結局。顕現を解かなかったのだから、蜂須賀の生活が以前と変わるはずもない。
 内番をして、遠征をして、雑事を手伝い、他の刀達との交流を深める。変化といえば時折次郎太刀を訪ねて、酒を酌み交わすついでに愚痴を言うようになったくらいだろう。
 分かっている。いかに酔っ払い相手、酒の席での事とはいえ、決して褒められた話ではない。こんな鬱屈を抱えるのは、それ自体が己の至らなさの証明なのだと、誰より蜂須賀が理解している。
 だが、それでも。次郎太刀と酌み交わす時間はいつしか唯一、肩の力を抜ける時間となっていた。

(俺は、あの時)

 大きな変化は何も無いまま。
 審神者の手が空く様子も無いまま、まともに話をする機会も無いままに季節は巡り、日々は過ぎていく。

(どうして、落胆したんだ……?)

 贋作が文句のひとつも言わずに耐えているのだから、と。
 たぶん。そんな意地もあったのだろうとは思う。
 理由も答えも曖昧で、何も掴めないまま無為に過ぎていく日々の中で。その事件は起きた。

 ――和泉守兼定、原因不明の昏睡。

 蜂須賀がそれを知ったのは、彼が重傷で帰還した翌々日の事だった。
 同じ本丸の刀剣男士といえど、挨拶程度の付き合いしかなかった相手である。
 だからだろうか。悲しみも心配も、欠片だって湧かなかったのは。蜂須賀の胸に去来したのは“仲間”を案じる気持ちではなく、腑に落ちた、と言わんばかりの納得だった。
 口数少なく、交流を好まない刀だった。内面を知らないからこそ、上っ面だけしか見ていないからこその感想なのかも知れない。それでも、仮初なれども肉の器を持つ”刀剣男士”を名乗るには、彼はどうにも、“刀”であり過ぎるように思えていたから。

 だから。
 だから、“心配しない”のが“当然”なのだろうか?

 そんなはずがない。
 そんな道理があるはずがない。仲間なのだ。心配するのが普通なのだ。そんな事が許されていいはずがない。それが当然であるはずがない。真作のあるべき姿なはずがない!
 なんて薄っぺらい。なんて薄情なんだろう。我が心ながら虫唾が走るありさまだった。

(どうして、俺は……)

 焦燥があった。自責する思いは次々湧き出てくるのに、それでもなお、心配だとは思えない。早く起きればいいと、目が覚めればいいと、心から願ってやる事ができない。他人事にしか思えない。
 胸元を抑える。審神者の業で呼び覚まされたはずの心は確かに此処にあって、今もこうして蜂須賀に苦しみを与え、苛んでいるというのに。ひょっとしたら審神者の励起には、何か致命的な失敗があったのではないだろうか? だから蜂須賀の心は、こんなにも――

(馬鹿な事を)

 なんて身勝手で愚かな発想だろう。
 審神者に責任を押し付けて安心しようだなんて、虎徹の真作に相応しい行いではない。
 だというのに、胸を占める黒々と重たい何かが喉奥までせり上がってくる。
 飲み込み続けた感情が、蜂須賀を苛み、嗤っている。降り積もり続ける蟠りは、遅効性の毒に似ていた。ひとつひとつはさしたる労苦も無く飲み込める癖に、日々飽くほどに積み重なって、じわじわと内側から侵食していく。
 辛くない、苦しくない、痛くない。そんな感情は要らないから、相応しくないから、そう言い聞かせて毒を飲む。無理矢理に飲み下して、自分の心に素知らぬ顔をして背を伸ばす。

 そういうふうにしか、蜂須賀虎徹はいられない。
 そういうふうにしか、いられないのだ。


 ■  ■  ■


 誰かに罰して欲しかった。
 それが逃げである事くらい、自分でもよく分かっていたのだけれど。


 ■  ■  ■


 刀剣男士という“モノ”は、事実を根拠とした厳然たる歴史のみで成り立っている訳ではない。
 蜂須賀虎徹を構成するのは、“蜂須賀家伝来の刀である”という“過去”。
 そして“贋作の横行した虎徹派の刀”として、“真贋に固執している”という“物語”だ。

