったくもって資材貧乏は地獄だぜ!

「別に大した話じゃないよ。ただ、私が審神者になった……いやされた? 時の説明聞いてね、想像してたのが司令官とか軍師だったから。だいぶ思ってたのと違うなーって」

 刀剣男士にごはん食べさせて傷の手当して洗濯して資材管理してって、これ古い時代の看護師業務じゃないんですかねっていう。家政婦? 家事手伝いって書類仕事無いよね?(偏見)
 審神者ってなんなんだろうな……少なくとも福祉職じゃないよね。
 あんま実感ないけど一応やってるのは戦争だし、戦闘職(後方支援)? あれ、でも職業名は審神者だよね。
 字面だけ見て解釈するのなら、“神を審判する者”辺りなんだけど。

「審神者……審神者……さにわ。そもそも審神者って何を意味してるんだろ」
――今琴弾之者を以て佐爾波と云、偏に以て神遊に供奉す」

 よく通る、けれど聞き覚えの無い声がした。
 男性にしては高い音程の、穏やかに澄んだ声音。
 振り返った先に佇んでいたのは、落ち着いた抹茶色の髪をした青年だった。
 つい最近、刀帳で見た顔だ。顔が強張る。じわり、と背筋に嫌な汗が滲んだ。

「……鶯丸さん、でしたか。何か、御用でしょうか」
「審神者とは何か、か」

 問いに対する答えでは無かった。
 茫洋と、生きながら朽ちている眼差しは無機的だ。
 生き物というよりは錆びついた骨董品を見ているような、奇妙な気分。

「祭祀で琴を奏でる者か、神託を受ける者か」

 私に対する敵意は無い。殺意も、悪意も感じられない。
 多かれ少なかれ、他の刀剣男士は審神者に対して――私に対して感情があった。
 審神者が嫌いなら敵意や悪意。殺意、害意。警戒心。恐怖。
 私に協力的な相手ならば好意。庇護。見守るような、測るような目。慈しみ。……愛玩。

――神の庭を、清め続ける管理人か」

 鶯丸さんの目には、何もない。
 国広さんのような奈落でも、薬研さんのような闇でもない。

 ただ、私を素通りしていく。

 頭では、前任の遺体を隠匿している相手だと理解している。
 だけど、こうして言葉を交わしていても、彼からは生々しさがまるで感じられなかった。

「……私達は、誰に仕えているんでしょう」

 気付けば、そんな疑問が口をついていた。
 遥か彼方を見ていた視線が、“私”に焦点を合わせる。

 深く、ふかく、――悼むような。


 あわれむ、ような。


――さあ。俺には、分からないことだ」

 この人にとって、前任者はどんな存在だったんだろう。
 情動の渇いた、隔絶した淵から投げかけられる憐憫に――ぼんやりと、そんなことを考えた。


 ■  ■  ■


 鶯丸さん? 平野さんが回収していったよ。
 ごはんのお礼を言いに来たそうだ。平野さんにはめっちゃ威嚇されましたっていうかものすっげぇ絶対零度の眼差しだったショタの敵意でこころがおれる。……うん、よく分かんない人だわあれ。
 何処までが本音なのかさっぱり掴めない。あの後はいまいち会話が成り立たなかったし。
 審神者の話題が何かの琴線に触れただけっぽいような。

「刀剣男士はよく分からない……」

 怪我してるのに動き回るしな! おい重傷共自重しろ。
 あいつら安静って言葉の意味分かってないよね。中傷くらいまで治ったら審神者嫌いなメンバー辺り、勝手に出陣しそうな気がするわ……なんか対策考えた方がいいかな。
 うん、そのうち万屋に顔出してみよう。ひょっとしたらいいアイテムあるかも知れない。

 まぁ、現状での優先事項はそっちじゃなくて刀装の方なんですけども。
 刀装さん達がすごい有用だって分かったし、今ある刀装、強化する方法とかあればいいんだけど。
 製作過程が記憶に薄いんだよな……なんかパッと光ってパッとできてたような。
 刀装製作部屋に、何かヒントがあればいいんだけども。

「おじゃましまー……す」

 居住まいを正し、そうっと扉を開けて中へと滑り込む。
 改めて見回すその部屋は、行燈の光に隅々まで照らされていて陰りがない。着任してすぐの頃には次郎さんに担がれて刀装を作りに何度か来た事はあったものの、資材不足が悪化してきた最近では、めっきり来なくなっていた。
 心なしか清く感じる室内の空気に、心を凝らせる緊張が、解けていくのが自分でも分かる。
 ふ、と口元が自然に綻んだ。

