深淵を覗き込む夢を見た。

 畳の敷かれた広い部屋。黒い衣服の人々。白い棺。
 何を思っていたのかは覚えていない。
 ただ、棺に横たわるその顔が、眠っているだけのように見えた事は覚えている。
 棺の意味は知っていた。その人がもう動かない事も知っていた。
 知っていてなお不思議だった。これが永遠の別れだと知っていてなお、不思議だった。
 次の瞬間には目を開き、いつものように動き出すような気すらした。
 葬儀が終わればこの人は焼かれて灰と骨になる。
 なんとはなしに頬に触れた。人肌の温もりはなかった。
 冷たく固い、ゴムのような感触。
 悍ましさに手を離した。
 もうそのひとの顔を見る事はできなかった。
 誰もいない部屋に駆け込んで、ただ震えていた事を覚えている。
 火葬場で焼かれ朽ち、もはや原型を留めぬようになって、ようやく安堵したのだ。

 恐ろしかった。

 悍ましかった。

 あれが安寧であるなど嘘だ。忌むべきものだから忌避される。いずれ我が身にも降りかかる出来事なのだと思えば余計に恐ろしく思えて、ただひたすらに布団にくるまって震えていた。
 頼もしい父も暖かな母も憎らしくも愛すべき妹達も親しい友人達にさえも等しくやってくるのだと、あの悍ましいものが闇から這い出してくるように思えて夜が怖くてたまらなかった。
 おいていかれることが怖くて、おいていく事が怖かった。
 ひとりになるのはいやだと、一人で布団の中、みじめったらしく震えていた。
 そうやって幾度もの夜を超え、恐怖を忘却の彼方に追い込んだ頃にようやく理解した。


 ――これが、“死”なのだと。


 誰かが欠けてなおも変わらない日常に、変わらぬ朝に祖父の早すぎる死を悼んだ。

 深淵を覗き込む夢を見る。
 永遠に出ない答えを探して一人彷徨う、おそろしくてつめたい、くらい夢。


 ■  ■  ■


――ぅあっ」

 がくん、と落下するような感覚で目を覚ました。
 資材をどうするか、考えている間に寝落ちしてしまったらしい。
 何気なく触れた髪は、まだしっとり濡れている。あんまり長い居眠りでもなかったようだ。良かった。

「懐かしい夢……」

 昔、おじいちゃんが死んだ頃には夜毎私を苛んだ夢だ。
 大きくなった今では見る事も無くなっていた。恐怖よりは不思議と懐かしさが先に立つ。
 小学生の頃のトラウマである。はい一人で夜トイレ行けなかった人です悪いか畜生。
 しかし思い返すとなかなかに薄情な孫だな私……ごめんおじーちゃん現世に戻れたらお墓参り行くから許して。薄情な孫を許して……。ところでこのタイミングでこの夢とかなんなの。なんかのフラグなのおじいちゃん。
 ひょっとして私いま彼岸に近いところにいたりしますかヤダそれ怖い。そこはかとなく心当たりしかない現状に笑うしかないカナー。なんで審神者すぐ死亡フラグ立ってしまうん。

「……死んだ審神者って、現世に戻れるのかねぇ」

 必死になって片付けた、あの異形の遺骸の山。
 無我夢中だったし、そんなまじまじ見ていなかったから今の今まで思い至りもしなかったけど、ぶっちゃけ前任者のパーツがあのキャンプファイヤーに紛れてても不思議じゃあないんだよね……うわぁやなこと気付いちゃった。こんさん何も言わなかったけど、前任者の遺体ってどうなったんだろ。刀剣には聞けない話題。

「本丸さん、前任者の遺体ってどうなったの? 現世に戻った?」

 ……。

 ……、……あれ?

「本丸さん?」

 間を置いて、ひら、と桜の花びらが落ちてくる。
 花びらは茶色く変色していた。伝わってくる感情は、……不快と嫌悪?

「え、ごめんね本丸さん! 答えたくない質問だった!?」

 ものすっごい間が空いた。どうしよう本丸さんに嫌われたら私いろんな意味で泣けるし死ねる……!
 じぶんのうかつさがにくい……刀剣男士に暴言吐かれるよりも本丸さんのリアクションが堪えるよぅ……あっやばい泣けてきた。本丸さんに嫌われるとか鬱だ死のう。
 潤んだ視界を埋め尽くすように、ぶわわっと桜吹雪が舞う。
 慌てたように、困ったように、ただひたすらに慰めてくる、優しい温もり。

「……本丸さん、怒ってない?」

 ばらばらと散った桜が落ちてくる。強い肯定。
 安堵が胸にじんわりと滲む。良かったぁ……本丸さんに嫌われたかと思った……!