 時の政府は“蜂須賀虎徹”という刀剣男士の心を、そのように形作った。
 刀は主に似ると言う。顕現する時、励起した主の霊力の影響を受ける、とも言われている。
 確かにそれも間違いではない。朱に交われば赤くなる。共同生活を営む中で、生活を共にする者達から受ける影響も確かにある。共同体の核となる“主”。審神者の影響を受けないなど、土台、無理な話だろう。霊力の影響についても然り。形と骨子は時の政府が用意したモノであろうとも、その大枠に欠落している細部を埋めるのは、顕現する審神者の霊力に他ならない。――ただし。それは、審神者が顕現の際に影響を及ぼせるのが刀剣男士の“細部”のみに過ぎない、という事でもある。
 審神者などと御大層な名で呼ばれていようと、その前歴は多種多様。
 信心深い元神職から筋金入りの現実主義者までより取り見取りだ。正しく“審神者”として、政府の補助なしに物の心を励起できる者などほんの一握り。砂漠に混じる砂金の粒ほどにしか存在しないのだ。

 蜂須賀虎徹は、真贋に固執する刀剣男士である。

 虎徹の刀は贋作が多い。虎徹を見たら贋作と思え。
 その風説は、“贋作と間違われた真作が、乱暴な扱いを受け、ついには折られた”という“物語”すらをも生み出した。その真偽如何については語るまい。大事なのはその“物語”のもつ重さだ。「そうなのかも知れない」と。あり得ることだと信じさせるに足る、その強度だ。

 蜂須賀虎徹は、真贋に固執する刀剣男士である。

 彼は“贋作”を蔑んでいる。特定の一振りのみではなく、“贋作”というもの全般を。
 贋作はあくまでも贋作だ。真作にはどうやったってなれはしない。だというのに厚顔にも真作を名乗るその浅ましさといったら、見苦しいにも程がある。借り物の看板のみならず、本来自らが背負って然るべき刀工の名、刀派にまで泥を塗るその所業は、恥じて然るべき行いだろう。

 だから。

 だからきっと、何をしたって気に入らなくて、苛立たしくて、無視しようにも無視できなくて。
 気にかけずにはいられない。関わらないようにしていても、見ないようにしていても、ふとした瞬間、気付けば視界に入ってくる。どうしたって意識せずにはいられない。張り合わずにはいられないのだ。あいつにだけは、負けたくないと。

「…………」

 偶然だった。
 夜の散歩に出かけたのも、手入れ部屋の近くを通りすがったのも。
 唯一灯りの灯った手入れ部屋の障子戸の前。途方に暮れたように背中を丸めて小さくなって、息を殺すようにして廊下で蹲っている贋作の姿に、気付いてしまった事だって。

(……何をしているんだ、あいつは)

 和泉守の現状は知っている。
 教育係というだけではない、浅からぬ縁がある事も。
 この件に関しては完全に蚊帳の外である蜂須賀であったが、何せ本丸中の全刀剣男士に“しばらく手入れ部屋へ立ち入らないように”と通知がされているのだ。昏睡状態に陥っている和泉守の為、主が何かしようとしているのだろうと推測するのは容易だった。
 内番着から、戦装束へ。服を切り替えるのは簡単だ、そう意図するだけで良い。
 足音も高らかに、大股で歩み寄る。庭を突っ切り近付いていく。歩幅にして三歩先。そこまで距離を詰められ、ようやく贋作が動きを見せた。のろのろと、緩慢な動作で顔を上げる。

「はち――
「刀を抜け、贋作」

 手入れ部屋の出入り禁止があるから、廊下にいるのは分かる。
 近くにいてやりたいのだろう。幸運を祈る以外、できる事がなかろうとも。少しでも早く、結果を知りたい気持ちもあるだろう。共感はできなくとも、察するくらいはできたから。見なかった事にして、その場を立ち去ってやるべきだったのかも知れない。
 分かっている。そうしてやるのが優しさだったと。そうしてやるのが思いやりだったと。

