鈍器か盾として使用できそうなお仕事マニュアル片手に、こんさんと一緒に図面を睨みつつ情報整理。
 さすが政府、一行で終わる内容を数十行にして書いてやがりますぜ……まともに読んだら何日かかるんだこの辞書……概要さらっと流すだけで夕暮れ間近な不思議、プライスレス。
 でも、おかげで多分大事な事は把握しきれた。あと政府が審神者に色々黙ってる事も分かった。
 さすがきたないせいふきたない。

「こんさん、私やっぱ帰って良い?」
「あの審神者殿、着任まだ二日目なんですけど……」
「うん知ってる。あーくそめんどい。帰りたい。働きたくない」
「審神者殿……」
「分かってますって働く働く。……そもそも帰れないしなー」

 ちらりと後ろに目をやれば、そこには存在感しかない段ボール箱が計九個。
 中身は全部私の私物だ。昼くらいに謎の黒い穴がぺぺっとこの部屋に吐き出していった。
 ついでにアパートの解約書類も入っていた。お役所って、なんでこんな時だけは仕事早いんだろなー……。
 さくさくシリアルバー(夕食)を齧りながら、纏まった情報を反芻する。

 先ず、前任者の刀剣男子達はこの砦、もとい本丸の一角を占拠して立て籠もっている。
 刀剣の内訳は、短刀八口、脇差三口、打刀五口、太刀三口、槍一口の二十口。要するに二十人の刀剣男子がいる訳で。これをどうにかしろってか。説得でどうにかなるレベルなん? 嫌な予感しかしないよ?
 弁護士さん弁護士さん、政府を訴えることは可能ですか?

 ――いいえ国家権力で捻じり潰されます。そもそも起訴できるかどうか。

 脳内妄想が沈痛な面持ちで首を振る。鬱だ。救いはないんですか。

 ――諦めたら、そこで試合終了ですよ。

 私、この審神者業辞めたら実家に帰るんだ……(遠い目)

――――どの、審神者殿?」
「たたかわなくちゃ、げんじつとー……」

 こんさんのモフモフだけが癒しです。挨拶する前から心が折れてくわ。べっきべきだぜ。
 更に鬱になる事に、審神者と刀剣男子の契約は、名乗られ、名を預けられてようやく成立するとの事で。
 要するに「気に入らない」と判断したら、ずんばらりとまっぷたつにできるんだよ!
 やったね私! 命の危機だよ!

 私、この審神者業辞めたら実家に帰るんだ……(二回目)

「うあああああ……こんさーん、こんさんは私の味方だよね? 刀剣に肩入れしないよね?」
「大丈夫ですよ、審神者殿。こんのすけは審神者殿だけの味方でございます、ですからそんなに不安にならず……」
「……じゃあ政府と私。優先順位をつけるなら?」
「もちろん、審神者殿でございます」

 こんさんがモフモフされながら、安心させるようにほんわり笑う。
 つられて笑う。うん、予想はしていたけど直接聞くと安心できるな。

「じゃ、ご主人様と私。優先順位はどっちが上?」

 こんさんが動きを止めた。でもモフる。

「こんさんって式だよね。最初はアンドロイドかなって思ったけど質感がリアルすぎるし、かといってサイボーグって訳でもないみたいだし。で、審神者なんてオカルト方面に出てくる案内人なら式だけど、それなら絶対誰か主人がいないといけない。政府の人間、ないしは協力者なのは確か。となれば、こんさんは政府側。刀剣へのここまでの扱いを黙認してたなら、まぁ審神者贔屓なんだろうなってのは予想できる。――ああ、ご主人優先なのは別にいいよ、式なら当然だしさ。ちょっと意地の悪い質問だった。で、さ。私が一番聞きたいのは」


「あんたの主人は“審神者”を裏切らないかって事なんだけど」


 持ち上げて目を覗き込んでいるからか、こんさんの尻尾がゆらゆら揺れている。
 こんさんは無表情だった。無表情で見返してくる。ビー玉みたいな目だ。透明すぎて何も無い。ため息が出た。

「ま、いいよ。少なくとも今、敵じゃないだけでありがたいから」
「……驚きました。審神者殿は思いの外、現状を把握していらっしゃるのですね」
「情報があれば誰でも判断できるレベルだよ。腹芸で探りが入れられん辺り、私の程度が知れるなぁ」

 もっと頭良かったり、知識あったりすれば良かったんだろうけどね。
 しっかし、まさか趣味程度の民俗学系知識が現状認識にお役立ちする日が来るとはなぁ……。
 何とも複雑な気分ではあるけど、それはさておくとして。ひとまずこんさんを下ろし、段ボール箱の中を漁る。
 うわぁいかにも目につくものから突っ込みました的な……あっ一目惚れして買ったお茶碗とコップ割れてるつらい。

「審神者殿は何を探していらっしゃるので?」
「化粧道具とスーツ。ここの刀剣達に挨拶してくる」

 礼服の方がいいかなー、でもスーツと違って高かったんだよね礼服。いいやスーツで。
 下はどうなるか分からないしパンツルックでいいか。
 コサージュ……省こう。探すのめんどい。

