気が付いたのは、日の傾き始める頃合いだった。
 障子を通して差し込む陽光が、薄暗くなった室内にほんのりと陰影を作っている。
 抱き込んでいるのはこんさんだろう。既に触り慣れた、安心感のあるモフモフ加減だ。ちょうきもちいい。
 布団をかけてくれたのは、多分本丸さんかな。手間かけちゃったなぁ……気遣いもできて優しくて可愛いとかもうほんと本丸さんてば審神者業界のトップアイドル愛してる。
 本丸さんにならいくらでも貢ぐ自信があるよ。掃除終わらせられなくてほんと申し訳ない。
 うむ、本丸さんのためにも早くあいつら何とかせねば。

 ……でも、もうちょっとこのまま転がってていいよね。

 ぼんやりと影を眺めながら、疲労のいくらか抜けた頭を巡らせる。
 危険を承知であいつらと顔を合わせてみる? ひょっとしたら温和な刀剣の方が大半かもしれない。
 ……………………ないなぁ。なんたって相手は刀剣、“斬る”事が本質の連中ばっかだし。
 仮に怪我程度で済んだとしても、また首の傷みたいに治らないものだったら笑えやしない。
 やられる部位によっては血が止まらないとかね。命に関わるよ?
 あっちは手入れすれば即座に傷が治るけど、私はどうしたって非力な人間だ。傷はそんなすぐに癒えたりしない。残機性じゃないんですライフ制なんです。現実は宿屋に泊ったら全回復とかないのです。でも政府にとっての審神者はたぶん残機制。さすがきたないせいふきたない。めんどい。名案出ないなぁ……ぽんっと打破する作戦出てくると嬉しいんだけども。難しいな。なかなか疲れも抜けない現状、叩き出すのは体力消耗が激しいから、いっそ部屋ごとしめ縄で括って封じてしまおうか。少なくとも掃除はできる。

「しまった、この手があった」

 手入れの後も全員寝てたし、あの時にまとめて括ってしまえば掃除ゆっくりできたじゃん!
 おおう後の祭り……すまぬ本丸さん。なんでこんな名案に今気付いたかな私。やっぱもっかい八塩折之酒いっとこうかな。でもあんま同じ手使うと対処されちゃいそうな予感も。結局問題は、あいつらどうするかっていうね。
 うわぁもうやだ……毎回ここで行き詰る……結局あいつら何とかしないとにっちもさっちもいかない……この序盤にラスボス出てきた感つらい……これはクソゲーと呼ばれるレベル。
 抱き枕にしてたこんさんが、もぞもぞ身動きした。
 腕の中から抜け出てきて、尻尾をぱったぱったと振る。

「お目覚めですか、殿」
「うん。ありがとね、こんさん。本丸さんもお布団ありがとう」

 ぽ、ぽ、ぽ、と咲いた桜が、花びらと一緒に降ってくる。可愛いなぁ。
 身体を起こし、手櫛で髪を整える。あー……そういえば髪もかなりアレな状態。
 美容院……は、行けるはずがないですよねー。まぁいいや、余裕できたら鏡見ながら整えよう。手持ちのシュシュとかダッカールはしばらくお休みかな。纏める髪が無い。


――よく寝れたかい? 審神者ちゃん」


 弾かれるように、障子の方を見た。
 暮れていく夕日を受けてか薄赤い障子の向こう側、黒々とした影が座り込んでいる。
 ……影は一つ。審神者ちゃんって呼ぶならカトレアの方の次郎太刀、か。寝たふりで誤魔化す? ……いや。私が気付かなかっただけで、たぶんこいつはずっといた。なら起きているのはバレてる。無視するべきか、会話すべきか。どのみち、こちらから招き入れなければあいつはここへは入っては来れないけども。
 ちら、とこんさんに視線を向ければ、力強い頷きが返ってきた。

「ええ、丁度お目覚めになったところにございます。ご用件をお伺い致しましょう」
「……本邸の連中と話をしてきた。ここで何があったのかと、これまでの成り行きについてね」
「左様でございましたか」
「前任者ってぇのは、随分と胸糞悪い奴だったみたいだねぇ。ったく、酔いがすっかり醒めちまったよ」