 けれど――贋作が憔悴も露わに、力なく佇む姿の情けなさといったら!
 猛る心の命じるままに、蜂須賀は吠えた。

「来ないなら、こちらから行くぞッ!」

 鞘走った白刃が、贋作がいた空間を鋭く薙いだ。
 咄嗟に転がって難を逃れたのに舌打ちし、追って追撃を繰り出す。
 よけきれない、と見て取ったのか。音も無く現れた打刀が、ギィン、と高い音を立てて蜂須賀の攻撃を受け止める。
 ぎちぎちと鍔迫り合いながら、苦し気に顔を歪めて贋作が叫ぶ。

「止めろ蜂須賀! 何を考えてるんだ!?」
「煩い!」

 全身が煮えているようだった。
 苛立って、苛立たしくてどうしようもなくて。沸騰した頭に筋道だった言葉など浮かぶはずもない。真作に相応しくない言葉だと。感情だと。ずっと喉奥に蟠っていた塊が、堰を切ったように雪崩を打って吐き出される。

「惨めったらしくウジウジグダグダイジイジと! 俺の目の前で無様を晒すのがそんなにも楽しいか!!」

 理不尽な発言である。分かっていても、どうしようもない。

「大体お前は日頃から配慮に欠けているんだよ鬱陶しい! 俺の顔を見るたびにどうでもいい事を話しかけてくるな! 木刀下げて本丸をほっつき歩くな! こっちは手合わせもほとんどさせてもらえてないんだぞ! 自慢か!!」
「すまん! だがおれのせいじゃない事もあるな!?」
「知った事か! あと悪く思ってないなら謝るな! 虫唾が走る!!」

 庭へ駆け降りる贋作を追いかけ、勢いだけで打ち込み、責めていく。
 技巧も駆け引きも一切ない、馬鹿みたいに単純な、けれどそれだけに鋭く激しい攻撃に、気圧されて焦りも露わな顔をしている。逃げ腰ながらにも蜂須賀の猛攻を受け流す技量に、手合わせばかりだったこの贋作と、勢いに任せて斬り込むしかない自身の差をまざまざと痛感させられる。だが、同時に確信した。速度と持久力にかけては、己の方が上なのだと。どれだけ技巧が優れていようと、追い付けなければ意味はない。どれだけ力強く刃を振るえようとも、持久力が無ければ鈍るのも早い。彼我の差異を明確な手応えとして実感しながら、決して逃がすまいと打ち込み続けながら蜂須賀は吠える。

「お前の考えなんてどうでもいい! 理解してやるつもりもない! だが!!」

 そうだ。今ならはっきりと言える。
 こいつの考えなんて、ずっと知らないままでいい。
 この身が折れるその日まで、理解できないままでいい。

 蜂須賀虎徹は“長曽祢虎徹”を名乗る“贋作”を、嫌いなままでいたいのだ。

「虎徹なんだろう! 贋作だろうと! 誰しもがその事実を知っていようと! それでも、貴様は虎徹を名乗り続けるんだろう!!」

 吐き捨てるように。あるいは罵倒するように。
 投げ付ける言葉は身勝手そのもので、とても筋道立ってはいない。

 蜂須賀だって分かっている。
 刀に己の真贋なんて、どうしたって決めようがない。

 近藤勇の愛刀、長曽祢虎徹は贋作である。――有名な話だ。
 けれど、彼の所有していた長曽祢虎徹には、本当に真作だったという説も存在している。
 “近藤勇の愛刀”は現存していない。分霊として、刀剣男士として在る”長曽祢虎徹”は物語に拠る部分が大きく、だからこそ、“虎徹の贋作”として存在している。歴史遡行して鑑定すれば明白になる事実ではあるが、時の政府は真実では無く、より”物語の強度”が強い説を骨子とする事を選んだ。

 箱の中に猫がいるとする。
 箱の中の猫が死んでいるか生きているかは、開けてみるまで分からない。

 長曽祢虎徹は真贋の定かでない虎徹である。
 その長曽祢虎徹を時の政府は、「贋作である」と規定した。
 「近藤勇の愛刀であった虎徹は贋作である」。この物語を骨子として、刀剣男士の形を作った。
 だから“長曽祢虎徹”という刀剣男士は、“虎徹の贋作”なのである。