「方針はお決まりになったのですか?」
「とりあえず様子見。今の今まで何も無いところを見るに、少なくとも、挨拶だけで手打ちにされる事は無いと見た」

 本気で審神者を排除しようと思うのなら、着任早々で襲撃をかけるのが一番効果的だ。
 それが無かったところから考えるに、敵意はあるだろうけど、まだあちらも意思統一できてないか私の出方を見ているか。ただし、鍛刀所は占拠されてる一角付近。こちらの手札は増やせない。まぁ今それやるのたぶん悪手だろうけど。鍛刀中に首が落ちるんじゃないかな! やったね私、現代で斬首とかスーパーレア! ところで人間、首だけになっても数十秒は意識があるらしいねつらい。

「そうだこんさん。私今日から“”って名乗るからよろしく」

 発掘したメイクで化粧をしながら宣言する。顔色悪いからチーク多めだ。
 オカルトに少しでも詳しい人間なら結構知っている事だが、名前はとても大切なものだ。人外に名前を知られる=魂を握られるだと思っていい。だから昔は本当の名前は隠しておいて、普段は別の名前を使ったくらいである。呪いをかけるにも、名前を握るのは基本中の基本。
 ちなみにこれ、政府謹製辞書には載っていない情報だ。ははは政府このやろうめが。

「はい、殿」

 こんさんは素直に頷いてくれた。
 ネーミングセンスについてのコメントはないらしい。いいけどさ。


 ■  ■  ■


 こんさんを抱っこして、占拠されている一角目指してぽてぽて歩く。
 夕暮れから夜に移り変わる時間帯。薄暗い廊下に漂う空気は肺を圧迫して重く、背筋は鳥肌がびっしりと立っていやに寒い。緊張……じゃないよなぁ、原因。
 進めば進むほどに濃くなる臭いは鉄錆と、あとは饐えた、気分の悪くなるようなもの。こんさん曰く、前任者が死んだのは一週間前の話らしい。私のいた離れの部屋も、前任者が使っていたものではなく、一番敵襲での被害の少なかった部屋だそうだ。昨日は気付かなかったものの、こうして冷静になってみれば、あちこちに戦いの痕跡と、ついでに染み付いた血痕が発見できる。ぴくりともうごかないおおきなぶったいもそのままだよ。ごろごろしてるよ。
 畜生やっぱ帰りたい。

――ここです、殿」

 やがて、閉め切られた襖の前でこんさんが言った。
 ……寒い。シャレにならないレベルで寒い。手がカタカタ震えるのを誤魔化すように、こんさんを強く抱きしめた。
 叶う事なら速攻で回れ右して逃げ出したいが、いつまでも後回しにも、していられない。ええい、女は度胸!

「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません、昨日付けでこちらへ着任いたしました審神者でございます! 失礼ながら、こんのすけより負傷者がいると伺っております! 手入れをさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか!」

 よっしゃ言った、言ったぞ私! えらいぞ私!
 でもおっきい声って傷に響くんじゃないかな! 不安しかない!
 こんさんを抱き締めながら、襖を睨んで反応を待つ。待つ。待つ。
 返答は無い。物音ひとつしない。脳内を【 へんじがない。どうやら ただの しかばねのようだ。 】というテロップが流れていった。あっ超ありそう。そろ、と襖に手をかけ、ぐっと力を入れて――


――――寄らないでくれるかなぁ?」


 男がいた。

 長い髪をぞろりと垂らして、その狭間から金と赤の、異様な光を帯びた目がこちらを見ている。血腥い。黒と赤に染まった男だ。その手は何かを握っていて、私の首筋にぴったりひきあてられていた。あれっ襖さんどこ行ったん。
 いやそれよりリアル貞子(男Ver)がおるでぇ……!
 あっ違うやこれたぶん刀剣男子か。さすが人外すごいホラー。

「……失礼しました。お返事が無いもので、声も出せないほどの重傷なのかと」
「フフ。ねぇ、審神者――

 やばいこの人瞳孔カッ開いていらっしゃるぅうううううううううう!
 顔! 顔近い! やばい私いますごい無防備!
 ちょ、こんさん信じてる! 危なくなったら颯爽と助けてくれるって信じてる!!

「生憎、君に手入れされたいって刀はいないんだ。
 ――政府の連中にも伝えておいてくれるね? 君達のために戦う刀剣男士は、此処にはいないって、さ」

 耳に、生温かい吐息がかかる。囁くように吹き込む言葉は、口調こそ柔らかいけど氷の温度だ。
 ぶづ、とかすかな音と共に、首筋に熱が生まれる。


「今日は見逃してあげるけど……次に会ったら、殺しちゃうかもね?」


 言って男は、襖の向こうに消えていった。


 気付けば、床にへたり込んでいた。
 がくがくと足が震えている。どっと全身から冷や汗が噴き出していた。
 荒く息を零しながら、見上げてくるこんのすけにへらりと笑う。いや本当。なんでか笑える人間の不思議。

「……失禁するかと思ったわー」
「ご無事でようございました」

 歴史とかもう知ったことか。
 転職しよう、命が幾つあっても足りん。

 こんさんをひたすらモフモフしながら、私は固く決意した。




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