青白い雷光が、天を裂いて結界を揺らす。
今まさに接敵しようとしていた敵の頭上へと、不吉な光を纏って幾つもの人影が降ってくる。
ぎょっと目を見張る彼等の耳に続いて届いたのは、寒々しくも首筋を撫で上げていく、不吉な予感を伴う断末魔。足を止めて唖然と見据えるその先で、斬り結ぶ暇すら与えられずに腕が、首が、砕けた鋼が、瞬きの度に宙を舞う。串刺しになって折れ曲がった身体が、投げ捨てられて地面を跳ねる。真っ二つになった影絵が、噴水のように血を噴き上げながら倒れ伏す。
初めて遭遇する相手だった。
初めて見る光景だった。
けれど、彼等は知っていた。
「遅かれ早かれ、相手をする事になるだろう」と審神者――主から、その存在を聞かされていたから。
歴史の保全を目的とし、歴史修正主義者も刀剣男士も等しく薙ぎ払っていく“それ”。
“検非違使”の存在を。
歴史修正主義者達があっという間に斬り伏せられて踏み砕かれ、まともに刃を交わす間も無く鉄屑になる。
最後の一振りが倒れるが早いか、真っ先に肉薄してきた検非違使の槍は、さながら放たれた矢の如く。たちまち重歩兵が蹴散らされ、振り回される大太刀と薙刀が、慌てて守りを固めた盾兵達を鎧袖一触に薙ぎ払う。
瞬く間の出来事だった。
瞬く間に遡行軍が駆逐されたのと同じように。今度は彼等が、駆逐される番だった。
「こんなに追い込まれるなんて……!」
「いやはやまったく。顕現早々に負け戦とは、我々はついておりませんなァ」
思わず零れた悪態に、飄々とした相槌が返る。
視線をやる余裕はない。それでも、互いに似たり寄ったりの負傷具合なのは見ずとも分かっていた。
同部隊の太刀と背中合わせに、蜂須賀は血と汗で滑り落ちそうな手綱を手首にきつく巻き付ける。下手をすれば馬に引き摺られる無様を晒す事になるが、今この状況下では、落馬しない事の方が重要だと判断したのだ。
味方の血と死に塗れた戦場で、怒号に混じって誰かの鋭い警告が飛ぶ。
「長曽祢ェ! 前に出過ぎだ、退け!」
「できるものならやっている!」
同じだけの声量で、苛立ちも露わな声が怒鳴り返す。
黒白のだんだら模様の羽織を纏った背は遠いが、血に塗れ、お世辞にも無事と言い難いのは一目で見て取れた。
彼と向かい合い、距離を測っている敵太刀とは別方面。その刀からは丁度死角となる方から近付きつつある槍の存在に、考えるよりも先に身体が動いた。後方で「蜂須賀殿!?」と驚きの声が上がるのも構わず、騎馬を駆り立て、蜂須賀は咆哮する。突き上げる激情を喉から迸らせながら、敵目掛けて脇目も振らずに突っ込んでいく。
「おおおおおおおおおおおおお――ッ!!」
気付かれたのを察して、検非違使の槍が獲物を変える。突き出された槍の穂先が頬をざくりと抉った。
構わず馬を急き立て間合い深くへ突っ込む。蜂須賀は勢いを乗せて刃を振るった。――浅い。胴を狙った切っ先は、相手を斬り捨てるには到底至らない。掠めるに終わった刃が宙を泳ぐ。ぞわ、と背筋が総毛立った。
体制を整えている暇は無い。ならばこの一撃を耐え切ってみせようと、蜂須賀は奥歯をきつく噛み締めて。
――ヒュンッ
軽やかな音が悪寒を引き裂く。
それに疑問が浮かぶより、蜂須賀の髪を二の矢が掠めて飛ぶ方が早かった。
霊気で編まれた矢羽根が空気を震わせる。それを助けに、いつの間にか退いてきていたその男士と轡を並べ、後方本陣目指して馬を駆る。
「すまん。助かった」
反射的に口を開き、けれど返す言葉は見つからず、無言で唇を引き結ぶ。
退却する彼等と入れ違いに、空を切って頭上を通り過ぎていった無数の矢が、雨あられと検非違使へ襲い掛かった。
降り注ぐ矢をいなし、あるいは斬り捨てながら遠戦を凌ぐ検非違使達を睨み据え、殿を務める温和な面立ちをした大太刀が、苦渋に満ちた、ひどく険しい顔で怒鳴っている。
「撤退、撤退ィ――!」
その声に急き立てられるようにして、一目散に本丸への転移門を潜る。
検非違使達は、刀装兵を一兵たりとも連れて来てはいなかった。それだけに現状がいっそう惨めで、蜂須賀は屈辱にぎりりと歯を食い縛った。口内に血の味が滲む。安堵など、一欠けらだってあるはずも無い。
敵とまともに立ち合う事もままならず、いいように蹂躙されて命からがら戦場から逃げおおせる。刀剣男士にとって、これ以上の恥辱があるだろうか?
