どれだけ優秀で勤勉であろうと、人間の処理能力には限界がある。
 時間は有限、動かせる身体は一つきり。だからどうしたって物事には優先順位が付けられるし、誰かに頼む、任せるという選択肢が必要不可欠になってくるのだ。
 相模国イチマルハチ本丸の審神者であるが、己の留守を初期刀へ任せきりにしてほとんど戻らない――戻れないのも同様の理由からである。
 数多とある不在本丸の管理監督、そこに所属する刀剣男士等の処遇の裁定、城下町の治安維持活動から派生する揉め事の仲裁、血生臭い事件の対応真相究明被害者加害者の然るべき手続き……。遡行軍のスパイと思わしき連中を探り当てる事もあれば、どうしようもなく堕ちた刀剣男士の処分まで。
 審神者を束ねて作り上げた組織は未だ新しく、彼女の決断を要する場面は数多い。政府肝入りで設立予定の、警備局への教育指導まで回ってきているのだから尚更だ。腰を据えて奥でどっしり構えている余裕なんてあるはずもなく、現場を駆けずり回りながら泥臭く陣頭指揮を取っているのが現状である。燻り続ける火種はあれど、表面上は平穏な自本丸の管理や自身の刀剣男士等について、後回しになるのは必然と言えた。

「次郎、あれでいいの」

 本来審神者が座すべき本邸、執務室。
 最近ようやく使われ始めたその場所で、けれど座すのは審神者ではなくその初期刀と、祐筆頭取を任せられている短刀だ。柱に身体をもたせかけ、のんべんだらりといつも通りに酒をかっ喰らっている次郎太刀じろうたちへ、小夜左文字さよさもんじが囁くように問いかける。
 酔っ払い特有の、トロンと濁った眼差しを庭に固定したまま、「ん~? 何がだい」と気のない様子で次郎は応じた。

「和泉守のこと」

 部屋の暗がりへ影のように沈み込む姿とは裏腹に、小夜が続けた言葉は思いの外、室内によく響いた。
 「ああ」得心いった様子で頷き、次郎はひらひらと手を振る。

「いーのいーの、放っときな。長くてせいぜいあと一年ってトコだろ」
「……けど。が気付く前に、片を付けてしまうべきなんじゃないかな」
「止めときな」

 心配を滲ませての提案に、けれど窘めるように返された声音は、日頃の底抜けな陽気さからは思いもよらないほどに厳粛だった。
 酩酊し、うつつとの境界を曖昧にした眼差しが、庭から小夜へと転じられる。

「事が内輪の問題、ましてや刀一振りだからね。が気付く頃には立場上、身動きとれなくなってるさ。あそこまで来ればもう、遅いか早いかの違いだ。アンタが泥をかぶる必要はないよ」

 次郎と小夜、二人の視線が交差する。
 沈黙を縫うようにして庭から響くのは、秋のお零れを拾い集める鳥のだ。冬近し、しかして訪れは未だ遠く。
 けれどもそれは体感の上の事であって、植物にとっては違うらしい。庭先では冬支度が始まったと見え、地面は既に朽葉色に染まり上がっている。赤黒く、醜く枯れ朽ちて萎むばかりの葉々が秋風にひらひらと舞い散る中で、か細い茎の地獄花が揃ってゆらゆら、真っ赤な首を差し出すようにして項垂れている。ややあって、「そういや、歌仙かせんはどうなんだい。代は違えど同派だろ?」と問い返した次郎に、小夜は真顔で即答した。

「そうだね。切っ掛けの一つもあれば、喜んで介錯しに行くと思う」
「……なんでアイツ大人しくしてんだい?」
「分かりやすく厄介なのに気を取られてるからじゃないかな」
「陵丸か」

 政府や“鶴丸国永つるまるくになが”本霊の面子、主の立場を慮って表向き口を噤んでいるが、あの刀を気に入らない男士は何振りもいる。言い逃れできない失点の一つでもあれば、それを口実に顕現を解くなり処分するなりをに申し立てる算段なのだろう。――もっとも。陵丸の方もそれをよくよく分かっていると見えて、そんな失態を犯す気配は今の所無いのだが。