「どこからどう見ても神域ですどうもありがとうございます……!」

 ご神体(確定)の鏡に向かって五体投地で即低頭。
 なんでや……なんで今の今まで気付かなかったんや自分……!
 はいそうですねそれどころじゃなかったからですね! 次郎さんに担がれてくる時って大抵疲労でへろへろだったもんね! 思考停止状態じゃないですかやだー!
 大掃除の時は――あっそういえばこの神殿、埃積もってるくらいでほとんど無傷だったや。
 しかたないね。あの大掃除ハードだったもんね。それは印象に残るはずないね。
 私どんだけ思考停止してんの? 頭使わないのにも限度があるよ?
 ……やばいな、考えないようにしてた面も確かにあるけど、考えてない方が地雷踏むわこれ。
 さして頭いい訳でもないからな……つらくてもかんがえないといけないのです? そうですね考えない葦はただの葦ですね。雑草以下じゃないですかやだー……。
 とりあえず二礼二拍手一礼。

「今まで大変失礼致しました、以後誠心誠意努めさせて頂きます……!」

 マヨヒガって異空間にあってさえ祀られてる御方とか、どう考えても高位神霊!
 どうしようマナーとか分かんないし知らないぞ私! 速攻本とか取り寄せて調べないとやばいこれ! の割には次郎さん結構気楽に出入りしてたような気もするな!
 ご神体が鏡な高位神霊って事から推察するに、一番可能性が高いのは天照様ですかねー!
 やだーこの本丸引き継ぎ時に大変お世話になったスサノヲ様のお姉様でこの国のトップじゃありませんか超やだー最高神格じゃございませんかー……政府どう考えても一番敬意払うべき御方についてマニュアル記載無しはおかしいだろきっちり載せとけマジ絶許。

 ぽふ、と頭に小さな手が乗る感触がした。

 おそるおそる顔を上げれば、そこに佇んでいたのは着物姿の二頭身な妖精さん。
 あれ、私いつの間に包囲されてたの? ていうかいつからいたの?
 きょとんと瞬きする私。慈愛に満ちた笑顔で肩とか背中とか腕とかをぽんぽんと叩いている妖精さん達。目の前に立っている妖精さんが、包容力のあるニヒルな笑みを浮かべて親指を押っ立てる。やだ……いまものすごくキュンってきた……!

「よ、ようせいさぁああん……!」

 脳内を華麗に流れゆくエンダァアアアアアアの効果音。
 妖精さん達が笑っている。私も笑った。祝福するように桜の花びらがひらひらと舞う。
 そこかしこで盃を掲げて飲み干す妖精さん達。ラベルには見覚えがある。
 これ次郎さんに見つからないように隠しといた私のお酒だわ。
 次郎さん用で常備してあるのが大半だけど、なんでここに――って用意できるの本丸さんしかないよね。いいよ許す。相手妖精さん達だし。奉納奉納。妖精さんの一人が、男前に笑って盃を差し出してきた。

「……ありがとうございます」

 まぁ飲み干す一択ですよねっていう。
 そのまま宴会に雪崩れ込んだのは、日本の伝統的に当然の流れだったんじゃないかな!
 神様にご機嫌直してもらおうと思ったら宴会! 祭り! とりあえず騒いどけ!

「一番! 歌いまぁあーすっ!」

 アメノウズメ様ばりのストリップはちょっと無理だけどな!
 インドア審神者のレパートリー! とくと聞かせてくれるわー!!


 ■  ■  ■


 ひらひらと、桜の花びらが落ちてくる。
 夜の真っ暗な空間の中、舞い落ちる桜だけが発光するように鮮やかだ。

 誰かが笑っている。

 愉快そうに笑うのは、おんなのひとだ。

 邪気のない、ただ、面白がっている笑い声。
 心が温かくなるようで、ふにゃり、と私も相好を崩した。
 女友達が笑っているような、妹達が笑っているな、母が笑っているような。
 身近な誰かの笑顔は嬉しい。情を向ける相手が嬉しそうなのは、嬉しい。

 楽しかった? と、誰かが問うた。
 楽しくなかった? と、誰かに返した。

 ころころと、鈴を転がすような声が笑う。

 刀装を強くしにきたんじゃなかったの? と誰かが問うた。

 そういえば、当初の目的はそれだった。でもアプローチどうすればいいのやらよく分からんです。
 霊的存在だし、とりあえず祀って霊格上げれば強化につながるかな? お供え物とかしとけばいい?

 貴方が霊格を上げればいいのよ、と誰かが笑った。
 それも間違いではないけれど、あれらは審神者に仕えるよう産まれたのだから。

 ……あれ、じゃあ刀装ってあそこでみんな産まれたの?
 それだと親って刀剣男士じゃないの? 作ってるの刀剣だよ? 審神者いるだけだよ?

