この本丸の審神者は、留守にしている事が多い。
 だから足音も荒く審神者の執務室へ乗り込んだ際、そこにいたのは審神者ではなく、その初期刀である次郎太刀だった。

「出陣させるか、さもなきゃ刀解してくれ、と」

 身なりもろくろく整えずやって来た蜂須賀を座らせ、半ば強制的に酒杯を握らせた次郎太刀が、豪快に酒を呷りながら彼の主張を要約する。

「……虎徹は、戦場に出てこその刀だ。これからも内番ばかり割り振られるなら、俺は、顕現し続ける意味が無いと思っている」

 酒杯を握り込みながら吐露すれば、「あーらら、思い詰めてるねぇ」と至極軽い相槌が返る。
 その真剣味の無さが腹立たしくはあったが、仮にも相手は審神者の初期刀だ。感情的に突っ撥ねる訳にもいかず、蜂須賀は半ば自棄のように注がれた杯を呷った。

「遠征にも出てたろ、あれじゃダメなのかい。あっちでも戦う機会はあるだろ?」

 本丸に不在がちの審神者は代わりのように遠征、それも長期のものへと刀剣男士を向かわせる事が多い。
 確かに、遠征先でも刀を振るう機会は十分にある。歴史を守るという刀剣男士の本分を思えば疎かにできる任務ではないし、遠征は一度出てしまえば、審神者との通信は不可能となる。達成難易度だけで言えば、出陣任務よりも遠征の方が上だとすら言える。責める意図などまるで感じられない、それこそ酔っ払いの戯言くらいの重みで発せられる次郎太刀の問いに、蜂須賀は唇を噛み締めて俯いた。

「遠征、は。……役立たずに、なった気がするから、…………好きじゃない」

 恥ずかしかった。情けなかった。穴があったら入りたい、とはきっとこのような心地を差して言うのだろう。
 自身の口から出たとは思いたくもないような告白に、酒で舌が滑ったに違いない、と蜂須賀は確信する。
 そう、酒のせいに違いないのだ――こんな、愚かな事を考えてしまったのも!

 審神者が遠征部隊を先達の男士達と組ませるのは、ひとえに新参の蜂須賀達に経験を積ませる為である。
 事実、彼等との遠征には学ぶ事が多い。ただ、それと同じくらいに自分の無力さ、不足を突き付けられるだけで。
 分かっている。足りないものは補えばいい。挫けず学び取ればいい。蜂須賀は努力を惜しまないタチであったし、一般に見て勤勉な部類ですらあった。けれど、自分よりも遥かに優れ、秀でた刀達と共に遠征を幾度となく重ねて蜂須賀の胸に去来したのは、自身に対する酷い失望の感情だった。

 蜂須賀虎徹は、虎徹の真作である。
 世に名高き名刀。豪刀と讃えられ、多くの人間に求められた“虎徹”の真作。

 それが。その、世に名高い虎徹の真作ともあろう刀が、足手纏いになっているという現実。
 遠征先の難易度が高い事など言い訳にもならない。何度も何度も、繰り返し遠征に出された地だ。経験は積んだ。何が起きるかも知っている。その時々で異なる遡行軍の動向とて、凡その目的が変わらない以上は予測の範囲内となる。だというのに。そのはずなのに、いつだって足を引くのは蜂須賀ばかりだ。
 先達等の助けもあって、致命的な失態こそどうにか免れてはいても、遠征を重ねるたびに刻み込まれる無力感は、蜂須賀の矜持をたいそう傷付けていた。

「まっじめだねぇ。ほらほら、辛気臭い顔してないで飲みな飲みな! ンなもん、飲んでりゃどうとでもなるさ!」
「滅茶苦茶だな……」

 人が真剣に悩んでいるというのに、いい加減にもほどがあるのではないだろうか。
 バンバンと加減もせずに背中を叩いて促してくる次郎太刀に、深刻に考えるのがなんとも馬鹿馬鹿しくなってきて、蜂須賀は乱暴な手つきで注がれた二杯目を一気に飲み干す。次郎太刀が破顔した。

「ウチの連中、酒に誘ってもつれないのが多くってさあ! よーっし、今日はじゃんじゃん飲むよ~!」
「……次郎さんは、いつでもじゃんじゃん飲んでいないか?」
「あっはっは! そういう野暮なことは言いっこなーし!」