「ごめんね本丸さん、嫌な話題だったんだね。もう聞かないよ」

 やや間をおいて、散った桜が落ちてくる。否定。
 思わずぱちくりと瞬きをした。え、あれ?

「嫌な、答えたくない話題って訳じゃあない……の?」

 咲いた桜が落ちてくる。肯定。
 眉根を寄せて、本丸さんに問うた言葉を思い返す。
 答えたくない話題じゃあない。でも、聞いて返ってきた感情は不快と嫌悪感。

「…………えっ。いやいやいやいや、うそ、まじ、え。ないよね?」

 おぞ、と思い至った結論に総毛立つ。血の気が引いたのが自分でも分かった。
 正直外れていて欲しい……けど、本丸さんのリアクション的に、ひょっとしてひょっとしますかこれ……!

「……あ、あのさ本丸さん……。ひょっとして、前任者の遺体…………まだ、本邸にあったりする、の?」

 長い沈黙。
 変色しきった、咲いた桜が落ちてきた。
 示すところは肯定。伝わってくるのは、強い嫌悪の感情。
 思わず頭を抱えて崩れ落ちた。おいおいおいおい冗談じゃないぞこの展開!
 死体が本邸のどっかにあるってことじゃないですか超やだぁああああああああ!!

「ちょ、待って待って本丸さん! 私本邸掃除したよね?
 部屋は全部、それこそ押入れまできっちり改めたと思ってたんだけど!? ひょっとしてどっか見落とした!?」

 そういや床下とかまではさすがに見てないな! もしやそこか!? または屋根裏!?
 けれど、ひらり、と落ちてきたのは散った桜だった。
 見落としじゃ、ない? そんな、死体が動く訳もない――……いやだめだ付喪神とかガッツリとホラー分類だよ死体動いてもおかしくないわ! でも私今までそんな話誰からも聞いてないし、もしそんな事が起きてたら、本邸で過ごしてる次郎さんがそれらしい話を何一つしてないって事もないだろうし、――――

――……まさか、誰かが隠し持ってる、とか……?」

 落ちてきたのは、咲いた、桜の花だった。

「……うっわーぁおぅ……」

 おい誰だそんなもの隠し持ってるやつ! っていうかあの本邸大掃除中に見つからなかったって事はわざと見つからないように移動させてたって事じゃないですかやだー超やだぁあああああああああああ!!
 本邸でどう生活してるのかなんてまったく把握してないからな! これひょっとして複数犯!? 複数犯なんですかね!? うわぁああああん前任の死体隠し持って何してるのか考えたくないよぉおおおおおお! 確かに! 前任! クズだけど!! ぶっちゃけ地獄で思いっきし責め苦受けて苦しみやがれって思うけど!!!
 頼むから死者に鞭打つなし! 遺体くらいは現世に返してあげようよ!?
 前任にだって現世で眠る権利くらいはあっていいはずだよね!?! 鬼畜外道だけどさ!
 この上なく死ねばいいのにな☆って人間だったんだろうなとは思うけどさぁ!!

「弔われる権利さえも審神者にはないってか……!?」

 頭痛が痛い。いや誤用でなく真面目に。
 政府は前任者の遺体に関して、一言だって触れた事はなかった。
 つまりは、うん。そういう事なんだろう。さすがきたないせいふきたないまじブラック。
 基本的人権が死んだ! このひとでなし! 兵士だって遺体の一部だけでも帰れるようにってドッグタグがあるってのにこれとか! 審神者の遺体は野晒し推奨かと!!

