誰かの手が、頭を撫でていた。
 ゆったりと髪を梳く手の感触を感じながら、ぼんやりと転がる。
 ふと、手の動きが止まった。目の前にかかった大きな影が、のそり、と身動きする。

「おっ。目が覚めたみたいだね」
「…………」

 次郎さんが、顔を覗き込んできた。
 今日も今日とて麗しいご尊顔に、満面の笑みが浮かぶ。

、おっはよー」
「……ん。はよー……」

 語尾にハートマークでもついていそうなテンションだった。起き掛けには勘弁して欲しいノリだ。ついてけない。
 こっちは今くっそだるいんだよ……テンション低めでお願いします……低血圧なめんな……。
 おざなりに挨拶を返して、もそもそと身体を起こす。眠い……くっそ眠い……でも身体痛い……喉渇いた……だるい……服が汗でべたべたして気持ち悪い……なんで私畳で寝てんだ……昨日何してたっけ……。

「なんだい、まだ寝足りないのかい?」
「おきる……いまなんじ……」
「あ、眠いんなら寝てなよっ。膝枕してやるからさ!」

 手を掴まれ、言葉を発する間も無く視界が横転する。
 たぶんこれは、次郎さんの膝、だろう。しかし固い……視界高い……血の臭いする……。

 ……血?

 跳ね起きて次郎さんに向き直った。目を丸くしている次郎さんはボロボロだ。
 そうだよこのひと重傷瀕死で戻ってきてるんじゃねーかよ申し訳程度のお手入れデスマーチしてたよ! そういや私にっかりさん鞘に戻したまでしか記憶無い! 寝落ち確定! というかなんでここにいる! おい真っ先に手入れしたよな本体部屋に戻してもらったよな記憶違いか!? じゃないな次郎さん以外の刀剣残ってないもんな!!
 な に や っ て ん だ ! ! ! 

「次郎さんなんでここにいるんですか!
 怪我人が動き回ってどうするんですか傷悪化しますよ馬鹿なんですか!?」
「……あっはっはっはっ! だーいじょうぶだって。酔ってれば痛くないもーん」
「それお酒で感覚麻痺ってるだけだよ!? 何も大丈夫じゃないよ!?」

 馬鹿なの? ねぇ刀剣男士って馬鹿なの死ぬの? 自殺願望でもあるの!?!
 おいなんで嬉しそうなんだよ次郎さん! いい加減キレるぞ!

「そんな心配しなくたって平気平気! ほぉーら、が手入れしてくれたからご覧の通りさ!」
「あの資材量でそんな回復する訳があるかぁあああ!」

 抱き上げて元気ですアピールやめろ! 微妙にふらついてるぞ怖い怖い怖い落ちる怖い!!
 あの程度の手入れじゃ中傷にすら回復しないっつの本気で麻痺ってんぞソレ! 酒甕没収してやろうか畜生! くそ、相手が怪我人だと思うと下手に抵抗もできやしない!

「いいから次郎さんは私降ろして部屋戻る! 頼むから寝てて怪我人! 寿命が縮む!!」
「はいはーい、のお願いなら仕方ないねぇ」
「だからおろせぇええええええええ!!!」


 ■  ■  ■


 部屋まで降ろされませんでした。
 次郎さんなんであんなテンション高いん……いつもより五割増しで元気とか、おい重傷自重しろ。ちなみに部屋に戻って、脱走が次郎さんだけじゃない事が判明した。和泉守いずみのかみさん、宗三そうざさん、鳴狐なきぎつねさん、厚さんの四人は、審神者の施しなんぞ受けぬとばかりに部屋を移ったらしい。……まぁ、ちゃんと手入れができない現状、できる事なんてそうそうないからなぁ……下手に難癖つけられるよりはマシだと思っておこう。
 蜻蛉切さんに歌仙さん、薬研さん、にっかり青江さんは友好的な方だから残っているのにも驚かなかったけど、加州かしゅうさんと愛染さんが部屋に残る事にしたのは正直意外だった。加州さんには顔合わせるたび睨まれるか舌打ちされるか、時々嫌味言われるかだし、愛染さんにも無表情に睨まれたりした記憶しかない。
 ちなみにシカトは審神者嫌い組のデフォです。いや慣れましたけども。