胸を灼く怒りのままに、蜂須賀は置き去りにした戦場を振り返る。
転移門の向こう側。霞がかって薄れゆく検非違使達は最早、彼等を見てもいなかった。
■ ■ ■
ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶち。
思い出すだにはらわたの煮えくり返る、初陣での敗走から四ヶ月後。
蜂須賀虎徹は本丸の畑で、ひたすらに雑草を毟っていた。
「虎徹の真作にやらせる仕事じゃない……!」
もはや口癖と化しつつあるお馴染みの愚痴に、同じく畑当番の歌仙兼定がうんざりした様子で答える。
「不本意だろうが仕事は仕事だ、そこに虎徹も正三位も無いよ。まったく。文句を言わない兄弟刀を、少しは見習ったらどうだい」
「っあんな奴、兄でもなんでもない!」
しかし噛み付かんばかりな蜂須賀の抗議に返ってきたのは、皮肉とも呆れともつかない一瞥だけだった。
例えばここで怒りのままに掴み掛ったとしても、あっという間に地を這わされて終わるだろう。その程度には、蜂須賀と歌仙の練度差は大きい。
「何でもいいさ、あの子の役に立つのならね。……さて。まあ、こんなものか」
至極無感動な歌仙の対応に唇を噛みながらも、蜂須賀は重たく感じる腰を上げた。
夏の畑仕事は、刀剣男士であっても身に堪える。
本丸の季節は審神者によって変えられるものなのだと、弟である浦島虎徹は言っていた。ここでは現世の暦に合わせて四季が巡るのだとも。季節なんて巡らせている暇があるのだったら、その時間を出陣に充ててくれればいいのに――古参から顰蹙を買うのは分かり切っているので口にこそ出さないが、それが蜂須賀の正直な感想だった。
「片付けはしておくから、後は好きにするといいよ」
「……それくらい、俺もするけれども」
「いや、いいよ。今日はこのまま花の手入れもするからね。泥に塗れるのは嫌いなんだろう?」
確かに、泥塗れになるのは嫌いだ。虎徹の真作がやる仕事ではないとも思っている。
それでも、本人が「いい」と言っているからと、やっていた仕事の後片付けを全て押し付けていくのはどうにもばつが悪く感じられたので、蜂須賀はしばしの逡巡の後、振り返らない背中に向けて「抜いた雑草、いくらか運ぶだけはしておくよ」と声を掛けた。
二人分の竹箕にどっさり積まれた雑草を、どうにか一つにまとめて持ち上げる。
そっと横目に伺い見れば、黙々と内番をこなしながらも仏頂面だった先程までとは打って変わって、歌仙は上機嫌な様子だった。
(畑の世話も花の手入れも、やる事は一緒だと思うんだけどな)
まったくもって解せない事だが、藪をつついて蛇を出す趣味も無い。
泥だらけになった内番着に、片付けたらすぐ風呂へ行こうと決意し、竹箕を抱えてその場を離れる。
思い出すだにはらわたの煮えくり返る、初陣での敗走から四ヶ月。
それはそのまま、顕現されてから過ぎた期間の日数でもある。
同期の刀達がどうかは知らないが、蜂須賀虎徹は今の現状に、たいそう不満を抱えていた。
虎徹として、戦刀として誉を上げねばならないというのにそれができないもどかしさ。初陣とはいえ、敗北の無様を晒した自らへの自責。忙しいからと、ほとんど出陣させてくれない主への憤り。屈辱を味合わせてくれた検非違使への怒り。土仕事やら馬の世話やら、どう考えても刀のする事でないような仕事ばかりさせられている事についても。
けれど現状ついて、仕方がない、という諦念を伴った理解もなくはないのだ。
主である審神者が多忙極まりない事は、本丸の誰しもが知るところであるし――何より、人の器を得ても刀は刀だ。主が仕舞い込んでおくと決めたのならそのように在るだけであったし、飾られるならそのように在るだけである。ただ、戦場に出たいと望む“心”が不服を吠え続けるだけで。
(刀にあるまじき身勝手さだな、全く)
得た心から勝手に沸き立つ我欲もまた、蜂須賀にとっては苛立ちの種であった。
感情のままに舌打ちしかけ、すんでのところで品が無い、と自制する。
そうして雑草と竹箕を片付け、風呂へと向かう道すがら。廊下の向こうから歩いてくる人影を見止め、しかもそれが誰であるか理解してしまった蜂須賀は、苦々しく顔を歪めた。