 そう言ってあっけらかんと笑う次郎太刀は、蜂須賀の抱く昏い感情からはおよそ縁遠く見えた。
 審神者の初期刀、という肩書きを持ち合わせているはずなのに、それらしい姿を蜂須賀は一度だって目にした事が無い。いつだって、義務や責任、かくあるべしという重荷など何一つ知らぬという顔をして、のんべんだらりと酒を飲んで自堕落に過ごしている。

(主は、次郎さんをどう思っているんだろう)

 仕方が無いと諦めているのだろうか、実は腹を立てているのだろうか。
 ……それでいい、と肯定しているのだろうか。

 不在がちの主であるが、彼女が先んじて顕現された刀剣男士等によく慕われている事は、さほど接していない蜂須賀もよく知っている。しかし対する次郎太刀はといえば、その行状も相まってか、本丸内でも好き嫌いの意見が大いに分かれる刀剣男士であった。
 次郎太刀を傍近くに置くことについて、過去、審神者に対して苦言を呈した刀もいただろう事は予想に難くない。個々の好悪はあれど、それでも次郎太刀は今もなお、“審神者の初期刀”として一目置かれる立場に在る。

「蜂須賀はさあ、真面目すぎると思うんだよねえ」

 常に持ち歩く酒甕を揺らしながら、のんびりとした口調で次郎太刀は語る。

「教育係、浦島だっけ? 弟相手じゃ、愚痴や弱音なんざ言えてやしないだろ」
「…………弟は。いいやつだし、可愛いやつだ……ぞ」
「だから、いいとこ見せたくてやせ我慢しちまうんだろ? 兄貴ってのは大変だねえ」

 からかうような声音だが、その眼差しは酔いの只中にあって尚、ひどく優しい。
 先程とはまた違った羞恥心に襲われて、蜂須賀は気まずさの余り俯いた。
 腹を読まれて、しかもそれを好意で以て肯定されるというのが、こんなにも、むずがゆい気持ちにさせられる事だとは知らなかった。自分がこれまで真剣に悩んできたことを”やせ我慢”なんて言葉で括られたというのに、それに対する不快感を一切伴わなかったのが信じられず、蜂須賀はぼそぼそとした声で抗議する。

「やせ我慢なんかじゃ、ない。俺は、虎徹の真作として、誰から見ても立派な刀であろうとだな……」
「うんうん偉い偉い」
「適当すぎる……」

 自分もこのくらい適当でいられたなら、もっと要領よく、日々を過ごしていられるのだろうか。
 そんな疑問がふと頭を過って、埒も無い考えだ、と自嘲する。無いものねだりをしても仕方ない。それに、蜂須賀は自分がここまでふてぶてしくなれるとはどうしたって思えなかった。

(我ながら、馬鹿な事をした)

 一時の激情に流されるままに、主に直訴しようだなんて。
 よしんば成功していたとしても、きっと後から自責の念に駆られていたに違いないのだ。
 あまり接する機会もなく、言葉を交わした回数も少ない、何を考えているのかよく分からない今代の主ではあったが、それでも主は主だ。彼女の前で醜態を晒したくはない。

 そもそも、である。いくら主が忙しいからといって、今の状況が永遠に続く、という訳でも無いはずなのだ。
 いつになるかは分からずとも、いずれは、彼等の練度上げも本格的に行われる。
 たった四ヶ月。刀であった彼等にしてみれば、ほんの瞬くような時間でしかないはずだった。実際、同期に顕現された他の刀剣男士達も、似たり寄ったりの境遇であるはずだというのに何も言わない。よりにもよって真っ先に根を上げた、自分の堪え性の無さを恥じこそすれど、怒りのままに身勝手な主張を主にぶつけようとするなんて――

「そういやさぁ。もういっこ、いい選択肢があるよぉ?」
「え、」
「顕現解除」

 にーっと唇を吊り上げ、とっておきの内緒話を持ち掛けるかのように片目をつぶる次郎太刀の顔を見て、蜂須賀はそれが、主にぶつけるはずだった直訴をさしての提案なのだと遅ればせながら思い至る。(顕現、解除)その単語を、口には出さずに反芻する。(……顕現解除?)