「審神者様、我々は刀剣です。人と同様の手当などなさらずとも……」
「すぐに手入れができませんので。不便かとは思いますが、当面はこれにてご容赦下さい」
「いえ、そういう事ではなく……」
「いいじゃないか、蜻蛉切。手ずからの手当ての何が不満なんだい?」
「なんなら俺が手当しようか? 蜻蛉切の旦那」
「いや、薬研さんも怪我人でしょう。……お願いですから、安静にしていてください」
「……お願いか。じゃあ、仕方ねぇなあ」

 なんだろうな。たまに薬研さん声のトーンで背筋が寒い。
 次郎さんの豪快ないびきをBGMに、首を傾げながら傷口を清め、ガーゼをあてて包帯を巻いていく。

「手間をかけてすまないね、審神者」
「構いませんよ。私に今できる事は、このくらいしかありませんから」
「ははっ。このくらい、か……そうだね、君にしてみればこのくらい、なんだろうね」
「?」

 穏やかな割に含みのある歌仙さんの発言に、思わず眉根を寄せた。
 ややあって、それが前任と比較しての発言である事に気付いて更に微妙な気分になる。
 だから……あれと比べんなよ……あれは人間の中でも非常識的っていうかマジキチの部類であってだな……審神者だからって一括りにすんのほんとやめれ。世間一般の大多数な普通の審神者に失礼だろ。

「審神者ー! 大変だ、洗濯してたらしぃつが重傷に!!」
「………………」

 騒がしく足音を響かせて、獅子王さんが飛び込んできた。
 後ろからは、通常の四割増しくらいに目の濁った国広さん。そろって腕には血と埃で汚れたシーツ(元)。
 刀剣男士って家事できないんですね。だからさ……おまえら今までどうやって生活してたの……せめてシーツ絞ってこいよ……廊下びっしょびっしょだろ……!
 最初っから本丸さん頼れば良かった。霊力消費抑えようとかね、うん。考えた私が間違ってたね。頭痛い。

「……そのシーツと、お任せした洗い物は全部タライに戻してきて下さい。後で纏めてなんとかします。
 お二方は濡れた廊下の掃除をお願いします。本丸さん、雑巾の用意お願い……」

 本丸さんが即座にバケツと乾いた雑巾のセットを用意してくれた。
 さすが手慣れていらっしゃる。でも用意された雑巾の枚数やたら多くないか。どんだけ廊下に被害出したの?
 ……なんか不安になってきたな……拭き掃除だけっちゃだけなんだけど、こいつらに任せて大丈夫なのか……? やっぱ私か本丸さんがやった方がいいか……?

「掃除かー」
「……写しには似合いの仕事だ」

 あっどうしようすごい不安しかない。

「あの、」
――俺が見てる」

 ……うん?

「俺、そういうの得意だから。暇だし、監督くらいはしてあげるよ」

 えっ。

 ……えっ加州さんどんな心境の変化!? 出陣先で頭でも打ってきた!?
 思わず加州さんを凝視すれば、舌打ちと共に冷え冷えと凍るような視線が返ってきた。

「なんだよブス。何か文句でもあんの」
「……いえ。お願いします」

 通常運転だったや畜生イケメン爆発しろ。

「……ふーん、そっか! じゃあよろしくな、加州!」
「、わっ! ちょっと、ひっぱんなよ獅子王!」

 加州さんが獅子王さんに引き摺られてく後を、襖を閉めて国広さんがついていった。
 ちょっとは歩み寄れたと思うべきなのか、単に暇だからなのか……手当ては嫌がらなかったけど、暇だから、………………だよなあれ。刀剣男士と歩み寄れるとか幻想ですねうん。
 期待はしてない。

「……。……蜻蛉切さん、手当て終わりましたよ」
「はっ……その、お目汚しを致しまして……」
「どうかお気になさらず」

 しどろもどろになりながら、蜻蛉切さんが慌てて服を整える。
 耳がうっすら赤くなっているのには、触れないでおくのが優しさってものだろう。
 しかし意外な反応するなぁ。歴戦の武将、根っからの堅物ってイメージだったから、こんな照れるとか驚きだわ。他メンバーが平然としてたからこそ異彩を放つこのリアクション。乙女か。