 そのくらい、理解しているのだ。
 けれど、それでも。

「なら、みっともない姿を晒すな! 虎徹の名を詐称するならそれらしくしていろ!
 貴様の元主が、虎徹と信じて疑わなかったのも無理はないと! 行動で証明し続けろ!」

 分かっている。知っている。それを曲げればこの贋作は、長曽祢虎徹としてすら在れない。
 元になんて戻れはしない。真作である、という説が骨子であったならきっと、蜂須賀はこんなにも苦しまなくて済んだ。素直に彼を兄と受け入れ、仲良くやっていけただろう。実戦経験豊富な自慢の兄弟だと、誇りに思いさえしたかも知れない。

 けれど、そんな仮定に意味などないのだ。
 この贋作は、贋作であるという物語を受け入れた。その上で、“刀剣男士”として此処に在る。

 彼を虎徹であると一心に信じた、かつての持ち主の心なんて蜂須賀は知らない。
 贋作であると時の政府に判定されながら、それでも虎徹である事を選び続ける、この刀の心も知りはしない。その迷いも、葛藤も、ただの一欠けらだって知るはずがない。推し量りたくも無い。
 だって、それを汲んでしまったら虎徹の誇りは何処へいくのだ。
 虎徹の真作であるという蜂須賀の自負は、贋作が多いからこそ確固たる固執として現れる。例えば他の刀派の刀等を見るといい。彼等とて自身の刀派に対する自負はあるだろう、誇りもあるだろう。それでも蜂須賀ほどには、その名にこだわってはいないのだ。こだわる必要も無い。強く主張しなくとも、贋作と疑われる事などない。誤解を受け、ついには折られてしまったなんて物語は存在しないから。
 だから、譲れない。浦島のようにはなれない。蜂須賀虎徹はこの贋作を、受け入れる訳にはいかないのだ――自分が自分である為に。

「そうでなければ――お前には! 虎徹を詐称する資格すら、ない!!」
――

 目に、光が灯った。生気も覇気も欠けていた顔に、精彩が戻る。
 ようやくまともに蜂須賀と向かい合った“長曽祢虎徹”が、力任せに押し返してくる。逃げ回るのではなく真っ向から、同じように馬鹿正直に立ち向かってくる力に押され、舌打ちして後方に飛び退る。贋作の虎徹が、獰猛に笑った。

「好き勝手、言ってくれる……!」

 歯を剥き出しにして、贋作が吠える。笑って吠える。
 そうだ。こうやってムカつく顔をしていた方がよっぽどマシだ。あんなしみったれた面、虎徹にあるまじき姿を晒しているより、余程。
 もう逃げようとはしていなかった。だから向かい合い、刃を構える。間合いを測って睨み合う。

「「おおおおおおおおおおおお――!」」

 異口同音に、裂帛の気合が迸る。地を蹴って、駆ける。
 互いの距離が見る見る詰まる。憎しみではない。けれど、手加減なんてあるはずもない。
 ただ純粋な、研ぎ澄まされた刃で、互いだけを見据えて駆けて。

 ガキィイインッ!

 白い布が、ひらり、と流麗に舞う。
 そろって地を這い見上げるのは、闇夜にぽっかりと浮かび上がるような白皙の面差しだ。
 月光を受けてきらめく金の髪はさながら光を集めたかのよう。けれどそのかんばせを彩るのは、見るものをして肝胆寒からしめる陰鬱さだ。底の見えない汚泥が沈む緑の双眸が、ひたり、と二人を睥睨する。

「……経緯は問わない」

 いったい何時から見ていたのか。気付けば廊下には、見知った顔がいくつも並んでいた。
 取りつく島などまるでない。山姥切国広の無慈悲な宣告と共に、鞘に収まったままの打刀が振り上げられる。

「弁明は、主の前でするといい」

 途切れて落ちる意識の中。それでも蜂須賀はなんだかとても、清々しい気分でいた。




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