――できるのか?」
「できるさ。不安があるなら小夜か、三日月にでも聞いてみな。短時間だけど、あの二振りは経験あるからね」

 考えてもみなかった事だ。
 顕現したら折れるか、さもなければ刀解されるまでこのままなのだと思い込んでいた。
 けれど言われてみれば、こうして心を隆起し、仮初の器で以て顕現したのは審神者の業だ。逆ができない道理はない。

「果報は寝て待て、ってね。……主の手が空くまで、寝て待ってるのもアリだと思うよ?」
「寝て、待つ……」

 どうする? と目線で問うてくる次郎太刀に、頷くのは簡単だった。
 むしろ刀解を申し出るより、遥かに気楽な選択肢でもある。だからそれは、とても魅力的な提案なのだ。
 刀として過ごした頃を思えば瞬き程度の時間であろうとも、内番と遠征だけの日々がこれからも続くのだと思うだけで、げんなりした気持ちになってくる。
 顕現さえ解いてしまえば、もう悩む必要はない。自らの不甲斐なさに憤る事も無くなる。無力感も、失望も、自責も、怒りも、腹立たしさも、嫉妬さえも。何一つとして感じなくて済む。

 次郎太刀の提案に頷くだけで、それら全てから解放される。

 それでも。そのはずなのに、何故だろう。蜂須賀は頷くことができなかった。
 胡坐の上で頬杖をついて蜂須賀を見やりながら、次郎太刀がゆるりと目を細め、慈悲深い声音で告げる。

「ま、返事はいつだっていいんだ。気楽にやんな」
――、」

 次郎太刀の目は、何もかもを遍く見通すかのようだった。
 そういえばこの大太刀は御神刀だったな、と今更ながらに思い出す。
 大切な何かを見落としているのだと突き付けられた気がして、蜂須賀は道に迷った幼子のように途方に暮れた。


 ■  ■  ■


 秋。それは実りの季節。
 だからという訳でも無かろうが、本丸の畑は今季も、現世では考えられない豊作ぶりである。

「えっほ、えっほ、はいほっほー♪」

 ざくざくとスコップを巧みに操り、浦島は土中に埋まった芋を片端から掘り上げていく。
 手捌きの淀みなさ、そして長時間の作業にもかかわらず衰えを知らぬ芋掘りペースは、さすが刀剣男士といった所だろう。常と同じく肩の上を占拠している亀吉も、落ちる気配はまるで無い。

「ねえ浦島。ずっと口ずさんでいるが、何なんだい、その気が抜ける歌は……」

 別の畝で人参を収穫していた歌仙が手を止め、何とも微妙な顔で問う。
 動きを止めて歌仙の方を振り向くと、浦島は腕組みしながら空を見上げて。

「えっ……うーん……なんだろ……なんか……口に出してると楽しくなるやつみたいな……? あ、歌仙さんもやってみたら分かると思う!」

 ポン、と手を叩いて名案! みたいなキラッキラした笑顔を歌仙に向けた。

「えっ嫌だが」

 歌仙が即答する。考える間など一切無かった。
 検討する価値無しと言わんばかりの即断に、けれど浦島はしたり顔でうんうんと頷く。

「分かるよ、分かる……歌仙さんはもっと雅ポイント高めじゃないと嫌なんだよね……」
「いや、例え雅だったとしても畑仕事しながら歌うつもりは無いぞ」
「えー。一緒にやったらきっともっと楽しいのにぃ」

 拗ねたように唇を尖らせながらも、浦島は素直に引き下がった。
 「えっほ、えっほ、はいほっほー♪」止まっていた手を動かしながら先程同様、気の抜ける歌を歌い始める浦島に、歌仙は遠い目をしてぼやく。

「きみに兄弟刀の生真面目なところが加われば、もう何も言う事は無いんだけれどね……」
「えっなになにどっちの話? 蜂須賀兄ちゃん? それとも長曽祢兄ちゃん?」
「蜂須賀の方だ。そもそも、長曽祢は当番の割り当てからして変則的だろう。組んだ試しがないよ」
「あー。長曽祢兄ちゃん、ほとんど道場籠りっきりだもんねえ」

 単調な肉体労働中の彼等にとって、お喋りほど適当な娯楽もない。
 日頃つるむ仲ではなくとも浦島の人懐っこさ、愛想の良さは本丸でも指折りだ。お喋り好きで話しやすい彼につられて歌仙の舌も、自然、滑らかなものになる。

