リュウグウ王国の現国王ネプチューンと、旭海賊団副長フィッシャー・タイガー。
 王と無頼漢。法を敷く側と犯す側。相反する立場。
 しかし彼等の関係性は現在に至るまで、良き友人に変わりなかった。古くからの友人であるからこそ、ネプチューンは妻以外には側近の一人も置かずにタイガーを暖かく迎え入れるし、古くからの友人であるからこそ、タイガーは確かな敬意を以て、無作法なりにも一国の王に対する礼を尽くして見せる。
 長らく顔を出さなかったにも関わらず、依然変わらぬ暖かさで迎え入れてくれた旧友に、タイガーは頭の下がる思いだった。現在の彼は、今や世界に悪名轟く大海賊団の副長である。頭領であるが世界政府に真正面から殴り掛かるタイプな事もあり、門前払いされても仕方が無い、と考えていたのだ。
 非公式の面会と言えど、海賊を迎え入れてしまって本当に良かったのか、と。
 そう訪ねれば、ネプチューンは朗らかに破顔して見せた。

「ほっほっほ! そう心配する事はないんじゃもん。
 あまり大声では言えんがな、“旭海賊団”は“白ひげ”に次ぐ、魚人島の人気者なんじゃよ」
「! それは……」
「“リトル・モンスター”は世界政府を敵に回してまで、多くの魚人や人魚を救ってみせた。そして副船長が魚人のおぬしで、他にも多くの魚人や人魚を部下に擁しておるとなれば、黙っておっても耳に入るというものじゃもん」
「……そう、でしたか……」

 明るい調子でネプチューンは語るが、タイガー達のしている事は列記とした犯罪行為である。
 奴隷解放。その行いに、恥じるところなど何一つとしてない。
 ただ、海賊行為で彼等が生計を立てているのは事実であるし、敵船を沈める事も、追手を殺す事もある。特に、彼等の頭領は敵に対して苛烈を極める。最近ようやく我慢を覚えてくれはしたものの、その憎悪が衰えた訳では無いのだと、タイガーは知っている。決して、己が行いに胸を張る事はできなかった。

「魚人や人魚は、ただでさえ立場が悪い。
 我々のしている行為は、魚人島の立場をより悪くしているのではありませんか?」
「それを指摘されると弱いのう……。確かに、魚人島は立場を悪くした。
 旭海賊団の副船長として、おぬしの手配書が出回り始めてからはあからさまに、の」

 二百年前まで、魚人と人魚は“魚類”に分類され、“人”と認められてはいなかった。
 誰しもが彼等を迫害し、追い立てていた。現在でこそ“人”と認められ、表立って迫害を受けるような事はなくなったものの、それはあくまでも表向きの話である。
 特に、差別意識の強い特権階級の人間ほどそれは明確だ。
 世界政府のお膝元であるシャボンティ諸島。政府の影響が色濃い、未だ奴隷売買の文化の残る場所では、現在ですら人魚や魚人は悪党如何に関わらず、売買する事が黙認されている。
 立場の悪化は、予想できていた事だった。タイガーを慕ったかつての弟分達が押し掛け、旭における主戦力の一角に数えられるようになる前。あの日、あの炎に捲かれた聖地の出会い以来。


 「  貴方を、私に頂戴  」


 本人に、たぶん自覚は無かっただろう。
 恋慕にも似た眼差しだった。愛の告白を受けているのかと、そんな錯覚を抱くほど。
 縋るように。柔らかで儚い、稚い微笑みと共に告げられた言葉。拒まないで欲しいと。彼が欲しいのだ、と。そう全身で主張するの手を取ったのは、タイガー自身の選択だった。
 愚かな選択だ、と。笑いたければ笑えばいい。そう思う。
 どうしようもなく惚れ込んでしまったのだ。あの、少女の姿をしたばけものに、骨の髄まで魅入られて。
 あの日あの瞬間から、“フィッシャー・タイガー”という男は彼女のものになったのだ。
 それを悔いても、恥じてもいない。ただ、同胞の――友人の足を引っ張る現状を、心苦しくは思っている。
 複雑な表情のタイガーに、ネプチューンは苦笑した。

「……じゃが、立場が悪いのは今に始まった事でも無い。
 おぬしらの活躍は島民達の、人間への印象を変えつつある。気に病む必要は無いんじゃもん」
「あなた方や船長さんのおかげで、人間と歩み寄ってみようと考える人達は少しずつ増えてきています。立場に関わらず弱い者を助け、今も戦い続けるあなた方にお礼を言うのは私達の方ですわ。
 船長さんも今、魚人島にいらっしゃっているのでしょう? ぜひお会いしてみたいわ」
「!? 王妃、それはちょっと……!」