 いや、真面目な話の時まで呑むのはどうなん。

「……なぁ、審神者ちゃん。あいつらの力になってやっちゃぁくれないかい」

 次郎太刀の声が低くなる。真剣そうな、真摯な声だ。
 でも発言内容アウトな。やっぱあいつら側につきやがりましたよこの刀剣。鍛刀するんじゃなかった。
 こんさんを抱き上げ、顔を埋める。もふもふ気持ちいいです。そのまま布団にころりんとダイブ。
 ふぁあああああー……こっちもおひさまのかおりがするぅー。やってられんね。

「力に、とは? 失礼ながら次郎太刀様、お言葉の意味を図りかねます」
「世の中そんな屑ばっかじゃあないって、教えてやって欲しいんだよ。
 ……あのまま朽ちさせるのは、ちょいとばかり不憫でねぇ」

 要するに霊力くれてやれってか。だが断る。
 前任者のせいで受けた傷を手入れしたのは、他人とはいえ人間のした事に対する謝罪と、同情からだ。まぁ崇り神になられても困るっていう打算もあったけど。だけど、これ以上の献身はしたくない。思い出すのは薬研藤四郎の目だ。確かに思ったより敵意が無くて拍子抜けしたけど、あれはいつ爆発してもおかしくない目だった。少なくとも友好的ではない。手入れに感謝しろとは言わないけど、守りの無い状態であいつらと接するとか冗談じゃない。
 異界の住人になるのはまだ納得するとしても、あの世の住人とか死んでもお断りですね!
 あっ死んだら自動であの世行きか。

「随分と容易く仰いますが、次郎太刀様。殿は人間でございます。
 かつて皆様方を振るった使い手と違い、荒事と無縁の生活を送っていらした。その殿に、敵地同然の場に行けと仰るのですか? 我が身を惜しむなら、あちらから契約に赴くべきかと」
「アタシが守るさ。それじゃあ不足かい?」

 ……守る? 売るの間違いじゃなくて?
 眉をひそめて障子の向こうの影と、モフられながらお喋りを続けるこんさんを交互に見る。

「あいつらにとっちゃ、審神者は前任の同類だ。ったく、失礼しちゃうよねぇ。
 アタシの審神者をあんな屑と一緒にするなんて」

 まぁそれは私も思うけども。
 ていうか、やっぱそういう認識でいるのねあいつら……だから審神者全員一緒にするの止めようぜ……世の中にはまっとうに本丸運営してる審神者がいっぱいいるんですよ……いやまぁ知らんけど。
 でもあの変態ペド野郎と一緒にするとかマジ勘弁。そんな特殊性癖無いです。
 あとハーレムとかも正直ドン引く。あれが許されるのって二次元までですよねー。
 人間関係の泥沼怖い。アレを平和に維持できる人間っているん? いたら会ってみたい。

「だけどさぁ。言葉も交わさない、顔も合わせないってんじゃ、いつまでも誤解が解けやしない。
 アンタもそれは分かってるだろ?」

 やかましいわ分霊。言われなくても分かってる。
 あいつらの認識を改めたいなら結局、こっちから関わってくしかない事くらい。
 でも、なんで顔すら知らない前任の尻拭いで、気分一つで私を殺せる連中の前に飛び出さないといけないのさ。残機制のあんたらと違ってこっちの命は一つだっつの。そうホイホイ賭けてたまるか。
 命は惜しい。あと痛いのも嫌いです。

「同意致しかねます。
 前任者がお使いであった刀剣男士の方々は、短刀と一部の脇差を除けば、練度はそれなりに高い。失礼ながら鍛刀されたばかりで、しかも機動力に欠ける次郎太刀様方に、殿を守り切れるとは思えません」
「あはは、痛いとこ突いてくれるねぇ」

 障子の向こうで苦笑する気配がした。
 さすがこんさん、相変わらず刀剣に対して容赦ない! にはできない事を軽々とやってのける! そこに痺れる憧れるぅ! きゅんきゅんしながらこんさんのもふもふにすりすりしてみた。邪魔だろうに、こんさんは好きにさせてくれている。やだ……こんさんったら懐広すぎ……ほんと愛してる……!