「外で色々見聞きして経験しといた方が、絶対ためになると思うんだけどなあ。和泉守さんがなんであーいう教育方針なのか、歌仙さん知ってるー?」
「なんで僕が知ってると思うんだい……。僕らがさして仲良くもない事くらい、きみ、知っているだろうに」
「でもさ、刀派おんなじでしょ? 俺と長曽祢兄ちゃんだって大まかに虎徹って括りで兄弟やってるんだし、身内なら他のひとよりわかるかなぁって!」
「……突っ込みたいところは色々あるけれど、きみは、本当に、兄弟刀の、生真面目さを、少しでいいから、見習いたまえ」
「歌仙さんがきびしいぃいい……」

 殊更に語句を区切って強調してくる歌仙に、浦島はへにゃんと眉を落として切なげに嘆いた。
 肩の上の亀吉が、ぺしぺしと短い前足で浦島を叩く。慰めているつもりらしい。
 感激したようにはっしと小さな体を持ち上げ、浦島は「亀吉―!」とすりすり甲羅に頬ずりする。歌仙は白けた顔をしていた。いや君の刀派、贋作問題でだいぶ風評被害被ってたと思うのだけれどね本当。

「蜂須賀ではないけれど、きみ、贋作を”兄”と呼ぶ事に本気で何も含むところがないのかい?」
「ないよー? 贋作がどうとかどうでもいいよね! 血が繋がってなくても、兄弟がいっぱいいるっていいことだと思うけどなー」
「それは”浦島虎徹”としての意見かい? それとも”きみ”個人として?」
「両方だよ? なになに、歌仙さん的には何かしら真贋についてで思うところがあったりするの?」
「まあ、仮にも文系を名乗る身としてはね」

 和歌も茶道も、そうしてもちろん目利きの腕も、文化人の必修科目である。
 目利きという観点に絞れば、モノの真贋というのは、決して適当に片付けられる話題ではない。それに、刀剣男士は”物語”に影響を受けて形作られた存在だ。蜂須賀を思えば浦島の、自身の刀派に纏わる真贋問題についての固執の無さといったら、少しばかり薄気味悪さを覚えるほどである。亀吉を頭の上に乗せ、浦島は「うーん」と唸って空を見上げる。

「でもさ歌仙さん。誰が何を言ったって贋作は贋作だし、真作は真作だよ? 刀してた俺達にどうにかできる問題でも無かったんだから、それを理由にツンケンするのも違うと思うんだよね、俺」

 確かにそうだ。そうなのだが、そこまで割り切れるのが不可解なのだ。
 自身に関わるもの、縁あるものである以上、どうしたって無関心ではいられない。日頃関わり合いにはならずとも、歌仙が同じ“兼定”として、和泉守に無関心ではいられないように。
 腑に落ちない様子の歌仙に、浦島は唇と眉をハの字にして、周囲をきょろきょろと見回した。他に誰もいない事を確認し終えると、「あのね、歌仙さん」と声を潜めて告白する。

「兄ちゃん達には内緒だけど、俺としては”虎徹”の名を背負うに足る刀なら、別に贋作だっていいんだ」
「…………きみ、正気かい?」
「歌仙さんひっど!」

 ドン引きする歌仙の言葉をその一言でさらりと流し、浦島は続ける。

「人もそうだけど、物だって永遠には残らないじゃん。でも、名は残る。物語だって、語り継ぐ誰かがいる限りは残ってく。……“虎徹”の名を誉れと共に、少しでも長く遺すことができるなら。それこそ真贋なんて、些細な問題なんじゃないかな」

 ほんの数瞬。深い海色をした浦島の双眸に、手の届かない何かに思いを馳せるような、羨望にも似た色が過ぎる。「ま、俺がみんなと仲良くしたいからってのもあるんだけど!」大きな声で明るくそう締め括った浦島に、歌仙は頭痛を堪えるような面持ちで、額に手をあてた。

「ああ、うん……末弟ぶりっこしているから忘れていたけど、そういえばきみ、実年齢的には虎徹の長兄だったねえ……」
「あー! あーっ! だめだめ歌仙さんそれ突っ込んじゃいけないやつなんだよ!? 俺は末っ子! 末っ子なのー! いじわるすると主さんに言いつけちゃうんだからな!!」
「こんなアホな事であの子を煩わせる気かきみは!?」




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