 朗らかな王妃の一言に、タイガーは盛大に顔を引き攣らせた。魚人は人間に歩み寄り、共に生きるべきだと公言して止まないオトヒメ王妃は、か弱いながらもバイタリティに溢れた人物だ。どのような相手であろうと、心に響く距離で話し合えば必ず理解し合えると信じ、それを実際に行動で示してみせている。
 問題は、相手が権力者を憎悪して止まないシイであるという事だ。
 ともすれば王族全員血祭りに上げかねず、タイガーの制止を聞き入れるという保証も無い。オトヒメ王妃が、広く国民に慕われる立派な人物である事など彼女にとっては些末事だろう。そうなれば島民の人間に対する印象は一気に悪化する上、王の友人である“白ひげ”を敵に回す羽目になる。
 無頼漢の多い船員の中にすら、王妃を慕う魚人はそれなりにいるのだ。シャボンティ諸島攻略を控えていなくとも会わせたいとは思わないし、むしろ積極的に避けていきたいのが本音だった。
 そんな切実なタイガーの願いなどつゆ知らず、ネプチューンが「それはよい!」と嬉しそうに頷く。

「わしとしても、多くの同胞を救ってくれた礼をしたいと思っておったのじゃもん。
 さすがに公式にとはゆかんが、ぜひ竜宮城に招待したいのう」
「ネプチューン王まで!?」
「それは素敵ね! 里帰りで戻っている船員さん達も、労わって差し上げたいわ!」
「いえあの、今回は少し顔を出す程度の予定で時間もありませんし、そもそも礼儀を知らない無作法者揃いですので! それに、そういうのはやはりまずいのでは!?」
「うーむ、では宴を開いてもてなすのはダメかのう」
「そうですわね。ここはやはり、私が直接出向いてお礼を……」
「いやいやいややめてください切実に」

 名乗った瞬間血の雨が降りかねない。そうなれば白ひげ&国軍と全面戦争待った無しだ。
 タイガーが一人で竜宮城へ挨拶に行く事も、本音を言えば嫌だったに違いないである。彼女にしては分かりやすいくらい、あからさまに不満気にしていた。よしんばタイガーの制止を聞き入れたとしても、礼儀や愛想といったものは確実に期待できない。人間に対して希望を抱いている王や王妃の事を思えば、せめてもっとその辺りの機微を理解してくれる友好的なメンバーやフォロー仲間がいる時にこそ、改めて挨拶したいところだ。
 そんなタイガーの配慮など知りもせず、オトヒメ王妃はきりりとした顔で言い募る。

「無作法など……。むしろこちらが敬意を払う立場です。
 私達ができない事をしてくださった方に、感謝の一つも示さずして何が王族でしょう!」
「勘弁して頂きたい……!」
「オトヒメは行動派じゃもん。滞在中に押し掛けるやもしれんのー」

 とうとう頭を抱えたタイガーとは対照的に、夫妻はとても楽しげにきゃっきゃしている。
 礼儀をかなぐり捨てて叫びたい衝動を、タイガーはぐっと飲み込んだ。心なしか胃がキリキリする。
 誰でもいいから止めて欲しい。止めて欲しいがしかし、現在人払いのされた玉座にいるのはこの国王夫妻のみなのである。夫婦そろって乗り気な現状、タイガーは孤立無援だった。

「分かりました! 今相談してみますから! 押し掛けるのだけはやめてください!!!」

 小電伝虫を取り出しながらそう叫べば、嬉しそうに王妃が「ありがとう、タイガー!」と笑う。
 善意で構成された笑顔に疲労感が増すのを感じながら、タイガーはがっくりと項垂れた。