一本道の廊下である。相手も同じく、反対から歩いてくる蜂須賀に気付いたようだった。
疲労からか、俯き気味だった姿勢がピン、と正される。タイミングが悪い、なんてものじゃない。可能な限り視界に入れたくも無い刀の姿に、自然、険のある目つきになる。
蜂須賀虎徹は、内番の時を除いて道場に近付こうとしない。
それはこの刀――長曽祢虎徹の贋作が、教育係の方針で、道場に入り浸りであるからだった。
浦島は贋作だろうと気にせず兄と呼び慕っているようだが、蜂須賀は違う。
“虎徹を見たら、贋作と思え”
かつての時代。名刀として名を馳せた虎徹派がそのような不名誉を被ったのは、ひとえに虎徹の贋作が、あまりにも世に蔓延っていたからだ。
虎徹の看板に泥を塗った“贋作”だというだけでも許し難いのに、その“贋作”が、”贋作”であると自認した上でなお、”虎徹”を名乗る。生憎とそんな欺瞞を許しておけるほど、蜂須賀は優しくも、心が広くもなかった。
だが。どれだけ受け入れ難かろうと、同期で、同じ本丸の刀剣男士であるという現実は覆しようもない。
眉間に深く皺を刻んで、蜂須賀は殊更にゆっくりと、胸を張って堂々と歩く。
虎徹の真作ともあろう者が、よりによって贋作に、しょぼくれているなどと思われる訳にはいかない。
「あー……蜂須賀は、これから風呂か?」
そのまますれ違うものだと思っていたから、話しかけられたのだと認識するのには数拍の間が必要だった。
きょとんと瞬き、次いで再度、眉間に皺を寄せる。蜂須賀は浦島と違って、親しく言葉を交わすほど、この刀と慣れ合った覚えはない。素っ気なく「だとしても、あなたには関係の無い話だろう」と撥ね付ければ、「その通り、なんだが」とひどく歯切れの悪い相槌を打って眉尻を垂れる。
その手に握られた木刀の存在に、道場からの戻りか何かだと察して、蜂須賀は努めて平静な表情を保ったまま、拳を強く握り締めた。
教育係の方針の違い、と言ってしまえばそれまでだ。
それでも自分が望む環境に、よりにもよって気に入らない相手が身を置いているのが面白いはずもない。
分かっている。ただの嫉妬だ。けれど自分が内番、それも馬当番やら畑当番なんてものを多く割り振られ、今もこうして泥に汚れているというのに、贋作は模擬試合に過ぎなかろうと、正しく、刀として扱われている。
腹の底に渦巻く憤りが嫉妬という燃料をくべられ、今にも喉をせり上がって口から這い出てきそうだった。
彼我を比較せずにはいられない、何かにつけて贋作を意識してしまう自分への嫌悪感に、きつく奥歯を噛み締める。
この嫉妬や憤りを、果たして最後まで気取られずにいられるだろうか。そんな不安が頭を過り、それをこの贋作が察した時の反応までもついでに想像してしまって、いっそうに腹の底がずん、と一段重みを増すようだった。
息苦しくなってくるこの感覚が、蜂須賀はとても嫌いだ。名も知らぬ、得体も知れないこの心の動きを何と呼べばいいのかを蜂須賀は知らない。知りたくもない。
意味も無く怒鳴りたくような、それでいて泣きたくなるような衝動を意地だけで堪える蜂須賀に、贋作は「余計な世話だとは思うが」と憎たらしいほど呑気な顔で前置きし、言いにくそうに声を潜める。
「鼻の頭、泥付いてるぞ」
■ ■ ■
人付き合いというものは、中々どうして難しい。
しみじみとそんな事を噛み締めていると、廊下の向かい側から歩いてきた相手とぱちりと目が合った。名は体を表すという格言通り、何処となく狐めいた印象を受ける同期顕現の古太刀が、影絵遊びさながら、片手で狐を作ってにんまりと笑う。
「蜂須賀殿がたいそうお冠だと思えば。おぬしであったか、長曽祢殿」
「親切のつもり、だったんだがな」
足取り荒く去っていった後ろ姿を思い返し、長曽祢は誤魔化すように頭を掻いた。
顕現から四ヶ月。同期二振りの関係性は、既に周知の事実である。「ま、そういう事もあろう」と一言で片付け、「それより」と小狐丸は早々に次の話題へと移った。
「長曽祢殿は休憩か? てっきり、道場でしごかれている最中と思うておったが」
「……ああ、いや」
意外だ、という感想を言外に含ませるのに、苦笑して肩を竦める。
「和泉守は、主に連れられて外出中でな。暇を持て余しているところだ」