「事が上手く運んでりゃ、こんな気ぃ揉まなくても良かったんだがねぇ……」

 独り言めいて落とされたぼやきは、他人事のようでありながらも、何処か苦い。
 意外だ、と言いたげに小夜が瞬く。

「……上手く行くと思っていたの?」
「ん~。まあ、二割くらいはね? なんにせよ、分の悪い賭けさ」

 ――“同じ場所に留まる為には、力の限り走り続けなければならない”。

 停滞とは後退だ。現状維持ですらない。
 例え同じ本丸であろうと彼等は結局、部外者だった。主役の視界に入る事すら許されない。
 だから彼等にできる手助けは、舞台を整え、役者を揃えるだけだった。

「……そうだね。元々、分の悪い賭けだった」

 結末はとうに見えている。
 悼むように目を伏せて、小夜は何かを振り払うようにかぶりを振った。
 戯曲は概ね予想の通り。期待していた番狂わせは気配も見えず、結末目掛けて一直線。
 彼等にとって、最優先すべきはだった。だから黙っている。知らせないでいる。
 励起された心を殺した“お人形”が、“刀剣男士”たり得るはずもないのだから。

 話はこれで終わりとばかり、次郎太刀は小夜から外へと視線を戻した。
 枯れ朽ち、冬に向かう最中の庭は、それでも見応えのある壮麗な佇まいを示している。ただ、主人であるはずの自身が、この庭を眺めて安らぐ暇が無いのは不憫な事だった。
 冬が来る。終わりの季節が来る。長くてせいぜいあと一年。そうして早ければ、きっと。

――何処にもいけないままでいる方が、ずっと、憐れだ」

 どちらともつかない独白は、神の如くに慈悲深かった。


 ■  ■  ■


 が請け負うのが、飛び抜けて面倒そうな案件ばかりだから、というのもあるのだろう。不在本丸対応において、所属男士との抜刀沙汰はままある事だ。
 だから、彼女の護衛として付いていった仲間の誰かが、大なり小なり負傷して戻るのもそう珍しい事では無い。

「ッ和泉守!」

 鳴り響いた半鐘に、短刀、次いで脇差達が、手入れの支度や負傷者の収容を手伝うべく玄関口の大門へと駆け集う。そんな中、打刀である長曽祢が比較的早い段階で到着する事が出来たのは、単純に偶然、大門近くに居合わせたからであった。
 危なっかしくふらついた身体を、咄嗟の判断で支えに入る。
 どうにか立ってはいるものの、見かけ以上に危ういようだった。受け止めた身体は、明らかに体重を自身で支え切れてないようでずしりと重い。空虚な目が、茫洋としながら長曽祢を捉えた。その覇気のなさに、ぞっとうすら寒いものが長曽祢の背筋を這い上る。普段の鋭さなど欠片も見当たらない。あるのはただ、今にも砕けてしまいそうな脆さだけだった。背後から、鋭くも冷静な声が飛ぶ。

「長曽祢さん、そのまま手入れ部屋に和泉守さん運んで下さい!」
――――……」

 はくり、と和泉守の唇が物言いたげに震える。
 当人としては、喋れているつもりなのかも知れない――生憎と、一言とて音にはなっていなかったが。
 それでも、支える長曽祢を押しのけようとする和泉守の動きに、主は言いたいことを察したようだ。眉根を寄せて、常になく強い口調で窘める。

「駄目ですよ和泉守さん、歩くのもやっとじゃないですか。いい子でおとなしく運ばれて下さい。命令」

 諦めたように抵抗を止めて、和泉守が目を閉じる。
 血でじっとり濡れた身体を担ぎ上げながら、長曽祢は不思議な感慨を覚えていた。

(案外、大差無いものだな)

 日頃叩きのめされ這いつくばらされているのもあってか、どうにも和泉守は自分よりも遥かに力強く、逞しいような印象があったのだ。けれど実際にこうして抱き上げてみれば、背丈も体格も、そこまで大きく違いは無い。むしろ、長曽祢よりも若干細いようにさえ思える。

 到着した手入れ部屋には、既に布団が敷いてあった。
 「着いたぞ、和泉守」声を掛けるが、反応は無い――先程の様子を思えば、無理もない事だ。ぐったりとしている和泉守を、慎重に布団の上へと寝かせる。微かに呻き声が上がった。

「痛むか? 堪えてくれ、主もすぐに来る」

 呼吸が楽になるよう、胸元を寛げてやろうと手を伸ばし。長曽祢はふと、和泉守が脇差を忍ばせている事に気が付いた。これは。(……堀川、か?)疑問はあったが何にせよ、横になっているには邪魔だろう。首を傾げながらも長曽祢は、堀川をどけておこうと手を伸ばして。