 ■  ■  ■


 果たして今日だけで、何人の魚人と人魚が空を飛んだ事だろうか。
 無秩序であった一対多数の大乱闘は、時間の経過と共に、いつしか入れ替わり立ち代わりの決闘へと変化していた。大きく輪を囲んだ戦線離脱組と不参加組が、次から次へとへ挑みかかる面々を囃し立てる。この魚人街の住人が全員集まっているのではないかと思える程の熱気だった。
 いつの間にやら子ども達の姿まで混じっているのだから、もはやジンベエとしては乾いた笑いしか出なかった。広場の一角ではコトロが「怪我人はこっちぬー!」と声を張り上げ、船員達と一緒に敗北した者達の治療にあたっている。派手に負かしている割にたいした怪我をした者が一人もいない辺り、が配慮しているからなのは明らかだった。手心を加えられている現状を好機と見て取ったのか、アーロンとジャブラなどは手を組んで「今日こそ一泡!」「吹かせてやらァ!」と楽しそうに襲い掛かっている。
 かくいうジンベエも結局挑んで投げ飛ばされているのだから、他人の事は言えないのだが。
 ふと。ぷるぷるぷる、と小電伝虫が震えた。
 しばし躊躇った後、ジンベエは周囲を見回す。コトロは治療で忙しい。アーロンとジャブラは頭領に現在進行形で転がされているし、リプラに至っては何処から出してきたのやら、マイク片手にノリノリで実況をしていた。何故今この時点で、手隙の幹部が自分しかいないのか。
 自身の間の悪さに肩を落としながら、ばつの悪い思いでジンベエは電伝虫を繋いだ。

「……はい。タイのアニキ、何かあったか?」
「ジンベエか。あー……、なんだ。は今、どうだ?」

 何処となく歯切れの悪いタイガーの口振りに疑問を抱きながらも、問われてジンベエはそっと頭領の方を伺う。小さな手が、アーロンとジャブラを纏めて地面に叩き付けるところだった。
 勢いつけて前転しながら放たれたジャブラの鋭い蹴りを、片手でいなす。その隙に体勢を整えて背後から奇襲しようとしたアーロンが、投げ飛ばされて観客の輪に突っ込んだ。

「……そうさなぁ。まあ、若いのに稽古をつけてやっておるのう」

 ジンベエはマイルドな表現に逃げた。
 周囲の野次に混ざって、リプラの「おおっとアーロンちゃんこのまま脱落でちかー!? いやまだいける! 旭でもそのタフさは指折り! アーロンちゃんまだ立ち上がるー! 戦意を失ってはいない様子!」という実況が響いている。それが聞こえたのだろう。電伝虫の向こうで、タイガーがぼそりと「稽古……?」と呟いた。

「まァ、誰も止めに入ってないなら深くは聞かんでおく」
「……その。すまん、アニキ」

 惑わされた、というのは確かにある。
 場の空気に狂わされたようでもあったし、の誘いに、挑んでみたいと奮い立たずにいられない気持ちがあった事も否定しない。人形めいたところのある頭領は、基本、不言実行だ。あんなふうに人を煽り立てる事ができたなど、ジンベエは知りもしなかった。
 だが、惑わされて、挑んで。その後、こうして少しばかり頭が冷めてきてなお、頭領の行いを止めようと思えないのは――目の前で広がる光景が、とても楽しげだったからだ。

 魚人族が人間に向ける憎悪。恐怖と隣り合わせの拒絶。
 排斥される側であるがゆえの悪感情は、ジンベエ自身にも覚えのあるものだ。
 特に、この魚人街ではその傾向が顕著だった。それがどうだ。自身が、英雄と名高いから、というのはあるだろう。リプラやコトロは種族の特性もあって、“人間”という印象自体が薄い。
 けれど、ジャブラは違う。旭海賊団の一員であっても嫌悪の対象であるはずの男は、今、アーロンや、見ず知らずの魚人と手を組んで頭領に挑んで一緒に笑っている。
 無表情に淡々と、は挑んでくる者を誰かれ構わず負かしていく。
 中には本気だろう殺意のあるものすら混じっているのに、圧倒的実力差を背景に、何度も何度も、やがて襲い掛かる気力を失うまで、ほとんど怪我もさせずに問答無用に負け転がしていく様子は筋書きの決まったコントのようですらある。
 とても手荒いやり方だった。きっと、もっと良いやり方はいくらでもあるのだろう。
 猥雑で、乱暴で、海賊らしく野蛮極まりない。
 けれど、それが互いの理解に繋がっていて――少なくともこうして、“人間”を許容し、認める空気ができている事が嬉しいのだから、止める気になれないのは仕方が無い。そう思う。

「構わん。……に代わってもらっていいか」
「頭領に? 分かった」

 やや諦念を感じるタイガーの声音に居心地を悪くしながらも、ジンベエは声を張り上げた。

「頭領ー! タイのアニキからじゃー!」
「……ん。」

 電伝虫越しの会話に、がうっかり加減を間違えるまであと少し。
 何度目かの乱入を果たしたデッケンが不運な犠牲者になる直前の、平和といえば平和な一幕であった。



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