「ああああああもうやだほんとやだ……自分の死後の扱い見てる気分……政府呪われろ畜生……給料高けりゃいいってもんじゃないんだぞ……!」

 ひとしきり政府への罵倒を吐き出して、追求したくない現実に向き直る。
 ……本丸さんも嫌がってる事だし、なんとか現世に前任者の遺体を返さないといけないな。
 でもこれ、下手踏むと確実に乱闘沙汰に発展するよね……初刀解もあるかもなぁ。くそ、どこまで迷惑かけてくれる気だ前任。薬研さんとかの反応考えるだけで心底鬱なんだけど。
 深々息を吐き出して、机の上に引っ張り出してきた本丸の見取り図と、刀帳を表示した端末を置く。

「本丸さん、遺体が隠してあるのは本邸のどこ?」

 花弁が示したのは、刀剣部屋の一つだった。
 ……この辺りの部屋、確か短刀連中からの近寄るなコールが激しいとこだよね……? どう考えても和平協定以後見掛けてない面子がいる部屋とか。下手に近づけないな。どうしろと。
 顔を顰めて、刀帳を見る。花弁は無い。次のページを表示して端末を置けば、花弁が一人の人物を示した。頷き、他のページもめくる。花弁が示したのはその人物だけだった。

――鶯丸、ね……」

 ……問答無用で刀解したりとか。駄目かなぁ……。


 ■  ■  ■


 前任者の遺体奪還任務はひとまず保留にしておく事にした。
 世の中知っててもどうしようもない事が多すぎですねやっだウケるーうけるー……。
 本丸さんの存在がなければ次もブラック承知で転任願い待ったなしだよ畜生。もうやだ刀剣男士理解不能すぎてつらい。審神者業界過酷すぎね? まだなんか知らなくていい本丸の不思議が隠れてそうで、本邸歩き回る事すら苦痛になってきたんですけども。

「こんさん早く帰ってこないかな……」

 本丸さんも味方だけど、なんかこう、こんさんいると安心感が段違いなんだよねー……。
 会話はね、ほんと、大事ですよ……色々取り繕ったり神経削らなくていい会話相手なこんさんがいないとか、私の思考回路が闇落ち待ったなしだよ。ぽ、と咲いた桜の花が落ちてくる。本丸さんも同意見のようだ。

――ん?」

 思わず足を止めた。廊下の先に、狐がいる。
 ちょこん、と座ってこちらを見上げる狐は、まるっともふっとしているこんさんに比べてかなりスマートだ。あっでも尻尾ふさふさ。気持ちよさそう。狐はまんまるな黒目でじぃっとこっちを見上げてくる。首の傾げ具合があざとい。
 やだ……ちょうかわいい……圧倒的癒し具合……!
 おそるおそる近付いてみるも、狐が逃げる様子は無い。人慣れしているようだ。
 しゃがんで、そうっと耳の辺りを撫でてみる。

「……おお、ふかふか」

 狐は心地良さそうに目を細めて撫でられていた。
 ふあああ、こんさんには劣るモフモフ具合だけどこれはなかなかの触り心地……!

「野生、な訳ないか。おまえ、鳴狐さんの狐でしょ?」

 狐は撫でられながら、こくん、と頷いた。
 戦場まで連れていかれているだけあって、やっぱり賢い子みたいだ。
 しかし、いつも一緒なのにどうしてこの子だけここにいるのか。あれか、鳴狐さん重傷だからか? ひょっとしてお手入れ頼みに来ました? やだなにそれ健気可愛い。

「……ごめんね。今資材が無いから、おまえのご主人様のお手入れしてあげられないんだ」

 狐が目に見えてしょんぼりした。耳と尻尾がへなっとする。
 うんごめん。でも無い袖は振れんのです。打ち出の小槌とかあればいいんだけども。
 あのひと怖いし、鳴狐さんの傷に痛める良心とか別にないけど、モフモフのしょんぼりは心が痛いなぁ……しってるか刀剣にコールドなお目々で見下される(※身長的な意味でも)時のあの威圧感と恐怖感……ぶっちゃけフレンドリーな次郎さんですら圧迫感あるってのに、敵意満々な男士共とかね、うん。はんぱないよね。

「私もがんばるから、おまえも、おまえのご主人様を支えてあげてね」

 具体的にはもうかたっぱしから刀解しちゃおうぜ! と叫ぶ生存本能とのバトルを頑張るよ。
 正直なんで頑張ってるのかちょっとよく分かんなくなってきてる私がいるけども。
 うんまだいけるいける。こんさんと本丸さんいるからいける。
 狐はぺこ、と頭を下げて、てててっと何処かへ走り去っていった。
 さようなら狐……できたらまた撫でさせてね……!

「よし。演練頑張りますか」

 初演練だけど、様子見だしメンバー国広さんと獅子王さんだけでいいよね。
 非友好的なメンバー誘いに行けるほど、メンタル強くないです。




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