 天地が反転した。

 成す術無く床へ叩き付けられた背が、一拍遅れで現実感を連れてくる。
 口から悲鳴とも呼気ともとれない音が漏れた。掴まれた喉から、骨の軋む異音が鼓膜に響く。ざんばらに振り乱された髪が視界を覆う。ぎらぎらと憎悪の籠った双眸は、痛烈な感情を叩き付けて来る癖に焦点が曖昧で、一目で正気でないと理解できるそれだった。

 死。

 その一言が、強烈に長曽祢の思考を占める。

「ッ何やってんだ和泉!」

 けれど和泉守が長曽祢の首をへし折るより、加州が割って入る方が早かった。
 体当たりを受け、掴み合いながら二人が転がる――解放され、距離を取って呼吸を整える長曽祢の傍ら、加州の上に馬乗りになって、明瞭な殺意を乗せて獣が吠える。それは長曽祢にとっては初めて聞く。そして加州にとっては久しく聞くことの無かった、和泉守の、感情の籠った絶叫だった。
 ……手傷が深過ぎて朦朧としていると、“今”がいつなのか、分からなくなる。
 ずっと痛かった、あの頃に戻ったように錯覚するのだ。フラッシュバック、と言っていたのは主だったか。加州にも覚えのある感覚だったから、暴れる和泉守の現状を理解するのは早かった。

「ごめん、なっ!」

 こうなると、呼び掛けは意味をなさない。
 端的な謝罪と共に、容赦のない蹴りを和泉守の無防備な腹に叩き込む。下手に加減する方が危険なのを、加州はよく知っていた。ごぷり。胃液と鮮血が入り交じった吐瀉物を撒き散らして咳き込みながら、和泉守が畳を転がって壁に叩きつけられる。
 体勢を立て直し、油断なく様子を伺う加州の視線の先で、立ち上がろうと畳を掻いた和泉守の指が、撥ね飛ばされて近くに転がった、未顕現の堀川に触れた。

――――

 ふ、と糸が切れたように、殺気が霧散した。
 和泉守の身体がぐんにゃりと弛緩して、突っ伏すようにして崩れ落ちる。
 ばたばたと騒々しい足音に続いて、開け放たれた障子戸から、遅れてやってきた援軍が飛び込んできた。

「長曽祢兄ちゃん加州さん大丈夫!? 急ぎで縄持ってきたけど!」
「あれ、ちょっと暴れただけで終わったのか。今回早かったな」
「怪我人が増えてないんなら何だっていいけど……。ボク、あるじさん呼んでくるね」

 怪我の有無を問うてくるのに無傷だと返して、加州は警戒姿勢を解いた。
 和泉守の血でべたつく手をズボンの裾で拭いながら、込み上げてくる自己嫌悪と共に、身勝手な自嘲を飲み下す。

(……やらかした、なあ……)

 傷の深さだけではない。
 フラッシュバックは大抵、何かが切っ掛けになって引き起こされる。
 和泉守と、堀川と。長曽祢の行動の“何”が引き金になったかなんて、加州にとって、推測するまでもなく自明だった。だからこそ、憂鬱でたまらなくて――ひどく、吐き気がした。


俺は・・なぁんにもしないぜ、誓っていい」


 記憶の向こうで、嗜虐の滲む声が嗤う。
 分かっている。本当は、もっと早くに話しておくべき事だった。
 忙しさを言い訳にした自覚は、加州にもある。

 だって、話さない事は楽だった。
 辛い記憶とも苦い過去とも向き合わず、“今”だけを見ていればいいのは楽だった。
 だから、いっそこのまま逃げ出したかった。きっと長曽祢が抱いているだろう疑問も罪悪感も素知らぬふりを決め込んで、このくらい普通にある事なのだと誤魔化して。かつて同じ新選組に在った刀として、この本丸の先達として、“今まで通り”、いい仲間の顔をしていられたのなら――

(……最っ低じゃん、そんなの)

 過った考えを切り捨てる。魔が差したとしか言い様のない、甘い誘惑から目を背ける。
 みっともなくても、情けなくても。どうしようもなく無様でも。前に進むと、決めたのだ。
 息を吸い、吐く。「長曽祢さん」意を決して歩み寄り、優しい声で、問いかける。
 しなければいけない話はたくさんある。けれど、ひとまずは。