 さて、あとは調書とって報告書政府に上げて…………資材調達、だよなぁ。
 政府がすぐに資材くれればいいんだけども。不安。


 ■  ■  ■


 検非違使問題で政府の対応も後手後手らしい。
 それは今回の件で不足している資材の配給に関しても同様で、電話で問い合わせた結果、早くても十日後だとか言われた。あと資材配給は情報の有用性も鑑みながら行っていくらしい。
 要するに手入れでいる分全部は資材寄越さないって事じゃないですかヤダー。さすがきたないせいふきたない。
 なお、任務で手に入る分の資材は通常通り支給するらしい。検非違使とカチ合う羽目になるかも知れないのに出陣しろと仰るか。政府こそがブラック。まったくもって世の中クソだな!

「どうしたものかなー……」

 せめてこんさんが検非違使感知網を構築して戻るまでは引きこもっていたい。
 でもそうなると資材がな……遠征なら平気か……? でも、遠征先で出くわす可能性もあるからなぁ。
 詳細の分かってない敵ほど怖いものはない。怪我人とかもういらん。

「辛うじていけそうなのは、演練か」

 今のところ無傷なのは短刀五口に脇差二口、打刀は国広さんと、太刀の獅子王さんと鶯丸うぐいすまるさん。国広さんと獅子王さんは協力してくれるだろうけど、問題は他のメンバーだろう。
 まず、レベルが高いのは鶯丸さんだけ。ただしこの人、和平協定以降は一度も姿を見ていないレイプ目組だ。……あー、そういえばあの時、獅子王さんが付き添ってたような記憶があるな。後で確認してみよう。
 脇差はにっかりさん以外練度低いし、短刀も同様。
 五虎退ごこたいさんと秋田あきたさんはレイプ目組。こっちも鶯丸さん同様、和平協定以降姿を見ていない。
 平野ひらのさんに前田さん、みだれさんは審神者嫌いメンバー。この辺りはローテーションしながら出陣してるから、それなりに顔を合わせる事がある。

「……苦手なんだよなぁ、あの子達」

 子供は好きなんだけどね……。うん、敵意に満ちたショタの視線マジ痛い。
 付喪神だから私より年上だって頭じゃ分かってるんだけど、なんかこう、見た目のせいですごい私が悪い事してるみたいな気分になるんだよな……特に乱さんとかね、顔を合わせるたびに命の危険を感じるよ……正直あの子の半径十メートル以内には寄りたくない。超怖い。

「脇差もな……脇差も、なぁ……」

 骨喰ほねばみさんと鯰尾なまずおさん、周囲とはまた別な意味でイってるからなー……。
 共依存ってああいうの指すんだろうな。薬研さんと国広さんに次いでカウンセラーにかからせたい刀剣である。
 ……思い出したら鬱になってきた。

 ごろりと転がって見上げた離れの天井は、いつも通りのはずなのに、どこか昏い。

「……なんで私、こんなことしてるんだろ」

 ひらひらと、桜の花弁が降り注ぐ。
 言葉を交わす事のできない本丸さんの、精一杯の励まし。
 これを、ここにきて何度受けたことだろう。
 幻想的なその光景は何度見ても美しくて、温かくて、――――



「……お風呂はいろ」

 時折。

 時折、何もかもが虚しくなる。
 向けられる敵意も悪意もままならない状況も、お国の為に死ねと言わんばかりの政府の相手も、何処まで信頼していいのか分からない好意も、人の姿をしている癖に人ではない彼等という存在も、きっと最終的には“主”を優先するだろう、こんさんの事さえも。

 直視したくない感情と、考えたくない事ばかりが降り積もる。


 ……ああ、駄目だ。また考えてる。


「考えるな、考えるな、考えるな、考えるな……」


 思考を止めろ。
 考えてはいけない。


 ――何もかもが、面倒だなんて。




BACK / TOP / NEXT