「……なぁ審神者ちゃん、聞いてるんだろ?」

 うん。会話する気は無いけどね。

「今ソイツが言った通りさ。アタシは確かに頼りない。
 だがね、アタシはアンタの『味方』だ。それは誓ってもいい」

 だから何だ。あいつらに肩入れするなら、それは敵にはならないって事でしかない。
 八方美人っていうのはね、敵味方はっきり分かれた状況では蝙蝠野郎って罵倒されるんだよ。どっちつかずなんだよ。命を預けるには値しないんだよ。

――誓っても良い、と仰いますか。では次郎太刀様、貴方様は誓えるのですか? 決して殿を裏切らぬ事を。有事の際には殿を優先し、身命を賭して守り切る、と」
「無論だ。アタシの銘にかけて請け負おう――アタシは審神者ちゃんを絶対に裏切らない。
 この身、この命を賭してでも守ってやるさ」

 ………………。

 え、待って。“誓う”? 銘にかけて?

 思わず跳ね起きた。障子の向こうをまじまじと見る。
 影は、変わらずそこに座り込んでいる。障子越しだ、顔が見えるはずもない。
 神様は約束を破らない。破れない。そのはずだ。
 付喪神とはいえその神様が、それこそ名にかけて誓うって……。

「うそ、え、本気?」
「……ははっ。ようやく喋る気になったかい」

 はた、と気付いて口元を押さえるけど、それで零れた言葉が戻るはずも無し。
 やだなぁ……下手に言いくるめられると嫌だし、黙ってたかったのに。

「いいさ。アンタ、刀剣が怖いんだろ? あいつら殺気立ってたからねぇ。
 あれじゃあ関わる気も失せるってなもんだ」

 やだーバレバレじゃないですかーやだー……。
 ひょっとして顔に出てたかな。態度かそれとも距離感か。どこだろ。……誤魔化せてたと思ってたんだけども。

――審神者ちゃん。アンタの不安はもっともだ。怖いのも分かってる。
 だから、一度でいい。一度だけ、あいつらに誤解を解く機会をおくれよ」

 次郎太刀の言葉は、柔らかいのにとても真剣だ。
 仲間だから、なんだろうか。やたらと肩入れしているのは。ずんばらりは嫌だ。包帯越しに、首の傷を撫でる。じくじくと痛い。誓った以上は守るだろう、とは思う。頭では理解できている。でも、結局私の知っている知識は全部が全部、伝聞だ。一つだって実体験を伴ったものはない。だから、安心感なんて欠片もわかない。
 腕の中にあるこんさんのモフモフを、ぎゅっと抱きしめる。

「……どうしよ、こんさん……」
「どうぞご随意に、殿。どのような選択をなさろうと、私は殿の供をさせて頂きましょう」
「……………ん。ありがと」

 ひらひら、ひらひら。
 天井から、桜の花びらが落ちてきた。
 私もいるよ! と主張しているみたいで、口元が自然と緩む。

「……そうだね。本丸さんも味方だ」
「そうですとも。非力な身ではございますが、我々がついておりますよ」
「うん。……うん」

 私と、こんさんと、本丸さん。
 まったくもって情けない話、信頼できるのは非戦闘員なメンバーばっかりだ。
 刀剣相手の喧嘩じゃあ、勝ち目なんてあるはずもない。

 ……うん。でも、二人が一緒なら安心できる、かな。

 障子に映る影を見る。
 次郎太刀は、あいつらに肩入れしている。
 だけど、私の敵じゃない。少なくとも、間を取り持とうとしてくれている。
 深く、息を吸って、吐き出す。


――少しだけ、待ってください。身支度をします」


 一度だけ。

 この一度だけ、命を賭けてみよう。




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