彼の教育係を務める和泉守の苛烈なしごきを、本丸内で知らぬ者はいない。
休憩時間を除けばほとんど道場に籠り切り、というのが長曽祢虎徹の“日常”であった。
小狐丸がもう片手に持ったお盆を、目線の高さに掲げる。その上には、小山のようにおはぎがこんもりと積まれていた。
「ならば折角じゃ、三つ四つ付き合ってゆけ」
「構わんが……その量は何事だ?」
「好きだと言っていたのを何処からか聞きつけたらしく、な。あにさまが持って行けと」
小狐丸の“あにさま”。
三日月宗近は、顕現したばかりの小狐丸と石切丸を一切の悪気無く手入れ部屋送りにした三条派の先輩刀剣男士である。長曽祢は道場に籠り切りな事もあってさほど交流の無い相手だが、おっとりのほほんとした言動に反してやることが過激というか、限度を知らないところがある刀、というのがおおよその人物評だった。
どう考えても一人では辛いおはぎの山も多分、善意の賜物なのだろう――断ることができなかったのは、三日月に頭が上がらないが故か。
「成程。では、ありがたくご相伴に預かるとしよう」
幸いにして、本丸には空き部屋が多い。手近な部屋に入って腰を下ろす。
二人して眺める庭先に、顕現された頃には爛漫と咲き誇っていた桜の面影は既に無い。
代わって庭を彩るのは目にも鮮やかな多種多様の緑と、そこかしこに蔓を伸ばして夏を我が物顔に謳歌する昼顔。そして名は知らずとも目を楽しませる、色も形も違う可憐な花々だ。
見る者の感嘆を誘う庭を肴に、盆に積まれているおはぎを指でつまんで、一口に頬張る。
文句なしに美味い。あまり物を腹に入れるのは好きでは無いが、これなら三つ四つは軽くいけそうだ。
美味い茶菓子に風情のある庭、ついでに気安い同期の仲間とくれば、自然と口は軽くなる。
「小狐丸の教育係は五虎退殿だったか。どうだ、そっちは」
「さて。まあ、どうにかこうにかやっておるよ。おぬしの方こそどうなんじゃ。正直あのしごきは、拷問とさして変わらんと思っておるんじゃが」
率直な小狐丸の感想に、長曽祢は何を言うでもなく空を見上げた。
いかに昔馴染みの顔馴染みであろうとも、フォローできないものはフォローできないのである。実際問題、清光にすら「本気で辛かったら言ってね? 主に頼んで教育係変えて貰うから」と言われている位だ。主が何も言ってこないのは、長曽祢が音を上げるまでは静観する積りでいるからか。
最近とんと顔を見ていない主がしてくれた約束を思い出しながら、長曽祢はぽつりと呟く。
「主がな。たくあんを漬けてくれると言ったんだ」
「……うむ?」
脈絡の無い話題の飛び方に、小狐丸が戸惑いも露わに首を傾げる。
そんな同期の古太刀へ、長曽祢はにやりと笑って見せた。
「和泉守の元主は、たくあんが大の好物でな。あいつの口にも突っ込んでやったら、ちょっとは人間味も出るんじゃないかと思っている」
何か恨みでもあるのかと言いたくなるような、手合わせで折られるんじゃないかという危機感すら抱かせる教育姿勢に辟易していても、長曽祢は和泉守が嫌いでは無かった。
情動というモノを削ぎ落したかのようなあの刀が、長曽祢にはどうにも危うく見えて。一人きりにしておいてはいけないと、そう思えてならないのだ。
「つまり」ぐりぐりと眉間を指で揉みほぐしながら、小狐丸が呆れ顔をする。
「それまでは付き合うつもりだ、と言う事か。物好きな奴じゃな」
「元主からの付き合いだからな」
かつて主であった新選組局長、近藤勇の刀として。仲間を、放っておけるはずがない。
それに――。(しょせん贋作、と思われたくはないからな)同期顕現のきらきらしい打刀が頭を過る。例えこの身は贋作であろうと、真作の“虎徹”と時を同じくして顕現されたのみならず、肩を並べて競い合う機会を与えられたのだ。逃げるような真似をしたくはない、という意地もある。
「小狐丸殿こそ、何だかんだ言いながらも三日月殿を嫌いではないのだろう。似たようなものだ」
「……おぬしには負ける」
きまり悪そうにそっぽを向いて、小狐丸は憮然とした。
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