「怪我、無かった?」

 傷付けたかった訳じゃない。
 それが言い訳にならない事なんて、自分が一番、良く知っていた。


 ■  ■  ■


「今の主、引継ぎなんだよね」

 並んで座った濡れ縁で。加州はそう、話を切り出した。
 話すと腹を括りはしても、顔を見る勇気は持てなかった。それでも、反応が気になってしまうのだからどうしようもない。ややあって長曽祢が、「それなら、主から聞いた話だな。この本丸の前任者から何振りかの刀剣男士を引き継いだのだと」と、気負いのない口調で相槌を打つ。

「……主からは、それ以外にも何か聞いてる?」
「他に、か。顕現した主が違うのを気に病んでいる者もいるから、軽々しく触れるような真似はしてくれるな、とは言われたな」
「……主らしいなぁ……」

 どうやら、主は当時の出来事を一切話さなかったらしい。
 そうでなければこんな、「それがどうかしたのか」とでも言いたげな反応が返ってくるはずもない。そして同時に察する。誰が引き継いだ刀で、誰がそうでない刀なのか。それも、主は話さなかったのだろう、と。

 知る必要のない事は、知らないままに。
 語りたくない事は、語らないでいいように。

 だからこれは最初から、加州の負うべき責任で、権利だった。
 淡々と。なるべく感情を交えないよう意識しながら、加州は告白する。

「俺と和泉守を顕現したのはさ、前にいた方の審神者なんだ」

 隣で、息を呑む音が聞こえた。
 膝の上でゆるく組んだ、自身の手を見詰めながら。主の色をした爪紅へと視線を固定したまま、どうしようもなく震えそうになる声を張って、努めて軽い口調で語る。

「これが酷いやつでさぁ。そいつが審神者してた頃は、手入れなんて滅多にされなかったんだ。ずーっと出陣させられて、怪我して折れたらそれで終わり、って扱いで。仲間をわざと折らされたり、なんて事も珍しくなかった」

 喉で言葉がつっかえて、加州はきつく目を閉じた。

――……和泉守も。堀川のこと、折らされてた」

 泣くな。自分に言い聞かせる。
 昔の話だ。終わった話だ。泣くことなんて、何もない。

「一回や二回じゃない。顕現しては折らせる、なんて悪趣味な事もしてたし、折れるまで戦わせる、なんて事もしてた。……そんなのばっかだったからさ。あいつ、そのうち堀川見つけらたその場で折るようになっちゃって。顕現させられでもしたら、余計に苦しむからって」

 なのに胸を塞ぐ感情が、言葉と一緒に次から次へと溢れてくる。
 かつて“当たり前”だった、そんな、嫌な出来事ばかりが生々しく蘇ってくる。
 終わった事だ。自分に言い聞かせる。それでも勝手に震える手が、ひどく疎ましかった。

「だからさぁ。今の主が引継ぎで来た時も、全っ然信じられなくって」

 馬鹿な話だ。自嘲する。
 人間にだって色々いるのだと、刀の時分に見聞きしていたはずなのに。
 審神者という共通項ただ一つで、彼女達が同じものだと決めつけた。もあのろくでなしと同じ、どうしようもない外道なのだと思い込んだ。違うのだと、気付く事ができなかった。

「ひどい事たくさん言ったし、命令だって聞かなかった。近くに寄るのも嫌だった。……和泉守さ、あいつ、普通の分霊より弱いの。知ってる?」
「いや……」
「長曽祢さん、演練行った事無いもんね。当然か」

 城下町で袖すり合う機会があったとしても、気付くのは“普通”の分霊との、性格の違いくらいのものだ。刀剣男士の分霊同士、本気で刃を交える演練でも経験しなければ、それに気付くのはほぼ不可能と言っていいだろう。長曽祢の場合、練度も低いから尚更だ。

「和泉守は先走った。先走って、約束破りの罰を受けた。
 でも。あいつも……俺、も。主を、殺そうとした事があるのには変わりない」

 長曽祢が絶句する。
 空気が変わったのを、肌で感じた。
 心臓が、狂ったようにどくどくと鳴り響いている。
 真冬だというのに、じっとりと浮かんでくる汗で、服が張り付いて不快だった。