 どうかしら、と誰かが笑った。
 どう思う? と誰かが促す。

 促されて考えてみる。
 作っているのは刀剣男士だ。審神者はいるだけ。……あれ。でも、勝手に作ってはいない?
 審神者がいないと刀装は作れない? 刀装はあそこで産まれる。招来しているんじゃなくて?

 ……神様は、息吹を交わす事でも子を成す事ができる。
 かつてスサノヲ様と天照様が、互いの剣と勾玉から神産みを行ったのと、性質としては同様なのかも知れない。基本的に神産みは男女の一揃いが必要。これは常の事。じゃあ刀装って、刀剣男士の気と祀られてる天照様の気を混ぜて産み落とされてる存在って事かな。あ、でもそれだと審神者がいる意味が分からない。そもそも付喪神って妖怪寄りだよね。神上がりには肉体を捨てる行為が必須だから、本体が現存してる刀剣男士はどうしたって枷をはめられてるようなものだし。妖怪と神様のハーフ? だから“妖精”とか?

 いや、待て。神産みに不可欠な部分って、ひょっとして審神者が底上げしてる?

 刀剣男士から、この神殿について語られた覚えが一度も無い。
 奉納されていたはずの次郎さんからすら、だ。上司だよね、霊格考えると。
 それを意図的に黙っている? いや、その意味が分からない。
 ……まさか、あいつらもよく理解していない? ふと、次郎さんの言葉が脳裏を過ぎる。


『こういうのはさぁ、酒の勢いでちょちょいっ!てね』


 笑い声が弾けた。
 あー……これ、よく分かってない説が濃厚。
 見えてるものが違うのかも。これは西洋の概念だけど、妖精ってそもそも格落ちした神霊だよね? 神様同士なら産まれるのは神様だから、つまり審神者が介在しても、妖精が妖怪寄りな付喪神こと刀剣男士の限界ってこと?
 でも私もこれ、今まで神事として認識してなかったし……ひょっとして神事として体裁整えたら神産みワンチャンありますか。

 さぁ、どうかしら。と誰かが笑った。
 ねぇ、それで貴方はどう思うの? と誰かが促す。

 んー。ワンチャンあるとしたら見立て、かなぁ。
 神と付喪神との交合で刀装が産まれるんだと仮定するのなら、この神域で玉鋼とか材料揃えてセックスすれば、神霊は無理でも刀装特上のワンランク上のモノ産めるんじゃないかな。
 男審神者? 女装すればいいんじゃないかな。神事ではよくあるよくある。
 処女が尊ばれるのは神様に嫁入りする時だけなのです。
 清らかな乙女はどっちかっていうと神様寄りの存在だそうだからね。だから恋に落ちる事ができるって事かな。
 恋愛は同格でないとちょっと難しいもんね。異種族間恋愛とか超ハード。
 特に人間なのが女の場合は、大抵嫁入りって相場が決まってるから。
 童貞が尊ばれないのは子供を孕む性か否かの違いかなぁ。
 産めよ増やせよ大地に満ちよ。豊穣神格基本テーマだよね。
 大地母神とかふるい女神とかの系統だと、巫女は娼婦を兼ねてるのが普通だし。

 まぁ実験する気はまるでないんだけどね!
 何が悲しくて信頼できない相手にそんな無防備状態晒さねばならんのかと。
 あと普通に初めてとか好きな人がいいよね。そこまで割り切れんわ。

 そうよねぇ、と誰かが笑った。
 そうでしょ、と私は頷いた。

 あーでも、そうなると私が霊格上げないといけないんだ。
 そもそもあいつらがいけない。刀装さん達使いこなせずに乱戦上等なあいつらがいけない!
 特に審神者嫌い組、出陣した部隊内で命令違反やめれし!そんなだから乱戦になるんだよ!
 あんたらに隊長任せないの私が信頼できないからだって理解してるか! 不満があるのは分かるけども! それでも連携できない奴に、一部隊の隊長任せたくないんだっての!!

 そうなの。
 それじゃあ、刀装達が従うはずもないわね。

 誰かがそう言った。

 すとん、とその言葉に得心がいく。

 そうか。刀装が審神者のために産まれたのなら。
 ……確かに、審神者に従わない彼等に、従うはずがない。


 はらはら、はらはら。


 桜が舞う。


 ありがとう、と私が言った。
 またお話しましょうね、と誰かが笑った。



 ――――が、貴方をいたく気に入ったようだから。



 何処かで、鈴の音がした。


 視界を桜が覆い尽くす。



「 私もまた、お話したいわ 」



 世界が白く塗り潰された。


 意識が途切れる。




BACK / TOP / NEXT