――……主、は」

 固い声で、長曽祢が問う。

「許した、のか。自分を、殺そうとした刀を」
「……酔狂だよね、本当」

 間違いなく、見捨てた方が楽だった。刀解した方が楽だった。
 不在本丸対応に関わる中で、嫌でもそれを実感せざるを得なかった。全員刀解してしまって、何も知らないまっさらな刀を顕現して。練度上げは大変だろうけど、それでもあれこれ問題を抱えた自分達を使い続けたりするより、そちらの方がよっぽど、面倒は少ないはずだったに。

「和泉守が持ってる堀川も、主が和泉守に預けたんだ。自分はこの“堀川国広”以外、顕現する事はしないからって。だから、どうするかは和泉守が決めろって」

 “自分で、よく考えて”。

 命令されるのでも、強制されるのでもない。
 選ぶ立場にあるからこその葛藤が、加州には手に取るように理解できた。
 ……堀川を預かるようになってからというもの、和泉守は黙り込む事が多くなった。何かを紛らわすかのように、逃げるかのように。道場で、鍛錬に励んでいる時間が増えた。
 主は何も言わなかったし、加州も、口は挟まなかった。その選択の重さを、分かち合おうとはしなかった。
 自分という“加州清光”は――“堀川国広”という“刀剣男士”を、ついぞ、知る機会が無かったから。
 知っているのは、彼が折れる姿だけ。和泉守が堀川国広に抱く感情には、とても遠く及ばない。同じ新選組で、同じ地獄を生き抜いてきた刀ではあったけれど。こればかりは、口を挟むべきじゃない。自分の願望を、差し挟まないと決めたのだ。
 それが、正しかったのかは今でも分からないけれど。

「……重傷だとたまに、昔と混同しちゃうことあるから。あいつも、そうだったんだと思う。俺が、……もっと早くに説明しておけば、防げた事故だったのに。ごめん、長曽祢さん。――……長曽祢さんが折られかけたの、は。……俺の、責任だ」

 いつしか、顔を覆っていた。声はみっともなく震え、掠れて弱々しくも情けない。
 (だめだなぁ、本当)向き直って。自分の所為で大変な目にあった長曽祢に、きちんと頭を下げて、謝罪するべき場面であるなのに。
 自己嫌悪する加州の頭に、ぽん、と長曽祢の手が乗せられた。ガシガシと頭を撫でてくる感触に、理解が及ぶのに数十秒の時間を要した。「え、えっ?」と混乱する加州を強い力で抑え込んで乱暴に撫でながら、顔の見えない長曽祢が言う。

「本当は、もっと言わなきゃいけない事があるんだろうけどな」

 声に、苦笑が滲む。
 加州が恐れていた拒絶や嫌悪は、ほんの少しも伺えなかった。

「何もかも終わった後でのこのこやってきたおれが、言うべき事じゃないだろう? ……辛かったのに、よく耐えた。お前達が折れずにいてくれた事を、おれは、嬉しく思う」

 声が、出なかった。
 涙が滲む。次から次へ、溢れて、ぽたぽたと零れ落ちる。
 軽蔑されても仕方ないと思ってた。自分とは違う。主に顕現された、根っから主の刀剣男士である“長曽祢虎徹”に、腹を詰めろと断罪されても仕方ない事をしたのだと、分かっていた。(なあ、和泉守)生きてるのが辛い時も、苦しくてどうしようもない時もあったけど。(早く、気付けよ。馬鹿野郎)自分の殻に籠って、下を向いてるだけじゃ、何も変わらないのだと。ぬるま湯みたいな不幸と自責に、どっぷり浸かって生きてるのは楽だろう。そんな無様も、主は許してくれているけれど。だけど、それじゃああんまりだから。折れていった堀川達も。きっと、そんな生き方は望んでいないはずなのだ。

「何にせよ、和泉守が目を覚ましたらまずは謝らんとな。知らなかったとはいえ、悪いことをした」
「まずは、なんだ……じゃあ次は?」
「叱ってやるさ。一人で抱え込みすぎだ、少しは頼れ、ってな」
――うん。ありがと、長曽祢さん」

 泣き笑いする加州の頭を撫でながら、穏やかな声で、長曽祢が言う。

「和泉守の手入れ、早く終わるといいな」

 けれど。

 手入れから数日経っても、和泉守が目を覚ますことは無かった。




BACK / TOP / NEXT